#77.(番外編)彼の名前は思い出せないけれど
創作エッセイ/過去のお話
事実を基に創作した恋愛エッセイになります。
※過激な描写を含みます.
大学時代に付き合っていた彼は、本当にひどい人でした。付き合い始めた頃は、とても優しかった。
とろけるようなキスをして、毎日身体を重ね合いながら、私は彼を愛しているのだと思っていました。
ある日、彼の家でくつろいでいると突然「巫女のコスプレをしてほしい」と言いました。
私は、戸惑いながら「いいよ」とだけ返事をしました。
インターネットで注文した衣装が彼の家に届き、私は言われるままに着てみました。
無償に恥ずかしくて「もう脱ぐね」と言うと、彼は静かにこう言いました。
「そのままで、コンビニに行ってきて」
嫌とは言えず、棚から財布をとり、羽織りの薄コートを取ろうとした時
「それは、いいから。そのままで」
私は巫女の姿のまま、彼の好きなおやつを買いに、夜のコンビニへ向かいました。
次の日には、今度はメイド服が用意されていました。
「着て」と促され、私はまた従いました。
フリルの角度や丈の長さ、細かいところをあれこれ批評されながらも、私はそのとき、学校でも家でも自分の居場所を見失っていたので、彼の期待に応えることでしか自分を保てなかったのです。彼に認められている間だけは、自分が透明な存在ではないと思えました。
彼は私を抱き寄せながら、こう言いました。
「ご主人様、お願いします…と、心の底から懇願してほしい」
私はできる限り彼の望むように、声を震わせて言葉を紡ぎました。
でも「感情が足りない」と何度も指摘され、もっと欲しそうに、もっと切なげにと言われ続けました。
そうして日々が過ぎ、私たちは一緒にアニメを見たり、いろんな場所へ出かけたりしました。
素敵な景色をたくさん見せてもらい、彼からたくさんのことを教えてもらいました。
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けれどある日、学内で男の子にノートを貸したときのことです。
お礼に自販機の缶コーヒーをもらい、私は「ありがとう」と笑顔で言いました。
そのやり取りを、彼は上の階の部屋からそっと見ていたそうです。
部屋に戻ると、彼は激しく怒り出しました。
土足のまま私の顔を踏みつけ、周りから聞こえるはしゃぐ声の中、私はただただ居たたまれなくて、その場を離れました。
それから彼は、私の友達だった女の子を家に連れ込むようになりました。
一度や二度ではなく、何度も。
私はとうとう彼に問い詰めました。
「どうしてそんなことをするの?」
彼は平然と答えました。
「彼女とは何もないよ。ただ大事な友達だから、一緒にいるだけ」
私は「私より彼女の方が大切なの?」とは、結局聞けませんでした。
ただ、台所の水切りカゴに刺さった箸の向きが逆になっているのを見て、胸が張り裂けそうになりました。
彼女は私の友達でもありました。
大学2年生の終わりまで、ほぼ毎日顔を合わせ、悩みを聞いたり、楽しい場所へ連れ出してもらったりした大切な存在でした。
だから、彼女を嫌いになることが、どうしてもできなかった。
学校へ行くのもだんだん億劫になり、私は空のような気持ちで大学の坂道を登るようになりました。
学内の食堂で彼女の服装が昨日と同じだった日には、心の中でそっと呟きました。
「…昨日も泊まったんだな」
私は怒りよりも先に、空っぽな心で他人事のように事実を受け入れている自分に気づきました。
しかし家に帰っても、心は落ち着がず、彼との関係もどこかで大きくずれ始めていました。
そんなとき、私の心を救ってくれたのは、人気女優の北川景子さんでした。
当時、ローカルテレビでセーラームーンの実写版が放送されていて、私は幼い頃大好きだったセーラームーンが実写化されていることに釘付けになりました。
特に私がずっと憧れていたセーラーマーズの役を、誰が演じているのだろうと、宝物を開けるような気持ちで画面を見つめました。
そこに映っていたのは、想像を遥かに超える美しさでした。
決めポーズの所作一つひとつが優雅で、清らかで、私はただただ息を飲みました。
それ以来、携帯の画面越しに彼女の写真を見るだけで、心の中のモヤモヤが少しずつ薄れていくのを感じました。
彼女の存在は、私にとって静かな癒しであり、そっと応援する「推し活」となりました。
(このことは、友達にも家族にも誰にも言えず、ひっそりと隠れて推し続けていました)
やがて彼女は結婚され、かわいいお子さんも生まれました。それでも今でも、私は心の中で彼女を一番の推しとして、大切に想い続けています。
あれから時間が経ち、
今では二十四時間、推し活のない生活は考えられないほどになりました。
ただ、あの彼の名前だけは、どうしても思い出せません。
これはきっと、脳が自分を守るためにくれた防衛本能なのだと思っています。
別れ際が悪かったことは、今でも少し反省しています。
あのとき、すべてを一気に「削除」というデリートキーを押してしまったけれど、
もう少し時間をかけて、ゆっくりと消化していけば良かったのかもしれません。それでも今は、こうして少しずつ言葉にしながら、過去と向き合っています。
もう二度と、彼の名前を口にすることはないでしょう。私の中には、もう本物の巫女(セーラーマーズ)が存在するから。
その清らかな光が、かつての夜のコンビニを歩いた私の足元を、今も静かに照らしてくれている。
おわり.
(約2,100字)
「巫女服でコンビニ行け」支配と裏切りの地獄。顔を踏まれた絶望から私を救ったのは、あの人気女優でした。名前も忘れた元彼との決別と、再生の物語。 #note #名前も忘れた恋の話。
こちらの記事は
パテックさんの恋愛コンペ「パテック杯」に沿って書かせていただきました。
よろしくお願いいたします。
