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異世界へのあこがれ

"いかにもエレベーターでかかっていそうな音楽"
フランスの音楽家ポール・モーリアの曲について、とある作家がこんな風に書いていました。
ポール・モーリアといえば、代表曲は『恋はみずいろ』に『真珠の首飾り』

これだけでは頭の中に疑問符が浮かぶとしても、実際に曲を耳にすれば、納得されるかもしれません。なるほど、いかにもエレベーターで流れていそうな曲だ、なんて。流麗で美しいメロディーではあるのですが。

そもそもエレベーターの中はどうしても手持ち無沙汰になりがちで、その空白を少しでも埋めるため、害のないイージーリスニングが採用されるのでしょう。同じ空々しさなら無音の方がいいな、と思いはするものの、思いやりが元にあることですし、そう無下にするものではないかもしれません。


最近は音楽だけでなく、操作パネル付近の液晶パネルに、様々な情報が映し出されているのもよく目にします。
私が住むマンションのエレベーターにもこれがあり、エレベーターの安全情報や豆知識、世界の絶景や動物映像、時事ネタなどが順繰りに流れます。

我が家は10階のため、ついじっくりそれにつき合ってしまうのですが、先日、正確には6月8日のニュースに、こんな一文がありました。
『今日は"成層圏発見の日"です』


成層圏。私の乏しい知識では、大気の層のうちの一つで、飛行機は飛ばない高さ、雲が無くいつも晴れ、オゾン層が含まれていたはずです。

勘違いだったら嫌だなと思い調べてみると、成層圏は地上の約10kmから50kmの高度にある大気の層で、太陽からの紫外線を吸収し、地球の生態系を守ってもいる、とありました。
この成層圏を1902年にフランスの気象学者テスラン・ド・ボールが"発見"した功績から、この日が記念日とされたそうです。


そこまでは何の問題もありませんが、私が引っかかったのは"成層圏発見"という表現です。これでは、まるで成層圏はそれまでこの世には存在せず、突如として出現したかのようです。

元々あったものを"発見"は違うのじゃないか、有史以来、人類は空を見上げてきたのだし。いや、でも成層圏はどうやっても目視できない高さで、飛行機乗りや一部の人以外は見たこともなかっただろうから、やはり"発見"は正しくもあるのかも、などと考えてしまいました。

我ながら変なこだわりだと思いますが、疑問が湧いてしまったのだから仕方がありません。
そして、もしかしたら同じようなことは今後も起こり得るかもしれない、などと連想も浮かびます。たとえば、今度は上空でなく、足元について、など。


以前もどこかに書いていますが、私はスピリチュアルも大変好きで、たしなむ程度ではありながら、色々な情報を見聞きしては楽しんでいます。

そんなスピリチュアル界に古くからある話題のひとつが異世界であり、それも樹海や南極にまで出かけないと行き会えないものでなく、もっと身近にそういった世界は存在している、という説もあります。
この世には凡人には知覚できない世界が、現実と同時並行的に、日常のすぐ隣合わせに存在しているというのです。


うわ、馬鹿馬鹿しい。そんなの誰も信じないって。そう言われるかもしれませんが、それならばなぜ、皆ファンタジー的な物語をあれほどに好きなのでしょう。

ある日突然、机の引き出しから未来の猫型ロボットが飛び出てきたり、チョコレートに夢の工場への招待券が同封されていたり、衣装箪笥の奥が見知らぬ異国や過去世界とつながっていたり、ラベンダーの香りで時間旅行が可能になったり、ふとのぞいた鏡の中に入り込めたり。

ありふれた日常の中の、誰にでも関わりのあるシチュエーションから、ちょっと不思議な出来事が展開する。そしてそれに巻き込まれるうち、平凡な生活が一気に色づいていく。
そんな物語を、誰もがきっと一度は夢想し、憧れたことがあるはずです。


それらは全くの作りごとでも夢まぼろしでもない、と唱える人がいるのがスピリチュアル界で、中でも私が一等斬新だと感じたのが、"異世界床上5cm説"です。
誰もそんな呼び方はしておらず、私が勝手に名づけたのですが、異世界は天空やどこか遠い場所にあるのではなく、私たちが当たり前に暮らすこの世界に沿うように存在している、しかもその入り口は、床から5cm浮いたところである、というのです。

その見えない入り口に足先をかけられさえすれば、そのままするりとそちらへ入場できます。
そして、日常の地続きであるようでいながら何かが違う、特別な世界を自由に探検できるというから、気分が高揚せずにはいられません。


「フランス人はいつも"上手いこと言う"ための言葉を持っている」
フィリップ・マーロウシリーズの中でレイモンド・チャンドラーはこう書きましたが、確かにフランス語は、いかにも"上手いこと言う"表現が多い言語です。

たとえば"夢見がち"だったり"ぼうっとしている"人をあらわすには、こんな言い回しが使われます。

"頭が雲の中にあるAvoir la tête dans les nuages"
"月に住んでいるEtre dans la Lune"

どちらも日本語でいう"浮世離れ""地に足が着いていない"と同じ内容ですが、これを踏まえても、地上からわずか5cm足らずで、空まで上がる必要さえなく別世界に行けるのは、何ともお手軽で助かります。


そして地上5cmで思い出すのが、2006年公開のフランス映画、タイトルもずばり『地上5センチの恋心』です。

百貨店と内職の仕事をかけ持ちして暮らすシングルマザーのオデットが主人公で、彼女は夢見がちで楽天的、まさに宙に浮いているような性格です。人生の支えといえば、大衆作家バルザンのロマンス小説を読むこと。

そのバルザン自身は公私ともにどん底の抜き差しならない状態にあり、とあるきっかけから、オデットの住むアパルトマンの扉を叩きます。
そうしてオデットは作家を窮地から救うために奮闘し、二人の人生は変わりはじめ……という内容です。

ファンタジーとコメディ要素が入り混じった浮遊感あふれる作品で、本国フランスでも大ヒットを記録しました。


それでも、これは決してにぎやかで陽気なだけのお話ではなく、"池に石を投げる"ではありませんが、前途にある可能性を信じ、様々な困難を克服しながら前進していく人の物語でもあります。
オデットはアメリカ式のポジティブシンキングではなく、人生の酸いも甘いも噛み分けながら、自らの意思で陰でなく光を見ることを選ぶのです。

「どんなにつまらなく平凡な人生にも、喜びや愛、笑いや幸福はある」
オデットが語るように、幸不幸は自分次第、こんな哲学の裏打ちがあるからこそ、物語も単なる夢物語に終わらず、多くの人の心を打ったのかもしれません。


上空数十kmから始まって、最後は床上5cmのお話に。
いつもまとまりのないことばかり考えている私も、十分"月に住む"資格がありそうです。

けれども、常に地に足をつけていなくとも、たまにはちょっと浮足立ってみるのもまた一興、などと思います。
それで別世界へまでは行けずとも、なにがしかの楽しみや、喜びは見つかるかもしれませんから。



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