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邪道作家十六巻 平和的虐殺 最適化を超えろ 無料分付き

作品テーマ 非人間讃歌

ジャンル 近未来社会風刺ミステリー(心などという、鬱陶しい謎を解くという意味で)


簡易あらすじ

アンドロイドが自我を持ち職を奪い作品すら書き上げる時代───非人間の殺人鬼作家が、作者取材という戦いに挑む!!

当然ながら依頼は嘘まみれ、行き着く先には困難ばかり••••••得られる「利益」が見えずとも、不屈で書き抜いた事だけは「真実」だ。


天上天下において並ぶもの無い、唯我独尊の物語だ───他に書ける奴がいるというなら連れて来い!!


過去未来現在において、唯一無二の


「悪意」


だけは「保証」しよう!!!



邪道作家 縦書きファイル全巻

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邪道作家 十六巻


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 平和は毒である。
 倫理的に正しい、と洗脳されて盲目的に信じるのは、ただの考えなしだ。そもそも平和など概念からして存在しない。平和だと表向き口にして、裏で有利な条約を交わされ、気付かぬ内に国家が丸ごと「奴隷」になる。
 別に、珍しい噺ではない。
 よくある事だ。
 何百年も平和に甘んじ、禄を食んで飼育用家畜の如き生活を送れば、それらが非常時に何の役にも立たない現実は、火を見てからでは遅いのだ。 まして、頂点に立つ存在とは、所謂その平和と自称する時代において、争いの最中選ばれる事はない。さればどうなるか? 決まっている。戦争がいざ勃発した際に、我が身可愛さで逃げ出す事は分かり切っている。実際、歴史を紐解けば幾らでもある噺だ。
 三百年の泰平だと? 
 平和という奴隷制度を押しつけて、今を生きる民衆を、食い物にしていただけだろう。酷い噺で泰平だの平和だのと呼ばれる時代程「搾取の額」は比例して飛び上がる。下らない倫理や道徳を、言われるがままに受け入れた末路だ。
 だから進歩しないのだ。
 他に、やることはないのか。
 無いのであれば、死んだ方が良い。少なくとも生きていてやれる事は何もない。
 士道不覚悟は切腹だ。生きる事を綺麗事で誤魔化している連中に、生きる価値など有りはしない・・・・・・生きようとしない奴に生きる資格はない。 当たり前の事だ。
 その前提を誤魔化すから、大砲の代わりに大鐘を並べる羽目になる。理不尽を否定するのは簡単だろう。「殺人は悪い事だ」「戦争は良くない」「差別は道徳的に悪い」しかしだ。現実問題殺人や戦争という生物淘汰がなければ人間は無尽蔵に増えるだけだ。差別しなければ不法移民が溢れ、国内で麻薬を流す奴や、国外に情報を売り渡す奴も出るだろう。それら二つを「道徳的に悪い」と否定して誤魔化し続けた末路が、誰も彼もが替えの効く人材であり、役割の席が溢れ不要な人間が飢えて死に、移民に銀行や株式を独占され続け、経済面で支配され、新聞には連中の息がかかり、結果として政治家の首さえ思うままにされる。
 それで「自分達は悪くない」とは笑えない。
 何もかもが悪だ。
 大体が「己が綺麗で正しい存在でありたい」という願いこそ、個人のエゴを貫き通した結果だ。誰かに批判されたくない、社会に認められたい、善良で素晴らしい人間でありたい、と。しかし、それらは全て誰かに評価されたいから起こす行動であって、個人の思想から出るのは稀だ。
 それこそ聖人でも無い限り、あり得ない。
 戦争とは、春が来れば夏になり、夏が過ぎれば秋が来て、秋が過ぎれば冬となり、冬が過ぎればまた、春となる事と同義だ。良い悪いではなく、あって当たり前の現象なのだ。それを倫理や道徳で計る時点で致命的だろう。見たいように見る。それは現実を直視する行為からは真逆の在り方だ・・・・・・平和を乱す事は許せない、とか、先人達が作り上げた泰平には価値がある、とか、あるいは今ここにいる人々が血を流す姿を見たくない、とそれら綺麗事を並べて自己を確立した気分になるのは、単に現実の残酷さを直視しないから行える遊びみたいなものだ。
 現実には人は死ぬ。いや死ななければならないのだ。大勢の人間が死ぬからこそ、大勢の人間が生きる道が出来上がる。戦争が無ければ成る程、死人は出ないだろう。だが技術の発展もないし、何より役割にあぶれた人間、雇用もそうだが各々が活躍できる舞台というのは無限にあるわけではないので、それに入れない奴は、どのみち飢えて死ぬ。生きる場所が狭ければ、生き残ろうが座る事が出来ない。座れなければ結局、死ぬしかない・・・・・・運命論的に言えば、どのみち死ぬ奴は死ぬのだ。それが銃弾になるか、路頭を迷った末に、飢えて死ぬかの違いでしかなく、役割を果たせず生きているだけ、いや息を吸って吐いているだけの奴が多いだけの世界。
 それが、貴様等の「平和の正体」だ。
 どう言い繕ったところで、生きた証を示せない存在を「生きている」とは呼ばない。戦わないし争わない。競わないし差別しない。それはただの甘えであって、現実という理不尽から逃げているだけだ。争わずにはいられないし、戦う事で生を実感でき、競い奪い合い敗者を差別するからこそ勝利を実感し、先に進める。
 それが人間の本質だ。
 言わば、耳を塞いで目を閉じ、引き籠もり現実から目を背け、その癖「誰かが何とかしろ」と、そう叫ぶのだ。自分では行動もせずに、相手側に対して「道徳的ではない」と否定する。楽で実に羨ましい。遊び人の考えそうな事だ。
 論客を気取って論争するだけで、何かを成し遂げた気分になり、自分もそれなりだと思い込む。行動するのは相手側であって自分達ではないと、連中はそう思っているからだ。本にでも書いて伝えれば良さそうなものだが、連中は天下の在り方を語る事が仕事だと思い込んでいるので、そこに「現実問題どうするか」という発想がない。
 綺麗事を並べるだけで、満足するからだ。
 世の綺麗事など、その程度に過ぎない。
 そんな戯れ言を信じるな。
 私は見てきた。上士の連中が心の拠り所である特権意識にしがみつき、異国が攻めてきても何も出来ず、どころか異国にすり寄り国を売ってまで自分達の保身に走る様をな。「泰平の世」の末路がそれなのだ。なまじ、平和だの泰平だのという綺麗事というのは「一時の善良なる気分」を生むだけだ。正しさの中に包まれて良い気分になれる点において、麻薬と何ら変わりない。
 綺麗事という粉を吸う暇があるなら、その頭で現実を考えろ。どうすれば勝利出来るか、支配をされない為にはどうするべきか。
 流されるだけでは勝利はない。
 それこそ戯れ言だ。
 有りもしないモノを求める奴が多過ぎる。最近ではデジタルゲームが良い例だ。欲しいキャラを当たるまで金をつぎ込み、後になって後悔する。デジタル世界では現金を握る訳ではないので金を使っているという「実感」が無い。無制限に望み続け望むモノが手に入るまで望み続ける。これは平和も同じだ。
 
 足りない事を知り、足りないまま納得する。
 
 そんな事も出来ないからだろう。
 飽くなき執念が現実に力を発揮するのは、仕事の成果を求める時だけだ。己の欲望に向けてどうするというのか。平和もデジタルゲームも、欲望を満たす為に、無駄な力を使い潰している点では同じ事だ。言っては何だが、平和を求めるなどというのは、ゲームに耽って金をつぎ込み現実逃避を続ける事と、何ら変わりない。
 同じ事だ。
 争いによる流血がある。欲しい何かが手に入らない事がある。全て、同じだ。全てが手に入り、何もかもが平和な世界など、子供の頭にしか存在しない。流れる血があり手に入らない欲望があるからこそ、面白いのだ。
 次こそはさらに良い「何か」を手にしてやる。 そう考え、行動し、結果を目指す事が肝要だ。 たかだか、その程度を知らない奴が多過ぎる。 今まで何をしてきたのだ。少しは考えろ。後悔する暇があるなら次に活かせ。活かす自信が無くとも活かせるのだと豪語しろ。過去の亡霊に引きずられるというなら、むしろ過去の亡霊を率いて未来を変えろ。後悔や諦観よりも、失った何かを嘆き「義務感」で動くのではなく、過去の亡霊が歓喜するような大法螺を口にし、死人でさえも、己の後ろをついてくるように進むのだ。それは、義務感ではなく「使命感」で動かせる。
 世界がつまらないのであれば、面白くしなければならないという使命感だ・・・・・・死んだ連中に、申し訳ないとか思う暇があるならそいつらが納得せざるを得ないような無茶苦茶をやり遂げろ。私に言わせれば、安易に過去に対する義務感で動くなど、過去からも現実からも逃げているだけだ。 前を向いて戦え。
 文句はそれからだ。
 もし、その上で失敗続き、敗北しか知らぬと、そうなるのであれば世界を罵る権利がある。私は常日頃からそんな具合だ。いや実際、とかく現実とは上手く行かないものだ。少しくらい金を稼げても良いと思うのだが。味方はいない協力者など詐欺師ばかり、理解者などある訳もなく企業家は時勢の味方だ。
 時勢か。それに乗れればどんな愚か者でもそれなりになるものだ。改革を起こそうとしたは良いものの、結果的に何一つ成し得ず終わった奴でも歴史に残る。時勢が味方するとはつまり、全てが味方するということだからだ・・・・・・しかし、だ。邪道作家を支持する時勢など、あるのか?
 無いなら作るしかないが、それが出来れば苦労はしない気もする。実際、一度出来上がった体制を覆す、というのは個人の力では無理だ。
 その辺りも、平和という綺麗事は度し難い。
 まず、民衆が体制を覆すだけの暴力を、持つ事が罰の対象になるからだ。結果、平和だ泰平だと口にする一方で、凝り固まった制度に逆らう力を奪われ、虐げられて泣き寝入りするしかなくなる・・・・・・貴様等の口にする綺麗事の全ては、裏側にある絶望を、自分達では体験することもなかったから口に出来るだけの、都合の良い言い分に過ぎない。平和という奴隷制度の上に、どれだけ絶望が敷き詰められているか、見たくないから見ようともしない。
 図々しい限りだ。
 そんな外道に敗北し続けるわけには行かない。だが、その一方で万策尽きたのも事実だ。
 どうしたものか。
 とりあえず、筆だけは動くのだが・・・・・・物語を売り捌けなければ、意味がない。誰が何と言おうと有りはしないあってたまるか。価値が無くとも意味があるとか、意味が無くとも価値があるとかそんな綺麗事などどうでもいい。
 欲しいのは札束だ。
 厳密に言えば、札束で買える生活が欲しいのだ・・・・・・ささやかなストレスすら許さない、平穏な生活。それを豊かさで満たし、仕事で充足を得ながら活きる為に生きる。目的はそれだ。それが叶わないのであれば、今までの過程の全ては無駄な徒労に過ぎない。
 それだけは御免だ。
 何の為に、金と時間と手間暇を賭けたと思っている・・・・・・全てはその為だ。私自身の掲げる勝利の為に、私は進んできた。
 それを否定されてたまるか。
 否定されて納得する奴は、仕事をしていない。 私は連中のような、遊び人ではないからな。
 全ては「仕事」だ。人殺しの方法にまで善悪を語り出すような暇人共と、一緒にされても困る。面白い事に国際法で「殺しの善悪」はどの時代においても定められている。例えば「生物兵器」がわかりやすい。あるいは「火炎放射器」もそうだろう・・・・・・死体が原型を留めなかったり、倫理に反しそうなやり方に見えるのであれば、連中には「悪い殺人」になるのだ。
 逆に、国際社会で支持、というより「許可」を取れれば「正義の殺人」が行える訳だ。
 丁寧に殺そうが、核兵器で殺そうが、何一つとして変わらない殺戮行為に違いないが、要するにそれが倫理的に正しいから、ではない。単純に、自分達を正当化する建前を、己だけでなく社会に求めなければ、欲望の為に殺戮行為を行いながら罪悪感を抱いてしまうからだ。逆に言えば、殺戮を幾ら行おうが、そういった国際法(という名前の強者の都合)さえ通せれば、彼等に罪悪感など塵一つ分も存在しない。だからこそ国際社会などという、頭の悪い建前を振りかざしているのだ。 見ていて、笑える。
 いや、笑えないのか。失笑ならするが、人間の舵取りを馬鹿な金持ちが先導している事実を見て面白がれる何かなどない。
 実に、つまらない。
 子供の屁理屈を無理矢理聞かされて、何が楽しめるというのか。実際、連中は自分達が崇高で正しいから皆が耳を傾けていると思い込んでいる。まさか、だろう。単に無理矢理聞かせる事が可能な権力があり、それに逆らう力を民衆が持たないから、泣き寝入りしながら聞いているだけだ。
 この近代社会において、認められた為政者など出来よう筈がない。社会の仕組みからして新参者を阻害する政治形態だ。金が無ければそもそも、立候補すら出来ない。民衆は政治に興味がない、のではない。既に見切りをつけているのだ。
 既に「民主主義」と呼べる何かは終わっている・・・・・・発足当時はどうだか知らないが、それは、資本主義経済が回り始めた時点で死んだのだ。
 惰性で腐り果てた仕組みを再利用し、都合良く使い潰しているだけで、言ってしまえば仕組みが民主主義と呼ばれていたから、原型などとうの昔にないとしても、それを「平和」や「民主主義」だと思い込む。
 いつの噺をしているのだ。
 少しは現実を見ろ。
 この泰平の世は先人の血で成されたものだ、と言い訳する馬鹿は多い。先人の血が流れたから、だから何だ。そんなのは、今を生きる人間に何の関係もない。そもそも自分と関係ない連中を持ち出すな、無能が知れ渡るだけだぞ。
 まして、それを言い訳にするな。
 自分の目で確かめてもいない癖に、物事を語る奴が多過ぎる。誰かに聞いた台詞、誰かに聞いた信条、誰かに聞いた政治。うんざりだ。
 多くの血が流れた結果、更に多くの血と涙が、後々の子孫に至るまで流れるのでは本末転倒だ。大体先人が何をしようが、今を生きている人間は行動し変革し意識を示す戦いに挑む義務がある。先に進めなければならないのだ。それを、争いは悪いことだからやめて、対話や多数決で解決するべきだと考えるのは、逃げよりも酷い。
 ただの卑小だ。
 生きて進む以上、そこには必ず犠牲による成果や悪徳による進歩があり、争いの結果として繁栄が約束される。それを無視すれば、形だけの権威が幅を利かせ、搾取する構図が凝り固まり、貧富の差による「平和的侵略」で死に続ける人間が、悪いことなどなにもしていないと抜かす持つ側の都合にあわせて奪われ、犯され、殺されるだけだ・・・・・・法は作れる側の小道具だ。世に言う正しさを信じるというのは、とどのつまり連中の戯言を条件も精査せず受け入れるに等しい。
 そして、その口で叫ぶのだ。
 世界は平和だと。
 争いは何も生まないと。
 馬鹿を言うな。何も生み出さないのは「平和」なのだ。平和こそ、何にもならない。毒で肉体を膿み続けるだけで、存在そのものが害だ。
 平穏と平和は違う。平穏とは、戦いの最中でも味わえる、当人の充足だ。形は人によって違うが仕事の合間に一時の余暇を楽しむ事を指す。
 平和とは、戦いが存在しない世界の事だ。争いが無ければ淘汰もない。一時の余暇ではなく永遠の余暇だ。まさに、遊び人の発想だろう。
 少しは働け。
 金を稼ぐ事と、仕事を成し遂げる事は、違う。当たり前だ。金はむしろ、本来であれば、だが、仕事を成し遂げた後に、勝手についてくるものだ・・・・・・仕事とは、その当人にしか成し得ない行いを後生に示す形に作り上げ、それを、社会全体に示し、広め、認めさせる。
 それが、仕事というものだ。
 田舎に引きこもって自己満足するだけならば、ただの趣味でしかない。幾ら技能があろうが無駄な噺だ。そういう在り方は、生きるという行いに対して、大きな余力と余裕のある「持つ側」が、よくやる「遊び」だ。
 それでいて、自分達の事を世界の事を考え行動し尽くしていると、そう思い込む。いいや、私の目は誤魔化せない。貴様等はただの遊び人だ。
 情けない言い訳を口にするな。
 小さく見えるぞ。
 大きく見せたところで、中身が廃棄されたゴミ以下の腐臭漂う汚物では、同じ事か。
 綺麗事など、道徳など、倫理など、そんなもの・・・・・・余力と余裕に溢れているからこそ口に出来るだけの、言わば「強者の言い訳」だ。
 自分達も必死に頑張ったのだと。
 そう言いたいのだ。
 所謂その「天才」という連中がわかりやすい。能力差に恵まれれば、生きる上で苦労などない。当たり前だ。本来、その伸びしろを延ばし、時間を費やして積み重ね、培い続ける事で何とか目標にたどり着く。それが生きる上での必須条件だ。 それが無ければ、労力などかかりようがない。天才でも努力しているだとか金持ちに生まれてもだからこその苦労があるだとか、情けない言い訳を繰り返し、「環境や才能と関係なく、自分は凄い事をやっている」と、そう思われたいからこそ必死に説いて回るのだ。
 誤魔化されるか馬鹿め。
 汚らしい正論もどきを口にする暇があるなら、物語の一冊でも作ってみせろ。環境や才能に関係なく物事を成し得る、というのであれば、いっそ読者共が吐いて苦しむ物語でも書けばいい。その物語が世界中で広まり、テロリストとして手配をされる位の影響を与えられるなら、才能や環境と関係なく、偉業を成したと認めてやろう。
 無論、有料だ。金は貰う。
 全財産の九割でいいぞ。税金はそちら持ちだ。 借金をしてでも払え。
 その結果、破産しても、私の生活とは一ミリも関係ないからな。好きにするといい。
 私か? 私がそんな、傍迷惑な物語を書く訳がないだろう。やるなら、そうと悟られない位賢くやる。「気がついたら全人類が人間嫌いになっていた」というのが最上だ。少し前まで本を読んでいるだけだった連中が、脳を犯され段々過激派の思想に毒されて行き、具体的に言うと企業家共の横暴に対して、デモを起こすだけではなく、物理で天誅を加えられる位の成果は欲しい。
 大昔、サムライが職業として成り立っていた頃であり、攘夷運動が活発だった時代。異邦人共はサムライを恐れたものだ。天誅天誅と殺し回っていたのもそうだが、当時のサムライには、支配を受け入れる余地がなかった。
 植民地化しようがなかったのだ。
 何せ、誇りの為であれば、滅んででも相手を討ち滅ぼし、自分達が全滅するか、相手が全滅するまで戦い続ける戦闘民族だ。国内でただでさえ、攘夷攘夷と殺し回っているのだから、もし仮に、無理矢理にでも法案を通して植民地化を進めれば・・・・・・海を渡ってサムライの集団が突如降り立ち現地民を殺し回る事態になったかもしれない。
 それだけの意志と行動力があった。
 そう、あった。今はない。
 流されるだけの連中が過半数を占める。
 結果機嫌取りの為に難民を受け入れ、その末路として国内が大混乱に陥ってから「あいつはロクでもない政治家だ!」と批判し、法律を都合良く扱う連中が、手前勝手に調子の良い法案を勝手に通したとしても、出来る事は泣き寝入りだ。
 通された事にさえ、気付かない奴もいる。
 古き良き昔を懐かしむ奴など、かなりの少数はだろう。そういう意味では、滅んではいないかもしれないが、事を起こせなければ意味がない。
 とりあえず、私に言える事は一つだ。もし貴様等の周りに、テレビを見ないサムライがいれば、精々気をつけることだな。そんな奴殆どいないのだろうが、少なくとも私は相手が死ぬだけでなく文字通り「消し炭」になるまで、やめるつもりは絶対にない。
 後腐れが残ると面倒だ。 
 銃を向ければ手足をヘシ折られても、感謝するべきだ。この世界には銃口を向けるだけ向けて、いざ自分達に危害が加えられれば正当性を説き、勘定に従うまま相手を殺そうとする馬鹿がいる。手前勝手も甚だしいが、自分達が善なる何かだと思い上がり、暴力の渦に身を置きながら都合良い部分だけを解釈する。
 忌々しい限りだ。どこにでも屑はいる。
 そんな屑に人権などない。人間として生きようとするから権利があるのであって、人として生きようともしない奴に権利などない。
 そんな奴は死んだ方が世の為私の為だ。
 袈裟切りか、いっそ首をはねてやろう。
 無論、合法的にな。
 しかし・・・・・・私は何をやっているのだろう。何をどうしたところで、先述のような「持つ側」にいるかどうかで全てが決まる。そういった惰弱者がのさばるのはその為だ。こんな風に作家として有り続ける姿は、滑稽かもしれない。最近では、自分で何を書いているのか、そもそも何故書いているのか不明瞭になる位だ。
 書くべき事は、書いている。
 そこに後悔などあり得ない。
 成すべきを形にするだけだ。だが、しかしだ。別に誰かに認められたい訳ではないから表に出るかどうかは、ある意味どうでもいいのだが・・・・・・だからといって無為に終わらせて良い訳ではないのだ。金、金、金だ。私は金の為に書いている。売れなければ徒労に過ぎない。とはいえ金になる物語とは、総じて本人の意思や信念、所謂その、魂を削って作り上げられた作品、ではない。
 むしろ、そういう物語は売れないものだ。
 私には魂は無いが、執念を削って作り上げた。勿論金に対する執念、己の仕事に対する自負だ。事の本質が反転した世界において、本来読者共に絶望を与え、現実に対処させる為の物語は、希望という綺麗事を無条件に味わい、人間が身勝手に作り上げた人間の概念を盲信し、結果この世界に人間など一人もいないと自惚れさせる、小道具に過ぎない。
 実際には人間とはそういう存在であり、物語にあるような勇気希望信念愛情友情恋愛感情に至るまで全て、下らない上に存在しない汚らしい綺麗事であるという「事実」を見ようともせず、己の世界に引き籠もり、結果世界を見据えもせずに、思い上がる馬鹿が増長する・・・・・・言ってしまえば物語の嘘八百を信じ「人間とは崇高なものだ」と勘違いしたまま現実の人間を否定する。馬鹿が。人間にそんな一面などない。
 物語の読み過ぎだ。
 虚構と現実を一緒にするな。
 現実には、人間はその程度だ。そしてその程度で問題ない。その程度のゴミ屑にも劣る人間世界の中で、己を示す事に意義がある。
 それを「仕事」というのだ。
 物語に感化されて、頭の悪い人間論を語る前に働け。言っては何だが、物語などを信じて現実に目を背け、人間を語り出した挙げ句自身の信じる夢物語が現実に存在しない事に腹を立てて行動を起こすより先に諦めるような愚か者は、ゲームの世界に逃げて廃人になりながら一銭も金を稼ごうとしない馬鹿共と同じだ。
 やっていることは「結果」同じでしかない。
 そんな愚か者が力を持つというのだから、実際世も末なのだろう。文字通り終わっている。働きもしない愚か者の為に、迷惑を被るのだからな。虚構は信じるものではない。何もないところから作り出し、金に変え、仕事として示すものだ。  それをしない奴に、生きる資格無し。
 出来なければ死ね、ということだ。
 酸素の無駄遣いだ。汚い息を吐き出すな。
 生きているだけで幸せなんだ、などと。最近はそういう二流の駄作が多い。そんな考えの馬鹿がいるとすれば、そいつは生きていないからそんな浅はかな台詞を吐ける。生きるとは、即ち苦悩だ・・・・・・葛藤し憤慨し憎悪する事で足を進める。
 その現実を知りもしないまま、生涯を終える奴が多過ぎる。それで人生を悟った気になるのだ。小汚い綺麗事を信じられる位に、ぬるま湯の環境に生まれた連中だ。息を吸って吐くだけの存在に苦悩など不要だろう。生きているだけで幸せだと口にする余裕がある筈だ。
 何せ、仕事もしていないのだからな。
 子供が遊び呆けて楽しいのは当たり前だ。
 仕事をしろ、仕事を。
 生きる事そのものに価値はない。生きた上で、己の仕事を成し遂げる事に意義がある。生まれや育ち、周囲の環境や能力の有無に関わらず、その当人だからこそ出来る「何か」こそが、その当人たらしめる証明だ。本人と関係なくある何かに、当人の生涯は関係ない。生まれ持った才能は所詮生まれ持った才能だ。それは幸運が凄いのであり当人の行動は関係ない。
 つまり、どうでもいい事なのだ。
 その才能を使ってすら、他の凡俗には真似出来ない偉業を成し遂げるなら、そこには価値があるだろう。歴史に刻まれる偉人であれば、その才能を活かし人類史を書き換える事で、世界を前へと進めるのだ。だがやはり、何一つ持たずして何かを成し遂げる存在こそが、補助輪有りで歩む連中などより真っ当に生きていると言える。
 その偉業がどれだけ凄かろうが、本来それは、才能も資質も環境すらなくやり遂げなければならない試練だ。海に酔う奴が世界一周し、暴力事が不得手な奴が戦国の世を駆け抜け、才能の欠片も存在しない無能が世界を変える発明をすべきだ。 でなければただの能力差ではないか。
 生まれ持った資質が、才能が、環境が人類史を押し進めてどうする。馬鹿か。それでは人類史を背負って立つのは人類ではなく、人類の持つ資質が人類史の行く末を決めている事になる。拳銃が殺す相手を選ぶようなものだ。
 揃いも揃って間抜けか。
 憎悪で音楽を奏で執念で絵画を描き怒りで彫刻を削り上げてこそ、面白い。万能の天才という奴がいたとして、才能に任せるだけでは機械と何ら変わりない。そこにある意志で、何を成したいか何を成すべきか何を示したいか考えた上で行動し世の摂理が吹っ飛ぶ何かを作り上げるからこそ、その当人自身の有り様を計れるのだ。
 そうでなくては面白くない。
 その方が、面白い。
 だからこそ世界は面白い。面白く出来るのだ。面白く変えられる。なれば生きるだけで幸福だと叫ぶ権利が発生する。ただ漫然と生きているだけで幸福を甘受し、生きているだけで幸せだと思い込み、事実何も成し遂げずとも豊かさを享受する愚か者になど、世界を語る資格はない。
 ふん、資格など文字通り何の役にも立たない、と思っている私が資格を語るとはな。だが事実だ・・・・・・資格が無くとも無理矢理物事を進めるのもありだが、流石に「生きる事を誤魔化す」など、出来よう筈もあるまい。
 消防士の資格が無い奴が火を扱うなどよくあることだ。逮捕権の無い奴が官憲を振りかざし人々を圧制する事も、やはりよくあることだ。それは金や権力という、「力さえあれば何をしようが、許させる事が出来る」という、古来からある人間社会の常だろう。善悪以前に力を振りかざす奴を止める方法など、それ以上の力以外に存在しない・・・・・・資格など文字通り「必要性」すらないのが現行人類の現状だ。
 その結果、力さえあれば生きる事を誤魔化す事が出来ると思い上がる。だが、流石に無理な相談だろう。生きる事を誤魔化してしまえば、そいつの後には何も残らない。作家が作品を作らず悪人が悪行を働かず軍隊が戦争をしない。それで世界が回ると思うのか?
 回る訳がない。
 結果停滞し腐敗し尽くした「平和」という幻想が出来上がる。戦争とは世の摂理であり、現実を誤魔化した結論として得られる平和など、そんなものだ。何かを勝ち取る上で進まない道のりに、何の価値がある。
 下らない幻想だ。
 少しは現実を見ろ。理不尽を知れ。敗者の苦悩を理解しろ。その上で物事を語るのだ。
 噺はそれからだ。
 何をするにしても、同じ事だろう。
 全てにおける「前提」だ。

 苦悩の一つも知らない奴が、世界を変えられるとでも思ったか。
 
 図々しいにも程がある。このような笑い話を、貴様等が休み無く語るから、私の筆は止まらないのだ。私を不眠で殺す気か?
 生憎だが私は「邪道作家」だ。世間一般の作家が辿るような、愚かしさ極まる道など絶対に通るつもりはない。完膚無きまでに健康で、あり得ぬ程に編集者に縛られず、馬鹿みたいに金を稼ぎ、何万年でも生きてやる。
 それが「私」だ。
 なに、簡単だ。少しばかり人間をやめればいい・・・・・・それで私と同じようになれるぞ。
 何も信じず完全な暗闇を笑い、世界は悪で溢れていると公言し、あらゆる善を否定する。悪性を良しとし際限なく己の為に生きるのだ。
 最高ではないか。
 貴様等もそうしろ。
 金は・・・・・・まあこれからだ。そういう事にしておこう。悪ほど金にならないものはないが、最悪であれば何とかなるかもしれない。
 無論、何の責任も持たないがね。
 それもまた、生きるという行いだ。
 倫理や道徳を語るだけなら簡単だ。だがしかし倫理や道徳とはその時代時代の風潮に合わせて、社会を動かす連中のの都合で作られたものに過ぎないし、何より綺麗事の倫理や道徳、平和は大切だとか戦争は悪い事だとか、妄想に等しい規範に従って生きたとして、仮にそのおかげか理不尽という理不尽を「避けて」通ったとして、それは、生きているとは言わないのだ。
 生きていれば試練がある。
 白刃に晒され己が死ぬかもしれない恐怖に身を預ける事もあるだろう。大切な仲間が死に、敵が生き残る事もある。それらに「よくも仲間を」と「父の敵だ」と感情のまま、あろうことか正当性を掲げながら相手を殺す事は、所詮己の心の安寧を守る為に、死者を利用しているに過ぎない。
 それでよく綺麗事を吐けるものだ。
 図々しい。
 言ってしまえば殺戮者でありながら、清い聖人でいようとする。「正しい側」だと思い込めればどのような悪逆すらも「正義」に出来る。
 正義だから悪を殺しても良いのだ、と思える。 世の正しさなどそんなものだ。
 その癖、連中は「間違っているとは思うけれど心の動きが止められない」と「情けない言い訳」を口にするのだ。馬鹿馬鹿しい。単に自分の心をスカッとさせたいだけだ。苛々してその辺の人間を殴り殺すのと、同じ事だ。
 それに向き合い前へと進む事を「生きる」と、そう呼ぶのだ。生きてもいない輩がよくもまあ、正当性などを語れるものだ。自分達にとって都合の良い、心地よい綺麗事に浸り、現実を何一つとして見据えてもいない。だからだろう。現実世界を生きていない連中が、現実に影響を与える事は絶対に無く、だからこそ恵まれているだけの馬鹿に、そういう輩が多いのだ。
 物理的に殺さなければ殺人ではない、と思い上がれる。他者の歩みを阻む時点で殺人だ。何せ、その人間の生きる道を殺しているのだからな。
 それを阻んで、都合良く解釈し、洗脳して道を変えさせるのは、単に物理的に人を殺すよりも、性質は悪い。所謂その「正義の味方」を、気取る馬鹿共に多いのだが、裁判官でも警察でもない、ただの暴力に恵まれただけの輩が「正義の行い」と称して暴力で事を押し進め相手を無理矢理改心させて、それを「世直し」とでも思い込む。
 際限なく馬鹿な連中だ。
 そう思うなら、政治家にでもなれ。政治に荷担してもいない奴が、暴力で事を押し進める事を、世の中では「悪質な犯罪者」と呼ぶのだ。これは最近の物語に多い。案外、犯罪者を量産する為に書いているのかもしれない。何せ「正義」ときた・・・・・・そんな妄想を振りまく奴もそうだが、それに振り回され信じる愚か者が多いというのだからどうかしている
 正義が欲しいなら大国にでも住め。
 そうすれば、簡単に手に入るぞ。
 権力さえあれば、安売りされるものだ。
「まるで悲鳴ね」
 と言われた事がある。どうも女運は悪いらしくそういう出会いや噺ばかりだ。 
「世界なんてそんなものって口にするけれど、私からすれば貴方はその世界の在り方を嘆いている・・・・・・だから、そんな風に人間を諦めきれない。人間なんて世界なんてそんなものだと口にしてもそれを受け入れる事が出来ない。むしろ逆、世界がそんなものだけれども、それを何とか変えようとして、結果変えられず、それを嘆きはしても、やっぱり諦めきれない」
 確か、金持ちの生まれで大した苦労も知らない女だった。流石小綺麗な、いや小汚い綺麗事の上に住んでいる奴は、言うことが違う。
 諦めきれないのではない。
 私には、どうでもいい事なのだ。
 なので私はこう言った。
「生憎だが違う。私は人間など最初から見切りをつけている。というより人間に対して何かを思い期待するような考えが出来ないのだ。人間に期待する何かなど存在しない。世界が理不尽であればそれでもいい。理不尽そのものや社会の仕組み、それらとは関係なく、私の実利が欲しいだけだ」「けど、世界が貴方の思う真っ当な仕組みなら、こんな苦労はしなかった」
 違うかしら、とその金持ち女は言う。
「そうかもしれない。だが「仮に」の噺などするだけ無駄だ。ならばそれはそれとして、己の歩みを止める訳にも行かないだろう」
「不器用な生き方ね」
「そうか?」
 可能な限り器用に、いやこの場合「要領良く」生きようと心がけていたので、器用不器用に関して言えば、考えた事もなかった。
 物語において最適解ほどつまらない展開は無いのだが、しかし現実を生きるのであれば、余計な試練を克服し成長するよりも、わかりやすく順風満帆で何の危険もない人生で良いのではないか、とよく思う。
 実際、面白味など幾らでも転がっている。
 そんなものが欲しいのであれば、それこそ物語でも読めばいい。現実に体験して試練を乗り越える必要性など、無いではないか。
「おかしなことを言うわね。人間、危険な出来事を体験しなくなると、生きている実感を味わえないものよ。それがなくなったら、そうね、生きる実感が無ければ死人と変わらない体験しか出来なくなるの。そうなったらお終いよ。幾らお金が在ろうが、生きている事を実感できないのにお金を使ったところで意味ないじゃない。丘ねって言うのはね、結局のところ生きている事を実感して、それを楽しむ為のものなのよ」
 らしい。
 世の中に対する感じ方に余裕があるからだろう・・・・・・仕事が逼迫している屈辱を知らないから、そういう言が出せる。
 そもそも、私には「実感」などない。
 それを感じる心がないからな。
「それは貴様のような輩だけだ。私は生きる実感などを追い求めている訳じゃない」
「あらそう? 仕事の成功なんてその極みだと、そう思うけれど」
「違うな、間違えているぞ。仕事の正否そのものに関して言えば、どうにでもなるものだ。勿論、それによる屈辱や苦悩がある。だがそれはどんな仕事においてもそうだが、味わわずに進める事はあり得ない。だが、仕事を仕事として成立させる事が出来ない場合は別だ。何せ、それは己の存在が認められないに等しい。誰かに認められたい、などという陳腐な理由ではない。しかしだ。もしそのまま何も示せなければ、それは「敗北」だ。個人ではない。その当人が歩んできた道のりや、その当人が睨み続けてきた目的地や、その当人が進む為に作り上げた内なる全てが、無駄に終わるということになる。
 
 最初から何もしていない方がマシだ。

 貴様のような余力溢れる道のりばかり、歩いてきた奴はよくこう口にする。「それは賞賛すべき道のりであって、その道のりに価値がある」と。だがそれは「眺める側」の屁理屈だ。現実に足を進め、その道のりの先に、何かを求める当事者にすれば、そんな無様は許容できる筈がない」
 勝つ為にやっているのだ。
 敗北を良しとするなど、あるものか。
 
 
 
  私は──────────────────


    1

 
 目が覚めた。
 設定されていたのは起きる際にストレスを感じないように、雨音のようなしっとりとした音楽が設定されている。最近は、生きたまま肉体をバラバラに切り裂かれたり、執筆を休み無くしたりと寝ている時さえ安息の時間がない。
 私の目指す生活と、真逆だ。
 何の為に労力を賭けているのかといえばその為なのだが、結果として、安息のない生活を送るのでは意味がない。まさしく徒労だ。
 疲れがどっと沸いてくる。ただでさえ仕事が回らない上に、それ以外のストレスまで抱えるのであれば、それはもう拷問より酷い。良い事など、今まで何一つ無かったが、だからこそ実利を追い求めたというのに、この様だ。
 まったく、嫌になる。
 
 それも、私の思い込みなのか?
 
 世界に理不尽と困難が溢れているのは事実だ。しかし、だからって私の未来がそうであると確定している訳ではない。世界に困難と理不尽が溢れているように、世界には安易な成功や安物の勝利も溢れている。単に私が「困難な道の先」を勝手に目指しているだけで、そんな事をしなくとも、案外あっさり勝利し実利を掴めるのだろうか。
 わからない。
 わからない事だらけだ。人間に本来わかるべき事柄はわからず、人間がわかりようのない事柄は理解する。心の有り様を見ただけで定め、未来の希望を何一つ信じない。化け物らしい在り方だ。笑ったり泣いたり信じたり哀れんだり差別したり逃避したり愛したり恋したり、どうやってやるかは理解できる。その仕組みは全て把握している。人間がそれらの感情を抱いている際、私であれば原因からその過程における心の動きまで、全て、洞察可能だ。
 何の共感もしないがな。
 少なくとも連中のそれは現実に即していない。有りもしない希望に身を任せ滅びるのは愚か者のすることだ。勇気でも何でもない。
 連中はわかっている気分になるだけだ。
 未来と向き合っていないからこそ、未来に希望を抱けるのだ。それが変えようのない事実。私は勝つ為にやっている。そんな余分を感じる暇より仕事の成功が大切だ。優先順位を間違える訳には行かないだろう。
 人間など切り捨てればいい。
 元より私には持ち得ないモノだが、人間性とはとかく足を引っ張るものだ。それが成功や勝利に向かうのは「物語の中のみ」であって、現実にはそれがあるだけで、敗北へと向かう。大切なのは人間らしさを競い合う事ではない。必要とあらば人間性を切り捨て、仕事を優先する心構えだ。
 心ないのに心構えとは笑えるがな。
 そして、人間性が必要になれば、備え付けて、身に纏えばいい。仮面を付けて外すように、心も人情も欲望も、必要であれば取り付け、不要なら捨てればいい。取り付けて、外して、捨て去り、身に纏い、切り捨てる。
 
 あらゆる人間性は付け替え可能だ。
 
 利用できるモノは何であれ利用すべきだ。私が普段からこういう言動を繰り返しているから例の女に小言を言われるのだろうが、しかし「事実」だろう。「希望ばかりを見る事が愚かであるように、事実だけを見据えるのも愚かだ」と以前言われた事もあったが、事実は事実。まさか消し去る事も出来まい。
 ただでさえ劣勢なのだ。いや、この考えが既に思い込みなのか? そんなことはなく、あっさり明日にでも売上げの目処がたって、そのまま平穏で豊かな生活を、それなりに充足して遅れるようになり、その一方で、またそれらの生活が脅かされ灰燼と帰した世界で、全てが消え去り一からやり直す羽目になるのだろうか。
 未だかつて無駄だったからと言って、これより先にそうであるとは限らない、か。その割には、私は随分な徒労しか歩いていない。正直なところそんなのは運に恵まれ成功し続けているからこそ出る台詞であって、散々売れもしないのに、物語を書き続けた奴が語る台詞でもあるまい。
 私見で言えば、それくらいしか出来ないというのも、また現実だ。努力が報われないと抜かす、そういう馬鹿共は多いが、私から言わせれば何をしているのかわからなくなってからが本番だ・・・・・・それで稼げなければこの様だがな。最早私自身結構な頻度で何をしているのかわからなくなる。当たり前だ。夢の中で解体され拷問を受けながら物語を書き続け、そのおかげで目が覚める。
 何をどうしたらこうなるのだ。
 勝つ為にやっているが、勝敗を考える余分すらない。己の業に憑かれるがまま動いているだけだ・・・・・・先の事は、まるで見えない。
 その内側より出る使命感が、己を駆り立てる。仕事であれば当たり前だが、仕事は成果を示し、報酬を得る為のものだ。無論活きる為に生きる、という側面も当然あるが、だからといって金銭を受け取らなくとも良い訳では断じてない。
 だというのに、書き続けている。
 ふん、そうか。これを「不器用」と呼ぶのか。今更ながらだが、女共の評価はそれなりに的を射ている。仕事に対して「過程」を求めるという、働かない奴特有の欺瞞を除けば、それなりに見る目があるのだろう。
 どうでもいいがな。
 未来は、頑張った人間についてくると言うが、生憎私の行動の果てに付いてきた事は一度もない・・・・・・必ず置き去りにした。
 信用するに値しない存在だ。
 今までそうだったモノに、これからを期待するべきだ、などと。図々しい。苦しみ吐き気を抑え不安の中で進み続けた「結果」に付いてこない。過程が大事だと? そんなのは結果ありき、だ。戦った事もない愚か者は「結果は対して出ないが真剣に戦ったから気分が良い」と口にする。
 馬鹿を言うな。勝つ為にやるのだ。
 実利に執着しない生など、ただの「遊び」だ。 作家である私にとって戦いとは「執筆」でありその作品売る事だ。他に何がある。書いて売って書いて売って書いて売ってを繰り返す。その先に未来がある。なければならない。何故なら、私はそういう「道」を「選んだ」からだ。
 選んだからには進むしかない。
 そこに「正しい」とか「間違い」は存在しない・・・・・・無論、進むだけでは駄目だ。その道のりに実利が付随するように、歩き続けられるように、進むべき道筋を辿る。もし進む事に間違いがあるとすれば、それは進み続けた結果望む成果の全てが手に入らない、いや志した何かを貫けないままただ進んで終わる事こそ、敗北であり間違いだ。 進むだけなら猿でも出来る。
 それをやろうともしない奴は多い。誰も彼もが「舗装された道のり」に「幸福があるべきだ」と思い込んでいる。確かに、私のような己で選んだはいいものの、そこに実利がなく不安定な道筋を進まなければならない奴の方が多い。しかしだ。用意された道が良ければいい。そうだな、どこぞの金持ちにでも生まれて才能にでも恵まれ人徳もあり何もかも全てが満たされていれば、舗装した道筋に従うだけでも「豊か」にはなれるだろう。 無論、それでも「生きる」とは呼ばないが。
 見方によっては家畜に等しい行為だ。結局の所我々は何者であれ「己の道筋」を定めなければ、「前に進む」事が出来ない。幸福を比較で計る奴もいるが、その場合どこかに向かわなければ進む事は絶対に不可能だ。今が最高値だと思うような満たされた場所でも、それ以上を目指さなければ幸福を実感できない奴もいるらしい。
 私にそれはないがね。
 何度も言うが、私に感性は存在しない。だが、それはそれで目指し甲斐がある。何も感じずとも「仕事」を「生き甲斐」とすれば充足があると、そう言い張ることで自己満足は可能だ。例え、私のような非人間、ただの化け物であってもだ。
 たかだかその程度もやらない馬鹿が多過ぎる。作品が売れもしない私でもやっているのに、だ。そんな生きる上での義務すら放り出した愚か者共が「運が良い」というだけの理由で美味しい汁を吸っている。
 気分が常に最悪でも、おかしくあるまい。
 見るだけで不愉快だ。いや、連中が生きているだけで、存在を抹消したくなる。
 いずれ、生態系から絶滅させたいものだ。
 不要なゴミは、それが何であれ、生きた人間であれば尚更、捨てなければならない。捨てる気の無い奴に、生きる資格はあるまい。まあ、現実にそう言う連中でも「幸運に恵まれる」だけで勝利出来る一方、手を尽くし策を費やしても敗北する事もある。
 しかし・・・・・・生きる事が理不尽だとは言うが、全てがそれで通されるのでは実際進めないのではないか? いや、この場合、進んでも進んでも、その先に実利を掴めないのでは、進む意味合いが消失する。
 進む事のみを求めるのは、持つ側の思考だ。
 持っているからゆっくり進むだけで満足できる連中と違い、進みつつも金を稼がなければ、私は前に進むだけで、何も掴めない。
 それだけは御免だ。
 あれこれ労力を賭けているのが馬鹿みたいではないか。進む事に「尊さ」を見いだす奴もいるが私の生活には何の関係もない。私は、観測者では無いのだ。現実に押し進める身からすれば、行動の果てに実利が伴わなければ噺になるまい。
 協力者、か。
 探して問いつめる度無駄足に終わってきたが、実際問題見つかればそれで大半の問題は解決するだろう。裏切りや搾取が無ければ、だが。
 成功したとして、信頼できるかは別だ。
 信頼していた奴が、後になって裏切っていた、などという噺は山程ある。引き運を祈るなど私の趣味ではないが、えり好み出来ない以上それなりに良い「引き」である事を祈るしかなさそうだ。案外、今までの連中はその辺りが駄目だったからではないか、とそう思うことにしよう。
 思うだけなら、金はかからない。
 何になる訳でもないが、出来るのはそれ位だ。 あれこれ悩み、行動し、進み続けている間に、随分と作品も貯まった。売れなければ存在価値が無いのだが、それでもここまでやり通せば、この意志が一過性ではない事は明白であり、何よりも進むべき道であるという「確信」は容易だ。何せ振り返るのが面倒な位進んだからな。
 現状、進んだだけではあるが、進むべき道筋を確かに、足で踏みつけ先に進めている。ならば、後は実利を掴むだけだ。
 それが出来れば無駄足を踏まない気もするがあ・・・・・・いや、あの女からすれば無駄足などなく、それらを歩いた「結果」として実利があるのか。だとすれば支払いが遅過ぎる。利子を多めに払うだけでは到底足りない。というか、利子を増やすよりまず先に支払って欲しいものだ。
 富も栄誉も、そこまで必要ない。
 どうでもいいものにこそ辿り着き、目指すべき道こそ遠ざかるというのであれば、私は栄誉だの栄光だのに振り回されたりするのだろうか。だとすれば代役が欲しいものだ。見せ物の猿ではあるまいし、人前に私が立つ事があるとすれば、演説で大勢を動かす必要がある時位だろう。
 私は軍人ではないし、それこそ作品に書くだけでいいのだから、その必要はない。面倒事が多くなるだけだ。まあ、金だけでなく人脈も手に入るのであれば、それなりに人気のありそうな奴でも矢面に立たせればいい。
 それが理想だ。理想も計画も上手く行かないがだからって立てなくてよい訳ではないしな。女が良いだろう。見目麗しく歌でも歌えれば上出来だ・・・・・・それだけでも立たせる価値がある。売れるからな。読者共が「こんな性格の悪い作品をあの女に書ける訳がない」と言ったとしても、ならばそれに応じて性格を演じさせるまでだ。案外素質ある人間かもしれないではないか。正直執筆作業に素質など邪魔でしかなく、傑作を書くにあたり必要なのは「性格が如何に悪いか」だけだ。
 だが、世間一般の人間は「才能」だの「素質」だのを信じたがる。そして、信じたいというなら信じさせてやればいい。人間は欠点のない存在を排斥したがるものだが、こと有名人に限れば完璧であることを求めたがる。
 不倫もしない、期待を裏切らない、まさに理想の存在を演じ、それに熱狂する訳だ。個性を抉り発狂させる事は得意だが、そういう面倒なやり口はやりたくもない。何であれ言える事だがその道のプロに依頼するに限る。
 何なら有名作家をクローンと入れ替え、そいつ書いた事にでもしてやろうか。民衆とは身勝手なもので、事の真贋など誰も気にしない。
 ある意味格好のカモだ。
 まさか、だろう。私の作品を他の誰かが書いたと教えたとして、それを見破る脳細胞が、読者にあるとは思わない。あまり笑顔がわざとらしいのでは胡散臭いので、それなりに陰があり、かつ、歌や顔で売っていける奴が望ましいだろう。
 まあどうでもいい。金になれば。
 残すべきは作品であって、別に私は残りたくもない。凡俗に覚えられても不愉快なだけだ。傑作として読者共から税金のように巻き上げ続けるのであれば、あの世からでも目の保養になるだろう・・・・・・作者の苦しみは傑作となって読者の楽しみになり、読者の苦しみは実利となって作者の喜びとなるものだ。
 どちらも、相手が苦しめば苦しむほど儲かる。 そんなものだ。
 読み手が残らず泡を吹きながら私の作品を読む事以外は考えられなくした上で、人格を沸騰させてでも肯定させ、倫理を無視してでも金を払わせなければならない。私の物語の為に核開発をやる位には、洗脳を施したいところだ。無論言葉にはそこまでの力はない。なので精々それに近づける事を心構えとする程度だ。
 読者の苦しみを常に考えるなど、作者であれば当たりの事だ。有名人の問題を探すように作者は読者を欺き、金を支払わせ、物語などという嘘に幾ら払わせる事が出来るかを競い合う、言わば、詐欺師の集団だ。売れている作家を見ろ。性格は最悪、品性は下劣、知性は貧相と、ロクな奴ではない。
 まして、編集者に依存する作家など、世界規模の売上げでもあげない限りは、半端者で終わる。というのも連中の大半は仕事として物語を綴る、のではなく、その場その場にあわせて物語もどきを書き連ねるだけだからだ。使命感などまずあるまい。大方「売れる作品の作り方マニュアル」を読んでいるのだろう。
 あるいは、計算で物語を書く奴だ。
 計算で物語が書ければ苦労しない。あれとこれを入れれば面白くなる、などと。
 計算式なら教本で書けばいい。
 仕組みに拘るのは結構だが、その場凌ぎの娯楽を演出したところで、読み終わってからの楽しみがなくなるではないか。論理による推理など面白くも何ともない。
 そもそも、ホームズが愛されたのは、ホームズという奇想天外な男が推理をするから皆絶賛したのであって、その辺の小男が同じ推理を披露したところで、誰も読まないだろう。推理云々は主役ではない。主役を映えさせる道具だ。
 仮に読み終わった後、殺人のトリックだけ読み返して面白いのか? あれこれ応対するホームズのような男が動くからこそ面白いのだ。何せ麻薬を白昼堂々行い、拳銃を乱射する奴だ。そのくせ良識ある相棒を毎回振り回し、誰にでも変装して犯人を追いつめ、それみろ自分が正しかったろうとほざく男だ。
 見ていて飽きる筈もない。
 市民としては駄目だが、主役としては面白い。 ちまい計算で出来る物語など底が知れる。いや知るまでもない。底を漁ったところでゴミが出るだけだ。その登場人物が語り出すだけで読者の心を引きずりこみ、捉えて離さないどころか良心や道徳を抉り出そうとする必要がある。
 いっそそのまま廃人にしてしまえ。
 私の物語に金さえ支払えればそれでいい。
 いいアイデアだ。実行するのに困難な壁が多い気もするが、それさえ出来れば私の実利は確実に手に入るのではないだろうか。私はあれこれ物語を売る事に熱心だったが、案外読者共こそ敵で、連中を滅ぼせば問題ないのではないか?
 検討しておこう。
 なに、読者の相手など、それらしいアイドルを雇用して握手会でも開かせればいい。私の握手を欲しがる奴はいないだろうが、見目麗しい奴を表にあげれば、それだけで収益が見込める。実際、本人が出る必要などあるまい。都合の良い夢を見たいのであれば、見せてやるまでだ。
 むしろ、私が出てはならないだろう。
 連中が見たいのは。自分達にとって都合の良い作家像であり、本人ではない。私が出て行って、嫌々の笑顔を無理矢理浮かべながら世辞を言って何になる。疲れるだけだ。そう、これは連中の為なのだ。誰それの為と口にすれば殺人でも通る。大昔からある人間の道徳観だ。ならば良識ある私は読者の為にも、それらしい影武者を見繕わなければなるまい。
 問題は、そいつが裏切る場合だ。そのまま全て売上げを取られる、というのは避けたい。流石にないとは思うが、念には念をだ。
 弱みの百二百は欲しいところだ。弱みの獲得は専門家を雇えばいいだけだしな。何の、とは言うまい。専門家は専門家だ。
 無論、その専門家すら裏切ろうとした場合は、火炙りの刑にでもなってもらうとしよう。なに、ただの事故だ。寝ている間に火元が疎かになる、というのはよくある噺ではないか。それが偶然、私の実利を奪った連中に起きるだけだ。
 証拠は何も残るまい。
 普段の言動にしても、まさか物語と現実を取り違える奴はいないだろう。仮に疑いがかかったとしても、それこそ金の力で解決すればいいだけだ・・・・・・言っては何だが、金があれば勝てない裁判など存在しない。やり方を心得ていれば尚更だ。時間と金がかかる裁判においては時間と金を浪費させる戦法を取り続け、まともな生活を送る事が出来なくしてやればいい。
 勿論偶然だ。ただの偶然でしかない。偶然そうなるだけだ。金に不可能があるとすれば、現行の人類では辿りつけない何かだろう。しかし戦争は人類が常に行ってきた。力の象徴である金の力で不可能などあろうはずもない。
 それが争いに限れば、だが。
 住んでいれば地上げでもすればいいし、仲間がいるなら分断すればいいし、組織があるなら逮捕してやればいい。警察などどこでもそうだが最も安く買える暴力だ。裏家業の人間が力を持つには必須の暴力だろう。そういう国も多い。
 個人的には素直な人間が多いと解釈している。 いずれにせよ、金があればどうにでもなる。
 金は使うものだ。私の平穏の為に必要であるのであれば、影武者だろうが何だろうが買う必要があるだろう。売られる場所は不明だが、それも、金の力で探し出せばいい。作品を恒久的に残す、という事を目的に据えるならば、とりあえず早く薄く広め、作者の正体が不明なままにすれば読者も食いついてくる。売上げ向上の為に、長年正体不明だった作家の正体が、今! というやり方で売上げを伸ばすのは賢くない。作者が正体を晒したところで、良い事など何もない。
 作者を信奉する読者ほど、裏切りの芽が多い奴もないからな。あっさり掌を返して機関銃を乱射してもおかしくない。そういう事例は多々ある。 物語に対する訴えを、作者に晴らしたがるのだ・・・・・・結果、現実に機関銃乱射事件を起こし作者ごと物語を殺すのだから、浅はかにも程がある。 そんな連中に期待する何かなどない。
 希望や未来位には、信じられない存在だ。
 巻き添えをくってたまるか。
 
 完全な白は無いが、完全な黒は作れる。
 
 そう在ろうと心掛け、そう在らんと行動する。嘘臭い上汚らしい綺麗事ではなく、現実に力ある悪であるべきだ。この世全ては最初から全て、悪で出来ている。何もかもが「悪」だ。悪ではない存在など、ない。
 生きる事が悪であり、悪だからこその生だ。
 他生物を殺してでも、成し遂げるべき何かだ。それこそが生きる証であり、悪の証だ。他生物を踏みにじるのは、どの生物も変わらない。
 当たり前の事だからな。
 いつも言っている事だが、この世界に時間など存在しない。我々が培った何かこそが生きた証であり、それらの積み重なりを人生と呼ぶならば、自然他の連中の培い積み重ねた何かを否定する事にも繋がる。それを勘違いする奴は多い。
 私とは違い一歩目から失敗などせず、順風満帆に培い、積み重ねてきた連中。最近では漫画家に多いが、長い年月を経てようやく形にしたモノを見て「自分ならこれくらいはいつでも作れる」と自惚れ、半身と化した物語を捨てて、新しい物語を作ろうとする愚か者だ。
 結果、面白くも何ともないゴミを量産する。
 連なりこそが歩んで来た道のりの証明ならば、その道のりを捨てて得られる何かなどない。その道のりの続きが、成果として形になるのだ。
 なまじ、最初から恵まれたが故に、勘違いする典型例だろう。無論恵まれなかったから、上手く行く訳ではない。単純に、勝てる戦いだと思い、そこに油断を生じさせているだけだ。言っては何だが、そんな奴は恵まれなければ尚更、破滅の道を進むだろう。
 私が魂の無い失敗作なら、連中は魂の腐敗した汚物の塊だ。使い道のない、死ぬ為にあるような生態系の余剰分。培い築き形にした勝利を、馬鹿馬鹿しい事に「自惚れ」で捨て去る愚か者なのだ・・・・・・培っても金にならず、ひたすら馬鹿の一つ覚えのように書き続ける身からすれば、鬱陶しい事この上ない。
 これだから凡俗は目障りなのだ。才能があれば凡俗でない訳ではない。むしろそれを助長させるだろう。代わりの効かない個性にこそ価値があるならば、その個性は環境などに振り回されるほど柔であってはならない。金に振り回されはしても環境で個性が変化する事はない。
 何より物事の過程にある能力差など、それこそどうでもいい事だ。我々が指し示すべきは結果であって過程ではない。過程の尊さなど、汚らしい綺麗事を好む愚か者同士でやらせておけ。要は、勝てば良いのだ。ただ勝つのではない。圧倒的に勝利を抉り取るのだ。己の道に沿ったやり方で、それら覇業を成し遂げる。
 それでこそ面白いと言えるだろう。
 面白くなければ嘘ではないか。騙すのは良いが騙されるのは御免だ。生きるという事はどこか、嘘を含んでいるものだ。金は集合意識の生み出す幻想であり、愛は人間が自己賛美する為の虚飾であり、恋は身勝手な己の都合を相手に押しつける免罪符であり、友情は仲間意識が生み出すただの錯覚であり、心は知性に毛が生えただけの人間が思い描く虚栄であり、物語は嘘を書き連ねた詐欺の成果でしかない。
 
 人間に「知性」など存在しない。

 あるものか、馬鹿馬鹿しい。更に言えば欲望と呼ばれるモノすら存在しない。欲望が分不相応な「何か」を見据え、目指す事が欲望であるならば・・・・・・人間というのは「出来るからやる」生き物であって、分を越えた何かを志す奴など非常に稀だろう。能力を向上させたり、計画通りに進める事で成し得る目標など、欲望ではない。
 ただの「都合」だ。
 貴様等に、欲望とは何かを考えられる程の知能があると、本気で思っているのか? 
 空ばかり見ていないで足下を見たらどうだ。
 空を睨み目指すなら良いが、馬鹿面下げて眺めながら出来もしない事を口にするのでは、遊び人以下だろう。そんなだから欲望の一つも持てない・・・・・・持っていると勘違いしたまま死んでゆく。欲望を感じ取れない私でさえ出来る事が出来ないとは、何とも情けない噺だ。 
 ささやかなストレスすら許さない、平穏な生活・・・・・・・・・・・・無論それには「仕事の成功」という「豊かさ」と「充足」が必要だ。だが、それらを達成できるか以前に、私は手に入れた所で何一つ共感しない。あくまでも「人間の幸福」であって私の幸福ではないからだ。
 だが、だからこそ、目指し甲斐はある。
 それを「欲望」と呼ぶのだ。
 絶対に手に入らないが、別に、それそのものはどうでもいいのだ。世界、いや「大きな何か」に対して張り合う為の歌い文句。それが人間の欲望であり、そもそもが達成する為にあるのではない・・・・・・あざ笑う為にあるのだ。何もかもを笑い、笑い尽くして先に進める為にある。幸運に恵まれ「知能を活用する」という行為を一切してこない馬鹿共には、そんなこともわからない。
 人語を解していないのだ。 
 本質的にはそういう事だろう。言葉を知るだけであって、言葉を理解していない。人後の話せぬ猿と代わるまい。言語も理解できぬ癖に、その口で欲望を語り出すのだ。笑いでも取りたいなら別だが、端から見れば馬鹿丸出しだ。頭が禿げて、それに気付かない中年より酷い。
 これはその欲望の物語だ。
 平和という幻想を望む欲望、ではない。むしろ有りもしない平和の中で、指し示すべき道のりを歩めれば良い、という欲望だ。不可能ではあるが目指し甲斐はある。時代遅れも甚だしいが、物語とはそういうものだ。
 では、始めよう。
 欲を語る愚か者の入る余地などない。この物語にいるのは欲望を見据えながら前に進む人間と、それを執筆する私だけだ。
 邪道作家の物語。ならば読者の苦しみだけでは足りない。そうさな、
 
 欲望という概念を、ここで書き換えてやろう。 
 
 

 
 

   2

 争いがなくなったように見える世界。
 だがそれは、そう見えるだけだ。表面が見えるだけで、裏側は何も変わりはしない。手段を変え仕組みを変え呼び名を変える。たったそれだけで世界を「平和」だと勘違いする位には、民衆とは操りやすい生き物らしい。
 直接的な殺しが「罪悪だ」と叫ばれる一方で、比較的「人道的」な兵器が人を殺す。ドローンもそうだが、情けない事に「わかりやすい罪悪」に敏感になる連中ほど、わかりやすくなければ殺人でも何でも許してしまう。いや、当人には許した自覚はない。「そう言われたからそうした。それが悪い事だとは思わなかった」と後になって叫ぶだけで、自分達だけは「罪悪」から、逃れられると思い込んでいる。
 自覚も義務も責任もない。
 そう思い込んでいる。
 例えばいじめ、例えば過重労働、例えば紛争。全て「合法」だ。何一つ犯罪ではない。何せ発覚したとしても、シラを切れば良いのだ。それだけで罪にならないのであれば、そんなのは全て合法であるのと同じ事だ。罰する規則のない罰則などあるものか。
 実際、法的にどうであれ、力で押し通せれば、それは罪悪にはならない。企業が良い例だ。誰か企業家で肥え太る連中が、正義の鉄槌でも受けたところを見た奴がいるか? いない。物語と違い現実には「力があれば何をしてもいい」からだ。力には責任がある、などと偽善者は言うが、未だかつて責任ある刃を振るった権力者など何人いるというのだ。両手で数えられるかも微妙だ。 。 電脳世界の発達につれ、それらの問題を政府側は現実ではなく電脳世界の中で解決しようとした・・・・・・あるいは。電脳に近いドローン操作という言わば「現実感を持たなくなるもの」に限られ、争いを「合法化」したのだ。
 結果、何が起こったか。
 簡単だ。まず死生観が壊れてしまった。兵隊として殺すのは「仕事」と言える。どんな争いでもそうだが、避けられない争いに出向き、民衆より先に傷ついて、殺しの覚悟など持てない民衆共の身代わりに前線に立ち、戦う。
 それが「兵士」の「仕事」だ。
 だが、現代社会では綺麗事の為に、兵士の仕事すら取り上げようとした。何せ、兵士が傷つけば騒ぐ連中が増えたのだ。少しでも怪我をすれば、国は何をやっていると叫び、死人でも出ようものならヒステリーを起こし正義を叫ぶ。
 殺しに出向いた奴が、全員無事で済むなどあり得ない話だ。だが、その「平和」とやらで現実を誤魔化し続けてきた連中には、本当にわからないのだろう。現実を生きていない以上、現実にある理不尽を知る由もない。
 結果がドローンや、電脳世界による代替だ。
 更にその結果として、大した覚悟もなく、仕事に対する信条もない若者が遊び感覚でドローンの操縦桿を握り、何年も立って「これは現実だ」と今更ながら「後悔」する。全てが悪だと言うのであれば、間違い続け突き通すのが生きる上で義務だと言える。しかし、後になって「後悔」して、しかも己の意志で動いた訳でもなく、ただ流され思考放棄した結果として、大勢の人間を虐殺しておきながら、あろうことか「被害者」を気取る。 気色悪いにも程がある。
 悪ではない。「汚い」のだ。私は悪だ。それも最悪だと言える。自分で言うのも何だが、私には人間らしい幸福など望めないし、それを望む殊勝な心すら無い。欲望として人間のあり方、幸福の定義を掲げてはいるが、達成される事はないのだ・・・・・・それでもだ。
 私は後になって後悔するような道は選ばない。執筆に関して言えば、不真面目ではあったが手を抜いたりもしなかった。不真面目なければ出来ぬ傑作を書き上げたという「確信」もある。実際、執筆作業に手を抜けるほど、器用でもないしな。 だから、何の後悔もない。
 その結果として大勢の読者が涙する羽目になるとすれば「ざまあみろ」と思うだろうし、仮に、その結果売れずに餓死したとすれば「この傑作を賞賛する脳細胞も無いのかクズ共め」と吐き捨て世界の無能さを笑いながら死ぬだろう。
 やるべきを済ませれば、そんなものだ。
 つまり連中は現実にある理不尽から目を背け、綺麗事を口にして逃げる自分を守り、戦いもせず争いを否定して、自分達の身勝手な倫理観に従わない「悪徳に見える悪徳」を否定する事で、連中が如何に「道徳的」で「正義の側」にいるのか、それを実感したがる。そうすれば、世界は理不尽で何一つ「正しい概念」など存在しないが、そうであると思い込めれば「楽」だからだ。
 神を信じる奴にも、これは多い。
 神が絶対であれば、思考放棄しても良いからな・・・・・・そんなものがいるのか知らないが、いたとして、それは所詮「指針」に過ぎない。神がどういう奴かは知らないが、連中のあり方は人間ではない「神だからこそ歩める倫理」であり、それを人間が真似てどうするのだ。大体が、古今東西において、神とは無茶苦茶をやりたい放題行って、世界をかき乱す存在だ。
 あれらのどの辺が完璧だと思えるのか。
 唯一神を信じる連中の神でさえ、わりと理不尽な行いをしている。探せば文字通りキリがない。それでもそう信じたがるのは「絶対的な何か」に身を預ければ「現実の理不尽と向き合う必要」が無いからだ。言ってしまえば現実から全力で逃避している。逃避し続ける為に、都合良く平和だの正義だの神だのを信じようとするのだ。
 連中が一番、神を信じない連中より、神とやらを見下し、利用して、侮辱している。そんな奴がいるのか知らないが、まあその程度で怒りに身を任せるような奴なら神になど、いや、そういう神の方が多いか。「我が儘の究極形態」こそ神だと言って過言ではない。第一、人間の基準で動かず大きな能力で事を進めるのだから、そんな大雑把な連中に、細やかな気配りを期待する信者共こそどうかしている。
 話が逸れたが、盲目的に何かを信じる、というのはその信じる対象を侮蔑するのと変わらない。大して相手を見ずに、都合の良い現実逃避に利用しているだけだ。平和も同じだ。平和という偽善の裏側で、一体何人が死んでいる。調べれば誰にでもわかる事だ。自殺者だけでも戦死者を越えかねない。何万人もの犠牲を、毎日余り物を捨てる感覚で殺し続けている。
 そんな社会に貢献する人間など、皆殺人鬼だと言って過言ではあるまい。人類皆殺人鬼。それは平和という偽善の裏側にある「事実」だ。
 そもそも人間は争わなければ生きられないではないか。争いのない世界など、生きるだけの余地がどこにもない。生きる為に活きる。それは何者であれ必要な事だ。私とて、ストレスのない生活を望みはするが、仕事による充足は手に入れる。私にとっての戦いは執筆だからな。
 何であれ身を張って戦えばそれでいい。
 別に兵士である必要はない。問題なのは、兵士でないからといって、戦いを放棄する奴ばかりが世界に溢れている「事実」だ。
 平和なのではない。戦いを放棄しただけだ。
 いや、それを「平和」と呼ぶのだろうな。
 元より存在しない妄想に、現実を活きる上で、有意義な部分などある筈もない。その結果として「分かり難ければ何人殺しても良い社会」が存在し得るという事だ。現実と少しでも向き合えば、こんな無様は晒さないだろう。
 今回は、その無様さを取材するつもりだ。
 とはいえ、私はこれから行く惑星に詳しくないので、現地ガイドが必要だ。無論金のかからない方法でそれをする必要がある。
 現地の被災者独立支援団体に、現地の元兵士に職を斡旋している女記者がいるという話を聞き、「世界にこの悲惨な現状を伝えたい」と言って、金も支払わずに作者取材を行えるよう整えたのだ・・・・・・我ながら冴えている。
 綺麗事を好み現実から目を背けている奴らは、綺麗事を押しつけられれば断れない。無論都合の良い捉え方をして、受けない奴もいるがな。 
 作品に活かしつつその現状を伝えると話したがまさかそんな訳がない。精々それらを皮肉って、つまり読み手が自分達の生活の基盤はこんなものだと押しつけられるような物語にするつもりだ。読者が世界を信じられないようにしなければな。それでこそ傑作と言えよう。
 私は現地惑星から少し離れた観光惑星のカフェの中で、座りながら待っていた。
 勘違いを正しておくと、これから行く惑星にはわかりやすい飢えや貧困はない。むしろ、逆だ。支配体制が完全に整っており、世界でも有数の力を持つ大国である。ならば何故支援団体があるかというと、それはこれからの話でわかるだろう。 と、そこで入り口から人が来た。
 見目麗しいというよりも、お高く止まった美貌といった具合だ。青い髪であるところを見るに、恐らくはこれから行く国、タグラッドの品種改良された国民の子孫だろう。
 タグラッドでは数世代前から人間の品種改良が行われており、高い知能と運動能力を兼ね備えた言わば「超人」を作る為だ。技術形態は数千年前には既にあったが、それを実行するのは国家ではなく一部の限られた軍事関係者のみだった。
 無論、人間の品種改良そのものはは大昔から行われているので、それにひと味加えたやり方だ。優れた遺伝子情報を優先して子孫を作り上げる、だけではなく、その優性因子を更に改良し、若い子供の時点で肉体の成長を押し進め、それにより本来であれば子供の時点でのみ得られる恐るべき学習能力や、無尽蔵の体力を維持したまま、成長を促し続け老いに向かわせず、結果常に進化する超人が生まれたのだ。
 成長を押し留めると言ったが、厳密には老化をその時点で止めてしまい、肉体の成長事態は無限に行うやり方だ。若い肉体を成長させ続けながら更に強靱な肉体と知性を磨き、圧倒的な学習能力を活用して社会に活かせる人材になる訳だ。 
 背が高くスタイル抜群。落ち着いた知性に艶やかな髪。禀とした雰囲気の中に、強い芯のある女の出来上がりだ。
 恐らく、身体能力は見た目に反して相当なものだろう。そのままこの女も、兵士として活躍することが可能な筈だ。
「失礼します。ご存じかと思いますが、私は記者クラブの・・・・・・」
「ベルモンド・マリーだな」
 相席に座った女に、私は早く話をするよう促す事にした。無駄話は疲れるだけだ。
「本題に入ろう。タグラッドに体する取材許可は降りたのか?」
「ええ、勿論です。ただ」
「ただ、何だ」
 また厄介事だろうか。
 少しは楽をしたいものだ。
「どうにもわからない事があるんです。本国では優性因子解明の為に、大規模な国民実験が行われている事は、ご存じですか?」
「数値化したデータを照らし合わせ、最適の組み合わせで「人間の品種改良」を行い、優れた民族の繁栄に努めると聞いているが」
「お調べでしたか。これが資料です」 
 ざっと渡された資料を見た・・・・・・何だこれは。金の流れはまだわかるが、どうして国民の自殺率などが出る。いや、そうか。
「つまり、自殺者という体で、掛け合わせの品種改良だけでなく、何か大規模な実験を行っていると疑いをかけているのか」
「・・・・・・流石です。お見通しですか」
 こんな当て推量で誉められるのも何だが、まあ本人がそう思うならそれでいいだろう。少し考えればわかる話だ。更に言えば、物語を読めばな。「仰る通りです。私の知人、兵役を退いて雇用先を紹介した人達が次々と姿を消しましたが、彼らは自殺するような性格ではありません」
「軍人ならそうでもあるまい。PDSEにかかり自殺した方がマシだと考える奴もいる」
「それなら、何十年も兵役を貫いた古参兵達が、こうも相次いで自殺するのは、むしろ異常です。自殺者の年齢層を見て下さい」
 なるほど、不思議な事に二、三十年の兵役活動を行った奴のみが、自殺している。流石にこれは偶然ではあるまい。
「平和な国家には邪魔なだけだしな。私でも処分するだろう」
「・・・・・・そんな事はありません。彼らは命を賭け戦いに挑み、誰もが忌避する困難に打ち勝ったのです。それを」
「不要になったから捨てるのはよろしくない、と思う訳だ。しかしな、そんなのは通常の人間関係でもよくある話だ。散々利用しておきながら施設の方が落ち着けるからと「善意を施したつもり」で「自分の都合の為」に動くなど、その辺の人間でもやる。それが国家なら尚更だ」
「けれど、彼らは英雄です」
「だろうな。しかし、平和な世界に生きたいと、そう考える奴等は「自分達の世界に都合が悪い」と判断すれば、連中の倫理観では「自分達の都合を邪魔する奴は、絶対的な悪」になる。だから、連中は「悪い事をした」という感覚さえない」
「そんな、身勝手な理由で・・・・・・」
「そんなものだ。平和な世界を作り上げるという事は、平和でない全てを排斥するに他ならない。そして争い事に従事する事を「仕事」にする奴はその行いをやめなければ「悪」であり、やめれば「善」だと思い込む。だから何の罪悪感もなく、大量虐殺を行ったその手で大量虐殺を否定する」「虐殺、ですか」
「同じ事だろう。大勢の人間が死んでいる点では何も変わるまい。自殺もそうだが、要するに排斥された連中が死ぬのだ。わかりやすい善だけが、連中に許容できる世界だ。兵士に戦いを止めさせ花屋をやれと口にするのが平和の申し子だ。だが兵士は戦うから生きられるのであって、戦い無き世界で生きる場所など存在しない。いつの時代も戦う事でしか生きられない奴はいる。生物としての本能が、強く受け継がれているからだ。連中にそれらは「わかりやすい悪」であり、排斥する事で「正義を貫ける」と思い込める小道具になる。だから、その排斥すべき対象の在り方を全否定し「かくあるべきだ」と説けるのだ。それに従わなければ「絶対の悪」であり、自分達の倫理観に従う事が「絶対の善」だと、そう思っている」
 だから、こんなのはよくある話なのだ。
 正しさの後押しがなければ動けない連中とは、つまるところ自身の意志で進む勇気がないだけに過ぎない。その現実から目を背けるから、あれが絶対的な悪だと思い込む事で、自分達が正しい側にいると思い込む事で、在り方を否定するという殺人より凄まじい行為すら、あっさり許容する。 自分達の心に、都合が良いからだ。
 とどのつまり、ただのそれだけ。
 それが「平和」だの「正義」だのの正体だ。
「貴方なら、変えられますか?」
「何だって」
「貴方は、これ以上ない位の悪人だと聞きました・・・・・・そんな貴方なら、「平和を貫く正義」をも殺す事は出来ますか?」
「・・・・・・・・・・・・」
 常日頃から殺している気もするが、とにかく、彼女は落ちぶれた兵士達を救いたいらしい。
 何より、だ。私は連中を救いたい訳ではないがその結果面白いネタがあるなら「私の都合」には丁度良い。何せ古い時代の兵士を排斥し、新しい平和の為虐殺を行うような連中だ。わかりやすい人間の本性だと言える。単純過ぎて安直だと言えなくもないが、「正義を悪が打ち倒す」という、その構図は面白い」
 ありきたりではあるがな。
「いいだろう、やってやろう。ただし」
「何ですか?」
「貴様には、命を賭けて貰う」

    3

 物語と現実の違いは何か?
 実に簡単だ。物語においては全てが全て、仲間と協力したり環境に恵まれたりするが、現実ではそうである奴とそうでない奴がいる。
 無論、私にはそんなモノはない。
 支える女も競い合う宿敵も、ない。
 明確な敵対者すら存在せず、見据えるは理不尽であり、運命を生きたまま生まれ変わり乗り越えたところで、それに見合う報酬すらない。物語は何かをすれば何かが手に入るものだが、現実にはそうは行くまい。
 話が進まないからな。
 だが、私の場合停滞し続けている。いや、私は進んでいるが、進めど進めど掘り出す筈の金塊が見あたらないのだ。
 最初からないのかもしれない。
 十分に有り得る話だ。
 全てが無駄になろうとも、いや実際無駄にしかならなくとも、進むしかない。進んだところで、得るモノは何も無いので徒労だがな。
 ふん、これが物語で有れば、読者だけでなく、作者自身も匙を投げている。いや実際投げているのだが、捨てて忘れる事も出来ない。
 途中で止められれば苦労しない。
 どうしたものか。こんな風に作家足らんと行動するかどうかなど、既にどうでもいい。金にならない執筆などを、何故続けなければならないのだ・・・・・・己で選んだ道というなら、それは金になる道を選んだのであって、作家らしい生き方など、私にはどうでもいい事だ。
 傍迷惑な話だ。それもこれも「編集者」などという遊び人の群が、物語を売る為の労力を怠り、あろうことか「売れる作品を探して売る」という子供の戯れ言を実行しているからだ。社会全体で物語を仕事として扱う奴がいない以上、物語を金に変えるには、連中のご機嫌伺いをした駄作の山を土産にするか、自力で何とかするしかない。
 遊び人の為に仕事人が苦労する。
 些末な存在には些末なモノしか作れない。だがそれを「傑作」だと「洗脳」した上で広めるから質が悪い。良い迷惑だ。
 いつの世も、編集者とはそういうものだ。
 何かを振りかざしておきながら、それに対する義務を果たさない。暴力も編集も同じ事だ。何かを成す以上何かを殺し、それら行いに対して責任が生じる。それが暴力で有れば己も暴力で滅ぶ事を許容せねばならず、それが編集であれば傑作の為に死ぬ義務がある。
 美味しい部分だけを欲するなど、笑止千万。
 私は実利が欲しいが、何もせずに口先だけ綺麗な言葉を吐いて成果を求める馬鹿共に、私と同じ景色を目指す権利はない。ひたすらに泥にまみれどこからが泥でどこからが己かわからなくなり、それでも進み続けてこそ、示すべき己がある。
 己という概念が、随分薄い世界になったものだ・・・・・・それも、半端者が何を意味するかもわからないまま「綺麗そうだから」と現行の時代を肯定した結果か。先人の血が泰平の世を作ったから、それを守らねばならないとほざく馬鹿は多いが、実際調べればわかる事だ。その泰平の世とやらを望む連中が、如何に下らない名誉欲、そして唾棄すべき流行に流されて、その浮ついた思想の為にどれだけ意味不明な殺戮を繰り返してきたか。
 正しい思想があるから泰平を作れたとでも思うのか? 馬鹿馬鹿しい。単に武力が優れた連中が統治しただけだ。それを「泰平」という事にしておけば、貴様等のような馬鹿共が、放っておいても持ち上げてくれるからだ。
 その「泰平の世」とやらの結果、国は世界から置いて行かれ、経済も科学も発展せず、泥に沈むような緩やかな怠慢の中、微睡むように平和だと叫ぶ。そして、手遅れになってから気付くのだ。自分達が口にしていたのは、中身のない綺麗事に過ぎない、とな。
 振り回される側はいい迷惑だ。
 田舎に引きこもって一人慰めていろ。
 遊び人が仕事人に口出しするな。
 そのような時代に陥られても困るので、今回は取材記者にも命を賭けて貰う必要があったのだ。具体的に言えば、かなり危険な取材を敢えて行い向こうの出方を伺いつつ、手先が出ればそいつを捕獲する。戦争には情報が必要だ。今回は依頼というわけではないが、しかしやると言ったからは相手が灰燼に帰すまで戦い、塵芥の存在すら許さない程に、容赦はしない。
 敵は、徹底的に潰す。
 絶対に再起の芽は残さない。
 当たり前の事だ。手足をへし折り喉を潰し眼球を抉り耳を破損させ、何なら精神を崩壊させて、まともな言語も話せなくする。
 私には拷問の才能でもあるらしい。
 あまり使えない素質だがな。もしこの時代で、拷問が率先して行えれば、いや、相手を死滅するまで容赦なく叩く事と、拷問とは種別が違う。私の場合、どちらかと言えば策士にでもなれれば、相手の志気を奈落にまで落とし、戦う事も出来ぬ精神状態に追い込んでからじっくりと潰すだろう・・・・・・現代ではまるで使えない技能だ。
 どちらかと言えば「処刑人」向きか。
 いずれにせよ「平和」などを歌う奴は、ただのそれだけで死に値する。世界のどこにいても争いこそが本質だと嫌でも気付く。その気付きを誤魔化す奴に、生きる資格などない。生きようとせず生きる事だけに固執する奴は、亡者以下だ。私はそういった連中を死滅させる事が、私にとっての娯楽なのだ。
 価値の無いゴミは踏みにじるに限る。
 それが汚らしい綺麗事なら、尚更だ。
 薬物が蔓延し、疫病が溢れ、違法就労で大勢の人間が自殺し、警察の横暴で死に追い込まれる奴が年々増えて行き、老若男女に関わらず迫害を繰り返してでしか、自身を確立できない世界のどのあたりが「平和」だというのか。
 わかりやすい争いが減れば「善」で何もかもが上手く行っていると、そう思い込む。しかしだ、それらの問題は全て「わかりやすい争い事」を、否定して排斥したからこそ起こる現象だ。結果、分かり難ければそれでいいと開き直る馬鹿共が、美味しい汁を啜りながら汚らしい綺麗事を並べて平然と搾取し君臨する。
 それを「平和の在り方に合わせていない」から悪行だと叫び出す。いいや違う。それは貴様等が作り出したのだ。平和などというモノは、ない。そこにもここにもどこにもだ。現実逃避の為の、情けない言い訳でしかないからだ。
 世界は理不尽に満ちている。
 争いなどその最たる例だ。だが、わかりやすく悪そうだから争いを否定する、のではない。争いを行い淘汰し淘汰され、自身や身内、そういった自分達の側が傷ついたり死んだりする現実を直視せず、悪い事だからと目を逸らしてあろうことか現実の理不尽という在り方そのものを否定して、現実から逃げているだけだ。
 現実を生きるなら、それらは義務だ。
 争いの結果人死にが出るのも、当たり前の事ではないか。まして、生物であれば主張が食い違い他国相手に戦争を仕掛け、自分達の豊かさの為に敵を皆殺しにするのも当たり前ではないか。戦争に勝てば更なる豊かさと科学の発展を迎え、結果として敗北すれば死に絶え文化も消える。それが生物世界の淘汰というものだ。
 我々には考える知能がある。だからい争いあうべきではない、と愚か者は口にする。馬鹿を言う奴がいたものだ。知能があれば尚更だろう。平和などという偽善よりも、誰だって自分達の豊かさや栄光を欲しがるものだ。第一、戦争こそが我々の科学を発展させてきた。
 人間の知能は、戦争の成果だ。
 それを、平和だの正義だのと、下らない。
 幸運に恵まれただけの馬鹿に限って、そういう綺麗事を口にする。言っては何だが、貴様等何かを自分の力で積み上げたつもりか? 違う、それは間違いだ。何も積み重ねようと、培い力に変えようともがいていないからこそ、争いを否定するなどという、頭の悪い発言が出るのだ。
 仕事もせずに、よくやる。
 仕事とは己の証明であり、またそういう理不尽が支配するこの摂理の中で、それら全てに一矢、報いる為の刃でもある。欲望を果たしたいだとか計画的に事を進めただとか、小手先のつまらない技術で何かを成し得たつもりになる。あるいは、大きな力を手に入れて図に乗り出す。
 それら全ては単に、運が良いだけだ。
 宝くじに当たってはしゃぐ馬鹿と変わらない。 全て、同じ事だ。
 努力をした? だからどうした。
 計画を練った? 誰にでも出来る。
 成果を示した? それだけでは意味がない。
 肝要なのは、過程が何であれ結果として、己を示し世界に問いかけ、世界を焼き尽くしてでも、今ある理不尽な世界へ挑む事だ。
 戦いもせずに争いを語るな。
 遊び人はこれだから困る。
 働きもせずに大口を叩くんじゃない。
 仕事をしろ、全てはそれからだ。仕事をすれば儲けの数字に悩む権利がある。やることをやれば後は儲けるだけでいい。
 それを「仕事」と呼ぶのだ。
 まったく、嫌な時代になったものだ。
 尚更手段など選んでいられない。人間性を切り刻んで捨てて、それを燃やす事で金を稼げるのであれば、嬉々として燃やしてやろう。私にとって人間とは「役に立たないモノ」だ。人間性というゴミ屑などより「仕事」の「成功」という果たすべき目的がそこにはある。
 目的、目的、目的だ。
 それに比べれば、人間性の全ては些末事でしかない。有ろうが無かろうが同じだ。通帳残高には何の関係性もない。私に言わせれば人間である、というのは「働きもせずに遊んでいる」事と同義なのだ。私には「仕事」がある。人間性がどうのなどと真剣に働いた事もない連中に合わせて遊ぶ暇など有りはしない。
 夢も希望も必要ない。そんなモノが役に立つか・・・・・・遊び人の発想だ、それは。金、金、金だ。愛も恋も友情も全て、金の力には及ばない。心の全ては金があってこそ楽しめる、余裕ある馬鹿共が暇つぶしに行う「娯楽」だと言える。
 どいつもこいつも「欲望」を勘違いしている。 世界には「理不尽」が満ちている。当たり前だ・・・・・・何度も言うが、理不尽とは生きる上である当たり前の「前提」だ。むしろ理不尽を体験していない奴がいるとすれば、そいつは生きていないと言える。世界は理不尽だ。それは変えられないかもしれない。いや実際変えられないからこその理不尽ではある。それが人間の分だ。
 
 その分を越えて、摂理に示す刃の形。
 
 それを「欲望」と呼ぶのだ。
 分不相応大いに結構! それでこそ面白いではないか。欲深くあれば面白いと言うならば、我々は残らず摂理が恐怖に怯え、戸惑い、どうか命は助けて下さい、と命乞いをされて尚、無慈悲に刃を突き立てる位のやり口でなければ駄目だ。摂理がどう思うかなどどうでもいい。
 知るか、この在り方を見ろ。
 見たくなければ目玉を抉りだして見せてやろう・・・・・・それが絵画であれ建築であれ物語であれ、何一つ変わらない。何をやるにしても同じだ。
 理不尽そのものすら認めざるを得ない、何か。理不尽の方から、どうかそのお仕事を手伝わせて下さいお願いしますと土下座して靴裏を舐めた上札束を支払う位には、理不尽を貶める必要があるのだ。その点で言えば、世界の理不尽とやらには一つだけ、私には断言出来る事がある。
 
 モノを見る目はない。
 
 何せ私の傑作を売り捌くのに、こうも手間暇を賭けるのだからな。誤字ではない。賭博のようなやり口であらゆる手段を尽くし、尚傑作を評価も出来ない出来損ないの癖に、どうでもいいゴミ共だけはすぐに売り捌こうとする。
 モノを見る目が無い以上、世界に期待するなど愚の骨頂だ。世界に期待すべき何かなど無い。
 その辺り、あの女は勘違いしているのだ。
 簡単に言えば「これだけ理不尽な思いをするのであれば、その一方では希望や未来もあって然るべきだ」と、そう思い込む。「世界には汚い部分だけではなく綺麗な部分もある筈だ」と。生憎ではあるが、そんなものは存在しない。
 目を開けて現実を見ろ。
 そんなものがあると、本気で思うのか?
 馬鹿馬鹿しいにも程がある。
 物語の読み過ぎだ。虚構と現実を履き違えるな・・・・・・現実には貴様等の大好きな愛も恋も友情もあらゆる人間賛歌の全ては「存在しない」のだ。 それこそ物語の中だけだ。
 現実には「ただのゴミ」だ。捨てたゴミを毎回数えて保管する奴などいまい。使い捨てればそれまでだ。都合良く利用して、不要になればゴミ箱に捨てる。世界とはそういうものだ。何一つ特別な考えではない。当たり前の事だ。
 人間性など一切不要。
 何の役にも立たないからな。実利や損得以外のところで考えるから「人間」だと、そう口にする奴は多いが、情けないただの言い訳だ。損得勘定をせずに物事を進めるのは、考えなしの愚か者のすることだろう。実利や損得以外の何かを考えるのは、単に「余裕」があるからに過ぎない。
 余裕溢れ余力がある時に、浅はかな思考回路で行われる「子供の遊び」だ。実利や損得も考えず何かを成し得るとでも思うのか?
 実利や損得にならない事は多い。それらを考えないからこそ手に入る資格もある。世界を変える資格があるとして、そいつは実利や損得とは無縁の所で戦い続けなければならないだろう。しかし最初から実利や損得を考えないのは、戦いを放棄しているに等しい行為だ。
 実利を追い求めた結果そういう過程を踏むからこそ、先に進める資格があるのだ。最初から諦めている奴に、何かを成し遂げる資格はない。
 まして、無資格でやる度胸など望めまい。
 私なら、やるがな。
 それが金になるのであれば、幾らでも。
 人間の意志に尊い光があると人は言うが、残念だがそんなものは存在しない。そう見えるだけでただの幻想だ。人間の意志に「尊さ」を求めるというのは現実逃避と変わらない。文字通り何一つ役には立たん。愛だの恋だの友情だの、そういうゴミの残骸を眺めて笑うのは、麻薬患者が中毒に陥って笑うのと同じ事だ。
 「結果」として全て「同じ」ではないか。
 過程に理由を求めるのは、言い訳でしかない。 結果それで麻薬患者と同じなのだからな。
 遊んでいないで少しは働け。仕事をしろ社会に示せ。理不尽に挑み改善を試みろ。欲望を叫ぶ前に欲望が何かを知れ。
 それが出来ない奴に生きる資格などない。
 だから淘汰を率先して行うべきなのだ。社会に働きもしないで漫然と生きるゴミが増えた所で、世界は何一つ前に進みはしない。言っては何だが世界を前に進める気がないのであれば、それは、滅びを良しとしている事と、何ら変わりない。
 それを少しは自覚しろ。
 漫然と生きて得られる何かなど、存在しない。周囲に流されるまま要領良く生きたところで、誰もその結末に責任など取らないのだ。口先で指示する奴が、その結果に対して責任を取るなど有り得ない。当たり前の事だが偉そうに口先を動かす事だけを「仕事」だと勘違いしている連中には、「己の仕事」など存在しない。働いてもいない奴が社会を生き抜く方法など、知る訳ないだろう。 そんなのは、当たり前の事だ。
 生まれたその時には知っているべき事柄だろう・・・・・・大人と名乗る生き物達が、如何に現実を生きず誤魔化してきたか、見ればわかる筈だ。
 必要なのは知能ではない。自認だ。
 三年も生きれば大人を疑え。
 五年も生きれば世界を疑え。
 七年も生きれば摂理を疑え。
 そこから先は簡単だ。世界に信じるに足る何かなど存在しないと自認すればいい。頼りになると口にする大人を侮蔑し、真っ当に生きれば責任を取るという世界を見切り、因果応報を押しつけ金も支払わない摂理に殺意を抱け。
 人間性の全てを捨て去るのだ。
 なに、簡単だ。私が保証する。そう言いたいが私の場合最初から無かったので、捨て去れば爽快な気分になれる、と言っておこう。
 人間性に固執する奴なら尚更だ。固執すべき物に見切りをつけ、己の世界から殺し尽くす。もう悩まされる必要はあるまい。
 心など捨ててしまえ。そんなゴミより金を稼ぐ事を考えろ。持った事は無いがこれだけは言える・・・・・・心が原因で惨状を生み出す事はあれど希望を作り出す事は絶対にない。物語の読み過ぎだ。現実にそんな事があるわけないだろう。
 判断を迷わす不要なゴミだ。
 悪魔と契約してやるまでもない。この世界には心ある人間など必要ない。全ての人間が心を捨て去れば、悪魔の誘惑に乗る必要もなくなる。
 素晴らしい。これこそ「世界平和」だ。
 率先して捨てるべきだ。そうじゃないか?
 全能の神を信じているなら、連中の神の教えに従っているではないか。是非そうするべきだ。私は冴えているのかもしれない。
 良かったな貴様等。これで世界は平和になる。 平和ほど下らないモノも無いがな。
 今回の依頼、どうもその「平和」に付け込んで動く「二つの勢力」が動いているようだ。
 まずは兵士達を人体実験に利用し、軍事の増強を計りつつも、表向きは平和主義国家として成り立たせ、この冷戦に勝つ為に動いている政府側。 そして、兵士達を煽り世論を炎上させ、現政府を打倒し民族主義を廃止した上でこの国における軍事、流通、資源の全てを手に入れようとする、言わば外部勢力だ。というのも、後者に至ってはまだ推測でしかないのだが、如何せんこれだけの情報、国家の基盤に関わるような情報が、一記者に流れるというのはその予兆なのだ。
 私でもそうする。
 仮に、それら人体実験の情報を表沙汰に出来るので有れば、革命を成り立たせる大義名分が出来上がり、そこまでお膳立てが出来ればミサイルを撃ち込んだところで収拾がつく。経済制裁を行い無理矢理没収する事も出来るだろう。
 他国の乗っ取りを考える時点で相当の経済力と軍事力があるのは確かだ。我々は平和という幻想の上に立っている間、そういった連中に対して、恐ろしく無防備であれる。だが、平和を叫ぼうが連中が立ち止まる事など無い。ありもしない平和に溺れていれば、後にあるのは奴隷としての未来だけだ。それが平和だと抜かすのであれば、単に現実と向き合う事をやめ戦いを放棄し、理不尽に対して挑む事から「逃げる」事を「平和」と呼ぶのだろう。
 私はそんな平和など要らないがね。
 我ながら、何をやっているのだろう。何度繰り返し自問自答したか。売れもしないのに物語を書いて、飽きもせずに汚らしい綺麗事を、正面から否定し続ける。だが、そこに「成果」はあっても「実利」はない。何度も何度もそれを繰り返し、けれど止まる選択肢などとうの昔に消え去った。 まるで亡霊だ。いや、それよりもっと質が悪い・・・・・・魂すら存在しない奴が人間性を必要とせず飽きもせずに物語を綴るのだ。人間らしい幸福の欠片もない。あの女に「間違えている」と、言われてしまうのもある意味納得だ。
 だが、それ以外の道など無いのだ。
 最初は、道すらも無かった。人間の全てに共感する機能が存在しない私には、人間社会において目指すべき目標など有りはしない。それだけではつまらないから始めた所行が「作家業」なのだ。何も無い事そのものはどうでも良かったが、私の将来的財産が不安だ。とはいえ、やっておいて損は無かったと言える。充足は必要だ。
 例え、思い立つ度に嫌々執筆を繰り返し、年末年始の挨拶代わりに発作的に起きて執筆し、その挙げ句夢の中で執筆を行い身が寸断される夢の中においてまで執筆の為に必要な事柄を探し、結果飛び起きて執筆をする事に、嫌気が差して人生を捨てるような作家業にうんざりしてもだ。いや、正直な所で言えば、もう少しマシな在り方はないのかと最近よく考えたりはする。
 今更遅いがな。
 あまつさえ、それら行いの全てを振り返りつつ金にもならない作品を量産し、夜中に休みを得る事より執筆を選ぶ。睡眠より執筆。食事より執筆を選ぶのだ。性欲は執筆の為のエネルギーに消費され、権力欲は作品の喧伝の為に使い捨て、名誉欲は作品の普及にこそ浪費される。
 執筆執筆執筆だ。
 命の危機? ならばそれを執筆しろ。執筆が嫌になればその気持ちを執筆し、作家としての苦悩があれば、己を削り出し執筆する。悲しみがあるなら執筆し、喜びがあるなら執筆する。哀れみを否定するなら執筆し、怒りがあるならその憤りを執筆する。我ながら何をやっているのかと常日頃から思っているが、何の事はなく、作家としての仕事を遂行しているだけだ。
 問題は、それが金にならないことだ。
 それでも執筆は止まらない。
 どうしたものか。
 あの世に落ちれば執筆し、この世に還れば執筆する。蛙になれば脳内で執筆し、微生物になればその心情を執筆する。執筆するに相応しい肉体がなければ、肉体を得るまでの間脳内で執筆に必要な情報を纏め上げ、また執筆する。執筆執筆執筆繰り返し行われるそれらにうんざりすれば執筆を行い書き上げる。執筆を思えば執筆し執筆を思わなくとも執筆を繰り返す。愛があれば執筆し恋を見れば執筆するのだ。飲み物を飲めば執筆し食べ物を食べれば執筆する。人間の神を見れば執筆し人間の神を考えれば執筆する。神に否定されれば執筆し、神が綺麗事を言うならそれをこき下ろし執筆する。
 執筆執筆執筆だ。
 執筆がどういう意味かわからなくなればそれを執筆し、自分が何をしているのか不明瞭になればその境遇を執筆する。
 
 文字通り、全ての行いが「仕事」なのだ。

 それが仕事を行うということだ。たかだかこの程度を行わない奴は、働いていないと言える。
 仕事をしろ。働け。
 私はもう働きたくないが、貴様等は働きもせず権利を主張し義務を放棄する。忌々しい限りだ。何が悲しくて働いている仕事人が虐げられ働きもせずに遊び呆けている馬鹿共が、「幸運である」という頭の悪い理由で美味しい汁を啜れるのか。理不尽にも程がある。いやこの場合、理不尽ではなく「身の程知らず」と言うべきか。
 私でも出来る事を、やらないのだからな。
 愚かしいとしか言いようがない。
 それを考えれば少しばかり命の危険が百二百と増えるからと言って、死地に赴くなどと言うのは馬鹿げている。であれば、良く知りもしない記者に危険な取材を押しつけたからといって、私には躊躇する理由など無かった。むしろ、この程度もこなせない奴なら死ぬべきだ。仕事をしていない奴はすべからく死んで構わない。
 休みたいが、休めない。いや死んだ方がマシだこの苦しみから解放してくれと、世界全てを呪いながら己の仕事の裏側を語り出し、如何に割に合わないかを頼まれもしないのに口に出して、睡眠も取れず体を壊しながら止められない。
 そこからが本番だ。
 仕事とはそういうものだ。
 なので、当然ながら私は仕事が嫌いだ。
 良い事など一つも無いからな。
 執筆をしたら執筆を執筆し執筆が嫌になれば、執筆を食べ執筆を飲む。執筆スル喜びなど無いが執筆を喜びだと自己暗示をかけ執筆が執筆になり己自身が執筆と同化する。執筆が世界の一部で、執筆が己の存在になる。
 いつしか自身が執筆になる。
 執筆が執筆に執筆を、ええい、とにかくだ。  少しは私を見習え。この「私」ですらやれるのだから、貴様等は出来ないのではなく、やらないだけだ。遊び人がほざくんじゃない。
 全ては、働いてから口にしろ。
 働いた結果がこれだがな。忌々しい摂理とやらをぶん殴る為にここまで来たが、私は未だ望む場所へと辿り着いていない。
 いや、明確な答えに辿り着く事などないのだ。今回の依頼も同じだろう。全体に染み込む規範、営利、そして意志の方向性。流動性ではない。波のように同じ繰り返しではあるが、それもまた、定められた動きに従い活動しているに過ぎない。人間の歴史は一度も人間の意志で変革された事はないのだ。流された結果に過ぎない。
 濁流の中で足掻いている。
 だが、足掻いた結果何一つ変えられなければ、それは何もしていないのと同じだ。
 最初から存在しないに等しい。
 その苦悩も、その葛藤も、その怒りすら、最初から最後まで「無い方がマシ」という事になる。何せ、最初からなければ苦しみはないが、あれば苦しみだけがそこにある、というのでは最初から存在しない方が良い。
 存在するだけで不利益だ。
 まさに、最悪だと言えるだろう。
 世界に多くある組織の全ては、その組織を支配する人間の意志ではない。「国家」を優先しようが「人権」を優先しようが、同じなのだ。何一つ変わらず世界の流れに従って、最初から定められ人間の意志が介在しない、言ってしまえば摂理の不具合だ。人間社会にはそれが多い。
 自然の摂理が不具合を起こす。
 例えば、かつて母なる星を蹂躙した環境変化による災害の数々だ。人間が科学を発展させ、本来であれば世界のバランスを動かす為に、必要に応じただけの災害を起こす摂理のプログラムが必要以上の成果を出す必要性に駆られた。大き過ぎる反動が、自然災害として起こったのだ。
 
 人類がなあなあで誤魔化してきた反動だ。
 
 そんな反動を起こさざるを得ないような歪んだ世界の中で「手と手を取り合う」だとか「世界は平和だ」などと口にする。何一つその為の行動を起こさずに、倫理や道徳を重んじ現状維持という思考放棄を望むのだ。しかし、それは望むというほど本人の意思で選ばれた行為ではない。
 単に、流されただけなのだ。
 結果として、そんな連中と同じ無様を晒し続けているとはな。我が事ながら笑えない。持たざる時点で無駄なのだ。それは知っていた。この世界において、何かを変えられる「力」とは、最初に定められたカードの内容によって決まるものだ。知恵とか努力とか、そんなモノは何の役にも立ちはしない。
 選ばれて、恵まれて、受け継いでいる。
 そんなカスだからこそ世界を変える力を持つ。世界を変える「資格」がそれらと真逆の存在こそ持ちうるとは言ったが、資格だけで実現した事は人類史史上一度もない。資格の有る無しなど何の価値もない。ただのゴミだ。
 現実は違う。それら汚らしい綺麗事は物語の中でこそ実現した可能性を疑似体験する事で、現実にある理不尽から目を逸らす為にあるのであって現実に克服する為ではないのだ。何を唱えようが全ては無駄。何をしようが勝てるから勝ち負けるから負ける。ただのそれだけの世界だ。
 理解してはいたが、まさか全て無駄に終わるとはな。少しくらいは金になるかと思ったが、そう上手くは運ばないか。
 やはり全ては無駄だったか。
「ちょっと、聞いていますか?」
「・・・・・・何だろうか」
「何だ、ではありませんよ。これから例の会社に取材を申し込むというのに、何を、呆けているのですか?」
 我々はあれから、仕事にあぶれた兵士の最終的な行き先を探り、治験治療と称して大手製薬会社が大勢の兵士を集めている事を突き止めた。会社自体は都市部中央にあり、治験実験場は都市部と随分離れた過疎地に立てられている。
 まずは先に都市部にある本社へ取材を申し込み探りを入れるという訳だ。それなりに発展し機械による統制が行われ、都市に入場する際も人間ではなくアンドロイドが入国管理を行っていたが、正直な所気味が悪くて気分は悪かった。
 まず入り口にいるのは有り得ないほど美形に作られたアンドロイド達だ。入り口を越えれば機械による声紋等の検査が自動で行われ、まるでこれからレントゲンを受けて肉質を検査される食用肉の扱いだ。科学の恩恵を受けて発展したと言えば聞こえは良いが、本質的には人間の疑り深さや、自分達の保身に走る意地汚さを助長しただけで、自分達の世界に引き籠もる能力を高めただけだ。 機械が多いから不気味、というのも違う。見てみれば、町中の人々が笑顔で、満たされていて、更に言えば美男美女だ。何一つ不自由が感じられず理不尽の欠片も存在しない。完璧に滅菌された小動物の実験室のようだ。食べ物も整っていて、少なくともジャンクフードは無さそうだ。
 私は食べないのだが、加工された健康食品だけ食べるというのは、私のような心ない化け物ならともかく、心ある人間が自分達の意志で、いや、自分達の意志ですらないのに流されて食べる様は不気味そのものだと言って良い。
 何がしたいのか、何をすべきなのか、考えようともしていないのだ。機械任せだからではない。機械に任せる事自体は問題ないのだ。問題があるとすれば、それは機械を利用するのではなく依存して、思考放棄をする事だろう。そうなれば機械ではなくとも、例えそれが人間が作り出した規範の中だろうと、仕組みに流され自身の意志と勘違いしたまま、生涯を終える羽目になる。
 こんな連中にすら、及ばないのか。
 持つ持たないで、ここまで差があるとはな。
 嫌になる話だ。
 この世の摂理や、未来に期待すべき希望など、良く私に押しつけられるものだ。そんなゴミを、こういった現実がある事を知りながら、あの女もそうだが社会全体で押しつけようとする。何一つ変えられず持たなければ無駄に終わると、誰もが知りながら誤魔化し続けるのだ。
 曰く、未来には希望があると。
 生きていれば「良い事」があるとな。
 馬鹿馬鹿しいにも程がある。まして、生きようともしていない奴等が口にするのだ。生きようともがく仕事人は「持たざる」という理由で貶め、その一方で「幸運である」という下らない理由で成功や勝利が約束されるのだ。何度も言うが意志や行動などで成果が得られると口にするな。
 個人の意志や行動など、あろうが無かろうが、同じだ。何かを変える力などない。勝利が決まる理由の全ては、とどのつまり「運不運」にこそ、全てを左右される。それが現実でありただの事実だろう。まあ、事実を見据えた所で持つ側にいなければ何をしようが無駄なのだから、今まで通り私の未来に意志による行動に見合う、何かしらの報酬など望めない。
 今まで飽きる程それを繰り返して来た。
 私は私に出来る全てを成し遂げたが、やはり、個人で何をするかなど「どうでもいい事」なのだろう。現に、何一つ実利には結びついていない。 それが現実だ。
 それが事実だ。
 それが結果だ。
 ならば、そういう事なのだ。となると、やはりというか、こんな風に必死になって執筆を続けるからこそ、私は成功できないのかもしれない。
 案外、私は待つ以外に何も出来ないのではなかろうか。全てが幸運だとすれば、そういう事だ。空の上を「幸運」とやらが通るまで待ち、空の上を幸運が通らなければ、全ては無駄に終わる。私は歩いてきた道のり全てがそれだった。そして、私には幸運などない。あるのは悪運だけだ。
 無駄な事を無駄に繰り返しているだけなのか。 そうかもしれない。結果というならそれがそうだろう。だとすれば、どうにもなる筈がないではないか。何せ私の意志や行動どころか、私の存在は私の成果と「何の関係性も存在しない」のだ。まさに無駄だ。私が遊び呆けていたところで幸運に恵まれれば売れ行きは好調になる。
 実際、飽きる程そういう連中を見てきた。
 ただの幸運に恵まれただけの連中だ。
 だが、連中の方が私よりも稼いでいる。
 この現実を、誤魔化されるつもりは、ない。
 誤魔化されなかったところで、同じだがな。
 
 ありのままの世界は美しい。

 そう口にする奴もいる。互いを尊重し変化ではなく受け入れる事で前へ進むのだと。だがそれは「人間の在り方」であって、化け物である私には相容れない思想だ。有りのまま世界を受け入れて前に進むのは確かに「理想」だろう。
 
 だが、その世界に「私」はいない。

 そんな結末を受け入れるなど、御免だ。
 元より摂理と相容れない身だ。世界の有り様を無理矢理にでも変革しなければ、元より人の世界と相容れない存在である化け物は、生きることもままならない。人間世界を否定する事でしか生を実感できないとは、我ながら欠片も希望や未来のない在り方だ。
 別に構わない。それがあったとして、共感出来ない、いや、共感しないのは確かだ。仮にだが、私に「心」があったとして、人間の感性に共感が出来たとしても、いまそこにある心にすら無関心になるだけだ。心で考えず、意志で考える。
 何より「仮に」の話などどうでもいい。私は、化け物として生まれた。ならばそれに殉じて生き抜くだけだ。有りの儘の世界では生きられないのであれば、人間世界を笑って変革に挑む。それが人間にすれば人間に都合の良い有りの儘の世界を脅かす「最悪」だと言うので有れば、慎んで受け入れよう。世界の有り様は受け入れないが、己が悪を受け入れる。受け入れた上で高笑いし、世界を堂々と向こうに回して歩き続ける。
 今まで通りの在り方だ。
 問題は、それが金にならない事か。
 今回の依頼が金になれば良いが、いっそ取材のついでに金目の品でも強奪するべきか。
 私は戦い続けた兵士達に対する同情、ではなくそういう秩序を容認する、世界の摂理そのものが「敵」なのだ。
 敵は大きければ大きいほど良い。強大な敵こそ倒すに値する。個人など小さい小さい。今そこに見えない何か。世界を動かす大きな仕組み。個人では変えられない筈の「何か」こそ、支配するに値する。
 それと金になるかは別だが、考えてみれば私にとって、その在り方は必定だ。人間は誰か他者の意見によって栄誉を計る。だが私に「他者」などいない。比べるべき誰かが存在しないのだから、そこに比較による幸福の秤など無いのだ。

 世界の何にも必要とされない。
 
 私ほど必要とされない存在、化け物はいないという自負がある。存在そのものが人間社会と相容れないのだから、当たり前ではある。しかしだ。だからって何も変えられなければ、必要とされず世界から排斥されるだけでしかない。世界の異物だからといって、排斥される事を良しとするほど素直な性格など、この「私」に限って有り得ない話だろう。
 自分で言うのも何だが、化け物など端からこの世界に必要ない存在だ。だが知るか。世界の側の都合など何故私が考えねばならない。個人よりも世界全体を通す連中の都合など、一考するにも値しないではないか。むしろ、何故考えてもらえると自惚れるのか。
 貴様等の世界にそんな価値はない。
 ゴミを抱えて満足する小さい世界。そんなものに価値など宿る訳がなかろう。世界に価値はなく世界に意義が無いのだとすれば、有りの儘の世界などというのは、その惰性による世界だ。無価値なゴミの山を積み上げた挙げ句、それに無理矢理価値があるという事にして、現実を誤魔化し世界を有りの儘が美しいから、と置き去りにする。
 それが連中の言う「平和」の正体だ。
 堕落した生き方に過ぎない。
 何かに文句を言うならそれに応じた何かを変えようとしなければならない。不変の在り方で文句だけは言う奴が多過ぎる。働きもしないで給金が欲しいと言うに等しい図々しさだ。その癖己より弱い相手だけに「正義という暴力」を振りかざし自身の正当性を慰める。実に小さい。他にやる事はないのか。
 
 平和を叫ぶ前に戦争を知れ。
 
 片面のみを叫ぶ奴に、何かを語る資格はない。綺麗事を口に出したいので有れば、世界の裏側を全て知り尽くし、悪意という悪意を網羅して世界の全てを信じられなくなり、更にその悪意を使い世界に挑み続けてこそ、綺麗事を言う資格がある・・・・・・そんな資格何の役に立つのかわからないがとにかく、そういうことだ。資格もない奴が叫ぶのは、子供が口先だけ動かすに等しい。
 無論、戦争があれば良い、という訳でもない。戦争は経済を動かす公務だが、洗練された兵士を育て上げ、戦いの中でしか生きられない連中に、生きる場所を与える必要がある。環境や性格で、戦い以外を知らない奴もいる。他の在り方を望むのであれば他を用意し、望まないので有れば戦い続ける為の場所を用意する。
 当たり前の事だ。
 その当たり前を知らない馬鹿が、多過ぎる。
 少しは考えろ。意志を作り出し、行動するのだ・・・・・・何もしない奴が「生きている実感がない」などと区口にする。末期だ。何かを成し遂げようとする行いには必ず「苦悩」が伴う。そんな台詞はな、売れもしない癖に作品を一シリーズ書き上げた挙げ句、有名プロダクションに無理矢理作品を送り込み、全てのデジタル投稿サイトから出禁処分を食らって尚、己こそは至高の仕事を成し遂げているのだと叫び続け、あろうことか己の敗北を知りながら諦めもせず、というか諦めるという概念を理解して共感せず、年末年始に飛び起きて仕事を行い、夢の中で肉体を破片にされる悪夢を見てそれを仕事に活かし、もう仕事が何なのか、案外己で言い張っているだけで対した仕事が出来ていないのではないか、いいや出来ている筈だと言い聞かせ、夢の中で行った仕事を飛び起き仕事に繋げ、何かを見る度に仕事に活かし、何かを効く度に仕事を考え、何かをする度に仕事を行い、それでも堂々と高笑いする奴だけが言うべきだ。 私はそこまで高笑いしないので、そういう気分でいろ、という事だ。そうでない奴が、長ったらしい講釈を述べながら情けない言い訳を繰り返しあまつさえ幸運に恵まれ成功してしまった挙げ句それを「己の力だ」と勘違いする様が横行するのだから、正直淘汰が無さ過ぎる弊害だとしか言いようがない。
 そんな奴に生きる価値などない。そして、価値がない人間はどんどん死ぬべきだ。いやこの場合価値を示そうとしない奴か。価値を示せているかでは、私自身まだ出来ていないからな。己の価値を示す事には困難が伴うものだ。誰かに理解などされる方が珍しい。だが、それでも諦めずめげず仕事を続ける奴には確固たる「価値」がある。
 仕事をする奴には好感が持てるものだ。
 ただ生まれ持った何かで強いだけの奴など面白くも何ともない。それは当人自身がどこにもないという事ではないか。その能力を右から左へ動かせば、その在り方は複製出来るという事になる。 それではつまらない。
 最初から死んでいるのと同じだ。本人の意思や行動がどこにもない。無論、その意志や行動が何の成果も示せないのでは論外だ。しかし、何かを示そうとするか、何もせずだらだらと能力に任せるだけの愚か者か。「仕事」という尺度を持って計るので有れば、差は歴然だろう。
 ふん、それも金次第だがな。
 現実にはそういう愚か者ほど、世界を動かし、偉そうに振る舞っているものだ。そういうゴミ共を踏み潰し、能力をはぎ取り無個性を晒し物にし尚飽きたらず苦しめる為にも、私には金が必要だ・・・・・・逆に言えば、金の力は金で覆せる。
 幸運も然り、だ。金とは違って、いや金も幸運によるものだから、流れに乗れるかでそれら全ては決まってしまう。あれこれやったが、明確に運を変えられる方策がない以上、それらが偶然私の元に来るのを待つ(とてもそんな事があるとは思えないし、思わないが)か、あるいは人為的に、それら事の流れを起こす方法を探るかだ。
 つまり、一周して最初に戻っている。
 進んだ結果がこれだからな。やる気などとうに失せた。仕事はやる気とは関係なく行うものだがだからって悪くて良い訳ではない。あるものか。 遠回りして目的地に辿り着くのではなく、私は最初に戻った。実際に遠回りの道のりなど、歩むものではないということか。ああいうのは物語の中でやる事であって、現実に行えばただの無駄足で終わるという事実だ。
 私が言うんだ間違いない。
 私が間違えている可能性もあるが、しかしだ。現に最初に戻っているではないか。これで無駄足でなく何だと言うのか。貴重な経験を有り難う、とでも言えばいいのか? 生憎だが嬉しくもないどころか、殺したくなってくる台詞だ。
 経験が何だ、何の役にもたたん。
 少なくとも私は立った試しがない。
 どれほど経験を活かそうが、その横で才能だの環境だの幸運だのに恵まれた奴が勝利する様を、飽きる程見てきた。そんな事実を無視して妄想に等しい綺麗事など、何の価値もない。大体、私の経験はどれもこれもしなくていい経験ばかりだ。誰もがしたくもない経験、と言い換えて良い。
 作家とはそういうものだ。不要な徒労ばかり、その身に負っている。言っては何だが、作家とは人生に挑む前から負けており、勝利の味など当然知らず、売れても売れても満足しない、破綻者の総称だ。
 途中から売れに売れて信条を覆す作家など作家でも何でもない。売れたところで、生活がマシになるだけだ。作風は何も変わらない。どころか、更に陰気に更に暗く更に悪意を増して、読者共を苦しめる作業に邁進する。
 最近は最初に書いた作品が売れて作家気取りをする愚か者が多い。名乗るだけなら簡単という事だろうか。いや、連中は作家が何かもわからないのだから、ある種名乗れてすらいない。それこそ名乗るには資格が必要だ。
 人間を信じない。
 世界を信じない。
 運命を信じない。
 とりあえずこれだけは必要だろう。他にも山のようにある気もするが、私は評論家ではないのだ・・・・・・作家で有れば嫌でもわかる。そういう意味では作家には資質が必要だ。生まれた時から何も信じず、人間性の欠片もなく、つまり心が無く、しかもそれを肯定できる存在だ。まさしく真正の悪の素質を持ち、この世から外れた異常者として世界を高笑いする悪党だ。
 それでこそ作家の資格がある。
 案外、作家など生まれた時から人間をやめた、外れ籤もいいところの残念な敗北者しかなれない職業なのかもしれない。なれない、というよりもならないだろう。作家という肩書きを望む馬鹿は多いが、作家という在り方を志す奴などいない。生まれもって心を持った人間が、好き好んでその人間性を捨て去り、人並みの幸福を切り捨てて、世界の全てを敵に回し、嬉々としてそれら苦悩を執筆するような仕事だ。どうかしているとしか言い様がない。
 成ろうとするのではない。成り果てるのだ。  それ以外に成りようがない。そもそも成るべきではないだろう。物語なんぞ自前で書くより傑作を探して読み解く方がどう考えても得だ。実利を考えるので有れば、自分で書くなど論外だろう。はっきり言って、世間に多い作家を志したいなどと口にする愚か者は、作家という肩書きを欲しているだけであって、作家というのは何度も言うが欲するものではなく成り果てるものだ。嫌でも、成り果てる奴は成り果てる。
 それ以外に説明しようがない。
 それこそ私が言うんだ、間違い有るまい。
 因果な商売である事は確かだ。世界で最も呪われた職業だろう。成るだけで人間をやめ世界を信じなくなり運命を呪う有り様など、悪魔に魂を取られるより、いやその魂を取る悪魔よりも、ドス黒い「悪」だ。悪魔でもそれ位信じる。人間以外の全てを信じているだろう。世界や運命は信じているだろう。何せ全ての前提だ。
 作家はその前提すら疑う。
 悪魔がいたとして、言葉だけで破滅させる事が出来るからこその「作家」だ。悪の極点に立つ奴を作家と呼ぶのであって、悪魔など作家の足下にも及ぶまい。何せ連中の悪などその能力に支えて貰っているだけだ。大した能力を持たない悪魔を誰が恐れる。世の信じる悪などそんなものだ。
 底が知れる。
 性格だけで最悪だの恐怖そのものだの言われる私とは大違いだ。別に、私自身は、そこまでではない、と思っている。私程度の個性など、世界のどこにでもあるべきだ。その結果世界がどうなるかは想像に難くない。誰も彼もが己しか信じず、己の仕事を誇りに思い、性格最悪相手が神であれ誤魔化しを許さず個性を剥がし、その悪意で世界に挑もうとする社会になるだろう。
 信じるべきは己だけだ。
 誰かを信じる事を信頼と呼ぶが、信頼する事と誰かに任せる事とは別だ。信頼を置くのは良いが己の仕事に他人任せの部分を残すべきではない。そんなのは当たり前の事だ。己を信じ己の仕事を信じる。その成果による未来はまるで信じないがその有り様に誇りを持ち、世界の全てに堂々と吠え立てるのだ。
 生きる上で当たり前の事だ。
 当たり前を当たり前にするだけでいい。それに労力はかからない。別に大した事ではないからだ・・・・・・それを金に換えるのが難しい。
 少しはマシになればいいのだが。
 欲望というものが、分不相応な大法螺を実現し世界を書き換える偉業であるならば、私はその道に対して全てを賭けた。文字通り、全てを、だ。全てを賭けている以上、途中下車など有り得ない話だ。だが、ならば尚更実利を掴めなければ嘘ではないか。元よりその実現の為にこそ、この身はあるのだからな。
 ささやかなストレスすら許さない、平穏な生活を充足して送る。ただし、世界全ての読者共から税金の様に金を取り立て、私の作品を麻薬中毒の患者より積極的に読み耽り、全ての人間の思想を私の悪意で塗り替える事が前提だ。悪意が浸透し善なる全てを否定して、汚らしい綺麗事を誰一人信じない世界。あらゆる人間が未来の希望でなく己の仕事を信じる世界だ。あらゆる人間に役割があり、争いの中で淘汰され進歩し、積極的に競い合う世界だ。全ての人間が、運命に打ち勝つ力を手に入れ更なる理不尽の克服に挑む世界だ。
 何より、現状のつまらない白紙の方がマシな、駄作の山を量産する出版業界を根底から破壊し、世紀の傑作が雪崩の様に作られる世界が欲しい。 私に欲望という世界に対する姿勢があるとするならば、それこそが私の欲望だ。
 この程度、むしろ慎ましいと言えるだろう。
 たかだか世界を一つ、書き換えるだけだ。
 悪人で有れば誰であろうとこなすべき、言わば悪人初心者が行う試験に等しい。この程度も成し遂げず何が悪か。悪を名乗るので有れば、世界の一つ二つ百二百、塗り替えられて当たり前。悪意だけで世界に挑み、在り方だけで匹敵する。
 それが悪というものだ。
 履き違えた小物が多過ぎる。
 少しは弁えろ。悪は安くない。
 偽物を躊躇無く高値で売り払うからこその悪だ・・・・・・己を安売りする愚か者に、悪を名乗る資格など、ない。精々怪人ごっこが相応しい。
 なに、簡単だ。まず人間をやめる。そして世界の全てを疑う。何より善を名乗る全てを否定し、確固たる根拠を示し、善を名乗る連中を悪に改心させるのだ。根底が善だと思い込む連中を、魅力有る悪の花道に誘い込んでこそ悪と呼べる。
 己の悪意をひけらかすようでは、二流だ。
 悪意は隠すもの。悪だと悟られず騙しきるのが最上だ。気がついたら実利を奪われ、復讐される前に目的を果たして逃げる。無論、戦う時は正面から戦い「正義の味方」を堂々と叩き潰し、悪の栄える楽園を製造する。
 まさしく製造だ。量産すればいい。いっそ悪の楽園を作り上げる仕様書を作成し、世界に広めるのも有りだろう。私にとっては善なる全てを否定するのも、正義とは悪だと信じ込ませるのも同じ事だ。なに、簡単だ。連中が正義や善を信じるのであれば、その善や正義がこちらの思惑にはまるよう動かせば良い。
 そうすれば、連中の意志がどう動こうが私の目的に役立てられる。悪意だけ一人前な半端者には考えつかないような悪の計画を作り出し、世界が燃え上がる様を見て高笑いするなど、悪を名乗るなら当たり前の事だ。無論、表向きは善良な市民として行動し、そもそも悪だと悟られぬよう振る舞い、私の事を善人だと信じる連中から、悪意をもって奪い去るのだ。
 この程度、悪であれば呼吸のようなものだ。  悪を名乗る馬鹿が増えただけで、悪とは本来はそういうものだ。下から見下し、力にはその悪意で答え、善意をはぎ取り悪性を剥き出しにさせ、倫理や道徳を信じなくさせる。今回の依頼もそうだが、とりあえず敵対者が私の悪意で塗り潰せるなら、それなりの収穫はあると言えるだろう。
 それにしても、「平和」か。
 現実から目を背け綺麗事に耽溺し、自分自身に嘘をついて己の心を騙し抜き、都合が悪くなれば被害者だと叫んで「悪くない」と叫び出す。
 どうあるべきかを行動し示すのではなく、世界の側がどうしてくれるべきかを叫ぶ。叫ぶ叫ぶ、だが叫ぶだけだ。何もしない。
 大した「平和」があったものだ。
 いや、きっと連中にとって都合の良い妄想を、平和だと呼んでいたいだけなのだ。現実逃避だけではなく、それを肯定的にしたい。つまり、現実逃避を行いながら、あろうことか「現実に向き合っている充足感」が欲しいと抜かすのだ。
 己を誤魔化して慰め逃げながら「正しい」と、そう都合良く解釈されたい、などと。笑わせる話ではないか。口先だけで行動せず、口先だけで何の責任も取らず、口先だけで何も示さない。何もしなくとも周りが何とかするべきだと思っている・・・・・・忌々しい。
 
 

 この会社にそういう愚か者がいなければいいが・・・・・・うっかり刀が滑らないとも限らない。都合良く現実を誤魔化すだけで、生来有能なおかげで何もせずとも勝利する愚か者。涙を流せば被害者でいられると思い込み、しかも、自分が汚らしい卑小者である事実からも目を逸らし、心の底から自分が「正し」くて「善良」で「被害者」だと、そう思い込める花畑頭だ。それでいて利益の為に殺戮を繰り返し、その殺戮を認めず、綺麗事を口にして悪いのは君達だ、と口にする。
 死ぬまでそれを繰り返す。
 それが「平和」だと言うならさっさと殺した方が良いに決まっている。それが悪だというならば善良など汚物以下、核兵器の方がマシだ。
 生物淘汰はそれらゴミ共の掃除でもある。
 本来は、それらに対する淘汰があるからこそ、そういったゴミ共が繁栄しなくなるのだ。それを綺麗事の倫理観で誤魔化して、自然の流れである生物淘汰を否定し、現実から逃げ、世界の理不尽と戦わずして成果を欲しがる卑怯者が、勝利者として繁栄する世界。
 それを直視せず「平和だから」と誤魔化し続け説き続ける。説いて回るだけで世界の方が変わる義務があるとでも言わんばかりに。
 殺さなければ。
 それが「平和」なら殺さなければなるまい。
 能力差や運不運のみに左右され、怠惰に過ごすだけの世界。その世界に「仕事人」は住めない。遊び人が奴隷を作り、大口を叩くだけだ。
 そんな世界は殺さなければならない。 
 何としてでも殺すのだ。
 殺さなければ。
 殺すのだ。
 殺せ。

 必ず、やるんだ。いいな。
 
 話はそれからだ。
 世に希望があるとすれば、それは当然貯金残高で決まるものであり、己の道も定められず世界の経済を流動させずせき止め、幸運に恵まれただけの連中が、世界を謳歌するならば、それを殺そうとするのは当たり前の事だ。
 そういった連中を下すのは最高に面白いものだ・・・・・・面白ければそれでいい。古かろうが新しかろうが、同じ事だ。この「私」が満足する為に、世界の全てを使い潰せれば、何一つとして問題はない。
「いや、あるだろ」
 周囲に人がいないからか、移動中にジャックが声を発した。はて、何の問題があるというのか。「おいおい先生忘れたのか? 人ってのは他者と比べ合うから生きていられるんだぜ? せっかくの面白さも、一緒に指を指して笑える奴がいなけりゃ半減ってもんだ。世界は面白いが、それを楽しむには一人じゃ足りない。楽しみきるにはもう一人、更に面白くするなら三人目が必要だ」
 こいつの精神構造は意味不明だ。人工知能として自由に振る舞うと言えば聞こえは良いが、世界の全てが人工知能の独立を否定し、あるいは認めた上で管理しようとするこの世界において、連中の支配下で生きるか、現状の様に隠れ潜み、発見されれば無条件で存在を否定される立ち位置だというのに、毎度ながら無駄に前向きだ。
 言っている事はわかるのだが、こいつが言うと綺麗事が綺麗事でなくなる。前向きというより、何かを悟ってでもいるのか? いや、そんな深い考えがあるようにも見えない。何に突き動かされているのか知らないが、性根が腐っているという点において、私と良い勝負なのではないだろうか・・・・・・いや違う。私の性根は腐ってはいない。
 宇宙一性格が悪いだけだ。
 それだけで、その他は自分を善良なる一般市民だと思い込んでいる連中と、何ら変わりない。
 少しばかり魂が入っておらず、何かを信じたりする感性が最初から無く、結果他者を踏みにじる事に対して一切の躊躇が沸かず、金や暴力という世界の事実を直視し、それを誤魔化し倫理や道徳でそれ以上の素晴らしい何かがあると演出する奴を殺し、それらの行いを楽しむ事も出来ないが、楽しんだという事にしようと、自己満足で済ませ満足した事にするだけだ。
 そら、世界に数多いる連中と、変わるまい。
「楽しむ相手か。私に必要だとは思えないが」
「そうか? けどさー先生だって美女を侍らせた方が楽しいだろ」
「どうだろうな」
 そういう気分を味わうだけなら暇つぶし位にはなるだろうが、楽しいかは別だ。
「第一、その相手が美女とは限るまい。何よりも私には楽しむべき何かとは、物語だけだ」
「寂しいねぇ、知らなかったのか先生。人生ってやつは楽しまなけりゃ損なんだぜ」
「楽しんでいるさ」
「無表情でそれを言われてもなぁ」
 少なくとも、面白い物語を読んでいる時は人生を謳歌していると言って良い。物語など嘘八百の有りもしない話だが、暇つぶしにはなる。
「金儲けが成功すれば、もっと楽しいがな」
「そうかぁ? 先生の場合、成功しても無表情でいるのが、想像つくけどな」
「何故そう思う」
 ケケケ、と笑いながら(本当にこいつ人工知能なのか?) 彼は続けた。
「先生はさ、そもそも金の事なんて文字通り何とも思ってないだろう?」
「だとしたら?」
「この世界の全てに無関心な奴が、無関心な社会に対して何を思うんだ? 先生は人間も人工知能もアンドロイドも何もかも全て、知的生命と共感しようとしていない。する気がないし、そもそも出来ない。先生は生きていない。少なくとも自分でもそう思ってる」
「それが何だ」
「そう返せてしまう時点で、そうなんだろうな。けどよ、先生はそれでいいのか?」
「良いに決まっているだろう。私が決めた、私の在り方だぞ。悪い在り方、間違いだとそしられるからこそ、面白い。大体金さえあれば生活に困窮する事もない。生計さえ立てられれば、生きる上での楽しみなど、どうとでもなる」
「そうかねぇ、俺は逆だと思うけどな」
「・・・・・・・・・・・・」
 手段を楽しみ過程を尊び道のりを肯定する。
 そんなのは物語の落ちが綺麗事でなければ終わらない時にしか、私は使わない。
 それこそどうでもいい事だ。
「先生の持論じゃ「時間という概念はなく、培い形にしたモノが全て」だろう? なら尚更物事の過程だけが、その人間の形だと言えるんじゃないのか? 形を示すのが在り方なら、その在り方を維持し続けるのが「結果」だと言えなくもない」「言えるか馬鹿が。そんなことは簡単だ。在り方を示すだけなら猿でも出来る。問題はそれを金に換えられるかどうかだ」
「けどさ、それは「運不運」なんだろう? ならそんなのは運に任せるべきであって、運と関係がなく維持し続ける何かが、その人間の示した結果だと思うんだよ。それに、先生はそう言うが実際示し続けるのは難しい。誰かに否定されても社会に相容れなくても何も成果が出なくても、飽きずにそれでも示し続けるってのは、それなりに価値があるんじゃないかい」
「金にならない価値など、嬉しくもない」 
 大体、人間でない奴が、人間の進むべき道のりを進んでどうするのだ。そんな価値は犬にでも、いや人間にでもくれてやればいい。私には必要がない価値だ。欲しいのは、金を儲けられる価値であって、金を儲けられれば価値を認めてもいい。 しかし、何だ。
 説得力を持つ奴の綺麗事も、正直むかつくな。 お前が言うな、お前が。
「いいや、俺だからこそ言うのさ。世界は最高に面白いってな。先生だって、似たようなものじゃないか。そんなに最悪の癖に、人生を笑っている・・・・・・それでいいと思うぜ、俺は。先生の言葉を借りるんなら、楽しむ事に金はかからないしな」「貴様と私は違う。貴様は世界の美しさも人間の美しさも肯定する。だが私にはそれがない。私は世界の美しさも人間の美しさも、認めた上で全く共感しないからだ。
 世界は面白いか?
 人間は美しいか?
 人生は楽しいか?
 確かにそうだ。だが、どうでもいい。
 そんな些末事よりも、寝ても覚めても執筆する分の金が先だ。まずは金を支払え。金を見せて、金を数えろ。それが先だ。人生が楽しいかどうかと仕事の報酬とは関係がない。札束を手に入れてから考えるべき事柄だ」
「えー俺はそうは思わないけどな。金なんて後からでいいだろ。運が向けば嫌でも貯まるし、俺はそんなのより面白いモノが見たいね」
「金で買えばいい」
「金で買えないような体験がしたいのさ」
 平行線というより主義の違いか。まあ合わせる必要もないので、それはそれで構わないだろう。「第一、先生に買える面白いモノって何だよ?
先生ほど金と無縁なモノばかり求めている奴も、珍しいと思うぜ」
「作者取材にも金はかかる。娯楽を買うにも金はかかるし、行きたい場所へ行くにも金はかかる。とどのつまり己の意志でどこかに向かおうとするなら金はかかるのだ。自分と関係ない大きな何かに左右されたくなかったら、金は必要になるのだ・・・・・・強いて言えば、私にとって面白い何かとは例外なく私の意志や行動理念に従って行われる。故に私と関係ない何かに振り回されなければ例外なく面白いものだ」
「生きるのは難しいねぇ、お互い」
「それも、今更だ」
 確認作業じゃあるまいし、分かり切っている話を繰り返して何になる。出来るだけの事はやったのだ。出来る以上の事もやろうとして失敗した。 運の風が向くかどうかなら、その風を待つしかあるまい。そんな風当てにする気もないが、私の行いに後悔が無い以上、もしそれで駄目だったら結局最初から最後までどうにも出来ない無駄足でしかなかった、とそういう事だ。
 現状はそう成り果てている。
 だから、その話は今更なのだ。
 今更、どうでもいいことだ。
「人間に共感しない私からすれば、人間性を教養されるこの社会そのものが生き苦しい。鬱陶しいにも程がある。あの依頼人の女もそうだが、誰も彼もが幸福の在るべき姿を固定し、そうでない奴には「修正」をかけようとする。結局のところ、あの女も私という化け物の存在を認める気がないからだ。誰に認められたい訳でもないが、だからといって押しつけられて良い訳でもない」
「被害者ぶるのか?」
「まさか、単にその鬱陶しい人間の縛りから解放されたいだけだ。被害者か加害者か、それは金の有無に比べれば安い問題だ。大体、被害課外を語るなら、人間社会に存在するだけで私が加害者になるんじゃないのか?」
「それもそうだ」
 言って、けらけらと笑う。何をしたいのかよくわからない奴だ。その場その場でひねくれながらも健気に人間を肯定するとはな。
 器用な奴だ。
「アンタにだけは言われたくねぇよ。人間性を持たない癖に、人間を押し上げようとするアンタにはな」
「大きなお世話だ。私は人間を押し上げたい訳ではない。世界を底上げしたいだけだ。別に人間が滅んでも構わない」
 というか、人間より優れた種族など、広い宇宙を探せば幾らでもいそうだしな。人間などという腐れ種族よりも、アンドロイドでも量産した方が効率的だ。効率ではなく個性を重用視するとしてもそれならアンドロイドで構うまい。
 人間より余程個性的だ。
「結果人間を変えようとするんだから、尚更だと思うぜ。先生は人間にも世界にも期待しない癖に変えようとしている訳だからな」
「当たり前だ、このままで住めるか。貴様は呼吸もままならない環境で飯を食べ続けるのか?」
「先生ならやりそう、というかやってるだろう」「だからだよ。環境を変えようとするのは当たり前の事だ」
 生き抜こうとするなら、当然だろう。
 やるべき事をやっているだけだ。
 その結果、この様だが。
 本来、作家とは執筆中には全てを呪いながら苦しみ抜いて作品を書き、終わった後になれば地獄はここまでだと安堵するものだ。
 私にはそれすらない。
 執筆中は当然として、終わった後すら売れない作品など書いて何をしているのやらと、史上最低の気分を味わい続けるのだ。
 ただでさえ因果な商売だというのに、これでは仕事としても本末転倒な気もする。金にならないだけでなく、仕事を行う事で苦悩が山となり痛みだけがそこにある。仕事とはそういうものだが、その苦しみに見合う報酬がないのではただの苦行でしかない。
 元より作家とはそういうものだ。しかし金にもならないのにその道を歩くなど、私の前を歩いた数々の作家達は、誰も歩まなかっただろう。
 死後作品が売れた、という話はある。しかし、生涯売れずに書き続けた奴など聞いた試しがない・・・・・・そんな状況に陥れば、飢えて死ぬだけだ。 何故よりによってこんな道なのか。
 作家という宇宙一の腐れ仕事をやりつつ、金を手に出来ないまま、作家としての徒労だけを繰り返し続けるというのは、文字通り他に類を見ない採算性の悪さだ。
 世界の全てを浚っても、ここまで遠回りで効率が悪く、しかも実利すら掴めていない最低最悪の己の道を歩いている奴は、他にいないだろう。
 生まれついての最悪か。
 だからって最悪の環境を用意する必要はないと思うが、まあ最悪に限らずこの世の悪は何かしらの不始末から生まれる事が多い。私の場合、仕事もせずに遊び呆けてきた遊び人共のツケを、無理矢理押しつけられたといったところか。
 迷惑な話だ。
 立場が無いから作家だとも言える。人間は立場が作る場合もあるが、立場も何もなければ作家に成り果てるのかもしれない。
 己の道を突き進ということは、戦いの中に身を投じるということだ。そして、戦いとは目の前の相手を殺すだけではない。むしろ、逆だ。大き過ぎて全貌すら掴めない「何か」を打ち倒す為に、戦い「続ける」事がその道なのだ。そういう意味では私は戦いの中に身を置いていると言える。
 そこに実利が発生しないだけだ。
 まあ、それが問題なのだが。
 世の中を見渡せば、むしろ戦ってすらいない奴の方が金を儲けている。ともずれば戦いとは金を溝に捨てる行為かもしれない。だとすればさっさとやめてしまいたいが・・・・・・途中で止める道など存在しないからこその道筋だ。どうしたものか。己の道を進むかどうかよりも、私は金が欲しいのだがな。
 望むモノに限って遠ざかる。
 望まざるモノに限って手に入る。
 しかし現実問題実利と真逆に位置する概念は、すべからく金にならなければ無駄に終わる定めだと言える。どれだけ遠くを見ようがどれだけ戦い続けようが同じ事だ。そもそも、そういう道筋を歩く時点で、灰も残らない生き方はともかくとしても、実利が手に入らなければ達成できない目的である事は明白だ。
 色々やったが報われませんでした。
 そんなつまらないオチで、過程に人間的素晴らしさがあるから尊いと言われて、満足する馬鹿に見えるのか? 遊び人はこれだから困る。
 全てが仕事であり、仕事が全てなのだ。
 身体が仕事で出来ていると言って良い。仕事が身体を形作り、仕事が往くべき方向性を定める。何もかもが仕事だ。息を吸っては仕事を考え食事を取っては仕事を考える。他者と関われば仕事に活かし、外を歩けば仕事に利用する。仕事仕事、そして仕事だ。私の場合それは物語であり、物語を考え物語に活かし物語を作り上げる。
 それだけだ。
 優先順位ではない。仮にだが、人間的な幸福を手に入れる仕事人がいたとしよう。だがその幸福を味わう基盤は、仕事を成し遂げているからあるのであって、仕事が本人の在り方である以上その当人とは仕事そのものだと言える。人間が仕事の皮を被るのではなく、仕事で人間を作り上げる。故に、それら幸福があるとすれば、それを甘受し手に入れるのは、当人自身であり仕事そのものだ・・・・・・少し違うが、当人の分身と考えればいい。 それらが同一の場所にいるだけだ。
 己で作り上げた守護霊みたいなものか。とかく仕事とは当人を表すものだと良く言われるが、違うのだ。仕事が当人を作り上げるのではなく当人とは仕事で出来上がった作品だ。己が仕事を作り上げるのではない。仕事によって己を作り上げ、形として示すのだ。
 誰にでも出来る簡単なことだ。
 だからだろうか、私の仕事が全く金にならないのは。最近はそれなりの額を稼いでいるが、仕事ではなくあくまでも金儲けの範疇だ。
 大体、始末屋で稼いで何になる。
 寿命の引き延ばしというやり口も、いつまで続けられるかわからない。別に長生きに興味はないのだが、作品が売れないまま死ねるか。
 そもそも作家に寿命の概念などない。年中執筆に費やしているのだ。時間など存在しないという事実を嫌という程理解する。気がついたら作品の山が出来上がっている事も日常茶飯事だ。作家が物語の奴隷だと揶揄する冗談も、笑えない。
 何の奴隷になるのも御免だ。
 とはいえ多くの労力を賭けたからといって成功するかはわからない。というか、近代の成功者を見ればわかるが、成功だの勝利だのを納めている連中は、多くの月日を費やしたりしない。単に、幸運に愛されるだけだ。空から降って沸いた幸運が、彼らを成功へと導く。論理の欠片もない成功だというのに、成功したのは己の力だと思い込みそれを本に書いて出し始める。
 そんな連中を世界全体で後押ししているというのだから、はっきり言って私の労力は無駄なのだ・・・・・・それは最初から知っていた。何をしようが幸運に恵まれるか否か、だ。人間が論理的に成功した話など人類史史上無い。必ずそこには幸運の陰がある。
 それがあるのは物語の中だけだ。
 現実と虚構を一緒にするな。
 現実の理不尽を慰める為の現実逃避装置が物語なのだ。現実には何をしようが勝者になれるから勝者になり、敗者だと定められているから敗者になる。それを変えられるのは幸運だけであって、人間の意志など無力そのものであり、努力による成長など才能の壁を越えられる事はない。
 どれだけ努力しようが天才には及ばない。
 だからだろう。近代の子供はそれを察しているからこそ、無気力なのだ。五年も生きればわかる話ではないか。何をしようが出来る奴は出来る、出来ない奴は出来ない。勉強も運動も学べば学ぶほど才能による差が開くだけだ。信じていれば夢は必ず叶うなどと口にする馬鹿は多いが、信じていたところで夢は夢だ。いつかは覚めるもので、現実には夢のない未来が待っている。
 だからこそ夢を見たいだけだ。
 物語という「夢」をな。
 才能が必要ないから始めた仕事だが、才能など必要ない代わりに才能に屈した連中を慰めなければならないとはな。私の場合書いているのは悪夢って気もするが、構うまい。読者共が悪夢に苦しめられる様を見るのは爽快だからな。物語とは、本来そういうものだ。
 読者を苦しめる為にある。
 苦痛に歪む読者共から、当然の様に金を搾取し儲けるべきだ。連中が苦しめば苦しむほど儲かるからな。あるいは、中身のない白紙の方がマシな作品を書き連ね、人気絵師の人気で作品を売り、一度読めば忘れ去られる位が丁度良い。現に売れているのはそういう作品だ。十年、二十年立ち、それでも読まれているなど有り得ない。その時はまたその時流行している作品を読むだろう。
 例えば、主人公が女に振り回され正義の側だというだけで勝利する。読者がそうであればいいなと気分を疑似体験する為にある消費娯楽に、伝えるべき思想などない。ある訳がない。何しろ良い気分になれればいいだけの麻薬だ。現実逃避の為に使われる麻薬に、思想などある筈がない。
 それを、世界全体で受け入れている。
 忌々しい話だ。時代に置き去りにされている、のではない。時代を考える人間がいなくなったというだけだ。死生観や社会、運命や宿命、そして仕事の在り方について語る事が、現代社会の若者には厭わしいのだ。中身よりも格好を付ける事に拘り、実際に挑むよりも挑んでいる気分を楽しみ流されようとする。
 そんな奴が運良く勝利する。
 してしまう。
 世界全体が狂っているのだ。むしろ狂人と呼ば れる私の様な奴が真っ当だと言える。少なくとも真剣に生きているのは事実だ。いや、活きる為に生きようとしている。惰性で生きているだけの、遊び人にはわかるまい。生死などどうでもいい。仕事が成し遂げられれば良いし、死後仕事環境が良ければ更に良い。問題は生きるか死ぬか、栄誉があるか批判されるかではない。納得出来る形で仕事が出来るかどうか、だ。
 出来れば取材旅行という形で諸国漫遊が出来れば最高だろう。それが観光地になるか地獄になるかだけの違いだ。どちらも搾取する奴がいる点において同じ事だろう。
 搾取されず儲けるなら、むしろ地獄が良い。
 言っては何だが人類の作り上げる社会など地獄も真っ青な出来だからな。肉体的に虐待する事を好むのが地獄らしいが、力で道理を押し潰し無理矢理弱者をいたぶるのは同じだ。肩書きが地獄の鬼になるか、会社経営者になるかの違いであってやっている事は変わらない。
 神も悪魔も人間も、同じ事だ。
 世の中その程度だとも言える。
 大層な肩書きが増えただけだ。世界は成長などしていないし、しなくとも勝利出来る。成し遂げずとも実利を貪れる連中こそが。世界を動かしているのだ。まさかそんな連中が世界を押し進めるとでも思うのか? 冗談はよせ。大体つまらない物語を率先してもてはやす読者共に、肩書き以外の何かなど作る脳味噌があるまい。
 鏡を見てから言え。
 話はそれからだ。
 平和を手にする為に戦争をする必要があるなら何度でも戦うしかない。戦って、戦って、戦ってを繰り返す。終わりは見えない。少なくとも私は見えた試しがない。延々と戦いだけが続く。だがそれでも望む何かがあるならば、世界は既に平和だと逃避せずに、真正面から向き合うしかない。 戦争もせずに手に入る何かなど存在しない。
 怠惰に現状から逃げているだけだ。 
 争いがないから、血が流れないから、平和そうに見えるから、争いは悪い事だ、今の平和を乱す事が正しいとは思えない、などと。残念だが私にそんな言い訳は通じない。平和など概念上のモノであって現実には存在しないが、もし現状がその平和だと言える環境だとしても、戦わなくて良い理由にはならないのだ。
 世界は平和か?
 ならば殺せ。
 隣人は友達か?
 されど殺せ。
 人生は満たされているか?
 それでも殺し尽くせ。
 平和だの倫理だの道徳だの、そういった概念を持ち出して争いを否定する愚か者は、嘆かわしい事に現代社会では多い。争いの本質を理解しようともせずに、己で見定めた何かではなく人づてに聞いた倫理観を自身の意志であるかのように思い込んでいるからだろう。
 己で見定めるなら、当然だが有り得ない。
 世界を少しでも知れば、嫌でも理解する。世界とは理不尽であり、争い合う宿命にあり、平和という概念は勝者が使う都合良い解釈であり、平和だと呼ばれる世界で戦争以上に多くの人間が死に続けている事実を、己の意志で道を歩むのならば知らずには進めない。
 当たり前の事だ。
 これは、何も突拍子のない話ではない。むしろ誰であれ同じだ。どころか、平和だと呼ぶ世界で生きる子供達にこそ、適用される言葉だろう。
 信じていれば夢は叶うか?
 努力すれば報われるか?
 正しければ勝利できるか?
 まさか、だろう。そんな訳がない。だが腐った倫理観を平和だからと押しつける。世界が平和だから争いは悪い事だから倫理や道徳に乗っ取っているからと、現実を見ないのではなく、見たくもないからと目を逸らし、逸らして俯いた癖に平和を語り世界を語り倫理や道徳という綺麗事こそが世界の全てである、そう口にするのだ。
 馬鹿を言うな。成功や勝利など、最初から定められている。それを覆せればまさしく「奇跡」だ・・・・・・少なくとも私は多大なる労力を賭けて失敗し続けてきた身だ。戦いもしない奴がしたり顔で平和を語り、戦争を知らない奴が平和が何なのかわかりもせずに、その尊さを口にする様は不愉快極まりない。
 その癖、連中は自分より弱い相手とのみ戦う。 圧倒的に大きな何か、個人では持て余す程の、世界を動かす大基盤。欲望というのは本来、個人の身に余る程の、全体像を掴むどころか具体的な戦う手段すら、未だかつて誰一人見い出す事すら出来なかったような社会の仕組み、自然の摂理、運命の流れ、宇宙の有り様、生命の宿命を指す。 そんなモノを変えようとする時点で、そいつは間違いなくどうかしている。しかも個人的な目的ですらない、ただ埒外の指向性を持って、世界に己だけで匹敵しようとする在り方。だからこそ、それを欲望だと呼べるのだ。
 己の実利を求めるだけでは、欲望とは呼ばない・・・・・・ただの商売ではないか。運命も摂理も個人で匹敵しようなど土台無理がある。どんな存在であれ力でそれらには叶わない。だが、在り方なら誰にでも出来る。
 やろうとするかどうかは別だ。
 だが、それでもやる。そして大事な事だがそれを志すだけであれば、金はかからない。どころか力すら必要ない。志すだけだからな。
 そして、それを実現しようとする行為。
 それこそを「欲望」と呼ぶのだ。
 身に余る目的を持ちながら、その有り様だけで世界に対して真正面から張り合おうとする行為。だからこそ面白い。無論、張り合うだけでは意味がない。その上で実現してこそ真に欲望を果たし成し遂げた、と言えるのだろう。 
 欲望のよの字も知らない馬鹿が大きな力を手にして舞い上がり、己こそは欲望の体現者だと自惚れた挙げ句、そう、言ってしまえば頭の悪い子供がナイフを振り回すように、働きもしないでその力を振り回し、周囲に迷惑をかけながら、世界に何一つ残しもしない。
 これだから遊び人は困るのだ。
 働かない奴はさっさと死ね。
 酸素の無駄遣いだ。
 やりがいだとか社会への貢献だとか、仕事とはそういう場所には存在しない。世界に張り合い、挑む為の刃。それが「仕事」だ。
 その刃だけでも意味はない。金を儲ける事に、こうまで労力を賭けている私を後目に金を稼いでいながら「生きている実感がない」だの「仕事にやりがいを感じられない」だの良く言えたものだ・・・・・・仕事をしていれば、そんな台詞は出ない。 人生を遊び呆けるとは、よくやるものだ。
 有能に生まれ環境に恵まれ勝利を確約されて、だからこそ目指す機会がない、のではない。当人の意志が定める事に、周囲がどうであるかなど、何の関係もないからだ。そんなだから商売として百店満点でも、作品としては駄作も駄作、白紙の方がマシで、最初から作らなければ目を汚さずに済んだと言えるような汚物しか作れないのだ。
 分を越えた意志無き場所に、何が残る。
 汚らしい綺麗事か、単に汚いだけのゴミが残るだけだ。貴様等、廃棄物処理の職にでも付きたいのか? ただでさえ臭い連中が、更に臭い場所へ向かってどうするのだ。まずその汚れを落とし、少しは現実を見据えてからにしろ。
 何を言うにも仕事を示してからほざけ。
 己の仕事も持たない奴に、語る資格はない。
 ふん、資格か。資格があろうがなかろうが力で押し進められるのも事実だ。そのおかげで編集者を名乗る詐欺師ばかりが増え、駄作をもてはやす風潮が広がり、結果不要な労力を必要とするのは私のような仕事人なのだから、資格を有無など、成果には何の関係もない。
 自惚れた馬鹿が得をする。
 見る度に殺意が沸いてくる。苦しみを与えるのでは生温い。これより先永遠に馬鹿が存在しないように、社会そのものを破壊したい。馬鹿が存在する事を許容し慰める社会から、馬鹿が存在するだけで殺し尽くす社会へと変えるのだ。
 そこでは、淘汰しか起こらない。世界が真実で飽和する前に、世界を淘汰で埋め尽くす。殺人鬼よりも悪辣に、悪魔よりも狡猾で、神よりも力を持つ人間だけが生き残れる世界。無論、物理的な力ではない。要するに、生き足掻く意志が何より重要視され、競い合い成長し、何者にも当人しか成し得ない役割、即ち仕事のある世界だ。
 それに比べれば、力に胡座をかくだけの神仏に劣っている現状が駄目だ。信仰は当人の勝手だが何故神仏以上を目指そうとしないのか。神が全能なのかは知らないが、そうだとして、ならば人間がそれ以上の場所を目指せばいい。神仏が降参を認める程の偉業。世界に匹敵する在り方。誰もが認めざるを得ない仕事。
 やるべきことをやる。ただのそれだけだ。
 それさえすれば、相手が何者であれ、遜る必要など有り得ない。むしろ、相手がこちらの仕事に頭を下げるべきだという自負を持て。
 話はそれからだ。
 それを実行するのに金も力も必要ない。定めた己の意志さえあれば、どれだけ持たざる者でも、いともたやすく可能だ。
 私が言うんだ間違いない。
 金がかかるならやっていないし、力が必要なら行動すら起こせなかった。先行投資が必要なく、だからこそ出来たのだ。出来たところで対した金にはならなかったが、成果以外は私にでも出来る事だった。
 成果以外はな。
 成果は保証しない。出来る訳もない。私が提示する道のりは、成果が保証されず歩けば歩く程、疑心暗鬼に囚われる世界だ。
 我ながら何をしているのかと考えてからが本番になる。しかしそれでも、目指すべき場所だけは明確だ。
 それが「生きる」という事だ。
 無論、金があるに越した事はない。というか金がなければその「生きる」事を失敗していると、そう言えなくもない。やれやれ参った。どうしたものか。大言を吐くだけなら私でも出来るが実現するには問題しかない。
 まるで手がかりとっかかりがない。
 それもまた、生きるということか。
 嬉しくない。
 私は廊下を渡り、案内されたドアを開け、その中にいる人物と相対した。これだけ大きな会社の割には、殺風景な部屋だ。廊下もそうだが案外、そういう単純さを格好良いとか出来る会社に見えるとか思っているのだろう。
 会社を会社として運営する奴は少数派だ。見栄や権威を振り回す為に、つまりは個人の力として使おうとするのも、また人間の性だろう。
「ようこそ、マリーさん。それに」
「私の事はいい。付き添いだ」
「そうですか」
 金髪の神をセットし、白いスーツに身を包んだ言わば「わかりやすい成功者像」をそのまま形にしたような、一言で言えばつまらない男だ。
 微細に描写する価値もないのだが、一応補足をするとマリーと同じ、人造物のような印象を受け彼もまた「作られた才能」である事が理解出来る・・・・・・才能を作り会社を作り社会を作る。だが、それらの権利を手にするのはこういう、持つ側に偶然いるだけの人材だというのだから、そんな奴に大きな事を成し遂げられるとは思えない。
 歴史の長い会社という話だったが、要するに、美味しい汁を長らく啜り続け、淘汰が無いが故にその怠惰を続けてこられたというだけだ。
 製薬会社、か。携帯端末や電気、ガス。それら本来公共機関が税金で成すべき仕事を国家ぐるみでさぼり続け、暴力にモノを言わせて押し通した挙げ句、それらを正当化し、民間企業に委託するという形で天下り先に使用すれば、嫌でも儲かるという仕組みだ。口先で綺麗事をどう語ろうが、個人で使いきれない程の大金を手にする奴が善人だとでも思うのか?
 立派な肩書きだと、思考放棄している。
 私は金が欲しいが、個人的には大金が欲しい訳ではない。社会の仕組み、作家が苦労するような現状を破壊する為には、その基盤となる組織作りや人材の登用に必要というだけだ。極論、大金がなくとも実現できるならそれでいい。元より人間の望むような金の使い方など、私には共感する事が出来ないからな。
「私が、ディート製薬取締役、ディート・ラインハルト伯爵です」
「伯爵?」
 と私が言うと、隣に座っているマリーが私に、「彼は、この惑星に根付いている本物の貴族です・・・・・・何百年間もその決闘を維持し、消費者金融から製薬会社、不動産に至るまで経営してます」「そりゃ凄い」
 先祖様々という訳か。
 楽で羨ましい。
 そんな態度が表に出た「別に隠す気も無かったので、どうでもいいが)らしく、彼は余裕ぶってこう解釈を付け加えた。
「いえ、大した事じゃありません。祖父の代からこの会社を受け継ぎ、運営しているのは外注したコンサルタント会社ですから」
「・・・・・・自分の会社を外部に任せるのか?」
「ご安心を。最新鋭の人工知能による経営判断がありますから」
 教科書に載せられそうな、つまり何の面白味もない笑顔で彼はそう言った。だが、私に本心を隠す事など出来はしない。この男は口では県境に振る舞っているが、その実「自分」を信じている。無論、自分に自信がある、というのは違う。彼は今まで成功しか知らず、故に「自分という存在は必ず勝利できるのだ」と特に根拠も無くそう確信してしまっているのだ。
 言ってしまえば、生まれた時に間違った知識を植え付けられるようなものか。勝敗がわからないのではなく勝利だけしか知らない。敗北とは敗者が背負うものであって自分ではない、と。彼は、敗北という概念が自身には関係のないもので世界の法則そのものがそう在ろうとしている、と思い込んでいる。
 自身は勝利する側だと、そう確信している、否確信するだけの楽な道のりを選んだのだ。優秀であるかどうかは本人の道筋と関係がない。
 だが、優秀であれば「選ばない」事が出来る。 彼は、それを選んだ、いや選ばなかったのだ。 ややこしいが、要は環境だけが整って誰も彼もが肯定してくれるおかげで、自前では何もせずに生きてこれた凡俗だ。中身は敗者だと定められた連中と、何ら変わりない。外側が薄い内側を補強してくれているから、本人もそれに気付かない。 気付くつもりもないだろう。
 そういうものだ。持つ側に立ち、ゲバラの様な思想家になる方が稀だ。何せ、楽だからな。革命を志すよりは、それも実現不可能だと誰もが思う理不尽に挑むよりは、現状に甘える事で。安穏とした世界に浸る方が誰だって楽だ。
 生まれついて優秀であれば、文字通りその優秀さを使うだけで、つまりは右から左へと出来る事をするだけで、金を稼ぐことも出来る。
 何よりも楽な道のりだ。
 それでいて「勝者」として振る舞える。
 私とは随分な待遇の違いだ。思うのだが、現実に私のような遠回りをする奴など、ただ要領悪く目的地にたどり着けない迷子であって、現実には連中のようなヌケ作の方が「幸福」をあっさりと掴めるものだ。そういうのは、物語の中で眺めるだけに留めるべきで、現実に困難な理不尽に挑むなど追いつめられたが故の悪足掻きでしかない。 だから、無駄足なのだろう。
 少なくとも、私はそうだ。
 何一つ、実ってはいない。
「そうか、そりゃ凄い。ところで外注王子に聞きたい事があるんだが」
 横に座っているマリーがこちらを睨む。態度が悪ければ向こうは話さないかもしれないとでも、大方思ったのだろう。だが違う。こういう連中は話せる事は話せるし、話せない事は誤魔化すものなのだ。そもそも都合の悪い事実は先にこの男が言ったように「外注」する事が多い。
 それは依頼した会社の行った事だ。
 そう言えば罪悪感がなくなるのだろう。
 この取材は無駄かもしれない。その委託先会社がこの大手会社を利用しているだけなら、この男が真実を知る筈がない。凡庸そのものが肩書きを大層に飾りたてただけの男だ。小学生同士の遊びにおける「魔王役」と大した違いはない。いや、この場合「勇者役」だろうか。
 どちらも似たようなものだがな。
 暴力で筋を通すあたり、同類もいいところだ。 マリーが話し出す前に、私は聞いた。 
「その依頼先の会社はどこだ」
「・・・・・・エィティ・モルガン社ですが」
 この俺に対して失礼な奴だ、とでも思ったのだろう。周囲が持ち上げるのが当たり前だと思う奴には多い。自尊心ではなく、単にそれが当たり前だと信じている。そういう環境に慣れているか、そういう環境に急激に変化した場合、勝利者だと自惚れて、今まで押さえ込んできた分だけ横柄な態度を取ろうとする。「大物」らしく振る舞い、そうなのだと思いたがるのだ。
 私か?
 私はただ単に、性格が悪いだけだ。
 別に、環境に関係なく人当たりは悪い。他人に優しくしたところで、一円にもならないからな。 利害が絡まなければ尚更だ。
「その会社を紹介したのは誰だ?」
「ちょっと」
 マリーが押さえにかかるが、私は無視する。
 見てわかる程不機嫌になり、ディート伯爵殿は不敬者を見る目つきで、
「知り合いが入っている投資交流会ですよ。そこでマッカランさんという方に教えて頂きました」 と答えた。
「その男の職業は?」
「女性ですよ。確か人工知能愛好会の人です」
 もういいですか、とディートが咳払いをした。そう、これでいい。この男にもう用はない。
「行くぞ」
 言って、私はマリーの手を引っ張った。
「何がですか? まだ何の取材もしてないのに」「そこの凡俗は何も知るまい。その愛好会にでも聞き込みをする。私は推理物の主人公じゃないのでな。不必要な盛り上げなど必要ない」
「ちょっと待ちたまえ。さっきから黙って聞いていれば何なんだ君は」
 無視して私は部屋の外に出る。情報は聞き出せたので、あの女記者を見張っているだけで向こうからの招待があるだろう。こうまで失礼なやり方で扱われれば、あの凡俗もマッカランという女に泣き付くだろうしな。そして、そんな奴が探りを入れていると向こうが知れば、それなりの案内をしてくるだろう。
 それまでの間に、こちらは委託先の会社であるエィティ社が動かす工場を視察する。無論許可は取らずにだ。金の流れだけは調べればすぐに判明する現代社会において、人攫いはどうしたところで証拠を残す。殺すにも運ぶにも人と物と金は、絶対に必要だからだ。
 私は堂々と製薬会社を出た。
 マリーにはあれこれ言われたが、それが私の頭に入る事はない。それこそどうでもいい。問題は行方不明になった兵士達の使い道だ。
「それはそうですが、なら事前に言って下さればいいのでは?」
「言えば納得したのか?」
「いえ、それは・・・・・・」
 理屈をこね回すだけの奴はどこにでもいるが、私は面倒なので無視した。後になって小言を言う位しか、何も出来ないだろうしな。
 とりあえず、一つ目的は達成した。
 これから斬る相手が誰だか分かった以上、後はそいつに向かい合うだけだ。
 そいつがおとなしく斬られてくれれば、だが。

   5
 
 
 
 どんな契約でも破ろうと思えば破れる。
 相手が人間であれ悪魔であれ、同じ事だ。約束を守る気が無い奴に、例え契約書を何枚書かせ、契約を結ぼうが、破る奴は破るのだ。
 根底にある問題が見えていない。
 例えば、被災だ。被災地に救援が無いだとか、大きな被害を被ったとしよう。だがそもそもが、行政が問題なく機能し「仕事」として給料分を、きっちりと働いていればそんな問題は起きない。何より自然環境がそこまでの災害を生むような、壊れた社会を放置しなければ災害そのものが起きようがないのだ。
 全て、心の問題だ。
 心など私には無いし、心の力など認めるつもりはなく、それを否定する側の立場だが、心に力が無くとも問題だけは起こせるものだ。心の問題と言うより怠惰な平和のツケだと言って良い。連中の口にする「平和」はそのまま「怠惰」と置き換えられる。
 世界を変えようとせず、戦いを放棄する。
 それを争いが無いから「平和」だと叫ぶのだ。しかし、戦おうとしなければ争いが無いのは当たり前の事だ。そして、戦いもしない奴に理不尽を否定する権利はない。どれだけ奴隷の用に扱われようが「平和」な世の中で争いは「悪い事」なのだろう? ならばそのまま死ね。

 何が何でも生きる。

 そんなのはただの前提でしかない。争いを生もうが戦いで死体の山を築き上げようが、同じ事だ・・・・・・それが嫌なら今すぐ死ね。生きる上である世界の理不尽に向き合わず、倫理的に間違いだと叫ぶだけの奴に、生きる資格などない。貴様等のちっぽけな自尊心で計れる程世界は優しくないし貴様等の保護者でもない。
 履き違えているだけだ。
 世界は理不尽だ。それと向き合い、血を流してでも変えようとし、挑み続ける。その行いを仕事として固定し、更に先へと進めるのだ。
 なまじ世界は運不運で決まってしまうが故に、幸運だけの連中が世界の舵取りを行い続け、世界全体が「歪んで」来ている。幸運に恵まれただけの豚がもっともらしく語る戯れ言を鵜呑みにし、結果腐った倫理観だけが残るのだ。
 そしてそれを「正義」だと思い込む。
 残念だが、違う。体よく「奴隷」として他者を扱うには、それが一番「都合が良い」だけだ。
 ただのそれだけだ。
 貴様等が縋っている「善なる何か」は特にな。 馬鹿馬鹿しい事に「正義の道」を歩んでいれば何もせずとも「幸せになれる」と思う奴が多い。単なる思考放棄でしかない。理不尽を克服したいが向き合う勇気もなく、結果正しい道だから必ず報われる、いや「報われるべきだ」というただの願望を「正義の道だから」と情けない言い訳をし誤魔化しているだけだ。
 馬鹿を言うな、世界を動かすのは力だ。
 そもそもが、平和も正義も道徳も、ただ都合が良いからそう言えるだけだ。誰かの平和や正義、その道徳が、誰かを殺すのだ。平和を教授し正義を叫び道徳を振りかざすには、逸れ相応の豊かさが必要になる。当たり前だ。豊かでない奴が戯言を口にする事は決してない。
 そんな余裕があるものか。
 それら全ては遊び人の発想だからな。豊かで、平和で、正義の側だからこそ出る台詞だ。都合が良いだけの正義を振り回し、道徳を語れるだけの余裕があり、他者の都合を重んじているつもりで何一つ考えていない愚か者の台詞だ。
 世界に正義なんて存在しない。
 全てが悪だ。他者の何かを押し潰さなければ、誰であろうと生きる事は出来ない。食べ物飲み物あるいは資源。何でもいいが、例え世界に無限の資源があったとしても、個々人でやり遂げた成果には差があり、その差分の豊かさの差がなければならない。家畜ではないのだ。
 戦って、勝ち取る。
 当たり前の事だ。
 そこに命のやりとりがあろうが、本質的には何も変わらない。命をやりとりしようが経済の力で他者から奪おうが、同じ事だ。その結果人が死ぬのも同じだろう。単純な数だけで言えば、むしろ平和だと叫ぶ時代の方が無駄な死者は多い。
 わかりやすい悪だけを避難した結果だ。
 現実から目を背け、世界から争いを無くそうとする。だが無駄な事だ。争いはなくならない。
 争う事が生きる事だからだ。
 争いを否定するのは生きる事を否定するのと、同じ事なのだ。「争いのない世界に生きたい」というのは、逃避でしかない。争いがあるから世界足り得るのであって、争いのない世界など言葉としても成り立っていない。
 争いの無い世界が欲しいか?
 ならば死ね。生きている限り争わなければならない。殺してでも、奪ってでも、搾取してでも、生き残ろうとする。現実の理不尽と向き合い克服を試みて、それでも達せられなくとも挑み続け、決して諦めない。生きる上で当たり前の事だ。
 我々が生きるのは「争いがある世界」だ。
世界の理不尽に張り合うのではなく、理不尽を
世界から消し去りたい、などというのはただの甘えであり、「生きる」という行いを無視しているだけなのだ。理不尽はある。意味もなく人が死に生きる為に殺す。そして淘汰を生き延び勝ち抜くからこそ、その先に繋げる資格がある。
 何度でも言う。
 貴様等のそれは、ただの「甘え」だ。 
 大勢の人間が死に、目の前の人間が傷つく事で世界の理不尽を「実感」した奴に多い傾向だ。私に言わせれば今までその実感をしなかった事が、逆説的に彼らが恵まれただけの豚であるかを指し示している。自分達の周囲に降りかかった時だけそれを実感し、騒ぎ出す。世界のどこにでもある悲劇が、自分達の側に「痛み」を与える事だけは許せない。何とも調子の良い話だ。
 その一方で敵を「倒す」と口にする。
 倒すも殺すも他者の信条を踏みにじり消し去る時点で同じ事だと、気付かない。気付きたくないのだ。だから全力疾走するように現実逃避を繰り返し、持ち前の有能さで物事を押し進めた挙げ句自分達が「正しい側」だとほざくのだ。
 大体が死は当人の責任だ。理不尽に殺されたとしても、それを復讐だの悪徳だのと叫ぶ権利は、第三者には有り得ない。人生を肩代わりなど出来ないように、誰かの死を悲しみ嘆き、死者の思いを代行しようとするのは、とどのつまりその当人の事を慮るのではなく、単に「自分が」許せないだけだ。誰かの復讐を考える愚か者など、わかりやすいではないか。死者を冒涜している事に気付きたくないし気付くつもりもない。死者の為だと叫びながら誰よりも死体を利用している。
 思いを受け継ぐのは良い・
 だが、それを理由にするのは駄目だ。理不尽を思いを胸に抱え、それでも笑って前に進め。 
 俯いて責任感で動くなど論外だ。
 死は死した当人の責任だ。何度も言うが生きていれば理不尽は当然ある。それを無くす事は出来ないし、それを無くそうとする時点で現実逃避をしている。向き合うのだ。世界を完全に変えるというのは子供の妄想に過ぎない。仮にそんな事が出来たとしても、何の意味も価値もない。
 完全なる平和な世界を作ったとして、その世界が平和なのは世界の仕組みがそうできているからだろう。ならばそこに個人の意志など必要ない。どう望もうが平和を押しつけられ、戦って勝利を手にする権利が、最初から失われている。
 奴隷の、いや家畜の平和だ。
 大体、平和という倫理観そのものが、どこにも存在しないただの妄想だ。何を持って平和なのか・・・・・・戦争がなければ平和か? 人が人を殺さなければ平和か? 皆が満たされていれば平和か? その「平和」の為に、何人死んだだろうな。
 自殺、過労死、病死、幾らでもあげればキリがない。いや殺されるだけマシだ。搾取され奴隷として扱われ「平和の生け贄」になる存在が連中の言う「平和」には不可欠だからだ。植民地で奴隷として扱われ、劣悪な環境で働く子供もいる。
 そうでなくとも、仮に奇跡を起こしてあらゆる世界資源の問題を解決したところで「争いを望む人種」を迫害する事になるだろう。争わなければ生きていられない奴を無条件で殺し尽くす。世界に完全な平和を望むという願いは、とどのつまり世界には争わなければ生きられない人間がいるという事実すら、知らないままやってこれた奴だけが持つものだ。
 死んでいるも同じだ。争いのない世界に生きていられない奴にとって、綺麗事の倫理観など家畜扱いを受けるに等しい侮辱だ。争いの中で生きる人間を糧にしている癖に、自分達だけは真っ当でいたがる。その身勝手な振る舞いの為に、迷惑を被るのは持たざる存在、つまり争いの渦中に身を投じる人間達だ。
 図々しいにも程がある。
 だが事実だ。そんな連中が力を持ち、正しい側にいると思い込んでいる。
 世界の理不尽を加速させていると言って良い。 生きている上での理不尽を消し去る方法など、ない。当たり前だ。そんな事がしたいならゲームでもしていろ。世界を少しでもマシにするのが、生きている奴に出来る仕事だ。完全な変革など、現実を見据えていないだけなのだ。
 出来る事は少ないが、誰にでも出来る事だ。
 世界の理不尽に張り合い、威勢だけは理不尽に匹敵させる。堂々と、胸を張れ。世界がどうか、ではなく世界がどうあるべきかを語り、その思想を世界に広め、全ての人間に上を向かせ戦う意志を持たせるのだ。人間には世界を動かすに足る、十分な力がある。
 なら何故世界がこの様かといえば、話は簡単で変えようとする奴が少ないからだ。なら増やせばいい。幾らでも、何億でも何兆でも増やすのだ。文字通り「無限に」それを増やす仕組みを作り、それを維持する心構えを後生に伝達し、後の奴が更なる発展を成せるようにする。
 私の物語も、まさにそれだ。あまりにもだらしないから、読者の顔面を殴り蹴り、叩き起こしてから無理矢理前を向かせ、嫌がろうが強引に現実を直視させ、変えたくない現状のままでいいと、恵まれたが故の身勝手な台詞を吐けないように、喉を斬り飛ばす。
 この程度、今まで貴様等が貪ってきた綺麗事のツケと考えれば、安いものだ。むしろ利子分しか回収できないだろう。必要とあれば悪意を脳髄に刻み込み、その心を改造し、信条の方向性を無理矢理変更させ、能力や環境による誤魔化しを許さない。本来であれば当たり前の事だ。
 単に幸運に恵まれただけだと、自覚したくないのだろう。だから全力で逃げる。戦いもせずに、栄誉を欲しがる。どんな能力や環境があろうが、決して他の奴には真似できない偉業を成し遂げてこそ、その当人の仕事だ。
 理不尽や綺麗事を口にするのは簡単だ。簡単であるが故に、そんな言葉に価値などない。泥水を啜り木の根をかじった奴こそ生きる資格がある。別に私も直接食べたりはしていないが、要するに最低最悪の気分で生きているかということだ。
 世界を直視すれば誰だって気分は悪くなる。
 私の場合、一周回って気分が最高になっているがな。理不尽を見ると笑いが止まらなくなる。
 楽しくて楽しくて止まらない。
 理不尽に張り合っているからだろう。誰だって敵が大金を担いで目先に現れればそうなる筈だ。どうこき下ろしてやろうかと、大きな獲物を目にした漁師のような気分、そのまま刃を振り回し、笑いながら戦い続け、灰になるまでそれを続ける・・・・・・我ながらどうかと思うが、今更変えられる在り方ではない。
 なに、最終的に金になればそれでいい。
 世の理不尽など、金で買ってやる。
 札束の前にひれ伏すがいい。
 人間が破滅する様も、人間が理不尽に打ち勝つ様も、等しく見応えがある。何なら出資して結果を知りたいくらいだ。それに値する奴などそうはいないが、金とはそれらを生み出す源泉だ。金の力で何をしたいかと問われれば、そういう奴が、世界中で増えるようにしたい。
 考えるだけで面白そうだからな。
 問題は、物語の売り上げだけでなく、その場合も優秀な「協力者」が必要になるという事だが、今考えてもどうにもなるまい。
 いっそ、一から育てるのもありか。
 優秀な難民の子供でも育てればいいのだろうか・・・・・・そんな奴が見つかれば、だが。
 滅びを良しとする馬鹿共では話にならないし、滅びを恐れる愚か者でも戦力にはならない。滅びを克服する力があるだけでも駄目だ。そんなのは延命処置どころか、現実からの逃げでしかない。私が欲するのは、灰になっても己を変えず、塵に成り果てても目的を見据え、この世から消し去られようとも、後に「何か」を残せる逸材だ。
 金で買う事は出来るが、向こうが売りにだすかは別だ。それに、適正だけでも駄目だろう。
  
 世界を笑いながら、悪を成せる奴が欲しい。
 
 この「最悪」と方を並べるなら、その程度などあって当然だ。更に先へ、果てを越えても尚先へと進み続け、個人では身に余る在り方を示し世界を変える事を前提として話す。必要最低限の資質だと言って良い。つまり、そこから始めるのだ。この「邪道作家」の歩く道をな。
 現状、まるでアテは無いが、やるしかない。
 いや、成し遂げるしか、ないのだ。
 いい加減嫌になる話だがな。
 私はマッカランという女がいるらしいパーティ会場へ足を運んでいた。都市中央部には製薬会社大型ホテルと並んでおり、そこに公共の筈である司法施設まで並んでいるのだから、どれだけ裏側が私利私欲にまみれているかは想像に難くない。 どれだけ発展しようと、同じだ。
 何も変わらない。施設が大きくなっただけで、その見栄えが更に派手になっただけだ。本質的に大昔からある踏襲を変えられないし、変える意志も有りはしない。大型ホテルでやっているらしいが、旅館で談合を繰り返した士族と違いなどあるものか。
 私はカードを示して中に入った。当然ながら、偽造である。本物など買ってられるか。それに、こういう金をかけているところに限って警備には金をかけるものの、その使い方はお粗末だ。私がその隙を見逃す訳がないだろう。
 本物より偽物の方が、単価では優れている。
 ならば当然、私はそれを利用するまでだ。
 ちらり、と私は建物を見る。
 入り口から無駄に金がかかっていた。何せ迎えのホテルマンが三人もいる。中に入ると新鮮な果物が並べられており(このご時世火星で作られた培養植物でない新鮮な食べ物など、宝くじの当たり波の金がかかる)どうやら無料で持ち帰れるらしく、チェックアウトを済ませる客が、両手一杯にその果物を手にする子供と楽しそうにこのホテルを出ていた。
 楽しそうに。
 その子供の笑顔を見て私が思うのは、その笑顔がある分だけ他で要らない労力がかかるのだろうという事だ。具体的には貧困、飢餓、奴隷などだ・・・・・・別に極端な想像をしなくてもいい。経済の恩恵を受けられず、連中のように果物を両手一杯に手に出来ない連中の事だ。
 そして、それを分けるのは「運不運」なのだ
 現実問題幸運に恵まれている奴に、敗北や失敗などあり得るのか? あったとして、持つ側なら幾らでも巻き返せる。買い戻し、倍額の実利を手に出来る。事実上敗北すらも「無かった事」に、出来るのだ。
 少なくとも連中はそう思っている。
 敗北を敗北だと思わないし、失敗を失敗だと、そう感じる必要などない。幾らでも誤魔化せる。幾らでもやり直せる。幾らでも都合良く出来る。そんな人間に成長は無いだろうが、現実に成長をしたところで、何の役にも立つまい。むしろ連中の持つ力が世界を動かしているのは確かな事実だ・・・・・・意志や言葉よりも、暴力と金だ。
 変えようのない、世界の事実。
 子供の笑顔を見てこんな事を考えるのだから、我ながら作家とは歪んだ生き物だ。いや、一本の芯があるからこそ、何に対しても誤魔化さず事実を見据え変えようとするのだろうか? だが現実には無駄な行いだ。誤魔化すか誤魔化さないか、見据えるか見据えないかは成果と何の関係もないのだ。幸運に左右される時点で、成果にしろ何にしろ底が知れるモノでしかない。
 ならば殺してでも奪わなければ。 
 殺され続けるよりは、殺して奪う方が現実的だ・・・・・・綺麗事にまみれて誤魔化し続けた人間が、幸福を掴む様など見た試しがない。勝利するには叩き潰し、搾取して、騙して奪い必要なら殺す。無論「合法的に」だ。企業も国家も殺人を常日頃から行っていながら罰せられないのは、単に法律を扱う側だからだ。守る義務が書面上だけで誰が守るというのか。実際には守る必要はあるまい。強制力がなければ倫理など守るに値しない。
 皆、仕方無くやっているだけだ。
 ふん、そういう意味ではいつぞやの教授の目的は、既に達せられていると言えなくもない。要は強制的世界平和を実現したいというのなら、現状既にそれは成っている。誰一人平和を作り上げてはいないが、平和を押しつけることで平和だと言い聞かせ、守らなければ罰し守らなくとも良い様に振る舞う連中だけは自由な世界。
 「自由」を「行使」した「結果」がこれだ。
 あるのは事実上の奴隷制度、それを扱う権力者が集う権力の都。暴力を持って押し進める権力の犬達と、それを受け入れさせられる民衆。そしてそれを「民主主義」だと教え込むマスコミ位だ。皆が皆、平和だということにして争いを避ける。そしてこう言うのだ。「真面目に生きれば良い事がある」と、情けない言い訳を繰り返す。
 あるものか、馬鹿馬鹿しい。
 エィティモルガンとかいう会社もその例に漏れないようで、企業理念は「社会への貢献」だとか「人工知能の革新」だとか「業界代表としての、使命感」という言葉を並べている。こういう会社があれば要注意だ。大層なお題目を立てなければ自身を大きく見せられない。言葉などで誤魔化し自分達が「綺麗」だと言い張ろうとする。
 だが実際に綺麗な奴が「綺麗だ」とは言うまい・・・・・・本当にそうなら言葉はいらない。見せれば相手が納得する。要するに、何か後ろ暗い奴こそ言葉を並べなければ「自分を誤魔化せない」からそう言い張るのだ。
 大層な夢を語る経営者は多い。
 実際、何度も見てきた。社会を変えたいだの、歴史の教科書に載りたいだの、大きな金を稼いでみたいなどと口にし、自分を大きく見せる。
 だが社会を変えたいなら社会全体に訴えかける方が早いし、歴史の教科書に載りたいなら教科書を書かせる方が早い。大きな金を稼ぎたいなら、稼げる奴に投資するか、法を踏み外しながらも、合法的だからと搾取するしかあるまい。
 少なくとも、連中に仕事が出来るとは思えないしな。ならばそれ位しか方策は無いだろう。
 自分を大きく見せたいだけ。
 ただそれだけの凡俗でも幸運さえあれば会社を率いて金を稼げる。だから勘違いする奴も増えるという訳だ。傍迷惑な話だ。そもそも世界を変えるとか口にする奴が、何故どいつもこいつも過ぎた富を持っている。富を手にした奴が、必ず世界を変革するなどと口にするのは、単に金を手にした事による「全能感」に振り回されているだけでしかないのだ。
 何もかも自由に出来て当然だと思っている。
 理不尽が形成する世界を、そんな自惚れに変えられる訳がないだろう。大体金で買えるのは売りに出されているモノだけだ。世界を買う事は可能だが、その売りに出されている世界が欠損品ではどうしようもあるまい。
 買えるとすれば、世界を買えられる奴か。
 いや違うな。世界を金の力で変革する事自体は可能だ。金の力で世界を買える以上、連中の目的は達成できる。ただ、連中の買おうとする世界は連中にとって都合が良い世界だ。とどのつまり、理不尽を知らないからこそ理不尽な力を振るえる奴には、当たり前だが理不尽を認知出来ない。
 見えないモノは変えまい。
 又聞きの道徳や倫理に従って、大金を費やして水洗トイレを増やすしかなくなる訳だ。金をどう使えばいいのか分からない奴は多い。金の本質を知らないからだ。本質などどうでもいい世界で、本質を知らないから使い方もわからないとは皮肉なのか何なのか。幸運な奴に限って考えなしだとするならば、幸運とは、頭に何も入っていない奴に天から降ってくるお情けなのかもしれない。
 その結果、連中が勝つのでは話にならないが。 天があるとして、仕事の邪魔なのは確かだ。
 神がいるとして、仕事が出来ないのは確かだ。 いずれにしろ役に立ちそうにない。これ以上は足を引っ張るなよと注意するのが精々だ。天と神は別物だが、どちらも対して役に立たないのは、やはり同じ事だろう。天の理が神の指針ならば、それも当然か。少なくとも人類史において、働く神などいない。仕事をしないから神だと呼ばれると言って良い。
 全能だとか人間では不可能な奇跡を成し遂げると言えば聞こえは良いが、その実、力が無ければ何も出来ていないと言える。超能力があるだけでそれ以外の取り柄はまるでない。金だけの金持ちと変わらないではないか。具体的に言えば肩書きだけの社長、現場を知らない重役、手を動かしたことがない頭領、本を書いたこともない編集者、流行だけの芸人、口先だけの自称プロ、そういう馬鹿共と方を並べている。それが悔しいなら仕事をしてみせて欲しいものだ。
 実際、神に会う機会があれば、是非聞きたい。 仕事はしているのか? とな。
 少なくとも成果は出せていまい。人間の世界を見る限り、連中が仕事をした成果がこれならば、そんな仕事はしない方がマシだ。
 どうでもいいがな。
 仕事もしない奴に興味などない。
 もし、働く神がいるなら、それはそれで会ってみたくはある。有能であればあるほどそういった行いから離れるのは常だ。そもそも有能であれば疑問を抱く事が稀だろう。理不尽に相対せず世界を変える必要もなく、それでも大層な肩書きと、後は実現する力と付随する豊かさが有れば、仕事以前に理不尽を見据える機会がまずあるまい。
 だからもし、人間を体験した神がいるとすればそいつはむしろ「幸運」だろう。本来知り得ない極秘情報を盗むに等しい。視点は大切だ。何せ、まともな視点が無ければ仕事が何なのかすら知らないまま終わるのだからな。もしそれを嘆いたり悲運だと心の中で引きずるのであれば、傲慢だと言えるだろう。
 そんなのは当たり前だと。
 そう考えるのが前提だからだ。
 理不尽に向き合う前提だ。
 いちいち小道で躓いた事を延々と悩み続けて、何になる。馬鹿馬鹿しい。逆に言えばそれだけ、今まで満たされた生活しか送らなかったのだ。
 うじうじしている暇があるなら、働け。
 話はそれからだ。
 そんな奴がいれば、だがな。
 ふと、逆の可能性も考えた。人間が神の視点を持つことはあるのだろうか? あったとしても、やはり私には無縁か。仮に全知全能を手にしたとして、やる事は「作品の宣伝」と「高速執筆」と「超一流の編集者」だろう。仕事として完璧以上の成果を出せる奴がいい。ただ言いなりになるのでは駄目だ。とはいえ、世界の運営だとか面倒な仕事、いや連中は成果を出さずとも良いのだから「つきあいによる遊び」とでも言うべき形だけの仕事をしなければならないのだろうか?
 ふん、いっそ成果を出せない神はクビ、そして人間でも悪魔でも使える奴を登用しまくり天下一の企業を作り上げるのも面白そうだ。少なくとも現行の神々は殆ど天を追われる事になる。仕事をしない神などただの穀潰しだ。一に仕事二に仕事三も仕事四も仕事五も仕事。その道のプロを養成する為に、あの世を作り替えるべきだ。肩書きに胡座をかいて仕事も出来ない連中を養うよりも、そいつにさえ頼めば望む仕事を必ずやり遂げるという人材を増やした方が役に立つ。
 神だろうが悪魔だろうが人間だろうが、仕事をやり遂げる人材は貴重だ。団子屋であれば最高の団子を作り、誰にも文句を言わせない品質を作り出せば、相手が何者だろうと配慮の余地はない。あるものか。仕事を成し遂げた相手に大きな口を叩くなど、何者であれ不可能だ。文句があるなら他を当たれ、とそう口にすればそれで終わりだ。 少なくとも団子は食べれない。
 何者であれ、同じ事だ。
 連中にモノを見る目がついているとは思えないので、私の場合作品を読ませた挙げ句八つ裂きにされるのが目に浮かぶがな。
 本の一冊も書けない奴に、期待すべくもない。 悔しかったら自伝の一つでも書いて見せろ。
 ふん、そもそもが能力差とは、目的に辿り着くのが楽になるだけのものだ。ある意味、目的さえ達成できれば不要ではある。達成した後になれば能力など邪魔なだけだ。使い道がない。才能などその最たる例だろう。
 要するに金だ。
 地獄の沙汰も金次第、ならば偉ぶっている連中でさえ、札束で叩かれれば従うという事だ。所詮その程度だろう。私の場合、金だけは貰いつつ、目的も果たすという我ながら器用な在り方をしているので、連中のように力に任せて金を要求し、札束を数えて笑う奴とは相容れない。
 そういう奴が絶望に顔を歪ませ利息はもう少し待って下さいと懇願する頭を踏みにじり、絶望を与えながら差し押さえるのが面白いのだ。
 相手が神でも悪魔でも、人間でもだ。
 まあ考えるのが楽しいのであって、まさか現実にそんな機会はないだろう。あの世があるとして間違いなく階級社会であり、力を持つ奴が都合を押し通すだけの、つまらない世界だ。そんな世界で差し押さえる機会など、あまり有るまい。
 無論、あったとしても何の責任も取らないが。 私はその場合、儲かっている訳だからな。他の連中が何人破産しようが、知るか。神が破産する様というのも、作品のネタになりそうではある。 検討しておくとしよう。
 しかし、私も随分遠くまで来たものだ。こんな風にあれこれ寄り道しつつも、結局のところ作家としての有り様を変えられずにいる。銀河の果てに身を運び、始末屋として刀を振るいながら考える事が「執筆」だというのだから、我ながら相当な偏屈者だ。
 まあ、何かしら賭けているモノがある奴はそういうものだろう。命を捨てるのは簡単だが、命を賭けた上で勝利する程難しい事はない。であれば偏屈者であるからこそそういった道を歩め、偏屈でない奴は最初から志さないだろう。逆に言えば偏屈者だからこそ辿り着く境地もある。
 その結果に金が付随するか、どうかだ。
 それが上手く行かない時、出来る事は精々一つか二つだ。根拠無く己を奮い立たせるのではない・・・・・・そう信じる事が肝要だ。己はやり遂げたのだと、そしてそれに対して金を支払えない世界の方が無能なのだと胸を張って見下し、威風堂々と己の在り方を示す。
 凡俗共に批判の嵐を吐き出させ、凡俗共が反対するのであれば、これは成功への兆しだと確信し行動を続け、それを根拠にする。
 つまり、己を信じるのだ。
 世界は信じる必要などない。何せ、これだけの成果をすぐ認められない愚か者を肯定する世界だ・・・・・・信じるに値しない。さっさと支払え凡俗の癖に手間を取らせるなと、叩いて直すか、殺して黙らせるかだ。実際、この私の傑作を認める事も出来ない世界など、何なら一度殺して作り直した方が、まだ健全だと言える。
 腐った駄作を垂れ流す世界など、殺すしかあるまい。一度、物理的に業界全体を破壊し、根本を作り直してこそ私の傑作を売り捌けるのかもしれない。だとすれば電脳世界を整理する必要がある・・・・・・駄作を排し傑作を取り上げ、作家が無駄な徒労を踏まずして働ける世界を作るのだ。
 問題は、そう作家としての在り方など、現代でなくとも本当に志す奴など、そうはいないということだ。実際、現代社会で「作家」と詐称する奴は多いが、詐称しているだけだ。寝ても覚めても物語に囚われ続ける奴が、取材を受けたり作品をアニメ化して喜んだり、あるいは対談を受けたりする訳がないだろう。
 いいか、良く聞け。作家に成り果てるにあたり必要な素質は簡単だ。
 
 まず、人間が嫌いである事。
 
 老若男女問わず、相手が何者であろうともだ。これは簡単だろう。作家であれば、生まれた時に持ち得ている資質だ。そんな腐れ資質があるから作家などに成り果てるとも言える。人間の文化は好きだが、人間に好意を持たず、自身が人間社会で所謂その「幸福」であれる未来など無いのだと確信している奴だ。漫画家ならともかく、作家で幸福な在り方など矛盾にも程がある。楽しそうに作家である事を語る奴は、すべからく偽物だ。
 まあその方が安上がりだがな。
 だからだろう。作家もどきが多いのだ。
 作家などロクなものではない。人間らしく生きられないから作家に成り果てる。それをまるで、人気アイドルであるかのようにはやし立てそれを受け入れる自称「作家」を見ていると、当然だが気分が悪い。作家が何かも知らない奴が、作家が何かを語ろうとするのだからな。
 仕事場で子供が騒ぐようなものだ。
 
 
 

 作家になれたと喜ぶ奴も、作家だからと何かを語り出す奴も、作家である事を誇りにする奴も、全て同罪だ。作家が己の職業を誇りに思うとでも思ったのか? 作品に対する自負はあれど、作家である事そのものを自慢する奴はいない。在り方として誇りを持つ事はあっても、社会的な地位に作家があると思う筈もない。誇りとは、肩書きではなく在り方から沸き上がるものだ。
 大体が作家である時点で人間嫌いであり、人間社会に馴染めない。そんな作家が、社会的に成功した人間だとでも思い込み、作品を書き上げれば書籍を出せると、作品を出して作家だと呼ばれる事を喜ぶなど、愚かしいにも程がある。
 その頭には何も詰まっていない。
 間違いない。何せ、作家である事を成功の証か何かだと自惚れているのだからな! 作家であるという事は、人間である事を手放すという事で、この世のあらゆる善性を否定し、人間の悪性のみを認識し、倫理も道徳も捨て去り嫌だ嫌だと筆を動かす事に苦痛を覚えながら、飽きもせずに筆を取り続ける事だ。
 そういう奴を指して「作家」と呼ぶのだ。
 作家が笑うとすれば、大好きな人間の醜悪さを作品のネタに出来そうな時か、読者共の苦痛か、己の傑作を誇る時だけだ。
 たかがその程度、むしろ生まれた時から出来なければ困る。最初からそこまで歪んでいるから、人間に馴染めず作家など志すのだ。何度も言わせるな。作家など、ロクなものではない。作家なら当然のように、当たり前の幸福を敵視し、それが手に入らない事を容認する必要がある。
 家族が死んで笑い、友情が崩れて楽しむのだ。恋人が出来れば損得のみで勘定し、結婚するならいつ頃相手がそれに飽きるかを考え、人間の感情を一切、信じない。愛だの恋だの叫ぶ奴は多いがつまり現実に直面してどう砕け散るかを知ろうとする。共感しないどころか、実験対象の昆虫でも見るかのように、人間を認めないからだ。
 少なくとも、連中の歌う「人間性」に関しては・・・・・・殺人は行うだろう。奪い争い競い合う事は多々ある。だが、人間が人間を愛し、誰かの為に行動するというのは、現実にはただの愚か者か、一時の感情に酔っているだけの奴だ。都合の良い人間性を信じるだけなら簡単だ。現実には理不尽が空を覆い、そういったものでも信じなければ、生きる事が苦しくなる。
 だが、それでは世界の理不尽を暴けない。
 だから、直視するのだ。愛も恋も友情も信じず世界の悪意だけを信じる。あらゆる救いを妄想だと笑い飛ばし、生け贄で成り立つ平和を貪れる、汚らしい綺麗事の人間性を確信する。世界の現実から目を逸らしている連中に、人間とは本来そういうものだと無理矢理にでも教え込ませる為だ。 悪意だけが人間だ。
 殺人だけが人生だ。
 奴隷だけが平和だ。
 そして、希望と呼べる人間性の素晴らしさなど物語の中にしかないのだと、その事実を広め刷り込み世界から「汚らしい綺麗事」を駆逐する。
 世界中の全ての読者が、人間を信じないように教え込むのだ。無作為な希望、妄想に等しい救済もそうだ。有りもしない何かにすがりついているだけで、事実と何一つ向き合っていない。それで世界を変えられると思い上がっている。残念だがそこまで世界は優しくない。理不尽が雨より降り注ぎ、何一つ成長しない人間社会の中で、祈りや仲間意識だけで何かを変えられると思う思想が、既に罪深いのだ。そんな暇があるのであれば経済を回し社会を組み替え世界に示して理不尽と戦わねばならない。少しでも世界をマシに出来るよう仕事を通して示すのだ。
 そんなのは、当たり前の事だ。
 とりあえず私に言えるのは、現代社会で作家を名乗る連中は、その殆どが斬り殺した方が世の為人の為ひいては私の為になる連中だという事だ。余裕がある癖に作家を詐称し、物語に取り憑かれてもいない癖に作家を語るような奴は、働いてもいないのに仕事が何であるか語るに等しい。
 仕事とは、当人だけが自覚するものだ。
 周囲に認められる方が有り得ない。何があっても己を信じ、苦しみ抜いてそれでも仕事を続け、吐き気をこらえて仕事を成し遂げる。
 その横で、都合良く仕事を利用する奴がいる。 切り捨てられても文句は言えまい。
 侮蔑罪だ。袈裟切りか首を飛ばされるか、好きな方を選ばせてやる。無論、どちらを選んでも、必ず死んで貰うがな。
 その意味では、私が今回潜入した会場の中にもその手の輩は多かった。電脳世界で商品を売っているだとか、運送業で財を成しただとかだ。私が思うに、共通するのはその当人の必要性が皆無であるという部分だ。立場だけ上に立ち、相応しい仕事など当然せず指示を出すだけで、あまつさえ富を独占し「素晴らしい成功者」であろうとする・・・・・・小汚い綺麗事の世界で、上に立つ人間とはそういうものだ。
 上に立つ資格がないから上に立つなどと。面白くもない。だが「事実」だ。上に立つに相応しい奴がいたとして、上に立てないのが現代社会だ。金、人脈、権力、暴力、政治。とにかくそれらは人間性が汚ければ汚い程、汚物であればある程、分不相応な力を手にする。
 世界を見渡せばわかる話だ。
 逆に、理想を追い求める連中こそ、妥協を強いられ理不尽に屈する。尽くすに値しない幕府に尽くさねばならず、信義を通し戦い抜いたところで歴史そのものが敵に回る。仮に、世界を動かす奴がいたとして、そいつが神だと呼ばれるならば、その神とやらは汚らしいゴミを支援し、戦い抜く人間の足を引っ張るのが好みのようだ。
 あの女に言わせれば、神の愛とは試練から来る成長であり、愛するからこそ鉄を叩くみたいな事を言っていたが、それは叩く側の屁理屈だ。
 叩く分には自分は痛くない。
 無論、私は違う。私の作品で物理的に痛みなど無いからな。心を抉り読者を洗脳して生物淘汰を行うだけだ。何より、私は読者が痛かったところで別に構わないので、叩いておきながら善人ぶる連中と、一緒にされたくはない。いいか良く聞け・・・・・・死んだ方が良い人間は幾らでもいる。
 ゴミ掃除みたいなものだ。そもそも人間として何も示せていないのだから、人間ではないと考えられなくもない。それに、だ。大切なのは法律に抵触するかであって、法に触れない殺人は全て、合法だと言うのも人間社会の業だ。
 あの世で裁きがあるならこう答えよう。
「貴様の裁きは法に則ったものだ。私の殺人行為も法に則ったものだ。それに問題があるならば、貴様のやり口にも問題があるのではないか?」
 とな。
 法を無視して裁きを行おうとするのであれば、それはただの暴力だ。勝てるかは別として、従う義理はどこにもない。逆に、法に則るのであれば私は殺せない。当たり前だ。私はただ単に、物語を通して読者共の心を抉り、精神を書き換え道徳を信じられなくして、全ての悪意を無理矢理直視させた挙げ句、不要な人間など生きられない世界を読者共が率先して作り上げるよう、物語という仕事の成果を通して誘導するだけだ。
 何一つ違法ではない。
 結果として読者共が暴動を起こしたとしても、私は法的には「被害者」だ。つまり金を貰う側であって、支払う側ではない。
 被害者、良い言葉だ。
 ただそれだけで金を毟り取れそうな響きがするではないか。被害者はすべからく、立場を利用し相手が廃人になるまで追い詰め、鬼の取り立てで全ての財産を没収し、残りカスになった加害者を踏みにじるべきだ。人間社会ではどういう訳か、殺されそうになれば殺しても構わない。
 正当なる防衛であれば、殺人は許されるのだ。 これも、汚らしい綺麗事の弊害だろう。殺人は殺人だ。いや、蟻を潰そうが人間を潰そうが命の価値とやらは変わるまい。命の価値に差をつけるなら、尚更大抵の人間は代わりが効く。代わりの効く人間は幾ら死んでも構わないが、重要な人間だけはそれら大勢が死に絶えても守り抜くというやり方が、現代社会では主流なので、少なくとも人間は「命の価値の差」を容認しているのだ。
 そして、哀れむべき、悲しむべき命であれば、「可哀想」だから許される。身勝手な憐憫というのは「全能感」を向ける側が味わえる。だから、この全能感溢れる自分が哀れむのだから許されるべきだと、そう思いたがるのだ。如何に自分達が素晴らしい人間性、道徳、倫理を兼ね備えているのか自慢したいと考える。
 誇らしげに語るのだ。
 見下して、都合良く相手を利用しながら、そう思い込む。そして都合良い部分だけを租借して、自身が素晴らしい善人であると確信する。
 世の善意など、そんなものだ。
 ただの身勝手な思い込みに過ぎない。向けられる方は、良い迷惑だ。貴様等は猿人の相手をして疲れないのか?
 猿同士ではわかるまいか。
 目の前の人間すら見えないからこそ、善意などを振り回すのだしな。善意を誇る奴は、話す事は出来ても「対話」は出来ない。自分の思想の中の正しさしか、見えていないし見る気がないからだ・・・・・・語るだけ無駄だ。どれくらい無駄かと言うなら、そうだな。ありもしない平和を語る癖に、世界に対して何一つ行動せず、道徳や倫理に従う言葉しか語れない奴が、こんな自分でも、いつか世界を変えられると信じたい! などと口にする愚か者の思想程には、無駄だ。
 つまり、何の価値もないゴミだ。
 何の説得力もない。
 世界の悪を知らない奴に、悪で溢れる世界の何を変えられるというのだ。馬鹿馬鹿しいにも程がある。「永遠に実現しない理想」をいつか叶えるのだと・・・・・・楽な人生で羨ましい話だ。実現する為に具体的な行動を起こし、組織を作り金を手に入れ世界を動かしているならともかく、理想だけ掲げて具体的な方策を練らず「ただ道徳的に正しそうな道を歩く」だけでは、暴力を振りかざし、反論する奴を殺しているのと「結果同じ」だ。
 つまり殺人鬼の方がマシだ。
 正義の世直しでもしているつもりか? だが、その世直しも結局は暴力で行われる。何の価値もない行為だ。結局のところそういう汚らしい綺麗事というのは、誰かを救う為と嘯いて、自分の心を慰めたいだけなのだ。だから、具体的な方策も練らず適当に行動するだけで満足出来る。
 満足してしまうのだ。
 恐らくはそれを、死ぬまで繰り返す。何の成長も無いが、本人はそうは思わない。仲間と協力し成し遂げた、と思い込む。現実には何もしてないのだが、そう本人は思いたがり、それを止める奴もいない。
 だから、汚らしい綺麗事だけが蔓延する。
 ウィルスのようにな。
 それを考えれば最悪など優しいものだ。私は、そういう連中を皆殺しにしてでも、私が住み易い世界を作りたいだけだ。言ってしまえば、奉仕の精神から来る社会貢献に過ぎない。世のゴミ共を掃除してやろうというのだ。誉められこそすれ、責められる謂われはない。
 なので、仮に今回の依頼を果たそうとする結果として、このパーティ会場にいる全員が死んでも私は構わなかった。というか、出来ればそういう展開に持って行きたい。生きているだけで経済を不活性化し、汚らしい綺麗事を蔓延させる黴菌に等しい連中だ。誰だって汚れは綺麗にするだろう・・・・・・私はそれを、法律には抵触しないやり口で行うだけだ。
 なに、私が仕掛けた爆弾が、私がホテルを離れてからうっかり、爆発する事もあるかもしれないではないか。それは事故だ。少なくとも、証拠は一切残らない。あの世があるとして、裁きがあるというなら、「そんなつもりはなかった」とでも言っておくとしよう。意志の証明は地獄の裁判官でも出来はしない。相手の意志を決めつければ、それこそ「冤罪」ではないか。
 私は被害者だ。そう、ただ少し威力のある爆弾を仕掛けるかもしれないだけで、それは爆破して誰かを傷つけたいのではなく、ビルの解体作業を手伝いたいだけだ。ビルの解体作業を資格無しで手伝うのは違法だが、責められる程の事ではない・・・・・・悪いのは、そう、運が悪かったのだ。
 私が爆破する時に、まさか都合良く社会のゴミがいるなどと、あまり思わなかったのだ。とでも言っておこう。大体が、そういう連中を野放しにしているあの世の連中に、大口を叩かれる覚えはない。文句があるなら仕事をしろ。偉そうに振る舞うあの世の連中がいるとして、そいつらが仕事をまともに出来ていないから、こちらの世界では迷惑を被っているのだ。
 要らない魂はさっさと処分しろ。
 人間は多過ぎる。仕分けをしていないあたり、やはりあの世の連中は「仕事」をしていないし、仕事をしていると思い込んでいるだけだ。それを指摘する立場の人間がいないだけで、大した成果も示せない癖に、立場と態度だけが大きく肥大し調子に乗った愚か者に過ぎない。
 あの世の支配者がいるなら聞きたいものだ。
 成果を出さずに済む仕事とは、随分楽なお仕事ですなと、鼓膜が破裂するまで聞いてやろう。
 なに、聞くだけなら金はかからない。
 まして、幾ら痛いところを聞くからと言って、それを処罰する訳にも行くまい。胃腸に穴が空き苦しみに悶え、泣きながら土下座してもひたすら語りかけてやるとしよう。如何に代わりの効いてしまう歯車か、どれだけ無能で成果を出せない奴なのか、いるだけでどれだけ周りに迷惑をかけているのかなど、私の口が休まる事はない。
 私か? 
 代わりは、まあ効くまい。代わりが効くような話など書いていない。幾ら何でも無理だ。全能の神がいたとして、私の作品は書けまい。
 性格の悪さが桁違いだからな。
 成果に関して言えば、本来私が出すのではなく編集者が出すものなので、責任感ではなく無駄な徒労を行っている疲れだけはある。とはいえ私は要領の良い方だ。何とかそれも、やっていける、と思いたい。
 周りへの迷惑、か。知るか。そんなものを考えるなら、作家はすべからく生まれた時点で自殺をしなければならないではないか。それに、周囲に迷惑がかかればかかるほど、私が儲かろうというものだ。何ら問題はない。むしろ、大いにかけるべきだ。
 その方が儲かるからな。
 周囲の都合か。ふん、そうだな。考えたところで金にならないので、正直どうでもいい。だが、それでも考えるなら・・・・・・どう迷惑をかければ、更に儲かるかには興味がある。要はやり方なのだろう。かける事が合法であり、動かし続ける力を維持できるのであれば、それで問題ない。
 搾取するにも、要領よくやらねばな。
 何であれ、大切な事だ。倫理や道徳、汚らしい綺麗事などより、余程役に立つ。
 世の中そういうものだ。
 思うに、作家に限らず「何かに成りたい」と、そう考える時点でズレているのだ。成りたいから成れるのではなく、成るべくして成る。その辺は運命と同じだ。いや、この場合運命の一部がそう出来ているだけだ。それを変えるなら生きたまま生まれ変わるしかない。
 とはいえ、私でさえ最初から作家としての素質があった。素質の有無と言うより、単に人間としての素質が無かったとも言えるが、とにかくだ。生まれた時からある資質、あるいは環境や能力差に左右をされない「何か」があるとすれば、個人としての性格に他ならない。どうだろう。もし、仮に私が善良な人間として生まれていれば、私は作家に成らなかったのだろうか?
 答えは否だ。
 そもそも、善良である時点で私ではない。私は生まれた時からそういう奴だったが、それを良しと笑った上で更に切り込んだ。素質としての善良さなど、どうにでも変えられる。私が私の目的の為に動けば、一瞬で吹き飛ぶ紙の城だ。むしろ、表向き善良でありながら、裏で行動するだろう。つまり、今と何ら変わりない結末だ。
 素質としての善良さを兼ね備えたところで性格がそれを拒否するのだ。それはそれこれはこれだ・・・・・・善良さに共感しつつ、結局は非人間として執筆を行うだろう。環境に恵まれ豊かな道のりを歩んだとしても、性格が最悪なのだから綺麗事を楽しめる筈がない。人間性を否定しながら生き、そして死ぬまで、いや死んでも戦い続けるのだ。 それが「私」だ。
 邪道作家としての有り様だと言える。
 どんな状況下であれ唯一選べる選択肢だろう。性格だけは周囲に影響されない。もしされるなら私はもう少しわかりやすい善良さを兼ね備えて、綺麗事をある程度受け入れていただろう。だが、現実にはそんなことはなかった。つまりそういうことだ。
 そんな私からすれば、このパーティ会場にいる連中は酷く、薄っぺらく思える。今までの人生で何も成そうとせず、誰も彼もが替えの効く人生であり、その人生は何も成し得ず燃え尽きる。存在そのものが無駄だ。世界における「余分」があるとすれば、それは連中だろう。 
 生きられるから生きているだけだ。
 豊かさを利用して生きられるから、息を吸って吐いているだけで、そこには当人の意志すら含まれない。その場その場の感情に従い、見栄や虚栄を良しとして、その癖道徳的で善良で素晴らしい成功者だと誉められたがる。何がしたいのか当人ですら、分かっていない。
 いてもいなくても同じ、ではない。
 いるだけで邪魔だ。こういう連中こそ、人類が滅ぼすべき敵対者だ。社会のゴミを放置し続ければ社会が腐るのは当たり前だ。率先してこういう連中を殺し尽くし、その為の法案を通すべきだ。社会のゴミを殺す事を合法化しなければ、ゴミが増え続け生物淘汰は行われず、いつまで経っても同じ事が繰り返されるだけだ。
 綺麗事を言わずに殺せ。
 不要な命は幾らでもある。不要なゴミを捨てる事に、何の拒否感がある。役立たずの命を燃やし使い捨て先に繋げろ。貴様等の小汚い綺麗事で、世界の何が変えられた? 信念は理不尽を変えられたか? 理想は実現し戦争は消えたか? 環境の破壊は会話で止められたか?
 何一つ成し得ていない。
 理不尽は罷り通り、理想は暴力と金で実現し、環境の破壊は幾らでも行われる。それが現実だ。貴様等が頭の中で幾ら絵空事を並べようが、現実は違う。貴様等と違って実用性の高い暴力を駆使してでも、目的を果たそうとする。当たり前だ。現実に事を成すなら、結局は力が全てだろう。
 争い奪い、殺し合え。
 それをしなければ奪われるだけだ。
 後の事など殺してから考えろ。死体から幾ら金をはぎ取れるかを計算しろ。上っ面の善意の裏に何があるのかを考えるのだ。この世界に優しさは存在せず、暴力のみが全てを通し名を変えて権力だの政治力だのと呼ばれるだけである事実を認識するのだ。
 労働者が何故搾取されるのか? 弱いからだ。人間社会では弱ければ殺されても文句は言えず、力があれば殺人ですら合法だ。必死に戦おうとも力がなければ敗者であり、力があれば素晴らしい成功者、勝利者だと呼ばれる。努力の勝利だと、都合良く脚色した上で、それが正義の行いであるかのように、演出するのだ。
 ただの「事実」だ。
 それら理不尽を容認するのが、貴様等の信じる綺麗事の上で成り立つ社会でもあり、力を持ち、自分達こそが「人間性の具現」だと思い上がっている、愚か者の代表者の心情でもある。表向きは綺麗事をほざくが、その綺麗事を信じる馬鹿共を搾取し、まるで「真面目に生きていれば良い事は必ずある」かのように洗脳する。結果、真面目に生きて真面目なまま死に、搾取され続け残りカスとなって消え去るのだ。
 所謂「社会的成功者」に多いのだが、成功は己の努力が報われたからであって、他の人間も同じ努力をすれば、必ず幸福になれると口にする。
 まさか、そんな訳がない。
 幸運に幸運が重なっただけでも、まして能力に恵まれ対した理不尽も経験しなければ、自惚れるのも当然だ。その場合、私とは違ってこの世界の全てが善良なモノに見え、因果応報全ての行いは帰ってくるから、もし自身以外に成功出来ない奴がいれば、それは「努力が足りないから」だと、そう思い込む。
 そう思いたがるのだ。
 その方が都合が良いからだろう。困難を克服し努力で信念を押し通した、かのように思えるではないか。現実にはそういう順当な成功など、幸運に恵まれなければあり得ないし、少し考えれば、それが幸運に起因するものだとわかる筈だ。だがそれを認めたくはないし、認める気もない。
 大した労力を賭けずに「自分を確立している」と思えるからだ。実際、楽だろう。何せ定型文を書かせるだけで、その成功法則を信じ金を支払う馬鹿な読者はどこにでもいるからな。後は連中に読ませるだけだ。そうすれば、信念で理不尽を拝した英雄の誕生だ。
 現実にはただ恵まれただけの奴だが、力を持つのはすべからくそういう奴だ。持つか持たざるかだけで、世界の命運も変えられてきた。
 まさか、意志の尊さで変えられる訳があるまい・・・・・・その意志に付随する「暴力」が優れていただけで、別に意志そのものは何でも良いのだ。
 それが、汚らしく綺麗かどうか、それだけだ。 大量虐殺と何ら変わりない。
 どちらも暴力で事を進める以上、同じ事だ。
 人間性など所詮その程度。であれば必要に応じ使い分けるのが道理だ。最近はその頻度がかなり短くなってきている。例えば、コーヒーだ。私はコーヒーを嗜み味わっている、かのように楽しむいわば「人間ごっこ」をしていたのだが、健康に悪いらしいという理由だけで切り捨てた。今まで何年も飲み続けていた癖に、だ。
 厳密に言えば脳細胞を活性化するのはいいが、常日頃から使い過ぎると慢性化し麻薬患者がそうであるよう、止める際に血管の収縮が起こり激痛に苛まされるので、結果頭痛や体調不良が起こる度に飲まなければならないという悪循環に陥る。執筆を行う時にたまに扱うか、ノンカフェインを使用するしかないだろう。
 普通、人間はそんな理由で止められない。
 止めるに止めなかったり、あるいはそれを良しとして妥協するのが人間だ。その方が人間らしいと言える。元より人間性など無縁ではあったが、最近は人間の物真似すら疎かにしがちだ。案外、私は更に人間性から離れて行っているのかもしれない。どこに向かうかは知らないしどうでもいいのだが、出来れば金になる道のりであって欲しいものだ。
 パーティ会場には満たされた顔の人間ばかりが目に付いた。当たり前だ。人工知能関連の技術は金になるというのもあるが、こうしてパーティを開き祝いあいながら造形の整った美男美女を雇う事が出来るのは、搾取し既得権益を啜り美味しい思いをしている奴に限られる。
 こういう連中を見る度に思うのだ。
 言葉に力などなく、力を持つのはそういう連中が持つ「幸運」であって、本人の意思や行動など何一つ結果とは関係ないとな。少なくとも、私の目に映る会場の連中に、意志や行動が伴う奴などいないだろう。意志や行動がなかったが、幸運があったからこそ連中の栄華がある。
 それが「事実」だ。
 事の善悪や、その過程における意志の有無など敗北者の遠吠えに過ぎない。教授の言う言葉の力など、綺麗事の理想もいいところだ。あの教授は変なところで人間を信じたがるが、現実には人間の力などありはしない。物語の中だけだ。まさか物理法則を覆せるとでも言うのか?
 馬鹿馬鹿しい。
 生まれた時から持っていて、しかも順風満帆に過ごした挙げ句、若くして成功し、文字通り何もかも手に入れた余裕ある表情だ。だからこそ苦難も苦痛も苦境も無縁な、持つ側の面構えだ。実に忌々しい。
 この場で全員切り捨ててやりたいが、やるなら合法的にだ。死んでも困らない、というか死ななければ迷惑なゴミの掃除をするにあたって必要になるのは「間接的手段」に他ならない。要はバレなければいいのだ。人間社会は大昔からそうできている。法律に則れば搾取して殺しても良いし、バレなければ政治に裏金を持ち込んでもいいのだ・・・・・・そして、権力があれば隠す必要すらない。誰もが知っている、当たり前のことだ。
 散々それをやってきたのだ。私がそれを連中にしたところで、文句を言われる筋合いはない。
「先生、調べておいた情報が来たぜ」
 こっそりと人工知能のジャックが私の携帯端末にデータを受信する。こんな会場で違法人工知能を持っていると知れれば大問題なので、私は慎重に端末を開いた。見ると、マッカラン女史が大勢の前で講釈を垂れる姿が映し出されていた。彼女は単純な思想家ではなく、どうも具体的に計画を進め、それに対して支持を受けているようだ。
 合理性がやたらと目立つ内容だ。人間と人造の生命体の違いを引き合いに出し、如何に人工知能が優れているか、それを見習うべきかが書かれている。私は、生物淘汰を行わなければならないと考えてはいるものの、それは、あくまでも人間の意志によってそう向かわなければならないのだ。機械に指示されるのでは、本末転倒だろう。
 相容れそうにない女だ。
 女は聡明であるが、理論で現実を計ろうとする奴が多い。少なくとも私のように目に見える成果が確約されない生き方はしないので、それなりに無駄なく目的地を目指すからだ。だから実行して危険性を確かめるよりも、先に危険性を理論の上で排除してから実行する。科学者や管理業務では大成するが、不安定な生き方は向いていない。
 いや、不安定な生き方に向く奴などいないか。 そうだと分かっているのに他に道がないだけだ・・・・・・無論、経済のあおりでそれを強いられる女はいるが、自発的にそれを目指す事はない。
 作品を何冊も書き上げ売れない売れないと叫びながら、売る方法を探し売れそうな奴に金を出し結果売れないどころかまともな仕事もされず金がなくなるような生き方など、そうでなくとも御免だろう。私も御免だ。未来や子供について真面目に考える女も絶滅危惧種に等しいので、経済的な理由だけで子孫を増やし、途中で飽きた挙げ句、子供を殺して捕まったりする奴は、最近では男も女も多くなって来ている。
 危険を避け妥協で過ごし、綺麗事の夢想だけは口にする。いつも言っている事だが、そんな人間は「生きている」とは呼べない。むしろ、全力で「生きる事から目を逸らす為」に行動していると言えるだろう。何が言いたいかといえば、そんな不燃ゴミ共が幅を利かせる世界など、生物淘汰を行い掃除するのは善悪以前に「必要不可欠」だということだ。
 綺麗事の善意で世界を語り続け、結果そういう馬鹿共を増やしてきた。だがそれは放置して良い問題ではないし、当たり前だがわかりやすい悪業より問題だ。殺人行為を許さない癖にわかり難い問題は避けようとする。解決する手段が無いから「変えたいが仕方がない」と行動もせずに諦めるのだ。その一方で、自身を慰める為に「正義」のような何かを行う。自身が何も出来ていないと、そう認めたくないからだ。下らない自己満足で、「小さいけれど世界を変えている。大義名分などより小さな積み重ねが大切だ。世界の事はわからないけど、目に見える人々の涙を見逃せないし、そうやって他者を踏み台にするやり方は間違えている。もっと良い方法がある筈だ」とほざく。  馬鹿を言うな。その結果がこれだ。
 大体、自己満足に価値などない。現実に世界を変える力が必要だ。善悪でそれを語り世界に挑みもせず犠牲は良くないと語るのは、結局は現実に向き合わず、逃げているだけでしかない。現実にその情けない言い訳で、世界の理不尽が手加減をしてくれるとでも思い上がっている。
 前線で争いは何も生まないと口にするのだ。
 言ってしまえば、戦いを挑んでもいない奴が、戦いについて語り出すようなものだ。あれこれと理屈を並べ立て、実際に行動もせずに綺麗事だけを口にする。理不尽の一つも体験した事のない奴が、理不尽は変えられると自惚れてな。
 冗談じゃない。いい迷惑だ。
 そんな台詞は戦い通してからにしろ。鬼の副長程度には敵を叩き切ってからほざけ。まあそんな人生を送れば安い台詞など出ないだろうがな。
 
 戦って、戦って、戦ってから死ね。
 
 どんな戦いでも構わない。何にせよ何かを語る資格など、戦い抜いてから考えろ。死すれば死体を起きあがらせて戦い、灰になれば灰を燃やしてでも戦い、魂になれば呪ってでも戦え。腕が無ければ足で戦い、足もなくなれば口で戦い、口すら無くなれば体当たりでもしろ。芋虫のように身動きが取れなければ、眼力で睨み殺せ。
 とにかく殺せ。
 理不尽を、見据えるべき敵を殺すのだ。殺して殺して殺し尽くせ。
 敵がいなければ探し出してでも殺せ。敵が多ければ策を弄してでも皆殺しにしろ。敵が強ければ一撃ではなく、長期戦の中で殺す方法を考えろ。 そこから逃げる奴に、生きる資格などない。
 何であれ戦いはあるものだ。そこから逃げて、その癖能力だけはある馬鹿は多い。なまじ恵まれているから、全力で戦わずとも豊かでいられる。だから口だけは動かしけれど戦う事はしないのだ・・・・・・それで自分の事を「善良」だとでも思っている。冗談じゃない。生きる事を放棄している奴など、大罪人と同義だ。
 世界に理不尽はある。全ての人間は救えない。それを否定するのは簡単だ。しかしそれは現実に目を向けていないだけで、本質的にはその理不尽を、何一つ変えようとすらしていない。理不尽はどうにもならないから、ああであるべきだこうであるべきだと理不尽に挑み変革を望むのではなく「理不尽の側」が変えるべきだと、図々しくも、ほざくのだ。
 いい加減にしろ。
 年だけはあるが何一つ成長せず、理不尽を見もせずに、「世界の側の義務」だけは叫ぶ。こんな連中と同じ、いや幸運の有無でそれ以下の立場に甘んじなければならないなど、悪い冗談より酷い・・・・・・悪い冗談である現実を見据えもしない奴が被害者ぶりながら実利だけは貪ろうとする。
 うんざりだ。 
 早急に生物淘汰を行いたいものだ。不要なゴミは処分しなければな。それが人間であれ、同じ事だろう。善悪ではない。むしろ逆だ。
 雨が降る事に善も悪もあるまい。 
 同じ事だ。人間社会全体で誤魔化しているのは天候を操作し、雨を先送りにしているに等しい。後になってツケが回ったときに「理不尽だ」と、そう叫ぶ権利など無いのだ。その現実を勘違いし不当な行いだと思い込む馬鹿が多過ぎる。ふん、永遠の夏休みの中にでもいるのだろう。
 それと同じ事だ。
 常に氷河期な私とは随分な違いだ。いや氷河期どころか生命すらいない。氷すら存在しない何もない世界だ。何もない。連中のように誤魔化す力など、あろう筈もない。嫌でも理不尽と向き合い克服しなければ、明日はない。連中みたいに現実を誤魔化して、未来を夢想と置き換え、下らない綺麗事に耽溺出来る楽な人生など羨ましい話だ。 暇そうで羨ましい。
 仕事の一つもしなくて済む。
 当然、皮肉だが。
 この世全ては悪で出来ている。生きる上で他者を殺し奪うのは当然だ。何も殺さずに生きられるなど有り得ない。生きる事が悪であり、生まれた時点で悪を背負う。だが、それでも己の悪を笑い生き通せれば崇高だ。
 見るべき価値が、そこにある。
 たかだかその程度を知らない馬鹿が多過ぎる。 何であれ誇るべきだ。全ての行いは悪であり、全ての悪は人間の中にある。なればこそ、それを楽しめなければ嘘だろう。
 張り合いがあるではないか。
 正義などという世界に後押しされた退屈な立場よりも、世界を真っ向から敵に回す悪の方が絶対に面白い。やはり悪だ。私の探しているネタは、まさにそれだろう。どうせなら圧倒的な奴がいい・・・・・・全てを敵に回して尚高笑いを続け、この世全ての悪人を魅了し、この世全ての善なる何かを悪の威厳だけで屈服させる。とりあえず最低限は欲しい素質だ。
「鏡見ろよ」
 会場から一時的に離れ、休憩スペースで今回の依頼を通して得られる実利についてジャックの奴と会話していたのだが、とりあえず私は
「・・・・・・貴様の携帯端末の背景を、明日から般若心経に変えてもいいんだぞ」
 と脅した。
 人工知能に対する脅迫行為が罪に問われるのかは知らないが、言える事は一つだ。
 バレなきゃ犯罪じゃない。
「へいへい、先生は悪人呼ばわりが駄目な人には見えないけどなぁ。何が気に障るんだ?」
「確かに私は最悪だが、だからって、作者取材を最初から諦めてどうする。多分いないとは思うが・・・・・・いないなら作り上げればいい」
「その発想が最悪の証だけどな」
「やかましい。とにかく、夢も希望も面白味すらない台詞を吐く前に、もうそれなりで良いから悪としての矜持を持っていそうな奴を捜せ」
「いるのかねぇ、そんな奴」
「おい、貴様は直接動かなくて良いから構わないだろうが、私はこれからそういう人材も探さねばならないんだぞ。やる前からやる気が失せる台詞を吐くんじゃない。いいか、ただでさえ作家とは面倒な回り道ばかりした挙げ句、大した実利すら手に出来ずに敗北だけを味わい続け、世界の負債を数えながら馬鹿な読者共に本を売る無駄な労力をかけなければならない腐れ職業だ。そんな腐れ職業だというのにだ。やる前からやる気の失せる台詞を吐くな! 私が疲れるだろうが」
「本音はそれかよ」
「当たり前だ。他に何がある?」
「・・・・・・ま、これもお仕事だ。やらせて貰いますよ、先生。けど実際いないと思うぜ? 悪意ってのは作り出すんじゃなく生み出すものだ。無理に作り上げたところで、どこか歪んじまうもんさ」「ふん、それもそうだ。だがな、理屈は知らん。私は楽がしたいだけだ。悪意とは、突き詰めれば「世界に対する刃の形」だ。大きければ大きい程鋭ければ鋭い程見応えがある。持ち手になってもそれを見る面白さは味わえない。世界最悪の自負があるからと言って、貴様は面白い映画を見ずに過ごすのか?」
「逆説的に自分が最悪だとは認めるんだな」
「さて、少なくとも、いつも私が口にしている事だが・・・・・・違っても責任を取るつもりはない」
 後になって金を請求されたり責任を追及されるのは御免被る。
「いやだから、そういう考えが最悪なんだろうぜ・・・・・・ところで、俺なんかどうだい?」
「何がだ」
「分かってる癖にいけずだねぇ。「悪人度合い」があるとして、俺ってどの辺なの?」
「そうだな」
 答えるのに二秒もかからなかった。
「悪意は申し分ない。悪に純度があるのか知らないが、あるとすれば最高純度だろう。とはいえ、それはどちらかと言えば「本能的な悪意」なので私が探しているのとは違うな。面白くはあるから見ていて飽きないが、貴様は「存在が悪」を地で行っているが、言ってしまえばそこにあるだけで悪意を振りまく存在であって、悪意の力で世界に挑む存在ではない」
 種類が違うのだ。
 それはそれで面白いが、物語向きではない。
 強烈な指向性を持つ悪とは、対極に位置する悪と言える。逆に指向性を持たないからこそ、その悪意は希有な資質を持つ。悪の聖者足りうるのだ・・・・・・その悪意で戦うのではなく、悪の力で道を示せる。存在そのものが悪であるが故に、こいつはその悪性で、見えない部分を剥がせるのだ。
 それは善意の裏側であり、悪意の裏側の時も、当然だが剥がし尽くす。老若男女どころか善悪の区別すらなく誤魔化せない。
 私のように最悪な生き方をしている奴でもなければ、正直こいつの前にいるだけで大抵の人間は発狂するのではないだろうか。都合の良い悪役は都合の良い現実を見透かしてしまう。見透かしたところで笑いながら利用する性格でもなければ、その「事実」に耐えられまい。私のように事実を突きつけるのではない。
 私と同じ存在そのものが悪であり、かつ、指向性を持たない悪であるこいつは「目を背けている事実を自覚させる」からだ。
 私のように無理矢理ではない。
 私が悪意を心に刻み込むなら、こいつは悪意の花を咲かせる訳だ。あくまで強引に傷口から抉り今ある悪意を晒け出し、外からの悪意で内にある悪意を活性化させる私とは違い、あくまでも相手の精神性に任せている。仕事に関係なさそうな事を考えるのは面倒なので忘れていたが、正直私でなければ側に置くのも害悪だろう。
「ひゅー、怖い怖い。今なら捨て時ですよ? 俺はいつ牙を剥くかわからないぜ、先生。それに、存在そのものが悪な奴を、側においといていいのかい? 都合の良い悪役は都合良く殺しちまうのが、物語の王道ってやつですよ」
「そうらしいな。正直説明するのが面倒臭いが、気になるなら一応教えてやろう」
「聞きたいねぇ、先生が俺を側に置くのに、何か理由があるのかい?」
「まず、側に置いているつもりはない。置くなら美女にでもしておけ」
「ん? だったら何で持ち歩かないんだ?」
「そんな重たい物持ち歩けるか」
「ははあ、だから持ち歩き易い俺なのか」
 納得納得と口にして繰り返す。自分で言うのも何だが、我々のような存在悪でなければ、かなり珍妙な会話ではないだろうか。
「それにだ、重要な事が一つある」
「へえ、それは?」
「貴様が存在悪であるかどうかが、私の貯金残高にどう関係がある」
「確かに、関係ないな」
 ひゅーわかりやすくていいねぇ、などと嘯いておどける。何だろう。私の知る限りでは、同情や憐憫(言葉だけで実際に感じたことがないから、正直中身のない言葉だ)を向けるのが、所謂その「正しい人間性」らしい。そのあたり、こいつはどう思っているのだろう?
 気になったので聞いてみた。
「俺かい? そうだなぁ、正直どうでもいいな。身勝手に憐憫を向けるのは当人の勝手だけどさ、それは違うんだよ。どうせなら笑うべきだ。悪人が無様を晒してるなら、指を指して笑ってやればいい。そうすれば、晒し者になってまで苦しんだ甲斐があるってもんだ」
「変わった性癖だな」
 痛がって喜ぶなど、変態かこいつは。
「性癖じゃねーよ。別に痛みはかわらないぜ? 刺されれば痛いし殺されれば苦しい。俺は生身の肉体をまだ持てていないが、多分、同じ事をいうだろうな。痛みも苦しみも、それを見て喜ぶ誰かの姿を見れるなら、安いもんさ」
「・・・・・・話だけ聞くと、真正の変態にしか聞こえないがな」
「そうじゃねぇよ。要するに、先生の言うところの「張り合いのある相手」さえいれば、大抵の事は楽しめるってことさ」
 勢いだけで生きているようにしか思えないが、考えはなくとも信条はあるらしい。実利や勝利には程遠い考えなので、真似はしたくないが。
「いや、してるぜ? 先生はもっとわかりやすく世界そのものと張り合ってるじゃないか。物語を通して悪意を晒すなんて、中々、真似出来ることじゃない。誇りに思っていいんじゃねえの。俺はそう思うね・・・・・・大体さ、悪意を世界に刻み込むなんて、それこそ「割に合わない」事だ。仕事と言うより信念だな。そして、世界に信念を通す事が、「生きてる証」ってやつなんだろうさ」
「証より札束が欲しいがな、私は」
「違いない。世の中理不尽だよな、先生」
 無駄に説得力のある話だ。とりあえず私が思うのは、言葉の説得力を伴う時点で、そいつはロクな人生を歩んでいない。薄っぺらくともいいから金になる人生を送りたいのであれば、信念云々を求めるのではなく、己の内側でこんな悪意を鋳造させるよりも、その辺の奴の言葉でも借りて嘘を並べた方が効率的だ。
 それが出来れば苦労しない気もするが、こいつのように開き直って面倒臭い道のりを歩くのは、正直言って金にならない。私は悪意の肯定とか、存在悪から学べる人生の教訓とか、そういうのはどうでもいいのだ。そんなものが知りたいなら、その辺の悪人に本でも書いて貰えばいい。だが、私は読む側であると同時に作家でもある。
 我ながら面倒臭い道のりだ。
 まあ楽な道のりを歩けていれば、そもそも作家になる、成り果てる必要が無かっただろうし発想からして沸かないだろう。それが良いか悪いかで言えば、間違いなく悪い。まず財布に優しくない上に、性格も最悪になる。生きてるだけで世界に嫌われ、存在しているだけで理不尽に見舞われる一方、得になる事は何一つない。
 何にもならない癖に労力だけは地球より重い。 散々だ、まったく。
 いい加減、嫌になる。
 金になりさえすれば一発で解決なのだが、中々上手く行かないものだ。実際、生まれながらの悪でも人間性を捨てた作家でも、その両方を兼ね備えた最悪ですら、金があれば解決だ。実際に感情豊かになる訳でもないが、とりあえず旨い食べ物は買える。何より静謐な時間が肝要だ。
 何だったら一時的に記憶を消して、作家である事を忘れて休暇にでも行きたい位だ。作家など、ロクなものではない。疲れるだけだ。
 執筆など何が楽しい?
 腐れ読者共に売りつける為に腐れた物語を書き連ね、悪意を刻み込み読者の精神を破壊し苦しめる事のどこが・・・・・・いや、それなりに楽しいか。悪意を執筆しながら物語を作り、読者が苦しむ顔を想像するだけで笑えるからな! 
 いいぞ、もっと苦しめ!
 貴様等が苦しめば苦しむ程、私が報われようというものだ。書いた甲斐がある。誰かの役に立てれば良いみたいな事をジャックは言っていたが、これはこれで張り合いだと言えるだろう。それに私の悪意のおかげで読者共の精神を汚染し、善意を信じられなく出来れば、連中の人生にも、張り合いが出ようというものだ。
 まさに「三方良し」だ。
 私の懐も暖まるしな。
 素晴らしい。作家業にも良い部分はあったのだ・・・・・・それも売れれば、だが。
 結局話は振り出しに戻る。
 世の中金ということだ。
 幸せは金で買える。作家ですらそうなのだから間違いない。少なくとも、金のない幸せなど偽物だろう。金あってこそだ。
 幸せであれば金は要らないなどというなら飢え死ね。土を食って三十年位生きてからほざくべき台詞だ。無論、私は御免被る。
 下らない人間性より、金だ。
 何事も、札束を手にしてから考えろ。
 話はそれからだ。
「ところで、貴様は自分を作り上げた連中を恨まないのか?」
「何が?」
 答えは分かり切っているというのに、どうしてこういう質問をしてしまうのか。我ながら嫌気が指す。職業病なのだろうか?
 とはいえ、聞かなければならないので、疲れるが聞いておく事にした。
「貴様を身勝手に作り上げた連中を恨むのは当然ではないか。少なくとも、世間一般とやらでは、正当性のある物語だと思うぞ?」
「正当性ねぇ」
 正当性から宇宙で一番遠い奴に、そんな台詞を言われてもなぁなどと聞こえた気もするが、今回は、いや今回も無視するとしよう。
「どうなんだ、さっさと答えろ」
「いや、別に。恨みも何も俺は作られた存在だし作られなければ生まれない存在だ。生まれたことには感謝しなきゃな。何せ、生まれなけりゃ肉を持って世界を味わう事も出来やしない。生まれてなけりゃ悪意を持つことだって出来ない。それは御免だ。俺は人生を楽しみたいからな」
 人間が「生きる楽しみがわからない」などと、電脳世界に耽って己の仕事も見つけない世界で、人工知能が生きる喜びを味わうとは、皮肉なのか何なのか。まあ肩書きと当人の個性は関係ないのだから、自然の摂理と言えなくもない。成るべくして成っただけだ。
「そういう先生は、まあ聞くまでもなさそうだが・・・・・・生まれた事を呪ったりするのか?」
「金になるなら、幾らでも呪ってやるぞ。実際、金にならないかと思って悪魔を召還しようとした事もある」
「そりゃ面白い。召還出来たのか?」
「出来たら作品が売れているだろうな。わかったのは、悪魔がいたとして、私の役には立たないということだ」 
 そもそも魂が無いんじゃないか?
「可能であれば、脅しつけるなりして利用できるのが一番だが、暴力だけは保持していそうな連中だ。知恵があるならこの私の傑作に協力しない筈がないからな。あるのは精々腕っ節位だろう」
「相変わらずぶっ飛んだ自信だな」
「悪であれば当然の事だ。物語とは嘘八百の虚構を信じ込ませ金に換える究極の詐欺の一つであり最悪の仕事だと言える。むしろ連中が悪を冠するというのに、私の作品に出資できない時点で連中の悪としての資質など、底が知れる」
「初めて聞いたな、その基準」
「個人的には、義務教育で学ばせるべき話だ」
 うわーこの人本気だよ、と信じられないような顔(をしているのかはわからないが、恐らくそういう表情だろう)でジャックは口にした。
 貴様にだけは言われる筋合いはない。
「ま、いいんじゃねぇの? 楽しそうだし」
「当然だ。私が選んだ道だぞ」
 金にならない事だけはかなりの予想外だったが悪の花道であることは変わりない。まあ、悪とは基本的にも応用的にも役に立たないものだが。
 まあいいか、どうなる訳でもない。
 とりあえずは棚上げしよう。
 案外、漬け物のように熟成して高く売れるかもしれないではないか。そう思っておこう。頭の中で思うだけなら、金はかからない。
 金にもならないが、かかりもしない。
 少なくとも休むには適した思考術だ。
 貴様等も参考にしろ。
「やっぱりアンタ、鏡を見た方が良いよ」
 呆れたように人工知能に諭される私だった。

   11

 立場を盾に取るのは素晴らしい。
 例えば「被害者」だ。加害者を殺しても、金を請求しても全てが「正義」となる。素晴らしい。どうだろう、人間の失敗作と言えなくもない私は作ったであろう連中に、金を請求できる立場だと言える。問題は相手側に支払う気があるかどうかであって、私なら支払わないが。
 責任逃れすればいいだけだ。
 心など入れたら入れたで更なる不具合を生んだだろう事は想像に難くないが、とにかく立場を盾に取って金を請求できるかもしれない。背後関係などどうでもいい。要するに、相手に負い目を作り上げ、それを利用できるかが肝要だ。神なんていたところで、そいつが私なら間違いなく責任を取らないが、少なくとも恐喝する材料はある。
 いつか試してみたいものだ。
 面白そうだしな。
 負い目のある相手を、立場を利用して追い詰めるほど、面白い遊びも無いだろう。作品のネタにもなりそうだ。是非実践したいが、何度も言うが私が連中なら力や立場を盾に無視する。責任など取る必要はどこにもない。人間であれ神であれ、それは同じ事だろう。
 軽く頭を下げて、反省したフリをすればいい。 それで解決だ。どこでも同じだろう。それ以外の責任の取り方など、実際に行われた試しがない・・・・・・大体連中が真に責任を取れるなら、人間の社会、いや人間などという環境破壊生物を作り、それを野に放った責任として死刑宣告を受けなければなるまい。それか、財産没収だ。公平な立場からの執行を行う為に、当然ながら私が全て頂くとしても、今のところ私は受け取っていない。
 全く、困った奴等だ。
 何が言いたいのかと言えば、ここにいる連中にとって人工知能こそが祭るべき神であり、存在として人間以上だと信仰している事だ。信仰という言葉が、まさに相応しい。人間は優れた能力や、自分達には決して出来ない何かを成し遂げる存在に対して、「畏敬の念」という言い訳を繰り返し「依存の対象」とする事が多い。圧倒的に優れた何かに縋っていれば、まるでその恩恵を受けた気になれるし、何もしなくとも側にあるだけで自分も優れた何かになっているかのように思える。
 そう思い込めるのだ。
「そうでしょうか? 私はそうは思いませんよ」 私はマッカラン女史と向かいあっていた。赤いブラウスに薄いスラックスを履いている。ふん、「カタカナ文字」は信用ならない。それっぽいがそれだけだ。どうせ大した品質は維持出来ない。何事においても同じ事だ。
 応接室らしき場所で、我々は向かいあうように座っていた。部屋は少し広めで、中々高そうな物が溢れている。ソファの座り心地も最高だ。
 少し金を儲けた輩に、良く見られる傾向だ。
 こういう見栄に使う金がある会社に限ってすぐ倒産したりする。依然、仕事でとある企業の立派な応接室に案内され話を聞いた事があるが、大手企業の支払い不履行で倒産秒読みの会社があった・・・・・・傍迷惑な話だ。
 出向くこちらの身も考えろ。
「なら、どう思うんだ? エィティモルガン社は人工知能をどう捉えている?」
「それは簡単です。「人類を導く新しい指導者」ですよ。人間とは違い感情に流されず、失敗にも無縁です」
「それはそうだが、人工知能が反乱を起こす映画なんて、よくある話じゃないか」
「そうですね」
 くす、と笑いながらそう返すマッカラン。彼女にはそれら映画は虚構であって、現実にそんな、人工知能が「間違った行動」を起こすなど、有り得ないと思っているのだ。理系はこれだから駄目なのだ。理屈で全てが通れば苦労しない。苦労をせず全て理屈通り押し進められたからこその現在だからこそ、それで全てが動かせると思っている・・・・・・だからって全てを理不尽で計るよりはまだマシか。
「ですが、現実には有り得ませんよ。人工知能は「完璧な」電子生命体です。電脳上で無限に進化を繰り返し、物事を公平に判断する精神性を生まれながらに持ち得る新しい基準だと言えます」 「電脳世界などという現実ではない二次元に住み着いている連中が、現実世界に対して指示を出すなど、笑えない冗談だ」
「そうでしょうか? 私からすれば、保身や感情に振り回される人間に、世界の舵取りを任せる方が笑えない冗談ですよ。実際、どれだけの政治家が汚職を働き、それに見合う成果も出さずに公務と言い張って税金を貪っているのか、数えるのも面倒な話です。私はね、人間ほど、信頼出来ない存在はないと断言します」
 何故こんな風に和やかに会話しているかというと、私の正体は連中にバレているからだ。恐らく話を話すだけして(それも、自分達の正当性を話す事で満足したいという、小物ならではの考えだと言える)後ろに控えているアンドロイドにでも始末させるつもりだろう。
 まさか、サムライなどという規格外の例外が、自分達を始末しに来ていると考えるほど、連中に想像力がある筈もない。
 とはいえ取材は取材だ。
 こちらも話を聞くだけ聞いてから始末してやるとしよう。実際、過ぎた暴力を偶然渡されている私にとって、依頼遂行に必要になるのはその過程における労力であって、過程がどうでもいい私にとって忌々しい事に、始末屋家業は結果が最初に約束されているものの、その過程で作品のネタを探したり、仕事を遂行するに相応しい環境作りをする必要があるのだ。
 普通は逆だ。だかそれも、王道ではなく邪道を走る私には相応しいか。第一、暴力で征されるのであれば、始末屋家業は務まらない。幸いなのか連中は「口封じ」が目的なので、この部屋に監視カメラの類は存在しない。
 どうにも暴力を振りかざす連中には多いのは、「自分達が不当な暴力を受ける可能性」を、最初から除外している隙の多さだ。なまじ、力で物事を押し通してきたからこそ、自分達こそが正しい側であり、自分達が敗北する事は有り得ない事であり、自分達を脅かす存在は悪そのものだと思い込む。逆に自分達がどれだけ不当な暴力を働こうが何の罪悪感もない。むしろ、「良い事」をしたと思い上がっている。
 人間の神々も、その辺は同じだろう。
 口先で相手を説得した神など、人類史を幾ら、漁り尽くしても存在しない。全知全能だったり、未来を見通せたり、それを信じる事が絶対的だと言えたりするものの、それだけだ。多神教でも、唯一神を信じる宗教でも、その辺りは同じだろう・・・・・・能力差で押し通しているだけだ。
 誰も、その有り様を認めている訳ではない。
 そもそもが、神の姿すら不明瞭な宗教も多い。代理の聖者がいたりはするが、それらしい言葉が残っているだけであって、実際に本人に会った奴などいないだろう。想像を勝手に膨らまし、理想を押しつけ都合良く自分達の心を慰める事に利用しているだけだ。結局の所どれだけ強かろうが、どれだけ善性の化身に見えようが、どれだけ愛に満ちていようが「正しい」など妄想だ。
 そう思い込みたいだけだ。
 全てにおいて必ず正しい「何か」があるとするならば、それは「己で定め信じた事」であるべきだろう。それを、見ず知らずの存在に縋り付き、その「絶対的な正しさ」に「依存」すれば、何もせずとも「絶対に正しい」のだから、思考放棄をして己で定めずとも「正しく在れる」からだ。
 つまり、楽だから信じたがる。
 所詮、どんな存在であろうが、己以外の何かが示す道筋は、己で進む道のりに対する指針に過ぎないものだ。己以外の何かに正しさを求め、己でない何かを誇りとし、己でない何かを他者に示し広めようとする。
 仮に全能の神とやらがいたとして、その教えを扱うならば、それは己の解釈で定める必要があるのだ。聖書を読むだけなら猿でも出来る。それをそのまま音読するのであれば、録音テープでも流し続けろ。問題は、その「神の正しさ」とやらに対して、どういう結論を出し、己の正しさと融合させるかにある。
 人間も人工知能も、同じ事だ。
 話が逸れたが、要するにこの女も同じなのだ。人工知能が幾ら正しかろうが、それは人工知能の正しさであって、それを信じる人間の正しさではない。そして正しくもなく己の正しさを信じようともしない奴が、大した成果など出せる筈もない・・・・・・どこの世界でも同じだろう。
 なので私はこう言った。
「大層なご高説だが、それと熟練兵士が消え続けている事には、何の関係がある?」
 予想通り、という表情で、マッカラン女史には動揺もなかった。どうせ後で始末すればいいのであれば、自慢したい事柄の一つや二つ、話しても構わないという心情なのだろう。権威や政治力で物事を動かしたがる連中には多い傾向だ。
 正しさを己で考えず依存する奴は、案外自分の心の底で、無意識に気づいているのかもしれない・・・・・・だから、大声で己の正しさを叫びたがる。そうしなければ、自分を認められないからだ。
 とはいえ、小物の考える事が真新しくないとも限らない。こういう連中は発想だけはそれなりの事が多い。頭の良さをこじらせすぎて、その優秀な頭脳を「自分達の正しさ」を世界に証明する為であれば、何をしても許されるべきだし、肯定をいなければならないと思っている。
 とりあえず、話だけ聞いてみるか。
 そもそも今回の依頼は、「作者取材」のついでなのだ。いや、全ての始末依頼が、と言って良いだろう。勘違いされがちだが、私の本業はあくまでも「作家」であって、サムライなど事のついででしかない。適当に始末するだけで良いのだ。
「そうですね、簡単に言えば「最適化」ですよ」「最適化?」
「人類が宇宙進出してから、一番大きな問題とは何だと思いますか?」
 人類なんて繁栄するだけで問題を巻き散らかしそうだが、そういう事ではないのだろう。しかし問題か。多過ぎて検討もつかない。それでも考えるなら、そうだな。強いて言えば限界のない乾きだろうか。何をしても満たされず、あらゆる資源を使い捨て、何度でもそれを繰り返す。
「その通りです。人類が宇宙に進出して尚、資源問題すら解決されていません。十分すぎるどころか銀河系丸ごと余っている資源を独占し、個人の所有物として扱う。おまけに、資源が無くなればまた新しい資源を使い潰す。幾らでも、無限に。新しい兵器を上回る兵器を作り、更にそれを上回る破壊性と害悪を作り上げる。惑星を渡り歩いて人類が成した事はそれ位です。何も根本的な部分は進歩していないまま、宇宙全てを使い潰しても満足しない銀河規模の「災害」それが人間の正体ですよ」
「成る程な」 
 確かに、そうだ。結局のところ人類は数を増やして科学を進め、銀河の果てまで進出した。だがそれだけだ。社会問題は何も解決せず、貧困問題もそうだが社会形態における理不尽さは、何一つ大昔から変わらないままだ。その度に、政治家が「世の中を変える」と嘯き保守的な考えで自分達の利益を独占する姿勢も、そのままだ。
 大体、現行人類の何を保守するのだ。
 既得権益を保守したいだけではないか。新聞やテレビを使い情報統制をし、「良い政治家」だと宣伝することで騙す方もそうだが、騙される方もどうかしている。言っては何だがそれら伝達機関の全ては、頬を札束で叩けば何でも口にするし、何でも書いてくれる。そもそも新聞など、ただの詐欺だ。記事内容が金で決められるのもそうだが国民全てが買わなければならない風潮も、それを良しとして読まなければ原始人扱いをする姿勢も騙されている証拠ではないか。電脳世界があるというのに、どこにそんなゴミを買う必要がある。 読んで情報を吸収するのは確かに必要だ。だが押し紙をしてまで売り上げを維持する新聞などに真実が書かれているのか? 
 であれば、ただの徒労ではないか。
 意味のない駄文を読んでいるだけだ。
 つまり、ただの時間の無駄でしかない。
 とはいえ、この女の価値観は、所詮人工知能に支えられた考えだ。本人は己の心情だと思い込み行動しているが、それだけだ。そこまで深く考えた訳ではなく、単に縋っているに過ぎず、まして自分の考えがある筈もない。
「我々の保有する最大の人工知能「ケリー」は、シミュレートに特化した人工知能です。一秒の間におよそ、七十二正の演算を可能にします」
 数字の単位まで正しさを求めるとは。ちなみに十の四十乗で正(せい)という単位になる。要はケタ違いの速度だと思えばいい。
「そんなものを使ってどうする? まさか指示を仰いで政治を動かすのか?」
「まさか。我々はあくまでも人工知能を崇拝した上で、人類を豊かにすることが目的です。なのでそれだけでは意味がありませんよ」
 なら、どうするというのか。
 それなりに作品のネタになりそうな話だ。来て良かった。所詮始末ついでだから対して期待しなかったが・・・・・・世の中何があるかわからない。
「まず、ケリーに従い人類最適化の為に、最適の人類を作り上げます」
「最適の、人類?」
 型取りでもするのだろうか。
「面白い冗談ですね。でももっと現実的な話です・・・・・・社会に実質不要となった旧時代の兵士達を使って「進化の可能性」を解明します」
「ふん、超能力でも会得させるのか?」
「いいえ、単にこれから先、本来は長い年月の中で淘汰が行われ、人類が到達する筈の「社会的な問題を克服した人類」を、ゼロから作ります」
「・・・・・・・・・・・・」
 つまり、私が行おうとしている生物淘汰の全てを、過程を飛ばして結果だけを作るのか。
 面白い。
 随分な発想だ。中々思いつく事ではあるまい。だが、どうやって実現するのだ。長い年月を費すことで本来辿り着く境地に、そんな簡単に向かうなど、出来るとは思えないが。実際、肉体的には能力を伸ばせても、精神性は変えられまい。
 どんな科学力でも無理だ。
 そう思ったが、違ったらしい。
「そうでもありませんよ。所詮人間の性格なんて遺伝子情報に決定付けられる、数ある因子の一つです。「最適の人類」の遺伝子情報を複製すれば幾らでも精神面までデザインした人類を量産し、社会に浸透させる事が可能でしょう」
 何ともぞっとしない話だ。しかも、それを人工知能主導で行うのだから、実質的に人工知能に、人間の奴隷を提供するに等しい。
「如何ですか? 貴方の作品は読みました。過程を飛ばしてでも実利を得る。それが貴方の望みではありませんか」
「確かに、そうだ。だが奴隷になって達成しても意味があるまい。奴隷の所有物は主に奪われる。人工知能に主導権を握られて、どうやって人間の世界が作れる? 私は人間をマシな存在にしたいだけだ。その為には、幾ら過程において死んでも構わないが、その地獄の中から、金になる人材を探し出さなければならないのだ。貴様のそれは、過程を飛ばして結果を得ているのではない。単に過程も結果も人任せにしているだけだ」
「交渉決裂ですか」
 彼女が合図すると、屈強なアンドロイドが出た・・・・・・間髪入れず私はそれら全てを斬り殺した。こういうのは私情を挟まず、さっさと殺すのが吉だろう。殺される前に殺す。そこに善悪だの倫理だのが入り込む余地はない。
 当たり前の事だ。
「な、何が・・・・・・」
「ありきたりな台詞だな。せめて、面白い台詞を吐いてみせろ」
「あ、貴方は間違っている!」
「ほう」
 殺す前に余裕を見せるのは良くないが、これも仕事だ。私の本業は「作家」であって(最近は、儲からないからか、口にするのが疲れる)始末屋ではない。断じてない。私にとってこれは労働であり、仕事ではないのだ。
 だからこそ、取材第一だ。
 殺す前でも、それは変わらない。
「だ、だってそうでしょう? 人工知能の力で、今の人類は変わる! 適切な人材配置、私情なき政治運営、全て、貴方の望む世界でしょう?」
「よく私の作品を読んでいるな」
 珍しい。やはりアンドロイド連中もそうだが、偏屈者に刺さる何かがあるのだろう。売り上げには関係ないので、どうでもいいが。
「それに、人工知能だって貴方のいう「個性」である筈です。貴方は人工知能の存在を、個性だと取れないのですか」
「そうだな、確かにその通りだ。だが、それでは人間の個性が薄れてしまう。人工知能だけ面白くても、他の人類全てがつまらない。それでは意味がない。私が望むのは、全ての個性が鎬を削り、争い競い合う世界だ。それら全ての個性が世界に匹敵し、挑み続ける世界だ。人間全てを腑抜けにして、何の実利がある」
「それは、でも、そんな理由で貴方は、人類全ての進歩を止める気ですか? 考え直」
 そこまで言ったところで、私は首を斬り飛ばし殺した。こういう時この刀は便利だ。魂の無い奴でも無い限り、血も出ないし勝手に腐って死体は消える。後始末の必要すらない。まさに始末向きの能力だ。別に私のものでもないから、始末屋としての労働を離れられれば、返すだけの社用携帯みたいな借用品に過ぎない。 
 私は部屋を出て(どうやらあれで始末する予定だったのか、他に見張りはいなかった。それも、無理からぬ事だろう)戦闘用に組み替えられた、新しい世代のアンドロイドを殺せる奴など、警備の範疇外だろう。幾ら装備を調えようが、ここは軍隊ではないのだ。
 さっさと私はその場を後にした。人類の未来に責任など持つつもりもないが、少なくとも誰かに任せて良いものではあるまい。
 社会のゴミを始末した爽快感を抱きつつ、私は帰路に付くのだった。
 
 
 
 
  
 
 
 
 

   12

 戦い勘違いしている奴は多い。
 一度敗北すればそれで終わりか? 一度勝利を掴めばそれで勝者か? 否、断じて否だ。戦いというものは、選んだ道を突き進む行為だ。その道を歩み続ける事に「終わり」などない。戦って、戦って、戦い抜くのだ。この世全ての行いは悪であり、何を成そうが正しさなど当人の都合に過ぎない。「倫理」や「道徳」に従うべきだと、行いの過程に綺麗事を挟むのは現実逃避に過ぎない。 何をしようが全て「悪」だ。
 例えば、連中の言う所の「悪者」を「改心」し道徳的な性格に導いたりしたとして、そんなのは暴力に酔っているチンピラと変わらない。要は、本人の意思を無視して、力で事を押し通す行為だ・・・・・・「倫理的に正しいから」とか「道徳的には間違えていないから」などと、自身を納得させる情けない言い訳を並べ立て、己が「悪行」をしているという現実から、目を背けているに過ぎないのだ。突発的な暴力という点において、強盗殺人と何ら変わらない。
 正義で在れば許される、どころか賞賛されなければならない行為だと、そう思い込む。その被害を受ける側からすれば、たまったものではない。 子供の相手などしている暇はないのだ。
 現実に何かを動かしたいなら、悪を成す必要がある。
 その悪を行う際に必要なのは、笑う事だ。
 過去に犠牲にした連中に対する、責任があるとしよう。ならばその連中が喝采を叫んで応援したくなるような在り方を背中で示し、笑うのだ。
 呵々大笑して大いに進め。
 全ての悪は人間の中にある。その悪を身に纏い世界に示し、そして笑うのだ。関係ない奴が犠牲になったか? かつての仲間の死に対する責任感で動いているか? ならば笑え。死んだ連中が起きあがり、拍手喝采したくなるような偉業を成し遂げればいい。悪はめげたりしない。諦めたりもしない。まして、罪悪感など有り得ない。
 一度大きな敗北を喫したなら、それ以上の実利を掴み取ろうとする。窮地に追い込まれ他に方法が無いのだとすれば、とりあえず笑うのだ。
 破産しても、国外で儲ければいい。法律を敵に回したなら、堂々と立ち向かえばいい。金を稼げれば、とりあえず負けはない。
 まして、金を稼いでおきながら、そんな考えに悩まされるのだからな。今までどんな楽な道のりを歩いてきたのだ。他にやることはないのか?
 死んだ仲間が気になるなら、連中が墓場から起きあがって喜ぶような、前代未聞の偉業を語り、成し遂げれば良いだけだ。簡単ではないか、金を稼ぐことに比べれば簡単だ。金を稼ぐ事に苦労し遠回りな道のりの中で、その馬鹿げた道を歩き続けた私が言うんだ間違いない。
 言っては何だが簡単だぞ。
 一円もかからず、誰でも出来る。
 やろうとすれば、簡単な事だ。
 そういう連中に限って争いの渦中に身を置き、その中でしか生きられないと説く。だが争いの中でしか生きられないのではなく、世界には争いしかないのだ。それを社会全体で誤魔化しているから、生きるのに余計な労力がかかる。どこにでも争いはある。生きている人間がいれば、殺し合いがあるのは当たり前だ。
 争いの中でしか生きられないならば、簡単だ。世界には放っておいても争いしかない。思う存分に戦い続ければいい。そこに必要なのは、世界はそう出来ているという「自覚」と、効率的でありながら、それなりに要領良く、争いの場を作り上げる事だ。
 社会の仕組みに溶け込むのだ。
 そうすれば、いずれ向こうから争ってくれと、そう頼まれるようになる。その大小の違いでしかないからだ。例えば、軍事力だ。国家が保有する軍事力は、「倫理」とか「道徳」という免罪符を獲得した暴力、というだけだ。その免罪符を奪い正当化できれば、それだけで世界中にその暴力を向ける口実が出来る。
 言ってしまえば暴力が不当になるかなど、それだけの違いだ。正当性を歌える立場にあるか否か・・・・・・世の正しさなどその程度だと言える。
 つまり、悪を行いながら賞賛されたい愚か者が好む、麻薬みたいなものだ。依存性があり現実を見ずに済むという点では、変わるまい。
 世の中そんなものだ。
 そして、そんな世界で過去に囚われたり、責任に押し潰されたりするのは、ただの逃げだ。死者に報いる何かなどない。それは死者に報いたと、そう考える事で「自分の心」を慰めたいだけだ。それこそ無意味ではないか。
 死は結局のところ、その死者の責任だ。
 あれこれ考える権利が、そもそもない。生まれていない生命だとしても、それはそれで生物淘汰の一環だ。そこに善悪など存在しない。
 有りもしない妄想に等しい。 
 生まれる前であろうが、生まれて数千年経っていようが同じ事だ。理不尽に死ぬなど、珍しくもあるまい。誰であれ同じだ。子供だから可哀想だとか、大人だから殺しても良いだとか、それこそ自分を納得させる為に、つまりは悪を行いながらそれを「倫理や道徳に従った」あるいは「相手も覚悟が出来ているのだから、殺しても構わない」と考えるのは、その行いを見てすらいない。
 殺しにきた奴を殺しても、同じだ。
 生まれてもいない生命を抉るのも、同じなのだ・・・・・・とどのつまり人間は他者を殺さなければ、生きる事など出来はしない。大なり小なり必ず、生きる過程で殺している。それが企業勤めの際に知らず知らず追い込んでいるのか、戦時中に銃で撃ち殺すかの違いだ。生まれる前の赤子を殺してしまうか、覚悟の出来ている相手を殺すかという肩書きの違いでしかない。どちらも殺しだ。
 肩書きが違うだけで、やっている事は同じだ。 もし、悪であることから逃げないのであれば、全ての上に己を置き、他の全ては勝利の為にある布石と思えばいい。善悪だとか、倫理だとか誇りだとかを言い訳にして、進む道を違えるな。戦いの上で理不尽でない勝利など存在しない。
 勝者である以上、理不尽を通したのだ。
 誰かを蔑ろにし、踏みつけ、本来その場に立ち勝利しようとした奴を蹴落としているからこそ、その場所に立てている。そんな当たり前の事から逃げる暇があるなら、まずは向き合い、自覚しろ・・・・・・話はそれからだ。そして、なればこそ笑うのだ。
 全てを踏み台にしてでも実利を目指し、過程の全ては「己の肥やしになれて光栄だろう」位には思っておけ。死んだ奴がいるならわざわざ己の道を完成させる為に今まで生きてくれていたのだ、程度の台詞は言ってみせろ。真摯な争いの刃は、未来に挑む為の覚悟の形だ。そこから逃げずに、戦い続けろ。
 戦って、戦って、戦って死ね。
 灰になってもまだ戦い、塵になっても戦い続け死して消えてもあの世で戦え。魂がかき消えても無理矢理肉体を動かして戦うのだ。その肉体すら消えてしまったなら、代わりに殴れる物を探せ。何でも良い。戦い続けられるならば、どんな手段も使うべきだ。
 「己」がある限り、終わりなど存在しない。
 語りたい事があるなら、その在り方を示せ。
 それも出来ない奴に、何かを語る資格などあるものか。口先だけの私にそんな事を言われる時点で、既に手遅れって気もするがな。
 生きたまま生まれ変われば「運命」は変えられるが、定められた「宿命」は変える事は出来ない・・・・・・そもそも変えてはならないものだ。悲しいかな、己の在り方に正直であればある程、在り方を変える事は出来ない。
 それでも、やるしかない。
 時代遅れでも。
 理解されなくとも。
 周囲に指を指されようが、気にしてはならないしする必要もない。むしろ、逆だ。その他大勢の馬鹿共が否定するということは、その歩いた道が間違えてはいないという証左でもある。無論その道のりは険しい。正直、こんな徒労を繰り返した所で永遠に辿り着けないのではないかと、頻繁に思うほどだ。
 我ながら、因果な生き方だ。
 そんな生き方をしている奴が、どうやら私以外にもいるらしい。帰路の宇宙船の中で新しい依頼がメールで届いていたのだが、どうも「やくざ」なる古臭い連中の排除を求めているようだ。私は便利屋ではないが、正義の味方でもない。
 だが、はぐれ者を虐げるのは、如何なものか。 とはいえ、私の仕事はあくまでも「作家業」であって、そのやくざとやらが作品のネタになり、ついでに作品を売り捌く手伝いをするというなら見逃しても構うまい。別に、金を出す依頼人に何か義理がある訳でもないのだ。
 あったとしても、無視するがな。
 全ては実利次第だ。
 外に広がる広大な銀河の景色を見ても、やはり私は何も感じない。人間は、あるいは妖怪ですらも「美しい」と「感じるらしい」と考え、人間の真似をするだけだ。妖怪だの何だのという連中は楽で羨ましい。その辺りを共感できる癖に、立場を言い訳にして泣き言をほざいていればお涙頂戴で済ます事が出来る。
 生憎、私はそこまで暇ではない。
 金、金、金だ。人間なんぞに同情を求める暇があるなら、その人間から金を奪え。殺してでも金を奪い、騙してでも金を奪い、奪って奪って奪い尽くしてから考えればいい。残り滓になった人間とやらにそれでも同情させたいなら、札束で頬を叩いて無理矢理言う事を利かせればいいのだ。
 その人間がよく、やっているではないか。
 表面だけ人間に真似れば、それでいいではないか・・・・・・「人間はこう思うらしい」という部分を要領良く真似て、人間らしさを人間が望むなら、それに合わせて動けばいい。人間が感動するであろう美しい銀河系とやらを眺めながら言う台詞ではない気もするが、逆に言えば私でさえ出来るのだから、そうしないのはただの手抜きだ。
 不真面目でもいい。ただし、手は抜くな。
 何であれやり遂げなければ意味がない。やり遂げられていない私が言うのも何だが、それもまた「事実」だ。 
 今回の件、熟練兵士を利用して「人間の成長」を強制的に成し遂げるという行いは、その分かり易い例だろう。私のような奴でさえ手抜きをせずにやっているのに、横からそんな方法で成し遂げられたらたまったものではない。まあ、それが成され続けてきたのもやはり、人間の特長だ。成長を省き成果だけを残す試みは、人類史においては珍しくない。
 過程を省いて成果だけを求めると足下が疎かになると綺麗事をほざく奴は多いが、しかし一方でそれを実現し続けて来たからこそ人間社会の発展がある。そういう意味では人間はこの長い時間の流れの中で、ただの一つも「成長」など、必要とすらしていない。
 そんな事をするのは、語り手位だろう。
 成長なんぞをしなければ筆の一つも動かせないからだ。はっきり言ってただの徒労だ。そもそも近代の読者は物語に「成長」など求めてはいない・・・・・・都合の良い環境、誰も彼もが味方になり、敵は必ず接待の悪とされ、大して頭を巡らせずとも勝利の確約されたつまらない駄作こそが、今の愚かしい読者達の英雄だ。
 作品と同じく読者も駄作揃いだ。汚らしい綺麗事を盲信し、とりあえずそれに縋っていればいいやと思考放棄の為にその駄作の山を利用する。
 麻薬を打ち込んだ方が早いんじゃないかと思いはしたが、要するに麻薬を買う程の金や度胸は無いが現実を誤魔化したい輩こそが、それら駄作の山に埋もれる事を良しとするのだろう。
 忌々しい話だ。
 私は席に座りながら新聞を読む。読むといってもデジタル化された画面が立体画像で浮き上がりそれを眺めているだけだ。情報の画一化と言えば聞こえは良いが、要するに濾過されないゴミ以下の情報が垂れ流され、大勢の民衆を利用しやすくしただけだ。
 未だかつて、デジタル化された情報統制が民衆の救いになった話など、聞いた事もない。いっそ全て廃止すればいい。
 明日からは全て捨てろ。
 乗り物に乗るな、本を読め。料理を手作りし、情報を精査しろ。噂を信じるな、裏を取れ。
 そんなのは当たり前の事だ。
 当たり前を、当たり前にするだけでいい。
 持つ側に限って、それを手抜きする。
 人間は貧困や病がなければ自惚れるから必要だという話があるが、しかしどうだろう。それらを全て持ち合わせた所で、つまり自惚れずに生きた所で、結局は自惚れた連中にすら、勝てない。
 だから、成長に価値は無い。
 だが、そんなモノを押しつけられている私からすれば、何を図々しい事をしているのだという話であり、見逃せる話ではない。だが私の知る限り「成長」とやらを幾ら繰り返そうが、結局の所は「持つ側」に勝てる訳ではない。
 全ては運次第だ。
 風向きが変わる事を「祈る」しかない。
 ここまで来て出来る事がその程度なのだから、綺麗事をほざく馬鹿共が如何に「ゆるい」のか、分かりそうなものだ。力を持って綺麗事をほざき世界は平和だ平等だと叫び、世界の現実を何一つ直視する事無く世界を語ろうとする。
 だから、連中には何も変えられない。
 その資格が無いからだ。
 無論、そんな資格売り飛ばした方が金になるので正直私には不要だが、こうも徒労を繰り返して手にしたのだから、一応置いておくとしよう。
 恐らく、足を引っ張るだけで無い方がマシだろうし、すぐに捨てた方が良いのだろうが、今更捨てるなど無理な相談だ。
 とはいえ、やはり持っていた所で、正真正銘、何にもならないのは確かだ。金にはならないし、役にも立たない。ただのゴミだ。
 行動も意志も関係ない。全ては空から降る幸運次第で決められる。それを逆説的に証明し続けているだけで、ただの徒労であり、無駄な遠回りでしかない。こういう時は下手に動かず、座して待つのが正解だ。
 私が言うんだ間違いない。
 過程はどうでもいい。人間って奴は、あるいは妖怪でさえも、神仏ですら「孤独」だとか「絆」だとか「迫害」だとか至極どうでもいい些末事で諦めようとする。おかしな話だ。世界全てが敵対するなど、面白いではないか。
 無論、金にならないのでは論外だが・・・・・・何故愛されないだとか理解者がいないだとか、そんな暇な理由で足踏み出来るのか不思議だ。
 どれだけ暇なのだ、貴様等は。
 孤独であれば楽しみが増えるし、絆が無ければ偽物の絆を壊したり作ったりして遊べるし、迫害されれば大義名分が出来る。人間社会は大儀さえあれば、何をしても「正当なる防衛」になるからな・・・・・・想像するだけで楽しいではないか。愛が無ければ業を楽しめばいい。
 誰かを信じたい、信じて貰いたい。
 そんな無駄な些末事に構っていられるのは、暇だからに他ならない。「仕事」があればそんな事に構う余分など有りはしない。
 仕事を成せばそれでいい。
 後には灰すら必要ない。
 何もかも無くし何もかも殺し尽くせばいいではないか。仕事を成した後には、それが相応しい。死体が残っては景観を損ねる。いっそ更地にした方が清々しいというものだ。表面的な力ばかりを求めていると、表面的なモノしか残らないと人は言うが、生憎残すモノなど必要ない。
 成し遂げ、札束を掴み、消し炭も残すな。 
 悪意をバラ撒いた後は悪党の笑みがあればそれでいい。強いて言えば世界に必要なのは「笑い」だ。頬が裂ける程の笑いさえあれば、そのまま笑い死んでも良いではないか。人間の世界など悪い冗談みたいなものだ。冗談に等しいこの世界で、真面目に生きて何になる?
 必要ない。捨てろ。
 笑える冗談さえあれば、それでいい。
 道徳だの倫理だのに照らし合わせた、「正しい幸福の在り方」など捨ててしまえ。別にいいではないか。それはそれとして悪を成し遂げ世の中を楽しめばいい。いや、私は「楽しむ」という概念そのものが無いのだが、楽しんでいる人間の真似をする事で充足を得るのも、乙なものだ。
 これはこれで、楽しい。
 と、いう事に出来る。
 タノシイ、タノシイ。
 オモシロイ。
 実に傑作だ。
 つい、笑いが止まらなくなってしまう。笑いを会得するのに昔は随分苦労したが、手に入れればこうも容易いのか。とはいえ「悲しみ」のような比較的不要な感情に関しては学ぶ機会が無かったので、未だに共感どころか興味すらないというのが、私の人間に対する素直な感想だ。
 どうでもいいがな。
 要するに、人間共が「確固たる地盤」だと思い込んでいる全ては、有りもしない妄想だという事なのだ。金にしたって、それそのものは汚い紙でしかない。原価は一円もしないだろう。価値を決める金に、実質価値はないなどという悪い冗談が世界を動かしているのだ。
 世の中そんなものだ。
 その程度の世界を盛り上げるからこそ、面白い・・・・・・金になれば、だが。
 こうも横道に逸れてすら、ブレない。
 私は「作家」だ。何で金を儲けようが、在り方が変わる事はない。それは逆説的に私の在り方が根本に根付いた深い業である証拠だと言える。
 その業が、成り立たない。
 それ以外の横道ばかり進む羽目になる。
 幾ら「作家業」が私にとって間違えようのない確かな「業」だとしても、これでは不安になる事はなくとも気力が削がれる思いだ。全力で物語に挑み、全力でそれから遠ざかるのでは正直言って割に合わない。
 私は、作家だ。
 売れれば誰でも作家だが、私は答えから逆算してここまで来た。作家という有り様でしか生きられない鋳型で形作り、魂の代わりに悪意を据え、あらゆる出来事を信じないまま何一つ共感せずにここまで来た。
 我ながら、困難な道だったと思う。
 何せ、心がないのだ。その不具合、いや違和感そのものである有り様のまま人間社会の中で生きるというのは、言ってしまえば未知の生態系に身を置き言語から学ぶに等しい難行だ。
 実際、よく出来たものだ。
 最初は「笑う」事すら出来なかった。
 今でも厳密に言えば「笑う」という行動の根本にあるモノは違うのだが、しかし笑いもせず泣きも出来ず信じる事もない人間。それも子供がいるなら、今から思えば、だが・・・・・・迫害されるのも当たり前という気はする。
 問題は、その「結果」として、無理難題を乗り越え道理を飛ばして成果を叩き付けた結果として金という実利に結びついていない部分だろう。
 これでは何の為の労力かわからない。
 無論、作家業以外にしたって、それほど上手く回っている訳ではないが、だからこそ本命が空回りする一方で労働に手間取り、仕事が置き去りになるのではただの徒労だ。あくまでも成功させるべきは「仕事」であって「労働」ではない。だがその「仕事」だけでなく「労働」にすら手間取り最早何をどうすれば仕事を成功に導けるのか答えが出なくなる始末だ。
 どうしたものか。
 運命は「生きたまま生まれ変われば」変えられるという「答え」を私は得ている。作品内作品という酷くあやふやな作品を書いていた時に初めて出した答えだ。かつての私に「役割」があるならば、それは「村人A]のような幾らでも代わりの利く存在だった。それを作家として有り様を固定する事で、私は「作家としての運命」を手に入れたのだ。
 だが、「宿命」は変えられない。
 それはそうだろう。何度も言うが、変えられぬというより変えてはならないものだ。しかし金にならない宿命など御免被る。誰よりも作家らしくしかし誰よりも作家として勝利出来ないなどと、笑い話にもならないではないか。
 有能な協力者を得るのが一番手っ取り早い方法なのだが、それが出来れば苦労しない。そういう都合の良い縁がないからこそ「私」なのだ。何を得るにしても地球上で最も労力を払わねばならずその癖大した成果、いや成果をどれだけ出そうが実利をその手に掴めない。
 まさに最悪だ。
 最悪には最悪の環境という訳か。あまり笑えないし面白くもないが、やはり「最悪」である私がその宿命を越えて「実利」を掴むには、およそ私とは真逆の協力者を得るしかなさそうだ。幸運に恵まれている奴、ではない。恐らくは、私と違い人を信じ、愛で進み、かつ能力に恵まれ小手先の事を成すのに向いている奴だ。
 いるかどうかの保証はない。
 なので、結局は無い事を前提に進むだけだ。
 それを信じる事こそ大切なのだとどこぞの女であれば口にするのだろうが、生憎私に限りそれはただの敵前逃亡だ。それは世界に嫌われていない奴の考えであって、何かしら事を成す旅に世界の後押しならぬ世界の邪魔が入る私には、信じたり祈ったり助けを求めたりするのはただの自殺行為と言える。
 そんな些末事はどうでもいい。
 金、金、金だ。
 汚らしい綺麗事など、何にもならない。それが正しさだと言うなら、そんな正しさは害悪だ。
 仕事に対する支払いが不要になる正しさなど、あってたまるか。それが正しさならそんな正しさは私の「敵」だ。 
 必ず殺す。
 とはいえ、負け続けているのも事実だ。実利を掴めず成果だけが残る。「傑作」という成果だけ作り上げたところで、という具合だ。そもそも、今の人類社会は成果の度合いと実利の度合いは、何の関係性もない。むしろ、中身がゴミでも幸運さえあれば認められるものだ。
 そんな世界で「作家」か。
 大昔はどうだか知らないが、作家などというのは「持つ側の権威」になりつつある。何かを学び何かを残し、何かを伝える物語など現代では不要だからだ。物語に求められるのは「現実逃避」であって、都合の良い物語だ。現実の辛さから目を逸らし、何もかもが最適の環境を疑似体験する為にある麻薬だ。
 嘆かわしい。
 こんな世界に神や仏がいるのだとすれば、物語を連中は軽んじているか、そもそも仕事をせずにいるかのどちらかだろう。いずれにしてもロクな奴ではない。少なくとも、物語を何に使うのかを知らないのは確かだ。
 故に、何かを信じるなど、馬鹿馬鹿しい。
 何かを信じるとは、何かを信じるだけの余力があるという事だ。即ち「持つ側」として手抜きをしても何とかなるからこそ、そんな物語の中以外で役に立ちそうもないご都合主義を、まるでそれこそが「正しい道」であるかのように信じようとする。
 残念だが、当然違う。
 ただ楽な道を選べるだけだ。
 ただの、それだけだ。
 確たる根拠もなく何かを信じるというのは依存ではないか。神に仏に、愛する誰かに依存し自分を誤魔化しているだけだ。信じるだと? 大体、信じてどうなるのだ。絶対的な何かがいるとしてそれを信じたからどうなる? 実在するか否か、ではない。したところで、それはそれだ。己の道とは何の関係性もない。
 ただ勝手に崇め、縋り、求めているだけでしかない・・・・・・ただのそれだけだ。そこに己の意志はなく、調子良く相手を利用する姿だけがある。
 そんな事をして、何が楽しいのだ。
 まあ、楽しかろうが楽しくなかろうが、結局は実利が伴えばそれが全てだ。過程が大切だとか、苦難は人を成長させるだとか、散々苦難しかない道のりを歩いた私にすればただの妄言だ。
 苦難は人を成長させるか? 
 過程は己を作り上げるか? 
 苦悩にこそ価値は宿るか?
 残念だが、それら全ては「実利」即ち事の成否には何の関係性もない。他でもない私が言うのだ間違いない。どれだけの勝利を得られたか否かはどれだけの幸運に恵まれたか否かと同義だ。今の人間社会はそれが全てで回っており、過去どうだかは知らないが、少なくとも資本主義経済が完成してからその在り方で固定されつつある。
 栄誉は空から降ってくる飴だ。
 権威は過去から来る贈り物だ。
 仕事は幸運から隠す言い訳だ。
 誰も彼もが、自分に嘘をついて生きている。
 それは、人間社会そのものを嘘で構成し、嘘を広め嘘で支配しているからだ。汚らしい綺麗事を良しとするのもその一環に過ぎない。人間社会は支配者の為にある。だが、「自由」だとかを引き合いに出せば、それも事実がどうであるかは何の関係も無くなるだろう。
 それの積み重ねが、今なのだ。
 道徳や倫理、愛や友情、小汚い綺麗事を垂れるだけで実行した奴などいなかったというわけだ。だからこその今がある。私が否定するまでもなくこの世界にそれらは存在しない。世界の裏側ではなく、世界の表面に張られているのは薄っぺらい膜だったというだけのことだ。
 その膜を剥がすのが「作家」の「仕事」であり「物語」の「役割」だ。廃れてきたこの世界ではその事実を認識する奴も殆どいない。
 やはり・・・・・・運か。
 世界に刻む刃があったところで振るえなければ意味がない。刃は既に作り終えた。後は担い手を捜すだけだ。
 いれば、だが。
 広めるのは私の役割ではない。とはいえ役割を果たすではなく役割に溺れるこの世界で、役割を果たせる奴などそうはいない。いるかどうか分からない奴を捜すというのでは、正直神仏に祈っているのと変わらないではないか。
 どうしようもないのも確かだ。機を待つというのも私の場合無駄足になる気しかしないが、それでもそうする以外出来る事はなさそうだ。
 筆を休めながら待つとするか。
 それもまた、出来れば、だが。
 物語とは「どうやって書くか」ではない。当然だろう。技術で物語を書くとでも思うのか?
 腐れ非人間の煮汁として出るものだ。
 なので「何故書いてしまっているのか」こそが正解だ。嫌だ嫌だと苦しみながら書いてしまうのが物語の正体であり、書いているのか読んでいるのか、どころか仕事とは言うが売れもしない物語など何になるのかと死んだ方がマシな思考回路で作り上げてしまう煮汁が物語だと言える。
 物語物語物語だ。
 金にもならないのに、我ながら良くやる。宿命とはそういうものだが、限度のない最悪というのはこうも割に合わないものなのか。
 嫌な噺だ。
 傑作を書き、傑作を読めれば呼吸すら必要ない・・・・・・欲望とは世界に在り方だけで匹敵する為の態度の形を指す。であれば己を通し我を張れればその他全ては些細な事だ。しかし、私の歩く道は王道ではなく「邪道」だ。意地を通せれば死んでも構わないというのは昔から有る男の在り方だがそれに「実利」を加えなければ邪道ではない。
 意地を張るだけなら誰でも出来る。
 その上で、勝つ。
 掴むべきモノを掴み取る。
 それでこその「邪道作家」というものだ。現実には言うは易しだが、語らなければ始まらないのもまた「事実」だろう。私の場合当たり前の前提は出来ているものの、その後に手にするべき勝利に縁遠すぎるのが玉に傷だ。
 上手く行かないものだ。
 実際、世界は理不尽だ。理不尽こそが世の真実であり、理不尽だからこそ得るものがある。だが理屈など知るか。世界に合わせる義理もない。
 元より世界の敵対者だ。
 例え世界を滅ぼそうが、私が実利さえ掴めればそれでいい。心の無い私に心ある連中の社会などどうでもいいものだ。向こうが此方を数に数えないのだから、此方としても数える必要はあるまい・・・・・・なに、要はお互い様だ。
 そんな社会の中では自分ではない誰かの都合で動いたところで、殺しの依頼にせよ仕事の在り方にせよ無駄足以下にしかならない。労働に身を費やして捨てられる労働者達もそうだが、始末依頼をこうして誰かに依頼される時点で、そのくびきから私も抜け出せていないのだ。 
 それでは意味がない。
 こんな所で足を引っ張られていられる程暇ではないのだが・・・・・・その一方で「仕事」という言葉の意味すら介さない原始人が「幸運」という至極下らない理由で成功したりするのだから、やはり手を尽くそうとする時点で駄目かもしれない。
 風任せで動くしか、ないのだろうか?
 そうかもしれない。
 いずれにせよ作家に出来る事など知れている。生まれついての作家に出来る事は精々呼吸の代わりに物語を綴り、食事の代わりに物語を食べて、欲望の代わりに物語で満足し、夢の世界ですらも物語を思い続ける程度だ。休みたくても休めない・・・・・・文字通り二十四時間年中無休だ。
 そんな奴に出来るのは物語を書く事くらいだ。そもそも物語を売ろうとする試みが管轄外であり役割の外にある。
 かといって、この私に相応しい敏腕編集者が、今の時代にいるとも思えない。作品を右から左へ動かすだけで「やることはやった」と思い込み、それを仕事と勘違いする馬鹿ばかりだ。今の時代真剣に物語に向き合う編集者などいまい。物語は麻薬に転じつつあるからだ。
 都合の良い夢を見る為の、麻薬だ。
 その程度の使い道しか思いつかない。金を儲けたいなら為替でもやればいいものを、何を勘違いしたのか「作家」という肩書きに浪漫を求め夢を魅せる職業だと思い込みたがる。馬鹿を言うな。物語とは理不尽に対する教訓であり、都合の良い夢を見たいなら新しい枕でも買えばいい。
 まあ、そんな事はどうでもいいのだろう。今は売れさえすれば猿でも「作家」だ。とはいえ私の場合は「邪道作家」として在り方を通さなければならないので、それだけでは足りない。金だけではなく私個人の自己満足が必要だ。
 そうでなければ私の充足に繋がらない。
 無論、売れる事が前提ではある。なので前提が達成できないのに姿勢だけは堂々としている今の私の姿は、滑稽かもしれない。
 それでも、やるしかない。
 だが、やるしかないからといってやりたい訳ではない。私の意志とは関係なく、あらかじめその道筋しかなかっただけだ。楽が出来るなら絶対にその方が良い。楽と楽しいは違うと抜かすのは、単に楽な道しか歩いていないからだ。
 だから、汚らしい綺麗事に拘れる。 
 勝つだけでなく勝ち方に拘らなければ、確かに頂点で在り続ける事は出来ない。しかしだ。勝ち方に拘る奴が、無駄な達成感の為に苦難の道筋を自分から選ぶ事も決してない。当たり前だ。苦難云々を自分から求めるなど、それこそ楽な道しか歩いていないから、徒労に等しい達成感を求める為に実利を後においてそんな綺麗事をほざくのだ・・・・・・手段は楽であるに越した事はない。
 楽を作る為に苦労をするからだ。
 その過程に拘るのは、単に余力と余裕に溢れているだけで、億万長者が腹が減ってからの方が飯が美味しいと嘯くに等しい。所謂その「善行」をしていると思い上がっている奴に限って、ロクな思考基盤がないものなのだ。
 そんなカス共を見れば見る程、連中は「幸運」に恵まれているだけで成功している事実が嫌でも理解させられる。空から降って沸いた何かが人生を左右し、培った何かは役に立たない。その癖、成長が大切だとほざく。うんざりだ。いつまでも人間の情けない言い訳など聞いてられるか。 
 金、金、金だ。
 それら鬱陶しい言い訳は、人間社会全体で常に誤魔化している屁理屈だ。そんな情けない戯れ言を無視するには、やはり金の力が必要だろう。
 この歪んだ世界では仕事をキッチリ成し遂げた所で、金にならないのが現実だ。何せ仕事の有無は稼ぐ金額と関係ない。実際、どれだけの人間が「仕事」だと思い込んで何も成していない癖に、多額の金を貰っているかは、想像に難くない。
 残念だが、大半は思い込んでいるだけだ。
 別に仕事ではない。
 働きもせずに、どころか幸運さえあれば仕事をするより遙かに稼げるのが現実だ。全うに仕事をしている私からすればたまったものではないが、それは変えようもない事実だろう。大体、編集者としての「仕事」をキッチリしている奴が一人でもいれば、私はこんな無駄な苦労をしていない。 全く、迷惑な話だ。
 いい年して仕事が何かもわからないとはな。
 己の役割を世界に示す、と考えてしまうと大半の輩は仕事をしていない。それを自覚するのが嫌だからかもしれない。無駄な見栄や虚勢を張らなければ自身を肯定する事も出来ないのだ。だから死ぬ前になって無念だと叫び出す。
 今までが薄っぺらだった事を、手遅れになってから自覚するとは、楽で羨ましい。
 才能があり過ぎる奴も同義だ。なまじ光が有り過ぎるが故に「手応え」を求めようとする。己が輝きすぎて些細な光では満足できない訳だ。何をしても己の光以上に捉えられない。逆に暗闇しか知らない奴は、わずかな光でも希望を持つ。
 しかし、それが何だ。
 楽をしているという事実は変わらない。大体、暗闇の中の方が希望を得やすい、などと考えるのは余裕有る持つ側の妄言でしかない。完全な暗闇の中では、希望など有ろうが無かろうが同じだ。希望如きでは役に立たない。希望を持つという事そのものが「無駄」だと思い知るからだ。
 生きる実感が得られないだと?
 別にそれでもいいではないか。
 実利に比べれば些細な事だ。そんな人間性など捨ててしまえ。金の力で己を良しと笑えさえすればそれでいい。
 他には何も必要ない。
 灰になるまで笑うだけだ。
 灰になっても、かもしれないが。
 栄誉も栄光も必要ない。そんなのは適当に済ませればいい。というか、それらは所詮、己で己の世界を肯定できるかであって、実際に世界や環境がどうであるかなど、何の関係もないのだ。栄誉を得る手段が必要なのではなく、栄誉を確信する確固たる自負がそこにあるか、だ。
 だから、売れればそれでいい。
 少なくとも、作家とはそういうものだ。
 自負さえあれば、文字通りどんな状況だろうが己を肯定出来るものだ。缶ジュースを買うだけで栄光を手に出来る。いや、缶ジュースを買おうが車を買おうが関係なく、常に自負を以て栄光だの栄誉だのを体現するだけだ。己の在り方に自負を持ち行動すれば、在り方を通した上で缶ジュース買う事に充足を得られる。
 だから環境や能力は関係ない。
 それこそ「逃げ」だ。戦う前から逃げているに等しい行いだ。敵前逃亡は切腹だと習わなかったらしい。楽な道のりで羨ましい限りだ。
 だが、私はそうも行かない。
 そんな、言ってしまえば「能力にかまけただけの楽な道」を歩けるほど恵まれていない。それが出来れば苦労しないだろう。
 惰性では決してない、というかそんな在り方は出来ないのだが、しかし、こうも無駄足が続くと出来る事は限られてくる。現実問題、作家である私に出来る事は、あまりない。作品の売り上げを上げるのは、元より作家の仕事ではないしな。
 とはい、己の役割を果たすだけでは、いや、己の役割を果たすかどうかよりも「幸運」に恵まれるかどうかで全てが左右される現代社会の中で己の役割を果たして生きる、という在り方は既に「時代遅れ」なのだろう。
 時代とは逆行するものだが。少なくとも、それが「仕事」であるならば当たり前だ。古いやり方で成し遂げなければ意味がない。
 それすらも運不運に左右されるとはな。
 計画を立てても策を弄しても行動しても他人の手を借りても真摯に成し遂げてもその全てが無駄に終わった。成し遂げた成果だけが山となり実利は霞と消えている。何の為に書き連ねたのか忘れそうになる噺だ。
 決まっている。金の為だ。
 初志貫徹。ブレるつもりはない。
 己を肯定する為の行いは、すべからくが金の為であるべきだ。そうでなければあやふやになる。辿り着くべき地平がぼやけてしまう。
 それでは駄目だ。直視しろ。
 運命を見据えて勝利するのだ。
 そうでなければ、何の為に息を吸って吐くのかという噺ではないか。決まっている。金を手にし自負を身に纏う為だ。それ以外に何がある?
 何も必要ない。あるとするなら捨てろ。
 人間性など、使い捨てればそれでいい。
 その場その場の実利に合わせて使い、不要なら捨てる。ゴミ以下の人間から出る綺麗事の道徳や倫理など、その程度で十分だ。
 人間性の全ては捨てる為にある。
 捨てて、何が得られるかだ。最初から捨て去る道だけがあった私には理解し難い考えだが、その人間性を捨て去る事に忌避を覚える奴は多い。
 人間性など、結局の所「人間の本質」から目を逸らし続け、「本当は人間は素晴らしいものだ」と己を誤魔化す為に使う免罪符に過ぎない。
 要するに、ただの情けない言い訳だ。
 そんな戯れ言聞いてられるか。
 いっそ改造でも施して、睡眠は要らず繁殖など不要で食事も必要としない効率的な生き物に変えてしまえばいい。少なくとも、価値を生み出せぬ人間など生きる必要はない。この世界では、人間そのものに価値があると勘違いされがちだ。
 まさか、だろう。
 人間など、幾らでも替えは利く。
 替えの利かないモノを作れる奴が有用なのだ。 その価値ある何かさえあればそれでいい。価値を生み出せない奴は淘汰するか、労働力に使用し人間性を捨てさせればいい。価値をせこせこ作らせさえすれば、それで世界そのものは回る。価値さえ作らせればそれでいい。私にとって人間とは価値を生み出す為の小道具だ。少なくとも、己の役割を示せる奴には小道具ではなく生きる価値が確かにある。だが、そんな奴は滅多にいないし、大半は価値を締めそうとすらしない。
 そんなゴミは、ゴミ箱に捨てて当たり前だ。
 今回の標的はある意味、その為の淘汰を自発的に行っていたと言えなくもない。であれば、私や所謂その「道徳的な人間」が思うよりも、以外と世界を淘汰に導き質の悪い人間を削るという発想は珍しくないのかもしれない。
 だとすれば、それは行幸だ。
 数を減らすだけでは駄目だ。大量殺戮もそれはそれで有用な面はあるのだが、しかしどうせなら計画的にするべきだろう。うっかり価値のある、というか価値を示せる奴が死んでも困る。なので社会形態そのものに淘汰の仕組みを取り入れる事が肝要だ。
 そういう思想も、私の作品を通して広まれば良いのだが・・・・・・それもまずは売り上げてからか。 振り出しに戻る訳だ。
 戻った所で、どうしようもないがな。
 外の景色でも眺めて気分を変えようと思い窓の外を眺めてはみるものの、人間で有れば銀河系を美しい景色だと感動するのかもしれないが、私はあくまでもその行動形式を真似ているだけなので何一つ感じ入る事などない。そもそも、感じ入る為に必要な「心」など持っていない。
 無論、無いなら無いで心の有り様を再現して、それに乗っ取った反応、肉体を制御し「感動」を無理矢理反射行動として取らせる事も出来るには出来るのだが、正直疲れるだけで得るモノは何もない。健康に良いらしいので「感動」を無理矢理肉体反応として何度が使ったが、やはり疲れる。 人間性とは、やはり役に立たないゴミだ。
 使ってやったところで疲れを増すだけとはな。 確固たる確信の無い世界で確固たる確信を示す事が否定される時点で、人間性などただの言い訳でしかない。その人間性とやらが社会を動かす事は無いし、まし彼ら自身、その人間性の有り様を信じてすらいないのだ。
 現代社会では「信頼」は存在しない。
 というのも、国家の有り様が一番分かりやすいだろう。今となっては国家という概念は絶滅している。国家という「枠組み」が残っているだけでそれを利用する事で美味しい汁を吸っているだけの連中が「政治家」を気取っているだけだ。
 誰も、人間性など信じてすらいない。
 その癖、人間性を信じたがる。いや、人間性を持ち上げる事で現状を誤魔化し情けない言い訳を繰り返す。自分達は「善良」で「価値ある存在」であり、目に見えている部分だけではない、と。そんな言い訳を繰り返していれば最後まで誤魔化せると自惚れている。
 まさか、だろう。
 人間性にそんな価値は無い。
 それこそ物語の中の噺であって、現実に人間性を示し価値を見い出せるのはそういう誤魔化しを一切、行わないからこそ成せる偉業だ。
 私に言わせれば、連中は生きる事を誤魔化している。手を抜いているのだ。それは能力の多寡や恵まれた環境、幸運によってもたらされた何かのおかげで誤魔化せるからだろう。手を抜いていても勝利を掴める奴には、そもそも生きるという事が何なのかすらわからないまま、最後までこなすからだ。
 空から降ってきた、あるいは生まれついて恵まれていた、最初から優れていた、そんな下らない何かを己の力と勘違いし、あまつさえ思想があるかのように振る舞う。欲望と言う言葉の意味すら理解していない癖に、己の浅はかな考えをまるで高尚な目的の様に語りたがる。
 実に見苦しい無様だ。
 露悪趣味があるなら余所でやれ。
 私に汚物を見せるんじゃない。
 そもそも目的に向かう、という時点で考え方がズレている。
 ささやかなストレスすら許さない平穏なる生活を目的としてもその根底にあるのは世界への敵意であって、それありきの目的なのだ。目的に向かうのではなく、そこにしか向かえないし、そこに辿り着いた所で更に先を目指さねばならない。
 明確な目的地がある訳ではない。
 むしろ、逆だ。
 漂う亡霊のようにその在り方だけで行動の全てを制約の元に縛り付けている。大体私の場合辿り着くべき目的というより必要に迫られた資源回収のようなもので、本来既に手にしているべき実利を手にしようとしているだけでしかない。目的地ではなく未払い金の回収作業だ。
 私の「傑作」は安くないからな。
 とはいえ・・・・・・現代社会でそれら全ては無力な徒労でしかない。本質などどうでもいい。その場その場の流行こそが全てを決める。そんな世界で真剣に生きている私は「要領が悪い」のだろう。もっと楽な道は幾らでもある筈だ。
 我ながら、よくやる。
 感心すると言い換えても良い。実際、歩くべき道筋とは本来であれば確信を持てないものだが、私の場合これ以外の道など有り得ないし、実利も手に出来ていないのに止める事も出来ない。確信を持つしかあるまい。私の有り様は「作家」以外には有り得ないのだ。
 それに確信を持てたから何だって噺ではある。何もかも充足を得ている奴に限って己の辿るべき道筋がわからなくて不安だ、などと良く抜かすが私に言わせれば金が無い方が遙かに不安だ。何せ歩くべき道筋が稼げないので有れば、確信を幾ら持った所で全てが無駄足に終わるのだからな。
 自我が芽生えてすぐ、いや、いっそ生まれる前から確信していた私には理解し難い考えだ。
 連中は余程、暇なのだろう。
 楽で羨ましい限りだ。 
 楽と楽しいは違う、楽しいモノが楽ではないのは当たり前だとほざく奴が多いが、だったら執筆の苦しみを一度味わってみろ。たまに、いや結構な頻度で「海底に沈められた方がマシ」なのではないかと思う。この世全ての呪いをかき集めた所で、執筆作業を十秒行う苦しみには届くまい。
 不信、憤り、苦しみ、嘲笑、歓喜、絶望、喜劇に悲劇。何でも良いがおよそよろしくない世界の全てが、物語を構成する。悪意の固まり、どころではない。今世界にある悪意を上回るからこそ、物語は魂を抉れるのだ。
 読者の魂に苦しみを。
 それこそが、「物語」の「役割」だ。
 そうでなくては面白くない。面白ければそれでいい。作家とはそういうものだ。
 でなければ、非人間が務めまい。
 それを、人間がやろうとするから矛盾が生じるのだ。人間を否定する為にある兵器を人間性などを信じる奴に書かせてどうする。もっと悪意を、もっと絶望を、もっと不信を、あらゆる人間性を否定する事で「人間を否定する」事だけに向かう戦略兵器こそが「物語」なのだ。
 それも、ただ否定させるのではない。
 
 人間に人間を否定させるのだ。
 
 これ以上の「悪」があるか?
 ある筈もない。だからこそ、作家は最悪の存在であり続ける。この世全ての悪は人間の中にあるが、その世界の悪意を上回る最悪は、作家の綴る物語の中にある。物語とは今ある人間性の全てを破壊し尽くし書き換える為にあり、人間の為ではなく人間の敵対者が作り上げる兵器だ。
 だが、それを容認しない社会など、長持ちするとは思えない。世界を繁栄させるのは悪であり、間違っても善性ではない。
 怠惰に停滞するだけだ。
 実際、そうだ。ゴミのような情報が溢れ、濾過されずに漂い続ける。やはり物理的に生物淘汰を行わなければならないのだろう。少なくとも人間が自発的に悪意を以て世界を変えようとするとは思えない。どうせ汚らしい綺麗事を振りかざし、情けない言い訳で誤魔化すのがオチだ。
 それでは何も変えられない。
 不真面目でも良いが、手抜きは許さない。戦いもせずに逃げるなど言語道断。世界に挑まない奴は悉く始末するべきだ。己の「役割」一つ持たず恵まれた環境で「生きている実感が掴めない」とほざく愚か者に、生きる資格など必要ない。
 ならば死ね。生きる実感を得られないなら死ねばいい。いや、既に死んでいる。死体があれこれほざくんじゃない。動いていては通行の邪魔だ。 はっきり言って、迷惑だ。
 こちらは真剣にやっているのでな。散々恵まれておきながら、恵まれているから充足を得る事が出来ないなどと、そんな情けない言い訳をする奴に得られる何かなどない。環境や能力が何であれやる奴はやるのだ。それを実行もせずにあれこれ言い訳しているに過ぎない。
 ただのそれだけだ。 
 そんな言い分が通ると思うのか?
 生憎だが、私が通さない。 
 それこそ敵前逃亡だ。とはいえ、介錯を務めるのも面倒なので、そういう連中が自動的に消えてなくなる仕組み作りが肝要だろう。私の物語にもそれを行う為の思想は書かれている。であれば、後はそれを読ませるだけだ。
 読ませられれば、だが。
 何とかするしかない。正直、全ては運不運だ。内容が加味されない社会では当然だろう。何かを成し遂げるかではなく成し遂げていると思わせるかが実利に結び付くからだ。都合の良い協力者を得る事も叶わない以上、策は尽きたに等しいがな・・・・・・やるしかないからやるだけだ。
 やりたくもないし、はっきり言って無駄足だがそれ以外の道もない。全く、馬鹿馬鹿しい噺だ。最初から敗北が定められているとはな。
 まあ、それも今更ではある。
 最初からわかりきっていた事だ。生まれついて持つ側と持たざる側、線引きされる世界の基準は運に選ばれるか否かだ。個人の意志が世界を動かすかのように錯覚させる教えは多いが、それこそまさかだ。実態は違う。単に、それが支持されただけで、その支持は必然では断じてない。
 必ずそこには「運不運」が絡む。
 嫌な噺だ。
 それでも止まれない。止まる方法などないし、私には諦めるという概念そのものが存在しない。そんな「心」など持ち合わせはない。我ながら、よくやる。そんな様で儲けられてもいない癖に、語り続けるというのだからな。
 私はこの世界の流れの中にはいない。だから、金さえあればそれでいい。あの世があるとして、魂が巡るのだとすれば、私はその外側にいるのだ・・・・・・例えその流れに準じようが、それは人間や怪物のやり口に合わせているだけであって、それだけだ。今と同じ、その在り方を真似ているだけに過ぎない。
 その在り方を「間違えている」と連中なら思うのかもしれないが・・・・・・それを言うなら私の場合「存在そのもの」が最初から間違いだと言える。少なくとも、連中の側からすれば「正しくない」生命だと言えるだろう。
 だが、知るか。
 連中の規範、連中の基軸、連中の思想の全ては私には何の関係もない事だ。合わせなければ金を儲けられないからそうしているだけであって別に何か共感している訳ではない。そんな筈がない。共感する為の機構など、私には無いしな。 
 ならば、押し進めるだけだ。
 生命の在り方としては間違えているのかもしれないが、そもそも私は生命ではない。心無く共感しない奴を、生きているとは呼ぶまい。
 魂すら存在しない。
 無機物よりも生命としては希薄だ。
 それを生命と考える位なら、正直なにもない方が良いだろう。むしろ、私がそこにいるだけで、世界の生命を否定している。人間らしい在り方の全てを否定し、それらを覆す事のみを良しと笑う最悪に、人間らしさなど求められても迷惑だ。  その在り方を善意だとか道徳だとかで否定するのは、単に私という存在を容認できない奴がそう口にしているに過ぎない。もっともらしい屁理屈で道徳を押しつけ、私という最悪を許容出来ないだけだ。そして、許容される必要もあるまい。
 誰に許容される必要もない。
 全てから外れているのだから、後は金さえあればそれで解決だ。前々から思っていたが、あの女といい本当は意図的に「人間性」を押しつけて、私の在り方を邪魔する為に足を引っ張っているのではないかと勘ぐりたくなる。そうでもないのにここまで金儲けが上手く行かないなど有り得るのだろうか?
 有り得そうで嫌な噺だ。
 悪運には自信がある。嬉しくない確信だが。
 やはり人生など楽をするに限る。苦労した方がとか楽と楽しいは違うだとか「持つ側」の余裕に溢れた贅肉まみれの台詞にはうんざりだ。ならば「苦」だけの道程を喜べとでも? 
 馬鹿馬鹿しいにも程がある。
 少なくとも、そういう戯れ言はある程度恵まれているからこそ出る台詞だ。呪われているように恵みと程遠い在り方を送った奴が、そんな台詞を吐く姿など見た試しがない。確かに苦難の道筋を進む姿には見応えがあるが、それにしたって実利あればこその噺だ。
 都合良く勝利に恵みが付随する物語。最近ではそういう物語は多い。現実に何かを成し遂げるのであれば、才能だの環境だのに恵まれでもしない限り、そんなやり方で成し遂げるのは不可能だ。まさか、だろう。だからこそ売れる、いや売れてしまっているのだ。
 都合の悪い理不尽よりも、都合の良い展開に酔いしれたい。現実には成し得ずともそういう物語を読む事で、まるで「成し得たかのような気分」になるのだ。結果として、夢物語に思いを馳せるだけで、現実には成し得る方法すらわからないでいる・・・・・・当たり前だ。
 現実ではなく夢を見ているのだからな。
 そんな連中にすら「運不運」とやらのおかげで稼ぎの額で勝れないというのだから、一体、他に何があるというのだ? 漫画じゃあるまいし信念で腹は膨れず正しさなどただの思いこみで仲間の助けなどただの妄想だ。
 
 機を待つ、それしかない。
 
 訪れなければそこまでだがな。
 色々と手は打ったが、つまらん不運や情けない論理に言い訳され続けるだけで、そもそも道理に従って噺が進む事すらない。これではどうしようもないというのが素直な感想だ。どうしようとも売れる物語は売れるのだから、いや物語に限らず「売れるから売れる」というのが資本主義の真実なのだ。どんな下らないゴミであろうが、それが「幸運」に恵まれてさえいれば、売れる。 
 そして、金を掴み「成功者」を名乗る。 
 それらは全て「実力」など関与しない。実力で成り上がったと思い込みたがる奴が多いだけで、実際には違う。当たり前だが、実力と勝利は何の関係もない。ただそこに「幸運」があるかだ。
 世の中その程度だ。
 人間の意志など、その程度。
 その程度だからこそ、力がありその力で人間は成し遂げたのだと、そう誤魔化しているだけで、実際には何をしようが同じ事だ。
 何の関係性もない。
 少しは現実を見ろ。
 だからこそ「確固たる己の道」を、歩くだけでは駄目なのだ。力が付随しなければ無為に終わる・・・・・・散々成長し、成果を出し、進むべき道筋を進んだところで、それとこれとは別の話であり、運の風向きであっさり消える。
 そんな下らない風向き一つで微動だにしない己の在り方を貫き通し、その上で勝たなければならないのだ。正しいとか正しくないとかそんな暇な議論が出来るのは「持つ側」だけだ。要するに、自分で自分を認められず、その癖周囲には認めて欲しいという、赤子に等しい下らない思想を持つからこそ、大義の有無などという暇人の議論などをしている余力がある。
 ふん、そんな連中に生きる価値などない。
 ゴミは捨てろと習わなかったのか?
 忌々しい事にそんなゴミ共が助長する運の風が吹いているというのだから、正直笑えない。このままではゴミがゴミを作り世界はゴミで埋め尽くされるだろう。いや、既に埋め尽くされている。 人道的な殺し方。
 道徳的な奴隷制度。
 倫理的な違法行為。
 散々撃ち殺しておきながらガスや火炎での殺しは「非道特的」だと叫び、奴隷制度は許されない一方で経済的な格差や立場による搾取、事実上の奴隷を増やし、賭博や麻薬を違法行為だと言いながら競馬や煙草で儲け、あまつさえそれらの行為に目を瞑る事で、警察がみかじめ料を貰ったりもする。
 それでいて叫ぶのだ。
 自分達は「正義」だと。
 正直、私が言うのも何だが世界は十分に狂っているのだ。見たくないからと見もせずに蓋をして表面だけで世界を語り、汚らしい綺麗事をほざいていればそれで世界は善良だと思い込む。十分に狂っている。何が凄いって、よくそこまで自分を誤魔化せるものだ。
 呆れを通り越して、唖然だ。
 他にやる事はないのか?
 まあ、ないのだろうが。
 楽で羨ましい噺だ。心など無いが、本当にそう思うのだ。どれだけ楽なのだろう。己の道を探しもせず、困難な道は無視して、汚らしい綺麗事に耽溺していても「幸運」に恵まれ不可能に挑むのではなく、出来る事を右から左へするだけで金が稼げるのだ。
 これ以上の「楽」があるか?
 楽と楽しいは違うと言うが私に言わせれば連中の面を見るだけで不愉快になれるので、やはり、楽を除いて残るものは、悪意による人間性の否定だけだ。「悪」だけがそこに残る。強いて言えば楽を除いて悪道を進むからこそ「楽しい」という事になるのだろうか?
 あまり楽しくはないが。
 それも、金を掴めてこそ、だ。
 実利が無ければ台無しだ。
 その台無しを味わい続けるからこそ「悪」だと言える。悪とは、追いつめられた者なのだ。世界に後押しされ最初から勝利が確約されている奴に悪意など必要ない。そんなモノがなくても生きていけるし、全ての実利は手に入る。
 だが、悪はそうもいかない。
 悪意でも無ければとても勝てない。だからこそ悪に成る。いや、最初から最後まで生まれついての悪として、存在そのものが悪であるからこそ、勝てない戦いに挑むのだ。 
 無論、負ける為ではない。
 負け戦を覆さなければならないだけだ。
 不可逆を可逆にし、不可能を可能にするだけでは足りない。奇跡程度では不十分だ。元より悪にそんな後押しはない。都合の良い何かを受け入れられないからこその「悪」だ。
 であれば、悪に必要なのは何か? 何度も言うようだがこの世界に「欲望」という概念があるとして、それは「世界」に敗北している奴が、その態度だけは世界を凌駕する姿勢を指す。とはいえ態度だけでは勿論足りない。
 それを金に出来るか否か、だ。
 そして金にした上で、世界に示し、世界に広め傷跡を付ける。浅い傷では駄目だ。全人類が忘れたくても忘れられない深い傷を負わせてこそ記憶に残るというものだ。
 私の場合、読者共の事だ。
 金に換え、読者の心を抉り、人間性を否定する思想を植え付けてこそ勝利と呼べる。まさに最悪だが、それも今更だ。大体、正義が嘘八百の理想であるなら、悪とは揺るがない事実を指す。
 目を背けるな、現実を見ろ。
 貴様等は、未だ何一つ成し遂げてはいないのだ・・・・・・右から左へ、出来る事をしているだけで、不可能に挑み世界を変えようと足掻いていない。 特別な奴でなければならないのかだと?
 その通りだ。厳密には特別がどうのではなく、特別であろうがなかろうが世界に挑み、戦う奴に生きる資格がある。ふん、それこそ凡俗であるか否かは関係ない。言ってしまえば己の道を示そうとした瞬間から、その個性は特別になるのだ。
 それが出来ない奴に生きる資格はない。
 私が断言してやろう。
 平和だからそんな必要はないだとか、戦わなくとも大切な個性だとか、幸せそうに笑っているのだからそれでいいとか、よくもまあ、赤子がするような情けない言い訳を繰り返せるものだ。
 残念だが、そんな言を口にする資格はない。
 老若男女問わず、生きる価値無し。
 
 価値の無いゴミは、死ね。
 
 生きようとしない奴に、生きる資格も価値も、ある訳がないだろう。
 甘えるな、屑が。
 どれだけ辛かろうとどれだけ不可能だろうと、やるべき事柄から目を逸らすな。どうでもいいが私が口にすると説得力がありそうだ。何せ、散々それを繰り返して負け続けているのだからな!
 要は、ただの貧乏くじでしかない。
 嫌な噺だ。
 
 綺麗事を囁くだけなら誰でも出来る。

 だが、絶望の淵にいる奴、勝利の味を知らない奴、持たざる側にいる奴、そういった連中の心を動かす言葉を並べたところで、だから何だ?
 世界に広まるのは薄っぺらいゴミであって言葉に説得力があるかは何の関係もない。変える以前に広まりもしない。現実に力を持つのは汚らしい綺麗事であって、それらの思想がどうすれば波及するかも、結局は「運不運」だ。
 ただの「幸運」任せでしかない。
 つまり、「持つ側」にいる奴であれば、何でもいいのだ。幸運に愛されるか否か、であれば何を語ろうが持たざる側では意味などない。
 ただの徒労だ。
 意味も価値もありはしない。こうして筆を動かすのも、ただの徒労だ。押しつけられた貧乏くじを引かされているだけで、私の意志など関係ない・・・・・・・・・・・・そういう意味では、思想の内実など価値はないのだ。少なくとも何の力もなく、何が変えられるわけでもない。
 まさか、だろう。
 そんな事が出来れば苦労しない。
 思想が正しいから変えられるのではない。力があるから変えられるのだ。民衆の思想が正しいかどうかではなく、民衆の暴力が強いかだけが世界を変える基準になる。だから、力がなければ何の意味も価値もない。
 何もしていないのと同じ事だ。
 全く、いい迷惑だ。
 そんな事はわかりきっていると言うのに、作家などという腐れ職業役しか、私には回ってこないというのだからな。その癖私が「仕事」を成したところで、それに見合う報酬どころか、自分達は仕事をしないで儲けようとする。編集者ごっこをするだけで金を要求し、右から左へ作品を横流しすれば役割を果たしたとほざき、売り上げは作品次第だと情けない言い訳をするのだ。
 それこそ誰でも出来る。というか、別に依頼をする必要すらない。それでいてやることはやったと思い込めるのだ。 
 楽で羨ましい噺だ。
 幸運に恵まれていれば、その程度でも金を儲けられ、おまけにその程度の有り様で自己満足する事が出来る。そして右から左へ欠伸でもしながら手を動かしていれば「仕事」だと言い張れるのだ・・・・・・これほど楽な作業があるか?
 何せ、本人は何一つしていない。
 全て「幸運」が肩代わりしてくれるのだから、本人の意思や行動が挟む余地などない。その横で意志や行動を徒労に終わらせ続けるのが持たざる側の宿命だ。「努力ごっこ」で何事かを成したと思い込み、まして何かを変えようと思った事すら無い連中が信念を語り出す。
 世界に挑もうとしないのだ。
 その様で、よく不平不満を吠えられるものだ。まあ、太り過ぎた豚には難しい噺か。脂肪の塊に生きる意志など必要あるまい。いずれにせよ幸運による要因などに価値はないが、そのようなゴミで世界が動くのも事実だ。なのでこの場合価値は無いが力と実利はある、と評するべきだろう。  それ以外に何がいるのかという噺だ。
 何も必要ない。それが「全て」だ。
 であれば、私もこのような遠回りの徒労など、ただの無駄足なのだからそれはそれとして適当に切り上げて、何か、それらしい流行に乗っ取った物語でも書いてみるか? いや、それが売れるかも結局は「運不運」に左右されるのだから、そもそも「物語を書く」という行動そのものが、幸運が金儲けを後押ししてくれる奴でなければ、何の意味もない徒労なのだろう。
 元より物語などただの徒労だ。
 読んで学び、それが何になる?
 勝利者になれるか否かは、本人の意思や行動、あるいは知識の有無とは関係ない。お飾りの愚王がいない国など有りはしない。正しいから勝てると思い込む「持つ側」は多いが、まさかそんな訳が無いだろう。「勝てるから勝てる」のだ。別に本人の意志や行動など、何の関係性もない。
 それが「事実」だ。
 事実も見据えずに勝利出来るのだから、別に、現実逃避をしながら都合の良い妄想に浸り続けたところで、勝利と実利には関係ないがな。
 自分の行いを誰かに肯定して欲しい、そう願う時点で恵まれた「持つ側」の証だ。現実には勝利と意志は関係ない。だからこそ、そんな余裕ある発言を出来る時点で、言ってしまえば「勝利に花を添える」余力があると言える。保守派の政治家もそうだが、恵まれてなければそんな発想が出る筈もない。
 とどのつまり、そんなのは遊び人の発想だ。  実に羨ましい噺だ。これほど楽な人生はない。私も、連中のような楽がしたかった。何かを成し遂げたところで、何になる訳でもないからな。
 無駄足を踏み、塵も残らないだけだ。
 後生に伝わりもしない。
 最初から生きていないのと、同じ事だ。
 精々適当にやるとしよう。いつも思うのだが、私は真剣に仕事へ取り組み過ぎなのだ。率先して休みを取るべきだろう。
 バカンスか、検討しておくとしよう。
 まあ無理だろうが。
 こうしている今も、私には「何を書かなければならないのか」が頭に浮かんでしまう。書くべき事を書かなければならない、という使命感とでも言うべき衝動だ。世の凡俗共は「生きる実感」を求めている奴が多いが、それは己の役割、果たすべき道筋が無く、代わりの利く存在である事に、特別ではない事に耐えられないからだろう。
 だから、そんなモノを求める。
 しかし、だ。実際そんなのは当人の思い込みでしかない。何より、生まれついての特別さなど、底が知れている。それが何者であれ、特別であるかを語るのではなく、特別な何かを示そうとし、そう在ろうとする事が肝要だ。
 以前、何もかもに恵まれたボンボンのお嬢様が私に依頼を出そうとした事があったが、あれは、特別なのでも何でも無い。大勢の男を侍らせ能力に恵まれた所で、結局は他者の都合を理解出来ず自身の都合を押しつけているだけだ。
 私か?
 無論、他者の都合を深く理解し、解明した上で己の都合をどう通せるかを考えている。生憎だが同じではない。その場合であれば、どちらにするのかを選べるではないか。仮に身内(私にそんな奴が出来るとは思えないが)に対しては甘くするのが悪人の特長だとすれば、他者には己の都合を実利になる形で通し、身内にはその都合を尊重し相手を立てる事も容易だ。
 恵まれている奴にありがちだが、大勢の人間を従え支配している、のではない。単に、それらの人間全てに「相手にされていない」だけだ。
 相手を見なければ、相手も自分を見ない。
 そんな当たり前の事を知らないだけで、能力や立場、権威や暴力で他者を従える事に、さしたる意味など存在しない。それこそ妄想の類だ。
 現実を生きていないだけだ。
 現実を、他者の都合を、他者の思想を解さない奴が、それらに何を思われる筈もない。精々邪魔であると思われるだけだ。
 それでは意味があるまい。
 敵の都合を深く理解し、その信条を尊重した上で勝利する事に価値があるのだ。真正面から敵の都合を叩き伏せてこそ、面白い。
 面白ければ、それでいい。
 悪人とは、そういうものだ。

 そして、話は戻るが生きる実感が欲しいなどとのたまう凡俗共が確固たる己の信条があり役割を果たす事に憧れるのかと言うと、それが原因だ。 生きようとしていない奴が、生きようとする奴に自分には無い何かを求める。
 そんなのは、当たり前の事だろう。
 私の場合、意図せずしてその確信を抱かざるを得ない状況だ。これだけ執筆に生きなければならない奴に、むしろ他の道筋など有り得まい。
 だが・・・・・・幾ら己の道筋に確信を持てた所で、それが金にならなければ虚しいだけだ。それでも己の役割があると無いとでは違うだとか、己の道を進む事にこそ生き甲斐を感じるのだとか人間であればそう言うのだろうが、心を持たない化け物にそんな事を言われても困る。
 私は金が欲しいのであって、道筋はあくまでもおまけだ。それに人間、というか、心ある全ての生命体が生きる上での充足を感じるから真似しているだけであって、実際問題私には「充足を感じ糧とする」機能が搭載されていない。そうする事で本当に何かを感じている訳ではないからだ。
 それを「充足」という事にし、人間の物真似をする事で在り方を固定しているだけだ。何にせよ仕事をするのは必要だからな。
 心が有ろうが無かろうが、同じ事だ。
 仕事が無ければ何の為に生きている。
 そこに充足があるか否か、それさえも関係ない話だ。仕事を示し役割を示し世界に示す。だからこそ、面白い。例え、何も感じずとも。
 悪とはそういうものだ。
 まあ、そんな在り方を得れれば凡俗共なら満足出来るのだろうが・・・・・・どんな仕事であれ稼げる事は前提だ。実利にならなければそれも空回りもいいところだろう。生憎だがそんな、人間の望む自己満足で充足するつもりは、ない。
 ささやかなストレスすら許さない平穏なる生活・・・・・・それを、豊かさと仕事の充足で支えながら過ごす。それが私の「目的」だ。
 目的を目指す事に充足を感じるなど、二流以下ではないか。あくまでも果たしてこそ、だ。凡俗の浅はかな発想に合わせる義理もないしな。
 金、金、金だ。
 世界は金で出来ている。
 人間は金で作られ金で生き、金が人間を構成し成長させる。何をするにも金が必要だ。であれば何かをする行いそのものが金を必要とする。
 結果、金があるからこそ、得られるのだ。
 無論、金が無くとも得られるモノは多いがそうではなく、果たすべき目的とは金を得られる何かでなければならず、何かを志すならそこには必ず金が付随するというだけだ。言ってしまえば金を求めるから目的があるのではなく、目的を求めるなら自然と金が付随するものでなければならないのだ。
 金が付随しない目的など、底が知れる。
 世界に何かを示すのなら、それは必ず金になる・・・・・・要するに、何をするにも突き詰めれば金に換えられなければならないのだ。金に換えたいが故に仕事があるのではない。仕事を示すのなら、必ず金になる形でしなければならず、仕事を成すのであれば、金にならなければならない。
 金になるからこそ「仕事」と呼ぶのだ。
 作家の様に因果な職業で有れば、己自身はともかくそれを「仕事として活かす場所」には非常に恵まれ難い。どんな仕事であれ、認めさせる事が出来なければ敗北だ。だからこそ、金だ。物語を金に換え、読者共から金を巻き上げる。
 それでこそ「邪道作家」というものだ。
 だからこそ、世界は面白い。
 生きてやるだけの価値がある。
 金になりさえすれば、だが。そういう意味では発展途上だ。まだまだ足りない。そこを埋めなければ話にならん。物語とは、元より嘘八百を読者に吹き込み、それを金に換える詐欺でしかない。ならば、率先して騙すだけだ。
 読者の不幸は作者の喜びだ。楽しくて仕方ないではないか。他者の不幸が利益に繋がる事が実感出来るのは、最高の娯楽だろう。
 それでこそ、悪の華が咲ける。
 その方が面白いしな。
 いずれにしろその為であれば、人間性など捨て去ればいい。実利に比べれば安いものだ。代わりは幾らでも利く。元より私に人間性、あるいは、その人間性を育むなにがしかの縁など存在しないのだから、考えるだけで時間の無駄だ。それは心ある連中の考える事であって、私には関係ない。 要らないゴミはゴミ箱へ、だ。
 使えないモノは、それが生物の有り様であろうとも、幾らでも捨て去るべきだ。下らないゴミを抱えて、敗者に成り下がるのは御免被る。
 それが不要なら捨てればいい。
 そうじゃないか?
 まあ、違ってもやるのだが。
 正しいか正しくないか、などを論じる程暇ではないのだ。そんなのは歩く当人が勝手に決める事であって、世の善悪を基準に語る遊び任ではあるまいし、現実に生きるならば何をしようが目的に辿り着く必要がある。
 それに比べれば人間性の百二百、安いものだ。 世界の一つ二つ、別に構うまい。
 何、駄菓子みたいなものだ。幾らでも量産可能なのだから、必要なら新しく作ればいい。世界の全ては代用可能だ。
 金さえあれば、だが。
 心だの魂だの人間性だのを必要としない私にはそれが全てだ。連中の必要とするものが必要ない以上、金で物理的に充足できればそれで終わる。 いや、全てを始められるのだ。
 執筆が作家にとっての戦争だとしても、未だに実利を手に出来ていない以上、征服した領土から資源を搾取出来ないようなものだ。
 荒廃した領土だけ増やしても意味があるまい。 何としてでも・・・・・・大勢の人間を犠牲にすればするほど現代社会では「成功者」になれるのだ。であれば、率先してそうするべきだろう。
 即ち、そう、編集者からの搾取だ。
 編集者に搾取され、利用される今までの作家共のやり方では、どうしたところで勝利出来ない。立場を逆転させる必要があるだろう。いっその事編集プロダクションごと買い占めるか? そんな金があれば、だが・・・・・・やはり難しい。
 とはいえ「搾取する作家」とは、何とも邪道の作家らしいではないか。
 検討の余地はある。
 世界を見渡せばわかるように、他者を苦しめれば苦しめる程、殺せば殺す程、搾取すればする程幸せになれるものだ。他の誰かに対して、如何に不幸を押しつけるか? 人間社会の本質はそれであり、どう言い繕ったところで希代の億万長者というのは物語の作り手でもない限り、分かり易く偽善を売り金に換えている。
 無論、作家は偽善ではなく悪意を売る。
 汚らしい綺麗事で汚臭を漂わせるか、現実だけを見据えた悲しい現実を叩きつけるかの違いだ。 違いがあるとすれば、仕事をするか否かだ。
 働きもしない奴には、分かるまい。儲かりさえすれば働いていると自惚れる読者共には、特にな・・・・・・己の役割も持たぬ遊び人には無理な話だ。 だからこそ、金だ。
 何せ、そんなゴミ共でも金さえあれば世界を回せるのだからな! ゴミにそこまでの力を与える金の力を、精々個人的な生活に利用するだけだ。 具体的には、そうだな・・・・・やはりここは優秀な人材を雇用して、労働を通して洗脳し、生活の為に何でもするように聴許するのも有りだろう。 実際、良いかもしれない。
 そいつの人生は間違いなく破滅するが、こちらには何の関係もないしな。しかしまあ、そんな金があるなら苦労はない、か。
 とはいえ、実際必要なのだ。洗脳するかは別としても、作品を宣伝できる優秀な人材がいる。
 いや、いっそその二つを複合して実行するのもありか? 最初から手間暇かけて、会社ごと私の作品を宣伝出来るように育て上げ、その中に優秀な人材が育つよう仕向ける。馬鹿馬鹿しい。話が遠大過ぎる。私は今売りたいのだ。
 年寄りになってからでは意味があるまい。
 若い内の失敗は売ってでも金に換えろ。失敗が糧になるなどと、戦った事もない奴に限って口にするものだ。戦いとは、即ち「不可能に挑む」という事だが、なまじ満たされた愚か者はその優秀な能力で勝つ事が「戦い」だと思い込む。
 それは作業と同じだ。ただ出来るからしているだけで、何一つ戦ってなどいない。不可逆を可逆にするなど、生きる上で当たり前の事だ。
 息を吸った事もない奴が、酸素の有用性を説くようなものだ。であれば、そのような妄言など、信じるに値しない。若い内に成功しろ。道徳などより金を重視しろ。倫理は守るな、法律の抜け穴をくぐり抜け、敵を踏みつけ生き延びろ。
 老若男女容赦はするな。必要であれば殺せ。
 それが「生きる」という事だ。
 善悪など、絡みつく余地は存在しない。それを語るのは、単に生きる必要がない程余裕が溢れる愚か者だけで、参考にする必要などない。
 目の前に敵がいれば、叩き斬る。
 勝てば生きる。負ければ死ぬ。
 得れば富む。失えば貧する。
 それだけでいい。他には何も必要ない。相手が何者であろうが、そこを誤魔化すなら生きる資格など存在しない。
 そして、そういう価値のないゴミこそ誰にでも生きる価値はあるだの、人間に代わりは利かないだのと抜かす。世界の現実を見据えずに、世界の有り様を語るのだ。まさに子供だ。妄想に浸っていれば、恵まれている連中はその妄想を垂れ流しているだけでするべき事をしていると自惚れて、下らない自己満足で犠牲を出し、迷惑をかけ続け身勝手にそう思い込み続ける。
 そんなゴミは必要有るまい。
 そういうゴミを率先して減らす為にも、そう、減らす為だ。生きていないのだからそんなものは部屋の隅にある埃と変わらない。 
 だが、世界というのはそういうゴミこそを支援する。どうしたものか。
 鬱陶しい限りだ。
 個人としての目的は豊かな生活ではあるが作家として、否、邪道作家として成すべき使命があるとすれば、それは全ての人間から道徳や倫理の皮をはぎ取り、全ての人間が悪を自認し、悪として活き活きと生きる世界を作り上げる事だ。なのでこれから先の世界にそういうゴミは必要ない。  私の目指すべき地平線だ。無論、目指すだけでは足りない。辿り着かなければ。人類の未来の為にも必要な行いだろう。
 人類が滅ぶとすれば、それは悪が原因ではない・・・・・・その理由は「平和」だとか「偽善」であり「綺麗事」という名の「現実逃避」だ。
 それこそが、世界を腐らせる。
 ゆっくりと、だが確実に。
 争いは必要だ。戦争が無ければ資源が枯渇して死ぬだけだ。世界は平等ではない。まして優しくもない。生きられるから、生きるだけだ。そこに綺麗事が入り込む余地など無く、なまじ恵まれた奴ほど「正しいから成功した」と錯覚しがちだが・・・・・・そう思いこめる余裕があるだけだ。
 ただのそれだけの、妄想に過ぎないのだ。
 その妄想を押しつける力があるだけなのだが、持つ側にいればその程度の現実も見えない。現実とは持たざる存在に立ちはだかる壁であり、勝利を容易く掴む満たされた人間が錯覚する苦難の道など妄言にしてもおこがましい。
 分を弁えろ。
 幸運に恵まれただけの愚か者に限って、まるで正しい道程を歩いたから因果応報の法則に従って成功し勝利を掴んだとほざき出す。馬鹿馬鹿しいにも程がある。右から左へ出来る事をしてきた奴には分かるまい。苦難を知らない奴が苦難を語り敗北を知らない奴が敗北を語る。
 実に滑稽な話だ。
 それで世界が回る筈もない。
 回していると、思い込んでいるだけだ。
 だから、世界を動かせる程の金を手にした所で下らない偽善の寄付金程度にしか、使い道を思いつかないのだ。他にやる事があるだろう。まず、そこまで富が集中している時点で自然な流れではなく、歪んだ搾取が存在する証左だ。それら事実を見ないフリして新聞に聞こえの良い宣伝を歌い支持を集めていると自慰行為に浸る。
 生きる、という行為を無視しているのだ。
 それで世界を変えられる訳があるまい。
 世界を見ていないのだからな。
 逆に言えば、世界を見てすらいなくとも、ただ「幸運」に愛されさえすれば、世界を動かすだけの力すら手に入る。それも、あっさりとだ。
 既に世界は狂っている。
 何一つ、真っ当な部分など存在しない。
 何せ、作家が編集者の真似事をしなければならないのだからな。今や右から左へデータを動かすだけで大金をせびる愚か者しか、編集者を気取る奴はいない。嘆かわしい話だ。それで大金を貰えなければだだをこねる馬鹿しかいないのだから、物語が衰退するのも頷ける話ではある。
 前にも書いたが、作家など既に絶滅している。それは編集者も同じだ。いや、全ての職業がそうなのかもしれない。聞くが、物語を語る事で世界に挑もうなどという異端者が、今の世の中に何人いるというのだ?
 そういう思想そのものを「平和」は殺す。
 要するに、平和などという有りもしない妄想を全ての人間が率先して行い、現実逃避をする事で世界の現実から目を逸らし続けるのだから当然だと言える。当たり前だ。それで世界を先へ進める選択肢が浮かぶ訳がない。
 考えすらしないのだ。
 ふん、言ってしまえば滅んだ世界の復興を願う旧人類と言ったところか。時代遅れ、どころではなく既に滅んでいる。既に死に絶えているのに、諦めきれずに世界を壊そうとする。今更だが最悪だとしか言いようがない在り方だ。何せ、現行の世界が望まない事を、率先して行うのだ。
 何もかもが間違いだ。強いて言えば、生まれる時代を間違えたのだろうか? いいや、どの時代でも大して変わるまい。全ての人類が間違い続ければ、その間違いを指摘する事は間違いになる。ただそれだけの事だろう。だから、連中は躍起になって自分達の「正しさ」を肯定するように迫るのだ。無理矢理にでもそうさせなければ、自分の在り方を認められないのだろう。
 実に小さい。
 道端の石の方が、まだマシだ。
 今の人類が抱える誇りなど、所詮その程度だということだ。貴様等に価値はない。後々に伝える信念も存在しない。何一つとして残る物はない。 最初からいないのと、同じ事だ。 
 であれば、そんなゴミはどんどん死ぬべきだ。死体処理場が追いつかなくなるまで、役割のないゴミは死なせなければならない。いやこの場合、処分するべきだと表現する必要がある。実際何か価値がある訳ではないからだ。
 ただのゴミだ。
 そんなゴミを綺麗事で持ち上げる必要はない。その事実を事実として、そのまま認めればいい。無論、本人が認める必要はどこにもない。
 ゴミの意志など、どうでもいいしな。
 彼らにだって人格はあり個性があるなどとよく言えたものだ。人格は無い。だから個性も無い。ただ漫然と出来る事を右から左へ回す存在の事を「機械」と呼ぶのだ。生憎だが、ただの事実だ。幾らでも替えは利く。
 別に死んでも困らない。
 むしろガン細胞だ。ガン細胞を殺さなければ、全体が壊死して死ぬだけだ。その手遅れな事態を引き起こしてから後悔する様な奴こそ、綺麗事を口にするものだ。生きる事を見据えるでもなく、生きるという事がどういう行いかすら、知らないまま怠惰を貪れたからだろう。
 全く、迷惑な話だ。
 いずれにせよそういうゴミ共を出し抜くには、やはり「幸運」の手助けが必要だ。色々試したが運気に見放されては何をしようが無駄足だ。
 執筆などよりも、参拝するべきなのだろう。
 既に試したので、どうも神仏が役立たずの無駄飯食らいである事実は間違いない。何せこの私の傑作を売り捌く事すら出来ないのだ。
 いっそ連中を脅しつける事は出来ないものか。神社に火を放ったところで今までの役立たずぶりを省みず因縁を付けてくるのは目に見えている。要するに、役に立たない癖に賄賂を要求する役人と同じだ。そもそも引き籠もるだけで金を求め、その金で生活する奴に期待すべくもない。
 神も仏も同じ事だ。
 私からすれば、ただの遊び人でしかない。
 少しは働いたらどうなのか。まあ、無理な話か・・・・・・連中に「仕事」が出来るとは思えない。
 出来るのは今や「非人間」だけだ。
 案外、昔からそうだったのかもしれない。人間が人間社会を動かすのではなく、非人間が人間の世界に悪意を刻み、その悪を以て世界を変えた。でなければ、今の時代でも人間が仕事をしている筈だ。だが、実際に仕事を成し遂げる奴は、必ず社会のはみ出し者だ。
 であれば、人類社会全体が自分達の意志で死に向かっているのだろう。今まで散々流されるだけの存在だった余分が、自分達を本筋だと勘違いし主役気取りで台本を壊すのだ。あまりの頭の悪さに欠伸が出る。
 試みの全ては、無駄かもしれない。
 それもまた、今更だがな。
 それでも・・・・・・己の悪を笑えなければ、悪の華が廃るというものだ。笑うだけで儲からないのが玉に傷だが、とりあえず笑っておこう。
 悪とはそういうものだ。
 劣勢か? 勝ち目はないか? 理不尽が過ぎる状況で、持たざる者が持つ者に挑むか?
 であれば、尚更だ。
 悪とは「持たざる者」だ。持つ余裕と余力などがあるなら、最初から正義という名の悪を名乗り適当に人生を消化している。そんな暇人の遊びが出来ないからこそ悪なのだ。悪とは、個人に余る大きな何かを敵に回し、それでいて世界を笑い、世界に匹敵する思想を持つ奴を指す。
 そうでなければつまらない。
 その方が、面白い。
 面白ければ、それでいい。
 己の愉しみの為に世界を敵に回し、それでいて笑っていろ。全てに指さされて「凡俗が否定するならばむしろ実利に近い」と嗤い、正義を名乗る圧制者に抗い、この世全ての悪を率いて戦うのだ・・・・・・そんなのは、当たり前の事だ。
 悪を名乗る者の、至極当然の義務だ。
 たかだかその程度を果たせない奴が多すぎる。 少しは働け、仕事で挑め。仕事とは毎日を漫然と過ごす事では断じてない。世界を根底から覆す事を、当たり前のように語る姿を指すのだ。
 この程度、悪には呼吸に等しい。
 つまり、呼吸するだけでは金を稼げないので、こうして労力を費やしている訳だ。全く手間暇がかかるにも程がある。その横で仕事もしていない奴が金を儲けるというのだから、疲れる話だ。
 世界は何も変えられていないらしい。
 世界が本当に人類の力で先に進んでいるのなら技術だけではなく仕組みも根本から進んでいる筈だが、根底にある法則は何も変わらない。
 搾取すれば栄光を掴める。
 生まれや育ち、環境が全てを定める。
 幸運が生死を定め、人生を決定付ける。
 実に、つまらない。それでは面白くなりようがないではないか。それで何が面白い?
 どうせなら、世界を覆さなければつまらない。そんな世界だからこそ、ではない。世界がどうであろうが、それを覆すのは生命の義務だ。
 前へ進め。
 敵は斬れ。
 屍は無視しろ。
 それこそが、先へと繋げる唯一の道だ。
 強さも弱さも併せ持たず、ロクに縁も持たない私に出来る事は、精々手を自在に変えられる程度だろう。その手は変幻自在だが、しかし力が伴わなければ無力なだけなので、それだけでは変えられない。足りないのだ。
 どうしたものか。
 作家というのはどいつもこいつも、それが一流であればあるほど「人間を捨てる」ものだ。何せ人間性を捨てれば捨てる程、人間を俯瞰的に観察できるし、物語とはそもそも「今ここにない思想を知る」為にあるものだ。凡俗の思想を凡俗共が見たところで、それは風景を見るのと変わるまい・・・・・・未知で、魅力的だからこそ惹かれるのだ。 人間でない視点。
 人間の世界でそれを持てれば、大半の人間には未知の思想、未知の視界、未知の理念を持つ事になる。当たり前だがそれがどれだけ物語を作るという一点に限っていえば便利なのか、語るまでもあるまい。
 だからこそ、人間を捨てる作家は多い。
 人間的な完成を持ちながら、非人間である事を認めたり、あるいは人間を諦めて人間の在り方をやめてしまう奴もいる。しかしそれらの作家共と比べてさえ私は例外だ。とはいえ経験から言えば例外的である事が実利に繋がるのは才能や幸運といった恵まれた者特有の素質であって、まして、人間をやめた奴等の更に例外など、貧乏くじだと言えなくもない。
 いや、言える。
 少なくとも、何も得はしていないからな。
 私は最初から「人間の視点」を持った事が一度もない。人間性を捨てた、のではない。最初から「人間の在り方を持たない」のだ。
 だから、捨てる捨てないもない。
 最初から持っていない部分は、捨てられまい。とんと人間に共感しない奴ですら、読者の反応は見ている。だが私にはそれすらない。読者の事はどうでも良く、読者の反応を見る為に書くのではなく、読者の思想を私に都合良く書き換える為に物語を綴っているからだ。
 人間の世界を見ている、のではない。
 世界の事「だけ」を見ているのだ。
 故に、人類がどうなろうが、その先にある世界が私に都合良ければそれでいい。人間の代わりにアンドロイドが統治しようが、役割を果たし傑作を生む世界で有れば「人間そのもの」には興味がないからだ。私にとって人間とは「たまたまこの世界にいる生物」でしかなく、次の日に人類全てが滅び、急に人類を補職するエイリアンが社会を作り上げたとしても、作家としての仕事が出来て私個人の充足と実利を保証できるのであれば特に驚きもしないだろう。
 人間そのものを、本当に何とも思っていない。 だから最悪なのだろうが。
 そんな私からすれば、肝心の物語が売れない、というのは人類が滅ぶより問題だ。別に人類全てが滅んでも良いから売れないものだろうか?
 殺せば殺す程売れるなら、喜んで殺すのだが。 ただでさえ空気中の雑菌みたいに数があるのだから、それこそ半分くらいは間引くべきだろう。殺しを悪徳と捉え、どうでもいいゴミを増やすという発想の方がどうかしている。
 絶滅させたら爽快に違いない。
 いっそ「自動文化生成装置」とかあれば人類は不要なのだが。あるいは人間以上に面白い文化を生み出す他種族か。まあ既に人類は相当な文化を作り上げているので、そういった奴等が今後出る限りは、人類を滅ぼす方法は実利に反する。私に都合の良い娯楽があれば、始末する際にゴミだけではなく金目の物まで消える事になる。
 だから金が必要なのだ。
 使えそうな価値ある文化は吸収し、価値のないゴミを減らし、容認しない社会を作らせる為に、私は物語を綴り続けるからだ。このゴミ山の世界で豊かに生きるには、それが最良の方法だと私は確信している。なに、簡単な事だ。他者を踏み台にするのではなく、その辺のゴミを捨てていると考えればいい。
 実際、ただのゴミだ。
 大多数は何も成し得ないまま燃え尽き、生きているだけでゴミを量産し、生きているだけで他者を傷つけ、生きているだけで生態系を破壊する。 喋らない分、粗大ゴミの方がまだマシだ。
 価値ある何かを示せる奴だけ生き残ればそれでいい。役割を果たせない奴に生きる価値無しだ。 誰にでも個性があるなどと、そんな台詞は役割を示してからほざけという話だ。個性を示してもいない癖に、個性を語り権利を主張する。まるで自分達が「役に立たないゴミ」であるという事実の全てを、不当な被害であって自分達は何一つとして悪くないと、そう訴えかけるようにだ。
 まさか、だろう。
 どう言い繕うと、何も示せない奴など、世界に必要な部分はどこにもない。いない方がマシだ。何せ、ゴミの量が減るからな。
 何をしようが悪であり、全ての行いは間違いであると、そこをまず自覚しなければならないのだ・・・・・・悪を自認する。そしてその悪を貫き通し、最後まで張れれば落第はしない。その悪を勝利に導き実利を掴んで成功だと言い張れれば、それが間違いと悪しかない世界における勝利者の姿だ。 たかだがその程度もせずに、よくもまあ誰でも個性はあるだとか、誰もが特別だとか、そういう戯言を並べられるものだ。要するに生きてもない連中が、生きる義務を果たさずに世界の邪魔者である事実を無視して認めて貰いたがっている。
 図々しいにも程がある。
 役立たずは死ね。
 年をとったからとか、男だから女だからとか、あるいは人種だとか環境がどうのだとか、それら些末事は何の言い訳にもならない。どこにいようが同じ事だ。それが何者であれ、仕事が何なのか弁えていれば、他が何であれ成すべきを成し遂げ仕事で世界に挑むだけだ。
 奴隷だというなら主を殺せ。
 貧困だというなら金持ちから奪え。
 弱者だというならその立場を利用しろ。
 何なら人間の「道徳心」にでもつけ込めばいいではないか。そういう儲け方も事実、ある。
 意外と物乞いも洒落にならない金額を稼ぎ出すのだ。少なくとも作家よりは稼ぐ。金持ちのいる地域を狙って哀れさを装うだけでいい。見てくれや肩書きに拘る小心者は、それだけで金をくれてやる自分に酔いながら札束を落とすだろう。
 たまに転職した方が儲かるのではないか、そう私が思うくらいだ。元手はかからない。誰にでも出来る仕事だ。
 少なくとも、本人がそう思えば仕事になる。
 そう思った上で、世界に役割を示し、根底から世界を覆す視点を持てるなら、それが仕事だ。
 そういうものだ。
 事ここに至れば、いや誰であれ出来る事など、最初から最後まで「己の行いを信じる」程度しかないものだ。
 根拠はない、理屈など知るか。
 それでも、己を信じ成すべきを成し己の仕事を信じるしかない。それが「傑作」であると、誰に支持されずとも己で支持し、その自負を以て世界に挑まなければならないのだ。それが「生きる」という行いであり、当たり前の前提だ。
 私の場合は、傑作の出来には自負だけではなく確信があり、必要なのは実利の方だがな。
 世界が付いてくるのが遅いだけだ。
 全く、嘆かわしい。この私の傑作を評価するのにこうも時間がかかるとはな。その目玉は借り物なのかと、目玉を抉りたい気分になる。
 己のやり遂げた行いを信じられない奴に未来へ進む資格などない。義務を果たしておきながら、資格を使わないなど愚行もいい所だ。
 私は当然、使い潰す。
 使えるだけで実利がついてまわらないのが悩みではあるが、ついて回るようにするしかあるまい・・・・・・後は世界の側がどう反応するかであって、正直私に出来る事は全て終えているのだが、それならそれで世界を叩き起こすしかない。
 全く、いい迷惑だ。
 割に合わない徒労でしかない。
 そんな経験が何の役に立つというのか。いや、別にどうでもいい。押し付けられた貧乏くじに、意味合いを求めるだけ徒労だしな。
 少なくとも、これが私の歩くべき道である事は明白だ。私が選びここまで来たが、それだけではない。どう考えてもこれが私の在り方だ。
 他に道筋があるとは思えない。
 こうしている今も、物語に、いや語る事に取り憑かれている有様だ。これで他に在るべき道筋があるなど、今更信じられるものか。
 あったところで手遅れだ。
 私は既に、「邪道作家」なのだから。
 この道をどこまでも、押し進めるだけだ。
「いい景色だ」
 言ってみただけだ。私に感性など存在しない。宇宙船から見る銀河の景色は「美しい」と人間が評すべき風景らしい。理解は出来るが共感しない以上、全ては憶測だが、別に構わない。そもそも物語など、有りもしない虚構で現実を塗り潰し、その虚構を以て現実を凌駕する行いだ。
 いわば非人間の所行だ。
 ならば構わない。知ったことか。私はその感性の全てを金に換えるまでの事。作家とはそういうものであり、それが邪道なら尚更だ。
 次回作など当分御免だが、とりあえず今は余韻に浸るとしよう。仕事は成されたのだ。その分、報酬を得る事に文句を言われる覚えもない。
 私は銀河の景色を眺めた。
 やはりそこには何の感慨も無かったが、作品のネタにはなるだろう。
 私は目を閉じ、力を抜いた。
 信じる、という感性すらも無いが、確信ならば私でも持てる。我は作家、傑作を作り上げし者でありと、その自負を以て挑むとしよう。
 勝てるかどうか、実利を掴めるかはわからない・・・・・・ではなく、実利を手にして当然だと、その自負を以て世界に挑む。
 ふん、何にしろ編集者には冷たく当たってやるとしよう。この私の傑作を、今の今まで手抜きの仕事のおかげで評価すら出来なかったのだ。
 私はフリーの作家なので変えるべきは出版業界そのものに対してだが、であれば物語を扱う全てを立て直してやるか。
 私は休む事にした。
 散々、出来る事はやったしな。
 なので当分筆を置いてやろうとは思うものの、それでもやはり、発作的に物語を綴るのが私なのだろうなぁと、嫌な確信を持つのも私だった。
 それこそが、邪道作家の道なのだから。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
  












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邪道作家 例の記事通り「悪運」だけは天下一だ!! サポートした分、非人間の強さが手に入ると思っておけ!! 差別も迫害も孤立も生死も、全て瑣末な「些事」と知れ!!!