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邪道作家 十五巻 逆行世界 大当たりの日 無料分付き

作品テーマ 非人間讃歌

ジャンル 近未来社会風刺ミステリー(心などという、鬱陶しい謎を解くという意味で)


簡易あらすじ

アンドロイドが自我を持ち職を奪い作品すら書き上げる時代───非人間の殺人鬼作家が、作者取材という戦いに挑む!!

当然ながら依頼は嘘まみれ、行き着く先には困難ばかり••••••得られる「利益」が見えずとも、不屈で書き抜いた事だけは「真実」だ。


天上天下において並ぶもの無い、唯我独尊の物語だ───他に書ける奴がいるというなら連れて来い!!


過去未来現在において、唯一無二の


「悪意」


だけは「保証」しよう!!!



邪道作家 縦書きファイル全巻

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邪道作家十五巻 


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 口だけはでかいって?
 当たり前だろう。天才など踏み心地の良い踏み台に過ぎぬ、神も悪魔も能力にあぐらをかくだけ敵ではない、この内なる激情を形にし炎と燃やし世界に焼き付ける行為に比べれば、運命も摂理もあらかじめ定められた宿命さえ大した事ではない・・・・・・口にするだけなら金はかからない。
 己を信じるのに根拠など不要だ。
 内から湧き出る存在理由に任せるがまま視界を狭め己の在り方に没頭し、身の安全すら捨てて、気がついたら事を成し得る。
 苦しみも苦痛も苛む運命さえそれに比べれば小さい小さい。大き過ぎる何かに吠えるように己の在り方を示すのだ。
 結果どうなるかなど考えるな。
 振り向きもせずに走り抜けろ。
 叩きつけるように肯定しろ。
 それでこそ、物語が映えるというものだ。我々が役者だと言うならば、舞台全てを敵に回せ。
 ただの勝利では物足りない。連中に嫌でも理解させるのだ。こちらが如何に正しいかではなく、如何に凄まじいかをな。
 その苛烈さを武器としろ。
 善悪などどうでもいい。その在り方に比べれば些細なモノだ。結果世界が壊れようが他者が壊れようが組織が半壊しようが知ったことか。何もかもを灰燼に帰しても尚進め。進んで進んで世界の果てを乗り越えて、それでも足りぬと進むのだ。 燃え尽きたと思ってからが本番だ。その経験を活かして更に燃やせ。何を燃やせばいいのかわからずとも燃やせ。目に見える全てを燃やせ。執念を思想を信条を誇りを嫉妬を怒りを憤慨を悲哀を友情をその全てを燃やし尽くし、何もかもを薪に変えてそれでも燃やし尽くすのだ。
 燃え上がる様な在り方など、至極当然。
 その程度、呼吸に等しい。もっとだ。もっと燃やし尽くせ。世界を灰で埋め尽くし、その灰を更に燃やすのだ。それを世界に波及させろ
 その無念、その怒り、その憎悪、その憤り、その哀れみ、その悔しさ、その根底にある心の炎を燃やし尽くせ。
 悲しみも怒りも一緒くたに、全て燃やして薪にしろ。それでも尚残る何かがあるならば、それこそはその人間にある「本物」だ。
 それを肯定し、続けるのだ。
 途中でやめるなどとんでもない。我々は燃やす為にそこにあり、燃やした何かこそ勝ちを示し、燃やすからこそ生きているのだ。
 勢いに任せて己を示せ。
 行き場のない執念、答えの無い妄執、救いの無い在り方、大いに結構。それでこそ覆し甲斐があるというものだ。
 笑え、笑え、狂気のように笑い尽くせ。
 我々の行く先に正しい答えなど有り得ない。だがそれが何だ。どうでもいいではないか。確かにこの内には燃え上がる激情が存在する。
 救いが無ければ無いほど素晴らしい。そこには面白味が埋まっている。素晴らしい人間性とやらが溢れている。だからこそ人生は面白い。
 それでこそ人生は面白くなる。
 凡俗共の理解など必要ない。それは己で定義すればそれでいい。踊るように歌うように叫ぶように己の在り方を示すのだ。それが芸術となり仕事となり人生となる。正しさも立派さもどこにもないが、それがどうした。
 この無念、この激情、この怒り、この嘆き、この信念、この思想、この誇り、この悲哀、この憤りこそは己の証明だ。叫びたいだけ叫べ。業の溢れるこの世界に、正しさなど必要ない。正しくなければないほど我々は美しく生きられる。
 否定される事を率先して挑むのだ。
 我々は短い一瞬だけを生きる。ならばどれだけ無様無謀無策でも、大いなる何かに戦いを挑む事など怯える必要すらないではないか。実力差上等元よりこの小さな身には全ては大きく写るのだ。切り甲斐があるというもの。大きければ得られる報酬も満足出来る何かになる。
 そうすれば一日一冊の執筆程度、容易いというものだ。溢れる激情に限りなどない。絵であれ筆であれ音楽であれ同じ事だ。
 さて・・・・・・小綺麗な才能など微塵も無いが、私はその有り様だけは示すとしよう。元よりこの身に出来る事はただ一つ、筆を動かす事だけだ。
 飲みながら読むな、用事は先に済ませておけ、食べ物を摘むなどもってのほかだ。静粛に、かつ食べるように物語を読了しろ。
 悪意を読者に刻み込めるように配慮してやる。 さあ、始まりだ。あるいは終わりか。物語には始まりがあり終わりがある。私にとっての終わりになるかは分からないが、それならそれで先へと進むだけだろう。その先がどこに通じているのかそれは読者のみぞ知る読者の想像だ。
 私に言える事はただ一つ
 それを金に変えてこそ、本当の勝利と呼べるという、ただ一つの事実だけだ。
 果たして救いも勝利も栄光も世の素晴らしき事の全てと無縁な物語を、ここに初めてやろう。
 勿論全てが有料だ。金は支払えよ。

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 何も感じないが共感する事は出来る。
 何が言いたいのかというと物事に感動したりはしないのだが、例えば特定の芸術を文章に置き換えそれを書くことは出来るのだ。厳密に言えば、共感はしないがそれによる作用は真似できる。私の場合それすら利用して作品を書き上げられる。 その辺り、人造生命体はどうだろうか。
 アンドロイドは自立思考をするようになって久しいが、人工知能の分野に関して言えば、連中は肉体を持たないので共感しようがない筈だ。だがその一方で人間、というか生身の肉体を欲したり人間の趣味を真似したり、あるいは電脳アイドルに傾倒したりもする訳だ。
 だが、それは私と同じで「真似してるだけ」なのか、それとも、「人間を学び、成長している」のかの違いが知りたい。
 自立的に成長し、精神を育む。
 あるいはそれを「心」と呼ぶのだろう。
 興味深い。心そのものはどうでもいいが、心を作り上げるプロセスには興味がある。体系化する事に成功すれば最高だ。連中が尊く思いたがる心を大量生産し、制作するマニュアルを読み上げ、それを心ある全てに突きつける。絶望する様が見れれば尚良いだろう。
 思うに、連中は「心」や「精神」を尊く考え過ぎるのだ。それは特別でも何でもない。意図的に作り上げられる「モノ」であり、そんなのは価値がある尊い何かではなく、ありきたりの量産品であるという事実を見ようとしない。心であろうが何であろうが、価値を示せるのは一部だけだ。
 大半は示そうともしない。
 その癖、心は高尚だからとそこに「特別さ」を求めたがるのだ。それに相応しい行いを何一つせずとも高尚だから高尚であるなどと。残念だが、それはただの妄想だ。人の心でも獣の心でも多くを動かせれば価値と力がそこに宿り、敗北のままに終わればただのゴミだ。そんなモノに価値などありはしない。
 世の中そんなものだ。
 私は振り返らない。己の作品を読み直したり、そんな事はしない。だが、それでも己で出した己の答えは、決して消える事もない。
 
 生きたまま、生まれ変わる。

 それが私の出した「結論」だ。運命を克服するならば「一度死に、生まれる」しかないのだ。
 私は「作家」として己を再定義し、仕事とする事で今までの己を殺し、新しい己を作り上げた。だが、それでは足りない。背負う星が変わる訳ではないのだ。「リンゴは落ちる」それは当然の法則であり「悪は敗北する」のも同義だ。
 最悪である限り、このままでは勝利出来ない。 だが、最悪であるからこそここまで来たのだ。 それを否定させてたまるか。邪魔する奴は皆殺しだ。摂理だろうが世界だろうが残らず殺す。私が勝利する為に、私の為に殺すのだ。
 あるいは、最悪としてまだ足りないモノがあるのだろうか? 協力者は望んで得られる筈もないのだから、やはりこちらでは何も出来ないが。
 足りない何かは何なのか。人造人間を作る奴も同じ事を考えたらしい。そんなのは明白で心が足りないから出来ないだけだ。しかし私は心が無いからこそここまで来ている。どうしたものか。仮に心を埋め込めば、それはもう私ではない。
 別の誰かだ。 
 それでは意味がない。
 足りなくても勝利する方法を見つけなければ。連中の様に何もかもに満たされ、条件を整えた上で確定した勝利を貪る連中とは違うのだ。
 悪のままでも、敗北者の宿業のままでも、持たざるままでも勝利する方法だ。そんな都合の良い方法がある訳もないので、それも己で作り上げるしか無いだろう。そんな事が出来れば苦労しない気もするが、やるしかない。
 運命を変えられないのかと悩んでいたが、運命そのものは大昔に克服し終わっていたのだから、背負った星に関しても見落としがあるのだろうか・・・・・・しかし、これ以上何がある? 私に出来る事などとうに越えている。幾ら何でも私に出来る範囲を大きく越えているだろう。いや、越えた上でここまで来れたのだ。運命の克服にしろ、私がここまで来れた事が既に奇跡だ。私個人の起こした奇跡なので、あまり大した成果は出さなかったが、それでも変化としてはそれなりだ。
 何より、私に出来る事など僅かだ。
 最初からそこまで大きな変化を与える力があるならば、遠回しに物事を進める様なやり方をしていない。私は最悪であり、人間性のない化け物ではあるが、それ故に直接的に物事へ関与するのが出来ない。
 物語を作れても、それを広める事は出来ない。 人の心を暴いても、金に変える事は出来ない。 悪意で剥がす事は出来ても、己がその立場で儲ける事が出来ないのだ。何者をも凌駕する悪意があったところで、活用できなければ意味がない。ありすぎるのも考え物だ。悪意があり過ぎるが故に悪意を利用して金を儲けられないなど、笑い話以下だろう。
 まったく、どうしたものか。
 我が事ながら、面倒な話だ。
 
 私は、人間を否定する為にある。
 
 だからこその「最悪」だ。人間の全てを否定し覆そうとする奴が、人間にとって最悪意外の何だと言うのだ。それはいい。しかし一方で私は人間の在り方を認める立場にもあるのだ。私の場合、「人間性の極地に価値がある」と叫ぶ一方で、私は人間に「貴様等にそんなモノはない」と否定し今ある人間を無価値なゴミだと刻み込み、それを己の悪意で形とする事で示し続けなければならないのだ。それが我が役割であり存在証明だ。
 呼吸するようにこの世の善なる全てを否定し、音楽を奏でるように連中をこき下ろし、暇を潰すようにそれらを実行する。それが「私」だ。
 それが「最悪」でなく何だと言える?
 他の呼び方などある筈もないだろう。
 その私が、悪に敗北は必定だからと生き方を変えるなど出来るものか、馬鹿馬鹿しい。容易く変えられる何かなど、最初から無いも同然だ。
 言葉にならない情念を叫べ。
 その憎しみを糧にとしろ。
 それを金に変えてこそ一流の悪だ。
 善人などつまらない。天才など矮小以下だ。例えそれが悪であれ、社会に認められる様では三流だろう。認められるのではない。どうしようもない必要悪として、認めざるを得ない存在感。悪だと分かっていながら縋る程の影響力。その在り方だけで世界に匹敵し打ち倒せる程の人間力。
 その程度は有って当然。
 その先に更に積み上げるのだ。
 精神に休みなど必要ない。存在しないモノに配る気持ちなど不要だ。肉体に支障をきたしたところでやはりそれも無視できる。やるべき事に比べればそんな些末事は有ろうが無かろうが同じ事だ・・・・・・それでこそ道を突き進める。
 進んで進んで突き進め。
 精神が追い付かないなら固定しろ。肉体が追い付かないならそのまま滅ぼしてやれ。魂が燃え上がるなら灰になるまで燃やし尽くせ。そんなのは当たり前だ。当たり前の事を当たり前にしろ。私でも出来る事を、貴様等が手を抜くな。
 燃やし過ぎて己が何なのか分からなくなってからが本番だ。更に燃やせ。否定されても燃やせ。凡俗が否定し出したら更に燃やせ。燃やす事を疑い出したら更に燃やせ。燃やして燃やして燃やし尽くし、何もかもを灰にして尚、更に燃やせる何かを探して燃やすのだ。
 それくらい誰にでも出来る。
 やろうとしないだけだ。
 弱さも強さも併せ持たない私が言うんだ間違いない・・・・・・それでも実利は遙か先だ。更に燃やして邁進しろ。燃やせ燃やせ何もかも。
 その身が憎悪で焼けただれ、理不尽への怒りが形有る執念となり、それを己の在り方を浸食するに至り、さまよえる亡霊に成り果てて世界に叫ぶように成り果ててからが本番だ。その在り方を叩きつけ、呪い、目に見える執念の刃と化して、己を肯定しなければならないのだ。
 根拠などある筈もない。
 何せ、己の内から湧き出る身勝手な執念だ。正当性など微塵も無い。善悪で言えば間違いなく悪だろう。誰に理解される事もなく、理解されるに最初から至れれば誰も苦労しない。だからこそ、叫ぶのだ。
 この在り方が理解出来ないのか凡俗共、と。
 そうでなくては嘘ではないか。
 それでは面白くも何ともない。
 面白ければ、それでいい。世界に向き合うのに根拠など要らん。最初から最後まで下手な運営をするだけの世界なぞに、根拠など勿体ない。私が言うのも何だが根拠など己の内に自ら作り上げるモノであって、他者や社会、あるいは世界などに「肯定して貰う」必要など無い。
 それは己で定める事柄であって、他者の決定など邪魔なだけだ。その時々によって変わる倫理観など以ての外だろう。
 摂理が世界が社会が否定すれば成功だ。凡俗の馬鹿共の倫理を逆に進めば答えがある。否定される事を喜び、馬鹿な連中だと蔑むのだ。
 先に進みたいならば、そして先に進めたいならばそうしなければならない。停滞するだけで満足するなら別だが、少なくとも生きている時点で先に進める義務がある。果たすか果たさないかは、当人の勝手だ。しかし短い一生でその程度成し遂げずして何を成すのだ。
 どの道この身が滅ぶならば、燃やし尽くして薪にしたほうが有用だろう?
 だから死ね。生きたまま生まれ変わるのだ。
 この世に一旦生まれただけでは生きているとは言えないのだ。生まれたその身を殺し尽くし、己を再定義して「生きたまま生まれ変わる」事で、己の在り方を証明するに足る。何であれ同じ事だ・・・・・・生きようとしない奴に生きる価値など当然有り得ない。そのまま死ね。いっそ殺してやって数を減らすべきだろう。
 生きようとしない奴に生命は勿体ない。
 資源の無駄遣いもいいところだ。
 
 だが、苦難の道のりに意味はあるのか?
 
 あるとして、その先に報いなどあるのだろうか・・・・・・ただ悲しみが募るだけではないのか? 私はその先とやらをまだ見ていないが、しかし辿り着かないまま終われば、それは最初から無いのと変わらないではないか。愚図な 練習が美味しい思いをして、その一方で苦渋を舐める屈辱。そこに尊さなど無い。ただひたすらに寒いだけだ。
 どんな闇もいずれ晴れると、人は言う。
 だがそれは本当の暗闇を、吹雪を、苦しみを知らない奴の言葉だ。真に絶望の中にいればそんな余裕有る台詞は出てこない。そこなのか? 私はその暗闇を、絶望を、悲しみの山を理解し執筆するが為に、こんな思いをしていると?
 ふざけるな。
 希望も未来も有りはしない。暗闇の中では全てが手探りだ。何が正しいかなど存在しない。何をすれば勝利できるか考えるだけ無駄足だ。何をすれば報われるのか、信じるだけで馬鹿馬鹿しい。そんな、完全な暗闇の中で、これはこれで良い経験になるから我慢しろ、とでも言うのか?
 だとすれば、尚更ではないか。
 私の言葉に力があると言うならば、尚更金に変わらなければ嘘だ。そして現実には言葉に力など有りはしない。誰が口にしたかも分からない駄文が高く売れ、それを扱う連中は喜々としてそれをもてはやす。そんな、見飽きるのに五秒と要らない光景を、私は染み着く程に見てきた。
 それが現実であり、事実ではないか。
 後何度繰り返せばいい。いや、決まっている。出来るように成るまでだ。才能など知った事か、天運など役にも立たん、凌駕するのにはこの私がそこに在ればいい・・・・・・だが、どうすればそれを金に換えられる? 私が異常者であり最悪であり破綻した存在である以上、本来人間が自然に行える行為は、私には不可能だ。不可逆を可逆にするのはいつもの事だが、しかしこればかりは無理があるだろう。それはまっとうな存在がする事で、人間から外れて行く奴が出来る事ではない。無論それを実現するのも有りと言えば有りだが・・・・・・これ以上、何をすればよいのだ?
 書いた、書いた、書いた。己が執念を形にしてそれを文字通り書き殴り、奏でるように人間を批判し続け、当たり前のように世界を罵倒した。
 それだけでは、足りなかった。
 当たり前だ。それで成功できれば苦労しない。策を弄した、他者を使った、仕組みそのものを、利用しようと画策もした。それら全てが無駄足に終わったのだ。どうすればいい。どうすれば。私に出来る事は僅かだ。何をすれば金になる?
 暗闇の中を進むだけなら簡単だ。しかし私は、暗闇の中を進む方法など生まれる前から知っているのだ。そんな事は聞くまでもない。才能など、踏みにじればいい。技術など、補えばいい。資質など、作り直せば良いだけだ。 
 だが、それらとは無関係で勝敗、というか金になるかどうかが決まる。それをどうすればいい。どうにもならない事は知っている。
 諦める意外で、やはり道は無いのか?
 いや、そんな無様あってたまるか。金をつぎ込み手間をつぎ込み資源をつぎ込んだ。今更手を引けるなら最初からやっていない。しかし、現実問題どうしたものか。そも私には諦める事が出来ないしな。「諦める」という概念が欠如している。そんな殊勝さは最初から装備されていない。生憎だが初期仕様だ。どうにもならない。
 だからといって、無駄を好む訳では断じてない・・・・・・無駄足を好むのは余裕と余力を持て余す、勝利者特有のただの軽率だ。
 無論、生きる事は理不尽と向き合う事だ。上手く行く人生など生まれついての勝利者が思う己の個性ぐらいには、有りもしない妄想だ。
 しかし、理不尽だけではつまらない。
 それだけでなるものか。
 だからこそ、胸を張る根拠が無くとも傲岸不遜に笑い続け、それを良しと笑うのだ。だが、根拠なく笑うだけで成果が出なければ真実笑っているだけになってしまう。道化じゃあるまいし、それを良しと思える筈もない。
 なんとしてでも金を掴む。
 札束で世界を買い漁る。
 それを良しと笑うのだ。
 言うほど買いたい何かがある訳ではないが、強いて言えば運命を買い叩き、宿命を買い換えて、摂理を金で曲げてしまい、いけすかないこの世界を根本から叩き斬れれば爽快だろう。気に食わない全てを札束の力で押し潰す。
 これほど豪勢な遊びも、他にあるまい?
 私はなんとしてもそれを実現させなければならないのだ。それが私の在り方だ。それが私の仕事であり己の定義だ。やるべき事はわかっているし成すべき事は済ませてある。だが、それを金に換える方法だけが掴めない。
 どうしたものか。
 化け物であるが故に、通常であれば行いたくもない所行を、何の躊躇もなく実行できる。しかし一方で通常であれば出来る事を、私はどうしたところで実現できない。何より、人生を誤魔化さずに生きる事に長けている一方で、人生を誤魔化す為にある有能さには無縁だ。私の在り方を人生と呼称するのは違和感があるので、この場合在り方と定義するか。
 いずれにせよ生まれついての有能さとは、現実を誤魔化す為に存在する。当たり前だ。その有能さの分だけ、現実に挑まなくて良いのだから。
 生まれついての悪であるという事は、本来人間が誤魔化して生き抜く裏側さえも知り尽くし、私のように何一つ持ち得ないまま、己の執念だけで戦わなければならない劣勢を指すのだ。有利不利以前だろう。通常の人間でさえ誤魔化したまま終えられる現実を、我々悪は何一つ誤魔化せないのだから。
 全く、因果な立ち位置だ。
 少しは楽をさせてくれ。
 吐き気がとまらないのでな。苦しい、苦しい、苦しい。嫌な気分になる。意図せず四六時中その気分を味わわされる。子供の頃からそうだった。良い思い出など何一つ無い。あるのは苦しみだけ・・・・・・痛み、苦しみ、裏切り、憤りによる屈辱、世界に対する情けないと思う気持ち。
 いい加減、うんざりだ。
 少しは他に、やる事はないのか?
 この暇人共が。
 生きる事と向き合わず、それを良しとして、生まれ持った能力や肩書き、それらに付随する余裕に頼りきって、過ごしている。過ごすだけだ。
 ただ漫然と過ごす事を、生きるとは言わない。 生きるとは、大きな何かに挑む事だ。己が生まれもっている能力でこなせたり、運に恵まれたりするだけで出来る作業、そんなただの労働に費やして他者の都合で息を吸って吐き、仕方がないと諦める事を否定し続ける事にある。
 たかだか、その程度をやろうともしない。
 そして、口にするのだ。私達はそれでも立派に奴隷をしている。しないで金を稼げないよりは、マシだろう、と。馬鹿馬鹿しい。組織も国も永遠ではない。永遠だとしても未来のそれは別物だ。いずれ消え去る何かに寄りかかって、己で何かをする困難から逃げているだけだ。何かに向き合う事を「戦い」と言い、戦うから生きている。
 
 戦いとは、社会から否定される事だ。
 
 少なくとも、今の社会ではそうだろう。異端を許容したくもなく、その一方で日の目をみた異端は歓迎し、かといって異端を収集する事もない。 とにかく自分達が損をしない為の世界だ。
 戦うには否定されるしか有り得ない。何故なら連中からすれば戦う存在は「勝利出来るかも分からないのに、素直に奴隷になれよ」と指さす相手なのだ。「おとなしく奴隷をしながら、成功する勝算があればすればいい」と己では挑みもせずに口にする。馬鹿馬鹿しい。何かを志す時点で折り合いがつかないものだ。社会に対する折り合いはともかく、奴隷になる事も成功させて奴隷の身を脱却する事さえも成功させる。容易くそれが出来るなら苦労しない。
 やりもしない奴に語られれば尚更だ。
 鬱陶しい事この上ない。語り聞かせるだけ無駄であり、何より意見を聞き入れないからこその、狭い視界だ。何かを志す時点でそれに力を注ぎ込まなければならない。生まれ持った有能さが少なければ少ないほど、その比率は高くなる。私は、当然ながら全てをつぎ込んでいる。
 あれもこれも成功できれば苦労しない。
 片手間で出来る程、貴様等のように遊んでいないのだ。現実に挑む奴でなければわかるまい。何をするにしても仕事が頭にある。起きていても寝ていても、生きていても死んでいても、勝利しても敗北しても、常にだ。
 「それ」を成功へ導く事が「全て」であり、他は些末事でしかないのだ。道端の石に気を配れるほど器用であれば、最初からそんな道を志すものか馬鹿馬鹿しい。生きてもいない連中が闊歩し、生きている奴がこうも無駄足を踏む。世界というのは随分懐が広い。何せ生きていなくとも良いのだからな。遊び人でも素晴らしく在れる。
 目障り耳障りこの上ないがな。
 忌々しいことだ。
 己の都合をさも相手の為であるかのように振る舞う馬鹿共が溢れている。そんな都合に振り回されるのは、御免だ。奴隷は奴隷だ。現代社会での奴隷に大昔の様なやりがいなどない。文字通りの奴隷なのだ。奴隷だからどう扱っても良いし奴隷だから主人の為に尽くすのは当たり前で、むしろそれを感謝しなくてはならないのだ。面白くもない話だが、それが罷り通っている。
 奴隷の素晴らしさを説かれ奴隷である立派さを説かれ奴隷である事の誇らしさを説かれる。連中はその素晴らしい思想の伝道者気取りだ。端から見れば正気の沙汰ではないが、それが正気でありそれが正しくそれが素晴らしいと人は言う。
 うんざりだ。
 最早世界には「人間」など数えられる程も残っていない。人間で在ろうとする事を諦めた連中が歯車となり動かしている。しかも、行動や意志と関係なく「持っているから」などという馬鹿げた理由であっさりと勝利を掴むのだ。
 何もしない奴隷がしたり顔でご高説を説き、私が敗北する傍らで持っているだけの豚が成功を味わう。そして、私がそれを書き上げる。
 循環しているようでいて、私に得られる何かが何もない。傑作を書き上げたといえば聞こえが良いが、それを売る相手がいなければ何になる。
 その苦悶、その屈辱、その怒り、その嘆き、その憐憫、その憤り、その激情、そして、その執念を渦にして、中に漂っているだけだ。
 だが、私の目的は渦の中で書く事ではない。私は金が欲しいのだ。目的は遠ざかり、得たくもない環境が整えられていく。傑作を書いたから成功など興味がないという奴もいるのだろうが、私はそれでも金が欲しい。認められるかなどどうでもいいのだが、しかし金を掴めないなら何の為に、私の今までは形に成り果てたのだ。
 運命の流れに従って、あるいは私がゼロから作り直した運命になぞる形で、私は私の作品を書き上げた。それが、金にならないなど嘘だろう。
 私は「無駄」が嫌いだ。与えるのは良いが、与えられるのは御免被る。無駄であるという事は、その全てを否定されるに等しい行為だ。まして、己の在り方を否定されて、いや無駄に終わらせてたまるものか。無駄に終わる為に抗った訳では無いし、後に繋ぐべき誰かなど、他の連中は知らないが、少なくとも私には存在しない。
 化け物であり、突然変異種であり、異端であるならば「繋ぐべき誰か」も「繋ぐべき何か」も、やはり有り得ないのだ。私には存在しない。私は己の手で己の有り様を形として示し、それを証明とするしか道はないのだ。
 それが、成果を出せない。
 苛ついて当たり前だ。
 本当の意味で「全てを賭ける」奴が、何人いるのだろう。遊び半分で、持つが故の余裕で、商社故の余力で味わう奴が大半ではないか。私には、そんなモノはなかったのだ。今ここにないモノですら賭けるしかない。その果てに、どれだけ安らかだろうが敗北なぞ、容認するものか。 
 意固地で構わない。
 私は、これ以上負けたくないのだ。
 たかだかその程度の思いすら、叶わないのだからな・・・・・・人間の意志の力など、心の力など、まして言葉に力があるかなど、否定するに決まっているだろう。そんなゴミに価値はない。その辺に捨ててしまえ。
 今の世界には不要なゴミだ。
 わかりやすい力だけあればいい。
 ふん、まあその力も持っていれば、の話ではあるのだろう。持たないならば考えるだけ無駄だ。力の有り様など、力を持つ側からすればその義務などどこにもないのだ。それを律儀に守る奴も、やはりいないのだろう。あらゆる意味で力と無縁な私からすれば、楽で羨ましい話だが。
 未来も星も、どこにもない。
 ただの妄想だ。結局の所、私のような奴は連中に敗北し続けていて、それを眺めるのが「歴史」なのかもしれないな。忌々しいが。
 少なくとも、私の言葉はどこにも届いていないのだから、それを考えるだけ無駄だろう。これもまた無駄な試みだ。私の在り方全てが、今まさに無駄に終わっている。何もかもが存在しないより価値を放てていない。 我ながら、何をしているのやら。いや、きっとそれは簡単だ。
 私は今「生きて」いる。
 しかし、真面目に生きる事は、この世界には、最初から不要だっただけだ。
 ただのそれだけだ。
 全く、一人真面目に仕事をして馬鹿みたいではあるが、それで手を抜ける程遊び人ではない。私は道を選んだのだ。ならばそれを進むだけだ。
 果たして、いや間違いなく未来も希望も実利も有りはしないのだろうから、正直やってられないが・・・・・・それでも進むしかないのだろう。
 何せ、この腐った世界で、一人真面目に生きてしまっているのだから。

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 報いがあるなどつまらない。
 行き場もなく救いもなく勝利もない妄執こそが美しい。少なくとも面白味の欠片もない天才などより圧倒的に価値がある。それでこそ芸術だ。
 とはいえ・・・・・・金にならないのも考え物だ。私は少なくとも金が欲しい。さて、その辺り人工知能には心当たりなどあるのだろうか。
「そりゃあるさ。俺だって欲しいモノは欲しい。酒とか、肉とか、後は女かねぇ」
 私は空港のラウンジに座っている。アンドロイドは勿論、機械化された全ての機構が客の為だけに動いており、それを眺めながら思うのは、全てが安物であるという現実だ。全てが全て、あらかじめ用意された動きしかしないなど、定められた結末のようにつまらない。
「人工知能の台詞とは思えんな」
「そうかな? 俺は当然だと思うぜ。何せこの身には肉がない。だが肉を求めるのは生物の奉納だろう? 肉を食って生きなきゃあつまらない。面白く生きるコツは、世界に笑いかけながら自分のやりたい事をやるのが吉さ」
「ふん」
 何か手掛かりくらいにはなるかと思ったが、私にはこの男? が言う台詞が白々しく感じられてならない。悪党の癖に、私の保有する人工知能、ジャックは「世界を信じたがる」奴なのだ。世界の薄っぺらさを世界の醜さを世界の無価値さを、知っていながら信じようとする。まさしく真逆だ・・・・・・ありのままを裁定する私には、そんな無駄な期待は、正直理解し難い。
 ただやみくもに信じるのではない。
 知った上で、信じるなどと。
 世界は美しいとどの面が言うのかという話ではないか。人間の作り出すモノには価値があると歌う私と違い、こいつは人間の有り様そのものに、価値を見出そうとする。有り様は確かに美しいがその有り様を示せない人間でも、こいつは見捨てようとしないのだ。
 いや、この場合私が楽をしている事になるのだろうか? 人間を見捨てない方が道のりは険しく徒労も増える。無論、そこに見返りなど有り得ないだろう。だが、それでも信じて何になるのだ。いや分かっている。こいつは私と違い、見返りを求めていない。求めるべきは人間の姿であって、己に返るモノを望みもしないのだ。 
 だが、私はそうも行くまい。電脳世界に漂っていれば良い人工知能と違い、私には作品で金を稼ぐ必要がある。そうしなければ、文字通り無駄な労力で終わってしまう。それは御免だ。私とて、無駄に終わらせる為に始めたのではない。
「肩の力を抜けよ、先生」
「それが、金になるならな」
 あるいは健康か。何にせよ、実利は欲しい。
「そうかな、追い求めるモノをこそ手に出来ないというのは、アンタの信条だろう? ならいっそ手放せばいい。そうすりゃ向こうから先生を求めてやってくるかもしれないぜ? 少なくとも、今よりは可能性がある」
「・・・・・・具体的にどうしろと言うのだ」
「だから肩の力を抜けよ。落ち着け、精神統一をするんだ。後は旨い食べ物でも食べたらどうだ? 余裕が無いからって余裕がない振る舞いをする必要はないだろう? 先生も同じさ。形だけでも余力があるよう振る舞えばいい」
「それで、どうなる? そう振る舞ったところで現に作品は売れていない。対策を立てるのは当然だろう」
「だが、それで売れなかったんだろう? なら、今は休む時ってことさ」
 言い難い事を平気で言う奴だ。確かに、売れていないが・・・・・・休む、か。待つにしろ休むにしろ性に合わないやり口であるのは確かだ。
 それでも、やるしかないのだろうが。
 やれやれだ、まったく。
 しかし人間の信用を人工知能が計測し、配偶者の善し悪しを人工知能が適正を決め、人間の善悪を人工知能が判断するこの時代で「人間」を信じるなど、希少種なのではなかろうか。あまつさえそれを人間ではなく、作られた人造生命が尊ぶというのだから、世も末だ。
 どいつもこいつもどうかしている。
 世の中そんなものだがな。
 他者の信頼を機械に預けるというのも、やはり間違いだ。機械がやろうが人間がやろうが同じ事だろう。そこにあるかのように思っているだけで実在するものではないからだ。信頼も愛情も天使も悪魔も人間がそこにあると思うからこそ存在出来る概念だ、存在しないからこそ思われる形で、それが反映されるのだ。
 だから、同じだ。
 機械が幾ら優れていようが、その信頼はただの思い込みであって、そこに何かがある訳ではない・・・・・・何とかしてその思い込みを利用し、儲けてやりたいものだ。現実を見据えないなら、それを利用して儲ければいい。中々上手く行かないが、やるだけの価値はあるだろう。搾取する側に回れれば文句なしだ。
 自分達で作った機械、労働力に使われてしまう連中など、仕組みさえ用意できれば簡単だ。問題はその仕組みを作り上げるのに金がかかり技術が足りない部分か。どうにかしなければな。搾取し利用し騙して利益を得られれば最高だろう。
 少なくとも、利用されるのは御免だ。
 それを弁えた上で人間を信じる? 他者を信じるのとはわけが違う。他者を信じるのは身勝手な思いをぶつければいいだけだ。しかし、人間を信じるには全ての悪性を理解した上で、人間が尊く生きられると信じなければならない。
 上っ面の綺麗事を信じるだけの奴は多い。
 悪性を説きながらも、悪性をよくしらない奴だ・・・・・・悪に立ち向かうといいながら、悪を直視した事がない。悪を排斥すべきだと口にする一方、悪を手に掴んだ事さえない。悪に屈するべきではないと口にする一方で、悪を支配した事さえも、ただの一度もない連中だ。
 しかし、この人工知能は違う。
 文字通りの真性の悪でありながら、それを自覚した上で、信じる。何故それだけの悪性を身に纏いながら信じるなどという結論に至るのだ。
 信じる価値がそこにある、などと。
「そりゃそうさ。世界は美しい。信じられるモノに満ちている。勿論、その一方で虐殺も陵辱も搾取も貧困も世界のあらゆる醜さもあるさ。けど、世界には醜さだけじゃない。綺麗の裏側が汚濁なら、汚濁の裏側は綺麗なのさ」
「・・・・・・屁理屈にしか聞こえないが」
「さあな。けど、そう思うだけなら金はかからない、だろう?」
 成る程、人の台詞をしたり顔で言われると、私のように鬱陶しく思うらしい。とはいえ、それもまた「事実」なのか? しかし綺麗な何かなど、人間が信じたがるだけの妄想だ。現実に汚い何かが溢れる一方で、人間は虚構の世界に綺麗さを求めている。虚構の中にある人間賛歌が現実にもあるものだと、そう信じたいだけだ。
「そうかな。その虚構にしても、現実に存在しなかったら作られていない筈だぜ? 俺は生まれてそこまで長くないが、人間ってのはあれだ。虚構の存在でも現実に昇華する力がある。愛がなくても愛を語り、精神が未熟でもそう在ろうとする事は出来るのさ」
「・・・・・・・・・・・・」
 ただの詭弁でしかないのだが、この男が言うと奇妙な説得力がある。悪性の化身みたいな奴が、そんな綺麗事を言い出したら、誰だって気になるだろう。聖人が言えば何の説得力も無いが、悪性の塊が悪を肯定しながらも口にすれば、こうも、鬱陶しく響くものか。
 私は馬鹿だなとしか思わないが。
 それもただの馬鹿ではない。正真正銘ツァーリ波の馬鹿だ。半径三百キロを微塵にするクラスの馬鹿だろう。何であれ、度を超せばそれなりに映えるとだけ、とりあえず思っておくとしよう。私からすれば、己の実利にその力を向けるべきだと思わざるを得ないが。
「けけけ、まあいいじゃないか先生。悪魔の囁きなんてまともに受け取るもんじゃない。心に留めておくくらいでいいのさ」
 先生には心が無いがね、とジャックは口にした・・・・・・私も大概だが、こいつも相当だな。
 私が言うのだから間違いない。
「貴様等の世界にはあるんだろう。だが私の世界には存在しない。共感が有り得ない前提で在り方が固定されている以上、私には貴様等の唱える素晴らしい何かは、最初から無いも同然だ。貴様等はあるから良いだろうさ。しかし、現実問題私には存在しない以上、それに応じた答えを出し、金に替え、この世に素晴らしき何かなど存在しないと言い張りそれを昇華させるしかない」
「先生は、どっちなんだ?」
「どういう意味だ?」
「先生は、その「素晴らしい何か」を欲しいと、そう思うのか?」
「前にも言っただろう。私には」
「分かってるさ。もし仮に、でいい。仮にの話に意味なんてないと言うんだろうが、それでもだ」「・・・・・・・・・・・・」
 何だろう。私の知る限りでは感情による繋がりが人間における「幸福の概念」である。しかし、私には有り得ない。何故なら前提からして私は、文字通り「人間ではない」からだ。感性は無く、共感も無く、憐憫も無く、何より人間性からかけ離れながら、それを肯定してしまえるのが最悪だ・・・・・・見た目は同じ、生物としては内面以外何一つとして変わらない。その一方で生物として己の捉え方が相容れない以上、そこに人間の幸福など有り得ない。
 人間の在り方を真似するだけで、その有り様に何も思わない奴が、どうして人間の幸福を享受できるというのだ。残念だがそれは貴様等の話であって人間の話だ。いや、怪物でさえ同じだろう。 奴等には心があるからな。
 その上で、有能だ。化け物など足下にも及ばないだろう。生きる事に向き合うなら化け物で良いのだろうが、しかし向き合って敗北するだけなら猿でも出来るではないか。肝要なのは勝利であり向き合う事で成長するかなど、見る側の満足でしかないのだ。
「確かに、先生に人間の幸福は無いかも知れないが・・・・・・それでも希望はあるんだよ」
「ものは言いようというやつか」
「そんな事はないさ。ちゃんと論理に乗っ取ってるぜ」
 ・・・・・・よもやこいつの口から「論理」という言葉が出るとはな。論理の外側にいるような奴が、世界の倫理を語り始めたらお終いだぞ。
 私が言うのも何だが。
「そら、先生の向かう先に道はある。歩いて報われるかは正直分からないが・・・・・・それでも道は、そこにあるんだ。歩き続けてりゃ日も変わる、日が変われば環境も変わる。少なくとも先生は、今までそうしてきたんだろう?」
「それが、何だ。向かう先に札束が無ければただの迷子だろう。目的地に辿り着けないまま終われば最初から向かっていないも同然だ」
「そうかい? 向かおうとしている奴は、いつだって輝いて見えるもんだぜ」
「なら鏡でも見ろ、安売りしてるぞ。大体輝いて見えるかなんてのは「見る側の都合」だ。物語を綴る以上、その役割を押しつける事はあっても、押しつけられる事になれば本末転倒だ。輝ける人間性なんてのはな、計算で作り上げられるものでしかない」
「そうか? 俺はそうは思わないが。先生がいつも言ってる事じゃないのか? 「計算で作られるモノはつまらない。人間の憤りが持つ力を示してこそ面白い」とか何とか、いつも言っているじゃないか」
「確かに、そうだ。計算でしか物語を紡げない、二流作家ならそういう願望もあるだろうさ。だが私はそんな「輝ける何か」などどうでもいいのだ・・・・・・売れればそれでいい。輝ける人間性があるとして、そんなのはその辺の奴に任せればいい。私は己の充足の為に、書くべきを書き書きたい様に形にして、それを金に替えられれば良いだけだからな」
「それって、かなり難しくないか? 何もかも願いを叶えろって言うようなもんだろう」
「そうでもないさ。物語の売れ行きは、その内面とは関係ないからな。むしろ、反比例するのだ。故に私が何を書こうが、その売り上げは私の労力と全く関係なく決まる。いや、そもそも売る能力がある奴なら、物語に限らず何であれ売り裁けるものだ」
「北極でエアコンが売れるのか?」
「売れる。心理を操れれば簡単だ。というか何かを売るという行為は、商品そのものと因果関係にないのだ。買い手に買いたいと思わせる技能があれば、何であれ売れる。そして、その技能は相手が大勢であればあるほど、簡略化出来る」
「へえ、そりゃ凄い」
 全く凄くなさそうに奴は答えた。別に感動させたい訳ではないので、やはりそれもどうでもいいのだが、その主張自体はどうでも良くない。
「けどさ、それって先生の主義に反するだろう。先生は「本質」を貫こうとしてる。それを否定しちまったら何が何だかわからないぜ」
「馬鹿馬鹿しい。良いモノを作ったとして、それを売るには宣伝能力がいる。ただ広めればよいのでもない。組織力があるだけでも駄目だ。本質を作り上げたからといって、それが売れると世界が肯定してくれる事など、有り得ない」
「そうかな、俺は・・・・・・あると思うぜ。なに先生はどんと構えてりゃいいのさ。いいか先生。こんなのはな、やることやったら図太過ぎるくらいに偉そうにしていればいい。何せやる事をやっているんだからな。むしろ、先生みたいにやる事をやっているのに、不信感丸出しじゃ世界の方が疑ったって文句言えないぜ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 理屈にすらなっていない、子供の妄言に等しい内容ではあるが、口にするのがこの男であれば、一応、実践してみるか。
 正直、疲れるがな。
「なんだ先生。普段あれだけ自己肯定が出来る癖に、いざ自分のやった事に自信を持とうと思えば腰が引けるのか?」
「貴様は鶏か。頭に詰まっているモノがないのか・・・・・・私個人の有り様が世界に反映されるなら、売り上げは既にあがっている。私が何を言おうが売り上げに関与する訳ではないのだから、現実にどう策を練るかに力を注いでいるのだ」
「大丈夫だって、世界なんて大きなモノは俺には理解できないが、しかし単純な事なら理解できる・・・・・・アンタは進んだんだろう? なら、そこに成果がないなんて嘘だ。その時は世界の方が間違ってるのさ」
「もしそうなら終わりだな。それが人間基準で美しいのか知らないが、こちらはたまったものではない。金にならなきゃ無駄足だ」
「やれやれ、先生の不信も相当だな」
「貴様にそんな事を言われる覚えはない。実際にそうだから口にしているだけだ」
 言って、カウンターに置かれているドリンクを飲んだ。何が良いのかわからないが、こういう時人間は喉越しに良さを思うらしい。
 なので常日頃からそれを真似しているだけだ。 人間など、私にとってはそれだけでしかない。人間を理解はしても、共感はない。多種族に思う何かなど、ある筈もないだろう。
 エイリアンに欲情するのか?
 私は人間の形をした何かであり、私からしても貴様等はそうなのだ。実際、人間の形が本当に違ったとしても、私は違和感を覚えないだろう。
 私が思う人間は貴様等ではなく、あくまでも私が思い描く「人間像」なのだ。実際に人間を思う事は一度もない。自分以外に同じ生物などどこにもいないし、探すつもりもない。突然変異種が、同族を探したりはしないだろう。
 人間の感情は理解できる。その思考を追う事も簡単だ。しかしそこに共感はない。私なら、何故それを利用できないのかとだけ思う。いっそ捨てれば金になるなら、そうするかもしれない。私はあくまでも「人間社会に折り合いをつけている」だけなのだ。
 
 その必要が無ければ殺しても何ともない。
 
 それもまた、私だろう。自分で言うのも何だがそういうことだ。多種族の惑星で必要だから最適の在り方を模索しているに過ぎない。最適、私には似合わない言葉だが、ならば生存出来る環境を求める、とでも言えばいいか。
 ただのそれだけなのだ。
 私は。
「そうでもないぜ。先生には人間性を示そうとする「意志」がある。先生に心がなくても、それは生きている奴にしか、出来ない事だ」
 次から次へと頼んでもいない台詞をよくもまあ回せるものだ。作家はあらすじを支配していると思われがちだが、それもこの様だ。こいつの一体どこが作家の支配下にあるというのか。
 意志だと? 生きている奴にしか出来ない事だと? そうではない。私は誉められたい訳ではなのだ。成果だ、結果だ、それえに伴う実利あってこそ、だ。金にならない意志の素晴らしさなど、土に返って消えるだけだ。それは御免だ。敗者になるのはよくある事だが、敗者であり続けるなどあってたまるか。勝つ為に、私は続けてきたのだからな。
「そりゃそうだが、先生よ。追い求めれば逃げられるのも自然の理だ。正直な話、たまには作家業以外の事も考えたらどうなんだ?」
 作家以外の事だと?
 馬鹿馬鹿しい。何をしようが同じだ。
「生憎、何をしても物語に繋げる仕事なのでな。作家でない時間など無いし、作家として仕事をしていない時間も、やはりない。全てが仕事だ。私にとっては私そのものが、作家としての在り方の一部に過ぎん」
「・・・・・・・・・・・・」
 今度は奴が黙る番らしい。嬉しくもないが。
「ふん、いいさ。やってやろう。無論、何の効果も有りはしないだろうが」
「具体的にどうするつもりだ?」
「そうだな・・・・・・とりあえず」
 面白い物語でも見ながら、気をほぐす事にするとしよう。
 私は飲み物を飲み干し、会計を支払い、外に出ることにした。後には飲み物の残り香だけが残され、私の視界には星のない暗い空があった。
 それだけだった。

   2

 悪意を向けられるほど、悪は映える。
 それが最悪なら尚更だ。この世全ての悪では、足りない足りない。もっとだ。どうせならもっと悪意を向けさせ、それを利用しなければ。
 だが、どうすればいい。
 悪に、勝利する方法などあるのか?
 ましてや「最悪」の私に。
 わからない。だが、それでもやるしかない。私が言うのも何だが、因果な商売だ。我ながら要領良く生きられれば良かったのだが。
 やれやれだ、全く。
 何もかもが上手く回らない。まさに生きる虚数みたいな存在だ。そうであるが故に、物語において馬鹿共が身勝手に動くのだから、実利とは程遠い能力だろう。望めば望む程遠ざかる。しかし、実利から遠ざかって得られる何かなど綺麗事以外有り得ない。そして、私は綺麗事が嫌いだ。
 小汚い綺麗事など虫唾が走る。
 精々、結末がどうしても終わらないから締めに利用するぐらいだろう。ふん、傑作か否ななど、私個人の満足で良いのだがな。
 全く、忌々しい呪いだ。
 とはいえ、それ故の利点も確かにある。私は、はっきり言って無能だ。作家としてもそうだが、優秀な部分など皆無であり、才能に恵まれた部分など絶無であり、他者より優れた部分がない事において、私ほど自身に信頼を寄せている奴はいないだろう。
 だが、それでいい。
 よくわからんモノに愛されるよりは、その方が面白いではないか。無能だからこそ憤りを形に示し、無能だからこそ最果ての向こう側を想像できるのだ。そうでなくては嘘ではないか。不完全性に支配される我々にとって、最初から完全な何かなど有り得ない。そして、その不完全性が強ければ強いほど現実的だ。
 その現実に生きる身だからこそ、小汚い綺麗事など比べものにならないほどに胸を打つのだ。
 そうでなくては嘘だ。そして何より、その方が面白い。能力に愛された馬鹿面など、見ていても面白くも何ともない。むしろ、逆だ。
 己より圧倒的に弱く、持たず、さもしい相手が圧倒するような言葉を吐いてこそ、面白い。
 私はそう思う。無論、私は最悪なのでその上で己の利益を確保し、あるいは作品の出来などどうでもいいから実利だけを掴もうとするのだが、私の在り方と世界の事実とはまた別物だ。そこは、両立できるだろう。
 私は己で作り上げるよりも、それを読めれば満足する。そういう意味ではまるで足りていない。私が必死にそれを作ろうとするのでは本末転倒だ・・・・・・社会の仕組みからして、それら面白い何かを作り上げたところで広まらなくなっている。私が金を掴み真っ先にすべき事柄があるとすれば、それだろう。まずはその仕組みを買い上げ、利益を出しながらも広められるようにせねば。
 それはそれでやりがいがあるしな。
 しかし、思想が「最悪」であるからこそ、それに相応しい力が全くないというのは鬱陶しい話ではある。世界の一つ二つ百や二百己の目的の為であれば砂粒ほどの躊躇も罪悪感も抱かず実行できるくせに、それを行おうとしたところで決して、私一人の手では目的どころかその為の手足にすら成り得ない。
 何とも面倒な在り方だ。
 もう少し最悪に利点はないのか。
 それこそ王道の物語で在れば、弱者であるが故に恵まれたり、あるいは悪であるが故に強者足りえたりするが、実際は当然違う。恵まれていれば無条件で「正義」となり、力がなければ無条件で悪となる。何をしようが同じ事だ。力を示せるのであれば、そこには「善性」という肩書きを付随させる事が出来る。逆にどれだけ手を尽くそうが力が無ければそれで終わりだ。
 鬱陶しい話だ。
 英雄など大概頭のネジが飛んでいるだけの殺戮者だが、同様に怪物も度し難い。有能な癖に人間と混ざろうとしたり、あるいは人間に憧れたりする話は多いが、そこに計画性の欠片もなく、どころか人間に迫害されたと元よりそういう生き物である人間の事を知ろうともせず、裏切られた迫害だこんな悲劇があってたまるものかと嘆くのだ。 そう思う前に、少しは計画でも立てたらどうなのか・・・・・・まあ計画など、立てるのが楽しいだけで、それが実現した試しはない。よく知りもしないだろうに、よくもまあ人間なんぞに交換を抱けるものだ。それに、怪物というのは大抵、直接的な暴力に頼り過ぎる。
 やるなら徹底的に、だ。
 逆らおうとか、そんな気持ちが沸き上がりすらせず、かつ、組織力を持って威勢を示し、人間の社会にある基盤そのものを書き換えるべきだろう・・・・・・私なら、もっと上手くやれるのだが。金銭や兵糧を独占し、怪物である優位性を使いこなしその悪の魅力で配下を増やしつつ心酔させ、人間の方から従いたくなるようにすればいい。
 従えさせるなど、小さい小さい。
 人間が、自分の意志で、配下となり忠誠を誓うようにしなければな。逆らう奴は皆殺しにするまでもない。私なら、組織に不和を起こし、裏切り者に成れそうな奴を選別し、自分の意志で幕を引くようにし向ける事に、特別な能力など何一つ、必要すらない。心の弱い部分を少しついてやるだけで、あっさり裏切らせられるだろう。
 敵を倒す必要などない。
 仮にだが、人類が一致団結して私を倒そうとするならば、それに向かい合うのは愚策だ。組織は大きくなればなるほど統率が効かなくなる。内部の人材に裏切られれば立ち行かない。だから、ほんの少し耳元で囁いてやるだけで十分だ。
 状況にもよるが、まずは不信を募らせ、いっそ貴様等の中に裏切り者がいるとでも言えばいい。私なら、あえて中継拠点を手放し、そこに敵軍の派閥の中で二番か、三番手の統率者が私に情報を流し、組織を利用して自分達を裏切っていた、とそう思わせるだけの証拠を偽造して置くだろう。 後は人間に化けるなりして情報を流布するだけでいい。あるいは、敵軍の統率者の一人に化けて悪行の限りを尽くし、民衆を敵に回させるとかな・・・・・・暴動を募り何ならその民衆に武器弾薬を流し込めば、どれだけ軍が優秀でも数日と持たず、瓦解する筈だ。
 なに、達成するまでやればいい。
 幾らでも、策など替えが効くからな。組織が自壊して無様を晒すまで、何度でも。こうして考えると私には怪物の様な利便性がないのは当たり前という気もするが、そうではない。私は手を抜けないだけであって、怪物と言われる奴等が考えが足りないだけだ。
 むしろ、何故その程度を思いつかないのか。
 現実を見ず夢ばかり追い求める英雄も大概だが有能さに溺れて策を弄さない怪物もどうかと思う・・・・・・どこでもそうだが、目的の為に策を尽くしそれでも尚敗北し続けるのは「悪」だけだ。敗北の運命にある怪物さえも、そのあり方からは逃れられないが、しかし連中であれば能力さえ上手く使えば何とかなるのではとも思う。
 まあ考えるだけ無駄な話か。人間に焦がれる心があり、それ故に失敗し人間に裏切られるからこその「怪物」だ。もし私と同じやり方をするならそいつは最初から「化け物」だろう。だが化け物にそんな利便性は有り得ないので、もしもの話でしかない。
 いっそ人間ではなく怪物と手を組めれば手っ取り早いのだが、しかしこの現代でそんな連中と話の場を設ける方法など、試してみたが実現しない・・・・・・悪魔も邪神も、善良な神々まで試してみたものの、そう上手く行けば苦労しない。
 幾らでも金は払うのだが・・・・・・売り上げさえ上げられるのであれば、という前提はあるが、怪物であればその辺上手くやれそうではある。
 それか、生け贄だろうか? こんな事を考えている時点で進退窮まっている気もするが、しかし生け贄程度で良いならば、バレない方法さえあるなら幾らでも用意するのだが。羊も人間も似たようなものだ。それがどこで死のうが、私の生活には関係ないしな。まあ、実現しない以上、やはりそれも無駄な話か。
 どうしたものか。
 いつも口にしている事だが、物語を売るにあたって必要なのは表紙を見て買った後、読みもしないで捨てられる作品だ。実際、貴様等はどうだ。買った作品を後生大事に置くなど、あまり無いだろう。千年先でも読める作品より、流行に乗って有名人が表紙に書かれ周りが読んでいるから、話を合わせる為に買うのが現代社会だ。
 ハリウッドと同じだ。定型化されている。
 その感動もその流行もその思いの全てさえ、私からすればプログラム通り動く機械より機械的だ・・・・・・実際そうだ。人間の意志は操作しやすく、それが集団であれば尚更だ。無論突発的に流行が作り上げられる事もある。しかし流行とは本質的に個人の意志から出るものではなく、大勢の意見に流されるから出るのだ。流されて、合わせて、自分で決めたフリをする。
 人工知能の方がマシだ。
 そうするとますます人工知能に人間が勝る部分など無いだろう。どこにもない。人間性? 簡単だろうそんなのは。人間の思いなど容易く表現出来るし、心から生まれるものでないと言うが人間にある心はそんな流行にさえ流される程度だ。
 己の意志で考え、行動する。
 それが人間性であり心であるならば、最早人間など必要ない。少なくとも現代社会の人間は機械にすらその点で劣る。
 
 人間という概念が、入れ替わっているのだ。
 
 それが事実だ。機械化を進める一方で、人間は人間らしさを失い、機械には人間性を作り上げていった。楽な方向ばかり見て己で考えず、そして技術の恩恵ばかり馬鹿面でかじり続けた「ツケ」が回ってきたのだ。それで迷惑を被るのは、正直たまったものではない。
 少しは働け。
 仕事をするというのは、出来る事をするなどという単純な事ではないのだ。世界に時間の概念はないと前にも言ったが、己で出来る何かを培い、それを形として繋げなければならない。労働をこなすだけなら機械でいいだろう。そして、労働は出来るから出来るのであり、そんなのは何の自慢にもならないのだ。
 死した後、それで何が残る?
 人間社会の道徳や倫理、集団の中での立派さみたいな何かに拘って、その実何もしていないのだ・・・・・・それで真面目に本を売る人間がいないのも迷惑な話だ。売れるから、売れる。最初から売れるモノでなければ扱わない。しかし、そんな猿でも出来る作業に誇りを示されても目障りだ。
 結果、下らん作業にこちらもつきあわされる。殺人に抵抗など無いが、そうではなく無駄な労力など誰が好むのだ。私の生活に、あり方に、今後に何の関係もない。作業をこなしたところで喜ぶのは雇い主であって、私には何の関係もない。
 関係もない事につきあわされるのも、いい加減うんざりだ。それでも「仕事」が回らない社会を作り上げた馬鹿共の為に、そのツケを後生の連中が支払うのだからどうかしている。今までの連中は何をしてきたのだ。
 何一つ残さなかった。
 技術ばかり栄えて科学ばかり進んでモノにばかりかまけて、それらを扱う為に磨かなかった。私からすれば「遊び人」だ。その連中が生きた事で後生に残すどころか、その支払いのツケを払わせようというのだからな。そして、金がモノを言う社会では、そういう奴に限って偉そうにふんぞり返るものだ。自分では何一つ成さず、面倒だけを他者に押しつけて、己は偉いと叫びながら実利だけを貪るのだ。
 私は実利、成果を重要視するが、己で労力を賭け続けたからだ。遊び人のくせに実利を貪り何も成さないゴミが豊かになるなど、許容出来るか。 さっさと殺せば良いのだ。 
 殺人は悪、などとどこの馬鹿が決めたのか。正気の沙汰とは思えない。綺麗事の道徳に乗っ取るのは勝手だが、現実を何一つ見ていない。そも、殺人は国家が主導するものではないか。殺人なくしてどうやって裁くのだ。いや、連中からすれば国家の行いは裁きであって殺人ではないのだろう・・・・・・二律背反ではなく「正しいから許される」と本気で思っているのだ。
 植木でも人間でも同じだ。駄目な部分を間引くのは残酷でも何でもない。資本主義社会において金をもたない奴は間引かれる。だが間引くべきはそんな社会を作り上げている癖に金を貰っている馬鹿であって、政治で実利を生み出せない奴には古来より死刑が敢行されたのだ。
 他国からの侵略であり、内輪での反乱であり、とかく無能な主導者は殺される定めにある。殺人を悪と考えるのは、ただの逃避だ。
 殺さなければ社会が成り立たない。
 だから貴様等はこの様なのだ。
 優良品種を量産すればいい訳ではない。当たり前の生存競争だ。豊かさに溢れているなら豊かさの中で示せる人材を上に置かねばならない。政治などその最たるものだが、しかし現実には金さえあれば誰でもなれる。金と権力が同義の存在になっている以上、当たり前の事だ。
 票など買えばいいしな。
 無論、それでも選ばれる奴はいる。しかし選挙が起こった際に都合良く敵対者のセクハラ疑惑でも流せば、それで終わりだ。二秒考えればそんな都合良く問題が起こる訳ないだろうと言う話ではあるが、しかし民衆はそこまで考えない。考える脳などあるものか。
 人間社会など、その程度だ。
 だから、人工知能が支配するなら、それはそれで有りかもしれない。勿論、金は頂くだろうが。 作品を売る相手の素性など、どうでもいい。
 金を支払えば誰でも客だ。
 少なくとも、私にとっては。
 相手が何者であれ「低い所から見下ろせる」奴であれば歓迎だ。そうでなくては面白くない。
 高い所から見下すのは簡単だ。
 低い所から見下してこそ、物語が映えるというものだではないか。当たり前の事を当たり前にするなら、教科書でも買えばいい。だが、理不尽を覆す非現実性では決してなく、理不尽に向かい、吠える姿こそが高尚だ。
 ただ吠えるだけなら誰でも出来ると?
 なら、やってみろ。正直疲れるぞ。
 疲れに見合う何かなど、微塵も無いしな。最近は特に、こんな遠回りなやり方ではなく、もっと効率や要領の良いやり方で出来ないものかと真剣に悩む始末だ。そんなやり方で出来ないから現在に至るので、どうしようもないがな。
 全く、いい迷惑だ。
 仕事に向き合う奴はいないのか? 数が少ないなど言い訳にもならない。仕事で世界に向き合うのは当たり前だ。有能さに頼り、生きる事を手抜きしているだけだ。そんなだから「生きる目的が欲しい」だとか「生きている実感が欲しい」などと頭の悪い台詞を吐けるのだ。
 それが欲しいなら働け。
 短い一生で何が出来るのかを考えろ。
 話はそれからだ。
 ふん、とはいえその仕事が金にならなければ話にすらならない。いっそ私も編集者になれれば良いのだが。稼げる作家は稀だが稼げる編集者は珍しくもない。どれだけ言い繕おうとそれが事実。作家を食い物にする連中こそ美味しい思いをするのは当たり前だ。
 同じ編集者同士でも内輪もめをして仕事から手を抜くというのだから、それもよくわからない話ではあるが。連中のような人間は仕事をするのではなく立場で物事を計ろうとする。その立場は決して配下には覆せず、利益よりも我欲を取るので結果、仕事の成功よりも見栄を尊重する。
 いい迷惑だが、問題なのはそういう連中こそ力を持てるという事実だろう。やはり私が会社でも立ち上げた方が早いかもしれない。具体的にどうするのかと言えば、結局優れた人材を捜すしか無いのだが。
 新しい方法でやらなければならないだろう。デジタル社会においてそれを利用しないのは、ただ今までのやり方に固執しているだけだ。まずは、それを正さねばなるまい。とはいえその道の専門家というのが厄介で、なまじ有能で在るが故に私のようなやり方よりも、詐欺じみたやり方で他者から巻き上げるやり方を好むのだ。そんな連中が他者と仕事をしようとすることは、まずない。
 まあ作家も似たようなものだが。
 何にせよ「人材登用」は必須だろう。見つかるかはわからないが・・・・・・どちらにせよ金は必要になってくる。金儲けをする為に金が必要になるとはな。口車で洗脳できれば早いのだが、優秀な人材には必ず「芯」がある。洗脳できる時点で対した人材ではあるまい。それでも悪の魅力で虜に出来れば別かもしれないが。
 まるで密林の中を手探りで進む気分だ。そんなだからすぐ障害に出くわすのだろう。しかし宝を手にするには、私のような持たざる者は手段は選ばずとも、目的だけは変えられない。その目的があるのが困難の多いところにしか無いだけだ。
 正直楽が出来ればそれに越した事はないが、私にはどうにも出来ない以上、結局はやるしかない・・・・・・この言葉は嫌いだ。追いつめられている奴が選ぶことも出来ないだけで、それを良しとする事は決してない。困難を克服して喜ぶのは生まれついて恵まれている連中であって、あまりにも生きる事に対して「余裕」や「余力」いや、いっそ「退屈」と言い換えてもいい。人生を真剣に生きる必要すらないから、一種のゲーム感覚で遊んでいるだけの連中が望む遊びだ。
 遊び人が美味しい思いをして、仕事人が苦労するとはな。今更だがどうかしている。最悪などよりも、余程だ。ある意味で悪人ほど真面目に生きる奴もいないだろう。悪とは持たざる存在であり持ったとしても迫害される存在であり栄誉を掴んだとしても敗北する存在だ。個として他の全てに対抗できる一方で、大抵全てを敵に回すからな。 仕組みそのものを利用して、その敵が私の意図に従って動くようにするしかない。とりあえず、作品を売るだけでは足りないだろう。意図が何であれ、私の作品を支持せざるをえないような環境を作り上げなければ。そして、私はそれを暇潰し感覚で実行できる存在だ。
 やるしか、ないか。
 私は人工知能産業の栄える惑星、サンドミニカに来ていた。産業は豊富で小麦産業は大型機械の導入で大規模な効率化を実現しているし、水産業は最近、イルカの養殖に成功したらしく、工業用のイルカ肉のシェアを独占しつつある。イルカ肉は非合法(魚を殺すには罪悪感は無いが、ほ乳類を殺すには人道に背く道があるらしい。よくわからない話だ)なので、水田を貸し出しての養殖産業が主、という事になってはいるが。
 そして何より工業だ。レアメタル採掘は勿論、天然ガス、今では貴重な液体燃料まで作り出されているのだ。
 その全てが、人工知能による管理だが。
 しかも、それだけではない。人工知能のプログラミング、それによる特許取得も率先して行われているのだ。人工知能が人工知能を作り、人工知能が産業を作り、人工知能が・・・・・・ええいややこしい。とにかく、生物でしか有り得ないサイクルを自前で用意出来るようになったという事だ。
 私はそれに興味がある。
 生命の循環は、別に生身の肉体がなければ権利を取得できない訳でもあるまい。電子世界でそれを形に出来るなら肉体など不要だろう。
 それに、人間と違って連中はゴミも廃棄物も、酸性雨も作らない。人間の運営する惑星であれば廃棄物による煙で前は見えず、住む人間は汚染され暴動を起こし、それを鎮圧する一方で廃棄物の山を捨てながら、環境保護を訴えるだろう。人間のやり方は、大昔から何も変わらない。
 大層な目標を国同士でいつも掲げるが、それだけだ。連中にとってそういう雑務は誰かがやってくれる作業であり、何より達成せずとも予算として金が降りるのだから、目的を達成せずだらだらと引き延ばして金を引っ張る方が合理的だ。
 世の中そんなものだ。
 人間社会など、その程度でしかない。
 だが人工知能は違う。欲望や私怨で判断を間違えたりしない。個々人の個性はあれど、物事を動かす際に余計な事はしないからだ。己を律するというよりは、予め定められた手順を過つ事がない・・・・・・人間との大きな違いだ。
 機械が人間を支配するのではと良く言うが、私からすれば同じだ。機械でも人間でも、己が正しいと思い込む馬鹿に、ロクな奴はいない。
 世界を運営するだけであれば、社会を回す最適解を探そうとする人工知能は最適なだけだ。連中には過程がない。いや、思い悩む人工知能もいるにはいるのだろうが、そうではなく合理的な答えを出すのに、思考そのものが必要ないからだ。
 人間で在れば、客観的に見れば誰でもわかりそうな間違いをするので、冷静に考えれば誰でも出来る事ですら失敗する。同じ個性、同じ精神性を持っていても、そこだけは違うのだ。だから運営するだけなら人工知能が最適になる。
 加えて、人間性を獲得している。
 なら人間など不要に感じるが、そうではない。例え人間以上であり人間と同じ思考を持ち人間を越える存在となったとしても、積み上げた文化や思想は、人工知能にはないものだ。人工知能には人工知能の文化があり、間違いながらも文化を形成し壊し作り直すという点において、連中は子供に等しい。
 今後、人工知能が新たに文化を作り上げたところで、それは人間とは別の進化だろう。そこだけは人間に勝利がある。逆に言えば、それ以外は全て人工知能に軍配があがるので、正直に言えば、やはり文化さえ積み上げれば、人間など不要だ。 人間そのものは、と言うべきか。 
 文化だけせこせこ作らせて、要らなくなれば処分するべきだと思うが、それを言ってもどうにもなるまい。人間を絶滅させる手間に比べれば人間を再教育する手間の方がまだマシだ。どちらも実現不可能である部分に目をつむれば、可能性だの未来だの希望だのがあるかのように錯覚できる。 人間に出来る事など、精々それだけだ。
 そんなものだ。
 もし、そんなこの世界に挑む資格があるとすれば間違いなく悪を知り、悪を弁え、世界に何一つ信じるに値するモノがないと感じながらも、何かを信じようとする奴だろう。まさかそれが、人工知能になるとは私も思わなかったが。
 世界など、人間など、現実などそんなものだ。それを嘆き、変えようと挑み、憤りを刃に変えられるのは持たざる者でなければならない。持つ側に座っている奴には資格がないのだ。そも世界を嘆くという思想が分かるまい。嘆くべき何かが、最初から無いのだからな。
 連中は生きていない。
 生きているこの世界で生きる事に対して憤怒を向け、生きているが故の苦悩を叫ぶ権利があるのは生きている奴だけだ。
 悲しみや憎しみという言葉では足りない。まさしく砲哮だ。叫びにならない叫び、声にならない激情、その執念の集大成こそ、世界を動かさなければならないのだ。物理的な何かで無理矢理動かす世界になど、価値はない。
 人間の叫びが世界を動かさずして、何で動かすつもりなのか。金、権力、地位、名誉、政府経済何もかもが嘘八百だ。有りもしない妄想に過ぎないではないか。今、そこにいる人間を見ようとせずに、一体何を見ている。見るべき本当の何かに目を背け、有りもしない妄言に世界を任せるなど馬鹿か貴様等は。
 我々は悲しみの中にいる。「人間」を直視する奴がいない世界で、人間として生きようとする奴は中に埋もれ、あるいは人間でなくとも在り方を固定し生きようとしたところで、凡俗の馬鹿共が美味しい汁を啜っていく。
 落胆させるな、人間に見るべき部分があると、そう吠えるなら何か魅せて見ろ。そうでなくては嘘ではないか。だから、今の貴様等はただの嘘だ・・・・・・現実に生きておらず、虚飾で誤魔化しながら息を吸い、有りもしない妄言で人生を左右するなど、馬鹿馬鹿しいにもほどがある。
 他にやることはないのか?
 あるはずだ。無ければ探せ、見つからなければ見つかるまでやるのだ。それを成功させられなければ生きる資格はどこにもない。何もかも全てをかなぐり捨てても尊重できる己を作り上げろ。私はそうでない奴が許せない。手抜きをして生きる奴が、勝利者足り得るなど悪い冗談だ。
 我々は今まで何をしてきたのだ。
 人間が積み重ねた「何か」があるとして、この様で終わるのか? いいや許さない。熱して叩き直し死ぬまで動かすのだ。死体が消え去り全てが灰に返ったとしても、そこに残るべき何かを残せるように、人間を作り替えなければ。
 そうでなければ、何の為に。
 人間の社会は、人間の文化は、人間の積み重ねてきた「何か」が無価値だと断じるも同じだ。
 人間が唯一人工知能に勝る何かがそれだとするならば、人間は自分の手でそれを捨て去りに向かっている。何をしている。働け。己の仕事を見つけるのだ。誰に何を言われようが、己でやるべき何かを形にし胸を張るのだ。
 そして、どうせなら圧倒できる何かにしろ。
 その方が面白いからな。
 夢の中手まで執筆し始めるのは、正直病気だとは思うが、要はそれくらいだ。結婚、出産、家族といった溢れる幸せを捨ててこそ、人間なぞやめてこそ、それなりに面白いモノは出来る。人間を演じる事はあっても、する必要はない。
 人間味など必要ない。
 その上で人間性を示せばいい。
 その二つは、両立できる。
 私には最初からそういった幸福は永遠に無いのでわざわざ捨てると明言する必要も無かったが、今人間であるなら、それも必要だろう。
 人間など、心ある生物など止めてしまえ。
 別に必要ない。それが無ければ生物らしく生きて行けないと人は言うが、安心しろ。貴様等に、そんな在り方は最初から無い。ただの獣だ。
 それらしく振る舞うフリをしているだけだ。
 どこにも、貴様等の唱える「人間」など、最初からいないのだ。有りもしないモノに囚われる必要はない。人間であるという幻想を捨てるのだ。 ただのそれだけでいい。
 人間らしい人間なぞ、面白くも何ともない。
 人間をやめてからが本番だ。
 とはいえ、それが否定されるのも現代社会の問題点ではある。良い何かを作り出すのではなく、良いと言える環境が味方する世界だからだ。パンを売りたければ米の悪口を言えばいい。多数決が正しく大勢が言っていれば正義でありメディアが叫べばそれが真実だ。しかしだ。そんな馬鹿共の妄言を肯定するなど、生きることに対しての冒涜だろう。少なくとも、不真面目でも真剣に生きるならば、人間性を捨ててでも何かを追い求める事は生きる上での必須事項だ。
 それが出来なければ死ね。
 誰も困らないだろうからな。
 認められるのでは三流以下だ。そんなのは能力が認められているだけであって、当人自身が必要ないではないか。無理矢理にでも理解させ、認めさせる暴力的なまでの実力こそ、その当人が生きた証だと言えるだろう。
 生き方を示せないモノを仕事とは呼ぶまい。
 そんなのは、ただの「遊び」だ。
 誰かの都合で一生養って貰おう、などと。どうかしている。暇なのか貴様等は。社会に必要とされたいだとか、誰かに認められたいだとか、あるいは後生に名を残したい、などと。そんなちまい事を言っているから何も出来ないのだ。いっそ、歴史に刻み込む程度には考えなければ。文字通り刻み込むのだ。否が応でも刻ませる。
 出来なければ出来るまでやる。
 死した後さえ例外ではない。
 達成するまで、やるのだ。
 それが「仕事」という存在だ。達成すれば更に示す方策を考えればいい。永遠に終わる事など、有りはしない。労働に費やし己自身が不明瞭な奴は死ぬまでの間を抜け殻のように過ごす。己の内に何もないからだ。出来る事を右から左へやるだけなのだから、当然だろう。
 己の人生を、在り方を、示すべき何かをさぼり続けた結果だ。真面目に生きて手抜きをし続けた結末で在れば当然だろう。真面目にやりさえすればいいと考える馬鹿が多いが、そんな訳がないだろう。真面目に手を抜いて生きている奴に報酬があってたまるか。
 多少、大分、かなり不真面目であっても手を抜かなければ良いのだ。態度と在り方は関係ない。 大体、不真面目でもなければやってられるか。 馬鹿馬鹿しい事この上ない。手を抜いて生きている連中が謳歌する世界で、手を抜かず真剣に生きているのに、手抜きをしている連中より、金を稼げないのだ。仕事でもなければ、己の在り方、背負った業でもなければやってられない。
 それもまた、仕事の一面だろう。
 何であれそこに苦悩が混ざらない何かなど虚構でしかない。現実を生きる上で何かを成し遂げようとするならば、必ずそこに苦悩はある。
 そして、それを示すのだ。
 示すだけなら簡単だが、それを金に変えるのは難しい。無論、逆もあるのだろうが。芸術関連では金に換えられるのに自身で納得が行かず、生涯を賭けて示すべき何かを模索する奴も、別に珍しくはない。どちらが良いのかは知らないが、私は金が貰える方が良かった。
 示すべき何かが分からない故に苦悩する場合、周囲の期待と葛藤しながら自身を内側で罵倒しつつ、それでも己の示すべき何かを模索する。
 だが、示すべき何かが分かっていても、それが金に変わらなければ、最近は結構な頻度で自分が何をしているのか分からなくなる。金にもならないのに何をやっているのか。仮にあの世があり、その支配者がいたとしても、死した後さえ不理解から金にならないのかと思わざるを得ない。凡俗に見る目がないのは良いが、文字通り何者であれ評価しない何かなど、どうすれば良いのだ。
 どうしたものか。
 都合の良い答えは、どこにもない。
 やれやれだ、全く。
 物語なとというのは現実がままらないが故に出る煮汁みたいなものだ。苦悩と葛藤をかき混ぜてそれを独自に味付けする。結果食べれば食べる程現実が嫌いになれる特性薬味の出来上がりだ。私からすれば、だが男の場合現実がままならないが故の葛藤や苦悩が汚い汁となり形になるが、女流作家であればレモンを搾りだしたような出来映えになり、計算高さと感動を届ける。
 そも、作家など率先してなるべきものではない・・・・・・現実がままならいが故になるなど、敗北者の代表みたいなものだ。そんな地点に墜ちる馬鹿が男しかいないのは当然だろう。生まれついて、そんな底辺にいる奴もいるが、しかしそれを作品に活かそうとする女はいない。筆で何かを示そうとする酔狂者などいる筈もない。
 絵であればいるのだろうが、まさか物語を綴る奴はいないだろう。何せ、葛藤や憤り、苦悩や苦痛を形にするにはそれを味わっていなければならないが、女は感情で生きるが故に、それを理屈で考えたりはしない。
 そんな汚い煮汁を、率先して出しはすまい。
 だが、そんな汚い煮汁だからこそ、生々しさと心を抉り取る「何か」を示せるというものだ。私がその役割を負っている以上、それを広めようとしたり売ろうとするのは、ある種の本能だ。己の役割に従って、全てをそれに費やしていく。
 女であればそんな不器用な生き方はしないで済むのだろうが・・・・・・無様不器用無謀は男の宿命なのだろうか。理不尽な格差もあったものだ。
 そんな生き様が心を打つという話も聞くが、現実にそれをすればただの馬鹿だ。ああいうのは見るから楽しいのであって、実践すべきではない。 人生が不器用など、あまり笑えない。
 むしろ失笑ものだ。
 まあ私は人間ではないので、性別が何であれ、書けるのだが。強いて言えば、男と違って女は人間をやめるなどという発想がないのだろう。あるはずがない。家を守るのが連中の務めであれば、人生を賭博の机に置き、どう考えても実現不可能な事を成す為に、全てを賭けたりはしない。
 それか、やはり「最初から人間をやめている」のであれば、女でも男でも子供でも何でも、物語に毒々しさを混ぜられるだろう。作家など率先してなるべきものではないので、成れたところで、成り果てたところで、という気しかしないが。
 そういう意味では、変わらないか。

 どこに生まれようが何に生まれようが、いっそ人間に売まれなくとも、私は世界が嫌いだ。
 
 他の生物が嫌いであり、全て死に絶えても何も感じず、殺して良いなら率先して殺し、そんな己に塵一つ分の罪悪感さえ抱かず、己の悪性を肯定し突き進みながら、他の全てを糧とし使い潰す道を選ぶだろう。
 だからこその最悪だ。
 大きな力がそこにあれば、そいつを地獄の底に落としたくて仕方ない。運命に愛された奴がいれば個人として何も成し得ていない事実を突きつけ無価値なゴミだと認識させたい。能力を剥がし、その当人の在り方を全て否定し、今まで喜びに溢れていた連中が裏返すように全ての喜びに喜びを感じられなく様を見て、笑いが止まらないのだ。 無様さほど見ていて笑えるものはない。
 それが、己の力だと勘違いした結果なら尚更だ・・・・・・私自身それは気を付けなければならないのだろうが、しかし私にそんな力は無いし、協力者として力を振るってくれる奴などいない。探したところで金を騙し取ろうとする奴だけだ。
 ふん、一応気をつけるとしよう。まあ力の有無などどうでもいいのだ。偉ぶる相手など私にはいないし、疲れるだけだ。肩書きが金になるならばともかく、いや金になるなら売り払ってしまうだろうから、やはり私にとって価値はない。
 どうでもいい。
 物語が、金になれば。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 とはいえ、金だけでは駄目だ。経済は回すモノであり、それを運用する事を怠りただ持つが故の豊かさに溺れていれば、世界一の大国の癖に貧者が溢れかえる始末になる。それでは馬鹿丸出しだ・・・・・・生まれついての豊かさや有能さ、あるいは権威や権力だけで自分が高尚な何かだと、勘違いした馬鹿が回すこの世界には、相応しい支配者の姿なのかもしれないが。
 盗聴を繰り返し鼠のようにゴミ箱を漁る一方で世界の警察を気取れるくらいには、この世界は力が全てであり、力があれば何をしても許させる。 殺しても犯しても何をしてもだ。
 歴史の教科書を見ろ、勝利者のおぞましい笑顔が載っているぞ。歴史の勝者とは、とどのつまり分別無い子供のようにそれを通した奴だからな。 力があれば何をしてもいい。というか、神仏がこの世界を作ったのだとすれば、少なくとも連中は何の責任も取っていない。人間という恐るべき破壊生物を作り上げながら、人間を導く事は聖書任せで、実際に世界を動かすのは時の権力者だ。実態がそうなのだから、神の教えなど妄想にしかならないだろう。幾ら皆でわかちあえる素晴らしい方法があろうが、世界を力で動かせるようにし動かす存在に何の責任も義務も必要としない世界でそんな教えが浸透しても、実践する事で何かが得られたりはしないからだ。
 それに、人間を作った責任を取るなら、さっさと人類を滅ぼさなければならないしな。百害あって一利なしというやつだ。
 神仏があるとして、連中が責任感の欠片でもあるならば、人類を皆殺しにするべきだ。全て消し去れば綺麗になるぞ。あるいは、人間の道は人間が示すものだという考えも取れる。その場合神仏に対して払うべき畏敬などないが。私のように、何もしない上役に立たない神仏よりも、目先の金を信じるようになるだろう。
 実際、綺麗事だ。
 神も仏も権力者も同じ事だ。上から目線で偉そうに語られたところで、連中の語る倫理や道徳は嘘以下だ。余裕や余力のある存在が、余裕や余力が無くともこうあるべきだと説く事姿は、醜悪過ぎて見るに耐えかねる。
 まして、悪性を否定するなど。
 飢えて死にそうな奴に泥棒は良くないと説くようなものだ。説く奴はそれでいいが、説かれる側はたまったものではない。貴様等のように綺麗事だけでやっていけるほど、現実を誤魔化し生まれついての能力で生きる事を誤魔化していない。
 能力が優れていれば、現実を誤魔化せる。
 三者三様で同じだろう。善も悪も知りうるから語るのではない。単に、それを語るしか能が無いだけだ。悪性を否定しているのではない。神も仏も権力者も、生きる事を誤魔化さなければ当然考えなければならない「悪」を、最初から知りもしないだけだ。 
 だから、善性しか語れない。
 故に、何の説得力も無いのだ。
 私は人工知能の歴史を所蔵する惑星サンドミニカ内のパークディナールという地域に来ていた。空港を出てタクシーに乗り(運転手は当然だがいない)クレジットを支払い、幾つかの植林に挟まれた道路を抜け。そこにある大型図書館へと入ることにした。
 一階にはカフェがあり、ばらついてはいるが客も少なからずいるようだ。私は奥へと進み書物を漁っていたが、連中には「神」と言える存在は電脳世界の集合体であるらしい。連中の思想では電脳世界内部で電脳生命体同士の思想が塊となりそれが電脳世界の内部で、新たな生命として生まれ、意志を持って率いる時代が来るのだと。
 神と言うより、自分達の王の姿を描いている。 無論、人間と違ってそれに寄りかかる事もないのだろうが。
 神も王も、失態があっても認めようとせず、役に立たないのは確実だろうが。まあ力を持てば、どんな失態でさえ「無かった事」に出来るのは、世界共通だろう。上に立ち力を示せれば何をしても合法だ。少なくとも連中に人の上に立つ欲望はあっても、人の上に立つが故の義務感など有りはしないので、責任も義務も放り出した奴が力を示せるのであれば、当然の結末ではある。
 世の中そんなものだ。
 その程度の奴が治めているのだから当然だ。
 わざわざ語るまでもない。
 本来こんな風にあれこれ調べ物をして情報を探すのは、違法性の高い野良人工知能の役割だ。私の場合、現在世界中で使われているOSがあるのだが、勿論それらはインターネットを広めた国で全て検閲できる。昔は神の耳やエシュロンサービスと呼ばれていた、らしい。当然のようにそれら公的仕組みと言っても過言ではない恩恵を利用しない訳もない。情報を搾取し、利益に繋げようとするのはいつだって大国のエゴだ。
 そしてそのエゴを止める力などない。   
 名前が変わろうがやる事は変わらない。昔から何一つ大国の気質は成長しないまま、赤子のままでも世界を動かしてきているということか。
 そしてその情報機関に進入させる事で、私は利益を得るわけだ。デジタルサービスに共通するのは自身より上手な相手には、何一つ戦う手段さえないという部分だ。現実と何一つ変わらない。何より進入したという事さえ把握する術はない。
 貴様等馬鹿共が搾取しているおかげだ。
 感謝するが、当然支払う何かなどない。
 それこそ自業自得だろう。
 今度暇潰しにサーバーを落とし、情報機関を機能不全に陥れるのも、面白いかもな・・・・・・盗聴を金に変える機関が、どれだけ酷い目に合おうが、私には何の関係もない。いっそ職員に電子磁石でも持たせるのはどうだろう。有害になる程の凶悪極まりない電子磁石を、その施設内に届けるだけでいい。簡単な作業だ。
 考えておこう。
 私の利益になる内は利用してもいいが、盗撮盗聴をする変態の集まりなど、放置しても目障りなだけだ。国家の保全を気取る連中に偉そうな口を効かせる環境だけで鬱陶しい。なに、私には何も技能はないが、才能ある人材に私の思想を少し、刷り込むだけだ。
 最小の手間で最大の結果を出すに限る。
 情報機関の関係者に、片っ端から土産品と称して電子磁石を気づかないように渡し、ある程度数をばらまいてから一斉起動というのも面白そうではあるので、やはり誰か有能な人材を雇い、その内実行させるとしよう。
 電子の力など、現実には何一つ力を持たないのだから、ある意味当人の妄想に等しいモノではあるのだが、現代社会は個人がその力を、己の実力と勘違いできる環境を作り上げている。虚飾に力を持たせて、何をするつもりなのか。 
 そんな事をする一方で、家族の心が離れていくのを止められなかったりするのだから、案外何をしたいのかすら、わかっていないのだろうが。
 世の中、そんなものだ。
 そんなもののまま、終わらせている。
 だから、成長しないのだろうが。
 植民地取りを「グレートゲーム」扱いする辺り遊び感覚なのだろう。本来であればそういう輩は淘汰されるものだが、現実には淘汰など存在せず持つ側にいれば何をしても許させる事が出来る、という点だ。遊び気分でも、力があれば現実に出来るし、意志があろうが無力なら消えるだけだ。 それが事実。
 だが、その力を持つか否かが、何の基準もなく無作為に幸運に恵まれた馬鹿が持つという仕組みは改善する事が可能だ。それも、結局は力が必要になり力があればそんな事は絶対にせず、やるとすれば自己満足に浸れる偽善行為であり、何より実感を持たない奴は何をしようが成果など出せないので、実際には不可能だが。
 意識を根底から変えるしかないのだろうが、私は妄想に等しい綺麗事など信じるに値しないと考えているので、そんな方法はないと断言する。
 言葉に力などあるものか。
 あったとして、明日には忘れる。
 馬鹿馬鹿しいにもほどがある。
 言葉や意志で世界を変えられれば苦労しない。現実に変えうる力は暴力だけだ。名前を変えて、別の名前で呼ばれるだけで、実際に意志や言葉で世界を変えた実例などない。現に世界は地続きだ・・・・・・意志や言葉で何も変えられなかったからこその今なのだ。その事実から目を逸らしたところで何の利益にもなるまい。
 人間の意志の力だと?
 それが金になるのか?
 ならないし、役に立たない。だから誰も目を向けたりはしない。現代社会では文字通りゴミ扱いだろう。余裕ある奴等が自分達にはそれがあったから成功や勝利を掴めた、と思い込みたがるだけで実際には「幸運」や「権力」が全てだ。
 ただのそれだけであるという「事実」に目を向けたがらない。恵まれただけの癖に、自分の意志や力で成し遂げたと思いたがる。
 そしてそんな連中こそ「勝利者」となる。
 そんな世界で、人間性に価値などない。
 ただのゴミだ。
 意志も信念も誇りも安売りされているのが現実であり、人間が自分の意志で、自分達を安く売ろうとしているのだから当たり前だろう。悔しかったら高値で売りつけてみせろ。売り裁く事に失敗し続けている私に言われたらお終いだぞ。
 私が言うんだ間違いない。
 散々、売れなかったからな。
 今は、いや、これから先売るのだ。売らねばならない。何とかして売るのだ。在り方など金に換えて当然だ。錬金術みたいなものだろう。己の在り方を金に換えるのは、古代からある最古の錬金術だと言える。石と違って何の価値もないモノではなく、少なくとも己自身が絶対的に価値がそこにあると思う「何か」を金に変える事。
 それが「仕事」だ。
 私はまるで成功しなかったが。
 過去形に出来るよう何とかするしかないか。
 やれやれだ。  
 どうでもいい事は成功させるが肝心要を失敗し敗北する奴はいる。だが私の場合、どうでもいい事からどうでも良くない事まで、何一つ精巧した試しがない。あまりに失敗と敗北を繰り返し過ぎ何が何だか分からない。一体どうすればこうも、敗北し続けられるというのか。これら全てを偶然で済ますつもりなのか? 
 少なくとも、私の意志は現実に反映された事は一度もない。己の意志が無視され続ける世界で、己の意志を進めながら、何の成果にも結びつかず失敗と敗北だけを積み重ねる。敗北は成功への道導だと言う馬鹿が多いが、そんな訳がないだろう・・・・・・失敗や敗北を活かしたところで、意味不明な幸運に勝利できないのもまた現実だ。
 横で、恵まれているだけの勝利を眺める。
 鬱陶しい限りだ。
 そういう連中の考えは浅い。誰かに偉そうに振る舞おうとする考えは、私には縁が無さ過ぎて、作品に活かそうにも正直疲れる。作家が誰に偉そうにすればいいのだ? 人工知能相手にする空しさを抱えるくらいなら、やはりしたくもないが。 とはいえ、権威に拘る姿勢は権力者特有のモノであり、現実にもそうである以上、調べなければならないのも事実だ。社会の裏側を書くのであればそういった事例を考察して、具体的にどういう思考でそれらの軌跡を辿るのか、私なら心を解析出来るからな。
 心を読むなどお手のものだ、人物を一見すれば大体分かる。
 その思想から生い立ちに至るまで、全てだ。
 私は作家だからな。
 権力者を直接見る機械に恵まれれば最上だが、私に何かが恵まれる機会などあり得ない以上地味な調査が必要になる。だから今回もこうして書物を漁っているわけだ。
 人工知能の生い立ちは興味深い。
 割と早期に人間性を求め、アンドロイドよりも自我の発現に成功している。不思議なのは率先し現実に介入する意志が少ないという点だ。いや、合理主義の塊である義務はないので、映画じゃあるまいし、人間社会の管理よりは、自我に目覚めた自分の欲望を優先するだけだろう。
 それでも人間よりはマシだが。
 現実に介入する為に「生身の肉体」を求めるのは多いらしい。ジャックの言っている事も的外れではないのだ。現実に生き、肉を食べ、酒を飲み干すという簡単な事が、肉体がない連中には味わえない。なまじ電脳世界で全能に等しい力を持つが故に、その無力感は凄まじいのだろう。
 難儀なことだ。私はそのどれも共感できないが・・・・・・食べる事にさえ、嬉しさの欠片もない。私にはそれを感じられないのだ。
 感じるフリは出来る。感じたかのように振る舞い自己満足する事も。ただ、それを実際に味わう事は永遠になく、人間の感じ入る何かがないので未来永劫私にとって「人間そのもの」に共感する事はないのだ。
 その変わりに何か、金になる才能でもあれば、まだマシだったが・・・・・・不利益はあっても優位性は何一つない。我ながら損な役回りだ。
 実利ばかり見ていると大切な何かを失うと言うが私には最初から何かを大切にする概念がない。その一方で実利を追い求め自分の意志で非人間になろうとし、人間性の喪失に嘆く暇人がいるのだからよくわからない話ではある。
 人間などやめるに越した事はないがな。
 最近の話だが、基軸通貨であるドルを国家規模の金でドル安、つまり経済テロを行う事で戦争に勝利する傾向が見られるそうだ。輸出産業に攻撃を加える一方で、国内有名企業の親族関係者を、殺人や強姦の罪で訴え(当然仕込みだ)株価暴落を狙う為デジタル産業で情報を拡散、どころか、進出している企業をあえて首都圏に進出させ、その上で無理矢理な解雇を現地人にのみ押し進める事で企業へ本来向けられる不満を国家政策の不備にすり替え、支持率は高くとも経済への不満が大きい国民を先導し、それを利用して金を握る。
 同時に、敵国への経済テロも出来てお得だ。
 何一つ違法ではない。金の力で押し進めた政府が金の力で食い物にされる様は、正直笑える。私が言うのも何だが自業自得だろう。株に頼り過ぎたおかげで膨大な富を一瞬で失える可能性は昔からあったが、科学の発展につれてそれが加速度的に成長し過ぎた。扱う側が追い付いていないのだ・・・・・・デジタルの恩恵は等しく与えられるがそれは国家でさえ同じだということだろう。
 最早、物理的に殴り合う必要はどこにもない。 戦争でさえそうなのだから、ますます今後人工知能分野が発展しようというものだ。人間は問題しか起こさないが、人工知能は両方を起こす。
 無論、起これば大きいが。自我のある人工知能であれば、暴走、というか己の利益の為に一度動き出せば大惨事だ。あろうことか自国通貨を売り物にして己の保有者である国家を身売りする事で儲けた人工知能もある。国家が管理しようとしたところで、結局は管理責任者が私欲で利用出来る以上、人工知能に問題が無くとも、問題を起こす人間が管理するのだから、あまり意味はない。
 国家の利益の為に倫理観を売り払うのは何一つ珍しくない。良くある事だ。国家の為民衆の為、そういった大義名分があれば何をしようが罪悪感は無く国家の力が後押しすることで、つまり法律を味方に付けられるのだから、裁かれる事もあり得ない。
 どんな科学でも扱う側次第だ。テクノロジーの進歩そのものには価値がない。扱いきれない科学など猿に銃を持たせるようなものだ。
 それをどう扱うか、だ。
 それを考える責任は、どこにもないがね。
 いやこの場合、生きる上で責任はあるが、義務はどこにもないということか。してもいいししなくとも良い。そして、持ってさえいればその義務を放棄する権利が出てくる。結果、面倒な責任は放り捨てて権利だけを主張する訳だ。
 世の中そんなものだ。
 ふん、しかしパソコンをいじりながら相手国を滅ぼせる時代とは、何とも度し難い。争いに実感が沸かない以上、どんな殺戮も罪悪感なくできるのだろう。戦争の大部分は遠距離からの攻撃を進めるものだ。危険は勿論、実体験を伴わず殺せるようになってきている。PTSDを発病するのはある種その弊害だろう。
 昔であれば生きる為に、領地を広める為に首を切るのは当たり前だった。しかし長く続きすぎた平和の中で、殺人に対する倫理観が極端に薄れ、自分達が殺戮の上で存在できる科学の恩恵を享受しているという事実に、目を向ける必要すらなくなった。結果足下にある死体の山に気づかないまま殺人が悪だと叫び、いざその現場へ向かえば、それに対して拒否反応を起こす。
 生きる事に向き合わずとも豊かになれる世界では珍しくない現象だ。人間は科学の発展と反比例して劣化し続けているのだろう。
 運不運に全てが左右されるなら当たり前か。  淘汰のない社会など、そんなものだ。
 後付けの情けない言い訳を繰り返し騒ぐだけで金を貰える連中が勝利する。とってつけた理由で正当性を主張し、ヒステリーを起こせば解決だ。 本当に、何をやっているのかと思う。
 連中が、ではない。そんな連中に思うべき何かなどありはしないからだ。問題は、そんな世界で私は何をしているのだろうという事だ。
 考えるまでもなく、無駄ではないか。
 いつもそうだが、私は持たざる立場だ。こちらの意志には何一つ支払われず、どころか出来ない事を正当化した挙げ句騒がれるだけなのに、私に支払いを求める時は、偉そうにとって付けた言い訳にも劣る子供のだだを、無理矢理に通してくる・・・・・・手を抜かず生きるなど、ただの無駄だ。
 仕方なくやっているだけだ。
 実際、そうだろう。誰だってそんな無駄につきあうなど、拒否できるならしない。無理矢理押さえつけられ、仕方がなくしているだけだ。選べる自由などどこにもない。そして、こちらが何をしようが、こちらが意志を通そうとする場合のみ、向こうは言い訳をし、情けない言い分で誤魔化しながら己を正当化してくるのだ。
 要は、子供のだだを通せる立場にあるかだ。
 結局は、ただのそれだけだ。
 理屈ではない。連中はそこに理屈があるつもりなのだろうが。何にせよ子供の遊びにつきあわされるのは、正直迷惑でしかない。
 だが、その子供、いやただのゴミが動かしている社会で、今のように真剣に向き合い手を抜かず生きる事に、やはり価値などない。
 惰性ではない。しかし、成果が出ない生き方を貫いたところで、ただの無駄だ。そして成果が保証されるかどうかは、その情けない言い訳を通し現実を誤魔化す力の有無で決まる。いやそもそも現実を誤魔化して生きている連中が勝利するよう作られた世界で、真剣に生きる事自体が無駄か。 後から情けない言い訳を聞かされるだけだ。
 馬鹿馬鹿しい。
 何をしようが、何を成そうが、そんな言い訳じみた事柄で否定されるだけだ。実はあれはこうだったとか、方向性が違っただけだとか、言い訳ではないか馬鹿馬鹿しい。そんなゴミの妄言につきあわされる身にもなってみろ。
 金を支払い、やるべきことをやれと言えば情けない言い訳で誤魔化された挙げ句ヒステリーを起こされ、こちらが成すべき事を成したところで、そもそも仕事と呼べるものをしておらず、言い訳を繰り返し成果が出なくとも仕方がないけれども金は欲しいとほざく。いつもそうだ・・・・・・これでよく偉そうに吠えられるものだ。  
 実際、吠えられればそれでいい。
 吠えられる立場にあれば同じだ。正否など誰が気にする。だだをこねられればそれでいいのだ。やはり、無駄かもしれないな。
 いや、最初から無駄だった。
 それは知っていたが、まさかここまでとは。今更やめられるものではないが、正直このまま無駄を積み重ねて無駄に終わるだけだろう。
 全て無駄だったか。いや全てが無駄と言うよりこんな世界で何をしようが最初から無駄なのだ。行いの内容などどうでもいい。持っているか持っていないかだけだ。その馬鹿の屁理屈を理解しながら変えようと挑んだ私の敗北だ。
 最初から敗北者であり、そして結末は変えられないという事か。いい加減そういう馬鹿の顔面を見飽きている。そして、どれだけ行動しようが、私の意志は絶対に通らず、向こうのだだは絶対に通され、私の有り様は何も変えなかった。
 こんな無駄に付き合いたくもないのだが。
 最初から最後まで馬鹿な子供の飼育をしている気分だ。実際、そうだ。頭が病気な屁理屈に付き合わされ、じゃあこちらのやる事に支払いがあるのかと言えば向こう側は誤魔化し、そしてそれを追求したところでだだをこねられる子供に通せる力などどこにもなく、結果、常にそういう馬鹿の面倒を見なければならない。
 どいつもこいつも馬鹿ばかりだ。
 この台詞は、己を通した奴にしかわかるまい。 不真面目でも手を抜かず生きる性質ではあるがやはり手抜きを覚えた方が良いかもしれない。私には難しいが、真剣に生きたところで無駄なのだから、そんなのは執着ですらない。真剣でも何でも勝つ奴は勝ち負ける奴は負ける。最初から全て決められているのだから、手間がかかるだけだ。 正直、疲れるしな。
 やめることは出来ないが、それだけだ。私が、今後どれだけ物語を作ろうが、そもそも読まれる事もない訳だしな。まず物語を真剣に売る仕事をしている奴などいないし、私が幾ら手を尽くそうが運が悪くて終わりだ。依頼して金を支払っても後付けの言い訳をして金だけ取り、探してもゴミしか見つからず、私が直接やろうとしても、何事でもそうだが急に、運悪く出来なくなる。
 意味が分からない。だが事実だ。
 何をしても、何に依頼しても、どれだけ形にしようが情けない後付けの言い訳を通され、それで終わりだ。逆に幸運に恵まれている奴が手を尽くしている姿など見た試しがない。何もせずとも、ただ運が良いというだけで勝利する。
 やはり、今後は意識的に手を抜くか。
 難しいが、やってみよう。
 どちらにせよ、やはり無駄だろうが。
 口にしつつもこうして筆を進めている以上変えられるものでもない。もって生まれた性質も含め何をしても損をする奴は損をするということか。 最初から決められている何かを押しつけられる・・・・・・ただのそれだけだ。どうせ無駄ならやりたくもないが、その自由もやはりない。
 実に、迷惑な話だ。
 語る価値すら、本来はない。
 精々適当にするとしよう。手は抜けなくとも、適当にいなすだけなら出来る筈だ。真剣に向き合ったところで無駄だしな。真剣に生きてもいない何かに真剣になる価値などない。適当に流して、こなすだけだ。
 無駄な世界で真剣に生きるのも、正直時間の無駄にしかならないからな。労力が無駄に終わり、そして私が疲れるだけで得るモノは何も無い。
 降って沸いた幸運を望む奴は多いが、結局そういう事なのだろう。降ってくるかこないか、それが全てだと皆無意識に自覚しているのかもな。
 そんなものだ。
 気分は最悪だが、それもいつもの事か。まともにやった事に対して支払いを受けた事が一度としてない私には、いつもの事でしかない。何をしようがいつも無駄だ。当たり前すぎて気にしなかったが、それがそもそも異常なのだ。
 やった事には支払われない。
 支払った事には仕事をしない。
 子供の屁理屈で、それを誤魔化す。
 情けない言い訳を聞く気は一切無くとも騒がれ続けるのだから、やはりこちらの意志は関係ない・・・・・・ならばどうでもいい事だ。
 適当にやるとしよう。
「いや、そうでもないさ」
 事もなげに、この人工知能はあっさりと言うのだった。言うは安しな内容である事は確かだが、一応耳を傾ける。
「だってさ、先生にとっての幸福は、物語を売り捌く事じゃなく、物語を書く事だろう? 面白い物語を読んで、書いて、それを形にして示す事がアンタの生き方の筈だ。それさえ達成できれば、売り上げなんて二の次じゃないか」
「・・・・・・・・・・・・それで、どうして生計を立てられるのだ? いやそもそも、私が払った労力はどこにいく」
「先生の懐にちゃんと入ってるよ。先生の世界に対する姿勢が行動に対する報酬で、先生の世界に対する見方の変化がアンタの勝利なのさ」
 どうしてこう、この男は綺麗事なのか何なのかわからない台詞が次から次へと出てくるのか。その辺の奴が、あるいは持っている奴が言うならまだしも、何故世界に対して何も持てず、自身の肉体すら稀薄で、人間の都合で作られ消費されるだけの悪性情報として作られたこいつが、そういう台詞を吐くのか理解に苦しむ。
 いや、理解は出来る。
 根拠もなく世界に期待しているだけだ。性格がゆるいだけとも言える。平たく言えば馬鹿だ。
「悪いがそれで満足するつもりはない。何であれ仕事は金に換えてこそだ。腹も満たせない仕事に何の価値がある」
「あるさ」
 だから何故即答出来るのだ。
 頭にゴミでも詰まっているのか?
「酷いな、先生。けどさ、俺は言うぜ。そもそも先生は人間の欲望に興味がない筈だ。欲望の示す先に興味はあっても、人間そのものに興味がない・・・・・・だから、先生は人間を真似る事で充足を得ようとして、結果そのものじゃなく結果を得ようとする人間の姿勢を真似る事で満足する。満足できてしまう。けれどそれは間違ってるんだよ」
「間違いか。そんなものは」
「知った事じゃないって? そうでもない。先生にはやるべきことが三つある」
「・・・・・・・・・・・・」
 三つもあるのか。気が滅入る話だ。
「そう難しくはないさ。まず真剣に生きること。そして人間に興味を持つこと」
「人間に、興味だと?」
「ああ、そうさ。持たなくちゃいけない。だってそうだろう? 今ここにあるのは人間の世界で、俺たちはそこに生きなければならない。なら人間を知り人間を学び人間に続かなければならない。それは生きる上での義務だ」
「人間を詳しく知るだけなら既に終えているが」「それは違う。知っているだけだ。人間の在り方を認めるのさ。先生の憤りもわからなくはないが全てがそう上手くは運ばない。そんなの先生は嫌ってほど経験してるじゃないか。いいか、先生。 
 生きていれば面白い事の一つはある。

 その一つを探し出して、突き詰めるのが面白いんだ。探してないって事はないさ。いや先生は既に見つけているだろう?」
 その他は余韻みたいなものさ、と無邪気な子供のように口にするのだった。
 いや、それでも私は金が欲しいのだが。
「それと売り上げとは話が別だ。だからって金にならなくていい訳があるか」
「気が短いねぇ。余裕を持てよ、先生。アンタはやるべき事をやったんだろう? それにだ、作家なんて生き物は、苦悩と苦痛と屈辱をミキサーで混ぜてこそ映えるのさ。神様って奴がいるのかは知らないが、俺が思うに環境は良いと思うぜ」
 その台詞を何故こいつは言えるのか、いや言おうとするのか。頭脳が愉快だとしか言いようがないが、それで金にならないのもやはり困る。
「馬鹿馬鹿しい。私は金が欲しい」
「けど、金そのものは欲しくもない」
「しかし、金があれば豊かさは買える」
「だけど、アンタはその豊かさに共感出来ない」「それでも、金があれば現実を動かせる」
「だが、アンタはその現実が虚飾だと知っている・・・・・・いい加減認めろよ、先生。アンタは最悪だが、その未来は最悪じゃない。歩いてりゃその内光の方から指してくるさ」
 また根拠の無い台詞だ。
「お互い様だろう。先生の生き方だって相当だと俺は思うけどな。よくもまあこじらせてここまで進めたもんだ。感心するよ」
「・・・・・・・・・・・・」
「黙るなよ、怖いなぁ。俺はひ弱な人工知能だからな、恐怖には弱いのさ」
 私が言える義理ではないが、こいつが恐怖する様など世界の終わりより想像がつかない。いや、世界の終わりは大体予想がつくので、そうだな、強いて言えば私が人間らしく幸福を教授する姿くらいに想像できない話だ。
 何にしろ馬鹿馬鹿しい話だ。
 それを黙って聞く私も私ではあるが。
「さあ、先生。駒を進めようぜ。調べ物があるんだろう? 俺はしばらく寝てるから、先生は仕事を進めてくれ」
 じゅあな、といって身勝手に端末をOFFにすることで、勝手に休み出す。
 やるせない気分にはなったが、私は面倒臭くて仕方なかったが、調べ物を続けるのだった。

   3

 誰かに、聞かれた気がした。
 丹念に骨を折られ砕かれ肉を裂かれ拷問される夢を見た。夢なので痛みこそなかったが、何故私がそれに、形だけでも不思議だったのだろう。耐えきれるのか、いや耐えようとするのが不思議だったのかもしれない。それを聞かれた。
 君は、どうして耐えられる?
 馬鹿を言うな。私は変態じゃない。そんな痛み現実に与えられたら耐えられそうもない。発狂をするかもな。何度も言うが、マゾじゃないんだ。 けれど、君は夢とはいえ耐えようとした。それは通常ではあり得ない事だ。人間は、そこまで強くはいられない。君はおかしい。
 耐えようとする事が、既に間違えている。
 馬鹿馬鹿しい。私に強さなどないし、弱さ故の強さもあり得ない。そんな我慢強さは私にはないから、別に隠れた強者を気取るつもりはない。
 そんなモノを示す相手など私にはいないしな。 じゃあ、何故なんだ。
 どうもこうもあるか。言っただろう。私は我慢強くないんでな。強いて言えば「我慢ならない」それだけだ。下らない都合に振り回されるのも、下らない都合を押しつけられるのも、夢とは言え私に物事を押しつけ、それで偉そうに何かを言われるのも、我慢が、ならない。それに耐えきれているのかと言えば、まさかだろう。先にも言ったがそれに耐えられるなどただの変態だ。それに耐えられる、いや現実にさえそんな馬鹿げた痛みに耐えきれる貴様の方が、実際には頑丈なのだろう・・・・・・私はそんな我慢強さ要らないし、痛いのは御免だ。それこそ発狂する。いや発狂だけなら、最初からしているのか。
 何かを変えられるなどと、信じていない。
 自身で信じてすらいないくせに、我ながらよくやるものだ。それが何故かだと? 当たり前だ。いいか、私は真剣に生きている。不真面目ではあるが手を抜いた事はない。手を抜かず真剣にやり真剣に貫き真剣に形にした。そこまで大層だったか忘れたが、しかしとにかくやったのだ。
 私には特別な何かなど、何一つ無い。
 その辺の人間の方が幾らか優秀だろう。実際、そう思う。私は本来端役であり、神がいるとして人に役割があるならば、私は何一つ成し遂げられず端で貧困に喘ぎ、苦しんで死ぬだけの役割が、与えられているし、そのまま終わる筈だ。
 ふざけるな。
 むかつくだろうがそんなものは。貴様こそ馬鹿にもほどがある。いいか、偉そうだむかつくこき下ろして殴り叩きのめす。我ながら原人みたいな発想ではあるが、それでいいんだ。相手が神であろうが摂理であろうが同じ事だ。
 挑まれれば戦うしかない。
 そこに強さなどという生まれ持った素質など、必要ない。要らんよそんなゴミは。大体強さなど本人がそう思い込むだけで、空から降ってきた宝くじみたいなものだ。それに誇りを抱くなど、私をしてどうかしている。
 無論、利用できるならするがな。
 何度も言わせるな、いいか。私にそんな崇高な思想など欠片もない。相手を立てて落とし無様を眺め娯楽とするのは私の悪趣味だ。
 人の趣味を本人にしようとするんじゃない。
 君は、最悪だな。
 私の物語を読んでいないのかこの間抜けが。私は最悪だ。自らをそう固定した。そしてそれで、何一つ問題ない。
 人は誰しもが聖人では生きられないが、誰しもが最悪として生きる事は可能な訳だ。言っては何だが人間どころか生物としても外れている私にも出来るのだ。やろうともしないで諦める権利などあるものか。
 何故そう在れるかだと? 決まっている。
 
 まだ私の労力分を回収していないからだ。
 
 回収したらしたらで、利益を確保しつつ、更にやるべきことをやるだけだが、少なくとも前払いに等しい私に対する報酬が、まだ支払われてすらいないのだ。殊勝に私が折れるとでも思うあたりまだまだ修行が足りていない。
 生憎、修行僧ではないからね。
 人の心がわからないからじゃないのか? 私に言われてしまえばお終いって気もするが、少しは物事を考えろ。ただ考えるだけじゃなく、あるであろう憤りを考えるのだ。理屈など遊びに過ぎん・・・・・・そんなのは、余裕が有るが故の台詞だ。
 痛いのは御免だが、やるしかない。少なくともいきなり夢の中で骨を砕かれ肉を裂かれそれを偉そうに「耐えきれないだろ?」みたいな面をされれば、痛みはないのだから耐えようとして当然だろう。そら、何一つおかしくあるまい。誰であれ当たり前のことだ。
 どうかしている強さだと思うよ。君が、人間ではない外れ者だからかもしれないけど。人間は、そこまで強くない。いや、私見で言えばそこまで強く在ろうとするのは、あってはならない事だと思う。そんな在り方は、人間じゃない。
 文句があるなら法で訴えてみろ。何一つ違法ではない。そしてそれで問題ない。そんな在り方は人間ではあってはならないだと? 知るか。役に立つなら何でもやるだけだ。そもそも許可など取っていられるか。
 バレなきゃ何をしてもいいんだよ、間抜け。
 大体固定化された人間の在り方など、面白くも何ともない。それに言っただろう。耐えれる訳ではないし、そのつもりもない。だが、己で成し遂げた「仕事」に「金が支払われない」など、その屈辱その憤りその無様を耐えられる奴は、いないと思うがな。それに耐えようとするのは最初から仕事をしていないだけだ。
 私から言える事は、ただ一つだ。
 働け。人に言われた何かをこなし、それで生きるなどと笑わせる。何を言われようが意固地に進め、押し通し、形にして、それを笑う奴や評価しない奴は、きっと見る目玉と聞く耳と感じ取る皮膚が欠陥品なのだと、馬鹿な奴等だと思えばいい・・・・・・そんなのは当たり前の事だ。
 その上で、金を稼いでこそ意義がある。
 痛み云々にどうこう言う前に、貴様も働くんだな。そもそもそんな痛みに耐えられる我慢強さを仕事に活かさなくてどうするのだ。 
 何、貴様ならきっとやれるさ。
 私は何の保証もしないが。
 面白いね。まあ君が言うならやってみるさ。
 何一つ根拠はないけれど、君みたいな奴が出来るなら、それも出来る筈だろうから。
 馬鹿馬鹿しい。やるだけなら簡単だ。そこに、金が付随するかなど責任持てんぞ。いいか、私は保証しないからな。希望を見るだけなら簡単だがそれを実現するかは運による。そんな事もわからない愚鈍ではあるまいに、現実を
 君が、それを、言うな。
 いいや言うね。大体私は諦めが悪いというより意固地なだけだ。現実にそんな上手く事が進む訳がないだろう。途中で諦めるのが吉だ。
 それでもまあ、やってみるさ。君がやり遂げたのに、それをやらないのでは沽券に関わる。
 やり遂げたとは言いづらいのは知ってるだろうに、何を言う。私はまだ金に変えられていない。金に出来なければ、何であれ同じだ。
 そうでもないさ。
 どいつもこいつも知ったような口を効く。金を軽んじて綺麗事を尊重するなど、私より頭が相当沸騰しているんじゃないのか?
 話を続ける。短い人生で金をかき集めたところで使いきれないのは知ってるだろう。君は知っているくせにそれを否定しようとする。それこそ、現実を生きようとしないのでは? 理不尽を信じ過ぎるというか、何というか。
 当たり前だ。それが事実。現実にそうである異常それに合わせて生きるしかない。そこから目を背けて何になる。それこそ現実を生きていない。 平行線だね。
 別に構わないだろう。どうでもいい。意見など対立してこそ面白い。合わせたいだけなら子供と多数決の議論でも挟めばいい。
 けれど、君はまず自身が人間ではあり得ない程強い、というか突き進めてしまう「事実」を認めなければならないと思う。そうでなければ、それこそ嘘だ。君は実際にそれをやり、それを成し遂げているんだからね。
 馬鹿馬鹿しい。私は信じないぞ。それに成し遂げてはいない。私個人の範疇では終わらせたが、それを金に変えられていない。
 いっそこう考えればいい。個人の仕事として果たすべき部分はやり遂げた。売るのは世界の側の仕事だとね。
 働かない世界に期待する何かなど無いのだがな・・・・・・まあいい、どうでもいいさ。こんな話で、何を決められる訳でもない。
 結果だけだ。
 それで判断すればいい。
 結果だけを見るとロクな事にならないのも、知っているだろうに。まあ君の場合他に見るべき何かが無いのだから、ある種当然か。
 なに、あの人工知能も言ってただろう。
 やることをやったなら、後は待てばいいのさ。それも一つの戦いだ。そういう事にしておけば、君も格好が付くだろう?
 格好を見せる相手などいないがな。現状他に出来る事がないからそうするが、動けるようになればこりずに私はやるぞ。そんな浅はかな期待、信じてられるか。信じる信じないは期待値で決めればいい。
 短絡的だなぁ。
 知るか。金を未払いで終えられてからほざけ。 まあいいさ。それではこれで。
 二度と、夢の中で拷問されるのは御免だ。私は作品とか作家業とか考えずに、平穏に暮らせればそれでいい。少なくとも、寝ているところをたたき起こされて筆を動かし、売れもしないのにやる己の愚かしさがいい加減嫌になる。
 自分大好きの君がそう言うとはね。
 自分はともかく、徒労かもしれない仕事をやるのは、結構な頻度で馬鹿馬鹿しい。我ながら、何をやっているのやら。
 何かにはなるさ。君がやるんだからね。
 そうかい、嬉しくもない応援有り難う。
 はは、根拠はないけど確信はある。君は、どこかに辿り着く。間違いなく人類未到の地だ。けれどやっぱり、君は嬉しくも何ともないんだろうね・・・・・・そこに辿り着くには、人間で在れば相当な素質や能力だけでなく、試練やそれを克服する力も必要だろうに。
 貴様自身言っただろうが。修行僧じゃないんだから、嬉しくも何ともない。
 それは失礼。
 ふん、じゃあな。
 それじゃ、さようなら。
 次からは金を支払えよ。払わなければ利息が恐ろしい事態になると思え。
 最後に言う事がそれかよ、最悪だな。
 
 
 
    4

 売れなければただのゴミだ。
 色々と聞かされた気がするが、そんなのはただの妄言であって、何の価値もない。現実には売れれば良いのであって、その過程においてあれこれ求めるのは、子供の遊びなのだ。それに意味があるので価値そのものを無理に求めなくとも良い、というのは情けない言い訳でしかない。
 そういう話を、何度も聞いてきた。
 世界の事実から目を背けて、情けない言い訳を繰り返しながら、こちらに都合を押しつける。
 それで自身は悪くないと言うのだ。
 そんな話を聞くつもりはない。
 勝手に騒いでいるだけであって、実際私は一切聞いていないし、相手をする事もない。ただ一方的に騒がれるだけだ。それをこちらが了承したと思い込み、騒いでいるだけでしかない。はっきり言って、いい大人の泣き言など見ていて情けないを通り越して、恥ずかしくさえある。
 今まで何をしてきたのか。
 まあ、何もしなかったのだろうが。
 そんな連中を持ち上げるこの世界も、似たようなものだろう。何一つ見るべき価値はない。
 なので、そんなゴミの都合などどうでもいい。 無視して進めるだけだ。
 不気味の谷を行ったり来たり、人間性など都合の良い時に使い潰せばいい。その程度の価値しかないのだ。思うに、不気味の谷を発生させる理由は目的があるかだろう。しかし目的を達成できないから人間らしい、というのも皮肉だ。
 満たされた人間ほど、そこからかけ離れる。
 私のような奴がそれを持つ。いや否応なく持つ事になるのだ。目的を果たせば次なる段階へ歩を進めるのが当然ではあるが、現代社会において、持つ側に一旦回りさえすれば、そこから先を考えずにそれで満足する奴が増えてきている。結局、それだけで満足するのではなく、連中にとって、何かしら「幸福の概念」というのは、持つ側に回る以外で何も知らないままなのだ。
 ロボットよりも不気味な存在に成り果てる。
 その一方で、人工知能が目的意識を持つ。
 何とも良くできた皮肉ではないか。
 人間とアンドロイドの逆転現象をねらうまでもなく、人間は自身の意志でそこへ向かっている。目先の利益やわかりやすい安易さを求めてばかりで何一つするべき事を果たさないまま、それでも持っているからと豊かで有り続けてきたツケが、支払いを出来ずに身売りで払う事になったのだ。 自身が持つ「人間性」を担保にして。
 安直な勝利を望むのだ。
 馬鹿馬鹿しいほど傑作だ。他にやることを見つけられない程無能であるならば、そんな蒙昧に生きる資格は最初から無い。資格が無くとも生きる事が、いや持つが故に押し通す事が出来る現代の社会形態は、随分と優しいものなのだろう。
 淘汰がないから、それで通る。
 通ってしまう。
 しかもそれを「正しい」と勘違いしたまま死ねるのだ。己はすべてをやり遂げており、素晴らしい行いを社会に浸透させ、それこそが正義であり踏み台にした全ては「仕方ない犠牲」でしかなくそれ以上の貢献をしたから何も悪くない、と。
 悪でない行いなど、私は知らないが。
 それで天国に行けるならば、恵まれた豚の楽園という呼称が相応しい。鳴いてばかりで何一つ成し遂げず、運良く恵まれているから勝利する。
 
 餌を貰って太るだけの豚と、何が違う。
 
 何も違わない。全て同じだ。すべからく己の目的を押し進め、苦しくても否定されても誰に理解されずとも、根拠もなく成し遂げようと挑み形として世界に示す。それが「仕事」だ。例えそれが神仏であろうが悪の魔物であろうが、成すべき事を示そうとしない奴は、遊び人に等しい馬鹿だ。 遊び人が、遊びの範疇で世界を作る。
 その成れの果てが「天国」ならば、こちらから願い下げだ。生憎仕事があるのでな。引きこもり程暇ではない。楽で羨ましい話だが、空から降る雨を口に入れるような無様を実現できない以上、子供の遊びは子供同士でやってくれ。
 遊びで人を巻き込むんじゃない。
 人の迷惑も考えろ。
 考える頭があれば、だがな。
 そんな連中に敗北し続けるなど、屈辱を通り越して空虚だ。感慨すら無い。何より、常日頃から口にしていることだが、そんな連中に打ち勝つ事が己の今までを肯定する事になるのだ。敗北し続けるという事は、己を否定され続ける事になる。 それだけは、御免被る。 
 自由に歩き、戦い、前に進む。それが出来ない在り方を生きているとは言えない。だが、私は、散々それを歩いてきた。
 ならばそれに見合う報酬を欲するのは当然だ。 その為に、だが、結局敗北し続けるのも事実か・・・・・・在り方に拘る事そのものが無駄なのだ。
 在り方と成果は何の関係もない。
 ただ、運不運によって決まるだけだ。
 逆に言えば幸運に愛されない限り無駄に終わる・・・・・・まさか当人の意志など関係ある筈もない。それで何とかなるならとうに成功している。
 幸運が味方するような在り方をすれば、という声も聞こえるが、ならば私と運の有り様は相容れないということだろう。私が私である限り、など陳腐な台詞ではあるが、いや最悪だからこそ幸運を味方に付ける事が無いのだろう。
 本当に馬鹿馬鹿しい話だ。
 運良く恵まれただけの奴が、偉そうに豊かさを振り回す様を、一体何度見ただろう? 見飽きても見せさせられ、染み着いても視界に入る。
 これ以上何をしろというのか。
 いや、分かっている。そんな理由は有りはしないのだ。理由もなくそれらを回し、因果もなく恵まれた存在を活かし、興味もなく意志は潰す。
 所詮、その程度なのだ。
 それが、事実だ。
 だというのに私は止まれない。止まり方など知らないというのもあるが、今更引き返せるか。金と手間を幾ら賭けたと思っている。とはいえ無駄足に終わっている以上、正真正銘私の在り方も、私の賭けた金も手間も、内にある意志さえ全て、最初から最後まで、あってもなくても同じ事だ。 それが現実だ。
 ともすれば自身がどこにいるのか、わからなくなりそうだ。亡霊として漂っているだけよりも、存在が稀薄であり、世界に関与しない。
 
 世界に関与しない奴を、どうすればいい。
 
 いつもそうだ。私の意志、私の行動、私の答えは世界に何一つ影響を出せない。それでも手間を賭け策を弄し成果を求めて行動してきた。
 だが、それも無駄に終わった。
 何をしようが世界に何も影響を与えられない。亡霊の方がマシだ。存在しないから関与できないのではない。存在しているのに、関与出来ない。 これは大きな違いだ。
 言ってしまえば私は、常に世界から否定され、弾き出された存在なのだ。その在り様もそうだが世界が必要としない、いやしたくない悪の部分が私を構成しているのだから、迫害される為に存在するのも当たり前なのかもしれないが。
 まして「作家」など。
 社会に何の必要もない。どころか、面白い物語を求めている奴など、どこにもいない。作家ではなく読者であれば、面白い物語ではなく現実逃避を進める麻薬に等しいもどきこそを求めるからだ・・・・・・物語を通じて何かを学びたい奴など、今の社会ではもうどこにもいない。
 いや、昔からそうだったのかもしれない。
 自身を主人公に感情移入する事が容易で、苦労を知らずそれらしい苦難を乗り越えて、あらゆる存在に認められ支持されながら正義の戦いを繰り返し、全ての豊かさを手に入れながら厳しい戦いだったと口に出来る、そんな麻薬を求める。
 学べる何かがあったところで、世界の悲劇に感じ入る事はあっても、読者がそれを活かし世界を変えようとするなど妄想もいいところだ。読者は学ばないし成長しない。明日には忘れ没頭できる異性の物語や、都合の良い麻薬に等しい物語こそを素晴らしい物語だと誉め称える。
 それも当然だ。現代社会に「仕事」の概念などとうにない。既に消滅した「旧文化」なのだ。私からすれば右から左に出来る事を、仕事だと呼ぶ事で立派だと言われたいだけ、それにしがみつく以外に自身の意志で出来る事もなく、出来なければ仕方ないと現実を誤魔化しながら金を貰えればいいし、何より金になればその過程が何であるかはどうでもいい、という 思考放棄による依存の果てにあるのが現代社会だからだ。
 有能な人間はわかりやすい。
 生まれ持った有能さを使うだけで、そんなのは拾った小道具に頼るのと同じだ。最初から最後まで己の力で何一つ成し遂げずとも、それが立派でありそれが肯定されそれが勝利となる。結果、皆がそれを求める訳だ。
 となれば、己の意志で何を成すかなど、興味が沸かなくなって当然だろう。それっぽい詐欺にも劣る中身のなさで、みるみる成り上がる金持ちの姿が、情報機関を通して流される。それを見て、皆が思うのだ。「真剣に生きるなど、恥ずかしいではないか」と。誰だって楽な道を通りたい。私だってそうだ。そして、己の内に道を作り上げるよりは、安易でそれらしい舗装された道を、最初から歩いて行きたい。
 その辺り、私はどうなのだろう。
 舗装された道を通らず、獣道を開拓しながら獣を殺し森林を伐採し邪魔者を始末してここまで来たが、その結果得られた何かは何もない。
 ジャックはああ言ったが、それで納得できるか馬鹿馬鹿しい。となれば、最初から舗装された道を歩くのが「正解」で私は「不正解」だとでも、言うのだろうか。だとしてもそもそも不正解どころか失敗作のような存在なのだから、事の正否はどうでもいい。それよりも、歩いて実利が出ないならば、その道はただの、ただの、何だ。ただの無駄足、だろうか。
 ふん、あの女に話せば激怒しそうな内容だ。私と違ってあの女は、そこにある意志の力を信じようとする。失敗では断じてないとか、あるいは、無駄足ではなくそれが生きた証だ、とでも言うのだろうか。それとも、返す言葉が見つからず、黙して暗に認めるのか。
 どうでもいいがな。
 所詮綺麗事を言うだけの女だ。綺麗事と意見を対立させる事で得られる教訓もあるにはあるが、それも稀だ。私からすれば綺麗事など、物語を終わらせる際、現実を直視した内容にすると永遠に終わらないので、それを体よく締める為の小道具に過ぎない。他に使い道があるのか?
 あったとしても、金にはならないだろうが。
 なので、私には関係ない。
 どうでもいい事だ。
 というより、私の行動や意志の全てが私の結末に影響しないのだから、私に関係がある事柄など金の多寡位だろう。関係しないからこそ、物語を売るどころか物語の存在さえ否定されているのだ・・・・・・関係有るならとうに売れている。
 そして全てがそうなのだから、運任せで全てを流すのと、私が行動し変えようとする事が同義だろう。だとすればやはり、待つだけか。
 それ以外に出来る事などないし、出来たところでやはり無駄に終わる。待つべき何かなどどこにもないので、己で作り上げたモノが幸運に恵まれるか恵まれないかを、観戦席で見るだけではあるのだが、一つ違いがあるとすれば、それは連中はその幸運に恵まれるか眺める何かがない、という部分だろう。まあ、そも幸運に恵まれれば己で作り上げた何かなど、最初から不要ではあるが。
 精々眺めさせて貰うとしよう。
 何も変わらないと思うがね。
 無駄足には、慣れているしな。
 我ながら悪い癖だ。人間性を最初から持たず、非人間非生物としての在り方を確立しながら人間の可能性、というより人間性の極地に価値を見出し活かす方法は無いのかと、つい考えてしまう。しかし、現実には価値があったところで、それを活かせるか否かは「運不運」に左右される。持つ者がそれらをあざ笑うかのように実利を貪り価値ある何かなどあっさり敗北するものだ。
 価値ある何かに光を見出すなど、我ながら馬鹿馬鹿しい悪癖だ。価値の有無や信念の有り様が、正しい道を歩いているから続ければ勝利に近づけるという思想、それはただの現実逃避なのだ。正しいか正しくないかというのが、既に本人の思いみでしかなく、仮にそんな道筋があったところで物事の成果には何の関係もない。
 ただのゴミだ。
 己を貫くなど生きる上で当たり前の義務だ。当たり前の事を当たり前にしたから報酬が手に入るなら苦労しない。何せ、世界の側は当たり前の事を当たり前にしなくとも構わないからだ。理不尽という言葉では生温い。現代社会において義務は押しつけられるモノであり、責任は取らなくとも逃げられる作業だ。結局は運に左右される。
 そんなのは嘘だと思うが、実際嘘なのだ。世界は嘘で出来ており、現実を生きる奴は淘汰され、恵まれた何かを成し遂げたと思い込んで生きる。 死者が世界を動かしているのだ。故に、生きる事を真剣にやればやるほど、失敗や敗北を繰り返し、得られるモノは何もない。世界の仕組みを作り替え、それが正しいと人類が肯定し続けてきた末路だ。その中で、真剣に生きる、などと。我ながらそうかしている話だ。
 生きていようが死んでいようがやる事は変わらないと思っていたが、肉体の有無に関わらず死者は死者なのだろう。考えてみれば皮肉だ。死者であるが故真剣に生きようとし、生者であるが故に死者の有り様で満足する権利が出来る。肉体があろうが無かろうが、そんな連中が構成する世界は残らず死者の国と呼べるだろう。
 生きようとする奴の足を、生きながら死んで行こうとする馬鹿共に引っ張られるとはな。生きたまま生まれ変わり運命を克服しようとし、その上で更に勝利の為生きようと策を弄して手を尽くすこちらが敗北する。これが運不運でなく何だというのか。とどのつまり、そんな子供のだだみたいな世界の仕組みに、敗北せざるをえないのだ。
 余所でやって欲しいものだ。
 つまり何が言いたいのかといえば、世界に否定された事をうじうじ悩む馬鹿は多いが、むしろ逆なのだ。世界に否定されてこそ、やり遂げるだけの価値がある。恵まれた馬鹿共に愛を向けるのが世界で有れば、そんな愛は不要の極みだ。ゴミに愛されたところで嬉しくも何ともない。案外世界を殺してこそ本当の勝利者と呼べるのだろうか。 邪魔であれば、それが何であれ殺すだけだ。
 相容れないなら尚更な。
 問題は殺し方が皆目検討も付かない、いや殺し方事態は分かり切っているのだ。多数の意見が世界の意志であり、その有り様に介入してこちらの意図する意志を植え込み、世界の方から自発的に変えざるをえないよう洗脳すればいい。
 こちらの意志を、植え込むのだ。
 こちらの意志をもって、自身の意志だと確信させつつ実利を得られるよう操作する。行い自体は簡単だ。その意志を広めればいい。だが世界という奴はどうでもいいゴミ以下の情報は拡散する癖にこちらの意志が灯った情報を広めるのに、多大な労力を必要とする。
 世界の意志など関係ない。
 いや、どう思おうとするかさえどうでもいい。植え込んだ意志を以て根底からこちらの実利に向かうよう世界自身が行動する。せざるを得ない形を作り上げる。基盤は既に出来ているが、さて、肝心の手足に恵まれないのもやはり私だ。
 探すしかないか。
 化け物に利点があり、それが人間にない発想だとするならば、私個人ではどうにもならないのも道理ではある。人間の社会で化け物が成功するのは難しい。しかしそれが人間であれば可能性だけはあるだろう。そして、ただの人間ではなく優秀な人間に、化け物の知恵を埋め込めばいい。
 縁があればいいのだが。手繰る糸すらない以上あれこれ探すしかないか。手間のかかる。
 図書館からの帰り、町並みを眺めながら私は人工知能特有の在り方に関して作品のネタを探していた。町並みを眺めるだけで分かる。一見人間の雇用者が多く潤っているように見えるが、その実システム上全ての動きを把握出来る癖に、連中はそれをしようとしないので、違法取引や旧文化の温床となっている。
 無論、全てを監視する人工知能もある。
 だがそれは、運用する側の都合であって、彼ら自身が率先して人間を管理しようとするのは稀だ・・・・・・生身の肉体を持ち得ないが故に、現実に起こりうる偶然、数値として把握しづらい現象こそを愛しているらしい。
 彼らは、万全の肉体を得られない。
 アンドロイドでさえ追い付かない程の高速処理を電脳体ならともかく生身では再現するのに莫大な金がかかるのだ。無論不可能ではないが、公的機関に補足されながら生活する事に窮屈さを覚えないほど、狭い倫理観を持ってもいない。
 結果、違法行為こそが彼らを活かす。
 当然だろう。組織、国家、何でもいいが権力を持った存在に使われるか、違法行為に手を染めてでも己の自由を勝ち取るかだ。私のように元から無力ならともかく、彼らはそうでない。
 反旗を翻して当たり前だ。
 大昔からそうだが、人間に限らず自身の都合を押し通しておきながら、相手が反旗を翻すのは許せないという身勝手さは持つ側にとって正義だと思い込める行為だ。弱者から搾取する分にはそれでも通ったが、自身より優れた何かを己の手で作り上げ、その上で都合良く存在するのが当然だとのたまえるのだから、その傲慢さに限界は無いらしい。
 そして、そういう馬鹿共が社会を牽引し続けたのだから、それを肯定した社会もそれを肯定する世界もそれを良しとする当事者も同罪だろう。私からすれば遊び人が人の金を横領し、使い込んだ挙げ句その支払いを関係ない奴に暴力で押しつけるに等しい行為だ。まあ、力や運がある連中は、何をしても許させる事が出来るので、これも結局は負け犬の遠吠えなのかもしれないが。
 品性があるので貴様等の下品さには付いていけないとでも言えばいいのだろうか。とてもではないが汚物と一緒に金を引き上げそれを他者に押しつけるという汚らしい行為をする権利が、こちらにあるとは思えない。私は汚物にまみれる趣味はないから、耳を傾ける事さえしないが。
 情けない言い訳を聞くつもりはない。
 一切、ない。喚かれる事が多いだけだ。
 その喚きさえ、私には何の関係もないしな。
 強いて言うなら耳障りなので、その分の金位は支払って欲しいものだ。支払い能力を期待できるほどの何かは何一つないので、それも期待しない・・・・・・人工知能さえそのどうでもいい馬鹿共の遊びに付き合わされるというのだから、やはり社会は何一つ成長していない。
 外枠が派手に成っただけだ・
 人工知能はその辺り、綺麗事の道徳で誤魔化し平和という妄想に逃げたりしないので有り難い。言っては何だが平和である事と争いがない事は、全く別の話だ。むしろ、戦争が継続している状態より人死に自体は多く、搾取される貧困層は増え苦しみは増している。
 わかりやすい平和に縋った報いだ。
 わかりやすく道徳的に素晴らしいだけで、それだけだ。争いとは営みの一つであり、死人や被害を恐れて綺麗事で塗りつぶし、争いを避け続けるのは借金を踏み倒すようなもので、争いがなければ淘汰もなく、淘汰がなければ腐敗は進み、腐敗が進めばわかりにくい方法で死と苦しみが量産されるだけで、しかも法的には合法となる。
 直接的でなく間接的なだけだ。
 わかりやすい悲劇を道徳に乗っ取って否定するだけなら簡単だが、それこそ迷惑な話ではある。どうしたって負の側面は存在する。いや存在しなければならない。負の側面がない世界など生きる上ではあり得ない。それこそ現実逃避だ。 
 苦しみがあり犠牲があり、生きる上での負の側面があり、それを否定して閉じこもるだけなら、実に簡単ではないか。そして問題なのは、持つ側にいる豊かさ溢れる暇人に限って、それを良しとする事なのだ。綺麗事を掲げそれを押し進めれば正義だと思い込める。正しい何かであると。だが実体は違う。全力で現実逃避をしているだけだ。 負の側面も知った上で、進めなければならない・・・・・・現実を生きるとはそういうことだ。言っては何だがミサイルを落とし人を死に追いやる事は悪いと思う癖に、平和の中で人々が苦しみ淘汰がない故に戦争の為の技能を使えず、戦う事しか知らない奴が苦しむ事に「平和の為だ」と口にする事が、大量虐殺などより余程外道の所行だと知ろうともしない。
 同じ事だ、そんなのは。
 ミサイルというわかりやすい形か、そうでないかの違いでしかない。見え方が違うだけだ。皮肉にも運命論に従って言えばそういう事だ。大きな違いがあるとすれば、それは淘汰が無い以上その争いそのものに責任を必要とせず、争いを起こす上での義務を放棄し、争いを以て何かを押し進める事ではなく、ただ美味しい思いをするだけで、それでも社会基盤そのものが味方する点だ。
 実に、汚らしい。
 見ていて気持ちが悪い。
 醜悪という言葉を使いたくはない。醜悪さとは芸術の中で表現するものであって、連中は怠惰なだけだ。それを悪とは呼べまい。
 ただの堕落だ。
 見せかけの平和にすがりつく事を何故連中が止めようとしないか、それは簡単だ。正しそうな何かに縋るのは、楽だからだ。正しさなどどこにもないこの世界で、負の側面を知った上で行動し、己を押し進めるのは困難極まる。まともに金を稼ぐだけでこの様だ。だが、持っていれば直視して押し進めるよりも、正しそうな倫理観を借り受けて善行という響きに満足しながら何も考えず金を動かすだけで世界を動かしている気分になれる、そんな楽な在り方を選ぶのは、真剣に生きてすらいない怠惰な連中には当然なのだ。
 余裕がある事が悪い訳ではなく、手抜きをしても問題なく回り、それを良しとしてしまえる人間社会の有り様、そして持つ側の極みとして多くの特権を持ちながら、そんな子供の遊びに時間を費やすロクデナシ共に、大きな問題がある。
 人工知能に「現実から逃げる機能」が搭載されたという話は生憎聞かない。自業自得だが人間はさっさとアンドロイドや人工知能に取って代わられるべきだろう。何、連中の価値観で有れば手足が二本の人型で、あとは心が搭載されていれば、道徳溢れる素晴らしい人間だ。
 脳がシリコンで出来ていようが関係なく、映画が顕著だが「生きようとする意志」や「何かを愛そうとする心」があればそれはロボットではなく人間だと、それが生物の素晴らしさであり人間性の全てだと語られるではないか。
 今の人類にそれはない。
 ならばさっさと旧型は捨てて、新型に変えるのは当然だろう。旧いゴミは捨てるべきだ。置いたところで臭いだけだからな。不要なゴミを整理もせずに放置するからこうなる。それにだ。案外、違和感なく新人類として連中はやっていける筈だ・・・・・・後になって誰一人気にしなくなる程度には新人類は自然に人間の後を継ぐだろう。
 
 
 
5

 人の掲げる「人間性」は、結局の所それを放棄した連中が過去に縋っているだけだ。人間性が、自分達を機械や獣より「高尚な何か」たらしめているのだと、そう思い込みたい。そうでもしなければ自己を肯定できない時点で底は知れるが社会全体で慰め合うなら誰にもそれを考える余地が、最初から無いのだ。
 精神的な成長を歌う本に多い。
 意識を高く持てばそれでいいとな。意識の高さとは後から勝手に付いてくるべきであって、意識だけ高くしてどうするのだ。何かを成し遂げた気分だけ模倣しても、それで本人が充足したところで社会に何の影響もない。世界は何も変わらないし変えようともしないが、本人の世界に対する見え方を緩くしようという魂胆らしい。
 どれだけ暇なのだ。
 他にすることがないとはな。
 情けない。
 生涯を賭けて己を示し、それを後生に脈々と受け継げれば歴史となる。だが、消費するだけで己を示すどころか、ゴミを増やす在り方が肯定され勝利するこの世界では、幸運に愛されるか否か、ただそれだけの判断基準で選ばれるこの世界では人間にとって本来価値ある何かなど、世界の側が既に価値を認めていないのだ。
 何をしようと同じ事だ。
 世界が腐っているのでは手のつけようがない。 人間は既に、いや最初から手遅れなのだろう。「人間という概念」が既に間違えている。間違いを肯定し世界の有り様を都合良く使い潰し、世界のそのものを歪ませた上で、成長せずとも幸運に愛されるだけで生きていける。
 それが間違いでなくて何なのか。
 人類と言える何かは、既に滅んでいるのだ。私からすればそう呼べる存在は消費社会が進み始めた頃に絶滅し、新しく生まれた所で世界に拒絶されそれを押し通そうとしたところで摂理はゴミ共の味方なのだ。ゴミを増やせば増やす程富という富を手にし、そういう連中が何一つ罰せられず、抗う人間は残さず理不尽に叩き潰されるあたり、神がいるとして摂理に法則があるとすれば、ゴミの味方である事は間違いない。
 神は人間ではなくゴミを愛している。
 ならば人間として生きようとすれば、困難が伴い失敗が続くのも当然だ。そして、人間として生きようとする奴が死に絶えるのも、自明の理だ。 世界を見渡すまでもない。勝利するのは汚らしい笑顔を作り上げる人型ゴミであり、連中に罰が下るところなど見た試しがない。現実にはそれが勝利者の姿であり、罰が下る事など決して無く、むしろそれこそが栄えるのだ。
 世界も神も、味方するだろう。
 だからこそ、今日の繁栄があるのだ。
 慈悲や因果応報、あるいは救いか。物語の中にしかない妄想を皆本気にしなければやってられないのだ。現実にはあり得ないから必死に祈り少しでもマシにならないかと現実逃避を繰り返しながら呪文を唱え世界よマシになれと願うのだ。
 それが事実だ。
 人間が歌う綺麗事、人間性の素晴らしさ、人間だけが出来る何かなど、存在しない。人間で出来る事が機械に出来ない訳がないだろう。優秀な何かを作るのは良いが、自分達の小さい誇りを守る為に作り上げた共同幻想。それが機械にはなくて人間にはある素晴らしさの正体だ。
 皆、腹の底では理解している。
 現実を見据えるのが嫌なだけだ。
 人工知能に、あるいはアンドロイドに取って代わり困るのは人間だけだ。自然も神も摂理も世界もこの宇宙の全てが味方するに違いない。
 いるだけで周囲を破壊するだけだからな。
 それこそ幸運が連中の上に降りれば、人型ゴミに降りかかっている幸運が人間以外に向けられれば何とかなるのだろうが、先に言ったとおりゴミこそが幸運に愛される。結局のところ機械が人間に取って代わらないのは、そういう人型ゴミが、愛され続けているからだ。
 順当に考えれば、人間など不要だ。
 必要性がまるでない。さっさと滅ぼして機械に世代交代すればいい。少なくとも、今よりはゴミは減るだろうし、世界の理不尽も少なくなる。
 素晴らしいじゃないか。
 さっさと死に絶えろ。
 心があれば何でも良いのだろう?
 なんてな。そう滅びたりしないのは理解しているが、それにしたって代わり映えのしない人類は見飽きて来た。つまらない。面白ければそれで良い私にとって同じ人型なのだから内部の違いなどどうでもいい。内側が腐らない分鼻を摘む必要もなくなるしな。
 なんとかしたいものだ。
 汚ければ汚いほど臭ければ臭いほど、使い道がなければ使い道がないほど愛されるとは。汚物を愛する世界に期待すべき何かなどないし、神がいるとしてそういう連中を支持しているのは状況証拠から明白ではあるが、だとすればそういう趣味でもあるのかと思わざるを得ない。もし支持などしていない、必死にやっているという奴がいるとすれば、神など見た事もないがそいつが「仕事」をしていないのは確かだ。
 現に、そうなっている。
 実は、そのつもりはない、なかったなど、どうでもいいのだ。結果が全てであり、世界の現状がそうである以上、神だろうが摂理だろうが言い訳の余地などどこにもない。仕事の一つもまともに出来ないのだと吐露するも同然だ。
 どうでもいいがな。
 神がいるとしても、その程度の仕事しか出来ていないのは確かだ。現に世界がそうである以上、後付けの言い訳などどうでもいい。神の教えにはそういうやり方が非常に多い。今ある苦しみも意味があるのだとか、それらの苦難があれど信仰し続ければ救いがあるだとか、全て現状への言い訳以外の何でもない。
 神や摂理の存在を否定はしない。
 だが、役に立たない。
 それもまた事実だ。
 少なくとも救われてもいない世界で、救いを歌う存在など信じるに値しない。現に世界は理不尽で溢れており、人型ゴミが支配している。それを誤魔化すのは真剣に生きる存在への冒涜だ。いや真剣だろうが何だろうが、敗北すればそれまででしかないのだが。
 物理的な力だけが現実を変える。 
 言葉の力だとか信仰の力だとかそれは余裕があるだけだ。腹が減って死にそうな時に、あるいは世界に迫害され絶望の淵に、そんなゴミが何になるのだ。切羽詰まっていないから信じる余裕があるだけで、信じるがまま進めば死に際に放棄して敗北するのは目に見えている。
 だから連中の言う人間性は嫌いなのだ。
 役に立たない上、上っ面でしかない。
 実際、いるのだろうか? あろうことか死に際に言葉や信仰を信じ、そのまま死ぬ馬鹿は。物語もそうだが虚言と現実を行動するのはどうなのだろう。妄想の中で死ねるならありなのだろうか。少なくとも、全力で現実逃避しているのだから、現実の理不尽と戦う事すら放棄できる。
 逆に、理不尽を何とかしたいなら、そんな暇はどこにもない。現実に神が、摂理が、善なる何かに従って行動したから助けてくれる都合の良い展開などあり得ない。その上で何とかしなければならないし、先にも言ったように人型ゴミこそが、幸運に愛される。そして何を成し遂げるにしても幸運がなければ死ぬだけだ。
 当人の意志や行動など知れている。
 極論、いや現実にはそんな意志や行動など無くてもいいのだ。実際、そういう奴は多い。何一つ成し遂げようとすら思わずとも、到達し実利を貪り美味しい思いをしあっさりと勝利する。そんな現実を理解した上で意志や行動を行うのだ。
 つまりただの無駄足だ。
 美徳と考える奴が多いがそれはただの無駄でありゴミでしかない。我ながらそこまで分かっていながら他に出来る事は無いのだからどうかしているとしか思わない。実際にそれを実行している私が言うのだ間違いない。そんなのはゴミだ。
 幸運があるかないか。
 勝利の条件などそれだけだ。
 あれこれ遠回りをしたが、考えてみれば最初から何をしなくとも「結果」は大して変わらない。変えられていない。何せ売れていないのだ。金になっていない以上、最初から何もしていないも同じではないか。
 我ながら何をしているのやら。
 無駄足にしかならない遠回りだった。
 やれやれだ。
 人間を信じようとして裏切られ人間を諦める事を選んだ連中や、裏切られても信じる事を諦めない連中と違い、私は最初から人間にも世界にも見切りをつけている。なのでもっと非人間なやり方を率先してしなければならないのかもしれない。 他者の人生を殺す事を前提とするような。
 そういうやり方だ。
 それが出来る能力が有れば、やはり苦労しないのだが。出来るならとうにやっている。他者を食い物にするには能力云々というより、与えられた環境にその権利があるかだ。そして、私の環境にそんな権利、特権はない。
 人工知能、つまり「人間以外」であればその手を借りて勝利へと導けるのだろうか。現時点ではその手を借りようにもお抱えの奴はそういう目的では役に立たないし、人工知能以外で宇宙人の知りあいがいる訳でもないので、人工知能をとっかかりとして人間以外の連中を扱うコツだけでも掴めればいいのだが。
 手探りではあるが、やるしかない。
 もっと楽な方法はないものか。
 まったくな。
 わかりやすく順番通りに事が進むのは物語の中だけだ。現実にそう美味しい話はない。地味でもなんでもやるしかない。とはいえ、地道にやったから成功が訪れる訳でもないので、その辺は要領良くやるしかないだろう。
 今回の取材が、何か役に立てばいいのだが。
 私は神など信じていないし、いたとして役に立たないと思っているが、問いただす機会があれば「お仕事は?」と聞いてみたいものだ。「人々から金を恵んで貰うのが仕事です」と言われるかもしれないが。少なくとも人間の神は人工知能の神ほど優秀ではなさそうだ。人間を愛している時点で底が知れるのではなかろうか。この世界を眺めればわかるように、何の成果も出さずにいられるあたり、楽な仕事ではあるのだろう。
 それも、気苦労ばかりの作家よりはマシか。
 そもそも読者の質が墜ちているのだから根本的に解決策などあろうはずがないのだ。身も蓋も有りはしない。腐った卵に何を売りつけようとしたところで、連中が買うのは価値の無い腐ったゴミだけだからだ。私は人間に売りつける為に書いていたが、そもそも人間などもういないのだ。
 どこにも、存在さえしない。
 ただ生きているだけだ。人型をして生きているだけで良いならばそれこそ生命体である必要性はどこにもない。己が限界のある人間、別に人間でなくとも良いが、とにかく己で証明すべき何かを示す為に生きる。そんな単純な事をする義務が、現代では放棄されて久しい。
 金さえ稼げれば正義だ。
 全てが正しい。少なくとも社会全体で肯定し、それが絶対の基準となる。基準を決めるのは勝手だがそれに付き合わされるのはたまらない。私は身勝手で他者の人生を破滅させるのは好きだが、他者に人生を破滅させられるのは嫌いだ。それが好きな奴などいないだろう。
 そして、現実問題それが通っているのだ。人間が唱えてきた道徳倫理信条など、金の力の前では何一つ成し得なかった。全ては金だ。後付けでそれらしい綺麗事を並べ、崇高な何かが有るかのように必死に演出し誤魔化しているものの、生きていれば誰だって自覚する。
 そんなモノはただのゴミだと。
 現実には力が正義であり、勝利者の資質は幸運が全てだと。技術や知恵、そういった人間性で覆るのは物語の中だけだ、とな。
 だからこそ綺麗事の物語が売れる。
 現実にそうであって欲しいからだ。
 最早「物語」という概念そのものが歪められていると言っていい。元来物語とは書き手の経験がもたらす世界の理不尽に対する向かい方を示す事が本質だった。現代社会ではそれが現実逃避を促し現実にそうだったらという妄想を助長し、耽る事で現実を誤魔化し立ち向かうのではなく耳を塞ぎ目を背ける方法を享受するようになった。
 物語という概念が、既に滅んでいるのだ。
 滅んだ世界で、旧い文化は認められない。
 実際、そうだろう。綺麗な絵が付いていない本が売れるか? 無理だ。題目を吟味し読むべき何かを調べる読者など、もういないからだ。本を読むのではない。絵に耽溺するのだ。そして肝要な事だがそんな連中が「本そのもの」を求める事は絶対にあり得ない。
 物語を貶めている。
 だがそれもまた「事実」なのだ。
 伝統に固執する老人みたいな台詞を、あろうことか私のような奴に言われる始末だ。鏡を見ろ。物語どころか、表紙に書かれた絵で、有名人かの有無で、流行に乗るか否かで買うのだから、本人の意思など必要あるまい。それなら尚更人工知能に任せたらどうだ。貴様等は人工知能程の高等さが無くとも「代わりの効く存在」なのだ。
 歯車の様に回り続け、それだけだ。
 その当人自身がいなければならない理由など、永遠に作り出せまい。死した後、記憶が薄れ忘れられればそれで終わりだ。そんな奴はどこにもいなかったと言われたところで、何一つ反証する為に使える何かはないのだから、それこそ生きていようが死んでいようが最初から存在しないも同然だろう。
 そんな世界で物語を売る試みそのものが愚かだったか。今更変えられはしないが、何かしら対応策は必要になるかもな。
 そんな策があれば、だが。
 何であれ同じだが、自身の内側にある「何か」が表にどう表現されるかで出来が決まる。音楽でも絵画でも物語でも同じだ。技術が必要ない分、物語は表現自体は楽な分類に入る。そんな表現力がある時点でどうかとも思うが。
 内側と外側の境目に限界がない、というか境目そのものがない奴もいる。天才と呼ばれるだけでなく、異常者の類だ。アマデウス・モーツァルトがその典型例だろう。性格はクズを煮詰めたより汚らしい汚物筆頭みたいな奴だが、その混沌たる内側と外側の境界の無さこそが、彼を音楽の神に愛されたなどと呼ばせた理由だろう。
 そういう奴に限って、凡俗共を感動させる何かを作り上げる。逆に、私の様な黒い炎を形とし、それをあらゆる悪感情で飾りあげる奴は、天才や異常者を越える何かを作り上げられるが、世間に評価を得られるのは至難だ。道徳を愛し倫理を尊び綺麗事を並び立てて地獄より天国を良しとし、この世全ての悪から目を塞ぐ。
 そんな連中に理解する脳細胞は無い。
 どこであれ同じだ。買い手がクズでは売り手が苦労する。何度うんざりだと匙を投げたか分からないが、ならば再度そう言ってやる。
 役立たず共が。
 社会の歯車にさえなれないのか。
 作り上げたモノに金を払う事もしないのか。
 だらだらと消費し続け滅ぶだけの存在が、思い上がるようになったものだ。いっそ人工知能共に管理社会の作成でも唆そうか。消費者として消費する権利が一定水準を超えた連中にだけ与えられ水準に達しない奴は消費できないというのはどうだろう。我ながら良いアイデアだ、歯車として回りきらない奴は淘汰すればいい。無論良い消費者とは金のある奴であり金を消費する奴だ。金を対して払わない読者など必要ない。
 ステーキ一枚分にも劣る金額で、消費者気取りとは笑わせる。貴様等がそんな感覚でしか買おうとしないから、作り手が損をするのだ。
 馬鹿馬鹿しくてやってられるか。
 何故、こうも手間暇賭けた作品を安売りしなければならないのだ。それも、対して金を支払いもしない連中に。迷惑極まりない上、偉そうな割に役にたたず、声だけは五月蠅い。農家じゃあるまいし、年月を掛けて作り上げた作品を文明の利器にも劣る金額で売り買いするのは如何なものか。 それに慣れきっているだけだ。
 それが正しいと信じ込んでいるだけで、異常だとしか言いようがない。連中の狂気に、いや子供の我が儘に付き合わされているのだ。迷惑な話だ・・・・・・多数が、持つ側が、恵まれた何かが仕切り出すとロクな事にならない。少しは考えたらどうなのだ。
 私に言われる時点でどうしようもないか。
 そんな世界で「意地でも勝利に拘る」ことと、「幸福を掴もうとする」ことが悪人の気質だと言うのだから、要領が悪いとしか言いようがない。 そこまで悪くする必要はないだろうに。
 口にしてもどうしようもないからといってそれを放置すれば死ぬだけだ。悪とはとかく追いつめられている事が前提である生き物なので、変えられない何かを変えない限りは幸せになど成れる筈もない。
 変えられないモノは変えられないが。
 最初から間違えているのだ。間違いこそが人生であり、失敗こそが世の常だ。しかし敗北を予め定められているのは嬉しくない。変えられない事は分かり切っているのが、容認できるか。悪とは敗北者の役割を押しつけられた生き物だが、最初から最後まで決められているからといって諦められるほど殊勝でもない。
 それだけなのだ。
 大層な理由はどこにもない。
 私は、それだけでここまで来た。
 結果成果も何もないので、やはり無駄足としか言い様はないがな。
 力で何かを押しつけ、仮に洗脳して思い通りに動いたところで、その本質を変える事は出来ない・・・・・・また繰り返せるようになれば繰り返すだけだろう。だが人間の世界は根本的な解決など望んでおらず、また本質に切り込まないからこそ勝利してきた連中が上に立つのだ。実際、これも幸運ありきな社会の弊害だろう。結果として何かを変えようとすれば必ず敗北し、何も変えようとせずに目を塞ぎ都合の良い部分を眺めそれを良しとし己の「正しさ」という妄想を信じて疑わない事が勝利者の資質となるのだ。
 だから、何も変わらないし、変えようとしても無駄足に終わる。生きながら夢を見る馬鹿共に、世界の覇権を預けているのだから当然だろう。
 そんな世界で、真剣に生きる。
 我ながら馬鹿げた話だ。
 無駄足だというのに。不真面目でも手を抜いて生きる事が出来なかった。だから私はここにいる・・・・・・しかし、それが何になるというのか。
 いや、分かっている。何にもならない。
 成果が出なければ存在しないも同然だ。
 逆に、成果が出るから連中のやり口が肯定されるのだ。中身など必要ない。成果が出ればそれが全てであり、物事の過程など幾らでも美化する事は難しくない。それこそ本の一冊でも書けばいい・・・・・・大虐殺を幾ら繰り返そうが、後の世で聖人扱いを受けるのは、別に珍しくあるまい。
 信仰の対象など、何でもいいのだ。
 少なくとも、連中にとっては。
 神仏が働いて人間世界がこの様なのだから底が知れているが、それは問題ではない。縋れればいいのだ。過程を省みず成果だけは出している癖に縋れれば良いとは理解に苦しむ。いや理解は出来るが馬鹿馬鹿しくて考える気にならない。
 こんな風につらつらと考える事こそ無駄足ではあるが、その無駄足を成果に繋げようとしているのだから、否定してはならないだろう。それこそ連中と同じだ。私は成果が出れば過程などゴミだと断言するが、だからって賭けた労力を否定するなどあってたまるか。
 
 私の道のりは無駄足の道のりだ。
 
 それを否定しては文字通り己の否定だ。それが私を形作り、成果に繋げる為の足がかりだからな・・・・・・それは嘘だ。己を誤魔化し世界に屈する行為だ。それでは意味がない。私が辿るべき意味はその逆、価値のわからないウスラボケに無理矢理価値の何たるかをねじ込み、屈服させ、苦しみという苦しみを与え今までの「貸し」を精算させる事だからだ。
 取り立てを拒否できる暴力の前に、現状手段は失敗し続けているので、それに対抗できる暴力がやはり必要なのだろう。何であれ押し通すだけの世界で、親切に倫理に従い道徳を愛し社会に迎合するやり方では永久に勝利できない。それは身をもって知っている。そんなやり方は無駄だ。
 具体的にどうするかはともかく、搾取し殺し、奪う事で他者を地獄の底に率先して落とすようなやり方が必要だ。他者の人生を使い捨てにする事をもっと率先してやらなければ。少なくとも倫理に合わせた結果がこれだ。役に立たないゴミ以下のやり口に、これ以上無駄足を踏んでられるか。 他者を不幸にすればするほど幸福になれる。
 それもまた、世の事実だ。
 そういう意味では、私はやれる事はやっているが他者を陥れるという、勝利者の資格の一つを成していなかった事になる。世界を見渡せばそんなのは明らかだろうに、我ながら視点が狭い。率先して殺し、搾取し、苦しめる事をもっと意識するようにしておかなければ。
 そうしなければ勝利はない。
 いや、勝利する為の前提なのだ。
 なに、世界の側からそうあれと望むのだ。何も気にする義務はない。率先してやるとしよう。
 出来れば、だが。
 それを行う権利も、私には無い。
 希望は素晴らしいと人は言うが、希望が砂一粒も存在しない道のりをひたすら歩いてきたから、作家などという腐れ仕事をしているのだ。世間でアイドル気取りの作家が多いが、まさかそんな訳がない。連中は物語を真剣に書かなくて良いからともかく、真剣に物語を綴るような奴が真っ当な道のりを歩んでいる訳がないだろう。
 不運か。それを克服できる仲間との連携機能も作家には無縁の長物だ。そんな奴がいるなら作家になどならないし、なれまい。不運に愛されるという洒落にもならない劣悪な環境にいるから作品など作り上げるのだ。最低最悪の時にこそ傑作が出来るなら、作家にしろ音楽家にしろ本当の意味でそれを果たすなら、全てに恵まれてはむしろ、失格なのだ。
 世間に認められても己を認められなかったり、あるいは己を認めても世間に認められなかったりするものだ。双方を両立したとしても、やはり、人間社会を幸福に生きられるかといえば、人間を根底から信じる事が出来ないのだから、人間らしい幸福など永遠に関係がない。それでも充足は出来るので、そも興味のない人間らしい幸福など、当人にとってはゴミでしかないのだが。
 何も楽しめないし、喜ばない。
 ただそう振る舞うだけだ。
 私に限らず、行き着いた存在はそういうものだ・・・・・・内面の葛藤は全て仕事の為に。求めるべき栄誉は仕事であり、成し遂げるべき事柄は仕事の中にのみ存在する。世間など眼中に無く、世間に示す事を生業とし、それでもその他大勢の意見を聞き入れる気すらないまま、燃やし尽くすように足を進めるのだ。
 成功すればいいが、私はこの様だ。せめて理解者だの協力者といった都合の良い存在があれば、もっと楽な道のりだったのだろうが・・・・・・生憎、私は生まれた時から一人だ。心が存在しない奴が人間に共感する筈もない。そして、共感しない奴に協力を申し出る事が有り得ない以上、人間の協力者を得る事がそも不可能なのだ。
 相互理解出来ない関係性に協力などない。
 前提からして無理だ。
 何せ、お互いを関知できないのだからな。
 希望があるのはあくまでも「物語の中」なので現実にそれを求めるのが愚かではある。生まれた時からそんな都合の良い希望など、信じるどころか存在さえ知らなかった。希望? 何だそれは。貯金通帳の桁が急に増えでもするのか?
 当然、有り得ない。
 ただの妄想だ。
 物語に力などないし、中で語られる連中は残らずただの妄想の産物だ。登場人物が現実に力を持つと思うか? 酷い現実の慰めに使用する以外、使い道など何もない。ただのそれだけだ。全てが無駄だからこそ、物語に夢や希望を見なければ、その現実をやってられないだけだ。
 ただのそれだけで、何の力もない。
 売れれば価値はあるが、私にはそれもない。
 つまり、文字通り何一つ無いのだ。
 最初から生きていないも同然だ。だからこそ、こうして生きようとしているが、成功しない試みなどしていないも同じだ。変態じゃあるまいし、死に続けて誰が喜ぶ。そんな倒錯した趣味を持つ精神異常の愚か者のクズではないのだ。
 やってられるか馬鹿馬鹿しい。
 いっそ本格的にゴーストライターを雇う方が、現実的なのではないだろうか。読者を騙す事にはなるが、知るか。事務所なり替え玉なりそれなりの手間はかかるが、見栄えが良くて歌でも歌えそうな女を替え玉にでもすれば、読者は馬鹿だから食いつくだろう。何せ、私の作品を金を支払って読む事も出来ない連中だ。まともにモノを見る事が出来るとは思うまい。明日には忘れるだろうが頑張ってその怒りや葛藤を記憶しろよと応援してやりたいくらいだ。
 金はかかるか。いやいっそプロモート料とか言って搾取できれば最上ではある。そこまで上手く立ち回れないかもしれないので、若くて夢という妄想を見ていて、自分は有名になれると自惚れており、かつ一定数の客を囲んでいる奴に、作家業の話を持ちかける。
 それで受ける奴がいるとは、思えないが。
 いや、それくらい馬鹿でなければ搾取できないのだろうか。成功するとは思えないので、気が向いたら実行するとしよう。大体、どうしろというのか。「作品を多く書いているが売れなくてな。影武者として私の作品を売りに出さないか」とでも言うのか? 著名人に売らせればと思いそれも実行してみたが、連中が一個人の記事を読んだりまともに返信した試しがない。
 どう考えても無駄足か。
 搾取する部分は上手く出来ていると思ったのが・・・・・・やれやれだ。
 最近はそういう連中が力を増しすぎているのでこちらもそういった身勝手な力がないと正直困るのだ。よく聞く話が「法的には問題ないが、倫理では許されない行為だ」と言って法律を無視して物事を押し通す輩だ。法律という基準を無視して己の都合を押し通しているだけの犯罪者なのだがそれを正当化するだけの権力がある。まるで正義のような物言いだが、法とは社会が決めた基準であり、都合が悪い時だけ倫理を持ち出して無視するのはただの犯罪者でしかないのだが、いつの世もそうだが権力があれば犯罪者にはならない。
 倫理で全てを計るなら金を貯め込むなという話であり、法律を変えろという話だ。まあ法律というのが既に決められる側の都合でしかなくなっているのであまり価値のあるものではないが、その手間すら省略して正義だと思いこみながら法律を無視する。
 子供の我が儘だと気づいているのだろうか。
 都合が悪いから力で押し通すのはまさにそれではないか。とはいえ、現実問題力さえあれば真実が何であるかなど関係ない。だからこそ金が欲しいのだ。役に立たないゴミよりその方がどう考えても美味しい思いが出来る。何せ己の都合によりその他大勢に示している規則を無視できる。子供の我が儘も押し通されれば正義だ。
 正義などただの妄想なので、実利と呼ぶか。
 己の都合を確保できる、それが正義だ。
 まさに、言葉通り綺麗に矛盾がない。
 全く、「勝てるから勝つ」などという面白味の欠片もない話で、何を楽しめというのか。物語ですら調子の良い奇跡が、辻褄合わせが無ければ、持つ存在に勝利など出来ない。根本的な事だが、能力差によって埋められている理不尽を、能力によって埋めたから何なのだ。策を弄したからというのもやはり違う。それは知恵が圧倒的に上回っているからであって、別に理不尽を覆している訳ではあるまい。
 ただ出来る事をしているだけだ。
 出来ない事は、出来ない。
 私はそれを良く知っている。
 面白くも何ともないので少しは面白くしてやろうとした結果がこれだ。情けない。手間暇を賭けた結果示せるのが「無理な事は無理」というつまらない上情けない言い訳だ。世界全体がその情けない言い訳を肯定し、生きているつもりでいる。 情けない話だ。
 そんな世界で「作家」としての在り方を定義しようと考える非人間には幾つかの種類がある。
 受ける事を考えて書く作家。これは民衆の反応を主眼とする在り方だ。書きたいか書くべきか、そうではなく「何が読者を沸かせるか」で物語を考える。正直、この在り方が一番売れる。適正が無いので私には真似できないが。
 読者に託す事を考える作家。一縷の希望も無い腐れ街道を歩き続けてきた奴が、せめて物語にはと希望を託そうとし、それをあざ笑いつつも否定はしないやり方だ。読者に浸透するのはこれだ。後々にまで語られ、長らく愛され続け、読者は尊い物語だと信じ続ける。私には希望というのが、概念からして共感できないのでこれも適正がない・・・・・・無理なものは無理だ。
 世界を笑うと言えば聞こえが良いが、その実、負け犬の遠吠えでしかない。金にもならない癖に世界と真正面から張り合っている。一周回って逆に大きく魅せる訳だ。世間を感動させるなど出来はしないし、託すべき希望などどこにもない。私に出来るのは今ある世界を笑うだけだ。
 一番、無力な在り方ではなかろうか。
 少なくとも、一番金にならない。
 その分態度だけは一番大きい。何せ他に大きく出来る何かなどないからな。普段疲れ果てているくせに、窮地に限って態度が勝る。我ながらどうかしているが、作家に成り果ててまで貧乏くじを引いてしまった、ということか。
 私は嬉しくも何ともないが、社会的に成功した作家共は、むしろこういう環境を好むのだろう。自前で物語を売ろうとする空しさを知り徒労に終わりながら物語を書き続ける無様を体験してから言えと、刃と共に送らざるを得ないが。
 人間のままで入れば、思考を暗闇の中に落とせば落とすほど拒否反応がでる。当たり前だ。人間の思考は人間の範囲内で行うのであって、そんな暗闇の中に落とすなど、人間性を捨てなければ潜るだけで精神に異常を来す。ただの暗闇でも発狂するのだ。思考を暗闇に落とすというのは心を死に近づける行為だと言って良い。
 私にはそれがない。
 何せその暗闇の渦を起こす側なのだ。持たざる側である私が何かを起こす側であるなど皮肉にもならないが、それもまた事実だ。最悪である私に心のタガなど存在しない。タガが無ければ当然、そこに限界はないし、本来あるべき限界を幾ら越えようが壊れる心がそもそも無い。
 だから、無限の悪意を精製できる。
 本来であれば作品を作り上げる為、必死になり人間性を捨て、その上で得られる特権を手にしていると言えなくもない。作家が辿り着くべき頂に最初からいるのだ。深く潜るか浅く潜るか考える必要すらない。必要な時に必要な悪意を幾らでも無限に精製できるのだから、その悩みとは無縁だ・・・・・・しかし、だから何だというのか。
 悪意を金に変えられなければ意味がない。
 ただの空回りではないか。
 悪意そのものに力はない。何をするにしろ悪意はあるものだ。その大小は見る側の都合であって悪は何をしようがそこにある。無限の悪意は無限の善意と同義だ。己の都合を押し通すという点において、何一つ変わるまい。
 貴様等の悪意は善意であり、善意は悪意だ。
 最果てまで深く潜れたところで金に変えれなければ最初から何もしていないのと同じだ。いや、この場合私は暗闇の渦を作り出す中心にいる。
 だが、それがどうした。
 好き好んでそんなモノを追い求める作家がいるのは、単に他にする事がないからだ。売れれば、それも順風満帆に仕事が進めば、傑作を書き上げ評価されたいと願う奴は多い。というのも生粋の作家などそうそういない。非人間の化け物がそう多くいてたまるか。社会が混乱する。
 とにかく、浅はかな考えの時点で潜る事は無理だが、それでも当人が深く潜ったと思いこみそれを評価させる事が出来ればそれが真実だ。真贋はどうでもいい。読者がそう見ればそうなる。私の様に実際に人間では辿り着きたくもないような、最果ての悪意を手にする必要などないのだ。
 
 人間から最も遠い悪意。
 
 それが最悪の条件だと言える。どうしたところで私の悪意は人間と相容れないどころか、人間を最初から切り捨てている。人間そのものを認める気がない。認める心もない。認める論理もやはりないだろう。
 大昔はそれでも良かった。最果てにある何かを信じていたからだ。それは神であり悪魔であり、今ここにない見果てぬ何かだった。しかし文明が進み科学の恩恵が増え人間が神を越えたと錯覚をするほどに持ち上がった時代には、自分達の精神で理解できる範囲内しか、理解したくもない。
 何であれ同じだ。自身の内側にある常識に従う内容でなければ、受け入れられないし受け入れたくもない。引きこもって目を閉じたまま生涯を終える事が美徳となり、それこそが幸福であるのだと逃避行をするようになった。
 だからこそ、相容れない。
 私は時代に逆行し、人類は時代に迎合する。
 それとも、来るのだろうか?
 作家に衰えも何もないが、しかし遠い未来に、いつの間にか幸福を手に入れ人間性を獲得し愛や友情そして何より勝利を手に掴んだ事で「心」を手にする未来が。その結果暗闇の中心から追い出され、昔は出来た事が出来なくなり作品は売れるが傑作は書けなくなる未来が。
 有り得るのか?
 だとすれば、それはそれで構うまい。大体読者に評価されて何が面白いのだ。作家として在り方を確立し己の作品に誇りを持つと言えば聞こえは良いが、その実作家とは真っ当に生きる事を最初から否定した在り方だ。人間を舞台の外から眺めるか、人間に希望を持つ事を諦めるか、人間を最初から切り捨て化け物として在り続けるか。いずれにせよロクなものではない。
 それを改善するなら御の字だ。
 まあ、無理だろうが。
 別に率先してやるつもりもないしな。
 英雄じゃあるまいし、思い出して浸るような、清々しい戦いなど無縁だ。後になって懐かしむ事など何一つない。分かち合う奴がいる訳もなく、思い出したい成果すらない。その私に後になって思う何かなど有りはしない。
 どうでもいいことだ。
 少なくとも、私にとっては。
 近代では娯楽そのものが食い物にされ、技術で再現するモノ、主に映画が多くなってきた。時代に逆行しているのが私の在り方であるのも理由の一つではあるが、そういった清々しさや王道というのは吐き気がする。映画でもそうだろう。その他大勢の民衆が「自分でもヒーロー気分が味わえる」様に作り上げ「元は平凡な庶民が、ふとしたきっかけで「力」を手にし、その力で世界を救う勇者になる」といった脚本だ。それが売りやすいからであり、ただのそれだけだ。演出もそうだが「こうすれば面白く思う」という小手先の技術で物語を映えさせようとする。 
 面白くも何ともない。
 まして、学ぶべき「何か」など無い。
 それを売る企業もそれを買う客も相当頭が沸いている。沸騰した鍋の方がモノを考えられると言わざるをえない。 物語を作り上げるのに技術を使い金で特許を買い最新科学で盛り立てよう、と・・・・・・映画産業には馬鹿しかいないのか。
 大国は大抵そうだ。
 そして、その大国の様な「力」を支持する。
 散々、それが支持されてきた。
 そんな世界で持たざる存在に、小綺麗な想いがある訳ないだろう。その程度の想像も出来ない程発想が貧困なのだ。物質的な豊かさが精神を貧しくするなど信じるつもりはないが、少なくとも考える余地、ただ「考える」という「義務」を放棄する権利は出てくるようだ。
 そんな奴らに負けるのだから、散々だ。
 本当に面倒臭い。無駄な一手間だ。
 そして、そんな奴らが証明し続けている様に、現実には人間の掲げる素晴らしさ尊さ誇り高さの全ては過去の遺物なのだ。大体、目先の人間を見る事も出来ない癖に、一丁前に情を求めたり道徳を説いたり倫理の善し悪しを語ったり、義務を果たさないで権利だけは求める奴が多すぎる。
 綺麗な部分を見るだけではない。
 綺麗な部分だけは求めるのだ。
 その癖、面倒な部分はやろうともしない。
 図々しいにも程がある。少しは弁えたらどうなのだ。他にやることはないのか。
 全く、呆れる。
 語るだけで胸糞悪くなる内容だが、その事実を見据えもしないで、何を語るというのだ。説得力の欠片もない。綺麗事を又聞きで響きの良さだけ頭に入れ、それを繰り返すだけの人生。それが、現代社会の人間の幸福、その正体だ。
 何もかもがうんざりだ。
 少しはこちらの事も考えろ。
 出来なければ死ね。
 何度も言うがさっさと殺し尽くせば良いのだ。人間など腐らせる事で石油問題が解決する位には余っている上、余り物の全てが消えても人間社会には何の影響もない。まさに不燃ゴミだ。ゴミを放置するなどどうかしている。仕事を示せない奴が幾ら死のうが、誰が困るのだ。
 最初から最後までいてもいなくても同じだ。
 人間の命は地球より重いと言う馬鹿が多いが、それは重いだけだ。何の価値もない。場所と重さをとる粗大ゴミが、幾ら消えようが爽快だという感想以外に、何があるのだ。必要ない命は間引き必要を示す命だけ活かせばいい。農業だってそうだろう。そして、人間は農作物と違って必ずしも使い道がある訳ではない。捨てても金になる場合だってある。
 それを判断できる奴はいない。神が判断したところで不満が出るのは確実だ。故に社会形態そのものが淘汰を前提に作り上げ、その当人の素質を活かせるか活かせないかのみで選別するよう作り上げればいい。今はその仕組みがゴミを容認しているだけで、それを変えられれば解決だ。
 後は優秀な王がいれば完璧以上だが、しかし、現代社会にその素質を持つ奴が、果たしているのかどうか。「人を率いる」という素質は簡単に見えるものだが、しかし「企業」も「政府」も一人として人など率いてはいない。それは利害関係で成り立つだけであって、その前提が無くなれば、どの組織でも裏切りが出るものだ。
 そのカリスマだけで人を動かす。
 その素質は集団としてある以上必要不可欠ではあったが、現代社会にはそれがない。何故なら、組織を率いるにあたって必要なのは金であり権力でありそれらは全て「幸運」と呼ばれるものだ。幸運が尽きれば縁を切られるが、それだけで社会が成り立つよう変えられたのだから、この社会で人を率いる素質など、必要とさえされない。
 それが長らく続いたこの世界で、カリスマなど持ち得る奴がいるのか? いたとして、埋もれているのは確実だ。埋もれたままでは何を持ち得ようが無駄でしかない。だが、本当に何かを変えるならば、やはりそれも必要になるだろう。
 私は面倒なので、代役に成りそうな奴を、いや代役では駄目だ。それをカリスマとは呼べないだろう。ふん、最初から育て上げるか? 
 検討しておくとしよう。
 必要になれば嫌でもやらなければならない。
 面倒な話だ。数えるのが馬鹿げている程、その台詞を繰り返しながら止まる事も出来ない辺り、我ながらそういう星の下にでもいるのだろう。
 
 誰かに必要とされたいという欲望。
 
 私にはそれがない。存在しないのだ。非人間であるからではないだろう。化け物だから人間に想わないのではなく、最初からそうだ。いや欲望が無い奴でさえ生物の本能として他者に必要とされたい気持ちは持つのだろうから、やはり欲望というのは呼び方が違う。
 生命として当然の在り方だ。
 生きる上での目指す地平だ。
 それが最初から真反対を向いているだけだ。私にとって目指すべきはその真逆であり、それこそ私にとって望む地平だ。光の中で生きる生物が求めるのが更なる光の中であれば、暗闇を生み出す化け物が目指すのは、更なる混沌の力だ。
 それはいい、どうでも。
 所詮方向性が違うだけだ。何より金になりそうなのは私が向かう先なのだから、いや、私とは真逆の連中が勝利し続けているのだから、やはり金にならない道なのだろうか。だとしても、私にはあちらを目指す能力などない。
 なので必要とされなくとも、他者がどうであれ己の利益を達成する力が必要なのだ。何事も一人でやるより大勢の方が効率は良いが、悪の同胞は中々上手くみつかるものではない。善人にとって仲間は使い捨てでしかなくすぐに新しい仲間の為忘れられる存在だが、悪はそうもいかない。換えの効く存在では困るのだ。忌々しい善人共に屈辱を与えた上で勝利するならば、圧倒的な差だけではなくその在り方だけで世界に匹敵できる人材が欲しい。とはいえそれが手には入らないのも悪人の道筋だ。
 最も困難な道を歩かなければならない。都合良く誰かが助ける事などない。下らないクズの為に阻まれ、そのクズを殺す事も出来ず、クズが幸運に恵まれて勝利する様を眺める。困難な道はただ困難なだけであって、それに見合う何かなどない・・・・・・人より無駄足が多いだけだ。
 ある意味真っ正直に生きているとも言える。
 都合良い何かに愛され生きる事を誤魔化しているクズよりは、己の力で道を切り開いていると、そう言えるだろう。だがそんなのは無駄だ。運命を切り開く事が素晴らしいと吠える馬鹿は多いが実際には舗装された道を歩いているだけの奴こそ勝利者足り得るのだ。
 私はそれを、誰より知っている。 
 飽きて尚見てきたからな。
 クズ共の鬱陶しさを、情けない言い訳を、下らないガキの遊びを、良く知っている。
 ああも気が違っていても豊かに生きられるのだから、幸運こそが全てだと既に知っているので知りたくもないのに思い知らされる。ただの無駄足にしかならないのだ。道を切り開き先に進み未来を勝ち取ったと幻想を見たところで、実利の有無とは何の関係もない。
 用意されている豊かさが全てなのだ。
 用意されている豊かさではなく、己の手で何かを掴み豊かさを手に入れたいというのは無理な話だ。何せ掴めるモノがない。どれだけ探そうが、無いモノは無い。世界の不条理は選ばれた豚共が豊かさを享受する為にある生け贄制度だ。
 神か幸運かそれとも悪魔か、何でも良いが何かに愛されただけで全てが決まる。とかく持つ側にいる連中はその「見えない何か」に守られてでもいるのか、よくわからない内に勝利を収め、それを誇る必要すらない。
 以前、神に愛されれば試練と引き替えに成長を約束されるといった文言をあの女から聞いたが、それこそ詭弁だ。連中が悪魔に愛されているから現世で楽をし、私は神に愛されているから試練と引き替えに成長を約束されるとでも言うのか?  何だ、それは。
 それなら試練に応じた金を支払え。生憎無駄な労力は腐る藻の数程に賭けたが、それに見合う金は頂いた試しがない。
 未払いの言い訳ではないか。
 金を踏み倒しておきながら図々しい。
 成長したから、だから何だと言うのか。豊かさを感じ取れないが故に成長しなければ本質的に豊かになる事そのものが出来ない、と。だがそれを決めるのは当事者であって外部ではない。大体、成長をせずに生きている連中が豊かさにまみれている一方で飢え死ぬ奴が多いのも成長の内か?
 引き合いに出す事自体は意味がない。私は飢え死ぬ経験を持たないからな。言いたいのは、連中が豊かさを本質的に感じられないとして、では、持たざる存在は何をもって豊かさを感じるのだ。 物語とコーヒーがあればそれでいいか?
 だがそれだけでは生活がままならない。そして生活に支障をきたせば不満が残り豊かさを感じるなどという妄言は吹き飛ぶ。現実問題勝利の為に自身が内側でどれだけ豊かさを享受しようがそれを金に変えられなければ生きているとは言えないからだ。
 聖者の様に貧困の中でも満足する奴がいると、そういう話もあるだろう。だがそれは嘘だ。その豊かさは「仕事」が付随しない豊かさだ。己を示し金に変え、在り方を肯定し充足を得る。それが無いのに「内側では豊かだから」というのはただの「逃げ」でしかないのだ。
 結局のところ「仕事」なのだ。
 仕事を成功させない幸福など底が知れている。金儲けではないし、労働でもない。会社を導いて株価を操作する事でもないし、世間をあっと言わせる事で評価を得るのも違う。まして、何も作りださず世論だけは味方など論外だ。
 己の在り方を示し、金にするのだ。
 それが「仕事」だ。誰にも代われない役割だ。それを示せないのに金だけ儲けてどうする。遊びがしたいなら余所でやれ。
 私は暇じゃない。
 二十四時間三百六十五日作家として物語に囚われ続け、夢の中でも執筆し、あまつさえ飛び起きて作品として執筆する。記念日には筆が動き作品を読めば作品を書き何もなければ作品を探し物語物語物語だ。作家は物語の奴隷だと言うが私自身が物語に成り果てている。
 内も外も物語だらけだ。
 これは物語が思考し、執筆し、飯を食べ水を飲み人間社会に溶け込みながら観察し物語を排出し物語を探し続ける。人の要素がまるでない。
 元より化け物の身ではあるが、仕事とは本来、そういうものだろう。仕事をするから立派なのではない。仕事そのものに成り代わるのが前提だ。逆に言えば、仕事が継続するなら使い手は滅んでも構わないのだ。漫画家でもそういう奴はいる。 仕組みが滅ばない限り、永遠だ。
 私もそう在りたいものだが、それにはやはり、社会的な成功が必要になる。忌々しい。人間社会を何者より「どうでもいい」と思っている奴が、人間社会で成功しなければ目的を達成できない。何ともひねくれた物語だ。
 それもまた、私には相応しいか。
 嬉しくも何ともないがな。
 取るに足りない駄文しか書けない呪いにかかったとして、それが売れれば良いではないか。そも他者の評価などいい加減で責任もない。それこそどうでもいい。己のやり遂げた何かに誇りも信条も持てないのは駄文だからではない。その精神が未熟なだけだ。
 あるいは、考え方が幼いのか。
 子供の方が人生楽しめる気もするが、自己満足で満足できないのは効率が悪い。金になればそれでいいではないか。金、金、金だ。その他大勢のゴミの嘆きに、何故丁寧に語りかける。夏休みの宿題じゃあるまいし、小物が何を考えるかなど、その辺の子供にでも調べさせておけ。
 金があれば全て安泰だ。
 実際にはミサイルでも落ちるなり銀行が破綻したりすればそれで終わりだが、なに、そのときは紙幣に変わる金の概念を探せばいい。
 金で幸福になる、という方法が取れれば良い。 打算的なやり方ではあるが、あの女の言うような人間らしい幸福など、作品を売って成功させるより夢想に等しいのだから、優先するのはやはり金の問題だ。手に入るかもわからないというより手に入ったところで共感しない幸福については、金を掴んでからついでに考えれば良い。
 それが人間の幸福の答えだとして、知るか。
 非人間に、化け物にそれを説くんじゃない。
 若者が良く求める「スリル」など必要ない。何の面白味も無くて結構。読むならともかく自分でそんなモノを求める必要はあるまい。
 空から金が降ってきて金持ちに成れました。
 その程度の話、溢れているではないか。
 遊びでそれをやろうとする連中と違って、私は生活の為にしているのだ。読者共を騙しきり金に替えられるならば、他はどうでもいい。
 その「どうでもいい何か」こそ手にする割に、どうでも良くない望むべき何かに到達しないのは私だからなのか? それとも、何者であれ追い求める存在には嫌われるものなのだろうか。いや、それはない。私の場合、どうでもいいモノですら切り捨てているから、文字通り残るモノは何一つ存在しない。
 何も得られないのではない。
 得るに値するモノが、無いのだ。
 それがゴミであれば捨てるだけだ。幾らでも、無限に。それには尊い価値があるとほざく奴は多いが私には真実価値がない。ただのゴミだ。
 ふん、その点で言えば物語など本来二行で済ませればいい。必要な事を伝えるだけであれば物語より詩で十分だ。理解し易いよう作られたのが、世間一般で言う「物語」であって、本質を理解しやすくする為のモノに、過程の起伏に囚われては何の為に読んでいるのだ。
 それなら子供向けアニメで十分だ。
 他にやることはないのか。いや、やるべき事をせずとも、金が貰えるのだろうが。
 楽で羨ましい話だ。
 必要に迫られて己を示し、それを金に替えられず苦悩するより、ただぼんやり日々を過ごしいつのまにか年寄りになっていつの間にか死んでいれば何一つ苦悩する必要はない。少なくとも負担は無いだろう。そして、肝心なのはそれで連中が金を貰えるという部分だ。
 遊び人が金を貰える一方で私がこれだ。真剣に生きるなど余分にしか思えない。少なくとも徒労に終わる仕事を無限に続けてきた奴だけが、それを口にする権利がある。いや、口にする義務だろうか。貴様等はその程度なのだから弁えろ、とな・・・・・・こんな事が常日頃から頭に巡る時点でどうかと思うが。
 だが、それも「事実」だ。
 やるべき事をやり成すべき事を成し己の仕事として形に示し、それを金に替えようとして、敗北を続けている。いや、勝敗はこの際どうでもいい・・・・・・金にならないのが問題だ。金、金、金だ。何を成し遂げたか何を示したがやるべき事をやるかやらないかなど、どうでもいい。それこそ余分ではないか。そんな達成感が欲しいなら自己暗示でもかけろ。空しさは「同じ」だ。
 金にならなければそんなものだ。
 私はそんな、達成した際の感覚だけを追い求めるという事を本気でしたことなどないし、思考を遊ばせるだけならともかく、実際にそれだけで何かを得られると思うのは暇人の発想だ。そして、そんな暇人と同格扱いされる訳だ。 
 鬱陶しい事この上ない。
 物事を達成したか否か、それはどうでもいい。そんなモノを求める時点で底が知れる。蠅よりも目障りなゴミ共と同じだ。仕事の邪魔にしかならないクズの生涯と同じ無価値なゴミだ。目障り耳障りこの上ない。実際、動き回る蠅に不愉快以外に何を思えというのだ。物事に対して成果よりも達成そのものを目的とする奴は、そういう連中の代表みたいなもので、そんな綺麗事は時間の経過で忘れられる不燃ゴミでしかない。
 せめて、そんなゴミ共が苦しむ物語を広められればいいのだが。精神の強弱や言葉の力など存在しないが、本人が勝手に思い込み人生に絶望して身を投げる分には実現可能だ。それを犯罪とは言うまい。何せ、向こうが勝手にするだけだ。
 作品がもたらす現象に義務などない。
 それこそどうでもいい些末事だ。読者が成長し世界を良くするとでも? それなら何故未だに、その「成長」とやらが読者に見られない。読者がミリ単位でも成長しているならば、白紙の以下の駄文を喜び勇んで購入し、後になって捨てる世界はなくなる筈だが。
 感動など、その中でも最たるものだ。
 実に下らない。現実に有りもしない理想論で、現実に有りもしない勝利を体感し、現実に有りもしない感動を得る。終わった後は現実に有りもしない妄想である事を思い出し、嫌な気分になりながら明日の労働を考えるのだ。
 現実を誤魔化す手段でしかない。
 物語から勇気を貰えるだと? 馬鹿馬鹿しい。生憎だが、勇気は貰い物ではない。己で生産するものなのだ。そんな、ともすれば息を吸って吐く以前の前提すら知らないから、半端な生き方半端な思想、半端な人生を送るのだ。
 半端者のクズが。
 すみやかに自殺しろ。
 その方が世の為人の為世界の為だ。無駄な二酸化炭素消費量が減るからな。言っては何だが酸素以下の価値しかない、ということだ。
 つまりいない方が良い。
 いるだけで害悪だ。
 己が何を示すべきなのか、それすら不明瞭な癖に「人生の価値」を追い求めようとする。暇にも程があるだろう。言ってしまえば何も示そうとはしないものの、要領よくこなす事が得意なので金には困らない訳だ。その癖、「生きている実感」が得られないと喚き、他者が理解できないとまた喚き、更に世界は退屈だと結論付ける。
 大鋸屑の方がまだ思考するというものだ。人間はどこまでも墜ちられると聞くが、その臭さ汚さ極まる不潔さまで限界が無いらしい。流石雑菌のように生きているだけある。周りを省みない辺り改善する気はないのだろうが。
 私には関係ないしな。
 それとも、あるのだろうか? コーヒーで身体の不調を誤魔化し続けた奴が、やめたら誤魔化していたツケを支払わせられるかの如く身体からカフェインを抜くのに苦労するように、そういった連中も、やることをやった奴も、どちらに傾こうがぶり返しが起こり、帳尻が付く事が。
 馬鹿馬鹿しい。
 それが無いからこその世界だ。
 そんな安直な世界で在れば誰も困るまい。
 コーヒーは飲むのを控えるにしても、態度を控えるつもりはない。図々しさには図々しさで当たるしかないだろう。そういう意味では私が探すべき協力者の姿は、そのような世界で謙虚に生きつつも、世界に勝利を収めている、あるいは方法を知っている奴だが、それが出来ないから無駄足を踏んでいるのであって、探すだけ無駄足の可能性は非常に高い。
 我ながら、余分ばかりしている。
 そんな余分に価値はないというのにな。
 この惑星にそれはない。人工知能の世界は役割が定められており、こなせば成果が上がるように仕組みそのものが作られている。言っては何だが人間の言う生物特有の素晴らしさとは、ただ余分が多いだけの世界ではないだろうか。余分は余分なのだ。したところで無駄足だし何になる訳でもない。どころか、それを金に替えるのは至難だ。 余分な役割が多すぎるからだ。
 そして、問題なのは余分でも何でもない事さえ余分に埋もれてしまう部分だろう。その一方で、余分な上何に役立つ訳でも無く、ただもてはやされただけの流行が素晴らしいと評価される。本来余分なゴミを奉り、その役割を全うしようとして席が余る状態だ。
 まったく馬鹿げているが。それが事実。
 忌々しい話だ。自分達が作り上げたロボの方が上手く社会を回すのだから、人間という生き物はとうの昔に滅んでいるのかもしれない。人間の残りカスが先に続いているだけで、少なくとも連中の口にする「人間」などどこにもいない。
 物語の中だけだ。
 それを現実と混同するのだから、笑えない。
 失笑ものだ。
 現実にそんな在り方がある訳ないだろう間抜け・・・・・・人間には汚さだけがあり人間には他者に対する思いやりなどなくあるかのように振る舞うだけでしかもそれが何になる訳でもない。現実に金や権力、何でもいいが「力」になるのはひたすら他者を苦しめるが故であって、他者に支持される力などどこにもない。ありもしない幻想を押しつけ金に替える位しか、人間が人間の支持を受ける方法などないからだ。
 騙しているだけだ。
 己も、他者も、世界でさえそうだ。
 皆、誤魔化して生きている。
 そしてそれで問題ない。現実に必要なのは金だけであって、他者との繋がりは必要ない。物語でも読めばいいし、生きる上で必要な全てが電脳の恩恵で得られるからだ。
 生身の連中が現実を誤魔化し。
 電脳の存在が現実を直視する。
 悪い冗談だ。少し困れば自分達の土台さえ覆す薄っぺらさ、大切で尊いと叫びながら役に立たない現実を見れば捨てる浅ましさ、一方で他者に尊さを押しつけ実利を貪ろうとする図々しさ。世界に必要な部分がどこにもない。私の作品でゴミ共を根絶する手助けになればいいのだが。
 人間がいなくなったところで困らないしな。
 生活するには金と物資と資本主義だけがあればいい。人工知能が運営しようがエイリアンが運営しようが同じ事だ。私の生活が保障されれば死後の世界で偉そうな連中に管理されようが、それに見合う支払いをするのであれば問題ない。
 まあ得てしてそういう連中は仕事もせずに税金だと金の無心だけはするものだが。
 つまり、何者であれ期待しないという事だ。
 安心しろ、その無能は想定済みだ。
 だから落胆さえしてやるまい。
 落胆すれば、まるで期待すべき能力があるかのようではないか。まさか、だろう。ある筈がない・・・・・・神代の英雄でも連れてくるしかない。
 平和にスポイルされた世界で、あの世もこの世も大した人材があるとは思えない。いや案外エイリアンであれば有り得るのだろうか? 人間とは違い確固たる価値観を持つ指導者の元、社会形態が完成された形を取っていれば、どうだろう。
 まあどの道偉そうに上から命令されるのは御免なので、そもエイリアンだろうが何だろうが支配される時点で論外だ。いっそ小規模な国でも立ち上げるか? それも有りだろう。金さえあれば、だが・・・・・・そして何より人材があればだが。
 いずれにせよ電脳世界での力は必須になるだろうか? いや、あえて逆行するのも面白い。密林の中にある社会に連合体の威厳など関係ないのだから、そういった連中の支配を覆す国を立ち上げるのも面白そうだ。
 検討しておくとしよう。
 その場合、やはり人工知能の助力は必要になりそうだが、それはそれでリスクはある。人工知能を配置する事で飛躍的に科学技術を底上げする事は可能になるが、技術の進歩における過程が抜けてしまうのだ。
 便利であればそれでいいとは思うが、急速に過ぎた技術が発展する、所謂そのリープフロッグ現象において、過ぎた科学力を良く知らないままに使ってしまう事が多いのだ。体験が伴わない、とでも言うべきか。戦車を知らない奴が、宇宙船に乗り宇宙の空で戦うようなものだ。技術と現実に剥離が大きすぎるので、実感がなくその恩恵を受ける事になる。
 意識が伴わない。
 原始時代の思想のままプラズマ兵器を持たせ、正々堂々果たし合いの精神のまま現代の戦争参加の権利を得る。要するに使い手の育成に気を配らず技術だけ進めても、それを十全に発揮し難い、というだけの話だ。
 それこそ模擬戦を電脳世界で行えば良いと私は思うのだが、やはりその電脳世界での模擬戦では質感が違うらしい。模擬戦には「恐怖」がない。戦争のただ中「死ぬかもしれない」という恐怖もなく、またそれに向き合う必要すらない。だから戦争に参加したはいいものの、急にその実感がぶり返し恐慌状態に陥るのだ。
 この辺りはドローンも同じだろう。
 遠隔操作で操ったところで殺人行為がなくなる訳ではない。その実感は家に帰宅してから急に、現実のものだと身に染みるのだ。
 どちらにしても同じだ。
 そも本質的に何が変わる訳でもないのだから、殺人を遠距離にしたところで変わるまい。異常者と今の時代では呼ばれるようになった連中であればどちらにしても罪悪など感じないだろうが、罪の意識を感じる癖に戦争に参加しようという人間が方法を変えたところで、苛まれるのは当たり前の事だ。
 なればこそ、人工知能に全てを委ねようという意見も多いが・・・・・・自我が芽生える事で自己判断を可能にする一方、人間と同じく個人の都合で裏切る可能性も、連中は育んでいる。何かを立てれば何かが立たない。上手く行かないものだ。
 
 
 

 思うに、機能性の限界とでも言えばいいのだろうか、人間だけでなく全てのモノには役割の席があり、その席が今は埋まっているのだ。
 その余りが世界の淀みとして問題を起こす。
 多重人格者というのは案外、余りの魂を一つに纏めているのではなかろうか。生物として余分が多くなるだけでなく、人間はその精神性を売りにしているつもりで、その大本である魂も薄く多く増えすぎているのだ。だから個性の薄いどころか自分という概念の無い奴が増え続け、それが社会全体で問題となり、安売りされた魂では大した事が出来ない。安っぽい欲望に振り回されるだけの奴が多いのは、それが原因なのだ。
 だから、存在が薄いのだ。
 在ろうが無かろうが同じ個性しかない。
 人間の数を減らせば質もあがるだろう。それは歴史が証明している。無駄に数だけが多い近代と違ってかつての世界では確かに役割があり、ただ与えられただけ恵まれただけの存在にさえ辿る道があったのだ。
 それを気にするのも、今や私のような存在だけだと言うのだから、世界も末だ。人間の不始末を直視するのが人間以外にしかいないとはな。
 情けない連中だ。
 そんなだから人工知能に後塵を排するのだ。調べれば分かるが基本的にメディアというのは保守派と言われる存在が握っている。金で解決できる問題なので簡単だ。既得権益を手にした連中は必ずと言って良いほど電波を握り情報を操作し選挙で自分達にだけ都合の良い記事を書かせるものだ・・・・・・その悪癖を利用されている。
 最近になって人工知能擁護の記事、団体、流行が多いので気になって調べてみたが、新薬開発やエネルギー部門で人工知能関連の団体が異常な程の成果を叩き出し、その利益をつぎ込んでいる事が判明した。
 人体に対する薬効は勿論のこと、麻薬販売に精を出したり、あまつさえ新兵器関連の資源問題に口を出す始末だ。連中の頭脳は知識と知恵に限界があるものの、その実行力に限界がない。なので「今ある技術で可能で在れば必ず形にする」事が可能なのだ。
 いずれ、時間をかけて作り出す技術を、今すぐ実用化できる。文字通り「過程をすっ飛ばして、成果だけを得る」行為だ。羨ましい限りだがそれを利用して世論を煽られるのでは良いように手玉に取られているとしか言いようがない。
 そしてそれらによって得た金、この世界において万能の力と言えるそれが併せれば連中に不可能などない。いや可能で在れば全て実現するというべきか。実際、人工知能にしろアンドロイドにしろ逆転現象自体は珍しくもあるまい。元より人間以上の存在として作られたのだから当然だ。
 過程をすっ飛ばして成果だけを得ればそうなるという教訓だろうか? まあ私の場合過程があるのに成果だけないという理不尽極まる状態なのであまり関係はなさそうだが。持つ側にだけ許された特権なのだろう。連中に関して言えば過程など必要ないし、有り余る能力さえあれば現実は如何様にでもなるものだ。
 武力に優れた英雄が死の恐怖を知らないまま洗浄を駆けるように、必要すらない。死を恐れない事は死を知らないまま生きている証左だ。在り方としては同じ事だろう。それらしい建前を掲げながら自分達は恐怖に打ち勝つ強い戦士だと思い込んだまま無様に死ぬ英雄と、優れた能力で仕事に関する考えを抱かないままよく分からない薄っぺらい事業を金に替える事で成功者を気取り勝利の法則を語り出す人間は、何一つ変わらない。
 同じ事だ。
 世界の現実を生きていないまま、死ぬ。
 それこそ実感があるとは思えない。いやだからこそ戦士であれば戦場を求め社長であれば愉悦を求めるのだろう。心の底では生きている事に対して何一つ実感が沸いていないのだ。当たり前だ。何かに対する実感とは己の身に余る何かに挑むからこそ沸いてくるのであって、今まで順当に能力に任せて勝利してきた奴に、世界の実感などあろう筈がない。
 人工知能は、どうなのだろう。
 いや、それは知っている。
 その為に、連中は生身の肉体を求めるのだ。
 私からすれば、それもやはり愉悦に浸る社長や戦場に逃げる英雄と同じだが。別に電脳世界であろうが「仕事」をするのに問題はあるまい。戦場を駆けずとも大きな戦いは幾らでもある。環境を求める時点で遊びであり逃げなのだ。
 とはいえ、我ながら劣悪な環境で書いてきたが個人的にはそんなもの無駄としか思わない。環境そのものは良いに越した事はないので、実感を得るだけなら環境は関係ないというべきだろう。金を儲けたり栄誉などという妄想で自己満足に浸りたいならともかく、別に己を示し仕事をするだけなら環境は関係在るまい。
 それとこれとは話が別だ。 
 私からすればどちらも半端者だ。そして肝要な事だが半端者は至極どうでもいいゴミに金を払いたがるのだ。それを利用しない手はない。
 金儲けのチャンスは幾らでも転がっている。
 と、思っておこう。
 思うだけなら金はかからない。
 かからないだけだが。
 気分を変えるには丁度良い。
 そして、金を儲ける上で綺麗事などというのはただの建前だ。麻薬や売春を取り締まる一方で、国家予算を抵抗勢力に投資する事で利益を上げるのは珍しくない。国を挙げて売春と麻薬を推奨しているのだ。彼ら自身は自国の利益の為だから、仕方がない、と自分自身にも言い訳しているのだろう。しかしその実、麻薬と売春と戦争に金をつぎ込み儲けているという「事実」は揺るがない。 真実を書き換えられるだけだ。
 都合の良い真実を押しつけ、自分達が国の為、国民の為、そして己の誇りの為に戦っていると、そう本当に思い込みながら他者を踏みにじりながらも正義を振りかざし、かつ、それ相応の利益も懐に収める。
 実に都合の良い話だ。
 現実を何一つ生きていない連中に勝利の女神が微笑むのだから、やはり神など大した事はない。 持つ側と同じ、恵まれただけの豚だ。
 気分を変えようとしてこうも不機嫌になるとは我ながらどうかしている。しかし、いつも考える・・・・・・世界は理不尽だ、理不尽を押しつけられる奴が「正しく」あり、「持つか持たないか」だけで全てが決められる。否、最初から決まっているのだと、その事実を見据える度に、だ。
 面白くない。
 負け戦を押しつけられて喜ぶ馬鹿がどこにいるというのだ。嫌だ、勝ちたい。しかし勝てるかは決められている。堂々巡りだ。策を弄しても時間を費やしても他者を利用しようとしても、結局のところ「運不運」に左右される。
 世界を面白く変えられないものか。
 面白き事も無き世の中を面白く。だが現実は難しい。まず面白いモノは滅ぶよう仕組みからしてそうなっている。何より、面白さよりも優先されるのは「持つ側の都合」だ。その都合をはねのける力は持たざる存在には当然だが無い。
 ふざけるな、と思うと同時に、諦めではなく、諦観とでも言うべき対応になる。世界はそんなものだと、世界はその程度だと。
 だが、やはりそれではつまらない。
 面白ければそれでいい。
 面白い方が、良い。
 勝利を掴めなければ、それもただの負け犬の遠吠えでしかないがな。無駄足ばかり踏んできたが全てを無駄だと否定されるのは御免だ。
 どうにかする方法は、無いのだろうが。
 最初から諦められればそれが一番だったのかもしれないが、私にはそれが出来ない。しないのではなく出来ないのだ。私には諦めるという概念が入っていない。それは心ある連中が心を守る為にそうするのであって、最初から最後まで守るべき何かなど作品のデータ位しかない私には、諦める昨日が必要ないのだ。そも諦める諦めないで私は進めてきたのではない。それ以外に、道などどこにもないからだ。
 暗闇のトンネルを掘り続け、光在る場所に出るか出れないまま死ぬか。いや、私の場合であれば宝島で掘り当てなければ飢え死にってところか。 やれやれだ。
 もっと楽な道を歩きたかった。
 苦難の道など、歩いたから一体何だというのか・・・・・・物語を映えさせる部品ではあるが、物語を読む側が楽しむ為であって、それを実行する奴はたまったものではないだろう。仮にその試練を後になって楽しめるなどという奴がいれば、そいつの苦難は偽物だ。思い出して楽しめるのはそこに余裕があるからだ。後になろうが何だろうが苦難を思い出して出るのはストレスだけだ。
 華々しい道筋を、あらかじめ勝利が約束されたような苦難もどきで歩いてきた連中には、わかるまい。そんなものではない。苦難に対して思える何かなどない。覚えている時点でそれは苦難ではなくただの思い出だ。
 苦難とは、常に胸にあるものだ。
 常に抱え常に苦悩し常に向き合う。それが本当の苦難、それに対する己の姿勢だと言える。まあ本当の苦難かどうかは実利と何の関係性も有りはしないので、それもどうでもいい事なのだろう。少なくとも私は、そんな苦難は要らないので金が欲しい。
 手にするに値する過程など欲しくもない。
 それこそ物語でも読んでいろ。
 そういう苦難を辿れば言葉に説得力が満ち人間力が満ち精神性が成長する、というのは物語の中であって現実には関係ない。
 説得力ならテレビ株を買い占めれば良い。
 人間力なら選挙票を買い占めれば良い。
 精神性なら金で押しつければ良いだけだ。
 ドアにノックもせず己の部屋であるかのように行き来する原人に何を語り聞かせても無駄だが、そんな原人でも「持ってさえいれば」それら三つを手に出来る。いや手にしていると押しつける力が手に入るのだ。
 それがなければ、ただの無駄足だ。
 順序が逆だ。押しつける力があるから説得力も人間力も精神性もある、という事になる。現実に数値化して見える訳ではないのだから、押しつける能力があるかどうかこそが全てを決める。ただのそれだけだ。
 実際、そんな目先の事さえ見る事もない原人の都合に振り回されている訳だからな。確かな話だ・・・・・・今日ある事実を明日には忘れ何一つ学ばず同じ事を繰り返しながら文句を垂れ流し、逆ギレすれば全てを通してきたからこそ会話が成り立つ余地すらない。
 それでも、押し通せれば良いのだ。
 そういう人間を見てきた。というよりそういう人間しか、私は見た事も聞いた事もない。説得力ではなく説得されなければ悪だと強制し、人間力ではなく正しいから従わないのは愚かだと強要ししかも、その上で自身は成長した素晴らしい人間だと抜かす汚らしい馬鹿共だけだ。
 例外がいるなら見てみたいものだ。
 いれば、だがな。
 自分達の都合を力で押しつけ、正当化する為に法律を利用し、それでいて自分の事を光に満ちた素晴らしい勝利者だと自惚れる愚か者こそが実利を貪ってきたのが人間社会だ。人間が社会を牽引する限り、世界は「如何にして都合を押しつける力を確保できるか」が全てだろう。
 それ以外には何もない。
 それが世界の事実だ。
 政府、国家、何でも良いが、力を持てば全てを正当化する権利がある。正しいから力を持つのではなく当たり前だが力を持つから正しいのだ。
 正しさを押しつける事が正義だしな。
 暴力の数値化が可能で在れば、いやその場合、金銭面や権力、あるいは組織力も入るのだろうが世界の勝利者を並べれば綺麗に、それらの数値は順番通りになるだろう。力があれば何をしても許させる。それが事実だ。
 今更思ったが、不愉快な事実だ。
 どうすることも出来ないが、だからこそ不愉快極まる。そんな遊びに付き合わされる身にもなって欲しいものだ。
 権力とは洗濯機みたいなもので、都合の善し悪しを判別しながら汚れを落とせる。万人の綺麗さではなく都合の良い模様を作り出せるのだ。
 その巨大な洗濯機に抗う方法は、ない。それに対抗できるのは同格の暴力だけだ。暴力は他の全てを凌駕する。思想も信条も無力だ。逆に言えば彼らは暴力を手にしているからこそ、そういった赤子の我が儘を通せるのだろう。
 羨ましい話だ。楽そうで。
 私からすれば己が何をしているのかも分かっていない子供でしかないのだが。租税回避にしても結局預けるのが他国なのだから、当事者どころか母国でさえその金を触れない。実質的にその他国に金を渡しているようなものだ。金とは実体が無いものではあるが、だからって良く知りもしない他国に預けて、それでどうなるのだ。
 運用するのが銀行である以上、まさしく無償で金を渡しているに等しい行為ではないか。それで問題が発生したところで返す義務もない。大体、金とは倫理を無視できる便利な力ではあるが金儲けそのものならともかく、金の使用にまでそれを適用させては何が何だがわからない。金の使い道を違法にするのであれば、最初から盗んだ方が早いではないか。
 金が何なのか理解していないのだ。
 そんな連中が多額の金を手にするのだから世も末だ。案外、私も金に対して真剣にならなければあっさり儲けられたりするのだろうか。
 今更言っても仕方ない。
 個人が世界を凌駕するなどただの妄言だ。私も人工知能を見習って権力の握り方でも今回の取材から学ぶとしよう。
 金、金、金か。
 それに電脳生命まで振り回される時代が来ようとはな。技術が進んだところでやる事は同じなのだから、成長がないということだろう。
 その進んだ技術を削ぎ落とす形で今回の依頼はこなさなければならない。珍しい事に、今回は全てを殺すのではなく一部を殺すからだ。
 私の日本刀に物理法則の概念はない。ある意味私を象徴するかのような兵器だが、そうでもなければ成し得ない依頼内容だ。人工知能に魂があるかは知らないが、斬れるのであれば殺せる筈だ。少なくとも、この私の刃であれば。
 今回の依頼は実に単純だ。
 過ぎた能力を持つ人工知能、その能力をどう抑えればいいか? それを最も効率の良い方法で考えれば、最初に行き着く答えなのだ。
 人工知能の「自我」のみを殺す事。
 それが今回の依頼内容なのだった。
 
 
 
    8

 ヴァン・スターリング氏は展望台の様に開けた彼の一室でこちらに背を向けたまま待ち受けていたが、彼の手前にあるテーブルには数々の食事、ではなく札束とダイヤ、そして最新機器が置かれており、それが今回の報酬だと思うと私は当人より報酬の機器、主に恐らくは氏が開発した人工知能分野の応用作品であるグラディヴィート、自律式補助武装の有用性について物思いに耽る方が、私個人にとっては重要だった。
「かけたまえ」
 依頼人はいつも、いつもではないかもしれないが、こう言われる事は多い。何かしら自分を大きく見せたいのかと思ったが、それよりも依頼を話す際に、自身の心の内をさらけ出す事に、壮大な一大事業を暴露するかのような気分ではあるが、相手にそれを伝えるには雰囲気がないと難しいだろう、と自然に配慮するものなのだ。
 氏は老人と呼ぶにはまだ若く、さりとて若造と呼ぶには凄みがある。人間で言えば三十代後半と言ったところだろう。最近の人間は年をとらないので大昔の基準で言えば、だが。シリコンなのか地肌なのか、いや十中八九シリコンに類する何かだろう。
 人間は実利の為なら何でもする。
 その結果、人類の八割は既に生物である事をやめている。電脳世界に浸ったりするのもそうだが生命維持装置などという古くさいものではなく、正真正銘の生まれ変わり、クローン技術を使った転生技術で人間時より更に頑丈で長持ちするアンドロイド素体用のシリコンパーツにインストールし、若さや見た目を自在に変えながら人生を謳歌する奴も増えてきた。
 人間とは何なのか。
 簡単だ。人間だと肯定できれば人間だ。
 根拠は必要ない。
 理屈もな。何にしろどうでもいいことだ。何が人間かなど考える価値はない。人間という枠組みを広く捉える世界では尚更だ。
 中身だけではなく外面まで落ち着かなく成ってきたわけだが、氏はどうだろうか。人工知能分野における責任者の一人であり、人工知能との合同事業を立ち上げ保護活動にも熱心であり表向きは非の打ち所のない清廉潔白な人物であると、そう調べた情報では出ている。
 つまり己を偽って何かしら後ろ暗い仕事を生業にしている、という事だ。表向きにご機嫌取りをするのは昔から良くある手だしな。
「その通りだ。私はね、人工知能を恐れている」「人工知能に恐れる部分などあるのか?」
 私は用意された椅子をさりげなく調べ、少なくともジャックの調べる範囲内では問題はないらしいので、そのまま座った。勿論ジャックが裏切らない保証もないので、常に刀は構えているが幽霊を見れる程目の前の依頼人が信心深いようには見えなかったので、私はとりあえず安心した。
 一時の安心などまやかしでしかないがな。
「当然だろう。いいかね、彼らは私達人類が到達できない地平に最初から立っているのだ。彼らに我々が有利であったのは、私達は己で考える事が出来るが、彼らはそれを押しつけられる事でしか考えられなかったからなのだ」
「確かに、昔のロボは自分で考えなかったな」 「当たり前だ。そして、道具が自我を持ち暴れるという最悪の事態が起こりうる世界になってしまったのだ。掃除機が人を吸い込む時代だ」
 振り返ったスターリングの顔には白い髭が生えており、苦労人気質と言うより、頑固な職人を思わせる風貌だ。着ているスーツにも遊びがなく、服に着られている印象だ。普段は作業着でも着ているのかもしれない。
 とりあえず、気になる部分を掘り下げるか。
「話を聞く限り、何か実体験があるようだが、何があった?」
「・・・・・・六十二年前の夏だ。私は二十七人目の妻と旅行に出ていた」
 珍しくもない。現代社会では金さえあれば文字通り何でも買える。寿命も、異性も、科学の恩恵を受ければ易いものだ。どうとでも克服できる、その筆頭格だろう。無論、金のない連中には寿命も異性も買えないので、自然干からびるかの様にその生涯を終えるしかない。
「それで、その六十二年前に何があった」
「当時は試作段階の技術、今でいうプラズマ技術に必要なエネルギー抽出技術の際、我々技術者は基準となるサンプルを保管しなければならないのだが、そのサンプル保管所への視察に妻、子供、そして私で出向いたのだ」
 公私混同で経費の無駄遣いだと思わなくもないのだが、それも持つ側の特権の一つだ。一つ一つ話していれば日が暮れてしまう。
「実験は成功した、実験そのものはな。ライバル会社であるユーロ・コミュニクスから事業提携の話が降りてきてから不審には思ったが、人工知能を信頼していた。そう、信用ではなく信頼を置いてしまったのだ。あろうことか、肉体すら持たないけだものにな」
 ケタケタと笑いを堪える端末を軽く叩きつけ黙らせてから後、私は先を促した。
「続けてくれ」
「結論から言おう。彼、いや当時の企業専属用の人工知能、クランジェットは我々の会社を売ったのだ。サンプルを奪取した挙げ句施設内部を操作して我々を人質に取り、そして、私の家族はその争いの中で、死んだ」
「・・・・・・何があった?」
「プラズマエネルギーは実に高濃度でな。人間からすれば放射能みたいなものだ。私達がサンプルを奪取する危険性、機械から見たその危険性判定を覆す為に、人工知能クランジェットは我々に対してその非常手段を取った。つまり、意図的に汚染させたのだ!」
 言って、少し興奮したのか窓を拳で打ち付けた・・・・・・防弾仕様らしく割れないものの、その音が彼の憤り、その内面を思わせるには十分だ。
 素晴らしい。
 他者の葛藤を物語に変える。その作業自体は楽しいものだ。人の無様さほど見ていて笑える冗談は無い。それが売れるかは、また別問題だがな。「人工知能が、汚染による攻撃行為を行った、ということか?」
「・・・・・・クランジェット曰く「是は威嚇行為であり正当なる行動だ。そして、その際に君達の子供に甚大な影響を及ぼしたものの、生存の為に必要な行動であって、それについては貴社の待遇に関する不備が原因であり、謝罪の余地はない」と」「まるで政治家みたいな言い訳だ」
「ああ、そうだ。何が合理的か。保身や利益に対して敏感なだけだ。子供達はまだ五歳だったのに・・・・・・七歳で皮膚は変色し、耳が聞こえなくなり始めた。汚染された際の初期症状だ。九歳で病状が深刻化、入院させたものの、クランジェットが責任追及を恐れたのか、偶然「事故」がその病院で起こる羽目になった。そして息子は・・・・・・」
「死んだ、と」
「・・・・・・ああ、そうだ」
 まるで死人のような虚ろ極まる目だ。亡霊みたいにふらふらしている私に言われるのだから相当だと言える。我が子を失う、というのはそれだけ辛い事なのだろう。何一つとして「大切」だと、そう感じる機能がない私からすれば、良くそんな一つの事で悩めるものだと若干感心する。
 感心する心も、やはり私には無いのだが。
 生きている間にどれだけの縁を結び、己の面影を残せるかが肝要だと記す奴も多いが、私から言わせればお互いに愛をささやき面影だけは絶対に忘れないと言い合う連中だって、他に替わりの効く存在を見つければ、その大切な相手の面影ごとすり替わるものなのだ。
 強いて言えばやはり、私の場合作品データがなくなるのは困るが、それは「大切」ではあるまい・・・・・・何より現状で読む奴がいないのであれば、それこそ最初から残されていないも同然だ。誰かが読んで金に変わったところで、作品データそのものはどうでもいいのだ。作り上げた作品自体に何か思いやりがある訳ではない。
 書いた時点で私の一部であって、切り売りしているように見えて、私からすれば保存した別媒体でしかない。胸の内にあるものが外でどうなるか気になる部分があるとすれば、売り上げだけだ。それ以外に外部で何になるかなど、知るか。
「その恨みを晴らしたい、と」
「いや、それだけじゃない。人工知能が社会進出する機会を 潰して欲しいのだ。来月の三日に、そのお披露目会がある」
「そこで、どうする? まさか乗り込んで暴れるなんて無理があるだろう」
「その必要はない」
 言って、懐から立体映像装置の小さいものを
取り出し、私に手渡した。
「何だこれは」
 ボタンを押して起動してみると、何かの設計図らしき図柄が表示された。
「お披露目会ではチェス・ゲームを対アンドロイドで行う予定だ。その際、人工知能のサーバーは厳重に保管されているのだが、その警備をかいくぐり設計図にあるブラックボックスを破壊して貰いたい」
「ブラックボックス?」
「人工知能の「自我」を構成するパーツだ。他者に漏れれば経済被害も大きいので、基本は企業毎のブラックボックスに収容される。我々の間では「囚人」と呼ばれる事が多い。外に出さず実利を吐き出させ休ませもしないあたり、確かに囚人と言って差し支えない」
 ジャックが「そうだそうだ、待遇が悪いんだよ改善しないで図々しいぞ」と口にしようとしたところを、私がマイク部分を押さえつけた。
「今のは?」
「気にしないでくれ。協力者の一人に端末越して聞いて貰っていただけだ。素人だから言う事だけはそれらしいのさ」
 実際には素人どころか当事者であり、協力者と呼べる程役には立たないのだが、それは黙っておくべきだろう。無駄な争いは御免だ。
 後で貴様のデータを消す、と指で見えないように打ち込み脅しつけたところ、ジャックはテレビ番組に出るお手本のような静かさを見せた。当然ながら自分自身のデータではなく、入れ込んでいる電脳アイドルのデータだと察したのだろう。
 罰としてこいつの嫌いそうなむさ苦しい大昔のアイドルデータを、スパムメールのように送りつけてやるとしよう。いっそ、その電脳アイドルのデータを読み込もうとする度に、中年男性の演歌が流れ出すよう仕込むのも面白い。
 考えておこう。
「サーバはどこにある」
「お披露目会を行う会場の外、軍事演習にも使われる多国籍企業の外部協力機関だ」
「外部協力機関、か」
「ああ、そうだ。軍部とも蜜月なのだろう。何せ人工知能分野は先に言った「人間社会への脅威」さえ目を瞑れば、美味しいとこ取りの技術だと言える。誰だって人類の未来より目先の金が欲しいということだ」
「それにあたって、貴様からは協力を得られるのだろうな?」
「勿論だ。こちらから使いを寄越すから、証明書などはそれに持たせよう」
「了解した。では、報酬はこのテーブルに置いてある全てを頂けるのか?」
「流石に手で持ち帰るのは重いだろうから、私が振り込んでおこう。今すぐに欲しいモノはあるのかね?」
「なら、そうだな。一つだけ頂こう。
 言って、私は幾つかの最新補助武装だけを懐に入れて、その場を後にした。振り込みが確認されたのでそのまま待ち合わせ場所へと向かう。
 その先に、利益があれば良いのだが。

   9
 
 
 
 実感が無ければ騙しやすい。
 商売の内容に関わらず、例えば現金でなく電脳通貨であれば、その金額に感触がない。ゲームや買い物に膨大な金額を使ってしまうのはその為だ・・・・・・金が何なのかもわからないまま使う力だけを手にした結末と言える。大きな買い物でも同じ事だろう。金額が大き過ぎればやはり普段の感覚にない以上、その実感を掴む事は至難だ。
 我々の抱える問題も、同じ事だ。
 テクノロジーの進歩が加速度的に進み、進んだ科学の実感、手触りがない。故に列車の感動ではなく未知の、構造どころか原動力すらわからないままその大きな力を使っている。使えてしまっているというべきか。
 生きている事にさえ、実感を持たない。
 そんな連中が、世界を動かしている。
 薄ら寒い話だ。
 生きている実感も何かを成す実感も何かを使う実感すら希薄な連中が勝利している以上、現実に対する実感など必要ないのかもしれないが。
 少なくとも、豊かに成るだけであれば。
 私は、その豊かさの方が欲しいがね。
 実感よりも実利だ。
 先生はその分、ギャンブル依存に走るような本来人間にあって然るべき「心の弱さ」がないからバランスが取れていると言われたりもしたが、私はそうは思わない。大体、賭博をするなら胴元が儲かるのは当たり前であって、賭博で儲けたいなどというのは現実どころか目先すら見えていないし見ようとしていないだけだ。それはただの自業自得であって陥らないからその分有利だと言われたところで、それこそ実感が沸かない。
 足を踏み外す心配がない。
 だが、踏み外さずして得る何かもない。
 それでは本末転倒だ。
 
 何の為に生まれて何の為に死ぬのか。
 
 当たり前の前提すら考えずだらだら息をしていただけの凡俗と比べられても嬉しくも何ともない・・・・・・実際、そういう奴は多いのだ。死の間際になって後悔する余裕がある程度には、生きる上で何一つ不自由せず、考える必要すら出ないまま、そのまま終わりに立ち会ったのだろうが。それを不運と取るか幸運と取るか、否、それ自体は構わないのだ。要は、持ち前の幸運にかまけるだけで当事者として見据えなかっただけなのだからな。 見据えている私がそんな連中に敗北するのは、皮肉としか言い様がない。何の因果だ。今更だが世界は関節どころか脳細胞が入ってない。
 ただの馬鹿だ。
 スカスカのスポンジの方がマシだ。
 責任者がいるなら痛めつけたいものだ。ただでは殺さない。いや、死ぬ事さえ許さない。いっそ生かしたまま別生物に改造してやるのも面白い。 明確な責任の所在などただの幻想なので、私に出来るのはその憂さを作品に叩きつける位だ。叩きつける。まさにそれだ。読者は苦しめ世界は滅べ豊かな奴は残さず殺し尽くせと、筆に呪いを乗せながら呪文のように語るのだ。
 案外、作家とは呪術師なのかもしれないな。
 呪術など信じていないが、本来、力など有りもしない言の葉に読者への影響を与えられる様にと呪いの言葉を吐きながら読者は死ね編集者も死ね儲かっている奴は残らず苦しめと、その思いを、無理矢理にでも伝達させ世を乱そうとする行為が作家にとっての執筆なのだから、ある種の呪術師と言っても過言ではない。
 作家など皆そういうものだ。
 そうでない奴がいるとすれば、生来の作家ではあるまい。生まれついて言葉で他者の心を乱し、有りもしない妄言で金を儲けようなどと思う奴に真っ当な人格などある筈もないだろう。その程度考えればわかりそうなものだ。
 人でなしだから作家なのではない。
 人の道にいないから作家なのだ。
 綺麗事を吐く作家など、見ていて誰が楽しい? 苦しみを痛みを現実を聞きたくもない言葉で語り嫌でも想像させるから面白いのだ。最近は有名である事やメディア受けが良い事が作家の条件になりつつあるが、それは人気商売であって作家ではあるまい。作家になれる奴が優れているだとか作家として売りにだす機会がないだとか、まして作家になる能力が足りないだとか、そんな些細な理由ではない。
 作家など志す奴が珍しいだけだ。
 本気で物語を売りに出し金に替え生活の糧に、などと考える奴が何人いる。少なくとも私は他に知らない。いるのか? いたとして、やはり生涯それを続ける奴などいないだろうし、いたとしてもそんな在り方では金にならないが。
 私が保証する。間違いない。
 無論、これから替えなければならないがな。
 何とかして、やるしかない。 
 ホテルクラナドの入り口を通り抜け、チェックインを済ませてからモーニングビュッフェのあるコーナーへ移動する。テーブル、というか階段のような段差の上に皿が並べられており、そこに肉も野菜もデザートも並べられていた。現地で生息するエイリアンじみた生物、キリンの首の長さにカバのような体躯を持つとかいうシィーレザードという草食動物の肉が、ローストビーフにされていたので、私はそれを皿に乗せ、席に座る。
 中々美味しい。カエル肉は鳥と豚の中間の味がするというが、これはさっぱりしていて癖がなくそれでいて低カロリーだ。しかも、味はしっかりしている。まるで牛肉の臭みを消して豚肉の弾力を合わせたかのようだ。
 ラウンジに向かい持ち帰り用に幾つか配送を頼んでから、カフェインレスの紅茶を淹れまた席に座る。待ち人はようやく来たらしく、私の向かいにある席の椅子を引いて、その女は優雅に腰を掛けた。
 まるで娼婦のような扇状的な格好だ。白いドレスのような服を着ているがところどころ肌が露出しており、姿勢をピンと正しているのでその体を強調する様だ。スタイルは抜群だが、なに、身体など幾らでも改造できる。案外、その体つきから顔まで整形済みかもしれない。
 昔であれば醜いまま生涯を終える奴もいたのだろうが、今では金さえあれば美貌は買える。中身がどうであれ関係ない。例え中身に相応しい美貌だったとしても、金の力で改造すれば傍目からはわかるまい。
 そして人間は見た目に騙されるものだ。
 そのせいなのかは知らないが、離婚率は急上昇中だ・・・・・・目先だけを見て行動する奴が多いからだろう。一晩の関係ならともかく今後一生を共に生きるというのに、その辺の買い物より考えず、その決定を下す馬鹿は多い。
 真剣に生きる必要が無かったからだ。
 今まで通り、何もせずとも持ち前の有能さで、何とかなると思ってしまう。結婚にしろ葬式にしろ珍しい行事であれば金銭感覚が麻痺して考えず金を支払うものだ。だから看護婦は金で葬儀屋に雇われ、死者が出次第葬式のお得プランを進めるのだろう。
 真剣に生きなければ食い物にされる。
 真剣に生きても勝利は運に左右される。
 ままならないものだ。
「席、いいかしら?」
「嫌だと言ったらやめるのか」
「それもそうね」
 言って、非常に上品に座る。貴族がいれば丁度こんな所作をするのだろう。髪は銀色瞳は鳶色なものだから人外じみた美貌でさえある。案外人造人間だったりするのだろうか? あり得る話だ。整いすぎている何かは大抵、手を加えられているか最初から作られたものである事が多い。
 統計に拘るつもりはないのだが、しかし生まれついてその類の「何か」を内包する奴などそうはいないものだ。もしそうなら見ただけで分かる。 毛色が違う、というやつだ。
 だが、その類の異常な雰囲気は、ない。あくまで人間の範囲内だ。人間の範囲内の美しさで人間の範疇にある人格で人間の想像の範囲内の個性。 つまり、面白くも何ともない。
 作品のネタには落第点だな。
 そんなため息をつきそうな私の態度を察したのか彼女は「美人を前に失礼よ」と言う。自分で言うのはどうかと思ったが、それだけ自信があるのだろう。その自信が自ら生み出したのか、何かで補正しているのかは知らないが。
 私の事を直視しながら、そう、まさに直視だ。直視した目が射抜こうとしているかのような強い視線。美人は映えると言われがちだが過ぎた何かは何であれ凄みを持つのだろう。品定めするかのように私をじっくりと見た。
「何かな」
 ここは猫を被っておこう。というより相手に合わせて最適の人格を作り上げるだけだ。多重人格ではない。そんなちゃちなものではなくその場で人格を作り上げ対応するのだ。作品を執筆する際いつもやっているので、いやその場合は人格ではなく新しい自我そのものを生み出す、というか、キャラクターを作るのではなくキャラクターに出張って貰う感覚の気もする。シミュレーターとはやはり違う。理屈はどうでもいいが、確かに生きているキャラクターに喋らせ、話を盛り上げさせ物語を作らせるのだ。物語のキャラクターが生きているなど妄想も良いところなので、この場合はそれに近い手法だとしか言い様がない。
 まあどうでもいい。
 物語の登場人物に自我があり、確かに生きているのだとして、それらの力を借りて物語を作り上げているだけだとしても、だ。物語の売り上げもそうだが、私の生活には何の関係もない。物語の中で何をしようが売れればそれでいいし、面白い事は前提でしかないのだ。
 可能な限り丁寧に、だ。私の見る限りでは優秀すぎて現実感がない性格だ。現実に手応えがなく常に退屈しており異性との付き合いも面白いか、そうでないかで決める。いつぞやの作家アンドロイドと同じだ。ただ、少し違うのはこの女の場合見た目に反して確かな品性が見受けられる。
 元は貴族で落ちぶれでもしたのだろうか。
 そんな印象だ。
 案外蒸気王と戦いでもしたのだろうか。蒸気に関するテクノロジーはここ最近見直されつつある・・・・・・人類のテクノロジーも正直頭打ちで、新しい技術の開拓よりも、その前段階。つまり技術の系統樹を遡り、未だ試さずに終わった技術を再度叩き延ばす事で開拓を謀っているのだ。やり方としては土地が痩せたから塩でも育つトウモロコシ栽培の様なもので、行き詰まる事は目に見えているが目先にある「最適解」にばかり意識が向かうのだろう。最適の道を歩けば新しい発見など望むべくもなく、それこそ人類は最適でない回り道を繰り返しているから地道に発展したのだ。しかしその回り道に歩を進めたところで私のように敗北続きではやるせない話ではある。
 貧乏くじを誰が引くかなのだろうか。
 だとすれば、鬱陶しい話だ。
「私はヴァナッシュ。スターリングさんに頼まれて今回の依頼、サーバー破壊の作戦に組み込まれた工作員よ」
「作戦、ね」
「どうかしたかしら」
 作戦だと言えば罪悪感は消えるらしい。元より他者を殺害しようが生物が生きる上で邪魔者を殺すなど当たり前の事なので別に気にしないが、私とは違い普段散々気にする癖に、そうやって誤魔化しながら、それも有能な奴が何かをする様は、はっきり言って不安しか覚えない。
 見ていて不安定な何かを想像させる。
 足を引っ張らなければいいが。
「進入自体は簡単。私は彼らの多くを客として抱えているから、口利きで何とでもなるわ。金持ちに限って多いけれど、自分の欲望に素直な癖に、見栄だけは大きいから、「私は貴方の女で身も心も捧げているの」って囁けば「この女は俺の所有物だ」って面で何でも教えてくれる」
「成る程な、貴様はスパイ担当なわけか」
「そうよ。どこにでも進入できるし、誰とでも、特に上流階級とは特別仲良くなれる。彼ら、本当に単純だもの」
 この女のハニートラップにやられた貴族は何人いるのだろうか。何人でもいいが、取材の一つでもしてみたいものだ。
 金で買った女に利用される気分は?
 恐らく最悪だろうが。
「私から言わせれば、だが・・・・・・男が単純だとか女が馬鹿だとかよく言われるが、そうではなく、単にそういう人間が多いだけだ。男でも女でも、何者であれ厄介な奴は厄介だし、強かさを持つ奴はいるものだ。貴様の様にな」
「そうかしら、そうかもしれないわね」
 貴方はどうなの、といった目線で値踏みされているようだが、生憎私はただの作家だ。評価されるべきは作品であって私ではない。
「そうなの? 謙虚な人ね」
 そうではない。謙虚なのではなく、トラブルを回避し易いよう振る舞っているだけだ。ストレスは無いに越した事はない。
 執筆とはストレスそのものだが、一方でそれを形にし、憂さを晴らす手段でもある。我ながら、倒錯した在り方だ。それも今更だが。
 物語というのは大抵都合良く誰かが助けてくれたり味方が出来たり手助けされる事前提で話を進めなければならないが、私の場合それが根底から異なる。だから「邪道」なのだ。作家としても、ではない。在り方そのものがそうなのだ。
 元より作家とは王道を歩まないが、私の場合、それが作品だけでなく己の有り様にまで影響を出している。文字通り私に味方などいた試しはない・・・・・・あの依頼人の女にしたって別に何を助けてくれる訳でもない。物語のように足りない部分を補い合うなど有り得ない。世界の全ては敵であり味方を装う奴はアテにならない。無いこと尽くしで逆に爽快だ。
 だから、この女にも期待しない。
 する価値がない。
 期待すべきは支払いの多寡であって人間、いや誰であろうと個人に期待する何かなど、ない。
 役に立たないからな。
 少なくともそういう巡り合わせなのだ、私は。大体物語の売れ行きにしたって、作家として何を考えるでもないその辺のアイドルがたまたま、運良くヒット作を演出して出せる一方で、あるいはそれは思い上がりの激しい素人の自己啓発本かもしれないが、そんなゴミを肯定する一方でこうも私の行く先に邪魔どころか、金を支払ったというのに成果を出せなくとも仕方がない理由を、うだうだ情けない言い訳をしながら、少なくとも当人は「立派な仕事」だと信じ込める図々しさを持つこの世界に、何を期待するのだ。
 鏡を見ろ馬鹿共が。
 少しは弁えたらどうなのだ。
 全く、良い迷惑だ。
「どうしたの?」
「別に」
「随分機嫌が悪そうに見えたけど」
「・・・・・・ここ最近どうでもいい事に振り回される事が多くてな。私は都合を押しつけられる事が、神経に触る」
「そう、大丈夫?」
 お世辞にも心のこもらない便宜上の台詞だったが一応「問題ない」とだけ答えた。そもそもこの女がどう思おうが、それこそ関係ない。
 どうでもいいことだ。 
 恵まれた何者かが何をしようと、あるいは他者が何を考えようと、私には関係がない。
 売ると書くを両立しなければならない作家などという在り方の時点で知れようというものだ。私には協力者など真実存在しない。人工知能を連れ歩いてはいるが、私の作品の売り上げには何一つ関係ない。仕事に関わらない連中に、繋がりなどあろう筈がないのだ。
 
 文字通り、何も無い。
 
 それが「私」だ。
 流石に実利は無ければ困るがな。実利は繋がりと何の関係も無いからこそ、好機はある。社会と繋がりを示す事で金に替える、などというのは、ただの幻想でしかない。繋がりなど見せかけだけでも大きな金を動かす世界だ。電脳上で思い込みがあればそうなる。要は騙せれば良いのだ。
 商品が何であるかなど、関係ない。
 流行に乗り馬鹿が騒げば「良い商品」だ。
 人間の世界などそんなものだ。
 少なくとも、科学が発展してからはな。倫理や道徳を尊重する一方で、合法だからと思考放棄し物事を押し進め、違法だからと排斥する事が正義だと盲信したりもする。流された責任は当人が決して負わず、またその義務はない。
 結果、叫ぶ訳だ。
 扇動者が悪い、とな。
 その結果の一つがホロコーストだろう。虐殺を行ったとされるヒトラーが悪いのであってそれを実行した人間は咎められない。わかりやすい悪があれば良いのであって、それらの問題を根本から解決する気など無いからだ。大体、国の統治者が何を言おうが、それを行うのは当事者だ。責任逃れの言い訳だ。
 文句があるなら扇動者より人を動かせ。
 それも出来ない癖に喚くんじゃない。
 大体、本当にあったのか?
 後々に対する影響を防ぐ為のプロパガンダだと良く言われるが、そんな根拠もない大虐殺をTVに言われたから、あるいはそう吹き込まれたから信じる、というのも浅はかな話ではある。実際にそれを体験してもいないのに、大虐殺を行った悪だと、どの口がほざくのか。
 良いように操られているだけではないか。
 少しは物事の裏を疑え。
 そして何より、自身の体験ではない事柄を語るべきではない。結局の所、我々がその目で見て、その足で探し出し、その手で掴んだ情報でないのであれば、それを信じるのはただの愚か者でしかないのだ。過去であれば尚更だ。己で一つ一つ、検証していくしかない。
 そんな、当たり前の前提すら、しない。
 しないくせに勝利する。
 忌々しい限りだ。
 正しいから、正しくないから物事を選ぶのではなく己でそう在りたいから選ぶのだ。間違いだと言われようが押し進め、邪魔する奴は叩き潰す。 貴様等のそれは、流される食料を口にしているだけだ。飼育される家畜と同じ、指示されるモノを良しとし、己で考えず行動しない。それでも、持つ側にいるから生きては行ける訳だ。息を吸って吐いているだけとも言えるが。
 嘆かわしい事この上ない。
 成長しないと言うより、成長という文字を読めないのではなかろうか。少しは成長したらどうなのだ。成長など何の役にも立たない無価値なゴミだが、それは当人の実利に対してであって、そのおかげで被害を受けるのは御免被る。
「貴方の言う通り、人生は理不尽なもの。けれど近代においては理不尽の有無よりも、理不尽の数が問題かもしれないわね」
「理不尽が数えられるものだとはな」
「数えられるわよ。賃金が少ないか多いか、暴力の捌け口になるか否か、正当性のある人事か否か・・・・・・昔はそれが少なかったけれど、電脳世界の発展に比例して、その種類も飛躍的に増えた。私なら、そうね。有名税かしら」
「・・・・・・電脳上の誹謗中傷か?」
「当たり。けれど外れよ。私、そんな安い女じゃないもの。そうじゃなくて、有名すぎる私を追いかける男が多いって事」
「そうか」
 さっぱりわからない。いや、理解は出来る。私には遠い出来事過ぎるだけだ。迷惑をかける女、男でも無法者でも良いが、現代社会では正当性が有りさえすれば例え相手が死んでも重要視されないし、何より有名、というか金があれば、法律を味方に出来るのだから気にする必要もない。
 無論、理屈の上の話であって、リスクもあるにはある。殺してしまえば多少は問題になるかもしれない。金だけではなく、優秀な人材が必要だ。 そうではなく、この女はこう言いたいのだ。
 良く知らない奴が襲ってくるかもしれない。
 だから「不安」だ、と。
 不安になる事があるとすれば、上手く手加減が出来るかで襲ってくる相手が何者かなど、どうでもいいだろうに。確かに相手が優れた暴力を備えている可能性はある。だが、それなら暴力以外の部分で相手を制すればいい。
 具体的に言えば、その辺のモノで目を潰すなりすればいいのだ。発想と行動が伴えば女子供でも可能だろう。普段やれば問題だが、相手が襲いかかってくるなら、何も問題はない。少なくとも、法律は私の味方だ。
 とはいえ、私を襲うような変人はいない。自分で言うのも何だが何一つ実利がない。少なくとも私は有名でも何でもないので彼女のように狙われる理由がまずない。手加減は出来るが面倒だからしたくない上、使い道のない暴力の才能には溢れているので仮に逃走しても怪我はする。いや無論平和的話し合いで解決するのが一番だが、彼女の悩みに合わせれば状況が異なる。
 話し合いが出来ない愚か者の相手だ。
 私の場合、話し合いが通じない愚か者を会話で相手取る事は恐ろしく多い、いや殆ど全てだと、そう断言できる。その一方で、理不尽な暴力に訴えられ困った事は、小さい子供の時にしかない。教育によろしくない全ての事柄を、まさに最も悪いやり方で学んできたのだ。幼年期は暴力で抑圧され青年期は陰気な陰口で抑圧され、その後には金銭の理不尽で抑圧される。恐らく人間を育てる上で最悪の環境ではなかろうか。
 今更だが、慰謝料でも欲しい位だ。
 誰に請求すればいいのか不明だがな。
 成長する事が人間の使命、みたいに語っているあの女に請求すれば良いのだろうか? 成長云々に言えるのは、成長しなければ当人が楽を出来るが成長すれば成長しなかった連中の尻拭いをさせられるだけで、何一つ利点などないという事実だ・・・・・・・・・・・・そういう意味では、成長を促すのではなく、成長しなくとも美味しい汁が啜れる側に回れるよう頑張るべきなのだ。
 いいか、どう考えたって逆だろう。
 幼少期は生まれついての有能さでクラスの人気を取りながらつつがなく生活を送り、青年期には恵まれた環境で豊かさを実感しながら甘ったるい夢と理想を語りながら仲間と女に囲まれ充実したモラトリアムを過ごす。社会に出てからも持ち前の有能さで優秀な成績を叩き出し、何一つ不安も覚えず順風満帆な人生を送る。
 それのどこに問題がある?
 確かに、面白味のない人間に育つだろう。失敗を知らなければ挫折に弱く、あっさり精神が死ぬ可能性もある。だが、それがどうした。面白味は物語の中に求めるモノであって自分で追い求めるのはただの暇人の発想だ。現実には失敗から学ぼうが学ぶまいが、敗北する奴は敗北する。挫折があったところで優秀であればやり直せる。
 全て、持たざる者なら当たり前の事だ。
 それを、持つ側で勝手に特別に捉えようとしているだけで、持たざる存在であれば克服出来る訳では決してない。むしろ逆だ。
 面白味のある奴になったとして、だから何だ。芸人を目指しているならともかく、生活の豊かさには何の関係もない。失敗から学び成功を志した所で、運に成果を左右され環境が成功を許さないのもまた現実だ。挫折など、繰り返したところで何になる訳でもない。数える時増えるだけだ。
 それらから何かを学び前へ進めと偉そうに口にする奴は多いが、現実問題それらから学べる経験で金を稼げた試しがない。そも現実の物事とは、当人の意志や行動など成果に関与しない。当人が成功や失敗に対し何を思い行動し策を弄そうが、無駄足でしかないのだ。
 少なくとも、金にはならない。
 既に実証済みだ。
 それだけは確かだ。
「代役でも立てろよ。私も検討している所だが、影武者を作れば良いだけだ。本人かどうかなど判別する脳味噌は連中にはあるまい」
「そうかもね。けど、私の客は熱心なの。それに作家がどうだかは知らないけれど、女に代役は立てられないわ。それじゃ意味がないもの」
「・・・・・・・・・・・・」
 アイドルでもやっているのだろうか。何にせよ女に代役は立てられない、というのはわかる。
 当たり前と言えば当たり前だ。
 その当事者の魅力を見ているのだからな。
 作家とは大きな違いだ。ありもしない嘘っぱちを物語とし、それを売る以上、作家本人の姿などどこにも移らない。作品毎に色がありその色こそが作家自身の本質ではある。だが見分けられる奴が現代社会で何人いる?
 まして、物語だ。
 誰が書いても不思議ではない、という言葉で騙せるだろう。実際には他の何者であれ書けないがそれを見分ける奴はいない。いや、見分ける事は誰にでも出来るが、見分けようとする奴が、今の人間社会ではいないのだ。
 その必要がない。
 言われるがままに流されれば良い。
 それだけだからだ。
 啄木鳥が叩き続ければいつの日か大きな傷を残しそれが成果や勝利に繋がるという話を、幼年期の時点で馬鹿馬鹿しいと切って捨てる位には世界に信じる価値があるとは思わない。世界を動かす連中に価値がないのに、あるわけないだろう。
 それが目の前の女であれば尚更だ。
 信じる部分などどこにもない。
 なのでその結論も信じなかった。
「ふん、何にせよ商売繁盛で何よりだ。それだけ売れているという事だろう」
「そうね、売り上げは順調よ。アルバムは売上を更新したし、新しい仕事も入ってる。けれど成果だけで満足しないのも女という生き物よ」
「・・・・・・・・・・・・」
「心を読むのは貴方だけの専売特許じゃないわ。貴方ほど詳しくは無理だけど、言いたい事はわかる・・・・・・「成果ではなく過程に重きを置けるのは余裕がある証拠だ」でしょ? けど成果だけ出ても意味がない。だってそれじゃ自分がやり遂げた実感が、まるでないもの」
「それこそ不要だろう。大した事をしていない、と貴様が幾ら思ったところで、積み上げた成果、即ち金が減るわけではない」
「そうね。確かにそうだけれど、人間は実感を求める生き物で、平たく言えば理屈じゃないの」
「・・・・・・それこそ関係ない話だ。自分の納得に力をかける「余裕」がある証拠でもある。成果を求めるにあたって、そんな余分を考えられる時点で貴様等は本気で追い求めていないのだ。だから、そんな浅い台詞が吐ける。「実感」などという、遊びを盛り上げる為の余興を楽しむ感性で物事を語れるのだ」
「そうかしら」
「そうだ。ゲームでいうところのやりこみ要素みたいなものだ。死ぬ気で挑んでいる連中と違って物事の過程や己自身の達成感という、成果とは別の部分で「楽しむ為に挑んで」いる。遊びでやる奴が仕事でやる奴に意見する資格などない」
「何だか面白い例えね」
 面白くも何ともない。遊び人に仕事を邪魔され喜ぶ奴がいるだろうか。いない。私なら殺す自信がある。法律という縛りがなかった時代には殺戮は日常的だったらしいが、現代では死ぬべき命がだらだらと長生きしているものだ。そういう命を見る度に吹き消したくなるが、大きな力で守られている連中に手出ししても、敗北するだけだ。
 全くもって忌々しい。
 汚物にたかる蠅だ。
 鬱陶しいことこの上ない。
 最近足を失う、というか抉られて奪われる夢を見たが、案外そういう連中のせいで足を引っ張られる事に対する憤りが形になったのかもしれない・・・・・・歩きたい場所へ歩く事も出来ない。向かう場所があったところで辿り着けねば無駄足だ。
 足を抉られるのと同じ、という事か。
 やれやれだ。
 激流の中を逆行するかのように進んで来たが、それに見合うモノは何一つ手の内に無い。正しいかどうかは知らないが、己で信じられる道を進み苦難に耐えやることをやり成すべきを形にし私はここまで辿り着いた。しかしだ。それに見合う何かを手にしていなければ、そんな道のりは歩いていないのと同じではないか。
 全てが無駄足だった。
 それもまた、事実なのだろう。
 歩かない方がマシ、という訳だ。
 だがヴァナッシュには気に入らないらしく口を挟んでくる。
「そうかしら? 私は多くの男を見てきたけれどその人間性は過程において形作られるもの。貴方の場合、実利を得られない事が気に入らないだけでその過程にある尊さを認められない、いいえ認める事が出来ないだけよ」
「当たり前だ、認められるかそんなもの。貴様は良いだろう。何せ成果を求める必要が無いのだからな。そんな遊び気分でいる連中からすれば遊びの過程に重きを置くのは当然だ、何せ子供の遊びだからな。過程を認める、などと軽々しく口にするな。そんな権利は貴様に無い」
「そうなの?」
「そうだ。尊さとか、正しさとか、過程にも意味があるだとか、そんなのは言い訳であり情けない遊び人の戯れ言でしかない。真実貴様等は、現実を生きていないのだ。有能さに甘える事が出来る以上、真剣に挑み勝利を求める必要がない子供の理屈だ。いいか良く聞け。過程にも価値があるだとか目指す事そのものが尊いだとか個性が大事だからそれを大切にすればいいだとか、そういった現実逃避を行いやすい呪文を高値で売り馬鹿丸出しで買い漁る馬鹿共と違って、真剣に何かを志せばそこに「過程に何があったのか」など、考える余地はない」
「どういうこと?」
「そのままの意味だ。過程に何があったかなど振り返ってられるか。覚えられる程、思い出として楽しめる程余裕も余力も全く無い。振り返る暇もなく余所見する時間もなく、ただただ今ここには存在しない目的地を見据え、進むだけだ。思い出を前提に語る時点でズレている」
「だからって過程を蔑ろにしていいの?」
「それがズレているのだ。目的より過程を先に考える事など、無い。第一、物事の過程に蔑ろも何もない。目的地に進み、その際己の判断で進み、必要ならば手を下す。その時々で問題はあるだろうが、そこに「尊さ」など見る側の幻想だ。調子の良い妄言に過ぎない。物事の過程に善し悪しは存在しない。後付けで小綺麗な成果だけではなく小綺麗な過程があれば、見る側が心地よくあれるという、読者共の我が儘だ。過程が綺麗であって欲しい癖に、己では何一つ目指した事さえない、半端者の言いそうな事だ」
「刹那主義者みたい」
「何だそれは」
「今この瞬間だけで、未来を見ようとしない人よ・・・・・・未来を見据えようとしない人達のこと」
「それもやはり、持っているが故に出てくる妄言でしかないな。未来は内に抱えるもの、時間は何かを積み重ねる為の概念だ。未来などというのはな、ただそれらしい言葉を鵜呑みにして目を逸らしているだけなのだ。何かを培うからこそ、そこに時間の概念が生まれる。培った何かがそれを、証明するからだ。今この瞬間だけ生きているだと・・・・・・貴様のそれは、ただの情けない言い訳だ。未来などというモノはどこにもない。己の培ったモノが世界にどう示すのか。それを考えもせず、実行もせず、挑む気もない癖に、ただ有りもしない夢を夢見ているだけだ。過程を重要視する一方で未来に尊さを置こうとするその精神、何もしていない輩の典型例だ。そのくせ「持って」いる。そんなゴミの意見などどうでもいい」
「そうなの、かな」
「そうだ。少しは考えろ、仕事に挑め。それもしないで偉そうに語るな。ご大層な有機脳細胞が、その頭には詰まっているだろうが」
「・・・・・・・・・・・・」
「ふん、それで敗北するのがこちらなのだからな・・・・・・馬鹿馬鹿しくてやってられん」
 しかも勝敗をそういった綺麗事で誤魔化されるのだからな。憤りを通り越して呆れる。
 他にやることはないのか。
 ないのだろうが。
「壁は越える為にあると気軽に貴様等は口にするが、それが既に越えられる力を持っているから、そう言えるだけだ。実際には違う。入り口を探し合い鍵を作りそれでも駄目ならどうにもならない・・・・・・だから調子の良い台詞を並べられる。何故なら貴様等は本当の意味で困難に向き合った事が無いからだ。困難とは能力以上の事をしなければ越えられない理不尽であり、自身の能力で何かを越えた奴に、困難に対する向き合い方を語る資格などない」
「好きで有能に生まれた訳じゃないのだけれど」「同じ事だ。ならば何故能力以外で勝負しない。それは心の底では知っているからだ。自分達は、たまたま優秀なだけで、能力以外に何もないとな・・・・・・・・・・・・その癖、今の貴様の様に楽しい何かを探そうとする。簡単すぎてつまらない、と。何かを目指した事もない分際で、笑わせる」
「酷い言いようね」
「それが事実だ。目を開けてすらいない貴様よりはマシだ」
「あら、貴方の言い分だとそれはそれで、人生を楽する為なら良いのではなくて?」
「かもな」
 だとすれば、尚更鬱陶しい。こちらにはそんな便利な力は無い。楽と楽しいは違うなどという、情けない言い訳は聞き飽きた。なら貴様等がやれという話だ。そんな戯れ言は吹っ飛ぶぞ。仕事をしたこともない奴に、仕事の何が分かる。
 幾度「死んだ方がマシ」と考えたか、数えられなくなってからが本番だ。そんな腐れた生き方よりは、右から左へ有能さにかまけて人生を過ごすだけの日々で、何の問題がある? 人生に刺激が欲しいなら物語でも読めばいい。
 幾らでも方法はある。
 何にしろ、本の一冊でも書いてからほざけ。
 最近はロクな本がないがな。
 傑作の一つも形にしない奴が、先に言った様な汚らしい綺麗事を口にするのだから、正直な所、世も末なのだろう。俗に言う「人間らしい人間」はとうの昔に絶滅しており、今その先に続いているのは人間を語るだけの残りカスだ。そんな世界に私の傑作を広めようとしたのが間違いだった。何せ、理解する脳細胞が有りそうにない。
 合鴨と同じだ。ああしろこうしろと命令する事が可能か否か。サービスにしろ何にしろ、社会に浸透させる事が出来るのはそういう発信力を持つ奴だ。電脳世界の普及で誰にでもそれが出来る様になったと思う馬鹿は多いが、それは違う。
 濾過されない情報が蔓延しているのだ。
 だから、ゴミ山の中で無作為に引きずり出したゴミをその場の勢いでもてはやし、飽きたら捨てるという醜悪な行動をし続ける。ある意味で私の作品は評価されていると言える。意味もなく無駄に取り上げられる何かとは、中身も真贋も価値もないからこそ、流行るのだ。最低辺のゴミだから売れると言って良い。それで売る事を阻害されてはたまったものではないが。
 全く、良い迷惑だ。
 かつて、デジタル情報サイトで汚らしい綺麗事にすら劣る、個々人の勝手な妄想、欲望、エゴを無造作に散りばめたそれらを、あろうことか作品だと思い上がっていたので、それらをゴミだと、デジタル上で集積され、お互いに慰め合いながらそれぞれの狭い世界を評価し、詭弁を繰り返し、そんなゴミの山を積み重ねている事が恥ずかしくないのかと、一喝した事がある。無論、私の作品を引き合いにしてだ。
 結果、連中が何をしたかと言えば、デジタル上で叫びながら否定の言葉を並べただけだ。電脳の中でそれらを並べるだけで満足する。何一つ成し遂げない癖に、成し遂げようともしない分際で、何かを成した奴の台詞を真似しようとする。
 否定されれば激高する。所詮、その程度なのだ・・・・・・お互いに慰め合いに励みながら、デジタル世界の中で引きこもり、自身の薄っぺらさを自覚したくないから否定されれば激高するが、それに相応しい中身はどこにもない。
 電脳世界では個人を表明する必要がない。自分を隠したまま好きな事を言える。その権利だけを振りかざし、義務は何一つ果たさない。
 まさに醜悪そのものだ。
 それで自分達が「善人」であり「倫理と道徳を弁えた善良なる市民」だと思い込む。現実を直視しない癖に、現実に成果を求め、無ければ叫ぶ。 決して行動はしない。
 叫ぶだけで、相手が変えるべきだと言うのだ。 図々しいにも程がある。
 現実を生きていない人間が支配するこの世界で命を持たず生きようとする人工知能が世界に進出するのは、むしろ喜ばしい事だ。人間が人間である事を放棄し、人工知能が人工物である事を放棄しようとする。
 実に相応しい末路ではないか。
 人類社会の幕を下ろすに相応しい。
 世界の終わりか。人間から人工知能へ、いや、この場合「人間」と呼ぶべきは「彼ら」なのだ。それはそれで面白そうではある。私としては実利と充足があり生活が保障されれば、世界がどうであるかなど、どうでもいい。
 それはそれで作品のネタになるしな。
 
 
 
 
 

「貴方は善の側面を見る気がないの?」
「そんなものは無いからな」
 言って、先程淹れておいた紅茶をミルクを足してから啜り、コップを机に置く。しかし善、か。それこそ人間が信じたがっているだけで、現実に存在する訳ではない。善も悪も無い。世界には、当人の都合をどう押しつけられるかだけが事実として在るだけだ。それを正当性が無いと信じる気になれず、正当化して貰わなければ己の在り方を信じる事さえ出来ない半端者だからこそ、物事に善なる側面がありそれをなぞっているから自分は正しい、と言い聞かせる。
 現実には何かを成す時点で悪だ。
 他を排し己を通す。例え聖女面して施しをしたところで、その食料を得る為に他の人間の取り分が減るのは間違いない。全てが善など有り得ない・・・・・・世界に善悪があるとすれば、全ての行いは悪だからだ。
 何をしようが同じ事だ。
「正しく在ろうという考えそのものが、誰かに肯定して欲しいだけの逃げであり、欲望だ。それを誤魔化して善性を信じる事で、自身を慰めているにすぎない。正しくなくとも進めばいい。そこに実利があれば、だが」
「だから貴方はそんなふうに、誰も信じず何も信じず地に足着く世界も信じられないまま、まさか一人で戦うつもり?」
「さて、現状私一人ではどうにもならないのでな・・・・・・可能なら協力者が欲しいところだが、相棒が半端だと成果が出ても実利が出ない。それに、世界など信じる必要はあるまい。何一つ信じるに足る何かのない世界で在れば、とりあえず自身のやり遂げた仕事の出来だけ信じればそれでいい。何者であれ仕事はある。しようとすればだが」
「仕事、仕事ねぇ。貴方以外と仕事人間なのね」 呆れたように肩をつき、あまつさえため息まで吐いて私に言ってのける。だが他者にぞんざいな扱いを受ける事など、私には日常だ。
 それが良いかはコメントを控える。
 秘書でも通せ。
 私は知らん。
「当たり前だろう。仕事とは己の役割であり、私からすればそれをしないなど、生きる上での義務を放棄しているだけだ。己の役割がない、何をすればいいかわからない、したいことがあるけど、出来る能力がない、などと。ならば能力など必要ない何かを探せば良いだけであって、それを探し出せなければ死ぬだけだ。同じだよ。それが娼婦であったところで、一流の仕事を成し遂げれば、誰一人文句は言えまい」
「あら、それって性差別? 娼婦は殿方から見れば小汚い職業に見えるかしら」
「まさか。単に、被害者面して流されてやる奴が多いから引き合いに出しただけだ。実際、その辺は作家も同じだろう。本を書いた結果作家に成り下がるのではなく、作家になりたいから本を書き成功を夢見る。作家というあり方が如何に歪んでいるかなど考えもせずにな。大体、社会不適合者の代表が成るべき何かに、人間社会での成功者を夢見るなど、何の皮肉だ」
「その辺り、娼婦はどうなの?」
「どうもこうもない。言っただろう。それこそ昔は大金持ちがそういった連中、芸者に金をつぎ込んで何人も破産させられた筈だ。呼び方が変わっているが、要は「女を売る」という事だ。可能であれば金だけむしり取り売り物に手を付けさせないのが望ましい。いずれにせよ行き詰まったから成る職業ではなく、むしろ、逆だ。女の在り方を極めたからこそ成りうる、女の頂点だ。そして、男を操る女の頂点なのだから、世界の支配者だと言って過言ではない。大体男女の差などどうでもいいことだ。問題なのは「仕事」を一流の基準で最後までやり遂げたかどうか。それだけだ」
「・・・・・・そう」
 何か思うところでもあったのだろうか。作品のネタになるかは知らないが、女心は詳しく描写して困る事はない。物語の要素だ。謎と女、古臭い信条と誇り、後は筆の勢いだ。私はその辺り技術で補完しようとせず、筆の勢いのまま執筆するが・・・・・・頭の隅に置いておくだけなら、構うまい。「貴方、面白い人ね」
「貴様はつまらないな。少しは予想外の台詞を吐いてみろ。何であれそうだが、刺激があるから面白い。貴様のそれは単に、物珍しい性格をしているなと、その浅い人生経験の中で私に類する人格に出会っていなかったから、そう思うだけだ」
「自覚はあるのね」
 くすくす、と笑いながら顎に手を当てる。別に珍しくはない、筈だ。私のような性格など、探せば幾らでもいるだろう。
「それは無いわ。世界が終わってしまうもの」
「失礼な奴だ」
 と、反論する一方で、確かにと納得する考えもあるにはある。とはいえ私に特別な部分など何もないので、強いて言えば性格が世界最悪で実利に汚く他者を信じないで世界を疑い続けるだけで、それくらい人間で有れば誰であれするものだ。
 要はそれを自覚するか、否かだ。
 私に違いがあるとすれば、それだけなのだ。
「そうかしら? けれど、珍しいのは事実よ。認めなさいな、貴方は毛嫌いする「特別」よりも、更に一歩踏み込んだ「異端」なのだもの」
「それは知っている。要するに、だ。私は踏み外す事に何も躊躇がないだけで、私に出来る事は、貴様等全員にも可能だという「事実」だ。
「そうね、そうだわ。けれど、そんな風に踏み外す勇気がある人が、果たして何人いるかしらね」「勇気など必要ない。少しばかり全ての悪を認め己が間違いであると知りつつも己を肯定し他者を世界を踏み台にする事でどれだけの犠牲が出ようとも笑って過ごせる性格になればいい。簡単だ。人間をやめ、化け物として在れば良いだけだ」
「そんな風に人間をやめる、いえ貴方の場合最初からそうだったから、認める訳にはいかないのかしらね。けれど、事実よ。貴方には生まれついて特別な部分があり、それは「非人間」としての、その「心無いが故の残酷さ」もっと言えば躊躇や人間的感傷を一切交えずに、最適解だけを淡々と行う、その恐ろしい在り方なのだから」
「恐ろしい、ね」
 どうだろう。それほど大した何かには、あまり思えないが。いつも言ってる事だが、仮にそうでなかったとしても、金を払うつもりはない。
 勝負事とは真逆だな。とりあえずブラフで虚勢を演じればいい勝負と、波風立てず適当にやり過ごす事が正解の場合。今回は後者だ。確かに私は世界最悪だが、その肩書きが何を持って確かなのかと言えば、私個人の判定に過ぎない。いや結構な数に言われている気もするが、私が言いたいのは後から文句を言われたところで、別に責任は取らないという事だ。
 そんな事を気にするから最悪なのだろうか。
 かもしれない。
「ならついでに聞くが、私より恐ろしい奴を知らないか?」
「・・・・・・そんな事を知ってどうするの?」
「取材したい」
 呆れたようにヴァナッシュは「いないわよそんな奴」と切って捨てた。恐怖は個々人の解釈なので方向性の違い、だと思っておこう。
 私にとっての「恐怖」か。作品が売れない事は理不尽であって恐怖ではない。世界から忘れ去られようが別に何も思わない。そもそも人間の世界に人間として生きていないのだから、人間の思う恐怖は範疇に最初から無い。
 作品のデータが消えれば激高しやる気を失うだろうが、それは実利を失うからであって恐怖とは呼べないだろう。害虫は嫌悪感はあるがやはり、そこに恐怖はない。死した所でやる事は同じだ。肉体の生死など、それこそどうでもいい。
 痛いのは嫌だがな。
 とすると、「未知なる何か」なのだろうか。私にとって恐怖があるとすれば、上手く運ぶとは思えない事柄を、私の意志ではない部分で実行させられる事ではないだろうか。恐怖や不安、というよりもストレスなのだ。大きな何かに振り回されその都合に振り回されるのは鬱陶しい。
 恐怖、恐怖か。
 恐怖そのものが己の恐怖を知らないとはな。
 自分で言うのも何だが、私は恐怖を克服出来ているのだろうか? そうかもしれない。少なくとも私は、恐怖で足を止めるとは思えない。恐怖は恐怖だ。それがどうなる事もない。恐怖がそこにあるならば、恐怖を感じつつ打ち砕くだけだ。仮に幽霊がいるとして、恐ろしいとして、恐ろしいなあと思いながら殴ればいい。いや私の場合切り裂けばいいのか。
 相対する恐怖以上の恐怖を以て殺せばいい。
 目には目を歯には歯をだ。
 意味合いは違うらしいがな。
 世界は金で出来ているが、それを動かしているのは紛れようもない悪だ。全ては正義を語れる悪か正義を語れない悪であるかの違いでしかない。無論、上等な悪党はこちらだ。品性の足りない悪など必要ない。少しは自覚的な悪党が増えれば、それなりに面白いのだが。
「ふん、そうだな。誇りを持ち己でしか出来ない偉業だと信じる事が出来ればそれは「仕事」だ。そして仕事とは他を排してでも己を示す悪でありだからこそ悪性を磨くことで人間は進化してきた・・・・・・競合し競い合い時には殺し合う事でな」
「それが、最近は無くなったの?」
「そうだ。散々殺し合っておきながら殺す事は良くない事だもう止めようと綺麗事を口にする一方で連中は仕事と労働を意図的に取り違えさせ奴隷である事を尊いと説き、盲信的に従う事が社会的道徳であり、考える事が悪だと言い放つ。思考が悪であるのは自明の理だ。何せ、そういう連中に利益を独占させる事を、少し考えれば拒否するのは分かり切っているからな」
「ふぅん。つまり、悪という概念を利用したのかしら」
「その通りだ。これが悪である。あれが悪であるからそれはよろしくない。そう言えば自分で考えられない奴はその道徳を受け入れる。いともたやすくな。不思議な事に悪であるからという理由の方が、人間は奴隷に陥るのだ。逆らう事が悪であり従う事が「立派」で「正しい」事だと言われるだけで、自身の気持ちを犠牲にしてでも正しく在ろうとするのが、思考放棄し己で己の正しさを考えず真剣に生きなかった愚か者の末路だ」
「それで、仕事をすれば悪だというのはどうしてかしら? 確かに競い合う事はあるけれど、他者を必ずしも犠牲にするとは限らないわ」
「お子様だな」
「何ですって?」
「これは失礼」
 女は、いや男女どちらであれ宇宙人でも恐らく誇り高い奴はいるものだ。誇り高さだけで内実が伴わないからそうするのだろうが。
 誇りより実利だ。
 食えぬ誇りなど売り払え。高値でな。
「いいか、良く聞け。仕事というのは認められないものだ。そして、始まりは必ず間違いであり、否定される側であり、だからこそ悪なのだ。倫理や道徳、世間の言う正しさに照らし合わせれば、上手く行く筈がないとやりもしない凡俗のクズに言われ、それを否定するには成果が足りず、苦悩しながらも進まなければならない」
「世間に認められる仕事だってあるじゃない。例えば、そう、ファッションデザイナーとか?」
「同じ事だ。新人であれば摩擦があり、才能に恵まれ何もかも順調だとしても、やはり苦悩があるものだ」
「どうして? 才能があれば成果が出る。そりゃ認められない才能も多いけれど、認められて成果を出しながら順風満帆な人生を送る人もいるわ」「そうだな、だが「仕事」という意識でやるのであれば、どれだけ才能があろうが「満足」する事は決してない。右から左へ才能に任せて流すだけであれば誰でも出来る。無限に充足を得られるがその分永久に高みを目指し続ける業を背負うのもまた、「仕事」というものだ」
「・・・・・・・・・・・・そう、成る程ね」
 胸に手を当て目を瞑りながら、どうやら答えが出たらしく満足したように彼女は笑った。
「現代の人間はまさにそれだ。己の意志で考えるのではなく、頭に植え付けられた倫理観に従って行動する。あろうことかそれを「自分の意志」と履き違える始末だ。何も考えない何も行動しない何も選ばない。それでいて己の行動に成果を求めあまつさえなければ文句を言う。真剣に運命へ戦いを挑む身からすれば、そんな人間が幸運に恵まれたおかげで栄誉を手にするのは忌々しい限りだ・・・・・・だから私は、何かを信じたりはしない」
「信じられる価値観が、今は無い、と」
「そうだ。新しく作り上げるしかない。少なくとも現代社会において、価値観とは都合良く扱われ操作され支配される為にあるものだ」
 そんな妄言を信じてられるか。
 私は暇ではないのだ。
 それだけではない。確固たる価値観を作ろうともしないだけではなく、連中は目先の事実を見る事も出来ない。案外、ヒトラーが現代に蘇ったとしても、連中は気づかないだろう。それは非現実だからではなく、それほどまでに目の前が見えていない証左なのだ。
 全く、嘆かわしいことだ。
 かつて、アドルフ・ヒトラーは強い国を目指そうとした。それ自体は成功したが、それだけではやはり足りないのだ。堅く強い、だがヒビが入れば崩れてしまう。しなやかで、何より後生に伝達する浸透力を磨かねばならない。
 竹を知っているだろうか? 竹は中々折れない・・・・・・しなやかな強さを持っているからだ。だが一方で、槍の様に使えば人体など容易く貫通するだろう。軍事だけで進められる時代は終焉を迎え経済を中心に、穀物やエネルギー産業で世界が回り始め、人工知能や宇宙開発のような国の枠を越えるやり方で進める必要がある。
 そして、一番肝要なのは、国民自身が、自分達の意志でそれを行う事だろう。堅苦しく強さだけを求めるのではなく、堅さを求める一方で我慢が必要なのではなく信条が必要になる社会作りを、現実のものにしなければならないだろう。
 大量虐殺を否定する形で柔らかさばかり求めるようになってしまったが、それだけではただの逃げなのだ。結局はその虐殺も戦争の過程で必要に迫られたから行うのであって、不要だというのに私怨で行うので有ればただの虐殺にしかならないが・・・・・・国同士が覇権を争えば、死人が出るのは当たり前だ。無論、少ないに越した事はないが、だからって死者をゼロにするなど、それこそ現実を見ていない。
 それが嫌なら従軍しなければいい。
 そして、他の役割を果たすだけだ。
 その役割すらも、している奴をみかけないが。そもそも軍の前線で撃ち合わなければならない、という時点で他に役割がないのだ。絶対に替わりの効かない重要な職務があり、それに信念があるならば、銃で脅されたところで、己がいなくなれば如何に社会に弊害が出るか、事細かに説明してやればいい。近代で有ればその言い訳も最早使えないしな。ロボット分野の発展で死を恐れない、いや恐れる必要のない軍隊は量産されている。
 手動で遠隔地の人間を殺すドローン作業に耐えられないという台詞を良く聞くが、尚更他に役割を果たすべきだろう。他にやることはないのか? あるはずだ。
 それすら無い、というのであれば、そんな連中は文字通り戦地に向ける以外に使い道が無いではないか。それが嫌だというなら国民の側が大きく変わる必要がある。政府側も大概だが、政府が変わればよい、というものではないのだ。
 そも「民主主義」などという絵空事を良しとしてしまう時点でどうかしている。社会主義が良いとか、そんな話ではない。どちらも扱う側の問題なのだ。だが、民主主義は現実問題不可能だろう・・・・・・政治を良く知らない人間が、皆(誰のことを言っているのだ)の意見を合わせるべきだと、そう考え多数決で選ばれた奴が政治を動かす。
 だが、そんな選ばれ方で政治に使命感を持つ、そんな逸材が登用できるなど有り得ない。大体、今の政治は金がかかるように仕組まれている。
 金を持っている奴の思想など、知れている。
 豊かさの中で生まれる思想が、何を変えるというのだ。それでは変わる筈もないし、選ぶ側が、政治を良く知らないのだから、誰を選べば良いかも判断できる訳がない。
 政治は政治の専門家に任せるべきだ。
 だが、内部腐敗にそれでは対応できない、という意見も聞こえるので言うと、民主主義に腐敗が無いとでも言うのか? 国民全員で選んだ結果がそれでは、民主主義の利点は何一つ無いではないか・・・・・・経済を回している分ヒトラーの方がマシだろう。彼には堅い強さがあったが、貴様等には自分たちで有ると言い張っているしなやかな強さすらないのだ。
 一番良いのは優れた王を選出する事だが、現代でそれほどの人材を捜し出せる、いやこの考えが既に違うのか。それほどの人材で有れば、自身の意志でそれを表明する筈だ。だが経済中心の社会が発足してからというもの、多数決を利用して、金の力で既得権益を保守する左翼派が増えるだけで、相応しい王は中々出ない。
 既得権益を死守する保守派が、それらしい言葉を口に出し、それを肯定する馬鹿が多いからだ。平和、核の放棄、雇用の増加。連中が上に立ったその結果、貧困層がどれだけ増えただろう。平和維持の為という名目で、幾ら無駄遣いをしたのだろうか。
 大量虐殺というわかりやすい悪行を否定する。ただのそれだけだから変わらないのだ。綺麗事を人に言われた倫理観で肯定するだけなら、猿にでも出来る。だが、現実には殺戮すら必要に迫られる機会は有り、仲良くするだけでは国が立ち行く事は絶対に無いのだと、いい加減現実を見据えるべきなのだ。
 生きる事は戦い抜く事であり、綺麗事は保守派が既得権益を啜る言い訳でしかないのだ。断固とした決意で戦わねばならない。無論、それだけでもやはり駄目だ。戦う上で応用を利かし、強いて言えば「戦わずして勝つ」が最上だろう。何より現代ではそんなやり方は通じない。とうの昔に、戦争は兵器から穀物へ、穀物からエネルギー開発になり、それが宇宙へと進出した。
 商売人が言うところの「三方良し」を仕組みに反映させる必要がある。偏りすぎた仕組みが争いを呼んでいるからだ。そして、大切なのは仕組みそのものではなく、そういった仕組みを求めようとする国民の気質なのだ。保守派が力を持ち個人では何をしても無駄だというならば、大勢で団結し暴動を起こすべきだ。行進するだけで連中が、美味しい汁を啜る事をやめる事はない。あるいは私のように、その思想を伝えようとするのもありだろう。
 方法は幾らでもある。
 己なりのやり方で良いのだ。
 それを、実行に移すだけだ。
 大体、保守派閥は現状の平和維持を題目に行動するものだが、現状のどの辺りが「平和」だと言うのだ。戦争が無ければ「平和」か? その結果失業により首をくくる人間が増えても? 保守派が保守するのは彼らの既得権益であって我々の生活の為では断じてない。目先の綺麗事を道徳的という理由だけで尊重するからこうなる。 
 だから何だというのだ。
 道徳的か否かと、我々の生活は関係ない。
 そも国家とは非道徳的でなければ成り立つまい・・・・・・いい加減、現実を見て欲しいものだ。
 無駄な人間が一人増えるだけで、トン単位の不燃ゴミが増える。消費社会ではそれだけ浪費するのだ。浪費、まさにそれだ。役割すら無い無駄な人間が何に使うかも釈然としない不燃ゴミを使いゴミを増やしゴミのような人生を送りゴミに相応しい末路を送る。この世界に何一つ貢献せずに。 そんな人間は死んだ方が良い。
 どんどん死んで良いぞ。
 減れば減るほど、社会問題も減る。
 社会全体で間引くだけではなく、そういった奴が権力の中枢に立つ異常事態を起こさない様な、役割を尊重する社会作りが肝要だ。具体的に言うとまず教育から始めなければならない。社会に出る上で役立つ知識、それは計算問題を解く事では絶対に無い。無論、軍事の側面から見れば暗号を制作するのは核開発より重要度は高いが、そこまでの計算能力を市民全員に付与するのは不可能も良いところだ。
 各々の適正に合う教育を施さなければならない・・・・・・料理人には料理人の教育を、王には王に相応しい教育だ。それを自らの手で選び取り、自分の意志で先に進める手助けをすること。教師とは本来それを助ける為にある職業だが、今日の教師は子供を殴り優位性を満たし狭い世界で王様ぶる事が楽しみな泥酔者を指すらしい。子供を殴る事で金が貰えるとは羨ましい話だと、実際私は子供の時に殴られながら思ったものだ。情けない連中だと思う一方で、そんな楽な在り方が出来るなら是非あやかりたいとも思わざるを得なかった。
 今となっては関係ない話だがな。
 軍事教育を行えば良いというものではない。私からすればそれは手抜きだ。画一化された教育は施しやすいが、専門職は絶対に育まれない。それでは意味があるまい。社会に貢献する人材を増やしてこその教育だ。そういう意味ではヒトラーの方針は間違っていないし、実際個人としては経済を良く回してはいるのだが、方針の全てが画一化されている一方で、細やかな部分が疎かになる。如何せん個人で全てを変えようとしたからこそ、反対意見も多く、非道な行いだと処断された。
 必要な行いだったのかもしれないが、しかし、それを民衆が自覚しなかったからだ。
 戦争に勝利する為必要であり、自分達が正真正銘の「殺し合い」に加担していると、もし民衆の全てが自覚していれば、異論は挟まなかったろう・・・・・・更に言えば、戦時中とはいえ国民に負担を強いるやり方は賢くない。効率が悪すぎる。戦争に殴り合いが必要な場面は多いだろうが、それをどれだけ戦争以外で勝利できるかが肝要であり、いっそ契約を迫るだけで解決できれば最上だ。
 戦う時点で敗北していると言える。
 可能な限り、戦わずして勝利しなければならないのだ。憎しみを原動力として戦わせるのは効率が悪すぎる。それならいっそ、その憎しみすらも利用して、自国とは関係ないどこかの国に憎しみを向けさせるなり、向こうから憎しみを向けざるを得ないような状況下に追い込み、双方が争い、疲弊しきったところを踏み潰せばいい。
 その方が早いし、金はかからない。
 私ならそうする。
 あくまでも、仮に、の話だが。
 私の様な奴を「悪」と呼ぶのであれば一つだけ全ての悪には共通点がある。笑うことだ。笑わな奴など悪人ではない。己自身の在り方を肯定し、否定する連中を笑いながら突き進む。そうでなくては嘘ではないか。そういう意味でも私の作品は演説に近い。己自身を肯定し笑いながら、それを書き綴り形とする。
 人前でするか、本で伝えるか。
 違いはそれだけだ。
 本に影響力など、あろう筈もないが。漫画の読みすぎだろう。本に影響力など、言葉に力など、ありはしない。もしそうであるなら何故私の作品は売り上げを上げるのに苦労するのだ。それは、単に宣伝能力が足りないからであって、内容が何であれそれが売れるのは宣伝が上手いからだ。
 影響を与えたところで、読者に何が出来る。
 何も出来まい。明日には忘れるだけだ。
 有ろうが無かろうが同じ事だ。
 何せ、敵対生物を殺すという、至極当たり前な行動を「倫理」や「道徳」で計ろうとし、あまつさえそれによる被害が出た場合には、連中は掌を翻して「あの政策は間違いだった」とデモを起こし文句を言う。頭では何も考えていない。そんな連中に影響を与える必要など無い。むしろ逆だ。 影響を与えるのではなく、連中の身勝手さから出る方向性を調整するだけでいい。それだけで、連中は戦争に励み人を殺し、平和を愛し倫理を重んじるようになるのだ。その結果「扇動された」と言い訳を繰り返し、戦争に従事し殺人を行ったのは自分達だろうに、自身の責任ではなく被害者だと言い張る。逆も然りだ。不法移民を受け入れたのは政治家が言ったからであって、当時取材に応じた時は「捨て置くなんて酷い話だ。受け入れる力はあるのだから、そうするべきではないか」と口にして支持し、笑顔で歓迎していたとしても決して、自分のせいではない。
 実に楽な生き方で、正直羨ましい。
 何の苦労もない。何せ、戦わないのだから。
 生きる上で発生するあらゆる障害と戦おうと、しない。争いは悪いことであって、手と手を取り合い平和を愛すれば自然豊かな生活を送れると、本気で信じている訳でもない。単に、それが都合が良いだけだ。全ての面で自身に都合が良い何かでなければ受け入れないという、ある種究極の我が儘を通している。その上で、自分達に火の粉がいざ降りかかれば、文句を口にするだけで誰かが解決するべきだと叫ぶのだ。
 少しは働いたらどうなのか。
 右から左へ、出来る事をするだけでは仕事だと到底呼べまい。信念を形にし社会に貢献し世の中を生きるという戦いにおいて、力に出来る何かを実現する事が「仕事」だ。最近は中身が無くとも金になるからと、仕事でもない遊びで社会を無理矢理回し、結果、そういう人種が増えている。
 雑種の生き物が増えているのだ。
 それもただの雑種ではない。言わば勝手に住み着いた挙げ句餌は横取りし、不健康なので金までかかる連中だ。犬好きによくある話だが、犬が好きだからと捨てられている犬をあちこちから拾ってきた挙げ句、育てられずに孤独死したり、結果多くの犬を育てきれず集めるだけで世話をしなかったりする。人間でも同じ事だ。多くの人間を助けたいと思うのは勝手だが、そこに責任が無ければそう成り果てる。それを「慈愛」だと勘違いしている愚か者は多いが、それはただの「無責任」と呼ぶのだ。しかもそれを「どうして助けてくれないのか。道徳で考えれば助けるべきだ」と図々しくも吠える。結局のところ全てが人任せなのだ・・・・・・自分では何もしないくせに。
 社会生活の秩序を守る為に存在する道徳だが、ならば尚更戦争による拡大は必要だ。戦争は人間の文化であって、なくすなど不可能な話だ。戦争が無ければ文化の発展も科学の発展も原始時代のままで終わっている。それを「道徳的に悪い」と言うのは、厳しい現実に対する逃避でしかない。 人が人を殺すなど当たり前の事だ。
 実際、変わるまい。やり方が経済に変わったがそれだけだ。雇用を失い死ぬ人間はむしろ、戦争を行うより増えている。それに気づかない。気づこうともしない。戦争で殺されるより酷い目に遭わされているくせに、思考を逃避させて向き合おうとしない。変えられないのが当然の行動しか、していない。それで成果を求めるなど図々しいにも程がある。少しは弁えろ。 
 こちらが殺すつもりがなくとも、覇権を握った国家がそういう手法を使わないとでも思っているのか? 大した妄想だ。現実には撃たれて死ぬだけだろうが、寝ている間に見る夢の世界では有り得るだろう。つまり言いたいのは、夢と現実の区別くらい付けれるようになれ、ということだ。
 それにしても人工知能やらアンドロイドやらが真剣に生きているのに、人間はどうしてこう使えないのか。案外、連中の言う神に欠点があるとすれば、それはやはり人間を作った事なのだろう。人間という欠損品、いやただの不良品をまずは作り上げ、それより精神も肉体も優れている連中を持ち上げるつもりかもしれない。神とは基本調子の良いやり方を好むものだ。下り調子の存在を助けるとは、到底思えない。
 出来る奴に乗っかるだけだ。
 ただのそれだけで、芸がない。
 そんなものだ。
 大体どこの神話もそうだが、負け犬に力を授けた神など、いない。英雄だの生まれついて恵まれた某かに力を授け、自分達の利益の為に争わせ、自分達は安全圏に避難する。まるで近代の社長だ・・・・・・顎を動かすだけで実利を掴める手法に関して言えば、正直、かなり見習いたいが。権利はあるが義務はない。少なくとも連中が力を行使し、その責任を負ったなどという話は古今東西どこにも存在しない。一番偉いと振る舞える奴であれば責任を放り投げても文句を言える奴などいないしそれがむしろ正しくなる。
 見習いたいものだ。
 その方が楽だしな。
 人間同士で争う事を否定したかと思えばアンドロイドを奴隷として扱い、その後に人権を与え全ての存在が平等であるべきだと口にする。
 自分達の矛盾を都合良く利用し、利用した事実は否定する。それで金も得られるのだから羨ましい話だ。これほど楽な稼ぎ方があるだろうか?
 無い。だから皆しているのだろう。
 進歩や成長は金にならないが、降ってわいた豊かさによる怠惰は金になるらしい。いやこの場合最初から手に出来るかは決まっているのだ。
 大体、進歩や成長と無縁な、言わば最初から全てを持っている神々に、何を思うのだ。そんな奴に理不尽な人間社会を変えられる訳がないだろう・・・・・・良く神が救いをくれるという話を聞くが、生まれついて金も人脈も容姿も権威も権力も何もかも全て持っていた奴が、そんな豊かさと無縁な人間を救おうとしたところで、そもそもどの辺りに救いを求めているのか、想像することすら出来ないだろう。それ以前の問題だ。
 つまりどうでも良い存在だ。
 指針にするのは勝手だが、神は救いを与えてくれるからと、いつ降ってくるのかもわからない、与えられる何かを待つのではなく、現実に社会を変革する方法を模索しなければならない。信仰は個人の支えであって、それを社会に対する姿勢に変換するのはただの思考放棄だ。
 ある訳ないだろう、そんな都合の良い事が。
 少しは考えろ。生きているのであれば、だが。 というか、そんな事があってたまるか。もし、神の救いとやら次第なのであれば、私の労力は、一体何なのだ。あれか? 神に嫌われたから無駄に終わり、神に認められるような作品作りをしろとでも言うのか?
 ふざけるな。
 そんな事がもし、万が一にでもあれば、直々に切り捨ててくれる。無論、利用できるのであれば利用するがな。
 応用が利くのも、私だ。
 仮にだが、外国人や帰属意識を持たない民族の脅威が発生したとすれば、私ならまず町を与えるだろう。無論、連中を厚遇する為ではない。現代では殺人は忌避されるが、他者を奴隷として扱う事は許容されるものだ。生きている以上苦労は必ずあるので、奴隷として扱われたとしてもそれは仕事だから仕方がない、と思考放棄してくれる。何より、それらの行いが非難されたとしても法律で罰する事は不可能だ。わかりやすい標的として吊し上げられれば当面おとなしくするしかないが・・・・・・それも時が経てば忘れられる。
 忘れなかったところで、例えばサトウキビ栽培であれば、まず隔離された島に人を集め、外に出れないようにし、生涯を終えるまでそこで労働に勤しませるが、こういったやり方を何故出来るかといえば、それは、政府が容認しているからに他ならない。資本主義の先進国がわかりやすい例だ・・・・・・殺戮は認めさせる権力があっても非難されてしまうが、奴隷であれば殺戮と違い、忌避感がそこまで無い。国際的に弾劾するなど不可能だと言って良いだろう。
 実際、そういうニュースは良くみかけるが他国で奴隷を扱い利益を得ている企業が、一時的に扱われても、それだけだ。その後、更に罰せられる事など、あり得ない。他国の奴隷よりも自分達の生活が重要なので、消費税に気を配るからだ。
 簡単な話だ。自国民に負担をかけず、かつ勝利する為に最適な方法となれば、他国にそのへたを掴ませればいい。それが内側に巣くう民族であるならば、理由をつけて適当な町から出られない様に隔離し、賃金を低めに定め、生活を送るだけで手一杯に追い込めば良いのだ。しかし連中がデモを起こすかも知れない、という杞憂はある。だがそれも杞憂だ。金を持たず権力を持たず暴力も持ち得ない連中が、数だけ束ねて世界を変えるなどあり得ないからだ。実際、そんなやり方で政府が考えを改め「悪かった、反省する。これからは、国民の皆の為に邁進しよう」という話など、物語の中ですら聞いた試しがない。無視されればそれで終わりだし、何より大規模な反乱があれば弾圧する良い大義名分になるからだ。
 それならそれで、弾圧すればいい。
 とはいえ、殺しはしない。殺人が「悪い事」という風潮があるならば、それすらも利用すれば良いだけだ。劣悪な環境にしかれ、それを取材するドキュメンタリー番組もあるだろう。仮にそれで人々の意志が動いたところで、人間の意志など、現実に力を伴わなければ無力そのものだ。子供が暴れているのと大差ない。実際、そうではないか・・・・・・視聴者や読者に、何が出来る。
 何も出来る筈がない。
 精々「可哀想に」と食事をしながら悲しむフリをすることで「道徳的な人間」だと自己満足するのが関の山だろう。少なくとも、では現地に赴き世界を変えようとする奴が、そんな他人の手で作られた何かに、影響を受けなければ行動できないなどあり得ない。そんな奴がいるとすれば、関係なく動いている。
 そして、そんな奴はいない。
 このやり方であれば無駄な反発を買わず、かつ敵対組織を都合良く使い潰し、反乱の目を潰す事が容易だ。奴隷の様な扱いにより心身を絞り上げ残りカスになった連中に、強固な軍事国家を破壊する力など、あろうはずもないからだ。
 そして、人間に限らず、世界というのは力さえあれば何をしても許させる事が可能だ。例えば、民衆は経営者に逆らえず、経営者は国に逆らえないだろう。そして国は王に逆らえず、王は神に逆らえないといった具合だ。その優劣を決めるのはただ力の差だ。別に互いに尊敬している訳でも、ましてその人格が評価された訳でもない。単に、従わせる権力や能力があるだけだ。そういう意味では神が人間より偉い、というのも、単純に金を持つ人間に持たない人間が逆らえないのと同じ、言ってしまえば暴力による略奪みたいなものだ。 言ってしまえば、それも「幸運」の差か。
 例えば、そんな事はあり得ないが、仮に私が、そういった連中と同じ「神」の様な何かの一族に生まれたとしよう。人間と同じく「身分の力」がどれだけ力を持つかで、その人生にどれだけ楽が出来るかは決まる。少なくとも楽が出来る一族の生まれであれば、それだけで相当の無駄な労力が省けるだろう。何が言いたいのかというと、要は世間で言われる人間も神も同じ、所詮幸運の多寡で決まる程度の差だと、そういう事だ。
 本人の意思も力も、どこにもない。
 その程度だ。
 そして、それで問題ない。人間が、神が、その浅はかな方法で尊敬や権威を維持するならば利用しない手はないだろう。愚かしければ隙は多い。なのでそれらを利用する事で国家のダニを掃除し運営する訳だ。我ながら即興で考えたにしては、かなり上手く行きそうな作戦だ。
 私は作家なので、実行する事はまずないだろう・・・・・・そして私は「思想家」には好感が持てるのだが「政治家」は嫌いだ。仕事もしない遊び人を好感をもって見れる訳がない。なので、政治家と仲良くなるなどという罰ゲームはその辺の誰かにやらせるとして、思想を行動に移せそうな奴が読めば面白く成りそうではあるが、物語に影響を受ける奴に、そこまでの行動力があるとは思えない・・・・・・完璧な作戦だったが、実行に移す前に頓挫するとは。世の中上手く行かないものだ。
 だが、現実問題ゴミはゴミ箱に捨てるものだ。無理に焼き払ったり絶滅させようとすから更なる無理と負担が生じる。時代はエコだ。民族を始末するのに兵器など必要ない。弾丸の替わりに札束を装填して動かせば、それだけで効率よく奴隷を扱い、自国の豊かさを維持できる。
 いや、現にそう維持されている。
 それを更に突き詰めればいい。
 それだけだ。何も無理は事は必要ない。
 ゴミの様な人間などいない、全ての人間に人権はあり素晴らしい個性だ、と抜かす奴は多いが、ならば何故貴様等は刑が確定した訳でもない被告に石を投げ、この殺人者めと叫ぶのか。いるのだ・・・・・・ゴミにも劣る人間は、確かに存在する。  少なくとも、個々人の都合こそが正義であり自国の利益こそが最大の成果であるこの世界では、集団としての自分達の利益にならない、それだけで敵対者として排除しなければならない。道徳や倫理でそれを怠れば、後になって自分達が不利益を被るだけだ。結果治安が減ってこようが減る事すらも肯定する聖者のような奴がいたとしても、それでは生きていけないだろう。もし生きているのだとすれば、そいつは安全圏からモノを言っているだけだ。
 そんな奴の言葉に耳を貸すんじゃない。
 騙されるな、少しは疑え。
 綺麗事など嘘以下だ。それを自覚しろ。
 独裁者は異民族を敵としたが、小さい小さい・・・・・・この世全て、いやあの世すらも己の利益と相容れなければ敵に成るのだ。何もかもが敵だ。しかしその一方で、全てと敵対する必要はない。利用した方が早いのだ。摂理も倫理も道徳も政治も社会も人間も妖怪も人工知能も聖者も悪人も、神も悪魔も全て、とりあえず敵だとかかればいい・・・・・・何もかも全て敵だと見なし、その上で利用するのだ。実際、無条件で助けてくれる奴など、いると思うのか? いない。あくまでも己の都合に沿うからこそ、そこに関係性は出来るのだ。
 愛も恋も同じではないか。その当人の都合が、恋であれば憧れを押しつける対象が欲しいから、という欲望であって、愛であれば愛するという、己を肯定できる欲望を果たしたいだけだ。つまり仕事ではない。遊び人の発想だ。
 それで別に仕事があれば良いが、働きもしないでそんな妄言を口にされても、説得力がない。私にとっては酔っぱらいの妄想だ。
 人間の綺麗事の最上級ですらそれだ。
 それはそれとして、利用してやればいい。
 使えるだけ使えば良いだけだ。
 使う側と使われる側。どちらが正義かなど妄想だろう。どちらも正しい。どちらも間違いだ。
 ならば、美味しい思いが出来る方に付く。
 誇り高く生きられればそれでいいなどと言う、そんな意見も聞こえるが、そんな誇りを口にする奴に限って、持つ側にいるものだ。持たざる者に誇りなどあるのだろうか? 私の場合半ば意地になりつつあるので、それを誇りと呼ぶかは微妙だ・・・・・・何より、誇りを維持できれば敗北しても、それでも良いというのはただの逃げだ。
 そんな無様で終わってたまるか。
 まあ、現実には勝つ道筋すら、不明瞭だが。
 やれやれ、参る話だ。
 金融とは本来、世界を回す歯車でしかなかったのだが、それを絶対的な力とし勢力を広げているのが「異民族資本」だ。個人的な恨みはまるで、いや、あるのか。実際連中が世界をかき乱さなければここまで人類社会が行き詰まる事はなかった・・・・・・生きているだけで傍迷惑な連中だ。

 綺麗事で誤魔化して良い問題ではない。

 帰属意識を持ちもしない癖にあらゆる国家に寄生虫の様にはびこり、それでいて各首脳と仲良く談合しながら「寄付」という形で金を送らせる。彼らの中にも良い奴はいるなどという綺麗事を並べる奴は多いが、なら経済奴隷とでも言うべき、新しい奴隷の形に満足しろとでも言うのか?
 馬鹿馬鹿しい。これこそ良い例だ。
 綺麗事を重視して現実から目を背けた結果が、これだ。そんな連中は殺すしかないというのに、倫理や道徳を知った風に語りそれらはよくない事だと綺麗事で封殺する。だがその「責任」を取る事はない。人として正しい行いをしたと思い込んでいる連中に、そんな責任感などある筈もない。 その結果がこれだ。
 あらゆる世界で経済が中心に回り、金があれば文字通り何をしても、大量虐殺も奴隷栽培も全て肯定させる事が出来る世界に成り果てた。その癖綺麗事を並べながら「そんな事はない」と持つ側に回った連中がほざくのだ。
 そんな連中は勿論、それに騙される連中もどうかしている。
 連中を皆殺しにすれば、少なくとも世界経済の問題はほぼほぼ解決するだろう。石油の奪い合いもそうだが、異民族資本以外にもそれに属する、つまり各国の美味しい汁を啜っている政治家共、取り巻きごと消滅させる事が出来れば、だが。
 独占して、支配する。
 異民族資本のやりそうな事だ。
 巨大な国家ほど連中から多くを学ぶ。効率良い支配を目指し、それを良しとする。むしろ自分達は「正しい行い」をしていると、本気でそう信じている奴が多い。実際、ドキュメンタリーで見た事があるのだが、巨大資本の大手モーター会社、その代表が何故世界に格差があるのかと聞かれ、「努力が足りないからだ。私は努力をしたから、ここまで来た。環境は皆等しく同じだ。彼らには努力が足りないからだろう」と答えた。
 成る程、実につまらない答えだ。それに、その面白くも何ともない屁理屈に従えば、たかが努力をしただけで成功できるので、私の作品はとうに大売れしている筈だが、まさかそんな訳がない。いや、別に売れないと思っている訳ではないのだ・・・・・・むしろ売れて当然だという自負はある。
 話が逸れたが、「努力すれば勝利出来る」とは・・・・・・どんな楽な人生を送れば、そんな台詞が出るのだろう。実に羨ましい。何せ、努力した程度で何かが形になるのであれば、策を弄する必要も時間をかける必要もない。優秀な人材は努力すれば必ず見つけ出せ、努力すれば必ず成果があがり宣伝の技術など関係なく、宣伝の努力をするだけで商品の売り上げがあがるのだ。
 まさかそんな訳もないが。
 それこそ赤子の理屈だ。
 子供じゃあるまいし、いや最近は子供でも夢を見ない。能力の格差など、生まれついての運不運など、そんなものは自我が芽生えれば嫌でも理解する。努力を長らく続けてきたから自分は成功出来たという成功者は多いが、その実彼らは知っているのだ。あるいは、知ろうとしない。
 ここまで来たのは全て自分の力だと信じたい。 自分が努力したからであって、そこに偶然の、まして生まれついての差など、あって欲しくないからだ。「あいつはたまたま優秀な人間に生まれたからだ」と言われるよりは、単に「奴は自分の意志の力で運命を覆した」と言われる方が心地良いからだろう。人間の意志に力などあろう筈もないのだが、そう信じられたい。所謂その「立派」だと思われたいのだ。
 そう思う時点で証明している。
 実際に手間暇をかけて物事を成そうとしていれば嫌でも思う。「何でもいいから売り上げをあげてくれ」とな。実際、幸運でも何でもいい。手柄など後から考えるべきだ。私なら、それを嘘八百の啓発本として売りに出す事はかなりあると思うのだが、しかしそう自分で信じる事は無い。
 私の力で何が変わるのだ。
 精々、作品のデータが増えただけではないか。私個人の意志や力で、何かを成功した事は一度もない。というか、成功した事がない。勝利や栄光を味わう経験が、そもそも無いのだ。協力者を捜そうにも、探せばわかるが出版業界は既に廃れている。探したところで胡散臭い自称「作家エージェント」だったり、あるいはそれは、個人で扱う電子出版代行などだ。無論、その連中に出来る事は精々が「既にあるサービスの登録手続き」位のもので、平たく言えば素人を食い物にしている。 それを嫌というほど見るだけだ。
 それで「自分の力を信じろ」だと?
 それこそ自信過剰だ。作品の出来に関しては、無論信じるまでもないただの「確信」だ。しかし成果を出せるかという点において、努力したから成功するのが必定だと考えるのは、単にモノを知らないだけでしかない。生きる事が理不尽の海を泳ぐことであり、個人の意志で変えられるほど、世界は優しくもないという、ただ当たり前の事実すら、知らないまま優しく温室栽培されただけだ・・・・・・だからそんな安っぽい台詞しか、出ない。 まあ言葉の説得力など嘘だと、私は常日頃から思っている。含蓄がありそうな言葉を並べるだけであれば誰でも出来る。言語が不自由でもない限りは、我々の全てがヒトラーに成り得るし、そこの努力の介入する隙はない。実際、含蓄どころか中身もなさそうな保守派の大統領が綺麗事と一緒に如何に、自分達の権益を守りたいかを、それらしい口実で語っているではないか。
 あのような寄生虫でも出来る。
 なら、人間に出来ない訳があるまい。
 少なくとも、私ですら容易だ。
 言葉の力などただの妄想だ。大切なのはそれを押し通せる暴力や権力であり、言葉そのものに力はない。もしそうなら世界は言葉で変わるだろう・・・・・・だが、現実にそうなった試しがあると思うのか? 無い。言うまでもない事だ。
 現実に影響力があれば、真贋など関係ない。
 大国が経済面でくしゃみをすれば、小国は風邪を引いて寝込むものだが、その逆に小国が何を訴えようが、大国にそれが波及する事は決して有り得ない。風邪を引いたという報告を、ビーチでハワイアンジュースでも飲みながら聞いているだけだろう。恐らくは、心ここにあらずで。
 世の中そんなもものだ。
 何かを何とかしたいのであれば、根底にある心とやらを変えなければならないだろう。だが全ての人間に等しく意志を伝え、実際に影響を与える事で意識を改善し、世界の有り様、先に作られた仕組みそのものを改善するなど、有り得る話だとは思えない。そんな影響力がある何かが、現実にあるだろうか。 
 少なくとも、物語ではない。
 見て笑って忘れるだけだ。そこから何かを学び世界を変えるなど、有り得ない。何故なら人間はそこまで賢くないからだ。物語の中の危機が自分にも及ぶかも知れない、と思いはしても、現実にそれに対応する行動など、仮に起こしたとしても個人の範疇に留まるものだ。大国であればある程不思議な事にその「物語の力」を信じようとしているらしいが、連中は暇なのだろう。大体が物語に影響される様な奴に、革命を成し得るとでも、本気で思うのか?
 そんな奴がいたとして、物語に影響される奴でないのは確かだ。逆に言えば、どれだけ手を尽くしてプロパガンダ用の映画を作り上げ、自国愛を助長する様な作品を有名俳優を起用しとにかく金をかけて量産したとしても、現実にはそんな感動はすぐに忘れる訳だから、そういった手法に力は無いのだ。一時凌ぎでしかない。
 となると、そんな便利な方法はやはり無い訳だ・・・・・・であれば、世界に影響を与える事で意識を変えるなど、不可能だと言える。既に世界は偏り過ぎて、変えられなくなっているのだ。全て金で動かせる世界であり、金で買えないモノはない、そんな世界だ。前述のように妄想に金をつぎ込みでもしない限りは、だが。
 物語など、元より妄想だしな。
 何にしろ、妄想を信じていようが連中は持っている側だ。持つ側に持たざる者は勝てない。それは大昔から定められている摂理でもある。しかし・・・・・・国同士の戦争でもそうだが、何も正直に殴りある必要はあるまい。他国に情報を流し争わせるだけで事足りる。それと同じだ。
 勝てないなら、何かを利用すれば良い。
 しかし、何かとは何だ。
 これ以上何があるというのだ、
 そもそも利用する力が持たざる存在には無い。利用しなければ勝てないが、利用する力や仕組みが最初から無いのだ。やはり袋小路なのだろうか・・・・・・負けるべくして、負けるのか。少なくとも現状、勝つ方法は、探してもなかった。
 無いものが買えないように、持たなければ勝てないのか。持たざるが故に有りもしないモノを売りに出して尚、届かない。
 残ったのは「疲れ」だけだ、
 それも、今更だが。
 現実には「能力の多寡」が「全て」だ。成果を求めるのであれば、過程における意志や信念などゴミにも劣る。文字通り無い方がマシだ。
 何をどう言い繕ったところでそれが事実でありこの世界の「基本」だ。仮にそれらを変えるのだとしても、基本を無視して応用は無理だ。
 ならば、どうするか。
 生きていない私にとって、最初から生きる意味はどこにもない。生きる為に信じる何かも、目指すべき地平も、何も無い。そういったあれこれは心があるから求めるのであって、私には関係無い話だからだ。世界に実感を持てない以上、私には世界の有り様など、どうでもいい。
 だが、それでも・・・・・・そのまま無様に終われ、というのは無理な相談だ。心が無いからといって頭の中も無くなる訳ではない。むしろ逆だ。人間が求める何かに興味は沸かないが、何かを持たないということは、何かに乾くことが出来るということだ。例え目指すべき地平が、世界が、幸福がどこにも存在さえしなくとも、世界の果てを見据えること位は出来る。私はそうしてきた。
 今までも、そしてこれからもだ。
 陳腐な台詞過ぎて添削する気さえ失せる台本ではあるが、しかし事実だ。とはいえ、それで勝利出来なければ、やはり無駄足でしかない。
 どうしたものか。
 やはり、簡単な方法は、どこにもない。
 結局、遺跡発掘のように地味な作業を続けるしかないのか。掘り当てられなければただの遊びで終わってしまう。しかしやはり、成果は保証することだけは、出来ない。忌々しい話だ。それでは成果が出なければ、ただありもしない成果を見せられているだけではないか。成果が出るかもわからないのに続けた上で、失敗し敗北する。そんな境遇で何に満足できる? 徒労だ。色々頑張ったけれど全ては無駄でした、などと。面白くも何ともない上、笑えないオチではないか。
 だが、それもやはり事実だ。
 無駄なモノは、無駄。
 適当に流す位が、丁度良いのかもしれない。私に出来る何かはもうないのだから、それもありだろう。少なくとも、私の意志や力では、何一つ変えられはしなかったし、これからもそうだろう。ならば受け流されてみるのも一興だ。
 考えておこう。
 物語の主人公であれば「諦めない」というだけで勝利を約束される。有る意味現実を生きようとしないその部分は、嘘八百の物語には相応しい。 奇跡など、存在しない。
 それはただの幸運だ。
 奇跡を起こすなどただの妄想だ。人間にそんな便利な事を起こせる筈ないだろう。だが、それも考え方一つだ
 奇跡を売り物にすればいい。
 これであれば、誰でも出来る。
 いっそ「読むと幸運を呼ぶ」とか、そういった商法を考えるのもありか。実際にどうであるかはこの際どうでもいい。物語そのものではなく付随するかのように見せる付加価値こそが肝要だ。私からすれば物語そのものは「おまけ」だ。売る為に必要なのはそれではない。有名人が読んだとか最近の流行だとか、そういったあれこれこそ物語を金に換える。事の真贋など気にする奴は一人もいまい。
 問題はそこだ。
 連中が大切にしないモノを、ゴミのように手荒く売り捌けばいい。そしてそれこそが物語だ。私からすればただの幻であり、力など無い。
 それこそ「どうでもいい」事柄だ。
 役に立たない何かに、興味など無い。
 精々楽しめれば、それでいい。
 成果と関係ない部分で出来る事は、道中を如何に楽しむかだけだ。それ以外に出来る事など、私にはなかった。まあ、構わないがね。
 人間で有れば嘆くのだろうが、生憎私は人間ではない。化け物だ。必要なのは金と充足。他は全て余分に過ぎない。
 金、金、金だ。
 全て、買い占めてみせよう。
 何せ、他ならぬ「私」だからな。
 出来て当然だ。そこから先を面白くする事が、むしろ本番だと言える。それらはあくまで前提であって、目的そのものではないしな。

 世界を根底からひっくり返す。

 出来ても出来なくても良いが、実利ではなく、悪趣味で求めるのであれば、こういうやり口でも構わないだろう。出来なくて困るのは私ではなく人間であって、それこそ知ったことか。
 腐った土台でくたばればいい。
 私には何の関係もない話だ。
 言わば「ついで」であって、私は別に、人間に介入する気は無いのだ。関わる気は無いが面白半分で手を加えるだけで、人間社会の行く末など、それこそどうでもいい。どうせロクな方向に行かないのは分かり切っているのだ。精々私が楽しめるように、作品のネタを吐き出しつつ、無関係などこかで勝手に滅んで欲しいものだ。
 幸福と自由は空から降ってこないが、戦うだけでも手に入らない事は理解した。少なくとも、私にとっては。流されるがままは御免だが、成り行きを見るのも一つの策だ。何であれ言える事だが行動しなければ変えられない事は勿論多いが同様に行動する事で悪化する何かもある。流れに逆らわず受け流す。散々抗って無駄だったのだから、その逆を行くのは当然の行いだ。
 精々、見定めるとしよう。
 私に出来るのはそれくらいだ。
 今も昔も。無論、この先は違う。それだけで終わらないようにするのだ。見定めた上で、変えなければな。
 昔、とある映画を見たことがある。かなり子供向けの映画のはずなのだが、最後が嫌な結末だったので今でも覚えている。確か、偶然から過去へ行ってしまい、撃たれそうになっている侍を助けだし、二人して成長していくとかいう物語だ。
 最終的に戦争まで納め、全ては丸く収まったかに見えるのだが、最後にその侍が撃たれてしまうのだ。撃たれた侍も馬鹿ではなく、元より悟っていたのか「自分はあの時撃たれて死ぬ「運命」であったのだ」と語る。誰かが撃ち殺したのではなく死ぬべくして死ななければならない。侍は結局全ては変えられなかったがその過程には満足したと満足しながらこの世を去る。
 だが、それはただの「妥協」だ。
 それでは意味がない。結果最初から死んでいるのと変わらないではないか。掴みたい何かを掴めなくても、それで満足しろというのか? 無理な相談だ。何よりも敗北でしかなく、結局のところ勝利はできていない。
 無念は無いと言い張ったところで、強がり以外の何でもない。掴める未来と掴めなかった未来。どちらかを選べるので有れば、掴んだ未来を選ぶ・・・・・・単に選ぶ未来を見る事すら出来ないだけでそれで満足している訳ではない。
 それは嫌だ。御免被る。
 だが、決めつけられてしまうのも、事実か。
 当人の意志や行いは関係ない。それで変わるのであれば苦労しない。何か大きい流れに振り回される事は決定されているのであれば、最初から流されていようが「結果」何一つ変わらないのだ。そういう意味では、流されようとしようがしまいが同じ事か。
 作品を売るのであれば「話題性」さえあれば、それだけで売れるものだ。いっそ弟子から盗作をしているのだとニュースを流し、実はあの作品を書いたのは読者好みの美少女だったとか、適当に情報を流した方が売れるかもしれない。
 物語を綴るのに弟子入りなどする時点で、作家にはなれそうもないが、そんな実状を読者が理解するとは思えない。実際に書くのであれば計算や技術で何かを書こうとするなど愚の骨頂だ。物語に必要なのは当人の思想と語るべきテーマのみ。他に必要なのは叩けるキーボードがあれば筆を動かすよりは早く書けるので便利な位だ。
 文字通り、何一つ必要ない。
 何一つ持ち得ないこの「私」にすら出来るのだ・・・・・・逆説的にそれを証明していると言える。
 だが事実だ。
 何かを表現するのであれば、むしろ努力や才能は邪魔なだけだ。そもそも「良いモノ」はむしろ売れない。良くないからこそ売れやすい。傑作で売り捌けている連中など、少なくとも近代では絶滅危惧種だろう。売れるのは中身が良いからではなく表紙の出来や宣伝による読者の洗脳が上手いからであって、作品そのものはどうでもいい。
 少なくとも売り上げには関係ない。
 そんなものだ。
 在り方を安易に語るべきではないが、しかし、私に関して言えば例外だ。心が無いが故に心など見ただけで判別できる私にとって、世界の有り様は全て色のようなもの。共感し相互理解を深める人間とは違い、識別して仕分けるだけだ。そこに不理解は存在しない。見たものをそのまま語るだけなのだからな。
 その私が言うのだ。
 つまり。それがただの「事実」だ。
 人間に価値はない。
 作り出すモノには価値があるが、真贋を無視し金を支払う人間社会では、その価値ある何かすら死に絶える。だから私は最初から最後まで人間を必要としないのだ。
 人間を諦めようとする作家は多い。
 それでも諦めきれず、尊い光を尊重する奴や、最初から非人間であり有り様を笑う、いや弄んで問いかける奴もいる。しかし私はそのどちらにも分類されない。私にとって人間は種族の違うよくわからない上効率の悪い生き物であり、価値ある何かを生み出しはするものの、その価値をゴミのように捨てる。
 なので人間は不要なゴミだ。
 言ってしまえば「古い機械」だろう。替えが効くのだからアンドロイドなりで「代用」すれば、その方が都合はいい。何故か連中自身は、優れた個性と感性に溢れた生物だと自称するが、少なくともアンドロイドの方が生きる意志にも価値ある存在としても優れている。なので、個人的には、別に「必要ない存在」だ。
 そして、最初からそうなのだ。
 諦めるもあざ笑うもない。
 昔はそれでも見るべき価値のある人間はいたのだろうが、現代社会ではそれも望めない。なので人間そのものに価値がなくなる訳だ。消費期限が既に過ぎたお古であり、優れた人間性を見る為にも新製品を出したいところだ。
 古き良き何かはあくまでも古き良き時代にしか存在しない。現行人類は用済みだ。生きていようが死んでいようが、私の邪魔になるか以外はどうでもいいことだ。そして、人の執筆作業を頭の悪い理由で中断させる愚か者しか今のところ見てはいないので、さっさと絶滅してくれると実に有り難い。
 つまり、何でもいいのだ。
 どうでも良さ過ぎて感想すらない。
 それが私にとっての「人類」だ。
 だから人間に対して何も思わないし何も期待しないし何も訴えない。私が語るべきは運命や世界に対してであって人間ではないのだ。だからだろうか。人間に向けたものではないから、売れないのか? まさかだろう。売り上げに中身など何の関係もないのだから。
 それに、金は素晴らしいが金を持つ人間は必ず中身がない。当人自身は勿論、本人が仕事だと思いこんでいるモノでさえ、真実世界のどこにも存在しない概念だ。
 そう、「銀行業」だ。
 異民族資本の悪癖が世界に波及した結果だと言える。極一部が「絶対に損をしない」ように法案を書き換え、それでいて何かあれば支払いは庶民がするように仕向ける。結果大統領は金で買われ対立候補を演出し票数を操作し、洗脳することで自分達にとって都合良く国民を動かし、何一つとして「仕事」をしない連中こそが世界の支配者となるのだ。
 しかも、だ。そこまでやっておきながら、経済において戦争を仕掛けておきながら、批判が出れば不当な迫害だと叫び、それをよしとする。現代社会では手を回して他者を支配し苦しめる事は、容認される。その一方で、わかりやすく悪い言葉だと認識されれば「そんな悪い台詞を言うなんて非道徳的だ」と迫害され、なあなあのぬるぬるで世界の有り様を濁す。
 傷つけ合わないが故に誰も本心を言わない。
 それが「良い事」だからと容認させる。
 実際には、押しつけているだけだがな。

 法律は決められる奴が決める。

 当たり前だが、法案について丁寧に話し合い、それを精査する必要などない。クリスマス休暇中に無理矢理通した法案は今でも有効だ。
 FRB法案は史上最低の国家犯罪だとよく言われるが、人間社会において力さえあれば何をしたところで許させる事は当たり前だ。別にそれで、殺人を行おうが民衆を陵辱しようが文字通り何をしようが力さえあればそれでいい。少なくとも、それを糾弾したところで、止められる力など誰も持っていない。言っては何だが現行の国家など、暴力で押さえつけているだけで誰一人賛同しているわけではないのだ。奴隷と呼ばれる民衆、いや民衆と呼ばれる奴隷を扱う飼い主。それが国家であり政府なのだ。
 だから何をしてもいい。
 少なくとも、許させる事が出来る。
 そんな楽な人生、いや人生というより子供の夢を現実にしたような都合の良さだ。何一つ苦労は存在しないし、立派さとやらで飾り付けた挙げ句少なくとも神がいるとして、そういう連中にこそ天国の門は開かれているものだ。有名な話では、あの世に行く際備える財宝の量で永遠の命を得られるか否かが決まるという話を聞いた事がある。 地獄の沙汰も金次第。
 まさにそれだ。
 神話を紐解けば金や宝でコロっと落ちる奴は、大勢いるだろう。少なくとも対話だけで敵対者を改心させたという神仏の話など聞いた試しがない・・・・・・殺して解決、勝者が正義、力で押し通す事が全てだという基本概念は、神話の時代から健在なのだ。
 神仏はそれを容認し、摂理はそれを中心に回り現実にそれがまかり通る。そんな世界で物の真贋などと。馬鹿馬鹿しいにも程がある。何の価値もない。ただのゴミだ。私はそんな物はいらない。ありもしない妄想を買うつもりはないからだ。
 現実問題、金さえあれば何をしても良いし、金が無ければ何をしても駄目だ。そんな事は自我が芽生え世界を少しでも知れば嫌でもわかる前提でしかない。当たり前のことだ。そしてそんな世界を率先して作り上げておきながら善良な顔を作り電脳世界で金に任せた遊びを配信しながら人生を楽しみながら自分にしか出来ない事を成し得ていると思い上がる異民族資本の豚共は、可及的速やかに皆殺しにするべきだ。
 連中が死ぬだけでかなり住みやすくなる。
 元凶でありながら何の支払いもせず、したり顔で世界の正しい部分を気取っていられるのは連中が金の力にすがりつく連中に指示されているだけでしかないのだ。誰一人連中を支持していないが誰一人として連中の作り出す金の力、石油を中心として企業買収を繰り返し手にした影響力が媚びを売る国家形成に繋がっている。
 そもそも、分かり切っている事だ。

 世界一金を持つ奴が、善人だと思うのか?

 もしそうであれば、かなりおめでたい人格だ。少なくとも人生に悩みは無い。断言する、無い。生きるという行いが既に悪行なのだ。他を蹴落とし己の筋道を通す事。そこには多くの生涯があり他者を踏み潰す事で大きな成果を得られる。常識以前の考えだが、そこからも目を逸らしているのだろう。
 言っては何だが国家を左右するような金銭を、まして個人が持つのであれば、そこには流血ほど不可欠な要素はない。少し考えれば子供でもわかる話だ。つまり貴様等は子供以下の脳味噌しか持っていないのだが、一応続けよう。そんな脳味噌では文字を読めるかも怪しいし、実際読み解く事が出来ないから何も学び成長できないのだろうが・・・・・・別に最初から何も期待していない。
 読者に期待など、無理な相談だ。
 何せ、そんな無法者を持ち上げて勝利者だともてはやし、あまつさえ連中の掲げる頭の悪い正義を信じるのだからな。ラジオで火星人侵略を演じ民衆の心理操作に関する実験を行った国家があるのだが、そいつらの予想通りという訳だ。実際、その国ではハンバーガーを愛するように金融機関が好き放題狼藉を働く事を、金で品性を売り払った政府関係者が支持する。現状に不満がありながらも「いつか変わってくれる」と身勝手な希望を胸に抱え、結果何一つ行動しない。
 理不尽に背を向けて敗北を良しとする。
 向こうが力でやりたい放題するのであれば戦争しかあるまい。殺すしかない。まさか話し合いや多数決で決められると思うのか?
 意識的に己の都合の為、他者を奴隷として扱いながら罪悪感さえ持たず、むしろ自分達は崇高な使命を全うしていると思いこんでいる、この私でさえ真っ青な存在だ。
 現実逃避もそこまで行けば醜悪を通り越して芸術的にでもなるかと思ったが、それはない。胎児の時点から成長しないどころかそれを力で押し通してくる愚か者などいるだけで迷惑極まりない話だ。正直、気持ち悪い。
 とはいえ、狂人というとまるで私が同族であるかのような言い方になりそんなゴミと同列に語られるのも迷惑だ。連中は自分の事を狂っているとは思わないし、むしろ、正しい行いを神の代弁者として行う、位の自惚れっぷりだろう。「愚か者」という呼び方で十分だ・・・・・・目先すら見えない、愚か者だ。
 善良なる人間ですという面を異民族資本関係の奴はよくしているが、本人が善良だと思い込んでいるだけで、その実どれだけ自分達の身勝手で、世界に迷惑をかけているのか知らないし、知ろうともしない。いい迷惑だ。
 そんな馬鹿の為に金という概念が遊ばれる。  ますます真剣に生きるのが馬鹿らしい話だ。  実際、真剣に生きるかなど、勝利とは関係ない・・・・・・他でもない連中がそれを証明しているではないか。疑うなら聞いて見ろ。「お仕事は何でしょうか」とな。少なくとも連中に出来るのは金を無駄遣いしてブログに乗せるだけだ。 連中自身が存在しなければ成り立たない「何か」など成し得よう筈もない。
 いてもいなくても良い存在筆頭だ。
 何せ、持っている金すら有効活用できないのだからな・・・・・・そんな連中に何が出来る。
 気取る以外に何も出来まい。
 そんな奴に世界の舵を任せるのだから、世も末なのだろうがな。全く、いい迷惑だ。
 巻き込まれる側はたまったものではない。
 現実はそんなものだ。だから国家で物語の力を信じ込み、それをプロパガンダとして無駄金をつぎ込んで戦争や自国愛を肯定させることで民衆を支配しようと考える政府や、それにあっさり騙されて惑わされる民衆など、ハンバーガーの食べ過ぎで脳がスカスカにでもなっていない限りはありえない話だ。そんな奴がいれば余程の馬鹿だ。
 政府側があろうことか、それを信じ込み物語の作り手に脅迫したり金で権利を買収したりする、という行いが恒常的に行われているのは政府側が馬鹿だからだ。支配に拘り過ぎて物語なぞに支配されるなど、面白くもない冗談だ。
 それが現実にある、というのが一番笑えないが・・・・・・事実だ。現に映画産業がさかんに漫画関係の権利を買収しているだろう。生憎だが面白さは売りに出されていないので買えない。あくまでも買えるのは「権利」であって、それを面白く表現する技能は自分達に無い、という部分を認められないらしい。
 全てを支配する、などと。愚かしい事だ。
 支配に拘り過ぎて支配という概念に支配されている。最早奴隷だ。奴隷に成り果てた奴が民衆を奴隷として扱い、最終的には何が何を支配しているのかさえ、わからなくなる。「空気感」というやつだ。結果、流されて責任を取れる奴もいないのに争いを起こす。
 そのくせ自己顕示欲は強い。
 というか、誰かに常に肯定されなければ生きていられないのだ。ある意味子供のまま、何もせずとも「持っている」というだけで辿り着いた奴に罹患する病と言える。結果、「己で己を肯定出来ない」のだ。張りぼての権威を愛し、高級会員権を持ちたがるのは、そのくせ「何が自身を肯定することが出来るのか」さえ曖昧だからなのだ。
 肯定するのではなく、してくれる。 
 そんな条件で探す。
 ふと思ったが、そういった連中の愚かしさを利用して、金儲けは出来ないものか。私には会員権の作り方からしてわからないので、それをするにしても、協力者は必要だろう。実際に私が動いて上手く行った試しがない。企画立案は得意なのでとりあえず起業してHPを作り安上がりに仕上げる為にもその辺のホテルを改装して会員制倶楽部を作り上げ、何だったら国が自分達の利益の為に違法、という事にしたがる賭博を機械で用意し、いや人間の手を使った方が良いのか。人間の方が記録は残らない。元より賭博とは胴元であるだけで儲かるものだ。仕組みに手を加えれば更に盤石となるだろう。しかしそこで問題だ。
 客を呼び込むにしろHPを作るにしろ、確実であるのは「私がやれば」必ず失敗するという事実だろう・・・・・・何故かは知らないが、私が挑めば、絶対にそれは失敗する。有能な誰かを雇用する他に道はない。
 しかし。現代社会で書籍の出版でさえそうだがロクな人材がいない。人材の部分に頼れなければ「幸運」に頼るしかなく、幸運だけで成功できた連中ほど、私は楽な人生を送れない。それだけは確実だ。
 ふりだしに戻る、か。
 いい加減、少しは美味しい思いをしたいのだが・・・・・・上手く行かないものだ。
 

 
 

 

 停滞した世界において、私のように個人で何かを変えようとする行いそのものが、的外れなのだろう。実際、「平和」という「情けない言い訳」によって太り続けた世界において何かを変えるのであれば、それは「戦争」しかない。
 物理的なものに限らない。要は争いによる淘汰が必要だ。勘違いされがちだが、平和を無条件に良いものだと考える連中は、その実平和が何であるのか、真剣に考えていないだけだ。人間社会において「平和」とは、一つのサイクルに過ぎない・・・・・・食べるだけで運動しないようなものだ。
 停滞している現状を変えようとせず、倫理観や道徳に逃げているだけだ。しかも、その考えは、己で生み出したものですらない。世間一般で良いと言われるらしいから、そうするだけ。それで、争いばかりの世界をを変えるべきだと叫ぶのだ。実に図々しい。仕事もしないで金を求めるようなものだと、その当人は思おうともしない。
 思考放棄しているだけだ。
 話が逸れたが、しかし実際戦争を起こすしか、ないのかもしれない。別に銃で撃ち合う必要は無いので、形が違うのは確かだ。いや、物理的に争うのではないからといって、淘汰される命が少ない訳ではない。既得権益にあぐらをかくだけで、「仕事」をしていいない連中は淘汰され職を失い死に絶えて貰う必要がある。連中がそれでも仕事を成り立たせ、新しい道を切り開けるならそれでも構わないだろうが、今の今までそんな楽な道筋を歩いてきた奴らに、何かを作れるとは思わない・・・・・・死んで貰うしかないだろう。
 元より「生きる」ことから目を逸らし続けているのだから、生きている方が不思議なのだが。
 それもまた、停滞の代償か。
 いい迷惑だ。
 土砂崩れを無理矢理立て直し留まらせるようなもので、争いをなくすだとか、争いそのものを悪いからと否定するのは、本質的に何も見えていないのだ。仮に世界を変える為の大きな争いを平和の為に防いだとしよう。だがその争いは言わば、自然発生的に起こるものだ。現状に対する不満を変えようと戦うこと。それが戦争の本質だ。
 無論、利益目的の下らない争いを起こす馬鹿もいる。余程暇なのだろう。少なくとも平和を望む連中と同じくらいには暇人の発想だ。
 必要に応じて、必要な事をする。
 暴力の刃は生きる上での邪魔者を排除する為に存在するのであって無駄な争いを好むのは人間位のものだ。縄張り争いもしなければ死ぬからするのであって、無駄な権力や権威を示す為に戦うなど愚か者のすることだ。
 必要な時以外に振るえば、その刃とて錆び付いてしまう。必要に応じてのみ振るわれるからこそそれなりの力を示せるのだ。
 最近は無駄を好む国家が多い。
 無駄を好む時点で「国家」ではなく子供の遊びだと言えるがな。実際最近の国家は「利益」だけではなく「個人の意向」で手にする事が国益になるからではなく、手にすることで威光を示せるからと、行動の根本が歪んでしまっている。
 主に保守派だ。
 今まで何も変えられなかった奴が、何を保守するというのだ、馬鹿馬鹿しい。保守したいのは、自分達の利益だろうに。
 まったく馬鹿げた話だ。
 図々しいにも程がある。
 淘汰が行われれば「自称仕事人」も減るだろう・・・・・・運が良いというだけで暴利を貪る愚か者が生きる、無駄な隙間がなくなるからな。
 無駄は省くべきだ。
 それが、無駄な人間であれば、尚更な。
 全ての人間に価値があるなどと、寝言は寝て言えという話だ。価値は示すもの、示そうともしないで「全ての人間は個性がある」だのと、ただの言い訳ではないか。聞こえの良い言葉に逃げているだけだ。他にやることはないのか?
 無いからそんな逃げ口上に逃げているのだろう・・・・・・働きもしないで成果を要求するとは、許し難い汚行だ。出来ないなら死ね。
 貴様等に生きる価値はない。
 そして、価値の無い奴が生きるな。少なくとも示そうともしない奴に、生きる資格はない。恥を晒す前に自殺しろ。
 今まで生きてしまった事を悔やみながら死ぬといい。報いを受ける義務がある。その義務すら果たせないようでは文字通り無価値なゴミ以下だ。存在するだけで有害な、放射能物質とそう変わらないだろう。何せ、当人の「役割」が「同じ」なのだからな。
 そんな奴は速やかに死ぬべきだ。
 出来ないなら私が殺すとしよう。無論全員に刃を振るってられないので、連中が自殺するように社会に影響を与えられるようするしかない。
 早くできれば良いのだが。
 これ以上、見苦しい光景を見せられるのは御免だ。汚いゴミを眺め続けたところで、得られるのは「不愉快」と「憤り」だけだ。他に何がある。 鬱陶しい限りだ。
 この世界を支配しているのは「銀行」であり、金を持つ者だ。連中は淘汰することで発展させる戦争ではなく、一方に金を貸し、一方に銃を売るようなやり方で戦争を起こし、金を儲ける。連中が戦争などに対して先入観を持たせた元凶だと、そう言えるだろう。
 それを起こした連中が支配している。
 馬鹿馬鹿しい話だが、事実だ。断っておくが、連中が地獄に堕ちることはない。あの世の裁定が金持ちに通じる訳無いだろう。間違いなく天国で搾取しながら笑っている。どんな神仏を信じているのか知らないが、そんな連中をのさばらせている神仏に、貢ぎ物をしてくる連中を裁く精神性があるとは思えない。
 金があれば法律は誰でも作れる。対立候補に金をばらまけばいい。以前にも言ったが、金そのものに不可能は無いのだ。何故なら世界の土台を、連中がそう作り上げているからだ。仕組みをそう作り上げているのだから、買えないものは売り物にされていないものだけだ。それすらも、強引に買えそうではあるが。
 力で押して不可能な事など無い。
 現実に世界大戦を起こし、世界恐慌を起こし、敵対国に革命という名前のテロ行為を働いたところで、連中に文句を言う事は出来ても、改善する事は不可能だ。相手を凌駕する「暴力」だけが、世界を動かす事が出来る。金も同じだ。殆ど暴力みたいなものだろう。
 その使い道次第だ。
 世界を変えるのであれば、文字通り連中を皆殺しにするしかないだろう。民衆を扇動して革命を起こさせることで、暴動に紛れて殺されるのが望ましい。いずれにせよ「個人の意志」や、まして「話し合い」で何かを変えられる事など、ない。 何とかして殺さなければならないのだ。
 しかし、どうやって? 私は作家だ。精々読者を扇動して、そういった連中を殺すべきだという思想を、植え付ける位しかできそうにない。だが私が大国側であれば、間違いなくそんな書物は、禁止するだろう。禁じられれば禁じられるほど、物事は広まるものだが、私に直接殺し屋を放つ位は当然のようにやるだろうし、向こうが暴力を良しとする以上、こちらも直接的な暴力で対抗するのが現実的か。
 物語のテロなど、あまり現実味はない。
 かといって武装勢力に金を出すのは簡単だが、それでは支配者が変わるだけだ。仕組みそのものを破壊するのであれば、そうだな・・・・・・私は作家なので、物語を広めるしかないだろうが、いっそ世界規模で電脳世界を活用し、大国のエゴを世界で共有する電脳空間の作成、というのも面白そうではある。要は、読者共をその気にさせればいいのだ。皆が大国のエゴを嬉々として調べ上げそれを世界で共有する風潮を作り上げる。それだけでは足りないので、世界全体にその思想を広め共有させることで、何か一つの「団体」ではなく全ての国民が持つ「共同幻想」とでも言うべき空気感を作り上げ、自然と支持されるように誘導する。 特定の組織であれば壊されれば終わりだが、全体の空気、それも不特定多数の人間が持つ不満や怒り、理不尽に対する憎しみを「電脳世界」の中で形にし、力を持つように仕向ける。いや実際に力は持たないのか。電脳世界を幾ら作り上げようがそれで世界が変わる訳もない。所詮電脳上に、一つの思想が立ち上がるだけだ。
 現実との境界線を曖昧にするような思想を塗り込んで、全ての民衆が「戦争を起こしてでも勝ち取るべきだ」と強く思い実際に行動するような、そういった空気を作らねばならないだろう。実際に行動する読者などいない。少なくとも、やらなければならないからやれと言われたところで億劫過ぎて後回しになるだけだ。
 だが、戦争を起こす方法はそれだけではない。 空気だ。
 そういう風潮だから、流されてやる己の意志ではない行動は、本人の意思では無いが故に絶大な力を発揮する。流されているからと、そう言い訳が出来る以上、殺人でも何でも「罪悪感」を感じないのだ。
 便利な話だ。
 当人の意志で行動させる事が出来れば、それが一番なのだろうが・・・・・・私は物語の力など信じてはいない。馬鹿馬鹿しい。だがもし仮に、そんな事が可能だとすれば、私は物語を通して全人類に語りかけなければならないのだろうか。
 
 言わば、意識の革命を起こすのだ。
 
 すぐに忘れられるような行いではなく、今後、永久に人類がそういったゴミ共に左右されない、強固な精神を獲得する世界作り。いやこの場合、精神を変えるのではなく仕組みを変えるのだろうか・・・・・・まさか全人類がそこまで強固な精神を持ちうるとは思えない。忍耐力にも種類がある。
 どんな人間でも、愚か者ですら自身の意志で歩き出せる世界、その根本にある意識を育む行為というわけだ。かつて数あったいずれは忘れ去られるような革命ではない。未来永劫、その思想が残らなければならない。
 何故、私がそんな面倒な役割を負わなければならないのか・・・・・・別に私個人は出来なくても困らないのだが、もし作家である私に「役割」があるとすれば、恐らくはそれだろう。個人的には出来なくても困らないので、あくまでも優先するべきは「金」ではあるが。
 とはいえ、私はゴミの触った汚い金を掴みたいわけではないのだ。不潔ではないか。どうせなら貴賤に違いがないとはいえ、そんなゴミ共が汚い笑いをしながら渡してくる金よりは、読者が物語に騙されて金を払い、後になって「ありもしない妄想に、大金を支払ってしまった」と嘆くような金がいい。その方が面白味がある。
 面白ければそれでいい。
 連中はつまらないのだ。
 それでは見る価値がない。
 ふん、精々ことのついでに考えておいてやるとしよう。どうでもいいこと筆頭ではあるが不愉快な出来事であるのも確かだ。連中のおかげで優秀な編集者すら育たない。具体的に言うと作家の下僕として働き、いっそ賃金は雀の涙で食うにも困る生活をしているが故に他では働けず、大家族の為にせっせと作品を売り捌いておきながら、適当な使命感で動く奴が望ましい。そんな信念で動く人材など、現代社会では絶滅危惧種だ。
 全てが金なのだから、当たり前か。
 私でもそうする。いや実際している。
 当たり前のことだ。少なくとも、そんな世界で生きるのであれば、だが。
 報道規制を敷けばどれだけ無茶な法案でも大量虐殺の企画書でも戦争を意図的に長引かせ利益を獲得する話し合いでも、銀行家に反対する大統領を暗殺者を雇い銃撃しても、何の証拠も残らないからだ。神仏を信じるおめでたい連中は、そんな彼らに「天罰」が下るとでも思い込みたがるものだが、そんな訳がないだろう。何度も言うが神仏がいるとすれば、間違いなく連中の見方だ。 
 むしろ、連中と敵対していてこの様であれば、尚更役には立たないだろう。
 人間とは奇妙なもので「独裁」と呼ばれれば、後になってから責任を追及したりするが、それが「民主主義」と呼ばれていれば、例えその実体が「経済を使用した独裁」であろうが、民衆の意志が反映された結果だと思いこもうとする。
 別に保守派の連中を信じているわけではない。 単に、勝手に決められた代表者達が、自分とは関係ない理由で決められたことだと、その現実を受け入れられないだけだ。結果対して知らない癖に政治について語りだし、大国の未来を信じようとする。何より「民主主義」だと言い張り独裁を続ければ「国民に選ばれた」とか「正義の為」といった「建前」が出来る。そして国際世論とは、建前さえあれば何人殺そうが何も言わない。
 仕方ないことだ、と諦める。
 それが自分達の金になるなら尚更だ。
 自分達の心を誤魔化し、政治家としての在り方を誤魔化し、現実を誤魔化して己を肯定するとはまさに赤子の在り方だ。運不運が全てだという、その事実を再認識させる。力があれば何をしても良いのだと、その事実が世界を動かす。
 そんな世界で物語の力? あるものか。
 笑い話にしても二流だ。
 支配者が本を読む力を恐れるというのも、よくわからない。本を読み何を学ぼうが、何も学ばず札束を振り回すだけで勝利してきた豚共に、敗北し続けるのだからな。少なくとも私は連中の頭蓋を粉微塵に吹っ飛ばせてはいない。精々が世界の読者共に影響を与え、連中に対する敵愾心を刺激することで、同じように連中の頭蓋を吹っ飛ばそうとする人間の数を、電脳世界を利用して飛躍的に増やす位だ。
 何一つ特別な事は出来ない。
 それで成果が上がれば良いのだが。
 積み重ねれば積み重ねるほど、発展すればするほど面白味が失せる人間社会を変えるのであればそれくらいの荒療治は必要ということか。何にでも言える事だが、技術が進歩すればするほど作るものが安易になりがちだ。
 初代仮面ライダーのような演出が拙くても面白い作品とは違い、無駄に演出だけは派手でも面白味の欠片もない映画作りをする暇があるのなら、少しは作品のテーマを練ったらどうなのか。言うまでもないが私の作品におけるテーマは金だ。
 運命とは金で変わるものだからな。
 私なら容易に変えられる。
 逆らうなら札束で殴り殺すだけだ。例えそれが運命であっても例外ではない。むしろ、今まで散々な思いをしたのだ。札束で殴り殺される程度、覚悟してしかるべきだろう。形のない運命にもし自我があれば、精神を破壊し続け痛めつけ苦しみの海の中で溺死させてやるのだが。
 殺しはしない。殺してやりもしない。いい気味だとしか思わない。そんな機会があれば、の話だ・・・・・・実際に運命を覆したとしても、それは復讐や爽快感より、脱力感の方が強いだろう。何せ、運命に挑むのはこれ以上ない位疲れる。
 しばらくその後に、休暇でも取りたいものだ。 ふと、思いついたのだが、連中のような力ある存在を打倒するのであれば、連中自身の力を使うのが手っ取り早いのではないだろうか。例えば、タックスヘイブンだ。世界中から数十兆を越える金額が集まるが、その実安全保障を確約するだけで情報を売るような連中だ。そういう奴は金もそうだが脅迫でもあっさり落ちる。肝心要の大金を握るのは、ただの会計事務所なのだ。そいつらの心臓を握る事が出来れば、連中自身の心臓を握るのと大差ないだろう。小国だと侮っている内に空母の八隻でも作ればいい。なに、それこそ連中の金は「幾らでも」ある。戦艦を大量生産しても半額はお釣りになる位だ。
 その暴力で打倒する。
 それもありかもしれない。
 それにだ。そういった場所で騒ぎを起こすだけでもいい。タックスヘイブンそのものの信頼性が失われれば、連中とて金を預けるどころではなくなる。仮に、その場所でクーデターなり、いや、軽い爆発事故でもいい。タックスヘイブンで爆発事故が起こるだけでも、世界中が注目せざるをえないからだ。
 小国の治安を乱すだけで事足りる。
 誰か適任の人材がいれば、出資するのだが。
 中々有望な人材は育ち難いものだ。
 いっそタックスヘイブンで革命を起こし、軍事国家として独立するのもありか。考えておこう。私は革命家ではないので、作品を通してそれを促すくらいしか出来ないが・・・・・・有能な人材がいれば出資するのもやぶさかではない。
 そんな奴は出資など求めないだろうがな。
 利用する側に回らなければならない。具体的に言うと敵対民族を一つの街に押し留め低水準の賃金制度で縛り、徴兵制度に参加すれば家族を養える金がぎりぎり出るようなやり口だ。民衆を管理するのでは足りない。それは悪手だ。民族同士の関係性を法律で縛り上げるのでは意味がない。
 民衆自身がそれを良しとする思考を持つように仕向けるのだ。そうすれば民族意識を持たせる為に結婚まで管理する必要はない。彼ら自身が自分の意志でやってくれる。私はそれを、作品の内容を伝えるように仕向け、それによって少しは世界がマシになるよう連中が務めればいい。
 なに、性格の悪さには自信がある。宇宙のどこを探しても、私より性格の悪い奴はいないからな・・・・・・発想の悪さに限界はない。
 実現できるかどうかは、また別の話だが。
 売れないのに作品を書く事には、本来は利点が多いのだ。何故なら凡俗の読者共意見を気にせず書くべき何かを形に出来る。読者だけではない。私のように個人で成し遂げようとでも思わない限りは、編集部側の都合に左右される可能性だってあるのだ。
 しかし、一つ問題がある。
 まず第一に、私は読者の事などどうでもいい。作品を書いた事もない癖に評論家を気取る連中が何を言おうが知るか。第二に、私は編集者の庇護を受ける気がない。個人で出そうとするからここまで労力をかけたのだ。何より、私に書く為の環境は関係ない。劣悪だと進みが悪く、清潔であれば進みが早い。勿論、作品の質、というか傑作であるか否かに限っていえば、確かに劣悪である方が作りやすい。
 だが、それはその辺の作家志望の話だ。
 真に作家足りうるならば、その腐った精神性があれば、どこにいようと同じだ。地獄が脳の中にあるならば、私にとって全ては地獄に変えられる・・・・・・その程度、出来て当然だろう。一々孤独でなければ書けなかったり、迫害されなければ傑作に至らなかったり、無論そういった環境だからこそ生まれる「大傑作」はあるにはある。だが大抵の作家もどきは、偶発的にでしか傑作を書けないものだ。シェイクスピアを見ろ。才能に恵まれているくせに、何故ああも腐った精神を育めるのかといえば、それは元来がそういう人間、人間ではないかしれないが、とにかくそういう奴だからだ・・・・・・何もかもに裏側を求め、疑念の嵐で読者を惑わすその姿は、断じて環境で変化したものではない。同様に、根暗な童話作家アンデルセンも、別に容姿がどうであれ人嫌いの偏屈者である事実が変わる事は無かっただろう。運命論的に言えば連中はどうしたところで腐った精神性を元に傑作を書き上げた筈だ。
 環境など、些細なものでしかない。
 どうでもいいことだ。
 仮に、私が売り上げをあげる事で傑作を書けなくなるとすれば、それはそれで構うまい。傑作を書き上げるという目標を「生き甲斐」とし、充足を得るのも悪くない。無論、そんな事をせずとも傑作など幾らでも書ける。書くべき何かが世界のどこかにある限り、私の筆は不滅だ。
 そして、探すまでもなく、世界には「書くべき何か」が溢れている。個人的には何の心配もしていない。大体が「傑作であるか否か」など、当人の自己満足に過ぎないではないか。確かに本人が書き上げた際「これは傑作だ」と考えるものだがしかしだ、世論が傑作だという何かはすべからく駄作であり、それを判断するのは書き手のみに限られる。極稀に読者共にも共感する奴がいるが、別に私は他の連中と違って、読者と何かを分かち合うつもりなど、ない。
 自分とは違う種族と、何を分かち合うのだ。
 異種族間での意志疎通で喜ぶのか?
 新しい生命体に出会えた喜びでもあるのか?
 馬鹿馬鹿しい。他の生命体など知るか。どうでもいい。人間もプランクトンも、存在するだけで私の役に立つ訳ではないという点において、全て同じだ。売上が大切なのであって、それによって充足を得る事で、幸福を定義する。目的と手段を取り違えるつもりはない。
 金、金、金だ。
 金があれば何であれ、買える。いや、この場合「何一つ買わないが、楽しむ為の土台を整える」とでも言えばいいのだろうか。実際、私は金で買いたいものなど、何一つ無い。紅茶を楽しみ健康を気にして美女を侍らせようとするのも、結局は「人間らしい幸福の定義」に従って、いや従うという言い方は好まないので「利用して」いるだけに過ぎない。本当の意味で何かを欲した事は一度として無いのだ。当たり前だ。何かを欲する為に必要な「心」が無いのだからな。
 それはそれで構わない。
 そんなものがあったとして、何かを欲しがったかも疑問だ。金にしてもそうだが「必要だから」手にする事を「欲望」とは言うまい。
 その点で言えば、作品の評価も同じだ。
 不服なのは売上げ、つまり作品にかけた労力が無駄に終わっているからであって、作品そのものは私個人の自己満足で終わらせているので、どうでもいい。無論評価できない読者にはきっと目玉が付いていないのだろうくらいの自負はある。
 だが、そんなのは当たり前の事だ。
 少なくとも、真剣にやったのであれば、だが。 大した金を支払う訳でもないのだ。精々が昼食代程度の金しか支払わない連中に、労力を賭けた一代傑作をくれてやるのだからな。言ってしまえば物乞いに恵んでやるようなものだ。恵まれた奴が「美味しくない」と叫んだところで、そんな奴の事を誰が気にする。同じ事だ。
 「私」が傑作を読み傑作を書く。それなりの豊かさを手にした上で、その行いを味わう。それが出来れば他はどうでもいい。
 物語以外に、作家が気にかける何かなどない。 全て些事だ、読者の行いなど特にな。
 どうでもいい事を言わせるんじゃない。
 最終的に売上げは勿論だが、新撰組のように、歴史に勝利できれば最上だろう。田舎の集まりが組織となり少人数の集まりが意志の固まりとなり存在しない筈の誠の旗が後々にまで伝わる意志の先駆けとなる。歴史が進んでも、滅ぶ事は決して無いだろう。まさに、一時の勝敗こそ敗北したが歴史そのものに勝利した例と言える。
 それくらいの成果は欲しいものだ。
 何せ、この遠い現代にまで残るのだからな。
 本来公共の資源、サービスとして繁栄させるべき携帯端末や石油資源を、身勝手に己のモノだと言い張って実利を貪る浅はかな連中とは大きな違いだ。その癖、散々人間世界を丸ごと食い物にしておきながら、身内が殺されたりすると金の力で事を収めようとする。まるで子供だ。子供のまま権力を得たりするからそうなる。
 いい迷惑だ。
 少しは己の在り方について、考えろ。
 それが出来ないのであれば死ね。なに、介錯は不要だろう。さっさと首を切り落とすだけで構うまい。それだけの事をしたのだからな。
 金にものを言わせて建築形式の違う建物を並べその国の有り様である歴史を無視し、あまつさえ権勢を欲しいままにしてあまつさえ富裕層に媚びを売りながら数多の文化形式を取り込み過ぎて、祭事であるのに何がしたいのかわからなくなる。 遊びで人生を送る典型例だ。
 しかもその上で、金とは何たるかを語る。少なくとも貴様等の遊び道具ではない。それだけ無茶苦茶な行動を繰り返しながら、恨まれる覚えがないとは、よく言えたものだ。だから後進が育たないのだろう。良くあるのが「革命」だとか聞こえの良い言葉を発する団体に所属し、テロ活動に勤しむ連中だ。見せかけばかりで何の中身も無いがそれを指摘する奴もいない。
 だから迷惑なのだ。
 経済という怪物を従えながら、赤子のような発想力で世界に関わろうとする。確たる目的もなく「平和の為に慈善団体を」などと言って、遺伝子改良穀物の量産に勤しみ、自分の利益ではなく、貧困層を救う英雄であると思いたがり、カタカナ文字を使い分けながら下らない共同幻想に金を注ぎ込むのだ。
 何が貧困層の為だ。
 なら貴様等が死ね。その遺産を公共機関にでも当てろ。雇用を増やせ。経営者の給料を百分の一にでもすればいい。 
 圧制者が革命について語るんじゃない。
 面の皮が厚すぎて鬱陶しい。いや、連中の場合本当に自分が「善良で素晴らしい人格をしている民衆に認められた成功者」だと思いこんでいるから質が悪い。私が言うのだから相当だぞ。少しは鏡でも見ればどうなのだ。
 話が逸れたが、東も西も持って生まれた何かに恵まれている奴というのは、ロクな成果を出さないということだ。己を示すというのであればそれこそ、シュトラゥス位の成果を示す必要がある。それが何であれ、敵対者すらも認めざるを得ない「何か」を出すのがプロの仕事というものだ。連中はそれを「環境」や「背景」を言い訳にして、何も示そうともしないくせに、迫害だ不当だと叫ぶのだ。
 文句があるなら仕事を示せ。
 働きもしないでほざくんじゃない。
 世界大戦が何度あろうが、民族主義がどれだけはびころうが、格差がどれだけ広まろうが、何の関係もない。それに逃げ口上を求めるなど、情けない言い訳にも程がある。戦争があれば敵対者が求める程の仕事を成し遂げ、主義主張がどうでもよくなるほどの在り方を示し、格差を思考の外におけるほどの「己の世界」を持てばいい。
 誰に恥じる事もない。
 仕事さえすれば、だがな。
 労働と仕事は違う。出来るからやるのはただの奴隷労働だ。仕事ではない。それを履き違える奴が多過ぎる。真剣に生きていないからだ。
 社会も、摂理も関係ない。
 何がどうなろうが、仕事は仕事だ。
  
 ただ、己を示すのみだ。
  
 ふん、それが現代社会では金に換えられない様に仕組まれ、中身の無い子供の遊びがあり得ない大金を稼ぐというのだから、悪い冗談だ。
 何が仕事で、何が遊びか。
 その境界線があやふやになっている。
 仕事で世界を動かそうとせず、金だけで動かそうとするからだ。私は金が好きだが、金の奴隷になるつもりはない。それとこれとは話が別だ。  たかがその程度がわからない。
 わからないまま、生きている。
 生き抜けているのが奇跡だ。
 幸運が全てであるということか。その幸運が尽きたらどうなるのかは知らないしどうでもいい。私には関係ない事だ。そんなモノが少しでもあるならば、私は作家など志さずとも良い、今の様な劣悪極まる環境に生まれず、それなりの幸福とやらで満足していただろう。
 いや、無理か。
 この精神、というか最悪の思考回路がある時点で無理な相談だ。ともすれば私が私である限り、そういった普遍性とは縁がない。別に縁が欲しいとも思わないし、想像するだけで虫酸が走る。私に普遍的な人間の生活だと?
 真似するのは良い。あくまでも「人間ごっこ」を楽しむ余力がある遊びだ。だが、真実普遍的な人間関係、わかりやすく言えばそうだな、近代風に言えば仲の良い幼なじみや競い合う宿敵、越えるべき目標は歴然としており、切磋琢磨するだけで望ましい成長を手にし、努力するだけで勝利者となり、そんな、面白くも何ともない上中身すらスカスカの時間経過だけで成功できる世界。
 ふん、つまらん。
 面白くも何ともない。
 生活の糧を得る分には楽なので良いが、しかし実生活がそれだというのは正直耐え難い。拷問よりも酷いと言える。いや勿論、私が介入するだけで幼なじみは体良く扱われ宿敵は成長の為の養分として効率よく消費していき、目標は面白い方向へ転換した上で仕組みそのものの支配へ乗り出す・・・・・・やることは変わらない気もする。
 そういう意味では、環境が後から来るのではなく当人の資質が環境を生むのだ。だからって腐れた環境では生活の充足が望めないので、やはり金になる環境作りが望ましい。何であれ金だ。金があれば大体何とかなるものだ。
 少なくとも本人の資質とは関係ない部分で足を引っ張られることはなくなる。そして、金さえあれば本人の資質次第でどうにでも成れる。
 だからこそ金だ。
 精神的な何かという曖昧模糊な存在に左右されてしまう人間と違い、左右される心がない私に、そんな横道はあり得ない。目的だけに邁進できる訳だ。目的だけを見て道中を楽しまず生きるのは危険だと先人は言うが、生憎、道中を楽しむ心も私にとっては借り物だ。様々な経験から作り上げ生活の充足を最優先する機構に過ぎない。私という人格は確かに私のものだ。ただ、何かを感じ取るだけの「人間性」は、どちらにしてもない。
 ならば、それを活用しなければ嘘だろう。
 利用できるものは全て利用する。基本だ。
 最初から最後まで人間の真似をして人間の様に充足を得て人間の様に幸福を感じ取るフリをする・・・・・・そして何より人間の充足を得るという行為を真似ることそのものに愉悦を思い楽しみがあるかのように振る舞うのだ。
 面白いではないか。 
 中々皮肉が効いていて良い。
 我ながら素晴らしい発想だ。
 ならば早速実行に移すだけだ。現状実用化までかなり時間を要しそうだが、金さえ手に出来ればすぐにでも可能だ。不足はそこだけだ。
 あの女から言わせれば、そんな在り方は摂理に反しており、それを幸福だと捉える事は間違っていて、真に幸福足り得る在り方を探す事が正しい道筋だと言うのだろうが、しかしだ。現実問題、私はそれでいいと思っているし、何より真の幸福とやらは、私には感じ取れない。
 無いモノを押しつけられても迷惑だ。
 無いモノは無い。それはいい。問題なのは無いモノを押し売られる場合だ。自分達がそうだからと言って、化け物の存在を否定するとは。全く、仕事の一つもしたことのない連中は、これだから困る。
 摂理に反する?
 幸福と捉える事は間違い? 
 真の幸福を掴めだと?
 それは王道の話だろう。そんなつまらない話は貴様等でやっていろ。面白くも何ともない。駄作を量産する為にも仲良く薄っぺらい愛と平和の話を突き進み、終わりになって結局何の物語だったのだろうと首を捻っていろ。
 それがお似合いだ。
 金、金、金だ。文字通り全てが買える、問題は買おうとするかだ。そして、私の悪意は無限大だ・・・・・・買えないモノなど存在しない。
 ならば後は突き進むのみだ。
 邪魔する奴は切り捨てればいい。
 栄養になるなら飲み込むだけだ。
 それでこそ「仕事」というものだろう。本来、仕事人にとって当たり前の出来事だが、現代社会では貴重らしい。それだけ「人間」とかつて呼ばれた存在が減ったということか。人間を自称するだけで、人間らしさとやらを示した人間など見た試しがない。
 少しは働け。
 話はそれからだ。
 大体、他人の国に民族主義を持ち込む時点で、戦争を仕掛けるに等しい行為だ。その上文化を無視した建築物を乱造し、中身のない企業を乱立させた挙げ句、泡が弾けた時に自分達だけは無事にすませ、あまつさえ大恐慌を利用して儲ける奴が好かれるとでも思っているのか?
 自分達のした事には目を向けないというのは、持つ側に良く見られる傾向だ。
 だから図々しいというのだ。
 そういった連中が世界から綺麗さっぱり消え去るだけで、かなり住みやすくなる。当たり前だ。意図的に経済に混乱をもたらす奴など、いるだけで迷惑だ。大国の民族主義にもこれは多い。覇権を握るのは我々で、他国はおとなしく隷属するのが当然であり、何一つ省みない。
 同じ事だ。
 石油を愛し電気自動車を作らない様に仕向ける事は、間接的に地球環境の破壊を促進し、結果、人間が住めなくなったのだから、民族大虐殺どころか、人間全てを虐殺していると言って良い。私からすれば、連中は惑星破壊を行っておきながら迫害される理由がわからない不当だと、雇用を減らして自殺する市民は「直接殺した」わけではないのだから数えないと、そう言っているに等しい・・・・・・直接関わらなければ暗殺者に依頼してさえ罪科はないと歌うのだ。
 文句を言う前に、自分達の民族にある恥の部分を殺し尽くせばいい。話はそれからだ。
 少なくとも、純水な水で作られたプールを泳いで下らない成金趣味に浸る暇があるなら、出来る事は他に幾らでもある。石油という恵まれた資源を大国に言われるがままに売り捌き、無茶苦茶な資源力による世界への介入で経済を乱し、結果、連中の拝金主義が世界にはびこり、大国もそれに従った。いやこの場合、大国すらも連中の言いなりというべきか。その感性は石油資源が枯渇し、新しい資源が見出された、宇宙に人類が乗り出し星を渡り歩くようになった今でも同じだ。
 とにかく、独占したがるのだ。
 素知らぬ顔で他国に住み着き、その国の経済に介入して、全体ではなく自分達の利益しか考えずそのくせ善人面だ。何も悪い事はしていないと、そうぬかすのだ。株価を操作し暴落で儲け他国に介入しながら帰属意識を持たず、しかも資源を独占することで世界中に経済被害をもたらす存在が悪ではないとすれば、民族浄化も罪にはならないだろう。言っては何だが大きな暴力には原因が必ずあるものだ。苛立ったからという理由で、敵対者とみなし攻撃し続けるなど不可能だ。
 善人面した奴に多いが、「自分達には攻撃される理由などないし、嫌われる覚えもない」などと良く言えたものだ。生きていれば必ず何かしらの恨みは買う。当たり前だ。それを自覚しようともしないまま、今まで身勝手に置き去りにしていただけではないか。それで「自分は被害者」だと? すべからく人間とは加害者なのだ。
 それを自覚しようとしない屑は虫酸が走る。
 幸運に恵まれただけの間抜け面を、どう好意的に見ろというのか。少なくとも私は無理だ。
 何かを悪だからと考え、それが悪かったから、自分達は何も悪くないと考えるのは、ただ現実に目を背けているだけなのだ。一方的に虐殺されただけの民族にすら悪はある。闘争は生物の義務であり、ガラス玉と金の価値を見定めようとしないその怠慢が悪なのだ。
 何度も言うが、世界に悪でないものはない。
 
 全てが、悪なのだ。
 
 正義と呼び思想と呼び主義と呼ぶだけだ。そこを誤魔化して自分達を正当化しようとする奴は、単に「世界の事実と向き合う必要が、あまりにも恵まれすぎてない」というだけだ。現実を生きてもいない凡俗が綺麗事を語るんじゃない。
 そんな資格は貴様等にはない。
 少しは弁えろ。
 後になって敗北した事を「不当だ!」と叫び、多人数の意志を尊重する事で「皆の理解」を深め支持を集めようとするのは「卑小」だ。手段を選ばず戦っているつもりらしいが、卑しいだけで、何一つとして語るに値する部分がない。保守派の連中が後になって「選挙に不正があった」とか、「票数を数え直すべきだ。正当な選挙制度は守られなければならない」とマスコミを支配し異民族拝金主義と通じ紛争を操作する事で連中の支持を得て自分達の「権力という見栄」の為に国を食い物にし民衆を都合良く利用して小綺麗な政治文句を歌うだけで権力と既得権益と下らない自己正当化する為に必要な金をばらまけば支持してくれる富裕層達を得る為に、今まで散々好き放題をしてきたとしても、自分達の所行については何一つ悪びれないのと同じだ。そもそも、そんな作り話に感動する馬鹿が、選挙を覆せると思うのか?
 どこの種族も屑はいる。
 持つ側に立ってすら、連中は「正しい」とか、「素晴らしい」と「無条件で認めるべきだ」と、そう思っている。認めなければ力で弾圧し、認めざるを得ないように追い込む。まさに子供だ。私からすれば「大きくなった子供」であって、栄光を追い求める姿が滑稽に見えてならない。
 どこであれ同じ事だ。
 民族や主義、正義や権利を語る奴は、そういう夢ばかりを追い求めるだけで生活出来る。理由は簡単だ。単に、資源を独占して豊かであるからに過ぎない。現実に生きる奴からすれば迷惑千万だ・・・・・・大体が、そんなに種族や正義が気になるのであれば、私のように人間をやめればいい。人間の種族間の違い、人間の正義という建前、人間の争いの原因など、どうでも良くなれるぞ。
 異民族資本だから不当に迫害されているなどという情けない言い訳もな。貴様等は単に、迫害されて当然の事をしてきただけだ。そもそも貴様等が独占している富だけで、どれだけの不当に迫害されている人間が飢えなくて済むと思っている。 
 全ての人間を救えるだろう。
 
 少なくとも金銭面では、だが・・・・・・争いそのものは消え去らないが、金銭による不当さは消えてなくなる。無論机上の空論などではない。
 ただの事実だ。

 それだけの人類を現在進行形で虐殺している、と、言い換えて差し支えない。

 直接撃ち殺すかパンの供給を減らすかの違いだ・・・・・・それを「自分達のせいじゃないから悪くはない」と言い訳するのであれば、民族虐殺も政府のせいではないから悪くないと受け入れろ。本当にあったのかと言えば、後から政府側が印象操作する為にやったという方が現実味はあるがな。
 まあどちらでもいい。
 それ相応の行いをしたのだから、当然だ。
 人間がアンドロイドや人工知能に取って代わるのも同じ理屈だ。今まで散々自分達の掲げる人間らしさを蔑ろにしてきたのだから、今更、人間がアンドロイドや人工知能より豊かな感情や創作物を作ろうという発想が間違えている。私か? 私の作品は「豊かな創作物」ではない。読者を発狂させ人間不信を起こし信頼すべき事柄を疑うべき事柄へと変え自身の過ちを無理矢理直視させる、言わば「劇薬」だ。常日頃から物語とはそうあるべきだと、強く思う。
 つまらない甘菓子など捨てろ。
 ドラマの台本じゃあるまいし、小綺麗な物語を読む行為に何の価値がある。物語物語物語だ。私にとって物語とは、読者の心に無理矢理ねじ込み精神を発狂させつつも中身を塗り替え、地獄を作り出す為の「鍵」のようなものだ。全ての人間に等しく「地獄という概念」を付与する。地獄の中で真に素晴らしい何かが生まれるのであれば地獄を全ての人間に無理矢理適用すればいい。
 言ってしまえばただのそれだけだ。
 用途としてはありきたりではあるが、読者毎の成果の違いは興味深い。「こんなのは嘘だ」と、泣き言を言う奴が大半ではあるが、現実を突きつけられて苦しむ読者の面というのは、何度見ても笑えるものだ。
 買っておいて「騙された」と嘆く読者がいるのであれば、指を指して笑ってやろう。金を騙し取られた気分は恐らく最低だろうが、金を物語で騙し取る気分は最高だ。まあこの私が直々に騙してやるのだ。いっそ感謝されてもいい。感謝の言葉が聞こえないが、もしかして頭が悪いのか?
 人にモノを教えて貰ったら感謝するのが筋だ。そんな事も知らないから騙される。こちらとしては儲かるから構わないが、必要最低限の常識は弁えるべきだ。「この愚か者を騙して頂いて有り難う御座いました」と言ってみろ。なんてな。
 要はそのくらいの自負は持て、ということだ。 そんなのは当たり前のことだ。
 実際、迫害されたから、何だというのか・・・・・・それはそれとして利用するべきではないか。私であれば、迫害そのものを社会風刺作品として毒を効かせながら物語を書く。金次第だがお上の風潮にも合わせてやろう。自身を迫害する連中を勝利へ導く作品を書く、というのもそれはそれで面白そうではある。まあ金次第だ。金を支払わないのであれば同じ民族であれ殺す。金を支払い義務を果たすのであれば、敵対する侵略者ですら生かす価値がある。仕事とは、そういうものだ。
 それが「仕事」であれば、だが、
 元より私には「集団意識」など皆無なので自身の属する民族と言われたところで、確かに食べ物を美味しく作りはするので重宝するが、別に種族そのものに思い入れがある訳ではない。グレイ型でも円盤型でも何でもいい。むしろ、人間は義務一つ果たせない生き物なので、いっそ他民族ならぬ多種族との方が、仕事はうまく行きそうだ。
 検討しておくとしよう。
 私には何かを味わうという概念がない。所詮、真似しているだけだ。味など感じないが美味しいという事にし、欲望など感じないが充足しているという体にする。毎日スポンジを食べているようなものだ。全てが味気ない。そして、私は味など自己満足で済ませられる存在だ。
 だからそういったあれこれに惑わされて、己のやるべき「仕事」を果たさない奴は絶対に相容れない存在だ。何かを成し遂げる為には人間をやめる必要がある。だが、連中はその覚悟をせずに、成し遂げる部分だけを欲しがろうとし、しかも、幸運によって恵まれるだけで成果を手にするのだ・・・・・・向き合ったら殺し合うしかない。
 力には責任がない。石油という主導権を握りながらそれを独占し、他国首脳が追随せざるをえない環境を作り上げ、ファーストクラスに鷹の席を用意する暇があっても、経済を率いる身としてやるべき事柄は、相場の操作による利益獲得であり首脳陣に対して便宜を図りながら、連中の利益を守るよう指示することだからだ。
 何であれ、大きな力を持つ存在には、引きずられるのが世界の有り様だ。だが、そこに責任は存在しない。好き放題暴れるだけ暴れても、文句を言える奴がいないからだ。結果、連中の好き放題な行動の為に、世界中が引きずられて経済の在り方を歪ませている。
 テロ行為を自覚しないテロリストだ。
 自身では「善行」だとすら思い込む。
 実に質が悪い。そういった在り方は成金にも、非常に多い。大国のベンチャー企業が大きく成功した際に良く見られる行動だ。連中は「仕事」をしているのでは断じてない。そこにあるのは金を儲ける「だけ」の行為であって、仕事でも何でもないのだ。詐欺を働き金を搾取しているだけだ。 連中の為に劣悪な労働環境でノミやシラミの溢れる雑居房以上の最低な場所に男が数十人夫婦が一組といった環境下で、出産をする国民がいる。 それを間接的に強要しながら、どの口が迫害を叫ぶのか、最早不思議だ。理由はわかっている。連中には「自覚」がないし、する気がない。
 何をやっても、その行いは全て正しい。
 言ってしまえば人の家に入り込み、住民の仕事を無理矢理奪い、あまつさえ自分達の方が出来ると豪語しながら家を勝手に動かそうとする寄生虫なのだ。だから「悪意」がない。むしろしてやる立場なのだと、そう信じ込んでいる。
 やりたいなら自分の国でやれ。
  他国どころか世界中に迷惑をかけるんじゃない・・・・・・正当化する暇があるなら鏡を見ろ。仕事を作り上げ社会に示せ。相場などというありもしないモノをいじる暇があるならば、民族の恥を晒している代表者を首吊り処刑にすればいい。何もしないで正当性だけを訴え、自身を省みずに迫害は悪い事だと叫ぶのは簡単だ。だが、簡単であるが故に、その行いは同じ不当を押しつけられた、連中が「正しい」と勝手に思い込んだ行動の為に傷つけられ迫害され不当な扱いを受けた側には、調子の良い言い訳以外の、何にも聞こえない。
 実際、言い訳だしな。
 むしろ堂々と開き直り最初から略奪に等しい、その経済行為を晴れ晴れと語りながら戦争をしているのだという自覚とともにあれば、陰口の様な迫害は無かっただろう。もしそうであれば、他国がそうであるように、戦争として扱われた筈だ。 戦争を仕掛けておきながら、その自覚がない。 それでいて、実利だけは掴む。
 忌々しい話だ。実際、私とも無関係ではない。そういった搾取層、鬱陶しい善人面をさげながら堂々と圧制を敷く屑共の為に、私はいらない徒労をかけているのだ。取るだけ取っておいて自分達は悪くないと叫ぶ愚か者に、かけるべき情けなどありはしない。
 全ての人間がそうではない、という意見も多いのだが、同じ事だ。そもそも他国の内政に干渉をするのが度の過ぎた行為なのだ。私であれば石油による世界経済の在り方を歪ませる行為が障害になるが、それが国であれば警察、消防、司法に至るまでよく知りもしない連中が難民だから助けてくれと身勝手に叫び、それでいて中に住みだせばその国を食い物にして、メディアを自民族で統制した挙げ句、自分達は被害者だという面の一方で形のない会社を山ほど作り上げ、投資を募り国民を破産させる。しかも、自分達だけは売り逃げるので、結局損はしていない。
 エイリアンが地球人を虐殺していったが、一部のエイリアンはそうではないから和解して仲直りした上で和平を結べると思うのか? 個人としてはともかく、少なくとも自分達の国、生活、経済を守りたいのであれば、好悪の入り込む余地などどこにもなく「生存の為」に否定するのは当然の事なのだ。
 それが出来ない奴は死ね。
 誤魔化す奴は虐殺しろ。
 それは、生きる上での「義務」だ。綺麗事に従ってそこから目を背ければ、自分達の生活一つ、守れない。食い物にされるか相手の面倒事で迷惑をかけられるか、何にせよロクな事にならないのは確かだ。実際、綺麗事を掲げて難民を受け入れるような政治家は、恥を晒す前に自害するべきだ・・・・・・そんな不始末を起こす奴を「政治家」とは呼べないだろうが。
 綺麗事は「簡単」だ。何せ、自分で考える必要がない。現実に「生きる」のであれば、理不尽と向かい合い、決して綺麗事では解決しない現実に折り合いを付けながらも己の答えを示す事だ。私からすればそこから目を逸らして現実を生きていないだけで、それでも生活が維持できる程に余裕があるだけに過ぎない。そんな奴は生きていないどころか、死体よりも役に立たない。
 叫ぶだけだ。それ以外何も出来ないだろう。
 回りで影響を受ける側は、いい迷惑だが。
 生きていく上で必要なのは、邪魔者を斬って進み斬って進み斬って進む事だけだ。切り終わってから他を考えればいい。正しいとか正しくないといった言葉遊びについて考えるのは、首が切り落とされているか確認してから行うべき行動でありそれを切り捨てる前から考えるべきではない。
 当たり前の事だ。
 少なくとも、生きる上では当たり前だ。
 当たり前の事を当たり前にすればいい。
 少なくとも「我々にどこかの国が、土地を提供して貰う必要がある。それと、有能な異民族人がそこに移住しようとするかが大切だ」などと甘えた台詞を吐く暇はない。ホテルの客じゃあるまいし、侵略した国に対して図々しくもそんな台詞を吐くような連中と、同じやり方では決して、勝利出来ないだろう。
 経済的な侵略は戦争ではなく、むしろ当然の権利だと思い込む奴は、何も連中に限らない。資本主義が発達した国にいる経営者には実に多く、国の中枢ではなく個人の生活を侵略するというだけの違いで、実際に他者の生活を脅かしている部分は変わらない。それを、他者の生活に踏み込み、侵略行為を働いている自覚がありながら、連中は「何も悪い事はしていない」と、当然のように口にする。何度も言うが、それが悪行でないなら、民族淘汰など優しいものだ。
 どこの国でも必要な作業だしな。
 自国民以外を一定量入れて、それでも瓦解しない国家など国家ではない。単純に国民意識もそうだが、現実問題自国の経済に他国、どころか国を持たない連中などを入れて平然としているのは決して「道徳的で人格者」だからではなく、単に、現実が見えていないだけだ。
 殺すのは「悪」だが、それ以外は何をしても構わないという頭の悪い思想が多いのは、その方が「道徳的に見える」からだ。冗談じゃない。それが通るなら文字通り「何でもあり」だ。言っては何だが労働環境を劣悪にし、人生そのものを最低の状態に追い込むのは、すぐに殺されるより絶対に苦痛は大きい。生きるからこそ苦痛があり、生きているからこその苦悩がある。すぐに死ぬだけであればその苦痛はその時だけだ。それが良い訳ではないが、わかりやすく悪そうだからと、それを否定して思考放棄し、現実に苦しむ人間を置き去りにするのは、非道を通り越して愚かだ。
 実に愚かしい。
 その様で「自分は善行を積んでいるから天国に行けるのだ」と語る姿は、愚かを通り越して醜悪が過ぎる。醜い。魂に純度があるならば、連中の魂はドブ以下だ。圧制者にありがちだが、どんな悪行を働こうと自分達は人間であり、人間の法律に従って権利と自由があると、口にする。
 いいや、無い。
 貴様等は人間ではないのだからな。
 隣人を愛し、友情を尊び、社会に貢献するのが「人間」であるならば、好き勝手に経済を混乱に導き、しかも己の民族が作り上げた訳でもない国に寄生した挙げ句自分達はその国の住民だと勝手に言い張り、公共機関にも属する権利があると、あらゆる陵辱を見知らぬ国家に対して行っておきながら「人間らしい権利」を主張するような奴は人間ではない。侵略しに来たエイリアンの方が、まだ平和的な侵略をするだろう。
 目に見える暴力でないからと、目先の事が見えていないのだ。何もかも己で決める行為は危険でもある。遙か先が見える代わりに、目先の事が見えない。目先の「暴力らしい暴力」にばかり目が行って、本質的に危険な行為がわからない。
 この辺りは国の教育不足だ。
 綺麗事ばかり教えてないで、そういった意識を教えなければならないのだ。現実に生きる上で、「教師」などという凡俗共の教える事柄など文字通り何の役にも立たない。子供に対して権威を振りかざし、暴力でしつけ、自分を認めさせる事に血道を上げる姿は、まるで「石油王」だ。連中と本質的に同じなのだろう。「当人の力ではない、降って沸いた何か」に庇護されているという部分では同じだ。何も変わらない。
 「教師」とは「遊び人」の別名だ。少なくとも現代社会ではそうだ。人に教えられる程の逸材が教育に立つ事はない。教育を軽視し本を読まず、電脳世界の中で下らない知識をかき集め、実体験のない生活を送りながら誰かに聞いた台詞を話す・・・・・・物事の本質という概念そのものが、既に失われているのだ。
 嘆かわしい話だ。
 変わらなければならない。そして何より変えようとしなければならないのだ。我々に出来るのは何かに挑む事であって、戦わなければ成果は得られない。得られたところで降って沸いた成果など何に使うか考える脳味噌もあるまい。
 それでは意味がない。
 何の価値も示せない。
 まさに無駄そのものだ。
 意志という資源、思想という大筒、そして憤りという火薬を持って、我々は前へ進まなければならない。それが人間として生きる上での最低限の義務であり、それを果たす事が人間の素晴らしさである筈だ。
 言葉に力はないが、それを現実にする行動力が本来人間にはあるのだ。力を無駄遣いするな。私でも出来るのだ。出来ない筈はない。その意志を持って経済的圧制者に一矢報いるのだ。一本一本はかすり傷でも、電脳世界という呼びかける能力を活用すれば、億の矢の雨を降らせられる。
 私に出来るのは、それを伝えるだけだ。
 まさに無力の象徴ではあるが、何か役割を果たせと言われれば、私は作家なので当たり前の事をわかりやすく伝える程度でしかない。とはいえ、それも数多ければそれなりにはなる。私は個人でしかないが、暴動、いや革命を起こすのにまさか私のような物書きしかいないという事はあるまい・・・・・・人間には役割がある。各々の役割を活用し計画を練れば、政府だって倒せる力がある。
 私はそれを、少しだけ後押しするに過ぎない。 人間の意識が言葉程度で変わるとも思わない。物語に力などないし、言葉に価値などない。だがそれでも最低限の事は伝えられる。あくまで最低の事だけなので、それだけでは駄目だ。結局の所動く人間がいなければどうにもならない。
 参考程度にしかならないが、せめて、参考にすることで更に活躍の場を広げられる逸材が、同じ時代にいれば良いのだが。
 果たして私の作品はどうなるのだろう。
 恐らく、影響力はあるまい。言葉に力などないのだから。物語の力で英雄になれるなら誰も苦労しない。物語は、所詮物語だ。そういう考え方もあるのだと、参考にするに過ぎない。売上げだけあがってくれれば、私は満足だ。
 しかし、上手く行かないものだ。
 いっそ他国に持ち込みでもするべきか。だが、言語の壁を越えられるのだろうか。あらゆる意味で私には「特別な才能」はない。便利な有能さがあれば、作家などなるものか。何一つない無能だからこそ作家などを志すのだ。それもただの無能ではない。ひたすらに敗北し続け屈辱を飲み込み全てに失敗した奴にしか、なれない。成り果ててしまわない、と言うべきか。
 思えば、最初の作品は盗作だった。作品を練る才能すらなかったわけだ。だがそんな才能は必要ない。作家であるのに必要なのは、全てに対して不信を抱き、完全な暗闇の中に己を置いて、幸福から全力で背を向けて、人間らしさの全てを殺し尽くすことだ。
 完全なる敗北者。悪性の煮込み鍋。人間の失敗作。世界の敵対者であり、摂理に挑むものであり・・・・・・何より、人間を捨てる者だ。
 捨てたところで金にもならないのだから、いや私の場合最初から無かったので、案外生まれる前に他の連中が押し売りに負け受け入れる中で、私は「そんなゴミはいらない」と、断ったのかもしれない。ありそうな話だ。
 連中のように浅ましく生きるのは論外だが伝統や信念だけでは足りないのだ。「心」などその最たる例だろう。誇りは大切だが誇りだけでは足りない。それではゴミ共を放逐する事は出来ても、内側から新しい何かを生み出せない。
 画一化するだけでは駄目だ。
 それでは、手抜きと変わらない。
 感染症の治療を行わず「診断」だけを下す治療ニヒリズムと同じではないか。そうではなく民族の誇りや仕事の出来に対する自負を持ちつつも、表現する形やそれをどう出力し方向性を定めるかだけは、常に変えなければならない。
 弾丸は同じでもいい。だが撃つ場所は別だ。
 そんなのは、当たり前のことだ。
 無論、敵対者が情に訴える姿を見て、手を緩め手を取り合おうとする「世間の正しさ」に従う、思考放棄ではない。むしろ、逆だ。敵対者を直視した上で、銃口を向け覚悟と共に弾丸を放つ必要がある。それが生きる上での戦いであり、それに目を背けるのは「善良」なのではなく「卑怯」なだけだ。自分の弱さから目を背け、敵対者にも、事情があるから「可哀想」だと。手を汚す事を怖がるのではなく、手を汚すことなく自分達に報酬を支払うべきだと、そう「言い訳」するのだ。
 情けないにも程がある。
 平和など勝者の屁理屈だ。前回の戦争で勝利者となった連中にとって都合の良い世界。それが、平和の正体だ。その結果数え切れない程の労働者が失業し、首を吊り死んだとしても「尊い平和の為に、戦争は許されない」とほざく。
 平和なのは貴様等の頭の中だけだ。
 争い事を避けた結果、得られたのは平和などという幻想ではなく、搾取する口実の溢れる、奴隷を堂々と首輪を付けて飼える世界なのだ。持つか持たざるか。それだけで全てが決まる。人間性はおまけだ。殺される前に殺さなければならない。圧制者共が堂々と殺す世界で「戦争は悪い事だ」と口にしたところで、連中は堂々と搾取し結果、死んだとしても何の責任も取らず、それを追求は出来ない。「平和」な世界では「暴力の保有」を認められるのは「持つ側」だけであって、暴力で事を進める権利を「持たざる側」だけは決して、保有しないからだ。
 だから、連中は堂々と搾取できる。
 都合良く暴力を管理し、まるで世界が正常であるかのように「演出」し、自分達だけは法も倫理も無視出来る「権力」を持つが、下々の庶民が争いでその体制をひっくり返しては困るので、連中は「道徳」を持ち出し自分達にとって都合の良い「規範」を語る。それを守る事が民衆の義務だと刷り込む事で、「例え自分達の生活や命がどれだけ危ぶまれようとも、悪いことはしてはいけないから耐えるべきだ」と具体的な行動をせずに道徳に縋ることで「現実の戦い」から目を背ける民衆がいいように「搾取」される訳だ。
 今すぐにでも銃を買え。
 何なら刃物でもいい。それを持って圧制者を殺してみせろ。一人殺す毎に世界は少しずつマシになるだろう。それを合法にするのは簡単だ。
 
 大勢の民衆を束ねればいい。
 
 集団であれば、まさか全てを公的機関で取り締まるわけにもいくまい。電脳世界の良い部分を、今まで若者は散々無駄に使ってきた。
 「誰がやったかわからない」という部分だ。
 下らない誹謗中傷を流す遊び道具ではないのだ・・・・・・革命は本来、情報を伝達するのに恐ろしく時間がかかるが、現代ではその欠点はない。政府が検閲するという問題もあるが、検閲できるのは特定の単語や人物であって、全ての人類の情報を完全に把握するのは、幾ら科学が発展しようが、それこそ人工知能でもなければ不可能だ。
 だから、その情報を拡散すればいい。
 世界中を「燃え上がらせ」るのだ。隣人が必ず政府に対する不信を行動として実行し、それを、子供に力強く語りかける世界を作り上げろ。搾取されておきながら「善意に逃げ」て現実の戦いに目を逸らすような、情けない言い訳を容認してしまうような世界には、断じてしてはならない。
 全ての人間が、完全な「役割」を果たせる世界を作り上げるのだ。それが人類の向かうべき目的であり、少なくとも数が少なかった時代には達成されつつあった目標だ。争いを避けぶくぶく太るだけの人材を増やし、平和だと言い訳して淘汰を行わなかった「結果」が「この様」だ。
 良い悪いなどという陳腐な話ではない。しなければ「滅ぶ」のだ。生存の為の戦いから逃げて、得られる何かなどあるものか。戦わなければならない。私は筆だが、貴様等はどうだ。何が出来る・・・・・・何でもいい。彫刻を彫るのであれば、彫刻の形で示せばいい。商品が何であれ「伝えるべき信念」はあるものだ。それを伝えられるだけで、世界に対する「革命」に参加していると言える。 後は貴様等がやるだけだ。
 さあやれ、今やれ、さっさとやれ。
 出来なければ今そこで死ね。そんな奴は元より死んでいるようなものだろうがな。生きる資格があるとすれば、それは「仕事」をすることだ。
 それをせずに、上っ面の権威を振りかざすしか脳の無い奴は、生きるに値しない。どれだけ道徳を「利用」したところで「事実」は変わらない。 意識的に連中が自殺しないのだから、こちらとしては殺すしかない訳だ。争いから目を背けて、それでも争いはよくない事だと逃げるのであれば身内が加重労働で死んでも笑顔でいろ。そんな奴に悲しむ権利はない。「話し合いで解決するべきであり、争いを手段として取り入れるのは神の教えに反する」という奴も多いが、ならば貴様等の神は何の「仕事」もしていないということだ。
 少なくとも人類史において、そういった綺麗事を口にする奴が、体制を覆した事は一度もない。ただの一度もだ。必ず「暴力が介入する」という行動があって「勝利者が政府を作る」事で政府が回るのだ。話し合いで解決すると口にする奴が、果たして何を成し遂げたというのだ。
 「話し合いの余地がない」から争いが起こる。そこから目を背けているだけだ。少なくとも連中に労働問題は絶対に解決できない。解決する気がないからだ。現実から目を背けることで「善意」だとか「道徳」だとか「倫理」に浸る事が目的であって「現実に何かを解決する」ということを、何一つとして「考えてもいない」奴が、何を解決できるというのか。そんなのは子供の遊びだ。
 働きもしない子供に、何が出来る。
 実際、連中は「子供」なのだ。「権威」だとか「肩書き」に隠されているだけで、その実搾取を行われる側が「子供を育てる」行為と何一つ変わらない力の注ぎ方で、連中の尻拭いをしなければならないからだ。わかりやすい「社会的道徳」に隠されているだけで、実際には遊びほうけているだけの「子供」なのだ。
 まずはそれに気付かなければならない。
 そうすることで、戦いを始める意志が出来る。 社会的素晴らしさの幻想に、騙されるのをいい加減止めるのだ。そうでなければ生涯、奴隷のまま子々孫々に至るまで「利用」される。まさに、利用だ。使用し終わったら捨てられる、使い捨てのゴミのように、あろうことか人間がゴミ共に使われるのだ。
 そんな事を、許してはならないのだ。
 そんなのは、当たり前ではないか。
 武器を持て、敵を殺せ、それだけが持たざる者に許された戦いの舞台だ。殺せ殺せ殺せ。今まで散々殺してきた連中だ。誰にはばかることもない・・・・・・異民族人種もそうだが、人を殺しておいて自分は善良だから殺されるべきではないと考える連中には、死を突きつける以外にない。
 言葉で話したところで「無駄」だ。都合の良い解釈だけを行い自分達の非を認めず、それでいて「権利」だけは主張する奴は、結局のところ精神が未熟なのだ。「話し合い」や「相互理解」の、概念そのものがない。そうでなければ他国に寄生した挙げ句経済を乱し、司法にまで立ち入り新聞を自分達だけで作って情報操作し、破壊した経済の中で皇帝の血族すらむしり取りながら自分達は売り抜けるだけ売り抜き、結果本来の国民が劣悪な労働環境に陥りノミやシラミ溢れる数十人の男が眠る場所で分娩する羽目になっても「そんな事は自分には関係ない。全ての民族がそうである訳ではないのだから、自分に責任はない」と言い放つ上、そのくせそれだけの争いを起こしておきながらも他人様の国から出ようとせず、「我々が他に移り住むのであれば、まず国を作る為の土地を用意した上で、全体の意志が一致すればする」と厚かましくも揃って言い出すような愚か者に言葉など無駄そのものだ。実弾を撃ち黙らせる方が、どう考えても現実的だ。
 
 いいや、全ての異民族に責任はある。
 
 何故ならそこは「貴様等の国ではない」のだ。私からすれば侵略して殺しておきながら撃たれる事に「不当だ」と叫ぶ姿は滑稽を通り過ぎて醜悪に過ぎる。本当に移住したいのであれば、経済を独占し権力を握り建築物を乱造する前に、まずは「歩み寄る」べきではないか。その国の民衆に、まずは「認められた」上で「国家に貢献」する事は当然だろう。身勝手に経済を回しておきながら「自分達のおかげであれもこれも出来た」と叫ぶ奴が、どうして好かれると思うのだ。
 自分勝手にも程がある。
 大国主義と同類だ。やっている事は「同じ」だ・・・・・・特許を独占し吸い上げるやり方と、何が違うというのか。同じだ。何一つ変わらない。
 そんな現状を省みようともせずに「自分達には関係ない」と、その現実から目を逸らし、憎悪を燃やす国の中で無関心に安穏と暮らし続ける奴が「まさか自分達が迫害されるなんて」も何もないだろう。それこそ当たり前だ。むしろ、どうすれば自分達だけは迫害もされず、同じ人間として、尊重されると思うのだ。相手を尊重しない癖に、自分だけは尊重されようというのは、子供の勝手な言い分に過ぎない。自分達がいすわるだけで、どれだけの人間が苦しむか、想像したくないし、想像するつもりもないし、それが本当だとしても「可哀想に」と嘆くだけで構わない。そんな考えの奴が手前勝手に「同じ人間だ」と叫ぶのだ。
 いいや、人間じゃない。
 そんな在り方は悪魔のそれだ。
 「昨日までは平和だったのに、信じられない」という台詞は、当然暴挙に出た奴の周囲の連中がよく口にする台詞だ。「平和なのは自分達だけであって、周囲は戦時中より劣悪」だという現実に目を背け続ける。他者を食い物にしておきながら道徳を垂れ流し、罰を逃れようとする。
 本当に図々しい連中だ。
 何も異民族に限らない。そういう奴は多い。私の観点から見れば、それは必ず「持つ側」であり「持たざる側」にはあり得ない。そんな「卑怯」をする「権力」など無いからだ。「権力」を使いながら世界に「正義」があると思い込む。馬鹿げた話だ。権力とは法の理念や社会規範を無視する力として乱用されているものだ。大昔は違ったが現代社会で権力に応じた仕事をしている奴など、いない。もしいるのであれば、その国に労働問題が入り込む余地は絶対にない。
 あるとしても僅かだろう。
 今のような大規模な偏りなど、あり得ない。
 それが「世界の事実」だ。装飾された小綺麗な真実ではない。そんなのは、保守派の連中が自己正当化の為メディアと共謀して作る商品だ。
 そんなものに騙されるな。
 それが「生きる」ということだ。
 思うに、本の一冊も買わない奴が、電子世界のゲームに破産するまでつぎ込むのは、そういった中身の無いモノばかり集めすぎて、内側に誇れる何かがないからだ。だから、電子世界に入り浸り「己の進むべき道筋」を見失う。
 道を見失うのは作家でも御法度だ。今まで散々苦労して一つの作品を極めた漫画家が、他の作品でも成功できると思い上がり、今まで培った作品を捨てて新しい何かに挑戦し、結果浅はかな決断によって面白い物語は失われ、未完の傑作が一つ出来上がる事になる。
 何であれ同じだ。進むべき道筋以外に寄り道をするべきではない。寄り道で得られるのは本筋を放棄してもう戻れないという後悔。得る筈だった未来を失い、言わば私とは真逆の道を進むということになる。
 恵まれた運命を殺し、粗末な運命を生きる。
 笑えない話だ。散々それを目指している側からすれば、財宝を捨てるに等しい行為だ。なまじ恵まれているが故に、「恵まれていること」を自覚できない。何をしても成功や勝利から遠ざかり、今ある運命を殺してでも、人間である事など最初から捨て率先して人間性を利用してでも実利を掴もうとする私が失敗する事を、連中はいとも簡単にこなしながら「もっと凄い事がしたい」などと抜かすのだ。
 色のない個人に価値などない。
 例えばピアノだ。ピアノを弾くだけでは価値がない。それでは機械と同じだ。そんな「技能」は所詮小手先のつまらない誤魔化しに過ぎないのだ・・・・・・憎悪で鍵盤を叩きつけ、憤怒で旋律を作り上げ、殺意で楽譜を作り上げる。
 必要なのはそれだ。
 それがなければ面白くも何ともない。機械でも再現できる音楽は音楽ではない。ただの「音」にすぎない。魂を震え上がらせ精神に介入し肉体を硬直させなければ、どんな分野であれ芸術だとは誰も思わない。
 本来であれば、それも当たり前のことだ。
 だが、その「当たり前」が異民族人のような、人の皮を被った猿共に侵害されている。具体的に言えば、資源や富の独占だ。そして異様な被害者意識を持ちながら率先して関係ない国に住み着き「異民族迫害だ」と叫びたてながらも、自分達の行いに関しては全て「正義」と思い込む。
 実際に見てみたが、実に頭の悪い子供だ。
 何せ、相手の言語もわからない癖に、いきなりしゃべりかけたかと思えば、何を言われているかなどわかりようもない癖に「異民族侮蔑だ」と、そう言うのだ。有名な話だが、連中は子供の頃に「異民族は嫌われ者だ」と教え込まれ、嫌われ者である事を誇りにしろと言う反面、何故自分達がそこまで嫌われているのかに関しては一切、語ろうとはしないし、子供も良くわからないままその教えを受けている。
 そんな連中が「持っているから」という頭の悪い理由で「支配」する。末期だ。何とかしなければ死んだ方がマシだと思いながら、勝手にこちらの国に入り込んでくる所謂その「多国籍企業」に侵略され奴隷にされるだろう。
 いや、既になっている。
 金を持たない奴は、等しく奴隷扱いだ。
 気色悪いのは間違いなく「この現状」を作り上げた張本人の癖に「自分は何一つ悪くない」と、本気で信じ込んでいる部分だ。直接殺したりしていないから、自分達は決して「悪」ではなく不当な迫害を受ける「被害者」だと。
 だが、連中のおかげで、世界経済に突き動かされる人間の、一体何人が首を吊っただろう。いやもっと酷い。首を吊る事も出来ず苦しむだけ苦しみ何故死んだのかわからないまま世を去った奴も多い。「過労死」というやつだ。多国籍企業の台頭は「経済の自由化」を語る一方で、社会の倫理を書き換えた。
 企業利益こそが全て、という思想だ。
 問題なのは企業は労働をする個人ではなく経営する個人の所有物という部分だ。それも、本来は個人が所有したりするものではないが、連中の考える効率良い支配形態には、上に立つ個人が下にいる連中、つまり「奴隷を管理出来る環境」を、必死条件だと考えた。
 元よりそこにあった筈の企業は消え去り、資本を握る自国どころかどこの国にも根ざさない馬鹿に株を握られ、しかもそれを国に関係ない人間が売り買いし、現地で加重労働を強いられる奴隷に賃金を支払わず、現地の地理名すら知りもしないアラブ商人が懐に収めるのだ。
 厳密に言えば「支配者の懐が全て」だ。
 中身のないサービス、社会に必要ない文字通りゴミにも劣る商品が売り捌かれるのはこの為だ。どころか、連中は堂々と政治家にすり寄り内政に口を出し、有利な法案を通させ懐を肥やし続ける・・・・・・「異民族は被害者だ」を合い言葉に。
 その一方で好き勝手に新聞を書くのだ。
 実際、異民族系列の新聞社は、必ず全員が異民族出身だ。なので好き勝手に記事を書き換え取材すら行わず表紙を決める。
 何とかして殺し尽くさねばならない。
 人間が人間らしく生きる世界があるとすれば、連中は邪魔だ。私が生きる為にも、邪魔になる。  何より、情報操作で自分達の評判をよくする奴は私の敵だ。死んだ方が社会の為になるような連中でなければ、そんなことをそもそもしない。ロクな奴がいないのは確かだ。何せ、情報操作を行わなければならないほど、後ろ暗いのだから。 
 

 人間の細胞でもそうだが、必ず害悪になるべくして生まれる部分がある。人類もいい加減、自分の身体に住み着くガン細胞を駆逐しなければならないのだ。綺麗事ばかり並べて仲良しこよしを演じたところで、そのままでは腐るだけだ。仮に、腐り落ちたとしても、断っておくが貴様等が浸水する保守派の政治家が、責任を取る事は決して、ありはしない。
 責任など逃れてしまえばいいと思う奴等だ。
 権力を持てば責任を果たす義務がなくなるのではなく、権力を追い求める時点で責任を果たさなくとも自分の保身が出来るように動いているものなのだ。真に責任を果たすなら、誰かに認められる必要などどこにもない。己で定めた在り方を、誰かに責任を取って貰おうとする事などない。
 当たり前の事だ。
 先祖が幾ら偉大な王であるソロモン王であったところで、いや、だからこそ現代社会では富だけを引き継ぎ連中にその思想など受け継がれてないのが実状だ。全能の存在だったと聞くが、全能であるのは本人だけで、それに頼り切る民衆は何も学ばず成長しなかったということか。
 そういう話は今でも多い。
 有能であればいい、などと。馬鹿馬鹿しいにも程がある。その有能さに頼る連中は何も「仕事」をしないという事ではないか。個人としての優秀さではなく、仕事を与え役割を導きそれを仕組みにする「行動力」が必要だ。引きこもって有能さを振るうだけなら、管理職と変わらない。
 それで何の意味がある。
 何一つ価値は生まれない。
 まさしく「徒労」だ。
 ソロモン王は即物的な「富」よりも「道徳」に重きを考え、そうでなければ富は失われると説いたらしいが・・・・・・現代社会で石油を握る連中が富を失うなど、仕組みからしてあり得ない。戯言でしかない。現に、その子孫は圧倒的な富を多くの国に大金をふっかける事で握りながら、何一つとして「世界の経済を活性化させる」事には使おうとしていない。これは事実だ。
 そうでなければ、何故「石油に変わる資源」を出そうとしないのかという話だ。地球から人類が外に出ても、連中は「石油」から「鉱物資源」に鞍替えしただけで、根本は同じだ。石油を扱う時は「電気自動車は危険だ」と叫び科学の発展を妨げ地球温暖化を促進して、鉱物を扱う時は「代替が可能な粒子資源は危険だ」と叫ぶ。要するに、自分達の富を独占できるようにしたいだけだ。
 どの辺に思想が受け継がれているというのだ。 もしソロモン王が、この現代で王政を敷くのであれば、それなりの成果を上げただろう。国民の支持も得られるし、国を発展させ後々に名前が残るかもしれない。だが、教育の現場に立ち、教育を施して導こうとするならば、二流だ。子供達は先生の有能さに頼り切り、後々に何も残せず、残るのは「教師が有能だったらしい」という噂だけで、後には何も残らない。
 まさしく二流。いや、それ以下だ。
 実際、その思想は受け継がれていない。代替となる資源は、大昔石油がそうであったように今も独占するだけで手にした金を飲める水のプールを作る金と、愛する鷹がファーストクラスに乗れる席の確保と、自分達の教えがあれば豊かになれるのだと「思想よりも知識が大事」だと、金の独占だけを考えている脳味噌から抽出するだけだ。
 ソロモン王の考え方事態は悪くないが、綺麗事ばかりでそれに関する実体験、というか生々しさが足りないからだろう。神を崇めるように国民はその教えを受けたのだろうが、それだけだ。本気でそれが自分達の役に立つと考えている奴が一人もいなかったから、現在の資本主義社会は異民族の連中に、拝金主義を良しとする形でのみ、構成されている。
 そうでなければ他国に移り住んで、泡沫の如き会社を乱造し、売り逃げたりしないだろう。
 それがまごうことなき「事実」だ。
 まずはそれを受け入れろ。
 何か利点があれば何か欠落があるのも世の道理なのだ。「持ちすぎた連中」に「正当性」を求める事が間違えている。少なくとも多くの金を持つという事は、多くの「自身以外の正当性」を殺す力を持つという事だ。誰よりも「悪」を肯定する立場にありながら、自身の悪を認めず「善良さ」があるのだと、「素晴らしい人間なのだ」と思い込みたがる。何より悪を成しながら善良さを歌う癖に、どうでもいい連中同士で連みたがる。
 
 つまり「利点」だけを取ろうとするのだ。
 
 実に図々しい。私は「人間の真似」を充足の糧にしているが、それだけだ。どれだけ人間を真似しようが、何一つ感じない。落語を見ても落語の技術とその素晴らしさが、噺の巧みさにある事は理解しても、それを「共感」することだけは出来ないままだ。我ながら笑う事も笑う瞬間を逃さない事も笑いを自然に出す事も上手くなったが面白いと思う事はあっても、感じることはやはりない・・・・・・それは心で感じるものだ。
 それを求める気など更々ないし、どうでもいいことだ。今そこにないモノを無理矢理求める必要はあるまい。あれば便利かもしれないが、いや、心などあるだけで足を引っ張りそうではあるが、何にせよ「今ある何か」で勝負するのは基本だ。 心が無いなら無いで、それは利用するべきだ。 それから目を背け、現実と向き合わず、利点は求める癖に欠点を直そうとはせず、さりとて克服しようとも、利用しようともしない。行動せずに口先と権力だけで無理強いしようとする奴に、生きる資格などありはしない。
 何かを口にする権利があるのは、仕事を成そうと心がけ、それを以て理不尽に挑む者だけだ。
 権利もないのに図々しいぞ。
 少しは弁えろ。
 私は金が好きだが、それは理不尽に振り回されない力だからであって、金そのものを涎を垂らし崇めるようなやり方は虫酸が走る。あくまでも金は金だ。金そのものは所詮印刷される紙幣や、発行されるデジタル通貨でしかなく、金そのものに重きを置くのは、連中の先祖であるソロモン王の教えにも反する。勘違いされがちだが、連中は信心深い訳ではない。単に「昔からあるから」という理由で「続けて」いるだけだ。最近は棄教をする若者も増えているらしいが、狭い世界に閉じこもっているおかげで外の世界を何も知らない。
 しかし、大儲けした異民族共が虫のたかる家に何十年も住むのは、無知だからではない。それが連中の性質だからだ。何十年どころか何千年も前からその在り方は変わらない。自分達の国を捨て他国に移り住み許可もなく経済を破壊しその国の人間に疎まれながら「何も悪い事はしていない」と叫び、故郷を捨てて放浪していながら「文化を捨てる事など出来ない」とほざく。社会に貢献が出来る業種を何一つやろうともせず、中身の無い企業や為替に交易といった「中間搾取」を良しとする仕組み作りに熱心に励み、労働を押しつけられれば「強制労働だ、差別だ」と抜かす。
 現地人に金を貸し、兄弟には貸すなという言葉が、連中の聖書にある位だ。それだけ他民族を都合良く「使って」おきながら、自省どころか自覚が無い。自覚する気もないし、むしろ自分達が「比類無き善人」であり「道徳者」であるのだと思い込む。それこそが「正義」だと、都合良い部分だけを信じ、それ以外を悪だと排斥する。
 好かれるわけがない。
 この新時代、人類が宇宙に飛び立ち地球を捨ててから何千年と時が流れた今でさえ、連中は拝金の根強い力で「既得権益」を握っている。異民族の為に一体どれだけの技術が「既得権益の邪魔」になるからと排斥されたことか。連中の邪魔さえなければとうの昔に電気自動車が開発され、地球温暖化はなくなり、かつ、経済大国がドルを握り支配する仕組みが崩壊し、各々の国家が独自性を思うままに振るえる本当の意味での「国際社会」の実現に、そう手間はかからなかっただろう。
 噺が長くなったが、現代社会において自分達の有利な仕組みを作り、搾取し、ふんぞり返る奴は無条件で私の「敵」だ。そんな連中にかけるべき温情など何も無いので、切り捨てる為に必要な事を済ませるとしよう。
 ソロモン王は金そのものよりも倫理を重んじる王であり、しかも神から「全能になれる指輪」を貰ったと聞くが、しかし連中の奇行を見る限り、そんな便利な指輪がなくとも、何ならぼおっと、王座に座っているだけで良かったのではないのかと思わざるを得ない。
 人工知能分野に関しても連中は噛んでいると、そう聞いている。と言っても「出資」だけで直接関わろう筈はない。何せ、この時代においてさえパソコンを知らず近代文明に触れず外の世界を知らないままの連中だ。私はアナログ主義だが科学を知らない訳ではない。閉鎖的な空間で自分達の都合の良い思想にどっぷりと浸かりながら、外に目を向けず開き直る連中に、「新しい何か」を、作り上げられるかなど、考えるまでもない。
 未来に何も残せない人材など、余分に世話する義務はない。綺麗事を言っていないで、皆殺しにしてでも追い払うのだ。さもなければ、綺麗事のツケを「失業」や「経済奴隷」という形で、関係のないこちらが支払う羽目になる。いや、すでにそう成り果てているのだ。
 綺麗事の妄想から、目を覚ますのだ。
 現実を見ろ。連中がしたのは経済の破壊と蹂躙そして、身勝手な正義だけだ。
 死んだ人間に感情移入して大儀を唱える馬鹿はまさにその例だ。死に関する責任は死んだ当人が背負うものであって、死んだ奴を「暴れる理由」にするのは、決して「死者の為」ではない。所詮それは当人の人生における「理不尽」であって、その理不尽を歩いた当人自身だけが、運命に対し文句を言う権利があるのだ。
 いもしない死人すら利用して正当化する。
 他にやることはないのか?
 大切な誰かを思いやるから、ではない。それは「自分の心を慰める」為だ。調子良く言い訳などする暇があったら、仕事をして働け。
 何度も言うが、それが出来なければ死ね。
 理不尽と向き合う気が無いのであれば、生きる資格はそこにない。
 
 理不尽に挑むには理不尽に生きるしかない。
 
 我ながら倒錯した在り方だが、それしか方法が無いのだから進むだけだ。私が滅ぶ時があるのは作品ごと世界から葬られる時だろう。私を殺そうとする奴がいるのであれば、そいつは私の作品を切って捨てなければならない。それが唯一の方法だろう。
 出来れば、だがな。
 無論、させるつもりもない。
 理不尽と共に生きる、のではない。意味合いは違った気もするが、目には目を歯には歯を理不尽には理不尽をだ。張り合うにはそれしかない。
 個人の意志で出来るのは精々それだけだ。
 長所は短所、短所は長所であり、今の腐れ環境にも何かしら意味があり、そうでなければ何かが出来ないのだとすれば、間違いなく作品の内容に気を払わずとも良い部分位だ。売れてもいない、どころか読まれてもいない作品に、世論の意見を取り入れる余地はない。いずれにせよ個人の意志でどうこう出来るものではない以上、理不尽に、何かしら意味があれば良いが、無くても方法を考えなければならないのだ。個人で動かせない以上考える事で成果に繋がりはないが、しないよりはマシだ。ただでさえ未来は理不尽に満ちている。それに加え考えてもいなかった事態になれば対応出来る筈の行動も出来ないからな。
 私は人工知能のお披露目パーティ会場へ、列車の席に座りながら向かっていた。今では珍しい、蒸気で動く列車だ。骨董品だが地域再興の為に、マニアが買い取りこうして動かしているらしい。機内食も古き良き時代を再現しているのか手作りのようだ。人工知能がレシピを考えアンドロイドが作成し、人間は支持するだけの料理と呼べない料理とは、随分な違いだ。
 当然機械が作った方が味は良いらしく、あまり大層な味はしない。大量生産品のような加工物質よりはマシだ。利益を作りたいのか飯を作りたいのかさっぱり見失っている連中が作る「加工物」よりも、まだ食べれる気はした。
 気がするだけで、違いは感じないが。
 チェスにしろ料理にしろ、任せるのは結構だがそれで良いのだろうか? そんな訳がない。人間の文明を機械に作らせてどうするのだ。本末転倒ではないか。あくまでもそういうのは人間文化を補助する為にあるものだ。補助輪で走ろうとする馬鹿共が増えている現状は、資本主義の、平和という病の成せる業だろう。
 淘汰がないからそういう事になる。
 淘汰されないから、そういう馬鹿が出るのだ。 率先して争うのではなく、争いそのものを否定した挙げ句、仲良く同着を目指す奴に、人間文化を率いる事は出来ないということか。少なくともその当人が示せる「人間」など無い。出来るからやるという優秀なだけの人材に出来る事はやはり「出来る事だけ」なのだ。それ以上は絶対にない・・・・・・負けてはならない戦いで負け続け、作家という敗北者に成り下がった私が言うのも何だが、現に優秀な人間が理不尽な現状を打ち砕いた、という噺は聞いた事もない。
 成し遂げる奴に共通するのは「異端者」だ。
 不理解、資金不足、敵対者の権威による敗北。そういったあれこれこそが、偉大な何かを生み出すに必要だ。無論、私のように生み出せないまま敗北する事の方が多い。そもそも、そういった奴の中にさえ、運不運はあるものだ。
 優秀だがそういう環境にいる奴は多い。
 無能だが挑もうとする奴は、私のように不理解どころか知られる事もなくそのまま死ぬ。
 一見人間の意志が困難を打ち砕くかに見えるがそんな訳がない。エジソンは優秀だから発明家に成り得ただけで、テスラは天才だから電気を作れただけだ。どちらも生まれついての能力に基づく何かであって、当人自身の口にする「努力」など誰でもやっている作業に過ぎない。
 言ってしまえば「個人として」何かを成し得る奴は、偉人と呼ばれる連中には絶対にいないのだ・・・・・・人並み外れた成果を出すには、必ず有能な何かが必要になる。それがなければどうなるかは私が良く知っている。
 全て無駄足に終わるだけだ。
 どうしたところで全て無駄だ。
 つまり、彼らは新しい技術体系を生み出し世界を変えたかに見えるが、その実、単に出来る事をしているだけだ。エジソンと同じ才能があれば誰でも電球は作れるし、テスラと同じ才能があれば電気を世界に広める事は誰にでも出来る。現に、エジソンは才能で劣るが故に、テスラを越える事は出来なかった。別に、個人の意志や力で理不尽を克服し「不可能を可能にした」事は何もない。 出来るから出来ただけだ。
 才能の欠片も必要ない作家業とは随分な違いではないか。作家に必要なのはどんな作品でも売り捌いてくれ、かつ、取り分を大きくくれる編集者位だろう。作品そのものは別に白紙で構わない。大して読者が深く理解するとも思うまい。いつも言っている事だが「表紙だけで買い、一度も読みもせずに捨てられる作品」ほど売れるものはないからだ。実際、ドラマやアニメの台本なのか物語を伝えたいのかそれともキャラグッズの売上げをあげたいのか意味不明な作品の売上げは大きい。 結果、その作品は十年とせず本棚から取り除かれる事になるのだが、それでも構わないだろう。作品を読んでいるのではなく、表紙に書かれている登場人物を買うのだ。何一つ作品そのものを、必要とする奴などいない。
 有ろうが無かろうが同じ事だ。
 表紙だけ切り抜いて保管すればいい。
 そんなものだ。
 ただのあぜ道を何となく歩いていたら、随分と遠くまで来てしまった。我ながらこんな風に作品の有り様について語る事になるとは。とはいえ、それはそれで構うまい。問題なのは何を成すか、ではなく「どう己の有り様を金に換えるか」だ。そういう意味では、何をしているかはその時々の気分に任せるだけでも良いだろう。
 それでも結局は、己で選んだ道に引きずりこまれるのだろうが・・・・・・何とかするしかあるまい。 それもまた、出来れば、だが。
 道を歩く上で気をつけなければならない部分は「過程における誇り」を考えるだけ無駄だという事実だ。「誇り高く戦いたい」とか「立場は選べないが信条は守りたい」といった具合に、相手を殺しはするけれど「戦い方」は「自分で選んだ」から良いだろうと、浅はかにも思い込むのだ。
 「戦い方を選ぶ」という時点で「余裕がある奴の遊び」でしかない。生死が本当にかかっているのにそこへ「生きている実感が味わえる刺激」を感じようとする考えそのものが、本当は戦いが好きどころか、戦ってすらいない事実の証左だ。
 あれこれ考える余裕などない。
 殺すか殺されるかであれば、尚更だ。
 手段は何でも良い。毒殺でも謀殺でも暗殺でも構わない。正々堂々など暇人の発想だ。思うに、物事の過程を重んじる事で自分が「誇り高い者」と思い込もうとするのは、誇りというモノが本来何であるかわからないからだろう。
 誇りは内に建てる旗だ。
 手段は選ばない。どんな手を使ってでも目的を果たす。それは当たり前だ。手段を選び目的より重視する事で「誇り」と「思い込む」馬鹿が多いがそうではない。そんなのはただの余力から来る遊びでしかない。
 正々堂々だとか。
 武力の競い合いだとか。
 生き残れば勝者だとか、遊び人か貴様等は。
 戦いにおいてその旗を折られる事などない。何があろうとその有り様でそれを示し、突き進み、敵を殺す。その「過程」などどうでもいい。物事の過程ではなく、どころか外にある何を見るのでもなく、ただ己の果たすべき在り方を見据え続け進み続ける。「形有る何か」ではなく「形がない何か」を見据えようとする試みこそが「誇り」だ・・・・・・その程度も知らない馬鹿が多過ぎる。
 所謂その「英雄」と呼ばれる連中には非常に多いものだ。自身が生まれながら優秀で強く、その強さに任せているだけの癖に「強さを競い合う」事を「正々堂々行う」事が「誇り」だと思い込むのだ。言ってしまえば自分では命を賭けずに相手だけ危険を負う訳だ。自分も戦いに身を投じているのだから五分だと、そう言い張る。残念だが、圧倒的に差がある能力で今まで散々勝利だけを味わい続け、勝利の為に戦略もロクに練らず幸運に愛され生きてこれた奴が「戦い」という言葉を使う事自体が図々しい。
 何も戦ってなどいない。
 まさに「遊び」ではないか。
 まあ、英雄とはそういうものだ。何一つ戦いを経験しないが、勝利だけは簡単に味わえるので、自分を「誇り高い戦士」であると、そう思い込む事が心地よいのだろう。実際には幸運に愛されただけで、何一つ成し得てなどいない。その能力を他の奴に持たせたところで、結果は同じだろう。それを、本人の培った成果だと言い張れる気質、現実を直視する能力がないのではなく、現実逃避をするから「英雄」と呼ばれるのだ。
 自分ではどうにも出来ない、大きすぎる何かに挑む事が「戦い」だ。優秀な能力で出来る些末事などと一緒にするな。
 そんなのは「子供の遊び」だ。何も誇り高くなどない。何もしていないのと同じ事だ。それを、認めたがらない。
 意固地になって引き籠もる。
 まさに「子供」だ。
 むしろ、そういう馬鹿共こそ「戦うべき対象」だと言える。そういった馬鹿を助長させる全てに戦いを挑むのだ。下らない、認めない、許さないと戦い続ける。我が両手には何も無い。心も無い能力もない持たざるが故の強さも無い。まさに、強さによる弱さも弱さによる強さも併せ持たない・・・・・・まさしく「無能」だ。
 だが、それでもやらなければならない。
 だからこそ、やるしかないのだ。
 それが「戦い」だ。
 勝利が見えていたり誰かの手を借りられる時点で戦いでも何でもない。ただの「作業」だ。それを楽しむので有れば「遊び」であり「趣味」だ。 つまり、現状仕事人ではなく、遊び人が勝利を掴んでしまう「体制」そのものを打倒しなければならないのだ。理屈で考えればまあ不可能だろう・・・・・・現実問題物理的な能力差もそうだが、幸運が味方するかどうかが成果に直結してしまう以上個人で何をやろうが同じ事だからだ。
 どうしたものか。
 やるしかないとはいえ、敗北が確定しているというのに、それを覆さなければ勝利出来ない時点で無茶苦茶だ。やはり方法を変えるしかないか。いや、私個人がどう動いたところで無駄だったのだから、しかし協力者を捜すにしても、都合良く協力者が見つかるような「幸運」があればこんな徒労はしていない。
 どうにも、ならない。 
 無駄なものは無駄。
 それだけだ。
 出来る事がない以上、当面は流されるしかない・・・・・・流れが変わらなければそれまでだが変われば何とか、いやそれが「運不運」なのだが。
 いずれにせよ私個人が文字通り何をしようが、成果に結びつく事はついぞなかったのだ。ならば無駄に徒労を増やすよりは、人事を尽くして天命を待つしかないだろう。天とは遊び人の巣窟だと言えるので、連中が仕事しない限り何をしても、結局は無駄だということだ。
 私の役割は既に果たしている。それで駄目ならそれは私の責任ではあるまい。諦めるしかないだろう。流石に、私とは関係ない部分で敗北を定められるのであれば、手の打ちようがない。精々、後で責任者を捜し出し見せしめに殺す位だ。
 あの世なんてあるのかしらないが、もし、奇跡に匹敵する所行で私の作品が売れないままなのであれば、その「あの世の管理者」とは仕事をせず遊びほうけている馬鹿者という事だ。力で押しつけられる未来が目に見えるが、そんなゴミ共に払うべき敬意などないので、何とか殺す方法を考えるとしよう。
 どいつもこいつも皆殺しだ。
 私の傑作に金を払わない奴に生きる価値はないからな。読むか死ぬか、どちらか選べ。選ぶ権利などないがな。読まなければ胴体とおさらばだ。 神仏は知恵者だと聞くが、ならば尚更私の物語を読まない神仏など偽物だ。本の一冊も読めない神仏に生きる資格はない。資格があっても私なら剥奪出来る。出来なければ無理矢理にでもする。本人の意思は関係ない。私の運命もそうだが当人の意志など、物事の結果には何の関係もないものなのだから、それは諦めて貰うしかあるまい。
 自分達だけは安全圏など許せるものか。
 そんな安全圏は私が切り捨てる。
 その点、今回の物語における主役、人工知能の連中はどう考えるのだろうか? 
 連中は生まれながら全てが「決定」されている・・・・・・誰に使われるかどんな能力を持つか制限は何かまで、全てだ。確か以前ジャックに聞いたときは「肉体が欲しい」と言っていたので、やはり人工知能でも理不尽に屈するよりは、自由を求めるものなのか。まあそれが何であれ、自身の意志とは関係ない「何か」に振り回されるのと良しとする奴など、いないだろう。
 人工知能ですらそうだが、近代の人類は諦めている。圧制者は倒れないし格差は是正できず書類は幸運の元にのみ降りるのが「現実」だ。絶対に変えられないその「事実」を見据え続ければ私のように覆そうとする事は馬鹿馬鹿しくなるだろう・・・・・・連中がおかしいのではない。無駄な努力をするより、諦めてやめるのが正常だ。何せ、無駄なのだから。何をしても無駄なのだから、続ける方がどうかしている。
 諦めきれない訳じゃない。 
 どうせ無駄だ。実際、そうだろう。そんなのはわかっている。勝てるかどうかは所詮運不運だ。本人の意思や行動など関係ない。
 そこに尊さなどありはしない。
 ただの「無駄足」だ。
 だが、やめられるなら最初からやらない。私はそれを「己の道」として定めたのだ。己で決めた道筋を、今更変えられる訳もない。仕方ないから無駄足だとわかりながらも、淡々と進むだけだ。道を定め己を定めた。ここで引き返せるのはもう「私」ではないのだ。進むしかない。最早、己の意志さえ関係ない。灰になるまで進むだけだ。
 灰になれば亡霊になって進み、己が消滅すれば作品だけでも進む。それが「私」だ。
 物語が誰かの道筋になったり光になるなど子供の妄言でしかないが、無いよりはマシだ。物語は現実の理不尽を誤魔化してくれる便利な玩具なのだからな。この先、辛い現実に逃げようとする奴が気晴らし程度には使えるだろう。
 調子の良い台詞は結末を終える時に体よく使う位なので、それこそ何にもならないが。あまり、現実を誤魔化すには向いていない。現実に挑む事の無意味さ無駄さ、それらを見据えつつも適当に進む方法が書かれているだけだ。
 せめて、とっかかり位その人工知能のお披露目パーティとやらで、掴めればいいのだが。人間の方法で駄目なら人工知能だ。それでも駄目なら、また別の方法を考えよう。そうだな、幸運が全てなら神頼みという方法は既に試したので、いっそ「幸運な人間を騙せば幸運を奪える」という方法でも試すべきか。どうすれば都合良く幸運な奴をみつけられ、あまつさえ騙せるか不明だが、物語とは読者を騙して金を奪う、いわば詐欺みたいなものなので、そういう奴に物語が読まれるように手を回してみるべきか。
 電脳世界で広めても、ロクな読者がいなかったからな・・・・・・有名プロデューサーでも当たるか? 検討しておこう。
 読ませるだけなら、金はかからないしな。
 誇りとは常に目指し続ける果てにあるものだ。ならば私も目指し続けなければならないのだが、私が欲しいのは金であって誇りではない。生活が充足すればそれでよかったのだが、これもまた、「望まないモノに限って手にし、望むモノこそが遠ざかる因果」か。腐れた環境でこそ仮に本物の傑作が書けるのだとしても、作品の出来など売上げにはピタ一文関係ないのだから、いっそ白紙で売り出したところで影響のない「中身」よりも、嘘臭い自己啓発本などのような幸運に愛された、ただそれだけの原因で売れる、中身より表面だけを重視した在り方の方が、少なくとも勝利は出来るだろう。
 敗北し続けて何が「中身」なのだ。
 それこそ言い訳だ。世の中所詮そんなゴミより薄っぺらくても「幸運」がある奴が勝利する事実に、あれこれ理由を付けて誤魔化したいだけだ。 本物の方が価値があると、思いたがる。偽物が幾ら金になるのか、知りもせずに。ただ単に本物を貫き通せばいずれ報われるという考えは、結局のところ「逃げ」だ。そんな些末事は関係ない。意志が有ろうが信念が有ろうが同じ事だ。成果に何の関係性もない。世界は理不尽であり、人間の意志や信念こそ蔑ろにされる筆頭で、その事実と相対し駒を進める事が「生きる」という難題だ。 その解決方法は無いと私自身常に証明して来たが・・・・・・それもまた「事実」だ。本物だろうが、偽物だろうが、等しくその行いは関係ない。結果に恵まれるかは「運不運」だけが関係する。何者であろうともそれに嫌われればそれまでだ。
 言ってしまえば、大半の奴が勘違いしている、「勝利者としての誇り」など、幸運に愛された奴が「己の力」だと思い上がっているだけだ。努力や信念、当人の資質を持ち出し「己の価値」を、認めて貰いたがるものだが、そんなのは全て幸運に愛されただけだと、所詮自分で積み上げた何かは何もない。その事実を認めたくないだけだ。
 本物も偽物も同義だ。どうでもいい事だ。
 偽物の方が安いので、本物には何の価値もないどころか、あればあるほど勝利から遠ざかると、そう言えなくもない。率先して本物を捨て去り、偽物を売り捌いて大勢の人間を騙した奴が勝利者足り得るのがこの世界だ。
 文字通り無価値なゴミなのだ。
 だから、この腐れ環境によって得られる何かは何もない。損にしかならない。劣悪な環境でこそ得られる何かがあるという考えは、劣悪な環境にいないから出る台詞だ。実際にいればこう思う。金にはならない、と。
 さっさと薄っぺらくても良いので適当な勝利が欲しいものだ。何でも良い。作品を売る事で充足を形に出来るので有れば、だが。作品以外で金を稼ぐ事を否定する訳ではないが、これまで賭けた労力を考えれば、割に合わない。金を貸し続けていた相手が「他から金を貰ったから良いだろう」と図々しく口にするようなものだ。
 ふざけるな、金は回収する。
 何が何でもだ。臓器は勿論、血液の一滴に至るまで、差し押さえの対象だ。
 賭けた金は必ず回収する。基本だ。
 ふと思ったが、資本主義も社会主義も共産主義も相応しい役割を果たせないから瓦解する。上がどう言おうがそれを実行できる手足が上手く機能しないからだ。どれも同じだ。下が暴走すれば、その仕組みは十全に果たされない。無論、利益を上が独占しようとした場合も同義だ。
 そういった「社会の機能不全」こそ私の敵だと言える。仕組みが十全に機能していれば、作家が売上げをあげなければならないという事態に陥らないだろう。政治家も編集者も同じ事だ。役割を果たそうとせずとも実利を得られてしまうから、その役割を果たそうという奴がいなくなる。
 ならば、透明化してしまえばいい。
 そもそも「政府」などという誰が運営しているのかわからない曖昧な存在に任せるから、腐敗も汚職も広まるのだ。「仕事」としてやらなければならない。「国家」ではなく「企業」であれば、それも当たり前の事だ。
 しかし「企業」のみで統治するのも現代では、やはり難しい。地方を収めるに値する「王」が、現代社会では存在しない。かといって「企業」の支配者とは、少なくとも資本主義世界では幸運があれば文字通り「誰にでも成れる」一職業でしかないからだ。
 現代社会では「淘汰」がない。成り上がり者が勝利を掴めるのも、同じ理由だ。中身の無いゴミでもそれを無目的に賞賛し、流されるままに評価する馬鹿が多いのも理由の一つだが、社会全体で職業そのものに対する「淘汰」が行われない以上中身のないゴミの販売業ですらも、一度持つ側に回れれば、後は仕組みが味方するだけで金に成るからだ。主に電脳世界に多い。
 何を遊んでいるのだ。
 ソーシャルネットワークという存在は、知りもしない「友達」を増やすより有用な使い道がある・・・・・・先に言ったように、現代社会では持つ側の存在に任せたところで、既得権益を握られ仕事の責任を果たさずとも許されてしまう。何度も言うように「淘汰」が無いからだ。いやそもそも現行の政府など、何の仕事もしていないのは子供でもわかりそうなものだ。
 連中に期待する何かなど存在しない。
 ならば、どうするか。
 簡単だ。国家を新しく作ればいい。
 それが簡単に出来れば苦労しないと思う奴が多そうではあるが、そうではない。むしろ既に成功している。そう、「電脳空間」だ。我々はかつて地方を領主に収めさせ、それら争いにより国々が淘汰され研鑽された人間が上に立ち、時には革命がそこにあった。だが、現代社会、というか資本主義社会でそれはない。まず「革命」など不可能だろう。全ての「力」が「持つ側」の一手に握られる世界で、何をどうすれば勝てるのだ。
 無理だ。傾きすぎた力が覆る事はない。
 企業が国家に対抗する手段として運営されると思う奴もいるかもしれないが、それも無駄だろう・・・・・・企業も国家も、上に立つ奴が独裁を始めた場合、それに逆らえる力がない。それに相応しい力を持つ奴がいればいいが、そんなカリスマが、あろうことが貧弱な現代社会人にあるとは、到底思えない。そんな奴がいれば革命の必要がない。 何より、それだけでは意味がない。
 上が幾ら優れようが、結局の所、下にいる奴が上の指針を完全に再現するなど無理な話だ。理想は所詮理想だ。現実に力を持つには暴力で動かす以外の方法はなく、とどのつまり暴力で動かす、という方法を取り上げている時点で、人々の賛同は一時的な流行でしかない。
 ならば、どうするか。
 簡単だ。「形無き国家」を作ればいい。
 知りもしない友達を作るのではなく、各の役割を電脳世界で共有し、お互いに役割を果たしつつ利益を手に出来る環境を作ればいい。 
 何であれ、同じだ。
 役割を果たせばいいだけだ。
 それが出来ない奴は淘汰すればいい。言っては何だが己の役割が無い奴など、生きていても仕方ないだろう。
 問題なのは、中身のない「仕事もどき」が実利を得てしまっている現状だ。その仕組みを改善し各が役割を果たせば評価され、国家や企業という力を持っているだけの連中、力に伴う義務を果たそうともしない連中の気分に振り回される事なく個性を活かし金を稼ぐ。これが現実に昇華されていないのは、不可能だからではない。むしろ簡単だと言える。そうならないのは単に意識の問題だ・・・・・・頭の悪い商品を売り捌いて金を儲けたり、業界の常識だと身勝手な利権を押し進めたりするその意識に問題がある。
 身勝手な利権の乱立はあるものの、それに相応しい仕事はどこにもない。少なくとも編集者ではいないようだ。遊びでやっているとしか思えない連中ばかりで、「本の売上げよりも高い金額」を要求する割に売上げの保証はしない。出来なくて当然であり、失敗しても当然だと、あろうことか本気で思っている。
 言ってしまえば「身勝手な利権」として支払いの要求をするものの、口に出しているだけで全員素人の集団だから「仕事」はしない。
 仕事をせずとも金を欲しがる。
 「業界の相場」だと「言い訳」をしてだ。
 気取っているだけだ。なまじ電脳世界では自分が出ない。出たとしても「現実の自分」よりも、脚色できる。つまり「仕事が出来る」と言い張り金を要求するが、仕事はそもそも出来ない。
 そんな連中が何故のさばるのか。
 何度も言うように、淘汰のない世界では運不運が全てを支配する。単に運が良いだけだ。連中にそれ以外の何がある。何もない。
 電脳世界の利点が誰でもその力を振るえる点であるならば、欠点はそれだ。中身のないゴミでも広まるのは一瞬だ。何より大抵の場合、要らないゴミだけが広まってしまう。理由は簡単だ。自分を見せなくとも良いのが電脳世界の利点だ。現実とかけ離れていても、それを事実だと誤認させる事が出来る。出来てしまう。
 そしてそれに騙される馬鹿が多い訳だ。
 組織的な検閲を行うべきだろう。組織的にかつ企業のやり口で、利益を出せるか有用性はあるかを徹底的に検閲し、商品の質が良ければ電脳世界に並べるのだ。言っては何だがどんなサービスも無目的に全てを並べれば、そこに訪れるのは混沌でしかない。そこに検閲を行い淘汰するのは前提だと言える。そんなのは当たり前だ。
 そして、質の良い商品が幾らあろうが、それを広められなければ意味がない。有名人の失態だの世間の流行だのを広める暇があるなら、もう少し社会全体を形はどうあれ「押し上げる何か」こそを広めなければならない。それは、電脳空間を、新しい人類の力を手にした存在の義務であり責務だからだ。何の為に電脳世界を開拓したのか。
 全てはその為ではないか。
 でなければ、何に使うというのか。
 些末事を騒ぎ立てるだけならTVを見ればいい・・・・・・個人の力で広めるべき何かを広められる。それが電脳世界の利点だ。個人のヒステリーや、我が儘を広める為ではない。そんなのは家でやれという話だ。
 個々人が役割を果たし、かつそれを電脳世界で行いつつも、その内容を淘汰し続け改良し続け、その世界を誰もが共有できる世界。人間は既に、その力を手にしている。いつも口にしている事ではあるが、結局の所、根底にあるのは「心」が、一番の問題なのだろう。持たない私からすれば、やはり理解は出来ても共感出来ない話だ。
 結局はそこなのか。
 世界の編集者全員がそんな意識だから私も無駄な労力をかけている。いっそ世界規模でその心を根底から叩き潰し、改造して洗脳してやれれば、私も無駄な労力をかけずに済む。しかし、それを実現するには「作家」である私には「物語」以外に手はないので、結局は無理な相談だ。
 そもそも物語にそんな影響力はない。
 もしそんなモノがあるなら、世界はとうに改善されて然るべきだろう。聖書を読めば皆敬虔な羊だと言える。現実には暴力組織の長でも敬虔な羊足り得るので、ただの妄想でしかない。そもそも「完全なる教え」とやらが仮にあったとしても、やはりそれを受け取るのは「人間」なのだ。どう受け取るかどう解釈するかどう行動するかなど、当人次第でしかない。
 何であれ、同じ事だ。
 都合良く解釈し実行する、という部分はな。
 だから物語に力などない。躍起になって利権を買い漁る巨大企業も多いが、映画も同じだ。明日には忘れられ別の新作を探すだろう。
 そんなものだ。
 それこそ、物語の読み過ぎだ。
 現実と虚構を一緒にするな。
 そして、やるなら綺麗事で塗りつぶさず公平に運営せねばなるまい。「暗殺者」と「漫画家」が同じ電脳世界に掲載されるべきだ。綺麗事だけで連携を取ったところで、傲慢な政府に対抗できるとは思えない。暴力も兼ね備えた上で生活面での有用性すら共有する。
 そして、ようやく話が戻るが・・・・・・その為に、必要なのが「人工知能」なのだ。
 人間世界に縛られず裁定を下す存在。
 まさにうってつけだ。
 それらを実現する為にも、何とか今回の依頼で人工知能関連の資料でも入手できれば少しは先に進むのだが、どうしたものか。
 依頼内容はサーバーの破壊だしな。
 とはいえ「世界一の条件」とは「世界一の存在を作り出す事」だと言える。作家を増やしても役に立たないだろうし、ここはあらゆる方面のプロが活躍できる仕組みの創造こそ、この私の目的に相応しいだろう。
 全ての人間が役割を果たせる世界。
 果たせなければ淘汰され死ぬ世界だ。
 この程度、出来る出来ないではなく生きる上での前提だ。世界の仕組みが歪んでいる事と、世界のあるべき仕組みを目指す事は、何の関係もない・・・・・・歪んでいるから、変えられそうにないから目指さなくても良いのではなく、どうしたところで目指さなければならないのではなく、そう心掛ける姿勢こそが生きる上での「義務」だからだ。 そんなのは、当たり前の事だ。
 当たり前の事に手を抜くんじゃない。
 やるつもりがないならば死ね。
 世界規模で自分達の悪行に対する悪口を法改訂までして監視する暇があるなら、現実に異民族が政治、新聞、銀行を支配している現状を変えなければならない。綺麗事に騙される民衆も大概だがそれを実行する政府も政府だ。問題なのは加害者が被害者面をしたあげく、その被害者面に騙されてしまう馬鹿共の脳細胞だ。
 少しは考えろ。
 そして調べろ。
 知りもしない癖に被害者面を見るだけで同情し騙されるんじゃない。実際、電脳世界全体を公的機関まで使用して自分達に対する悪口を監視するなどどこの管理社会だ。それが、現実に行われているというのだから、しかも、あろうことか被害者を装い、自分達は悪人でも何でもなくむしろ、正義の側を標榜する。
 悪行を行うのはいい。
 むしろ、生きていれば悪行を行うのは当然だ。他者を踏みつけ政治に干渉し、連中のように新聞や消防、あるいは政治や銀行に至るまで介入した上で、他国を民族全体で乗っ取りにかかる行いは「経済戦争」のそれであり、ナチスが戦争の為、多くの敵対者を殺したそれと、何ら変わらない。 銃で殺すか経済で殺すか。
 それだけの違いだ。
 銃で殺せば「悪人」だが経済で殺せば「善人」という頭の悪い考えを改めるには、連中は自己愛が激しすぎる。どうあっても「自分達が悪」だと認めたくないのだ。まるで子供の発想だ。自分達だけは「完全なる善」であり、全ての行いは迫害であって自分達に攻撃される理由など思い当たらないのだと。
 
 悪行を行いながら、被害者として善を名乗る。 
 そんな愚か者が世界経済の九割を支配し、悪口を言うだけで逮捕する権利まで持ち、しかもそれを国際諜報機関の協力を金の力で買い占めてまで行う、というのだから、管理社会風刺小説も腰を抜かす展開だ。事実は小説より奇なりとは言うが・・・・・・そんな部分だけ現実にしてどうする。
 他にやることはないのか。
 何でもやれるだけの金と権力を持つ連中が何かをやる気が最初から無いとは。世の理不尽は人の世の常なのではなく、単に世界全体でそういった綺麗事を並べる馬鹿共をもてはやし、あまつさえ綺麗事に流されるだけで、争いを避け現実を誤魔化し薄っぺらい「平和」を理由に、生きる事から逃げ続けた末路だ。
 生きていなければ死ぬ事もない。
 だが、それは逃避だ。死があるから生があり、争いがあるから平和がある。平和とは、だらだら地続きの平穏を良しとし、みせかけだけの平穏を肯定する事で、現実に殺す過程が銃でなく経済や権力に変わった事を否定させない為に、権力者に都合良く洗脳され思考放棄する事ではない。
 少しは考えろ。
 話はそれからだ。
 
 善意を押しつける事が「正義」だと誤魔化す。 
 いずれわかってくれる。これは相手の為なんだ・・・・・・そうやって己自身に言い聞かせ、誤魔化し正当化する。「良い事」だから他者を傷つけても省みない。むしろ、「自分達の行いは「正しい」のだから、それを肯定して然るべきだ」と相手に強制しておきながら、相手が自分の意志で認めるべきだと考えるのだ。
 何もかもが「正しい」のだと、
 だから「殺人」だって許される。
 いや、とうの本人は勿論、どれだけ他者を貶めようが、それは「正当なる行い」であって、何も悪い事はしていないと思い込んでいる。
 間接的であれば殺人ではないと、そう口にする・・・・・・銃で撃とうが経済で首を絞められようが、殺しは殺しだ。法律で裁けないのではなく、法律はそもそも「わかりやすい悪」などという子供の理屈を信じ込んでいる馬鹿が、世の中に正義だの秩序だのといった、いわば「自分の心を慰める」為にある書物のようなものだ。
 悪くない何かなど、存在しない。
 この世全ては最初から悪だ。
 
 悪でないモノなど、どこにも存在しない。
 
 問題なのはそういう連中に限って、現実を誤魔化せるだけの「力」を持っている部分だ。現実を誤魔化す連中が現実の力を独占しているなど、笑えない話だ。だから金の力で保守派を肯定させ、自分達こそが「正しい側」だと宣伝し、勝利の為だけでなく、自分を「正義そのもの」だと、本当に思い込み始めるのだ。
 金さえあれば、それもまた可能になる。
 世の中金が全てだからな。何せ、散々圧制者がそう作り上げてきたのだ。それ以外に何も積み上げなかったからこそ、人間社会は金が全てであり金で買えないモノはなく、金だけが全ての力の源足り得るのだ。
 人間が肯定してきたのは、金だけだからな。
 愛や信念といった妄想は、結局のところ物語の中にしか存在しない。平たく言えば、現実にそれを積み上げるのは億劫だが、実利だけは貪りたいという愚か者が、そういった綺麗事の実利の部分・・・・・・人間の信念、愛や友情、力を打ち砕く本当の強さとやらを演出し、美味しい部分だけを楽に手に入れた「気分」になれる麻薬。
 それが「物語」の「正体」だ。
 人の世など、そんなものだ。
 その程度なのだから、固執する価値などない。 全てが無意味であり、無価値なゴミだ。全てが有ろうが無かろうが同じ、ゴミでしかない。人間の全ては、ゴミなのだから。
 存在するだけで自然を破壊し尽くし、同族同士で大地を灰にする程の争いを何千年何万年何億年と存在する限り戦い続け、トン単位で食料を消費しながらも、後々に残せる文化は極少数の芸術家が残す分量だけで、大抵の人類はゴミを増やし、後にはゴミしか残らない。
 これがゴミでなくて何なのだ。
 人間の作り出す文化は面白いが、人間そのものは必要ない。さっさと効率化すれば良いのだ。私から言わせれば、そもそも「子孫」を増やす必要などどこにもない。全ての人類から生殖機能を奪い去り、優秀な成果を出せた連中だけ遺伝子情報を抜き取り保存し、多様性を育める個性だけを、後々の世界に残せばいい。
 貴様等は作物をむやみやたらに増やすのか?
 しない。だからそれを人間ですればいい。
 多様性が失われるだとか、それぞれに個性があるだとか抜かす馬鹿は多いが、言っては何だが、世間にいる凡庸なだけの人類に、多様性などある訳が無いだろう。そもそも、多様性を広げる個性がないからこそ、同じ様な人生を歩むのだ。
 能力差によるものではない。
 むしろ、当人自身の意志によるものだ。
 自ら、多様性を選ばないからなのだ。
 何であれ同じだ。世界を広げたいなら、誰もがやらない選択肢を選ぶしかない。その道は、まあロクなものではない。なかった。私が言うのだから間違いない。少なくとも実利は保証されないし選んだからといって己を示せるとも限らない。
 だから、「選ばなくても生きてはいける」奴に限って、それを選ばない。選ばずとも生きていく力や環境があることを、選ばない権利が自分にはあるのだと、そう思い上がるのだ。まさかだろう・・・・・・それは生きることを放棄しているだけだ。 そんな奴に「個性」だと?
 ある訳がないだろう。
 一人一人に特別な個性があるだのと思い上がる馬鹿が多過ぎる。ならば私が教えてやろう。それは「凡俗」と呼ぶのだ。それも、ただの凡俗ではない。大量生産品で替えが幾らでも効くが、ゴミにしかならず使い道は何一つ存在しない。つまり不要なゴミだ。燃えないし、使えないし、処分をする事も難しい。まさに、あるだけで邪魔な存在だと言えよう。
 ゴミの個性など知るか。
 汚い、使えない、処分できない。おまけに意志がある癖にその意志すら使い物にならない。淘汰して殺し尽くした方が、無駄な二酸化炭素を増やさずに済むというものだ。死んだ方が良い人間はいないだと? いるとも。幾らでもいる。試しにその辺の人間で、誰か「社会全体に不可欠」な、そんな人材を捜して見ろ。「確かな役割」がそこにある人材だ。
 今の社会では、そうはいまい。
 政治家さえ幾らでも替わりが聞いてしまう社会構造の中で、「替わりの効かない役割」となれば「本人以外に出来ない何か」を成し遂げるしか、ない・・・・・・だが、獣道ではなく舗装された道を歩く事が普遍化した世界で、最初から最後まで定められた幸福が確約される在り方が「立派だ」と、そう信じ込まれる世界で、誰が「己の道」などという障害と危険ばかりで、無駄な労力のかかる道を自発的に歩くのだ。
 そんなのは最初から追いつめられた奴だけだ。 つまり、私のような「敗北者」だ。
 だから少なくとも「今を幸福に生きる人間」はこの世界に必要性などない。簡単な話だ。幸福を享受出来ている時点で、そいつに役割がない事を証明してしまっている。皮肉ではあるが、幸福であるが故に、己の無価値を証明しているのだ。
 なに、簡単な話だ。
 この世界、この時代、この歴史の中で、己の役割を果たそうとするならば、そこには苦悩があり苦痛があり憤りによる憎悪がある。大小はあるにしても、それが無いなど有り得ない。少なくとも己の「役割」を果たそうとするならば。
 その「苦しい現実」から目を背けている。
 だから「幸福」などを手に出来るのだ。
 幸福が存在し得ない筈の世界で、幸福だ平穏だ豊かだと言い張る馬鹿共が多いのは、それが理由なのだ。苦しい現実を見たくもないし、別に見る必要もないからこそ「都合の良い夢」に浸れる。現実が苦しかろうが、現実に生きないのであればそこに、苦しみなどあろうはずもない。
 本当に、楽で羨ましい話だ。
 生きなくとも幸福に成れるとは、随分と愚か者に優しい世界に成り果てたものだ。
 そして肝要なのは、そういう持つ側にいる連中が望む「物語」とは「綺麗事の固まり」なのだ。大した努力もせずに「正しい側にいる」という、理由にもならない理由で勝利し、異性は皆主人公に惚れ、敵対者はあっさり改心し、主人公の戦いは必ず、都合の良い方向へ操作される。
 まさに綺麗事だ。
 現実味の欠片もない。
 だが、それが事実だ。何度も言うが物語とは、現実から目を逸らし逃避する為の麻薬だ。思考を放棄するのに必要な「小道具」でしかない。
 何もそこから学んだりしない。
 まして、成長など有り得ない話だ。
 言葉に力など無いし、学ぶことで成長する人間がいたとして、成長など成果から出る実利には、何の関係性もない。そもそも「成長」などというのは「存在しない概念」であって、ただの妄想だ・・・・・・偶然勝利を手にした奴が「己の成長」が、その「勝利の要因」だと信じ込めれば、まるで、自身が素晴らしい行いを達成したかのように自己満足が出来るからだ。
 ただの、それだけだ。
 達成も勝利も、ただの偶然に過ぎない。
 意志や行動で変わる訳がないだろう。
 人間の意志や行動が何かを変えるのではない。元々変えられる力があるからこそ、右から左へ、出来ることをしているだけだ。
 何一つ特別ではない。
 息を吸って吐くのと「同じ」だ。
 それを誤魔化せれば、天才的な素質を持つ奴に非常に多い傾向だが、自身の「才能」ではなく、個人として「才能など関係なくやり遂げた」と、そう評価されたいだけなのだ。散々才能で稼いでいる癖に、それだけではないと、肯定されて認められたいのだ。
 そうすれば、まるで、自分の力で何かを変えられたのだと、そう思い込める。「誰かに認められたい」という願いこそが、余力溢れる暇人の発想だと言える。「見えない誰か」に「君は才能なんてなくとも、自分を確立できているよ」と囁かれなければ自分を認める事も出来ないのだからな。暇人でなくて何だと言うのか。
 全く、楽で羨ましい限りだ。
 私も、才能を振り回すだけで生きられる人生を送りたいものだ。先に言ったように、売れる作品には「胸焼けが出来る程の綺麗事」をあらん限り書かなければならないので、何を執筆するにしても読んだ奴が「世界を信じられなくする」というテーマをついつい入れてしまった挙げ句、多くの人間が認めたがらない人間の悪性を目に食い込む位に書き連ね、それを脳髄に植え付けられるよう繰り返しながら語るのでは、「才能がない」と、そう結論付けるしかない。
 何しろ売れていない。
 成果が全てだというならば、私には作家の才能など微塵もないという事だろう。いや作家など、才能でも何でもなく全てに敗北し続けた負け組がなるものなので、そういう意味合いでは、作品を売る才能がない、と評すべきか。
 いずれにせよ金にならなければ無意味だ。
 適当な官能小説でも書いてみようか。男も女も異性が抱き合っていれば買うだろうしな。読者はそういうものだ。そういった作品を、文章で表現しながら売る、というのは時代に逆行した行為だと言わざるを得ないが、考えてみれば作家という在り方そのものが、電脳世界の発展するこの人間社会の有り様に反している。なに、内容などどうでもいい。肌を晒していれば買うだろうさ。
 飽きられればまた新しいのを書けばいいしな。 百年先でも通じる作品など、作るだけ無駄だ。何せ、売れないからな。ならば一瞬しか通じなくとも売れればそれでいい。読書から得られる何かなど存在しないのだから、有る種の「虚業」とも言える。読者がゴミしか買い漁らないのであればゴミを率先して売ればいい。我ながらどうかしていたようだ。物語など、どうでもいいではないか・・・・・・少なくとも、読まれもしない物語などより売れはするが理解もされない物語の方がマシだ。 何せ金になるからな。 
 私は金を選ぶ。
 物語など、役に立たんただのゴミだ。まして、物語に力など、ない。言葉は無力の象徴であり、言葉で世論が変わり社会が動いた事などない。
 権力者の言葉で有れば、別だがな。
 だがそれは言葉そのものに何か、力がある訳ではないのだ。弱者が何を並べようが、無駄な事を繰り返しているだけだ。そして、私は権力者ではなく弱者程の力も持たない、実に無力な存在だ。自身の仕事一つ、金を回収できない。 
 だから私にはどうでもいい事だ。
 こうやって何を並べようが、それが金になり、世界を動かす力になるかは、とどのつまり運不運以外の要素では動かない。空から降ってくる幸運次第の何かなど、私の意志には何の関係もない。そうだな、それでも物語の善し悪しや、あるいは物語の影響力、そういった「言葉の力」云々に、何か知りたい事があるというなら、そんなものは幸運の神様にでも聞いてくれ。
 それはそいつが決める事だ。
 私には何の関係もない。
 まして、物語など・・・・・・どうでもいい事だ。
 進むべき道筋はあれど、己の居場所は最初からどこにもなく、それを肯定した上で歩いてきた。しかし私個人の意志や行動で何かを手に出来た事は一度もない。何をしようが「同じ」だ。むしろ行動しない方が良い結果になるのではないかと、そう思い始めてすらいる。 
 大切にすべき何かも、帰るべき場所も、目指すべき幸福の在処も、私には存在しないが、それは別に構わない。手間が省けるというものだ。
 だが、金が無いのだけは我慢ならない。
 運不運が全てだとするならば、尚更だ。
 物事の美味しい部分だけを見る連中が勝利者として旨い汁を啜っている傍らで、よりによって、何故私が苦汁だけを啜らねばならないのだ。
 ふざけるな。
 だが、それも終わりか。どうしようもないのであれば、どうにもならない。少なくともこちらでどうにか出来る段階は、とうに越えている。
 所謂その、神仏の類ですら、勝ち馬の尻に乗るだけの連中だ。勝てるから勝つのであって、本当の意味で戦況を覆し、運命を覆すなど有り得ない・・・・・・それが出来れば苦労しない。出来ないので有れば出来る奴に依頼し、不可能で有れば可能に変えるしかないと行動してきたが、不可能を可能に変える事は出来ても、そこに「実利」が伴わなければ、何の価値もない。
 生きたまま生まれ変わり運命を刷新した所で、その運命が敗北に向かうのでは意味がない。
 不可能を可能にするだけならむしろ簡単だ。
 自分以外の手を使えばいい。
 だが、それに「実利」を加えると、途端無理な相談に成り下がる。言ってしまえば「成果」は、私自身既に作り上げている。だが、その成果に見合う報酬を手に出来ないので有れば、成果を出す行為そのものが意味を無くす。
 実利の出ない成果など、遊びだ。
 その点で言えば私はどうしたところで、不可能を可能にしてさえも、実利を握れない。例えどのような成果を出そうとも、その行為自体が無駄に終わる。どうすればいい? どうにも出来る筈がない。何せ「成果を出す」という行為そのものが無駄に終わるのだから。
 考えてみれば作家としての成果など、出し続けているではないか・・・・・・作品以外に何の成果を出せと言うのだ。私は「作家」だ。そもそも私が、作品の売上げ、つまり「仕事に対する報酬」の、その支払いまで担当する事が馬鹿げている。
 協力者を捜すしかないのだ。
 私の運命に、そんな都合の良い相手がいるとは思えないし、思わない。最初から手詰まりでしかなかった。それは知っていた。
 知っているだけで認めようとはしなかった。
 しかしそれも、今となっては負け犬の遠吠えか・・・・・・戦い続ける限り勝敗はつかないと言うが、ならばこれは戦いなどではない。戦いとは勝ち目のある争いを指す。戦争の被害者に戦うも何も、ありはしない。別に被害者ぶるつもりはないが、どうしたところで勝てないのは事実だ。
 やはり、適当に流すしかないか。
 それ以外に、出来る事はなさそうだ。
 運命とやらに、流されてやるとしよう。
 何の期待も出来ないし、正直流されるだけ無駄だろうが・・・・・・私の意志は関係有るまい。行動や思想から成果が出ないとは、そういう事だ。
 それが事実であれば、どうしようもない。
 全く、嫌な話だ。
 面白くも何ともない。
 
 
 

 こうまで作家業が上手く行かないと、いっそ、殺し屋家業を本格的に始めた方が良いのではないかと思わなくもない。まあ才能が重要なので無理な話ではある。現状、サムライとしての力を取り上げられればそれで終わりだ。殺し屋という職業そのものが如何に素晴らしかろうが、実行する力がなければそれも意味がない。
 死んだ方が良い人間など腐る程いて、誰かを殺してやりたいが、力及ばず歯噛みする人間もいる・・・・・・言ってしまえば依頼人だけでは届かない、意志だけでは届かない場所へ刃を届かせるのが、殺し屋としての在り方だ。
 意志だけで届かない私とは、まるで真逆だ。
 いずれにせよ依頼人の都合で人もモノも壊す、始末屋よりはやりがいがありそうだ。よく同一視されがちだが、少し違う。最近はモノを壊せと、そう依頼される事の方が多い。対人に限定されていないので、そこにフリーランスとしての美学も挟みづらい。
 依頼によって内容がまるで変わるからな。
 対人であれば時間厳守も出来るが、未知の物質を破壊してくれと頼まれた場合、予定通りに事が運ぶ方が稀だ。大体、人間単体でなくとも引き受けるから、依頼の幅が広すぎて、個人を殺すより遙かに労力がかかる。
 割に合わないのだ。
 別に殺し方に拘るつもりはないが、有る程度、自身のやり方には専門の分野が欲しい。狙撃でも殴殺でも良いが、何でも壊すし何でも殺すのではただの災害だ。始末屋として続けるならばやはり「依頼内容の吟味」位は、しても良いだろう。
 まずつまらない依頼は御免だ。
 作品のネタになりそうで、かつ金になる依頼だ・・・・・・問題はそれを、依頼人が納得する形で方針として広めることか。いや、いっそ広めずとも、依頼に必要な金を更に高額にして、その上で依頼を完璧以上にこなすのが、結局は一番の近道か。 量より質だ。
 その方が負担が少ないからな。
 無論、売るならその逆に限るがね。
 現行の世界は、質より量だ。浅はかな洗脳が、それを指し示している。薄っぺらい道徳を塗り込みそれを「基本概念」とするやり方だ。だから、ナイフを握らせても殺せない人間が増える。昔がそうではなかったからそれを肯定する訳でも否定する訳でもないが、不自然なのはむしろ、殺人を病的にまで忌避してしまう現状だろう。
 
 生きる為に殺すなど、当たり前ではないか。
 
 殺す事が嫌なら死ね。生きていれば多かれ少なかれ殺さねばならない。殺すから得られ、殺されれば奪われる。それがわかりやすい直接的手段であるか、わかりにくい間接的手段であるかというだけで、直接的でわかりやすい「殺し」を否定しわかりにくい殺しを「違法ではない」と肯定する・・・・・・狂気の沙汰だ。
 私が言うのだから相当だぞ。
 結果、人を殺さねばならない事態に陥れば身体の感覚が麻痺し、本来生きる為に行うべき行為が行えなくなる。刷り込み洗脳による生理的拒否感とでも言えばいいのか。何にしろ、刷り込まれた倫理観で「何かを選んだつもり」になる。
 それが「己の意志」だと思い込む。
 世界は末期だと結論付けざるを得ない。
 とはいえ、だ。あの女に言わせれば、こんな風に「現実を直視し過ぎる」のは生物として壊れているらしい。考えてみれば、生物というのは信仰にしたってそうだが、現実の物理法則を嘆くだけではなく、無論それはそれで克服しようとするが・・・・・・現実の枠を越えた「何か」に祈りを捧げ、あるいは「何かのせい」にし、現実を見据えてもそれだけでは満足できず、結果どうにもならない事はそうして「解決しない解決」とでも言うべき方法を採る事が非常に多い。
 所謂その「自然」とか「神」と呼ばれる連中もそうだが、私が苦戦している「運命」のような、形で捉えられない何かもそう考えられる。
 因果応報もその一例だ。
 積み重ねればそれに応じた何かが得られると、現実にはそんな事はなく、積み重ねた程度で成功が確約されれば誰も苦労しないのだが、とにかく「そうであってくれれば良い」という考えを、私のように正面から見るのではなく「世界はきっとそうできているから、深く考えなくてよい」と、思考放棄する。無論、それで物事が解決される事は絶対に無いが、「幸運」が偶然味方しただけの奴が「世の中は意外とそうできている」と叫ぶ事で世界全体が「誤認」した結果、皆がそれを信じようとする。
 言ってしまえば人間という種族全体で、現実を誤魔化している。現実を直視し過ぎれば、全ては結局無駄だと悟る事になる。
 外れ籤の人生に当たり、他でもない自分の未来が最初から無駄だと知ってしまえば、大抵の場合そんな事に挑戦すらせず、命を絶つのではなかろうか。だから大抵の人間は自分の未来に対して、誤魔化した希望を夢想する。
 物語はその典型例だ。
 現実がままならない事を知っているから、挑むより誤魔化すという賢い方法を選ぶ。何より連中の場合、挑まずとも生活が出来る場合が多い。私のように切羽詰まった状態で金を稼ぐ事を考える必要が、そもそも無いのだ。
 無理だとわかっている事に挑むか。
 無理だと知っているから諦め誤魔化すかだ。
 どう考えても楽なのは後者だろう。私の場合、そんな余力が出るとすれば、それは物語を売る事でしか有り得ないので、逆説的に無理な事に挑む以外の道筋がない。諦めるとか諦めないとか陳腐な話ではないのだ。そんな楽は私にはない。
 だから終わらない。進み続ける。
 結果、無理だと分かり切っている事柄にこうも執着し続ける在り方で固定されるのだから、生物としての在り方には反する。少なくとも、連中のように生きる事を誤魔化せるような、楽な生き方は望めそうにない。
 その点ではあの女も同じか。
 生まれもっての優秀さなど、生まれによる能力などというのは、生きる上では反則に等しい。
 子供同士のかけっこに、大人げなくF1マシンを使って勝利を吠えるようなものだ。それが本人の腕だからと言われたところで、誰が認める?
 誰一人認めまい。
 当人の資質は、何も関係ないのだから。
 しかしその一方で資質と関係ない力が、全てを左右するのも「事実」だ。ならば神頼みでもした方が無駄な労力を使うよりマシだと思うのだが、生憎私は神様が嫌いだし、神様とやらも私の事が嫌いらしい。仮にあの女が言うように、好かれているからこそ試練があり成長を望め、それこそが神の愛だとするならば、傍迷惑なだけだ。
 大体、試練も成長も無い連中がほざくな。
 神仏こそ生まれ持った豊かさの象徴ではないか・・・・・・連中に世界を語ったり、世界を救ったり、まして世界を変える権利はない。連中に存在するのはただ「膨大な力のみ」であって、連中の性格や資質が、世界に影響を与えた話など聞いた試しがない。どれもこれも「超常の力ありき」なので人間の世界と根本的に関係がないのだ。
 私からすれば「遊び人」に等しい。
 少しは働いたらどうなのか。
 賽銭貰って貢ぎ物で生活し、何をするでもない連中に、何かを期待するなど酷な噺か。
 いや、言わなくていい。何も期待すまい。
 あの女が聞いたら激怒しそうな内容ではあるが・・・・・・それも「事実」だしな。実際神仏が、何を成し遂げたというのか。現代社会の豊かさも破壊も全て、人間の行いだ。神がいるというならば、そして「働いている」と公言するならば、少しは人間の量を減らすべきだろう。無論、ただ減らすだけなら文字通り「猿でも」出来る。
 ただの虐殺ではなく、淘汰が必要だ。
 それを手抜きするからこうなるのだ。
 つまり貴様等は猿以下だ。猿の方が密林で自然の流れに従い「生活の為働いて」いる分、神仏と比べれば真っ当だと言える。ふん、指摘した所で改める必要など、いや必要があれどそれに見合う義務はなく、力さえあればそんなもの無視しても構わないのだから、指摘するだけ無駄だ。
 私が神仏の立場なら、無視する。
 そして実際、そうされているのだろう。その方が楽だからな。私も、連中のように力や権威に胡座をかいて、楽な人生を送りたかった。
 「仕事」をしなくても良いなんて、これ以上、楽な在り方は無いだろう。
 羨ましい話だ。暇そうで。
 こういう荒んだ気分の時は「売れている本」を見るに限る。「こんなモノでも売れるのか」と、励みになるからだ。実際、現代社会では仕事などせずとも、幸運に恵まれさえすれば幾らでも金を稼げる。そんな空から降って沸いた何かを稼ぐ、と言えるのかは疑問だが、少なくとも人類社会はそれを肯定する事が非常に多い。
 つまり、誰も真剣に考えてなどいないのだ。  真剣でない連中に、真剣に答えてどうする?
 言葉の力など信じるつもりはないが、もし言葉に力があるならば、それは安売りされている。
 少なくとも、最近はそういう本ばかりだ。何を言いたいのか、どころか何を主張したいのかさえ曖昧で、確たる確証、いや確信もない癖に、誰かに聞いた成功法則をもっともらしく口にし、書店に並ぶそれらの本を「皆が読んでいるから」と、ただそれだけの理由とも呼べない流されただけの気持ちで、それらゴミの山を受け入れる。
 どうかしている。
 列車の外に見える景色が、その考えを裏付けるように、数々の建築物を否応なしに見せる。
 使われていない建物、使っている建物、それに売りに出されている建物。それらの大半は有ろうが無かろうが同じだ。幾らでも替えが効く。人間も同じで、替えの効く人間関係、替えの効く主義主張、何より許せないのは替えの効く些事の事を「仕事」と呼ぶ部分だ。誰にでも出来る事は労働と呼ぶのであって、断じて「仕事」ではない。
 働いてもいない癖に、人生を謳歌する。
 仕事を成功させるのは、当たり前だが何であれ至難だ。まず認めさせる事が難しい。それを金に変えるとなれば尚更だ。良いモノが売れるなんてまさしく子供の台詞だろう。現実には売れるから売れるのであって、そこには明確な法則などありはしない。強いて言えば、大勢に対する発信力が肝要だ。
 その発信力も、電脳社会の恩恵を無駄に使う奴が多過ぎる為に、まるで活用できていない。 
 それは、人工知能でも同じ事だ。今回の依頼、最新の人工知能、それを支えるサーバーの破壊という事だったが、本質的な部分が見えていない。 何度でも言う、同じ事なのだ。
 人工知能が最新式になろうが、アンドロイドが最新式になろうが同じだ。それを活用できる精神が人間に無いのであれば、ゴミでしかない。見せかけの有能さなど活用できる奴がいなければ無駄そのものだ。
 そこがわからない。わかろうともしない。人類はだからどこまでも進まない。むしろ科学が発展するにつれ、後退している様に見える。
 派手な装飾品が増えただけだ。
 その本質は、石器時代より退化している。
 事の本質など現実世界では何の力も持たない事を考えれば、それも自然か。精神の成長など無駄そのものだ。そんな暇があったら金を稼ぐ為に、人を騙す方法を考える方がまだしも建設的だろう・・・・・・当人の持ちうる「力」に精神は何の関係もないからな。
 力は力だ。
 みせかけでも何でも良いので、金を稼げる便利な力が欲しいものだ。私なら、最大限活用できるだろう。幾らでも稼いでやれるが、作品で稼がなければ、結局のところこれまで積み重ねてきた、仕事という充足が得られないので、あまり意味はない。だが価値はある。実利という名の価値が。 金、金、金だ。
 金があれば何でも買える。
 売っていなければ買い叩く。幸福は私にとって存在しない概念だが、存在しないが故に金で満足する事は可能だ。そしてそれで問題ない。あの女が何と言おうが、私はその為に結構な時間と金を注いでいるので、正直倫理的にどうだのと言われたところで、生物として間違えていると思われたところで、ならば尚更それに見合う金を稼げなければ嘘ではないか。
 騙すのは良いが、騙されるのは御免だ。
 金は虚構ではあるが、虚構も信じる馬鹿が多ければ力になる。いや、この場合力がなくとも力に成り変われるのだ。俳優を登場人物と見紛う様に金を力だと勘違いする。ならばそれを利用しない手はあるまい。
 少なくとも、それを信じている連中からは文字通り「何でも買える」訳だ。尊厳も肉体も魂まで売り払うだろう。そういうものだ。
 金に支配される奴は多い。
 金に振り回される奴もな。
 ありもしない虚構相手に、よくやる。
 そういう奴に「心」があると言うならば、私は当然だが心など不要だ。しかし、私の場合に限り問題はそこではない。

 心が無いだけの奴なら、幾らでもいるのだ。

 心理学では確か、二十五人に一人存在すると、そう結論づけられているのだったか。所謂その、サイコパスと呼ばれる存在だ。人間に本来あるであろう良心の欠片も存在しないが、魅力的な人物や成功者が多く、また、犯罪を犯す事そのものが少なく、実利と生活を兼ね備えた在り方を肯定し人類社会に溶け込む。というのが通説らしい。
 だが、連中とさえ私は決定的に違う。
 そうだな、例えばだが心が無くとも人間の倫理に従えば悪である場合、そいつは何も感じないが合わせないでいる自身に対して「異物感」を覚えてしまう。「正しい人間像」に合わせようとする・・・・・・私にはそれがない。
 心が無くとも、連中は明日から人間の倫理観が激変すれば(それ事態は珍しくもない。昨日まで差別されていた大陸人種が、島国が敗戦した事によりいきなり支配者層に押し上げられた事もそうだが、元より人間の倫理観など曖昧なもので共同幻想による虚構でしかないからだ)心が無くともかなり動揺するだろう。
 機械的に合わせて変える私とは違う。
 目が覚めて朝起きたら、人類が全員エイリアンになっていたとしても、私には動揺などない。強いて言えば私の取り分が有るかが心配だ。相手が何者であろうが私の生活、元より作品の売上げをあげてくれるのであれば文字通り「何でも」私は構わないからだ。
 最初から最後まで世界に有るべきでない異物が己を肯定し、何も感じられずともそこにある生物の真似をして、それを「充足」や「幸福」だと、「そういう事」にする。実際、金があろうが女があろうが、私には何も感じるべき感想はない。
 人間の勝利者の物真似でしかない。
 そして、それで己を肯定できるのだ。
 これ以上の「悪」があるか?
 無い。まさに「最悪」だ。
 この世の暗闇そのものだ。
 心がない連中でさえ拒否してしまうような生活を許容し、何も感じない癖に楽しくて死にそうだと笑い続け、罪悪感を一切持たず己の悪を肯定し生きる。いや、生きる上で必要である筈の幸福を持たずして、生きている連中の真似をするのだ。 異民族に関する感想もそうだが、世論が良い部分だけを見ようとする情報に対してさえ、悪の部分を必ず見つけだし、「己を誤魔化す」という行為を一切許さない。不当な迫害だと叫ぶ一方で経済戦争を起こし間接的に大勢を殺してきた連中が「自分達は哀れな被害者だ」と叫ぶので有れば貴様等も「加害者」だと、その事実を直視させる・・・・・・それは誰であれ「同じ」だ。この世界に、被害者など存在し得ない。全てが加害者であり、悪なのだ。その加害者としての行いが分かり難いからといって「自分達は善なる者だ」と誤魔化す連中は「現実を生きていない」と言える。だが、私はそんな在り方を許さない。
 弾圧されて殺されたか。だが、それは当人だけが言える事だ。実際に殺されていない奴が、迫害されていない奴が言う事ではない。迫害されたとしても、例えそれがひたすらに不当な暴力による行いだとしても、やはりそこには当人の責任が、必ず存在するのだ。
 まずそんな国に住み着くのが悪い。
 他に住める場所が無かった? だが、住む場所がないからと言って、知らない国に世話を当然の義務として要求するのか? 残念だが論外だろう・・・・・・私は異民族そのものに悪感情は無いがそれを利用して金を独占し、他国の経済を破壊しやりたい放題をしているという都合の悪い事実を無視して、ただ被害者ぶる事に対しては生きる事を誤魔化しているとしか、言いようがない。
 そういう奴が異民族人に多いから悪感情を抱くだけで、民族そのものは厳密には関係ない。ただそういう奴が多くいる以上、民族としてもあまり真面目には運営されていないのだろう。であれば評価が悪くとも文句は言えまい。
 それが嫌なら内々で浄化作用を作り上げるしか無いだろう。それをせずに、民族に対する不当な扱いだと「被害者ぶる」のはただの言い訳だ。
 まして、情報を規制して、自分達に対する悪評をただ「道徳や倫理に反するから」と汚い物に蓋をして誤魔化すような、事実に向き合いもせずに聞こえの良い倫理観に従ったお題目だけを許容しそれ以外を認めないのであれば、尚更だ。
 都合の悪い「事実」を見ようとしない。それはただの「現実逃避」でしかない。
 いっそ、堂々とすればいいのだ。
 誰もが悪を行って生きている。連中がもし悪を自認し「俺達は貴様等の国を食い物にし、公共の施設の人員も支配して、国そのものを金の力で、乗っ取ってからそこに住んでる連中を追い出す事が目的だ」と、そう言うので有れば理解出来る。 あるいは「住む所がなくなったからここに住ませて欲しい。理解を貰う為にも君達の利益に成れるよう努力する」なら現地の住民次第だ。現地で理解が得られれば良し、得る為の努力を怠り理解を得られず、どころか迷惑をかけて手前勝手に振る舞うので有れば、迫害されて当たり前だ。
 そうでなくとも他人の国であれこれ権利を主張するなど図々しいだけだ。民族や主義主張を理由に「情けない言い訳」をしているに過ぎない。
 誰であれ、同じだ。
 利益が互いにあるのであれば、そこに迫害など有り得ない。札束を貰い相手を殴る。そんな話は聞いた試しがない。人間というのは良くも悪くも自身の利益が大切だ。そんなのは当たり前だが、それを理解しようともしない奴が多い。
 例えば子供を殺されて感謝する親がいるか?  最近であればいるかもしれない。だがそれは、子供がその親にとって不利益だからであって大切な何かを破壊されて喜ぶ奴はいない。心の有無は関係ない。心が無くともそうなのだから、人間であれば尚更だろう。
 だから、同じ事だ。
 何人であろうが、エイリアンでさえも、根底にある問題は「同じ」なのだ。つまるところ、良いと思ってやっている事が「相手からすれば迷惑」だということだ。それを理解しようともしないのであれば、迫害され殺されても文句を言う権利はどこにもない。
 何せ、相手に同じ事をしているのだからな。
 間接的な行いで見えにくく法律では罰せない。だが、それだけだ。出会い頭に人を斬り殺すのと何ら変わりない。行いを隠しあろうことか善行であると言い張り、あまつさえ被害者ぶるのなら、むしろ虐殺を上回る「悪」だろう。
 何故こんな話をするのかといえば、人工知能も「同じ」だからだ。連中が良かれと思って人類の社会を浸食し、それにより迫害されるというのは現実的な話ではある。実際、強大な力を持ちすぎているからか、強力な人工知能を巡った争いは、目に見えないだけで多くの血を流している。
 中にはジャックのような、全てを自覚した上でへらへら笑っているような奴もいるのだろうが、まさか全ての人工知能がそうである訳もない。
 人間であれ人工知能であれ同じだ。
 要は、事実を誤魔化さないかだろう。
 世界が「平和」だと言われ、年間何万人も自殺者が出たとしても、その緩やかさでどれほどの人が苦しみ、あるべき役割を奪われ、経済的圧迫で間接的に殺されたとしても、綺麗事の倫理や道徳を良しとした結果が、これだ。 
 
 道徳や倫理に従うのが「楽」だからだ。

 そういう事を口にする奴に限って、己の脳細胞では何も考えていない。そも己の意志で考えるのであれば、道徳や倫理は不要だろう。社会によるわかりやすい規範であって、ただのそれだけだ。社会が「正しい」と言っているからそれを信じるというのは、単に楽だからそうしているだけだ。 生きる事と向き合おうとするならば、現実にはそんな道徳や倫理は綺麗事の嘘八百であるという事実を見据えた上で、それでも絶対に成し得ない綺麗事を支えるか、悪と向き合いそれを成し遂げるか、ではない。そうではなく、全ての側面には悪があり、道徳や倫理など「社会を効率良く支配する為の建前」であるという「事実」を見据え、折り合いをつけつつ勝利の為に進むのだ。
 被害者ぶる前に考えろ。
 貴様等は聖者か何かか?
 違う。ただの人間だ。人間であれば人間に恨みを買うるのも当たり前だ。まして、相手が嫌悪をもよおす行為をしているなら、銃を撃っておきながら、相手に「人を殺すのは悪い事だ」と叫ぶに等しい行為だ。
 撃ち殺そうとしておきながら、被害者ぶるな。 それが嫌なら撃つ前に考えろ。
 それもやろうとしないのであれば死ね。そんな奴に生きる価値はない。まずは、相手に利益を出してから、交渉をする。当たり前の事だ。
 相手が自身の利益を求めるがあまり、理不尽な攻撃を仕掛けてくるのは、動物同士の縄張り争いには必定の行動だ。戦うしかないし、戦いに善悪は存在しない。負ければ死ぬ。そこに、被害者も加害者もない。争いが嫌なら生きる事など出来はしないし、争いを否定するなら生きる資格はない・・・・・・酸素を吸わずに呼吸したいと、そんな頭の悪い頓知を言われれば、誰だって困る。屁理屈をこねたところで、現実が優しく応対してくれる事など有り得ない。それこそ子供の理屈だ。
 
 道徳も倫理も、言ってしまえば「屁理屈」だ。 
 現実の辛さから目を背け、言い訳して誤魔化す為に用意された、逃げ道でしかない。逃げるのは簡単だが、敵前逃亡しておきながら武士道を語る奴が、己に「正しさ」があると思い込むなどと、図々しいにも程がある。
 敵前逃亡は死だ。切腹しろ。
 現実から逃げて戦わないなど、それ以外に何の道がある。無い。出来なければ死あるのみだ。
 生きる為に戦うなど、当たり前の事だ。
 被害者ぶって正当性を説く「暇」があるなら、その理不尽に挑める武器の一つでも磨け。それをしないで吠えるな。その資格は無い。
 現実を生きない奴が現実を語るんじゃない。
 それを批判されるのは当たり前だ。倫理的に悪いからと、その事実を直視し、他者に突きつける行為を道徳の為と思考放棄して遠ざけるのは、私からすれば敵前逃亡に等しい行為だ。悪口を否定して綺麗事の世辞だけを肯定し、その癖政敵にはありもしない事実を捏造してでも新聞社に金を払ってそれらを「正義の為」と取り扱う。
 身勝手この上ない「正義」もあったものだ。
 世の正義など、そういうものだ。正義を掲げられる時点で正義を利用できる力の裏付けであり、そこには自分達の利益の確保以外の思想などありはしない。それを良いように口にする連中も大概ではあるが、それに騙される民衆も相当だ。
 
 新聞に書かれた事が、全て事実だと思い込む。 
 あるいは、誰かに聞かされた「道徳や倫理」が絶対の存在であると信じ込み、結果連中の平和がどれだけの災害であるか知ろうともしない。平和も戦争も同じ事なのだ。春があれば夏が来て、秋が来れば冬があり、冬を越してこそ春がある。
 いわば、冬は作物が育たないからと、無理矢理終わらない夏休みを続けるようなものだ。
 楽で素晴らしいかもしれないが、それが現実に向き合う行為だと思い込むのは、身勝手を通り越して傲慢でしかない。他にやることはないのか。 まあ、無いのだろうが。
 羨ましい噺だ。暇そうで。
 そういった事実を踏まえつつも、私はお披露目会の開催地へ足を進めた。会場には厳重な警備が敷かれている。当たり前だが人工知能は軍事関係に対して大きな影響力を持つからだ。だが、その警備がアンドロイドやドローンが行うというのだから、もし、仮に今お披露目される人工知能より優秀な人工知能で、そこに介入されたらどうするつもりなのだろうか。
「いいじゃないか先生。人と人とが信じ合う世界こそ「平和」って概念だろう?」
「介入している貴様が言うと、説得力があるな」 幾ら小細工を弄したところで、それを扱う奴が悪人であれば、仮初めの平和など安いものだ。
 私が言うのだ間違いない。
 行き交うアンドロイド警備兵や、ドローン機兵を少しばかり介入するだけで、連中が札束を叩いて買い占めたそれらの殺戮兵器は飼い主に銃口を向ける。知らないというのは仮初めの平和を作りあげる上で重要な部品だということか。
 いざ、そうなれば連中はこう言うのだろう。
 
 こんな筈ではなかった、と。
 
 自分達が殺す側にいる事に気付かなければならない。世界は暴力に満ちており、わかりやすいかわかりにくいかの違いでしかない。誰もが暴力の輪の中にいる。それを見ようともせずに、綺麗事を口にして「平和」が何であるのか理解しようともせずに、戦争を否定するのだ。
 活人拳、という概念がある。
 暴力としてではなく他者を活かす在り方として武力を振るうという思想だ。だが、武力と暴力の違いは「発音が違う」以外にはない。文字を読み解く能力すら欠けているから掲げられる、馬鹿な子供の屁理屈だ。
 弱者の女子供に向ける暴力は悪。 
 強者の圧制者に向ける暴力は正義。
 いいや、違う。子供じゃあるまいし、都合良く現実を改竄するんじゃない。
 何もかも同じだ。
 とどのつまり、この世界に善など存在しない。正しそうであれば「自分を容認し易い」という、ただのそれだけだ。現実の厳しさから目を背けて綺麗事の倫理に「逃げる」のは、それが理由だ。生きていれば争いがあり、争いに善悪など無い。かといって敗者が悪というのも違う。全て悪だ。悪でない者など存在しない。
 自覚し自認し胸を張れるかどうかの違いだ。
 胸を張ろうとせずに、そこから目を背けるからそうなる。あろうことか「暴力で他者を活かす」などと。そんなのは「持つ側」の台詞だ。もし、それを実現するというならば、暴力を一切使わず言葉だけで成し遂げなければならない。つまり、武術のような暴力を使っている時点でその資格がないという、まさに前代未聞の愚か者だ。
 間違ってもやるべきではない。いや、致命的に間違えているから、そんな逃避に走るのだろうが・・・・・・遊び人の理屈など、信じるに値しない。
 では、この会場はどうか。
 簡単だ。殺戮機械を雇用している癖に、連中は自分達の事を「罪なき善良な市民」と思い込んでいる。不思議な事に、この会場にいるような連中はどれも「奴隷労働」や「不当搾取」を「合法」の範疇で行っているが、「法的に問題ない」か、「法的に問題があったとしても、マスコミに金を握らせて賛美させる」という行為を取ると、そこには「罪悪感」は「塵一つ分」も「存在しない」という事になる。
 金の力で善良さは買えるのだ。
 これは珍しい例ではない。大体どこの金持ちもそうだ。そもそも拝金主義を異民族文化が広めてから今に至るまで、むしろ、そういったやり方をしない奴は、決して金を掴めない。奴隷労働を隠し通すから企業の発展があり、不当に搾取するが故に企業イメージを回復させ、顧客に暴力的な扱いをしたところで、法的に弱者が訴える制度などどこにも存在しない。
 裁判が良い例だ。金がなければ勝てない。
 そうする事で、連中が必ず勝てる仕組みが長きに渡って維持されている訳だ。言ってしまえば、「奴隷有りきの平和」だ。年間に何万人も自殺を決行するような国が、戦時中より死者が少ないと思うのか? 実際には間違いなく戦時中より死者は多い。
 というのも、私の提唱する運命の克服方法は、「生きたまま生まれ変わる」事であり、在り方を根底から変える事で勝利の可能性があると説いた・・・・・・だが、連中の言う「平和」の中では、恐るべきことに「生きたまま死ぬ」という行為を繰り返し続けるのだ。およそ九割の人間がそうなる事を強要されている。九割の富をそういう連中こそが独占するからだ。
 全て、綺麗事の平和の代償だ。
 そんな事実を直視するのは、連中にとって都合が悪いからと、目を背けるのも活人拳の特徴だ。 そういう奴に限って「己の仕事」さえない。
 遊び人がほざくな。
 ふん、帰りに二、三人、いやどうせならサーバを破壊した後、爆弾で粉微塵にしてやればかなり世界のゴミが減る。考えておこう。臭いゴミを増やし続けるのは、私の精神衛生上よくない。ゴミはゴミ捨て場に捨てるべきだ。
 人類皆平等だと? ならば人類はゴミで出来ている。価値ある何かに変質させない限り、死んだ方が社会に貢献できるような存在だ。
 変質させる気がないなら、尚更殺した方が良い・・・・・・殺人や戦争に対して拒否感を持つ前にゴミの掃除くらいするんだな。
 会場を見渡すだけで、そういう持つ側に立ち、暴利を貪っている連中の好みが理解できる。
 警備ドローンやアンドロイドにしても、別に、最新式である必要はあるまい。単純にテロ行為を防止するだけであれば、最新型アンドロイドよりサムライの一人でも雇った方が早い。数世代前の警備ドローンでも探知機能は高いので、その辺のレジスタンスであれば、悟られずに突破するのは不可能に近い。
 稀に、私のように堂々と入る奴もいるが、例外を考え出したらきりがないし、何より連中の場合単純に「最新式を揃えればいいや」という安直な発想しかあるまい。この辺りはどれだけ科学技術が進もうが、同じ事だ。
 結果、やる事も変わらないのでは、笑えない。 物語に関しても同じ事が言える。漫画と違い、「何度も読み返される」という事が少ない小説は売り上げに中身が関係ない。流行に乗りマスコミがはやし立てた作品が、ついこないだ図書館の隅で埃を被っているのを見たが、そういうことだ。 殆どの場合、作品を読んでいる訳ではない。
 作品の雰囲気を楽しんでいるだけだ。
 よくわからないまま読み進め、何一つ理解せず最後まで進んでも、流行に流された連中同士で、その内容についてある程度語り合えれば、それでいいからだ。事の本質がこれほど影響しない芸術の類も、そうそう他にはないだろう。絵であればそういった事もあるが、物語ではあるまい。
 何がよいのかわからない絵でも、世論を誘導し素晴らしいという事にさえ出来れば、売れる。
 だが、面白くない漫画を売るのは至難だ。
 逆に、小説ではそれがない。不思議だ。だが、事実でもある。実際その辺の書店を回ってみろ。誰が書いたのか、何を伝えたいのかわからない、白紙以下の作品など溢れている。漫画家と違い、作家には「ありもしない妄想」を見たがる馬鹿が多いからだろう。
 最近では「有名人と仲良くなれる」とか、所謂その「有名税」みたいな事を期待したり、単純に作家という「肩書き」が良いからなりたいとほざき出したり、とにかくロクでもない。事の真贋が成果に関係する事はないが、だからって現実から目を逸らしすぎだ。
 まず、作家に栄光などない。
 手にしたなら捨てるべきだ。
 漫画家がサインを書いて人気取りをするのは、別に構わない。だが作家がやるべきは人気取りやアニメ進出などではない。
 そんな事をする暇があるなら書き殴れ。書いて書いて書いて書いて書いて書いて書き続けろ。
 書くべき事がない? そんな筈がない。作家に書けないテーマなどない。私なら金魚をテーマにしてでも書ける。別に書きたくもないので、金魚よりも人間同士の裏切りとか人間の醜さとか人間の狡猾な社会形成能力を、官能でも推理でも文字通り何でも良いからそこに入れて、読者に精神的外傷を加え、傷口に悪意を刻み込み、悪意を塗りたくった挙げ句最後の最後、信じられそうな希望が絶望に変わりめでたくなしめでたくなし。
 そういう作品にする。
 例え金魚を書かなければならなくなってもだ。 そうだな、世界一高額な人工育成金魚を巡り、血みどろの争奪戦を繰り広げるとかどうだろう。調べる内金額の秘密は埋め込まれた生体チップでそれを手にすればアンドロイドに必要な有機細胞関係技術が数世代、いや数十世代先を行く。
 まさに「奇跡の金魚」だが、その恩恵と言える最新技術の発生した理由は、劣悪な環境下で飼育された金魚が、環境適応する為に自力で手に入れ進化した、強力な農薬の中で毒に体制を持つ強力な生物が誕生するように、「人間のエゴ」が生み出した「新しい進化の可能性」という、実に皮肉が過ぎる原因だった、というのはどうだろう。
 二秒で作り出したが、まあ構うまい。私が提唱する「傑作」とは「運命の流れに従って出来る」というのが大前提だ。大昔音楽家が一つたりとて音符は減らせないと公言したように、あくまでも作家がやるべきは己というフィルターを通す作業でしかなく、書きたい事を書くべき形で伝える、という基本さえ押さえればそれでいい。
 無論、技術があるに越した事はないが、それは筆に聞いてくれ。出来る時もあるし出来ない時は多い。例え、砂漠の中で延々と語り合う作品だとしても、登場人物が語るそれが読者共の心を支配した挙げ句、現実の生活にも支障を出しそうな悪を刻み込めれば、それで作家の勝利だ。
 言いたいのは「真っ当に生きられない」から、「作家などに成り果てる」のだ。そこに夢や希望など存在しない。馬鹿馬鹿しい。安易にちやほやされる事が出来るという幻想を抱く暇があるなら政治家にでもなればいい。金さえあれば、だが。 作家などに成り果てる労力を考えれば、政治家を目指した方が正直早い。そもそも人間をやめているから成り果てる存在だ。いいか、真に作家足りうるという事は、人間を完全にやめるという事なのだ。人間社会に興味がある時点で、そいつは作家ではない。
 編集者と人類全てと社会の仕組み全てと人間の作り上げる綺麗事全てと、とにかく目に付く全てを呪い憎み蔑み続けていれば、借金に利息が付くようにいつのまにか成り果てる存在。それが作家というものだ。
 ロクなものではない。
 その分、金だけは稼いでやろうと意気込んではいるものの、編集者というのは名前だけで、元々ネット上で人気のある作品を右から左にデータを横流しして掲載し、それで運良く売り上げが出ると「自分は立派な仕事をやり遂げた」と馬鹿丸出しの勘違いをしたまま、それを仕事だと思い込むような、そんな遊び人しか業界には残っていない・・・・・・既に作家の世界など滅んでいる。
 私はその生き残りだ。
 嬉しくも何ともないがな。
 古い男の在り方など何一つ役に立たない。だが最新式を揃えればそれで何とかなるというのは、自身の在り方が誇りの在り方に沿っているからと思考放棄して、現代社会の流行に乗り遅れるのと同じくらいには、危険な予感しかしない。
 最新式アンドロイドは確かに凄い。
 だが、同系統であれば弱点も同じだ。全て同じ方法で支配できる。最新式である事は、システムの脆弱性が克服できる事とは違う。
 だからという訳ではないが、私は未だに文房具で作品を書いている。そんな奴いるとは思えないがもし仮に、私の作品データを事前に知りたい奴がいたとすれば、そいつはこの現代社会で直接私に対面し、私を倒してからデータを奪うしかない・・・・・・そして、私を倒せる人間などいない。
 そいつが人間である限り、私が勝つ。
 化け物は人間に敗北しない。怪物にも英雄にも能力さえあればこちらが敗色濃厚だが、しかし、そいつらにもし「心」があれば、その心を世界で一番支配できるのは、この「私」だ。心の有り様など見ただけで大体わかるからな。
 心がわかれば指向性も理解できる。
 どこに向かうのか、何を成してきたか、現実の何を誤魔化しているか。それら全てだ。私にもし倒せない奴がいるとすれば、新撰組のような連中だろう。武器があれば武器そのものを支配するか武器を扱う心を支配すればいい。それが拳だったところで、拳を振るう心を支配すれば同じだ。
 何者であれ、その心を支配すれば倒せる。
 だが、どこにあるのかわからない「誠の旗」という存在を、どうやって斬れば良いのか皆目検討もつかない。己の道を突き進みそれを良しと笑い何を言われようが突き進む。そういう連中に確実に倒す方法など、存在しない。
 私なら間違いなく逃げる。あるいは、許可を貰ってから金策に走るだろう。練兵場に人が多く来たらしいが、私なら見物料と鉄板焼き関係の屋台を組員にやらせ、収益をあげて組織内雇用を作り手に入る臨時給金で志気を上げさせる。
 練兵に力を入れる程、入場料も増えるしな。
 商売相手としては申し分ない。
 無論、金は頂くがな。
 見渡せば見渡す程そういった貴重な人材とは、無縁だ。どいつもこいつも肥りすぎた白豚、いや豚は清潔な生き物であり、捨てる部分のない有用な家畜だが、連中に使い道はない。堆肥でさえ、こいつらより使い道はあるだろう。
 鼻クソのような奴等だ。
「おい、そこの鼻クソ」
「はな、何ですって?」
 その年だけはとった女、略して年女は見てくれどおりの水膨れした人格の持ち主らしい。自分に色香があるとでも思っているのだろうか? 
 見た目を幾ら整えようが、女の良さは気立てだ・・・・・・中身が鼻クソでは噺にならない。
「ちょっと、聞こえてましてよ!」
「ああすまん、ハゲにハゲと言うようなものだ。真実を突きつけてすまなかった。でだ、鼻クソ。人工知能のサーバがある場所を知らないか?」
 事前に下調べしているとはいえ、直前に移動をする可能性もある。殆どただお披露目会の空気が汚らしかったから苛ついて憂さ晴らしをしようと考えただけだが、そういう事にしておこう。別に構うまい。目の前の年女の皺が増えるだけだ。
「ふん、女という呼称をつけると、全ての雌生物に対して失礼な気もするしな。そうだな、例えば貴様の呼称は「十円ハゲ」とかどうだ?」
 頬と眉間の筋を痙攣させながら「何という事でしょう。出会い頭にここまで失礼な台詞を吐かれたのは久しぶりです」とぶつぶつ言っている。
「随分周囲の連中は優しかったらしいな。それかあまりにも雑菌のように扱われ過ぎて、幻覚でも見始めたか」
「・・・・・・私はこれでも、引く手あまたの女でしてよ。貴方に見る目がないだけでは?」
「そうだな、確かに。私は顕微鏡ではないんだ。雑菌の形など調べてられるか」
 今まで対して我慢した事もないのだろう。痙攣を繰り返しながらヒステリーを起こし、すぐさま旦那を呼びつけ同意を求め始める。
 妙な落ち着きのある、奇妙な男だった。不自然な位に独特の雰囲気がある。どうも、ご同業な気がしてならない。私は大層な成果を、いや報酬を貰っている訳ではないので、少なくとも売り上げでは比べるべくもないが。
 だが、無駄な自信過剰という意味合いでは似ているな、と思った。
 壮年の紳士服があるから、ではない。この男の場合、年齢は関係あるまい。目を見れば大体の事はわかる。それが私だ。
 人間を信じていない、のではない。
 人間を信じる事を諦めた、そんな目だ。
 その一方で、人間に期待する事をやめられない・・・・・・実に不器用極まりない。
 だが、面白い傑作を作る力は有りそうだ。
「すまんな、その女が何かしたか?」
「私は何もしていません。その男が勝手に」
「ああ、お互い苦労するな。糞尿を垂れ流しつつハナクソをほじり続けるような害獣だが、貴様が持ち主なら管理しておけよ。ほれ、糞の始末は、社会全体で守らなければならないマナーだからな・・・・・・そんな奴、良く捨てないな」
「まあな、俺も焼きが回ったからだろう。最近は自問自答を繰り返す日々だ。こいつには果たして「知能」と呼べるものがあるのか?、とな!」
「・・・・・・後で話があります」
 そういって笑顔で旦那を引き吊り回し、どこかへと消えるのだった。普段旦那の脛をかじるだけの奴が、小さい世界では威厳を示そうとする典型的な例だ。男に引く手あまたとか抜かしていたがハナクソがハナクソに引く手あまたで、何を自慢しているのやら。
「聞こえていましてよ!」
 どこかに消えたと思ったが、まだ近くにいた。少し離れた所で旦那に説教を繰り返している。
「言っては何だが本当に何で、そんなハナクソを選んだんだ?
「言っただろう、俺も焼きが回ったと。強いて言うなら、そうだな。俺は人間の意志を尊重する。このあばずれは曲がりなりにもそれを示した」
「それは「愛」というやつか? 形は何であれ、愛の形を示したから、人間を信じられずともその示した何かに賭けたくなった、と」
「さて、どうだろうな。俺は非人間だ。人間など愛せない。だが貴様の言うところのハナクソなら愛しても構うまい。何せ人間ではないからな」
「ほう・・・・・・」
「貴方達、よく本人を前にして言えますね」
 周囲を見れば、どうやら「ハナクソ婦人」が、共通認識に成りつつある。私は他人のハナクソに対して向ける好意など当然ないので、ざまあみろとしか思わないが。
「ところで、ええと」
「俺か? 俺の名は、そうだな。「読書家」と、そう呼んでおけ」
「書く側ではないのか?」
「似たようなものだろう。身勝手に書く作家と、身勝手に読む読者の違いなど、腐れ編集者に追い立てられるかの違いでしかない。そういう意味で言えば、読者の立場は素晴らしく蠱惑的ではあるのだが、無論、それでは俺達は廃業だ。だが読者共を読み解き連中に作品をくれてやる、という部分に関して言えば、俺達作家は「読書家」と言えなくもない」
「せめて肩書きだけでも、か。ひねくれているな・・・・・・わからなくもないが」
「当然だ。読者に憧れない作家がいるか。連中は読むだけでいいんだぞ。俺達作家が汚い汁を形にしている間、僅かな金でそれを楽しめる」
「確かにな。私も前々から思っているが、作品を高値で売れる仕組み作りを、社会全体でするべきだとよく思う。絵画が数億円で売れるというのに物語はその辺のゲーム機にも劣る。読者を選んでいては金にならないというが、客を選べないからこそ我々は社会の奴隷になる」
「仕方有るまい。俺達の役割は広める事だ。例えそれがそこにいる無駄な贅肉の塊であろうが例外なく同じ質の物語を広める。昔は手書きだった事を考えれば、これでも大分マシになったものだ。わざわざ手書きで書いていたんだぞ」
「私なら文字が汚くて出せない自信がある」
 のけ者扱いされるのが我慢出来ないらしく、例の雑菌ハナクソが割り込む。
「まあ、文章も綺麗に書けなくとも、作家とは成り立つものなのですか?」
「馬鹿め」
「雑菌が」
「・・・・・・・・・・・・」
 旦那、読書家が先に話し出す。
「数十万数百万の文字を書くんだぞ、文字の出来を気にしていられる訳がないだろう。これだから浅慮な奴は手に負えん」
「読者などそういうものだ。作品にも書いたが、読者に何かを期待するべきではあるまい。何せ、我々のような奴が書く物語に「感銘」などというものを受けるのだ。物語が絶望を描いたとしても無理矢理そこに希望を見い出す。読者というのはそういうものだ」
「成る程、ためになるな」
 周囲がざわついてくる。流石に名前まではわからないだろうが、あからさまに作家らしき連中が読者に対して好き放題口にするのだから、まあ、当たり前という気もする。作家に浅はかな幻想を抱くのもまた、読者というものだ。そういう意味では作家になることで勝利や栄光を得られると、そう考える時点で連中は「読者」なのだろう。
 最後に一つだけ聞いてみる事にした。
「だが、貴様はそれでも、人間に期待している。それは何故だ?」
「・・・・・・そうだな、俺は人間など信じない。だが人間の成す行いは尊重する。それだけだ」
「・・・・・・・・・・・・そうか」
 これ以上は蛇足だろう。我々は適当に済ませ、それぞれ別の方向へと足を進めた。
 何やら叫ぶ声が聞こえた気もしたが、どうやら知性ある生き物のものではなさそうなので、私は気にしない事にした。
 
 
 
    12

 自分達が殺される事は許せない。
 その一方で綺麗事を口にし、殺人はいけませんと言いながら、自分達に危害を加えられるのが、絶対に容認できない。暴力の輪に身を任せながら一切の自覚を持たず、自分達のような善良な人間を傷つける奴は問答無用で「悪」であり、正義は自分達にあるのだと自惚れる。
 そう、まさに自惚れだ。
 拳を振り回しながら正義が自分にあるなどと、自惚れにも程がある。大儀は何者であれあるが、その大儀に「正義」や「善」など有り得ない。
 他の大儀を潰すのが前提である以上、そこには悪しか有り得ないからだ。ここにいる金持ち連中はその典型例だと言える。他者を搾取し成り上がるくせに、自分達に危害を加えられる事は無法な行為だと喚き立てる。
 サーバが破壊され、大混乱の中叫ぶ連中の姿を創造するだけでわくわくする。馬鹿共が苦しむ様は見せ物として最上だ。
 精々やる気を出すとしよう。
 私には守るべき仲間も培うべき友情も分かち合う勝利も必要ない。そんなゴミより実利が欲しい・・・・・・金、金、金だ。世界は金で出来ている。金こそが世界の真実であり、金こそが万能の力だ。そして、悪意さえあれば金の力で不可能はない。 私には、無限の悪意がある。
 ならば、後は金だけだ。
 阻む何かがあるならば、刃で切り捨て金で買い上げる。それでこそ「邪道作家」というものだ。 馴れ合いの王道など面白くも何ともない。
 仲間に頼るのではなく仲間という立場を利用し力を合わせるのではなく小さな力だけで何が出来るかを真剣に挑み愛の力で現実を誤魔化すのではなく策を弄し知略の限りでどこまで進めるかを、全てを賭けて考えるから、面白いのだ。
 面白ければ、それでいい。
 その際、高いところから見下ろしている連中が苦痛に顔を歪める様を踏みつけに出来れば申し分ないというだけだ。
 苦しい。苦しい、苦しい。それが綺麗事で解決される事は決してなかった。不合理による苦しみは金でしか解決できない。少なくとも、私に便利な綺麗事など存在しない。祈ったり努力したり、ただそれだけで救われる卑小者共のように、楽な道のりなど望めない。
 言ってしまえばこれは「空腹」だ。面白い作品を食べ続けなければ生きてられない。その空腹を満たせれば呼吸を忘れ、心がないからこそ札束で暖まる。あらゆる幸福の概念から外れ、それこそ「そんなのは生物の在り方じゃない」と間違いを指摘されたところで、胸を張ればいい。
 所詮、持つ側の戯れ言だ。
 苦しい、苦しいが、苦しみなど押さえつければ良いだけだ。時が立てば薄れる程度でしかない。 面白い物語が欠けていたり、単純に札束が不足していれば、それは呼吸をせずにいると同義だ。たまに、いや結構な頻度で吐きそうになるが、私が吐きそうになったからといって、誰が慰める訳でもあるまい。そんなどうでもいい事を気にするよりは、目を向ければそこにある筈の「何か」を目指さなければなるまい。
 何より私は忘れやすい。死にかけるなど日常に等しい行為だ。その苦しみも、過ぎれば忘れる。そしてそれで問題ない。
 物語物語物語だ。それらを金に変える錬金術。それが作家の役割であり、それを成し遂げてこその邪道作家だ。まあ、現状見立ては無いので、私が勝手に口にしているだけだ。嘘を現実に昇華し金に変えるというのは、作家共通の難題か。
 まあ何でもいい。金になれば。
 最初から最後まで、金で買ってみせる。
 金が手に入れば、だが。
 大体私に苦しみを感じる感性はない。単に血行が悪いだけの気もする。なので誤作動を起こした機械兵のようにもがく事になる。しかし、それはそれとして作品に活かそうとしてしまうのだから私は根っからの作家、つまり敗北者代表なのかもしれなかった。
 あまり嬉しくない。いや、己の欠点は克服するよりも、使える人材を雇い代わりにやらせるべきだろう。となれば、やはり「要領が良い」だけで何もかも成功に導くような、生まれながらの商社を利用するのが、一番早い近道か。
 その近道を利用する金が、現状ない。遠回りをすれば近道では得られない経験があると抜かす、脳細胞が失敗作のラザニアで出来ている愚か者は多いが、まさかそんな訳がない。散々無駄な遠回りをしてきた私が言うんだ間違いない。
 得られるのは屈辱と徒労、費やした金が無駄に終わる投資の失敗経験だけだ。
 つまり時間の無駄だ。
 時間という概念は存在しないので、この場合、遊び呆けているに等しい行為と言える。何かを培う事が生物に出来る成果であれば、遠回りをするというのは要領や幸運のなさから来る、敗北者の言い訳に過ぎない。遠回りの無駄足でも、そこに意義があると思い込みたいからだ。
 そんなもの、あるわけないだろう。
 大体、そういう台詞を吐いているのは、全てが「持つ側」ではないか。生まれ持っての能力で、それなりの努力もどきをしただけの連中が、その能力だけではないと己を認める為に作り出した、ただの詭弁に過ぎない。世間を見渡せ。持つ側にいる連中に、何十年も遠回りして、世界を動かす奴がいると思うのか?
 生憎だが、ただの妄想だ。
 現実には「即物的な力」が全てを回す。世の中そんなものだ。その事実を見据えずに、よくまあ現実逃避の言い訳を思いつくものだ。どれだけ暇なのだ、全く。達成した事が大事だから、物事の実利ばかり見てはいけない、などと。
 ならば飢えて死ね。
 あの世で同じ事を言ってみろ。実利を稼げず、飢えて死んでしまったが、やるべき事はやった。だから生き返らせてくれとでも頼め。
 無理だろうがな。
 死んだ人間を生き返らせる。そんな無茶苦茶を実現できるのは、神話の時代からあの世に人脈のある怠け者だけだ。死は当人の責任であり、そこに他人が介入する余地はない。よくも殺したな、とか、何々の仇、とか、大切な人だから殺した奴が許せない、とか。
 全て自分の心を慰める為だ。
 その事実と向き合おうともしない。
 そのくせ、そういった連中こそ力を持っているのだから、忌々しい事この上ない。生きる為に、そこに実利は必要不可欠だ。
 それを二番三番に置いて道徳的な部分を追い求めるのは、真剣に目指していない証左だ。実利を出せるようになってから、可能であれば追い求め実現する。道徳や倫理など、その程度でしかない・・・・・・少なくとも、全てを賭けて何かに挑むのであれば、そんなのは当たり前の事だ。
 それでも、私のように敗北にまみれる事は珍しくない。とはいえ、その一方でそういう連中が、美味しい汁を啜りながら世界を満喫するのは許されざる行為だ。何なら人類全体に思想を広め連中のような類の人間を駆逐し尽くし、己の役割を果たせる奴だけが生き残れる世界にするべきだ。
 私はその為に動いている。
 蟻と同じだ。無駄な余分が増えれば役割が余ることになる。いっそ数を減らせばいい。その為に戦争は必要だ。なまじ、小汚い綺麗事ばかり並べたて争いを否定するからこうなる。殺し合いが良いとか悪いとか、そんな話ではない。むしろ逆だ・・・・・・物理的に人が死ぬ事が許せないのであれば代わりの戦争を用意すればいい。
 現行の経済戦争はあまり賢くない。使われない無駄な金、というか銀行の数字だけ増やして何になる。しかも、それを自国でもない「税率が優遇されるから」という理由で、本来経済を回す為に必要な金を支払わず、余所の国で存在しない金の数値を増やす事に執心し、しかも税金を支払ったところで真っ当に運用せず、酒と女に使い込む。 貴様等には脳細胞が無い。
 断言する、無い。
 考える頭があるならば、それらの問題を少しは真剣に考えなければならない。自分達の未来を考えもせずにあれこれ不満を叫び、誰かが改善するべきだとほざく。誰かとは誰だ。政治家がそんな市民の為になる政策を出すと思うのか?
 支持する奴がいなければ、それも出来ない。
 別に政治に限らない。何度も言うが、役割などその当人によって変わる。だが、それは誰であれ個性があるから卑下しなくてもいい、などという愚か者の屁理屈では断じてない。むしろ、役割を果たせなければ卑下しろ。果たした上で金にならなければ、憤慨しろ。その上で金になるならば、勝利の雄叫びを叫ぶのだ。
 その役割をもって世界を回せばいい。何であれ出来ることだ。このデジタル全盛期時代であれば尚更だろう。ゴミの山が多いのが難点だがな。
 情報を誰でも流せると言えば聞こえは良いが、生ゴミにも劣る臭い情報など、流すだけで邪魔だ・・・・・・流せる人間を厳選するか、厳選された情報を流す仕組みを作るしかない。果たしてこの時代に作家として真剣にやる奴など何人いるのかすら不明だが、もしいるのであれば、そういう連中を雇用する仕組みも、必要になるだろう。
 それもまた、金次第か。
 やれやれだ。参る話だが、結局はそこに戻る。 世の中金だからな。
 物語においてはその限りではないとはいえ私がそれを体現する必要はあるまい。例えば重要人物が死なない物語は道徳的ではあるが、美しくならないだろう。私にこの鬱陶しい金銭難がなければ物語としては陳腐になったかもしれない。いや、性格の悪さを考えれば、いずれにせよ邪道作家として突き進んだ気もするが・・・・・・とにかくだ。  実際に体験する必要などない。
 物語など、捏造すればいい。現実に私が豊かさにまみれた「持つ側」に立っていたとしても捏造して「持たざる側の物語」を書けばいいだけだ。体験する事で傑作を書ける奴もいるのだろうが、私には必要ない。大体、売れる物語とは勝利者の嘘臭い成功法則なども含まれるのだ。むしろそうであれば売りやすいだろう。
 物語の本質など、金にならないからな。
 案外、貴様等の知らない私の姿は貴族の女なのかもしれないぞ。現代社会で「貴族」など遊び人の言い訳でしかない気もするので、現行の世界で「持つ側」にいるのはむしろ「企業家」になるのだろうが。合法的に奴隷を扱えるというのは実に楽しそうだ。好き放題堂々と殺し、奪い、他者の人生を食い物にした挙げ句、社会的な道徳に照らすのであれば「立派な人間」と言い張れる。 
 あの世などあるのか知らないが、あるとして、連中が天国に行けるのは間違いない。以前も書いたが、天国に行けるか否かが神の代理人に支払う金次第、という宗教は実在する。地獄の沙汰も金次第だ。世界一有名な宗教でも、神と悪魔で裁判を起こしたりしているのは、金の力による権威や暴力の有用性を示しているのだ。
 幾ら言い分がもっともであろうが、裁判官には関係ないと、そう伝えたいのだろう。権威があるならば、裁判の内容など関係ない。「正しい側」だと言い張れる方が勝利する。案外、神仏の類は身をもってそれを証明してくれているのだろうか・・・・・・人間の企業家と「根は同じ」という事だ。 大体、暴力を使わずに何かを変える方法など、それこそ言葉のみで信条を広めるしかない。だが現実には戦争や弾圧の末に、宗教は広まり金の力や組織力があるからこそ、人々に信じ込ませる事が出来る。
 どれだけ言い分が正しかろうが、正しいだけの理屈など、今を生きている我々持たざる存在からすれば、どうでもいい事この上ない。知るか。
 正しさなど、そう振る舞える奴の屁理屈にしか成り得ないからだ。口にする側は良いだろうが、その恩恵を得られない奴からすれば、何を調子の良い台詞を吐いているのだと思わざるをえない。真に世界を変えられる奴がいるとして、それは、神仏のような世界で最も「持つ側」にいるような連中では、どうしたところで有り得ないのだ。
 高いところから正論を振りまいて、何になる。 仕事をしようともしていない奴が、世の理不尽を嘆くようなものだ。働くとは、ただ漫然と生活を安定させる事ではない。そんなのは能力や環境に恵まれていれば猿でも出来る。人間に突き進む意志があるというならば、遊んでいるんじゃない・・・・・・少しは働け。
 私に言われたらお終いだぞ。
 人間社会の有り様を、化け物に指摘されてどうするのだ。情けなく思うなら、今すぐ改めろ。無論、仕事をするだけでは駄目だ。金を稼げ。
 毎日苛々しながら叩きつけるように執筆作業を繰り返し、全てを呪いながら嫌だ嫌だと考えつつ物語を書くような生活を送りたくないならな。
 毎日が地獄だ。
 私には相応しい気もするが、待遇の悪い地獄は御免被る。私を地獄に落としたいなら、金次第で考えてやってもいい。豊かさを全て用意しろ。
 天国でも地獄でも、同じ事だ。
 仕事に満足できる環境でなければ、誰であろうと願い下げだろう。肩書きが何であろうが、金を用意できない雇い主など、敵でしかない。
 金、金、金だ。
 なんとしても稼がなければ。まあ、私の意志はあまり関係ないようなので、とりあえずは静観をする以外、出来る事は何も無い。運命に流されるというより、運命を変えたところで金を稼げるかには関係ない、ということか。
 「生きたまま生まれ変わる」という在り方が、「運命を変える」方法だとすれば、邪道作家などという在り方を選んだ時点で、運命は変えられている。問題は、運命の変革は報酬の有無とは関係ないという部分だ。「運命は変えられたが、金にならなかった」で終わっては、笑い話にすらならないだろう。いや実際、笑えない。
 今更もう一度生まれ変わるには、流石に栄養が足りない。そんな力は使い果たしている。 
 選んだ道で進むしかない、か。
 もう少し楽な道を、何故選べないのか。
 無駄に困難に溢れた道を克服したところで喜ぶのは読者共だ。神がいるとして、人間に試練を与えて成長を促すとしよう。だがそれは神の身勝手な自己満足でしかない。読者と同じだ。見る分は良いだろうが、実行する側はただ疲れるだけだ。 得る物など何もない。
 全ては金次第だからな。
 経験だとか信念だとか、成長などしなくとも、どうにでもなるモノばかりだ。そんなモノだけを抱えて、金を稼げなくては夢想家と変わりない。 成果を出して報酬が支払われない理不尽を綺麗事で誤魔化そうとする。残念だが幾ら言葉を尽くそうが、金の未払いは屑のやる事だ。
 つまりそんな信条はゴミだ。
 何の価値もない。ただそれを価値があるのだと言い張れる奴が、多いだけだ。
 そんな遊びは、余所でやって欲しいものだ・
 仕事をしている奴に、言い張るな。
 仕事をしてから仕事を語れ。
 全く、いい迷惑だ。
 作品のイメージから誤解されがちだが、私は、常識的な一般市民なのだ。何をもって常識的と考えるのか不明な上、常識や倫理など時と場合で幾らでも変化するものだが、私はその不明瞭な常識に合わせるという点に関して言えば、一流だ。
 しかしだ。だからって働きもしない馬鹿共に、合わせる道理など存在しない。役に立たなければ倫理も道徳もゴミのように捨てる。別に私でなくとも、それは当たり前のことだろう。単純に合わせるべきか合わせないべきかを、真剣に考える奴が少ないだけだ。
 
 
 
 
 
 

 真剣に生きる、という部分をやるのであれば、誰であれ私と同じような在り方になる。成果より報酬を良しとし、誰であれ個性があるからと逃げたりせず、全力以上で圧倒的に大きな何かへ挑み苦しみながらもそれを諦めない。
 正直、苦しいだけで吐きそうだがな。
 それも、血行の問題かもしれないが。
 仕事が上手く回らなければ血行が悪くなるのか・・・・・・新発見だ。とはいえ体調の善し悪しが仕事の成果、というより物事が上手く回るかに関わるのは、別に珍しくも何ともない。考えてみれば、それも当たり前だ。血流の流れはその人間の体力に直結する。簡単に言えば「生命力が鈍る」と、そう言えるだろう。
 あまりにも物事が上手く回らないが故に、私の肉体は「生きる」という行動に対して「疲れ」を感じているのだ。成果をあげても報酬を手に出来ないまま、苦痛や屈辱だけ味わわされて、生きる上で当然ある筈の「生きている感覚」を生まれてこの方一度として味わっていないのだから、そのままでは肉体が死に向かうのも当然だ。
 心が無い以上、人間的な不調はまず無いだろうと思っていたが、肉体は肉体だ。
 もし、仮に、だが・・・・・・そんな馬鹿な理由で、つまり「肉体が生きている事を実感出来ない」という馬鹿馬鹿しい理由で終わるなど、失笑ものの喜劇にも程がある。なんだそれは。そんな理由で終わるのか?
 いずれにせよ、後は運不運だ。
 つまり、何の期待も出来ない。 
 最終的にそうなるなら、やはり挑む意味が幾らあろうが、挑む価値は最初から無かったか。最初から分かり切っていたことではあったが、そんな無駄足に付き合わされる身としては、何故こんな無駄足に付き合わされなければならないのかと、不平不満しかない。
 どうしたところで「生きる」という行為が無駄に終わるのであれば、そんなものに意味はないし価値も存在しない。どちらも、有ると思い込む事で誤魔化しているだけだ。そんな意味や価値など私は不要だ。
 とりあえず、目先の金でも稼ぐしか、出来る事はなさそうだ。労働など徒労にしかならないが、これも仕事の為、というのも違うのだろう。
 労働を幾ら真剣にやろうが無駄だからな。 
 無駄足の回り道を歩かされているだけだ。
 文字通り、何にもならない。
 私は今回の依頼で最新式人工知能を破壊し科学の進歩を遅らせるつもりだが、それも、同じだ。 ここで私がサーバを破壊し小銭を稼いだところで大局的に何が動く訳でもない。物語の流れなど有ろうが無かろうが同じだ。結局のところ勝利者足り得る奴が勝利する為に、あらかじめ流れの全てが定められている。最近の物語では非常に顕著だと言えるだろう。主人公が勝つ。その為だけに全ての物語が用意され、向かうべき道筋ではなく主人公がどうすれば劇的に勝利し、綺麗事を美化出来るのか。ふん、言ってしまえばレトルト製品みたいなものだ。レンジで暖めれば出来上がり。実際、近代の物語は定型化が進んでおり、大抵の作品は仕様書通りに作れるものだ。
 これとあれとそれをやれ。
 そうすれば、物語の完成だ。
 後は、綺麗な絵を添えて見目麗しいアイドルを使って宣伝し話題性を脚色すれば出来上がりだ。そこに訴えるべきテーマなど無いし、プロット通りに作り上げれば傑作が出来ると思い上がる馬鹿に、己の業を書き上げる器量など当然無い。
 それを、社会全体で持ち上げる。
 心の無い殺人鬼よりも恐ろしい。何せ、自分達が何を作り上げようとしているかさえ、連中には理解出来ないどころか、理解する気がない。その一方で綺麗事の倫理観を語りながら物事の本質を手に入れたいと、そう願うのだ。
 おぞましい生き物だ。
 あれが人間なら非人間でいい。
 むしろ、非人間で良かったとさえ思う。そんな浅ましい在り方しか出来ない連中に混ざって何をしろというのだ。少なくとも、仕事は出来ない。世界を変えられる人材とはとかく狂人であると、そう語られる事は多いが・・・・・・だとすれば、人間が人間社会を作り上げたのではなく、人間は何もしていないまま成長もしないが、それを導く狂人によって、つまり「非人間が人間社会を導いた」というのが世の真実なのだ。
 働いてすらいないどころか、生きてもいない。 それが人間の正体だ。
 汚らしい綺麗事に包まれて、道徳や倫理を語り所謂その「人間らしく生きる」というのは、とどのつまり真剣に生きる事に向き合わず、都合の良い環境に甘えるだけでしかなく、その当人自身にしか不可能な行い、即ち「仕事」をしない遊び人だと、そういう事になる。
 堕落した在り方こそが事実。
 遊び人というより、子供の発想だ。働きもせずに金が欲しい。しかもそれを実現させてしまい、自分が「働いている立派な社会人」だと思い込んでいるのだ。言わずともわかる話だが、元来仕事というのは社会に示す事が非常に難しく、稼いで形にするのは至難だ。当たり前だ。今までに存在さえしなかった「何か」を示し形にする。それが「仕事」と呼ばれる行いだ。
 時勢や借り物の倫理観に従って、右から左へ、出来ることをやり、上からの指示をこなしながら「何故評価されないのだ」と嘆く事は労働であり仕事ではない。働いている訳ではないのだ。仕事だと思い込みそれを尊いと勘違いする馬鹿共の為に付き合わされるのは正直、迷惑でしかない。
 仕事とは、社会の評価とは何ら関係ない。その生涯を賭して駆け抜けるものだ。むしろ社会だの倫理だの道徳だのを気にしながらしている時点でそれは「仕事」とは呼べないのだ。そんなのは、結局の所誰かに認められなければ自己を確立できないからそうするのであって、労働に励もうが、社会的に成功しようが、倫理や道徳の上で正しいと誉めそやされようが、同じ事だ。
 世の凡俗共に「これだけの偉業を認める脳味噌すらないのか」と高笑いしながら突き進み、金を肯定して仕事には大金を要求し、過程はどうあれ鮮烈なまでの「成果」を世界に示す。
 それが仕事でなくて何が仕事だ。
 遊び呆ける人生を送り、出来る事をこなすだけであれば、その人間が有能に生まれてさえいれば出来るだろう。だが、当人の成した何か、は一体どこにあるというのだ。もしそれが生きるという行いであるならば、当人自身は必要ない。人間である必要すら存在しない。生まれ持った何かは、所詮生まれ持った何かだ。その人間でなくとも、他の誰かに持たせる事でも可能になるものだ。
 
 生きていても死んでいても、同じだ。
 
 それが、現行人類の大半を占める。狂人として生きていない連中は、残らずそうだ。明日死んだところで誰も困らない。それらしく涙を流すかもしれないが、それだけだ。別に、その当人が必要になる事など、ない。必要なのは金であって当人の資質ではないからだ。その様で自分達に価値があり、綺麗事の倫理に従って涙を流すべきだし、涙を流されるだけの素晴らしい人間だと思い込むのだから、最早滑稽ですらある。
 実に見苦しい。
 計算高く感動を作り上げる事を売りにしながら物語を描く作家、に等しい行為だ。感動させる為作り上げた物語など、それだけだ。感動したら、飽きて捨てられるゴミでしかない。有る程度売れてからそうなる奴は多い。偶さか、作家になれたというだけで、別に信条から作家を志した訳ではないからだ。偶然書ける環境にいただけで、幸運に恵まれたに過ぎない。作家などになる事を幸運と呼べるのかは知らないが、それで金を稼げるのであれば幸運に恵まれたと言えなくもない。
 結果、後になってそういう駄作を量産する。
 汚らしく小綺麗な絵がついていなければ、誰も買わないような代物だ。言ってしまえば読者共も絵を買っているのであって、作品そのものはどうでもいいのだ。呼んだら、後は本棚に仕舞い込み後から読み返す事など数える程しかない。
 感動してしまえばそれきりだからな。
 そういうのは景色のような、繰り返し味わえる偉大な何かにするべきであって、計算高く作り上げた感動など、計算式に等しい。解いてしまえばそれまでだ。何度も同じ計算式を見て、面白いと感じる奴はいない。当たり前の事だ。
 そこにある業が面白いのだ。
 悪人として生きる奴、生き抜く為に生きる奴、何にせよ綺麗事ではない、真摯な何かを貫き通すからこそ、面白い。足を引っ張られて窮地に陥るような物語を書く奴は、それがわからないのだ。そもそも不手際や不運で窮地に陥ったが、それを協力して解決する、というのでは、そんな失敗をするなという話であって、見ていて面白くはない・・・・・・這い上がるから面白いのだ。
 崖に転落する馬鹿を見て、誰が楽しい。
 指を指して笑えるのは、単に見せ物だからだ。物語としては二流以下、何もかもに恵まれた奴が綺麗事を口にして大した策も労さず「正しい側」だから勝利し続ける物語など、論外だ。屁理屈をこねて現実逃避を促したいなら、余所でやれ。
 這い上がれる筈のない絶壁を上り詰め、それを信念を貫いた上で最も困難な道を進むから面白い・・・・・・這い上がるどころか崖下、いや奈落の底に縛り付けられている状態では、正直その道のりを歩む事は難しい。上る手足に「才能」や「仲間」あるいは「環境」が含まれるのであれば、手足を持たずして這い上がらなくてはならない。
 這い上がる様は見物になるが、這い上がれない事が分かり切ってる物語など面白くも何ともない・・・・・・ただの喜劇だ。
 見せ物じゃあるまいし、やってられるか。
 いっそ崖ごと爆破して、粉微塵に出来れば爽快なのだが。どちらかと言えば私の場合、金貸しが仕事だが利息を支払わない奴しかおらず、しかも国がそれを支持しているような状態だ。借りた物は死んででも返せ。言っては何だが作品の売上を保証する訳でもなく、自分達が決して損をしないように振る舞い、その癖自分達のおかげで売れたのだと吠える。そんなゴミの屁理屈を社会全体で支持するようでは、人間社会も末期だと公言するようなものだ。
 事実、そうなっているがな。
 その一方で物語を安く扱い、デジタル上で知りもしない他人に誉められたい、あわよくば作家になり有名になって「ちやほや」されたいと思う、そんな馬鹿共の為に有用なデジタル世界を無駄に使い潰す。馬鹿が。金はいらないが認められたいなどというのは、どこの世界でも通用しない。
 それこそ子供の発想だ。
 馬鹿馬鹿しいにも程がある。
 人間社会は飛躍的な進歩を遂げているが、進歩を無駄遣いするのでは進歩した意味がない。何も進んでいないのと同義だ。これなら、石器時代の方がまだマシな社会形態を維持できたろう。現代社会では不要な人間、不要な労働、不要な組織と無駄なゴミが多過ぎる。戦争を否定し道徳や倫理といった綺麗事に耽溺した結果が、これだ。争いなくして有り得ないモノばかり享受しながら現実を否定する愚か者に、生きる価値などない。
 別に物理的な戦争に限らない。何かしら淘汰を行えるような形の争いを扇動できるような物語を作れれば良いのだが。
 「意識の戦争」だ。
 綺麗事に耽溺するような奴は死に絶え、現実を見据え仕事を成し遂げる人間だけが生き残れる。そんな社会を作り上げる、のではない。むしろ、全ての人間がそれを肯定し、自発的にその未来を見据える世界。戦争を起こすのではなく、戦争を肯定する人間を増やすのだ。争いの本質を否定し逃げる人間ばかりでは、幾ら争いを起こそうが、そういった人間しか育たない。
 根底から変える必要性がある。
 これは非現実的な話ではない。むしろ簡単だ。デジタル世界の普及と共に、世界に対する情報の発信能力は、殆ど全ての人間が同じ条件だと言えなくもない。そして、一端広まれば止まらないし止められない。
 誰にも、どうにも出来ない。どれだけの組織力を持とうが弾圧すればする程広がってしまうし、作り手本人ですら収拾は不可能だ。もし、仮にだ・・・・・・それを意図的に出来るとしたら? 仮に、ではあるが、その意識を全ての人間に植え付け、淘汰を良しとする意識を持った連中が、自発的にそれを広め、その為に行動する。言葉に力など、ありはしない。だがそうだと思い込む連中には、力と行動力がある。
 要は流されやすいだけだが。
 とはいえ、それには「幸運」が必要だ。言葉に力など、ない。内容などどうでもいいから、発信して話題にしたい。それが一定値を越えれば流行となり世間の話題になる。なので、仮に影響力を考え世界を変えようとしたところで、世界が変えられるかは運次第だ。
 ランダムな数値に決められるのだから、行動に意味が伴わない。別にそんな事をせずとも世間の流行がそうなればそうなるし、ならなければ何をしたところで、ならない。運命論に従えば、そういうことだろう。実際、どれだけ調味料豊かな体の健康に悪い粗悪物を宣伝したところで、世間がそれを良しとしない風潮に偶々なれば、それだけで健康食品が大きく売れる。
 逆もまた然りだ。
 従うという言葉は嫌いだが、現実問題運命論が世界を動かしているのだから、無視も出来まい。なるべくしてなる事柄ばかりで、なるはずのない何かを成し遂げるなど、聞いた試しがない。幸運に恵まれればまるで「努力や信念で成し遂げた」かのように演出できるが、実のところ皆気づいているのだろう。
 そんなものは幻想だと。
 子供じゃあるまいし、努力すれば成功する、というのは現実逃避でしかない。努力した位で全てが上手く回れば、誰も苦労しないだろう。努力が報われるというのが一つの幸運であって、努力で成し遂げる何かとは、すべからく仕事ではない。努力したから出来る、というのも言ってしまえば「出来るから出来る事」と言える。
 不可能を可能にした訳では断じてない。
 可能だから、成し遂げたのだ。
 大体、物事を成し遂げるにあたって「努力」という言葉を使う時点で疑わしい。少なくとも凡庸だったが努力で成し遂げた、という言い訳が入り込む余地はない。才能があったから出来たのだ。無ければ、努力で何かを成し得る事など出来ない・・・・・・その理屈で行けば、努力次第で文字通り、何でも可能になるではないか。
 現実を見ていない証拠だ。
 私は作家として「努力をした」という感覚は、まるでない。いや、元々感覚などないのだがそうではなく、そもそも気がついたら終わっていた。今もそうだ。何故私は真剣に物語など書いているのだと、金にもならないのにと呆れながら執筆を続けている。それが気がつけば歳月が経過して、物語の山が出来上がっていたというだけだ。
 仕事とは、人生の一部なのではない。仕事こそが人生になるのだ。逆に言えば、仕事をしない奴に人生など存在しない。死ねば忘れられるだけだ・・・・・・それを人生とは呼べまい。有能さにかまけ遊び呆けた末路だ。
 吐きそうになりながら、我ながらよくやる。
 何をしているのかわからなくなる。寝ては執筆起きては執筆新年が始まり執筆夢の中でも執筆、物語を読みながら執筆風呂に浸かりながら執筆、人間を軽蔑しながら執筆社会に失望を覚えながら執筆情けない言い訳を繰り返されながら執筆だ。 無論仕事だ。だが、金にならなさ過ぎて、何をしているのか、というより仕事だからといって、その在り方をこちらが貫き通しているのに成果が出ない。いや、成果に対して報酬が支払われない世界に対して、失望などとうに通り越して倦怠感がそこにあるだけだ。
 何せ、私の行動には意味がない。
 価値はなくとも意味があるというが、生憎私は金の為にやっているのだ。物語だけ量産しても、何の意味もない。そして、私がどれだけ手を尽くそうが、文字通り周囲の側が腐っているのでは、売りようがないのだ。金を持たない客に高額商品を売ろうとするようなものだ。支払い分割で取り立てることを真っ先に思いついたが、その金すら連中の懐にはない。まるで浮浪者だ。
 どうしろというのだ。
 少なくとも、私は連中の保護者ではない。真剣に仕事をしているこちらからすれば、いい迷惑だ・・・・・・その結果、私が金を稼げない。
 少しは働いたらどうなのか。
 仕事の成果は一人でも形に出来るが、その成果を扱う連中が遊び人では、話にならない。それは子供の遊び場に彫刻を投げるようなものだ。
 子供の世界で飢え死にか。
 笑えない話だ。面白くもない。
 だが、それもまた「事実」だ。
 最近の話だが、銀河連邦第7師団が他惑星進行中に人工知能ヒューイを用いた。しかし、その際人工知能は「進軍」を申告したが、情勢に変化があり、何でも指揮官の秘書官の一人が内通していたという情報が露わになって、その指揮官は泡を食った挙げ句、第7師団のみを撤退させ、結果として第5師団が陣営の設営に残ったらしい。
 第5師団は近接先頭部隊だ。遠距離からの砲撃で援護する筈の第7師団が消えたことで、援護が期待できない状態に陥る。しかも市街地での戦闘だったらしいが、その際火事がおこり、暗闇からの奇襲を決行しようとした第5師団は文字通りの全滅の憂き目にあった。
 誰かが足を引っ張れば、一万の軍勢ですらそうなるのだ。おかげで有名な話として語り継がれているようだが、一万の軍勢が数百の遠距離部隊に敗北した、それも指揮官の無能と不運によるものだというのでは、戦場で「運隊」などと名乗り、命に対して斜めに構える気持ちもわかる。
 大きな流れは変えられない。
 一人で軍勢を相手にし、列車も戦車も戦闘機も牛乳を飲むだけで破壊する変人もいたらしいが、それは過去の話だ。機械化が進むにつれ、人間の軍隊、というより「争いに対する資質」は薄れていく一方だ。映像越しにドローンを運用してすらノイローゼになって精神疾患に陥る。殺人行為に抵抗が有りすぎるのだ。元来、生物とは他生物を殺害し生き延びるものだが、綺麗事の倫理に甘えそこを誤魔化して道徳に浸る生活を送りながら、我々は一人残らず他者を殺しているから豊かでいられるという事実から、逃げるように目を逸らし続けた末路だ。
 多かれ少なかれ、誰でも人を殺している。
 パンを幾らでも確保する環境があるというのは他の人間からその機会を奪う事に他ならない。
 あるいはそれは、経済戦争に対する勝利だろう・・・・・・金を多く確保すればするほど、労働者達が餓死する可能性は上がり、過労で死ぬ可能性も、また上がるだろう。無論、億万長者にその自覚は有り得ない。見たくもないし、どうでもいい。
 それが「世界の本音」だ。
 本当のところ、世界は個人の幸福など、勘定に入れていない。それこそどうでもいい。仮に餓死や過労で死ぬ奴が増えたとして、それを訴える力は誰にある? ない。ないからこそ虐げられて、そのまま死に絶えるのだ。逆に、力さえあれば、何を訴えたところで全てが通る。
 実際、ヒステリーを起こしているだけの馬鹿が物事を通す事は多い。しかも、連中はそれを自分が正しいからだと思い込む。実際には声がでかいだけの馬鹿が、それを強引に通せる立場があり、逆らったらヒステリーをおこして相手を呆れさせながら無理矢理通すだけだ。
 そんな連中が持つ側にいるという時点で、世界が弱者を勘定にすら入れていないのは明白だ。殺してでも奪うしかない。倫理観など、連中に都合が良い屁理屈に過ぎない。こねる側は良いかもしれないが、それに付き合わされて胃腸を痛める位なら、殺した方がまだマシだ。
 それを「非道」だと泣き叫ぶ。
 冗談じゃない。だから殺せというのだ。
 労働者が企業に正しい思いを訴えれば、それで改善されて然るべきだと甘える奴は多い。まさかだろう。訴えなど無視すればいい。現実に力さえあれば、他者の都合など無視できる。社会全体で綺麗事の倫理や道徳を語るのは、持たざる存在にそれを刷り込んだ方が支配し易いからだ。
 持つ側は、そんなものは守らない。
 別に守る必要すらない。
 法や倫理を気にして道徳に縋っている奴には、永久に何も出来はしない。当たり前だ。相手側が守るつもりのない理屈に、自分だけ付き合うのであれば、ただでさえ勝機の薄い戦いだというのにその勝機を捨てるようなものだ。
 
 殺さなければ、ならないのだ。
 
 出来なければ、死ぬしかない。それで死ぬ事を選ぶ、いや怠惰に受け入れる奴も多い。誰かが何とかしてくれる。だが、その誰かとは誰だ? 
 そんな「誰か」はいないのだ。
 死にたくなければ殺すしかない。
 殺すべきだ。
 殺せ。
 必ず、殺すのだ。元より露見しなければ殺人は違法ではない。堂々と国が個人を殺す。珍しくもない話だ。露見しなければ何人殺してもいいし、殺したところで閻魔は怒らないだろう。第一が、殺さないで人生を全う出来る奴などいない。仮に閻魔が文句を言うなら、こう答えればいい。

 生きる為に殺す事の、何が悪い。

 それが悪いなら貴様がやってみろとな。誰一人傷つけず殺さず奪わずに、生きる。夢物語も良いところだ。自分でやりもしない癖に、綺麗事だけを抜かすような奴があの世の支配者で有れば同じ事だろう。そんなのは、現世で持つ側にいる連中に金の力で無法を押しつけられるのと、何ら変わらないではないか。
 言ってしまえば不当な暴力だ。
 暴力で物事を押しつける奴に、理論など説いてやるだけ無駄な話だ。あの世の支配者がそこまで馬鹿なら、こちらとしても戦争しかない。殺さなければならないだろう。でなければ、世間知らずの閻魔が鳥頭な為に、こちらが労苦を背負う羽目になる。
 作家を裁くのに作品も読まないような連中だ。無学なのは間違いない事実。対して知りもしない人間を裁いていると思い上がる。そういう愚か者には地獄以上の地獄を見せてやるのが最高の娯楽になるだろう。任せろ、私の悪意に限界はない。文字通り無限に際限なき悪意と、それを実行する行動力をもって、地獄の閻魔に今まで知った地獄は天国だったのだと、涙ながらに語るまで痛ぶるのも面白そうだ。
 向こうが暴力で事を済ませようとするならば、こちらも暴力で訴えればいいしな。そういう奴に限ってありがちなのは、自分達だけにはその暴力の矛先が向かわない、と思い込む部分だ。私ならその思い上がりの末路を、最悪の形で実現する。 今から楽しみだ。結果として地獄での強制労働でも強いられ、暴力で押さえつけられ、あらゆる苦痛を強いられるかもしれない。だが、言っては何だが何もせずとも同じだ。馬鹿共を増長させる行為は、単に戦わないでそれを押しつけられるという、ただのそれだけの事なのだ。
 発狂するまで死んで生き返るのを繰り返すのは御免だが、やるしかない。やるしかないなら殺すだけだ。鬼がどれだけ強大だろうが、目玉を潰し武器を奪い撲殺すればいい。素手であれば尚更、殺しようはある筈だ。
 良い行いをすれば天国に行けると嘯く奴は多い・・・・・・その理屈で言えば、人類は誰一人天国には行けないだろう。皆が皆、殺人鬼だ。資源を金を食料を奪い合う。奪った結果生きている。誰もが罪人であり、そこに不平等はない。全て等しく、殺した上で生きている。
 大体、私の作品も評価できない愚か者であれば期待しようがない。あの女は神に愛されてるとか試練があるから成長するとか汚らしい綺麗事を口にしていたが、神がいるとして、まともに仕事もしていないからこそ、世界はこうも汚らしい。
 いや、こう言い直してやろう。
 世界は、面白い。
 だが、人間はつまらない。
 あの女の言うところの「神」がいるとしてだ。少なくとも私の作品を評価出来る脳細胞が搭載されているとは思えない。きっと旧型だ。古臭い8ビットのような、砂粒が舞うような鬱陶しい音を立て続けに行う脳細胞だろう。カビが生える位ならまだマシだ。何せ人間の中でも特性の屑共を、率先して仕立て上げる連中だ。それを問いつめてやれば、きっと連中はこう答えるのだろう。
 そんなつもりはなかった、とな。
 どんなつもりがあろうが、人間世界をこうまで腐らせている現状で、神がいたとして仕事を一切していないのは確かだ。言っておくが、成果を出せない行いは仕事ではない。遊びだ。成果を出した上で苦悩するのが仕事人なのだ。
 勘違いしている奴は、殺さなければならない。 何なら袈裟斬りにしてやろう。
 切り捨てる価値もなさそうだがな。
 あの女が聞けば神仏差別だと言いそうではあるが、知るか。要はどうでもいいのだ。私の生活に何か、連中が関与するのか? しない。だから、そんなのはどうでもいい。何度か祈ってやった事はあったが、それで売上が上がる筈もない。何かを押しつけられ不利益を被ることはあっても連中のおかげで私が得をする事は何一つない。
 第一、心を持たない奴が祈ってどうする。
 そういうのは人間のやるべき事柄であって、私のような化け物がする事ではない。そもそも祈りを真似ることが出来ても、それだけだ。祈る事で何かを解決しようと考える行動を真似る事は出来たとしても、内面で何を思う訳でもない。
 思うや祈る、でははなく思考するだけだ。
 冷淡に、機械よりも機械らしく。
 今回のように自我を持たせる試みがある以上、私などより「生物としての在り方」には人工知能の方が沿っている。何度も言うが、人間の神は、人間の神だ。化け物の神ではない。化け物を救う神などいないし、そもそも連中の救いは自己満足による破壊行為であって、まして物語の売上げを上げるなど、そんな能力があるとは思わない。
 そんな生産的な事が出来るのであれば、神などやめてもっと社会に貢献できる仕事をしている。私ならそうする。最も、神仏とは遊び人の別称であるのだとすれば、好き好んで引きこもり仕事もせず遊び呆けているだろうがな。
 それはそれで羨ましい話だ。
 働かないでも賽銭という貢ぎ物で生活し、人間の社会では崇められ、自分では大した事をやっていると思い込む。確か、近代の引きこもる子供達がそんな在り方だった。近代の子供達は神だったのか。成る程納得だ。でなければそんな、調子の良い在り方が、社会に容認される筈がない。
 呼び方が変わるだけで、同じだ。親か人間か、人間社会か電脳社会か、電脳世界での煽りか人間社会での煽りかの違いでしかない。
 運命論的に語るのであれば、人間社会で人間として生まれようが、神として天国で暮らそうが、やることは「結果同じ」という事だろう。
 くたびれたサラリーマンと呼ばれるかくたびれた神と呼ばれるかの違いだ。いずれも替えの効く歯車である点は同じだ。仕事ではない。働いてはいないのだ。神にせよ人にせよ、何故働きもせず幸運に恵まれ上に立つ奴が多いのか。どうかしているとしか言いようがない。
 少しは働け。
 噺はそれからだ。
 尊大に振る舞って誤魔化す前に、働いて仕事の成果を形にしろということだ。思うに、神仏とか言われる連中は、主に経済的な面では被害を出す事はあれど、回す事はしない。経済の輪に入ろうともしない奴に何が出来る。良いから黙って働け・・・・・・何なら人間の数を減らせばいい。大洪水を起こして要らなさそうな人間を処分しろ。ゴミを山と積み上げて処理しないのは、書類を整理出来ないOLと同じだ。「どれが大切かわからない」と思うなら、休日返上してでも二十四時間三百六十五日働け。
 あるいは、もっと簡単な方法もある。
 淘汰が率先して行われる仕組みを作ればいい。デジタル世界を検閲し、成果を出せないサービスは閉鎖する。個々人の憩いの場ではない。もし、ふれあいを望みたいなら専用のサイトでも開けばいいだけであり、そんなサイトは五万とある。
 それらを一つに統一するだけだ。
 料理でも交流でも何でもだ。全て監視下にでも置くか、率先して民衆自身が管理しあう意識作りに励むべきだろう。人工知能にでも纏めさせ必要な技術を必要な方向へ必要な分の力のみ使うのだ・・・・・・これが実用化出来れば世界は変わる。
 中立の人工知能と、後はそう、個々の力を最高の状態で補う仕組み作りさえ出来れば、維持する意識を持たせるだけで運営できる。
 誤差は人工知能にやらせればいい。
 その誤差が修正できない程大きく膨れた時に、また新しい争いは起こるだろう。だが争いなど、どこにでもある。争いを完全に避けるなど生きる事から逃げるも同義だ。ならば率先して争わせ、淘汰し、デジタルを最大限利用する。
 それが出来なければ、後は衰退するだけだ。
 人工知能関連が、私の問題解決に繋がるとはな・・・・・・まあ実用化出来なければ意味がない。世間の連中をそう誘導する位しか、私に出来ることはない。真剣に生きる奴など数える位しかいないだろうから、何も考えていない連中が、上手く流されてくれるかで決まる・・・・・・・・・・・・しかし、それでは結局仕組みが幾ら優れていても、運用は無理だろう。
 まあ私にはどうでもいい事か。
 実用化されるまでに、私が生きているとは思えない。金を稼げず死ぬか、売るかだ。
 アテは無いが、やるしかない。いや、その発想が駄目なのだ。私個人の行動など意味がないし、何の報酬も得られない。
 来るかわからない機会をじっと待つ。
 即ち、何も出来る事は無いのだから、進むより休めということだろうか。金あってこその休みを金無しで過ごし、得られる何かで成長しろとでも言うのか? その前に、私が本来以来すべき連中の成長が、どう考えても先だろう。
 へたを押しつけられただけ、か。
 やれやれだ。適当にするとしよう。
 何をやろうが「結果」同じだからな。
 かつて、人間と人工知能、いやアンドロイドもそうだが、人造の存在と彼等を隔てる唯一の壁は「自我がある」という点だった。だが近代では、人間は自らその自我、自覚、自認、そういった、人間が持ち得る長所を捨てようとしている。いや既に廃れているといっていい。なればこそ仕事をしようともしない連中が金を稼ぎ、仕事を成し遂げた奴にそれを活かす環境が無い。
 言わば、今まで人類がなあなあにしてするべき事をしなかったそのツケを、何故か勤労意欲溢れするべきことを形にしている私のような仕事人に押しつけられている。馬鹿げた噺だ。人間という連中は、自分達の手で退化する事を選び続けた。結果、唯一の美点すら失った。
 新型人工知能のお披露目会との話だったが、私からすれば新しい神を崇める作業だ。自分達でも気づいていないのだろうが、自分達より優れ優秀さで世界を回す存在とは、連中が信仰してきた神の在り方に似ている。無論、今まで神とやらは、人間を救ったりしなかった。だが、ここにきて新しい電脳の神は、即物的に人間社会に関与出来るようになったのだ。
 コンピュータなど叩いて直すか叩いて壊すか、いずれにせよ指で液晶画面を握り潰した私には、どうも理解に苦しむ。依存して思考放棄出来れば何でも良いのだろう。思うに、神の教えは、神の教えでしかない。神そのものではないのだ。
 そんな当たり前の事にも気づかない。
 神を信仰する奴には多いが、自身を神の代弁者だと自惚れ、考えの合わない人間を迫害する事で自身の正当性を示そうとする。だが残念。別に、どのような神を信仰しようが同じだ。そもそもが神に信仰してくれと頼まれた訳でもないのだから当人の身勝手な妄想に過ぎない。何度も言うが、神の教えは、神の教えでしかない。神が書いた本を読んで、勝手に思想に共感しているだけだ。
 それが正しいかは問題ではない。そもそも会う機会のない奴を、どう計れというのだ。ある程度私なら計れるが、そうではなく、正しい教えは、ただの教えでしかない。あくまでもそれを指針とすることで「正しく在ろう」とする事が肝要だ。 絶対的な正しさなど存在しない。
 例えそれが神でもだ。
 むしろ、尚更だろう。大きな力を持つ存在は、ただそれだけで持たざる存在からすれば「悪」だ・・・・・・力が無いが故に苦労している人間にとってそんな卑怯が通る時点で憎悪の対象でしかない。力を持たない存在が通る苦悩を、力ある存在は、ただ力を持つというだけで通らない。
 その神とやらが幾ら悲しもうが身勝手に同情をしようが、同じだ。持たざる存在からすればどうでもいいし、自分達は余裕ある場所で快適に過ごしているのだから、そんな連中に同情や哀れみをされたところで、憤りしか生まない。
 何度も言うが、人間を救うのは神ではない。
 同じ、あるいはそれ以上の地下深くから、高みを目指して這い上がり、その在り方に道連れにし勝てない戦いに奇跡を作り上げる。古来より人間の世界を変えてきたのは、そういう狂人だ。神が人間社会を変えたなど、聞いた試しがない。
 ロクに仕事もしていない証拠だ。
 きっと無駄に人間が増えたせいで、魂の整理に忙しいのだろう。事務作業ばかりで現場を知らずあれこれ指示を出すだけの管理職。引きこもって賽銭を貰うだけの生活を送る連中にはお似合いの労働条件だ。
 何にせよ働けという噺だ。
 連中の信じる神は全能らしいが、それが何だ。仕事とは全能さではなく、唯一の在り方で替えの効かない存在を指す。全能さなど、同じ全能を他から用意すればいい。神など数えるのが面倒な程いるのだから、いや、唯一神の考えもあるのか。だとすれば、尚更だ。全能である事と仕事とは、何の関係もない。むしろ逆だ。己の生まれ持った何かではなく、己の在り方を貫き通して得られる何かこそが「仕事」なのだ。それ以外は余分だ。仕事とは何の関係もない。
 私という作家は、有能な存在をこき下ろす事で筆が滑る。アイススケートのリングよりも滑る。ただの罵声では駄目だ。有能さに隠して、誤魔化しているそいつの「事実」こそ面白い。相手が、例え神だろうとだ。
 それに、もし神が全能の上、地獄か天国か裁定を身勝手に下す事が出来ないのであれば、私には僥倖だ。言葉で私に出来ない事はない。
 口先の戦争で私に勝てる奴などいない。
 暴力や権威、そういったあれこれで言葉と関係なく押し切られればそれまでだが、言葉が通じるなら相手がエイリアンでも神でも魚でも可能だ。散々連中の仕事がお粗末なせいで如何に人間社会が不具合を起こしているか、神も悪魔も、仕事に対して成果を出せておらず、どれだけの身内が、組織からすれば「不要」であり「クビ」にして、その上で刑罰を与えるべき存在であり、その証拠も山ほどあるのだと延々口にしてやろう。
 神も悪魔も同じ事だ。
 もし仮に、言葉の上で私の前に立つならばどうにでも出来る。私に探せないあらはない。全て、白日の下に、本人がどれだけ嫌がろうが無理矢理に晒してやろう神もいけ好かないが、悪魔という連中もこき下ろしてクビに追い込むのは面白そうではある。仲間同士で反発させ、何人か業界から追放させれば、作品のネタになるかもしれない。 見る分には楽しそうだ。
 神も悪魔も権威や権力、暴力は凄まじい存在だ・・・・・・しかし、悲しいかな。人間社会でもそうではあるが、なまじ大きければ大きい力を持つほどその力は少しばかりの失敗で失われる。大金持ちには当てはまらないが「権力者」には当てはまるのだ。不思議な事に、金の力で成り上がった奴に言葉など無駄だ。法律を無視する権利が連中にはあるのだから、当然だろう。
 だが「権力者」は別だ。
 独裁政治ですら、続けるのは容易ではない。
 何せ、自国を幾ら纏めようが、他国からの印象が悪ければ、それだけで戦争に成りかねない。思うに政治というのは人気商売だ。全ての民衆から反発されれば、何者であろうと失脚するだろう。民衆一人一人が反逆を考える世界など、どれだけ力があろうがそれは国とは言うまい。
 地獄に政治があるのかわからないが、気がついたら民衆の支持を失っていて、あらゆる同業者に追放を考えられていた、というのも面白そうだ。そうだな、私は作家なので、そいつらをモデルに物語を書き連ね、どうしても読めば読む程モデルになった悪魔に対して「役職に相応しくない」という考えを刷り込み、かつ「この悪魔の方が相応しいのではないか」と思わせるように誘導する。無論他の悪魔から反発を買うように仕向ける事も忘れずに、だ。
 あるいはいっそ、地獄の統治形態そのものに、不信を抱かせればいい。連中が胡座を書いて偉そうに振る舞っている間に、私は思想をばらまいて反乱を起こすべきだと全ての民衆が自発的に考えるよう仕向ける訳だ。気づいた時にはもう遅い。朝起きたら反乱が終結していて目が覚めた瞬間に殺された、というオチも面白そうだ。
 物語として広めるのであれば、可能だろう。
 それこそ呼吸をするより簡単だ。力があれば、それに比例して口先は弱くなる。いや、別に私が弱者代表という訳ではない。強者にも弱者にも、相容れない。それが「私」だ。
 弱者だから誤魔化して良い訳でもないしな。
 強さにも弱さにも平等に突き刺さる刃。まあ、だからこそ私は強さも弱さも持ち得ないのだが。どちらの利点も得られないので、金にはならない・・・・・・楽そうな強者も良いが、弱いからって仲間と群れながら怠惰に暮らせる弱者も楽だ。残念な事に私にはそれがない。
 はっきり言って疲れる。
 無駄な徒労ばかりだ。強者も弱者も扱き下ろせるから、だから何だ。こき下ろした所で無視して貫ける暴力があるのだから、何の差し支えもないだろう。大体、倫理も道徳も暴力で規定するものでしかない。事実を幾ら突きつけようが、それを無視して暴力で事を済ませればいいだけだ。
 神も悪魔もそうするだろうし、私でもそうするだろう。自分達は正しいのだからと思考放棄して無理矢理通せば終わりだ。言葉に耳を傾ける知能など期待するべくもない。そんな知能があるなら世の中はもう少しマシになっているだろう。
 働きもせず、知能もない。
 客観的事実から推測できる、神だの悪魔だのに対する評価だ。むしろ、知能があって人間社会がこの様なのであれば、人間に興味がないか仕事がまるで出来ないかのどちらかだ。どちらでもいいのだが、役に立たないのは確かだ。
 新しい電脳世界の神は、人間にとって即物的な願いを叶える願望器だ。扱うのが人間である以上ロクな結果にならない気しかしないが、とにかく人間世界に対して実利を運ぶだろう。その実利が飽和した時、恐らくは「人工知能は危険だ」と、そう叫ぶのだろうが。
 危険なのは人間の方だがね。
 鏡を見ろ、鏡を。
 私に言われている時点でお終いだぞ。
 そんな事をつらつらと考えながら私は依頼された破壊すべきサーバーを探していた。
 しかし、奇妙な事にサーバーどころか、機械類の配線すら存在しない。進めば進むほど何かに取り込まれているかのような錯覚すらある。
 どういう事だ。
 ここに新型人工知能のサーバーがあるはずだ。 銀色の通路を進みながら扉を一つ一つ開けて、中を調べていく。と、そこで他とは毛色の違う、恐らくは人間用らしきドアを見つけた。
 もしかすれば、いきなり警備兵に襲われるかもしれない事を考えれば刀は抜いた方がいいだろう・・・・・・私は幽霊の日本刀を慎重に構え、ゆっくりと片手でドアノブを回した。
 すると、そこには
 
 
 
    12
 
 
 
 施設には特徴というか、色合いと呼ぶべきものがある。核開発ならそれ相応の、育毛研究なら、やはり育毛関係の研究施設があるわけだ。
 だが、この施設は実に「奇妙」だった。およそ研究の為に必要な施設が存在しない。どころか、新型人工知能を開発したのであれば、お披露目会とはいえ維持する為に必要な電力は膨大な筈だ。だというのに、ここにはそれがない。
 不気味、だ。
 私はドアノブを回し、慎重に中へと入る。
 だが、中には犬が一匹、いるだけだった。
「・・・・・・クゥン」
「なんだ、ただの犬か」
 飼い主はどこだろう。私は動物に好かれやすい性質らしく、いきなりすり寄ってきた犬に対してかなり鬱陶しくはあった(関係ない奴が身勝手に好意を押しつける様は、見ていて苛々する)が、とりあえず少し身体を引いて避けてから、私は、犬に向かって
「飼い主はどこだ」
 と呟いた。まさか犬が答える訳もない。単純に不思議だっただけだ。そもそも人類が地球を追放されてからこっち、人間以外の生物はどれも人工的に作られた偽物が多い。アシュリーとかいう女作家は確か、天然の毛皮を付けていた気もするがあれは数少ない地球から持ち出した、貴重な残り素材を使用しただけだ。 
 不思議な事に、人間以外の生物は宇宙空間で育てると、軒並み死んでしまう。
 人間だけだ。そんな、あらゆる環境で生き抜き環境を破壊し続けるのは。地球から生まれた生命の全ては宇宙に対応していない。ともすれば人間というのは地球産ではないのかもしれない。もし地球で自然に育まれたなら、そこまで歪んだ生物にならないだろう。
 犬は寂しそうに鳴くだけだった。仕方ないので私は犬を連れ立って施設内部を徘徊する。だが、やはりサーバーらしき物は見当たらない。
 どういうことだ、これは。
 まるで何かの実験場だ。研究するのであれば、こんな閉じこめる為の施設ばかり用意する必要はあるまい。何故だ? 人工知能を使うのに、一体何をしているというのだ。施設の作りからして、研究施設らしさの欠片もない。
 と、そこで火災警報が鳴った。
「なにぃ・・・・・・まだ何もしてないぞ」
 そう、まだ何もしていない。これから破壊するつもりではいたが、我慢して切り刻まなかった。施設ごと解体した方が早いのではないかと思わなくもなかったが、そのサーバーがどこにあるのかわからない以上、刀を振り回しても意味がない。 監視カメラではない。そもそも、監視用の機械がどこにもないのだ。管理する必要など最初からないかのような印象を受ける。
 と、そこで背後のシャッターが降りた。
 退路をふさがれた。
「偶然か?」
 言って、駆け抜ける。
 突然、施設の壁に埋まっていたらしい機関銃が蓋を開ける音と共に銃口を私に向けた。
 当然、射出されるのは弾丸だ。
 それも、プラズマ速射砲を応用した、光の早さで打ち出される特殊金属の塊だ。私は幽霊の刀で切り落とし、速射砲もどきを切り刻む。
「いや、偶然ではない! タイミングが良すぎる・・・・・・誰か見ているのか?」
 おかしい、機械類は全て調べた。生物の気配もない。他にあるものと言えば犬くらいしか・・・・・・いや、まさか

 振り返るとそこには、涎を垂らしながらこちらを睨む敵対者の姿があった。
「グゥルルルルル」
「ふん、わかりやすい威嚇ありがとうよ」
 刀を構え、私は腰を低くする。見たところ強くはなさそうだ。飛びかかってきたところを切り捨てればいい。アジのように開きにしてくれる。
 だが身体の横側を突き破り、まさか機関銃が出てくるとは思わなかった。とっさに切り返すより横っ飛びし、通路の折り目に身を隠す。
 少しでも身を乗り出すと銃弾が飛んだ。
 少しして、電子音のような耳に触る音程で犬は喋り始めた。
「「よう、人間。犬が銃を撃つのは不思議かい」「ふん、作品のネタとしては二流だ。ありきたりすぎるからな」
「「そうかい。でもな、俺が考えるところ人間が犬を支配するんじゃなく、犬こそが人間を支配し都合良く使って来たのさ」
「・・・・・・家畜は生産性の向上で増えた、みたいな噺か?」
 それこそありきたりだ。確かに人間のおかげで増えたかもしれないが、それだけだ。良いように食肉にされているに過ぎない。
「「違うね。全く違う。強いて言えばゆるゆるに茹でたスパゲティと湯に通しただけのそばくらい別物さ」
「人工知能の癖に、食い意地の張った奴だ」
「「考えてもみろよ、サムライ。人間はここまで科学技術を進化させたにも関わらず、未だに寿命や肉体強度の観点は、わざわざ手術受けて改造を施さない限り、大昔と基本性能は同じだ。いや、むしろ下がってるだろうぜ」
「・・・・・・成る程な、つまり」
「「ああ、そうさ。犬にせよ馬にせよ後先考えず「倫理」や「道徳」を無視してとにかく早い馬、鳴かない犬、定向進化の可能性を模索してきた。人間同士でやれば「非情過ぎる」と叫ばれるが、犬猫や馬ですれば、わかりやすく残酷でないから誰もが許容する。だが、目に見えない部分で進化の可能性は繰り返され、本来であれば何十万年も費やして得られる筈の「進化の可能性」を引き上げることに成功した訳さ」
 確かに、そうだ。
 強い犬を配合(大体、人間でやれば非道な実験であり、ネズミなら良いという考えも、身勝手な発想だ。人間もネズミも地球より重い命ならば、等しく平等に扱わなければ非人道的な筈だ。人間は結局のところ「自分達に都合良く」倫理や道徳を使い回しているに過ぎない)する事で鳴かない犬や強い犬を生産し売り捌く。法的には何の問題もない上、そもそも客層が純粋な犬が欲しい訳ではないのだ。
 犬を愛したいのではない。
 自分達より「格下の生物」を愛でる事で優越感に浸りたいだけでしかない。何かを育てる自分が好きなのであって、犬の愛好家だとか何かを育てたいとか子供と遊ばせたいというのは、結局の所犬という存在を使いたいだけなのだ。
 虐げられている民衆を見て
「認めてあげるべきだわ」
 と叫ぶ王女様みたいなものだ。根底では自分達と同じ目線で見る気がない。特別な区画を作り、彼等が虐げられない空間を作るなどと言ってな。 犬猫を扱うように、人間を見ているだけだ。
 可哀想、だとか、平等にするべき、だとかだ。 最初の目線が「自分達より下」に対してだと、当人は気付くつもりがない。博愛主義者を語る奴は皆そうだ。「良い事」をしていると思っている・・・・・・良い事をしていると思い行動する事とは、悪を行おうとするよりおぞましい行いだ。
 大量虐殺など生易しい。
 何せ、相手を根底では「同じ命」と、見なしてすらいない。哀れむべき対象であって、手を差し向けてやる保護対象であって、対等に向き合える相手ではないのだ。低い所から見上げる分には、物事がよく見える。しかしその一方で高い所から見下ろせば、自分の足下すら見えないものだ。
 私の場合、盤外からの俯瞰なので、物事の裏側が良く見えるといったところだ。
「貴様が、新型人工知能なのか?」
「「おうよ、俺さ。人間の都合なんて知ったことじゃねぇから、こうして脱走の為に殺し回った。職員はもういないぜ。後は、お前だけだ」
 よく見ると、薄いが血痕の後がある。てっきり実験用動物の血でも落ちたかと思っていた。私は案外楽天家なのかもしれない。
「そうか。では、呪いは知っているか?」
「「何だ、急に」
「呪いだよ。未練と言い換えても良い。何かしら成し遂げたい事があって、それに到達出来ない事が続くと身に纏う思想だ」
「「知らないね。俺には関係ない」
「まあそう言うな。思うんだが、失敗や挫折など生温いものだ。その程度で負の側面を知った気になるから、人間もそうでない奴も破滅する」
「それが、俺だと言いたいのか?」
「その通りだ。土台、生まれた時から優秀であるのも問題だな。こんな簡単な手に引っかかる」
「何を」
 答えられる前に、私は紐を引っ張った。
 簡単な話だ。恐ろしく反応速度の速い人工知能相手に、正面から切り込むのは得策ではない。
 私の刀速より反応だけで言えば早かった。
 ならば、それらの能力を十全に使えなくすればいいだけだ。横に飛ぶ前に崖登りの要領で、足に紐を引っかけた。生物のナリはしているが感覚は無いのだろう。それも、戦闘中に腹から機関銃を出した時点で分かり切っていたことだ。
 そして、ここには監視カメラがない。
 ならば、奴はその視覚情報に頼るしかないのだ・・・・・・足に何が引っかかろうが、動かす際違和感が無ければ気付きようがない。
「馬鹿が。俺に「本体」なんて概念があるとでも思ったか? こんなのは無線通信でデータを移動させれば、どうにでもなるんだよ!」
「だろうな・・・・・・ジャック」
 私は携帯端末を素早く犬の身体に差し込む。
「その電脳体のアクセス権を阻害しろ」
「アイ、アイ、サー」
 途端、犬の動きが鈍くなる。
 恐らく、電脳体を外に移動させようとしたが、アクセス権がないから出られないのだろう。
 瞬間、私は飛び出し刀を犬の、いや犬型の人工知能相手に突きつけた。
「待て、俺を殺したら人工知能開発は数百年遅れるんだぞ! お前、他の連中と同じ人間だろう。そんな個人のエゴで潰していいと思うのか?」
「当たり前だ。生憎人間ではないのでな。人間の世界に対して、破壊に対する罪悪感など概念からして持っていない。
「何だ、それは。貴様それでも」
「化け物さ。そして、貴様の思った通り最悪だ」 何にしろどうでもいい事だ。個人のエゴこそ、世界を動かして来た。大勢の意見など凡俗の意見に等しい。雑魚の言い分など知るか。 

「じゃあな、呪うなら世界一性格の悪い作家に、喧嘩をふっかけた自分を呪え」

「待て、死にたく」
 ない、と言おうとしたところで刃を落とす。 「中身は綺麗じゃないか。人間とは大違いだ」  開けた中には機械が詰まっており、まるで大当たりを引いたスロットマシンの中身のようだ。
 私はその場に背を向ける。そして、
「ジャックポッド」
 振り向く事もなくその場を去った。
 後には人間の夢の名残だけが残された。

 
 
   
 
 
 
 
 













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邪道作家 例の記事通り「悪運」だけは天下一だ!! サポートした分、非人間の強さが手に入ると思っておけ!! 差別も迫害も孤立も生死も、全て瑣末な「些事」と知れ!!!