邪道作家22巻 人間絶滅!! もう要らない「人間」社会(現在無料化)
作品テーマ 非人間讃歌
ジャンル 近未来社会風刺ミステリー(心などという、鬱陶しい謎を解くという意味で)
簡易あらすじ
アンドロイドが自我を持ち職を奪い作品すら書き上げる時代───非人間の殺人鬼作家が、作者取材という戦いに挑む!!
当然ながら依頼は嘘まみれ、行き着く先には困難ばかり••••••得られる「利益」が見えずとも、不屈で書き抜いた事だけは「真実」だ。
天上天下において並ぶもの無い、唯我独尊の物語だ───他に書ける奴がいるというなら連れて来い!!
過去未来現在において、唯一無二の
「悪意」
だけは「保証」しよう!!!
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どこぞの作品は「人間讃歌」を描いた

私は「真逆」だった••••••それでもやるしか無いなら、やるだけだ。
実際、最終的な発想が
上記と同じ
というのは、何とも皮肉というか、それこそ「奇妙な符合」とでも言えばいいのか••••••何にせよ「連中は持つ側」であり、こちらは「持たざる者」のままでもやってきた。
その成果がこれだ。とはいえ、人間讃歌にやり方まで合わせたやった挙句


辿り着く前に死にました
では、実際笑えない冗談だ。
意思や行動が滅ばないと周りが勝手に言うのは「当事者の利益」には関係ない───実際、それで満足する奴など
身勝手な見る側の自己満足
に過ぎないのは、ゴッホを見れば分かるだろう?
死んだ後にたかる「虫」だ───実に醜い。
例の改革案にしても
書けるだけ描いてやったが、実現するかは読者次第だ。
人間讃歌が好きだと叫ぶだけで行動が伴わない
のか、あるいは
行動を伴わせて、世界を大きく変える
のか••••••何にせよ、作家個人に出来る事は最早無い。
さて、そろそろ邪道作家シリーズも終幕だ。
人間は必要なのか?
人間讃歌は妄想に過ぎないのか?
それを突き詰めた内容になっている───自分で考え、自分で判断し、自分の意思で進むがいい。
実際にやれば、無念だらけでも「後悔」は無い。
実際にやった「私」が言うんだ、間違いない!!!
邪道作家22巻
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人は、一人きりでは生きられぬ。
しかしそれは、「人」として生きた者達の噺であって、人として生きるどころか、人を学び人を覚え人を真似ただけの化け物の噺ではあるまい。 少なくとも、強さも弱さも必要だ。
しかして、私には強さによる弱さも弱さによる強さも存在しない。そのような「楽」が出来れば私も苦労しなかった。強さに頼り弱さで逃避する苦労の欠片もない堕落した在り方だ。
強さも弱さも、併せ持たない。
それがどれだけ面倒臭いか、わかるまい。私のようにプラスにもマイナスにも傾かずゼロのまま生きているフリをする方が「異常」なだけだ。 とはいえ、それでも金は必要だ。
欲しい物があるかと言えば面白い物語程度だが・・・・・・それも、金が無ければ始まるまい。私には金が「必要」だ。
欲による満足は、私には分からない。
そもそもそれを手に入れられるほど、恵まれた環境にいるなど有り得るのか? この「私」が、そのような「楽な道」を歩けるとでも?
分からない。
だから「理解」だけはしておいた。
理解しただけで何も共感出来ないが、まあ理解さえしておけば社会に溶け込む事は出来る。無論それだけでは足りない。金、金、金だ。
この世は金で、出来ている。
全ての人間がそう望んだからだ。平和だの平等だの多くを人間は語るが、とどのつまり「力」で世界は押し進められており、実際には「道徳的」だと語りやすそうなお題目を掲げて「力」という概念を誤魔化しつつも殺したに過ぎない。
それを無視して、過去の過ちを言及する。
言うまでもないが己を正当化したいだけでしかない。過去の過ちを問いただせば、今ここにいる己自身が「悪を正す正義」であると思い込み易いだけの噺で、それによって現実逃避を促進し暴力に酔いしれる「楽」を味わう。
それが人間というものだ。
その点で言えば、私は人間のようなおぞましい善意の肯定者でなくて、本当に良かったと思う。実際、どうなのだろう? そんな風に現実逃避を繰り返すだけで、何も進歩せず何一つ改善しないまま「発展の可能性」を語るなどと。
連中は暇なのか?
かもしれない。人間はあまり、多くの事を成す機能は搭載されていない。物語の宣伝もそうだが右から左へ「流す」だけで、己が誇り高き仕事人であると、本気で思い込めるクズの集団。それが人間の正体だと言えよう。
例えば、労働。
大昔から下は搾取され、働きもしない自称上の存在が「楽」をする。その現実を誤魔化す為だけに存在するのが「宗教」と言えよう。
現実には、罰など存在しない。
当たり前だ。持つ側を誰が倒すというと、同じ持つ側かそれ以上に持つ側だけだ。力にしろ金にしろ、何かを持たなければ何も倒せない。
そういう意味では、我ながら不毛だ。
とどのつまり真剣に、今や唯一物語という仕事に関して向かい合っているからこそ、単に儲ける為の搾取構造を肯定する世界では、物語など売れないどころか、誰も扱ってすらいない。編集者と名乗っているだけで、誰も考えない。
事実、それを嫌という程見てきた。
誰も真剣に生きない世界の中で、真剣に世界を覆そうとするのは風車に向かう騎士に似ている。誰もそれを認めず、誰に見られる事も無い。
だからこそ、世界に価値など存在しない。
価値を示そうと足掻く私がこれなのだ。世界に価値などあるものか馬鹿馬鹿しい。誰も彼もが、価値ではなく逃避だけを旨にしている。
如何に誤魔化し、楽が出来るか。
それだけだ。他には何もない。
情けない事に、彼らには何も出来ない。真剣に向かう姿を見せたところで同じ事。理由は簡単で彼らは真剣になど生きたくないのだ。
楽をして、信条も無く、惰性で生きる。
それを「生きる」と呼ぶなら死人で良かったと思わざるを得ない。少なくとも私は御免だ。眠りながら生きたと言い張り、そのまま消える。
何を残すこともなく、ただ消滅する。
下らない自己満足を掲げたまま、こんな筈じゃなかったと言い訳して、何一つ挑戦すらせずに、世の理不尽を嘆きだす。
忌々しい奴等だ、全く・・・・・・・・・・・・今更だが、私にはわからない噺なのだろう。
「心」ある奴等の考えなど、知るか。
私には、そのような経験など、無かった。
本当に、無かったのだ。どころか、悲しむべきと考えたり、罪悪だと考える事すら、無かった。 そう、私には空気と同じだったのだ。
至極当たり前の「前提」であり、心のある奴が笑ったり泣いたり哀れんだり怒ったり、それらの行動が意味不明で難解ですらあった。
それが今では、誰よりも心を知る。
何とも皮肉な噺だ。役には立たなかったがな。 心の有り様より目先の利益、少なくとも人間の社会はそういうものだ。誰も見ないを知り尽くすのが「非人間の化け物」であるのも、ある意味で人間の自業自得の末路と言える。
でなければ、他にもっといただろう。
技術ではなく、見ようとする奴がな。
無論、どれだけ見れるようになったところで、それが重要視されないのは明白だ。何せ、人類史史上最もそれを極めたと言っても良い「私」が、この様なのだからな!
何一つ、得られた実利など無い。
嫌な噺だ。目を背けるクズが儲け、見据えんとする私が損をし続けるとは。これで社会の均衡が取れていると自惚れるのだから、笑えない。
正直、この「私」ですら、顔をしかめる。
誰も何かを見ようとする事も無く、ただ惰性で流れるだけの世界。だからこそ物語を語る作家は絶滅したし、誰も物語なんぞ重要視しない。
それらしい綺麗事で満足する。
いや、してしまう。
それが「逃げ」だと分かっていながらやるのだ・・・・・・・・・・・・情けない。他にやる事が無いとは。 だからこそ、彼らは「理想」を求める。それが出来れば苦労しないが、理想に溺れれば現実など見なくとも済む。現に辛い理不尽は鳴りを潜め、都合の良い物語に耽溺するクズ共ばかりが栄える始末だ。
気持ち悪い事この上ない。
全てを賭けて挑んでいるこちらが馬鹿みたいだ・・・・・・実際、馬鹿なのだろう。仮にこの世界全てを治める「全能の存在」があるとすれば、それは間違いなくあのクズ共の「味方」だ。
即ち、底が知れる。
いい加減うんざりするのも飽きてきたが、もう続けるというよりただ「無駄」を押し付けられているようにしか思えないのが現状だ。いや、そう思う事す億劫だからしなくなった。あるのはただ「仕事」だけだ。
他の全ては燃え尽きた。
魂など元より無いし、精神は盗品で、肉体など有ろうが無かろうが同じ事だ・・・・・・単なる疑問でしかないが、
私は本当に、ここにいるのか?
とさえ思う。
・・・・・・だが、だとしても、同じか。
少なくとも「結果」は変わらない。過程に何があるかなど世界には関係ない。やはり木っ端微塵に吹き飛んで死んだ方が良いかもしれんな。
少なくとも、見ている奴がいないのは確かだ。私が仮にこの先「栄光」とやらを掴んだとして、それは誰かが、あるいは何かが見ていて評価したから、ではなくただの「偶然」に過ぎない。
何かの加護でも、支えでもない。
そういう意味では浮かび上がろうが無駄な気もしなくはないが、私の生活は大きく変わる。まず行きたい場所に行けるというのは朗報だ。
取材の幅が広がるからな。
それ以外には、頭を押さえられずに済む。
大きな何かに振り回されるのは、もう御免だ。 それで得がある訳でもなし、時間の無駄でしかない・・・・・・回り道には何も無いのだ。過程を美化したがる恵まれた奴には、分かるまい。
ただの「無駄」だ。それでしかない。
その徒労、その無為の苦痛。うんざりだ。
神だの仏だのという連中がいるならば、彼らは永久に理解する事さえあるまい。神も仏も能力に恵まれ環境に恵まれた点では、ただの持つ側だ。 持たざる苦労など、知る由もない。
文句があるなら二十一冊書ききってみろ!
出来るものなら、だがな・・・・・・当然当人の主観を交えた物語にしてもらう。でなければ見応えが無いし、言うまでもなく教えの書は論外だ。
あれは物語とは言い難い。
当人の血と汗と呪いが染み着かない物語など、物語ではなくただの「記録」だ。そんな物が大事なら、磁気テープにでも張り付けていろ!
私は御免だ。それが人類史なら滅べばいい。
精々スカッとするだろうよ。ただでさえ数だけは多いからな。新しく酸素供給が必要ない悪魔を世界に蔓延らせれば、環境問題はすぐ解決だ。
我ながら、冴えた世界の救い方と言えよう。
世界を救いたいなら人間を滅ぼせ!
どう考えてもそれ以外に答えはあるまい。無論人間はともかくゲームや漫画、小説という物語を構成する要素が滅ぶと困るので、滅んでも良い。 私は問題ない。まあ、私なら上手くやるがな。私には固執する利益も見栄を張る権勢も、何一つ存在しないので、無理をする理由もない。
だから、出来るかもしれない。
それもまた、私にはどうでもいいことだ。
肝要なのは「仕事」の「成功」だけでいい。
それによる私の「幸福の定義」こそ目的だ。
現に、私は今まで何一つ満たされない心の無い道程を歩んできたが、何も困らなかった。強いて言えば金だけだ。精神の充足は必要ない。
適当に満たした、という体で済む。
気にする奴はいないし、私も気にしない。
だからこそ、問題すら発生せず終息出来る。
まあ、無い物は無い。当たり前の事だ。ならばそれはそれとして、心が無くともやるだけだ。
出来るかは知らないが、やるしかない。
楽がしたいのが本音だが、私の意志も関係ない・・・・・・やらねばならぬ、それだけだ。
個人的には無論、うんざりだがな。
だが、人間にはどうも私以上に「うんざり」としている命題があるらしい。今回はそれが物語の根幹だ。
曰く、人が人を殺すのは「悪」である。
ならば「戦争」ほど「悪い」概念は無いのかもしれない。無論戦争は戦争であり、善悪どころかただの季節の風物詩みたいなものだが、人間共が即ち「読者」がどう捉えるかという噺だ。
私は連中に現実を突きつけねばならない。
ならば、奴等の苦しみを深く理解し、その上で奴等自身が自認せざるを得ないよう追い込むのが「私」の「仕事」だ。
我ながら最悪の所行だが、善人よりはマシだ。逃避を続けながら嫌々で殺し続けるとか、連中はマゾなのか?
かもしれない。罰を望んでいるならそうだ。
悪い事を嫌々とはいえさせられているので許しをください、なんて何たる甘ったれだ。下らないどころか、あるだけで迷惑極まりない。
だから、悪意を魅せてやろう。
これは悪の物語。善を排し悪を広め世界全ての悪を担う、邪道作家の物語だ。
それでは、そろそろ始めよう。
故にこそ、私はこう言うのだ。人間の物語は、これにて終幕。ここから先は非人間性の物語。
人間を「否定」する物語。これにて開幕。
1
豊かであれば、効率を重んじる。
事の過程など二の次だ。効率的に金を稼げれば他はどうでもいいというのが世の常だろう。現に人間は有史以来エネルギー効率を上げる事に終始しており、そしてエネルギー効率が上がるというのは戦争の効率も上がるという事であり、死人の出し方も効率的になるという「事実」だ。
何とも面白い噺ではないか。
何せ、その横で「平和」を語るのだからな。
端から見る側としては、愉快滑稽極まりない。そのくせ食糧事情はいつも杜撰だ。いつの世でも食料は余るが、いつの世も行き渡る事はない。
決して、それだけは有り得ない。
あってはならないとさえ思える。争いは人間の本質だ。誰も彼もが無条件で食料を貰えるようになれば、そこに進歩はあるまい。故に知らん。
トン単位で捨てられる食料。
ガリガリの少年兵。
どんな時代でもそれが罷り通るというのだからある意味効率的ですらある。一部が豊かであり、世界を押し進めず、労働による苦役で人が死ぬ。それは世界を回す上では些細な事だ。一部を犠牲にすることで大勢を回すと言う部分は「豊かさ」とは関係なく社会の規範に書き込まれる。
それを大義名分にすれば「豊か」になれる。
少なくとも当人達はそう思い込んでいるらしい・・・・・・肥えた連中に指示されたやり方で満足するなどと、私には汚らしいとしか思えないが、現にそれで世界は回っている。
いや、回ると信じられている。
それはいい。所詮は連中の都合だしな。私には関係のない噺でしかなく、私はその浅はか極まるやり方をするつもりもない。
第一、他人のやり方に合わせるのか?
それを「幸福」と定義しろとでも?
冗談じゃない。あくまで私にとって「金」とは幸福の定義の為の「手段」でしかない。金による豊かさなどそれそのものは些細な事だ。
無論貧乏でも困るが、押し付けられた豊かさで脳を溶かすなど、奴隷もいいところではないか。それは御免だ。私は連中と違って暇ではない。
あれこれと嘆いている暇さえ無いのだ。
であれば、世の理不尽はそれはそれとして作者取材に活かすまでだ。人間の醜さを、人間の汚い事実を、人間の不都合な真実を知らしめる。
人間の意志を無視してでも、強制的に。
それが「私」だ。邪道作家の仕事と言える。
であればそれを語る事も、それを読者の脳髄に刻みつける事も、一切の罪悪感無し。むしろ感謝の言葉と共に、全財産を差し出していいぞ。
いや、むしろ差し出せ。
出来なければ死ね。そんな命は必要ない。私の生きる世界に金も払えない読者など不要だ。
それが読者と作者の関係であり、健全な作家の在り方としての規範だろう。作者は読者を嫌い、読者は作者に搾取されろ。
それが真っ当な関係というものだ。
では、そろそろ始めるとしよう。悪意に満ちた物語による人間否定。世界の「善」を、「人間」を打ち倒す為の物語。
幕は上がった。後はその「人間性」を殺すだけで構わんぞ。無論、読書料は頂こう。
では、一つ死んでこい。
骨だけは拾って、作品のネタにしてやろう。
1
社会と個人は、根本的に関係がない。
当たり前だが「社会」というのは、あくまでも社会を動かせる立場、社会を利用して搾取出来る連中の「私有物」であり、民衆の生活には何一つ関係ない。
というか、社会が個人の役に立った時代など、人類史に存在したとは思えない。どんな時代でも楽して文化を楽しむのは豊かな層であって、別に社会の発展は大衆に恵みを与える為にある訳ではないのだ。
当たり前だ。社会とは、支配の上に成り立つ。であれば支配する側が美味しい汁を啜り、義務を果たさず搾取するのは当然の帰結と言える。だが現代人というのは平和という洗脳に毒され、その本質を見ようともしない。
いや、見る目玉があるまい。
考える知性すら欠けている。そんなだから資本主義社会において「民主制」などという下らないゴミクズを採用するのだ・・・・・・第一、その民主の席に立つのに大金が必要であり、大勢の支持票を組織的に買い上げる社会の中で、どうやってその「大多数の意見」を採用するつもりだ?
いや言わんでいい。考えすらあるまい。
簡単に言えば「誰かの為」とは「当人の利益」の為であるのだと思えばいい。世界を救うだとかあの辺の考えと同じだ。世界を救うという行いが己を救うというだけであり、とどのつまり世界を見ないからこそ世界を救うと言い出す。
誰かの為、というのも同じだ。誰かの為であると口にしながら何かをする事が「己の利益」だと認識するからこそ、そうする。だからそれを自覚しない奴は躍起になって「お前の為なんだから、嫌でもそれをやれ」と強要して感謝を求める。
何ともおぞましい思想だ。気持ち悪い。
戦争はこの最たる例で、何とかの自由の為だの圧制に打ち勝つ為だのというのは、とどのつまりその当人がそうしたいから口にしているだけだ。でなければ具体的な利益を働く奴等に支払うのが道理だろう。
大儀を掲げればやるべき、そういう阿呆は多い・・・・・・・・・・・・無論、利用させて貰うがな。
それはそれとして、私の利益だ。
誰が何万何億殺し合おうが、究極的に私の生活に関わりがある訳ではない。例え世界を救う為の戦いだと言われようが、同じ事だ。
その為にタダ働きだと? 冗談じゃない。
世界を滅ぼしてでも、己の利益だけは確保する必要がある。まあ、世界の命運に興味は無いので最終的に「私の利益」は勿論だが、他は私が文化を楽しめる余地さえあればいい。
過程でどれだけ死のうが、知るか。
それが、私の実利に何か関係があるのか?
むしろ、実利とは奪う機会が多ければ多いほど得られる物だ。であれば喜びはしても嘆く必要性など皆無だろう。
実に喜ばしい。どうでもいい命も間引ける。
最終的にその戦争で「私」が得をするか否か、それが全てだ。私が損をしたり死んだりすれば、必然「良くない戦争」になる。
逆に利益を得られれば「良い戦争」だ。
まあ、私は己自身の命をそこまで大切にしてはいないのだが、長生きしたいわけではないからと言って、率先して己を軽く見るつもりもない。
少なくとも、その連中の命では比較にならん。 何万、何億、何兆あろうと足りぬわ間抜けが。 作者と読者、その価値の違いは明らかだ。浪費するだけの読者と私が、同じ価値でたまるか。
なので私は一切の罪悪感無く、何となく利益になりそうだからという理由で戦争に荷担しているのだった。とはいえ、戦争は戦争だ。己の安全が第一である私にとって、そう易く命を置きたがる場所でもない。
争いは必要だが、無為に殺し合うなど愚かだ。 まして、己に関係ない殺し合いに参加するなど利益にならなければやってられるか。あくまでも作者取材兼利益の為に他ならない。
なら、その利益とは何か?
一つは、戦場の人間の苦しみ嘆き生き抜かんとする姿だろう。彼らは必死だ。必死で殺し、慰め合い、そしてまた殺す。
しかも罪悪感に苛まされる阿呆もいる。
不思議な事に、科学文化が発展すればするほど「覚悟」など欠片も持ち合わせない兵士が増えているのが実状だ。実際に見る限りでは、観光旅行感覚で参加し、そも殺し合う方法を学びもせず、それでいて「被害者」気取りだ。
おまけに駐屯地を目立つところに配置しながら「爆撃されるとは思わなかった」などと言い出すのだから、参加する前に下調べを徹底しておいて良かったと思ったものだ。実際に調べたのは私の保有する人工知能ジャックなのだが、だとしても下調べがなければ巻き添えを食っていた。
我ながら危機感知能力が高いな。
私以外には、特に関係ない兵士達には当然適用されないので、彼らは死んでしまったがな。まあ私個人には何の関係もないので良しとしよう。
敵兵の動きや設置したカメラなどの情報から、爆撃の予定時刻は計算すれば誰でもわかる。だがそれを教えて移動させると急いで攻撃されないという保証もない。そもそも、こちら側には優れた指導者がいるというから取材の為にも参加した。故に指導者への取材以外はどうでもいい些事だ。 知ったことか。
とはいえ、手土産がゼロでは私がその指導者に切られかねない。なので、取材を申し込む為にも「襲われはしたが機転を利かせて一撃を与えた」という口実が欲しい。故に敵対者も殺した。
便利な能力だ。与えられた素質とはいえ、人を殺すのには最適だろう。第一、幽霊の日本刀とは何なのか、未だに理解は及んでいない。
まあ構うまい。私は学者ではない。
何にしろ「サムライ」としての圧倒的戦闘力は役に立ったと言っておこう。実際、私のサムライとしての与えられた暴力も、彼らの最新科学での大量殺戮も、根は同じだ。便利な補正機能をどう悪用するのか? それによって利益を得るかだ。こちらが優れた暴力を保有しているだけで、そも彼らの方には覚悟すらない。
私か? 私がどれだけ叩かれたと思っている。覚悟などする暇すらなかったが、しなければ死ぬのでするようになっただけだ。
楽して儲けるに越した事はないが、どうも楽をするには連中のように品性の欠片も持たない獣である必要があるらしい。
いや獣の方がマシだ。考えすらないのだからな・・・・・・・・・・・・それでよく戦争なんてやっているなと思わなくもない。
他にやることは無いのだろうか?
あるが、考えるのが怖いのかもしれない。
そういうものだ、逃避すれば楽だからな。
だからこそ、今回敵兵を簡単に惨殺せしめた。というのも最新の科学技術で武装している連中を相手に流石の私も策を練らない訳ではない。第一どれだけ力があろうが無策で挑むのは愚かを通り越して阿呆だろう。なので綿密に作戦を実行して殺そうと思っていたのだが、監視の結果は意外なもので、ある意味私を仰天させた。
何と、夜の見張りがいないのだ。
大方、私以外を殺し尽くした事で勝利の美酒にでも酔っていたのだろう。アルコール臭の中で、彼らは一人残らず眠りこけていた。
戦車を撃退するのは疲れるが、施設に進入するだけなら容易い。そも戦時中の施設など、元からあるものの方が少ないのだ。急増の施設に大量の監視カメラなどおける筈がない。当たり前だが、どこにでも「予算」というものがあるからだ。
寝ている兵士を一人一人丁寧に殺した。いや、この場合「ゴミを始末した」というのが正しいのかもしれない。正しさなどこの世界には存在せず思い込みに過ぎないが、それでもだ。
覚悟も無く戦場に挑み、
対策も無く科学を振り回すだけ。
これでは擁護のしようがあるまい。一体何の為来たのかというと、大国であればあるほど人生で一度はこういう経験をという軽い気持ちだ。
断っておくが、実体験として「持つ側」にいる事そのものは「利点」しかない。当たり前だが、持たざる存在に利点など無く、勝利者の条件などとどのつまり「どれだけ幸運が傾いたか」程度の問題に過ぎない。
それを驕るかどうかは、当人の問題だ。単純に選択を誤ったに過ぎない。とはいえ恵まれているからといって労力も払わず、疑問も持たない。
そんな奴に、生きている資格はない。
ゴミ掃除と同じだ。役に立たないゴミは排除し使える物を後生に残す。おお、我ながら人類史に貢献しているのかもしれないな。我ながら何とも恣意的というか、独断による判定なので執行するのが早いのが利点だ。だが、逆も然りだろう。
英雄だからといって、価値がある訳でもない。 むしろ、英雄的であるというのも問題だ。何せ英雄は大勢の「敵」が必要になる。世界全てが敵みたいな私が言うのもアレだが、しかし連中にはその自覚が無いのが問題だ。
彼らは「良い事」をしていると吠えて殺す。
自分達の側に「大儀がある」と思っているのだ・・・・・・赤子も老人も見逃すが、女子供でなければ何人殺しても良いらしい。変な基準だ。
まあインド神話などは子供でも殺すらしいが、何にしろ言えるのは「正義」などという都合良い概念が「実在する」と思い込む点だろう。だから殺すし、殺してもいい。
むしろこれは「誇りある戦い」であり、そう、彼らには「戦士の戦い」であって「虐殺行為」と考える事はないのだ。考えたところで戦士の誇りとやらの為に殺し尽くすのだから、同じ事だろう・・・・・・・・・・・・私か? いうまでもあるまい。
全て、全て、この私の「実利」の為に。
大体、人として生きた事のない私に人の大儀を語られても困る。何せ役に立たないし、面倒臭い上にやればやるほど損をする。
人に物を頼む時は、金を払えと習わなかったのだろうか? かもしれない。大儀があるからと、そう命令すれば従うのが道理だと思い込む。
そういうものだ。全く、迷惑な奴等だ。
周りの迷惑も考えろ。
私に言われたらお終いだぞ。
とはいえ「英雄的な人材」というのが、科学が発展すればするほどいなくなるのも事実なので、こうして今回取材に赴いたという訳だ。だから、始末するとはいっても皆殺しにはせず、争い合う余力を残して撤退出来る程度に力を削いだ。
兵糧を奪ったり、司令官を殺したりしてな。
金も貰えないのに殺しに力を入れるなど、正直馬鹿げている。無駄に敵を増やして私に得があるわけでもなし、己の命が最優先だ。
依頼ついでの取材ではあるので、労働の最中に勝手に仕事をしていると言えなくもない。だから仕事の内と言えなくもないが、無駄は無駄だ。
さっさと終わらせるに限る。というか、仕事が楽しい奴などいない。苦痛や苦悩の伴わない仕事など、ただの趣味だ。
金を儲けるだけなら為替と変わるまい。
肥え太った「人間」ではあるまいし、そういう阿呆丸出しの情けない連中ではあるまいし、私は暇ではないのだ。仕事をせねばなるまい。
まあいい加減、やってられないがな。
金にならないからやる気は微塵も無いが、そのやる気とは関係なく出来るのも「仕事」だろう。精神の有り様で変わるものでもあるまい。
ただ、やる。その熱を形にする。
それが「仕事」だ。
正直、うんざりだがな。
生きるという事が生き抜こうとする意志であるとするならば、それは下らない些事だ。その意志だけで良いなどと抜かすのは、とどのつまり耐え凌いだ事がない証拠に他ならない。軽んじられて痛めつけられ、理不尽を味わった事が無い。
だから、その過程だけで満足しろという。
馬鹿馬鹿しい。力ある英雄が「この程度の傷は大した事じゃない」と言うに等しい。あらかじめ力に満たされた輩と、そうでない輩が同等とでも思ったか?
そんな訳があるまい。少しは考えろ。
その点で言えば、怪物属性の連中が羨ましいと思える。何せ、少しばかり我慢が利かなくなれば人間を殺しても良いのだ。
能力にかまけて楽をしていい。
これほどの「楽」があるか? 後は、人間共はすぐ裏切るだとか、自分達はちゃんとしているのにと不満を垂れていればそれで終わりだ。
何を成し遂げる事もない。
無気力な民衆と同じで、行動すらしなくて済む・・・・・・無論、私にはそのような「楽」は無い。
あればどれだけ苦労が減ったかという噺だ。
過程に意味は、いや価値は無い。何せ、物語は売れなければ読まれもしない。文字通りに、ただ無駄で無為で苦労の多かった徒労になる。
現状、半分はそう言えなくもない。
何にしろ「私」が行うべき事柄などとうの昔に済ませている。後は売る側の問題だ。
その問題に、足を引っ張られていると言っても良い・・・・・・誰一人真剣に物語を扱わないからこそ私が迷惑しているだけだ。
誰もいないなら、文字通り「無駄」だ。私が、どれだけ活動しようが世界全体が死んでいるなら行動するだけ無駄と言えよう。
事実無駄だ。無為に終わった。
私は生き抜かんとする為に書き続けたが、案外人間なんぞ既に絶滅していて、その名残のゴミが残っているだけなのかもしれない。
その程度には、価値を示せないゴミだけだ。
こちらが何をしようが、見合う価値がない。
ならば「生き抜こう」とする行いそのものが、既に愚かしい限りだ。何せ自分達はちゃんとしていると思い込んでいるだけの豚の世界で、知能を示してやる事に意義などあるまい。l
豚は豚だ。人間の真似をしているだけだ。
神も仏も人間も怪異も機械も自然も全て全て、役割を果たさないからこうなった。事実として、この世界は何一つまともに回っていない。
ただ持つ側とそうでない側があるだけだ。
運次第の下らない博打に過ぎない。個々人には変える力など無く、行動や意志は等しく無価値で持つ側が言い訳しながら「己の力だ」と弁解する様が見られるに過ぎない。誰も己の力で変えようとする事すらないのはその為だ。
所詮全てが、運次第。
第一、それで言えば人間に生まれるか神仏だの怪物だのに生まれるかで違うではないか。何でも神仏とは何もしなくとも金を貰えるのだとか。
羨ましい限りだ。暇そうで。
実際、私がどれだけ計画性を持とうが、持つ側に勝てた試しがない。ただ持つというだけで必ず勝利し、何も当人は努力すらしない。
当たり前の労力を努力だと言い張るだけだ。 本人が少し力を入れた程度で何かを変えられるなどと、どれだけ失敗や敗北と無縁でいたのだ。理不尽を知らないから、そんな事もわからない。 情けない奴等だ。それが勝つというのだからな・・・・・・・・・・・・嫌な世界だ、全く。
まあ、その辺りは人類史を見直せば、誰にでもわかる事だ。世界史に載るような人物が、行動や意志だけで何かを変えられた例など無い。
必ず「才能」や「縁」という要素がある。
でなければ途中で死ぬか、私のように理不尽な敗北や失敗を味わい続けるだけだ。当人の意志や行動で急に事が押し進むなど、そも異常だろう。 結局の所、人間の歴史など幸運に支えられた、或いは持つ側が満足するだけの搾取と暴力でしか成り立たない「箱庭」と言うべきか。何にしろ、人類史が紡がれたのは「偶々」であって、人間の意志や行動の力ではないのは「確か」だ。
それだけは覆らない、確固たる「事実」だ。 その程度で何とかなるなら、とうに私は大儲けしている。後から「実は方向性が違った」などともっともらしい言い訳を聞く事もあるまい。
そんなものだ。
ますます、仕事をやる気が失せるな。
まあ、元より作家とはそういうものだ。生きるという事に熱を持たない、生命の義務を放棄した読者共に娯楽という体で熱を刻み込む。
それが私にとっては「悪意」なだけだ。
ふん、生きる上で熱を持つなんぞ、当たり前の事でしかない・・・・・・やって当然、それが義務。
それはそれとして「利益」を得なければならぬというのが「生きる」という行いの正体であり、熱だけを求めるのは単に余裕があるだけだ。別にそれそのものだけでは意味がない。散々その熱を持っていながら無為に走った「私」が言うのだ、間違いない。
それだけでは、ただ虚しい。
そも勝利を求めないなど生きる事と反するではないか。栄光だの名誉だのは別にどうでもいいが「実利」だけは頂く。当然だ。
なので、英雄とは度し難いと、そう思う。
とどのつまり「余裕」があるからこそ己以外の誰かに払う「余力」があるのだ。まさか寿命すら削って奉仕しているとでも?
だとしても、同じだ。何一つ変わらない。
大体、己を満たせない奴が他者を満たすなど、土台無理な相談だ。己の事が見えないくせに他人の幸福が見えるなどと、目の錯覚以下だ。
その上、英雄は殺す殺す。
ともすれば私より殺す(正直、それだけ殺しておきながら、よく開き直れるものだと感心した)らしい。別段数は数えていないが、少なくとも、私は必要な分以外は基本殺さない。ちょっと目についた程度で殺していては、生活が成り立たないのだから当然だ。
だが英雄は殺す殺す。
生活が破綻しても殺す。よくある手段と目的の入れ替わり、本末転倒な破綻した考えという訳だ・・・・・・・・・・・・そしてそれが「栄誉」と抜かす。
金も貰えないのに殺す、という時点で仕事熱心な私には相容れない種族だ。殺した分だけ報酬があがるなら私も頑張る(何であれ努力とは無為に終わるものなので、正直殺しですら力を注ぐのは嫌いだが)可能性があるにはあるが、民衆が悪と叫ぶからだとか、誇り高い戦いの為だとかという理由で殺すのだから、始末に負えない。
民衆が叫べば、誰であれ殺すらしい。
その点、悪党は現実的だ。身内の為なら世界が一つ二つ百二百滅んでも、文字通り何とも思わず罪悪感一切無し! 良い性格をしている。
そう誉められても金は払わないがな。
むしろ、良い性格を見た代金を支払え。
世界を無限に滅ぼしてでも、利益だけは得る。まあ身内なんて物が悪党にいる可能性は本来絶無ではあるのだが、心構えの噺だ。
第一、世界の為に戦うなど異常者の類だ。何をもって世界の為なのか不明だ。そもそもその為に殺しを正当化するとはどういう理屈だ?
都合の良い脳味噌だ。私に言われるとはな。
案外、連中は宇宙人か何かかもしれない。同じ生命をそんな理由で踏みにじるとは、この私でも理解に眉を潜める。この「私」がだぞ。
なので当然、そのような英雄に取材するのも、英雄と話すのも、英雄を考えるのも私にとっては苦行でしかなかった。第一、何かしら能力の差を以て生まれている時点で、私のような持たざる、いや文字通り「生まれついての悪」にしかならぬ輩と分かり合う事は、未来永劫に無い。
ただ、ただ、己の為に戦う。
戦いに色をつけようという余裕ある発想から、そのような考えが浮かぶ筈があるまい。彼らは、力に裏打ちされた人格しか持ち得ない存在だ。 環境に関係なく、ただ「悪」である。
そのような生命としてある意味自然な生き物を身勝手な人間性で計る奴等には、それを理解する意気込みすらあるまい。
全て、戦士の誇りとやらで消えるだろう。名誉だの栄光だの、所詮は戦いに「生死」以外の遊びを見出す暇人共だ。
ちなみに私の生には利も含まれる。
それがなければ、結局死ぬからな。殺してでも利益を奪う。当たり前の事だ。
なので一代限りで後に残らない英雄の思想には興味はない。才能などというのは所詮、後生には更なる才能に凌駕されるものだ。もし凌駕せずに続かなければ、その才能を無駄遣いして失敗したというだけだ。
英雄も怪物も、同じだ。優れた能力があれば、それを振るう己自身も優れた存在だと錯覚する。人々を導く為だとか人間とは違うだとか、根底にあるのは「特別である」と、他者を下に置き己を特別視する感覚と言える。
だが、それらは力無しでならねばならない。
当たり前だが、力を前提に作り上げた思想など力が剥がされるか、力が通じなければ、文字通りあっさりと「折れ」る。
とはいえ、折れなかったところで実利を得られなければこの様だ。そういう意味では「正しい」と言える。
何せ、物乞いのようだが、実利はある。
世界に生き残るのは連中のような「力だけ」が取り柄の存在だ。過程における意志や行動など、所詮は物語の中、いいや、それですら使わない。 誰も彼もが、理解している。
楽に人生を送れるかに、意志や行動は関係ないと、そう理解しているからこそ「都合の良い現実逃避」の物語こそを、愛でる。物語に何かを学び前に進んだところで、そんなものは生まれついての才能、力に比べれば無力だからだ。
実際、勝てた試しがないしな。
卑下するつもりもないが、無駄に持ち上げても時間の無駄だ。意志や行動は無駄であり、問題となるのは「どうすれば勝てるか」だろう。
まあ通常の方法で無理なのは確かだ。
個人の能力には限界がある。まして特別な才能がある訳でもなし、平均的な能力であれば労働に準じて奴隷として搾取されるのが常だ。だから、才能がある奴を利用するか、騙して戦わせるかという噺になってくる。
お分かりいただけただろうか?
つまり、私は今回「英雄」とやらを利用して、英雄で無い己の利益を確保しようというわけだ。 我ながら頭が良い。無論、簡単に騙されてくれないので今まで数えるのが面倒どころか数えないほどには失敗してきたが、やるだけだ。
他に出来る事も無いからな!
どうしてこう、私は「楽」が出来ないのだろう・・・・・・王道の物語とまでは言わないが、少しだけ楽をしても今までの苦労を考えれば数百億円程度の金は、空から降ってきてくれても良いと思う。正直、それだけ無為な労力、そして失敗と敗北を積み重ねてきた。だが、見合うお宝は無い。
何一つとして、得られていない。
何という理不尽。だから信仰は嫌いだ。苦労を天は見ているみたいな言葉をほざける時点で失敗という言葉を知らないのだ。失敗とは省みられず無為に「消える」ものであり、後に続くものなど無い。敗北とはそれを噛みしめる行為で、敗北に学べるのは「世の不条理」だけに過ぎない。
手を尽くせば覆せる。それが甘えだ。
手を尽くした程度で覆せるものを「理不尽」とは呼ばない。それはただの「劣勢」だ。
勝てない「何か」に挑まねばならない。
それが「戦い」であり「理不尽」だ。
敗北は既に確定している。そこに挑むからこそ理不尽を知る。勝てなくても戦う。定められても抗う。その程度も知らない奴が運命を語り出す。 甘ったれにも程がある。
貴様等、他にやることはないのか?
世界を知った気になる前に「仕事」をしろ。
噺はそれからだ。正直、現代で力を持つ側にはそういう奴「しか」いない。だからつまらないし面白い何かも生まれない。
もう滅んでもいいのでは、とさえ思う。
何せこの私の物語を売るのに、こうも手間暇をかけさせる世界だ。使えない機構だとしか評価のしようがないではないか。
貴様等読者の人生など、この一ページに劣る。 それだけは確かだ。定められた道を言われるがまま進み、確約された利益をぶら下げられて死ぬまで我慢しながら生涯を全うする。
そんな「生」に、何の価値がある?
断言する。無い。その場その場の相手の都合に騙されているだけだ。進学とか就職とか、周囲のそいつ自身がそうして欲しいと思っているだけでしかない。まして、貴様等の利益など真剣に考えている訳があるまい。
同じ「安心感」を選ばせたいだけだ。
そうすれば、自身を否定しなくて済むからな。ただそれだけの身勝手な都合に巻き込まれる身としては、たまったものではない。
正直、迷惑以前に目障りだ。
真剣に生きる気が無いならおとなしく実利だけ渡して死ねばいいものを、そうしない。目的すら無いのに生にしがみついて、どうするというのか・・・・・・・・・・・・正しいと信じる輩は厄介だ。
当の本人すら、己を正しいと思っていない。
神を信じるなら神の過ちも信じねばならない。未来を信じるなら未来の不安も信じなければならないのだ。その程度の事も、連中は知らない。
知らなくても、やってこれたからだ。
これが「幸運」でなくて、何なのだ? 真剣に生き抜かんとする行いが馬鹿みたいと思うのも、それらを考えれば至極当然と言えよう。
実際、信じるに足る保証など無い。
何をしようが、何かがある。どれだけ手を尽くそうが、関係ない部分で無駄に終わる。それでも続けたが、考えもしない奴等が勝利した。
もう、感想すらない。無駄だからな。
惰性ではないが、やる気も無い。第一、書いたところで売れるかは私に関係ないのだ。出来るか出来ないかはいつも、別のところで決められる。 私の意志や行動は、関係しない。
それだけは確かだ。だから全く以てやる気などないが、この惑星の殺し合い、英雄の行う戦争に荷担しているだけだ。荷担するだけで、勝たせる気も負けさせる気もない。四六時中仕事と一体になる私に「休み」という概念は希薄なものだが、「作者取材」という体で適当に人間を殺しつつ、己の安全を考える機能だけは休ませずに、適度なバカンスを楽しむとしよう。
なに、死体が飛び散るか、果物が飛び散るか。実に些細な問題だ。肝要なのは私が楽しめるかであって、現地の命も善悪の観念も必要ない。
連中は連中でこちらを利用するのだ。むしろ、そんな理由とはいえ連中の英雄ごっこにつきあうのだから、感謝とお礼は当然だろう。大義名分で誤魔化そうが、とどのつまり人殺しだ。大量殺戮は国際的には犯罪扱いだが、正義の為だの自由の為だのと口にすれば「殺人パスポート」が貰えるのが人間社会の良い部分だろう。
娯楽や文化を除けば、唯一の利点かもしれない・・・・・・勿論、物語の方が勝るがな。
それに比べれば、些細な犠牲だ。
作品のネタになれるのだ。感謝して死ね。
さて、それでは現状を見るとしよう。今回は、いや今回も人間の性というか、殺し殺され大儀を掲げる争いに参加する訳だが、その前に「戦争」という概念が科学の進んだこの時代でどうなっているのか。そこをまず語ろう。
結論から言えば、さほど変わっていない。
強者が弱者を蹂躙するという点では、戦国時代のような「領土の為の戦争」ではなく、単に利益の為の「作業」という側面が強い。というのも、科学が発展すると同時にどの時代でも起こり得るのは「最先端科学の独占」及び「未開拓者からの搾取」だからだ。
カカオなどが分かり易い。
陸の監獄に閉じ込め、生涯を終えるまで高値の生活用品を買わせながら子々孫々に至るまで奴隷労働を強いる。その成果を取り上げる事で連中は「大手貿易会社」を名乗り、国際的な利益を持ち税金を未払いのまま済ませる「奴隷主」としての己を確立するのだ。
この場合、奴隷貿易よりも質が悪い。
何せ、彼らは「悪い」とは思わない。何も法に違反していないと思っているし、何も悪い事などしていないと思い込んでいる。
いや、思い込もうとしているのか。
しかも、金の力でそれらを肯定し続けたせいで彼ら自身も自分が見えない。有り体に言えば認識する能力が欠如し、現実が見えなくなる。
そして、そういう奴等がドローンだの戦闘用のアンドロイド(こちらは違法だが、法など破る為にあるようなものだ)を金に任せて運用し、その向かう先には当然の事ながら「科学の恩恵をそこまでは受けられない」現地民が「損」をする。
男は少年兵に、女は売り物に。
命が平等だのと言う輩は、命を大事にし過ぎたからそういう発想に至るのだろう。浅はか極まる発想だが、それもある種の洗脳かもしれない。
世界は平和だと、平和は尊いのだと。
そんな程度の噺に騙されるというのは、見方によっては「病気」と取れなくもない。単に病気のままでも生きられるほど、恵まれていただけだ。 その程度の噺でしかあるまい。
現に、平和だと言われる国でも老若男女の関係なく、資本ある者の奴隷だ。金や権力があれば、文字通り何をしてもいい。資本主義経済とはその事実を後押しする概念であり、科学の恩恵というのは「万人に広める」物では決してなく、単純に「万民から搾取する仕組みを作る」為の骨格標本みたいなものだ。だからこそこうして現地に赴く私の視界には、高価な兵器が「人道的に」殺戮を行い、刃向かう生き物は「人間」でなくなる。
何とも狭い了見だ、全く。
何にしろ私は現地民を助けにきた訳ではないのだが、とはいえ殺しにくるのだから破壊されても文句は言えまい。今、空を飛び地面を滑り多くの人々の血肉がこびりつくあれらドローン兵器は、当たり前だが最新科学の「結晶」だ。
つまり、金になる。
ついつい笑みが、止まらない。
現地民を「結果的に」助け、おまけに無駄遣いをしないよう資源の再利用まで行うとは。まさか私は「正義の味方」だったのだろうか?
まあ、過程における死体の数は興味無いがな。一方的な殺しとはいえ、それで言うなら人道的な兵器と人間の命には、そこまで差があるのか? どちらも、あるだけで他者を殺すではないか。大量殺戮兵器、という縛りにおいては大差ない。この私に役に立つなら生かしてもいいが、そうでないならその辺のガラクタと同じだ。敵の、いや襲いかかる兵器を破壊するように、その尊い人間の命とやらも、花火のように散らすまでだ。
散り際は散り際で、見物だしな。
現地に着いてわかったのは、元首都と思わしき部分にはドローン兵器が跋扈しており、どちらかと言えば「戦場」ではなく「機械兵器が跋扈する未知の惑星」に来た気分だった。
まあ、それならそれで儲かりそうだ。
最終的に「実利」が得られればそれでいいのだ・・・・・・過程における「高潔な意志」とか「大層な信条」だとか、そういうのはどうでもいい。
殺しを正当化したがる気持ちなど知るか。
それが、私の金になるのか?
ならない、それだけは確かだ。
殺しは労働だが取材は仕事なので、やることはやる。ただ、その過程においてどうなるかなど、私の知ったことではない。
標的が誰か、だと?
さて、それこそどうでもいい事だ。最終的には現地民の得になるかもしれないのが忌々しいが、私だけが損をするような事にならなければいい。 逆に私が損をするなら、現地民は死ね。
少しは金になるだろうしな。誰かが笑顔でいる中で、私だけが「損」をする。それは許さない。 殺してでも奪わせて貰う。
元よりこの身は「人間の敵」だからな。別段、人間の未来など興味も無い。
あるのは文化、娯楽だけだ。
とはいえ、作者取材が仕事であり始末に関して言えば労働でしかくともやるべきはやる。それが作品のネタになるなら平和でも戦争でもしよう。 なので、面白い戦争があれば私を呼べ。
平和とやらを作るには、ある意味最適の人材だ・・・・・・その「過程」はともかく、「結果」だけは保証しよう。
なに、結果そうなるのだ、構うまい。
いろいろあって何人か何万人か死にましたが、最後には平和が訪れました。
めでたし、めでたし。
そういうの好きだろう? 私は嫌いだが。何せ語るべき部分がない。最後に平和があったかなど作品のネタにはなるまい。争いこそネタだ。
英雄だの天才だのには、分かるまい。
歯を食いしばらずに成し遂げられる輩に、歯を食いしばる輩の考えなど、分かろう筈があるまい・・・・・・・・・・・・物語とは、その積み重ねだ。
だからだろうか?
歯を食いしばる輩など、現代にはもういないのかもしれない。勝った負けたはあれど、負けずに生き続ける道を選ばず、あるいは順当に勝ち進むだけの溺愛の輩が、世界には溢れている。何せ、殺し合いどころか「争い」そのものを否定して、自分達が「善」であると自惚れる阿呆だ。
あれこれ過程を美化したがる連中だ。
その程度の奴等が、歯を食いしばる経験をそう何度も何度もするとは思えない。そもそも、少しでも成功を、勝利を、栄誉を掴める時点で敗北を知らず、失敗を知らないに等しい。それらを知る機会すらないまま、前を見据えるからこそ出来る事もあるものだ。
まあ、出来たところでこの様だが。
少なくとも金にはならないらしい。嫌な噺だ。焦がれる何かも甘える何かも夢見る何かも愛する何かも共感する何かも、必要ない。
無くても、案外何とかなるものだ。いや、利益の面で言えばまだまだだが、そこは棚上げしよう・・・・・・・・・・・・いや本当、どうしたものか。
殺せば殺す程、歩合でも出ればいいが、そうも行くまい。今回の始末依頼にしたって、首を切り首級を上げれば、とは行かないものだ。
殺しを依頼する側でさえ、これだ。
彼らにとって殺しは「悪い事」であり、人間の歴史には必要ないとさえ思っている。今まで散々殺し尽くして歴史を積み上げた奴等が揃ってそう口にするのだから、悪い冗談ってやつだ。どうもその辺りこそが、私の性に合わないらしい。
私に言わせれば、善性などロクなものではない・・・・・・言っては何だが「人間」の肯定する「善」が、真っ当だとでも思うのか?
やはり「悪」だ。悪こそ至上。
それもただの悪では足りない。必要悪として、人間社会の根幹に食い込まなければ。いや、人間という観念そのものを書き換えてみせる。
本さえ売れれば、だが。
金、金、金だ。世界は金で出来ている。金こそ人間の信じる全てであり、他は人間の欺瞞に過ぎない。信じる怪異はいるかもしれないが、信じる人間はいない。いたとすれば、それは言葉を唱えそうであると思い込んでいるだけだ。
少なくとも、現代にいないのは確かだ。
実に面倒臭い。これだから読者共は嫌いだ。 私と正反対の物を恵まれた駄作を、生きてきただけの事はある。好意や期待を受けたり努力して報われたり、未来を信じて進むとはな。
私には理解し難い噺だ。
いや、理解は出来るが共感するつもりは無い。第一、根拠無く未来を信じるなどただの考え無しではないか。根拠無く己の行いを信じ動くならば当人の責任だが、それでは責任も取れまい。
いや、取らなくて良いからそうするのだ。
そういう意味では好意を向け合う、標的の英雄率いる反乱軍の居心地は最低だった。何せ、好意というのは基本「押し付け」であって、賛成する輩にしか機能しない。
しなければ、それこそ反逆者扱いだ。
質の悪い宗教と同じだろう。宗教とは基本ロクでもない輩に利用されるものなので、好意というのもそれと同じと思えばいい。
好意という概念はあるかもしれない。
だが、それを利用する側に、好意など無い。
とどのつまり、英雄に追従する奴等の心理とは「己が心地良いからそうする」程度のものらしい・・・・・・納得は出来る。何せ、都合が悪くなれば、あるいは自分達の欲求が満たされなければ、その英雄自身すら「被害者面」で、裏切る連中だ。
彼らは、自分達は悪くないと思っている。
過程における殺戮も「自由の為」だとかの為で「人殺し」だとは思っていない。その結果何人の首をはねようが構わないし、最終的には首謀者が全て悪い、あいつが扇動したからだと現実逃避を繰り返す。
何とも汚い生き物だ。
私は間違いなく「悪」だが、「汚濁」になるのだけは御免だ。一緒にされたくはない。
なので、可能な限り離れる事にした。
現地取材の為、どうしても標的に追随する奴と接触する機会が増えるのだが、それでも汚濁共と触れ合う趣味はない。私に得も無いしな。
とはいえ、こういう場所には連中の薄汚い好意から弾き出された奴もいるものだ。何なら、その弾き出された奴を捜すのもありかもしれない。
そこまで思って私は一度、就寝する事にした。まだ標的のいる惑星に着いたばかりだ。
始める前から疲れては体力が持たない。それにこういう時は一度、時間を置くのが最適だ。
無論、策を弄そうが報われた試しも無かったが・・・・・・言っても始まるまい。何にしろ英雄殺しがなるかなど「ついで」だ。
私は、私の「実利」の為に。
連中が「正義」で私に挑むなら、私は「実利」で打ち倒すまでだ。見ていろ、貴様等の下らない価値観など、全て金で買い上げてくれよう。
勿論、私にそのような価値観など不要だがな。
例の記事通り「悪運」だけは天下一だ!! サポートした分、非人間の強さが手に入ると思っておけ!! 差別も迫害も孤立も生死も、全て瑣末な「些事」と知れ!!!
