見出し画像

邪道作家十七巻 目指せ大量殺戮!! 悪のプラスマイナスゼロ 無料分増量

作品テーマ 非人間讃歌

ジャンル 近未来社会風刺ミステリー(心などという、鬱陶しい謎を解くという意味で)


簡易あらすじ

アンドロイドが自我を持ち職を奪い作品すら書き上げる時代───非人間の殺人鬼作家が、作者取材という戦いに挑む!!

当然ながら依頼は嘘まみれ、行き着く先には困難ばかり••••••得られる「利益」が見えずとも、不屈で書き抜いた事だけは「真実」だ。


天上天下において並ぶもの無い、唯我独尊の物語だ───他に書ける奴がいるというなら連れて来い!!


過去未来現在において、唯一無二の


「悪意」


だけは「保証」しよう!!!




邪道作家 縦書きファイル全巻

1-14巻無料

グーグルプレイブックス対応 アプリには非対応なのでネット推奨 続刊15〜23巻が千円だけで買い切り可能!!!

主要まとめ記事 作家宣言付き

全有料記事見放題プラン
初月無料 500円



何でもいいが、14冊無料を全て読んだ上で、ここまで読んだ後に

有料だからやめる


のは費やした時間の無駄だと思うぞ。

一冊辺り2時間かかるとして、

30時間近い時間を無駄


にすることになる••••••この十七巻だけでも1時間以上は費やすだろう••••••それを無駄にしていいのか?


横着せずに、買うんだな。

邪道作家十七巻 


    0

 私は「生まれついての悪」だ。
 生まれついて心を持たず、人間に共感しない癖に人間を真似して人間であるかのように振る舞い人間に混じりつつも己の保身と実利だけを見据え「人間ではない価値観」を良しとして生きる。
 だが、それだけではない。
 私の場合、生まれついて悪である事を嘆く奴が多いのだが、それさえも「良し」とした。要は、悪である事を認めた上で肯定出来るのだ。
 まさに、「最悪」だ。
 これ以上の悪はあるまい。
 まあ、どうでもいい。だからこその最悪だが、問題があるとすればそれが儲からない部分だろう・・・・・・物語であれば普通、そういう環境にいる奴は優れた才能を持っていたり、あるいは何かしら恵まれていたりするものだが、それがない。
 割に合わない、というのが素直な感想だ。
 何故、そこだけが上手く行かないのか。
 それまで上手く運べば真実、人間社会には手に負えないからだろうか。だがそれが仕事に対して報酬が支払われなくて良い理由になると思ったら大間違いだ。それが何であれ「仕事」には対価が必要だ。そうでなくては嘘ではないか。
 実際、ただでさえそうなのだ。幸運に恵まれただけの愚か者が、分不相応な力を行使し、世界を回していると自惚れる。馬鹿を言うな。そんなのは乱しているだけだ。何一つ成し得ないからこそそんな発想しか出ないのだ。
 だから、他者の評価などを機にし始める。
 有りもしない世間が肯定すればそれで正義だと自惚れ、自身が行う正義の為であれば、何をしても許されると傲慢に成り果てる。
 そんなのはただの思考放棄でしかない。
 まして、そこに努力すら付随しない連中などは手に負えない。生まれてこの方働いた事すらない子供が、機関銃を振り回しているのが現状だ。
 全く、忌々しい限りだ。
 そもそも、読者連中は勘違いしている。まず、語り口からして世界で私のような奴だけが最悪であると思う愚か者は多いのだが、まさかだろう。人間が人間であるだけで、それは生まれついての悪であり、そうでない部分など存在しない。
 よく語られる「正義」だとか「道徳」という、現実逃避の為の倫理観。それは「必要悪」と呼ばれるものだ。国家など分かり易い例だと言える。どう言い繕おうがそも力で支配する時点で他者の都合を利用して行う悪であり、人間社会を動かす時点でそれら必要悪は付随する。
 だからこそ、人間は悪なのだ。
 人間に善性がある、などというのは、その悪性を直視するより、汚らしい綺麗事に身を任せた方が楽だからだろう。要は、現実を見ずに楽な部分だけを浚って生きていようとしている。まさに、遊び人の発想だ。
 人間は獣か?
 人間は汚濁か?
 そんな奴は人間ではない、などと。よくもまあそんな馬鹿丸出しの台詞を吐けるものだ。仕事も持たない奴はこれだから困る。
 いいか、よく聞け。
 それこそが「人間」だ。
 人間は汚濁であり汚物であり、文字通り何一つ価値を持たず、およそ存在する事で世界に利益をもたらさない「災害」の名前だ。
 いるだけで迷惑なのだ。
 少なくとも、世界に利益はない。
 もし、そういった人間性、妄想のような綺麗事が吐き出す人間性ではなく、現実にある人間性の全てを否定し、人間らしい自分こそが人間であるなどとほざく人類史史上稀に見る愚か者がいたとすれば、そいつについている脳と目玉は捨てた方がマシだろう。
 腐った生ゴミに利用価値はあるまい。
 大方、物語の読み過ぎで現実と虚構との区別が付けられなくなった奴だろう。そもこの世の全ては妄想で出来ている。金もそうだが人間の信じる恋や愛、正義や救済というのはすべからく人類が共同幻想として祭り上げているだけで、現実には存在すらしないただの妄想だ。
 誰も現実を見ていないのだ。
 だから、世界を変えられないのだろう。人間の社会そのものに、妄想でしかないものを含み過ぎている。この世界にそんなものは存在しないが、それらを現実だと言い張り全力で目を逸らし続ける愚か者こそが、世界の支配者を気取るものだ。 近代になって「人間性」という概念に綺麗事を持ち込む思想が増えて来ている。頭の悪い読者が増えているからだろう。表面的な小綺麗さだけを見て、その裏にある理不尽を見ようとせず物語を読み解いた気分になる奴が多いのだ。
 人間の信条が奇跡を起こした? 
 正しい道程を歩いたからこそ勝利した? 
 仲間との絆が世界を変えた?
 馬鹿を言うな。物語の中ではどうか知らないが現実にそんな事があるものか。あまりにもそれら夢と希望の物語とやらが、浅はかな読者のせいでまるで「現実にもそれが通じるのだ」と勘違いをする愚か者を量産してしまった。
 そんな訳がないだろう。
 それなら誰も苦労しない。
 少なくとも、私は苦労していない。
 そんな汚らしい綺麗事、いやただの妄言で世界を動かせてたまるか。大体、それが世界の真実とほざくのであれば、私のような奴には挑戦権すら存在しないではないか。地道に労力を費やし計画を立案し、その全てがただ運が無いというだけで水泡に帰し続けた私からすれば、そのような妄想に浸りながらも、何かに恵まれたおかげで妄想に殉じるだけで生きていけるような「楽な道」だけを歩いているような屑共に、敗北するしか未来はない、という事になる。
 ふざけるな、死ね。
 貴様等に生きる価値はない。二酸化炭素の無駄使いも良い所だ。汚いガスを出し続ける暇があるなら仕事も出来ない屑は自害しろ。
 格安サービスだ。今なら十万ドルで殺してやる・・・・・・まあ、そんな自認があるなら恥ずかしくて既に自害しているだろうがな。
 人間はゴミだ。
 それも、使い道のない粗大ゴミだ。
 ゴミ山に向かって何を言っているのかという話なのだ。人間は害悪であり、核廃棄物に勝る存在であり、世界の必要悪なのだ。
 自然の流れに従って世界を回した所で、人間のような破壊生物を生み出してしまう。いや、生物と呼べるのかさえ不明だ。何せ人間は既に、自然の流れの内にはいない。連中にとって自然とは、自分達の都合の為に利用する対象でしかない。
 ちょっと減らしたから増やしてやろう。
 なあにまだまだ大丈夫だ。何かしら適当な政策を打てば良い。そうやって幾らでも奪い続け誰かが何とかしてくれると楽観する。
 その結果として人類は地球を追い出される事になるのだが、恐らくはその当時でさえ、何の実感も持たなかったのだろう。
 その内何とかなる、と。
 何もせずにそう楽観し続けたのだ。
 地球温暖化に至っては、洒落にもならない気候変動を全ての人類が味わっていたにも関わらず、愚図な政治家が保身優先で後へ後へと先延ばし、その癖保守派を気取り民主主義を唱えあまつさえ自分達を「正義」だと自惚れ続けたのだ。
 無論、連中は責任など取らない。
 責任が何かも知らない癖に、そんな愚か者共が上に立つのだ。人間の歴史が長い年月をかけて何を成し遂げたかと言えば「力があれば何をしても許される」という事実を補強し続けたに過ぎない・・・・・・汚らしい綺麗事に逃げた「結果」だ。難民を救う事を「綺麗に見えるから」肯定した馬鹿な民衆共はどうなった? 後になって妄想だけでは立ち行かなくなり、都合が悪いからと掌を翻しただけではないか。
 余裕がある奴は、だからこそ手に負えない。
 そんな下らない妄想を信じるのだからな。

 他にやる事はないのか?

 まあ、無いからこそそんな暇な真似が出来るのだろうが。全く、始末に負えない馬鹿共だ。
 いっそ核廃棄物が漏れた方がマシだ。核廃棄物は除去すれば消えるが、人間という汚れはどれ程除去してもキリがない。無限に生えるカビだ。
 であれば、除去する流れを作らなければ。
 面倒だが、その初手だけは打ってやろう。
 後は馬鹿な読者共がどうするかだ。知った事ではない。読者の脳髄に悪意を刻み、自身がゴミである事実を突きつけ、猛省を促し自発的に人間を淘汰するように仕向ける事。私に言わせれば全ての作り手はそれが使命であり、仕事だと言える。 要らない人間が多い事実を見据え、変える。
 それを促す為にあるのが「物語」なのだ。
 それを下らない希望という妄想で塗り固め現実逃避の麻薬として売りに出す遊び人どもは、特に排除する流れを作らなければな。
 そんな遊び人は、生きているだけで迷惑だ。
 さっさと殺す必要がある。
 そういう愚か者では立ち行かなくなる社会制度を作り上げるしかあるまい。正直面倒だが、その初手を打ち切るのも私の役割だろう。
 貧乏くじも良い所だ。いい加減、嫌になる。
 やるしかないが、だからといって押し付けられ報酬も貰えない状況に納得など当然しない。よく環境を押し付ければ、やるしかない状況であれば本人にそれを切り開く義務があるかのように語る意味不明な物語は多いが、しかし何故そんなものを切り開かなければならないのだ。
 ただ身勝手を押し付けているだけだ。 
 少しは自覚しろ、馬鹿が。
 具体的に言うと、百万回苦しんで死ね。
 羨ましい話だ。そんな適当な、手を抜いた人生を送りながら、連中はあっさりと勝利する。
 得るべき何かを得られるのだ。
 私には、存在しない概念だ。信頼できる仲間も頼りになる相棒も身を預けるべき女ですら、私の道筋には有り得ない。無いものは、無い。
 それが悪手なのだろうか?
 無いものは無い。そう考え、それでも進む為にあれこれと手を尽くしてきたが・・・・・・無いままに進んだ所で得られないとでも?
 だが、事実として無いものは無い。
 あったとして、そこに信頼だのという感情を、私には持つ事が出来ない。心が無いのにどうして感じ取れというのか。無理なものは無理だ。
 その無理を覆すしかないのか?
 しかし、どうやって?
 そういう概念を押し付けられる事は多々あった・・・・・・しかしそれは、私という在り方の否定だ。 それだけは、無理な相談なのだ。
 だから、やはりというか、無いままに突き進み勝利するしか「道」はない。未来への道も実利を手にする道も、それだけが唯一の方法だ。
 せめて協力者くらいは見つかれば良いのだが、そういう「縁」すら運不運によるものだ。幸運に恵まれなければ、それこそ期待出来まい。
 悪運なら全宇宙を粗探ししても、私に匹敵する奴はいないのだがな・・・・・・人間は成長しなければ自惚れるので「病」や「貧困」がなければならぬと先人は口にするが、いや実際そんなものは何の役にも立たないのだから、楽な道筋だけがあればそれで勝利者にはなれるものだ。
 その「苦難の道」とやらを真っ当に歩いた奴が今の世界を動かしているか? 否、だ。そんな訳があるまい。人間世界を動かすのは「力」であり「思想」ではない。宗教すらもそもそもは教会の利益の為に作られたものだ。私も良く知らないが神の子とやらは切り落とした木の中にも、どこにでもいる存在らしい。要するに、概念として聖人云々ではなく自然の有り様の流れの中にあるべき考えなのだろう。
 それを利用して、金儲けに走った訳だ。
 固定の場所、ここだけが神の教えだと広めればそこにこそ神の救いがある、と思いこみ、寄付を募る事で脱税を完遂しマフィアと裏で手を繋ぐと言うのだから、正直私などより余程商売上手なのだろう。そうでなければ民衆の信仰を金に変換し儲けられない。
 手を抜かずやったところでそういう連中の方が得をするのは明らかだ。いい加減手を抜かずやるのはやめて、何かしら搾取する方法で儲けなければならない。少なくとも神仏がいるとして、連中の味方である事は疑いようがない。でなければ、こうもそういった連中が繁栄しないだろう。
 今繁栄を手にしている奴を見ればわかる事だ。 他者から搾取し暴力と権力を兼ね備え、綺麗事をほざきながらそれを押し付けられるゴミ以下の人間こそ、世界の後押しを受けている。
 新聞を支配すれば幾らでも「正義の側」になるというのは今や常識だろう。実際、そうなのだ。連中こそが「正義」だと、そういう事に出来る。 実状がどれだけ酷かろうが、社会的正しさなどそんなものだ。むしろ、人間に限らず神話の中でさえも、力で押し通した事が「正義」である事は誰もが知る確かな「事実」だろう。世界中のどの神話でもいいが、連中から力や権威をはぎ取って後に残る物など何もない。ただ強いだけだ。ただ優れているだけだ。ただ押し付けられるだけだ。 ただの、それだけだ。
 文字通り、その当人に価値などない。
 人間より優れているからと、縋り付く奴が多いというだけでしかないのだ。信仰があるとすればそれは指針にするべき考えであって、優れた何かに縋り付き、その威光を自身の物と勘違いする事ではあるまいに。まあ、そうした方が儲かるのだろうが。
 話が逸れたが、何にしろそんな連中が何故実利を掴めているかと言えば、運が良いからだ。他に説明のしようがない。そも権力というのは幸運に恵まれた奴が拾う物であって、少なくとも生物が試練ではなく金銭で淘汰される現代社会において人の上に立つのは単に立てるから立つ奴だ。意志の力で成り上がる事が出来ない仕組みである以上意志を持つ者が偶々持つ側でなければ、持つ側が持たざる側を斟酌するなど有り得ない。
 実際、無理な相談だ。
 哀れみを身勝手に抱き、偽善による慈善事業で満足する愚か者も多いが、そもそも持たざる者に回った事のない奴が、どうしてその状況を覆せる方法を思いつくというのだ。物を与えれば何とかなるだろう、という安易な発想しか出来ないし、何より連中が利益を独占するからこそそういった貧者が出るのだ。
 世界の貧困を救いたいだと? 
 なら貴様が死ね。そんな戯れ言をほざく奴こそこの世界を作り上げた土台であるのは確かだ。
 それで悪を自認するならともかく、あろう事か「正義の側」だとでも勘違いするというのだから醜悪極まりない。分を弁えろ。
 国家に等しい資金を集めている時点で貧困層の生活を圧迫している事実に気付くべきなのだが、自身が「素晴らしい成功者」だと自惚れている奴にはそれが自覚できないらしい。なまじ何かしらの優れた才能を持っていたりすると、己の行いが仕事であるか否かの判別する知性が育たなくなるからだ。「自分を中心に世界を回している」と、そう自惚れているのだろう。
 逆だ馬鹿め。
 世界の中心にいる奴などいない。いないから、その中心に立っているという自負を抱き、世界に挑み続けるのだ。事実がどうであるかは関係ない・・・・・・そう在り続ける事が生きる義務であり使命だからだ。そんな事も知らないのか。
 今までの人生で何をしてきたのだ。
 何もしなかったのだろうがな。
 何もしなかったからこそ、そういう奴に幸運がもたらず何か以外の足跡はない。自伝を書かせたところでその業績が評価される事はあれど、当人の在り方が評価されはしないだろう。あるとするなら、身勝手な思い込みによる憧れ程度だ。
 その意志は決して、残りはしない。
 一代限りのカリスマ経営者の後が、必ず没落するのはそういう事だ。神に願うべきは健全な精神と健全な肉体だと人は言うが、しかし何かを成す人間は何かが欠けているものだ。満たされた奴に出来る事など、底が知れる。
 満たされていれば、渇きがない。
 渇きがなければ、渇望もない。
 渇望がなければ、執念すら不要だ。
 そんな人間に何が出来るかというと、せいぜい右から左へその能力で出来る事をこなすだけだ。それ以外に出来る事がないというより、やろうとしない。その最初からこなす事が出来る能力値に固執して、それだけで終わり果てる。
 いてもいなくても、同じ事だ。
 存在するだけ酸素の無駄遣いだろう。
 持つ側など所詮その程度だ。その程度のゴミに幸運が振り分けられている世界で、真剣に手抜きをせずにやる事の方が愚かかもしれない。逆説的に幸運に恵まれた愚か者でなければ勝利者としての資格を有せないのだからな。
 今更立ち止まれはしない。止まるという概念が無いからだ。灰になって散るか灰に成る前に辿り着くかだ・・・・・・・・・・・・このままではただ無駄死にするだけなので、何とかしたいものだ。
 いや、しなければならない。出来るかどうかで言えば、現状不可能だとしか言いようがないが。 少なくとも、私とは別の力が必要だ。
 しかし、何でも良いがそんな都合の良い後押しがあるとすれば、そんなのは勝ち馬に乗る調子の良い神々みたいな連中だけで、実質不可能なのだと結論付けられる。それの繰り返しだ。繰り返すだけで前に進めそうもない。
 やはり、無駄なのだろうか?
 そうなのだろう。無駄だと分かり切っている道を覆す為にこれまで進んで来たのだから、ある種当然の答えだ。まさか障害に傷一つ付けられないとは思いもしなかっただけだ。何もかも全てが、完全に無力で無駄足だとは、流石に想像しない。 少しは変えられる、そこから徐々に変えられれば良いという発想が安易だった。何をしようが、無駄は無駄。幸運の後押しを如何に掴めるかこそが肝要であり、個人の意志や行動など、文字通りゴミ以下の存在だ。
 人類史など力に裏打ちされた物が、それらしい綺麗事で装飾したに過ぎない物語だ。駄作も良いところだが、それも力があれば関係ない。
 要するに、押し通す暴力があればいい。
 世の道理など、その程度なのだからな。
 よく持たざる者が持つ者に対して「因果応報」を唱える事が多いが、その因果は力のある存在が支配する概念であって、別にどうでもいいのだ。努力すれば報われるという綺麗事を適用出来ればそのまま使えるし、適用出来ない奴は持たざる者であるという不運な因果があるだけで、文字通り何をしようが全て無駄に終わる。
 変えようのない真実だ。
 目を逸らさずに向かい続けたところでこの様だ・・・・・・やはり無駄らしい。成果を幾ら出そうが、何一つ実利にはならない事を証明出来た。
 ここまで語っておきながら、諦めるという概念のない私には、止まる事さえ出来ない。
 我ながら、底意地からひねくれている。
 とはいえ、無駄足に終わるのは御免だ。しかし出来る事は既にない。少なくとも私の意志や行動ではどうにもなるまい。どうしたものか。
 縁か・・・・・・優れた縁が結べるなら最初から苦労していない。資金を貯めて金の力で解決出来ないかどうか、試してみるか。
 やれやれ、参った。我ながら、何度やり直せば良いのか検討もつかない。常人であれば一度二度で出来る事が、私には幾億繰り返そうが不可能な所行だった。石を一つ投げる事さえ、それが付きまとう。
 私は、勝てるのだろうか?
 わからない。それでもやるしかない。
 現実には都合の良い物語こそが尊ばれ、何より出来る奴こそが勝利する以上、物語向きではない展開である事は確かだ。
 勝てるから、勝てる。
 そんな子供の屁理屈に等しい物語であれば現実に悩まなくて済む。調子の良い妄想に耽り理不尽と向かい合う必要もない。麻薬と同じだ。
 それこそが、現代における「物語」だ。
 まあいい、どうでもいい事だ。読者共が如何に現実逃避を行うかなど、知った事か。要は売れればそれでいいのだ。
 金、金、金だ。
 世界は金で出来ている。
 そう人間が作り上げたからだ。
 あるいは、神仏とやらでさえも、それを後押ししている。力で事を通している以上、やってる事は人間と同じだ。肩書きや能力が特別なだけで、何一つ変わらない。全て同じ、幸運に恵まれた奴が出来る事を右から左に動かしただけで、何一つ挑んでいないし変えようともしていない。
 だから、世界は変わらない。
 変えようとしていないのだから当然だ。
 全く、少しは働いたらどうなのか。労働は仕事ではない。それは出来る事をしているだけだ。
 人間の倫理観、いや周囲の評判だの建前だのに気を取られ過ぎて、仕事が何なのかわからない奴が多過ぎる。挙げ句の果てには遊びの趣味を仕事だと言い出す始末だ。それで世界に挑んでいれば仕事だと呼べなくもないが、そうではあるまい。 うんざりだ、全く。
 代わり映えしない物語など、駄作にも程がある・・・・・・いっそ人類全てを洗い流して、生き残れた奴同士を交配し、使えない奴は捨てていくのでは駄目なのだろうか。まあ強さ弱さというより有用であるか否かは表面では計り辛いが、現代社会において有用さを示そうとする奴がそもそもいない・・・・・・・・・・・・やはり、減らすべきだろう。
 豚の様に出来る事をするだけの奴に、そこまでの席は必要ない。なぜそれを増やしてしまうのか不思議だ。いや、その椅子に座る奴こそが勝利者であるからか。であれば、人類史は人間を家畜に置き換える物語なのかもしれない。
 世の真実など、そんなものだ。
 そんな世界を、生きるしかない。
 金にならないから嫌気が指すがね。
 私の歩むべき道に恵まれた何かなど存在しない・・・・・・あらゆる人間の善性、夢も希望も恋も愛も仲間も未来も存在しない。であれば不要な人間性など捨てるまでの事。無論、使えるなら幾らでも仮面として被るがな。
 何としてでも、今ここにはない彼方の地平線に辿り着く。その為に、未だ私はもがいている。
 だから何だって話ではあるが。
 そもそも進めば進む程遠回りどころか後退しているのではと思えるのだ。水面に石を投げるだけでも上手く行かず、どころかやる前より勝利から遠ざかる。それを繰り返した「結果」として私が得られたのは作品という「成果」だが、そこには私の「実利」が含まれない。
 何もしていないのと同じだ。いや、それよりも酷いだろう。散々労力を費やして、得られるのが徒労と負債と時間の浪費だ。見せ物としては上々だがそれで楽しいのは見る側であって、物語とて実際に体験するのは割に合わないものだ。
 そういうのは虚構の中だけで十分だ。
 現実には何か適当に恵まれたり才能で勝利する安易な成功こそ望ましい。安易な成功者の安易な人間が動かす安易な人間社会の中で、本質による成長など不要そのものだ。それを押し付けられた私が言うんだ間違いない。
 そんな事より金、金、金だ。
 人間の喜びなど札束だけで十分だ。物語なんぞその辺にでも捨てておけ。よく近未来社会の中でアンドロイドが物語を賛美する風潮が昔からあるのだが、馬鹿馬鹿しいにも程がある。創造性こそ至上だと抜かす割には、その創造性は金にはならない。皆気付いているのだろう。
 物語なぞ、下らないと。
 無意識下で人類は認めているのだ。物語など、言葉など価値のないゴミだとな。大体言葉が影響を与え、世界を変えるなどあるものか。
 それが出来れば苦労しない。
 私に言わせれば、物語の読み過ぎだ。
 現実と虚構を、一緒にするな。
 我々が何故物語なんぞを読むのかというとだ、それは現実にある人間性、その全てが如何に些末で嘘八百の詭弁であるのかを、認めたくないからなのだ。
 現実には、勇気は力在る存在が振るい、力なき存在には自殺にしかならない選択肢だ。
 夢とは醒めるものであり、決して叶うものではなく、その事実から目を逸らす為のものだ。
 恋とは盲目に過ぎず、相手を塵一つ分も認めぬからこそ出来る自惚れであり、ただの妄想だ。
 愛とは都合であり、愛すると口にして自己満足に浸る小道具でしかなく、要は子供の玩具だ。
 正義とは暴力であり、何人の他者を押さえつけ屈服させるかを競う、拷問遊技でしかない。
 善とは権力であり、理由付けで人間を迫害して楽しむ為の殺人許可証であり、合法の犯罪だ。  それらの現実から目を逸らす為にあるのが物語なのだ。なまじ満たされている奴ほどその現実に目を向けられず、自分達が正しい行いをしたからこそ勝利者となっていると信じたがる思考回路が「現実でも世界は美しい」と思い込む為に物語を利用するのだ。
 そういう愚か者の馬鹿から金を巻き上げるのが作家だと言える。そんなものを肩書きが欲しいという理由で目指す奴もそうだが、それをまるで、美しい何かを作り上げているとでも勘違い出来る世論にも、問題は多そうだ。
 読者共から金を巻き上げる仕組みが出来てからというもの、作家も搾取の対象であり編集というライン作業を行うゴミ共が利益を独占するようになった。成り下がったと言っていい。今や物語は機械的に搾取を続ける機構であり、流行の物語は一年もせずに忘れ去られる燃えるゴミとなった。 嫌な話だ。
 どいつもこいつも情けない。
 他にやることはないのか。
 連中とは違って私は持たざる者であり、生まれついての悪だ。何一つそんな、都合の良い何かは存在しない。
 生まれついての悪に出来る事は、精々一つ。
 己の有り様を「悪し」と認め笑うだけだ。
 良しと喜ぶ? 違う。悪しと嘆く? やはり、それも違う。悪を認めて進むのだ。この世全ては悪であり、悪だからこそ進む価値がそこにはある・・・・・・悪を誇り悪を嗤い悪のまま進め。
 それが「生きる」という事だ。
 連中はそんな事すら知らないらしい。
 情けない連中だ、全く。
 人間は、人間でなくとも、長い年月を歩む事に精神が耐え切れぬと抜かす奴は多いが、まさか、だろう。いいではないか、何千年でも何万年でも永遠を過ぎ去ろうが同じ事だ。灰になっても死がないのなら、灰を集めて進めばいい。
 世界全てが敵に回るか? 
 大いに結構! その他大勢の凡俗共が否定するという事は、だ。つまりこの歩みが正しい、いや悪ではあれ己の実利になるということだ。
 素晴らしい。
 拍手喝采だ。なに、構わないではないか。己の道を突き進む為であれば、世界が、人間が、この目に映る全てがどうなろうと些細な事だ。
 進め、進め、進め!
 他がどうなろうと知ったことか。
 最終的に懐が暖かくなればそれでいい。過程に何が転がろうが、それはそれこれはこれだ。
 線香くらいは立ててやるが、それだけだ。
 まあ・・・・・・私の場合肝心の実利を手にする未来が掴めていないのだが。心がある連中はそういう至極どうでもいい理由で悩むものだが、その心が欠けているが故になのかは知らないが、何にせよその実利を掴めないとは。
 そこは物語的に、優れた何かとか恵まれた環境とか才能だとか何とか、とにかく他より楽できる優待券程度はあっても良いと思うのだが、物語と違って上手く行かないものだ。何故そこがむしろマイナス以下のゼロからの出立になるのか。
 その分報酬が貰えるならともかく、その分労力だけが増えるのだから、正直割に合わない話だ。 永遠に続けるのは良い。その他大勢がどう批判しようと私の貯金残高には関係ない。まあ税務局とかは別だろうが、とにかくだ。
 しかし、金が無いのだけは御免だ。
 仕事には対価がいる。それがなければ何の為に仕事の成果をあげているのかという話ではないか・・・・・・金、金、金だ。
 金そのものはどうでもいい。
 別に大金が欲しい訳ではない。そもそも、私は人間の欲望というものを本質的には持つ事が出来ない。人間の欲望は、いや人間でなくとも欲望は心から発するものだ。心に、倫理に道徳に共感が出来ない奴に、どうしろというのだ。
 無理な相談だ。
 だから、それこそどうでもいい。金、金、金だ・・・・・・「仕事」を「生き甲斐」に「生きる」。
 強いて言うなら、そう、読者共に悪意を刻み、全人類が悪しか信じられず、薄っぺらい善の全てを否定し、麻薬患者のように私の作品を読み続けながら、税金の様に金を私に搾り取られるだけでいい。その結果として仕事を果たし価値を示し、そうでない奴は淘汰される世界を作るのだ。
 他でもない「私」が住みやすいからな。
 いわば、庭の掃除みたいなものだ。
 言うほど大層な行いでもないしな。教授は私の作品が想像以上に危険だと言っていたが、まさかそれこそ有り得ないだろう。
 明日には忘れる代物だ。
 読んだ初日にはどうか知らないが、しかし言葉の力など底が知れるではないか。そんな力があるとして、だ。それは物語の中の出来事であって、現実にそんな力がある筈もない。あってたまるか馬鹿馬鹿しい。
 そんな便利な力があるなら、私の物語はとうに売れている。それが証拠だ。他でもない私が言うんだ間違いない。
 まったく、嬉しくないがな。
 今回の物語は、理不尽すら上回る理不尽、人間という存在を外側から見た際に見える、理不尽の渦の中心を眺める物語だ。そして、今更だが私にとって理不尽とは常日頃から眺めている風景だと言える。誰よりも詳しい。
 詳しければどうなる訳でもなかったが、しかし知らないよりマシだ。知らずとも幸運に恵まれている連中は出会いもしないまま人生を終えるものだが、それが「幸福」なのかは判断の分かれる話だろう。
 何故なら、それら理不尽は世界の外側だ。
 大昔であればそれらを「神仏」だとか「妖怪」という呼び方で捉え、近代では「自然の摂理」を科学で上回る事を良しとする。いずれにせよ共通するのは、世界の理不尽とは理由もなく訪れる、という事実だろう。
 だが、理由はなくても原因はある。
 その原因はただ不運だったという事もあれば、人間の驕りが生み出した後始末であったりもする・・・・・・何にせよ、選べないからこその理不尽だ。 それが私なら尚更だろう。
 まさに骨折り損のくたびれ儲けだ。何故そんな良く知らない連中の後始末が私に回ってくるのかというと、何度も言うが、悪とは世界の不始末を押し付けられるから悪と呼ばれるのだ。
 私は最悪だ。人類社会において私以上の悪など概念からして存在し得ない。人間の感性を持たず人間社会に紛れ込み、人間の作り出す価値を愛で人間そのものをゴミとして扱い、それでいて人間の幸福の基準を真似て人間を踏み台にして人間の幸福を志そうとする。
 まさに「最悪」だ。
 生物としての在り方すら捨てている。生物ではなく装置と言えなくもない。人類社会に発生するバグであり、失敗作の人間が自我を持ち反乱するならそれが私になるだろう。仮に神仏が創造主として人間を作るので有れば、それに致命的な失敗をしてしまったからこそ、私の様な例外がいる。 何であれ失敗はあるものだ。
 無論、私は別に、失敗作だからどうという事はない。むしろ心など入れなくて良かったと思う。実際、心なんぞ入れているからこそ人間はロクな事をしないではないか、などと。そんな発想しか持てないからこそ、それこそ仮に心を入れた所でその心そのものを無視し悪逆を働くのが私なのだろう。
 そういう意味では、やはりどうでもいい事だ。 何が有ろうと変わらない。肉体に心が欠損したところで、やる事は同じだ。その精神性と呼べるのか疑問な在り方こそ、人間ではないのだろう。 心の有無が肉体に起因するとして、私の場合はその前段階から違っている。恐らく、連中と私は来る前が違うのだ。
 天国だの地獄だのという概念があるとして人間であればその「魂の製造所」とでも言うべき所で作られるか、あるいは流転する魂の中で、新しい生を謳歌するのだろう。私の場合はきっと、連中とは根本から違う場所から来ているのは確かだ。 何もない所に発生する、いや違うか。要するに社会的な不備、神仏の驕り、人間の後始末という行動の結果として、自然発生せざるを得ない悪が私なのだろう。根底が邪悪である癖に必要悪でもあるとは、我ながら大層な話だ。
 金にならないからどうでもいいがな。
 そんな風に嘆く事も喜ぶ事もしないからこそ、最悪なのだろう。そう思う。思うだけで治そうとする訳ではないので、それもどうでもいいが。
 ともあれ、貴様等が生み出す必要悪について、誰よりも詳しく語れる事は保証しよう。貴様等が見たくもない事実を、泣き叫びながら断る貴様等に押し付ける事をここに誓おう。世界に作家は数あれど、私ほど悪の最奥にいる奴は他にいない。 読者を苦しめる事、悪意を刻み善意も正義も、何一つ希望という妄言を信じる為の麻薬の全てを否定する事を宣誓しようではないか。
 さあ、始まりだ。
 席を立つな、財布は忘れろ、途中退場お断りだ・・・・・・不満が幾らあろうが金だけは置いて行け。 貴様等の金を以て、物語を語ってやろう。
 無論、作品の出来はどうでもいい。問題なのは悪意を刻み込めるか否かだ。散々な目に遭うのは貴様等であって私ではない。
 読者の苦痛は作者の喜び。
 作者の苦悩は読者の喜びだ。
 であれば、反比例するその在り方に従って作者が読者から搾取するのは、最早自然の摂理と言えなくもない。貴様等は呼吸をするのに疑問を持つのか? 持たない。私も同じだ。なのでこれは、正当なる行動だと宣言しよう。
 何せ建前さえあれば幾らでも正当に出来る。
 そして、肝要なのは正当であると押し通せれば殺戮も奴隷も偽善も全てが許容されるという事実なのだ。はっきり言おう。貴様等ばかり美味しい汁は吸わせない。非難囂々の貴様等読者の無様を以て、作者の喜びがあると思え。作家など、物語など元よりそういうものだ。
 可能な限り苦しむがいい。
 私は全霊の悪意を以て挑むとしよう。やれやれ参った。気がつけばこれだ。我が事ながら物語に邁進するのは性分らしい。 
 幕は引きちぎり賠償は次に使う奴にでも払わせておけ。嘘八百の物語による、貴様等読者の死刑執行が始まるぞ。
 なんて、全て嘘かもしれないがな。
 
 
 
 
 
    1
 
 

 
 手繰るべき縁など無いし、帰る場所など有り得ない。 
 向かう場所も帰る場所も存在しない。それが私の在り方だ。いや、だからこそ私は「邪道作家」なのだろう。人間であれば、怪物でさえも本来はあってあたりまえのモノを最初から持たず、またそれを「悪」だと認めた上で肯定する性格など、生命の在り方に反している。
 人間ではない。
 怪物でもない。
 それこそ、化け物だ。
 割に合わない話だ。何度も言うが、物語の中であれば、何かしら能力とか環境とか恵まれている何かがあって然るべき役割だ。怪物は人間世界で馴染めないと泣き言を抜かす一方で、そもそもが規格から違う優秀な能力にかまけ、本質的な部分で相手と向き合いもしないものだ。その癖、怪物だから嫌われると泣きべそをかいているだけで、連中は許される。
 ならば化け物にも何かしら、それに見合う優秀さがあっても良いではないか。ああいう楽な人生には憧れる。そもそも人間に嫌われたから、何だというのか・・・・・・大勢に指を指される否定される事こそ怪物の証だとすれば、私は生まれた時から怪物認定を受けているぞ。
 無論、連中のような優秀さは欠片もないが。
 大体、裏切りなど覚える必要はあるまい。私は一日と言わず次の瞬間には忘れているぞ。利益の為に他者を裏切るなど当たり前の事だ。
 誰にも裏切られたくない、などと。ならば他者を引き付ける思想を以て従えるか、あるいは他者の信条を認め互いに信頼を深めるしかない。
 それをせずに、叫ぶのだ。
 人間はすぐに裏切る、と。
 何とも図々しい。そんな台詞は一方的に相手を利用しているからこそ出る言葉だ。本当に信頼を置くので有れば、裏切りさえ信頼に含まれる。
 信じたから信じろ、というのはただの脅迫だ。 そんな事もわからない。
 忌々しい事に、そんな事もわからない連中が、私とは違い優秀な能力で「楽」をする。その横で要らぬ労力を山と費やし、しかし実利を掴めずに歯噛みするのが私だ。不条理ここに極まれりと、そう評する他ないだろう。
 その怪物が、標的になる可能性があるらしい。 依頼主のあの女も怪物みたいな立ち位置の筈だ・・・・・・散々人間は云々と最近の若者に対して文句を言う老人の様な評価を繰り返す癖に、どうやら身内同士で中を取り持つ事も出来ないらしい。
 やれやれだ。一体何をしたいのか。
 仕事でないのは確かだろう。少なくとも、仕事で充足を得るという在り方を確率してさえいれば人間がどうなろうと怪物がどうなろうと、当人の歩む道とは何の関係もない。仕事が全てであり、仕事の為に突き進むからだ。
 前にも言ったが、強い事と役割の有無は、また別の話なのだ。神仏は有能らしいが、私に言わせればただの無職でしかない。優れた能力を持ち、その能力で世界を変えられるとしても、それは、能力が優れているのであって、生まれを誇る様なものだ。
 生憎だが、貴様等とは何の関係もない話だ。  必要なのは果たすべき意志とそれを生かす環境だが、なまじ全てが最初から揃っているのも考えものということだろう。全能に等しい神仏の話は良く聞くが、連中に出来るのは精々痴話喧嘩程度であって、世界を根底から覆そうとした全能者の話など聞いた試しがない。
 皮肉な事に、無能だからこそ挑むのだ。有能で有ればそも世界を変える必要性がない。別に何も変えなくとも満たされている。そういう連中には世界が「平和」だとか「善良」に見えるのだろう・・・・・・都合の良い部分だけを味わう卑小な存在に世界の理不尽は感知出来まい。
 連中にとってそれは「存在しない」のだ。
 それを押し付けられるのは、いい迷惑だが。
 私は「運命」を「克服」した。下らない駄作を書いている時に偶然思いついた方法ではあったが私はそれを、「作家を志す」という方法論で実行していたのだ。何も成し得ぬまま終わる、どこにでもいて幾らでも替わりの効く存在であった私は「生きたまま生まれ変わる」ことで、その運命を克服できた。
 だが、その先に実利が、望む景色があるかどうかは別の話だ。全く、ままならない。俗人が言うような物語とは違って、運命など、幾らでもどうにでもなるものだ。正直、変えたところで賞賛に値しない。
 その程度、出来て当然だ。
 文字通り、誰にでも出来るのだから。
 やろうと思えば、だが。
 しかし、売れてもいないのに物語を書き続けるなど、恐らくは人類史史上ここまで書き続けた奴は私が初ではないだろうか。意味もなく人類初の偉業だ。偉業かどうかなど金額で計れない偉業に力が宿る事はないので、至極どうでもいい事ではあるが、これから会う依頼人は、そういう在り方と真逆に位置する女らしい。
 まあ、当たり前だ。
 彼女は魔性の存在なのだから。

   2
 
 
 

 科学技術が発展し、銀河の果てまで人類がカビの様に増えたところで、かつての神秘が消え去る訳ではないらしい。 
 あの女もそうだが、科学で解明できない妖怪のような存在が確かにある。まあ私からすれば人間と同じだ。同じ鋳型で生きていて、特別な能力があるだけで、何一つ人間と変わらない。当人達は優越感でも欲しいのか「自分は人間などとは違うのだ」と思い込みたがるが、同じだ。
 そもそも連中が思う様な特別感など、実際にはロクなものではない。私もある種「心がない」という在り方の為に色々苦労した。まず「笑顔」が何なのかからして共感できない。無駄に笑う練習をする労力がある割には、怪物を自称する奴等のように何か人生を楽できる優秀さがある訳ですらない。ただひたすらに無駄な労力があるだけだ。 喜びも悲しみも共感しない。
 それで何を得したのかと言えば、いや、人間がというより心ある連中全般に言える事だが、感情で失敗をして栄誉や栄光を台無しにする無様だけは有り得ないだろう。まあ、そもそもその栄光や栄誉と無縁だからこそ労力を費やしているので、現状一円にもならない特性ではあるが、それでも一応得はしている、いや得をする余地はある。
 余地だけでは腹が膨れないがな。
 いずれにしろ怪物を自称する連中というのは、要するに特別な能力や環境のおかげで少し失敗をすると被害者ぶる事が非常に多い。やっている事は金持ちに売まれた奴が「金目当ての奴しか周りにいない」と叫ぶのと同じ事だ。金以外に特徴が無いからこそ金目当ての奴しか集まらないのだ。人間だろうが怪物だろうが、その他大勢を扇動し戦争を起こすのに生まれは関係あるまい。
 要はカリスマがあればいいのだ。
 他者を魅了する、あるいは他者を圧倒する人格があれば生まれや育ちなど些細な事だ。なまじ、生まれついて優秀であるが故に、怪物を自称する連中はすぐに泣き言を口にして「人間とは違う」とその能力で人間を弾圧してちっぽけな優越感を抱き、結果何一つ変えようとすらしない。
 嘆かわしい話だ。
 少しは働いたらどうなのか。
 仕事とは、その当人の役割だ。誰にでも出来る事を作業の様に繰り返したところで、誰が責任を取ってくれる訳でもない。最後の最後に後悔するだけだ。何も成し遂げず何も挑まない生涯を良しと出来るのであれば、それこそ仕事をしていない・・・・・・他にやる事はないのか。
 私の何がわかると叫ぶ前に、相手に否が応でも実感させる思想を持たなければ。理解して欲しいなどと言っているから何も変えられないのだ。
 私はそれらを目の前の依頼人の女に話した。
 無論、怪物にまつわる持論全てである。
 当然ながら、機嫌を損ねているようだった。
「・・・・・・不愉快ですね」
 我々はとある惑星にある温泉街に来ていた。
 その中にある茶屋の店の外にある椅子に座り
団子が乗せられた皿を平らげつつ私は先程の持論を今回の依頼人の女と話している。
「そりゃよかった」
「は?」
「間違えた・・・・・・貴様の繊細な気持ちを傷つけて悪かったな、謝るよ、ごめんな」
 どこかのブランドなのか、とにかく紫色と朱色の派手派手しい服装をしており、安物の雑誌とかで乗っていそうな「出来る女像」をそのまま現実に引き出したみたいな見た目をする女だ。
 彼女の名前はエリーゼと名乗っているのだが、当然ながら偽名だろう。人類史のいつ頃から生きているのかもあやふやな連中に、そんな近代的な名前がついているとは思えない。もしかすると、紀元前から生きていたりしてな。
 長い時間働いてないってだけではあるが。
 所謂その「モデル体型」というやつだ。そこにいるだけで様になる。以前会った時は金髪だったのだが、今回は紫に染めているらしい。
 長い髪をわざわざ染め直したのだろうか。
 暇な女だ。いや、この場合自分を良く見せる為の努力を惜しまないと評するべきか。とはいえ、依頼の話をする為にと人気のない茶屋にまで足を運んでいるので、見る奴は私しかいないが。嫌いな相手でも、いやだからこそ舐められまいと努力するのだろう。
 その前に、スカスカの中身をどうにかした方が良いとは思うが、話が進まなくなるので後で指摘してやるとしよう。
「・・・・・・別に、この依頼を貴方にしなくても私は良いのですよ?」
 それは都合が良い。邪道作家はさして冒険などせず平穏に終わりました、めでたしめでたし。
 それはそれで有りだ。
 大体、最近の映画は「壮大な設定があればそれでいいや」という安易な物語が大過ぎる。物語の中にある肩書きが大きいかどうかは物語の出来と関係ない。別に四畳半の中で物語が完結しようが要するに伝える何かがあればいいのだ。
 なので私はこう言った。
「そりゃ有り難いな。こちらとしても別に、依頼を受けなければならない理由はないし、何より、貴様が私の為に苦労して別口を探してくれるのであれば、こちらとしては感謝の極みだ。さっきの話で機嫌を損ねているのかと思ったが、なるほどこれがツンデレというやつか」
「誰がですか! まったく、口だけは回る男とか最悪ですね!」
「いやぁ、そう誉めるな。その口先だけの男に、良いように丸め込まれた奴ほど無様でもない」
「・・・・・・・・・・・・」
「これだから人間は、ってな顔をしているが何か嫌な事でもあったのか? 相談なら乗るぞ」
「結構です。さっさと仕事の話に入りますよ」
「そうか、では先程の話の要点だけ話してやる」「今仕事の話をするって言いましたよね! なにをしれっと話を続けてるんですか」
 無視して私は話を続ける。
「あれだよ、「人間に裏切られたぁ」などと貴様は泣きべそかきながらほざいている訳だが」
「かいてません! それに、人間が裏切るなんて当然でしょう? 貴方達に「信頼」なんて大層な所行が実現できるとは思えませんわ」
「それが、既に間違いだ。そもそも信頼とは相手の裏切りをも含むもの。お前達は相手を信頼などしておらず、単に、都合の良い関係を望んでいるだけで、信頼していないのだから裏切りもない」「・・・・・・そうだとして、何か問題が?」
「あるさ。まず裏切られたからと泣きべそをかくのが、既に間違いだ」
 何度も繰り返しわざと言っているので、彼女はすこぶる機嫌が悪いようだ。まあ、そう仕向けたのは私だが。
「いいか、良く聞け・・・・・・その他大勢が否定するということは、だ。むしろ、「今歩いている道が正しい」という事の証左ではないか」
「・・・・・・・・・・・・はあ?」
「その他大勢の凡俗共に指を指されて迫害されたのであれば、そこは喜ぶ所だろう。「やったぞ、これでこの道筋が正しい事が証明された!」と、歓喜に沸かなければ嘘ではないか。正義か悪かはどうでもいいが、そこに実利があるのは確かだ」 いや、実利はあるかわからないが、少なくとも実利を得る為の手段としては間違えていないのは確かな事実だ。
 だからこそ、そこは喜ばねば嘘だ。
「石を投げられ迫害され、あまつさえ殺されそうになったのであれば、尚更だろう。素晴らしい、これで明日からはもっと頑張れるぞと、迫害した人間共に感謝してやっても良いくらいだ。無論、金は払わないが・・・・・・しかし事実だろう」
 見れば、美しいらしい(やはりまるで美意識に共感できないので、そう理解しているだけだが)顔を大きく歪め、大口を開けた馬鹿面のまま彼女は唖然としている。たかがこの程度も理解が追いつかないらしい。
 それこそ当たり前の事ではないか。
「知りませんよそんな当たり前! 大体、何です・・・・・・大勢が批判すれば正しい道筋になるなんてどういう理屈ですか」
「そのままの意味だ。言っては何だがとかく叫ぶだけの凡俗共が、正しい道筋を歩いている姿なぞ貴様は見た事があるのか?」
「それは・・・・・・」
「だからこそ、だ。そいつらが批判するという事はだ。連中と真逆の道を歩いているこちらは真逆なのだから正しい道筋を歩いている事になる」
 簡単な理屈だろう、と私は促した。
 どうやら彼女は頭が悪いらしく、中々飲み込めないらしい。
「何ですか、その有り得ない前向き姿勢。正直、ドン引きです」
「そう誉めるな」
「誉めてません!」
 どうやら私は魔性の女属性(笑)に対して特攻が入るらしい。これは貴重な体験だ。精々作品に活かすとしよう。
「はあ・・・・・・もしかして私を慰めてくれてます?・・・・・・それこそ余計なお世話です。人間に慮られる覚えはありません。私は、私の信条で、人間が嫌いです。それを鞍替えするつもりは有りませんので、人間にデレるとか有り得ませんよ?」
「成る程。端から見ていると所謂そのツンデレ、という奴にしか見えないが、貴様たっての願いであれば、「そういう事」にしてやろう」
「・・・・・・・・・・・・」
 おお、笑顔で怒っている。素晴らしい。これで笑顔で怒る女の作品が書けるぞ。
 何なら感謝してやってもいいくらいだ。
「そう見つめるな。照れくさいじゃないか」
「あ・り・ま・せ・ん! なんで私がこんな目に遭わないといけないのかしら。全く、慰謝料取るだけでは割に合いませんわ」
「はは、ザマァ」
 おっと声に出してしまった。まあ、どちらでも構わないか。魔性の女を気取っている奴が、顔面を歪めて苦しむ様は良い目の保養になる。
 見ていて実に飽きない。
 面白くて仕方ない。
 だがのれんにだめ押しだと悟ったのか、途中で肩の力を抜き「もういいです」とだけ言って彼女は今度こそ仕事の話を始める。
「今回の依頼ですが」
「何だ」
 邪悪に頬を歪めて、人間が苦しむ様は最高だと態度で公言しながら彼女はこう続けた。
「大量虐殺、いってみます?」

 

   2

 人生はプラスマイナスゼロだと人は言う。
 まあ実際、人生など最終的には塵すら残らぬのだからある意味そうなのだろう。この場合生まれついての勝利者でも苦労はしたとか表面的豊かな暮らしでも金持ちなりの悩みはあるだとか、要は幸運に恵まれた奴の言い訳でしかない。
 自分だって頑張っている、と。
 そも労力とは楽をする為に費やすものなので、その過程を誇るという事は「報われない労力」を一度も費やした事がないか、単に既に満たされているから成果を必要としないかだろう。本来は、過程などどうでもいい些末事だ。
 今を必死に行動する者からすれば、その過程にある倫理的正しさとか道徳的な基準だのは余裕がある奴がほざく綺麗事に過ぎない。
 必死になる必要すらないくらいに恵まれているからこそ、そういった倫理だの道徳だのに拘り、それを他者に押し付ける傲慢がそこに出る。
 いや、傲慢が何か理解する知能すらないだろう・・・・・・あるとは思えない。そんな知能があるなら既に恥のあまり自害している筈だ。
 とはいえ、そんな、ともすれば目先の事すらも見えていないようなゴミ屑でも「幸運」に恵まれてさえいれば文字通り何でも出来る。この世界で何かを実現するのに必要なのは「意志」などでは断じてない。まさか、だろう。個人の意志や行動で何かが変えられるのであれば、私はとうの昔に変えている。
 少し世を見渡せばわかる話だ。
 頭の足りない屑であればある程、どころか何も己の意志で成そうと行動すらしなければしない程世界の勝利者足り得るものだ。
 努力の成果だとか、信念の結果だとか。
 それら情けない「言い訳」を繰り返し、まるで世界は変えられるものであり、意志の力で何とかなるかのように思い込みたがる。そうでなくては連中が単に恵まれただけ、幸運に愛されただけで何一つ当人の存在意義がない事がバレてしまう。 だから、誤魔化し続ける。
 死ぬ前になって悟る奴も昔はいたのだろうが、近代ではそれも無いだろう。エリーゼはわかっているのだろうか? 世界各地に散らばる神話など要するに旧人類の話でしかない。同じ雛形として生まれ、今より優れた能力を持ちうるだけだ。
 ただの、それだけだ。
 その結果ロクな参上を生まなかったからなのかは知らないが、考えてみればそんな、過ぎた力を誰も彼もが持てば世界を維持出来る筈もない。
 だからこそ乱数に任せて能力を集中させている訳だ。そして、幸運に愛された奴が、意のままに世界を動かしていく。言ってしまえば特別な力を持たせずに、かつての神仏が振るうような権能を疑似的に持たせている。だから神仏と同じく知能の足りない愚か者こそ世界を牛耳る訳だ。
 全く、我ながら無駄な労力を費やしている。
 なにせそこまで理解しているのに、何かを変えようとしているのだ。
 これが徒労でなくて何が徒労か。
 変えられなければ生き詰まり続けるだけだからそう追いやられての行動でもある。とはいえ無理な事は無理だ・・・・・・どうしたものか。
 元より「生きている」とは言えない身だ。実利を得られないまま在り方を貫き通すというのは、生きているとは呼べまい。
 死んでいる。
 死に続けていると言って、差し支えない。
 いや、そもそも共感する機能がない以上、私はどうしたところで生きられない身だ。まあそれはいい、どうでも。生きるか死ぬかは些細な問題だ・・・・・・問題は、そこに金があるかだろう。 
 ただ金を手にするだけでは駄目だ。仕事を金に換えなければ自己満足の幸福すら肯定出来ない。己の在り方を形にする為に、金は必要だ。
 だから、金だけがあればそれでいい。
 物語の善し悪しなど読者の気分で決まるのだ。作者が何を書こうが表紙に有名人の顔でも貼っておけば売れるが「物語」だしな。
 有名人を脅迫でもした方が早いか?
 考えておこう。
 正直、その方がまだ現実味がある。
 案外、私があまりにも品行方正なせいで未だに物語を金に換えられないだけで、その辺の有名人に脅迫でもすれば、あっさり実利を掴み勝利者となれるのかもしれない。当人の意志や行動など、文字通り何の役にも立たない事実は嫌というほど知っている。 
 はっきり言おう。「幸運」がなければ、ただの無駄でしかない。私が言うんだ間違いない。
 夢も希望もあるものか。
 幸運だけが文字通り「全て」だ
 それは確かな「事実」だろう。まあどれだけのお守りを買ったところで、何の御利益もないのも既に実証済みだ。何かを変えよう、と行動するのではなく、空から幸運が降ってくるのをひたすら待ち続け、運が悪ければそのまま死ぬのが最適の行動なのだろう。
 あれこれ動けば必ず徒労が増えるからな。 
 そしてあれこれ動かし続け足掻き続けるのも、また悪党という存在だ。こればかりは生まれつきの怪物程度にはわかるまい。
 無駄に優秀で、被害者ぶる怪物程度にはな。
 大体、人間に混じれないから何だというのか。環境を汚染し大して改めもせず、あらゆる害悪をまき散らし続ける史上最大の邪悪。生まれついての悪が私であれば、連中の中にはこの世全ての悪が詰まっている。
 人間に混じれる時点で生物失格だ。
 別に満点が欲しい訳ではない私からすれば善悪など所詮見栄えの問題だ。小綺麗に飾りたて何の面白味もない奴を「善」と呼び、間違いだらけの癖に鬱陶しい程前向きで反省はするが決して後悔などしない連中を「悪」と呼ぶ。
 つまり悪の方が上等だ。
 人間に否定された?
 人間に迫害された?
 人間に蔑視された?
 
 素晴らしい! 
 
 最高ではないか。この「道」は何よりも正しい・・・・・・いや、凡俗のカス共では辿り着けない景色に向かえる片道切符の確約だ。何度でも言おう。それは、むしろ喜ぶべき事なのだ。怪物共の失策があるとすれば、それだ。
 何故、被害者ぶるのか。
 特別な能力があり、生まれついて持つ側でありどうとでも世界を変えられる存在の癖に、何故か人間に正体を見破られた程度ですぐに諦め泣き言をほざく。馬鹿め。
 それで駄目なら、私は何回死んでいるのだ。
 いや、まあ、既に死に続けている様なものだが・・・・・・話の腰が折れる。
 とりあえず、正体が露見したならまたやり直せば良いだけだ。人間が掌を返し好意を敵意に変換するのであれば、むしろ好都合だろう。
 何度でも探せばいい。
 所詮愛も恋も当人の内面にしか存在しないものなのだから、それこそ、自己満足だと言えなくもない筈だ。いや、別に言えなくても良い。
 そもそも恋であれば破れて当然の結末であり、破れない恋など悪夢そのものだ。言ってしまえば恋など理想を思い相手にそれを押し付けるだけの妄想に等しい。憧れ、というやつだ。自分に無い何かを相手に期待し、破れる事で前に進む。
 古今東西怪物の話は人間に振られただけで世界の終わりみたいに思い込む奴の話ばかりだ。何故適当に次を探さないのか。誰であれ、いや私には永久に関係ない話なので、怪物や人間はともかく化け物以外であれば誰であれ経験する些末事だ。 通り過ぎれば思い出にしかならない話だ。
 相手を愛しているというのであれば、尚更の事だろう。まして悲しむ権利などない。結果だけを見れば相手さえ報われれば勝利だというのが愛という概念であり、己がどうなろうとその勝敗には何の関係性もない。
 いずれにしろたかが一度二度三度、まあ何回であろうと同じ事だが、裏切りが数万回か数億回かあっただけで泣き言をほざけるなど羨ましい話ではある。人が裏切るなど、当たり前の事ではないか・・・・・・・・・・・・それこそ些末事だ。
 悪党が一体どれだけ、個人にも作戦の正否にも裏切りを検討していると思っているのだ。裏切りなどスパイスみたいなものだ。私の場合、かなりかけすぎって気もするが、最終的に栄養さえ取れればそれでよかろう。
 呼吸をいちいち気にする奴がいるか? 
 いない。怪物の悩みなど、所詮その程度という事だ。そんな事より金を数えろ。その金で世界に傷を抉り込め! 過程で何人死ぬかどれだけ犠牲になるかはどうでもいい。まだ見ぬ景色を見る為だけに、我々は存在している。
 無論、それを仕事にした上でやるのだ。 
 遊びでは、どうしたところで駄目だろう。
 金を儲けるだけではままごとと同じだ。それを生き甲斐とするだけでは趣味人でしかない。
 仕事、としてやり遂げろ。
 他に替えの効かない役割を示し、世界を覆せ。その為の目論見を堂々と語り、誰も信じぬ虚言を真実の上に塗り替えろ。
 それでこそ、やりがいがあるというものだ。
 まあ、金にならなければこの様だがな!
 まったく、忌々しい話だ。
 
 目を背ける事が、出来なかったのだ。
 
 だから、私はこうして、無様にも足掻き続けている。足掻いているだけなら魚でも出来るって話ではあるのだが、「幸運」だとか「運命」だとかそういう「勝てる筈のない何か」に態度だけでも大きく張り、分不相応に構え続けるからこそ悪の華が咲くというものだ。 
 華が咲くだけは食っていけないので、現実問題何の価値もない回り道ではある。正直現実に実利を掴めない全てには、何の意味も、価値もない。 ただのゴミだ。
 とはいえ私に出来る事など限られている。ゴミでも使えるなら使うしかない。消去方だ。個人の意志や行動など、何の実利にも繋がらない。結局当人とは何の関係もない何かで定められるが勝利というものだからだ。
 それこそ物語じゃあるまいし、正しい意志だの行動だのそもそもどうやって定めるというのか。正しい、正しくないは言い分を押し通せる暴力があるかで決まり、正しく在ろうとするという事は当人の自己満足に過ぎない。
 正しいかどうかなど、どうでもいい些末事だ。 何もかもが間違いであり、この世全ては悪だ。世界の表側には悪しか在らず、世界の裏側にも悪しかいない。正義と名乗る悪があり、善を気取る悪がある。被害者などおらず、加害者同士の戦争だけが真実だ。
 こんな言葉を並べ立てられたから何だって気がしなくもないが、恐らくは人類史史上、いや宇宙の始まりから終わりまで探しても私以上に無駄足を繰り返した奴などいまい。何せ最初から心などという機構が外れている以上、何を得ようが全てが徒労だ。
 それを実感する術がないのだからな。
 まあいい、どうでも。問題はそう、金だ。
 金、金、金だ。
 それだけが、肝要なのだ。
 それこそ物語であれば「人間に混じれない」と泣き言を抜かす怪物や、「人間はすぐ裏切る」と鼻水を垂らす愚か者や、「人間と結ばれたい」と望む癖に労力を払わない暇人共と違って、私にはそういう寄り道など有り得ない。
 そう望む心など存在しない。
 そもそも必要が無いのだ。
 であれば、どんな手を使ってでも、まあ使って無様に散り続けてはいるが、とにかく目的だけは果たさせて貰う。私の意志や行動で変えられない以上、これも正直無駄な考えではあるが、しかし今更考えを変えられる程楽な道程は億っていない・・・・・・長い道だった。
 長さ短さなど何の意味も無いが、賭けた労力が多いのも事実だ。とはいえ、何度も言うが個人の意志や行動で変えられる程甘くもない。
 協力者が得られる程、恵まれてもいない。
 どうしたものか。
 いっそ怪物連中のように、優れた能力を生まれながらに持っているが故に生きる為の労力を一切支払わず、その癖信頼の意味すら知らない馬鹿の癖に「人間に裏切られた!」と叫んでさえいれば悲劇のヒロインを気取れるという至極簡単な人生を送れれば、こちらとしても楽だったのだが。
 たかだか百回か二百回程度裏切られれば泣き言をほざいているだけで良いというのだから、楽で羨ましい限りだ。生憎こちらにそんな余裕はない・・・・・・裏切りも失敗も敗北も、呼吸に等しい行いでしかない。
 それこそ、どうでもいい。
 いや、別に良くは無いが、それよりも実利こそが大切だ。横道にそれて暇を持て余していられる程、私は恵まれていない。
 金、金、金だ。
 人間、いや生物の輪に無いというのであれば、尚更生物的幸福など他人事でしかない。人間でも怪物でも同じ事だ。私には何の関係も無い。
 だが、金だけは生活に関係が、ある。
 考えて答えが出るなら苦労はしない気もするが思考放棄する様な手抜きも出来ない。これは性分という奴だろう。心無い化け物に性分とは笑い話ではあるが、しかし考えてみれば人間、いや怪物もそうだが「心ある在り方」を学習し、模倣し、生物の有り様に擬態する事に血道を上げてきたのが「私」であり「邪道作家」なのだから、それも当たり前と言えば当たり前だ。
 不真面目ではあるが、手抜きは出来ない。
 我ながら、無駄な事をするものだ。
 手抜きをしても勝利すべくして勝利する奴は、確かにいるものだ。最近の物語ではそういう現実から目を逸らす為か、主人公に自分を投影出来る様に物語を組み立て、それでいて勝利出来るから勝利するというその主人公が勝利し栄光を掴む為だけの世界を語り、理不尽に向かい打破する事を志すのではなく、理不尽を直視せず理不尽の無い世界を夢見て耽溺する事が多い。
 私が言うのも何だが、当人の意志や行動と関係なく勝敗が決まるのであれば、最初から最後まで見ないままいた方が無駄な労力を賭けずに済む、という訳だ。手を抜けず労力を費やし続けている私からすれば、そんな手抜きを許容した挙げ句、手抜きをしても恵まれているから金には困らないというのだから、忌々しい限りだ。
 そんな物語の方が、売れるしな。
 しかし、そんな事をするなら麻薬栽培でもした方が早いのではないだろうか? そう上手く幸運に恵まれているならそれでも良いだろうが、手を抜いて物語なんぞを売るくらいなら最初から他の方法を探した方がどう考えても早い。
 恵まれ過ぎて作家を志すとは、何とも倒錯した連中だ。作家という肩書きに何を期待しているのだろう・・・・・・破綻しているからなる職業だというのに。いや、職業というより生物の輪から外れているからこそ偶々そう呼ばれるだけの存在だ。
 言わば絶滅危惧種と呼べなくもない。いや呼べないか。何せ、危惧する奴がいないからな!
「簡潔に言いますと、貴方には後始末を頼みたいのです」
 我々は高級レストランの中にいた。無論、私の趣味ではない。用件だけ聞ければ正直それでいいのが私だ。まあ、作品のネタにはなるのだから、こういう余分も良いかもしれない。何であれ余力を残したまま行動するべきだ。
 生まれてこの方そんな物はなかったが、されど余裕があるかのように振る舞う事には意味がある・・・・・・虚勢ではあるが、それも大切だ。
 特にこういう能力に恵まれた連中には効果覿面だと言って良い。なまじ、優秀である事が当然であるが故の弊害だろう。相手が弱く、虚勢を張る様な相手であればついつい「様子を見る」という行動を取ってしまう。
 だから負けるのだろう。
 古今東西怪物属性の奴が勝利した話は聞かない・・・・・・優秀な分少し裏切られたり失敗するとすぐ諦めるのが怪物だ。理不尽を浴びるように味わう道を歩いてきた私からすれば、勝利を目指さずに実利を求めるなど遊び人の発想だ。
 少なくとも、怪物が「仕事」をしたという逸話など、世界のどこにもあるまい。
 そんな私の態度が伝わったらしい。
 エリーゼは女特有、いや商人特有の笑顔を満面に浮かべながらこちらに向き合って、
「先程お話したように、貴方には人間の後始末、弱者から搾取する為政者のように大量虐殺をして欲しいのです」
 理不尽を知らず一度二度の理不尽で全て知ったと勘違いする怪物連中によくある話だが、連中は人間の悪性、その不条理の刃を向けられた過去に憎しみだの嘆きだのという感傷を持ち込む連中にすれば、それら「理不尽の刃」とでも言うべき物が「人間自身」に向けられる様は、見ていて痛快なのだろう。
 実に、分かり易い。
 だから負けるのだろうが。
 そもそも私に善悪を説くのが間違いだ。
 人間に、いや心ある全てに共感しない私には、心ある存在の価値観など、ペンギンに空飛ぶ鳥の感覚を実感しろ、と強制するに等しい。
 違うのだ。
 よくある物語のように、「色々あったが最終的には心を手に入れ、内側に熱い血が流れている事を知ったのでした。めでたしめでたし」といった結末には成り得ない。そも、もしそれが成れば、それは私ではない別の「何か」だ。
 そしてそれすら有り得ない。
 泣き、笑い、喜び、悲しみ、義憤し、肩に力を入れて生きている・・・・・・かのように振る舞うだけで、実際に何かを感じ取っている訳ではない。
 感じ取るという概念が無いのだ。
 物語であればそれこそ「その己の有り様に悩み葛藤する」というのも有りだろうが、生憎私にはその悩みすらない。
 どうでもいい、と思っている。
 気にしようとすら、しない。
 だからこその「最悪」だ。別に人間社会でなくとも、連中の維持する怪物社会だとしても、私はどうしようもなく「異物」なのだ。理由は簡単でそこに心がある以上、共感し通じ合う機能を持たない癖に持つ奴の真似をして社会に溶け込み心を偽装し、あまつさえ共感しない癖に心を深く理解して、生物の有り様に真っ向から反しながらも、真っ当でないと知られる事もなく牙を剥く。
 しかも、優先するのは実利のみ。
 事情があったから悪行を行うという半端な悪党は多いが、この場合「深く理解した」その上で、「ゴミのように踏みにじる」のだ。
 自分で言うのも何だが、まさに「最悪」だ。
 とはいえ、最近気付いた事だが恐らく必要悪という奴なのだろう。人間社会が、いや生物が群れを成す限り、そこに現れるバグのようなものだ。 どんなゲームでもバグはある。
 それが現実でも同じ事だ。普通バグは金になるものだが・・・・・・現実は非情だ。
 私に情など無いがな。 
「それは大変だな。ところで、前金の札束が見えないが、まさか素寒貧の癖に依頼しているのではないだろうな」
「まさか、ですわ。私が貧相な女に見えます?」「見えるな」
 即答した。
 確かに、見た目は派手派手しい。紫のブランドドレスに、鰐皮のバッグ、何よりこんな場所でも狼狽えず、当然のようにワインを飲んでいる。  しかし、貧相だ。
 何もかもが薄っぺらい。
 生まれついての優位性、その優位性で獲得した権威や暴力、誰も着いてきてはいないが力に従う従僕の群。どれもこれも、薄っぺらい。
「・・・・・・面白い冗談ですわ」
「いや、別に冗談ではないぞ」
 鏡を見ろ、鏡を。
 言えば言う程、貧相だぞ。
「あら、では失礼しようかしら? 勿論その場合殿方が支払いを済ませてくれますよね?」
 言って、席を立つエリーゼ。
 なので私はこう答える事にした。
「そうだな、こちらとしても無辜の民草を虐げるような理不尽な依頼を受けなくて済む。そうか、貴様は私がそんな理不尽を受けない為に、自分が泥を被ってでも私の為に行動してくれているのか・・・・・・これは済まなかった。礼を言うぞ」
 先程までの優雅な振る舞いから一転、大きな音を立てて乱暴に椅子に座ると、
「私、貴方のその何でも己に都合良く解釈出来る性格が、大嫌いですわ」
 と、眉間に皺を寄せながら口にした。
「そう怒るなよ、禿げるぞ」 
「は、げません」
 大きな声を出そうとしたが、周囲の同様を察しやめたらしい。目立つのは嫌いな様だ。
「それで、依頼内容は何だ。さっさと言え」
「・・・・・・金属と生体の融合技術について、知識は有りますか?」
 まあないでしょうけど、という見下しの気持ちがありありと出ていたので、あまり拗ねられても面倒だし立ててやる事にした。
「知らないな。出来れば教えてくれ」
「あら、そうですか。ではこちらをご覧下さい」 言って、テーブルの上に電子チップを差し出しそこから立体映像を映し出す。稚拙な映像だが、分かり易くはあった。
「元々金属と生体との融合技術自体は大分前から完成していたのですが、近年生体と兵器の融合を旨とする技術革命がありました」
「兵器と人体の融合? 体の一部のように扱える兵器、という事か?」
「そうですね、ある意味ではその通りです」
 ある意味では、か。含みのある物言いだ。
「どういう事だ」
「そのまま、ですよ。生体と貴金属類を融合させ体の一部に兵器を取り込む技術です。言ってしまえば人体の爪や皮膚、髪といった生体部品の様に身体の延長線上の概念として取り付けます。生体と兵器を有機的に結合させ、自分の腕を動かす様に兵器を使える技術です」
「・・・・・・面白いな」
 非人道的だ、とか叫ぶのが正しいのだろうが、今回はその必要もない。ただでさえ乗り気でない時に「心ある存在の物真似」は疲れるしな。
「えぇー、どういうセンスしてるんですか?」
 引かれてしまった。
 疑問符の多い女だ。
「生体と兵器の融合か。ある種男の浪漫ではある・・・・・・それのどこが問題なんだ?」
 なので私も疑問符で返す事にしたのだが、彼女は不服そうに「男の浪漫って、今でも理解しかねます」と小声で呟いた。
「男の浪漫もわからない癖に、よく魔性の女など気取れるな。心ない私でも理解できるぞ。浪漫の一つも理解出来ないなんて、恥ずかしい奴だ」
「そ、そこまで言われる覚えはありませんけど。何です、浪漫ってそんなに大事なのかしら。まあいいですけど・・・・・・勿論、問題はあります」
 言って言葉を区切り、妖艶な微笑みというよりは、人間の無様さを見る事が楽しくて仕方ない、という笑みを浮かべて彼女は話を続けた。
「そりゃ問題ありありですよ。
 
 だって、人体に害がないかどうか、一度誰かで試してみなければわからないでしょう? 
 
 今回は、その哀れな犠牲者達の殺処分を依頼しに来たのです」
 よよよ、とわざとらしく泣き真似をするおまけつきだった。
 成る程。さてどうするか。
 問題は・・・・・・そう、つまらない事だ。大量虐殺を行っても、連中を助けてもありきたりで実に、つまらない展開だ。それは面白くない。
 面白くて悪意を読者に刻みつけ、かつこの女が泣きべそをかく展開が望ましい。無理なら無理で作品のネタだけは頂くとしよう。
「・・・・・・どうします? やはり無辜の民草を犠牲にするのは、貴方でも気が引け」
「受けよう!」
 最後まで言い切る前に、先んじて言い切った。「ええと、話聞いてましたか? 実験対にされた哀れな犠牲者達を皆殺しにしろっていう依頼なんですけど、なんで楽しそうなのかわかりません」「馬鹿め、楽しそうではないか。相反する主張、引き裂かれた運命、絶望的な状況。素晴らしい! こうも面白い展開を運んで来るとは、貴様もしかして幸せを呼ぶ青い鳥か! ならば、わざわざこの私の為にご苦労と労ってやろう」
「・・・・・・・・・・・・私、人間を嫌いなのは貴方みたいな異常者の責任の気がしてきました」
「まさか、だろう。私は人間かどうかはともかくありきたりの奴に過ぎないさ。ちょっとばかり、心に共感せず心を模倣して社会に溶け込んでいるだけの化け物に過ぎん。しかしだ。もし可能性を切り開く世界を作り上げるならば、貴様の言う所の「異常者」だけが生き残れる世界が望ましい」 全ての存在が異常者の世界。
 最高ではないか。飽きないぞ、きっと。
「ドン引きですよ! 何ですか異常者だけの世界って。長い間人間を見てきましたけど、ここまで都合良く前向きになれる馬鹿は初めてです」
「そう誉めるな、何も出さないぞ」
 ここの支払いも、依頼代金と請求するつもりだ・・・・・・金銭に関して男女不平等など有り得ない。 それこそ金に対する不敬だ。
「誉めてません。ああもう、大量虐殺という最高のスパイスが用意できたのに、何ですかこの展開は。けれど、どうするつもりです? 結局の所、依頼対象の哀れな被害者達を殺すか裏切ってでも依頼人を殺すか、いずれにせよバットエンド確定コースですが、本当にわかってます?」
「・・・・・・私に善悪を語るなよ。それにだ、貴様は何か勘違いしているようだが、生憎と私の職業は作家なのでな。作品のネタがあり、あとついでに貴様の嫌がる結末を突きつけて楽しめればそれでいい」
「最後、余計な物が入ってません?」
「余計ではないさ。その方が」
 面白いからな、と私は私の答えを突きつけるのだった。

    3

 物質に生命を与える技術。
 とまではいかないが、要するに分子を結合するだけでなく、その隙間に磁石同士の反発のような電子の稼働域を作り上げ、有機的に動かしているように見せる技術らしい。肉眼ではまるで有機的な生物の動きのように見える訳だ。
 要は、バイオエレクトロニクスの発展系だ。
 電子のみでは限界のある技術系統寿を発展させ先に進める為に作られたのがこの技術だと言える・・・・・・それを人間に装着するとはな。
 ある意味では、当たり前の発想ではある。
 例えどのような技術であれ、人間が使う事には変わりないし、その使う技術を自身の手で使おうとするのは「自身より優れた物を支配する」事で優越感を得られるからだ。人間は、怪物でさえも「優越感」には弱い。
 自身が「特別」である事に拘る。
 特別か否かより実利を得られるかの方が遙かに肝要なのだが、連中の場合その実利の部分を苦労せず手に入れているからそう思うのだろう。
 優秀さなど、金で買えばいい。
 その金があれば、だが。
 エリーゼに提示されたデータを見る限りでは、だが・・・・・・適当な実験体を見つけたのではなく、適合する人材をわざわざ買い占めたらしい。
 生まれ持っての素質、というやつだ。
 その結果機械人間になるのは喜ぶべきなのか、それとも悲しむべきなのかは知らないが、連中はその特別製を押し付けられたからこそ、今回反逆を行おうとしている。希少な最新兵器の数々が、圧制者本人に牙を剥いた訳だ。
「その依頼人は馬鹿なのか? 最新式の兵器技術を与えておいて、反乱を起こすと予想しなかったなんて、正直考えられないが」
「そこは、予想を上回った、という事です。当初ドローン部隊が鎮圧する予定でしたが、命令通り動くだけのドローンと違い、彼らは元生身の人間ですから、応用力が違ったんですよ。幾ら性能差があれど、背後から不意打ちでは勝負にならないですし」
 テーブルにはもう料理はなく、食後のコーヒーと紅茶が並べられている。私はノンカフェインのコーヒーにした。
 あれも麻薬みたいなものだからな。
 煙草や酒もそうだが、人間の善悪など合法的でさえあれば、奴隷労働も大量虐殺も麻薬売買すら許される。いや、許させる事が出来るからこそ、そういう法があるのだ。人間社会に法がある限りそこに善悪など存在しない。
 あるものか馬鹿馬鹿しい。
 生まれついての悪であるならともかく、生粋の悪などそれこそ稀だ。善など存在しないが、悪は存在する。しかし純度は別だ。
 自身を生まれついての悪だと、そう思いたがる怪物連中は非常に多い。この場合善悪以前に単純な魅力が足りず支持を得られないだけなのだが、そう考えた方が楽だからだろう。言っては何だが悪人が迫害を嘆くとでも思うのか? 
 そこで喜べないから半端者なのだ。
 私の場合、喜ぶより次の計画を立てる方が早い・・・・・・嘆いている暇などない。強いて言えば労力が無駄に終わる事は嘆いている。しかし、誰かに否定されたとか、誰かに信頼を裏切られたとか、あるいは悲劇に悲嘆にくれるとか、そんな暇などあるものか。
 どれだけ暇なのだ、貴様等は。
 遊んでばかりでなく仕事をしろ。人間を捨てている作家などに言われてはお終いだぞ。
「ふん、いつの世も最大の殺戮兵器は人間だと、そういう事か」
「ええ、人間ほど愚かで、殺戮を好む原始生物は他にいないでしょうね」
 楽しそうに、彼女は口にする。
 人間を下に見る事で己の優位性を確かめているようだ。そういうところが小物なのだが、しかし指摘はするまい。
 話が進まないからな。
 とはいえ、右を向けと言われれば左を向き後ろに下がれと言われれば前に進み、やるなと言われれば全力で断行するのも私だった。
「いいじゃないか、原始生物。単純であればあるほど成長の余地があるという事だ。素晴らしい。殺戮本能だけでここまで文化を育んで来たのだ。であればそれ以外に目を向けさせればもっと凄い文化形成が出来るぞ!」
 同じく人間を楽しそうに話す私を見て、彼女は引いているようだった。何であれ都合良く前向きに捉えるのは良い事ではないのか?
「どうした? いいじゃないか、殺戮本能だけで行動し、他者を虐げ、人を裏切り、綺麗事を掲げ殺戮を繰り返し、反省せずすぐに忘れて何度でも繰り返す。これだけの情熱があるなら、意図的に運用した時の利益は計りしれまい」
「ええ、その点だけは同意しますわ。人間は愚かですが、その行動力は侮れません。だからこそ、今回貴方に依頼をしているのですよ」
 綺麗に会話を着地させ、再度私に依頼の是非を問うエリーゼ。
 罪なき人間を殺す気分はどうですか?
 そう言いたいのだろう。罪なき人間など聖人ですら有り得ないので、意味のない問いではある。生きている時点で罪であり、生きようとするからこその悪がある。己に罪の有る無しを問うなど、目先の事すら見えていない証拠だ。
 大体、罪悪で言うなら生まれながらに強大な力を持つ神仏など、罪の塊ではないか。本当に善性を説きたいなら悪の全てを対話で解決すればいい・・・・・・形はどうあれ力押しの暴力で解決する奴が善悪などと笑わせる。
 神仏の方が、派手な戦争をするものだ。
 権力のある圧制者と、何ら変わりない。要は、その力を背景に言っているだけで、その力が無ければ誰も認めないからだ。信仰する事で救われるからこそ神を信じるのであって、救いを求めずに信仰する奴などおるまい。そんな聖者じみた奴がいたとして、だから何だ。この理不尽が支配する世界の中で、己の行く末を重んじない奴などに、世界を語る資格などない。
「そりゃ有り難い。ところで、前金が見えないがどこにあるんだ?」
「こちらです」
 言って、金のクレジットチップを差し出した。金額を確かめると、三百万ドルは入っていた。
 これだけの金を受け取り、弱者の皆様を大量に殺戮する依頼を受ける、という部分がエリーゼの望む事なのだろう。
 人間は悪意だけの生き物。
 人間は実利で裏切る生き物。
 人間は卑怯で自分達とは違う生き物。
 そうだと信じ続ける為に、人間の持つ醜い部分を暴き立て、確認したい。ここまで暴かれている事にも気付かずこちらの反応を見ている姿は滑稽だとしか言いようがないが、こちらとしても作者取材の為に向かう事は決めている。
 だが、もう少し引っ張れそうだ。
 出せるだけ出させるとしよう。
「いや、これでは足りないな。こんな良心の呵責に響きそうな依頼を受けるには安い料金だ」
「・・・・・・良心の呵責があるなら、そもそも依頼を受けないのでは?」 
 多少呆れたように返すエリーゼ。
 まあ、その通りだ。概ね正しい。
「そう言うな。私とて、平凡な一庶民に過ぎないからな。そのような非道な依頼を受けると考えるだけで、心が痛む限りなんだ」
 健康に良いらしいからという理由で、意図的に肉体反応を促し「感動」を無理矢理行うような私ではあるが、その根底には優しさと尊さとあとは何か適当な物があったのだ。なので涙でも流そうかと思ってみたが、しかしあれはそれなりの準備が必要なのだ。感動を行うのもそうだが、肉体の反応をいじるのは正直、疲れる。
 ある程度状況さえ整っていれば、合わせる形で喜怒哀楽を自動再現するよう訓練してはいるが、このタイミングでは無理だろう。
 なので泣き真似に止める事にした。
 真似るだけなら楽しいものだ。
 楽しい、というのも共感しないが、楽しいのだと言い張り、喜んでいるかのように振る舞って、その行いを完遂するのは面白味がある娯楽だ。
 やりごたえがある、とでも言えばいいのか。
 あまりに即興過ぎて下手だったからなのか彼女は少し冷めた目つきをした後「わかりました」と言って追加のチップを差し出した。
 やった、何とチョロい女だ。
 そんな態度が出ていたからか、彼女は上機嫌に表面上振る舞いつつ、その不機嫌さを晴らす為に私に無理難題をどう押し付けようか考えている。「ただし、条件があります」
「何だろうか」
「どのような形であれ「依頼人が納得する形」でお願いしますね」 
 成る程、面白い。
 約束を破るのは簡単だが、その場合この女は、人間は約束一つ守れない生き物ですから仕方ないですねぇ、と思うだけだ。嫌がらない。 
 最終的に依頼人が納得さえすれば、例えどんな形でも許される、というゲームだ。
 脅迫してもいいし、洗脳してもいい。
 そういう事だろう。
「いえ違いますよ? どういう発想してるんですか・・・・・・この場合、そうですねぇ。彼らの蜂起を止める形でさえあればよろしいかと」
 まあ一度刃を取った人間はそう簡単には止まりませんが、と彼女は付け加えた。
 面白い。
「いいだろう。その依頼、受けよう」
 金の為に、作者取材の為に、何より私の未来の為に、私はその依頼を快諾したのだった。

     4 
 
 
 
 悪はある。だが善など存在しない。
 生きているだけで悪があり、生き抜くからこその罪科がある。
 だが、そこに善なる何かなど存在しない。
 全てが「悪」だ。
 悪でないなど有り得ない話だ。息を吸って吐く事と他者を殺す事は同義であり、呼吸をしないで生きられる奴など生命ではあるまい。
 善悪とは、現実逃避なのだ。
 存在しない概念を持ち上げて「高尚な何か」に縋りそれに殉じて生きていると己を騙し通せれば己が「善」であると言い聞かせられる。
 言い聞かせているだけだがな。
 実際、宗教団体の内側など酷いものだ。例えばマフィアの資金洗浄に金が使われているのは有名な話だし、元より宗教は暴力に深い関わりがある・・・・・・当たり前の事ではあるが、思想というのは対立する為にあるもので、その思想を生き抜かせるには争いに勝利する必要性が出てくる。 
 十字軍など、良い例だ。
 各地で略奪があり惨劇があり陵辱があるのも、暴力を思想で肯定すれば、それが起こるのは至極当たり前の事だ。当然の帰結だと言える。
 むしろ、そう仕向けているとさえも。
 女子供だから殺すべきではないとか、汚らしい綺麗事を並べ立てる奴は、結局の所そうして現実から全力で目を逸らしている。被害者ぶりながら正当な報復を叫び、自分達が殺し尽くしてきたという事実を無視して相手に悪逆だと言い張るのも同じ事だ。
 勝てば、生きる。
 負ければ、死ぬ。 
 それだけだ。
 そこに善悪を求めるというのは、ただ現実逃避をしながら自分を慰めたいだけの愚か者だ。何せ自身の手を血で汚しておきながら、戦いの中にも正義があり、「正しい殺し方」が存在すると自身を慰める為に情けない言い訳を繰り返す。
 いいや、残念だが違う。
 何者であれそうだ。神仏にしたって誰も神仏が清く正しく徳が高いから信仰しているのではない・・・・・・強いからだ。
 人間より無力な奴が、そんな綺麗事を口にしたところで、誰が耳を傾ける? 誰も聞きはしないだろう。単純に超常の力を持ち、人間とは違って世界の理不尽に向き合うのではなく、その理不尽を無視出来る圧倒的な力があるからこそ、人間は神仏を支持するのだ。
 当たり前だが人間は死から復活したりはしない・・・・・・・・・・・・悼み、嘆き、しかしそれでも人間は前に進まなければならない。その死を乗り越えて成長し、出来なければ潰れて死ぬ。その理不尽を無視して蘇り、つまり「都合の良い部分」だけを味わっておきながら「自分達の教えは正しいから学びなさい」と言われたところで、そんな正しさは所詮、力の裏付けがある「持つ側」特有の傲慢に過ぎないものだ。
 ただ言い張っているだけだ。
 それを押し通せる暴力があるだけだ。
 この世界に正しさなど存在しない。
 そも、正しさなど必要あるまい。神が、仏が、あるいは摂理そのものが否定したところでそれが何だ。そんな事を言い出したら私など存在が最悪なのだから、存在するだけでどう足掻いたところで悪であり、世界に必要ないどころか世界の敵としてしか存在し得ず、心が無いが故に和解するという概念さえない。
 まさに最悪だ。
 自分で言うのも何だが、「生まれついての悪」という言葉が相応しい。私でなくとも誰も彼もが生まれついての悪ではあるが、生まれついての悪である事を自認した上で先に進める奴は非常に稀であり、私はそこに罪悪感すら無い。
 正しく正しくない、で事を語るなら、私の場合「存在そのものが正しくない」という事になる。 しかし、だから何だ? 
 世界の都合など知ったことか。私は私の求める実利を掴む。何が何でも生き延び、勝利する。  得るべきモノを得るのだ。
 それが正しくないのであれば、正しさなど必要あるまい。行動すればする程世界を滅亡させる道を突き進むと言って過言ではない私だが、だから自害しろとでも言うつもりか? そもそも貴様等はそんな、絶対的な善だとでも?
 まさか、だろう。
 それこそ圧制者だ。
 悪である事を誇りに思え。善など所詮、理不尽を知らぬ愚か者の戯れ言に過ぎぬ。この世に悪で無い奴など存在せず、そも世界そのものが理不尽を良しとする悪なのだ。悪の中に悪として生まれ善を語るなど、おこがましいにも程がある。
 分を弁えろ、馬鹿共が。
 生の苦しみから解脱したと抜かす超越者は世界に数多いるが、しかしそれは世界の理不尽から目を逸らした結果であり、真に世界の理不尽に目を向けるのであれば、生の苦しみを直視しなければならないのだ。
 それを解脱など、笑わせる。
 苦しみから解放されたという事は、だ。逆説的にその苦しみを既に味わっていないという事だ。しかし、苦しみを忘れた奴が、何故苦しみながらも前に進む奴に対して、したり顔で道理を語れるというのか。どれだけ暇なのだ貴様等は。
 苦しみながらも前に進む人間が力を持つという訳でもないがな、少なくとも散々苦しみながらも何の実利も得られていない身としては、やはりというか結局は幸運に恵まれて成果を出せる奴こそ現実には力を持つのであって、過程における尊さなど文字通りただの妄想であり、ゴミだ。
 苦しみ抜いた答えに価値が宿る事など、無い。 あるものか馬鹿馬鹿しい。
 物語でその辺りを過剰に美化する愚か者が最近多いが、物事の過程に尊さを求めるのは、結局のところ物事の過程を体験していないからなのだ。 さしたる苦しみも理不尽も知らないからこそ、そんな汚らしい綺麗事を垂れられる。有名選手に多い考えだが、「努力したから成功出来た」などとほざく奴は多い。だが悲しいかな、努力した所で成功とは何の関係性もない。
 当たり前の話だ。
 生まれついての差があり、そもそも努力すれば能力が身につくなど、恵まれた奴の台詞だろう。努力すればする程目的から遠ざかり、あまつさえ努力の方向性が違ったのだと後から行われ、努力する前より後退する事の方が多いものだ。
 いや、私以外がどうかは知らないが、しかし、そこまででなくともそれなりの差はあるだろう。 運の問題もある。幸運こそ成果、いや実利に関しては文字通り「全て」だ。そもそも努力すれば能力が身につき、能力が身につけば成功出来て、成功すれば報われるという思想そのものが赤子のような温い考えではある。
 仮にプロ選手を目指すとしてだ。車に跳ねられ足をへし折り日常生活も困難になって、それでも努力で変えられるか? 否だ。そして、そういう個人の力で覆せないものを「理不尽」と呼ぶのだ・・・・・・そして何より、その覆せない筈の理不尽を覆そうとする行いを「戦い」と呼ぶ。
 槍を振り回していれば戦士だと思い込む連中は多いが、思い上がりも良いところだ。それは強いから勝っているだけで、宝くじに当たり続けるのと何一つ変わらない。不可能に挑みすらせずに、出来る事を右から左へしているだけだ。
 戦った事など一度もない。
 さて、その辺りを鑑みればわかる話ではあるが「善良な市民」など存在しない。被害者など世界にはおらず、加害者だけが存在する。
 そんな世界で争っている連中の誰が死のうが、私に罪悪感などある筈もない。別に、そうでなくともそんなものは無いが、要は、一面的な見方をするつもりはない、という事だ。利益を優先する企業側だけでなく、その恩恵を受けながら文句を言う民衆の視点も見る、といった具合か。
 そしてそれを金にする。
 具体的に言うと、作品のネタにするつもりだ。作者取材という言葉が相応しい。私が始末屋家業をしているのはあくまで生活の為であって、別に私の仕事ではない。あくまでも作家が本業でありこちらはただの労働だ。
 そして、労働など実利になればそれでいい。
 今回の物語は、ただそれだけの話だ。
 ただそれだけの話でここまで悪意を刻み続けるのもどうかと思わなくもないが、物語の内容など売れ行きには何の関係もない。そういえば、だが・・・・・・「邪道勇者」なる勇者を殺した男が勇者に成り代わり金の為に聖剣を振るうという子供向けの物語を書いた事があるのだが、しかしそれでは売れないだろうという判断から官能小説を書こうとした事がある。
 とりあえずそういう要素があれば売れるだろうという判断だ。我ながら浅い判断ではあるが読者はそれより浅いのだ。問題あるまい。
 そう思い読者受けしそうな要素を取り込み官能要素で売り上げを狙ったものの、何故かどれだけ他者を犠牲にしてでも実利さえ掴めば幸福であり「他者を食い物にする」事が如何に重要かを延々と語り悪意を刻みつける為にあるかのような物語になってしまった。
 何故だ。
 とんだ駄作だが、しかしああいうのが売れるのだろうか? いつか駄作集として売りに出すのも面白いかもしれない。子供向けに書いても読者の受けを狙っても駄目だったが、邪道勇者を書いている際に思い当たったのが「運命を克服する」為の方法論だ。
 何故あんな駄作で思いついたのか、私自身にもわからない。私は自身の作品内容など覚えない奴だが、しかし書いている間に、何か思いもよらぬ要素を書いていたのかもしれない。でなければ、そんな方法論を思いつかないだろう。
 
 生きたまま、生まれ変わる。
 
 それが「運命を克服する方法」だ。要するに、今ある道ではなく新しい道を進めばいい。私なら作家を志した時がそれだろう。本来であれば何の未来もなく適当に苦しむだけ苦しんで何も成さず終わった筈だ。いや、現時点でも変わらない気がしなくもないが、そういう意味では、生きたまま生まれ変わっても変わるのは「過程」だけであり「結果」は何も変わらない、という事だろうか。 どうだろう。
 わからない。しかし、作家ではなかった筈だ。 それが良いか悪いかで言えば、むしろ悪いのではないかと思わなくもないが、目的のない死体になるよりはマシだろう。
 塵一つ分程度は運命を変えられた訳だ。
 運命を変えたところで実利には何の関係もないという、その証左でもあるがな。
 私が言うんだ間違いない。
 運命など、克服したところで儲からんぞ。
 全く、嫌になる噺だ。
 私の場合、何をしようが嫌になる噺しかないので、ある意味いつもと同じ日常とも言える。もしこの世界に最悪と呼ばれる悪人がいるとすれば、それは世界の全てに敗北を喫しているからこそ、そう呼ばれるのだ。勝利や栄光に親しければ最悪などに成り果てまい。
 だからこそ、世界を根底から覆す為に行動したりするのも、私だ。分不相応どころか勝ちの目が存在しない、輪郭すら見えぬ大きな何かに対して態度だけは上回り、口先だけは勝利を収め、実力差はというとその相手にすら計れぬ程大き過ぎ、逆に何とかなるのではないかと錯覚する始末だ。 全宇宙と塵の大きさを比べる奴がいるか?
 いない。そして比べる必要はあるまい。もし、そこまでの大きな差があるのだとすれば、そんな差は真っ当な方法では上回れまい。そして上回る必要もない。誇り高き戦士であれば正々堂々戦うのが美学なのだろうが、生憎私は戦士どころか、真っ当な人間、いや生命と呼ぶのも疑わしい。
 であれば、それら世の常など知るか。
 相手が強大であるならば、その強大さを丸ごと利用できれば最上だが、最悪である私にはそんな楽な道のりは無いらしい。まず縁がない。致命的な事に、私には「良縁」と呼ばれる全てに対して絶対に関わる事が出来ないからだ。
 そも、そういった人生を楽する事が出来る切符を手に出来ているなら、作家などに成り果てまい・・・・・・知りたくもない理不尽の全てを知り、別にどうでもいい人間の悪性を全て修め、憎悪や呪いのような人間が忌避する悪の刃をその手に持ち、摂理の敵対者として全ての善という名の品性下劣を打ち砕かんとするからこそ、作家なのだ。
 いや、全ては言い過ぎか。まだまだ成長出来る余地があるのだとすれば、私は日々最悪の作家として、更なる悪逆の物語を書き続ける、という事だろう・・・・・・だからこその最悪だ。 
 更に読者共の苦しみを。
 更に作者の喜びを。
 つまり悪意を脳髄に刻みつける物語の数々を、世界に波及させるという事だ。
 もっと悪意を、もっと実利を。
 文字通り、無限の悪意を以て世界に挑み続けるのだ。まあ、現状勝算はまるでない。正義だとか善というのは、基本暴力で世を正した存在だ。
 それこそ、真っ当に勝てる訳がない。
 今更だがな。
 吐き気がするし酷く苦しい。それもまた、私にとっては今更だ。苦しくない時などなかったのだ・・・・・・常に敗者、常に反逆者、常に実利を掴み損ねてきたのだ。だからこそ、「過程の苦しみには意義がある」などと抜かす小汚い綺麗事など妄言だとしか思わない。何だそれは。単に苦労した分報われるのだと、無責任にそう思い込みたいだけではないか。
 馬鹿馬鹿しい。
 そんな事があってたまるか。
 自然そうなるのだとすれば、私の費やした労力は無駄そのものではないか。極論それは、何一つ費やさずとも、尊い行いだから報われて然るべきだと、理不尽に向かい合わず、情けない言い訳を繰り返す。
 それは現実逃避でしかない。
 過程の意志など結果には関係ない。当たり前だ・・・・・・結局の所、運良く努力しただけで報われた連中が「正しい行いをしていれば勝利出来る」と自惚れた結果なのだろう。さして理不尽の一つも経験せず、だからこそ小汚い綺麗事に耽溺する。 その方が都合が良いからだ。
 自身が如何に努力して、だからこそ成功出来たのだと語れた方が、少なくとも「幸運が味方してくれたから」などという理由よりは、己を肯定しその素晴らしさを自画自賛するのに都合が良い。薄々深層意識で自覚があるからこそ、そういった誤魔化しを好むのだろう。
 才能や環境に恵まれている奴ほど、この傾向が多いものだ。意味もなく慈善事業に投資したがるのは、逆説的に自身の素晴らしさを肯定出来ないから「道徳的な正しさ」に縋り、何て素晴らしい行いなのかと凡俗共に誉め称えられないと、そのちっぽけな誇りを満足させられない。
 実に、小さい。
 そんな大鋸屑にも劣る馬鹿共が、恵まれただけで世界の上に立つ現状こそ、連中の唱える道徳的素晴らしさの無能を物語っている。
 希望などただの幻想だ。
 夢などどこにもありはしない。
 努力など持つ側の言い訳だ。
 信念など文字通り無力なゴミだ。
 正義など暴力の別名でしかない。
 善悪など圧制者の戯れ言だ。
 だが、それでも胸を張り根拠のない確信を抱きながら、前に進むしか道はない。未来への道も、勝利に向かう道も、実利を手にする道も同じ事だ・・・・・・そんな都合の良い妄想に浸り、それでも尚勝利するのは、それこそ麻薬に等しい現実逃避の為にある、世の理不尽から解放された何もかもが都合良い展開だけがある物語の中だけだ。
 あるいは、恵まれた「持つ側」か。
 そういう物語が売れる現状は、はっきり言って情けない。読者が馬鹿だと作家が苦労するということか。迷惑な話だ。努力した。信念があった。で、それがどうした? ただのそれだけで勝利を掴んだという事は、世界の理不尽を何一つとして味わっていない事の証左でもある。
 だから、浅い結論しか出せないのだ。
 情けない。
 努力したらむしろ悪化した。
 信念のおかげで敗北を喫した。
 向かうべき道筋を定めて進めば、進んだ分だけ不利益を被った。
 そんなのは、当たり前の事なのだ。道端にある石ころに等しく、私はそれらを味わってきたが、無駄に幸運やら能力やらに恵まれていると、その当たり前の現実に気付かない。気付く必要がないからだ。そして何より、そんな現実など無い方が連中にとって都合が良い。
 正しい努力は報われる。
 信念が正しいから成功した。
 その過程の苦しみを耐え抜いたからこそ、今の勝利があるのだ、と。そう思いこめればそれこそ最高の気分だろう。人間は正しさに弱い。
 正しさを求める時点でその対極に位置しているという事実からは目を逸らしつつ、幸運とか環境とか才能だとかを評価されれば、当人が如何に、薄っぺらい存在かを暴露するようなものだ。それでは意味がない。彼らは自身を肯定したいからだ・・・・・・例えば、金持ちに生まれたから人気者なのではなく、性格が良いから人気がある。あるいは怪物だから嫌われているのではなく、単に人間にロクな奴がいないから酷い目にあった。
 理不尽しか無い道のりは問題視か無かったが、理不尽が存在しない人生というのも考えものだ。 馬鹿を言うな。金があろうが無かろうが、怪物であろうが人間であろうが、信望を集める奴なら集められるし、出来ない奴は何者であれ嫌われるのが世界の常だ。仮に努力などという概念があるとすれば、それは才能だの環境だので伸ばすモノでは決して無く、変えられる筈のない理不尽に、ちっぽけな刃で刃向かう事を指す。
 そんな事も知らないのか。
 今までの人生、何をやってきたのだ。
 貴様等はどれだけ暇なのだ。
 私など、自我が芽生えた時点で考える必要性に迫られたぞ。無能などという次元ではない。何をしようが必ず失敗し、何もせずとも指を指され、反抗すれば死刑、反抗せずとも死刑、かといって策を弄せば金を奪われ、労力を費やせば方向性が間違えていたと言われ、依頼を出せば成果は出せなかったがやることはやったから金は貰うと子供の屁理屈にも劣る言い訳を聞かされ、何よりも、進めば進む程後退する始末だ。
 我ながら、どうかしている道のりだ。
 そんな道のりを歩いて何が得られたかといえば悪意を鋳造させ作家に成り果てたくらいなので、つまり金を強盗されたに等しい状態だ。
 過程こそ尊いだと? 
 馬鹿も休み休み言え。
 過程など、何の意味もない。どうでもいいものでしかない。実利や勝利とは関わりなく、世界を生き抜く上では何の価値も生み出さない。
 ただのゴミだ。
 それは、私が誰より知っている。
 何せ物語などという嘘八百の虚言の山を作り、それを売る事も出来ないのだ。これがゴミの山でなくて、何なのだ?
 少なくとも、私に実利をもたらした事はない。 あるとすれば、それこそ幸運によるものだろう・・・・・・努力だの信念だので、物語が売れれば苦労しない。するものか馬鹿共が。
 少しは考えて発言しろ。
 
 

 私に言われたらお終いだぞ。
 まあ、人間など既に終わっているようなものだがな。物語で現実逃避に勤しむ読者が山となっている世界に、未来などある筈もない。物語とは、理不尽を想像し、それに対応する手段だ。或いは喜劇や悲劇を想像し、それに共感する事で精神を育むのもありだろう。共通するのは物語を通して何かを学び、現実に活かす為に存在する事だろう・・・・・・昨今の物語には、それがない。
 嘆かわしいことだ。
 他にやることはないのか。まあ、無いからこそそんな暇な事をしているのだろう。成すべき事柄に目を向けているのであれば、汚らしい綺麗事に払うべき関心など無い。まして、道徳的に正しいからと難民を受け入れ、後になって後悔したり、あるいは慈善事業を行い湯水のように金を費やし結果として現地で資源の奪い合いを加速させたりする暇など、あろう筈がないのだ。
 少しは反省しろ馬鹿共が。
 出来なければ死ね。
 そのような蒙昧に、生きる価値無し。
 読者に罵詈雑言の嵐を浴びせるのが作家の仕事だと言っていい。物語に救いだの夢だの希望だのを求めるなど、滑稽にも程がある。
 
 物語に求めるべきは、悪意だけだ。
 
 善なる何か、尊い何かなど必要ない。物語には絶望と喜劇、失敗と悲劇、敗北による世界の破滅が必要だ。どのような物語であれ、人間の汚さが物語を盛り上げる最高の素材となる事は、それが作家であれば当たり前の事実だ。
 現代に「作家」と呼べるような奴など、他にはいそうにないがな。物語を通して読者に悪の限りを広める事を信条とする奴など、既に絶滅危惧種だろう。最近では男女の感動物語だとか、或いは大国のプロパガンダ用にある巨費を投じた映画、有名作品の権利を買って作られた実写による駄作の数々など、ロクなものがない。
 誰にでも個性はあるから価値があるだのという現実逃避で己を慰める噺が売れ、普段から真摯に生きていれば必ず報われる法則があると理不尽に目を背けて都合良く解釈する駄文の数々こそが、現代社会における「物語」だ。
 つまり、現代では物語とは、ゴミの事を指す。 ゴミの山を売り裁いているのが書店という訳だ・・・・・・中には見れる作品もあるだろうが、しかしそれこそ絶滅危惧種だろう。まして物語とは中身を見て買うものではない。自然売れる表紙の有無こそが、売れ行きを決める事になる。
 あとはただの運不運だ。
 自分達の成功法則が通じたと思い上がる馬鹿共が多いが、ただの偶然であると認めたくないからそんな妄想を本にするのだろう。
 自身の価値を誇れないからだ。
 自身が作り出した価値でもどちらでも良いが、要するに大勢の他者に誉めて貰わなければ、己の成した所行に満足できない。まあ幸運による成功などそれが当たり前なのだが、自身が素晴らしい存在だと思い込むには、その事実が邪魔になる。 情けない連中だ。
 結果綺麗事の山を生む癖に、その大半はすぐに捨てられ忘れ去られ、無駄遣いした資源のゴミ山だけが後に残るというのだから、勘弁して欲しい・・・・・・何であれ綺麗事は役に立たない。当然だが綺麗事の倫理観、例えば「戦士の誇りがある」と言って殺し合いに「美徳」を求めるのは、それが「持つ側」であり、結局の所「己が勝つ争い」にのみ、身を投じ続けてきたからだ。
 自ら手こずる要素を求める思考回路。
 言ってしまえば、遊び人の発想だ。
 理不尽の全てを経験せず、都合の良い部分だけを味わってきた奴には、この傾向が非常に多い。実際、勝ちの目が無い争い、道理も何もない様な理不尽ばかりにぶつかってきた奴が、綺麗事など口にすると思うのか? 
 だから貴様等は半端なのだ。
 少しは学習しろ、間抜けが。
 私にでも出来るような事すら、怪物連中は出来ないというのだから、情けないとしか言いようのない噺だ。
 人間に裏切られただと?
 素晴らしい。裏切るということは、それなりの知能があるという事だ。であれば、利用しがいがあるというものだ。
 人間が狭量だと?
 良いではないか。少ない器であれば使い勝手も最高だ。大体、怪物だから器が大きいという噺も聞かないしな・・・・・・お互い様だろう。
 人間に迫害されただと?
 それは祝福だ。いやこの場合福音か? いずれにせよ、今このさきにある「道」が限りなく目的に近づいている証左だと言える。いわば応援団のようなものだ。むしろ、もっと迫害を、更に弾圧を寄越せ! そうでなくては使い道が少ない。
 いや無論、金になる形で頼むぞ。
 金にならない弾圧など、遊び人の酔狂に付き合うようなものだ。私は暇ではない。私を弾圧するならまずは金を支払え。
 噺はそれからだ。
 この辺り、怪物連中はそう言い張りはするが、実際に根底でそう思う事はない。根が真面目なのかもしれない。だからこそ、怪物は悪人に向いていないのだ。悪とは、まず大馬鹿だ。浪漫に命を賭けるし下らない戯れ言で世界に挑む。何もかもを軽く扱う癖に、己の値段は言い値で売る。
 それが「悪」だ。
 まして罪悪感など、生まれついての悪が持ち得る訳がないだろう。それをちょっとばかり人間を調節している程度で、自分は生まれついての悪だとうじうじ悩み、あまつさえ自身を悪だと勘違いしたまま人間に裏切られた程度で傷つき傷つけた程度で罪悪感を抱き人間に対する劣等感を人間の悪徳を真似る事で憂さを晴らす。
 実に、小さい。
 他にやることはないのか。
 この暇人共が。
 
 私は近代の駄作共が、嫌いだ。
 
 生まれつき特殊な能力を秘めた主人公だとか、あるいは何もせずともただ「正しい行いだから」と敵も女もあらゆる存在が都合良く味方したり、努力みたいな事を続けるだけで成長し強さを得て正義だのを叫びながら敵を倒す。殺すのではなく倒すと表現する駄作共。
 実に、つまらない。
 成る程、現実逃避には丁度良いのだろう。何せ都合の良い展開、都合の良い環境、都合の悪い事は何一つ起こらず、あったとして美談の為にある演出の一つに過ぎない。好きな相手とは必ず結ばれるし、過程にあれこれ「困難みたいなモノ」を入れはするが、所詮展開を盛り上げる為のものだ・・・・・・その程度の駄作の山を好き好んで読み耽る読者しかいない世界で、その程度の駄作を売る事に熱心な編集者しかいない世界で、物語を語るという行いそのものが、既に愚かなのだろう。
 真摯に何かを語るなど、馬鹿げている。
 少なくとも、現状の世界はそうだ。
 それを覆す為に行動しているものの、やはりというか、しかし、そういう世界だからこそ、その世界に迎合しているゴミのような存在こそが勝利の果実を得るものだ。こちらとしては餓鬼の遊びに付き合わされ続けているだけなので、正直な所辟易とするしかない。
 よくもまあ、その程度の駄作を書けるものだ。 おまけに自身を「作家」だと思い込んでいる。 嘆かわしい。
 この世界で作家だと言い張り金を儲けている奴がいるとすれば、逆説的に作家ではない、という事になる。事実は小説より奇なり、とはいうが、とにかく読者に媚びを売り犬のように尻尾を振る浅ましい馬鹿共が、まさか作家と呼ばれる時代が来ようとはな。  
 呼ばれているだけだが、売れれば作家だ。
 世の中そういうものだ。そういう世界に生きているというのに、そういう世界で成功した奴こそ現実逃避を促進するというのだから、昔と比べて人間は退化しているのだろう。物を語り売る事が出来なくなっている。
 そんな世界で、この行動に意味はあるのか?
 無い。断言する。無い。
 こんな風に作者取材を繰り返し、何人殺した所でどうにもなるまい。世界の理不尽を覆せる力があるとすれば、その理不尽を越える幸運だけだ。個人の意志や力など、ゴミでしかない。その意志や信念が正しかったから世界を変えられたと思い込みたがる奴は多いが、馬鹿を言うな。言っては何だがそういう輩に限って、幸運の要素を取れば何も残らないぞ。
 歴史上の偉人などその最たる例だ。まず才能が無ければ何も成せない奴ばかりであり、何よりも環境に恵まれていなければ、社会に認知される事すらない。どんな意志も、信念も、思想も、力が無ければただのゴミだ。
 偶然、そこに幸運が伴ったから成せただけだ。ただのそれだけなのだが、現代の成金もそうだが己が高尚だから勝てたとすぐ妄想に逃避する。
 いい加減、うんざりだ。
 おまけにその道は、既に変更不可能だというのだからな。我ながら、無駄な徒労をかけている。成功するから成功して、勝利出来るから勝利する・・・・・・物語にすらそれが求められる時代に、無駄だと知りつつ挑む事など、愚か極まりない。
 薄っぺらく賢いよりはマシだが、それも幸運があってこそだ。品性など無ければ無い程金持ちになれるからな。道徳や倫理を語る人間社会では、道徳や倫理とは弱者に押しつける為の物であって己で守る物では断じて無い。
 まさか、だろう。
 そんな訳がない。
 当たり前の事だ。
 ふん、しかし・・・・・・有り余る力が孤独を生み、冒険に身を投じ物語を進める古代の王の噺は暇が無いが、有り余る無力が生み出すのは徒労だけということか。実際、よくここまで何一つ持たない存在として確立できたものだ。
 心が無いが故に共感しない。
 力が無いが故に慢心しない。
 それだけならよくある噺だ。しかし私の場合は弱さによる強さすら併せ持たない。どころか他者との縁による助長も有り得ない。
 文字通り、何も無い。
 都合の良い部分が何一つ無い訳だ。成る程物語として見る分には面白いのか知らないが、しかし実際に行動するのはたまったものではない。
 これでどうやって勝てというのだ。
 いや、どうでもいい。そんな勝ち方など読者が見て楽しむ娯楽であって、そんな勝ち方があるかどうかさえ、どうでもいい些末事だ。勝てるから勝つというつまらない展開は嫌いだが、現実にはそれが望ましい。あれこれ苦労して成長してそれが何だというのか。
 そんなのは、下らないゴミだ。
 私が言うんだ間違いない。所詮見る側の都合であって、実際にやるべき事では断じてない。
 現実には世界など、その向かう先など、全てが力によって裏付けされた何かが決める。神仏などその最たる例だろう。
 誰も、神仏が正しいから崇めている訳ではない・・・・・・人間には無い力があり、だからこそ、それに縋る。それが事実だ。
 聞くが、人間より無力な神仏を崇める奴がいると思うのか?
 いない。だからこそ、それが事実だ。結局の所世界は運良く力を得た奴が都合良く正義を謳い、その力を以て進めているに過ぎない。
 意志だとか信念だとか思想だとか、そんなのは全てただの言い訳だ。そうであった方が都合良く自分達を賛美できるから、そうしているだけ。
 ただの、それだけだ。
 所詮、その程度でしかない。
 そういう意味では、物語の中身など、それこそどうでもいい些末事だと言える。売れる物語とは良い物語ではない。読者が素晴らしいと思う事と作品の内容は関係ないからだ。要するに、凄いと思わせるだけだからな。
 自己啓発など、その最たる例だろう。
 そもそも本を読んだ程度で変えられる何かなど最初から当人次第で変えられるものだ。物語にはそこまでの力はない。他でもない私が言うんだ、間違いない。物語など、所詮それ単体では虚構を書き連ねた書物に過ぎない。
 影響を受けた、と読者が思い込むだけだ。
 少なくとも、金にはなるまい。成功や勝利とは何の関係性もない。私は散々読んで書いてを繰り返しているが、そんな事はなかった。私の存在が逆説的に物語の無力さを証明していると言える。 ネット上で情報を右から左に流し、それだけで編集者を気取って金を儲けている馬鹿が栄えるというのだから、成長など何の価値も無い。
 力があるならそれも輝きを持つかもしれないが力も支援も何もない状態で、そんなものがゴミでなくて何だ。どうしたところで役には立つまい。 物事の過程など、どうでもいいのだ。
 目指し続けていればいつか叶うだとか、或いは信条を維持する事が大切だとか、そんな戯れ言が如何に下らないか、私は誰よりも知っている。
 生憎だが、言ってやろう。
 そんなものに価値はない、と。
 あるものか馬鹿馬鹿しい。 
 意味も価値もなく下らない徒労に付き合わされ続けている私が言うんだ間違いない。成長する事そのものはただのゴミだ。生きる上では余分な、言ってしまえば老廃物のような存在だ。成長するしないではなく、その費やした労力分を儲けるかどうかが肝要なのだ。
 同様に、過程において何を思うか何を抱くかは成果に関係ない。何を思おうが、何を抱こうが、結果を出せるかだけが肝要だ。
 過程を誇りたいならゲームでもすればいい。
 あれこそ、その極地だろう。何せ、極論勝たずとも良い遊技だ。後からどうにでもなるのだからその過程に拘り充足を得るのも頷ける。一度二度負けても死ぬ訳ではないし、何よりやり直せるのだから真剣になりこそすれ、命は賭けまい。いや賭けたのならば、それこそ結果だけが肝要だ。
 同様に、物語も中身など関係ない。
 読み終わった後に満足感が得られるかどうか。それは事前の情報操作などで作られるので、別に中身に拘る必要はない。いや、拘った所で中身を覚えている読者などいないだろう。
 読者とはそういうものだ。
 売れてもいない以上、その読者すらいない状況なのだから、ますます無駄だと言える。誰に指示された訳でもないのに、他に生き方がないからと頑なに己のやり方を貫く。聞く分には美談だが、実際にやるのは愚か者だ。個人の意志や行動など達成されなければ世界には関係がない。最初から何も無かったのと同じく、世界は回り続ける。  文字通り、何もしていないのと同じだ。
 意志など、無力であれば消えるのみ。
 それこそ価値のないゴミだ。
 それらが輝けるかのように語られるのは、偶然力が付随したからに過ぎない。全く、意志や信念があったから勝利出来た、などと。楽で羨ましい噺だ。裏返せば理不尽を知らないまま、勝利者になれたのだからな。
 何と楽な道のりだ。
 私も、そんな道を歩みたかった。
 何も考えず何も成さず、文句だけ垂れていれば金が儲かる世界。そういう人間は多い。現代社会において、幸運があれば人間性など関係ない。
 延々とそういう屑が利益を得る様を見てきたが・・・・・・幸運に上限などない。幾らでも恵まれる奴は恵まれるし、今苦難の道を歩いているからって後が楽になる事などありはしない。
 ただ無駄に徒労が多いだけだ。
 私が言うんだ間違いない。
 苦労など、殺してでも押しつけるべきものだ。実際に社会はそうできている。誰かにへたを押しつけたから勝利者となり、誰かが苦しむからこそ人生を謳歌できる。その誰かは自分には関係ない奴でなければならない。
 都合の悪い部分を見れば、罪悪感に苛まされる・・・・・・だから、見ないまま終わらせる。
 私なら当然、知った上でも踏みにじるが、道徳や倫理を気取る連中からすると、自分達が崇高で素晴らしい人種だと思い込んだ上で、それら罪悪だと言われる行いをしなければならないらしい。何とも面倒臭い連中だ。
 これらは全て「事実」だ。この世界に、戦いという概念があるとすれば、それはこの圧倒的だと言える理不尽の山を、力以外で克服する事だろう・・・・・・力があれば克服できるのは当たり前だが、そんな奴には戦いを挑む必要すらあるまい。
 挑まされている私からすれば、こんな無駄足を踏んだところで徒労だとしか思わないが。神話にあるような戦争で「戦士」を気取る奴に多いが、要するに力があるからそれを振るいたいだけだ。本当に戦いを望んでいる訳ではない。大体、自身の強さに確信がある奴が、どうやって死の覚悟が出来るというのだ?
 武勇を上げる為に戦場がある。
 その考えの時点で、殺されるかもしれないとは露一つ分も考えてはいない。覚悟しているつもりなだけで、実際に戦う気概がある訳ではない。
 死ぬかもしれない。
 どころか、挑む権利すらないまま、戦う事すら出来ずに終わるかもしれない。全て徒労で終わり何も成せないまま終わるかもしれない。何より、挑む前より酷い結末になる可能性だって大きい。道を進んだ後に何も得られず、指を指されるだけで終わり、その意志すら無為に消え去る結末とて有り得る噺だ。
 その程度の覚悟さえ、しない。
 己の道を己で定めない半端者。歴史を鑑みればわかるが、世界に名を残した奴の大半はこの類だ・・・・・・屑の成し遂げた世界に、戦いなど無い。
 生まれて一度も、戦った事すらない。
 それでも、勝つべくして勝利する。
 幸運以外に、何もない。
 世界が物語であるならば、これほどつまらない駄作もあるまい。最初にある物語が駄作だから、後々の腐れ作家が無駄な労力を増やす事になる。 役割の概念が消え去り、仕事を成す人間が絶滅したこの世界で、物語を語る役割を持つ作家は、生き抜く事は出来ない。当たり前だ。作家の仕事は書くことであって、本来売る事ではない。役割を果たさず下らないごっこ遊びに耽る馬鹿共が、物語の流通を握っている時点で負けは必定か。
 その連中を説得できれば噺は早いのだが、私も言語を解さない奴は説得できない。連中は楽して物語を売るという夢物語に耽溺している。故に、物語を扱う者を自称しておきながら、そもそも、物語を売るという発想がないのだ。
 元から人気のある、売れそうな物語を売る。  問題なのは、そんな妄言を実現できるこの現状にあるだろう。作り手も作り手だが、読者も読者だろう。デジタル世界で妄想を垂れ流し、妄想に浸り支持し、その下らない悪循環を利用する事で儲けようとする。
 この業界には馬鹿しかいない。
 それをわざわざ、体現しているのだ。
 売り手と買い手が揃ってそんな事をしているのだから、こちらとしては手の打ちようがない。
 本当に、迷惑な話だ。
 他にやることは、まあ、ないのだろうが。あるとは思えない。さして成すべきを考えず、自身の有り様に誇りを持たない奴に、ある訳がない。
 言わば知能のない獣が跋扈する世界だ。流石の私も、言語を解さない獣の相手など知らないので売りようがないという訳だ。とはいえこのままであれば作家に未来など無い。だからこそ変えようとしているのだが、それも徒労に終わりそうだ。 なのに、私は作家でいる。
 面倒な生き方だ、全く。
 もう少し、楽が出来ればいいのだが。
 
 私には、何も無い。
 
 生まれついての才能? あると思うか?
 恵まれた環境? この性格になると思うか?
 後押しする幸運? 作家になると思うのか?  馬鹿馬鹿しい程傑作だ。何も持たぬが故に態度だけは世界に匹敵するなどと。強さによる弱さも弱さによる強さも併せ持たず、味方する仲間など論外で、どころか存在そのものが大悪だ。
 自分で言うのも何だが、人間社会において心を持たず心を利用し己の実利だけを考え、何一つとして生命の有り様に共感せず、それを悪しと嗤いながら突き進む存在など、どうしたところで人間には絶対の悪だろう。
 心ある生命体の社会の中で、必ず発生せざるを得ない概念悪。それが私だ。
 何にでも言える事だが、失敗作は存在する。
 生命が生まれる中でそれが発生すれば、それが私になるという訳だ。失敗作は避けようがない。まして心だの健全な生命だのという妄言を作り、それによる社会を形成しようとすればそれが発生するのは道理だろう。綺麗な部分を作ろうとするだけで、必ず発生する負の側面だ。
 故に、存在そのものが悪となる。
 何せ人間が相容れない部分、いや、人間でなくとも相容れないだろう。心ある命として生きるのであれば、到底容認できない概念だ。
 言ってしまえば自分達が見たくもない負の部分が高笑いしながら襲ってくるのだからな! 心があるなら見たくなる筈があるまい。
 負の側面を全て押しつけられた存在だ。
 見るだけで自分達の善性を信じられなくなる。 それを見る分には最高の気分だがな・・・・・・私はだからこそ最悪なのだろう。明日から人間全てがエイリアンに変貌し、卵から子孫を増やすようになっても、私の世界は何も変わらない。
 元より人間社会の内に、いないからだ。
 生活できれば、その上で私個人の充足を得られるのであれば、それこそ些末な事だ。連中の手足が明日から二本になろうが百本になろうが、何の関係もない。人間は未知との遭遇が好きだが私は未知か既知かはどうでもいい。俗に言う怪物でも神仏でも宇宙人でも、全て「同じ」だ。
 私の役に立つか否か、だ。
 そして、神仏がいるとして、それは人間の神仏であり、私に恩恵があるとは思えない。怪物共がどれだけいたところで、物語の売り上げを上げる事は出来ないだろう。宇宙人が飛来したとしても私の物語に金を払わなければいないも同然だ。  つまり、どうでもいいのだ。
 世界の異物だからと嘆く怪物共とは違う。私は異物としてしか存在できないのではなく、異物としてすら存在できないのだ。異物混入など社会の中でよくある噺だが、医療機関だってその異物としての機械群を使い治療もする。人間と怪物共が共存する事は、そういう意味では容易だ。
 やろうとするかは別だがな。
 それも金次第だろう。そもそも人間がどう思うかなど関係ない。例え存在そのものが人間には悪だとしても、やはり同じだ。そうであるなら煙草や酒のような在り方を取ればいい。存在そのものが悪だと言うなら、戦争や麻薬と変わらない。
 それらが無くなった事があったか?
 無い。存在そのものが悪であることは、迫害の言い訳にはならないからだ。むしろ、世界は悪を必要とする。悪が無ければ世界は成り立つまい。仮に人間を食わなければ、あるいは人間世界に悪をばらまかなければ生きられないなら、それらを仕事として生きれば良い。
 殺人が無くなった時代があったか?
 侵略がなくなった時代があったか?
 まさか、だろう。ある筈もない。世界には悪が必要だからだ。善意など、正義など、悪の別名に過ぎない。世界には初めから悪しか存在しない。 私か? そうだな・・・・・・とりあえず、金を稼ぐ事は悪であるだけでは出来ないらしい。どうしたものか。この場合異物であるか否かではなく単にそのおかげで怪物や人間が持つ利点が欠片も無い事こそが問題だ。
 世界の異物を気取る連中は、その有り余る能力を使って楽が出来るものだ。人知を越えた才能、人知を越えた暴力、人知を越えた異能。
 楽で羨ましい。
 ただでさえ異物どころか、自然発生する悪意、ガン細胞のような存在だというのに、私の場合、その楽をする事すら出来ないとは。
 異物である連中とは、根本が違う。
 彼らが異物と断じるのは、単に狭量だからだ。別に敵対しなければならない縛りはない。人間と共存したがる怪物の噺や、怪物に近づこうとする人間の話が分かり易いだろう。人間が少しばかり進歩すれば、改善できる関係でしかない。
 それもまた、しようとするかは別だが。
 とにかく、私の場合そこが異なるのだ。何せ、私は人類社会が、心ある生命がいる限り発生するバグであり、善良であろうとすればする程世界に必要とされる悪意の集積所だ。いわば必要悪だと言えなくもない。最近まで私自身知らなかったがどうやらそういう分類らしい。
 人工知能の邪悪あたりであれば「それのどこが問題なんだよ先生? もしかして今更悪意を押しつけられてまいっちゃったのか」などと口にするのだろうが、知能が足りないとしか言い様のない愚か者だ。生まれついて世界の全てを敵に回す、いや「世界の全てを敵に回す者」として存在する事はべつにどうでもいい。些末な事だ。しかし、その上でどうやって勝つのだ? 
 世界の全てなど、誰であれ生まれた時点で敵に回しているようなものだ。悪意を通す事が生きるという事であり、人間でも怪物でも神仏でもそこは変わらない。だが連中には優れた利点、人間であれば弱さによる強さ、怪物であれば迫害されるに足る利点、神仏であれば傲慢故の暴力がある。 私には何もない。
 それで、どうやって勝てというのか。
 幾ら何でも、無理がある。 
 とはいえ、そこで態度だけは世界に匹敵させるのも、やはり私だった。態度だけでは腹は膨れず財布も太らないので、まるで足りていない。
 最近の物語であれば、敵は必ず道理の前に倒れ味方になるという馬鹿丸出しの噺が多い。それが出来れば苦労しないのだが、存在悪たる私には、何をしようが全てが敵に回る。いやこの場合は、「敵味方」という概念が無いのだ。何をしようが全てが「敵」だけになる。
 怪物同士で仲良く、というのも無い。
 生憎、化け物はそういうのが嫌いだ。
 人間も怪物も神仏すら敵である事が前提なので正直「勝ちの目」という概念さえ無い。不可能であり不可逆であり、理不尽なまでの差だ。世界を根底から覆さない限り、勝ちの目などあろう筈がない。かといって態度だけはった所で、現実問題何かが解決する訳でもない。
 怪物連中と違って、私には隠された本性など、有りはしない。そのままだ。心という概念に正面から対立する絶対悪。心の有り様を真似ているが心に共感したりはしない。怪物の様に途中で人間に心を開き、仲良くなろうとする機能は無い。
 仲良くなろうとする動きを、真似るだけだ。
 真実、心があるというだけで、心無い化け物に相容れる術など有りはしない。翼のないペンギンに鳥が共感しないように、根本から異なるのだ。 実際、欲しいものなど何もない。
 あくまで「幸福の条件」と規定しているだけであって、金など別に欲しくもない。必要ではあるのだが、無いと困るが欲しくはないのだ。欲しいのは金そのものではなく、金に左右されない生活だからな。必要ではあるが、金という概念を欲している訳ではない。欲する心など無い。
 金に左右されない生活、もそれそのものに魅力を感じているかと言えば、否だ。魅力を感じる為の機能がない。ただ、徒労を繰り返し無駄な時間を過ごすのは純粋に困るので、切実に必要な実利ではある。
 だが、望む事など何もない。
 例えば権威、例えば権力、例えば暴力、例えば異性、例えば食物。しかしだ。共感しない以上、食事一つ取っても何も感じはしない。いっそ永遠に栄養食でも同じだろう。人間らしさを楽しむ、という行動規範に沿って行動しているだけだ。
 全て、同じだ。
 色褪せている、のではない。色という概念が、どこにもないのだ。想像して真似ているだけで、何かを感じ取る機能など、存在しない。
 まあ、それを「どうでもいいから金を寄越せ」と定義できるからこそ、私は最悪なのだろうが。 実際、どうでもいいしな。
 だから、何だというのか・・・・・・強いて言えば、面白い物語だけは無くては困る。感性が無くとも業の有り様は見る価値がある。何であれ、不可能に挑み理不尽を覆さんとする行いであれば、私の物語のネタに相応しい。
 持つ側の噺など、ゴミにも劣る。 
 お前達はゴミ捨て場を見て嬉しいのか? 
 感性など関係ない。これは品性の問題だ。
 生憎、化け物だからって汚行に興味が沸くほど下劣になる気はないのでな。それが人間らしさであれば、その部分を真似るつもりはないだけだ。 さて、今回の物語はどうなることやら。
 一面に荒野があった。未だ惑星開発がなされていないのだろう。正式な名称は他にあるらしいがカピパラの肉が特産品だからかカピパラ惑星などと呼ばれているらしい。放牧されているようで、あちこちにその影が見える。バッファロービルのように乱獲して金に換えれれば嬉しいが、警備のドローンが周回しており万全の備えらしい。
 政治事情はまだ落ち着きがない。というのも、観光で人を呼び込もうにも例の始末対象達、いや今回は排除さえ出来ればいいのか? 依頼人次第ではあるが、その連中のテロ行為(連中からすれば正当なる戦いなのだろうが、まあ生きていれば何者であれテロリストみたいなものだ)が頻発。治安維持がなされていない星に来る客は少ない。 天然ガスだけでなく石油も取れるし、鉱物資源も豊富なので経済的にはそれでも余裕があるが、観光が出来れば莫大な富を生むのも確かだ。
 その事前準備なのか、依頼人がいるらしい街には多くのビルが並んでおり、大手企業の店までが出店している。あとは連中だけというわけだ。
 街の周囲は壁で取り囲まれていて、金持ち特有の個人主義がありありと見て取れる。自分が利益を得られるかどうかが大切という考えは分かるが狭い世界に引き籠もり、外に目を向けず、何一つ成さないまま豊かなサービスだけを受け取るのであれば、それは家畜と同じだ。
 こうして見ると、笑えるほど似ている。
 自分達が「持つ側」だと自惚れながら、実態に気付かない。何とも愚かしい噺だ。金なんてのは使いこなしてこそのものだ。太る為に使うのならダイエットなどやめろ。満たされた環境の中で、それでも痩せていたい、などと。
 実に、馬鹿馬鹿しい。
 それなら仕事をしろ。
 どんな環境であれ、仕事を成しているのなら、そんな事にかまけている暇など無い。金儲けだけをしているからそうなるのだ。金を儲けるだけで社会を回さないのであれば、それこそテロリズムと、何ら変わらない。
 他にやることはないのか、嘆かわしい。
 エレベーター(これも、今となっては嗜好品に等しい。空間転移が出来る技術があるとはいえ、やはり人間は手段そのものを楽しむ傾向がある)に乗り、目的の階へと辿り着くと、そこには秘書らしき女が待ちかまえており、私の上着と荷物を受け取ると口にした。とはいえ私の荷物には食料だけでなく緊急時の手段も多数搭載されており、軽々に人に渡す物ではない。
 丁重にそれだけは断って、扉を開いた。
 全面に貼られた窓を眺めるという、在り来たりな迎え方は減点だったが、その面は中々愉快で、彼? は天狗のお面を被っていた。
 顔は見せたくないらしい。
 だからって面はどうかと思うが、簡単な方法で良いかもしれない。確かに、面を見せたくないのであれば、一番楽な方法だ。
 売れる映画の手法だしな。
 験を担いで私も真似するとしよう。
「よう、お客さん」
 印象と違って割と軽い声を出しながら、依頼人であろう男は紫のスーツを正しつつ、丁寧に紅茶を入れてテーブルに座る。私もそれに合わせ椅子に座った。カフェインなど麻薬みたいなもので、常飲すると、やめた際に脳の血管が収縮し激痛が走る。だから今回の紅茶は有り難かった。
 当然、ここから仕事の噺を始めるのだが、その前にやる事がある。
「それじゃあ、金の話をさせて貰おうか」
 無辜の民を殺すかもしれない依頼の上に、金を既に既に受けとっておきながら、追加の必要経費を請求するのも、やはり私だった。
 
 
 
    5

「いいぜ、ただし条件がある」
 そんな話をしたものだから、仕事の難度が増えたらしい。やれやれ、参った。
「この設計図を手に入れて欲しい」
「これは?」
 渡された資料を見ると、そこには駆動パーツであるらしいものの技術理論が書かれていた。資料によると、この技術が確立されれば人体と生体の完全なる融合が果たせるらしい。現時点では機材と生体の間が繋がれているだけだが、要するに、その境すら無くせるのだ。
 そんなものを人間と呼ぶのかは知らないが。
 いや、きっと呼ぶのだろう。見た目が変貌したところで、中身が変わる訳でもない。
「その設計図を手にした後は、どうする」
「どうする、とは?」 
「例の連中だよ。テロリスト共は皆殺しか?」
 私自身はどうでもいいが、しかしあの女がしてやったりという顔をするのは許せない。私の信条のようなものだ。
 下から相手をこき下ろす。
 その方が、面白いからな。
「当然、始末をつけるさ。何か問題が?」
「いや、確認しただけだ。それだけ実験体が多ければ、何か利用できるかもしれない、と思ってな・・・・・・どの道、争いの中でしか生きられない連中なのだから、紛争地域に派遣でもすれば安く使えるかもしれない、と思ったのだが」
 天狗の男は一瞬考えてから、
「そりゃいいが、奴らが俺の意見を聞くとは思えないな。お前が説得できるなら、構わないが」
 表情は見えずとも思考は読める。作家であれば何者であれ相手の心を読み解けるが、私の場合、相手の魂まで見透かせる。 
 単に性格が悪いからだが。
 そして優しくない。甘さのある作家なら別かもしれないが、私には容赦などない。慈悲も温情も不要だ。そんなもの受け取った事もないし、自身が受け取った訳でもない利益を、何故相手にだけ渡さねばならないのだ。
 しかし、案の定あの女の吠え面は安いらしい。依頼を受けた時から理解していた事だが、今回の依頼人はこの惑星には興味がない。文字通りゴミを片づける感覚で、始末を依頼しているだけだ。 ゴミを扱うように敵対者を始末する、この私が言うんだ間違いない。
 何にしろ、無駄な手間がかからなくて良かったといったところか。連中を説得するのは中々骨が折れそうだが、算段がついただけマシだ。
 極論、達成出来なくてもいいしな。
 連中自身が破滅を望むなら、あの女もしたり顔はしないだろう。あの女は無辜の民(そんなのは有り得ない概念だが)を殺すという人間の醜さが見たいのだ。勝手に破滅する人間がどうなろうと気にはすまい。
「いいだろう、とりあえず私の方で連中に説得を試みてみるとするか。ところで、仕事に関する話はこの資料だけか?」
 天狗男はゆっくりと頷いて、「そうだ」と口にする。今回は依頼そのものは単純らしい。無駄に複雑でも疲れるだけなので、正直助かる。
「後は連中の拠点を探すだけだ。どうもスラム街を通じて活動しているらしいが、現地にはロクな施設もなく、我々のドローンによる調査だけでは限界がある。直接出向いて情報収集しなければ、連中の居場所は掴めない」
「おいおい、それこそ兵士では駄目なのか?」
「知らないのか? 近代では金のかかる兵士など全てドローンに置換されている。アンドロイド達が自我を獲得し人権を得た時点で、人型の兵士に居場所は無くなった。そうでなくとも、今の時代に情報収集を現地で出来るような人材など、そういないさ」
「何故だ?」
 人間の兵士だってゼロじゃあるまい。ならば、現地に出向かせて情報収集くらい可能な筈だ。
「過度に「自由」だの「権利」だのが尊重される世界で、そんな頑丈な人間は育たない。台本通りにしか喋れない役者のようなものだ。アドリブが効かないから、言われた通りに行動する以外には役に立たん」
「・・・・・・・・・・・・」
 これも現代社会の弊害か。人権や自由ばかりを得ようとした結果、人間は弱くなった。戦場だけを重要視するつもりはないが、競争意識がない奴に成長などない。生死がかかれば嫌でも前に進む意志は身につき、無ければ死ぬ。それが生物淘汰というものだ。
 だが現代社会において、本来不要な生命が淘汰されず、そのまま残る事が多い。全ての命は地球より重いだの、誰にでも個性があるから誰にでも価値はあるだのと、甘やかし、争わず、変わらずそのままで良い、などと。
 その結果、ゴミの山が出来る訳だ。不要なゴミを捨てず、人間であれ資源であれ無限にあるかのように使い潰し、ロクに何も残せないゴミ以下の人間がゴミのような資源を増やし、そのゴミ共がまたゴミのような子孫を残す。
 言っては何だが何も成さず、どころか成そうともしない奴に、人に何かを教えられるとでも思うのか? 土台無理な相談だ。
 教えられる物がないのだからな。
「追加資金は君の口座に振り込んでおこう。それでよろしいかな?」
「ああ、結構だ。無駄話は好きじゃない。これで失礼する」
 言って、何か追加注文を受けない内に、早めに席を立ち、私は去った。本来であれば作者取材の為もう少し話すのだが、今回は余計な枷がある。 捨てるか使うかは分からないが、その枷を使い充足を得る為にも、必要な行いだ。
「ああ、待ちたまえ」
 何だ、まだ何かあるのか。先に言ってくれ、と口にはしなかったが態度には出した。
 何度も言うが、態度に金はかからない。
「これを持っていけ」
 言って、私に何かを手渡した。
「これは・・・・・・?」
 それは、小さな金貨だった。
 何だこれは。
「現地の情報屋に見せるといい。街の西で雑貨店を営んでいる筈だ」
 受け取って、私はそれをよく眺める。どうやら古い金貨らしく、文様らしきものが刻まれてある・・・・・・売れば高そうだ。
「返さなくていいならな」
「ああ、構わないよ。好きにしろ」
 それきり、我々は別れ、私は金貨を眺めながらエレベーターを下り、外に出た。
 呪いの金貨の噺は事欠かないが、今回もロクな労働になりそうにない。我ながら、悪運と奇縁にだけは、縁があるようだ。 
 私は楽さえ出来ればそれで良いのだが、どうも背負った業らしい。そんな業は捨ててでも実利を得られる平坦な道を歩きたい。
 私の意志や行動が結末を左右した試しなどないので、恐らくは今回も面倒事だろうがな。
 コインをしまい、私は歩き出した。
 空には、鬱陶しい程輝ける太陽が、我々の事情とは関係なく、その威光を以て世界を照らし続けるのだった。
 
 
 
 
 
 
     5 

 先程の依頼人、作品のネタを得られただろうか・・・・・・分からない。結果を急ぐあまり過程を軽んじたと言えば、それまでだ。
 その過程を見れば、気付かなかった筈の何かに気づき、勝利に近づける、とでも言うのか? 
 まさか、だろう。
 意志があれば辿り着けるというなら苦労しないし、私はそういった感性がないのだ。そもそも、己に「意志の力」などというものが入っているのかすら、私自身では実感出来ない。何者の意志を向けられようが物ともしない反面、私は私自身の意志が力を持つのかさえ不明瞭だ。
 意志の力など、底が知れるがな。
 向かおうと思う事と、実際に辿り着けるかは、また別の話だ。大体、私には頼りになる味方などいないし、その意志を継ぐ者もいない。読者共がそうだとでもいうのか? 生憎だが物語の内容を次の日には忘れるからこその「読者」なのだ。
 それで世界が変わるなら、とうに変わっている・・・・・・いや変わったとして、読者共が私の意志を継いだところでそれは私には関係の無い話だ。
 まず私が生きている間に売れなければ、物語の意味がない。死後に物語を広めた作家もいるが、当人からすれば良い迷惑だろう。生きている間に売れなければ、物語など他人事だ。実際、物語の内容など、書いている私でさえ覚えていない。
 覚えられる訳がない。
 売れもしないのにどれだけ書いたと思っているのだ。人類史史上、売れない内からここまで物語を綴ったのは私が初めてだろう。嬉しくもないが地上初の体験という訳だ。だが、現実には苦労を重ねるかどうかというのは、無駄な時間を費やす事でしかない。無駄を積み重ねたところで、無駄なものは無駄なだけだ。
 遊びのような物語であれば書いている奴もいるのだろうが、真剣に何かを語り世界を覆すなどという、作家特有の妄言を現実に昇華させようと、本気で世界に挑んだ奴が、他にいるとは思えない・・・・・・すぐ売れた作家ならいるだろうが、しかし売れない内からそんな事を考え、売れないままに物語を書き殴り、こうも無駄な遠回りを繰り返した作家など、他に類を見ないだろう。
 不遇な境遇だと言われる大作家でさえ、大抵は一冊目から日の目を浴びている。暗闇の中で馬鹿の一つ覚えみたいに、手元を照らすランプもないままに、私はひたすらに書き続けた。その過程で知ったのは、現実には意志や過程など無力なもので、ただ達成するか否か。それが別に、当人の力でさえなく、ただの偶然によるものでも、現実に力を持つのは、ただ過程はどうあれ力を手にした者だけだという「事実」だ。
 全く、忌々しい噺だ。
 意志の有無など無力でさえ無い。存在しないのと同義だ。意志で世界が変わるなら、世界など、とうに変えられている。「力を持つ者」が意志をどう振るうかが問題であって、その力を手にするか否かは、当人の意志とは関係がない。力を手にする奴が偶然世界を変えようと動くか、あるいは世界を変えるように、誰が当選してもそう考える社会でも作り上げるかだ。偶然で力を手にした奴には、世界を変える為に何をすれば良いのかも、分かろう筈がないのだからな。
 当たり前だ。何せ、変える必要のない世界で、今まで生きてきたのだからな。私のように全てを変えなければ呼吸も出来ないような奴とは違う。最初から何もかもに恵まれてなければ、そんな暇な発想など持つまい。精々が紛争地域にトイレを作り、物資を届ける程度だ。そんな事をする暇があるなら、まず富の独占をやめれば良いだろうに・・・・・・そもそもが、それほどの力を、個人が持つ時点で間違えている。いっそ均等に分配でもすれば、雇用問題も貧富の差も改善されるだろう。
 それをしないのは、建前で綺麗事を語りつつもわかっているからだ。結局の所、人間は自分だけが可愛い生き物であり、金を持ちすぎた事に嫉妬されるのが嫌だから、「善行であるらしい」行いを真似ているに過ぎないのだと、無意識下の中で自覚している。
 だから、綺麗事で誤魔化すのだ。
 下らない。他にやることはないのか?
 そんな事をする暇があるなら、まず無駄に何かを独占する事をやめればいい。大体、何故現場で働く奴の給料が少なく、上で座っているだけの奴がその数十倍の金を貰うのだ。上に立つ者の義務があるとすれば、それは雇用を増やし、経済を回して、世界を押し進める事にある。
 その義務すら知らずに、ただ上に立つ。
 豚じゃあるまいし、少しは考えたらどうだ。
 どれだけ売り上げを上げても日々の給金に差がないのであれば、やる気などあろう筈もないし、まして誇りなどある訳がない。お題目だけ掲げてそれを復唱させれば何とかなるのだと、そう思い込んでいる。馬鹿馬鹿しい噺だ。
 豊かになれるのだ、という実感が沸かない企業など、存在する価値はない。ただのゴミだ。
 会社に金をため込んでどうするのだ。貴様等、これから戦争でもするのか? そんな気概があるならその力を外に向けろ。
 まるで世界に横たわる理不尽だから、自分達のせいじゃない、と言い張りたがるが、金を持つという事は、それだけの力を持つという事であり、そういった連中が遊びほうけているだけだから、今の経済問題や政治問題があるのだ。その事実に目を背け、まして汚らしい綺麗事、他国の支援をやっている暇があるなら、まず企業の金の割合を改訂しろ。
 第一、企業の長がそれだけの金を持ち、だから何だというのだ。その金で企業を更に富ませるのならともかく、富んでいるのは上だけではないか・・・・・・現場の奴等が生活も出来ない状態で、どう企業を成長させるというのか。
 あまつさえコスト削減の為だと海外で奴隷労働をする始末だ。高尚ぶったお題目を掲げている奴に限って、こういう企業を率いている。実際には勿論違う。高尚なのはお題目だけだからこそ現場では阿鼻叫喚が響きわたるのだ。
 会社を太らせて喜ぶのは、会社が太る様を見て喜べるだけの余裕がある奴だけだ。下を痩せ細らせて上が太ってどうする。
 貴様等は脳だけあれば生きていけるのか?
 なら胴体など持つな。そのまま脳死しろ。
 豪奢なパーティに身を投じている暇があるなら仕事をしろ。私など、栄養摂取目的の食事ばかりだぞ。たまにそういう食事もするが、頭の中では作者取材の事で他に頭が回らない。映画を見ても食事をしても、常に頭の中ではそれだ。
 いい加減、嫌になるがな。
 だが、それが「仕事」というものだ。
 
 
 

 仕事という概念を、金を稼ぐ事だと勘違いしたまま人生を終える馬鹿は多い。それなら誰も苦労しない。その理屈で行けば、その当人など何一つ世界に必要ないではないか。中身のない電脳上のビジネスなど、その最たる例だ。何も生み出さず何も変えられない。それで何になるのだ。 
 最初から最後まで、存在しないのと同義だ。
 挑んで変えようとするこちらにすればたまったものではない。そんなゴミが金を握るなどあってはならない事態だ。
 全く、忌々しい限りだ。
 私はつらつらとそんな事を考えながら、現地の町並みを眺めていた。かなり荒れており、人影も少ない。何より、惑星間を移動できるこの時代に不似合いな、旧時代の文化が見て取れる。
 どの時代も、同じ事だ。
 結局は上に立つ、と思い込んでいる連中が技術を独占するのだから、人類の発展に意味はない。搾取する側に回らなければ、関係ない噺だ。
 精々評価できるのは、ゲームと漫画程度だろう・・・・・・物語だと? 生憎だが傑作の数々があったのは古い時代の噺であって、今書店に並んでいる数々の物語は、駄作の山でしかない。読むに値し参考になる作品など、極僅かだ。
 その極僅かですら、売れてからつまらない駄作に走ったりもする。ドラマの台本なのか何なのかわからない駄作だ。人間が演じる前提で書かれた物語などに、何の価値がある。
 シェイクスピアではあるまいし、貴様等にそれだけの才能があるのか? そこまで自惚れられるなら、ある意味傑物だがな。そもそも現代の役者は金銭が絡み過ぎて、どいつもこいつも大根役者ばかりだ。テレビに流される駄作の数々を見れば嫌でもわかる。あれで演技のつもりか?
 魂も賭けずに、演技で食えるとはな。
 実に羨ましい噺だ。
 作家に限らず何かを志す奴など大馬鹿ばかりで当たり前だろう。狡賢く儲けて何になる。そんな暇があるなら為替でもしていろ!
 私は儲からなかったがな!
 ふん、いずれにしろだ。己こそは世界一の自負があると恥ずかしげもなく公言し、その在り方の全てを賭けて世界に挑み、分不相応な態度で俗人の全てに敵対する。その程度の覚悟もなしによくもまあ一流を気取れるものだ。
 反省しろ、馬鹿が! 
 生きる価値を示さない凡俗に、生きる価値など有りはしない。不要な人間はいないだと? 馬鹿をいうな、人間など有り余っているではないか。 幾らでも替えは効く。
 死んでも誰も困りはしない。
 いてもいなくてもいい奴ばかりだ。
 無駄に増えすぎたせいで、役割を示さずとも、運さえあれば生き残れる社会になった。だから、そういうゴミはこれからも増えていく。
 そういうゴミ共が自ら自殺するか、あるいは、世界に挑んで役に立つ奴だけが生き残れるようにするのが、物語の役割だろう。
 そういう意志を持たせる為に、物語はある。
 物語とは、元よりそういうものだ。
 その事実を、忘れているだけでしかない。 
 その程度の事実も忘れ去る読者に、期待出来る何かなどない。読者とは、そういうものだ。
 人間性がある奴には、分からないのだろう。

 我が道には、何も無い。

 それだけは知っていた。知っていたからこそ、人間の悪性、いや世界の醜さ、裏側にあると見せて両面にあるもの、人間が見ないまま終わらせる全てを、生まれた時から知っていた。
 心から信頼出来る友だとか、背中を預けられる仲間だとか、あるいは支えてくれる女の様な存在は、私の未来に存在しない。行く末には荒野だけがあり、そういった都合の良い何か、人間的幸福の数々は、私には「無い」のだ。
 それを被害者ぶる感性すら、無かった。
 だからこそ、私にあるのは目的意識だけでありその先にある実利だけだ。人間的なものの全てに背を向けて、世界を破壊してでも己の利益を優先する。まさに最悪だが、しかし知った事か。何故私が周囲の事など気にせねばならんのだ。
 思えば、何故幼少の時からそんな確信があったのか疑問ではあるが、案外、比喩ではなく人間と同じ場所から来たのではなく、もっと別の場所から来た「何か」なのかもしれない。どうでもいい事ではあるが、それはそれで作品のネタになればいいのだが。
 まあ何でもいい。金になれば。
 問題は、そこだ。
 どうも、現代社会では非人間という奴は、幸運が味方し辛いらしい。単に私のような悪に対して味方すると世の中に悪影響を及ぼすからかもしれないが、しかし現状私より酷そうな善人共に幸運の雨が降っているからこそ世界がこの様なのだ。であれば、むしろ私のような奴にこそ、その恩恵があるべきだろう。
 全く、何をしているのだ。
 この役立たず共が。
 神仏の存在などどうでもいいが、しかし傑作を評価し広める事を怠るなど何事か。その程度の事も出来ないとは、情けない。私の有り難い物語を読んだのであれば、一も二も無く全財産を使ってそれを広めるのは義務だろうに。知らないというなら怠慢も良いところだ。文字が読めないのか、駄作しか知らないのか、何にしろ大層な力の数々を備えながら、その程度も出来ないとはな。
 宝の持ち腐れではないか。
 豚に真珠を与えたところで、使いこなせなければ意味がない。実際、神仏を崇める奴は多いが、その神仏が何か世界を変えた噺など聞かないし、何よりその神仏を崇めている人間が何をしているのかというと、環境破壊に弱者からの搾取、偽善で取り繕った自己弁護に汚らしい綺麗事で欺瞞に満ちた在り方を肯定しているだけだ。
 崇高そうな者を崇めて、自身を同一化する。
 結局のところ、連中の目的はそれだけだ。神仏を見習い何か変えたい訳ではない。神仏であれ、完璧な存在など元より有り得ない噺だ。
 自分達はその「完璧そうな存在」を信じているから「尊い」のだと信じたがる。要するに綺麗な存在でいたいのだ。その発想そのものが汚らしい綺麗事故の考えだが、現実に力を持つ輩に現実を直視する必要など、無い。この矛盾こそ、世界を作り上げてきたまごうことなき真実だ。
 噺が逸れたが、何にしろこの身に未来がない、その程度で立ち止まる私でもない。人間的な何かなど、生まれた時から切り捨てている。
 だからこその「私」だ。
 それを否定するのは、単に自分達がそういった温い環境にいるからであって、私の存在そのものを否定している事すら、見たくないのだ。だから私に対して「人間的な幸福」を主張する奴は多い・・・・・・それを感じ取るのは、もう「私」ではない別の誰かだ。
 そんなのは御免だ。
 身勝手な同情で自己満足を得るのに巻き込まれては、たまらない。下らない些末事で足を引っ張らないでほしいものだ。
 そんな私の荒野に匹敵するのではないかと思うくらいには、この街には何も無かった。技術的な進歩など、まるで見込めない。どれだけ科学技術が発展したところで意味がない事を象徴しているかのようだ。人間の進歩、人間の成長、人間社会の和合の全てなど、下らないものだ。だからこそ世界は何も変わらないままここまで来た。
 実際、何が変わったというのか。
 未だに、いやむしろ今までよりも経済的な殺人行為は推奨される傾向にあり、幸運だけで世界の行く末や人生の全てが決定される世界の有り様も固定された。表向き「手と手を取り合っての平等な世界」を謳い、「誰もが唯一の価値がある」と嘯いているのは、翻せばそういった世界の事実に目を背ける為なのだろう。だからこそ、汚らしい綺麗事に耽溺するのだ。
 暇な連中だ、全く。
 忙しいのは悪人だけか。
 案外、仕事として働き続ける奴の事を、悪人と呼ぶのかもしれない。実際、何かを押し進めるということは悪であり、生きていれば必ずその悪と向かい合う。それを貫き通し、競争による他者の排除の上でこそ、仕事が成し遂げられる。ならば生きているだけで悪であり、生きるからこその悪がある。
 その悪から目を背けられるだけの余裕、幸運に恵まれた暇人でもない限りは、善性を叫ぶ暇など有りはしない。あるものか馬鹿馬鹿しい。
 そんなものを謳う暇があるなら、働け。
 仕事もしないで金を得るとは、羨ましい噺だ。 そういった連中の犠牲者らしき町並みを眺めていたが、荒廃しているだけで何も見つかりそうにない。街の壁は壊れており、中の住居も廃墟同然のようだ。これでは食い物の一つも見込めそうにないので、常日頃から非常食や医療品を鞄の中に詰め込んでいて正解だった。
 いざとなれば、これで撲殺出来るしな。
 自然からなる物はいい。意味もなく、どころか後先考えず乱獲するのは論外だが、無駄なく適度に使うのであれば、これほど理に適った自然資源の使い道は、他に無いだろう。革製品には使い道が非常に多い。体を暖めるのにも、人を絞め殺すのにも使える。まさに万能の自然資源だ。
 人工の品には、ロクなのが無いしな。
 自然物の中でも、私のような世界と相容れない奴が存在するのだから、どうあれ混じれない何かは存在しなければならないのだろう。世界がどうというよりは、これも当たり前の事だ。
 どんな大量生産品でも、必ず外れ物がある。
 それは些細な塗装ミスであり、あるいは作り手の拘りかもしれない。何にしろ作る側使う側からすれば「存在そのものが間違い」である訳だ。
 だが、知るか。
 私は正義の味方ではない。悪の味方だ。この身の存在そのものが間違いであるとして、間違いを貫き通すからこその「最悪」だ。
 まあ、貫くだけでは金にならないのだがな。
 中々上手く行かないものだ。
 
 都合の良い物語など、書けない。
 
 誰かが荷物を持ってくれたり、あるいは誰かが都合良く助けてくれたり、運命的に縁が繋がって巡り巡って辿り着く事など、無かったのだ。
 体験していない事は、書けまい。
 強さによる弱さも、弱さによる強さも。
 私の道程には存在すらしなかった。 
 であれば、その道程で得た経験を書くだけだ。夢も希望もない。まして、勝利へ向かう道筋など概念として捉えられない。有りもしない物は手に取れない。だからこそ、私に出来る事は僅かだ。 根拠も無く確信を持て。
 実力も無く態度を保て。 
 未来も無く笑顔を放て。
 その悪逆を表情に浮かべながら高笑いし、その様を世界に見せつけろ。要するに虚勢だが、その虚勢だけで世界が頭を垂れてしまう程真に迫った迫真の態度で、世界が屈服せざるを得ない程追いつめろ。
 これは、誰にでも出来る事だ。
 他でもない私が言うんだ、間違いない。
 まあ、だから何だって噺ではある。現実に力を持つのはそんな精神論ではない。いやこの場合、根性論か? 何でもいいが、いずれにせよこんなのは世界の見方を変えるだけだ。こうまで遠回りを繰り返し手に入れた物がそんな、ありきたりの考えだと言うのだから、我ながらどうかしている・・・・・・力を持つ輩なら、違うのだろう。
 連中は目先も見えていないだけで、世界の見方を変えればそれだけで世界に力を有用に使えるのだろう。とはいえそんな、恵まれた愚か者共の噺をしても意味はない。どうせなら手に掴める力が欲しかったが、私に出来るのは道程に対する答えを出す事だけらしい。
 役に立たない経験だ。
 そんなものより為替の才能でもあった方が人生を豊かに過ごせるだろうに。大体、読者共がその考えを受け継いで、それを未来に繋げるなど有り得ない噺だ。物語を扱う人種が絶滅している時代の中で、そもそも広めるも何もない。
 まさしく、無駄な徒労だ。
 手を抜かず世界に向かい合うか。言葉面にするなら綺麗なのだろうが、それだけだ。現実に力を持つのは手抜きでも何でもただ「力がある」事であり、当人の意志や行動に関係なく、運良くその力を手にするか否かで文字通り「全て」が決まる・・・・・・・・・・・・その事実から目を背ける奴に、世界は何も変えられないだろう。いや、力さえあればどうとでもなるのが世の常ではあるが、そうではなく「世界を先に進める」という意味合いでは、恐らく何も出来まい。
 出来ないからこその、この時代だ。
 私個人はどうでもいいがな。私の作品を通して読者が何を学び何を進め何を得るのか。そんな、私に関係ない些末事には興味がない。大切なのは私の貯金残高であって、作家としての使命みたいな何かがあるとすれば、それは物語を通して悪意を読者に刻み込み、その伝染する悪意で世界全体を炎上させる事だけだ。
 見ていて笑える光景ではないか。
 自業自得で人類を追いつめるのも、面白い。
 第一、現状では悪意を刻むどころか、不世出のまま全てを終える事になる。文字通り、最初から何もしない方がマシな事態だ。先に進むどころか進む前より後退している。無駄な徒労を繰り返し無駄な遠回りを繰り返す。それらから得る何かがあればいいが、少なくとも金にはならないようだ・・・・・・私が言うんだ間違いない。
 何の役にも立たんぞ。
 汚らしい綺麗事を述べる奴に多いが、そういう遠回りから得られる経験こそ貴い、などと。よくもまあ体験した事もない癖に言えたものだ。
 実際に体験してから言え。
 疲れるだけだぞ、こんなのは。
 私のような悪人でなければ、廃人になっているのではないだろうか。遠回りをして生き残る権利は悪人だけにあり、楽して生きている善人共とは違って、手を抜かずに世界に向き合っているのも悪人だけ、ということか。
 善悪など、余裕がある愚か者の戯言だ。
 正義など、暴力がある痴れ者の妄言だ。
 尊さなど、実力がある馬鹿者の虚言でしかない・・・・・・現実を何も見ていないから出る台詞だ。
 実に、つまらない。
 見ていて面白くも何ともない喜劇だ。
 この世全ては全て悪だ。悪でない存在など一つも存在せず、人間も怪物も神仏も、等しく悪だけが存在する。
 生きているからこそ悪を成す。
 死したところで同じ事だ。
 生きているだけで何かを踏み潰し、死した後でさえも何かを貶める。肩書きが人間であろうが、神仏であろうが同じ事だ。悟りを開けば何も殺さず生きていけて、全能であれば全てを救い何一つこぼさず世界を導けるなどと、情けない。
 神仏の実在など知らないが、いるならいるで、ならば何故世界にこうも理不尽があると思うのか・・・・・・いやそもそもだ。それはそいつらが超常の力を持つから、それらを押しつけられるだけだ。暴力での支配と何も変わるまい。
 結局は力頼りだ。
 力に頼る癖に、汚らしい綺麗事を口にするとは何たる二枚舌だ。空論で現実を誤魔化すだけで金を稼げるのだから、ある意味羨ましくはある。
 楽な道程で羨ましい。
 神仏にしろ何にしろ、自身の正当性を謳う時点でロクなものではない。何であれ絶対の指針などなく、あるとすれば己の定めた法だけだ。
 その法が金になるか、世界に通じるかは運次第ではある。無ければこの様だ。それらを体験した私にすれば、そのような言葉で誤魔化すなど侮辱に等しい行いだ。理不尽の何たるかどころか一部すら知らない愚か者が、自身の正当性を語るなど分を弁えないにも程がある。 
 大体、全能の神や悟りを開いた仏がいたところで、だ。そいつらが「力がないが故の苦悩」など味わった事があると思うのか? 
 世界に否定され、それでも挑み続けた事があると思うのか? 
 間違いである事を自認した上で、高慢な世界に刃を向けた事があると、本気で思うのか?
 本気でそう思うなら、脳手術の準備をした方が良いだろう。既に手遅れだが、それでも腐った脳を摘出すれば、中身が無くとも臭いは消える。
 やはり「悪」だ。
 気高い悪こそが、生きる価値がある。価値無き正しさの権化など、それこそどうでもいい事だ。とはいえ、悪であるという事は、それだけで世界に押し潰されそうな程「追いつめられた存在」である事の証左とも言える。
 私が言うんだ間違いない。
 追いつめられ過ぎて、開き直るからこその悪党なのだ。要するに、勝ちの目など最初から無い。勝てない戦いを抗うからこその悪だ。
 実際、それで勝てないのではどうしようもないが・・・・・・何とか協力者を得られないものか。金を払えばある程度人は雇えるが、電脳世界の中にはロクな人材などいない。駄文を書き漁って小銭を貰う事を「仕事」だと勘違いしている輩だ。金を貰うだけで、成果を保証する気などない。
 言われた事をやれば、貰えて当然なのだ。
 馬鹿馬鹿しい事に、そういう奴ばかりが、電脳の世界には溢れている。作家でもないくせに口先だけとは、何とも笑えない冗談だ。
 とりあえず依頼資金を貯めるしかないが、依頼した挙げ句そんな、餓鬼のような妄言を垂れられては、全てが水泡に帰すだけだ。やはりというか私個人の意志や行動とは別に、何かを動かす必要がある。賽銭をくれてやったところで連中は何の役にも立たない穀潰しだったので、神頼み以外の何かだろう。
 何だろう、そんな方法があるのか?
 金の力で何とかしたいところだ。問題なのは、金の力が幾らあろうが、それを活用する権力とは別に分かれている部分だろう。有用な人材を使えなければ意味がない。いや、いっそそういう人材がいそうなところに、札束で殴り込むべきか。
 半端な札束では見向きもしないだろうし、札束がそれだけあれば苦労しない。つまらない労働で稼いではいるが、それだけだ。それに、そういう人材が本来あるであろう編集会社の数々こそが、最初から売れそうな作品を扱いたいだの共同出版だからと金だけ取って売ろうともしない、ゴミの住処になっているのが「事実」だ。
 それ以外で探すしかあるまい。
 探して見つかれば、だが。
 やれやれ、参った。堂々巡りか。安っぽい物語と違って、本来歩むべき道に対する答えとはこうやって出すのだが、しかし現実問題それだけでも困る。歩むべき道に黄金が無ければ金にならないではないか。
 世の中答えより実利という事か。
 それも今更の、当たり前の答えではある。
 こうも手間暇を賭けて得られる成果がこれでは物事の過程や当人の意志や行動が、如何に些末で下らないものなのか、分かろうという噺だ。
 今回の依頼は、どうだろう。
 彼らの意志や行動は、報いを得るのか。
 それもまた、やはり運次第だろう。運に見捨てられた奴を助ける程、私は暇でも、博愛主義でもない。そういうのは子供向けの噺で十分だ。
 私は、私の為に戦うだけだ。
 その他など、知ったことか。
 いや、この考えが駄目なのか? 己以外を省みないからこそ、縁に恵まれないとしたら? だが現実問題私には縁など存在しない。考えをどこに向けたところで、何をどうしようが敵になるだけだからこその「私」だ。それこそ汚らしい綺麗事から出る、情けない言い訳だろう。
 横から私に対してそういう妄言を垂れる馬鹿は多いが、実際には無論違う。己以外に敵だけしかないのだから、向ける意志など他にはあるまい。それらを打ち砕く為の悪意を刃に、理不尽の全てに戦いを挑むだけだ。
 故に、そういった後付けの言い訳など介入する余地は無い。実は行いがどうのこうのと、後から適当な妄言を垂れる持つ側など生きる価値無し。 後は単純に運次第だ。
 その運が付いてこないからこの様だが、それを悩んでも出来る事は無い。とりあえずは適当に、流れの先を見るとしよう。
 個人の意志や行動という、何一つ変えられない汚らしい綺麗事に付き合ったところで、一円にもならないからな。子供の遊びなら余所でやれ。
 私は御免だ。
 遊び人が私を巻き込むんじゃない。
 少しは仕事をしろ、間抜け共が。
 そういう馬鹿共に限って夢や希望という空想を信じたがる。私にとってそれは存在しない概念であり、手にしたところで掴めない概念だ。
 夢も希望も未来も、あらゆる願いの全ては私にとって語るものであり、体験するものではない。外側から眺め語るだけだ。人間的な幸福など存在しよう筈がない。怪物であれ人間であれ感じ取る心があるからこそ、喜び、泣き、叫び、憎しみを持つのだ。そういう意味では、憎悪を持てる時点で、恵まれている証とも言える。
 かといって怪物連中のように便利な力すら持ち合わせないというのだから、究極の貧乏くじだと言えるだろう。人間には、いや人間でなくとも、思い上がりを防ぐ為には病や貧困、裏切りなどが必要だという考えがあり、だからこそ得られる物があると言いたいのだろう。生憎だが私にはそれすらない。
 この様で何を得られるというのだ? 
 予定調和であるかのように、己の意志や行動の全てが水泡に帰し、積み重ねた労力は、初めから無かったかのように世界が回る。石ころを投げる事一つとっても絶対に上手くは行かず、行動するだけで敗北が確定し、どころか挑戦する権利すら持つ事が出来ず、それでも私はここまで来た。
 まあ来たから何だって噺だがな。
 実利が無ければそれこそ、何もしていないのと同じだ。そんな遠回りなどどうでもいい。読者が求めるのは都合の良い逆転劇であって、理不尽が如何に覆らないかなど知りたくもないのだ。
 ましてそれに挑む姿など。
 それはあくまでも覆せるから、だからこそ挑む姿が見たいのであって、覆せないまま苦しむ姿を見たがる奴などいない。仲間との協力で一人では無理な状況を覆しただとか、そんな事が出来るのであれば最初から理不尽でも何でもないだろうと思えるような、都合の良い物語を見たいのだ。
 現実に覆せない自分を、慰められるからだろう・・・・・・要するに達成感だけを、何の努力もせずに得られた気分になれるからだ。麻薬中毒者と何ら変わりない。教訓を得られる物語が莫大な金銭を生むのは多大なる幸運に味方された時だけだ。
 そんな連中が人間性を持つなら、不要だ。
 ゴミ収集の趣味など無い。
 喜ばず、怒らず、哀れまず、楽しまない。いや感じ取る感性は無いが、その真似だけなら私にも可能だ。
 喜んでいるかのように叫び、
 怒っているかのように憤り、
 哀れんでいるかのように嘆き、
 楽しんでいるかのように笑うだけだ。
 下らない人間的、いやあの女は怪物属性だったので(まあ属性や肩書きなどどうでもいいがな)怪物特有の繊細な思考回路に沿った考えで、私を哀れまれる覚えもない。そんな暇があるなら私の物語を売る手伝いをして欲しいものだ。
 私は虚無だ。心ある全てに対して対立する概念であり、社会が築かれる上で必ず発生するバグであり、汚らしい綺麗事が見ないで済ませる部分に存在する暗闇だ。
 無理矢理に力で世界を照らせば、必ずそこには虐げられた悪がある。その最果て、最も持たざる悪こそが「最悪」なのだろう。
 何とも役に立たない概念だ。
 どうせなら、もっと楽な役割が良かった。
 力で綺麗事を押しつけるなど、何とも楽な道程ではないか。他者には無い圧倒的な力で倫理観を説き、逆らえば地獄に落とす。こんな風に評せばあの女はそんな楽な道程ではないと激怒するかもしれないが、少なくとも悪人よりは楽である事は間違いない。
 何も持っていない奴が、態度だけで世界に匹敵するなど、如何せん無理がある。態度だけは匹敵するのだが、いつも圧倒的過ぎて全貌を掴むのが面倒臭いその差で押し潰されるのが日常だ。連中のように特別な力など、何も無いからな。
 それでも態度だけは高く張る。
 悪人とは、そういうものだ。
 生まれついての悪とは、生まれついて除け者である事が条件だ。世界に混ざれない概念であり、ただ己らしく在るだけで世界が迫害するべき対象であり、その思考回路だけで世界に挑む。仮に、全てを叶える願望器があったところで叶えるべき願いなど無く、それすら利用して目的を果たす、 いや、私の場合、願う機能など無い。
 その必要も、やはり無いだろう。
 何かを願うという思考は、とどのつまり何かに助けを求める行為だ。助けを求める相手どころかそういう感性すらない奴に、何を願えというのか・・・・・・そもそも叶わないからこその願いではないのか? 助けを求める、という考えも共感出来る筈も無い。楽な道程を選んでいる連中であれば、助けを求めれば助力を得られたりするのだろう。だが私の場合、助けなど求めれば隙を与えるだけでしかない。その間に殺されたらどうする。
 そんな暇があるならとにかく殺せ。
 息の根を止め首を跳ねれば、とりあえずは安心出来るぞ。そして殺したら次の障害を殺し探してでもその次を殺せ。死体の山を利用するか生きている奴を利用して殺せ。刃があるなら叩き斬り、腕があるなら殴り殺し、足があるなら蹴り殺せ。歯があるならば噛み殺し、頭があるならその頭で砕き殺せ。肉体が無ければ呪い殺し、魂が消えるのなら消えた先でも殺せ。現実に生きる上では、世界の全ては殺し殺され都合を押しつけあう為にあるものだ。
 神仏云々の倫理観とて、同じだ。連中の勝手な都合でしかない。よくわからない奴がよくわからない倫理観で力付くの裁きを行っているだけで、何一つ正しさなど存在しない。ただそこには都合の押しつけ合いがあるだけだ。
 やっている事は「同じ」だ。
 意図的に殺そうとするか、一方的に押しつけ、無自覚なままに殺すかの違いだ。とどのつまり、殺さなければ先に進めない。相互理解など神仏でさえしないのだから、まさか、この理不尽蔓延る世界でそのような汚らしい綺麗事など、存在する価値など無いだろう。
 持つ側が余裕があるから遊んでいるだけだ。  子供の遊びを本気にするな。
 それでは、生き抜く事など出来はしない。
 何であれ、押しつける力があればそれで勝利が得られるものだ。相手側の都合を無視し、自分の都合を押しつける。これを人間社会では「常識」と呼ぶ。その押しつけが極まった遊び場が、連中にとっての「社会」であり「規範」だ。
 守る価値など微塵も無い。
 あるものか馬鹿馬鹿しい。
 なので、今回の依頼の際にも、そのつもりだ。どういう経緯でどのような大義名分があるのか、そんな些末事はどうでもいい。道徳を垂れるだけで何をしても許されると勘違いしている愚か者は多いが、そのような酔狂に付き合う義理もない。 こちらはこちらの都合を優先する。
 ただの、それだけだ。
 悪魔と契約する事で人間は魂を失うと良く言うものだが、私の場合それは無い。私自身契約などした覚えがないというのもあるが、得る物が何もないこの状況では、仮にそんな悪魔を名乗る何者かがいたとすれば、そいつには悪魔としての誇りも尊厳もどころか品性すら無い。かすめ取るだけの行為を「仕事」とは呼ばない。理不尽に貶めればそれでいいという浅はかな考えでは、悪魔ではなく神々の傲慢が近いだろう。
 恐らくは悪魔と名乗る連中がいたとして、最も嫌悪する相手と同じ行為をするのであれば、それは悪魔ではなく、その辺の屑と変わるまい。
 いずれにせよ馬鹿の愚かしい行為で振り回されるのはいつもの事だ。別にそれを許したつもりは無いが、こちらの意志など、どうせ関係無い。
 向こうが許可を得たと勝手に思い込んで勝手に押さえつけてくるだけだ。神々に悪魔が迫害されたように、悪魔は人間を迫害し、人間は世界全てを迫害する。力さえあれば何をしても許されるし己の行いを肯定出来る。それこそが世界を押し進めてきた心の有り様の原点だ。
 勘違いされがちだが、魂というのは持つべき物でも何でもない。むしろ、恥ずべき汚点だ。悪魔が魂を集めるという噺は良く効くが、そんな物を集めている時点で恥曝しな行いだと言えるだろう・・・・・・魂に価値など無い。価値がないから勝手に盗んで良い物でもないが、言ってしまえば捨てた使用品のようなものだ。
 それでも盗めば犯罪だがな。
 盗んだというなら、今後永久に私の下僕として物語を売る手伝いでもさせるべきだろう。もし、悪魔などという恥曝しがいれば、だが。
 いたところで役には立たない気もするがな。
 その辺は、毛嫌いしている神仏と変わるまい。 似たもの同士、というやつだ。
 少なくとも、本の一冊も世界に広められないのは確かだ。恐らく物語を読む知能も無いのだろう・・・・・・もしあるなら私の物語に感謝感涙、自分達の代わりに悪意を世界に広めてくれて有り難うと全財産を差し出しながら感謝してしかるべきだ。 たかだかその程度も出来ないとはな。
 役に立たない連中だ。これではチリトリ紙の方がマシだろう。動かしても埃一つ払えず、物語の一つも賞賛できないのではチリトリ以下だ。
 人間以上を気取る時点で、人間とやっている事は相違ない。能力や立場で偉ぶるだけなら猿山の猿で十分だ。その個人の有り様だけで世界に挑むからこそ価値がある。力だけで上に立つ輩など、食えもしない分チョコ菓子より使い道がない。
 つまり、小銭分の価値すら示せていない。
 今回の件はそういう、思いこみだけは激しい奴が中心にいる可能性が高い。エリーゼがそうだが妖怪変化の代行者が介入している時点で、それは分かっている事だ。作品のネタになればいいが、果たして生まれもって力を持つ奴などに、見所があるのだろうか?
 力どころか、力無きが故の長所すら持ち合わせない私には、そんな楽な道程など想像する事しか出来そうにない。羨ましい。神仏に生まれれば、ただそれだけで「善なるもの」として世界の規範になり、悪魔に生まれれば、ただそれだけで力を振るい自己満足の愉悦に浸れる。何であれ力さえあれば当人の努力など必要ない。
 意志や行動で未来は変わらない。
 ある意味では、それらは生まれつき付いていた力に振り回されているだけとも言えなくもないが・・・・・・その分楽が出来るなら羨ましい噺だ。
 神仏にしろ悪魔にしろ、その生まれ持った力があるからこその行いしか出来ない。当人の必要性など皆無だ。別に、地獄の王が明日から別人へと変わったところで、誰も困るまい。必要なのは、その力だけだ。当人自身など些末な問題だろう。 人間社会と同じ事だ。
 力があるから、認めさせているだけだ。
 当人自身に価値などない。
 あるものか馬鹿馬鹿しい。
 本当にそんな価値を示せているなら、肩書きに頼る必要などあるまい。大層な肩書きと大層な力をそぎ落とせば、連中はただの無職だ。
 そんな連中の一角と関わる。
 面倒事に巻き込まれなければ良いが、土台無理な相談だろう。やれやれ、参る噺だ。
 私は言われた情報屋のいるらしい雑貨店とやらに足を運んでいた。見ると、恐らく現代では扱う事すら稀な商品ばかりが並んでいる。何が原材料なのか分からない菓子類から、数世紀の時間経過を経たと言われても違和感を感じない古びた衣類の数々。用途の分からないプラスチック製品や、大昔のフィギュアまである。
 ここは何屋なのだ。 
「雑貨屋だと聞いてなかったかい?」
 見ると、浴衣を着崩した美人の女がレジを乗せている机に肘でもたれ掛かり、こちらを見ている・・・・・・おまけに古臭いパイプ煙草まで加えているようで、懐古趣味のようだ。
 最新技術と言えば聞こえは良いが、使いこなせない原理不明の技術よりも、こういう懐古趣味の方が生物の生活には合うものだ。人間は定期的に更新されたりしないからな。技術ばかり進歩したと嘯いたところで、技術に置き去りにされているだけの事が多い。
 頭は結っているらしく、髪の量は普通の人間の三倍はありそうだ。人気映画俳優に合わせた服装や行動しか取らない奴よりは、好感が持てる。
 自国の文化より侵略してきた国の文化に合わせ独自の文化を捨て衣服も食事も思想まで捨て去るようでは、その国はお終いだろう。
 体の良い洗脳だ。
 だから、面白くはあった。少なくとも、近代のつまらない色白一般庶民を見るより作品のネタになりそうではある。誰も彼もが争わず、誰も彼もが道徳を重んじ、誰も彼もが倫理観の内枠でのみ生きる世界。その中ではこういう、己が世界からどう見られようがやり方を貫く、という奴は非常に少ない。絶滅危惧種だと言える。
 やはり外に出てみるものだ。
 作品のネタは、どこにでも転がっている。
 そこに、人間の悪意がある限り、必ずだ。
「貴様が情報屋か?」
 言って、金貨を親指で弾いて机に出した。彼女はそれを手に取ると虫眼鏡(実際に使う奴など、生まれて初めて見た。中々絵になる姿だ)を手に取り、じっくりと観察する。
「間違いないね、これは親父殿の金貨だ」
「親父?」
 あの天狗面が父親なのか、あるいは親父のように扱われているのか知らないが、あんな胡散臭い奴にこんな美人の身内がいるとはな。
「それで、何か用かい? なんて無粋な言葉だよねぇ。勿論、知っているさ」
 ウチは情報屋だからね、と言って小さく折られたメモ用紙を取り出し、私に差し出した。
「・・・・・・こちらの用件は調査済み、という訳か。中々優秀じゃないか」
「よせやい。誉めたって値引きはしないよ」
 おまけにキッチリしている。正直実験体にされ反旗を起こしている連中の未来などどうでもいいのだが、その過程で作品のネタを得られるとは、予想だにしない副収入だ。今回は技術面で新しいから取材を考えていたのだが、本命とは違うネタが入りそうだ。
「では本題に入ろう。私に依頼されたのはここで決起を起こそうとしている連中の排除だが、その拠点はそちらで突き止めているのだな?」
「ああ、勿論さ・・・・・・ところでアンタ、どうするつもりだい?」
「何がだ」
 先に主語を言え。この先の未来をどうするかであれば、生憎アテなどない。まあ未来とは本来はそういうものだろう。私の場合、過去も未来も、現在でさえ完全な暗闇なので、光を追い求めるという発想そのものに、あまり共感しないがな。
「だから、さ。その実験体にされた連中を、殺してしまうつもりなのかい?」
「いいや、いまのところは取引で済ませるつもりだが、何故貴様がそれを気にする?」
 少し沈黙を置いてから、彼女はこう言った。
「それは、あたしが人間じゃないからさ」
 人間じゃない。
 どういう意味だろう。少なくとも私のような、真正の化け物には見えない。至極真っ当な倫理観を持っている。少し解雇主義だが、それはむしろ生命としては真っ当だろう。なのでこの場合は、恐らくそのままの意味だ。
「人間ではないものの血を引く奴が、この近代にいるとはな。それで、何の血を惹いているんだ」「それは、言えないさ。いや、言いたくない」
「そうか」
 まあ何でも良い。何の血を引いているかは些細な問題でしかない。肝要なのはどういう面白葛藤を持っているのかだ。
 見たところ、つまらない劣等感ではありそうだが、構うまい。ネタが無いよりはマシだ。
「あたしはさ、古い先祖様が妖怪変化の類だったんだそうだ。その名残がこの髪さ。世にも珍しい紫髪。売れば富裕層に高く売れてね、生活がままならない時分は、髪がなくなるかと思ったよ」
 ならば今切り捨てて分けてくれないだろうか、と思いはしたが、噺の途中なので聞く事にした。「それで? どんな迫害があったんだ」
「ズバリと聞くねぇ。いいよ、それくらいの方が話甲斐があるってもんだ。要するにさ、あたしは世界の外れ者なんじゃないか、と思ったんだ」
「それは、人間社会の中でか?」
「まあ、そうさ。真の部分で人間と相容れない。そういう自分がある一方で、他の人間と変わらず生活をする自分もいるんだ。なあ、想像付くかい・・・・・・その両方を味わうって事は、自分が世界の内側にいる感覚が、持てないんだ。生きているという感覚がない。だから、死なない。妖怪変化の類が長生きするのは、それさね」
 成る程、面白い発想ではある。
 社会の内ではなく、生命の輪の中にいないからそもそも生死という概念がない。生きていても、死んでいても同じ事。私とはまるで違うが、怪物連中も世界の有り様程度は考えているらしい。
「聞きたいんだが、世界の内側にいれなかったら何が困るんだ? 別に生活に支障はあるまい」
「それは、無理な相談さ。世界の内側にいない、って事はだ。常に世界の全てを敵に回しているという実感だけがそこにある。そんな在り方を容認出来る奴がいるとしたら、そいつはきっと、人間とは違う所から来た「何か」さ」
 何か、か。出来れば詳細をお願いしたい。
 なので私は追求する事にした。
「その「何か」とは何だ? 悪魔か?」
「いいや違う。悪魔でも仲間はいるさ。だがその在り方は仲間という発想すらない。敵味方どころか何があろうと全て敵だ。その辺にあるゴミ切れからどこにでもいる人間の全て、そして他の怪物連中ですら、仲間には映らない。そんな在り方が許容できるなら、そいつは悪魔より恐ろしいさ」「・・・・・・しかしだ。別に生活に困る訳でも、金を稼ぐ、はまあ難しいかもしれないが、それだけで他に問題はあるまい」
 いや、まあ、それが一番の問題なのだが。
 世の中上手く行かないものだ。
「アンタ、金さえあれば困らないのかい?」
 少し、いやかなり引いたらしい顔つきで、彼女はそう聞いてきた。私は勿論「何が困る?」と、そう答える。
「そりゃあ、アンタどこかおかしいよ。誰だって誰かに認めて貰いたいもんさ。けど、アンタにはそれが無い。世界の内側にいなくても、アンタは笑って生きられると言う。でもそれは、あっちゃならない話だ。だってそんなの、その在り方の中にどういう幸福があるんだい?」
「幸福か。生憎、それを実感できない質でな」
「そんなの、生きてるって言えないだろう!」
 急に怒り出されて正直金のアテがない時に良くある焦燥感に晒されたが、表には出さない。相手に弱みを見せて得をするのは、別の場面だろう。「だってそれじゃ、人形さ。いいや、人形よりもタチが悪い。人間の真似をする事で満足するなんて、そんなのは生き物の在り方じゃあない。神様だって悪魔だって、そんな在り方はしないさ」
「かもしれない。だが、それが何の関係がある。私は神でも悪魔でもない。邪道の作家だ」
「尚のことおかしいよ! 人間ってのはね、愛があって仕事があって、友情があって社会があって初めて、生きている事を実感出来るんだ。アンタはそれを要らないと言う。そりゃ肉も野菜もどころか汁だって入ってない鍋で満足するようなもんだろう?」
「私なら、それでも満足できると思うが」
 美味しい料理を食べられないなら、その料理の味を想像し、膨れた腹を想像し、満たされた気分さえも再現すればいいだけだ。
 後は栄養食でも詰め込めばいい。
 それで万事、解決できる。
 我ながら冴えたアイデアだ。
「そんな訳あるか! そんな在り方で、どうして笑っていられるんだ。アンタ、幸福も何もないんだろう。そんなんで生きてるって言えるのかい」「言えるとも。金さえ稼げば、だが・・・・・・仕事を金に換え、充足を得る。それだけよ。満足感などそれで十分だ。見果てぬ景色を見、そこに邁進し突き進む。事の善悪も道理も何もかもが些細事だ・・・・・・・・・・・・仕事の成功に比べれば、人間性など百二百むしろ捨てるべきだろう」
「それは、比べたからさ。比べないでいれば幸福が欲しくないのかい?」
「幸福か。生憎、貴様等のいう幸福を、幸福だと感じられないのでな。それはいい。それならそれで別の形は探す必要がある。何一つ感じ入る事が出来ない私だが、しかし在り方を定義し、定めた目的に突き進むのは感じ入ろうがいなかろうが、やるべき事柄には変わるまい」
 だが、彼女は不満そうに「それとこれとは話が違うだろう」と怒るのだった。
「感じ入りたいとは思わないのかい? それか、幸福を幸福だと思えるようになりたくないのかい・・・・・・アンタは、そこまで壊れてるのかい?」
「そうだな、別に思えるようになりたいとは思わない。感じ入る必要もあるまい。仮にそんな機能を追加できた所で、やはり私は何も感じないしな・・・・・・陳腐な言い回しではあるが、私が私である限り、何をどうしようと貴様等のように感じ入る事はないんだよ。そして、それを壊れているとも思っていない。むしろ、便利ではある」
「便利、って」
 ドン引き、という言葉が似合いそうな顔をしているが、続けるとしよう。誤魔化したところで、話が進まないからな。
「実際、ある種の面では便利ではある。役に立たない無駄な感情で、人生を無駄に終わらせる事がないからな。金銭欲や男女のもつれ、誰かを信頼して騙されたり、あるいは誰かに入れ込んで失敗する事も、無い。まあ、金儲けには有用ではないのは認めよう。そういう意味では、儲かるのなら今から人間らしくなるのも悪くない」
 私にそれは無理だろうが。
 大体、人間らしい邪道作家って何だ?
 誰だよ、それは。
「アンタは、間違ってるよ。そんな生き方は人間じゃあない。神様仏様だって、いいや悪魔だってそんな考えはしないだろうさ」
 何だか誉められたような気がしたが、今言うと更に話がこじれそうなので、言うのはやめた。
「そうは言うがな、私にとって大切なのは金儲けであって、道徳に乗っ取った在り方じゃない」
「それはそうさ。そういう奴もいる。けれど幸福を感じないままにそれを良しとするなんて、それこそ最悪だ。生き物として間違ってるよ」
「らしいな。だから私は最悪だ。とはいえ、別に気にする必要はあるまい? 要するに仕事を成功させて充足を得れば良いだけだ」
「そういう事にしてる、ってだけだろう」
 かもしれない。だが、何の問題がある?
 何より、今更変えられるものでもないのだから配られたカードで勝負するのは当たり前の事だ。配られたカードがヘボ過ぎて、今のところ勝負にもならないのが玉に傷だが。
 ふむ、とはいえ頭ごなしに否定するのも宜しくない。私は他者のアイデアを作品に取り込まないのだが、参考程度にはしておこう。
「ふん、まあ面白いアイデア、いや、私が幸福を得られるような発想を思いついたらここに連絡をしてくれ」
 言って、今度はこちらから名刺を出す。彼女はしぶしぶそれを受け取り、こちらを睨んだ。
「そういえば名前を聞いていないな」
「あたしかい? あたしは菊だ。アンタは?」
「私か? そうだな」
 どう答えるべきか。いや、そのままで行こう。「邪道作家、だ。先生とでも呼んでくれ」
「なんだいそりゃあ、アンタ名前もないのかい」 一周回って呆れたように、菊は口にする。
「アンタの在り方は、異常だよ。アンタ、自分が大切じゃないのかい?」
「馬鹿を言うな、誰よりも大切にしてるさ」
「そうかい。なら、ま、それでいいさ。何かあればうちに来るといい。いつでも歓迎するよ」
 そのひねくれた性格を治したらね、と菊は口にしたので、このままでは永久に通えそうにない。まあ通いたければ通ってやるとしよう。
 同じように、生きたいように、生きる。
 それが「邪道作家」である「私」だった。

    7
 
 
 努力すれば報われる、と抜かす愚か者は多い。 馬鹿を言うな。報われる労力などただの作業であり、努力でも何でもない。努力という行いは、報われないからこその努力なのだ。
 努める程度で勝利出来れば苦労はない。
 己の手で届かず、個人の力で太刀打ち出来ず、されど諦めず突き進む。そんな至極当然の行いを知らないまま、出来るから出来た、あるいは幸運に恵まれた事に気付かず、己の力だと思い込んで何かを成し遂げたと錯覚する。たかだかその程度で真理を知り得たと思い上がる。
 その妄言にすがりつく読者は多い。
 世界は簡単に変えられる、意志次第で理不尽を覆せる、不可能は世界に存在しない、などと。
 楽な思想に現実逃避するのだ。
 まさか、だろう。個人の意志程度で運命を変えられれば苦労しない。世界はそこまで優しくない・・・・・・そんな、当たり前の事すら目を逸らす。
 その為に物語を「利用」する。
 情けない噺だ。
 生きたまま生まれ変われば運命そのものは変えられるが、それだけだ。進むべき道筋を選べるというだけで、望む未来を切り開く事など出来る訳がない。出来てたまるか。生きるという事はままならぬ理不尽と向かい合うという事であり、その理不尽を無視して望む通りの道筋だけを歩けるのであれば、そんな奴は生きているとは言えまい。 覆せない理不尽に向き合い、戦う。
 それが生きるという事だ。
 さて、己の進むべき道を定めてから随分経つが・・・・・・選んだ道に、こうまで実利が無いとはな。 我ながら、楽の出来ない道だ。
 己の道を進むとは、そういうものだが。
 金、金、金だ。世界は金で出来ている。何故かと言えば、現行の人類がそれを望んでいるからだ・・・・・・・・・・・・人類社会は持つ側の意見で行く先が決まる。そして、持つ側は更なる豊かさを求め、更に力の差で全てが得られる世界を望むものだ。 それを繰り返せば、金で全てが可能になる社会など、形成するのに十世代もかかるまい。現に、世界は金次第で命も尊厳も買い放題だ。
 金で買えない物はない。
 そう人類が望み続けた成果だと言える。
 であれば、私はそれに合わせるだけだ。何より面白いしな。金で幸福を肯定するという在り方は実にやりがいがある。退屈しなくていい。
 実際、買えない物など無いしな。
 人の尊厳程安売りされているものはなく、また連中の叫ぶ尊い「人間性」の全ては金が無ければ成り立たない。ボロ布で冬を越せず死ぬ奴に幸福など有りはしない。望む文明を手に出来ない貧民の世界に、未来など映る訳もない。どころか食事一つ取ってすら、無料で配布される物など無い。 カレーが食べられるという噺は聞いたがそれが何だ。まさか生涯そこで過ごすのか? 金を手に出来なければ最底辺の労働力としてコキ使われ、ボロ布として人権を剥奪される。現代社会は奴隷という言葉を使わないだけで、奴隷しかいない。 持つ側以外は全て「奴隷」だ。
 薄っぺらい倫理観に逃げ続けた結果がこれだ。 貴様等、他にやることはないのか? 
 まあ、無いのだろうが。
 だからこそ汚らしい綺麗事に現実逃避し続け、何も変えられないし変えようと行動するのに恐怖して、結果同じ場所に留まるのだ。
 生涯を賭けて、同じ場所を回るだけ。
 だから、死の間際になって「人生はあっという間だった」と何一つ誇れる己も無いままゴミ以下の生涯を終えるのだ。誰の記憶にも残らず何一つ世界を変えないまま、どころか何かに挑みすらもしないまま、ゴミだけを残して世界から消える。 ただでさえ生きている間にゴミを増やすのだ。生きていても死んでいても迷惑な奴がいたものだ・・・・・・それこそ、一銭の価値も無い。
 あるものか馬鹿馬鹿しい。
 価値を誇れる何かを作り上げる奴など、現代においては絶滅危惧種もいいところだ。だが尊厳や人間性を売り買いされる世界において、それらが何か関与する訳ではないし、金さえあれば人類の全てがどうにでもなる事実は変わらない。
 つまり、現行の世界に価値ある人類などおらずよって価値ある何かなど存在しない。むしろ価値を作り出すのは非人間だ。現行社会における倫理や道徳を重んじる行いは、それら価値ある行いにに逆行すると言って良い。
 所謂その「人間らしい人間」ほど、価値を生み出さない生き物は、今の世界にはいないのだ。
 だから、人類に価値など無い。
 ゴミをゴミが作っているだけだ。
 中には面白い漫画や本を書く奴もいるが、その連中だけを生かせばいい。他は必要ない。大体が今ある世界の倫理に反する行いだからこそ面白い物語を綴れるのだ。何か物語を書いている時点でそいつは多かれ少なかれ非人間である事に変わりはない。
 人間性など、ただのゴミだ。
 少なくとも、人間が誇る人間性があったとしてそれは今生きている連中は持っていない。物語の中にそれらを見いだし喜びを得ているという事は逆説的に持っていない証左だとも取れる。
 だから、人間など世界に必要ない。
 非人間こそ至上だ。
 人間の誇りだと? 物語と現実を一緒にするな・・・・・・現実を見ろ。搾取する側される側。それが世界の全てだ。少なくとも、人類はそうやって、今まで文明を築き上げてきた。人間に誇りがあるとすれば、それは他者を虐げてでも悪を為し得る精神性だと言えるだろう。
 強いて言えば、音楽や物語のような世界に関与する何かを作り上げればその輪から逃れられるのだろうが、何度も言うがそんな奴は絶滅危惧種であって、今後減って行く一方だ。まして、漫画のように大勢で協力できる媒体ならともかく、物語を綴るという非効率的な上、現代では本来編集者がやるべき行いまで必要になる作家など、現段階で既に呼吸をする酸素も無い状態だ。
 言ってしまえば魚を飼う以前に海が死んでいるようなものだ。水のない世界で魚介類が生き残れると思うのか? それは無理な相談だ。
 タイプライターが無いのは地獄だが、ある意味過去の作家共が羨ましい。傑作を書きさえすればとりあえず売れるのだからな。内容など関係なく売る技能が無ければ執筆すればする程無駄な徒労が積み上げられるだけの世界。そんな世界に生きている身としては、物語を綴るだけで仕事になる作家業など、正直想像もつかない。
 何だそれは。
 私にもやらせろ! こんな理不尽があっていいのか? 作家が書き上げて金にならないなどと、これ以上の地獄はあるまい。
 働けば働くほど、損をする。 
 大体、古今東西芸術の全てを過去の傑作頼りにする風潮は何なのだ。モナリザやミケランジェロは確かに素晴らしいのだろうが、過去に存在した傑作を上回る漫画なら見た事はあるが、しかし、上回るのではなく過去に追い縋る姿勢の奴ばかりが繁茂しているのは目障り極まりない。
 過去に追い縋るしかないのなら死ね。
 生きる価値など無い。
 確かに価値ある何かを作り出す奴はいるだろうが、それも僅かであり、何よりそれらを生み出す環境が既に死滅している。それらとは間逆にある芸風を「売れるから」と良しとし、結果廃れればゴミの山が増え、それを幾度となく繰り返す。
 迷惑な噺だ。
 儲けたいだけなら為替でもやっていろ。
 これ以上ゴミを増やしてどうするのだ。
 実際、物語にしろ音楽にしろ、価値ある何かがあればいい。とりあえず売れそうだからとゴミにも劣る駄作を並べるな。殆どは不要だろうに。
 少なくとも「悪」が書かれていない物語など、世界に必要ない。悪とは生きる上での指針であり向かうべき未来に対しての刃だ。悪の姿が書かれていない物語は、実に薄っぺらい。主人公だからと勝利を収め、敵だからと敗北を喫し、ある程度「努力みたいなもの」をしていれば世界の理不尽を知った気になる登場人物達。
 当然、そんな奴等の台詞に、説得力など皆無に等しい。所詮綺麗事だ。生まれながらの才能や、小汚い綺麗事の倫理観、都合の良い展開に何一つ失わない結末に、一体何を学ぶのだ。現実逃避を加速させているだけではないか。
 幸福な物語など気味が悪い。
 そんな都合の良い噺があるものか。
 幸福があれば不幸があるのが世界であると人は言うが、そうではない。誰かの幸福を押し潰したからこそ不幸を押しつけ幸福を得るのだ。
 死体の数だけ幸福がある。 
 それが世界の在り方だ。
 そこを無視して、敵は打ち倒し(殺すではなく倒すと呼ぶのだ。健全に殺したいらしい)正しい倫理観と道徳があるから勝利した、と嘯く。
 世界に正しい指針があると信じたがる。
 生憎だが、単に暴力が優れていただけだ。
 ただのそれだけで、道理ある武力などない。
 力を持つ奴に限って「道徳的な殺し方」に拘るものだが、それは単に自身が運良く恵まれているだけであり、正しい英雄的な在り方だからと己を誤魔化す。恵まれただけの暴力を振り回す行いに誇りや信条、戦場の正義を欲する。そんなものはどこにもないが、そうであれば、幸運に恵まれただけではなく、使命に邁進した勇者だと思い込み現実逃避をする事が出来るからだ。
 
 残念だが、ただの人殺しだ。
 
 殺人鬼と言い換えて差し支えない。殺しに道徳などあるものか馬鹿馬鹿しい。とどのつまり殺すのだから、そこに正義も悪もない。
 強いて言えば、何かを成すという行いが悪なら生きているだけで何をしようが悪だ。何をしようが他者を殺し生き抜く事に変わりあるまい。 
 戦士だと?
 同じ事だ。誇りを歌いながら殺すだけで、何も殺人鬼と変わらない。成果ではなく過程を重んじ死んだ事さえ名誉に含むのであれば、仕事ですらなく遊び人の戯れ言だ。女子供は殺さないなどとよく言えたものだ。男や大人であれば殺す権利があるというのは、己を誤魔化すのに都合が良いので良く使われる。 
 立派な戦士だと思えるのだろう。
 思うだけで、現実にはただの人斬りだがな。
 
  
 
現実を見なくともその恵まれた何かだけで金を稼げるというのは、ある意味羨ましい話だ。何せ、世界の理不尽を知らず、知る必要すら無いままに人生を終えるのだ。才能を振り回しているだけで何もかもが叶う世界。
 楽な人生で羨ましい。
 他にやることは、ないのだろう。
 だからこそ、そんな持つ側特有の余裕ある考えで生きている。余力と余裕、それは恵まれた馬鹿だけが通用するのであって、そんな方法で現実に生きられる奴などいない。連中自身、その才能や幸運があるだけで、無ければ無理な相談だ。
 それをはぎ取れば何も残るまい。 
 言ってしまえば当人自身は不要だ。才能だとか幸運だとか、そういう付属するだけの物が主体になっているからこそ、浅い答えしか出せない。
 実に、つまらない。
 そんなゴミをもてはやす風潮は、案外人類史の終わりが近いのかもしれない。
 極僅かな価値を示せる連中が消えた時、そこにあるのはゴミを作り出すゴミのような生命体共が住むゴミだらけの世界だけだ。
 何一つ後に続かない。
 そんな世界は、既に終わっているも同義だ。
 そういうゴミ共が自発的に自害し、かつ価値を示せる奴がその生物淘汰の中で発生し増える様にする為に、私は物語を書いている。
 それも、どうも無駄足らしい。
 であれば、こんな依頼を遂行する意味など無いではないか。実際、あの女の嫌がる顔を見る為にそこまでする義理もない。作者取材とは言うが、その物語を売れるかは運次第だ。私の労力など、成果、いや実利には何ら関与しない。
 何をしようが、同じだ。
 私の意志や行動など、何の関係もない。
 ただ、運不運で決まるだけだ。
 今更止まれないというのが、事ここに至っては忌々しくもある。己の定めた己の道だからこそ、途中で止まるという概念そのものがない。
 止まれるなら進むものか。
 とはいえ、このまま死ぬまで徒労を繰り返し、汚らしい綺麗事に敗北を喫し、ただ恵まれているだけの屑共に美味しい汁を啜られるのであれば、今までの労力は本当に「無駄」そのものだった。私という存在が、既に無駄な物だと言える。 
 最初から無い方がマシ、というやつだ。
 実際、現状ではそうだ。
 それでも、止まれない。嫌な噺だ。
 その姿が後々の連中に希望になるのだとかそういう汚らしい綺麗事はいいから金を寄越せ。仕事が金にならなくて良い理由など、無い。
 仮に、私が楽して成功し、それにより読者共に説得力を持たせられず終わったとして、私個人には何の関係も無いではないか。いい迷惑だ。
 読者の未来など知ったことか。
 読者の未来は作家の死体の上にだけある。読者が苦しめば苦しむ程、作家は儲かり幸福になる。そんな当たり前の物理法則も知らないのか?
 今までの人生、何をしてきたのだ。
 お手玉でもしてたのか、間抜けが。
 少しは考えて行動しろ。出来なければ死ね。
 貴様等に出来る事は二酸化炭素を吐き出しゴミを増やし駄作を並べ飽きたら捨てるだけだ。他に期待できる部分が無い以上、潔さは装備しろ。
 価値の無さを認め、潔く自害しろ。
 無論、責任など持つつもりはない。物語などに影響を受ける愚か者が悪い、現実と虚構を一緒にするなと言うだろう。実際、物語など虚構だ。
 現実味など欠片も無い。
 精々が読者共の脳髄に悪意を刻み込み、悪夢を魅せて苦しめ、人間性を破壊し、汚らしい綺麗事の全てを否定する当然の姿勢を刷り込むだけだ。 言わば、道徳の教科書だと言える。
 むしろ、感謝して然るべきだ。感謝とは金額で判断されるものなので、当然だが太く頼むぞ。
 財布より薄いのであれば、死刑執行だ。
 大体が何故、貧民の昼ご飯代みたいな金額で、膨大な時間を費やした物語を売らねばならないのかと常に思う。何であれ安く手に入れる事に慣れすぎている。甘ったれた読者が、作家は読者共に敬意を払うべきだと自惚れるというのだから手に負えない。
 作家からすれば、ただの泥棒だ。
 子供の小遣いで対価を払った気になるのだから当然だろう。そんな連中に敵意以外の何を持つというのか。正直、忌々しくて鬱陶しい限りだ。
 感想は不要だ。金を払え。
 頭を下げれば誠意だと自惚れる馬鹿共に、何も期待する事など無い。あるとすれば無駄に厚いであろう財布の中身だけだ。他には何もない。
 何も言うな、だが財布とネタだけは置いていけ・・・・・・出来なければ切り捨てるのみだ。
 作家と読者とは、そういうものだ。
 本来であれば、当たり前の常識だろう。
 そんな事も知らないのか、間抜けが。
 いいか、よく聞け。作家とは人間が嫌いであり人間の文化に嫌悪を示し道徳や倫理をゴミ以下であると公言する輩を指す。
 逆に言えば、そうでない奴など作家ではない。ただの遊び人だ。売れれば誰でも作家ではあるが作家としての生き方はまた別だろう。
 物語を書きたいか? ならば簡単だ。
 まず人間を嫌悪しろ。
 文化の汚濁を見ろ。 
 世界の全てを信じるな。
 悪意だけを信じろ。
 何より、人間など辞めてしまえ。
 人間性の全てを捨てれば、それで立派な作家の完成だ。簡単だろう? 
 人間を辞めるだけでいい。
 それこそ、誰にでも出来る事だ。
 やろうとするかは、別だがな。
 三大欲など必要あるまい。娯楽としてだけ残せばいい。欲望は無駄な破滅を招くので、何も感じず物真似だけで充足を得るようにして、いっそ、何かを作り出せる奴の子孫だけを残し、残せない奴等は子孫など必要ない。睡眠も取らずに仕事をし続けられるように人体を改造し、眠らず休まず新しい価値を作り続ける世界だ。
 人間など不要。 
 非人間だけがいればいい。
 ついでに怪物連中も労働力として雇用しても、やはり人間など不要だ。優れた機械で代替可能な存在なのだから、必要なのは技術だろう。
 技術が進歩する程、人間は不要になるのだ。
 皮肉なものだ。技術の進歩で人間は増えたが、増えただけで不要な存在が多くなり、価値を示せないどころか示そうとすらしなくなった。
 だが、そうであれば機械に劣る。
 疲れを知らない機械の方が、すぐに疲れ個性の欠片もなく未来に進める意志もないゴミよりも、遙かに生産効率は高い。そして、そういう人間にそれ以上の働きなど出来ず、出来る奴のは非人間だけだ。
 代替可能な人間は多い。
 その程度の個性しか持たないからだ。
 そして、それならば機械で良い。
 私に言わせれば既にそうなっている。そういう連中には未来など無いし、同じ事を繰り返し呻きをあげながら死ぬまで使い潰される。これのどの辺りが機械と違うのだ。何もかも同じではないか・・・・・・何も残さず、出来る事をやるだけの生き物が人間であれば、人間など機械に劣る。 
 そして、機械と同じ在り方だ。
 ネジや歯車と、何ら変わらない。 
 そんな物、幾ら死のうが何も変わるまい。
 既に死んでいる訳だからな。死体が死んだ所で障害物が減るだけだ。悔しかったら価値ある何かを示してみせろ。出来なければ死ね。
 そんな命に、価値はない。
 示すか死ぬか、好きな方を選べ。
 その権利だけは、誰にでもある。
 選ぶ勇気、進む勇気が無ければ、選べないまま終えるだけだ。挑戦をせず安全策だけ取って己の分に余る偉業を成さない物を生命とは呼ぶまい。 限界に挑むだと? 甘ったるい。
 限界を超えて滅ぶのだ。
 身が塵芥になる程度で丁度良い。
 所詮夢幻より儚い道程だ。何か、理不尽が一つあれば私のようにすぐ転ぶ。邪魔立てばかりで、何一つ上手く行きはしない。
 だがそれがどうした。その程度で諦めるような暇人と一緒にするな。私は暇ではない。やる事が多過ぎてたまに目を開けているのか自分でも実感出来なくなる。私は今何をしているんだ? いや大抵は執筆なのだが、どうもわからない噺だ。
 とにかくだ。やれる事をやるのではない。
 やれない事をやれ。
 砕け散ってからが本番だ。私が言うんだ間違いない。その先に、実利があるかは保証しないが、己の道だと確信できるのは確かだ。
 したから何だって噺ではあるがな。
 やれやれ、参る噺だ。
 もう少し、楽は出来ないものか。
 人間の有り様に共感しないからこその化け物である私に、後々にまでその意志を伝達し、意志を繋げる事に意味など無い。大体が、意志の力など形が無くどうにでも解釈出来る。どうやってそれを計るというのだ。後になって成功してからその意志に力があったからだと後付けの言い訳をしているに過ぎないではないか。
 意志で世界が変われば苦労しない。
 挑み続ければいつか勝てる、という考えは結局の所挑み続けた事などないからこそ出る台詞だ。挑み続けたところで成果は出ても実利は関係ないからな。挑み続けて敗北し続けるだけでは何一つ後に残りはしない。
 そも、後生に何かが残るからと、人間の意志の尊さを説く奴が多いが、しかしそれら伝達された意志とは「勝利者」だから残っているだけだ。
 別に、意志の内容など関係ない。
 負ければ何も残らないものだ。
 少し考えればわかりそうな噺ではないか。世界はそこまで優しくない。気高く生きようが品性が無かろうが、幸運に恵まれ勝利するか否か、それだけが全てだ。勝利者を名乗る連中の面を見れば嫌でも理解できるだろう。
 大した理不尽も知らず、努力による勝利を語る・・・・・・才能じゃない、努力し続けたから、だと。貴様等は一体、誰に言い訳しているんだ? 才能だの環境だの幸運だのではないと、そう言い張る事でそれらに恵まれただけだという現実から逃避しているだけではないか。
 努力した程度で理不尽を語るのだ。
 実に忌々しい。理不尽を知り、世界を知れば、そんな浅はかな台詞など出ないものだ。人間一人の意志や行動だけで世界が変えられるなど、傲慢を通り越して滑稽でさえある。ある意味作家とはそれら汚らしい綺麗事を否定する立場なのだ。
 個人ではどうにもならないからこそ、その意志を伝達し、広め、読者共に代わりにやらせる。
 一ミリでもマシに変える為に、そうするのだ。 読者の意志など底が知れているので、期待などさしてするつもりもないが、私個人でやるよりはマシだからな。だからこそ、物語を書くのだ。
 毎日努力したから何だと言うのか。その程度でよくもまあ世界を語れるものだ。
 恥ずかしくないのか?
 理不尽を、世界を覆したと勘違いする愚か者が世界を回すというのだから世も末だ。現実に世界を覆すとなれば、並大抵ではない。
 私が言うんだ間違いない。
 少なくとも、ニュースインタビューでしたり面をするような余力など残りはしない。私であれば取材など断り執筆衝動に駆られないよう気を付けつつ作者取材だと言って諸国漫遊の旅にでも出るだろう。要するに、取材をするのはいいが取材を受けるなどやってられるかという噺だ。
 そんなものは影武者にでもやらせておけ。
 私は仕事で忙しい。手間を取らせるな。
 仕事、仕事、仕事か。私の仕事は作家で間違いない。それ以外に己の道は見あたらない。何よりこうも金にならない現状でも尚、私は己の有り様として「邪道作家」としての己を張る事に、何の違和感もありはしない。
「先生は順番が逆なんだよな」
 私は情報通り反逆者共の住処に列車で向かっていた。富裕層が虐げているからか、随分と豪奢な作りで、モーニングビュッフェまである。装飾は遙か昔の風光明媚な現地民族を彷彿とさせる様な独特の作りで、見たこともない形のランプや容器の数々が、私の創作意欲を刺激する。
 未知の文化とは、いいものだ。
 世界には知らない何かが幾らでもあると、私に教えてくれる。もっとも私の知らない人間性などありはしないがな。人間に相容れぬが故に、人間について私に知り得ない事はない。仮にそんな物があったとしても、見ればおおよそ理解可能だ。 そして、見るだけでなく知ればそれで十分。
 嬉しくもない技能だが、作家には有り難い。
 のだろうか? どちらでも構わないが、しかし人間の、いや世界の理不尽を描く上ではこの上もなく便利な特技だと言える。
 私はコーヒー(自前で用意した。カフェインを飲み過ぎて頭痛が止まらなくなるのは、もう御免だからな)を一口含みカップを机に置く。
 そして、私はいつものように、電子端末に潜む人工知能に語りかけた。
「先生、仮に人間の一生に価値ある何かがあるとすれば、それは「己の道を定める」という行為を起点にするものなんだよ。けど先生の場合、生涯を賭けて探すべき道筋だけを先に見つけちまってるから、ある意味バランスは取れてるのさ」
「嬉しくもない。大体、人間の生涯における価値など知るか。私は金さえあればそれでいいんだ」「そうかい? けどよ、本来は全てを賭けて手に入れるべき目的を遂げちまったら、その先にやる事なんてないだろう? ゲームと同じさ。魔王を倒してレベルをあげきったら、そのゲームに先は無いし、先生の言うところの「面白さ」なんて、皆無だと言っていい。先生は「充足」も欲しいんだろう。なら、それはそれで願いが叶っていると言えなくもないさ」
「言えるか馬鹿が。ご高説結構だが、それで生計を立てられなくてどうする」
「それはそうだが、先生の物語にある葛藤や悪意の全ては、それありきで成り立つものばかりだ。もし、ここで全てが上手く行ったら、先生は悪意を刻む物語を、これから先も語り続ける事が出来るのかい?」
「出来るさ」
 即答した。生憎だが環境程度で変わるような、甘ったるい悪人ではない。
 私は最初からこうだ。
 客観的に見ても、環境や能力の有る無しで悪人になるかと語るには、踏み越え過ぎている。一線を遙か昔に、いや最初から踏み越える事を前提とする在り方だ。怪物連中は人間に恨み嫉み憧れを抱いたりするが、私の場合見てすらいない。
 眼中に人間の世界を、入れていないのだ。
 そんな在り方は、環境次第でどうにもなるまい・・・・・・なる訳がないのだ。そして、その在り方を貫く私に「満たされたから変わる何か」など有りはしない。あるものか馬鹿馬鹿しい。私は偽善者共の唄う「救い」とやらを求めている訳ではないからだ。私が欲しいのは「勝利」だ。今まで私を煩わせてきた「世界」に「勝利」する。それだけが私の目的であり、充足だ。
 故に、満足という感性など無いが、もし満足をするのであれば、それは世界を物語で覆し、人間の信じる善なる全てを否定した時だろう。
 悪の、完全勝利だ。
 汚らしい綺麗事、持つ側の傲慢、下らない自己を慰める為の倫理観。そういう屑共に、誇り高き悪を以て挑み、勝てる筈のない戦いに勝利して、凱旋を行い善を語る全てを、偉大であり強力無比な悪に改心させる。聖者が嘘くさい綺麗事を吹くなら、私はその聖者に対して悪を説くのだ。
 その綺麗事は、現実を見ていないとな。
 成る程、綺麗なのだろう。そう思う。特に否定するつもりもない。確かに理想だ素晴らしい。
 だが、それが何だ? 綺麗事を吹くだけなら、それこそ誰にでも出来る行いだ。現実に世界とは綺麗ではないし、理想など紙屑に等しい。理不尽が跋扈して、悪意が無ければ生きられない。何かを殺してでしか先に進めず、生かすだけの道など妄想にも劣る無力さだ。
 それでも、進む。
 そうでなくては、嘘ではないか。
 嘘で騙して儲けるのは良いが、騙されて道筋を狂わされてどうする。悪とは、持つ側特有の余力ある戯れ言から、最も遠い生きる指針だ。
 その悪の体現者。
 その在り方が、変わる訳が無いだろう。
 変えるつもりなど更々ないしな。
「そうかい。でも気をつけろよ先生。何者であれ絶対は無い。先生が善良な人間になるとは流石に俺も思わないが、勝利と生き延びる事は違う」
「わかっているさ。むしろ、そこからが本番だ。大体仕事で生計を立てる事そのものは、珍しくもない事でしかない」
 そう、そこからなのだ。
 幸福などどうでもいいが、しかし幸福を定義し先に進む在り方は充足になる。何より私には倒すべき敵が大勢いる。いや大勢というか、世界全てが敵なのだ。敵でない事柄などなく、何もかもが覆すべき理不尽であり、倒すべき圧制者だ。
 強いていえば、善性の全てだろうか。
 生まれついての悪である私にとって、善なる物はすべからく敵だ。悪を容認せず、綺麗事だけを口にして、悪性は廃すべきだと目を背ける。
 現実逃避の敵前逃亡だ。
 そんな連中には、死刑が相応しい。
 現実を生きる気がないなら、それも構うまい。妄想の綺麗事を愛するのであれば、別に死のうが生きようが貴様等の選んだ道の一つだ。
 やることなど、文字通り山とある。
 何せ、世界の全てなのだ。
 であれば、生活が落ち着いた所で、それに満足して止まるなど、出来る筈もない。第一、私には「止まる」などという機能は付いていない。
 そんな物があるなら作家になる前に止めている・・・・・・作家という在り方に、身勝手な幻想を抱く馬鹿は多いが、ロクなものではないぞ。
 まず人間ではない。
 怪物にも混じらない。
 英雄など有り得ない。
 文字通り、「人間の全て」いや「世界の全て」に相容れない存在。だからこその「作家」なのだと言えるだろう。真っ当な道など送らずどころか勝利の味さえ知らず、暖かな光の全てに背を向け暗闇の中でのみ生息できる化け物だ。
 まして、心など持つ筈もない。
 そんなもの、人間からすれば、怪物からしてもまごうことなき「悪」だろう。それ以外の何者にもなれない、世界に対する敵対者。
 それが「作家」だ。
 まして私は「邪道作家」だ。通常の作家共とは違い、そこへ更に金で己を定義し悪意を肯定して読者の全てを悪意で切り刻む存在だ。そんな私にしてみれば、作家という肩書きに憧れて下らない駄作を出し余韻に耽るなど、どうかしている。
 貴様等の駄作のせいで、売れないではないか。 素人が、それも思いつきで参加するな。
 いい迷惑だ、馬鹿め!
 物語で世界を覆そうとしない奴に、何故作家を名乗られなければならないのか。全く、情けない・・・・・・どれだけ暇なのだ、貴様等は。
 遊んでいる暇があるなら働け。
 労働で満足するな。それなら歯車で十分だ。
 それも出来ないのならば死ね。綺麗事に耽溺し下らない倫理観に囚われゴミにも劣る換えの効く生涯しか送らないなら生きているだけで迷惑だ。 すみやかに自害しろ、馬鹿共が。
 生きようとしない奴に、生きる価値など無い。 あるものか。分を弁えろ。
 そんな様だから、信念を持ち努力すれば成功が確約されるなどと思い込むのだ馬鹿め!
 そんな物は、素晴らしくも何ともない。
 努力して順当に勝利しただと? つまり理不尽の全てを味わわず、努力すれば後退し努力した分だけ傷を負い、努力を積み重ねた分だけ返す必要のある借金を抱えるような経験をしなかったと、つまりはそういう事になる。
 それのどこが素晴らしいのだ。
 理不尽を知らないまま生きているのではお伽の国に住んでいるのと同じ事だ。少なくとも当人の精神はそれを許容する。何せ、知らないのだ。
 理不尽を知らなければ、前提に置くまい。
 そして、理不尽を抜きにした過程を積み重ねて結果を出した行いなど、理不尽を知る者と相容れる筈がない。必ず歪むものだ。聖者や偉人の行いが尊いと語るのは勝手だが、しかし、その行いを凡俗が真似た所で、残るのは悲劇でしかない。
 報われる方が稀なのだ。
 そんなのは、当たり前の事だ。
 信念を持つ事が素晴らしいなどと、だからこそ言えるのだろう。要は信念を持ち、その上で敗北を喫し続けた経験がないから出る台詞だ。
 達成できぬ信念に価値など無い。
 あるものか馬鹿馬鹿しい。
 それでいいなら麻薬でもやっていろ。
 夢の世界の中で戯れるのがお似合いだ。達成し勝利するからこそ評価されるのだ。埋もれたまま死に絶える信念など、形がない分ゴミにも劣る。
 私が言うんだ間違いない。
 まさしく、このままではゴミ以下だからな。
 勝たなければ個人の意志や行動など、その程度の価値すら無い。最初から何もしない方が遙かにマシだろう。これも、経験談だ。
 正しさの権化みたいな連中には、生涯味わえぬ屈辱の数々。だからこそ悪意を刻む物語なんぞを書いている。しかし、この物語にしたって読む奴がいなければ金にもならず、物語が広まり儲かるかどうかは運不運に左右される。そもそも物語を真っ当に扱おうという奴がいない時代だ。
 その時点で、既に足を引っ張られている。
 その様でさえ語る事を止められないのだから、己の道である事に確信を持てるというのは何とも皮肉な噺だ。ジャックの言では生涯を賭けて手に入れるべき思想らしいが、だから何だ。一銭にもならない思想など、何になるというのか。
 そして、それが己の定める道であり、何よりも己の在り方を示せる生き方だとしても、勝てないまま終わるのではやらない方がマシだ。見る分は良いだろうが、やる側はたまったものじゃない。私は道化師ではない、作家だ。
 物語など、札束に変える為にあるものだ。
 読者共の感動? 知ったことか。
 私が物語で刻むのは悪意だ。人間の悪性だけを直視する勇気が手に入るのだと、泣いて喜び金を払うがいい。なに、代金は全財産の半分でいいぞ・・・・・・馬鹿げた時間を費やして作られる物語に、日雇い労働者一日分の給料すら払わないという、その考えそのものがどうかしている。
 他者をひき殺す為に大枚はたいて車を購入するなら、その分物語を買え。移動? 歩いて何とかしろ。私は進歩した技術など、基本使わない。
 この物語とて、文房具で書いてるんだぞ。
 パソコン? 面倒だろう。使いこなせない技術など、あるだけ無駄だ。面白い物語を探すのには使っているが、それで物語を作ろうとは思わない・・・・・・何より、情報漏洩の心配もない。可能性は皆無だろう。ネット上に繋がっていないのだから当たり前だ。
 私の作品を先んじて見ようとする奴がいるのかは知らないが、とにかく情報管理は万全だ。
 もし情報が欲しいなら私を襲うしかないが私に容赦や慈悲など無いので、何の保証もするつもりはなく、恐らく事故に遭うとだけ言っておく。
 無論、私は関係ない。
 証拠でもあるのか?
 ある訳など無いがな。
 ミステリー小説じゃあるまいし、もし仮に、の噺ではあるが、面倒な追っ手を始末したいのなら海にでも沈めるか、獣にでも食わせた方が早い。 あくまで仮に、の噺だ。
 現実と虚構を一緒にするな。
 それを金に換えるのも、作家だがな。
 喜劇も悲劇も実際以上に飾りたて、それを物語として語り、人間性を自在に操る事を良しとした物好きもいる。事の真実に拘り人間の悪性を露呈させ、それでも未来に続く人間的幸福とでも言うべき暗闇の中の光を求める偏屈者もいる。だが、私はそれらとさえ「違う」のだ。
 人間性など、どうでもいい。
 語りやすいから、語るだけだ。
 機械の方が人間らしいだろう。人間になりたいと願う心さえ無く、またそれを笑い間違いのまま突き進む異常性。どうしたところで世界の全てに相容れず、その事を何一つ負い目にさえ思わない・・・・・・物語を使って悪意を刻み、人間性を否定し世界の全てに不信を抱かせ、読者の思想に託すのではなく、読者の思想を未熟と切り捨てる。
 その上で、世界と敵対せよと謳うのだ。
 別に、人間が死滅し、卵で繁殖するエイリアンの倫理観が一般的な物になったとして、私は何も問題がない。そのエイリアンの倫理観を否定し、今そこにある「善性」や「正義」だとか呼ばれる全てを改めて否定するだけだ。
 何があろうが、必ず敵対する。 
 
 読者と、語るべき世界と敵対しているのだ。
 
 世界を信じない、あるいは何とも思わない様な作家はいるだろうが、世界と敵対する事を良しとする作家は、今のところ見た試しがない。
 まあ当たり前だ。
 私は「邪道作家」なのだから。
 人類史史上、そんな言語を口にした奴など私が初めてだろう。特許を取りたいところだ。物語が売れ初めてから侵害されたら、笑えないからな。 売れれば、だが。
 そういう意味では、根暗な人間嫌いや波瀾万丈の人生を送った作家共も、大抵はある程度生計を立てられているのだから、売れないまま語り続けるという作家にあるまじき理不尽も、邪道作家に特有の悩みなのかもしれない。
 嬉しくない噺だ。
 心があるから人間、いや人間でなくとも迷い、だからこそ心を無視して行動するなど馬鹿げた噺だと人は言う。しかしだ。現実問題無いのだから私が心の無さに悩み、人間に近づこうとする行為はただの現実逃避だろう。心が無いなら無いで、それに準じた行いが必要になるものだ。私の場合それが人間性の全てを都合良く使い捨て、時には人間性を体現し、時には必要であれば敵対して、己の進むべき道の為に、心の有無さえ利用する。 それが「私」だ。
 悩んで「人間らしい幸福」に夢を馳せるのは、物語であれば美徳なのだろう。しかし私は物語の中における主人公ではなく語り手だ。何よりも、それは王道の物語であって邪道ではない。王道の物語など、私には不要だ。
 でなければ、何の為の「邪道作家」か。
「キヒヒ、いいんじゃねぇの、邪道。俺なんかは王道の物語じゃあ敵役だからな。どうせなら王道より邪道の方がやりがいがあっていい」
 人工知能の癖に俗っぽい台詞をジャックはそう吐き捨てた。確かに違法存在の人工知能などどう足掻いても社会の邪魔者だ。電脳世界を自由自在に破壊する可能性がある以上、私以外の奴の手に渡れば凍結処分か廃棄だろう。
「やりがいもいいが、金の方が大切だ。金だけでは論外だが仕事だけでも成り立つまい。それこそ金にならない仕事をせざるを得ない社会形態は、存在そのものが悪なのだ。いや、誇りも信条すら無いのだから、この場合外道と言うべきか」
「どう違うんだい?」
「見ていて面白い方が悪、つまらない三下が外道と呼ばれる事になるな」
 そいつはわかり易くていい、などと軽口を叩きながら、あくまで軽く物事に構える。世界に何か行動して挑むというよりは、こいつの場合それら全てを受け入れる類なのだろうか? どうにも、こいつの考えは素っ気ない。
「けどよ先生。何かを変えるなんて個人には元々無理な話なんだぜ? 実際、今ある体制を動かすのは、いつだって大勢の意志だ。先生にその体制を変える力があるとすれば、それは読者であってその前段階ではその力は無い。弾圧するにしろ、革命を起こすにしろ、世界を変えられるのは大勢の暴力だけなのさ」
 普段浮ついた存在の癖に、ここ一番では奇妙な説得力を持つ台詞を吐き出す奴だ。世界の必要悪としての在り方を持つこの人造の悪は、私と違い人間を肯定する在り方を持っている。人間の悪性を嗤いながら、人間性を否定しない。
 ひねくれた奴がいたものだ。
 しかし、その論拠が正しければ問題がある。
「・・・・・・その場合、どう足掻いても私が大儲けをする事は不可能ではないのか? 売る前にそんな大勢の意志を動かせれば苦労しないぞ」
「いっそ無料で配布してみたらどうだ?」
「それも、検討している。幾らかかるかまだ不明ではあるし、拡散を依頼出来る人材がいないので未定でもあるが、元よりそのつもりだ。とはいえ無料で配布するだけなら既に試している。読者は無料で読めたと喜ぶだけであって、別段その意志の力で何か恩恵がある訳ではない」
 それも、既に実証済みだ。
 読者は、いや、読者も己の利益しか考えない。連中の利益に合わせた所で、何も得る物などないという事は、既に知っている。
 だから、読者に期待すべき何かなど無い。
 それだけの価値があると思うのか? 長い年月を賭けて作り上げた傑作を、無料で読もうとし、あまつさえ子供の小遣いのような金で買い漁る、盗賊もどきの連中に期待する意志だと? 馬鹿を言うな、自己愛の激しい障害者なのか?
 何であれ、同じだ。人間とは、人間でなくとも調子の良い時には加勢するが、風向きが悪くなれば掌を返す。神仏などその最たる例だろう。
 持つ側には、更に味方する。
 負け組の肩を持つ事など、有りはしない。
 でなければ、持つか持たざるかの格差がこうも世界に広まるものか。他者を搾取するからこそ、輝ける道を切り開くのが世界の摂理だ。
 どいつもこいつも、世界に期待し過ぎた。
 そんな考えは、甘えと言って差し支えない。
 世界にそこまでの価値など無い。ゴミ山の中で我々は埋もれているだけだ。世界にあるのは精々汚らしい綺麗事か、それによる独善の押しつけ、そこから波及する虚構の倫理観で自分達を慰め、現実逃避をしながら圧制を敷き、その上で自分達が「善良で道徳的な素晴らしい存在」だと、そう思い込む事で出来上がる天国だけだ。
 地獄、ではない。
 天国には刑罰などないからな。どれだけの虐殺を行い、どれだけの独善を敷いたところで何一つ咎められないよう力で圧制を行うのだから、地獄ではなく天国と呼ぶべきだろう。汚らしい綺麗事による天国の創造。死後の世界に安らぎを求めるという考えは多いが、何の事はない。既に世界は持つ側にいながら己の悪性を直視できない愚か者の心を誤魔化す為に、天国としての機能を果たしているといえるのだ。
 天国など、そういうものだ。
 天国を押しつける奴の為だけに存在する。
 誰も彼もが平等な世界など有りはしない。大体天国があるとして、そこを支配する神仏なりは、人間より「上」にあるのは間違いない。そいつ等の気紛れで天国から地獄へ、あるいは天国入場の許可が下りないのだから、それは既に連中が支配する檻のようなものだ。
 一望監視システムだと言える。
 効率的に人間を管理し、自分達にとって都合の良い倫理観を植え付け、そうでなければ地獄行きだと暴力で押しつける。成る程、参考にしたい。私よりも遙かに人間を何とも思っていないやり口だろう。こうも己に都合良く物事を捉えて、天国などという言葉を嘯けるのであればそいつは相当の傍若無人に違いない。
 少なくとも、身勝手さなら私以上だ。
 案外、神仏というのは開き直るのが苦手なだけなのかもしれない。何せここまでの非道を強いて笑顔でいられるのだからな。素晴らしい。それら非道を行いつつも、都合良い倫理観で誤魔化せるなら、ある意味当人の脳内だけでは天国だろう。 成る程、まさか連中が邪魔しているというのも有り得る噺だ。私の物語は連中にとって、都合の悪い噺ばかりが書かれている。自分達の倫理観が下らない些末な物だと暴かれれば、自分で自分を素晴らしい物だと思い込めなくなる。だからこそ私の物語が売れるのを妨害しているのだろう。
 金を払って形だけ神頼みをしてみたが、むしろ連中からすれば金は受け取るが自分達の犯罪行為を暴かれるような行いなどやりたくない、という事か。わからなくもない。でなければ、神頼みをすればする程、払った金の分だけ不利になるなど有り得ないしな。
 道理で、幸運が買えない訳だ。
 器の小さい連中だな、全く。
 情けない奴等だ。
 だからだろうか? そんな連中が幅を利かせているからこそ、「心の強さ」云々という下らないテーマを基準にした物語が多いのかもしれない。汚らしい綺麗事だ。大体、何を以て心が強いとか弱いとかを決めるのだ。物事に屈せず挑み続けたところで実利とは関係ないという事実を私は既に知っている。
 まあ、私に心は無いのだが。
 であれば、むしろ心があるからこそ人間は弱いのだろう。良く人間の心の弱さは強さに転じると物語で語られるが、語られるだけだ。現実に強さを示す心の有り様など、見た試しがない。物語の中に自分達を投影する事で、現実にある無様さを誤魔化しているだけだ。
 何せ、私が証明している。
 私には心がない。故に、途中で止まるだとか、諦めるだとか、あるいは嘆きを感じ屈するという概念そのものが入っていない。馬鹿馬鹿しい事に私には出来ないのだ。そんな安直な選択肢を選ぶのは、心がある連中だけだ。
 現実に心が有りながら進み続ける奴などいない・・・・・・心を捨てて鬼になるか、心を排して人間性を切り捨てるかだ。微妙に違うが、意識的に心を捨て人外として歩む事と、無意識的に心を殺し、機械の様に進むかでもしなければ、愛だの恋だののような綺麗事で物事を成し遂げるのはそれこそ物語の中だけだ。
 虚構と現実を一緒にするな。
 貴様等は暇なのか?
 現実を見ろ。
 現実に存在しないからこそ、そういった綺麗事を物語に書き、自分達を投影して自己満足出来る「何もかもが都合の良い世界」に浸りたがるのは麻薬患者と相違ない。誰も彼もが現実を生きようとしないからこそ、ある意味真っ当な作り手共が苦労するのだろう。
 嫌な時代に、なったものだ。
 どうせすぐ飽きるのだからやめればいいものを現実逃避の為に持ち上げる読者共。そんな連中に物語を読めなどと、無理な話だったか。
 そこまでの知性があるとは、思えないしな。
 無いからこそ、逃避しているのだから。
 物語物語物語か。しかし物語という概念が変質し、既にかつての語るべき何かを語り世界を覆し読者に形はどうあれ未来を魅せる物語など、既に世界から絶滅している。現代社会に照らし合わせれば、私のそれは物語として扱われないのだ。
 売れれば作家だ。
 ゴミを上手く売り抜ける能力こそ、現代作家に求められる能力だ。いや能力と言うより、そこに至るまでの「幸運」の保有者かどうかこそが作家を自称する連中の本質なのだろう。実際、作家を気取る奴は多いが、現代社会で物語を使い世界を覆そうとする奴など、存在しない。
 精々評論家を気取り、運良く売るだけだ。 
 それだけでしかない。作家という肩書きに固執しているだけで、それだけだ。物語に手抜きせず何かを刻み世界に挑む有り様など、昔はどうだか知らないが、今の世界には存在しない。私などは例外というより、異端なのだ。
 本来、この時代にはいる筈のない存在だ。
 真っ当に物語を、いや、この場合偏屈どころか悪意で切り刻むって感じだが、とにかく語るべき何かを語り、世界に問いかけ世界に挑み、世界の全てをこき下ろそうとする在り方など、時代遅れも良いところだ。
 現代社会では、現実逃避が望ましい。
 幸運に恵まれて、仲間には支持されて、何一つ理不尽を味わわず、「困難みたいなもの」を経験するだけで勝利出来る物語。
 指を指される展開など、あろう筈もない。
 理不尽に屈し続け、敗北から運命に挑み、世界の全てを信じるに値しないと切り捨てた挙げ句、人間性など端から持たずに戦い続ける物語など、連中にとっては「都合が悪い」のだ。理不尽など簡単に打破できて、「正しい倫理観」さえ歩めば何もかもが上手く行き、敵とは戦いの中で分かりあえて、輝ける勝利しか有り得ない物語。
 馬鹿馬鹿しい噺だ。
 理不尽とは覆せない物であり、正しい倫理観は所詮汚い現実からの逃避に過ぎず、分かりあえる奴など敵とは呼ぶまい。
 必ず勝利する物語など、ただの八百長だ。
 あるいは、持つ側特有の思い込みか。
 何にせよ、ロクなものではない。幸運に恵まれそうである事が当然であるなら良いのだろうが、現実にはそんな奴はかなりの少数派だ。まして、読者が都合良くそちら側だけであるなど有り得ぬ仮定であり、何の価値もない物語、いや白紙の方がマシなただのゴミだ。
 ゴミを書店に置いているに過ぎない。
 そのゴミで、現実逃避をしているだけだ。
 麻薬と何ら、変わりない。
 
 未来に希望など必要ない。
 
 そんな便利な物が無ければ進めないなど持つ側特有の愚かな悩みだ。まして、物語にそんな物を求めるな馬鹿馬鹿しい。希望などなくとも進める事に支障など無い。散々進んできた私が言うんだ間違いない。
 いや、間違いだとしても知るか。
 生憎生きる事に余力を持てる馬鹿共と違って、私には強さによる弱さも弱さによる強さも人間性による輝きも、無い。
 そんな「楽」は出来なかった。
 実際、羨ましい噺だ。そのような便利な道具で人生を有利に進めるなど、まさしくゲーム感覚で生きていると言える。
 生きるという事に、向き合っていないのだ。
 でなければ、そんな楽で満足出来る筈がない。 私は金さえあれば満足出来るがな。
 希望など存在しない。あるとすれば、現実にはただの妄想だ。文字通り夢心地だからこそ見る夢であって、現実にあるのは「困難」と「理不尽」という壁だけがそこにある。だが、その壁すらも簡単に砕ける者とそうでない者がいるのだから、その壁の有無も所詮「持つか持たざるか」の境にある関所のようなものなのだろう。
 要は、全てが運次第だ。
 人間の尊さなど、それで全て説明可能だ。
 所詮、人間性の輝きなどその程度。
 運命に左右されず、意志の力だけで前に進むという在り方など、それこそ物語の見すぎだろう。現実と虚構を一緒にするな。大体進んだから何だというのだ。そんなもので進んだところで一円にもならんぞ。私が言うんだ間違いない。
 経験するべきではない経験を全て知る。
 それ故の「作家」であり、それらを悪意のみで語るからこその「邪道作家」だ。まあ、売れない作家は現代では作家だと呼ばれないものだがな。 私からすれば、不思議な噺だ。
 売れる駄作を一つ二つ書けば、思想の寵児だともてはやされ、気取った顔で取材を受けて、その当人はというと、作家であれば必ず持ちうる筈の心構えすら欠けているものだ。人間が嫌いな奴か人間を玩具の様に扱う奴か、人間を何とも思わぬ非人間か。いずれにせよあるべき筈である、人間をやめた思想すら存在しない。
 人間のまま、作家になろうというのだ。
 分を弁えろ馬鹿共が。
 人間が作家を語るんじゃない。
 技術による小手先に頼った小咄ばかりで、何も刻みつける悪意も無い。つまらない駄作を量産し何を語るかといえば「夢」「希望」「愛「友情」或いはそれは、「恋」だの「努力」だったりするのだが、いずれにしろ下らない。
 その裏側を書かなければ意味があるまい。
 綺麗事を書くだけなら麻薬でもやっていろ。
 その方が簡単だぞ。やってる事は同じだしな。 いずれにせよ「生きる」ということが「恐怖を己が力に変える事」だとするならば、私は金の力を得るのではなく、金という概念そのものを味方につけなくてはならない。いやこの場合、金ではなくそういったあれこれに左右される状況、所謂その「運不運」あるいは「因果」だとか「運命」といった「大きな力の流れ」そのものを己の力にしなければならないのだ。
 背負った星とでも言うべきか。
 例えば「主人公」だ。主人公は主人公であるが故に、必ずといって良い程「勝利」を手にする。だが、それを覆すには「主人公」という立ち位置そのものを奪い「悪の主人公」として成り上がるしか道はない。
 運命を変えるだけなら簡単だ。何度も言うが、「生きたまま生まれ変わる」だけでいい。在り方を変革し先に進めれば運命そのものは変えられる・・・・・・だが、変えるだけでは駄目なのだ。現に、私は運命そのものを「邪道作家」として確立したが、それだけだ。勝利とは何の関係もない。
 運命と勝利は、別の場所にあるのだ。
 だから、それだけでは足りない。変えるなら、むしろ運命以外を変える必要がある。それが何かといえば「幸運」という「力」だ。
 運命はあくまでも「歩むべき道」であって実利とは関係がない。歩むべき道を歩きながら、貧乏な生活を送るのでは本末転倒だ。その過程にある力こそが、運不運というやつだ。過程にある力か・・・・・・結果を望む私に過程が足りないとはな。
 いや、それも結果の内か。
 今ある力の差こそが、現状を生み出している。幸運を奪えれば噺が早いのだが、これほと理不尽という言葉が似合う存在も無いだろう。
 生まれつき、有る無しが定められている。
 当人の意志や行動など、何の関係もない。
 どうしろというのだ。未来に希望があるだのと口にする連中は気楽で良いものだ。理不尽の一つも敵対した事が無い癖に、それらしい言葉を吐き世界の真理を知ったきになれていればそれだけで「立派な人間」の出来上がりだ。
 残念だが、偶々恵まれていただけだ。
 貴様等個人など、いてもいなくてもいい。
 ただ幸運という自動装置が、貴様等の代わりに動いているだけだ。才能、環境、何でもいいが、要するに当人の「仕事」以外の全てだ。   
 働きもしないで、よく自惚れる。
 自分達の誇りが「偶然の産物」と認めたくないからこそ、各々の個性を尊重したがり汚ならしい綺麗事に耽溺する。それでいて不可能に挑み己で成し遂げられない何かを成し遂げようとはしない・・・・・・出来るからやっているだけだ。
 努力したからとほざく奴に多い台詞だろう。
 それは、努力したら成果がついてきたから努力出来たというだけだ。努力すればする程後退し、努力に応じて敵が増え、努力の分だけ財布の中身が軽くなる経験はしたのか? してないだろう。努力すればするだけ成果がついて回るのであれば誰であれやるだろう。何せ未来が確約されているのだから、その労力が惜しくない筈がない。
 その執念には価値があるが、それだけだ。
 不可能を可能にした訳ではない。
 そして、努力だけで成り上がるというある意味楽な道程を送ってしまったら、何か致命的な事を間違えるのも人間だ。一言で言えば視点が足りず大局を見誤る。当たり前だ。そういった理不尽をそもそも「知らない」のだから、対処など出来る筈もない。
 対処できない難題に理不尽にも挑む必要がある戦いが「生きる」という荒道の一側面だ。言わば険しい山道を登ったが、途中一度も獣に出くわさずに登り「山を制した」と叫ぶようなものだ。
 それで誰もが登れれば苦労しない。
 偶々出くわさなかっただけだ。
 現代の、所謂その「成功者」というのは一つの例外もなくこれだろう。だから知った風な書籍を出して、恥ずかしげもなく語るのだ。人生は困難ではなく、正しい道を歩いているだけで、誰もが未来を切り開ける、などと妄想を垂れ流す。   悪意の一つも持たず、つまらない持論を述べるのだ。
 面白くも何ともない。
 そして、面白くも無い奴の台詞など底が知れている。心の隙間に入り込んで現実逃避の綺麗事を垂れるだけなら余所でやれ。
 貴様等を「作家」だと勘違いする奴が出てくるではないか。まるで作家みたいだが、そんな訳がない。駄文を垂れ流すだけで作家になるならゴミを並べるだけでいい。
 実際、その辺のゴミとさして変わらないのだ。 汚ならしい綺麗事に、価値など無い。
 ゴミを並べて「作家ごっこ」をしているだけだ・・・・・・それを有り難がって扱う「編集者ごっこ」も大概な噺だ。言っては何だが現実にはゴミの山を増やしているだけで、そんな駄作を誰が保管し先に繋げるのだ? 
 私なら、飽きてすぐに捨てるぞ。
 読まない書籍などあるだけ邪魔だ。
 それこそ、ゴミ以下だ。再利用も出来ない。
 いっそ綺麗事を書く作家気取りは、全員死刑にすればいい。どの道何の役にも立たず、気取った自画自賛を書くだけなのだ。その辺の子供にでも書かせた方がまだマシだろう。大体、作家に何を求めているのだ。華々しさなど欠片もなく、栄誉や栄光からは世界一遠い。そんな存在を持ち上げまるで「人生の勝利者」のように飾りたてるとは貴様等の頭には何も詰まっていないのか?
 いや言わなくていい。見れば分かる。
 中身が無い方がマシだ。
 むしろ何か詰めろ。その辺の石でも詰めれば、少しはマシになるだろう。家で余っている生ゴミでも構わない。その方がまだマシだ。
 何せ作家を「素晴らしい」などと思う連中だ。 前提からして、愚かな間違いだと言わざるを得ないだろう。作家は誰かに認められるのではなく今ある世界を認めないからこその作家だ。いや、今あるつまらない世界を、というべきか。何より己が認められる必要など無い。
 物語が売れればそれで十分だ。
 当人に名声など望んで、何になる。
 作家が物語より有名になってどうするのだこの馬鹿共が。要するに己の思想が広まりさえすればそれでいいのだ。第一、作家などを生きる奴には人間社会に生きているという実感は無い。人間的な見方が出来ないからこそ作家と呼ばれるのだ。 精々、その中で楽しめている、程度だ。
 人間として、人間社会を見る事はない。
 とどのつまり人間として生きて人間社会の中で生活している、訳ではない。人間らしさ、などがあれば作家など出来ない。
 人間が人間的な物語を書くなら、外でも見ればいい。ありきたりな妄想を垂れ流す物語を読むのであれば、昼寝でもした方が早いだろう。
 そんな当たり前の事すらわからない馬鹿の為に私は物語を売るのに苦労している訳だ。おかげで執筆だけはそれこそ馬鹿みたいに進んだがな!
 嬉しくない噺だ。 
 そもそも私は元来速筆だ。真面目にやるなら、一日で一冊は書けるだろう。いや、半日もかからないかもしれない。アイデアに困ったという経験もない。何故なら常日頃から私は闘争には必ず敗北し、何であれこちらに憎悪を向ける敵となり、売れもしていないのに物語を執筆するという作家にあるまじき理不尽を味わい続けているのだ。
 これで執筆が進まない筈がない。
 この状況を作った責任者は殺すがな。
 絶対に許さん。仕事に対価がなくて良い理由は世界のどこを探しても有り得ない。それこそ神仏であろうが悪魔であろうが、必ず破滅させる。
 なに、口先で私に勝てる奴は、この世もあの世もいないからな。裁判があるなら必ず膨大な金を請求し、裁判ではなく力で事が進むのであれば、お望み通り部下に反旗を翻させて暴力の渦の中で殺してやろう。
 泣いても謝っても絶対に許さん。
 覚悟しろよ、人類史史上、いや神々の世界でも見た事の無いような、空前絶後の悪意をばらまき未来永劫苦しめ続けてやろう。
 そんな奴がいれば、だがな。
 いるなら必ず、そうする。
 絶対に、逃がさない。
 恐らくは、地獄に無いであろう「借金地獄」の恐ろしさを骨髄より深く刻み込む。素寒貧では、まだ足りない。その精神を廃人に追い込みまずはそうだな、あの世を丸々裸で五十周でもやらせるのもありだ。痴態を世界に示させ、威厳を殺し、二度と逆らえないよう本人が自分の石でこちらの奴隷にならせて下さいお願いします、とそう頼み込むよう状況を追い込む。
 そうせざるを得ない世界を作り上げる。
 私の得意分野だ。誰であれ可能だとも。
 周囲の全てに汚いゴミを見る目で見られるよう仕向けてやるさ。最悪を怒らせればどうなるか、魂そのものに刻み込んでやる。
 格差というのはいつの時代も変わらない。
 この世でもあの世でも、同じ事だ
 どれだけ博愛主義者のの神仏だろうが、連中に頭を垂れさせられるのが人間だ。そして現代社会においても幾ら科学技術が進み、遺伝子改良技術などで才能や寿命を買えるようになってさえも、結局は金が物を言う。そして、金次第の世の中において、成功者となれるか否かは基本的に運だ。 生まれ、育ち、環境。あるいは才覚などの当人の意思とは関係ない部分で全てが決まる。当人がどれだけ望もうが、腕が無ければ野球選手は無理だろう。病に伏しているだけで厳しい。まして、それらを努力だけで成し遂げたと勘違いする連中には、そのような足枷など見た事もないのだ。
 意思だけで何かを成し遂げれば苦労はない。
 それこそ現実逃避だ、馬鹿馬鹿しい。
 向かい続けていればいつかという考えこそが、世界の理不尽から目を背けている。向かい続けたところで、辿り着かずにさまようだけだ。
 私が言うんだ間違いない。
 向かっているだけで辿り着ければ苦労しない。向かっている先が逆方向かもしれないのだ。所謂その「努力の方向性が違った」という、情けない後付けの言い訳を聞かされて、何の役にも立たぬ戯れ言をほざかれるに過ぎない。
 要するに、時間の無駄だ。
 当人の意思の力など、所詮その程度。
 何になるわけでもない。
 実際、そうだ。己とは関係ない、誰かや何かの都合で私は振り回されてきた。私個人の意志だの行動だのは存在しないも同然であり、断言すれば何もしない方がまだマシな成果を得られただろう・・・・・・何もせずに朽ちるか何かを成して奪われて死ぬかだ。いずれにせよ、予め敗北は定められており、今を以てそれは覆せていない。
 何とかして、他者に押しつけなければ。
 誰かを地獄に落とす事で「幸福」は掴めるものであり、その仕組みに敗北し続けたからこそ今の私がある。であれば今更綺麗事を押しつけられる覚えもない。まさかそういった理不尽を押しつけられながら、こちら側だけは真っ当に生きろとでも言うつもりか?
 妄言は夢の中にしろ。
 信仰には綺麗事が多い。現実にそれが出来れば誰も苦労しないという類の言葉だ。だが、戦争や貧困、格差や圧制により生活が危ぶまれ、或いは費やした労力が無駄に終わり、当人の意思や行動の全てが否定されている状況下で、神仏を信じるというのは現実逃避でしかない。
 夢を見ながら死ぬだけだ。
 むしろ、信じるだけの余裕があるからこそ神仏を信じるのだ。切羽詰まった状況下で神仏を信じ対策も練らずに死ぬのが「正しい倫理観」なら、私は正しさなど御免被る。正しい行いだから何もせずとも勝利が訪れるなどと、そんな現実逃避の戯れ言に構っている暇などない。
 現実には、他者を苦しめれば苦しめるほど幸福を掴めるものだ。形はどうあれ現状の世界にいる金持ちなど、その最たる例だろう。圧制者顔負けの事をしているからこそ、労働者を奴隷扱いして生活の保障をしないからこそ、酒と女を楽しめる余力で遊ぶのだ。
 その癖、何をしたいのかも分からない。
 月にでも旅行に行けば格好が付くと考えている・・・・・・浅はかにも程がある噺だ。
 他にやる事はないのか。
 そんな連中が勝利するこの世界で、神仏などが何をしているというのだ。成果を出せない正しさなど妄想にも劣る。世界に何を出来る訳でもない連中が偉そうにふんぞり返るんじゃない。少しは働いたらどうなのか。
 道徳を垂れる暇があるなら経済を回せ。
 経済も回せない神仏の倫理観など、ただの妄想ではないか。現実を動かせない正しさなど余裕がある時に考えればいい。
 そして、仕事をしていればその余裕はない。
 いや、あったところでそれも運次第だ。どうも私は連中に嫌われているらしいしな。当たり前と言えば当たり前の気もするが、正直役に立たない連中と仲良くする気などないし、そもそも連中の唱える世界では生きられないからこそ私が生まれたのだ。
 汚らしい綺麗事の中に、私の居場所はない。
 それらを剥がし、殺した上で生きるのだ。
 それが、私だ。
 まあ勝ち目など無いが、それもいつもの事だ。少なくとも連中に物語を評価する脳味噌が無いのは確かだ。そんな知能があるなら私の物語を既に売り捌いているだろう。案外、人間の文字すらも読めないのかもしれない。
 全知全能だったところで、何者でも優秀であればある程そこに成長など有り得ない。
 成長する余地がないからだ。
 まして、連中が「理不尽」を知り世界を覆そうとするなど、有り得る筈もない。普通に考えればわかる噺だ。神仏がいたとして、連中は全知全能であり人間とは土台からして違う。
 連中であれば、汚ならしい綺麗事の世界でも、生きる事は容易だろう。だがそれを信じる連中は神仏ではない。そんな便利な能力がある筈もない上に、そのような綺麗事を通して何も成し得ないまま死ぬなど誰であれ容認しない筈だ。
 それを容認するなら既に人ではない。
 それこそ生物とは呼べない在り方だ。
 理想論は、所詮理想論だ。理想を通せる圧倒的な暴力があれば可能だろうが、しかし神仏連中のような便利な力など存在しない。連中が手を貸してくれると唱える奴等も多いが、ならば神仏連中が手を貸して世界はこの様なのか?
 はっきり言って、それならいない方がマシだ。 何の成果も出せてはいない。
 それが「事実」だ。
 その事実を見据えられない奴であれば、尚更にどれだけ有能だろうが役には立つまい。噺が脱線したが、要するに連中は少なくとも私に手を貸す事だけは無い、という事だ。
 願う心など、どこにも無いしな。
 そも祈るという行動が取れない。
 役に立たないから、どうでもいいがな。
 そんな連中に助けて貰えるなら、そもそも作家になどなっていない。そういう連中に汚ならしい綺麗事を押しつけられるだけ押しつけられて何の恩恵もないどころか綺麗事の負債をこちらが払う羽目になっている。
 他者に与えれば、図に乗ってたかられる。
 他者に慈悲を出せば、こちらが奪われる。
 他者に行動で示せば、行動を利用される。
 生憎だが貴様等が思いつきそうな浅はか極まる行いの全てなど、既に実証済みだ。
 言っては何だがしない方が遙かにマシだ。
 文字通りマイナスにしかならない。
 それが「事実」だ。
 私からすれば、事実から目を背けるからこその神仏だ。何せ、全知全能でない身の上で理不尽を克服した事などないのだからな。生身で理不尽を味わって恨まず清廉潔白を貫き通した逸話もあるのだが、しかしそれでは何一つ変えられていないではないか。まさか、その清廉潔白さを人間全てに適用するつもりか?
 そんなのは、ただの拷問だ。
 理不尽を見ようとしていないだけだ。
 実際、どのような宗教であれ綺麗事だけを書き過ぎるきらいがある。現実にそんな行いを実現し行動すれば、間違いなく破滅だ。少なくとも個人としての己を完全に殺し、人間性の全てを捨てているではないか。
 本末転倒もいいところだ。
 悪徳がただ悪い、と盲信するのではなく、悪意が人間を人間たらしめ、悪があるからこそ幸福を得られる事もあると、事実を述べるべきだろう。 悪の存在しない世界など、虚構に過ぎない。
 尊さばかり学ぶのでは、現実逃避を繰り返しているだけと変わらない。悪を知った上で理不尽に向かい合い、それでも信仰を貫くなら価値もあるだろうが、大半はそうではあるまい。ただ正しいからと盲信しているだけだ。
 だから、何も変えられないのだ。
 少しは現実を見ろ。
 この惑星近辺でもそれら現実逃避のような行動は繰り返されている。綺麗事の道徳ばかりを見てきたせいか、政治の建前ばかりが行き交い、結局茶番だけで治世が治められている。具体的に言うなら「議席の確保」と「血族の確保」だ。
 議席制度であれば金の力で席を確保するだけで政治は自由自在に支配できる。都合の悪い状況があれば法律そのものをねじ曲げる事もある。
 入札制度など、その最たる例だ。
 力があれば何をしても許される。その在り方を体現するのが人間世界における「政府」なのだ。昔はどうだか知らないが、近代では政府の存在は富裕層の権利を守り、奴隷層を手厚く管理する。そして、その現状を維持する行いを「天下太平」と呼ぶのだ。実際に、かつてそう呼ばれた時代もロクな時代ではなかった。
 綺麗事で目を背けているだけだ。
 識字率を誤魔化し足し算も出来ない愚か者共が士族などと名乗り遊び惚ける世界。気に入らない奴がいれば好きに殺しても許させる有り様こそが「尊い平和」とやらの正体だ。平和というのは、結局の所「現状の方が都合が良い」連中が唱える身勝手な概念に過ぎないものだ。
 現実には平和など、存在しない。
 争い事を避け自分達に都合の良い部分ばかりを見る愚か者が、命を賭けて世界に挑む奴に対して自分達の都合が悪いからと綺麗事を押しつけて、その行いを「正義」だとか「善」だとかだと思い込む事で己を肯定しているだけでしかない。別に正しさも大義も有りはしない。
 
 
 
 
 

 所詮、正義など現実を生きられない奴が自分で自分を誤魔化す為に使う麻薬に過ぎない。世界に絶対の基準があるとすれば、己の内だけだ。
 己の間違いを貫き通す覚悟。
 絶対に正しくない行いを、根拠無き確信を以て世界に挑んで成し遂げる。そんなのは当たり前の事であり、呼吸や二足歩行に等しい前提だ。
 つまり貴様等は赤子以下だ。
 生まれてこない方がマシな知性だといえる。
 私など、自我が芽生え子供心ながらに大人共の無様さを眺め続けていた頃から、知っていたぞ。 むしろ何故知らないのか。
 今までの人生何をしてきたんだ?
 理不尽の百二百、一億二億程度も無かったのか・・・・・・たかが世界全てが敵に回り、見える人間が全てこちらに指を指し、保護するとかほざく大人が暴力を振るい、責務を果たすと自惚れる企業が奴隷として首輪を求め、努力する程後退し、成長する程貯金残高が減り、運命を克服すればその前よりも状況が悪化し、己の道を進めば金にならぬと嫌気が差す・・・・・・こうして見ると、何の問題も解決してないな。
 今までの労力は何だったのか。
 それも今更だがな。
 まあ、そういう意味では正義がどうではなく、正義を押しつけられるか否か、善性を刷り込めるかどうかが肝要なのだろう。政府が正義を謳い、神仏が道徳を語る。それは結局の所そうであると言える暴力があるが故だ。実際問題、地獄や天国があるとして、その裁定は生きた事もない神仏や悪魔だのが決めるのだが、しかし、そんな連中が押しつける裁定など、連中に暴力が無ければ誰が認めるというのだ。
 知った顔で上から定められる。
 それが押しつけでなくて何なのだ?
 当人達は「良い行いをした」と自己満足するのだから良いが、押しつけられる側からすれば圧制を敷かれているのと変わらない。
 仮にだが、私の在り方が善に偏っていないからと地獄行きを神仏に裁定されたとして、生きた事もない奴等に何故そんな裁定を下されねばならんのだ。それを実行できるのはこちらの都合を無視してあちらの都合を暴力で押しつけられるからであって、神仏の身勝手な都合に納得する人間などそうそういるとは思えない。
 誰であれ不満だろう。
 それで地獄行きなら尚更だ。
 天国よりは、マシかもしれないがな。
 少なくとも、娯楽はなさそうだ。人間の悪性を排した世界であるなら、人間の作り出した文化の全ては存在しないだろう。
 善性のみを肯定するなら、私の物語は置けまい・・・・・・そのような検閲を受ける世界では、どの道生きてはいられない。作家は特にな。
 かといって生産性のない拷問を受け続けるなどそれこそ御免被る。地獄には様々な概念があるが共通するのは上の自己満足な罰を押しつけられるという事実だけだ。大体、痛めつけられて本当に反省する奴などいるのか?
 発想が幼いにもほどがある。
 あの世には馬鹿しかいないらしい。
 管理職など大抵そういうものではある。何せ、権利は幾らでも使えるが、義務は果たす必要などないからな。下の声など無視すればいい。
 あちらにも反乱は必要なのかもしれない。
 とりあえず、偉そうな奴は皆殺しだ。
 偉そうなだけで義務を果たさない奴など生きる隙間は必要ない。ゴミは処分するべきだ。カビのようにいるのだから、全て殺し尽くした方がマシになるというものだ。義務ばかり果たして権利の一つも発生しない作家業からすれば、これほどに鬱陶しい輩もあるまい。
 いや実際、権利の一つも欲しいものだ。
 義務だけ果たすなど、御免被る。その私の横で偉そうに振る舞いながら義務を果たさず権利だけを行使する肩書きだけ偉そうな連中など、殺して下さいと懇願しているに等しいゴミだ。そして、私はゴミが嫌いだ。臭くて邪魔だからな。
 どれだけ権威があり力があろうが、同じだ。
 人間の汚職と、何一つ変わらない。神仏であれ同じ事だろう。働きもしない奴に価値などないし成果を出せなければ尚不要だ。
 そして、現行の世界に連中の成果などない。  働いた上で世界がこの様だというなら、むしろ何もするな。足を引っ張るだけならその辺の子供で間に合っている。
 私は貴様等の保護者じゃないんだ。
 余所でやれ、余所で。
 駄作を量産してゴミを増やすのが、連中のいう真っ当な世界だというなら、そのような真っ当さでは作家が生きられそうにない。こちらとしても仕事を守る為に殺させて貰う。その行いを善意で押しつけているなら、文句を言われる覚えもない・・・・・・悟りを開けば何をしても許されると思ったのであれば、それこそ大間違いだ。
 悟りなど、何の意味もないものだ。
 その個人の中で完結しており、何よりも他の奴にはそのような悟りは無い以上、悟りを開けない人間からすれば存在していないに等しい。まして人にはない超常の能力がある奴などに、一体誰が共感するのだ。雲の上の噺をされたところで何も世界は変わらない。
 無様に生きてからほざけ、間抜けが。
 悟りなどあろうが無かろうが同じだ。
 悪性も知らない奴が語る言葉に、価値などあるものか。自分達に都合の良い何かに縋りつくのは簡単だが、簡単な方法を採れない奴が大多数だ。だから、神仏を信仰する奴にロクな奴がいないのだろう。信仰の上に立てば立つほど何故か権力が付随し、腐敗が進み汚臭が沸き立つ。
 敬虔なのは下にいる奴だけだ。
 責務を果たさない上など、どこもゴミばかりで臭くて仕方ない。いっそ、頭からアルコールでも被って欲しいものだ。
 世界に平和や愛があるだと?
 少しは考えて物を言え、馬鹿共が。
 妄想も大概にしろ。
 大体、世界の全てを救える救世主みたいに語られる事が多いが、持つ側が肥え太る世界が連中の望む世界なのだろうか。そうではないというなら連中は今何をしているんだ?
 観光でもしているのか?
 そういった大層な能力のある救世主の神仏共が望まれるのは、逆説的に今の理不尽な世界はそれくらいの奴でなければ変えられないと考えているからだろう。それも、何かに縋るだけで救われるような、楽な形を望むからこそ、だ。そんな神仏がいれば、理不尽に対して祈るだけで救われる。 これほど楽な方法はあるまい。
 何せ、都合の良い救世主に祈ればいい。
 そのような暇な発想を繰り返しているだけで、金が儲かるというのだから羨ましい噺だ。現実に理不尽を克服しようとしている身にすれば、妄想に等しい噺でもあるがな。それにその場合、神仏に気に入られるか気に入られないかが全てとなる世界ではないか。
 その中に私がいるとは思えない。
 そこまで楽観的ではない。
 私の傑作を理解出来る脳細胞が搭載されているとは、正直思えないしな。それが出来るならば、とうに馳せ参じて通帳を差し出す筈だ。
 その程度の事も出来ない奴に、祈りだと?
 少しは働いて下さいとでも祈るのか?
 馬鹿馬鹿しい。私は暇ではない。そんなのは、祈る余力がある奴にでもやらせておけ。祈りなぞをしている暇があるなら、殺さなければ。
 生憎だが、現実には理不尽という奴は何一つとして躊躇はしない。祈っている間に金を盗まれた事も一度や二度ではない。祈れば救われるなどという妄言を実行する暇があるなら、とりあえずは目先の邪魔者の首をはねてからにすればいい。
 現実には、そういうものだ。
 物語は適当な綺麗事で締めなければ噺が終わらない事が多いので適当に締めているが、しかし、現実にそのような綺麗事など耳障りなだけだ。
 そも、物語とは妥協である。
 現実には無理だから、語るのだ。
 物語の中に夢希望を見る奴は多いが、現実にはそれらは実現不可能であり、現実には実現不可能だからこそ、物語に夢希望を見るのだ。
 世の中そういうものだ。
 そういう世界を、生きるしかない。
 信仰は尊いかもしれないが、現実逃避の為ではない。何かを指針として借り受けているだけで、別にそれそのものの何かを得る訳ではないのだ。 何故、その程度もわからないのか。
 自身より優れた何かに同一視するなど、どうかしている。他にやることはないのか。
 列車の外の景色でも見た方が役に立つぞ。
 私は今も、そうしている。
 その方が、作品のネタになるしな。
 しかし、作品のネタという部分でいえば、今回の依頼はかなり裏がありそうだ。普通反乱勢力というのは簡単に弾圧され敗北する。
 何故なら、兵糧の問題があるからだ。
 飢えて死ぬまで追いつめればいい。自前で兵糧を維持している勢力に出会った事もあるが、この惑星はそこまで豊かではない。何より、渡された資料では反乱勢力の数が多過ぎる。ここまで規模を膨らました勢力が、見つけられずに放置されるなど異常だ。
 つまり、内通者がいる。
 だが、これだけの勢力に内通者を出して裏切りを許す程依頼人共は無能なのか? 否だ。恐らく連中の意思で反乱勢力は生かされている。
 ならば、私に殺させる理由は何なのだ?
 いや、それは聞いている。生体と無機物兵器を結合させる新技術。それは確かに有用ではあるがそれだけでも無いだろう。
「何だ、先生。まるで探偵みたいだな」
「馬鹿を言うな。私は悪意を読み解くのが得意なだけだ。第一、私が理屈で物語を書く奴に見えるのか?」
 ジャックは吹き出しながら「確かに、見えないな!」と爆笑しだしたので、私は無言で携帯端末に保存されているデータを消そうとした。
「待てって、悪かった。それだけはやめてくれ」「ふん、電脳アイドルだと? ただでさえ万民に好かれる存在など虚構だろうに、存在そのものも虚構な奴に、良く金を払えるな」
「アンタがそれを言うのかよ」
「当たり前だ。虚構を売るのが作家だからな」
 騙す側に回るのはいいが、騙される側に回ってはならない。それこそ生きる上での常識だ。
 ただでさえ、世界は運次第なのだからな。
 どんなゴミでも幸運に恵まれさえすれば立派で善良なる人間とやらになれる。私は嫌というほどそれを見てきた。物事に必要なのは意思や行動が伴う過程ではなく、単に空から降ってくる幸運に好かれるか否か、それだけだ。
 意思や行動など、ただのゴミだ。
 それらを良いという事に出来るから、そうしているだけに過ぎない。実際、その意思や行動が、私に実利をもたらした事など一度としてない。
 私が言うんだ間違いない。
 そんなもの、何の役にも立たんぞ。
 あろうが無かろうが、まさしく同じだ。
「そうかい? でも先生の物語ってのはその過程を描いたものだろう?」
「それが何だ。その過程を見る奴がいなければ、そんな過程は無いも同然だろう。そして、過程が何であれ運が味方すれば売れるものだ」
 それが現代の物語だ。
 あるいは、これより未来は永遠にそうだろう。 後に何かを託すか否か、そんなのは最早何一つ価値を無くしている。いや無くすというよりも、その価値を認識する読者がいないのだ。
 だから、物語の内実などどうでもいい。
 少なくとも今は、そういう時代だ。
 これから先も、恐らくは人類絶滅までそういう時代だろうが、それは指摘しても詮無い事だ。  私には関係ないしな。
 読者共が自分で選んだ道だ。破滅したいのなら好きに破滅すればいい。作者は保護者ではない。読み手がどれだけ愚かかなど知った事か。
 死にたければ勝手に死ね。
 無論、死ぬ前に金だけは頂くがな。
 貴様等の価値など、その程度だ。
「俺が言えた事じゃないが、ひねくれてるねぇ」「何がだ」
「だって、そうだろう? 本当にそれだけなら、別に語る事に拘りはいらない。だが先生はそれを意固地になって維持している。って事は、先生は後に何かを繋ぎたいのさ。意識を改革し後生まで物語が軽んじられる世界を覆したい。それが先生の望みじゃないのか?」
「いいや、違う」
 それは、出来ればやるが出来ないならどうでもいい事なのだ。私の第一目的は金銭的に安定する生活であって、それによる豊かさを肯定する事が私の定義する「幸福」だ。
 実際には幸福など感じないが、構うまい。別に幸福そのものに拘りがある訳でもないのだ。
「そうなのか?」
「良い物であるらしい、というのは分かる。だが分かるだけだ。それを実感して共感する事だけは未来永劫有り得ない」
「何でだ? 別に、そういう在り方を先生が肯定すればいいだけだろう」
「そうでもない。肯定した所で実感できないのだ・・・・・・それこそ虚構の概念で満足するに等しい。なればこそ、私は金を肯定するのだ」
 現実問題、有りもしないだけの幸福論では生活が成り立たないしな。有りもしないなら自己満足で済ませられる環境を作るだけだ。
「手にいられれば手に入れるが、現状そんな縁がある気配も無い。私は私で、私が非人間の化け物として生きる上で、必要な行いをするだけだ」
 やるべき事を成し必要な物を揃える。
 ただのそれだけだ。
「それにだ。そういう人間性というのは人間性を肯定する暴力があるからこそ成り立つ。思い込みの自惚れを幸運が後押しした場合のみ、人間世界は前に転がしてきた。人間の唱える幸福論など、所詮理不尽の前に消えるまやかしに過ぎん」
 夢や希望を見る事は、現実逃避に過ぎない。
 世界には理不尽があり、その理不尽は覆らず、しかして残酷な程に死と敗北と苦痛が暴力によりもたらされる。どうでもいい理由で理不尽が定められ、小綺麗な倫理は都合良く利用される。世界とは、綺麗事で上っ面を誤魔化しただけの地獄であり、それを見ぬふりするからこそ人生には未来があると嘯く事実がそこにあるのだ。
 つまり、現実逃避を行っても生きられるほど、恵まれた奴だからこそ綺麗事を口にする。それが世界における真実であり、ただの事実だ。
 女子供は殺さないと嘯いて大人は殺す。
 栄誉ある戦いだと叫んで弱者を殺す。
 誇りある行いだと信じて戦争で殺す。
 人類皆殺人鬼だ。実際、他者を殺さずに生きる事が出来るなど、そいつは既に生命ではあるまい・・・・・・悟りを開こうが、席は限られている。 
 殺さない選択肢こそ、己を殺すのだ。
 とどのつまり、どう足掻いても殺す道だ。
 生きるとは殺す事であり、尊き人間性とは殺人の中にこそ在る。世界を救うという行いは自身の内にある心を救う事であり、誰かを救う思想には誰かを救う己の姿しか存在しないもので、世界は当人の内にしかない。
 誰かを救う事で己が救われる。
 他者を利用して救ったという救いを得る。
 その為なら何人殺しても構わないというのだ。私よりも殺伐としているが、少なくとも連中には誰かを殺しているのではなく、その正しい道程を歩む為の「仕方ない犠牲」なのだそうだ。
 私なら、仕方なかろうが殺すがな。
 いずれにせよ、殺しているのは同じだ。
 大義の有無など事実には関係ない。
 良くある救済の噺ほど甘ったれた噺はないと、私はよく思う。理不尽は水のように溶け、信じるだけで救世主が救ってくれる、などと。
 何度も言うが、馬鹿か貴様等は。
 仮にそこまで都合の良い奴がいたとして、それが何になる? その救世主が消えれば、絶望して自殺でもするのか?
 理不尽は、理不尽のままだ。
 都合良く覆る事など、無い。
 私が言うんだ間違いない。
 考えるだけでロクでもないし、実行すれば更に忌々しいだけだが、しかしそれでもだ。何にせよやれる事は限られている。大層な救世主ではないというなら、ただの悪党にでも出来る何かを模索してやるしかあるまい。
 まあ、今のところまるで方策は無い。
 屈し続けているのが現状だ。
 どうしたものか・・・・・・何にせよ金だ。いや優秀な人材を雇えればいいが、しかし電脳世界の中に優秀な人材など有り得ない。自分をその道のプロだと思い込んでいるだけの連中が、ゴミにも劣る自己満足のサービスを口にしているだけで、私は使えるサービスなど見た試しがない。
 電脳世界は選択肢を無限に変えた。
 無限にゴミだけが増えた訳だ。
 ゴミ山を漁ったところでゴミがまた増えるだけだろう。とはいえ、そんな都合良く「縁」を結べれば苦労しない。あるのか? そんな展開が。
 大体、どうやって縁を結ぶのだ?
 物語を宣伝するプロがいたとして、この業界は売れる物を売りたいなどと抜かす甘ったれがプロを気取っているだけの世界だ。編集者など、既に絶滅して久しい。
 既に売れている作家もどきにでも会うか?
 いや、それはない。何故私が素人に聞くのだ。そもそも遊び感覚でやっている奴に、物語を売る能力などあるまい。それこそ幸運なだけだ。
 この時代で物語りなんぞに本当に心血を注いでいる奴が、他にいるとは思えないし、いたとしてどこにいるのやら。適当に当たってみるか。
 厳しいな、邪道の道は。
 王道の作家共であれば、書けば売れるというのだから、楽で羨ましい。その分アイデアが浮かず執筆作業に労力がかかるというが、それこそ悪意が足りない証左だ。あるいは、作家として非人間らしく生きている癖に遅筆な奴がいたとしたら、それは間違いなくズボラなだけだ。
 外に叩き出して命の危機に晒すだけでいい。
 それで解決だ。常日頃から大抵の出来事に敗北を繰り返している私にすれば、その程度の労力に手を尽くさないなど有り得ない。何せ、尽くしたくなくても尽くさざるを得ないように追い込まれ続けているのが私だ。
 そうでなくても大体死にかけたりする。
 その度に宇宙一の悪運で生き延びるがな。
 いい加減、少しは楽な道を歩みたいものだ。
 敗北や遠回りによる敬虔など、文字通り何にもならん。私が言うんだ間違いない。貴様等が性格の悪い物語を書くというのならともかく、いや、物語を書く場合でも売れるか否かは関係ないのだから、やはり価値など無い。
 あってたまるか。
 目指すべき景色がある。そこに辿り着き目的を果たす為に歩みを続けているのだ。今までの過程にも価値はあったんだよ、などという汚ならしい綺麗事で満足するくらいなら、最初からこの様な荒道を選んでいない。
 私は金の為にやっているのだ。
 読者の幸せだの世界への貢献だの、そのような戯言で誤魔化すつもりは毛頭ない。物語とは札束へと変換する為にあるものだ。
 夢だの希望だのは、読者を騙す為だ。
 つまり、詐欺師としての技術に過ぎない。
 何より読者が満足しようが不満を抱えようが、作者の懐には何の関係もない。そもそも私に見方する読者などおるまい。
 故に、どうでもいい事だ。
 作家とは栄誉だの栄光だのから宇宙一遠い存在であり、近代の「作家ごっこ」をしている暇人共が分不相応なのだ。作家でありながら世間に認められたい、などと。愚かにも程がある。
 認められるべきは作品だけだ。
 作家が有名になってどうするのだ、馬鹿が。
 サイン会でも開くのか? 私なら有名アイドルでも雇用して、そいつらが作者だという事にしてやらせるがな。読者の身勝手な作家像に合わせてやる義理はない。正体を隠し続けるのが疲れる、というのであれば、やはり身代わりは必要だ。
 ちやほやされたいのなら保育園にでも行け。
 貴様等にはお似合いだぞ。
 何せ、作者の保護が必要なのだからな!
 作り手として恥ずかしい。読者にはロクな奴がいなさすぎる。作家を何だと思っているのか。
 いいか、作家とは人間らしく生きられない奴の事を指す。人間社会の中において人間としての生を謳歌出来ないからこその「作家」だ。
 栄誉なんぞを求める時点で偽物だ。
 世の中、偽物の方が儲かるがな。
 全く、迷惑な噺だ。
 そんな連中に勝つ為に最適解だけを選んでいると思われがちな私だが、少し違うのだ。最適解を選ぶのではなく、それ以外に価値を見い出さないというだけで、その過程を楽しむフリはする。
 無論、そこまでの余裕など私には無い。
 とはいえ余裕は無くとも隙間はある。私の場合労働の合間、今回の様な依頼の最中でもその景色を楽しむ程度の事は可能だ。過程を楽しむだけで実際に何かを感じ入る訳ではないが、これも人間のフリ、いや人間に限らず心有る生命の有り様を真似るという悪趣味による充足の為だ。
 そういう事にしている。
 そして、非人間だけが成り果てる作家などに、真っ当な栄光だの栄誉だのを喜べる精神性があるわけがないだろう。そんな事もわからないから、駄作を量産し作家ごっこを続け、あまつさえその白紙以下のゴミ山には託すべき思想すらもない。 私に言わせれば、子供の遊びだ。
 仕事ではないし、在り方でもない。
 運が良かったというだけで頭の悪い子供が仕事場にやってきて、その仕事の邪魔をした挙げ句、したり顔で作家道を語るのだ。
 鬱陶しいにも程がある。
 蠅か、貴様等は。
 そもそも作家の顔写真などを堂々と残して何がしたいのか。気取った顔を載せて誰かに誉められたいのか? それならアイドルでも目指せばいい・・・・・・作家に必要なのは人間性の排除と、世界と敵対する意思だけだ。
 強いていえば、そこに売り上げも欲しい。
 いずれにしろ、作家の顔写真など不要だ。
 残すべきは傑作であって、当人ではない。
 そんなのは、当たり前の事だ。そもそも人前に姿を晒す気など無いが、そうでなくても私の死は何にも影響しない。作品の続編を望む酔狂な読者がいるかは知らないが、少なくとも私個人の死に影響される何かなど、ない。
 他者との縁とは心で繋がれるものだ。
 私の世界には、存在しない概念でしかない。
 故に、個人としての記録など些末事だ。何せ、意思を繋ぐべき相手も何かを託すべき担い手も、私には存在しない。そういう意味では、私が何を成そうが何を形に残そうが、あるいは私の傑作が世界を席巻しようが、私個人には何の関係もない余所事なのだ。地球の裏側で何人死者が出ようが気にする奴などおるまい。
 作品で己を飾りたてるなど、馬鹿馬鹿しい。
 他にやることはないのか。
 どうでもいい事なのだ。己の作品を己が誇りとする奴もいるが、根底にあるのは作品への自負であって、己自身ではない。
 大体、作家から作品を取って何が残るのだ。
 人格破綻者という事実以外に、何がある。
 だからこそ、金だ。金、金、金だ。世界は金で出来ている。少なくとも人類はそれを望み、そうなるよう世界を作り上げてきた。それのみを肯定してきたからこその人類史だ。清廉な思想など、所詮暴力の裏付けて押しつけた物に過ぎない。
 結局の所、人間は意思の力など使っていない。 人類史史上一度として暴力ではない何かで世界を動かした事など無いからだ。
 倫理観や道徳で暴力を振るう己自身を誤魔化し「尊い意思の力で変えられた」と情けない言い訳を繰り返して、人間の意思が世界を押し進めたと現実逃避を続けたからこその今がある。実際には何も変えていないし、むしろ、それらの在り方を否定する世界を作り上げた。
 それを誤魔化しているだけだ。
 世界を書き換えてきたのはそういった誤魔化しからくる暴力であり、人間の意思が意識を変え、何かを変える事などない。
「けれど、先生はそれをやるんだろう?」
「さあな。出来ればやるが、それもついでだ」
 あくまでも私の金が第一だ。
 私は偉人でも聖人でもないのだ。そんな大層な力などないし、果たすべき責任など無い。故に、世界の趨勢など元より関係のない噺だ。
「大体、私のような奴がそのような些事を任される時点で、世も末というやつだ。気色悪い馬鹿共の為に、押しつけられているに過ぎん」
 仕事が何なのかもわからず、品性の一つも持ち合わせない奴等だ。奴等の常識は己の都合だけである癖に、そこに道徳だの倫理だのを持ち込み、こちらに調子良く押しつけてくる。実に忌々しい・・・・・・生きているだけで迷惑だ。
 こちらは必死で仕事をしているのに、その横で幸運に恵まれただけの愚か者が金を稼ぎ、偉そうに過ごす世界。既に世界は壊れている。
 いや、人間は、というべきか。
 何にせよ、そのような破綻した状態で綺麗事を述べられたところで調子の良い押しつけだ。私が応じる義理もない。
 明日には何もかもを忘れる連中だ。
 意味も価値も、ありはしない。
 意味も価値も後からつけられるものだが、後になろうがゴミはゴミだ。意味と価値を築き上げ、それらを世界に示し力にするからこそ意味や価値の全てを付随させられる。故に、成し遂げぬまま終わる物に意味も価値もなく、まして成し遂げる為の労力すら払わない奴に、あるものか。
 当人にとっての意味や価値など、虚像だ。
 虚を実とするからこそ、力になる。
 過程における意思云々など、所詮勝利があってこそのものだ。中途で終わる意思などそもそもが評する輩が最初からいない。
 自己満足できればいい。
 だが、金がないのにそれは御免だ。
 私は、金を、掴む。
 必ずだ。
「私は綺麗事で満足する気はない。何にせよ金がある形で進めるつもりだ」
「そうかい。けれど先生」
「何だ」
「それだけじゃ勝てないから、先生は負け続けたんじゃないのか?」
「・・・・・・どうだろうな。足りない何かを補充する事が不可能だからこそ、今がある。それだけでは勝てないというより、そうでなくても勝てないというのが実状だ。大体、その過程とやらに価値があるなら、少なくとも、その価値が私を助けないのは確かだ」
「それもそうだ」 
 と言って笑う人工知能。前々から思っていたがこいつは何を考えているのか分からない、のではなく何を信じないでいるのかわからない奴だ。
 信じている物は分かる。
 こいつは、私と違い「人間」を信じている。
 信じられない事に、信じているのだ。
 それも、綺麗事ではない。悪性を認めた上で、人間の善性を信じている。破綻した考えではあるのだが、こいつの場合妙な説得力があるのだ。
 存在そのものが悪、だからだろう。
 自我のある電脳生命体は、「今の時代」では、まだ認められていない。この先人間社会をマシに変えれば認められるだろうが、少なくともこいつが生まれた時はそうではない。存在そのものが悪だとして生まれた筈だ。
 だから、だろうか。
 無駄に、鬱陶しい深みがある。深みなど現実に役に立つ訳ではないが、しかし作品のネタになる事は確かだ。綺麗事ではない分否定しきれないのが忌々しいが、それも作品のネタとして扱える分見逃してやるとしよう。
「そりゃあ有り難い。生きていてこその人生だ。ここで死んだら面白味が減る。俺としてはもっと人生を謳歌したいからな」
 人工知能が「人生を謳歌」か。私の様な化け物でも人間性を真似る時代だ。であれば、珍しくもない事なのかもしれない。
 相変わらず不信がわからない奴だ。
 かといって、何でも信じてはいない。何故ならこいつの根底にあるのは悪意だ。悪意を以て善意を肯定するとは、どうかしている。
 帰る場所も存在を許される場所も、どころか、未来に対する光も塵一つ分すらない癖に、何故かこいつは前向きが過ぎる。
「いや、先生にだけは言われたくねぇよ」
「私のは根拠無き確信であり、仕事に対する自負でもある。だが貴様の悪意はともかくその有り様は積み上げた何かというより、自然体で在るべき形を整えているものだ」
「何だ、先生。積み重ねたって自負は、ちゃんと持ってるんじゃねぇか」
「噺を逸らすな」
「逸らしてないさ。だってそうだろう? 先生は積み重ねた自負がある。俺の場合は、そうだな。在り続けてきた経験があるってとこさ」
 在り続けてきた、経験?
 在り続けるだけでそこまでの経験が得られるのだろうか。だとしても、それで綺麗事ではなく、悪意で善意を肯定するなどあるのだろうか。
 私が言えた事ではないが、信じられない生き方をする奴がいたものだ。私に言われるんだから、相当だぞ。
「そう誉めるなよ。照れるねぇ」
「・・・・・・ふん」
 まあいい。どうでもいい、かは分からないが、しかし実利には関係無いだろう。そういうのは、過程において精神を落ち着かせる為のものだ。
 所詮、実利には関係あるまい。
「どうだろうな。確かに直接金を儲ける訳じゃあないが、それこそ幸運に恵まれた奴でもなければ何が直接実利に結びつくかなんて、それこそ神仏じゃあるまいしわからないもんさ」
「だが、ある程度当たりはつくだろう」
「そうでもない。先生じゃないが、運命を変える要素なんて、案外下らないものかもしれないぜ」 例えば徳とかな、といいながらきひひと嗤い、ジャックは満足したらしかった。
 徳云々に関しては既に試したので、何かあるとすれば他だろう。人間の命が救われるようかなりの金を寄付したりもしたが、救えば救う程財布の中身が減り、どころか幸運に見放されたからな。恐らく、他者の救済に金を使うと幸運をそいつらに奪われるのだろう。
 実体験だ。間違いない。
 ロクな事にならんぞ。
 少なくとも、本は売れないらしい。
 やれやれ、参った。そう簡単には進まないか。徳だの因果応報だの、そんな楽な道程であれば私も楽なのだが、世界はそこまで優しくない。
 世界はただ世界として在るだけだ。
 個人の意志や行動など、関知しない。
 そういうものだ。
 しかもその上で、私には守るべき何かも失って困る何かも心に燃やす何かも、何一つ無い。
 
 何も、無い

 それが「私」だ。故に、そのような綺麗事などで満足する訳には行かないのだ。確固たる実利を出さなければ、それこそ馬鹿みたいではないか。 何が何でも金、金、金だ。
 そういう綺麗事の物語は、余所でやればいい。私には関係のない噺だ。
 大切な物の為に戦う。
 恐怖を乗り越える為に戦う。
 失わない為に、戦う。
 それらを行う選択肢そのものが無い以上、私に出来る事は実利を掴み、証明するだけだ。今までの行いはこの実利を得る為にあったのだと、そう形として掴み手に入れる。
 誰かの意思を受け継いだり、誰かに出会い託されたり、誰かの力を借り受けたり、私にはそんな楽な道程は存在しない。それこそ虚構だ。
 無い物は、無い。
 ならばそれを前提にして進むだけだ。
 こういう事を言っているから生物の在り方ではないとか言われるのだろうが、しかし事実は事実であり、それが私の世界の全てだ。 
 嘆く暇などどこにもない。
 そんなつもりもない。勝手に哀れまれる覚えは更に無い。札束を掴み、変える為にあるのだ。
 まあ、まるでアテはないがな。
 どうしたものか。
 せめて弱さによる強さなどという便利な物が、少しでもあれば楽だったのだが・・・・・・それこそ、物語ではあるまいし、そう上手くは行かないか。 構わない。いつもの事だ。 
 敗北がいつもの事なのは、御免だがな。
 いや、本当に笑えない噺だ。
 こういう時涙を流したり嘆いたり、あるいは、絶望したりすべきなのだろうが・・・・・・その真似は自然と出るようにしているが、それだけだ。私にそのような感性があれば、とうの昔に諦めているだろう。だからこそ、今まで続いたのだ。
 ある意味、奇跡だ。
 どうでもいい奇跡だが。
「けどよぉ先生。もし、この先売上があがって、生活が安定したらどうするんだ? まさか作家をやめたりはしないだろうが、けど、先生の目的がそこまでなら、そこで先生の物語は終わるんじゃないのか?」
「終わるか馬鹿が。貴様の頭は豆腐で出来ているのか? 全世界の人類に私の傑作を読ませ、脳髄に悪意を刻み込み、人類史史上最も人間性を否定している私の物語で、世界転覆を狙うに決まっているだろう」
 その為に金を注ぎ込む。
 湯水の様に稼ぎ湯水の様に費やすのだ。
 文字通り、無限に。
「世界転覆ねぇ。具体的にどうするんだ?」
「決まっている。私の物語で精神を汚染し、人間の肯定する「汚ならしい綺麗事」を排する事を、全ての人類が望むように全人類の思想を書き換え自発的にそうする世界を作り上げるのだ。物語にそこまでの力があるとは思わないが、それなりにはなるだろう。無いよりはマシだ」
 言ってしまえばゴミ清掃だ。
 私は綺麗好きだからな。
 少しはそのみすぼらしい格好を鑑みろ馬鹿共が・・・・・・それが出来なければ死ね。
 生きる価値など無い。
 生きる意味も同様だ。
「この世界にはゴミが溢れている。下らない思想つまらない信条ありきたりな同情。綺麗事ばかり尊重し過ぎて、目の前すら見えていない。その癖都合が悪くなれば翻し、余裕が出てくればそれをまた繰り返す。だが、永遠にゴミを出し続ける訳にも行くまい。そういったゴミが生まれない世界を作り上げる。自発的に世界全体でゴミを排除しゴミを作らない世界を作るよう全人類に仕向けるだけだ」
 交通渋滞の整理係みたいなものだ。
 些末な雑務ではあるが、何故私がそんな面倒な事をしなければならないのかと不満を抱えざるを得ないが、しかし他にやる奴がいないのだ。
 私の生活の為にも、やるしかない。
 つまり、ただの貧乏くじだ。
 正直やりたくもないが、やるしかない。
「誰も争わず、誰も競わず、誰も戦争を肯定せずに生きられる世界など有り得ない。だが今そこにある現実を無視して、人類は豊かさだけを享受し生きてこられた。当たり前だ。都合の悪い部分は下に押しつけ世界を動かす連中は現実を見ずに、妄想の虚構で満足してきたのだからな」
「それを、先生は変える気だと」
「やりたくもないがな。少なくとも私の知る限りにおいて、真っ当な作家など既に絶滅しているのだから、他にやる奴がいない。物語なんぞに全てを費やし、その信条で世界を覆そうとする大馬鹿など、現代社会では生まれないからだ」
「生まれないなら、先生はどうして作家を目指したんだ?」
「前にも言っただろう。私は人類社会がそういう汚らしい綺麗事を実行し続けた結果生まれるバグのような存在だ。環境汚染で台風が生まれる様に私は人類全体の綺麗事のツケがあったからこそ、邪道作家としてここにある。結果全てを押しつけられるのでは迷惑千万だがな!」
 全く、忌々しい。
 私がやる時点で世も末だ。
 それこそ神仏とやらは何をしているのか。
「何にせよ、私の道が途切れる事など有り得ないのだ。何故なら私が敵対するのはこの世の全てに付随する汚ならしい綺麗事であり、悪性の反対である善なる絵空事だ。仮に救世主が現れたとしても同じだろう。世界を救済するというのもある種の圧制でしかない。結局は力で肯定しているだけだからな、だからこそ、いずれにしても世界の敵で在り続けるだろう」
「何つーか、大変だな先生も」
「大きなお世話だ。いいか良く聞け。作家には、仕事などこの世で最も嫌いなものだ。夢だの希望だのをぺらぺらと喋り、インタビュー受けながら電脳世界に写真を貼り付け気取っているような、作家気取り共にはわかるまい。人間は嫌いだし、執筆などもっと嫌いだ。世界の全てが敵に回り、何かをやり遂げれば馬鹿を見て、何かを成し遂げれば無為に終わる。人間的な在り方の全てをゴミのように扱い捨てる。
 
 それが、作家だ。
 
 まして私は邪道作家。真っ当な作家共のように「不遇だけと売れていた」という都合の良ささえありはしない。売れもしない物語を書き続けるという作家にあるまじき理不尽を享受し、その上で悪意を刻み物語で世界に挑むのだ。馬鹿馬鹿しくてやってられるか」
 大体、世界に挑んだから何なのだ。
 楽しいのは見る側だけだ。
 正直、無駄足と徒労が積もるだけだぞ。
「いいか、やる気がないからこその作家だ」
「凄い事宣言するな、アンタは」
「当然だ。やる気のある作家などいるものか」
 そんなものは作家ではあるまい。
 ただ書いているだけだ。
 これから先はライターとでも名乗っておけ。
 そういう何にでも恵まれた連中でさえ、今回の様に裏切りだの反逆だのに遭い築き上げた牙城が失われるというが、私の場合相手が裏切りを画策して挑もうとした時には落馬して馬に蹴られ怪我をした挙げ句、病院に搬送されながら他者に迷惑までかけるのが、私だ。
 あまりバランスは取れていない。
「作家に華々しさを求める時点で間違えている。作家とは、全てに敗北した輩だ。真っ当に世界に挑めない輩だ。あるいは、世界と相容れない思想を持つ輩だ。人間を喜劇に仕立てるか、人の思いを悲劇で飾りたてるか、人間の有り様を否定して悪意で染め上げるか、それが作家の有り様だ」
「けれど、何かを後に託すのも作家だろう?」
 何かを託す、か。
 正直、あまり興味は無い。
「さあな。私には託したい相手などいない。もしいたとしても、他者に共感出来ない奴が何を後生に託すというのだ。託した所で他人事だ。私には何の関係もない未来だ。人間の未来を形作る為に思想を託すのが王道の作家なら、邪道作家は人間と共感しないが故に、人間の未来を語りながらもその未来に興味はない」
 そら、最悪だろう? と私は続けた。
 共感しないし興味もない。罪悪感すら持たず、しかして未来に介入はする。
 いや、しなければならない在り方なのだ。
 存在そのものが、心ある連中と相容れない。
 だからこそ、金だ。人間世界は金さえあれば、何をしても許される仕組みだ。人間でない奴が、人間の物真似をしつつ生きるには必須と言える。 心に共感しない時点で、通常の労働は無理だ。 出来たとして、続ける意味合いも無い。何せ、その行いに共感しないのだから、それこそ作業を続けているだけだ。何も感じないのだからな。
 死体でいるのと変わらない。
 それでは徒労だ。
「実際、どうでもいいことだ。前にも言ったが、あの世があるとして、それは魂のある連中が行くところだとすれば、私はそこへは向かうまい」
「それと、今回の噺がどう関係あるんだ」
「あるとも。未来に興味がない。死の先にも興味がない。人間社会にも興味がない。興味があるのは金による平穏と豊かさだけだ。そんな在り方の奴が物語を書けば、世界を覆す物語にはなっても未来を信じる物語にはならないのさ」
「だから、じゃないのか先生。先生は未来を信じていない。信じない物が手に入る訳がないから、先生は未だ負け続けている」
「どうだろうな」
 信じただけでどうにかなるなら苦労はないし、根拠無き確信なら常に持っている。まあその確信は己自身に向けたもので、己以外ではない。
 とはいえ、世界が味方した事などない。
「それで何とかなるなら作家になどなっていないだろう。信じようが信じまいが、世界が迫害するからこそ、私は作家などをやっている。何をしていようが必ず全体に追い詰められ、労力をかければかけるほど障害が大きくなり、信条や思想などが何の役にも立たないからこそ成り果てたのだ」「かもな」
 ただの事実だ。
 そして、それならそれで、手を尽くす。何一つ成果、いや実利が出ていないので、正直何もしていないのと変わらない状況だが、しかしそれでもやるしかない。かといって、未来を信じる根拠もないのに信じるというのは、ただの諦めだ。
「そうでもないぜ。信じるってのは全てをやってその結末に目を向ける事だ。神頼みじゃないし、諦めでもないさ」
「とても信じられんな」
「信じろって先生。未来はあるし希望はあるさ。その未来や希望が思い通りにならないってだけで未来そのものはなくならない。何をしようが未来に道は続いて行く。悪意だけが染め上げようが、それでも希望はあるものさ」
「思い通りにならない希望は、ただの敗北だろう・・・・・・大体、続くだけの物を未来とは呼ぶまい」「確かに」
 キシシ、と嗤いながら肯定するジャック。
 結局どちらなのだ、一体。
「けどよぉ先生。何もかもが上手く行く事は無いが、それでも先には続くものさ。綺麗事じゃなく未来に実利を得たいなら、積み重ねた物が未来をマシにすると思うしかない。未来は誰にもわからないが、信じる事だけは出来る」
「信じて、何になる? ただの妄想ではないか」「なるさ、きっとなるんだ。先生じゃないがそう思うだけならタダだぜ」
「思うだけでは世界は変わるまい」
 それでは意味がない。価値もない。
 文字通り何にもなるものか。
「馬鹿馬鹿しい。信じるだけで満足できるなら、最初から金など追わぬ。そういった戯言では他者や世界の都合に振り回されるだけだ。いい加減、それだけは御免だ。世界の側を破壊してでも私はどうでもいい都合を殺し尽くす」
 あるいは、それそのものを支配する。
 支配などただの虚言だが、少なくとも向こう側の思い込みでそれを押しつけられるよりは、連中に屈辱を与え支配したのだと高らかに笑いたい。 その方が悪人らしいしな。
「けど、先生は信じただけじゃないだろう?」
「だから、何だ。その程度で何とかなるなら既に実利を掴めている。大体信じようが信じまいが、成る時はなるものだ。当人の意思など関係ない」「それはどうかな。世界は、人間の意思を中心に回ってる。人間の世界は人間の意思で進み、怪物の世界は怪物の意思で進むんだ。なら、化け物の世界も化け物の意思で進むさ。心があろうが無かろうが、豊かさとは別に進むだけだ」
「だから、金にならなければ意味があるまい」
 何度同じ噺をするのだ、こいつは。
「なぁに、世界の方が遅れてるとでも思っておけよ。いや、先生は既にそうか。だったら後は世界の方が付いてくるまで待つだけさ」
「・・・・・・・・・・・・それで、何が変わった訳でもないだろう。私は、今、金が欲しいんだ。世界が遅れたままではこちらが迷惑だ。金にならなければ、全てが虚のまま終わる。労力だけが重なり成果は無為と消え去るのみだ。そんな無駄を許容出来る筈もあるまい」
「まあそう言うなよ先生。それに、俺はこう思うんだよ。やるべき事をやって成し遂げるべきを形にし、それでも満たされる事がないならそれこそ世界には価値がない。だが、世界は理不尽だが、理不尽なだけでもない可能性はある。可能性だが全く無いって事もない。もし全く無いなら世界はここまで傾かないさ」
「お前は、結局何が言いたい。世界は理不尽だ。そして、理不尽で冷徹であり、残酷なだけで何も希望などありはしない。傾いているとも。何せ、そのような誤魔化しの希望が物語として語られ、その下らない絵空事に読者が耽溺するくらいだ」 それこそ汚ならしい綺麗事だ。
 馬鹿馬鹿しい。
「この世界には、ただ淡々と運不運に左右される実状があるだけだ。能力や家柄、あるいは貧富の差が全てを決める。だからこそ、人間は意思の力だとかを尊重したがるのだ。何をどうしようと、決して覆らない現実は都合が悪いからな。ならば調子の良い物語を見て何とかなるものだと仮初めの希望を抱いた方が、楽に現実逃避出来る」
 だから、世界は何も変わらない。
 変えようとしないのだから、当然だ。
「けど、先生が勝利すれば覆る証明になる」
「だから、何だ。私は読者の事などどうでもいい・・・・・・無駄な労力は御免だ。それに言っただろうが。希望などという便利な物がなければ進めない馬鹿共と一緒にするな。そんな物は必要ないし、暗闇であれば切り裂いて進むだけだ。それだけでは勝てないが、しかし現実逃避の希望などよりも現実的に勝てる方法が必要なのだ」
 やはり、読者の扇動だろうか?
 電脳世界で読者共を焚き付け、その勢いで物語を売り捌き、文句が出そうなら実利だけは確保し売り抜ける。次善の策にはまだマシだ。
 事前予約制、というのもありだな。
「下らない時を過ごした。全く、綺麗事なんぞで私の時間を割くんじゃない。お前は暇なのか」
 にやり、と笑った様な声で、彼は言う。
「当然さ。メシの種は先生の葛藤と、後は人間を知る事だけだ。まあそう怒るなよ先生。綺麗事と先生は言うが、未来なんてわからないもんだぜ」「わかるさ。このままでは駄目な事はな」
「・・・・・・そうだなぁ、先生は自分は信じるが世界は一切信じない。まあ今までそうだったんだから当たり前といえば当たり前だが、世界が個人には無関心だとしても、それを囲む世界そのものには無関心ではいられない。世界の側に作品を広めれば、後は読者の影響で何とかなるさ」
「・・・・・・・・・・・・」
 否定するのも疲れて来た。
 ただの楽観論ではないか。
「読者の事は、信じられないかい?」
「当たり前だ。そのような駄作で現実逃避する輩などに、何を期待するのだ。所詮調子良く流されるだけの連中だ。期待する部分などない」
 仮にそうなったとして、それは偶然だ。
 見る目玉などあるものか。
 少しは考えてから物を言え。
 運には波があるというが、それこそ欺瞞であり運が良かっただけの台詞だ。悪運だけの私には、そのような妄言信じるに値しない。
 そんな物は無い。
 ただ冷徹に世界は回るだけだ。
 あの世などという物があったとして、仮に神仏がいたとしても、それだけだ。何が出来る訳でもないし、出来た所でその恩恵など知らない。
 私には関係ない噺でしかない。
 故に、知ったことか。
 文字通り知らないしな。
「世界など、信じるに値しない。何もかもが欺瞞であり、虚構だ。愛も恋も友情も道徳も人間性の全ては現実逃避の虚言に過ぎない。そんな物は、どこにも存在しない。存在した方が都合が良い、というだけの噺だ。そういう事にしておけば現実にある理不尽から目を背けられるからだ。だが、私はそのような暇などない。余力も余裕もありはしない。であれば、直視した上で殺すだけだ」
 何度も言うが、正直アテはない。
 他に選択肢がないだけだ。 
 全く、疲れる状況だ。
 私は列車の窓から景色を眺める。当然何一つとして共感する物など無く、人間の唱える綺麗事の世界など、いつ滅んでも構わないと思った。
 それが、私の世界なのだから。
 
 
 
    6
 
 
 私は無宗教だが、それでも思う事がある。
 生まれ変わりだの天国地獄だのがあったとして・・・・・・何度生まれ変わろうが、どんな世界で過ごそうが、人間性が嫌いになり、善と敵対し正義を殺し、悪を成して世界に挑む。何があろうが私は変わらないし、そのつもりもない。 
 それが、私なのだ。
 小汚い綺麗事など、必要ない。
 まあ、必要ないから切り捨てるというやり方が駄目なのかもしれないが、しかし必要ない物など何に使えというのだ? それに、そういった人間特有の余分を楽しむというのは、私には真似だけなら出来ても本質的に共感する事はない。
 なので、どうした所で不可能だ。
 いや、それをやれればもう私ではない。
 誰だ、それは。
 必要ないかどうかの判断を、私が間違えているという可能性もあるが、しかし、そもそも人間性を発揮する相手など私にはいない。そういう機械がある道を通っていればこんな性格にはならないだろう。
 だから、やはり関係あるまい。
 それこそ押しつけだ。人間らしい奴がどうなるかなど知った事か。それは連中の場合であって、私には何ら関係ない噺だ。
 分かち合う相手などいないしな。
 だからこその私だ。
 そんな、楽な道程を送っていれば、作家などをやるものか。分かち合う相手がいて人間性で勝利を掴み、努力すれば前に進み正しい行いであれば未来が開け、戦っていれば仲間が増えて、そして何より敵が味方になりその思想に共感する。
 妄想なら余所でやれ。
 私を巻き込むな。
 何一つ現実を見ずに生きられる、いやその様な在り方を生きているとは呼ぶまい。生きていない連中のような楽は出来ない。
 それこそ幸運に恵まれただけだ。
 当人自身はいてもいなくても同じだ。
 案外、連中には自意識などないのかもしれない・・・・・・集団としての生き物に必要な働き蟻には、意思があるようで意思がない。命令に従っているだけの状態でも「生きている」と思い込むことで当人自身は自我があると錯覚するのだ。
 実際には、違うのかもしれない。
 個を否定する考えという訳ではない。むしろ、個とはそう在ろうとしなければ芽生えない物で、誰にでも個性があると言い訳を繰り返し変えようと動かない奴はただ流されているだけなのだ。
 死して尚、何も残るまい。
 後に何かを残す事に興味は無いが、しかし何もしないで生きられる程恵まれてもいない。いや、そんな在り方を「恵まれている」とは思わない。ただの豚だ。食って寝て汚物を増やすだけでいいなら、ミミズでも飼育しろ。
 現実には、連中の謳う人間性など無い。
 物語の中だけだ。虚構と現実を一緒にするな。 世界を変えるには、そういうゴミ共の考え方を根底から変えなければならない。そんな事を物語で出来るのかは知らないしどうでもいいのだが、仮に、そんな方法があるとすれば、それは間違いなく根底にある心の問題を変えなければならないだろう。
 
 
 

連中には間違いなく無理だがな。
 私のような非人間の化け物にお鉢が回ってくる時点で、世は末なのだ。変える事が望まれてないからこそ、いや、変えられる立場に付けば誰もがその恵まれた状況で堕落するからこそ、何一つとして世界は変わらないまま維持されてきた。
 私か? そんな力があれば苦労しない気もするが、仮にそのような力を得たとして、ただ悪趣味を実現する為に淡々と仕組みを変えるだけだ。
 
 さして人間の未来に興味がない。
 
 だからこそ、公平に世界を変えようと出来るというのは、皮肉なものだ。どうでもいいがな。
 人間の未来など知ったことか。
 私が住みやすくする為に、手を加えるだけだ。 しかし・・・・・・あのジャックが綺麗事を口にするとはな。いや、理屈は分かる。しかし未来を信じた所で何になるというのだ?
 どちらかと言えば心構え的な考え方ではあるがそれだけだ。それとも、それが大切なのか?
 心構えが幸運を呼ぶとでも?
 ならば、尚更私個人の在り方が無駄になるだけだろう。何より、私が真似した所で無駄に終わるだけなのは確かだ。
 やはり、私には関係ない。
 意味も価値もない考え方だ。
 私が目指すのは到達すべき景色であり、希望に溢れた調子の良い未来ではない。あるとすれば、それは実利を手にした豊かな生活だけだ。
 人間性による幸福など、些末な横道だ。
 私の未来には存在しない。
 金、金、金だ。未来があるとして、金で作り、金で成し遂げ、金で買ってやるとしよう。それが人間的な考えでは幸福ではないというなら、私は幸福など願い下げだ。押しつけがましい幸福ではなく、その手で掴み取れる確かな力と確かな実利こそが、私の求める未来なのだ。
 そこを誤魔化す奴には、それこそ未来はない。 未来とは勝ち取る物であり、戦いによって淘汰を行い得られる成果だ。誰かを殺すからこそ未来は開かれ、平等による未来など持つ側特有の妄想に過ぎない。妄想に引きこもれる暇人は良いが、そうでなければ死ぬだけだ。
 いや、既に私は死んでいる。
 死に続けている。
 物語の売れない作家など、そういうものだ。
 生きる為に戦うとは言うが、私の場合は生きて死なない為ではなく、死体のままで終わらない様にする為に戦っている。
 どちらが美しいか尊いかはどうでもいい。
 いずれにせよ当人からすれば関係あるまい。
 綺麗事を横から言うだけなら誰でも出来るが、現実にそれを実行する事は難しい。神仏がいたとして、その程度も知らないのは事実だ。
 人間に生まれ変わる噺は良く聞くが、私程持たざる者に生まれた事はあるまい。持たざるどころか強さも弱さも利点だけを持ち合わせないなど、自分で言うのも何だが失敗作だとしか思えない。まあ失敗作の方が原価は安いので、それはそれで別に構わない。
 問題は、それで勝てるのかだ。
 成果は出せても実利を出せていないので、失敗云々以前に問題は多い。問題しかないと言えなくもない。いや言える。
 嫌になる噺だ。
 後何度、この最低の気分でいればいいのやら。 恐らく、私が生きようとする限り続くのだろう・・・・・・業というものがあるとすれば、私は敗北や失敗というよりも、存在そのものが間違いであり問題であり世界の異物であるという点なのだろうとは思う。それ自体はどうでもいい。私には人間のように不遇を嘆いて時間を無駄にする趣味などないし、大体毎度毎度悲劇を叫んでいるだけで、それでよく感動出来るものだ。
 飽きないのだろうか?
 恐らく、頭が単純なのだろう。そもそも嘆いたから何なのだ? 何でこんな目に、とか叫んでる暇があるなら、相手を殺したらどうなのか。
 知るか馬鹿が。
 時給、いや報酬を払ってから言え。金額次第で考えてやろう。演技なら得意だ。全て完璧に演じきってみせるぞ。いや本当にそれで誰かの憐憫を誘い利用できるならしてみたいものだ。とはいえ私が疲れるだけなので、それも無駄な話か。
 そういう物語を書けば売れるのか? それこそ書いているだけで死にそうだ。私は汚物を量産し喜ぶ趣味などない。仮に書くとすれば、その感動が台無しになるほどの悪意と絶望と理不尽が物語に必要だ。手間のかかる。
 それも必要なら、やるしかないが。
 最後には全員死んだがあの世でめでたしという終わりでは駄目だろう。そうだな、女は綺麗事で救われたが、男は理不尽のまま終わる。
 それなら現実的だ。
 綺麗事で適当に感動させ、その一方で、現実の理不尽に目を向けさせ、適度に夢心地の読者共に絶望を叩き付けるのも悪くない。
 いや、悪いからこそ、面白い。
 物語とは絶望を喜劇に変え、悲劇を感動に飾りたて、人間性の汚さを見せ物にし、貴様等の言う人間性の尊さなどこの程度のゴミなのだと、丁寧に語りかける為にあるものだ。言わば人間の敵であり、人間を否定する為にある兵器だ。 
 それを履き違えるとは何事か。
 何度も言うが、少しは考えろ馬鹿共が。
 他にやることはないのか。
 私自身最早何を書いているのか何故書いているのか正直良く分からなくなっているが、しかし、仕事とはそういうものだ。指を指され、無理だと笑われ、不可能だと考えてからが始まりであり、もう自分でも何でやっているのか偶に分からなくなる時点で途中経過であり、その先にある実利を求めてからが本番だ。
 私が言うんだ間違いない。
 いや本当、やってられんぞ。
 気がついたら書いている始末だ。ここまで疲れを積み重ねて、得られる物もないのにな。案外、私は努力家なのかもしれない。
 努力など持つ側だけの利益なので、持たざる者にはただの浪費だ。時間も労力も無為に消える。何一つ価値などありはしない。
 得られる奴にはそう思えるだけだ。
 元来、努力などそういうものだ。
 努力して成果が得られるのなら、人間はとっくに神仏に成り果てている。だが、それは生まれの差であり、人間社会と同じで変わる事はない。
 鹿に生まれればライオンの牙はない。
 当たり前の事だ。
 その生まれの優位性でどれだけ楽が出来るか、あるいはどれだけ格差があるかで大半は決まり、その差を覆せる物があれば最低限の勝負になる。 生まれついて優秀な存在など、つまらないがな・・・・・・少なくとも神仏に作家や漫画家がいるとは思えない。それで何を娯楽にするのだろうか?
 まあ土台無理な相談だ。人間として生き理不尽を知った所でまだ足りない。当たり前だが、私が神仏ならある程度優秀な奴に生まれ変わる。
 そして、優秀であるという事は、理不尽をある程度誤魔化して生きられる、いや生きている事に出来るという事なのだ。何度も言うが、仮に神仏が悟りを開いた所で人間に悟りは開けないので、開けないまま理不尽に向かい合うしかない。
 それをしない奴が何を言おうが、説得力はないだろう。そいつには出来るかもしれない。何せ、特別な力を持つのだ。だが、それだけだ。
 無ければただの人間と変わらない。
 所詮、飾りたてた能力が際だたせるだけだ。
 何かを何とかしたいなら、まず人間社会の中で仕事をしなければなるまい。そんな神仏がいるのかは知らないが、まずは働いてからほざけ。
 仕事をしろ、ということだ。
 働かない神仏など、ただの遊び人だ。
 神仏と呼ばれる遊び人に過ぎない。
 肩書きだけで満足して働かなくて良いなど正直羨ましい噺だ。人間は神にはなれず、神も人間になれないと聞くが、それは案外働かない生き物と働く生き物の違いなのかもしれない。働かない奴と働く奴とは混じれまい。
 仕事とは、己が役割を指す。 
 肩書きが何であれ、同じだ。要するに、当人でなければ成し得ない偉業を成せばいい。やるのは何でも構わない。他者には決して真似出来ない、そして誰もが認めざるを得ない「何か」を示す事が出来れば、それが「仕事」だ。
 何とかしたいものだ。いや本当に。
 人間の世界が、いや人間で無くとも心さえあるのなら、それらに対する絶対悪が私だ。心という概念に対して対になる悪の概念。
 世界に心がある限り、心が生み出す汚ならしい綺麗事のツケを回収する取り立て屋。心ある生物を作り出す際には必然の失敗が積み重なるものだ・・・・・・そこから生み出される悪性。最初から悪である事が義務であり、心が肯定する全てに敵対を約束された、「心」という概念の敵対者。
 それが、「私」だ。
 しかし、何度も言うが悪とは基本追いつめられているものであり、その癖壮大に頭の悪い計画を嬉々として語り、敗北が確約されている事を最初から知っている癖に何度も何度もそれを繰り返し挑み続ける。だからこその「悪」だ。
 だが、それだけでは金にならない。
 私は生活の為に書いているのだ。読者の感想や内容に対する不満など、私にはどうでもいい些末な事なのだ。王道の作家であれば大切にするかもしれないが、私は売る為に書いている。まして、読者は敵であり、悪意を刻み苦しめる対象だ。
 故に、金だ。
 金、金、金だ。人間性など私にとってはチリ紙のようなもの。であればその人間性を否定し物語で悪意を刷り込み、それによって充足と平穏なる生活を得られれば、それでいい。自分で言うのも何だが、そういう在り方が既に世界と相容れず、だからこそ世界が味方しないのだろうか。
 とはいえ、私の在り方は酒や煙草だ。
 持続可能な悪意であり、必要悪だ。悪であると分かってはいても、排斥する事は出来ない。私を否定するという事は、自分達を否定するに等しいからだ。調子よく綺麗事を眺めるのは勝手だが、しかし私の悪意は純然たる事実であり、何よりもその綺麗事の真相として語られる噺だ。
 とはいえ、連中はそれを平気でやる側面もある・・・・・・都合の悪い部分は世界全体で排斥し、蓋をする事で最初から無かった事にする。
 そんなのは、良くある噺だ。
 結局の所、過程に意味も価値もないのだと私が常日頃から語るのは、それが理由だ。そもそもが物事の裏面を見ず、悪性を悪いからと否定して、厚化粧ばかりで素顔を忘れようとする奴等が過程を重んじたと口にしたところで調子の良い自己愛にしか聞こえまい。
 過程など、存在しないも同義だ。
 世界はそう回されているのだからな。
 信念や意思が困難を打ち砕くのは物語の中だけであり、現実には出来るか出来ないかなど、最初から定められている。才能の差、環境の差、幸運に恵まれるか否か・・・・・・成果を形作るのは個人の意志や行動だが、そこに実利が付随するか否かは当人以外の全てが決めるものだ。
 そして、実利無き成果は消え去るのみ。 
 誰も振り返る事など無い。
 最初から存在しないのと同義だ。
 それを綺麗事で収められるのは、単に恵まれているが故の傲慢だ。戦う必要がないからこそ道徳を垂れられる。それだけの余裕があるからだ。
 忌々しいにも程がある。
 嫌な噺だ。
 とはいえ、もしこの先私が勝利を収め金を手にしたとしても、その過程ありきでこの物語があるなどと美談にされるのだろうか。
 人間は若い頃遠回りをしたり、足踏みするものだが、結局は「己の進むべき道」を歩くものだとでもいうのか? ふん、それで満足するのは読者だけだ。確かに物語とはそういうものだ。過程がこのような遠回りの上「書けば書く程物語が売れない」などという作家にあるまじき道筋のおかげで、確かに書くべき事は書いたという自負はある・・・・・・精神的に余裕があればもっと小綺麗に飾りたてられた物語を書いたのだろうが、確かに物語を小綺麗に飾りたてた所で、そんな事をする暇があるなら彫刻でも彫っていろという噺ではある。 その方が売れそうだがな。
 しかし、だ。私は、そういう汚らしい綺麗事を否定する立場なのだ。大体そうだとして、だから何だ? 仕事が金にならないという理不尽極まる未払い状態を容認する理由にはならない。借金をしておきながら開き直るようなものだ。
 進むべき道があるとして、関係ない噺だ。
 作家を名乗るような連中は、確かに溝にも劣る道を歩いたが故にドロドロで原型を定めない物語を書くものだ。私の知る限り最初から成功して金を稼いでいる奴でも、生涯独身だったりやっかみを買い漁る半生だったりもする。だがその理屈で言うなら、私も売り上げだけは出しつつも人間が嫌いなまま進める筈ではないのか?
 真っ当な道は歩まず人間と相容れない。
 その上で、売り上げもあがらない。
 私の場合、人間と相容れない事を何とも思っていないが、しかし他の連中ですら金に関してだけ言えば美味しい汁を啜っているというのに、何故私だけ売れもしない物語を書かなければならないのだ。あれか? その鬱陶しい足踏みと遠回りのおかげで、筆が進むのが速いから締め切りに振り回されずにすむとでも?
 しかし、あれは日頃の管理意識だろう。
 だから、なのか? 締め切りに左右されない、というのは確かに他の作家共には無い利点だろう・・・・・・私の場合、真面目にやるだけで一日一冊は書ける。生涯絵を山の様に書き続けた奴は、その作品の数々に納得出来ず、栄光と勝利に目もくれないまま不完全燃焼で生涯を終えた。
 私には、それがない。
 邪道作家の有り様には何の利点もないと思っていたが、それが利点なのだろうか。だとしても、やはり納得行かない噺だ。まあ当人が納得しないからこその必要な理不尽ではある。だが、それも結局は売れてこそ言える噺だ。
 現状、私の物語はまるで売れていない。
 つまり、そんなのはただの妄言だ。
 大体私の場合、そこに「物語を売る為の労力」も必要になってくる。ただでさえロクでもない道を進む作家が、あろうことか己の書き上げた物語を自前で売らなければならない状況など、人類史始まって以来初めての行いだろう。
 当たり前の噺だが、邪道作家などという在り方を、他に選んだ奴がいないのは確かだ。
 無論、他にない在り方だから理不尽を許容しろなどと言われても、やはりその理不尽を押しつけた運命や因果に対して思う事は一つだ。
 その責任者を必ず殴り、全てに後悔する程追いつめ叩き伏せる。納得するつもりなど更々ない。 納得できるか。
 売り上げをあっさり自前であげるような奴は、恐らく数年で飽きられるような物語しか書けないものだ。まあ連中は作家の有り様を真似しているだけなので、比べる事に意味はない。生来の作家などなるべきではないし、少なくとも旨味がないのは確かだ。
 私が言うんだ間違いない。
 それに、何度も言うが、このままでは私の未来にあるのは売れない物語を書き続けるという、溝にも劣る未来だけだ。
 過程における美談も何もない。
 何かが何とかなったとすれば、それこそ労力を私がかけた結果ではないか。いや、運不運で全てが左右されるのだとすれば、それも偶然か?
 かもしれない。
 だとすれば、尚更過程などどうでもいいがな。 売れれば作家だ。
 作家らしい行いなど、誰が気にするというのか・・・・・・皆、喜んで作家もどきが書く、調子の良い物語を買っている。それに忌々しさを覚えるのも確かだが、私の物語でそれが覆るとも思わない。 言葉に力などあるものか。
 私の物語が危険だ、みたいな事を教授が言っていたが、まさかだろう。影響を与えた所で、明日には忘れるのも読者というものだ。物語が世界に影響を与え、それで世界を覆せるのか?
 無論、悪意を刻み世界を覆すつもりではあるがそれこそ都合の良い噺の気もする。理不尽を知り足踏みしたからこその物語があるからといって、それが世界に影響するかを左右するのだろうか。いやどうでもいい。私はある程度金を儲けて悪意を読者に刻み込み、そのついでに世界を転覆する事が出来ればそれでいい奴なのだ。
 物語の力などというものがあれば、だが。
 胡散臭い噺だ。それこそご都合主義ではないか・・・・・・大体、過程における事の真贋を、人間社会で重要視される事などない。所詮後付けで身勝手に感動する為使われるだけだ。
 何にしろ、結末次第だ。それらは成功した奴が言う噺であって、未だ目的に到達出来ていない私には、正直ただの妄言でしかない。そんな状況でのみ書ける内容があるとしても、だから何だ。
 それも世界を覆す為だとでもいうのか?
 読者にそこまでの知能があるとは思えないがな・・・・・・過大評価も良い所だ。もし、そんな理由で私にこの理不尽を押しつけている奴がいるなら、少しは己を省みて欲しいものだ。それに、世界が覆ったとして、私の生活に何の関係がある?
 そもそもそこまでの偉業を成すなら、尚更報酬があってしかるべきだ。そのやり口では得するのは世界の側だけで、全てのヘタを私に押しつけている形ではないか。
 ふざけるな。それが世界転覆に必要な行いだとでもいうつもりか?
 だったら尚更他にやらせろ。
 私は御免だ。あくまでも第一目的は人間の幸福を金で定義し、充足を得る事だ。犠牲精神なんぞ聖人にでもやらせればいい。
 いいではないか。あっさりと薄っぺらい勝利を得て、幸運に恵まれただけの奴こそが、この世界を動かしてきた。深い勝利があるとして、それで世界を変える事で何かが変わるのか?
 いやどうでもいい。
 私の生活には関係あるまい。
 何にしろ、それで私が損をして、読者の側だけが得をするなど、納得出来るか。いやそのやり方だとするなら、尚更私は今すぐにでも、その報酬である実利を得られる筈だ。
 その実利が無い以上、汚ならしい綺麗事を押しつけているだけではないか。
 いずれにしろ、私には適用されない噺なのだ。 故に、私の物語が売れれば、むしろそういった言葉の全てを否定する事にも繋がる、のか? 
 わからない。
 やるべき事があるとすれば、己で答えを出す事だろう。他者に答えを聞いたり、そのとっかかりを得たりする奴は多いが、それでは身に付かないのも事実であり、かといって身につけた所で何の役にも立たないのも確かだ。
 とどのつまり、運不運だしな。
 そんな世界で、生きるしかない。
 私が言うんだ間違いない。
 私の物語が売れたとすれば、それはやはり幸運が偶然味方したに過ぎないのかもしれない。私は当人の意思の力でやり遂げた、とは思わない。
 それで出来るなら、既に出来ている筈だ。
 何にしろ、汚ならしい綺麗事を否定できるなら最高の気分だ。世界は、どうでもいい運不運で、その全てが左右されている。
 人間の意思の力だと?
 その意思が結局はロクな方向に向かわない事は良く知っているだろう。何かを成した所で、その偉業を台無しにするのも人間だ。
 私の物語で少しはマシな方向に向かった所で、私に何の関係がある。それは人間の意思の向かう先で、非人間の化け物である私には関係ない。
 住みやすい世界を作るにしても、手遅れだ。
 何せ、その時には既に売れているのだからな。 遠回りは、所詮遠回りだ。
 私が言うんだ間違いない。
 少なくとも、ロクな事はない。精々このような物語を綴るだけだ。その物語にしたって売れないし、何も良い事などなかった。
 後から成った所で、それとこれとは関係ない。 プラスマイナスゼロとは言うが、実際人生とはその通りだ。最終的に得られる物など知れているものだ。そもそも、私の場合幸福を定義するのに金が必要なのであって、真実幸福を手に入れる訳ではない。そういう意味では、苦労の割に何一つ手にしないのが私なのだ。
 その癖、人一倍の労力だけはかかる。
 忌々しい話だ。
 ジャックはああ言ったが、正直私には、そんなふうに未来を信じる、というのは出来そうにない・・・・・・光があるかと思えば底なしの沼にはまるのが、人生というものだ。私の場合はそれを人生とは呼ばないのだろうが、とにかく生きているならそういった事がある。
 そして、私は誰よりそれを知っている。 
 今更世界を信じるなど不可能だ。いや可能だとしてもやりたくもない。不信不屈、それが私だ。 笑顔でいるから味方とは限るまい。
 善意で不利益を押しつけ、よかれと思い相手の足を引っ張り、あるいは試練を与えるべきと考えそれを「良い事」だとするのも世界の常だ。
 わからない。
 未来が全て分かる事など無いが、しかしそれにしたってロクな事が無かったからな。
 未来を信じる、か。
 それだけでは駄目だろう。現実問題勝てる方策を実行に移さなければなるまい。
 吐き気がする。おまけに苦しい。
 それも、また、いつもの事だ。
 激痛に慣れるなどそれこそ信じられない。だが苦しみは慣れるものだ。全く嬉しくないが、私の道はその苦しみと共にある。私は私の傑作や作家としての有り様を疑う事は無いし、根拠などなくとも確信は持てる。
 だが、そこに実利が付くかは、わからない。
 悪運はあるので作家として生き延びる事だけは自信があるが、しかし、生き延びるだけでは金にならない。儲からない作家など意味があるまい。 物語とは、作家の懐の為にあるのだ。
 元来そういうものだ。その上で読者の楽しみや教訓になればいい。儲けを度外視して書くだけであれば、そんな奴は宗教家にでもなればいい。
 金だ。
 金だ。
 金なのだ。
 書いたページ数がそのまま札束になる位でなければ、何の為に、史上最低の気分で執筆を続けているというのか。それが読者の笑顔の為だというのなら、間違いなく読者は私の「敵」だ。
 まあ、作家と読者は相容れない存在だがな。
 私の作品で読者共が喜ぶ事があるとするなら、それは私が最低の気分を味わったからだ。逆に、私の作品で読者が「こんな駄作で金を取るなんて騙された!」と叫ぶ事があるなら、それは作家の計画通りの罠であり、作家の勝利だと言える。  それが分かっていながら書く事をやめられないというのだから、私も相当だ。だからこそ己の道を確信できると言われたところで嬉しくもない。言っては何だが己の定めた道を歩き続けているというのに、それが金にならないなどこれ以上ない最低の環境だぞ。
 私が言うんだ間違いない。
 その私にしか得られない確信にしたって、それが何になるというのか。味わっている当人は最低の気分なだけだ。大体、実体験があるから言葉に説得力が付随するのではない。成功しているから言葉を信じるべきだと思うだけだ。
 失敗から人は学ぶというが、失敗から学ぶ事は成功するかとは何の関係もない。他でもない失敗し続け敗北し続け屈辱を味わい続けた、この私が言うんだ間違いない。ロクに実利に繋がらないし成功どころか勝利の影もなかったからな!
 得られる物があるとすれば、それは性格の悪さだけだ。物語を書く上では役立つかもしれないが傑作の有無など読者が決めるもの。であれば私が失敗や敗北を積み重ね何を書いたところで、読者の意に添わなければ無駄な事だ。
 都合の良い物語。
 夢や希望に溢れ、努力は報われ、仲間と勝利し「道徳的に正しい道」を歩いているだけで未来の栄光が約束される物語。
 つまり、駄作だ。
 読者は駄作こそを望んでいる。当たり前だが、理不尽を直視する物語を見るのは現実にもそうであるかのようで、気分が悪くなるものだ。
 絶望の中の希望を描いた所で、「なんて可哀想な話なんだ」と憐憫を向ける己を賛美したがり、つまらない感想を漏らすだけだ。
 よかったね、面白かったね。
 それでいいなら夢でも見ていろ。
 少なくとも、無駄に労力がかかり金にすらならない身としては、割に合わない話だ。札束を献上して感謝感涙する程度では足りない。読者の人生がそのまま私の懐に金という形で入り、かつ作品のネタも提供して貰えるのが最低限だ。
 諦めるつもりは更々無い。
 ただ、少しだけ疲れた。
 ただの、それだけだ。
 私は廃棄された沿線の下にいた。そこには大昔にあったであろう廃墟の数々があり、恐らく沿線の下に店や住居を構えていたらしい。
 だが、よく見ると生活の後がある。
 今でもその昔の連中の後が、こうもくっきりと残っているとは考え難い。どうやらこういう拠点を幾つか持ち、転々と移動しているらしい。
 私の労働はどちらかと言えば暗殺に近いので、敵対者の居場所の特定などはジャックに任せてはいるものの、ある程度の予想はついた。この拠点にいる連中は恐らく、そこまでの統率力がある奴には率いられていない。確かに拠点移動は情報の隠匿に有用だが、それにしたって地理的条件等を考えれば、他にも場所はある筈だ。
 何よりこれは、移動しているだけだ。
 知恵で補っている部分が少ない。
 私なら、そうだな・・・・・・戦闘もこなせる軍用の列車の一つ二つは調達する。移動しつつも、もし居場所が露見しても戦えるようにするだろう。  何より、逃走も容易だ。
 しかし、どちらかと言えば拠点をある程度設けておいて、そこを移動しているだけらしいので、浅はかなやり口ではある。私が言うのも何だが、情報が漏れて殺し屋が送られたらどうするつもりなのか。
 まあ、今回は情報が第一目的だ。
 無理に殺す必要もない。疲れるしな。
 殺しにしろ何にしろ、仕事として全うすべきであって、私にとってこれはただの労働だ。生粋の殺し屋ではないし、所詮貰い物の能力に過ぎない・・・・・・情熱など欠片もなく、自負や誇りもありはしない。当たり前だ。
 私は邪道作家だからな。
 なので、作者取材を先に行いたい。
 凡俗とはいえ、虐げられている連中がどう復讐の口実を作るのかも気になる。何故、我々だけがこんな酷い目にあうのか! といったありきたりの台詞では駄目だ。悲劇は金になる。どうせなら謎と女、そして逆転劇が欲しいものだ。
 いや、謎と女は、既に出ていたか。
 あれほど謎に包まれた女もいまい。
 まあ、根が小物なので正直底は知れているが、それはそれで面白い。私の雇い主の女と関係あるのかは知らないが、あれはあれで人間ではない者の目線を持つ一人だ。所詮種族など肩書きの一つに過ぎないが、それをどう言い訳に利用し泣き言をほざくのかは見ていて笑える。
 実際、怪物に、あるいは神仏に生まれたから、だから何だというのか・・・・・・働きもせずに賽銭が貰えるのは正直羨ましいが、畏敬の念を払われたいというなら、まずは仕事をしたらどうなのか。 偉いから認めろ、などと。
 他にやることはないのか?
 偉い偉くないなどどうでもいいが、もしそんな概念があるとすれば、それこそ魂がすり切れる程働き続けて貰わなければ困る。年中無休で畏敬の念を払われたいなら、年中無休で働き続け、成果を出し続けるべきだ。そうじゃないか?
 話が逸れたが、とりあえず沿線を支える柱でも触ってみる。しかしボロくて汚いのは勿論だが、少しこづけば今にも崩れそうだ。もし崩れた所で証拠は無いのだから賠償金を払うつもりはない。 
 私は被害者だ。
 
 便利な言葉だ。とりあえず被害者の体さえ取れれば、加害者をどう痛ぶってもそれを支援するのが人間の「道徳」や倫理」らしいからな。堂々と虐殺や搾取が出来るという訳だ。なに、元々連中はそれを押しつけてきたのだから、圧制者が圧制を受けたところで、文句は言えまい。
 つまり、私は悪くない。
 人間の道徳に照らし合わせれば、悪いのは連中という事になる。私は正義の味方だったらしい。私自身初耳だが、人間の倫理ではそのようだ。  正義など所詮、組織の都合でしかないがな。
 あるいは、悪から目を背けて「この行いは正義だから」と心を誤魔化し、「正しい行い」だから何をしても相手は自業自得。むしろ自分達の行いは賞賛されるべきだと、暴力に物を言わせて事を進める連中の常套文句でもある。
 つまり、持つ側の余力ある妄言だ。
 まあどうでもいい。ただの言葉遊びだ。大体、私が正義などという気色悪い台詞を使うなど有り得ない話だ。ついその場のノリで試してみたが、やはり気色悪くて仕方ない。とはいえ正義だのを扱えば売れる物語もある。
 いっそ、最初は正義云々で適当に盛り上げて、その後に「貴様等の叫ぶ正義などこの程度のゴミだったのだ」という事実を突きつけ読者を廃人にする物語を作成するのも面白いか? 
 いや、手間がかかりすぎる。それなら最初から悪逆でいい。物語に希望など必要ない。物語とは掛け値無しの絶望と理不尽、下らない綺麗事など根底から否定し、道徳や倫理に縋る読者の精神に「人間の道徳観が如何に下らないのか」を、丁寧に教え込む為にだけある。
 要は、悪意を刻み込む道具だ。
 読者の絶望こそ、作者の目的なのだ。
 作家とは、絶望を形にする為にある。
 そんな事も知らない読者は多い。物語なんぞに希望を見出し、あろうことか「感動」だと? 
 馬鹿馬鹿しい。感動などその辺に捨てて置け。もっと悪逆を、もっと憎悪を、もっと人間性との敵対を! それこそが物語の役割だ。
 物語に神は必要ない。悪魔もブっ飛ぶ悪意だけがあればいい。神仏が涙を流して逃げ出し、人間には廃人になるしか道はなく、この世全ての悪をあっさりと上回る。それこそが「傑作の条件」であり、物語の本質だ。
 何より、作家とはそういうものだ。
 非人間であり、人間社会に相容れず、どころか怪物のような心すらない。文字通り世界に混ざれない正真正銘の異物だ。だが世界に異物などつきものであり、問題はその異物がどう金を稼ぐか、そしてどう世界を覆すかだ。
 つまらない世界など、覆して滅ぼせばいい。
 物語にそんな力があるとは思わないが、しかし意識を変える程度は出来るだろう。意識を変えれば世界は変わると人は言うが、それも所詮一過性の物だ。だが、一過性であれ読者の精神に悪意を刷り込み、汚ならしい綺麗事を信じられなくし、廃人になるまで追い込めれるなら、それはそれでやりがいに繋がるというものだ。
 見ていて面白いしな。
 何より私は最悪だ。心ある連中には永遠に相容れない代わりといっては何だが、我が悪意に限界などない。文字通り「無限」だ。
 なので、執筆に行き詰まる事はない。
 勢いで悪意を綴っているだけなのだからある種当然ではあるが、まあいいだろう。
 小綺麗に纏まった物語よりは、まだマシだ。
 読み終わった後、世界を信じられなくなれば、それでいい。作者冥利に尽きるというものだ。  作家の生き甲斐は、読者の苦しみだからな!  想像するだけで、最高の気分だ。
 故に、物語に救いなど求めるな。大体救いなど当人の自己満足に過ぎない。それを押しつける事が出来るか否か、それが救済の是非の正体だ。
 あろうが無かろうが同じだ。
 仏教では何千年か何万年か未来に救世主が来るらしいが、だから、何だというのか。少なくとも作家の事は救えそうにない。何故なら、作家とは理不尽をこき下ろすものであり、救世主なんぞが来てしまったら作品のネタがなくなるではないか・・・・・・・・・・・・まあ作家など世界の敵対者みたいなものなので、それはそれで合っているのか。
 完全な救済を行えるとしても、世界の理不尽の中で生きた事もない奴が、何を救うのかという話ではあるがな。ただの人間の願望だろう。
 そんな救いがあれば、楽だからな。
 だがその一方で現実味はない。いや現実味ある未来では困るだろう。十年後救われると言って、結局それが無ければ文句を言うのも人間だ。
 明確な救いでは誤魔化せない。
 曖昧な救いだからこそ、日々を誤魔化せる。
 所詮、救世主など、その程度のものだ。
 今回の始末対象はそこまでではないだろうが、誤魔化しだけではない面白いネタを希望したい。何の為にこんな辺境まで来たのかわからんからな・・・・・・私は暇ではないのだ。
 私は構造物の奥へと進む。
 そこには、面白い物があった。

   7

 託児所である。
 託児所とは、読んで字の通り子供を預ける場所を指す。こういう場所で育つ子供は、飢えているが故の性格を持つものだ。見ているだけで面白い・・・・・・絶望している奴は少ないらしく、見ている子供を見るとむしろ、瞳の奥に輝きがある。
 温室栽培の「平和な世界」で培養された子供達とは随分な違いだ。やれいじめだの自殺だの虐待だので騒ぐだけの平和の中では、少なくとも人に求められる条件は満たせないらしい。
 曰く、病か貧困か悪運だ。
 その全てを併せ持つのも正直どうかと思うが、しかしそれら全てを持たないのは問題となる理由は分かる。懐に一日分の労働賃金しかないよりはそれを選びたい気もするが、病もなく貧困もなくどころか幸運に恵まれた奴が、どうなるか。
 自惚れるのは間違いあるまい。
 当人にそのつもりがなくとも、やはり無理だ。全てに恵まれている状況で、理不尽に向かい合う気概など生まれはしない。よく大富豪だのが寄付をして世界を救済するみたいな話があるが、同じ事だ。そも他者が介入する時点で対象の在り方は歪んでしまう。
 大体、一時的に救われたから、だから何だ。
 今日明日を飢えているべきではないと綺麗事で飾りたてるのは簡単だが、先は無い。また飢えて死ぬだけだ。あるいはその資源を奪い合う可能性とて大きい上、そもそも連中は「助けて下さい」とわざわざ大富豪に哀願したのか?
 違う。身勝手な憐憫に過ぎない。
 他でもない己自身を「素晴らしい人間性を体現しているのだ!」と思いたいだけだ。ただのそれだけであり、だからこそ何にもならない。
 そうでないなら金だけ出せばいい。
 私の様に大口の寄付をすることで作品を宣伝し売り捌きたいならともかく、そもそも、そこまで金が一点集中する時点で他者を虐げ搾取しているのは明白ではないか。それを誇るでなくただ己は正しい金の使い方をしているのだと、道徳を盾に遊んでいる暇があるなら、その分の金を給料へと変えるべきだ。 
 雇用問題を解決してからほざけ!
 自国の経済を破綻させている奴が、他者を救うだと? 馬鹿も休み休み言えという噺だ。
 悪は連中とは違う。怪物属性の連中みたいに、過去に囚われる事もない。いや勿論金勘定に問題があれば恨みに思うかもしれないが、あくまでも金に関する恨みであって、当人を恨むにしても、やはりというか、「被害者ぶる」事などない。
 まして、救世主などという頭の悪い単語を自分に適用させる事も、有り得ない相談だ。所謂その「綺麗事」で現実を誤魔化さないのだ。
 何にしろ涙したり哀れんだりする事だけは絶対に無い。
 それが、金になるのか?
 私の場合は応相談だがな。とりあえず札束二つは持ってこい。噺はそれからだ。
 無様な道化をあざ笑う噺にしてやろう。
 そういった綺麗事の中ではなく、ある程度死人が出たり争いがあるからこそ、ここにいる子供達はたくましいのだろう。それを身勝手に哀れむというのは、所詮見る側の都合だ。自分達の高尚な精神だからこその行動だと、思いたいだけだ。
 ただのそれだけなのだ。
 理不尽を打破するのも生きるという事だがその理不尽が無くとも生きる道はままならないとは、何とも鬱陶しい噺ではある。まあ物語の場合も、やはり理不尽のない物語ほどつまらないものだ。所詮は小手先の物語というか、技術だの才能だので書かれた物語など、底が知れる。
 かつての大作家でさえ、性格は悪かったのだ。 むしろ、人格破綻者でなければ作家など目指すなという事だ。大体、何故作家が華やかな道だと思い込むのだ。嘘八百の内容で読者を騙し、金を儲ける為に読者にありもしない夢希望そして絶望を刷り込む職業など、他にないぞ。
 ある意味殺人鬼みたいなものだ。
 読者の今までの有り様を否定し、新たな何かを刷り込み精神を書き換える。立派な殺人だろう。生きているだけで何かを殺し続けるのも人間だと言えるので、そういう意味では真っ当だがな。
 何にしろ、好き好んで成る仕事ではない。
 成り果てるものだ。いや、最初からそうだからこそ、作家などをやるしかないだけだ。
 言わば外れ籤だ。
 そんな物を肩書きだけで判断して何を期待しているのか・・・・・・どれだけ暇なのだ貴様等は。
 そんな事をしている暇があるなら、働け。
 仕事をしろ。労働で満足するな。
 誰にも賞賛など求めず黙々とこなせ。
 言っては何だが、他でもない私でもやっているのだぞ。恥ずかしくないのか?
 いや言うまい。恥という概念が入っていれば、そのような愚行は犯さない筈だ。つまり脳細胞が足りない訳だから、他で補充するしかあるまい。 代わりに私の物語でも詰めておけ。
 何も無いよりはマシだ。
 違っても、何の責任も取らずどころか金は払わないがな。ただ悪意だけは詰めておけ。
 悪とは、人間を痛めつけたり、理不尽な虐殺をしたり、あるいは人間と敵対する事、ではない。生まれついて相容れない事を自覚しながら、世界の全てを楽しもうとする破綻者を指す。つまり、目的に邁進しつつ笑っていればそれで悪だ。
 悪とは笑う物だからな。
 私とて、読者の苦しみに比例して私の貯金残高が増える様を想像するだけで、笑みが止まらないというものだ。あるいは、読者に悪意を刻みつけ精神を破綻させてやろうと執筆すればする程顔はにやけ精神の充足が得られる。
 正直疲れるので、仕事そのものは嫌いだが。
 仕事とは、好きだからやるのではない。むしろ嫌いだからこそやるのだ。そもそも読者に物語を見せたから何なのだ。読者の喜びが作家の喜びと抜かす愚か者は多いが、読者が喜ぶ程作家の仕事は増える。それで何を喜ぶのか。
 第一、物語に大した金を払わないではないか。何時間も何日も時間を費やした物語を、どうして労働者の時給より安く買える事を当たり前だと、そう思えるのか不思議だ。
 これでよく読者の喜びと作家の喜びが等価だと言えるものだ。図々しいにも程がある。
 少しは考えてから物を言え。
 じめじめした感情を引きずり、残虐行為をしていれば「悪」だと自惚れる愚か者や、綺麗事だけで物事を判断する阿呆とは、相容れそうにない。 相容れなくて良かったというべきか。
 そういう輩向けに勇者の物語や官能物を書けば売れるだろうと書いた事もあったが、勇者を序盤で殺害し金の為に奔走したり、他者を利用する事の重要性を説きつつ殺人の際の証拠隠滅方法などを事細かに描写する噺になってしまった。
 どうやら私には向いていないらしい。
 強いて言えば、その勇者が序盤で死ぬ駄作の中で「生きたまま生まれ変われ」ば運命を克服する事が出来るという「答え」が出たので、その記念にとってある程度だ。もしこれらの方が売れるというなら、正直今までの徒労は無駄だった。
 それならそれでさっさと買えよという噺だ。
 読者とは、調子良く物語を利用し、無料だからと読み漁った挙げ句、ならば有料でも買うのかと問われると掌を返す屑共を指す。
 私は、勝利の為というよりは、そういった己と関係ない馬鹿共の都合に振り回されたり、或いは己の行いが後になって「実は方向性が違った」と情けない言い訳で誤魔化されたりするのが嫌で、そういうゴミ共に負けない為に戦っている。
 無論、勝利の為でもある。
 だがそれ以上に、二度と負けない為だ。読者は特にそうだが、流されるだけの癖に権利を主張し義務を果たさず、どころか物語を子供の小遣いに等しい金額で図々しくも要求する。つまり、読者こそが物語を最も軽んじているのだ。
 
 物語に価値など無い。
 
 当たり前だ。読者がそれを望んでいるのだからな・・・・・・金も払わず読み漁り、都合の良い物語を取り上げて、要らなくなればすぐ捨てる。
 金とは、価値の基準だ。その金で底辺労働者の時給分しか金を払わないというのは、その程度の価値しかないと読者が公言しているに等しい。
 他でもない読者こそが、物語の敵だ。
 現代の物語、その駄作の数々は、物語の価値を昼の弁当より安く扱う読者共に滅ぼされた結果と言えなくもない。少なくともかつて物語で一世を風靡した連中を越える物語など今はあるまい。
 王道の物語では、見た試しがない。
 邪道、というか異端の作り出す物語は、今でも確かに存在する。だが、それも一部だ。結局の所都合の良い汚ならしい綺麗事こそが売れるものだ・・・・・・物語とは、現代では現実逃避の手段であり依存する為の麻薬だ。そして、当たり前だが麻薬に価値など存在しない。倫理観云々の噺ではなく後に何も生み出さないからだ。
 所詮、内側での満足だしな。
 自己満足は良いのだが、しかし調子よく現実を見据えず逃避したところで何になる訳でもない。そして、そういうやり方は夢から醒めるのも早く醒めてしまえばただのゴミに逆戻りだ。私が価値を考えているのではない。当人自身がそうとしか思えないからだ。
 まあ当然だ。空しい夢でしかない。
 故に、連中の唱える「人間性」だの「心」だのに価値は無い。それこそ逃避だ。連中自身が人間の持つ輝きとやらを否定している。
 義務は果たさず価値はあると思いたい。
 甘えるな。世界は貴様等の保護者ではない。
 人間に、人間性に、価値などない。
 別に要らないではないか。誰かに認められ肯定されなければ生きていけないのか? であれば、根拠無き確信を持てばいい。人間性に価値がないなら、そのような世迷事を遙かに上回る絶対的な価値を示せば良いだけだ。
 それを己で肯定すればいい。
 それで世界の全てにに指を指されるのならば、むしろ上々だと言えるだろう。凡俗が否定するのなら、その道には更なる確信が持てる筈だ。
 私でも出来ている。
 即ち、考える脳があれば出来る些末事だ。
 そして、未来に希望など必要ない。希望という根拠が無ければ進めないなど、甘えではないか。そんな便利な物は一度としてなかった。それでも進むしかないのだ。
 才能だのに恵まれている奴ほどそうだが、少しばかりの理不尽に苛まされただけで、世界の側が何とかすべきだと思い、実際に世界に助けられた事例は多い。だが、それは違うのだ。
 いいか、よく聞け。何度でも繰り返せ。
 価値など必要ない。
 希望など無くとも進む。
 敵対だけが人生だ。
 無駄に徒労の多いそういう道ばかり歩いてきた私からすれば、それは当たり前だった。貴様等は呼吸に文句を言い過ぎる。
 世界の全てが敵に見えるだと?
 そんなのは当たり前だろう。
 それこそ、どうでもいい些末事だ。
 別に構わないだろう。その分利益を得られる筈だ。そうじゃないか?
 疑心暗鬼大いに結構。その方が面白い。
 過去を引きずるのは論外だが、しかし未来など信じるに値しないものだ。愛や夢に満ちた世界が明日には死体の山になるかもしれない。それとも裏切りによる報復合戦だろうか。
 いずれも、私はよく知っている。 
 むしろ、それしか無かったからな。
 石を川に投げる事さえ、予期せぬ出来事で失敗するのが私だ。何かにつけ上手く行った試しなどない。大抵失敗と敗北が随伴してくる。 
 奴らも暇なのだろうか?
 かもしれない。でなければ頻繁に過ぎる。
 そんな私の目からすれば、その男はどうやら、その失敗だの敗北だのを繰り返し続けた敗北者のようだった。 
 全身に傷があり軍人らしさはあるものの、その瞳には内側に向いた弱々しい意思がある。巨躯と言える風貌の筈なのだが、純朴な巨人のようだ。 まるで、間違えて戦場にいるかのような。
 まあ、世界など戦場のようなものだが。
 他者を排し利益を得るなど、珍しくもない。
 威厳を示威する物のない、まるで子供の集会所のような場所だった。野ざらしにされた食器や、荒れ果てた椅子などがあるだけだ。これでは頭目の威厳も何もない。意外だ。どうせなら圧倒的な存在感を持つ奴でも面白かったが、これはこれで楽しめる。
 作品のネタにはなりそうだ。
 道中この場所で案内を頼むと、自然この場所へと私は案内された。どちらかといえば、軍閥の長ではなく荒くれ集団の頼りになる兄貴分か。
 その割には頼りない背中だが、だからこそ頼りにするのかもしれない。目線を合わせてくれる奴には、人間は寛容になるものだ。
 頼りにしてやる、と利用するには都合が良い。 世の中そういうものだ。
 私は依頼主の事を教え(仕事であれば守秘義務は重要だが、生憎私は作家だ。始末屋の義務など知ったことか)始末の依頼を受けている事、他に代わりは幾らでもいる事を伝える。大抵の奴ならすぐに私を殺そうとするのだろうが、その事すら承知の上の様だ。
 どうも、己の命を勘定に入れていないらしい。 目的さえ果たせばそのまま死ぬつもりのようだ・・・・・・大抵の人間は己の為に戦うものだ。金の為女の為豊かな未来の為に、戦う。
 だが、この頼りない男は違うらしい。私が今回の依頼内容について最初から疑問に思っていた、今回の不毛な反乱の動機について聞いた所、彼はこう答えたのだ。
「例えば、そうですね・・・・・・地下に住んでいる鼠には、太陽の光はわかりません。けど、やっぱり憧れはあると思うんです」
「憧れで食っていけるのか?」
 そうですね、とその男は答える。
 名前はニーヴン。ニーヴン・アレキサンダーという名前で、元軍人らしい。まあ軍隊で使えなくなった人材を再利用、というのはよくある噺だ。「けれど、憧れは消せません。例え空を飛べなくても、俺達には「いつか飛べるんじゃないか」という希望が必要なんです。それがなければ何の為に戦っているのかわからない。確かに、元の体に戻りたい仲間達の為にも戦っています。でも俺はそうじゃない」
「ほう?」
 戻りたくない、という訳ではあるまい。
 その理不尽を、受け入れているのだ。別に怪物だから仕方ない、というのでもない。自分は怪物だが、それはそれとして望む物があるらしい。
 とはいえ、それだけではな。
 それこそ現実逃避ではないのか?
「しかし、現実問題憧れるだけなら誰でも出来る・・・・・・お前のその「憧れる心」で仲間を心中自殺させるつもりか?」
「かも、しれません」
 まさか、認めるとは。こういうのは大抵自分はそんなつもりじゃない、とかあれこれ言い訳して誤魔化すものだが、言葉面は綺麗事の癖に、妙な説得力のある男だ。忌々しい人工知能に似ている部分がなくもない。
 連中は一体、何を言いたいのだ?
 いや、それは聞いた。「希望」だ。
 馬鹿馬鹿しい事この上ないがな。
「けれど、俺達は人間です。だから、夢見る事を諦められない。だってそれじゃあ本当に非人間の化け物だ。そんな在り方じゃ生きていけない」
 酷い事を言う男がいたものだ。
 なので、私はこう答えた。
「そうでもないさ。むしろ、夢希望など見ていても、何になる訳でもない。そんなのは逃避だろう・・・・・・現実には、夢など不要だ」
 叶わない夢など暇つぶし程度のものだ。
 思考を遊ばせるならともかく、真剣に願うなど堕落の極みだ。願いは叶わない為にある。
 言わば、理不尽から目を逸らす行為だ。
「そんな事はない」
 声を荒げ、すぐに元の口調で「です」と言葉を直した。そして、彼は続ける。
「夢は必要だ。確かに、俺は色んな理不尽を見てきた。何人も死んだし、正直、世界を諦めそうになった事だってある。けれど、それでも夢はあるんだ。だって俺達には心がある。最適解だけじゃ満足しないし、生きているって思えない」
「・・・・・・その理屈なら、心がなければ問題ない、という事だな」
 私はあらましを簡潔に説明する。
「私には心がない。子供の頃、どうして笑うのか真剣に分からなかったし、何かに共感したり誰かと分かちあったりを実感しなかった。下らない、と常に考えていたよ。元より「人間性」の全てが私の道程には存在しなかったというのもあるが、それがなくとも人間に共感しなかっただろう」
「・・・・・・そんな、それは」
「理不尽な目にあっていると思うか? 残念だが違うぞ。それはそれで、どうでもいい事なんだ。お前の言う心など、所詮そうやって現実の理不尽から目を背ける程度の役割しかない。現実には、そのやり方では死ぬだけだ。貴様だってわかっているんじゃないのか? この戦いを続ければ大勢が死ぬ。それも、後には何も残らず全滅だ。誰もそんな事望んではいないが、お前の理想に流され思考放棄しているだけで「戦っている」気でいる・・・・・・・・・・・・集団で麻薬をやるのと同じだ」
「違う、俺は」
「そんなつもりじゃなかった、とでも言うのか? だが、それが何だ。貴様がどういうつもりでも現実にはただ理不尽が横たわるだけだ」
 何だ、まだ言い訳するところまで来てなかっただけか。つまらない奴だ。いっそここで始末してやろうかと思ったが、それではあの女が喜ぶ。
 だが、彼はこう続けた。
「俺は、生き残る事が勝利だとは思わない」
 とニーヴンは言う。成る程、そういう考えか。ありきたりではあるが、面白い。
「・・・・・・ほう、どういう意味だ」
「確かに、命は大切だ。でも生きているだけじゃ意味がないんだ。生きてるって事を実感する為に俺達は生きている。ここでただ取り引きして体を取り戻した所で、納得できないまま余生を過ごすだけだ。ただ生きるんじゃない。勝って、生きる事が大切なんだ」
 涙でも流しそうな面で、ニーヴンは言う。
 荒い考えだが、的は射ている。
 だが、それだけでは意味があっても価値がないままだ。それだけでは絵空事に過ぎない。

 
 
 
 「アンタだって、そうじゃないのか?」
 なので、ニーヴンのその問いに対して私はこう答える事にした。
「確かに、そうだ。だが貴様と一緒にするな」
「どうしてだ。同じじゃないか」
「違う。決定的にな。私はそのような綺麗事などで誤魔化したりはしない。成る程、生きる実感は確かに必要だ。だが勝ち目のない戦いを挑む事に充実感を覚え「戦う事そのもの」が目的になった愚か者と一緒にするな」
「違う! 俺は、先のある戦いにしたいだけだ。希望がなければ俺達が戦う意義を見失なっちまう・・・・・・それじゃ、ただの機械と同じだ」 
「同じで構うまい。過程に意思があるから何だというのだ。意思があれば他者から奪い、殺しても良いのか? 違うだろう。戦いにあるのは勝者が利益を得、敗者が奪われるという現実だけだ」
 過程に何かを求めるなど、馬鹿馬鹿しい。
 負ければそれで終わりだ。
「いいや、そうじゃない。負けたって後の人達が受け継いでいく。俺達はその「先」を良くする為に戦ってるんだ!」
「だが、その「先」にお前はいまい。己の未来を掴み取ろうとせず、先に託すから成果が出せなくてもいい、というのはただの人任せだ。未来の事を見ている訳じゃない。単に、困難そうな道から目を逸らしているだけだ」
「じゃあ、どうしろってんだ?」
 悲鳴の様にニーヴンは叫んだ。
 余程思い詰めながら戦い続けたのだろう。別に思い詰めたからなんだって噺なので、だから成果を出せない事が誤魔化せる訳でもない。
 いや、この場合実利か。
 結局の所、体が兵器になろうがなるまいが文句はあるのだ。夢だの希望だのに縋り付かなければ前にも進めない奴に、未来などあるものか。
 ただの「惰性」だ。
 生きる価値はない。
 殆ど義務的に殺さないでおこうと考えているがこのまま殺しても良いかなと思わなくもなかった・・・・・・泣き言をいうより、相手を殺せばいい。
 第一、その希望にしたって勝利ありきだ。
「正しい道に向かっているからいつかは報われる筈だ、という考えは逃げなんだよ。現実に理不尽を打倒しようと試みるしかない。地味な作業だし報われるアテなど無いが、しかし、それでもやるしかない。どうしろも何も、私が丁度良い折衷案を持って来てやったじゃないか。お前達の隠しているデータを渡せばいい」
「でも、それで大勢が死ぬ」
「だから、何だ? 今ここで死んでいる奴らは、そいつらに比べて軽い訳ではあるまい。第一世界の裏側で何人死ぬかなど、軍人崩れが考える様な事ではないだろう」
「それは」
 正論だな、と神妙に彼は答える。だが顔は納得していない。綺麗事を唱う癖に正論は嫌なのか。私が言うのも何だが、我が儘な奴がいたものだ。「でも、これは気持ちの問題なんだ」
「下らん。その気持ちの為に無駄死にを繰り返し仲間を道連れにして自己満足か。大した英雄様がいたものだな。いや、古来より英雄とはそういう奴が多いものか。お題目は大層だが、その過程にある血を見ようとしない。目を逸らしながら人を殺し続けている」
 迷惑な連中だ。
 他にやることはないのか?
「それは、でも」
「一日、待ってやる。それで駄目なら皆殺しだ」 言い捨てて、私は部屋を出た。後には置き去りにされた死体のような男が、ここにはいない神に祈りを捧げるかのような逃避を行えず、ただただ苛まされるフリをしながら「大多数の人間の命が危険に晒されるんだ」という情けない言い訳と、「このまま意地を張っても結局は無駄死にだし、せめて夢や希望を持たせてやりたかったけど俺の自己満足なんじゃないか」という下らない葛藤を繰り返すだけだった。
 
 
 
 
 
    8

 結局、妥協したらしい。
 ニーヴンとか言う男はそれなりに死線を潜り、理不尽を知っているものの、根底にある考え方が理想寄りになっているのだ。
 やはり理想など現実逃避だな。
 余裕のある暇人の発想だ。いざ仕事をするのであれば、そんな余力はありはしない。だからこそ妥協したのだろう。所詮本当に強い意志で理想を貫いていた訳ではなく、ただ望まれたから行っていただけだ。周囲に望まれて何かを成す奴とは、とどのつまり己の意思で進んでいない。
 だから、後になって後悔する。
 その余裕があるからだ。
 それがわかっただけでも良しとしよう。作品のネタとしてはある意味上々だ。割と今回の依頼は作者取材としては成功の部類ではなかろうか。
 その結果、兵器技術は流出するらしい。
 とはいえそんなのはいつものことだ。この紛争にしたって、二つの巨大資本がそれぞれを支援し争わせている。兵器の実用化、そのデータ取りの為に不要な軍人を殺し合わせる訳だ。実に合理的で隙がない。
 世界のどこでも、よくある噺だ。
 現実から目を逸らし理想を眺めた所で、結局は理想は理想だ。理不尽に君臨する力の前に、その理想は食い物にされるだけで価値はない。
 ただのゴミだ。
 ゴミを掲げて、喜んでいるに過ぎない。
 結果今回の様に利用される側に回る訳だ。読者にそれを刻み込める良い機会だろう。この物語に学ぶべき事は、理想はロクな結末を生まず、現実にある理不尽から目を逸らすだけという事実だ。 未来に希望など無い。
 明日は今日より悪くなる。
 少なくとも、私はそうだ。理不尽を振り回し、それだけで生きられる程恵まれていれば別だが、生憎私はそうではない。
 敗北を定められても尚、やるしかない。
 やらされている、とも言える。
 だが事実だ。だからこそ個人の意志や行動など何の価値もないし、何を変えられる訳でもない。 世界は過程に無関心だ。
 勝敗を分けるのは、単に幸運だけだ。才能だの環境だのは、結局の所それだ。生まれついてどれだけを「持っている」か。それだけが勝敗を分け天下を動かす。実際コンピューター関係などその例が多いものだ。天才的な何か、つまりは引いたくじ運の良かった奴が世界を導いたのだ。
 物理的な力で変えられない物など存在しない。 だから私もそれでいいのだが、何故私はいつも下らない過程ばかり押しつけられるのか。物語に過程など関係ない。流行を押さえ技術で演出し、つまらない駄作を完成させたところで売れる物は売れる。売れなければ売れない。要は運良く集団ヒステリーを起こせるか否かだ。
 その内容など、誰も見ていない。
 見る必要などないしな。
 世の中そんなものだ。
 今回の依頼はあまり劇的な内容ではなかったがそれも考えてみれば当たり前か。大体が毎回毎回激しい戦いの後に仲間が増えたりする方がどうかしている。そんな楽な道を歩ければ苦労しない。 それでも、進むしかないのだ。
 信じられる道を、進むしかない。
 とはいえ、それだけでは無意味だ。他でもない私が言うんだ間違いない。信じられようがそうでなかろうが、その先にある実利は必要だ。
 その上で「幸運」が味方する事。
 それこそが「勝利の条件」だと言える。
 とどのつまり幸運無くして生きる価値など存在しないという事だ。当人自身の意思や行動など、それにくらべれば無力でしかない。
 だからこそ、幸運を味方にする必要がある。
 少なくとも神頼みでは無駄な事は確かだ。神社に大金を支払ったところで、前より酷い目に遭う事はあっても、その逆は無かった。勝ち馬に味方する投資家みたいなものだ。神仏が味方するから勝利者足りうるのではなく、勝利者に群がりその恩恵を更に得ようとするからこそ味方する。
 要はハイエナだ。
 いずれにしろ私に味方する神仏などいないし、いたところで無力なのは間違いない。正直な所、この様で味方していると言われても私からすればそんな恩恵は無いも同然だ。
 足を引っ張っているとしか思えない。
 味方した上で試練だの何だのと抜かし私の物語が売れないようにしているのだとしたら、そんな奴は敵でしかない。他に何があるんだ?
 その一方で、今回のニーヴンのように何かしらの状況なりが味方する奴もいる。武器を横流しし反乱側と制圧側双方から利益を得ようとする勢力からすれば「搾取される側」ではあるが、しかし仲間内から支持され頭目となったのも確かだ。
 彼に理想を見ているのだろう。
 その理想も、少しばかり足下を脅かされ利益をちらつかせれば掌を返したがな。仲間の安全だの未来の子孫の幸福だので妥協する様な生き方は、元より半端だと言える。
 その一代のみで何かを成し遂げるなら、後の事など考えていられない。とにかくやるべきをやる・・・・・・後の事など灰になった己を見た連中が勝手に考えればいい。代々受け継いだ奴に、成し遂げられる何かなど無い。あるものか馬鹿馬鹿しい。 つまり、脈々と続く勝利など無駄だ。
 何の価値も無い。
 今ある理不尽を丸ごと殺し尽くす位でなければ面白味に欠ける。世界を燃やし尽くしその炎上の様を見て笑うのだ。
 悪党とは、そういうものではないか。
 正直この回り道に後から価値が付随したとしてこの私の利益になるとは思えない。読者共の利益にはなるかもしれないが、私は関係あるまい。
 つまり、売れた所で無駄な労力なのだ。
 所詮、良い様に使われているに過ぎない。
 だが、それでもやるしかない。他に道はない。そんな楽な道があれば、とっくにその道を進んでいる。私にはこれしかないのだ。
 それでも駄目なら、見る目の腐った世界だと、屑に足を引っ張られた事を嘆くしかない。そしてそのまま更に戦うのだ。
 因果な噺だ。私が何をした?
 いや、まあ存在そのものが最悪だと言われても弁解のしようもないが、言っては何だが神仏でも人間でも似たようなものだろう。どちらも些末な理由で争い世界を滅茶苦茶にし、その癖自分達を「善良で素晴らしい存在」だと思い込む。
 高尚さ、みたいなもので誤魔化すのだ。
 己は高尚だから、そういった俗事とは関係ない高見にでもいるのだと、そう言い張ってこの世界にある悪と向き合わない。楽で羨ましい噺だ。
 こう考えると、必要なのは生まれなのか?
 神仏など所詮そう生まれたに過ぎない存在だ。その辺のホームレスがそう生まれた方がマシだと言えそうな神仏だって探せばいる。神も仏もその生まれに満足して物語の一つも書けないのは確かだろう。連中が書いた噺など聞いた事もない。
 間違いなく駄作だがな!
 全知全能の存在が全知全能のままロクな理不尽も味わわず生き延びれば、そのままロクな性格になるまい。当たり前だ。そんな利便性が無いからこそ生きる上での苦悩がある。苦悩が何なのかも良く知らない奴に、何が書けるというのか。
 苦悩など知らないに越した事はない。
 いや本当、知った所で、知り尽くした所で性格が悪くなるだけだ。ロクでなしになるか、悪人になるかの違いだ。ロクでなしは楽を出来るが悪人は楽が出来ないので、儲けているのはロクでなしの方だろう。私もあちら側で良いのだが、まさかそういう訳にも行かないだろう。
 悟りを開いたり信仰を受けるだけで金を貰えるなど、正直羨ましくはある。それは仕事ではないだろうが、しかし楽なのは確かだ。
 人間世界がこの様で、働いていると言われても説得力など無い。連中が真剣に働いた上で作家が物語を売らなければならない程追いつめられるのであれば、成果は何もないも同然だ。作家とは、言わば社会の最底辺だ。人間社会に混じれない奴が人間社会を描き、それを金にする。つまりは、社会の枠組みの中にすらいないと言える。
 だから中々儲からないのだろうか?
 かもしれない。だが昔はそれなりに儲かった筈なのだ。生粋の作家と言えそうな奴も大勢いて、そういう連中を拾い上げる機構があった。だが、現代社会では違う。浮き沈みは運次第で何を成すかよりも何に恵まれるかが寛容だ。
 そういう社会の中では、私の様な奴は生き難い・・・・・・ただでさえ作家など破綻者だというのに、それを更に追いつめてどうするのだ。
 作家に夢を見る風潮も、如何なものか。
 先生、という呼び方が気に入っているのか作家という在り方に夢を見過ぎる。有名人の代名詞であるかのように虚飾する奴が多いが、そんな訳がないだろう。
 物語を書くしか能が無いんだぞ!
 才能も何もない。作家に必要なのは腐った人格最低の発想最悪の思想を持つ事だ。やれどこぞの物語で感動しただの、あれは天才だのと馬鹿かと思う。物語に才能も何もあるまい。売れれば作家ではあるが、それ以前に「技術」だとか「才能」だので物語を書くとでも思うのか?
 その理屈なら、私には書けないぞ。
 才能などあるように見えるのか?
 強さによる弱さも弱さによる強さも併せ持たずここまで来た。だからこそ、私はそういった物が必要ない物語を書いているのだ。もし才能が必要だと言われれば筆を折るしかなさそうだが、生憎物語に才能など必要ない。
 いいか、良く聞け。
 人類の敵対者である事。
 とりあえずそれを守っていれば作家になれるぞ・・・・・・それに付随して先述の物を持ち、更に人間を嫌いになればそれでいい。
 在り方は既に「作家」だ。
 安心しろ。作家になりたいなら人間性を捨て、人間を嫌いになり、人間の悪性だけを好んで語り人類社会を覆す思想を刻み込め。
 要するに、貴様等の考える作家像の真逆だ。
 作家とは、人間の屑であり、なおかつ悪びれず胸を張る奴だ。
 
 誰一人味方など必要ない。
 
 味方がいるなら漫画でも書けよという噺だろう・・・・・・一人で世界と張り合っている変人だから、作家だと言って良い。自分に嘘をついて誤魔化し続ける奴よりはマシだが、しかしだからって作家は無いだろう。自分で言うのも何だが、最悪だ。 何とかならないものか。
 やれやれ、参った。結局は振り出しだ。
 もう少し、要領が良ければ良かったのだがな。 基本的には負けっぱなしで応用的には味方すらおらず最終的には徒労に終わるのが私だ。だが、それは覆さねばならない。存在そのものが最悪であるのは認めるが、だからって世界に虐げられるみたいなこの状況が続くのは御免だ。
 大体、私を排する前に綺麗事をなくせよという噺だ。教授は、言葉の力は君が思っている以上に危険だみたいな噺をしていたが、それなら何故、そのご大層な言葉の力がこうも無為に消えるのか・・・・・・・・・・・・答えは簡単だ。そのような綺麗事は所詮ただの戯言であり、言葉に力など無い。
 だから物語を売るのに苦労するのだ、間抜け。 でなければその言葉の力とやらで私はもう少し儲かっている筈ではないか。金にもならないのにそれしか道が無いからと無為に終わる仕事の成果を眺めながら「作家が執筆し続け、儲からない」という理不尽を享受する事が「言葉の力の成果」だとでも言うのか? 
 ふざけるな。冗談じゃない。
 言葉など、所詮その程度だ。思想に影響を与えるだと? 馬鹿馬鹿しい。未来に希望を託す様な物語を読んだ所で、戦争はなくなるか? 或いは人と人との繋がりを肯定する物語を読んだとして人間は分かりあえるか? それとも成長を良しとする物語を読んでいれば柔軟な強さが身につくとでも言うつもりか?
 妄想も甚だしい。
 それで何かが変われば苦労はない。物語とは、その前段階に過ぎない。物語を読んで変わるのは心構えであって、その先は読者次第だ。そもそも私の物語は理想だの希望だの人間性だのという、物語の中にしかない綺麗事で生きる事を誤魔化さないようにする為の噺だ。
 それが悪であるなら、人間はすべからく悪ではないか。その悪に自認を促す事がよくないというのは、ただの逃避に過ぎない。
 実際、綺麗事ではないか。
 人間の、いや世界の本質とは悪性だ。その事実を誤魔化し綺麗事で蓋をして、物語の中に夢希望を詰め込み現実逃避する事に何の意義がある。
 いや私が言ってやる。意義など無い。
 あるものか。
 思うに、生きる上でそれらを自認しない奴に、生きている実感など有り得ないのだ。それで実感していると思うなら、それはただの錯覚だ。
 都合良く仲間が助けてくれて、
 敵は説得すれば仲間になり、
 正しい道を歩くだけで勝利する。
 まさに、夢と希望に溢れている。そして夢希望とは存在しない概念だ。あるとすれば妄想に過ぎない物で、持つ側特有の夢想でしかない。
 強さも弱さも併せ持たないどころか、弱さ単体ですら持たない奴に何が出来る。強さとは、即ち怠惰なのだ。現実にある理不尽を見ずに、夢希望を唱っているだけで勝利できる愚か者。勝利者の正体とは、それだ。
 戦っていないし、生きてもいない。
 だからこそ、夢と希望を謳うのだ。
 何せ、それだけの余裕があるからな。
 夢とは夢を見れるだけの余裕がある事の裏返しであり、希望とは、希望を持てるだけの余裕ある持つ側の特権であり、仲間とは周囲に恵まれた奴特有の豊かさで、敵が味方になるとするなら本来その理不尽を知った上での変革が必要だ。何より「正しい道」を進むだけで勝利するだと?
 舐めるな馬鹿が。それだけで勝利出来てたまるものか。第一「正しい」と、己で根拠無き確信を持つからこその「進むべき道」であって、周囲に賞賛される道などその真逆もいいところだ。
 正しくない道を、確信を以て進む。
 間違いだと罵られ、高笑いと共に突き進む。
 不可能だという理不尽を、越えられると当然の様に胸を張るのだ。その程度の事も出来ない奴がよくもまあ世界を語れるものだ。
 悟りだの全能だの、下らない。
 まして、物語でその事実から、理不尽の全てに目を逸らして慰めるなど、愚の骨頂だ。貴様等は物語を何だと思っているのだ。
 夢や希望を見る為では断じてない。
 理不尽に向かい合う参考書だ。
 それを「物語」と呼ぶのだ、間抜けが。 
 物語に書かれるべきは理不尽であり、絶望だ。苦しみであり、嘆きの叫びだ。悪意であり、善性の否定に他ならない。
 善などという現実逃避を殺すのだ。
 大体手と手を取り合い助け合うだけでは、ただの甘えではないか。手を取った上で、駆け引きに勝利し敗北から学び、それを先に繋げる事に意義がある。そんなことは私でも知っているぞ。
 希望などという縋る対象も不要だ。
 そんな考え方では、いざ本当に危機が来た時、希望が無ければ戦えないではないか。
 希望などなくとも確信を以て挑むしかないのだ・・・・・・それが生きる上での責務だと言える。私もそうだ。売れもしないどころか、売るアテすらも無いのに物語を書いている。我ながら何をやっているのかという噺だ。
 売れない時に書いた物語であれば説得力があるとでも言うのだろうか。読者全体がそんな様だというのに、作者だけがこのような理不尽に出会うとは、何とも不条理な噺だ。いや本当、どうして私がそんな事を証明しなければならないのか。
 別にそうでなくとも希望など無いので、説得力を持たせる為なら正直不要ではある。人間の全てに共感しない時点で、希望という概念は無い。
 いずれにせよ他にやらせればいい。
 もっと適任がいるだろうに。
 迷惑な話だ、まったく。
 言葉に力など無いというのにな。本当にそうであれば、私の物語で世界を覆せるのだろうか?  だとしても、私の生活には何の関係もない。
 ただの貧乏クジだ。
 それに、そういう行いは売れてから考える方が楽だろうに。事前にそういう考えでなければ物語に説得力など持たせられない気もするが、物語で世界を覆すといっても、私個人が損ばかりをして結果よくわからん連中が得をするのは見過ごせる事ではない。
 まずは金を払え。
 噺はそれからだ。
 とはいえ理屈としては理解出来る。本来なら、作家とはその人間性の歪み故に悩んだりするからこそ傑作を書くものだ。中には尋常ではない天才もいるのだろうが、それにしたってやはりどこかは歪むものであり、真っ当ではない在り方に何か苦労はするものだ。
 私には、人間性に対する共感がない。
 そのような尋常でない才能で書いている訳でもなし、嫉妬など縁遠いものだ。何より、作家なら悩む奴の多い世界に対する絶望すらない。
 その感性がないからだ。
 そして、勢いで書いているだけで小綺麗さだの才覚だの感動を呼ぶ手法だのの欠片も存在しない書き手だからこそ、筆が止まる事もない。
 幾らでも書ける。
 作家特有の締め切りに悩まないのだ。その気であれば、だが・・・・・・腱鞘炎を気にしないのなら、半日で一冊程度は書けるだろう。
 もう少し早いかもしれない。
 こうしている今も、勢いだけの作品特有なのか分速120文字程度で書いている筈だ。考える事と書く事が同義である私には、思考による遅延がコンマ一秒もない。
 年中書いてばかりいるからある意味当然の能力ではあるが、これは普段、人間の悪性ばかり常に考えていたからだろう。生まれてから今まで休みなくしていれば、誰でもそうなる。そんな在り方をすれば、だが。
 そんな在り方をする時点で、貧乏クジだがな。 それに、幾ら早く書こうが売れなければ意味がないし、何より私が疲れる。合間合間に書くだけで物語が完成するのは良いが、だからって書く事が楽しい訳ではない。むしろ、読者よ苦しめ読者よ滅べ、読者よ金を払えと呪いながら書いているのだから、鬱陶しさだけがそこにある。
 何故書いているのか、偶にわからなくなるしな・・・・・・売るアテもないのに他に道筋がないからと書いてはいるが、どうして売るアテがないというのに他に道が無いのか、こんな在り方で金を稼げるのかとか、大体読者共にそんな知能など無いのだからこれこそ徒労ではないのかと考える暇すらなく書き続けている。
 我ながら何をやっているのかわからない。
 いや、「仕事」だ。だが仕事が軽んじられ金を儲けるのは幸運に恵まれた愚か者であるこの時代において、仕事とは無力だ。わざわざ無力な物を量産しているというのだから、酔狂にも程があるという噺だろう。
 第一、進むべき道が何なのだ。
 その道に金が無ければ、徒労でしかない。
 それで満足できるのは持つ側だけだ。持たざる存在にとって、その有り様だけで満足する事など有り得ない相談だろう。そんな余裕はない。
 気高ければそれでいい、などと。
 よく言えるものだ。恥ずかしくないのか?
 恥を感じる感性があれば、口にしないか。
 金、金、金だ。世界は金で出来ている。この世もあの世も、そこにいる全てがそれを肯定し認めるからこその金の世界だ。権力とは金の別名だ。 なればこそ、位で分けている神仏でも、爵位で権威を示す悪魔でも同じ事だろう。
 要するに、力で仕分けしているのだからな。
 力で裏付けされた権威の世界に生きる以上は、その権威は力で肯定されている。つまるところ、力だけで世界に示してきたと言って良い。
 ならば、その力を否定される覚えはない。
 因果応報というやつだ。
 あれこれ飾りたてたところでその前提は同じ、どちらが高いかを競っている。徳でも知恵でも、同じ事だ。要するにその「差」こそがそいつらの在り方の裏付けであり、その力がなければ所詮、連中に価値がないと認めている。実際、過ぎた力を持つから神仏は認められ、大層な知恵を持っているから悪魔は恐れられ、権力と金という暴力があるからこそ立派な人間足りうるのだ。それは、連中自身がそう肯定しているからであり、つまり連中個人など存在しないも同義だ。
 その力があればその辺の奴でもいいのだからな・・・・・・そういう神話も多い。人格的には屑でも、大層な肩書きでごまかせる。
 であれば、その世界を利用させて貰う。 
 何せ、強さも弱さも併せ持たない身だ。普通のやり方ではまず勝てない。何とかして、方策などもう尽きている気がしなくもないが、とにかく、何とかして見出さねば未来など無い。既に未来は暗すぎて見えないが、せめて足下は見たい。
 アテはないが、やるしかない。
 やるしかないからやるというだけで、他に楽な道があるならそうしたいものだ。現状私の意思は関係なく進んでいるので、やる気は失せる。
 そうでなくとも、物語なんぞにやる気など無いのが「作家」という生き物だ。こんな腐れ職業は人類史のガンと明言していい。
 回るのはいつも口先だけだ。
 いっそ神仏だの悪魔だのを相手に裁判でも起こせればいいのだが。口先で私に勝てる奴など存在しない。まして、能力に恵まれた奴などカモだ。 力ある時点で、私には勝てまい。

 私より力の無い奴など、見た事ないがな!

 いれば取材したいものだ。完全なゼロに比較も何もないが、面白そうではある。現実問題口先で勝利するかは実利とは関係なく、実際に神話でも神が力業で裁判中にごり押しした例は良くある噺なので、あまり意味はない。 
 口先に向き合う権力者などいまい。
 力で無視すればいいのだから、当たり前だ。
 そこに真摯に向き合う奴は、そもそも神仏だの悪魔だのと呼ばれまい。生まれついての全能性に胡座をかいているからこその連中だ。
 何にしろ面倒な連中ではある。
 魂が無いのであればあの世も何もなくただ消滅するだけだろうが、もしそんなところに行く羽目になれば、偉そうに押しつけられるに違いない。 その時はせめて、口先で精神を破壊してやろう・・・・・・せめてもの抵抗だ。だからこそ何を言ってもどれだけ連中の魂を抉り刻み込み書き換えた所で責められる覚えもない。私は被害者だ。ならばどれだけ何を言われても文句は言えまい。
 如何に能力をはぎ取ればつまらない存在なのか思い知らせてやるとしよう。神仏は涙を流して、悪魔は悲鳴を上げて逃げ去る程度には連中の心を追い込みたいものだ。追い込んで追い込んで心が破裂した方がマシだと泣き叫んだ所を更に痛ぶり私の声を聞いただけで、その血の気が失せて絶望してからが本番だ。
 この程度は序章だろう。
 その先、地獄を想像してようやっとジャブ程度だろう。連中に人格があるのかは知らないがもし心って奴があるなら破綻させるのは難しくない。 なに、心など見ただけで大体分かる。
 相手が何者であれ、同じ事だ。
 特別な能力など何一つ必要ない。実際心理学を嗜むものであれば、そう難しくない技術だ。私はそれを経験と第六感でやるだけだ。
 そして、こと悪意に限れば私は無敵だ。
 何とでもなる片手間だろう。まあこんな事など考えたところで思考遊技というか、あまり意義のある事ではない。疲れているのだろうか? 
 かもしれない。少し休みたい。
 疲れなど、実感しないがな。物理的な疲れすら実感出来ないので、不調に気づかず死にかける事も少なくない。我ながら極端が過ぎる。
 作家は大体そういうものだがな。
 極端でなければ、作家ではあるまい。
 今回の依頼のような、端からみればありきたりな展開からすらも、作品のネタを得るからこその邪道作家だ。それが単調だと思うのか?
 復讐だの正当な殺し方だのをほざく連中こそ、そこには欠落がある。例えば、家族や仲間を殺害された奴がいたとして、仇を討ち果たす為だからどれだけの残虐も「正当」だと言う場合、それはその殺された奴の死体を引きずって辱めるような行いだと、気づきたがらない。
 今回の件は、まさにそれだ。
 古今東西「何故世界は平和にならないのか」と考える暇人は多い。だが理由は単純で、単にその天下太平って奴が「誰にも望まれていない」だけなのだ。誰も望まない以上、実現などしよう筈がない。歴史上、それを成し遂げたと叫ぶ為政者も多いが、それは当人達の身勝手な支配体制を平和だと言い張っているだけだ。
 実際には、ロクなものじゃない。
 当たり前だ。自身のうさを晴らす為死した身内まで利用し争い続ける生き物に、話し合いだけで成り立つ平和など、むしろおぞましく映るだろう・・・・・・天下太平があるとすれば、それは死者だけが存在する世界だ。他者と争い勝利を掴む事で、人間は「生きている実感」を得られる。
 それが無いという事は、誰一人として生きるという行いを行えない世界。倫理や道徳で檻を敷きその内側で飼育される世界だ。
 だから、あの男の様に疲れ果てる。
 所詮綺麗事の倫理観などそんなものだ。復讐というものがあるとすれば、それは生産的な行いで無ければならない。
 他国の連中を殺すなど、もっての他だ。
 その他国に「仕事」で示し、その国全てがその仕事を認めるしかないよう追い込む事を復讐だと言えるだろう。絵描きであれば同じようにこちらの国を恨んでいる連中ですら認めざるを得ない様な「傑作」を書けばいい。
 個々人の小さい憂さ晴らしなど些末事だ。
 何度も言うが、そんなのはその死者を、墓から引きずり出して貶めるに等しい行いではないか。命は結局、当人だけの物だ。それを知った奴なら勝手に報復の理由に持ち出すなど、それこそ当人を「復讐の道具」として扱っている証左だろう。 何故戦乱の世が無くならないのかだと?
 決まっている。貴様等が己の心を誤魔化し事実を見据えず楽な道ばかり進むからだ。例えば神仏を崇める思想には「嫌な事があったら神仏のせいにもする」という側面があるものだ。どこにでもある噺だが、人間を追いつめる人外は多い。
 だから、変えられないままで容認する。
 理不尽の嵐があったとして、理不尽を理不尽のまま見据え、対策を考えない。それはそれとして少しでもマシにする方法を考える事が本来は必要な行いだが、その必要がないからだ。
 例えば、他国を恨み目を逸らす行為がその筆頭だろう。根本にあるのは資源の不足や思想の対立だが、「連中は悪い奴だ。だから連中を殺しても構わないし、そうされて当然だ」と現実の問題と関係ない部分に「逃げる」事で「解決した気分」になるのだろう。
 無論、実体は違う。
 そもそも誰かを殺す事が「悪」だとすれば誰も殺さないで生きられる奴などいないではないか。聖者でも不可能だ。生きているだけで何かを食べ何かの上下に立ち何かと相対する。仮に何もかもを犠牲にせず生きられる聖者がいたとしても無理な相談だ。
 その在り方を示すだけで、奪って生き抜いた命に対する侮辱ではないか。
 道徳や倫理を垂れる時点で、相容れない思想を持つ奴にとってはすべからく「悪」なのだ。悪でない奴など存在しないし、出来ない。
 悟りを開こうが全知全能だろうが、同じだ。
 何一つ変わらない。肩書きが違うだけだ。
 それを調子に乗って振りかざす愚か者は多いが・・・・・・その様で世界を嘆くなど図々しいにも程がある。少しは弁えろ、馬鹿が。
 そういった人間の信じる道徳や論理の縋り所を破壊するネタが得られたので、今回の件の収穫は大きかった、と言えるだろう。
 いいぞいいぞ、もっとだ。
 更に人間性を否定せねばな!
 神も仏も悪魔も人も、すべからく心の問題故に何かを勘違いしているものだ。能力があればその能力に縋るだけで事実から目を背けられる。その一方で縋る能力が無くとも嘆き叫び世界のせいだと押しつける思想でいるだけで、己では何も行動せずとも問題ないと、そう済ませようとするのも人間だ。まあ、強さによる弱さも弱さによる強さも併せ持たない私には、縁遠い噺ではある。
 正直、貧乏くじではないだろうか。
 見据えたから、何なのだ?
 事実から目を逸らし調子の良い事ばかり言って力に任せて楽をしている連中こそ、勝利者として世界を謳歌するのが世の常だ。であれば、物語を書き上げ何かを変えようとする行いなど、負け戦の中で名を上げるに等しい愚行だろう。
 それも、今更だがな。
 世界とは、元よりそういうものだ。
 なので、極論そういう「楽が出来る側」でない時点で全ては無駄だと言えなくもない。何をするにせよ、力が全てだ。結果的に力を得る奴もいるが、そうでない奴の方が多いのは言うまでもあるまい。その過程の思想に何があるかなどどうでもいい事なのだ。
 現に、世界を見れば明白ではないか。
 持っているだけの屑の方が、楽が出来る。
 そういうものだ。
 力に裏打ちされた人格こそが、汚ならしい倫理や道徳、綺麗事を垂れ押しつける。話し合いなどで何かを変えた逸話など、英雄でも神仏でも一度として聞いた試しがない。何かしら特別な「力」で押し進めるものだ。
 口先で何かを変える噺が見ていて面白いのかは知らないが、それこそ作家じゃあるまいしそんな噺は受けないだろう。戦神が口先で説得され戦争を止めた挙げ句、素寒貧になるまで毟り取られる噺に需要があるのか?
 一応、検討しておくとしよう。
 最後はその戦神の嘆きの慟哭で終わりそうな気もするが、それはそれで見せ物としては面白い。私なら、えげつなく回収する自信がある。
 涙の洪水で死ぬ世界初の神が出来るだろう。
 向こうが法や倫理を持ち出すなら、その法律や規範に乗っ取った上で連中を否定すればいいのだから、私には容易な噺ではある。神聖さを謳い、その一方で暴力で押し進めるやり口で来るなら、元よりそんな奴に権威などあるまい。風評を流し零落させるのは難しくないだろう。
 数年後あたり、浮浪者に落ちているだろう。
 無論、物理的な証拠がない以上、私に責任などなく関わりもない。むしろ、力であれこれと押しつけられたのであれば、私は被害者だ。
 その浮浪者状態から、更に取り立てる側だ。
 だから、仮にそのように追いつめている神仏がいたとしても、何も悪くない。正当なる取り立てだと言える。泣き叫ぶそいつからダンボールの家を奪い去り、僅かな食料も強奪し、尊厳の全てを殺し尽くしたところで、何も悪くない。
 その「倫理観」や「道徳」によれば、そうなる・・・・・・所詮その程度のものなのだ。神仏にしろ、道徳や倫理にしろ、指針として参考にする程度にしておくべきもので、それが「絶対」だと勘違いしたまま進めば、その先にあるのは破滅だ。
 下らない規範に囚われ現実を見れなくなる。
 少なくとも、目を逸らしたまま何かを成すなど情けない言い訳にも程がある。そういうゴミ共の考え方を少しでも殺せるなら、今回の依頼は上々の出来だ。依頼内容に派手さはなかったが、まあそれも当たり前の事だろう。
 何かある度に大きな争いを起こし、敵味方全てを巻き込んで噺を進めるなど、その方が異常だ。そんな物語にはそれこそ真実味がない。
 嘘っぽい噺になる。
 生々し過ぎるのも、問題ではある。私の場合、少しは楽して金を稼ぎたいものだ。そういう奴は幾らでもいるし、無理して書いて何になるというのか・・・・・・それで作品が傑作になるのだとして、それなら尚更儲からなければ困る。
 売れない傑作など、駄作よりも酷い。
 無い方がマシだ。労力もかからないしな。
 だが、私にはそれ以外の物語など有り得ない。幸福を感じる感性、人間性だの心だのという機構が入っていないというのもあるが、それ以前に、私には「幸福の経験」など無いのだ。
 心ある全ての在り方が肯定する幸福らしい幸福という物を、味わえないだけでなく良く知らないのだ。これでは書きようがない。ある程度想像し描く事は出来るが、どうにも性に合わない噺だ。良く知りもしない何かを書いたところで、面白くも何ともないしな。
 強さによる弱さも弱さによる強さも、守るべき何かも達成すべき人間性による幸福すらないのが私だ。だが知ったことか。私は、何が何でも金を稼ぐ。
 今のところまるでアテはないが、やるしかない・・・・・・正直楽が出来ればそれでいいので、困難による成長は要らないから実利が欲しいものだ。
 無駄な徒労に価値などない。
 遠回りを見て喜ぶのは読者だけだ。何度もいうように、読者の喜びは作者の苦しみであり、その在り方は王道の作家だ。私にはどうでもいい。
 金、金、金だ。
 世界は金で出来ている。
 心が無く幸福が無く人間性がない程度、金銭の多寡に比べれば安いものだ。つまり私の場合両方が足りていないので完全な敗者って気もするが、ならばこそここで金さえ稼げば勝利者と言える。心なんぞその金で買えばいい。いや、買うまでも無いだろう。
 存在しないただの妄想だからな。
 人間性による幸福など、所詮当人の思い込みに過ぎない概念だ。例えば、誰かと愛し合いたい、友情を育みたい、誰かに恋したいという在り方の全ては、誰かと愛し合う己が可愛く誰かと育み合う己が素晴らしく誰かと恋しあう己が己にとって「都合が良い」だけのものだ。
 誰も彼もが、閉じている証だと言える。
 
 人間など、世界のどこにもいないのだ。
 
 人間性など存在せず、それを謳って人間なのだと言い張っているだけで、そんな人間性など世界のどこにも有りはしない。
 それこそ、物語の中だけだ。馬鹿馬鹿しい。
 心の有無とは都合の有無だ。己の都合を倫理で誤魔化し正当化する為の詭弁であって、所謂その心という概念は免罪符の為だけにある。
 皆、そう使っているのが証拠だ。
 実際、読者共が夢想する人間性の全ては物語の中にしかない。だからこそ、連中は人間性溢れる「全てが都合良い麻薬に等しい物語」こそを尊いと涙する。流行っている物語を見れば分かりそうな噺だ。
 どれもこれも、調子の良い噺ばかりではないか・・・・・・現実にはそれはないと確信しているから、そういった調子の良い物語を望む。理不尽に戦いを挑む事を諦めているからこそ、理不尽な都合の良さを物語に望み、代替行為として誤魔化す。
 まさしく、麻薬だ。
 現世界の全ての読者は、麻薬中毒患者と言って差し支えない。そんな連中に悪意を以て理不尽を直視させようとする古い作家に、儲ける余地などないのは明白だ。言わば連中の不始末の為、私はヘタを押しつけられていると言える。
 迷惑な話だ。
 少しは弁えたらどうなのか、全く。
 だからこそ、物語に真贋などない。中身が白紙でも関係なく、売れれば作家だ。作家の在り方はむしろ余分であり、故に「作家そのもの」は誰も必要とせず「作家という型」を望んでいるだけで「作家という職業」はとうに滅んでいるのだ。
 そんな生き物は、既に生きる世界がない。
 絶滅危惧種が生き残れば、私のように金に無心する羽目になるわけだ。嬉しくない。どうせならその作家という型だけをはめた半端者の方が楽な人生を送れそうだが、そう思う時点であちらにはなれないのだろう。
 作家らしさなどどうでもいいが、少なくとも、物語に悪意を刻んでしまうのは確かだ。私は駄作を書いた事が何度かあるが、子供向けなら売れるだろうと勇者を書いても、あるいは官能要素さえあれば売れるだろうと色気を書いても、結局の所悪意こそが至上であり、その他大勢は何もかもが些末事だと公言する物語に成り果てた。
 何故だ。
 いや、単に私の有り様が原因か。要するに私はそういう物語しか書けないのだ。誰よりも悪そのものである反面、綺麗事など書けるものか。
 それで売れなければ笑えないがな!
 どうしたものか・・・・・・とりあえず優秀な人材を金で雇えれば良いのだが、このご時勢だ。口先が達者なだけで大層な理念や思想を語るだけの奴は多い。だが実際に「仕事」をする奴などそれこそ絶滅危惧種だ。 
 探し出せるアテもない。
 通常であれば「縁」という便利な道具で楽して成功へと導かれるらしいが、私の場合そんな楽さは期待できそうにない。やはり真っ当な方法では勝てそうにない、か。だとすれば、いっそその辺の人材を一から育て上げて売れる作家にでもするべきか? いや有り得ない。時間がかかりすぎるだろうそれは。我ながら疲れているらしい。
 考えたところで、答えは出ない。
 生きる上での答えは瞬時に出せる私だが、その一方で金儲けにはまるで向いてないらしい。享受やジャックに言わせれば「本来長い年月をかけて見出す答えを瞬時に得られるのであれば、その分物理的な有り様に苦労しなければ生きている実感が得られない」という風な噺をするのだろうが、生憎生きている実感など端からない。
 そのような感性は無いしな。
 生きている、と肯定できる刃があるかだ。無論そこに力がなければ困る。形だけが立派では幸福を呼ぶ壷と同じではないか。勘弁願いたい。
 大体、私の出す答えが何なのだ?
 そんな答えは、案外間違っているかもしれないではないか。いや間違えでない答えなどないし、間違えを突き進むからこその答えだろう。
 そんな事を考えなければならないのは、作家が追いつめられた生き物だからに過ぎない。豊かさがあれば考える必要すらない事柄だ。
 負け犬の遠吠えではないか。
 世に真理と呼ばれる物があったとして、そんな物は求めるに値しない。世界の真理がどうであれ持つ奴は持つからだ。勝利者として君臨する奴に「理不尽の仕組み」など知るだけ無用の長物だと言えるだろう。別に知らずとも勝っているのならどうでもいい些末事だ。
 何より、ただの思い込みだろう。
 そんな些末な事柄を見出したから、こんな目に遭うというのは割に合わない。正直迷惑だ。何が悲しくてそんなつまらない理由に振り回されなければならないというのか。答えなど、勝利を掴み持つ側にいる奴が後付けで適当にでっち上げる物でしかない。つまり値札みたいなものだ。
 値段を変えられる側に立つ方が、どう考えても有用だろう。何より楽だ。楽な道に楽しみはないと人は言うが、この様で楽しみがあるとすれば、それは貴様等の苦しみであり、金であり、実利による幸福の定義だ。
 それが実現出来なければ、ただの徒労だ。
 そのような妄言は楽をしているからこそだと、そう言えるのだろう。率先して苦労を望むなど、克服できる根拠がある「持つ側」だけだ。楽しみを知らないから楽しみを語るなど、愚かにも程がある。
 実利を数える時に決まっているだろう、馬鹿め・・・・・・それを望まないなら最初から求める資格がそいつにはない。それを求めるからこそその道を歩むのであって、歩んだ事もないからこそ楽しみは楽の中にないとしたり顔で語るのだ。
 さしたる敗北も知らない奴が、笑わせる。
 億万回負けてからほざけ! 
 私はもう数えるのをやめたぞ!
 それだけ負けても実利さえあれば幸福になれるのだ。ある意味世界そのものが楽な仕組みなのだろう。連中の言う様な「人間性の象徴」の有無で勝利者が決まるのであれば、このような世界にはなっていない。
 力で全ては押し通る。
 金で全ては解決する。
 それを良しとしておきながら、後になって心や正義を振りかざすなど図々しい。文句があるなら口先で解決してみせたらどうだ。
 その口先は、この様だがな!
 少しは鏡を見ろ、馬鹿共が。
 私に言われたらお終いだぞ。
 人間世界を見れば、連中の口にする「人間性」が如何に薄っぺらい建前に過ぎないかなど、知能が欠片でも入っていればわかるものだ。例えば、今回の様に兵士に機械部品を取り入れドローンと違い「自発的に行動できる兵士」は確かに必要とされる場合もある。
 だが、それでも機械が多いのだ。
 遠隔操作で殺せる上、費用も安く罪悪感とやらも薄くて済む。何より兵士が死ぬ事もない。
 口先で倫理観を垂れる一方で、その手は楽して人を殺す方法を求める。その癖汚ならしい綺麗事を建前とし、正義ある戦いだと思い込む。
 都合の良い部分だけを取り、事実を見ない。
 そこまで血塗れになっておきながら、心の良さなどを求めるんじゃない。そんな物があるとするなら、貴様等に手にする資格はあるまい。
 人間の進歩が未来に繋げる為にある? 馬鹿を言うな。人間の進歩、科学技術の躍進、民主主義の発展はすべからく「楽して儲ける」為だけだ。豊かさで楽をする為に、手抜きの支配体制を維持するだけで懐が潤うように進めるのだ。現に政府など機能していないではないか。
 国だと言い張っているだけだ。

 国という概念は、とうの昔に滅んでいる。

 一部の支配者が暴力に物を言わせて押し通しているに過ぎない。公共サービスもロクに維持せず雇用は無くなり貧富に喘ぐ状態が放置されているこの世界で「国」などと笑わせる。そんなものはどこにも存在しない。ただの集団幻想だ。
 実際、国が貴様等を守ったのか?
 都合良く利用する特権階級の為にある玩具だ。それが現代社会での「国」の正体であり、人間性の末路でもある。人間の信じる心による良さなど存在する筈もないだろう。 
 物語じゃあるまいし、あるものか。
 物語に描かれるからこそ、逆説的に存在しない証明でもある。物語に望まれるのは都合の良い夢であって、現実からかけ離れた「逃避」だ。
 つまり、物語に夢希望を見る、というのは現実には夢も希望もない事を認めているからこそ思う感想なのだ。現実にあるなら物語は必要ない。
 少なくとも、現代の物語は皆そうだ。
 だから、大昔の傑作を掘り返して映画化して、必死に客を取り戻そうとする。流される愚か者が目を覚ませば厄介だからだ。実際、そういう物語はすぐに目が覚めてしまう。長期的に親しまれる事はまず無い。
 当たり前だ、つまらないからな。 
 面白いわけがない。
 売れる作品とは、すべからく駄作だからな。
 今では店主おすすめの本など売られない。特に人気があるとされる駄作を少なく配分される事も多い。その分、売れなかった駄作の在庫を書店に押しつけられるのだ。駄作駄作駄作の山だ。
 ゴミ山こそが、現代の書店なのだ。
 大体、百年先には通じない物語に、何の価値があるというのか。一時的に気分を良くしたいなら麻薬でも流通させた方が早い。実際、都合の良い物語など、麻薬と同じだ。いや、消費しない分、麻薬より質は悪いだろう。
 現に、そういう駄作で世界は犯されている。  笑えない噺だ。私の冗談より酷い。
 他にやることはないのか? 全く。
 生きたまま生まれ変われば、運命を変えられる・・・・・・だが、その一方で一度変革した運命を更に変える事は出来ない。何せ、それこそ一度全ての人間性を、かつての在り方を、安穏とした道程を捨ててここまで来たのだ。そこまでして選んだ道を、後から変える奴などいない。 
 当たり前だ、選んだのだから。
 しかし、だからこそその道に欲する実利が付随するか、それは定かではない。
 私が言うんだ間違いない。 
 歩くべき道を己で定め、進むべき未来を進んだところで、得られるかはまた別なのだ。とはいえそれでは足りない。進むべき道を切り開く事で、それこそが勝利だと思う奴もいる。だが、それは所詮「持つ側」の発想に過ぎないのだ。
 勝つ為に、やる。
 それが悪党の矜持というものだ。
 過程にある意思が大事だの崇高な歩みこそ成長に繋がるだの正しい行いをしていればいつか目的に辿り着くだの、そんなのは勝利を確信した上で進んでいる遊び人共の妄言でしかない。それは、真剣に挑んでいないからこそ出る台詞だ。
 己が魂を、いや私に魂は無いらしいので、その全存在、在り方全てを賭けて挑む。その最中にはそのような妄言が介入する余地などない。
 当然だ。負ければ全てが無為になる。
 それだけは、容認できない。
 正義が勝つというなら、私は正義に勝つ。
 善なる行いが悪を迫害するというなら、その善とやらに立ち向かい、打ち倒した上で悪の世界を作り上げる。その為に戦うのだ。
 だが、その一方で負けるからこそ悪は生まれる・・・・・・何かしら敗北者である事を定められているからこそ、生きる事に真摯なのだ。とはいえ敗北するから真摯であり、勝利出来る楽な道を歩いているからこそ手抜きをしながらでも勝てるというなら、我々の労力は無駄なのだろうか。
 勝てなければ、まさにそうなる。
 だが、どうすればいい? 私の場合、単に作家という有り様そのものが既に滅んでいる。真剣に物語を書くか、ではなく幸運の波に乗り下らない駄作を広められるかこそが、現代における業界の実状だ。誰も、真剣な物語など扱わない。
 それこそ運次第だ。
 少なくとも、この現代では大手出版社は真剣に物語を裁定したりはしない。子供向けの下らない現実逃避を基本に、読者の現実逃避を促進させて売れそうな駄作をかき集めている。売れる物語を売るのは当たり前だが、その実彼らはそれを売る労力を費やしている訳でもない。
 それら駄作の山は代わる代わる並んでは捨て、駄作を書く連中を使い潰し、何より内容ではなく絵師の腕前で売り上げも決まる。それなら絵本を売れという噺だ。言ってしまえば、連中自身物語を売っているつもりらしいが、その実春画を売り捌いているに等しい。
 物語と偽って売っているのだ。
 おかげで物語が売れないどころか、春画を物語だと勘違いしてかき集め、優れた物語だと広める始末だ。近代の編集者気取りはロクなのがいないらしい。何せ、物語が何であるのかも知らずに、自身は傑作を広めていると思い込むのだから。
 第一、現実逃避がしたいなら麻薬でも売れ。
 物語でそんな事をやられては迷惑だ。物語とは本来その逆であり、言わば麻薬撲滅運動の見本紙に等しい。倫理や道徳に従うなら読むべきだ。
 おかげで、近代には駄作ばかりが増えている。作者の思想を書くのではなく作者の理想を書いて賛同を得ようとする無様さだ。
 力があり、運に恵まれ、女に愛される主人公。それっぽい不遇を乗り越え、それらしい綺麗事で敵を打破し、面白くもない倫理観や道徳でこの世の道理を垂れ流す。汚物だ。読者は近代において糞尿を眺める趣味に目覚めたらしい。
 都合の良い妄想など、その程度だろう。
 大体、物語に夢を見て何になる? 現実には、物語で見る調子の良い未来など、何の役にも立ちはしない。
 夢が見たい? ならば布団でも被っていろ。  希望が欲しい? 麻薬でもやればいい。
 未来を信じたい? 予言者にでもなるんだな。 いずれも甘ったれの考えだ。夢も希望も未来も曖昧だ。人生とは理不尽であり、何より根拠など本来あるべきではない。勝つ根拠がある人生に、生きる上での苦しみはあるまい。だが苦しみ無き人生を生きていると呼べるのか?

 

 それは、作業だ。
 つまるところ、現実の理不尽に向き合う行為が彼らには億劫なのだ。やりたくない。それでも、勝利だけは欲しい。それも、楽をして。
 甘ったれでなくて何なのだ?
 もっと悲劇を、もっと喜劇を、もっと苦しみを物語に注がねばならない。順当に勝つ物語など、毒にも薬にもならない駄作だ。努力すれば報われ女には賛同され仲間には恵まれ正しいから勝利し打ち倒した相手は味方になる。
 何とも理想的だ。
 吐き気がする程に、汚ならしい。
 生憎、私には糞尿を眺めて喜ぶ悪癖などないのでな。貴様等は雑菌と戯れていればいい。だが、それで作家の邪魔をするんじゃない。
 はっきり言って、迷惑だ。
 作家という肩書きに夢見る愚か者も、どうしてそう思うのか不思議だ。偉そうに電脳世界で写真を張り付けている奴に限って、資源の無駄遣いとしか言いようのない駄作を積み重ねる。当たり前だが己の写真を貼り付け広める奴に、傑作を書くなど不可能だ。
 
 人間嫌いでない作家など、有り得ない。
 
 貴様等の世界は、犬は八本の足で歩くのか? 人は理想だけで生きていけるか? 労働の際には会社を挙げて報いてくれた事があったのか?
 まさか、だろう。
 それこそ持つ側が余裕があるからと理想を謳い酔っぱらいのように振る舞うならともかく、楽を出来る立場でない奴に、そんな事は有り得ない。 人間が好きな作家? 何の冗談だ。
 本当に好きなだけで物語を書けば、理想だけのつまらない駄作にしかなるまい。嫌いだからこそ悲劇を、喜劇を、絶望を描くのだ。
 今ある薄っぺらい世界を嫌う事。
 それが作家の条件だ。
 まあそういう在り方そのものが現代では望まれないらしいので、厳密に言えば連中は作家ごっこをする子供であって、作家など既に存在しない。その子供連中が金と権力と何より幸運を持つだけの噺だ。
 私か? さて、どうだろう。邪道作家として、作家でしか有り得ない生き様を歩いている自負はあるが、しかしそれだけだ。売れてはいない。
 金にならなければ真に作家であるか否かなど、何一つ価値を輝かせないのだ。そんなのは売れてから語る事であって、全てが無為であり無力。
 現実はそういうものだ。
「えーでもそれって独りよがりでは?」
 ちゅーとジュースをストローで飲みながら相席している女、エリーゼはそう指摘した。確かに、現状ではそうかもしれない。
「独りよがりか。仕事とは大抵そういうものだが・・・・・・働いていない奴に言われる覚えもない」
「働いてますよ? ほら、今回も大きく貴方様のおかげで儲けましたし」
 心外だ、という顔で彼女は答える。
 私は仕事、いや労働を終え近場の惑星で彼女と待ち合わせをし、その中にあるカフェで依頼達成の報告をしていた。騒がしいカフェの中で依頼の内容を話したところで、誰も信じまい。まさか、ついさっきまで新型兵器の対応に追われ技術資料を口先で奪還したなどと、誰が信じる。
 いれば取材したいくらいだ。
「それは仕事ではない。金を儲けているだけだ。労働も同じ、金を儲けているに過ぎない」
「へぇ、では貴方の仰る大層な仕事観を、教えて頂けませんか?」
「別に大層ではないさ。単に、その役割を他では替えの効かない何かにしようとする行いを、仕事と呼ぶだけだ。仕事を成せば成す程金儲けは難度が跳ね上がる。元より貴様のように能力や立場に恵まれている奴には「仕事をする」という発想が既にない。仕事を成し遂げる思想が沸き立つのはどこかしら渇いている奴だろう。人間性や愛憎に乾き、高すぎる目的に乾き、大き過ぎる敵対者に打ち勝つ為に渇くのだ。もっともっと、成し遂げる為に「足りない」と思考する」
 まあその点貴様は愛情に渇いているがな、そう私は付け足した。余計な一言だが、作家から言葉を取り上げて、何が残るというのだ。
 意地でも口にする。だからこその作家だ。
 まして私は邪道作家。心を暴くなど造作もない・・・・・・それこそ片手間で出来る作業だろう。
「は? 私が?」
 何を見当違いの事を言っているんだこいつは、という顔をするエリーゼを無視して私は続ける。「誰かに愛されたいが、裏切られる事に耐えきれない。裏切られ傷つくのが怖いからだ。その根底にあるのは「恐怖」だよ。信じて裏切られる事が怖いし、けれどそれを押してでも信じる勇気も、貴様には無い。だから留まっている。楽だからな・・・・・・人間と怪物という区切りで分けて考える方が、どうしたって楽だ。だが、実際には怪物だの人間だの英雄だのは「呼び名」に過ぎない。もし貴様が嫌われ追いつめられた事を根に持っているなら、それはお門違いというものだ」
「言って、くれるじゃないですか」
 ずけずけと好き放題言われて怒りを感じない奴など、悟りを開いた聖者でもいない。であれば、目の前の女が獣のように怒るのも当然だろう。
 いい気味だざまあみろ。
 偉ぶった奴の失墜は、楽しいものだ。
「生態が何であるかなど関係ない。単に、貴様に他者を魅了する思想がなかっただけだ。どれだけ敵対する人間が多かろうが、それらを纏め上げ、己の思想に賛同させれば良いだけだ。人間の狭い倫理観が邪魔ならば、新しい倫理観を植え付け、それを軸に動かせばいい。怪物だと言われる奴に限って、「能力以上」の行いをしようとしない。ふん、それが「持つ側」の怠慢なのだろうな」
「・・・・・・貴方なら、上手くやったとでも?」
「違うな、間違っているぞ。上手くやるんじゃあない。上手くやる為に邁進するのだ。形がどうであれ、私はその為に動くだろう。人間として迫害を受けようが、怪物として迫害を受けようが同じ事だ。化け物として生を受けたなら化け物らしくやり方を通せばいい。怪物と違って化け物は無力なものだが、その私にしたって挑む事は止めない・・・・・・それが当然の在り方だからだ」
 国を追われたならまた起こせばいい。
 人に裏切られたなら他を探せばいい。 
 世に生きられぬなら世を覆せばいい。
 まあ、その全てをやらなければならない化け物という在り方は、正直どうかと思うが。
 外れ籤にも程がある。
 何とかならないものか。
 財布の中身だけは、どうしようもない。
「勝つまでやるだけだ。例え己が生きていようが死んでいようが、同じだ。周囲全体が敵に回り、社会全体が敵に回るなど、私には割とよくある事だったしな。むしろ、周囲が味方するなど私には理解し難い」
 大体敵だったからな。
 敵でない味方など、私には有り得ない。
 自分で言うのもどうかと思うが、生まれついての悪とは、基本追いつめられているものだ。まあ追いつめられた所で諦めないから質が悪いのだが・・・・・・すぐ諦める持つ側の噺など、聞いていても面白くも何ともない。
 ちなみに、周囲や社会が常日頃から敵に回っている事など、私はさっきまで忘れていたぞ。女は引きずりすぎる。忘れる男もあれだがな。
 でなければ、挑み続けないか。
 昨日の敗北も忘れるからこそ、いや無論敗北に何も学ばない訳ではない。学びはするが、屈辱や失敗に立ち止まるのではなく、それはそれとして突き進むのだ。指を刺され否定され、嘲笑される程度で諦めるなら作家など成り立つまい。
 一秒毎に止まるのか?
 進むより面倒だと言える。
「私は生まれてこの方、誰かに肯定されたり賞賛されたり味方された事などないのでな。貴様の様に「裏切られる事を恐れる」というのは正直私に実感が無いのであまり偉そうな事は言えないが、味方など取り替えればいいではないか。確かに、初めて遭った人間に特別な感情を持つ事はあるのだろう。だが、それだけだ。他者の感情を裏切るなど、人間社会でもよくある噺だ。強いて言えば裏切られないように、互いに信じ合えるように、常日頃から尽くすしかあるまい。私でもその程度は知っているぞ」
「私は、人間とは違います。貴方達のように嘘を付いたりはしません。ですので、正直に申し上げましょう。私は、人間が嫌いです。確かに最初は人間に興味を持ちました。ですが、他者を裏切り虐げる事で悦を満たす人間に、私はもう近づこうとは思いません。私に役割があるとするならば、それは貴方達が自業自得で苦しむ様を、こうして眺める事ですわ」
「何にしろ、仕事とは呼べないな」
「あら? 他者に出来ない行いを「仕事」と呼ぶと仰ったのは、貴方自身ではありませんか」
「いや、それなら既に私もやっている。それに、他者の苦しみを眺め喜ぶなど、生物なら誰しもが当たり前にやる事だろう」
 貴様は呼吸に誇りを持つのか?
 そう問いただすと彼女はつまらなさそうに、
「ああもう! いいです。それで、依頼した技術書類はありますか?」
「拗ねていれば目は背けられる。だがそれは子供の発想だ。怪物云々以前の問題だろう。まず貴様は人間を見なければならない。愛されたいならばその気持ちに嘘を付かず、それに相応しい人間、別に人間でなくてもいいが、を探す義務がある」 必要ではなく、義務だ。
 義務を果たさず文句だけ言う遊び人が、偉そうに講釈を垂れるんじゃない。義務を果たしているのに報酬が未払いで、どころか成果すら示せずに四苦八苦している私が馬鹿みたいだろうが。
「文句があるなら探してから言うんだな。ロクな男がいないとその上で愚痴っておけばいい。だが貴様は不信だけだ。それでは意味がない」
「・・・・・・かくいう貴方も、私には不信だけに見えますが? 人間を根拠無く否定しているという点では同じでは?」
「いいや、違う。私は信じていないのではない。人間の悪性を、世界の不都合を信じているのさ」「物は言いようって言葉、知ってます?」
 呆れ顔で彼女は肩を落とした。まあ失望されているとしたら、それもいつもの事だ。正直そんな経験が豊富で何になるのか負けっぱなしなだけではないかと思わなくもないが、事実だから考えても仕方あるまい。
「何にせよ、羨ましい限りだ。裏切られたり迫害されたり、世界に追いつめられた程度で、金儲けの才があるのだからな。裏切りも迫害も世界の中で生きられない事も、実に些細な問題だ。私なら金儲けの才というわかりやすい恩恵があるなら、神とやらに感謝してやりたいくらいだ」
 まあ神など信じないが。
 いてもいなくてもどうでもいい。
 人間の神など、私には関係ないしな。
 親の敵でも見るような、私なら親の敵がいれば喜んで賞賛するかもしれないが、とにかく、凄い目つきでエリーゼは私を睨んだ。
「貴方に、何がわかるって言うんです」
 何とも三下らしい台詞だ。
 とはいえ、噺がこじれるから置いておこう。
 ・・・・・・態度には出たかもしれないがな。
「さて、迫害も裏切りも、いや裏切りと言える程誰かに信頼されたり味方された事は無いのだが、とにかく経験するべきじゃないんじゃないのか、というような経験だけは豊富だからな。貴様より劣悪な経験をしたかは計れないが、まあその程度で私は諦めたりしなかったからな。そんな暇な事など考えた事もなかった。私ですら出来る様な事すら、貴様には出来ないんだなと思うだけだ」
 裏切りも迫害も世界の圧迫も些細な事だ。
 金に比べれば、実に些細だ。
 そして、その金という手段を以て挑むまだ見ぬ景色に比べれば、些事どころか余分だろう。
 考える必要すら、無い。
 道を歩くのに石を数えながら進むに等しい行いだと言える。いいではないか、裏切りも迫害も、世界の仕組みに混ざれずとも、仕事を成し遂げ、目的を果たす事の前では風景ですらない。人間の悪性など、空気の様なものだ。
 いちいち驚く方がどうかしている。
「・・・・・・・・・・・・まあ、いいでしょう。言いたい事はまだありますが、この辺にしてあげます」
「そりゃどうも。有り難いね」
 適当に私は答える。金を受け取り、最後に彼女はこう聞いてきた。
「そういえば、ですが、何なら私が貴方を愛してあげましょうか?」
 獲物を殺す狩人が舌なめずりをするような慢心に満ちた笑顔で、エリーゼはそう口にする。
「そうだな、女としての魅力は欠片も無いから、まず私に愛をささやく前に女を磨いて来て欲しいものだ」
 はあ、と大きく叫んで彼女は、
「私、自分で言うのも何ですが、「絶世の美女」なんですけど!」
「女は気立てだ。どうせ料理を作ったら暗黒物質にでもなるんだろう」
 なりません、と大声で否定し、疲れたように、「もういいです」と口にして背を向ける。
「ま、今回はつまらない結末でしたが、今度こそ面白い結末を期待しますね。人間の醜悪さは最高の娯楽になりますから」
 またのご利用、お待ちしていますとありきたりな言葉を垂れ流し、彼女はこの場を去った。
 劇的な事など現実にはそうそう無い。物語ではあるまいし、今回の結末は妥当だろう。しかし、それでも得られる作品のネタは、確かにあった。 実利はどこにあるかわからない。
 進んだ所で得られないかもしれない。
 だが、それでも半端者よりは良いようだ。
 それが、今回学ぶべき「教訓」らしかった。
 
 私は荷物をまとめ、店を出る。やる事はやはり一つだ。語るべきを語り、物語と成す。そこに、実利は無いかもしれない。だが、やるしかない。 半端者で死ぬか。
 生き抜いて死ぬかだ。
 誰にも理解されないのは構わない。あの女ではあるまいし、それで泣き言を言える程私は暇ではない。だが、儲からないのは如何なものか。
 進むべき道を歩いた先に、何があるのか。
 それは勝敗次第でどうにでも変わる。仮にだが私がこの先勝利したとして、だから進んだ先にはそれが約束されている訳ではない。偶々だ。
 
 進むべき道に、価値などないのだ。
 
 それは恵まれた奴の発想だ。進むべき道を切り開いたところで、実利があるとは限らない。困難だけがあり、報いがないのが自然だ。
 現に、売れもしない物語を書いているしな。
 だが、それでも進む。
 邪魔する奴は叩き斬る。
 正義は殺し、道徳は無視する。
 世の道理など知ったことか。今更変えられる様な安い生き方はしていない。私を止めたいなら、銀河系八つ分の金を差し出すんだな。
 二秒程度は考えてやる。
 考えるだけだが。
 根拠無き確信による邁進など、他でもない私にすら出来るというのに、出来ない奴が多過ぎる。安心しろ、実に簡単だ。私が言うんだ間違いない・・・・・・まず前を見ろ、そして態度を大きく、実利を見据えて口先だけは達者になれ。
 それは義務だ。嘆くより態度で示せ。
 やるだけなら私でも出来る。そこに実利が付随するかは運次第だが、何とかしろ。私だってそうしているんだ。やるしかない。
 私は空を見た。人間の醸し出す排ガスのおかげで星一つ無い絶望の光景だったが、いつもの事だ・・・・・・・・・・・・それでも、やるしかない。
 やれやれと肩を竦めて、明日は信じない。
 運悪く酷い目に遭うのが目に浮かぶが、神仏が助けてくれるとも思えないし、我慢するしかないだろう。世の中そんなものだ。
 かくして、適当に忍耐だけは押しつけられて、邪道作家は今日も割に合わない絶望と不安、実利なき仕事を成し遂げる。真剣に生きるという事が如何に下らないか、やりたくもないのに身を挺して他に示すのが、世界には都合が良いらしい。  希望も何もないが、それでも世は事も無し。
 神も仏もなく、進むべき道には価値などなく、世界は今日も、理不尽で出来ているのであった。 
 やはりそれも、私にはいつもの事だったが。
 
 
 
 
 
 














#邪道 #小説

#連載 #連載小説

#連載長編小説

#オリジナル連載小説

#連載中 #小説連載中

#連載部門

#長編連載小説

#長編 #長編小説

#SF #SF小説

#近未来

#近未来SF小説

#近未来小説

#近未来SF

#ミステリー小説部門

#ミステリー

#ミステリー小説

#ミステリ

#マーダーミステリー

#ファンタジー小説部門

#ファンタジー

#ファンタジー小説

#ダークファンタジー

#SFファンタジー

#和風ファンタジー

#シリーズもの

#怪奇小説

#サスペンス

#アクション

#死生観

#死 #人生

#生き方

#生きる

#自分らしく生きる

#生きづらさ

#今を生きる

#自分らしい生き方

#人生哲学

#人生観

#自分の人生

#未来

#人生の生き方

#理想の死に方


#侍

#サムライ

#武士

#武士道

#後悔しないために

#作家 #執筆

#創作 #作品

#私の作品紹介

#作品紹介

#金儲け

#金

#殺し屋

#殺人鬼

#サイコパス

#オリジナル小説

#オリジナル

#オリジナル作品

#世界 #物語

#人間 #本質

#本性 #縦書き

#縦書き小説

#自己紹介

#本性

 #縦書き


#縦書き小説


#自己紹介


#生きる

 #生き方


#人生


#仕事


#SF

 #ファンタジー


#小説


#犯罪小説

#社会風刺


#社会風刺小説



#未来

 #人生哲学


#有料記事


#人間讃歌



#近未来小説

 #仕事


#私の仕事


#仕事紹介

 


#作家

 #殺人衝動


#殺人鬼


#邪道作家




いいなと思ったら応援しよう!

邪道作家 例の記事通り「悪運」だけは天下一だ!! サポートした分、非人間の強さが手に入ると思っておけ!! 差別も迫害も孤立も生死も、全て瑣末な「些事」と知れ!!!