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腸粉屋の出来事

中国の朝ごはん、広東省でよく食べるものといえば、腸粉(ちゃんふぇん)がある。米を粉にして、水を足す。蒸し器の四角い引き出しに平べったく伸ばし、お好みで卵や肉を足して蒸し、クレープみたいにくるくる丸めて皿に盛ってから醤油ベースのタレをかけて食べるものだ。我が家は週末によくこの腸粉をテイクアウトして朝食にしている。

我が家最寄りの角の腸粉屋へ通ってもう5、6年。すっかり常連である。彼奴等は、私が日本人だと気づいているかどうか……。私としては気づかれたくない。

日本人だとバレたら、

「日本人、へー、日本人」

そして、根掘り葉掘りいろいろ聞かれたり、友達になろうと言われたりするのである。とっても厄介だ。だから、できるだけ壁紙のような客であろうと思った。目立たないことが肝心だ。

ところが、普通話(標準中国語)の発音が悪い人として、バッチリマークされてしまった。壁紙ではいられなかった。

ここの店主は毎回店頭に立つような熱心な男性ではない。家族に仕事任せて、家でサッカーとか見てそうな、中年太りが最近始まりましたみたいなタイプだ。手下にはおりゃあ若旦那だうりゃあ、的に偉ぶってるのだが、くるりと私に振り向くと、

「3個ね」
「3個です」

態度が豹変する。子供に話しかけるように優しいのだ。普通話の発音が悪いからだろうか。

「馬鹿にすんなでい、アチキは日本人なだけだ!」

と言いたいところを我慢する。子供みたいな舌ったらずの普通話で来る日も来る日も注文だ。くすん。

そして、この家の若奥様は、化粧がちょっと派手で、ブランド物が好きそうな人だ。それから、ちょっと色の黒くて背の低いバイトの子がいる。クロエと呼ぼう。クロエはいうならば、ポジション的にはシンデレラである。

クロエでシンデレラとなると、ここは中国の街角だが俄然西洋劇っぽくなってくるが、そこはやはり中国である。尊大な若旦那とこれまた尊大な奥様に顎で使われるクロエだが、ハンパなく逞しい。儚げなシンデレラではない。

雨の日もー、風の日もー、夏の暑い日もー、めげずに腸粉売っている。

そんな光景を私も見守って5、6年だ。

見守ってはきたが、作業効率という点からいって、この店、全く進歩はない。今時、美団と契約すれば客はスマホで注文し、その注文をプリントアウト、或いは端末で把握できるから混乱など起きないのだ。だが、多分美団にはらう手数料が惜しいのだろうな。支払決済はウェイシンか支付宝だが、注文は口頭で、そして、混んでくると収拾がつかなくなるのだ。持ち帰りの客は道端に立ち尽くし、誰がどの順番かよく分からず、待てど暮らせど商品がもらえない。

そんな中でクロエは自分が悪いわけでもないのに、イライラした若旦那や若奥様に怒りをぶつけられ、よくむすっとしていた。

小さな腸粉屋でも、ドラマはあるものだ。

時折、クロエの他に新人が入ることがある。するとこれが、見事に立ちん坊で、なんもできん。比較するとクロエの方が何倍もマシだ。バイトは続かず、しばらくするといなくなる。

この腸粉屋、混乱の極みに達するときは、米粉を水に溶かした材料が切れたときである。彼らも毎日この仕事をしていてプロであろうに、わりとこの材料を切らすのだ。そして、怒号を浴びせあう。

君たち進歩ないなと思いながら見ていた。

かと思えば、これが結構ギョッとするのだが、蒸し器につけているガスボンベの燃料切れだ。奴らは、燃料が少なくなってくると最後まで使い切ろうと、ボンベをゴロゴロと回すのだ。

ゴロゴロ

いや、ボンベってそんな気軽に触ってゴロゴロしていーんかよっ!って思う瞬間である。ちなみにこのとき、私はできるだけボンベから離れている。日本の安全基準や衛生基準からいったら、営業停止になりそうな腸粉屋である。やれやれ。

チリツモで眺め続けてきたこの腸粉屋の人生劇場だ。しかし、来年は引っ越すんだよな。

私がこなくなったら、この店の人寂しいだろうな

っと図々しく考えていた。だが、絶対に別れの挨拶とかしないねん。わしゃ最後までクールでいくねん。と決めていた。そして、知人友人の比較的少ない寂しい人である私は、丁寧に腸粉屋での最後の朝、的なドラマを毎週腸粉を買いに行って待ってる間にせっせと考えていたのである。その静かに感動的な朝を。

ところがである。とある平日、会社に向かう途中に見た。

「ぬをぅ」

腸粉屋が内装に入ってる。これは一体どういう状況?

それから毎日、つぶさにその内装の様子をウォッチング。非常に怪しい。隣の小料理屋は比較的新しい店なのだが、看板だけ一緒に内装し直している。そして、境の壁に穴開けてんねん。腸粉屋から小料理屋にその窓から料理を出せる、逆もまた然り。

これ、隣の老板が店を拡張したんじゃね?って話だ。店の売り買いは中国では日常茶飯事である。二つの店が一つなっちゃった。

いや、でも、私が先にいなくなる予定だったのにー。

チーン……

そんな私の頭の中では、なぜかハワイでアロハシャツを着て、グラサンをかけた若旦那と若奥様が、「店を売ってやったぜい」なんて言いながら、せっかくハワイまで来ているのに麻雀やっている場面が浮かんでいる。じゃらじゃら。「ケチな店で雨の日も風の日も働くなんてかったりいよ」お前は鹿丸か?けんじ先生を見習え!

とうとう腸粉屋の内装が終わり、新装開店した。ドビュんと訪れてみると、

「ほにゃにゃ?」

なんと、クロエがいた。クロエが、普通話の下手な常連客である私を視界に収め、

「3個か?」

とウインクしてきた。では、若旦那と若奥様もいるのか?キョロキョロする。これだけ怠惰な彼らをああだこうだいってきたくせに、結局薬局、親しみを覚えていた自分。ハワイでもアロハでもなく、もう一度かったるいと言いながら、若旦那か若奥様がそこら辺にいるか探してみた。

とこらが、だ!

「これは、これでいいのか」
「うん、それでいい」
「これはこの客に渡すのか」
「ちょっと待て、その客はいつも辣椒(唐辛子のタレ)を一つ入れるんだ」

そこには尊大な若様も若奥様もおらず、その代わり従順で、コツコツと毎日真面目に働きそうな、老板娘が、クロエに教えを請うているではないか!そして、クロエの傍には、ビールでも飲みながらサッカーを観そうなではなく、むしろサッカーでもしそうな、若いちょっとずんぐりむっくりな男の子が蒸気のあがる蒸し器の前ですったもんだしている。

クロエ以外の店の人がみんな入れ替わっていた!
えー!若旦那、若女将、挨拶なかったやんけー!

会えなくなっても別に困らないのであるが、心の準備ができてなかった。なにせほれ、私は知人や友人が少ないのだ。いきなりいなくなられると、ちょっと寂しい。自分はいきなりいなくなる気満々ではあったが。

「へい、お待ちい」
「どうも」

水を得た魚のように笑顔で、店を今や回しているクロエの笑顔を見る。これ、歩が裏返ってと金なったな、みたいな。下剋上か?下剋上なのか?クロエ!

やれやれと思いながら、ひたひたと帰る。
まあね、おかしいとは思ったのよ。店は別にめっちゃ古いわけではないし、あの人ら商売に命かけてる感じなかったし、なんでこのタイミングで内装?とは思ったよ。新しい老板たちが、心機一転でやりたかったからだろうね。ただ、内装変えてもあそこで劇的に客が増えることはないと思うけどさ。これも中国あるあるだ。とりま内装しとく?ってやつだ。

それにしてもである。シンデレラは王子様と結婚して出ていくのではなく、尊大な経営者夫婦を追い出し、その後に居座り続けるとは!お見それしました。クロエ。今度の従順な老板娘とはうまくやっていけるだろうか。サッカーしそうな男の子とは?

引っ越すまで通う。通ってはまたつくづくと人間観察である。街角の腸粉屋の興亡をな!

汪海妹
2026.05.04


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