【エッセィ】蛙鳴雀躁 No.60
大腸のポリープを8個、切除したのでひと晩、入院した。9時消灯。退屈すぎる。眠れず、スマホではじめてNOTEを読む。虫メガネで見なければならないような文字の羅列。ランダムに選んで読んだつもりだったけれど、結局、読み慣れた人の作品を中心に目を通した。
復帰したテオくんの詩をまず読む。以前、イケメンのゲイだと思いこんでいた。ドイツ在住の女性だと知ったときの落胆は筆舌に尽くしがたい。
「わたしを男性だと思った人はいない」と言われたが、文体で男女の区別をしていたので、自分の読解力に自信を失った。
つぎにKuzumimanくんや、aonokutuくんの新作を読む。スキを押しても赤くならない。なんでやねん。明媚さんはようやくカムバックした模様。nikonikoyouさんは自然体であいかわず健筆。しかし、『遮断機』を読んで瞠目した人物は次作を投稿していない。
坂本猫馬くん、きみのことですよ。
翌日、自宅に帰り、パソコンをひらく。やはりスキになっていない。わけがわからない。
バルドーさんから、「生きてました?」と安否を尋ねるコメント。
出かける直前に、私を過大評価したエッセイを読み、返信コメントを書いているのに、どうして入院したとわかるのか?
やはり超能力があるらしい。
「小説を読むのをたのしみにしています」というコメントに「書くのはそっちでしょ!」ついでに、才能を無駄遣いするなと心ない言葉を返信。
私の目の黒いうちに、世に知られる書き手となってもらいたい。
それには一日も早く、読む人の心をつかむ小説を書いてもらわなくてはならない。
ところが彼女の興味は多岐にわたり、出雲にいたかと思うと摩耶山にいる。どうやら、じっとしていられない気質らしい。
ゴキブリのごとく家虫の私とはおお違い。
蝶々ならまだしも近隣を飛ぶが、彼女は渡り鳥のように一つところにじっとしていない。破天荒のバルドー姉さんらしいと言えばいいのか……。
話は転じるが、1995年の1月に震災があり、大阪港と神戸港で船舶電話の取り付け取り外し作業をしていた父の会社は、半年後に廃業するハメになった。
神戸港の岸壁が破損したためである。携帯電話の普及は震災がなければ、もう少しあとになっていた。
私はそのとき頭がおかしくなっていたのか、有限会社を設立した。
なんの知識もないのに、受賞しなくても読みたくなる本を出版してみたかったのだ。
正規のルートで出版される本は限られている。しかし、自費出版となると、金銭的な余裕のある人にしかできない。
問題は、大金を支払っても、広く読まれることがないという現実だ。
在野の才能を見いだし、世に問いたいとなんども思った。しかし、もともと計画性のない私は資本力がないこともあいまって、何事もなさず年月だけが過ぎた。
いまの私は、心のどこかで諦めている。傲慢で尊大な願望は叶わないと。
大手出版社は首都にしかない。
手塚治虫氏の処女作は、大阪で出版された。昔は、大阪にも出版社があった。いまはもうない。
こんなことを書くと、地方で出版会社を経営されている方のお怒りをかうであろうことは想像に難くない。
昔はよかったと言いたくないが、戦後しばらくは、同人誌に掲載された小説から芥川賞や直木賞が選ばれていた。現在では、大手出版社が各賞を独占していると言っても過言ではない。
しかし、時代の変革期にある現在、あたらしい形態の書籍と流通経路が誕生すると思っている。
昨年の1月にNOTEの存在を知った。
読みはじめた頃、横書きの上、段落のないこと、行間の多いことに驚いた。紙本に慣れた私の目には、異質に映った。
光瀬龍氏のSF小説を愛読してきた私にとって、セナさんの描く百年後の世界観が理解できなかった。女王まりかちゃんの戦隊物と呼ばれるジャンルの小説も未知の作品だった。
どの作品も読み慣れるのに、時間がかかった。
次世代の小説は、このような物語と書式になるのかもしれないと思うようになったのは最近のことである。
上記の写真は、病院から写した。
神戸港に入港する船舶は激減しているが、港湾の機能は残っている。かつての繁栄を取り戻してほしいと願う同じ思いで、NOTE作家であることが、誇らしいと言える時代がすぐそこにきていると信じたい。ちなみに、私は作家ではありません。NOTE応援部の一員だと思っています。
NOTEに不慣れな私に、いつも親切に教えてくださる冷おろしさんとジョンナカムラさんの名を書き忘れていました。
