【ショート・ショート】臨港線
ガタン、ガタンと音を立てて、先頭の機関車がやってくる。
鈍色の車両は遠目には、おもちゃに見える。
小学生になったばかりの少年は、二本のレールの間で立ちすくんでいる。
「コージ、逃げろ!」
二歳年上のサトルは弟にむかって叫ぶ。駈け出そうにも、サトルは複数の手で全身を捉えられて身動きできない。
「動いたら、兄ちゃんをなぐるでぇ」と、サトルと同じクラスのタダシは言った。「兄ちゃんが、痛いめにおうてもええんか?」
タダシの仲間はサトルの胴体にしがみつく者、手や足にしがみつく者、それぞれがひきつった笑いをうかべていた。
高架橋を通って、コンテナを積んだ列車はのんびりと走ってくる。
薄曇りの空が、なぜか、タダシを憂欝にした。
港と工場をつなぐ臨港線の土手は少年たちの絶好の遊び場だった。急勾配の土手には春には青草が茂り、蝶が舞い、つくしやよもぎが生え、夏は白粉花、秋には蜻蛉が飛びかい月見草が咲いた。
弟はこぶしで涙をぬぐいながらサトルを見つめる。
「あいつは、コージは、あしたの遠足をたのしみにしてるんやっ」サトルは絶叫した。「お願いや! 離してくれーっ」
タダシはサトルの伸び放題の髪をつかみ、頭突きをくらわす。
サトルは四肢に力をこめ、いつものように無言で耐えている。
「どうやって、弁当、つくるねん。うちのオカンにたのむ気やろ」
まどろっこしいような、くすぐったいような奇妙な感情が、タダシの頭の中でぐるぐる回っている。
「ちょこっと手つどうて、それでチャラや」
サトルは血がにじむほど唇を噛む。すりきれたセーターの袖口を、タダシは引っ張り、破れた運動靴を踏みつける。どちらもタダシのおさがりだった。
「オカンゆーとったぞ。タダで、つくらんならんて。おまえらの弁当のせいで、おれの弁当のおかずがすくのうなるんや。おやつまで、分けたらなあかん」
弟のコージが泣きじゃくる。「おなかが、空いたなんて、いわへん。ほんまや」
サトルの膝がくずれ落ちた。
「……わかった。もう、泣くな」
「おまえんとこのオトン、刑務所に入ってるそうやな。隠しても、みんな知ってるねんぞ。オカンは、いちんちじゅう酒くろうて、なんもせんから――うっとこのオカンが――」
タダシの声が警笛でかき消える。
ガタン、ゴトンと列車は進んでくる。
タダシは目で合図した。少年らはいっせいに手を離した。
サトルは前のめりに転倒したが、すぐに起き上がり、土手を駈けあがった。
列車は悲鳴をあげながら迫ってくる。
タダシは開け放した口を閉じられなかった。
恐怖はあとからやってきた。
車輪がきしみ、急停止した。
奥歯がガチガチ鳴った。
運転手の歪んだ顔がはっきり見えた。
翌日の新聞の片隅に、「遊びに夢中になった兄弟が臨港線の貨物列車に轢かれて死亡」と載った。
あの日の光景を、タダシはいまでも夢に見る。
サトルは弟を抱き上げ、飛びのくと思っていた。その余裕はあったはずだ。しかし、サトルは笑顔で弟の手をとり、ポケットに手をいれると、タダシが気紛れにくれてやったアメ玉を弟の口にいれた。そして、小さな体を抱きしめながら枕木をひとつまたいで、土手下のタダシに背をむけると、浅いくぼみにうずくまった。
列車にむかって、停まってくれと、おれは叫べばよかったのか!
この地を離れて三十年近く経つ。臨港線跡は遊歩道になっていた。
青空の下、さくら並木がつづき、ジオラマそっくりの景色が広がっている。夏には、工場跡地で催される花火大会がここからだとよく見えるそうだ。
どれほど待っても列車はやってこない。
すべてを失ったとき、もどる場所はここしかなかった。
サトルとコージが、手を繋いで、薄紅色の花びらの敷かれた線路を走ってくる、笑い声をあげながら――。
了

