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自分で選んだ瞬間、人は変わる


オーストラリアで育つ娘には、小さい頃から日本語を学ばせてきた。

ハーフの子は、何もしなくても英語も日本語もペラペラになると思われがちだけれど、実際はそんなに簡単ではない。
暮らす国によって、どちらの言語が強くなるかは大きく変わる。

娘は小さい頃、私と一緒に過ごす時間が長かったので、日本語の方が強かった。
でも保育園に通い始めると、一気に英語中心になった。

そこで、日本語の補習校に属する幼稚園へ通わせることにした。
正直、最初は迷っていた。
でも説明会に行ったら、来ていた全員が申し込みをしていて、なんとなくその流れに乗った。
簡単なテストもあり、前日に山勘で対策したら偶然当たって、なんとか合格した。

最初、娘は「どうして日本語を勉強しないといけないの?」と聞いてきた。
理由は単純で、私だけでなく、日本にいる家族とも日本語で話してほしかったから。
完全に私の都合だった。
でも、「ほら、日本語話せたら、ダティの悪口言えるでしょ」と言ったら、
「そうだね。」と納得して、通い始めた。

幼稚園の頃はよかった。
でも小学校クラスになると、一気に大変になった。

土曜校側からは、こう言われた。
「ここは日本語を勉強する場所ではありません。
日本語で勉強する場所です。」

日本の学校で一週間かけて習う内容を、
土曜日半日で進める。
残りは大量の宿題。
使う機会のほとんどない漢字を覚え、テストを受け、娘はどんどん行くのを嫌がるようになった。
それでも、私と二人三脚でなんとか4年生まで続けた。

でもコロナでオンライン授業になった時、娘が国語をほとんど理解できていなかったことが分かった。
今までは学校で先生やアシスタントの助けで、なんとか乗り切っていたのだと思う。

このまま続けても意味がないかもしれない。

なのに、私の心には
「せっかく4年生まで続けてきたのに」
「今辞めたら、もう二度と戻れないかもしれない」
という強い執着があった。

惰性でもいいから続ける勇気より、その執着を手放して、辞める勇気を持つ方が、私にとってはるかにエネルギーが必要だった。
それでも、後ろ髪ひかれながらも土曜校を辞めた。

その後は別の日本語学習に変え、
娘のペースに合わせて小学2年生レベルの国語からやり直した。
時間はかかったけれど、それが娘には合っていた。

そして高校生になり、大学受験も視野に入る頃。
選択科目の中で、娘は第二外国語として日本語を選んだ。
通っている学校には日本語の授業がないので、放課後、別の学校へ通う必要がある。

私は何度も聞いた。
「本当に日本語を受けるの?」
娘の日本語力では大変なのでは、という気持ちもあった。

でも娘は、「受ける!」と言った。
そこからだった。
自分で選んだ瞬間、人はこんなにも変わるんだと思った。

イヤイヤ通っていた頃とは別人のように、自分から勉強するようになった。
テスト前には「これ見てテストして〜」と問題を持ってくる。
むしろ私の方が、「もう大丈夫じゃない? 今日は終わりにしようよ」と言うくらい。

バイリンガルは、自然になるものではない。
環境にいるだけで自然に身につくほど、言語は単純ではない。
娘を見て、改めてそう思った。

そして気づいた。
どれだけ周りが環境を整えても、
最後に大きな力になるのは、
「自分でやる」と決めた気持ちなのだと。

やらされていた日本語と、自分で選んだ日本語。
同じ言語なのに、こんなにも違う。

自分で選ぶことには、人を動かす力がある。
それは勉強だけの話じゃない。


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