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これから、どこで

韓国と日本でのホリデーを終えて、以前から考えていたことが、
また頭に浮かんだ。
余生を、どこで過ごそう。
そんなことを思いながら、旅の余韻を振り返っている。

初めての韓国は、東京に似た雰囲気を感じる場所がたくさんあった。
人も親切で、買い物も食事も楽しかった。
韓ドラに出てくるような派手な幾何学模様の洋服を着た、
パンチの強いパーマをかけたおばさんたちは沢山見たけれど、
主役級のイケメンは見かけなかった。
でも、日本から数時間で行ける距離にあるのは、本当に羨ましい。

東京へ帰ると、毎回圧倒される。
物の多さ。種類の多さ。選択肢の多さ。
昔はその選択肢の多さと便利さは普通だと思っていた。
でも、今はもっと進化して「こんなものまであるの?」と思うほど、痒いところに手が届くものが揃っている。
ビッグカメラで見かけたのは、一人用の炊飯器と、電子レンジでご飯が炊ける器。

メルボルンも、この10年でダイソーや無印良品、ユニクロができて、ずいぶん便利になった。
それでも、日本ほどの選択肢はない。

暮らし始めた頃は、その不便さが嫌だった。
でも、長く住んでいるうちに、なければないで困らないことにも気づいた。案外、そのくらいの方が楽なのかもしれない、と考えるようにもなった。
選べる幸せもある。
でも、選ばなくていい気楽さもある。

東京には、気の置けない友達がいる。
彼らからは、帰っておいでよと言われる。
仲の良い親戚もたくさんいる。
唯一の家族である姉もいる。
そして、何より便利だ。

住んでいた頃は、どこか決まった型にはまらなければいけないような窮屈さを感じていた。
浮世離れしている私には、少し息苦しく感じることもあった。

それでも、離れてみると、やっぱり大好きな場所だと改めて思う。
日本も少しずつ、働き方や生き方の選択肢が増えてきているようにも感じた。

一方のメルボルンは、ほどよく都会で、ほどよく田舎だ。
緑が多く、愛犬と暮らすには最高の場所。
何も気にせず適当な恰好をして出かける散歩。
広い公園で好きなように走り、ボールを投げて取ってくるを何度もせがむ。
周りを気にしすぎず、肩の力を抜いて生きられるようになったのも、
この街のおかげかもしれない。

ただ、それは私がここでは外国人だからなのかもしれない。
複雑なしがらみに深く関わることなく暮らせているからこその気楽さなのかもしれない。

娘も成長し、以前ほど無我夢中で子育てをする毎日ではなくなった。
そして、自分自身も歳を重ねた。
だからだろうか。
ここ数年、「人生の最後をどこで過ごしたいか」を考えることが増えた。

メルボルンと東京、あるいは日本のどこかとの二拠点生活。
それとも、どちらか一方に腰を落ち着けるのか。

自分にとって心地よい場所はどこなのか。
便利さなのか、人とのつながりなのか。
それとも、肩の力を抜いて暮らせることなのか。

若い頃と今では、求めるものがずいぶん変わった。
今すぐ決める必要はないし、きっと今は決められない。
ぼんやりとした輪郭はあるけれど、まだ答えにはなっていない。

でも、焦って決めなくても、何かしらのきっかけや流れの中で、
自然と答えは見えてくる気がしている。

だから今は、その時が来ても困らないように、
できる準備を少しずつしておこうと思う。


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