僕、ヤマチューバーになる 〜筋ジストロフィーで車いすの僕、動画配信始めます〜
そんなつもりで作ったわけじゃないんですけどね。でも…嬉しいです。
まったくもう、ヤマくんらしいなぁ。
第1章 翔吾、小5で車いす
僕の名前は山口翔悟、32歳。
筋ジストロフィーっていう、筋肉がだんだん弱っていく病気と一緒に生きてる。
最終的には、体がほとんど動かなくなるらしい。
小さい頃に診断されて、小5から車いす生活。
翔吾、小5で車いす。うん、我ながらきれいに韻が踏めた(笑)
今動くのは、目と口だけ。ああそうだ、右手の指先もちょっとだけ動かせるよ。
耳はしっかり聞こえてるから、そこまで大声じゃなくて大丈夫だけど、僕の見える範囲に入って話してほしいな。
「ヤマくん、おはようございます。」
僕は今『ぴーすてらす』っていう施設に通ってる。
正式には“生活介護事業所”とか言うみたいなんだけど、
僕にとっては、毎日の居場所っていうだけで、ぶっちゃけそこまで細かいことは気にしてない。
ご飯とかトイレは、全部手助けが必要だから、誰かに声をかけなきゃいけないんだけど。
僕はあんまり、自分のことを話すのが得意じゃない。
発話ができないんじゃなくて、話しかけるのが苦手。
自分の気持ちを言葉にするって、けっこうむずかしい。
何をどう伝えたらいいか、迷ってるうちに、タイミングを逃しちゃうことが多い。
そんな僕の気持ちを、いつも先回りして理解くれてたのが西岡さんだった。
ぴーすてらすに通いはじめた頃からのベテランで、たぶん僕の顔を一番見てきた職員さん。
トイレに行きたいときとか、体の向きをちょっと変えてほしいときとか、
僕がじっと西岡さんの方を見るだけで、すぐに声をかけてくれる。
「ヤマくん、トイレかな?」
「体動かすかい?」
「ああ、そろそろ水分補給の時間だったね」って。
僕が何も言わなくても、西岡さんには何となく伝わってるみたいで、
それが、すごくラクだった。安心できた。
自分の気持ちを言葉にする前に、わかってくれる人がいるって、ありがたい。全部聞いてくれるから。「うん」ってうなずくだけでいいから。
でも、その西岡さんが、ある日僕にこう言った。
「ヤマくん。私ね、来月で定年なんだよ」
びっくりしたけど、「うん」って答えるのがやっとだった。
本当は、ずっといてほしかった。
でも、うまく言えなかった。
最後の最後まで、僕の気持ちは言葉にできなかった。
こんな時、僕は自分で自分を嫌だなって思う。
第2章 ぶっちゃけ苦手なあの人
西岡さんの退職後、僕の新しい担当になったのは、主任の森島健斗(もりしま・けんと)さん。
とにかく真面目で、ルールに厳しい。
いつも丁寧な言葉遣いで話してくれるけど、ぶっちゃけ、ちょっと苦手だった。
僕がじっと見つめると、森島さんもちゃんと気づいてくれる。
でも、「どうしましたか?」って、毎回きっちり聞いてくる。
……それが、ちょっとしんどかったんだ。
別に悪いこと言われてるわけじゃないのに、
なんか「説明しなきゃいけない」って空気になるから。
半年くらい経ったころだったと思う。
森島さんにはだいぶ慣れてきた……と言いたいところだけど、正直、苦手な気持ちは前よりも強くなっていたかもしれない。
西岡さんみたいに、こっちの表情から察してくれるわけじゃないし。
「どうしましたか?」って毎回きかれるのが、地味にプレッシャーだった。
その日も、トイレに行きたくて森島さんを見たら、すぐに来てくれた。
でも、森島さんは他の利用者さんの介助があったみたいで、別の職員さんに引き継いでいた。段取りいいなと思いつつ、やっぱり距離を感じる。
ある時、足が痛くて車いすに座っているのが辛い日があった。
誰でもいいから、通りかかる職員さんに「すいません」って声をかけて、足が痛いから横になりたいって伝えればいいんだけど、緊張してしまってそれができない。
聞こえなかったらどうしようとか、断られたらどうしようとか、そんな事も考えてしまう。
西岡さんがいてくれたらな、って思いながら、結局苦手な森島さんを見る。僕にとってはプレッシャーないつものやり取りをしてから、やっとの思いで静養室で横になることができた。
しばらく横になっていたら、静養室の向こうから声が聞こえてきた。
壁の向こうは職員さんのロッカールームなんだけど、壁が薄いから思ったより声が漏れるんだよね。さては、壁の向こうで僕が寝ていることを知らないな。
「森島さんって真面目すぎるよね」
「うん。あの人まだ、西岡さんのお願い聞いてるよ。ヤマくんのこと、“目が合ったら声かけてあげて”ってやつ」
一瞬、息が止まった。
……西岡さんのお願い…?
今思えば、西岡さんみたいに、僕の視界に入るところにさり気なくいてくれてた。だから、視線を送りやすかったんだ。
僕が勝手に、「察してくれない人」だって決めつけてた。
でもほんとは、最初から西岡さんのやり方を引き継いでくれてた。
しかも、ずっと。半年も。何も言わずに。
「ヤマくん、ちょっといいですか?」
そんな森島さんから、動画配信の話があったのはその日の午後だった。
第3章 広がる世界
ぴーすてらすでは、基本的に決まったスケジュールってものがない。
「音楽」とか「運動」っていう活動もあるにはあるけど、どれも自由参加。無理にやらされることは、まずない。
僕は、正直あんまり積極的な方じゃない。
なんか、まわりの雰囲気に圧倒されちゃって、勝手に遠慮しちゃうというか。職員さんからは「遠慮しなくていいですよ」って言われるけど、それができたらこんなに苦労してませんって。
唯一ちゃんと続けてるのは、読書の時間。ページをめくってもらう時にお願いする必要はあるけど、自分のペースでいられるのが好きだった。
だから、森島さんに「動画配信やってみませんか?」って言われたときは、けっこうびっくりした。
シンプルに最初は「なんで僕?」って思った。でも、そういうのって言い出せなくて。
気がついたら「……うん」って返事してた。
ほんとは、正直実現するわけない、できたとしても、僕の出番は少ないだろうって思ってた。
翌日、森島さんがすっごい笑顔で「これが番組の企画書です」って、表紙までつけた資料を出してきた。
「ヤマくんの冠番組なので、番組名はヤマチューブでいきましょう。」
企画書を見せてもらったら、カメラの位置とか、セット図とか、マイクの配置や必要な小道具リストまでちゃんと載ってる。
え、これガチのやつじゃん……って思った。っていうか、いつ作ったの?
「単発の番組じゃないですよ。定期配信です。」
なんかもう、森島さんがイキイキしすぎてて。
「この人ほんとに福祉施設の職員か……?」って、本気で思った。
***
最初の配信は、「音楽ライブのPR番組」だった。
ぴーすてらすで年に1度やってる恒例イベントで、出演する利用者さんたちに、意気込みとかをインタビューするっていう内容。
編集後は10分くらいにまとめるって聞いてたけど……撮影自体はまさかの1時間超え。
それもそのはず、僕がインタビュアー——つまりMC役だったからだ。
ね、ねえ、適材適所って言葉知ってる?
ホントに僕がMCでいいの?
僕は、自分の意志では手も足も動かせない。顔の向きを変えることもできないんだ。
でも、目だけは動かせる。相手が視界に入ってさえいれば、視線と言葉で「次はどうぞ」って振ったり、「それ、もうちょっと詳しく」って伝えたりできる。
森島さんは、僕と西岡さんの間にあった「視線でのやりとり」を、MCとしてのスキルに見立ててくれた。
たぶんあの人なりの、最大級のリスペクトだったんだと思う。
その場の空気を感じ取って、言葉だけでなく目で伝える。
自分のトークではなく、相手のトークで繋いでいく。
自分の気持ちを伝えることが苦手な僕のやりとりを、「僕だからできる進行役」っていう新しいポジションにしてくれた。
体感時間?
うん、5時間くらいに感じた(笑)。
何を話したか全く記憶にないけど、終わったあとに飲んだ、麦茶がとんでもなく美味しく感じたことだけは、今でもはっきり覚えてる。
***
最初は順調だった番組制作も、3回目くらいから雲行きが怪しくなってきた。
PRするネタが……なくなってしまった。
森島さんも、頭を抱えていた。
普段はあんなに自信満々なのに、この時ばかりは「今月……何か、あったっけ……」って、ホワイトボードの前で何度もつぶやいてた。
ヤマチューブの配信が決まってから、僕と森島さんは2人で打ち合わせをすることが多くなった。
とはいえ僕は毎回“そこにいるだけの人”だった。
反応といえば「うん」か「うなずき」くらい。でもその日は、なぜか口にした。
「PRじゃなくて、利用者さんとのフリートークなら、イベントのあるなしに関係なくできるんじゃないかな」
言った瞬間、森島さんが、めっちゃびっくりした顔で僕を見た。
「ヤマくん、そんなことできるんですか!?」
……いや、MCに起用したのアナタでしょ。
自信があったわけじゃないけどさ、なんか、こっちがびっくりだよ。
でも、すぐにパッと顔が明るくなって、「それ、やりましょう!やってみましょう!」って、またいつもの“森島モード”に戻っていった。
ぴーすてらすのPR番組からスタートしたヤマチューブは、僕と利用者さんのフリートーク番組へと少しずつ姿を変えていった。
第4章 途切れることのない支援
ぴーすてらすの個室にカメラをセットしたら、そこが僕たちのスタジオになる。
「ヤマチューーーブ!」
森島さんの「本番5秒前、4、3(2、1、どうぞ)」の合図で、僕が話し始める——
……というのが、番組冒頭の定番になった。
正直照れくさかったけど、「番組を背負ってる」って感じがして、ちょっと誇らしい気持ちだった。
番組は、毎回ご利用者さんを1人か2人ゲストに迎えて、テーマを決めてフリートークするというスタイル。
「お正月何してた?」
「最近ハマってるアニメある?」
内容はゆるい。でも、それがちょうどよかった。消費税とかテーマにした僕の番組、見たい?
出演者は基本、森島さんが声をかけて調整していた。
でも、僕にはずっと気になってる人が1人いた。
伊沢俊(いざわ・しゅん)くん。
僕より5歳下で、同じく車いすを使っている。
そして、とにかく……よくしゃべる。
最初に話しかけられたとき、びっくりして「うん」しか返せなかった。
それでも俊くんは、気にせずどんどん話しかけてくる。
たぶん、人見知りしない性格なんだろう。正直羨ましい。そんな俊くんの声を聞いてると、ちょっと胸がざわついた。
——もし、彼と一緒に話せたら、どんな番組になるんだろう。
ある日、トイレの時に森島さんに伝えてみた。
西岡さんの時は、こうやってトイレ介助してもらってる時に、言いたいことを伝えてたっけ。
「…森島さん」
「はい」
「俊くんを……ゲストに呼んでみたい」
「いいですね。じゃあ、次回は伊沢くんと撮りましょう」
即答だった。
もしかしたら、西岡さんから聞いていたのかもしれない。「ヤマくんはトイレ介助の時に本音をポロッと言ってくれますよ」って。
あの時の森島さんの笑顔は、ちょっとだけ西岡さんに似ていた。
第5章 初めての親友
この頃になると、収録にも慣れてきて、調子が良ければ30分で2本分の撮れ高がある時もあった。緊張感は相変わらずだけど、この日はいつもより緊張していたかもしれない。
俊くんとのフリートークは、あっという間に終わった。
撮影はすごく順調に進んだから、時間にすれば10分ちょっと。でも、体感では……2分くらい。
それくらい、すぐだった。
テーマは「好きなゲーム」。
俊くんがゲーム好きってことは知ってたし、僕もゲームの話なら少しだけ自信があった。
意外だったのは——僕たち、同じゲームが好きだったこと。
タイトルを聞いたとき、思わず「マジで?」って言っちゃった。それ以来、僕の家でのゲーム時間は増えた気がしてる。
これまで15本以上撮影してきたけど、カメラの存在を忘れて話したのはこれが初めてだった。
画面の向こうじゃなく、ただ目の前の俊くんと話すのが、楽しくて仕方なかった。
収録が終わったあとも、俊くんは話しかけてくれた。
「ヤマくん、お疲れさま〜! ずっとヤマチューブ出たかったんだよ。また一緒に出たいなー!」
ちょっと照れくさそうに笑う彼を見て、胸がふわっとあたたかくなった。
そんなふうに言ってもらえるなんて、思ってなかった。
その後も俊くんとは、撮影に関係なく話すようになった。
ちょうどその頃、ヤマチューブはゲストに一通りご利用者さんを呼び終わり、次の展開はどうしようか——そんな時期だった。
だから自然な流れだったのかもしれない。
ヤマチューブは、さらに少しずつ形を変えていった。
「ヤマくん、森島さん暇そうだよ。ヤマチューブの打ち合わせしよう!」
「ひ、暇ではないと思うけどね…」
「いいからいいから! 森島さ〜ん! ヤマくんが『暇そうだから打ち合わせしませんか』って言ってま〜す!」
「ちょ、ちょっと俊くん(笑)」
番組の打ち合わせも3人でするのが当たり前になっていた。そして、ヤマチューブはいつの間にか「僕と俊くんの番組」になっていたんだ。
第6章 ヤマチューブが教えてくれたこと
ヤマチューブには、ふたつだけルールがある。
ひとつは「僕が出演すること」
もうひとつは「編集した番組は、アップロードする前に僕がチェックすること」
ルールを決めたのは森島さん。
“主役はヤマくん”っていうのを徹底するため、なんだってさ。相変わらず真面目だなぁ。
配信を開始してから1年半くらいたったある日、高校時代の先生から年賀状が届いた。そこには、
「ヤマチューブ、見てます」って書いてあった。
その文字を見たとき、胸が熱くなって、しばらく動けなかった。
卒業以来、一度も会ってない先生。でも、あの時の僕を知ってくれてる人が、今の僕を見てくれてる。
静かに、でも確かに、僕は世界とつながっている実感が湧いた。
***
ある日、収録が終わったあと、片付けをしている森島さんに聞いてみた。
「なんで……ヤマチューブやろうって思ったの?」
森島さんは、「あれ?言ってませんでした?」って、ちょっととぼけて言ったあと、いつもの真面目な声で答えてくれた。
「ヤマくんの個別支援計画に、“自分の言葉で伝えるって書かれてるから”っていうのは、あの時お話したと思います。
実は西岡さんから色々聞いてたんですよ。
ほら、ヤマくんって”話していいですよ”って言われても緊張しちゃうタイプでしょ? 西岡さんから『それができたら苦労しないって呟いてた』って聞いてたんです。
だから、ヤマくん自身のペースで話す動画配信っていう形で、自分の気持ちを自分の言葉で伝えることに自信を持ってもらいたかったんです」
たしかにその通りかもしれないけど、支援のために、動画配信までする?
正直、最初はそう思ってた。
でも、今は違う。
現に僕は、自分の気持ちを自分の言葉で伝えられるようになった。
そして、動画配信がきっかけで俊くんという親友ができた。
僕が歩んできたのは、ゴールまでの最短ルートじゃなかったかもしれない。
でも、他の人からしたら小さすぎて気づかないほどの勇気でも、積み重ねれば、いつか願いは叶う。
それを教えてくれたのは、ヤマチューブだった。
第7章 僕はヤマチューバー
俊くんとの撮影は、とにかく楽しかった。
話して、笑って、たまにふざけすぎて収録が止まったりもした。
他のご利用者さんも交えて、「クリスマスへの不満をぶつける」っていう、ちょっとブラックユーモアのある回をやったときには、あの森島さんもカメラの向こうで、声を出さないように大笑いしてた。
編集した動画は、僕が毎回チェックする。動画のことなら、森島さんに遠慮なく話すことができるようになった。
「後半のジングルの少しあと、会話が重なって聞き取りづらいから、僕の声にテロップがほしいな」
「全体的に僕の声のボリュームを上げて、俊くんとのバランスを取ったほうが良いと思う」
動画配信者としては…「バズった」のバの字もない状態だったけど。
嬉しいこともあった。
筋ジストロフィーのケアのために通うことになった施設の職員さんから、「ヤマチューブのファンです」って声をかけられたんだ。
「この前参加した研修会で、何とかさんっていう職員さんから宣伝されたんです。それで見てみたら、すごく面白くって。思わず他の職員にも見せちゃいました。」
…ファン?僕のファン?
こ、こんなの生まれて初めてだよ。
***
森島さんへの苦手意識も、いつの間にか消えていた。
普段でも、自分から「トイレに行きたい」って声をかけれるようになったのは、我ながら成長だと思ってる。
普段は支援者と利用者っていう関係なんだけど、動画配信の時はそんな感じではなく、”チームヤマチューブの3人”でアイデアを出し合うようになった。
「ヤマチューブ初の屋外ロケだ!」と、ぴーすてらすの玄関前で収録をしたりもした。
収録で「DVDを作りたい!」っていう話になった時は、
「予算ないんですけど」
「そこを何とか!」
なんて言いながら、本当にDVDを作ることになった。
森島さんが無料ソフトで編集した、総経費648円で作った3枚のDVDは、僕と俊くんだけが持ってる宝物。
僕はパッケージの絵を描いたよ。俊くんは…応援してくれてた!
***
もし、「ヤマチューブをやっていて一番うれしかったことは?」と聞かれたら、僕はきっとこう答える。
「俊くんをカラオケに誘えたこと」
番組以外でも喋れるようになった僕たちだけど、僕はもっともっと仲良くなりたいと思っていた。
だから、トイレの時に森島さんに相談した。
「いつ聞いたらいいと思いますか」
「どうやって切り出したらいいですか」
「予定の合わせ方は?」
「……もしカラオケ嫌いだったらどうしよう」
もし自分がこの質問をされていたら、「自分で考えてくださいよ」って言ってると思う。
でも森島さんは、真剣に聞いてくれて、俊くん役になってシュミレーションまでしてくれた。この人多分、不器用なだけですごくいい人だ。
ごめん、俊くん役は決して似てなかったけど。
それから、勇気を出して声をかけるまでに2週間、予定を合わせるのに1ヶ月かかったけど、僕はついに俊くんとカラオケに行くことができた。
好きなアニソンを選び合って、気づいたら2時間経ってた。
連れて行ってくれたヘルパーさんが、「あんなにも大きな声が出るなんて」ってびっくりしてた。
次のヤマチューブでは、「将来の目標」っていうテーマで話した。
僕はそこで、「いつか俊くんを、家に呼びたい」って言った。
そんなこと、昔の僕なら思っていても絶対言えなかった。
でも、自分の思っていることを言葉にできたのは、僕が動画配信者…いや、「ヤマチューバー」だったからかもしれない。
「それじゃあ、良いお年を〜」
お正月休みが明けたら、森島さんの編集した動画をチェックしようと思ってたんだけどなぁ……
終章 守りたい約束
皆さん、はじめまして。ぴーすてらすで生活支援主任をしている、森島健斗です。
この物語は、本当なら最後までヤマくんの言葉で語ってもらうつもりでした。
でも、それは叶いませんでした。
ヤマくんは、2023年の12月に体調を崩して入院しました。
ご家族さんからは「すぐに戻れると思います」と聞かされていましたが、そこから長い入院生活になりました。
そして――2025年の1月。
ヤマくんは、天国へと旅立ちました。
ヤマチューブは、2021年から約3年間続きました。アップロードした作品は合計29本。再生回数は、全部合わせて400回くらいです。
動画配信としては、これ以上ない低空飛行な状況でしょう。世界中に名前が知られた…とはお世辞にも言えません。
実は、ヤマチューブには彼が入院する直前に収録した、未発表の30本目があります。
公開を望む声もありましたが、私はそれらをすべて断っています。ヤマくんと決めたルール…いえ、約束があるからです。
「編集した番組は、アップロードする前にヤマくんがチェックすること」
私は、それを破ることができません。
ヤマチューブはヤマくんの冠番組。MC兼プロデューサーであるヤマくんに確認を取れない以上、これは「未発表のまま」にしておきます。
最初は支援の一環として始めた動画配信。でも、いつしかそれは、私自身が支援者としての足跡を残す活動にもなっていました。
***
ぴーすてらすでは、ご利用者さんの葬儀に参列するかどうか、ルールはありません。
だから私は、理由をつけて参列を断りました。
取り乱してしまうのがわかっていたから。15年近くこの仕事をしていますが、お別れは苦手です。
後日、参列した同僚から、編集したDVDが葬儀会場で流れていた、という話を聞きました。
そんなつもりで作ったわけじゃないんですけどね。でも…嬉しいです。まったくもう、ヤマくんらしいなぁ。
完
あとがき
最後まで読んでくださってありがとうございます。
この物語は、生活支援員として働く私のエピソードが元になっています。
見出し画像に使った絵を描いてくれたのが、翔吾さんのモデルになったご利用者さんです。
彼に代わって、お礼申し上げます。
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「マスター、向こうにいるじゃんけん弱そうな顔した客に一杯」くらいの軽いノリでサポートしてもらえたら嬉しいです🌈「福祉の本を買う(知的に充実)」「シュークリームを買う(精神的に充実)」など、より良い記事を書くために使わせていただきます🍀