愛子天皇の論議をキャンペーン⑤象徴・天皇皇后両陛下の苦悩と忍耐をもっと理解せよ。元月刊文春編集長 木俣正剛
今回のキャンペーンは、前回(昨日配信)から、読んでください。でないと、よくわからないと思いますので。愛子天皇キャンペーン 4 なぜ愛子さまが、象徴天皇制の天皇として必要か。元月刊文藝春秋編集長 木俣正剛|木俣正剛
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私が殿下の想いを雅子さまに伝えてほしいとお願いした人物
天皇皇后のロマンスに突然「フィプクサー」が登場して、話が怪しくなると思われるかもしれません。しかし、当時の政治家や官僚は誰しも一目を置く立派な人物が末次一郎氏でした。陸軍中野学校出身。フィリピンのルバング島で戦後数十年も潜伏してゲリラ戦を続けていた小野田少尉を同じ中野学校出身の人間として救出と説得に全力をあげた人物であり、沖縄返還運動に力を注ぎ、その沖縄と米国での人脈をフルに活かして、返還に成功。
晩年は日ソ専門家会議を主催して北方領土返還運動にも取り組み、ソ連側から「ミスター北方領土」の異名をとるくらい嫌がられた存在でした。安全保障問題研究会の代表として、保革双方の政治家と勉強会を開き、中曽根康弘首相ら歴代政府首相・首脳のアドバイザーとしても知られる人です。

一方で、地方議員の育成にも熱心で「新樹会」という地方議員や、それをめざす人々の勉強会を主催して、そこから大勢の国会議員や自治体の幹部をうんでいます(ここに参加した地方議員には保守派も革新派もいました)。私の父は京都市議を永年務めました、関西地区の新樹会の幹部を務める一方、沖縄返還運動には常に参加して沖縄にゆき、末次一郎氏とは、義兄弟を名乗る仲でした。ちなみに、「文藝春秋」の「田中角栄研究」も当時の田中健五編集長が末次氏に企画を相談したと自ら語っていました。
私はその縁で、文藝春秋に入社したときから、末次先生の薫陶を受け、彼が時局を語る少人数の会にも参加していました。

なぜ、その末次氏に雅子さんのことをお願いしようかと思ったかというと、当時、外務省でもっとも反ソとして有名な外交官が小和田恆氏。ですから、両氏は、北方領土問題では肝胆相照らす仲だと知っていたからです。
「殿下の想いは単なる色恋ではなく、国際親善も考えた上のことです」
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私はあるときアボイントをとって、末次さんに会いました。自分からお願いにあがることは滅多にないので、彼も不思議そうにしていましたが、「渡辺さんの訴えを細かく記したメモをみせて」、どれほど皇太子が小和田雅子さんが好きか。そして、単なる色恋ではなく、殿下は国のため、国際親善のためには絶対彼女が必要だと思っている」ということを強く訴えました。
しばし沈黙が続きました。そして末次氏はポツリとつぶやきました。「まさか、お見合いの斡旋を頼まれるとはなあ(笑い)」と破顔一笑したあと、真剣なまなざしになり、たしかに私は小和田君とは親しい。政治的な理想も同じだと思う。しかし、娘の未来まで、私にどうできるかわからない。ただ、君、というか君の友人の殿下への純粋な想いと、殿下の小和田さんの娘さんへの想いはわかりました。機会をみて、国のためだと言ってお願いします。
少し肩の荷がおりましたが、もちろん、今の時代、父の意志だけで結婚が決まる世の中ではありません。ただ、友情と、さらに殿下への尊敬について、私はできるだけのことをしたという想いは残りました。

それから、何年たったでしょうか。雅子さんが、海外勤務を終えて帰国し、しばらくして、突然、ご婚約のニュースが飛び込んできました。
あの渡辺さんも寝耳に水だったそうです(こればかりは、私にもいえなかったのかもしれません。それほど秘密裏の交際だったからです)。
しばらくたって、末次氏におめにかかったところ、君のいう国のために、彼に言葉を尽くして話はしましたよ。その結果かどうかはまったくわかりませんが、とにかくよかったな、と笑顔で肩を叩いていただいたのを覚えています。
もちろん 私も、この話しを鵜呑みにしているわけではありません。成功してから、言っておいたということもあるし、言ったけれど、彼の言葉で、この婚約が動いたかどうかはわかりません。
ただ、最初に雅子さんにおめにかかったとき、父親のことを本当に尊敬していると感じたことは事実なので、ひょっとして、この言葉がきいたのかもしれないと少しだけ思いました。
雅子さまと一家が抱いたマスコミ不信
婚約発表より、相当前の時期、お妃選びで、騒がれていた時期、雅子さんはマスコミにとても反発していました。当たり前といえば当たり前です。カメラマンが、いろんなところに隠れていて望遠で撮ったり、接近してきて撮ったり。私の部下で、フライデー勤務時代,、道路の向こう側に潜んで写真を撮っていたら、車が行き来する道路を走って横切ってきて,、カメラをよこしなさい。フィルムを破棄しなさいと厳しくいわれた記者もいました。これは雅子さんとしては当然の権利です。
だからこそ、彼女には国民への不信感があるのではと危惧していましたが、それはご成婚の日の晴れやかな笑顔ですべて氷解しました。あの笑顔こそ、国民と皇室の紐帯を感じさせる素晴らしい瞬間だったと思います。

しかし、殿下にとっては幸福の瞬間であっても、ここから雅子妃の苦難ははじまります。前日の原稿で書いたように、子供のころから訓練を受けている殿下は、トイレにもゆかぬよう前日からの水断ちも慣れておられるし、暑い日に汗をかかない訓練もされています。しかし、雅子妃は、そんな練習はしたことがありません。皇室流のファッションや言葉使いも習わねばならず、また、その上、早くお子さまを、と、いうプレッシャーもかけられます。
天皇家とは、とても立派な存在でなければならない家族ですが、生身の人間であることに変わりはないのです。職場の環境があわない。上司とあわないという悩みは、日本人誰もがもつ悩みですが、天皇家というオーナー会社に入社した以上、そこから逃げ出すことはできません。もちろん、民間から、初めて嫁いできた美智子妃も同じ苦しみを背負いました。二度も失語症をわずらったのは、何不自由のないお金持ちの家に育った美智子妃にとっても大変なことの連続だったから

でしょう。
だからこそ、よかれと思って雅子さんにアドバイスしても、それが素直に耳に届くかどうかは、場合によります。美智子妃は、いくら聡明でも、普通に社会に出て働き上司がいる世界で働いたわけではないのですから、通じない場面もあったでしょう。結果、雅子妃は適応障害という診断を受けます。
当時の日本人は今ほど、精神医学に精通していませんでした。会社でも、鬱病で休むと怠け者と普通に思われていた時代です。
ましてや適応障害は、勤務する場所の環境が変わらないうちは治癒しません。
私は雅子妃の主治医大野裕医師の本も出版し、会食もしました。もちろん、皇室の話しは一切しませんが、休養が治療にもっとも大切という一般論は、私の会社の社員の相談という形でアドバイスを受けました。
殿下は、「「雅子さんのことは、僕が一生全力でお守りしますから」という言葉で求婚されたのですが、それを忠実に守り抜きました。
本来、天皇家の公務は常に夫婦でゆくものではありませんでした。それは平成流とでもいうのでしょうか、ミッチーブームで象徴天皇制が安定するために、大変役立ちましたが、それだけが国民との紐帯を保障するものでもありません。
浩宮殿下の誠実な生き方
今上陛下は皇太子時代から,雅子妃を、周囲の無理解から守り、いきなり皇室にはいる無理を知っていたからこそ、ガンバリすぎてそれにあわせないように気配りもしました。最後は、「雅子の人格を否定するような発言」と声を大にして異例の発言をし、宮内庁長官が「皇太子ご一家の参内の回数がここ一年ほど依然として少ない。陛下も会う機会が少ないことを残念に思われている」といった趣旨の発言をされたときも、「(頻繁に訪問できるように)努力する」と穏便になるようお答えになっています。私は誰が悪いとはいいません。

しかし、まず反省すべきなのはと国民と宮内庁なのです。今も皇族数が少ないと不安を募らせながら、戦後だけで、美智子妃、雅子妃、そして、臣籍降下されましたが真子さまも複雑性PTSD(複雑性心的外傷後ストレス障害)を経験されました。少人数の世界で、この数は多すぎますし、しかも女性のみということにも、組織上の問題があると感じなければなりません。
しかるに、私が編集長を退いたあと、週刊文春もふくめて、雅子妃が公務を休みすぎるという批判記事がどんどん多くなってきました。
私は編集担当の上司ではありましたが、文春には編集権は編集長にしかないという美風があります。上司であっても、疑問はいえても掲載禁止はいえない会社なのです。
男女平等と心の病への理解がない国と戦い、堪えた、天皇一家
文春にも心を病んで休んでいる社員もいれば、子育てに悩んだり、子供ができないというプレッシャーを与えられている社員もいます。いや、日本の社会は、元々男女平等の意識が薄く、心の病に冷たいのです。たとえば、第二次大戦の主要参加国で女性兵士がいなかったのは日本だけです。。そして数多くの戦争神経症となった兵士は自決や、軍医が毒薬を渡すという形で処理されました。ずっと隠蔽されていましたが、巨大な軍人専用の精神病院もつくっています。今も、日本の精神科の病症数は世界一であり、イタリアなど精神病院がゼロになっていることも知らない人が多いと思います。兵士については、私は日本の女性も戦わなければいけなかったといっているのではありません。まず女性の近代化が後れすぎていて、高等教育を受けている女性も少なく、自動車運転、飛行機運転などができない女性は、他国より圧倒的に多く、戦争に寄与することができない構造だったのです。。米国では工場でできた飛行機を前線まで届けるのは女性飛行士の役割でした。英国でも同じであり、また大卒の女性が暗号解読に寄与していました。車を運転できる女性は前線への補給に活躍しました。雅子妃の時代になってようやく,男女雇用均等法ができて、男女は公平に扱われるべきという建前はできましたが、実際には非正規雇用が多く、いまだに、男女の給与比率にはかり差があります。

私自身、編集長の職責から離れたとき、いきなり、まったくやる気がおこらない日が続くという体験をしました。筆者と会食をしていても、早く帰宅したくなります。こんなことは初めてなので、おかしいと思って知人の精神科医に相談すると「燃え尽き症候群」といわれました。
たしかに、雑誌の仕事が一番と、すべてをそれに注いでいたのですから、ヒマになったからといって、リラックスできなかったのです。幸い、軽い精神安定剤を処方してもらい、会社には数日、風邪で休むと報告しただけで出社はできるようになったので、誰も気がついていなかったと思います。ただ、完全に雑誌時代のようにスッキリした気分に戻るには、時間がかかりました。家族や友人の助け、そして、人生初めて雑誌からいきなり出版局局長になったため、数十人の部下の相談を聞きながら、こころがけたことがありました。ベストセラーどころか、本もつくったことがない人間が、いきなりトップにきて刊行する本まで決められたのでは、部下はもっと気分がわるいだろうということでした。そこで、一年12冊という目標で、とにかく数はつくりました。しかし、会社では、部下の相談が多くて、集中できません。そんなとき、自分の所有するマンションの一室をかしてくれた友人もいました。一生の恩人です。そういう人の助けで、私は普通にみえる形で仕事がつづけられました。そして、雑誌以外の仕事の面白さもしることができました。

日本人の問題を上から目線で解説しているわけではないことを説明するために、あえて自分のことを書きましたが、つまり、雅子妃が、堪えた、いろんな問題は、すべて日本という国の遅れた部分が彼女に襲いかかったといえるのです。
ある日、私は思い立って小和田父母に手紙を書きました。自己紹介としては,、末次先生のこと。そして,バッシングについては、林真理子さんなど、味方をしている人も大勢いるのだから、マスコミの中で、雅子妃を守る会を組織しようと思う。一度おめにかからないかという提案の手紙でした。すぐに小和田父から電話がかかってきました。「お手紙読みました。あなたが末次君の言っていた木俣さんですか。私も会いたいと思っていたし、そういう会ができるのであればうれしい」という言葉でした。
ああ、末次先生は,本当に私の言葉を伝えてくれていたんだという想いと、それなら、なおさら責任があるという気持ちで、会のメンバーまで考えていたのですが、翌日、小和田さんからまた電話がかかってきました。「あなたのアイデアに私は賛成なんだが,妻がマスコミは信用できない、というのだ」……。
父親は海外にいることも多かったのですが、、母親は国内にいた時期もおおかっ

たはず。マスコミのひどさには、呆れているのも無理はありません。
この時期と同じ時期かは、記憶がハッキリしませんが、平成12年、末次氏はなくなりました。。葬儀は中曽根元総理をはじめとして政財界の超有名人が列席されていましたが、天皇皇后からまで弔花がきていました。世間的に大きな地位がなかった末次氏への天皇家の評価をしめすものだったのではないでしょうか。
少し話が大きくなりすぎましたが、私が申し上げたいのは、皇室に素人がはいることの難しさ。そして、昭和天皇、上皇陛下、天皇陛下と続いた象徴天皇一家が、日本中のいたるところにある「矛盾」と戦い、堪え忍び、国民と苦楽をともにしてきたことです。
愛子天皇が実現しないと、臣籍降下され海外にゆかれる可能性も
このことを忘れ、単に男系男子という非科学的な論理と、皇族数を増やすといった短絡的発想では、皇室の行く末は厳しいという現実をもっと真剣に政治家は考えるべきだし、今回の皇室典範改正案は、その意味で最低の案であるということです。
この案がもし通れば、多分愛子さまは、母方の希望をかなえるべく海外に羽ばたき臣籍降下されてしまうと私は予想します。両親も、この政界をみて、皇室としての務めは十分にしたと思われても仕方がありません。そのとき゛本当に皇室断絶の危機がきます。悠仁殿下は、三代続いた象徴天皇の厳しい暮しと想いを眼前にして育ってはいません。その上、悠仁殿下に男子が生まれるかどうかもわかりません。

今は、明らかに愛子さまの方が国際親善や国賓への対応に臨機応変な対応ができます。この人を、まず天皇に、と考えるのが、天皇制度の大切さを考えれば当然ではないでしょうか。高市総理、麻生副総理、そして森議長 みなさん、その日になって悔いても遅いのです。もう戻ってこない重大なものを損失させた罪は、死んでも許されるものではありません。そのことを覚悟して、真剣に皇室典範改正についてもう一度考え直していただきたいと思います。。
オンライン署名 · 愛子さまを天皇(令和の皇太子)に!!私たちは女性の皇位継承を可能にする皇室典範の改正を求めます。 - 日本 · Change.org
オンライン署名 · 皇室典範を改正し、愛子内親王が皇太子の候補となるよう求めます - 日本 · Change.org
署名提出はできる限り急ぎます。どこに提出するか。紹介議員を誰にするか。記者会見をどういう風にするか、周囲と相談しながら進めています。みなさんにもアイデアがあったら、ぜひ教えてください。そして拡散もお願いします。
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