木への想いが強すぎて、実は引かれないか少し心配(笑)🌳【木愛シリーズ①】
おかえりなさい、みみごころです😊
突然ですが、あなたは木がお好きですか・・・?🌳
あ、私も大好きです。(食い気味で/笑)😂❤️
普段何気なく目にしている、ありきたりの木。
でも何故か、そんな木がなんとなく気になる事ってありませんか?
(♪この~木なんの木 気になる木は子どもの頃よく唄ってました😂)
そんなキニナル今回は、木の種類や名前などには特に触れません。
「むしろそんなの全く関係なく、ただ木という存在が大好きだ・・・っ!」という熱い想いを、私と木との不思議な出逢い?や向き合い方について、好き勝手にみみごころ的目線で語るシリーズ①です😎🌳
完全にマイワールド全開なので🚪笑。
ご興味ある方だけ、グイグイっとどうぞ〜👍😂
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木を見ると不思議な力が湧いてくる
さて、まずは私がどうして木を好きになったのか少しお話させて下さい。
それは、なんだか必然のような感覚から始まりました。
まだ私が、10代だった頃。
それまで当たり前に見ていた木の光景が、何故かその日は少し違って見えました。
「ザワァァァァァァァァァァ・・・・🌳🌳」
土の香りを運ぶ湿った風が、まるでいたずらっ子のような笑みで私の髪を巻き上げて、足早に駆けてゆく。
振り返ると、大きな木々が上下左右にたくさんの葉っぱを揺らし、こちらを遠巻きに観察しているようでした。
もう一度、風が吹き・・・。
「ザァァァァァァァァ・・・・🌳」
さっきよりも、少し弱い風。
だけどなんとなく、そこにある木は”何か”に呼応しているようでした。
当たり前だけれど。
木の声は、聞こえない。
ふと導かれたように、ふかふかの緑の絨毯の上に立ち、目を閉じてみる。
鼻の奥に残る、深層の草の根の匂い。
風と一緒になって枝が揺れ・・・。
指先をヒラヒラさせるように、葉っぱ同士が遊ぶ音。
そこでは、自分の存在ではとても対処しきれないほどの大きな、とても大きな”何か”を無意識に気にしてしまうのでした。
『私は、何を求めているんだろう?』
『何を、期待しているんだろう?』
でも、そんなことを思うこと自体が、その大きな”何か”の前ではとても浅はかな事のように思えてきて。
だからこそ、全てを空に預けて、心を空っぽにしてみたんです。
「私」という概念を放って、意識をフラットにする感じ。
その瞬間、織り畳まれていた空間が一気に広がっていくような・・・。
深い海の底に潜った時のように、とても静かで、光の裏側にある深淵に包まれたかのようでした。
『音のない音・・・?圧・・・?この感覚ってなんだろう?』
聴覚や触覚とも違う、不思議な感覚。
瞼の奥が静かに震えて、胸の奥がなんかこう、ググググググ・・・という言葉では上手く表現できない。
地質学的に言えば、噴出寸前のマグマだまりのような?疼きがあって。
(いきなり地質学。🌋笑)
でもソレは「私」という欲を出した瞬間に、跡形もなく消えてしまうのでした・・・。
忙しくて視野が狭くなっていたり、自分中心に考えてしまう時などは、決してそういう瞬間はやってこないんです。
そんな感覚を少しずつ分かり始めてから、ひとつ気付いた事がありました。
木は、「私たちに何も求めてはいない」という事。
「ただ、そこに在る。」
それ以上でも、それ以下でもない。
だから、「私」が「木」に何かを求めた瞬間に、その気配が一瞬にして消えてしまうんだと、感覚でわかりました。
たったそれだけの事なのに、木という存在の大きさに、尊さに、心を強く揺さぶられたのをよく覚えています。
木を通して、今の自分自身と向き合う。
そこではきっと、嘘や偽り、傲慢な気持ちなどはすぐに見透かされてしまうんです。
自分の小ささ。弱さ。ずるさ。
だけどそこに在る木は、そんな事気にも留めない。
だって「ただ、そこに在る。」だけだから。
たった、それだけ。
なのに、そんなささいなことに気づけば救われている自分がいる・・・。
ただそこに在る命

その場所には、古くから根を張る大きな木がありました。
強い日差しや嵐の日でも、長い間じっと耐えてきたであろう硬くて皺だらけの樹皮。
乾燥して少し丸まった葉っぱや、虫食いだらけの葉っぱをたくさん携えて、強くて勇敢で、それでいてとても優しい、そんな存在。
私は俗に言われるスピリチュアルという分野は、よくわかりません(笑)。
自分の目で見た事、感じた事、科学で証明されているこの世の法則、物事の本質を大切にしたいと思っているから。
でも時に、この世界にはまだ未知の感覚や、解明されていない不思議な現象もきっと沢山あるんだろうなとも思います。
それは既に大昔に人類が体得していたものかもしれないし、いまだ人類が認知できていない全く別世界の法則があるのかもしれないけれど。
でも、命あるものだからこそ。
そこに佇む木だって、地面を這う小さな虫だって、自然を闊歩する野生動物だって、自分の都合で生きる人間だって。
”ただそこに在る。”
それ以上でもそれ以下でもない。
その境界線だけは、誰にも侵略はできない。
つまりそれって、”無条件にそこにある命の存在を認めている”ということ。
なんだかそう考えると・・・。
社会という暗黙のルールの中で常に周囲の顔色を窺って、ああでもないこうでもないと思い巡らせたり、少しでも良い評価を受けようと右往左往してしまう自分が、とても風変わりな存在にも思えてくる。
別にそれが悪い訳ではないし、より良い自分でいたい、認められたいというのは人間の根源的な欲求なので、否定もしないんですけどね。
ですが本当に大切なものって、そこにあるんでしょうか?🤔
木から見た私たちって?
人間として生きていると、つい他人や社会からの評価を気にして「間違わないように」「機嫌を損ねないように」「恥をかかないように」など、気づけばたくさんの評価を気にして過ごしていますよね。
そんな何かと”評価”したがったり”評価”されたがる私達ですが、結局その先には、本当の幸せはあるのでしょうか?
では、最後に質問です☺️
「あなたの前に、一本の木があります。」
その木から見たあなたは、どんな存在でしょうか?
あなたから見たその木は、どんな存在でしょうか?
その答えが持つ力は、きっとこれからのあなたの人生にほんのりと、彩りを添えてくれると思います。とてもシンプルな事にこそ、実は真実が隠されていたりします☺️🌳
だからこそ私は、今日も木が大好きです・・・!!!!😂♥️(もういいですね/笑。)そこにいてくれるだけで、どうもありがとう、木。😌🌳🌳
ここまでお読み下さり、本当にどうもありがとうございました!!
次回も、この【木愛】シリーズ②を執筆予定です~。
ゆるりと、深堀りしていきますのでどうぞお楽しみに!😊🌳✨
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