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雪の上で、人生が少しずつほどけていった。~40代のふたりが出会い、子を授かるまでの物語

もう恋も結婚もあるはずないと思っていた。

そんな僕が、まさか父になる日が来るなんて・・・

はじめまして。
僕は40代で人生の舵を切り直しました。
仕事に悩み、将来に迷いながら、それでも静かに続けていた“おひとりさま”の暮らし。
それがある年のクリスマスイブ、標高1000mの雪の中で出会った女性と、
思いがけず変わっていきました。
わんこと暮らす我が家に、ある日ふわりと、
家族がふたり(妻とうさぎ)増えました。
これは、「もう遅い」と思っていた人生に訪れた、
ひとつの家族のはじまりの記録です。




1. 「もう、結婚はない」から始まった山の出会い

45歳・・・
この年になって、まさか自分が「家族」という言葉と向き合うことになるとは思ってもみなかった。
正直、もう結婚はないだろうと思っていたし、独りの暮らしも、わんことの静かな生活も、それなりに気に入っていた。
僕は診療放射線技師として医療の現場で働いてきた。

30代の前半で、インテリアオタクを拗らせていた自分は、
夢だった自分の理想を詰め込んだ小さな家を建て、
わんこと暮らしながら、休みには趣味の映像制作やソロキャンプに出かける。まさに「おひとり様」を極めたような日々を10年以上続けていた。

古いものが好きで、小さな家にあれこれ詰め込んでいたおひとり様暮らし。


・・・そんな僕が彼女と出会ったのは、標高1000mの山の上だった。


2. ソロキャンプに舞い降りた異色の彼女

コロナが徐々に落ち着いてきた頃、久しぶりに山のキャンプ場へと足を運んだ。
そのキャンプ場では年に一回の大きなキャンプイベント。数少ない女性の中でもソロでやって来ていた一人が彼女だった。
その時は他にキャンプ仲間もいる中、挨拶程度の距離感。
聞けば彼女も40代。
後に本人から聞いた話では、どうやら僕はだいぶ年下に見られていたようだった。

数年前まで東京で暮らし、コロナをきっかけに東京から離れ、
今は地元に戻り、実家で暮らしながら一年前からすっかりハマったソロキャンプを楽しんでいたという。
「もう結婚はいいかな」と語っていた彼女。
さらに後々聞いた話だが、高校卒業後に上京し、コスプレイヤーとして活動しながら、声優養成所に通っていたという異色の経歴を持っていた。
コスプレ黎明期。イベントで自費出版の写真集を作り、SNSもない時代に一人で道を切り開いていたようだ。
出会った時は、こんな異色の経歴があるとは知らず、同じようにおひとり様を楽しむ大人の女性といった印象しかなかった・・・

当時のキャンプイベントの様子。

3. オーナーの仕掛けた、雪中のクリスマス

転機となったのは、その数週間後のクリスマスイブ。
馴染みのキャンプ場オーナーが、「クリスマスにちょっとしたイベントするから、ぼっちだったら来てよ」と誘ってきた。
普段そんな誘い方をする人じゃない。その違和感に少し首を傾げつつも、イブは雪予報。僕は雪中キャンプのチャンスと考え、ジムニーで標高1000mの山へ向かった。
到着して少し驚いた。来ていたのは、彼女、僕、そしてオーナーの身内のような一回り下の常連くんと3人だけ。
真冬でも積雪などには動じず、むしろ喜んで来る常連達が集まるキャンプ場なのに・・・
そんな中、なんと彼女は2時間以上かけて、スノータイヤだけを履いた2WDのカローラで登ってきていた。
「この状況、この車で!?来たの…?」
僕のジムニーでもスリップしそうになったのだが・・・
聞けば、勾配のきついところでは何度か登っては降り、を繰り返しどうにか上がって来たのだと言う。
そんな苦労を感じさせない笑顔がとても印象的だった。
今思えば、そのタフさと何か突き抜けた面白さに、僕は強く惹かれたのかもしれない。
オーナーのこの日にかけた意気込みは本物で、豪雪の中、酷道を頑張ってきた甲斐があったと思えるほどのおもてなしもあり、その時はただ皆で焚き火を囲み、雪中キャンプを楽しく過ごしたのだった。

クリスマスイブ、雪原のキャンプ場。酷道であってもジムニーなら問題なし。
この写真より雪深く狭いところは多くあり、2WDのカローラは無謀としか・・・
一回り下の常連くんと妻。(左) 


その帰り際、ごく自然に彼女から誘われ、帰り道にあるふもとのカフェへ寄ることになった。
お互いキャンプの後、オシャレなカフェに入るにはふさわしくないボロボロの姿だったが、気にせず二人とも意識高めのランチを頬張った。(彼女はノーメイク)
それが初めてのふたりの印象深いデートになった。

そんなクリスマスの思い出。
実はこれ、オーナーの“仕込み”だったのは言うまでも無い。
オーナーはずっと僕らを見ていたらしい。
「なんとか引っ付けようと思ってたんよ」と、随分後に笑って話してくれた。

そこから物語が静かに着実に始まっていった。

一斗缶を焚き火台に。上はピザ。オーナーの素敵なおもてなし。

4. 1000mの山の上で、少しずつ始まっていた物語

何度か同じキャンプ場で顔を合わせ、その後ふもとで会う機会が増えた。
二人とも「おひとり様」に慣れていたからこそ、なんなら彼女にとってはキャンプ後のボロボロの姿を既に晒していたせいか、お互い変に気を使うこともなかった。

それぞれに人生の傷や、過去の事情を抱えていたけれど、山で過ごす時間の中で少しずつ心の距離は近づいていった。
アウトドア好きからは想像も付かなかった元コスプレイヤーという異色の経歴も知り、とにかく面白い人だなとすっかり意気投合した。

そして僕にはもう縁がない、面倒とすら思っていた、交際が自然に始まった。

しかし、その数週間後。僕の人生を大きく揺るがす出来事が起きる・・・


5. 辞令と自問自答。悩み抜いた葛藤の七日間と支えてくれた言葉

それは、3月下旬のことだった。
コロナが5類に移行し、医療現場もようやく落ち着きを見せはじめていた頃。
17年間勤めた病院で、僕は総合病院の主任として働いていた。
チームをまとめ、コロナ禍での逼迫した業務にも耐え、誰よりも前向きに動いてきたつもりだった。
そんな中、突然の辞令が下る。
「異動を命ずる」
行き先は、新卒の頃に勤めていた系列の職場。
やりがいを全く感じられず、転職まで考えた職場だった。
当時「もう二度と戻ることはない」と心に決めて去った場所だ。
なぜ今、自分があの職場へ?
陰では、所属長との対立、異動先の人間との単なるトレード、
色々な憶測もあったようだった。

異動先は特殊な現場であるため、積み上げてきた資格が何一つ活かせないことがわかっている。
これまでの努力など、組織が自分のことなど理解していない・・・
この事実は、自分にとって身の振り方を考えるには十分なことだった。

そして僕は、付き合っていた彼女に、すべてを打ち明けた——。

彼女と出会う前、唯一心の拠り所だったウルくん。雪を眺めている。

6. 「結婚しよう」その瞬間のこと

僕たちは、お互いの年齢を考えても、
どこかで「結婚」という言葉を意識しながら付き合っていたと思う。
けれど、実際にその言葉を口にする瞬間というのは、
あらかじめ決めておいたものではなかった。

辞令後、心が折れかけていた夜。
職場の異動、先行きの不安、自分の価値が見えなくなりそうな時。

僕の話を黙って聞いた彼女は、ぽつりと口にした。
「私が奥さんだったら、そんな職場に行かせないよ」

…言葉は少なかった。
でも、その沈黙の前後の中に「あなたは一人じゃない」という確かな温度があった。
それは心が砕けそうだった僕にとって、初めて肯定された瞬間だった。

努力も、迷いも、悲しみも、全部を受け止めてくれたような気がした。
静かに寄り添ってくれた彼女を感じた時、
「ああ、この人とやっぱり一緒に生きたい」
不思議と、そのとき心がすっと決まった。

そして僕は、口にした。
「結婚しよう」

声を張り上げることもなく、ドラマのような演出もなかった。
ただ自然に、俯いていた顔を上げ、心の奥から湧いてきた言葉だった。
今もあの夜のことをはっきりと覚えている。
深く沈んでいた僕の心を、彼女の存在が、確かに支えてくれていた。
だからこそ、あの瞬間の「結婚しよう」という一言は、今でも自分の中で特別な響きを持っている。

彼女と一緒になろうと決めたその時から、
固く閉ざされた扉から光が漏れ出したような感覚だった。

そして一度「辞めます」と伝えていた職場に、3日後、頭を下げに行った。

彼女と同じく、「もうやめていいぞ」と言っていた両親。
就職氷河期、両親の伝手がなければ今の職場に就職することはきっと叶わなかった。
しかしその言葉から数日後、考え直さないかと10年以上、自宅に1度しか来たことがなかった父が訪れたことも1つのきっかけではあった。
彼女との結婚への決意は揺るぎないものの、
その後も自問自答は続き、決して楽ではない選択だった。

でも、守りたい存在ができたことで、自分の中に「責任」という感情の方が大きくなり、彼女は本当にやめてあなたがやりたいことをやればいいし、
応援すると言ってくれたことが、かえってこの決断を後押した。

そして、あのクリスマスから数えるとおよそ4ヶ月後の僕たちは夫婦になった。

結婚を決めた後出かけた父母ヶ浜で。(雨で残念)

7. 山で結ばれる:キャンプ場での顔合わせと結婚パーティー

結婚が決まって、自然と話題にのぼったのは「両家の顔合わせをどうするか」だった。
レストランでの会食、旅館での食事会、いろいろと普通は考えるのだろうが、僕たちには言わずとも共通の認識、想いがきっとあった。

出会いのきっかけとなったキャンプ場。そこでやりたいと。

山の空気、木漏れ日、鳥の声、そして僕たちが出会った記憶の残る場所。
どうしてもここに両親を呼びたかったのだ。

キャンプ場の受付は、実は「茶屋」でもあって、食事ができる。
実はこのオーナーは京都で修行を積んだプロの料理人で、普段から四季折々の料理をふるまっている。
更に植物園も兼ねているキャンプ場、
顔合わせを行う日はおそらく花が咲き始める繁忙期、
少し気兼ねしながらも、改めて予約の電話をしたとき、
オーナーは聞くなり即「顔合わせですか?」明らかに電話の向こうの表情は笑顔だった。忙しい筈なのに、快く受け入れてくれた。
そして、それがお世話になったオーナーへの結婚報告となったのだった。
しかし何もかもオーナーの思い通り、彼の手の中だったのかもしれない・・・

そして両家の顔合わせが行われた。
オーナーが趣向を凝らして用意してくれた食事に、両親たちは驚き、そして感動していた。

「こんな山奥まで登って来た甲斐があったなぁ」と笑う両親の姿を見て、
僕はどこか不思議な気持ちになっていた。

いつもひとりで訪れていたあの場所に、
両親がいて、彼女の家族がいて、みんなで囲む食卓がある。
面白いことが起こっているなあと、しみじみと思った。

両家の両親、ともに軽トラで馳せ参じた。僕たちはその後もキャンプをする為、別々にやってきていた。(噂のカローラも)
腕を振るってくれたオーナー

それから約一ヶ月半後。
その「面白さ」は、さらに別の形で広がることになる。

オーナーの計らいで、なんとキャンプ場での結婚パーティーが開催されることになったのだ。

集まってくれたのは、仲の良い常連のキャンパー達。
10人程の小さな集まりだったが、皆スーツやお硬い格好。
しかしキャンプスタイルはいつも通り無骨という訳のわからない空間が広がっていた。
そして“ドレスコードあり”のアウトドアウェディングがはじまった。

参列してくれた友人達。テントにスーツ姿。

一見雑多なビールケースのテーブルに、オーナーと奥さんの作った繊細なオードブルや料理が華やかに彩られ、ひっそりとした常連たちがよく利用するワイルドなキャンプサイトにそれは佇んでいた。

森の奥に設置された会場。
オーナーによる直火料理も振る舞われた。

こんな手の込んだことをしてくれた皆に、僕たちも応えなければと、実は準備を重ねていた。
それはお色直しで披露した彼女渾身の「銀河鉄道999」のメーテルと、
僕の鉄郎コスプレ・・・

妻は金髪ウィッグにロングコート、僕はカツラに衣装に見立てたポンチョテントをまとい、参加者の笑いに包まれた。

地べたに座り、ワインを飲み、星を見上げながら、
僕たちはそれぞれの人生がここで交差したことを、改めて感じていた。

自然の中で、火のそばで、人の温かさに囲まれて結ばれた時間は、
どんな式場でも得られない、かけがえのない結婚式だった。

この夜の記憶もまた、家族の物語の、確かな一ページになっている。

オーナー奥様渾身の寿パイ。美しい。



8.静かに始まった妊娠という奇跡

入籍からしばらくたったある日。
年末の慌ただしい空気のなかで、彼女はどこか言いにくそうに、申し訳なさそうに話を切り出した。
「……妊娠してるかもしれない」
ちょうどそのとき、もともと趣味として初めていたチョコレート作りを副業として始めようと工房を完成させ、
「さあ、ここから頑張っていこう」としていた矢先だった。

妊娠かもしれない。
そんな大切な知らせを、気兼ねするように口にさせてしまった自分が嫌になった。
本来なら喜びがあふれるはずの瞬間なのに。
このときの彼女の表情と、胸に刺さるような自責の念は、今も忘れられない。

妊娠は、年明けすぐに産婦人科で確認された。
妊娠2ヶ月。まだ人の形とも呼べないエコーの写真を、一緒に見つめた。
その小さな形が、僕たちの人生を変え始めていた。

初詣に出かけた年始。きっと同じ願いを込めた筈。

8. 不安もあった。だけど今の僕たちだから乗り越えられる

とはいえ、僕たちはお互いに40代。
子どもを授かることは、正直もうないと思っていた。
彼女は30代の時、生理不順があり通院していた過去がある。
妊娠は「無理な体だと思っていた」と、彼女自身も語っていた。
不安はあった。高齢出産のリスク。
無事に出産までたどり着けるのかという不安。
将来的なダブルケア、同時に訪れる育児と介護の可能性・・・
自分達自身の健康への不安。
おそらく、20代での妊娠であれば、考えもしなかったような現実が目の前にあった。それでも僕は、彼女となら一緒にこの人生を歩めると思えた。

妊娠中の検診には、月に一回は取れる年休は全て検診に合わせて同行した。それは一緒に見届けたかったから。
自分も父親として、命の成長を目に焼き付けておきたかった。
エコーの中で、少しずつ少しずつ、人のかたちになっていく小さな命。
何度も見ているうちに、不思議と実感が湧いてきた。

検診に通っていたクリニックには、かつて僕が同じ職場で働いていた産婦人科医や看護師もいた。
(というのも信頼のおける産婦人科医が開業されていたのを耳にしていたから、僕の勧めで行くことに。)
懐かしいような、でも照れくさいような、不思議な感覚。
彼女のお腹の中で少しずつ大きくなる命を、エコー越しに見るたび、たまらなく愛おしい気持ちが湧いてきた。

性別が判明したクリニックの帰り道、
車の窓の外に、ふたりが出会ったあの山が見えた。
その稜線が、冬の光を受けてやわらかく浮かび上がっていた。
今思うと、その時にもうぼんやりと僕の中では息子の名前が決まりかけていた。出会った山にちなんだ名前。稜線の「稜」を名に取ろうと思った。


9. 想定外の出産、そして“父になる”ということ

出産予定日は、まだ先のことだった。
けれど、それはある日、突然やってきた。
仕事中、彼女から連絡があった。
「出血してる。ちょっとおかしいかもしれない。でも痛みはいつもと同じ」
すぐに早退し、車で1時間半離れた妻の実家近くの日赤病院へ向かった。
道中、彼女の表情がどんどん変わっていく。
痛みの間隔が短くなり、「もしかしたら今日産まれるのかも」という思いが僕の中にはあった。

病院に着いたのは14時半。
看護師さんが「今日産まれるよ」とあっさり言ったとき、
彼女が一番驚いていた。
陣痛室に入ってから、分娩室へ向かうには数時間以上はかかるだろうという助産師さんの見立てで、僕は退室を促された。
その後、夜に備えて遅めの昼食を病院向いのうどん屋さんで摂ることにした。
しかし、食事を摂っている最中、彼女にLINEをすると、
やっぱりもう看護婦さんが来て欲しいと言っていると聞き、慌てて戻った。

予想以上に早く陣痛室へ案内され、徐々に苦しむ彼女の手を必死で握り続けた。
映像が趣味の僕でも、カメラを用意する余裕もなく、病院に来ていたが、
きっとこの姿はカメラがあっても残せなかったと思う。
想定では分娩室で産まれる瞬間を納めるつもりでおり、
そのシュミレーションもしていた。
しかし早産であったため、立ち会いは叶わず、
分娩室に向かう彼女の手を握り、送り出すことしかできなかった、

その一時間後、18時前には赤ちゃんが産まれていた。
予定より1ヶ月も早い、しかも病院に着いてから約三時間半。
スピード出産だった。

分娩室からそのままNICUに連れて行かれる我が子との初対面。
驚くほど落ち着いた表情をしていた。
彼女の容体も安定していること看護師さんから聞き、
「僕は今、父になったんだ」
保育器越しの姿を1分にも満たない時間眺め、
不安がようやく少し消えて、その実感がジワジワと胸に広がっていった。

そして母子ともに入院、息子はNICU。僕はひとり家に戻った。

振り返れば、結婚後、彼女とは常に一緒だった。
在宅での仕事、毎日の食事。
だからこそ、その夜の静けさは、特別だった。
1年と数ヶ月ぶりの「ひとりの夜」。
10年近く当たり前だった時間が、全く違ったものに感じた夜。

テレビの音もつけず、ただ部屋の空気と向き合っていた。
寂しさと、疲労と、安堵と、母子の健康への不安が入り混じった夜。

入院のその間、僕は毎日、育休が取れなかった代わりに、一週間半休だけもらい、午後から職場を出て車で1時間半かけて毎日病院へ向かった。
面会時間はたった15分だった。
けれど、それでも彼女と息子の顔が見たくてたまらなかった。

退院後も、妻はしばらく実家に滞在したため、僕は週末ごとに泊まりがけで通った。
そんな日々の中で、妻がふと口にした。
「付き合ってたときよりも、今の⚪︎⚪︎くん(僕)の方が好きかもしれない」

その言葉は、きっと今までのどんな言葉よりも、照れ臭く、嬉しい一言だったかもしれない。

里帰りを終え、元気に戻ってきた妻と息子。帽子は彼女が子供の時に被っていたもの。

10. ワンコとウサギと赤ちゃんと。いびつだけど豊かな家族

そんな僕たちの家には、もう二人、大切な家族がいた。
僕が独身時代から暮らしていたチワワの「ウルフくん」。
そして、妻が連れてきたウサギの「つくねちゃん」。
ふたりは同い年。
けれど、性格は驚くほど正反対だった。
ウルくんは、妻がやって来た日から明らかに動揺していた。
警戒するように距離を取り、妻の手が伸びると、あからさまに顔を背ける。
なかなか懐こうとせず、ソファの陰からこちらをじっと見ている姿は、まるで嫉妬しているようでもあった。
きっと、コロナ真っ盛りの時に同居を始め、一番大事な時期に人との接触が極端に少なかったからだと思う。
一方、つくねちゃんはというと、まるで空気のようにドーンと構えていて、どんな変化にも動じず、
引っ越したばかりでも食欲旺盛。あっさり新居にも馴染んだように見えた。

しかし動物好きの妻でなければ、この関係はうまくいかなかっただろう。
ウルくんの心を開かせたのは、妻のやさしさと、変わらない愛情だった。

そんなふたりと、生まれてから約二ヶ月が過ぎてやってきた赤ちゃん。
息子を見つめるウルくんは不思議そうで、戸惑いはあったものの、
今は仲良くやっているように見える。

とは言っても、ウルくんの嫉妬は日々増しているようにも感じるが・・・
(きっと息子にも嫉妬している)

ウルくんとつくねちゃんは同い年。

11.それでも、生き直していけると信じられる今

出産の瞬間の彼女は、分娩台の上で小さな息子の顔を見て、
目を見開いてこう思ったそうだ、

「〇〇くん(僕)が出てきた!」
僕が二人になったみたいだ・・・と。

そう呟いて、疲労困憊の中思わず笑ったそうだ。

確かに息子は、驚くほど僕に似ていた。
産まれてすぐに「似てる!」と声が上がることはあるけれど、
このときの“似ている”は、もっと深い感情だったのではないかと思う。
彼女にとっては、それが「愛おしさ」の増幅にもなったようだった。

自分の分身が、こうしてこの世界に生まれ、家族や誰かを笑顔にしている。
それは、生きる意味のようなものを、もう一度与えてくれる体験だった。

そして僕もまた、息子の顔を見て思った。
「これが僕たちの命の続きを見るということなんだな」と。
この年齢がきて、思いもしなかったことを学ばせてくれた。

過去、自分の人生を考えるとき、今後もずっと“ひとり”で完結していた。
けれど今は、こうして小さな家族がひとつ屋根の下にいる。
妻がいて、息子がいて、動物たちもいて、家族がある。

あの日、山で彼女と出会っていなかったら、
今この生活はなかったと思うと、すべてが偶然であり、必然だったようにも思える。若い頃にぼんやり想像していた「家族像」ではなかったけれど、
今、ここにあるかたちが、僕にとっては何より愛おしく感じている。

人生は、なかなか思い通りにはいかない。
しかし、思いがけないところに幸せの種は転がっている。
拾い上げるきっかけとその勇気があるかどうか、
それだけの違いなのかもしれない。

仕事も夢も、まだ道半ば。育児もこれからが本番だ。
しかし45歳が過ぎ、
体力も、気力も、20代や30代の頃のようにはいかなくても、
このチームなら迷いながら、笑いながら、きっと乗り越えられる気がしている。

最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

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おまけ。


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