その「謎の少女」は最強、二つの目で世界の視線を釘付けにする』 第7話
第7話「前途多難? はじまりの合格通知」【後半】
### 【後半】
それから合否通知が届くまでの1週間、海野家はどこか落ち着かない空気に包まれていた。
だが、アヌスはただ果報を待っているだけではなかった。朝早く起きてハルトと挨拶の反復練習を行い、昼は妹たちと日常会話のリハビリ、夜は一人リビングでステップのおさらいと発声練習を愚直に繰り返していた。さらには海野家の家事まで自主的に手伝うなど、一秒たりとも無駄にしないひたむきな日々を送っていたのだ。
その姿をずっと一番近くで見守ってきたハルトは、アヌスに対して深い誇らしさと確かな信頼を抱くようになっていた。
そしてついに——運命の封筒が届いた。
「ついに、来たね……」
ここながゴクリと唾を飲み込む。アヌスはテーブルの上の封筒を見つめ、深く息を吐き出した。指先が緊張で微かに震えている。
ハルトが背中にそっと手を当てて力づけると、アヌスは意を決してハサミを入れ、封書を破った。
中の用紙を、ゆっくりと取り出す。
紙を広げるカサリという微かな音が、静まり返ったリビングに響いた。
サクラも、ここなも、あいりも、息を止めてアヌスの手元を見つめる。誰ひとりとして呼吸すらできない、重密な一瞬の静寂。
紙を見つめるアヌスの指が、小さく震えた。
瞳にじわじわと涙が溜まり、やがて大粒の雫が一滴、紙の上にポトリと落ちる。
ハルトが息を呑んで覗き込んだ、その瞬間。
用紙の中央に印字された**『合格(育成枠採用)』**の大きな文字が、鮮明に飛び込んできた。

「……っ! 合格……受かったぁ……っ!!」
アヌスが震える涙声で叫んだ瞬間、海野家に爆発的な歓喜が弾けた。
「やったぁぁぁっ! 本当に受かったー!」
ここなが飛びついて首に抱きつき、あいりはホッと安堵の息を漏らして口元を固く結びながら微笑む。サクラは目元を少し潤ませ、あたたかくアヌスの両手を包み込んだ。
「本当に……よく頑張ったわね、アヌスちゃん」
溢れる涙を拭いもせず、ただただ嬉しそうに泣き笑うアヌス。ハルトもまた胸の奥が熱くなり、その肩をぐっと引き寄せた。
「みんなが支えてくれたから……僕、もっともっと頑張るよ!」

「よし! じゃあ今日はお祝いにしましょう!」
サクラの提案で、みんなでケーキを買いに行くことになった。
◇
みんなでケーキを買いに行くことになり、ハルトたちは賑やかに家を出た。夕暮れ時の爽やかな風が、街角を吹き抜けていく。
「アヌス、お前は何のケーキがいいんだ?」
帰り道のケーキ屋に向かいながらハルトが尋ねると、アヌスはパッと表情を輝かせ、指を折りながら答えた。
「ショートケーキと、チョコと、チーズケーキ!」
「欲望に忠実すぎるだろ。胃袋壊すぞ」
「ちょっと、お兄ちゃんデリカシーなさすぎ! アヌスは今日主役なんだから、好きなの選ばせてあげなよ! そういう一言が多いからモテないんだよ!」
「誰がモテないだ余計なお世話だ!」
「そうだよハルト。今日は無礼講なんだから、少しは優しくしてあげなきゃ」
すかさずここながぷくっと頬を膨らませてハルトへツッコミを入れ、あいりも呆れ顔で同調する。妹たちからの容赦ない挟み撃ちに、ハルトは「お前らなぁ……」と額を押さえた。
そんな兄妹のやり取りを楽しそうに眺めていたアヌスは、ハルトの袖をちょんと引いた。
「じゃあ……もし食べすぎたら、ダイエットに付き合ってね。お兄ちゃん」
「なんで俺がそこまで面倒見なきゃいかんのだ……」
悪びれもせずに小首を傾げるアヌスに呆れつつも、ハルトは頭をポンと軽く叩いた。
「ふえ……っ!? 急に叩かないでよ……!」
照れて頬を真っ赤にし、視線を泳がせるアヌス。その素直な反応に、ハルトの口元も自然と緩んだ。
目的のケーキ屋に到着し、扉をくぐると甘い香りが周囲を包み込んでくる。

「いらっしゃいませ。今日はお揃いでお買い物ですか?」
店員のお姉さんが明るく迎えてくれると、アヌスは背筋をピシッと伸ばし、ハルトの手をそっと引っ張って店員に向き合った。
「はい! お兄ちゃんたちと、僕のオーディション合格のお祝いのケーキを買いに来ました!」
「まあ、合格おめでとうございます! 仲が良くて楽しそうですね」
「ありがとうございます!」
丁寧で元気な挨拶と満面の笑みを浮かべるアヌス。店員のお姉さんは笑顔で応対しながらも、その透き通るようなアヌスの笑顔と独特の華やかな存在感から、一瞬目を離せなくなっていた。
アヌスたちがケーキ箱を手に嬉しそうに店を去った後、お姉さんはドア越しにその背中を見送りながら、ふと胸の中で呟いた。
(あの子……なんだかすごい雰囲気のある子だったな。テレビで見かけるどころか……きっと、あの子は普通の子じゃないわ)
理由のない確信を抱きながら、店員はあたたかな笑みを浮かべていた。
◇
その日の夜、海野家ではサクラの作った特製シチューと買って来たケーキで、賑やかな合格パーティが行われた。

「本当に、よかったわねアヌスちゃん。……そうだ、せっかくだし今日も泊まっていったら?」
食後、紅茶を淹れながらサクラが提案すると、アヌスは少し驚いたように目を丸くした。
「えっ……いいの?」
「いいも何も、もう家族同然なんだから」
サクラの温かい言葉に、アヌスは胸がいっぱいになったように「うん!」と大きく頷いた。自分がこの温かな場所に当たり前のように受け入れられていることを実感し、アヌスの顔にはあふれんばかりの喜びが広がっていた。
パーティも一段落し、お風呂の順番を決める段階になって、サクラが何気なく言った。
「ハルト、アヌスちゃんと先に入ってきなさい」
「ちょっとお母さん! 男同士とはいえダメだよ! お兄ちゃんにアヌスが襲われちゃうじゃん!」
ここなの突拍子もない暴論を皮切りに、脱衣所が一気に騒がしくなる。
「襲うわけねえだろ! どんな目で見とんだお前は!」
「私もアヌスと一緒に入りたいー!」
「あ、私も入りたい!」
あいりまで乗っかって騒ぎ始め、脱衣所はカオスと化した。ハルトは頭を抱えた。これ以上の混乱を避けるため、半ば避難するようにアヌスの手を引いて浴室へ駆け込み、慌ててカギを閉めた。
「ふぅ……まったく、あいつらは……」
湯気が立ち込める浴室でハルトが溜息をつくと、アヌスが少し顔を赤くしながら、遠慮がちにハルトを見上げてきた。
「あ、あのね、ハルト……背中、流し合いっこしよう?」
小さめの体つきを少し気にしているのか、アヌスは気恥ずかしそうに肩をすくめ、視線を泳がせている。
その可憐な立ち姿に、ハルトは一瞬だけ戸惑いを覚えた。
(男なのに、細すぎるだろ……。本当に女の子みたいだな……)
だが、ハルトはすぐに思考を切り替えた。
(いや、違う。……こいつは今まで、誰にも甘えられずに一人で必死に耐えてきたんだ。変に気まずくなるくらいなら、俺がちゃんと兄貴分として支えてやらないと)
「おう、分かったから。泡流すぞ。背中向けろ」
「うんっ」

ハルトの落ち着いた声に、アヌスは嬉しそうに小走りで前へ行き、ちょこんと洗体用の椅子に座った。自分を心から信頼して背中を委ねてくれているのが伝わってくる。
ハルトは桶でお湯をすくい、アヌスの背中へ静かに流した。
「熱くないか?」
「うん、ちょうどいいよ。すごくあたたかい……」
ふわりと立つ湯気の中、ハルトは洗体タオルにシャンプーを泡立て、丁寧に背中を流していく。その最中、泡がアヌスの頭にちょこんと乗ってしまい、小さな泡の帽子ができた。
「あ、ハルト、なにか乗った……?」
「くくっ、泡の帽子だ。似合ってるぞ」
「えぇー! 僕、かっこいいアイドルになるのにー!」
アヌスが頬を膨らませて振り返ると、二人で顔を見合わせて自然と吹き出してしまった。
「はいはい、綺麗に流すからじっとしてろ。……よし、流し終わったぞ。次は交代な」
「あ、うん! 今度は僕が流すね!」
立ち上がったアヌスは、張り切ってシャワーとスポンジを手にとった。
「ハルト、痛くなかったら教えてね?」
「そんなに力入れてゴシゴシやらなきゃ大丈夫だ」
アヌスはハルトの背中に丁寧にお湯をかけ、優しくスポンジを滑らせていく。力加減を気にして何度も「痛くない?」と確認しながら、一生懸命に背中を流してくれた。その健気で手際の良い感覚に、ハルトの口元が緩む。
「よし、綺麗になったよ!」
「サンキュ。じゃ、湯船浸かるぞ」
「はーい!」
二人並んで湯船に浸かり、ほっと息を吐き出す。
ゆらゆらと湯気が揺れる中、しばらく静かな時間が流れた。さっきまでの賑やかな雰囲気が嘘のように、浴室にシャワーの滴る音だけが響く。
湯気の向こうを見つめるアヌスの瞳に、一瞬だけ誰かを思い出すような影が宿った。
ふと、アヌスが湯面を見つめたまま、ぽつりと口を開いた。
「ねぇ、ハルト……」
「ん? どうした?」
「……変なこと聞くんだけど。」
アヌスは少し不安そうに視線を彷徨わせ、湯船のお湯を手で静かに救い上げながら呟いた。
「もし、いつか僕が戦わなきゃいけない時が来たら……どうする?」
一瞬、ハルトは言われた意味が分からず、首を傾げた。アイドルとしてのレッスンや厳しい競争のことかとも思ったが、アヌスの横顔にある影は、そんな単純な話ではないように思えた。
ハルトはまっすぐアヌスを見つめ、静かに、けれど強い口調で言った。
「変なこと聞くな。そんなことになるわけない」
「……え?」
「もしそんな時が来ても、俺はお前に戦ってほしくない。俺にとって、お前はもう大事な家族なんだからな」
ハルトの迷いのない言葉に、アヌスは目を見張り、それからふっと胸を突かれたように固まった。
「……ハルト……」
「だから妙な心配すんな。困ったことがあれば俺を頼れ」
ハルトがアヌスの頭をぽんと撫でると、アヌスは安心したように笑った。
「……うん。」
アヌスは小さく頷いた。けれど、その笑顔の奥には、誰にも気付かれない小さな不安が静かに残っていた。
湯気の向こうで交わされた問いかけ。ハルトはその言葉の本当の意味を知る由もなかったが、二人の間には本当の兄弟のような絆が確かに刻まれていた。
◇
さらに夜、就寝の時間。
予備の布団がないというサクラの判断により、アヌスはハルトの部屋で一緒に寝ることになった。
妹たちの「ずるーい!」という視線を振り切り、ハルトの部屋に入る。パチンと電気を消すと、一気に部屋は静寂と暗闇に包まれた。
暗闇の中で隣を感じると、少し照れくさい空気が漂う。掛け布団を胸元まで引き上げ、モジモジと体を動かすアヌスの気配が伝わってきた。
「……ハルト、起きてる?」
「おう。どうした、眠れないのか?」
「うん……なんだか、胸がいっぱいで……」
アヌスは少し照れたように鼻をすすると、決心したようにそっと布団の中で体を寄せ、ハルトの袖口を遠慮がちにキュッと掴んだ。
「ハルト……僕ね、昔はずっと一人だったんだ。暗い部屋で一人で寝るのがすごく怖くて……誰も助けてくれないんじゃないかって、どこにも僕の居場所がないんじゃないかって、毎日寂しくて震えてた……」
暗闇の中で明かされる、深い孤独。掴まれた袖口から伝わる微かな震えに、ハルトの胸は強く痛んだ。この手を決して離さず、兄としてずっと守ってやりたいという強い想いが湧き上がってくる。
ハルトはアヌスの銀髪にそっと手を置き、その肩を抱くように引き寄せた。
「……もう一人じゃない。俺たちがいる。だから過去のことは忘れて、安心して寝ろ」
「……うん。ハルト、ありがとう……おやすみ……」
ハルトの腕の中で、アヌスは全身の力を抜き、ゆっくりと身を委ねてきた。
ハルトが背中を一定のリズムでトントンと叩き続けると、やがて安らかな寝息が静かな部屋を満たしていった。
カーテンの隙間から差し込む柔らかな月光が、アヌスの穏やかで幸せそうな寝顔をそっと照らしている。この温かい家で、アヌスが孤独に震える夜はもう二度と訪れない。
だが——静かな夜が明ければ、すぐに新しい挑戦が始まろうとしていた。
明日からはついに、プロとしての第一歩となる初レッスンが待っている。
そこには、ここな以外の現役メンバーたちとの初対面が控えていた。
経験の浅いアヌスは、他のメンバーたちに受け入れてもらえるのだろうか。それとも、厳しいプロの世界の洗礼を受け、激しく衝突してしまうのか。
そもそも、あの厳しいダンスや歌の練習に、今の能力で本当についていけるのだろうか——。
安らかな寝息を立てる「弟」のぬくもりを感じながら、ハルトは静かに未来への強い期待と決意を固めていた。

◇
その頃——。
誰も知らない場所で、一枚の写真を見つめる黒い影が静かに笑っていた。
「ようやく見つけた。」
第8話「新しい仲間はどんな子?」へつづく
