その「謎の少女」は最強、二つの目で世界の視線を釘付けにする』 第10話
第10話「温かな家と、交わした約束」
事件の翌日。
僕は今、海野家のリビングの真ん中でハルトの前に立っていた。
「お前、頼むから本当にもう無茶しないでくれ……! お前は本当に大切な、大切な弟なんだから……っ!」
ハルトの声が震えていた。その目に浮かんでいるのは怒りなどではなく、アヌスを失うかもしれない恐怖と、どうしようもないほどの心配だった。
ぶっきらぼうで、普段は照れくさくてこんな言葉を口にしないハルトが、我慢しきれずに僕の肩を強く掴み、そのまま引き寄せるように力強く抱きしめてきた。
「ハルト……ごめんなさい……っ」
「……ここなを助けてくれてありがとな。お前には本当に感謝してる。……でもな、俺はここなだけじゃなく、お前もすごく大切なんだ。頼むから、もう無茶はしないでくれ。俺はただ、お前たちに生きててほしいんだよ」
かつて戦場では、どんな傷を負っても涙を流したことはなかった。
痛みに耐えることも、恐怖を押し殺すこともできた。
けれど今は違った。
敵の攻撃ではなく、家族から向けられる「生きていてほしい」という願い。
無条件の愛情に触れたことで、凍りついていた心が少しずつ溶けていく。

気付けば、涙は止まらなくなっていた。それは痛みの涙ではなく、生まれて初めて本当の温かさを知ったからこその涙だった。
ハルトは胸の内で震える僕を、壊れ物を扱うように、それでもしっかりと抱きしめ直してくれた。
その後、愛梨やサクラ母さんにもそれぞれ違った形で気持ちをぶつけられた。
「もう……どれだけ心配したと思ってるの! 私、一度失いかけたからこそ、みんなには生きていてほしいって心の底から思うの。だから、そんな無茶しないで……っ」
あいりは、かつて自分が死を経験しかけたからこそ、誰かを失う怖さを人一倍理解していた。その切実な声には、命の重みを知る者特有の温かさが宿っていた。
正座をしたまま小さくなっている僕を見て、ここなが申し訳なさそうに、けれどいつもの明るさで寄り添ってくる。
アイドルとして大勢の人の前で表情を見てきたここなには、僕が作る作り笑いや、無理をして平気なふりをしている癖がすぐに分かってしまうらしかった。
「あ、アヌス……そんなにヘコまないで? アヌス, あの時すごくかっこよかったよ! ……でも, 無理して笑ってるの, 私には分かるからね。だから, そんなに自分を責めないでよ」
「うう……」
「 お兄ちゃんとお姉ちゃん がアヌスを怒りすぎたんだよ! ねっ, お母さんもそう思うでしょ?」
「そうね。私もつい心配で熱くなっちゃったけれど……アヌスちゃん, よく頑張ってくれたわ」
サクラ母さんは優しく僕の頭を撫でてくれる。能力や、元・特殊部隊という過去なんて関係なく、ただの「我が子」として僕を包み込んでくれるその手に、胸が締め付けられるように熱くなった。
「……そうだな。悪かった, 言い過ぎたよ」
ハルトも不器用に頭をポリポリとかきながら, 気まずそうに目を逸らした。
家族全員が, それぞれのやり方で僕の無事を喜び, そして心配してくれている。
「あ! いいこと思いついた! そういえば買っておいたんだよね……あった, アイス!」

ここなが冷蔵庫から持ってきたアイスを差し出すと, 僕は少し涙を拭いながら, ちびちびとそれを口に運んだ。甘さが口いっぱいに広がり, ささくれ立った心がすーっと落ち着いていく。
「ははっ……こいつ, ほんと甘いものに目がないよな」
「もう, 子どもなんだから」
家族全員で僕を囲み, こうして笑い合っている。
元・特殊部隊員《オブリビオン》の孤高の戦士なんて経歴があっても, 今の僕は, 家の中ではただの守られるべき16歳の少年だった。
◇
泣き止んだ後, 僕は昨日の事件の件で警察署へ呼ばれることになった。
重い足取りで警察署へ向かい, 殺風景な取調室のような部屋で事情説明を始める。
特殊部隊で培った観察力や, 不都合な真実を隠すための演技力, そして一瞬で状況を把握する判断力を総動員して,「たまたま通りかかっただけ」「いつの間にか敵が倒れていた」という苦しい言い訳を組み立てる。
(ふぅ……戦闘で命を張るより, 普通の16歳を演じて警察をやり過ごすほうが, よっぽど頭を使うし精神的に疲れる……)
「アヌスさん, 九条エリナさんは, あなたが魔法犯罪組織の連中を一人で倒したと言っていますが?」
「いや, えっと! それは彼女の勘違いというか……!」
その後,「なんて無茶をするんだ」とこっぴどく説教を受け, どうやって身を守ったのかをしつこく聞かれたが, 僕は観察眼をフル回転させて相手の表情を読み取りつつ, なんとか言葉をごまかし続けた。
小一時間ほど問答を繰り広げ, ようやく解放された時には全身のエネルギーが抜け切っていた。
重い足取りでアパートへと戻り, そのままベッドへとダイブする。
「はぁ……散々怒られて, 心も体もすり減ったな……」
すっかり疲れ果てた僕は, とりあえず壁に向かって目を閉じた。
◇
数時間後。
すっかり外が暗くなった頃, 玄関のチャイムが激しく鳴り響いた。
ピンポーン, ピンポーン!
「……誰かな。今日はもう何も考えたくないんだけど……」
しかし, チャイムの音は一向に鳴り止まない。仕方なく溜め息をつきながらベッドを出て, ドアへと向かった。
「はい……どなたですか?」
ガチャリと扉を開けると, そこには案の定, 腕を組んだハルトが立っていた。
「なんだ, ちゃんといたんだな」
「ハルト……? どうしてここに……」
「弟が一人で殻に閉じこもって, また全部一人で抱え込んでるんじゃないかと思ってな」
「いや, 別に抱え込んでは……」
「連れ出すに決まってるだろ!」
ハルトは迷うことなく, 僕の腕を引っ張った。
「お前が一人でいたら, 絶対に気分が落ち込んで全部一人で何とかしようと悩んでることが目に見えてるからな。……だから, そんな弟を連れ戻すのも兄貴の仕事だ。ほら, 一緒におうちに帰ろうぜ」
ハルトのまっすぐな言葉に, 僕は胸の奥が熱くなり,「……うん」と小さく頷いた。
ハルトは僕の手をギュッと力強く握りしめてくれた。夜風は冷たかったけれど, 繋がれた手から伝わる温もりがやけに心地よかった。
◇
家に到着すると, 扉を開けた瞬間にみんなが出迎えてくれた。
「あ, 遅いよアヌス!」
「何か警察で面倒なこと言われなかった?」
「ちょうどご飯ができたところよ, 温かいうちに食べましょ」

5人で食卓を囲み, 温かい料理を口に運ぶ。
一人でアパートにいた時はあんなに重かった空気が, この家では嘘のように溶けていく。みんなと一緒にいると, なぜだか心がじんわりと満たされていくのを感じた。
食後, ハルトに手を引かれるがまま, 僕はお風呂場へと連れられ, さらに部屋に戻ってからも, ここなやあいり, サクラ母さんからの温かい気遣いは続いた。
そんな穏やかな時間の流れの中で, 僕はふと決意した。
(いつまでもみんなに嘘をつき続けるのは嫌だ……。家族を信じたい。本当の自分を受け入れてほしい)
みんながリビングに集まっているタイミングを見計らい, 僕は意を決して口を開いた。
「あの……みんな, 少し聞いてほしいことがあるんだ」
「ん? どうしたアヌス, 真面目な顔して」
ハルトに促され, 僕はこれまでの経歴について話し始めた。
「わかった, 話すよ。……みんな, 特殊部隊『オブリビオン』って知ってる?」
「それは知ってるだろ。ニュースでも名前が出るような, 政府直属の……って, まさか」
「私も名前くらいは聞いたことあるよ!」
「……あら, 何それ? お母さんよく分からないわ」
首をかしげるサクラ母さんのために, ハルトが驚愕を押し殺した声で説明を加えた。
「もしかしてだけど……お前, その特殊部隊にいたのか?」
「……うん。そうだよ。僕はそこで, ずっと戦ってきたんだ」
ハルトは驚きながらも, 怒りではなく苦しそうな表情を浮かべる。
「……なあ, アヌス」
「……うん」
「お前……なんで, そんなところにいたんだよ」
「……」
「オブリビオンって, 普通の奴が簡単に行くような場所じゃないだろ」
アヌスは少し視線を落とす。
「……生きるためだったんだ」
「……え?」
「僕には帰る場所がなかった。食べていくためには, お金が必要だった。だから……働くしかなかった」
「それで……オブリビオンに?」
「うん。そこで戦えば, 生きていけたから」
その言葉を聞いたハルトは, アヌスを責めることはできなかった。
強いから選ばれたわけではない。才能があったからでもない。
ただ、生きるために過酷な道を選ぶしかなかった16歳の弟の背景を知り, 激しい悲しみと苦しみが胸を締め付けた。
「……お前, そんなことをずっと一人で抱えてたのかよ」
母さん以外の全員が, 大切な弟がそんな環境で生きてきたことを知り, 言葉を失った。
「ア, アヌスがそんな過酷な場所に……!」
「信じられないよ……あんなに小柄で, 可愛い弟なのに……!」
「信じられねぇよ……あんな治安の悪い戦場に, お前みたいな奴が……!」

慌てふためく3人を前に, ハルトは深く息を吐き, 震える手で僕の肩を掴むと, まっすぐに目を見つめた。
「もういいんだ, アヌス」
「お前はもう一人じゃない」
「強いから大切なんじゃない。戦えるから必要なんじゃない」
「お前が俺たちの家族だから, 大切なんだ」
「だから, もう一人で全部背負うな。これからは俺たちを頼れ」
「お前がどんなに強くても, 俺たちに頼っていいんだぞ」
「……うん, 分かった。約束するよ」
「もう夜も遅いし, そろそろ寝ましょうか。アヌスちゃん, 今日はハルトと一緒の部屋で寝てね」
母さんの提案で, 僕はハルトの部屋のベッドで一緒に眠ることになった。
◇
部屋の明かりを消した暗闇の中。
ベッドに並んで横たわると, ハルトが少し気恥ずかしそうに, けれど真剣な声で呟いた。
「……なあ, アヌス」
「なに……?」
「俺は……お前を大切な弟だと思ってる。強いから必要なんじゃない, お前が俺たちの家族だから, 大切なんだ」
「ハルト……」
「だからな, お前が死んだら, 俺も, 母さんも, あいりも, ここなも……みんな底知れず悲しむんだ。お前はもう一人じゃない。だから, 何でもかんでも一人で背負い込もうとするな」

ハルトは身体を起こすと, 布団の中にいた僕を, 力強く, 包み込むように抱きしめてきた。
「お前が敵に突っ込んでいって, もし二度と帰ってこなかったらって考えたら……本当に怖かった。ものすごく苦しかったんだ。だから頼む, 俺たちから離れていかないでくれ。ずっと一緒だ」
「……うんっ……! ハルト……っ!」
僕の瞳から, こらえきれなかった大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちる。
「嬉しいよ……! ハルト, 僕, 今すごく……世界一幸せだよ……!」
「大げさな奴だな……って, また泣いてるし。ほら,泣くなよ」
背中を優しく, 何度も撫でてくれるハルトの手が, 大きくて, たまらなく温かかった。
ハルトはアヌスをしっかりと抱きしめながら, まっすぐな声で紡いだ。
「俺は, お前が笑ってるところが好きなんだ」
「強いお前じゃなくてもいい」
「甘えてくるお前も, 弱いところを見せるお前も, 全部大切な弟だ」
「だから, 勝手にいなくなるな」
「俺たちはずっとお前の家族だ。だから, もう一人で全部抱え込まなくていい。俺たちを頼ってほしい」
「うん……! 僕もみんなとずっと一緒にいたい! だから絶対に離れない……!」
泣きながら力強く誓う僕に, ハルトは愛おしそうに目を細め, 優しく微笑んだ。
「ふふ……さて, 寝るか, アヌス」
「そうだね。お兄ちゃん, おやすみ」
「おやすみ, 大切な弟」
静寂に包まれた夜の中。
かつてのアヌスにとって, 夜とは「いつ敵が襲ってくるか分からない警戒の時間」であり, 孤独に耐えるための時間だった。
しかし今の夜は違う。
ハルトの確かな体温を感じながら, 家族の温もりを胸に刻み込み, 最強の戦士だったアヌスが, 初めて誰かに守られる安心感を知る――そんな, かけがえのない夜だった。

◇
第11話へつづく
