その「謎の少女」は最強、二つの目で世界の視線を釘付けにする』 第9話
第9話「初レッスンと芽生える絆」
『Seraph Production』での正式な契約を終えた翌日、僕――アヌスは早速、ここな、そしてエリナの二人と共に初めてのレッスンに臨んでいた。
「はい、ワン、ツー、スリー、フォー! 腕の引き意識して!」

インストラクターの鋭い声がスタジオに響く。
アイドルという仕事が、これほどまでに過酷なものだとは思いもしなかった。振り付けを一つ覚えるだけでも一苦労で、ダンスの難しさ、そして奥の深さを痛感させられる。
これまで厳しい訓練を重ねてきた自分なら、ある程度は難なくこなせるだろうと高を括っていた。けれど、プロの世界はまるで違っていた。指先一つ、視線一つにまで込められた圧倒的な迫力と表現力。そこには、今の僕にはない決定的な「何か」が存在していた。
「ふぅ……ふぅ……」
「アヌスちゃん、リズム完璧だよ! そのまま行こう!」
隣で汗を流しながら、弾けるような笑顔で踊るここな。そして、優雅でありながらブレない軸を持つエリナ。二人のダンスを目の当たりにして、僕はプロとしてのレベルの違いを思い知らされた。
曲が終わり、荒い息をつきながらその場に膝をつく。
「大丈夫ですの、アヌスさん?」

差し出されたタオルとドリンクを見上げると、エリナが心配そうに覗き込んでいた。
「ハァ……ハァ……僕は、大丈夫です……!」
「無理はいけないですわよ。レッスンは長丁場ですもの」
「そうだよアヌス! 今日は初日なんだから、焦らなくて大丈夫だって」
ここなも駆け寄ってきて、優しく背中を叩いてくれる。
「二人とも……ありがとう」
「そうですわ! せっかく新しい仲間が加わったのですもの。レッスン後に3人でお茶にでも行きませんこと?」
「えっ、めっちゃいい! ねぇアヌス、3人で行こうよ!」
「うん、ぜひ行きたいな」
◇
レッスンを終えた僕たちは、エリナのおすすめだという喫茶店へと向かった。
街中を出歩くにあたり、ここなとエリナは帽子やサングラスで入念に変装をしている。アイドルという存在は、日常生活を送るのも一苦労なのだと他人事ながら感心してしまう。
連れられてやってきたのは、路地裏にひっそりと佇む隠れ家的な喫茶店だった。案内された個室に入り、ようやく二人は変装を解く。落ち着いた雰囲気に、レッスンで疲れた体が少しずつ解れていくのを感じた。
「さて、何にいたしましょうか。では、私は紅茶にいたしますわね。お二人は何になさいますの?」
「じゃあ僕は……パンケーキで!」
「あたしはパフェ! いちご乗ってるやつにする!」
注文を終え、ほっと一息ついたところで僕はエリナに向き直った。

「エリナさん、お誘いいただきありがとうございます」
「ふふ、別にいいのよ。私、美少女には優しくするタイプですの。……それと『先輩』は付けなくてもよろしくてよ。『エリナ』とお呼びなさいな」
「えっ、でも……年上ですし、先輩ですし……」
戸惑う僕を見て、ここながお通しのお水を飲みながら笑う。

「アヌス、いいんだよ。あたしも普通にエリナって呼んでるし!」
「ええ、エリナで十分ですわ」
「じゃあ……エリナ」
「はい、それでよろしくてよ。……まあ、ファンや執事の方々には『様』付けで呼ばせておりますけれど、あなた方は特別ですわ」
「ファンに『様』って呼ばせてるの、エリナくらいだよね絶対に……」
「そうでしょうか?」
「絶対そうだって!」
そんな軽妙なやり取りをしていると、注文した品が運ばれてきた。甘いパンケーキと温かい雰囲気に包まれ、僕たちの距離は一気に縮まっていった。
「ねえ、この後はどうする?」
ここながパフェを頬張りながら尋ねる。
「そうですわね、せかくですし他にも出かけたいですわね。映画などはいかがかしら?」
「いいね、行こう! アヌスはどう?」
「僕……実は映画館に行ったことがなくて。行ってみたいです!」
「決まりですわね! 早速参りましょう」

その後、3人で映画を満喫し、気づけば外はすっかり薄暗くなっていた。
「では、今日はそろそろ解散にいたしましょうか」
「そうだね。二人ともごきげんよう!」
映画館の前でエリナと別れ、僕はここなを家まで送り届けてから、自分のアパートへと帰宅した。
部屋に着いて一息ついた頃、スマートフォンの画面が光る。ここなからのLINEだった。
『明日、エリナと買い物行くんだけど、アヌスも一緒に行かない?』
一人で過ごすはずだった休日に訪れた楽しそうなお誘い。僕は二つ返事で『行く!』と返信し、待ち合わせの時間と場所を決定した。
◇
翌日。
約束の時間より10分早く待ち合わせ場所に到着した。
けれど、待ち合わせの時間を過ぎても二人は現れない。
(……もう少し待ってみようかな)
さらに10分が経過した。
二人は一緒に来るはずなのだが、ここなにメッセージを送っても一向に既読がつかない。
(おかしいな……ハルトに連絡してみようか)

胸騒ぎを覚えた僕は、ハルトに電話をかけた。
『ねぇハルト、そこにここなはいる?』
『ん? ここなら30分くらい前に出かけたぞ。連絡でもあったのか?』
『待ち合わせしてるんだけど、一向に来ないんだ。LINEも反応がなくて……』
『なんだと? あいつが遅刻なんて珍しいな……俺も心当たりはないぞ』
電話を切り、焦りを隠せずその場を何度も歩き回った。
さらに20分が過ぎ、合計で1時間近くが経とうとしていた。
(一旦、どこかの店で待っていよう……)
近くの喫茶店に入り、ケーキを注文して待つことにしたものの、喉を通らない。
結局、ケーキを残したままお金を払って店を出た。
その10分後、ハルトから焦ったような着信が入った。
『ハルト、どうしたの!?』
『……アヌス、落ち着いて聞け。ここなが……さらわれた』
『……えっ?』
『「魔法犯罪組織《ノクス》」って連中だ。警察すら手を焼く危険なグループで、あいつら……身代金1億円を要求してきた。エリナさんの家にも同じ要求が行ったらしい』
頭の中が真っ白になり、血の引く音がした。
『アヌス、どうした!?』
『……ハルト、ごめん。少し行ってくる』
『アヌス、やめろ! お前が敵う相手じゃない! 待て、アヌス――!』
電話越しに激昂するハルトの声を遮り、僕は通話を切った。
怒りで胸が張り裂けそうだった。拳を力任せに握りしめると、自分でも気づかないうちに漏れ出た過剰な魔力がバチバチと周囲の空気を震わせ、足元のコンクリートにピキピキと小さなひびが入っていく。
元特殊部隊員としての冷徹な計算脳が、激情の裏側で高速回転を始める。時間、拉致場所、移動可能範囲、隠れ家になりそうな廃倉庫――。
「時間がない……!」
僕は魔法で身体能力を極限まで強化し、そのまま空へと飛んだ。
◇

その頃、暗く湿った倉庫の室内。
縛られたここなとエリナが、薄っすらと目を覚ました。
「……目が覚めたか、アイドルさんよ」
パイプ椅子に座る男たちが、二人を見下ろして下衆な笑みを浮かべていた。
「あなたたち……何のためにこんなことを……!」
「何のため? 金に決まってんだろ。警察も手出しできねぇ俺たちに身代金を払ったら、あとはお前ら二人を殺して終わりだ。ただの『商品』なんだよ、お前らは」
「そんな……! 警察を馬鹿にして……!」
「ハハッ! 警察なんてビビって指くわえて見てるだけだろ。命をどう扱うかは俺たちの自由なんだよ。余計な喋りをしてると、今すぐその可愛い顔を削いでやるぞ」
男たちは嘲笑いながら、倉庫の重いシャッターをバタンと閉めた。完全な暗闇と静寂が二人を包み込む。
「ここなさん……ごめんなさい。私のせいですわ……」
「エリナのせいじゃないよ! 大丈夫、きっと助けが来るよ……!」
「……期待はできませんわ。相手は悪名高い《ノクス》……。残りの命が短いなんて、どんな気分なのかしらね……」
◇
「さあな。金さえ手に入ればこの作戦は大成功だ」
倉庫の外で、ボスと呼ばれる男がタバコを吹かしていた。そこへ、焦り切った部下が駆け込んでくる。
「ボ、ボス! 大変です! 巡回していた構成員10名がやられました!」
「なに!? 警察か!?」
「わかりません! でも……銀髪でオッドアイの、小柄な人影です!」
「なに……? 面白い。俺の直属の4人に行かせろ。そいつをハチの巣にして殺してこい」
倉庫の前庭。
転がる構成員たちの間を抜け、アヌスはゆっくりと歩を進めていた。その瞳には、氷のような冷たさと、苛烈な怒りが宿っている。
「……弱いな。僕の大切なものを奪うつもりなら、覚悟するんだね。僕、こんなに怒ったことないんだから」
そこへ、ボスの直属だという4人の魔法師が立ちふさがった。

「なかなかやるじゃないか。だが俺たち4人はそこに転がってる雑魚とは違うぞ。火、水、風、土の高度な魔法が使えるんだ。せいぜい足掻いてみろ!」
「……前置きはいいよ。言葉はいいから、かかってきなよ」
「~っ! ムカつくガキだ! 死ね!」
一人が放った巨大な炎の球が迫る。
アヌスは逃げる素振りすら見せず、両の瞳に秘められた能力を静かに発動させた。
炎はアヌスの体に触れた瞬間に霧散し、消えてなくなった。
「な……!? 魔法が消えた……!?」
「全員でかかるぞ!」
4人が同時に放った複合魔法も、アヌスのシールドの前には小波程度の衝撃にしかならなかった。
「4人がかりでも、僕には勝てないよ」
次の瞬間、アヌスの姿が消えた。
視認不可能な高速移動で踏み込むと、4人の腹部へと間髪入れずに重い一撃を叩き込んでいく。4人はその場に崩れ落ち、一瞬にして気絶した。

「バカな……あの4人を一瞬で……!?」
奥から現れたボスが戦慄する。
「あれでトップクラス? なめすぎじゃない? 僕がいた特殊部隊『オブリビオン』の基準なら、真ん中より下だよ」
「オブリビオンだと……!? まさか、あの部隊の隊員だったというのか……!」
ボスは冷汗を流しながらも、凶悪な威圧感を放った。
「だがな……俺はあの雑魚どもとは格が違うんだよ!」
ボスが腕を掲げた瞬間、周囲が不気味な赤紫色の魔力に呑まれ、アヌスの魔力が一斉に霧散した。
「俺の技――【魔導封殺結界】! この結界の中では、俺以外の魔法は一切使えねぇ! この空間で魔法を使えるのは俺だけだ!」
言い放つと同時に、ボスは結界内で自身だけに許された巨大な炎の塊を解き放った。爆炎が視界を遮り、間髪入れずにボス本人が肉弾戦へと踏み込んでくる。
(魔法は封じられても……『異能』のシールドがある。一か所に密度を高めて展開すれば――)
アヌスは瞬時にシールドの密度を極限まで収束させ、爆炎をギリギリで受け流しつつ身をひねった。しかし、体勢を崩した一瞬の隙を逃さず、ボスの強烈な拳がアヌスの肩を捉えた。
「くっ……!?」
ドガァンと鈍い音が響き、アヌスは後方へ吹き飛ばされて壁へと叩きつけられる。服の袖が焦げ、肩から血が滲んだ。
(……油断したな。でも、シールドの収縮と密度の操作は問題ない。これならいける――)
「ハハッ! 逃げ回るのが精一杯か! 魔法を奪われたお前に勝機なんざねぇんだよ!!」
ボスは確信に満ちた笑みを浮かべ、結界内の爆炎と竜巻を拳に凝縮させて肉迫する。
絶望的な破壊力が迫る――。
だが、体勢を立て直したアヌスはその直撃を紙一重でかわした。
ズドンッ!! とボスの拳が空を穿ち、背後のコンクリートが崩落する。
煙の舞う中、アヌスは冷ややかな殺気を込めて囁いた。
「ねえ……確かに今の僕は魔法が使えないよ。でも……『異能』なら使えるんだよね」
「……な、なに……!? 異能だと!?」

アヌスは異能のシールドを、高密度の球体へと極限まで圧縮した。
「そんな異能……聞いたことがねぇ……! シールドを、そんな使い方までできるのか……!?」
「食らいなよ」
戦慄するボスの胸元へ、圧縮したシールドを一気に解き放つ。
「させねぇぇッ!!」
死線を感じ取ったボスは咄嗟に腕を交差させ、最も得意とする炎で壁を展開した。だが、防御に向かない攻撃特化の炎では、高圧縮の異能球体を止められるはずもない。一瞬で防壁が砕け散る。
「なっ、炎の壁ごと……――!?」
――ドガァァァンッ!!!
防壁を突き破った圧倒的な衝撃波がボスの胸元を直撃した。
「こんな……化け物部隊が存在したのか……! これが……オブリビオン……っ!」
激しい衝撃に血を吐き、ボスはそのまま床へ叩きつけられて完全に意識を失った。周囲を固めていた不気味な結界がガラガラと音を立てて崩壊していく。
結界が消滅した瞬間、アヌスは魔法が再び行使できる状態に戻ったことを直感した。
冷ややかにボスを見下ろす。
「魔法だけが力だなんて思わないことだね。……僕の大切な人たちを、もう誰にも奪わせない」
◇
バキンッ! と大きな音を立てて、倉庫の重いシャッターが強引にこじ開けられた。
光の中に立っていたのは、銀髪を揺らす小柄な人影だった。
「ここな! エリナ! 大丈夫!?」
アヌスは二人目掛けて駆け寄り、勢いよく飛び込んだ。
「アヌス……!? 一体どうやって……!?」
「みんなもう寝てるよ。さあ、帰ろう」
アヌスは素早くロープを生成して気絶した男たちを縛り上げ、警察とハルトへ救出完了の通報を入れた。
遠くからパトカーのサイレンが近づいてくる。
「ここな、大丈夫?」
アヌスが尋ねると、ここなは涙で濡れた目を丸くしてアヌスの肩を指差した。
「あ、アヌス、その肩……! 血が出てるよ!?」
「怪我をされていたのですか!?」
エリナも青ざめた顔で駆け寄ってくる。
「……ああ、これ? 大丈夫、能力で治せるから」
アヌスは【サマエル・生極】の権能の一つ――【極限修復】を発動した。
肉体の損傷だけを修復する能力だ。疲労や魔力、病気や呪いまでは治せない。
胸元に手を当てると柔らかい光が溢れ出し、肩の皮膚が瞬く間に再生していく。破れた服から覗いていた痛々しい傷口は、血痕だけを残して綺麗に姿を消した。
「す、すごい……! 傷が一瞬で全快した……」
「本当に不思議な力をお持ちですのね……」
二人が目を丸くする中、ここなが溢れ出る涙を拭いもせず、震える手で強くアヌスの服を掴んできた。
「また無茶したんだから……! 心配したんだよ、バカ……!」
「そうですわよ……! おひとりでこんな危険な場所へ飛び込むなんて、無茶が過ぎますわ!」
エリナもまた気高さを忘れたかのように、肩を震わせて胸を押さえていた。二人の本気の心配と優しさが、痛いほど胸に染み込んでいく。
「二人とも……ごめんね。でも、無事で本当によかった」

アヌスは二人の頭を優しく撫でた。
「……もう大丈夫だよ。安心して」
3人は抱き合いながら、安堵の涙を流し続けた。
やがて大勢の警察官と救援隊が駆け込んできた。現場に到着した医療班がすぐに二人の精神状態を確認し、ショック症状を考慮した警察側の判断により、本日の詳しい事情聴取は見送られ保護が優先されることとなった。アヌスは寄り添いながら警察の手配した車へと乗り込んだ。
車に乗る直前、アヌスはそっと澄んだ夕空を見上げた。
胸の奥で安堵の息をつきながら、アヌスは二人の手の温もりを確かめた。
(もう誰にも、この温もりを奪わせない。)
優しい夕風が、三人の頬をそっと撫でていった。
だが、この穏やかな時間が長く続かないことを、三人はまだ知らない。
◇
第10話へつづく
