その「謎の少女」は最強、二つの目で世界の視線を釘付けにする』 第14話
:温かな灯火
その「謎の少女」は最強、二つの目で世界の視線を釘付けにする』 第14話
春の柔らかな気だるさが、新緑の匂いとともに廊下を満たす放課後。入学式を終えたばかりの真新しい教室で、アヌスはゆっくりと席を立った。散りかけた桜の花びらが風に舞う中、窓際の席を離れようとしたその足取りを止めたのは、気さくな笑みを浮かべたクラスの男子数人だった。
「ねえ、ここなさん、アヌスさん。せっかく同じクラスになったんだし、親睦を深めるためにみんなでカラオケでも行かないかい? 二人の声、ちょっと気になってさ」
突然向けられた好奇の視線に、アヌスは息を詰まらせ、その場で硬直した。
頭の中では「何と返事をすればいいのだろう」「適当に断らなければ」と言葉がぐるぐると渦巻く。しかし、喉の奥から声が出てこない。
元特殊部隊『オブリビオン』のNo.1として、戦場であれば一瞬の判断で無数の脅威を退けてきた。生死を分かつ危険への対応や、張り詰めた殺気を見極める能力に関しては、これ以上ないほど完璧なアヌスである。だが、いざ普通の人間との何気ない日常会話や、親しげに距離を詰めてくる相手との接し方となると、途端にどう振る舞えばいいのか分からなくなってしまう。
可憐な外見の奥で、その不器用な戸惑いからくる焦りが混ざり合い、ただ瞳を揺らして視線をさまよわせるばかりだった。
その様子を少し離れた場所から見つめていたハルトは、深々とため息をついた。
(あいつ、戦いの場じゃあんなに凄まじいのに、こういう普通の会話になると途端にどうしていいか分かんなくなるんだからな……。それに、アヌスもここなも相変わらずめちゃくちゃ目立ってるし。いつか変な奴に絡まれたりしたら面倒だ。一応、兄貴として守らねぇと……)
不器用ながらもまっすぐな優しさを持つ兄として、ハルトはアヌスをただの同居人ではなく、かけがえのない大切な家族だと思っていた。だからこそ、自分の価値やこの場所での居場所をまだ完全には信じきれていないような、アヌスの心の危うさをいつも密かに心配している。
険しい顔でスタスタと歩み寄ってきたハルトの気配を察した瞬間、アヌスは反射的にその背後へと回り込み、制服の裾をキュッと掴んで身を隠した。
「おい、お前……。いちいち俺の背中に隠れるなよ」
呆れ混じりに振り返ったハルトに、アヌスは小さな声で弁解する。
「だ、だって……まだみんなとお話しするの、緊張するからさ……。ここな、今日はもう帰ろ?」
「うん、そうだね。帰ろっか!」
めんどくさがりなここなも、これ幸いとばかりにうなずく。こうして、周囲の視線から逃れるように、三人は足早に教室をあとにした。
### 二
夕暮れ時の帰り道、ふと並んで歩いていたハルトが口を開いた。
「そういえばさ、ここな。お前、何か欲しいものとかあるか?」
「うーん? 特にないかなぁ。お兄ちゃんにお任せするよ! ……って、お兄ちゃんこそ、何か欲しいものあるの?」
「俺か? まあ、強いて言えば、気になってるゲームのソフトくらいはあるけどさ。でも、それなりにするし、親にねだるほどでもないしな。今年もまあ、適当でいいか」
「はーい」と、ここなは気楽に返す。
その何気ない会話を聞きながら、アヌスの胸の内で、別の意味での小さなパニックが起きていた。
(やばい……! 明日って、二人とも誕生日じゃないか!)
ハルトが欲しがっていたゲームのことは分かった。ハルトへのプレゼントはそれで決まりだ。問題は、ここなへのプレゼントである。
アヌスは日頃から料理や家事を完璧にこなし、周囲の人の体調の変化や小さな好みには誰よりも早く気づく人物だった。しかし、誕生日プレゼントという「大切な人を心から喜ばせるための形」を選ぶことになると、途端に足がすくんでしまう。
単に女の子の好みが分からないのではない。「ここなに最高に喜んでほしい」「自分が選んだもので心から笑顔になってほしい」という強すぎる気持ちが行き場を失い、どうすればいいのか分からなくなっているのだ。
(どうしよう、一番喜んでくれるものって、なんだろう……!)
アヌスは内心で頭を抱えながら、見慣れたアパートの前へと到着する。二人に怪しまれたり気を使わせたりしないよう、今のうちにこっそりプレゼントを用意しなくてはならない。
「あのさ、僕……一度部屋に戻ってから、あとからまた二人の家に行ってもいいかな?」
「何言ってんだ、家族なんだからいちいち許可取らなくていいって。大切な家族なんだからさ」
ハルトが当たり前のように笑う。その温かさに、アヌスは胸が少し熱くなりながらうなずいた。
「うん、ありがとう。じゃあ、またあとで!」
「ここな、待ってるね!」
自室に戻ったアヌスは、制服を脱ぎ捨てて私服に着替えた。
普段のアヌスの私服といえば、ここなに無理やり買わされた可愛いワンピースだ。動きやすいジャージに比べると着慣れないし、ちょっと気恥ずかしい。だけど、ここなたちが「似合う! 可愛い!」と心から喜んでくれるから、ついつい着てしまうのだ。
今日もどうせあとで二人の家に行くのだし、前に買ってもらったお気に入りのフリルがついた服に袖を通す。
(とりあえず、外に行って二人分のプレゼントを用意しなきゃ……!)
ここなへのプレゼントの候補。甘いものは外せないとして、他には何がいいだろう。
――そうだ、お姉ちゃんなら分かるかもしれない。
アヌスはスマートフォンを取り出し、あいりに発信ボタンを押した。
「もしもし、お姉ちゃん?」
「どうしたのアヌス、珍しいね」
「あのさ、明日って二人の誕生日じゃん? ハルトの分は決まったんだけどさ、ここなに何か……例えばお菓子とか、あと何か喜んでもらえるものはないかなって思って。ここなの好きなもの、何か知らない?」
「ここなの好きなものかぁ。そうだね、甘いものはもちろんだけど……昔、猫と犬どっちが好き?って聞いたとき、どっちも可愛いって答えてたな。動物全般、可愛いものなら何でも好きだと思うよ」
「そっか、猫と犬……! 分かった、ありがとう、お姉ちゃん!」
「ううん。ねえ、アヌス」
「ん?」
「ハルトとここなのために、そんなに一生懸命考えてくれて……ありがとうね」
電話の向こうのあいりの声には、アヌスがかつての孤独を乗り越え、本当の意味で家族の一員として愛されていることへの深い喜びが滲んでいた。アヌスは少し照れくさくなりながら、首を横に振った。
「当然だよ。だって、僕たちは家族だもん」
電話を切ると、アヌスはすぐに行動を起こした。
まずはハルトの欲しがっていたゲームのソフトを買いに行く。そして、ここなのために近所の評判が良い洋菓子店で焼き菓子の詰め合わせを選び、さらに動物をモチーフにした小さな雑貨もいくつか手に取った。
どれも高価なブランド品というわけではない。ただ、「二人がこれを見たとき、どんな顔をして笑ってくれるだろう」と、その笑顔を一つひとつ想像しながら丁寧に選んだものばかりだ。
購入した荷物は、周囲に人がいないことを確認して、手のひらに意識を集中させる。
空間の歪みの中に包みをそっと滑り込ませた。かつて所属していた特殊部隊『オブリビオン』で、過酷な任務を遂行するために嫌というほど使わされた異空間魔法だ。当時は冷たい生き残りのための道具でしかなかったその力が、いまや全く違う意味を持っていた。
昔は任務のためだけに命を削るように使っていた力が、いまは大切な家族を笑顔にするために使われている。その変化を噛みしめながら、アヌスは胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
プレゼントを自室のクローゼットの奥に隠し、夕方になってからハルトたちの家へと向かった。
いつものようにみんなで食卓を囲み、温かい夕食を食べ、お風呂を借りて、その日は自分のアパートへ戻る。ベッドにもぐりこんだものの、明日の誕生日のことを考えると胸が高鳴り、なかなか寝付けない夜を過ごすことになった。
### 三
翌朝。
寝不足でまぶたをこすりながらフラフラと起きてきたアヌスを、ハルトとここなが迎えにやってきた。
トーストをかじりながら、並んで登校する。
「お前、もう少し夜は早く寝ろよ」
「アヌス、相変わらず朝は弱いよねぇ」
トボトボと歩きながら、アヌスは小さく呟いた。
「僕……朝なんて、来なければいいのに……」
「分かる、私もずっとお布団の中にいたい……」
「お前ら、バカなこと言ってないで早く歩け! 遅刻するぞ!」
ハルトの呆れた声を聞きながら、アヌスは歩きながらウトウトと舟を漕ぎ始める。
「おい、寝るなって!」
「アヌス、昨日よっぽど夜更かししたの?」
「……あんまり、眠れなくて」
「寝つきが良いお前が珍しいな」
「確かに、何かあったの?」
他愛のない会話を交わしながら学校へと到着し、授業を受け、そして放課後になる。
今日も相変わらず、ここなとアヌスはクラスの男子から声をかけられていたが――今日のアヌスは違った。
すっと一歩前に出ると、アヌスはまっすぐな目で男子たちを見る。
「……今日は、ごめんなさい。今日は、ハルトとここなの誕生日だからさ……二人と一緒に帰りたいの」
そのきっぱりとした口調に、男子たちは気圧されたように引き下がった。
アヌスはそのままハルトとここなの手をそっと掴み、教室から連れ出す。
「お前、珍しいな。普段あんなに引っ込み思案なのに」
ハルトが驚いたように言うと、アヌスは少し頬を赤らめながら俯いた。
「だって……二人の誕生日は、特別な日だもん。誰にも邪魔されたくないからさ……3人で帰りたかったんだ」
それを聞いたここなは、パッと顔を輝かせ、アヌスにぎゅっと抱きついた。
「もう、アヌスってば可愛いんだからっ! 私の大切な家族なんだからね!」
「おい、ここな、そんなに勢いよく抱きつくなよ! はずかしいだろ!」
ハルトが慌てて制止するが、ここなは嬉しそうに笑ったまま離れない。
アヌスは顔を真っ赤に染めながらも、その温もりをそっと受け止めていた。
### 四
家に戻り、いよいよ誕生日パーティーが始まった。
テーブルにはごちそうが並び、最後に母親が手作りのショートケーキを持ってくる。ロウソクに灯された小さな炎が、四人の顔を優しく照らし出した。
「それじゃあ、みんなで……」
部屋の電気が落とされ、母親の合図で声を揃える。
「「誕生日、おめでとう!」」
ハルトとここなが同時に息を吹きかけ、ふっと炎を消した。
部屋が明るくなると同時に、あたたかな拍手が湧き起こる。
「16歳の誕生日、おめでとう」
まずはプレゼントの贈呈タイムだ。
あいりからは、お揃いのシンプルなマグカップが手渡された。
「ありがとう、お姉ちゃん! 大切にするね!」とここなが笑顔を見せ、ハルトも「ありがとう、こういうの欲しかったんだ」と落ち着いた笑みを浮かべる。
母親からは、実用的な文房具とハンカチが贈られた。
そして、最後にアヌスが静かに立ち上がる。
「あのさ……僕からも、あるんだ」
アヌスが手のひらを軽くかざすと、空間の歪みから次々と包みが現れた。
「わぁ、相変わらずマジックみたい!」とここなが目を丸くし、ハルトも「お前、どんだけ用意してんだよ」と苦笑する。
まず、ハルトには欲しがっていたゲームのソフトを手渡した。
「これ……」
パッケージを見たハルトの目が大きく見開かれる。
「お前……これ、欲しかったやつだけど、結構しただろ。なんで……」
ハルトは信じられないものを見るように目を見張り、それからアヌスの顔をじっと見つめた。
「なんで、ここまでしてくれるんだよ。お前だってお小遣いだって限られてるだろ?」
その問いかけに、アヌスは少し恥ずかしそうに頬を染めながらも、まっすぐにハルトの目を見つめ返した。
「うん、いいんだ。ハルトが欲しがってたからさ……それに、僕は家族みんなに笑っていてほしいんだ。ハルトがこれを受け取って喜んでくれたら、僕もすごく嬉しいんだよ」
その言葉を聞いた瞬間、ハルトは気恥ずかしそうに頭を掻きむしった。
「……お前なぁ。そんなこと言われたら、なんか照れくせえだろ……」
口ではそう言いながらも、ハルトの顔には隠しきれない喜びの笑みが広がっていた。ハルトはゲームのパッケージを両手でしっかりと握りしめ、アヌスをまっすぐに見据える。
「……ありがとよ、アヌス。大切にするわ。こんなの貰ったら、兄貴として負けてられねえな」
次に、ここなへのプレゼントの番だ。
アヌスが差し出したのは三つの包みだった。
一つ目は、ここなが大好きな有名店のチョコレート。
「わぁっ! ここのお店のチョコだ、大好き! ありがとう、アヌス!」
二つ目は、あいりも「これすごく話題になってるやつ!」と驚いた、自然派のリップクリーム。
そして三つ目は、猫と犬をモチーフにした、手触りの柔らかな小さなぬいぐるみだった。
「うわあ……! 可愛い……私、こういうの欲しかったの!」
ここなは子供のようにぬいぐるみをごそっと両手で抱きしめ、満面の笑みを浮かべた。
ここなにとって一番嬉しかったのは、高価なものや可愛い雑貨そのものではない。アヌスが自分のために「どんなものが好きだろう」と悩み、一生懸命に考えて時間をかけて選んでくれた――その温かな気持ちが何よりも嬉しかったのだ。
「アヌス、ありがとう! 私のためにこんなに色々考えてくれたんだよね? すっごく嬉しい! 大切にする!」
ここなは嬉しさのあまり、再びアヌスの腕にギュッと抱きついた。
その様子を、アヌスは胸がいっぱいになる思いで見つめていた。
(喜んでくれた……本当によかった……)
言葉には出さないが、その表情には確かな安堵と幸福感が満ちていた。
かつては孤独だった自分が、今こうして温かな家族の中心にいる。誰かを想い、そして誰かから想われる。その確かな温もりが、アヌスの胸を優しく満たしていくのだった。
### 五
夜が更け、その日はそのままアヌスもハルトたちの家に泊まることになった。
お風呂を借りてさっぱりした後、それぞれの部屋に戻る時間――ここなは、アヌスからもらったぬいぐるみたちをベッドの大切な場所に並べ、クルッと振り返った。
「ねえ、アヌス。今日はね、私と一緒に寝よ?」
突然の提案に、アヌスは動きを止めた。
「えっ……?」
「そうだね、今日は特別な日だし、たまにはここなと一緒に寝るのもいいんじゃない?」と、あいりが面白そうに笑う。
「いや、ちょっと待て、お前な……!」
ハルトは慌てて割って入り、一瞬言葉につまった。
アヌスは一見すると守ってあげたくなるような可憐な少女の姿をしている。だからこそ、男子であるアヌスを同じ布団に泊めるというのは、兄としてどうしても看過できない戸惑いがあった。
「アヌスは……その、外見は女の子みたいだし、いくら家族でも男なんだぞ! さすがに用心しねぇと……!」
ハルトが焦りながらそう言い訳するように制止すると、ここなは頬をぷうっと膨らませて言い張った。
「もう、お兄ちゃんだってば堅いなぁ! 私、今日誕生日なんだよ? アヌスとお話ししたいの!」
押し切られる形で、アヌスは結局、ここなと同じ布団に潜り込むことになった。
すぐ隣にここなの気配を感じ、心臓の音がうるさいほどに響く。恥ずかしくて顔も見られないアヌスが戸惑っていたのは、異性だからという理由だけではなかった。
――これまでの一生において、誰かと肌を寄せ合って眠るほど深く信頼され、大切にされた経験が一度もなかったからだ。
元特殊部隊員として生きてきたアヌスにとって、眠る瞬間ですら周囲への警戒を解くことは許されず、背中を預けられる相手など存在しなかったのだ。
そんなアヌスの緊張を他所に、ここなは安心しきった表情でアヌスの袖をキュッと掴み、穏やかな声をかけた。
「ねえ、アヌス。ありがとう。人生で一番、幸せな誕生日だったよ」
「うん……二人がそんなふうに喜んでくれて、僕も本当に嬉しいよ。こんな風にお祝いできるなんて、思っていなかったからさ……」
「私ね、ずっと可愛い妹が欲しかったの」
ここなのその言葉に、アヌスは少しだけ目を瞬かせる。
「でもね……アヌスはアヌスだから。男の子とか女の子とか、そんなこと関係なく、大切な家族なんだよ。だから、アヌスが家族になってくれて、本当に嬉しかったんだ」
ふと向けられたまっすぐな眼差しに、アヌスは少しだけ息をのむ。そして、心の奥底がこみ上げる熱にじんわりと滲むのを感じながら、そっと首を横に振った。
「でも……僕は男だし、本当の血が繋がってるわけじゃないからさ……時々、本当にここにいていいのかなって思っちゃうんだ」
アヌスがこぼした小さな不安に、ここなはさらに強く首を横に振る。
「ううん、そんなことないよ! 血の繋がりだけが家族じゃないよ、アヌス。アヌスは私たちの、かけがえのない家族だもん」
「ここなが言う通り、私たちが家族だと思ったなら、それはもう絶対的な真実なんだからね」
隣で見守っていたあいりも、優しく微笑みながら言葉を添える。
ここなはアヌスの肩にそっと頭を預け、さらに愛おしそうに腕にしがみついた。
「それにね……私たちはアヌスに救われてるの。アヌスが来てくれてから、毎日本当に楽しいんだよ。だから、ありがとうね」
「……当然だよ。だって、家族だもん」
「……うん。僕も、ここなが家族になってくれて、本当に嬉しいよ」
アヌスは照れくさそうにはにかみながら、小さな声でそう答えた。
外見の可憐さとは裏腹に、かつては戦場を生き抜くことしか知らなかった少年が、今こうして誰かと心を通わせ、温かな温度を分かち合っている。
その言葉を聞いたここなは、いっそう嬉しそうに目を細め、アヌスの腕にぎゅっと顔を寄せた。
「えへへ……。これからもずっと、一緒に家族だよ、アヌス」
暗闇の中で重なる穏やかな寝息と、胸の奥を満たす確かな温もり。
孤独だった少年が初めて手に入れた居場所は、春の夜に灯る小さな明かりのように、アヌスたちの心を優しく包み込んでいた。
