その「謎の少女」は最強、二つの目で世界の視線を釘付けにする』 第16話
# 第16話 悪魔の復活と、守るべきもの
穏やかな休日が過ぎ去り、また新しい学校生活が始まるはずだった朝。
リビングのテレビ画面に映し出された臨時ニュースを見た瞬間、冷水を浴びせられたような戦慄が走った。
――悪魔の復活が近い。それは、世界滅亡を意味する。
画面の向こうから這い寄る邪悪な気配に、僕は思わず息を呑んだ。
一般にはあまり知られていないが、死神という存在もいる。悪魔ほどの圧倒的な力はないものの、人間を執拗に狙う厄介な敵だ。だが、今はそれ以上に、悪魔という存在そのものが計り知れない絶望として重くのしかかっていた。
(魔人なら、今の僕でも戦える。……だけど、悪魔だけは別だ)
今の僕の実力では、上位の悪魔には勝てない。勝たせたとしても、ごく弱い悪魔が関の山だろう。上位の敵を前にすれば、勝率はゼロに等しい。
背筋を這い上がる焦燥感を、僕は必死に奥歯で噛み締めた。
思考の海から引き戻されるように、ココナやアイリ、サクラの不安げな声が耳に届いた。
「ねえ、私たち……大丈夫だよね……?」
「大丈夫だよ、お母さん、もう大丈夫よ。きっと……」
家族の誰もが、言い知れない恐怖に怯えている。
サクラは両手を胸の前で固く組み、震える声で祈るように呟いた。
「お願い……神様、誰も死なないで……。どうか、この子たちを守って……!」
だが、次の瞬間、サクラはぎゅっと目を閉じ、震える指先を隠した。そして、真っ赤に潤んだ瞳を真っ直ぐに向け、何事もないかのように柔らかく微笑んでみせる。
「大丈夫よ。お母さんがついているから、安心して」
母として弱さを隠し、必死に気丈に振る舞うその背中に、胸が締め付けられるように痛んだ。
母のその切実な祈りと温かい笑顔に突き動かされるように、僕はすぐ隣にいたハルトの腕をぎゅっと掴み、その体にすがりついた。
「……アヌス?」
「ハルト……!」
「お前、急にどうしたんだよ」
「僕が……僕がみんなを守るよ。だから、大丈夫だから」
不安を振り払うようにそう言った僕に、ハルトは力強くかぶりを振った。
「馬鹿野郎、お前になんか背負わせるかよ。俺が守るから、お前は後ろで守られてればいいんだ……!」
「僕だって!」
「お前には守られる側にいてほしいんだよ! いいから余計なこと考えるなっ!」
いつの間にか熱くなっている僕たちの様子を見て、アイリが切実な表情で声を張り上げた。
「ハルト! アヌスを落ち着かせて!」
サクラも涙を浮かべながら頷いた。
「そうよ、お願いだから、みんなで一緒にいて……!」
リビングに漂う重い沈黙を断ち切るように、ココナが不安を紛らわせるように震える声を絞り出した。
「みんな……離ればなれになっちゃダメだよ。せめて、今はみんなで一緒にいようよ。ねえ、そうしよう?」
ココナのその言葉に、家族全員が小さく頷いた。押し寄せる恐怖と不安から目を背けるように、私たちはリビングに集まり、みんなでトランプの「ババ抜き」を始めることにした。
しかし、トランプ自体が初めての僕は、ルールすらおぼつかない。
「えっ、アヌス、トランプやったことないの?」
ココナが目を丸くして声を上げ、アイリが「ウソでしょ?」と呆れたような、それでいて温かい笑みを向ける。
「……昔は、一緒にやってくれる人なんていなかったからさ」
僕が少し悲しそうに肩を落とすと、ココナは慌ててブンブンと首を横に振った。
「あ……アヌス、なんかごめん! お兄ちゃん、早くやろ、早く!」
ココナが勢いよくトランプをシャッフルし始め、ハルトも「そうだな、やるか」と照れくさそうに鼻を掻きながら席についた。
5人でのババ抜きがスタートする。
開始数分で、ハルトは頭の中で作戦を巡らせていた。
(アイリとココナ、それに母さんは案外顔に出ない。……で、アヌスも普段からポーカーフェイスだから読めないはずだ)
だが、ハルトの目算は一瞬で崩れ去ることになる。
僕がハルトの心を読んでしまったかのように、ふと首を傾げて言った。
メイド服の件の仕返しとばかりに、
「もしかしてハルト、僕の顔を見て『顔に出ないか』って考えてた?」
「なっ……! そんなわけないだろ!」
「そうかな?」
その直後、ハルトは僕の手元から一枚のカードを引き――見事に「ババ」を引いてしまった。
一瞬で顔が真っ赤になり、目を見開いて固まるハルトの姿に、リビングがどっと沸く。
「お兄ちゃん、案外わかりやすいよねー!」
ココナが腹を抱えて笑い出し、アイリも「昔からそうだもんね、すぐ顔に出るんだから」と肩を揺らす。サクラは「本当に可愛い息子だこと」と目を細め、ハルトは「うるせぇ! 偶然だろ!」と顔を真っ赤にしてトランプを投げ出しそうになった。
「ちょっ、勝負はこれからだろ!」と息巻くハルトをよそにゲームは進み、ついにはハルトとココナの一騎打ちとなった。
アヌスは初めてながらも、なんだかんだで真っ先に上がりを決め、第1位抜けとなった。
「どっちが負けるかなー?」と楽しそうに笑う僕に、ハルトは「笑いごとじゃねぇよ……!」と冷や汗を流している。
そして、ついにココナがハルトの手札からカードを引いた。
「ヤッター、私の勝ち! じゃあ、お兄ちゃんが今日の料理担当ね!」
「うわっ、まじか……!」
よりによって、人生でほとんど料理をしたことのないハルトが最下位の罰ゲームを引き当ててしまった。
早速始まった調理の時間。ハルトはコンロの前で包丁を持ったまま途方に暮れていた。
「全く分からないぞ……肉じゃがって、最初に何をすればいいんだ……?」
見かねた僕がトコトコと歩み寄り、エプロンを整えてあげる。
「僕も手伝うよ、ハルト。まずは材料を切って、お肉と野菜を炒めるところからだからね」
「おう、頼む……」
見様見真似でハルトが包丁を握り、ジャガイモの皮を剥こうとした瞬間、手元が滑って危なっかしくなり、ハルトは「うわっ!?」と情けなく声を上げる。
「あはは、ハルト、危ないよ。こうやって手を猫の手にして……」
僕が優しく手を取って包丁の使い方を教えると、ハルトはバツが悪そうに頬を掻いた。
「笑うなよ、不慣れなんだからこれ……」
その後も、鍋に油を引いて牛肉とジャガイモ、人参、玉ねぎを炒め、調味料を入れてコトコトと煮込んでいく。僕が傍らで「そろそろ落とし蓋をして味を染み込ませようか」と手順を指示すると、ハルトは真剣な面持ちで鍋を見つめていた。
リビングのソファから、ココナが「お兄ちゃん、いい匂いしてきたー!」と手を振り、アイリも「ちゃんと美味しくできてそうじゃん!」と茶化す。サクラも温かいまなざしで「ハルト、なかなか手際がいいじゃない」と声をかけた。
家族の応援を受け、僕が丁寧に手順を教え、大半の工程をサポートする形で、見事な肉じゃがが完成した。
湯気の立つ美味しそうな肉じゃがを大鉢に盛り付けてテーブルに運び、みんなで席につく。
「わぁ、お肉のいい匂い! すごい美味しそう!」とココナが目を輝かせる。
ハルトは気まずそうに頭をかいていたが、僕がふわりと抱きつくと、ハルトの背中をぽんぽんと叩いた。
「ハルト、すごく上手にできたよ」
「いや、お前がほとんど作っただろ……」
「うん、僕が『上手』って言ったら上手なの! お兄ちゃんは世界一なんだから。僕たちの、世界一のお兄ちゃんなんだからね!」
僕のまっすぐな言葉に、ハルトは耳まで真っ赤にして目を逸らした。
「……い、いいから早く食べようぜ!」
「お兄ちゃん、照れてるー!」とはしゃぐココナに、「照れてねぇよ、黙って食え!」とハルトが返す。アイリとサクラも温かい笑顔で見守り、相変わらず賑やかで幸せな時間が流れていた。
昼食を終え、午後はみんなでゲームをすることになった。
ココナが選んだのは――画面に映し出されたタイトルを見た瞬間、僕は思わず絶叫した。
「ほ、ホラーゲーム……!?」
どうやらココナは大のホラーゲーム好きらしい。
ハルトはコントローラーを手に取ると、ニヤリと不敵に笑って言い放った。
「おい、せっかくの休みだろ。アヌスもやるわけだし、この手のゲームの方が盛り上がるに決まってるだろ。こっちのゲームにしとけよ」
僕は青くなりながらも「い、いや……やってみるよ……!」とコントローラーを握りしめた。
いざ始まってみると、画面の不気味なゾンビが飛び出してくるたびに「ひゃっ!?」と情けない悲鳴を上げる僕の姿に、ココナは「アヌス、めっちゃビビってるー!」と大爆笑し、ハルトも「お前、ビビりすぎだろ!」と肩を震わせて笑っている。
だが、いざゲームが本格的に始まると、恐怖で引きつりながらも持ち前の反射神経でサクサクと謎を解き進めていく僕を見て、ハルトは「おいおい、びびってる割にめちゃくちゃうめぇな……? 何でもそつなくこなすからすげぇわ、おい」と呆れと感心が入り混じった顔をした。
そうして3人でワイワイとゲームを楽しみ、おやつを食べようかという、その時――。
――ウーッ、ウーッ!
突如として、街中に緊迫した警報音が鳴り響いた。
『緊急警報。魔人が3体、市街地に出現しました。市民の皆様は直ちに安全な場所へ避難してください……!』
空気が一瞬で凍りついたように重くなる。
遠くでパニックになったカラスの群れが一斉に空へとはばたき、窓ガラスがビリビリと激しく震え出した。背筋が凍るような圧倒的な殺気が周囲を圧迫し、呼吸さえも浅くなる。ココナは恐怖で足がすくみ、「いや……怖いよ……」と小さく震えながら僕の服をきつく握りしめている。アイリも顔面蒼白になりながら、必死に家族を落ち着かせようと声を絞り出した。
「みんな、落ち着いて……!」
轟音と共に近隣の道路が豪快に抉り取られ、数階建てのビルが一瞬で崩壊する。圧倒的な破壊の衝撃が地面を揺らし、避難する人々の悲鳴とパニックが街を包み込んだ。生身の人間では軍隊を動員しても足止めすらできない、まさしく「歩く災害」の到来だった。
(魔人が3体……っ!)
僕は心の中で歯を噛み締めた。
正直、魔人は相当な脅威だ。1体だけでも街を壊滅させるほどの力を持つ。かつて僕がいたオブリビオンなら数人がかりでやっと1体を倒せるレベルだ。今の僕でも、3体を相手にするのはかなりきつい。
だが――昔の僕とは違う。
今の僕には、勝ちたいわけじゃない。ただ、生きたい。
みんなと一緒に帰りたい。この温かい日常を守りたい。
それだけの理由で、僕は十分に強くなれる。
「みんな、急いで逃げよう!」
アイリが叫び、家族全員で避難しようと玄関へ走り出した、その時。
「――人間を見つけたぜ」
圧倒的な巨体と絶望的なプレッシャーを纏った魔人が、空間を引き裂くように目の前に立ち塞がった。すでに3体のうちの尖兵が、ここまで到達していたのだ。
「嫌だよ……! アヌスも一緒に逃げようよ!」
ココナは涙を浮かべながら、声の震えを抑えきれずに僕の服の裾を強く引っ張る。
怯えるココナを背に庇うように、ハルトが前に一歩踏み出した。血の気が引きながらも、ハルトは足を踏ん張り、両手を広げて立ちはだかる。
「くそっ……! 殺すなら、俺を殺せ……! お前らは早く逃げろ!」
サクラも子供たちを抱き寄せるように一歩前へ出ようとするが、恐怖で足が震えて崩れそうになる。それでも命を懸けて子どもたちを守ろうと必死に踏みとどまっていた。
魔人は圧倒的な強者の余裕から、下衆な笑みを浮かべる。
「威勢のいい人間だなぁ。せっかくだし、この野郎から先に殺して、残りの女どもを片付けてやるとするか」
僕は一歩前に出た。
本当は戦いたくない。痛いのも、誰かが傷つくのも嫌いだ。
だけど――
戦う前に、僕はふと背後を振り返った。
恐怖で声も出せず、震えながら僕の服を握るココナ。
青ざめながらも必死に家族を逃がそうとするアイリ。
命を懸けて子どもたちを守ろうとするサクラ。
そして、傷だらけになってもなお自分の後ろに下がろうとしないハルト。
――僕が守るべき世界が、ここにある。
(本当は、こんなことしたくない。戦うなんて、一番やりたいことじゃない……。
だけど――この温かい笑顔を、家族だけは絶対に傷つけさせない)
僕は静かに息を吸い込み、右手を掲げた。
あらゆる神聖なる光を具現化し、世界を創り変えるほどの奇跡を宿す【光創聖典・メタトロン】。その神々しく美しい輝きの中から、純白の日本刀が創り出される。刀の召喚と同時に、背中には幾重もの光の翼が広がり、周囲の空気に微細な光粒子が幻想的に舞い散った。
「おっ、小娘が……その威勢がどこまで持つかなぁ!」
「……本当は、こんなことしたくない。
でも、君たちじゃ――僕には届かない。」
言葉を終える間もなく、僕は一瞬でハルトの目の前へと移動していた。
「なっ……いつの間に……!?」
動揺する魔人の隙をつき、僕はハルトに言った。
「ハルト、下がってて」
「だ、駄目だアヌス! お前が戦うなんて……!」
ハルトはなおも前に出ようと踏み込んできたが、僕は優しく首を横に振った。
「大丈夫。数なんて関係ないよ。守るものがある方が、強いから。」
僕の真剣な瞳を見て、ハルトは悔しそうに唇を噛みしめながらも、最後に強く頷いた。
「……分かった! けど、絶対に生き残れよ! 俺たちは、お前とこれからもずっと生きるって決めてるんだからな!」
「うん、分かった。絶対に帰るね!」
振り返り、絶対強者である魔人たちを見る。
「話し合いは終わったか?」
「あぁ、まあな。さて、遊びは終わりだ、とっとと潰してやるよ!」
魔人が猛烈な殺気を放ちながら、一気に間合いを詰めてくる。
「死ねぇ!」
轟音とともに振り下ろされた拳が、僕が展開した【境界装】のシールドを直撃した。
魂の魔力によって構築された絶対防御であるそれは、最大3枚まで展開可能であり、今はそのうちの1枚を前面に張り詰めていた。
バキィッ!!
展開していたシールドの一枚に大きな亀裂が走り、凄まじい衝撃波が周囲の地面を砕く。
着ていた服の袖が鋭く裂け、腕には鈍い痛みが走る。
(やっぱり強い……!)
(魔人は悪魔よりはるかに弱い。それでも一体で街を壊滅させられる存在。まして三体同時となれば、今の僕でも油断はできない)
僕は深く息を吸い、魂の魔力を全身へ巡らせる。
【境界装】は攻撃や防御、仲間の保護など様々な用途に応用できるが、同時に展開できるのは3枚までだ。4枚目を無理に展開すれば魔力制御が乱れ、戦闘そのものが成立しなくなる。だからこそ、1枚1枚を無駄にはできない。
魔人が二撃目を放つ、その瞬間――。
「そこだ!」
僕は最小限の動きで攻撃を受け流し、一気に懐へ潜り込む。
右手に握る【光創聖典・メタトロン】によって創り出された日本刀を構える。
「はぁぁぁっ!」
一閃。
眩い光が一直線に走り、一体目の魔人の右腕が宙を舞う。
「があぁぁぁぁぁっ!!」
絶叫が響く。
「馬鹿な……人間が……!」
魔人の表情から余裕が消え、初めて恐怖が浮かび上がった。
しかし休む暇はない。
二体目が背後から巨大な爪を振り下ろす。
僕は身体をひねって回避すると同時に、新たな【境界装】を2枚追加展開し、合計3枚のシールドで敵の追撃を完全に受け止めた。激突した爪が硬化したシールドに弾かれ、火花が激しく散る。
「終わりだ。」
僕は左手を静かに掲げる。
対象の周囲の時間を遅らせたり、絶対的な重力で圧壊させたりする強大な権能【時空歪曲・クロノス】。
その重力操作を解放し、魔人の全身へ凄まじい重力を浴びせかける。
「なっ……! 重くて……体が動かな……い……!」
圧倒的な重圧に耐え切れず、魔人はそのまま足元から地面へと深くめり込んでいく。
「沈め。」
瞬間――。
さらに重力を一点へ集中させた重力圧が魔人を押し潰した。
地面はクレーターのように陥没し、コンクリートが粉々に砕け散る。耐えきれなくなった魔人は、そのまま地中へ叩き込まれ動かなくなった。
残るは最後の一体。
先ほどまでの圧倒的な余裕は完全に消え失せ、その顔には恐怖しか残っていなかった。
「ば、化け物だ……!」
「逃げろ! こんなの人間じゃ――」
「失礼だな。」
僕は静かに一歩踏み出す。
「僕は、ただの人間だよ。……だけど、この世界で愛しい日常を守るためなら、僕はどれだけ汚れても、人間としてすべてを懸けて戦うんだ。」
そう告げると同時に、日本刀が静かに振り抜かれる。
一筋の閃光が走り、魔人は何が起きたか理解する間もなく崩れ落ちた。
静寂が訪れる。
僕は刀をゆっくり下ろす。
【光創聖典・メタトロン】の光が消え、【境界装】のシールドも静かに霧散していく。
「ふう…………」
荒い息を整えながら、僕はその場に膝をついた。
強烈な反動と魔力の消耗で両膝は小刻みに震え、頬を伝う冷や汗が地面へ落ちる。
握っていた刀も、気づけば震えていた。
強いふりをしていた。
でも、本当は怖かった。
もし負けていたら――。
この温かい日常は、全部終わっていた。
そう思った瞬間、張りつめていた心が一気にほどけた。
周囲には静寂だけが残った。
ハルトたちは、目の前で起きたことを理解できず、しばらくの間その場に立ち尽くしていた。
やがて魔人が完全に動かなくなったことを理解すると、ココナは力が抜けるようにその場へ座り込み、大粒の涙を流した。
「もう無茶しないでよ……! 心配でどうにかなっちゃうかと思った……!」
アイリはあふれる涙をぐっとこらえながらも、震える腕で僕へ駆け寄り、強く抱きしめる。
「本当に……本当に生きててくれてよかった……!」
サクラも静かに僕たちを包み込むように抱き寄せた。
「ありがとう……。生きていてくれて、本当にありがとう……。」
家族の温もり。震える声。涙。
全部が僕の胸へ伝わってくる。
僕は安心したように微笑んだ。
「うん。みんなを守れた。……だから、もう大丈夫。」
その言葉を聞いた瞬間、ハルトも堪えていた涙を流しながら僕を強く抱きしめた。
「……無事でよかった。本当に……生きててくれて、ありがとう。」
「変なの。でも、約束通り帰ってきたよ。」
僕もそっとハルトの背中へ腕を回した。
守れた。みんなを。
その事実だけで胸がいっぱいになった。
――だが、この時の私たちはまだ知らなかった。
あれほどの激闘すら、これから訪れる悪夢の序章に過ぎなかったのだと。
遠く離れた闇の底。
突如として、世界の深淵で巨大な封印が砕け散る乾いた音が世界中に轟いた。
海は激しく荒れ狂い、野鳥たちが一斉に空から墜ちる。街中の時計の針がピタリと止まり、その圧倒的な魔力を感じ取った世界中の魔物たちが本能的な恐怖に震え上がって地に伏せた。
秋晴れだったはずの空が血のように赤く染まり、空間そのものが軋むような地鳴りが響き渡る中、世界全体が悲鳴を上げるような終末の気配が世界を覆い尽くしていく。
アヌスだけが、その世界の終わりへと向かう圧倒的な異変を肌で感じ取っていた。
不気味な笑い声が静かに響き渡り、眠りから覚めた真の悪魔がゆっくりとその禍々しい黒い翼を広げる。
世界を覆う漆黒の闇が、今まさに牙を剥く。
すべての平和が呑み込まれる終わりの始まりへと、物語は容赦なく加速していく――。
