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その「謎の少女」は最強、二つの目で世界の視線を釘付けにする』 第5話


「初めての家族、初めての『ただいま』」

## 【前半】


翌日。朝のやわらかな光が、海野家の玄関を優しく包み込んでいた。


アヌスはドアノブに細い指をかけたまま、ほんの少しだけ息をのんで立ち尽くしていた。胸の奥がほんのり熱く、けれどどこかそわそわとした緊張感が消えてくれない。


今まで「家」という場所に安心して帰る経験がなかった。孤独の中にいた自分にとって、扉の向こうに誰かが待っているという状況そのものが、どこか現実離れした奇跡のように思えてしまうのだ。


意を決して静かにドアを開け、一歩足を踏み入れた。


「……お邪魔します」


遠慮がちに、少しだけ声を潜めて発したその言葉。すると奥からバタバタと賑やかな足音が響き、サクラ、あいり、ここな、そしてハルトの四人が一斉に玄関へと集まってきた。


サクラはアヌスの顔を見ると、愛おしそうに、けれど少しだけ悲しそうに目を細めて微笑んだ。


「アヌス」


サクラは優しくその名前を呼ぶ。


「ここはあなたがお邪魔する場所じゃないわ」


「え……?」


思いがけない言葉に、アヌスは胸をキュッと締め付けられるような感覚を覚えた。一瞬だけ、自分はここにいてはいけないのだろうかという不安が脳裏を掠める。


だが、サクラは包み込むような温かな声で続けた。


「ここはあなたの帰る場所よ。だから……『ただいま』でしょ?」


その一言が、アヌスの胸の奥にどこまでも深く、優しく染み渡っていった。


今まで自分には帰る場所なんてないと思っていた。誰かに必要とされることもなく、どこへ行っても「自分には居場所がない」と感じて生きてきた。それなのに今、目の前には自分を家族として温かく受け入れてくれる人たちがいる。


アヌスは込み上げてくる熱い感情に瞳をうるませ、声の震えを必死に抑えながら、少し照れくさそうに、けれどはっきりと口を開いた。


「……ただいま」


「「「おかえり、アヌス!」」」


家族全員の弾けるような笑顔と、温かな声が重なる。サクラとお姉ちゃんになったあいりが、愛おしそうにアヌスの銀髪を優しく撫でてくれた。手のひらから伝わる温もりが、冷え切っていた心の芯までじわじわと広がっていく。


ただいまと言い、おかえりと返ってくる。そんな当たり前の日常が、アヌスにとっては涙が出るほど愛おしい奇跡だった。


(……僕に居場所をくれた人たち。この温かい日常を、僕は絶対に守るんだ)


温かな時間の中で、アヌスは心の中で静かに、けれど絶対に揺らがない強い誓いを立てていた。



「あ、そうだわ! ちょうど良かった」


サクラがぽんと手を叩いた。


「みんなでお買い物に行ってきてちょうだい。今日のお昼ご飯と夜ご飯の材料、買い出しをお願いね」


買い出しのお願いに、アヌスはぱっと目を輝かせた。


家族と一緒に買い物へ行く——普通の家庭ではありふれた一コマですら、ずっと一人だったアヌスにとっては初めての、とびきり特別な出来事だった。


「ハルト、あいりお姉ちゃん、ここな! 早く行こう!」


「はいはい、分かったから急かすなって」


弾むような足取りで先を歩くアヌスの後ろを、ハルトたちが微笑ましそうについてくる。




スーパーへ到着し、カートを押しながら食材を選んでいく。一人で生活していた頃は、必要なものだけを買い、店員とも話さず、作業のように淡々と終わらせていた買い物。けれど今は、家族と「何を食べようか」と相談しながら売り場を回っている。それだけでアヌスの胸は躍っていた。


やがてレジに並び、会計を済ませようとした時だった。


レジを担当していた店員のおばさんが、仲良く商品をカゴから出す四人の姿を見て、親しみやすそうな笑顔で声をかけてきた。


「あら、今日はご家族でお買い物? 仲良しねぇ」


その瞬間、アヌスはピシッと全身を硬直させた。


人並み外れた魔力や優れた観察能力を持っており、複雑な現象すら瞬時に解明できる頭脳を持っている。しかし——ただの世間話への「正しい返答」が、どうしても分からない。


「……えっと、あ、あの……」


真剣な表情で固まり、知恵の輪でも解くかのように「家族と聞かれた場合の最適解」を脳内で必死に検索し始めるアヌス。


ハルトやあいりは、そのあまりの動揺ぶりに目を丸くした。


「お前……あんなにすごい魔法が使えるのに、普通の会話でそんなに困るのかよ?」


「だって……! こういう時、なんて返すのが正解なのか分からなくて……」


困り果てて眉を下げ、正直に答えるアヌス。


ハルトたちとその様子を見ていた店員のおばさんは、思わずクスッと笑みをこぼした。


「あらあら、人見知りなのね。そんなに真剣に考えなくても、笑ってうなずいてくれればそれで十分なのよ」


「そ、そうなんですか……?」


アヌスは何でも完璧にこなせる規格外の存在に見えるけれど、実は普通の人が当たり前に積み重ねてきた「人との他愛もない関わり」を、ほとんど知らないのだ。


ハルトたちは、アヌスが抱えてきた孤独の深さと、同時に「規格外な少女の意外すぎる弱点」に触れ、どこか温かい愛おしさを感じていた。


買い物を終えてスーパーを出ると、移動販売のクレープ屋さんが目に入った。甘く香ばしい香りが周囲に漂っている。


「あ! お兄ちゃん、クレープ! クレープ買いたい!」


ここながハルトの服の裾を引っ張りながら大騒ぎし始めた。


「おいおい、そんなの買ったら金がなくなるだろ。我慢しろ」


「えー! 食べたい食べたい!」


「ハルト、私もちょっと食べたいな……」


「あいり、お前まで何言ってるんだ! ここで買ったら昼飯が食えなくなるだろ!」


呆れてツッコミを入れるハルト。そんな困り顔のハルトを見て、先ほど世間話で固まっていたアヌスは、そっとポケットからお財布を取り出した。


「お金なら僕が出すよ。僕も食べてみたいし、ここなの願いも叶えてあげたいから」


「さすがアヌス! ねぇお兄ちゃん、買おうよ!」


「ハルト、いいじゃない。アヌスも買おうって言ってるんだし」


折れない女子組に頭を抱えるハルトへ、アヌスはさらにそっと服の袖を掴み、子犬のような上目遣いで微笑みかける。


「ね、ダメ……? ハルト」


「っ……! ぐ……分かった、分かったよ! 買えばいいんだろ、買えば!」


ハルトは真っ赤になって顔を背けた。なんだかんだ口では文句を言いながらもアヌスには甘いハルトの不器用な優しさが、そこに表れていた。


買い求めたのは四種類。ハルトが『シュガーバター』、あいりが『ストロベリーホイップ』、ここなが『チョコバナナ』、そしてアヌスが『アイスクレープ』。


それぞれ一口ずつ分け合って食べる。甘くて冷たくて、心が満たされていくような味がした。「こんな普通の時間が、すごく幸せなんだ」と、アヌスは噛み締めるように実感していた。


帰り道、アヌスはふと以前から憧れていたことを口にしてみたくなり、ハルトの袖をちょんちょんと引っ張った。


「……あのね、みんなで手を繋いで歩きたいな」


「かわいすぎる……!」


あいりが胸を押さえて悶絶する。


「おいおいアヌス、流石にこの年で手を繋いで歩くのは普通に恥ずかしいだろ……」


ハルトが気まずそうに断ると、アヌスは分かりやすく寂しそうな表情を浮かべた。


「泣かせちゃダメでしょ、お兄ちゃん!」


「泣かせてねえよ!……くそっ、分かったよ! 繋げばいいんだろ!」


ハルトは真っ赤になりながらアヌスの手を握り、反対側からはあいりとここなが嬉しそうに手を繋いできた。不器用ながらもしっかりと握り返してくれるハルトの手の温もりに、アヌスの胸はいっそうじんと熱くなった。


## 【後半】


家に到着すると、アヌスはそのまま台所に立って声をかけた。


「あのね、今日のご飯、僕が作ってもいいかな?」


「お前、料理もできるのか?」


ハルトが驚いたように尋ねる。アヌスは照れくさそうに笑いながら首を縦に振った。


「うん。一人暮らしをしてた頃、色んな食材を調理してみるのがすごく楽しかったんだ。自分であれこれ工夫しながら作っているうちに、いつの間にかどんどん料理が好きになっちゃって」


特別に誰かに習ったわけでも、魔法の力を使ったわけでもない。一人暮らしの時間の中で、食材と向き合い、工夫を凝らして料理を作る過程そのものが純粋に楽しかったのだ。そうして夢中になって作っていくうちに、アヌスの技術は知らず知らずプロ顔負けの領域まで高められていた。


昼のメニューは『ふわとろオムライス』。夜のメニューは『ハンバーグ』だ。


サクラに台所の使用許可をもらうと、アヌスは淀みのない洗練された手つきで包丁を握った。


フライパンを扱う手際や火加減の見極め、ソースの調合に至るまで、その動作は一寸の無駄もないプロの料理人そのものだった。家族みんなに美味しく食べてほしいという温かな気持ちが、その見事な手際に込められていく。


完成したオムライスを食卓に出すと、一口食べた全員の目が丸くなった。


「なにこれ、お店の味より美味しいんだけど!?」


「卵がふわっふわのトロトロ……!」


「ええ、本当にプロが作ったみたいに美味しいわ」


サクラもあいりも目を見張って絶賛し、ハルトも「……マジでうまい」と小さく呟いて、夢中になって匙を動かしている。自分が作る工程を楽しんできた料理を、大切な家族がこんなにも喜んで食べてくれる。その光景に、アヌスは胸がいっぱいになるほどの幸せを噛み締めていた。



食後、リビングで家族全員でゆったりと過ごしていると、突然ここなが思い出したように声を上げた。


「そうだ! 私、アヌスにお願いしたいことがあったの!」


「なに? ここな」


「私と一緒に、アイドルやろう!!」


リビングの時間が一瞬で凍りついた。


「おいここな、いきなりそんなこと言われてもアヌスが困るだろ!」


「でも私、アヌスとやりたいの!」


これはギャグのノリではなく、ここなの純粋な夢であり思いだった。思わぬ提案に、アヌスは困惑しながらそっと事実を告げた。


「あのね……僕、男だけど」


「「「「……は?」」」」


全員の頭の中が真っ白になった。


「や、嘘だろ……?」


「本当だよ。逆に、僕って今まで女の子だと思われてたの……?」


「銀髪も綺麗だし、顔も可愛いし、中性的な雰囲気だから普通に間違えるだろ!」


ハルトが叫ぶようにツッコむ。全員がショックで固まっている中、ハルトに促されてアヌスは自身の魔法について説明を始めた。


> **【肉体変革】(メタモルフォーゼ)**


> 自分自身の肉体構造や生体機能を最適化・変化させる魔法。


> 筋力強化や身体能力、反射神経の向上、声帯調整、ホルモン操作による性別変化などが可能。


> ただし病気の完全治療や老化停止、寿命変更や死者蘇生といった生命の法則を超える変化は不可能。


> 身長を大幅に変えたり別人の姿に変身したりはできず、あくまで肉体そのものを最適化・変化させる魔法。



「この魔法を使えば、女性の身体構造にすることもできるよ」


「お前……本当に規格外だな……」


脱力するハルトをよそに、ここなが目を輝かせた。


「試しに歌ってみて!」


アヌスは提案されるがまま、流行りの歌を口ずさんでみた。


アヌスは並外れて優れた観察能力を持っている。人の歌い方や身体の使い方、音のリズムを一度見るだけで正確に理解・再現できた。それに加えて【肉体変革】による声帯の最適化もある。


だが、アヌスの歌声を何より特別なものにしていたのは、もっと別の場所にあった。


アヌスは昔から、歌ったり踊ったりすることが好きだった。音に合わせて身体を動かす時間は、純粋に楽しかった。


けれど昔暮らしていた施設では、どこか周囲と離れた雰囲気をまとっていたアヌスに対し、周囲は遠巻きに見つめるばかりで、なかなか近づこうとしてくれなかった。「アヌス」という一人の少年そのものと向き合ってくれる人は、どこにもいなかったのだ。


だから、アヌスは一生懸命練習した。


歌やダンスなら、遠くから見つめるだけじゃなくて、僕自身の内面を見てもらえるかもしれない——そんな、「自分という存在を誰かに知ってほしい」という切なくも純粋な願いを込めて。


当時はどれほど想いを込めて歌っても、誰にもその声は届かなかった。


だけど、今は違う。


自分の歌を、目の前の家族が真っ直ぐに見つめ、楽しそうに聴いてくれている。


(……昔は、僕という存在に気づいてほしくて歌ってた。でも、今は——僕を見てくれる大好きなみんなを、笑顔にしたい)


誰かに自分を知ってほしく歌っていた経験に、溢れんばかりの感謝と「みんなを笑顔にしたい」という温かな想いが乗る。透き通った美しすぎる歌声がリビングを満たし、その場にいた全員が息をのんで魅了された。


歌い終えると、サクラがあたたかな拍手を送り、あいりとここなが目を輝かせる。


過去の寂しさを乗り越え、初めて自分の歌を届けることができた喜びで、アヌスの胸は温かい光で満たされていった。


続けてダンスを披露すると、持ち前の観察能力と、昔から好きで踊り続けてきた記憶が見事に噛み合い、完璧で滑らかなステップを描いて見せた。


「お前、本当にすごいな……」


ハルトが感心と呆れが混ざった息を漏らす中、勢いに乗ったここながお願いしてきた。


「じゃあさ、今度は女体化してみてよ!」


押し切られたアヌスが【肉体変革】を発動すると、外見の美しい顔立ちや銀髪はほぼそのままに、身体の内部構造や体つきがしなやかな女性のものへと変化した。


ここなが興奮気味に「すごーい!」と身を乗り出して触ろうとすると、ハルトが慌てて割って入った。


「**触るなバカ!!**」


赤くなって怒鳴るハルトのツッコミに、アヌスは女性の身体という不思議な感覚に戸惑いつつも、家族の距離感の近さにどこか可笑しそうにクスッと笑った。


一通り騒ぎが収まった後、ハルトが真面目な顔で尋ねてきた。


「アヌス、お前……本当にアイドルやるのか?」


アヌスは少し照れくさそうに俯きながら、胸の中の正直な気持ちを言葉にした。


「男の僕がアイドルをするのは変かもしれない。でも……ここなの願いを叶えてあげたいんだ」


そして、アヌスは真っ直ぐにハルトの目を見つめた。


「それにね……僕はみんなを守るだけじゃなくて、みんなを笑顔にもできるかもしれないでしょ?」


ただ守るだけの存在から、自分を見てくれた大切な人たちを幸せにする存在へ。


世間話にすら戸惑っていた少年が、初めてできた家族とともに、世界や人との繋がりを広げていくための大切な成長の第一歩だった。


その真っ直ぐで温かな瞳に、ハルトは降参したように大きなため息をついた。


「……はぁ。分かったよ。好きにしろ」


こうして、家族の温かな日常から生まれた、アヌスの予想外な新しい挑戦が始まるのだった。



次回、第6話


『なりゆきアイドル、始めます!?』



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