「歯医者で見えるプラーナ!?」
光の粒と願いの話
プラーナとは、サンスクリット語で「呼吸」や「息吹」を意味し、インド哲学やヨガにおいて宇宙に遍在する生命エネルギーを指す言葉だそうだ。
仙人は霞を食べて生きる。
不食の人はプラーナを食べている。
そんな話を聞いたことがある。
本当かどうかはわからない。
だけど今日は、そのプラーナについて少し書いてみたい。
長年通っている歯医者がある。
先生のこともスタッフさんのことも信頼していて
「この先生がいるからお願いする」と言っても過言ではない場所だ。
そして、その歯医者で私は不思議なものを毎回見るのだ。
普通、プラーナというものは自然の多い場所や
晴れた空を背景にすると見えると言われている。
だれどココの場合は少し違う。
窓の外ではなく、なぜか室内でよく見えるのだ。
前にプラーナの見方を教えてくれた人は言った。
「簡単だよ。凝視するだけ」
半信半疑で空間を見つめていると小さな粒子のようなものが見えてきた。
その人はさらに言う。
「意志で動かせるよ」
右へ。左へ。ほら。
そう聞きながら見ていると本当に右へ左へと動いているように見えた。
おぉ、これがそうなのか。
それが最初の感想だった。
私はいつもプラーナを探しているわけではない。
歯医者へ行くたびに虎視眈々と観察しているわけでもない。
なのに、なぜかそこでは毎回見かけるのだ。
キラキラとした小さな粒子。
無数の発光体のようなもの。
今日は特によく見えた。
台風前の曇り空だったのに。(写真は今日ではないけど)
しかも一粒一粒が
自ら強く光っているように見えた。
大きな窓があるからだろうか?
自然光が差し込むからだろうか?
それとも別の理由があるのだろうか?
正直わからない。
ただ時々考える。
もし世界が目に見えない粒子で満ちているとしたら。
思いは
祈りは
願いは
どのように形になるのだろう。と。
私は、願うことや祈る事で
「型」が出来るのでは?と思っている。
鋳型のような「型」だ。
願うことで、祈ることで
目に見えない粒子が見えない「型」を形づくり
そこへエネルギーが流れ込むことで
現実になるのではないか?
引き寄せの方法もまさにその通りだと思う。
思って、意図することで
現実が動くのだ。
思わなければ形すら整わないだろう。
プラーナなのか。
木霊なのか。
自然霊なのか。
名前はわからない。
だけど私は時々そんなことを考える。
だから歯医者で注射を打たれても、
「いてぇぇぇ!」とはあまり言わない。
迂闊に発した思いが、発言が
倍増して具現化したら困るからだ。
……心の中では叫びたくなるのだけれど。
虹も普段は見えない。
けれど、光や水滴など、ある条件が重なることで突然その姿を現す。
それまでは「無かった」のではなく
「見えていなかった」だけなのだ。

そう考えると、この世界にも
私たちがまだ見る方法を知らないだけで
存在しているものがあるのかもしれない。
私はそんなことを考えたりする。
目に見えないから無いのではない。
目に見えていないだけで
この世界にはまだ知らないものがたくさんある。
それが何なのか
私にはまだわからないことばかりだ。
だからこそ、まだ見ぬ扉がある気がして
それがうれしい。
