その親切、実はいじめです──法律がそう判断する理由
親切にしたのに「いじめ」だって?
子どもたちの間では、「いじめ」が後を絶ちません。
学校では「いじめ」について、どのように指導・支援すれば良いのでしょうか?
私は「いじめ」指導・支援においては、
「再発防止とともに、いじめる側・いじめられる側の双方が、ソーシャルスキルを身につける機会」
と捉えています。
もちろん、いじめられるのは非常に辛いことなので、いじめがないのが一番です。
しかし、もしいじめがあったら、なかったことにしてはいけません。
ネガティブな経験であるのは間違いありませんが、これを機に、双方がさらに成長を図れると良いです。
事例です。
架空事例。
中1男子Aさんは、両腕に障害があるため、重い荷物を持ちにくい。
それを見た同じクラスの男子Bさんが、親切心から「持ってあげるよ」と言い、Aさんの荷物を運んであげた。
次の日、Aさんは担任に
「僕は自分で運びたかったのに、Bさんに運ばれてしまった。とても辛かった」
と訴えた。
さて、この事例は法律的にはいじめに該当するのか?
あなたはどう思いますか?
これはいじめ?
それとも、いじめではない?
正解は…。
「いじめに該当する」
えー!? と思った人も多いと思います。
それは自然な気持ちです。
学校で先生たちに研修会を行った時も、かなりの数の先生たちが「これはいじめではない」と言っていました。
これがいじめに該当する理由は、Bさんの行為によって、Aさんが苦痛を感じたからです。
「そんなの、いじめじゃないでしょ」と思うことでも。
このように、法律的ないじめと、多くの人が思ういじめは違います。
しかし、「法律的にはいじめである」というのはどういうことかと言うと、「そう思うAさんが悪いから放っておく」とすると、担任は法律違反になるということです。
そのため、担任には、AさんにもBさんにも指導・支援する義務があります。
もちろん、社会通念上のいじめ指導のように、Bさんを厳しく叱責するのではありません。
Bさんの優しさに感謝しつつ、「今度はAさんの気持ちも聞いてみような」という指導が求められます。
Aさんに対しては、辛さに共感しつつ、「今度は『ありがとう、でも自分で持ちたいんだ』って言おうな」という指導が求められます。
ソーシャルスキルトレーニング(SST)や、アサーショントレーニングが中心となります。
このような話をすると、
「法律上のいじめ定義って、おかしくね? いじめられた側が『いじめ』と思ったらいじめなんて、範囲が広過ぎね?」
と思う人もいるでしょう。
それはもっともなことです。
しかし、これには狙いがあります。
法律ではわざと「いじめの定義」を広くしています。
その理由は、定義が狭いと「これはいじめではないから、指導の必要はない」ということが増え、指導すべきいじめを取りこぼしてしまうからです。
定義を広くして、取りこぼしがないように指導する。
ただし、単純な「加害=叱責」「被害=擁護」だけでなく、個々の事例に即した指導を行う。
現在の学校は、このようになっています。
もしあなたが、またはあなたの子がいじめの加害者や被害者になった場合は、このことを意識してください。
いじめが苦しいのは間違いないのですが、この意識によって、少しでも子どもたちが成長することになればと思っています。
あなたはいじめをどう捉えますか?
子どもの成長のために、何を教えますか?
「どちらが悪いか」だけでなく、「次にどう行動しようか?」と一緒に考える。
それが、子どもの成長を促します。
