ドラえもんは、「和の心」でできている
ドラえもんの魅力。
それは「和の心」である。
まずはこれを見てほしい。

ファンの間では、あまりにも有名な話。
このページの下2コマに注目。
何か気づいたことはないだろうか?
そう、下のコマでは、のび太の口が掛け布団で隠れている。
そしてドラえもんが未来に帰る瞬間は、描かれていない。
そこで読者は想像する。
ドラえもんは帰る直前、のび太に布団を掛け直したのでは?
このコマをあえて描かない。
「いひおほせて何かある」
松尾芭蕉である。
もっと大きな話。
のび太はタイムマシンで、時々未来に行く。
そこには大人になったのび太がいる。
そこまでは良い。
肝心なのは、大人になったのび太のもとには、もうドラえもんがいないということだ。
つまり、どこかに最終回がある。
本当にドラえもんがいなくなってしまう瞬間が。
でも、そのシーンはない。
大人になったのび太が、ドラえもんがいなくなったことを語る場面もない。
子どもののび太が未来に行く時、ドラえもんも一緒に行くことが多い。
それでも2人の間で「いつかいなくなっちゃうんだね」と語り合う場面もない。
暗黙の了解。
以心伝心。
言わずが花。
これも和の心である。
作者の藤子・F・不二雄さんは、もう亡くなってしまった。
ファンの間では、たびたび最終回が話題になる。
しかしこれも想像だが、作者はあえて最終回を描かなかったのではないだろうか。
構想はあったかもしれない。
ただ最終回を描いてしまうと、読者は「ドラえもんとは、こういう話だ」と輪郭を完成させてしまう。
いひおほせてしまう。
それを作者は避けたいのではないか。
「ドラえもんって、こんな風にいなくなるのかもね」
「いや、こうかもよ」
と後世のファンが語り合う余地を、残してくれたのではないか。
その余地によって、ドラえもんは永遠になる。
今でも毎週アニメが放映され、毎年映画館には子どもたちが溢れる。
もうひとつ、こちらも見てほしい。

「ザ・ジャパニーズ・説教」である。
のび太の父・のび助の「いいやニページほどやる!!」というメタ視点も、隠れた名言である。
良かれ悪しかれ、ドラえもんには昭和感が満載である。
令和の今では「ハラスメント」と捉えがちだが、相手のことを思って熱く持論をぶつけるのも、あえてイバラの道を進むのも、和の心である。
企画者のsatoyuさんは、娘さんに「いつか海外の人と話す時、ドラえもんのことくらいは知っていてほしい」と願っている。
そんな時、「和の心」としてドラえもんを語ってほしい。
嫌いでもいい。
「日本人って、こういうのが好きなんだよね」と説明できたら、海外の人とも深く交流できるのではないだろうか。
