俺より息子が好き。それでいい
妻「まあ、お父さんよりも、◯◯(息子)のほうが好きだねえ」
ホラ来た。
息子が「お父さんと◯◯、どっちが好き?」と聞いた時の、妻の答えだ。
俺にもつまらない意地がある。
幹「まあ、俺は◯◯や☆☆(娘)よりも、◎◎(妻)のほうが好きだけどね」
妻「あ、そうなの? 申し訳ないねえ」
幹「子育ての教科書的には、こう答えたほうがいいみたいだね」
こういう所が、俺の面倒くさい所なんだろう(笑)。
分かってる。
結婚後何年か経つと、夫婦の愛情はさめてくる。
「恋愛対象」が「家族」になるからだ。
特に子どもができると、「協働経営」になる。
好きだの嫌いだの言ってられない。
最初の子の出産までは手をつないで歩いても、ベビーカーを押すと、手をつながなくなる。
それが普通になる。
結婚してから12年半。
お互いに毎日、小さな幻滅と見直しを繰り返している。
何も意識せずに維持できるほどは甘くない。
毎日ホメたり感謝したりしている。
それでも俺は、嫌味を言ったり、ケチだったり、気が利かなかったりする。
なので冒頭の言葉なのだろう。
いや、妻の中では「夫よりも息子のほうが好きなのは当然」という価値観なのかもしれない。
それは正直でいい。
だから気にしなくてもいいのだろう。
幹「でもまあ、もし火事で俺と◯◯のどっちかしか助けられない場合は、迷わず◯◯を助けてね」
妻「分かった」
幹「まあ、俺は猛ダッシュで逃げるかもしれないけど(笑)」
ここまで書いて、思った。
違うな。
俺は子育ての教科書に囚われていただけだ。
こう答えるのが正解だと。
妻が不正解だからムッとした。
俺のつまらないプライドと嫉妬もあっただろう。
子育ての教科書を知らなかったら、「妻は俺よりも息子を好きだ。それは当然で、俺よりも好きな存在ができたのは素晴しい」で終わってただろう。
知識は諸刃の剣。
正解を知ることは、不正解を否定することになる。
さらに怖いのは、本来子育てに正解なんてないのに、「正解らしきもの」を求めるのが当たり前になっていることだ。
書店には子育て本が立ち並ぶ。
noteにも子育ての記事が多い。
俺の記事や仕事だってそうだ。
別に子育ての本や記事を否定しているわけではない。
俺もよく読み、自身の子育てや仕事に活かしている。
注意すべきなのは、安易に正解に飛びつかないこと。
正解を疑い、「それもあるよね」精神を持ち続けること。
閑話休題。
いや、何が閑話か分からなくなった(笑)。
妻「おせんべいあげる」
幹「俺よりも好きな◯◯にあげればいいじゃん(笑)」
小さい。
小さ過ぎる。
でも、そんな器の小さい俺と感じ良く暮らしてくれる、妻、娘、息子には感謝している。
いつもありがとう。
