ムダな時間は、あなたのオリジナルだ
「またムダな時間を過ごしてしまった」
あなたは、そう後悔することはないだろうか。
俺はしょっちゅうだ(笑)。
ネットにハマる。
マンガにハマる。
次の活動への動き出しが遅い。
しかし、こうも思う。
ムダな時間は、オリジナルなのではないか?
逆に、有益な時間を考える。
「今日は充実した1日だった」
そう感じるのは、どんな日だろうか?
やるべきことがたくさんできた日。
ものすごく楽しいことがあった日。
人のために何かができた日。
収入につながった日。
深い学びを得られた日。
心も身体も休息をとれた日。
どれも素晴らしい。
毎日そんな日を過ごせたら、気持ちも身体もワクワクするだろう。
しかし、そうも行かない。
「ムダに過ごしてしまったなー」と思う日がある。
そんな日は、なければ良いのか?
いや、そうは思わない。
もう一度言うが、ムダな時間はオリジナルだからだ。
有益な日は素晴らしいが、一定の価値観がある。
生産性。
エンタメ。
奉仕。
利益。
成長。
休息。
一言で言うと、「良く生きる」ということだ。
ムダな時間に思うこと。
無為。
無益。
怠惰。
後悔。
消沈。
憂鬱。
書き連ねるだけで滅入ってくる(笑)。
しかし案外、これが人間の本質なのでは?
もし人間の本質が「良く生きる」だけならば、毎日全員良く生きて、誰も悩まない。
カウンセラーはクビである(笑)。
「でもなかなか、そうも行かんでしょー」という所で、みんな悩むのだ。
そして「良く生きる」以外の価値観は様々だ。
ムダだと分かってるのに、ついついやってしまう。
それは実は、その人にとって、本当に必要なことなのでは?
本当にやりたいことなのでは?
その意味で、オリジナルなのだ。
誰も止められない。
そしてムダに過ごした時間が、生活の土台になっている。
あちこち回り道をしたり、余計なことをしたりしたからこそ、「くだらねー(笑)」と言える。
くだらなさを体感している。
くだらないこともあるさ。
でも、「くだらないこともある」と思うからこそ、「じゃあ、何が大事なのさ」と思うことができる。
そういう意味で、くだらないことに寛容になり、活かすこともできる。
「大事」も「活かす」も「生産性」の発想だが、俺は生産性を否定したいわけじゃない。
「『生産性』も『有益』も大事だが、それだけを考えていたら、狭くなってしまうよ」ということを言いたいのだ。
ムダな時間でダランコダランコし、「ああ、またやってしまった」と思う。
それは、あなただけのオリジナルの時間だ。
グラスに氷を浮かべる。
水面から顔を出してるのが、生産性、有益、充実だ。
ムダな時間は、水面下にある。
でも、その水面下の大きな氷が、あなたを支えている。
「こんなこと、おもしろいんじゃないの」
そういった発想は、水面下から出てくる。
あなたがムダな時間を過ごしたからだ。
