1/18「死について語るバー③」(群れを作ってちゃんと生きる編)
2025年1月18日「死について語るバー@エデン難波」が開催されました。
今回の「死について語るバー」では、
私は来てくれた7人のお客様と「死について語る」ことができました。ありがたし!
7人の紹介:
よいからさん:本日最初のお客様。(1人目)
前回死バーのあとに「今度いつやるんですか?行きたいです」と言ってくれたひと。ウケるw彼の一言がなければ、3回目死バーはなかったかもしれんなぁ、ありがとね。
小龍さん:本日最初のお客様。(2人目)
いろんな縁でなんどかお会いしたひと。迷い人をエデン難波まで誘導してくれたり、私の絡み酒に付き合ってくれたり。来てくれてありがとう。
シヌカイヒさん:某読書サークルのおともだち。彼女が最近、「死にまつわる発表」をしたことを知って、親しくなった。見せてくれた飼い猫の写真、まだちいさくてめちゃかわいかった
猫竜さん:エデン難波で知り合った方。独特な死生観(?)だなぁと興味深く聞かせていただいた。
ふわふわさん:ハンドメイドアクセサリーを作られる方。アクセサリー、実際に見せてもらった。ステキだ…
りょうさん:最近仕事を辞めた方、人生うまくいってないみたい。興味深い話をきかせてくれた。
匿名希望さん:以前、エデン日暮里での死バーにニアミスしちゃった方。今回はリベンジか!問いの答え、めちゃ考えてきてくれててありがとうね。
実はもうひとりおともだちが来てくれたのだけど、
ラストオーダー過ぎちゃってて、お話をきけず。
是非また挑戦してくれよな!
それから、前々回のバーテンを務めてくれたれあちゃんも来てくれたー、ありがとねー
しかしながら、
人物紹介を書くだけでもかなりのボリュームだな…
今回はいい感じにまとめて書いていきます。
「死について語るバー」とは?
それは普段語られることのない「死」について、ひとと語り合うことで問いを深めていくバー…。
ひとまず、前回の様子はこちら。
今回の問い
今回の問いはこちら!

「自分がいつか死ぬことを知ったのはいつ?」を追加。シヌカイヒちゃんのエピソードから派生したオリジナル問いなのよん。
じゃあ、問いを深めていこうか。
「なぜ死に語るバーに来ようと思いましたか?」
よいから:「死バーの存在を知った時、実はあまり精神状態があまりよくなかった、就職で地元離れちゃったから」
「けれども、馴染みのお店で出会ったひとといろいろ話すようになって」
「今は『人についていろいろやってみよう』が目標」
おー、自力でやっていっててえらい。
小龍:「『死とはなにか?』という本を読んで、興味が湧いた」
本の中で「魂はあるか、ないか」というテーマが載っていて、クリスチャンの小龍さん的には「ある」立場をとらなきゃなんだけど、本人は「ない」と思っているらしい…魂なぁ。
シヌカイヒ:「愛犬が亡くなった時、幼い妹が「今から病院に連れて行くんじゃないの?」と訊ねてきたことが、自分の中で印象に残っている、「そうか、妹にはまだ「死」の概念がないんだ」って」
そうだよねぇ、「死」の概念って後天的に獲得するものだから、そうなるわよね。
ちなみに、私は幼少期、親戚がお葬式の時に焼かれて骨になって、家族がお骨を箸で骨壷に移すのを見て「食べるの?」と尋ねた食いしん坊です、恥ずかしw
猫竜:「なんとなく」
マジかwようおこしだね〜
ふわふわ:「どういうひとたちがこのバーに来るのか興味があったから。哲学的に死を捉えて来てるひとは3割くらいだと思うんです」
なるほどな、どうなんだろう…
りょう:「仕事を辞めた」「人生のうまくいかなさ、生きることへのめんどくささを感じて、ここに来た」
たいへんだねえ、なやんでるねえ。
匿名希望:「身の回りで親族の不幸が続いて」「お葬式に行ったとき、彼らの見た目の変化に驚いた、本当に死んだんだ、と思った」「ここで悲しめるのが、まともなのかな?と思ったけど、他の人も事実をそのまま受け止めてる感じだった、もちろん泣いてる人もいたけど」
そうだよね、お葬式は喪主は忙しくて、参列者は事実をそのまま受け止めがち。生きてるひとが事実を受け止めるのための儀式、よくできてるよね。
今回はたくさんのお客様が来てくれたので、三々五々に分かれて、自由に話してもらう時間が多かったように思う。
思えば、死バーも3回目。開催するって言ったら、「行きます!」と4人のひとから声をかけていただいて、本当にありがたい。いろいろなお話が聞けて、私も嬉しかったし、貴重な機会だったなあ。
「NO ◯◯ NO LIFE」に入る言葉は?
よいから:「talk(話すこと)かな、旅行にはよく行くんだけど、それも後々ひとに旅行中のエピソードを話せると楽しいってのもある」
小龍:「glow up(成長)、自分の人生は自分でよくしないと!」「最近はオンラインの読書会を初めてみた!」
シヌカイヒ:「心。感じることがないと生きてる感じがしないっていうか。新しくワンちゃんが来てくれて、嬉しくもあるし」
猫竜:「のんびり、ぐーたら」
ふわふわ:「思いやり…かな!そうかも!傷つける人が多い中で優しい人に出会うと救われるひとがある。そんな素朴に、ふわっとした、ふとした瞬間の優しい気持ち…つまり思いやりですね!」
りょう:「ルードボーイですね。(しぐれ註:ジャマイカの不良文化がルーツにあるイギリスのファッションとかマインドとかのこと)イギリスは階級社会だから、貧困層の人たちはジャマイカのスカ音楽を聴いて、ルードボーイファッションを身にまとうことで、アイデンティティを持っていたんです」「今日の格好も、ルードボーイの服なんですよ、髪型も」
匿名希望:「自分らしさ、かな。」「他人に合わせてたら自分らしくない!」「中学の家庭科で作るナップザックを友達と同じものに合わせたり、親からいろいろ言われたりするところから、自分らしさを大事にする方を選んだ」「守られなくて、自由な方がいい!」「NO 自由 NO LIFE!」
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みんな、いろいろかんがえてえらいな。
違う人間だから、考え方はひとそれぞれなのよね。
私自身が思いつかないことでも、
他の人なら思いついたり行動できたりする。
そこに私は面白さを強く感じるのだけれど、
そのはずだったのだけれども、
今はそれに対してきちんと向き合えていないきがする。
もう開催から1ヶ月が経とうとしてるけど、
今思っても「不思議な回だったなあ」という印象があります。
そんな折、「死について語るバー」東京本部長のにわかーずさんの生誕ライブが開催されており。
彼の自作曲、「ちゃんと死ね」を聴いてて、
気付かされることがありました。
(余談:あまりにもタイトルがどストレートなのよな)
「ちゃんと生きるってなんなんだろ。」
ちゃんと死ぬためには
ちゃんと生きなきゃなんねえ
そう歌う彼の周りにはたくさんの人たちが囲んでいて、
「ああ、ちゃんと生きる、をやってるんだなあ」と思ったのです。
そうだ、たしか
今回参加してくれたよいからさんと、
「コミュニティに新しく参加すること自体はいいことだと思うけど、それは本当にやりたいことなのか、何のために参加しているのかを考えるのは大事。もしかしたら、家族や既存のコミュニティでの時間を増やす、とかも一つの手段だよね」
と話してたんだよなー。
(しぐれ註:よいからさんは新しいコミュニティを見つけて、気持ちが安定したひとです。いいコミュニティに入れてよかったねえ。)
そうだよなー、
今回の参加者のみんなも
新しい家族を迎えたひとや、
逆に家族とお別れしたひともいたし。
仕事辞めて人生つらいって言ってた人も
大好きな音楽の話してる時は
イキイキしてたんだよな。
自分がいま所属しているコミュニティ、って
実は私が思っているよりも
大事なものなのかもしれない。
もうすこし「ちゃんと生きる」をやっていこう。
そう感じた死バーでした。
