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そして「オーセンティック」という言葉は手垢にまみれた(2)

前回のお話:

振り返ると、世の中で「性自認」についてさかんに議論されるようになった頃から、authenticという英語と、「正統」「本物」という日本語の間にズレを感じ始めた気がします。たとえば、心は女なのに男の体で生まれてきた人にとって、「本当の自分」とは何なのか。男でも女でもなく、どんな既存のジェンダー定義にも当てはまらない場合の authenticity とは何なのか?

そんな文脈で使われるauthenticという言葉を訳すときは、従来的な訳語の守備範囲を外れる言葉を動員せねばならなくなりました。「ありのままの」とか「正直な」とか。しかしどれも authentic という偉そうな響きの英語とぴったり一致はしないのでした。

大学院を出た私は民間企業に就職し、次に「オーセンティック」という言葉と深いお付き合いをするようになるのは、企業のマーケティング部門に属するようになってからです。

マーケティング用語としての authenticity

マーケティング部門で働き始めてからは、とりあえず「正統」「本物」という日本語から離れないと「オーセンティック・マーケティング」という考え方についていけなくなると悟りました。マーケティングにおける authentic は、さまざまな意味をカバーする言葉だったのです。例えば:

誇大広告ではない広告 = オーセンティック
企業の社会的義務を果たす = オーセンティック
ブランドの価値を表現する = オーセンティック
消費者とのつながりを重視する = オーセンティック
消費者の心に訴えかける = オーセンティック
ユーザーに誠実な対応をする = オーセンティック

文化人類学の授業で使っていた authentic という言葉と、広報の会議で使う authentic は、笑えるほど意味が違っていたのです。

社会的義務を果たすとか心に訴えることがなぜ「オーセンティック」なのか最初は理解に苦しみましたが、「ただ売ろうとするのではなく、顧客や社会のためを思う誠実な商売」こそ、ビジネスの本来のあり方なのである、という理念らしいです。

言ってみれば自分は文化人類学者からマーケターに転向したわけですが、マーケティングにおける「オーセンティック」という考え方に触れて気づきました。論文書きも広報の仕事も「説得力のあるこじつけ」であることに変わりはないと。そして私は「こじつけ」が割と得意だったのです。広報部では大変楽しく働かせていただきました。

しかし、マーケティング用語としての「オーセンティック」という言葉を、耳にタコができるほど聞かされた結果、この言葉はキレイゴトの総称だと気がつきました。猫も杓子もオーセンティックを目指した結果、オーセンティックは陳腐なものに変容していくのです。

それは女性向けのマーケティングで多用される「輝く」という日本語が輝きを失う様と似ていました。「輝く私になりたい」とか「あなたを輝かせる(商品名)」というような表現が、ありきたりすぎて安っぽくなるという現象です。個人的に「留学して海外で働いて、輝いてる人生だね」というような賛辞をいただくことがありましたが、反応に困りました。「常套句で飾られた私」はオーセンティックな私ではありませんから。(続く)

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