死ぬほど悩んで会社を辞めて、大切にしたいことを大切にする
実は半年くらい、死ぬほど人生に悩んでいました。
たくさん悩んだ結果、
新卒から3年働いた会社を退職して次の道に踏み出したので、
そのときの想いを書きます。
分量も多いし、自分の想いを吐き出し過ぎていて、ドン引かれないか、とても心配です笑
でも20代前半は人生に悩む人が多いと思っていて、私のこの想いや葛藤も、きっと25歳の今しか感じられなかった気がする。
すでに会社を辞めようか悩んでいた時はだいぶ前で、あの頃の気持ちは思い出せなくなってきているけど、
過去のメモを振り返って記憶が新しいうちに残しておこうと思います。
きっといつか、若い頃はこんなことも考えてたな〜と、
何とも言えない気持ちになるでのしょう。
人に恵まれ、最高に楽しかった3年間
就活の面接で(志望度以外)一度も嘘をついたことはなかったけど、
この会社の面接は他のどの会社よりも自分の素を出すことができて、
自分の話す言葉が面接官に刺さった感じがした。
無人島やインド、枕投げ大会の話でとても盛り上がった。
論理的に、
「自分がこの会社を選ぶ」理由も
「会社が私を選ぶ」理由も整理できていたけど、
最終的にこの会社にしようと思えたのは
「ワクワクするデジタルへ」
を掲げていたから。
高校生:「辛い時こそ笑顔で」
大学1,2年:「誰よりも人生を楽しむ」
大学3年〜:「迷ったらワクワクする方へ」
ずっとこんなモットーで生きてきた私にとって、
このスローガンを掲げてる会社は最高でしかなかった。
そして広告の本質
コミュニケーションによって目の前の”1人”の心を動かし、
何もなかったところに価値が生まれ、
それによって世の中の在り方でさえ変えてしまう力がある。
そんな素敵な仕事にワクワクして入社した。
不安もあったけど、すべて自分次第だった
実際に入ってみて、自分が想像していた何倍も最高の時間だった。
仕事は楽しみだし誰よりも楽しんでやろうと思ってるけど
会社に属することで生じる不自由とそれを当たり前として受け入れてワクワクや好奇心を忘れたつまらない大人になってしまうんじゃないか
そんな不安は全然なかった。なかったというより自分次第でしかなかった。

本当に人に恵まれて、たくさん挑戦も成長もした。
関わる人が増え、できることが増え、
年々仕事は楽しくなっていたからこそ、今後はさらに楽しくなると思えた。
もっとやってみたいことも、たくさんあった。
もちろん、1日1日で見ればどうしようもなく辛いときもあって、
クライアントに詰められて号泣したことも、
働きすぎて自分で自分の首を締めて周りが全く見えなくなることあった。
けどそんな日々も含めて毎日楽しくてワクワクしながら仕事をしていた。
常に自分の目標があり、そのためにどうしたらいいのか考えて、行動して成果がでて。
今も大事にしている、尊敬している先輩たちの言葉
何度もしんどくなって、その度に色んな人が助けてくれた。
大好きな先輩/後輩/同期にだいぶ甘えさせてもらって、
支えてもらってやってこれたなと。
そんな方々からもらった、今も大事にしているお言葉たち。
他にもたくさんあるけれど、ごく一部。
どれだけ言われてないことをできるかが仕事だよ
こんなことがやりたいのに出来ない!!と直談判したときに、
環境を求めてブーブー言ってるけど機会なんていくらでもあるよ。
やっちゃダメなんて誰も言ってないんだから自分で考えて価値出せ。
みたいなことをいわれてコペルニクス的大発見だった。
辛い時こそPoPに
1人でカレーを作ってないかい?
自分ができるようになったことは他の人でもできるようにすること
本当に仕事のスタンスをたくさん学ばせてもらった。
悩みの中にいることはとても苦しくて、決断できないことにまた悩むけど、
悩むことでまた人に共感できるようになり、人の幅を広げられます。みんな長谷川の味方だしね。
会社を辞めようとして、人生に迷い、一番悩んでいたときにもらった言葉。
こうやって人生に悩むこともまた、
自分の人生において必要な通り道だなと思えた。
The Night、その夜その瞬間
日々の仕事はしんどくて辛いことも多いけど、
ある日、「ああ、やっていて良かった。最高だ」と思える日、
仲間と酒を飲める夜が来るんだよ。
これを聞いて、自分はこの瞬間のために仕事をしていこうと思えた。
死ぬほど悩んだ
辞める決断をしてから、とっても怖くて、寂しくて、半年間何度も辞めるのを辞めようかと思った。
右も左もわからなかった自分に、
たくさんの経験と成長の機会を与えてくれた会社。
本当にいい会社だったなと思ってます
いろんな人に、
「あと1,2年あれば、マーケターとしてもビジネスマンとしても、いろんなことがわかって、自分のやりたい仕事ができるんじゃないか。」
「今外に出るのは本当に大変なんじゃないか。」
と言われた。
おそらく先輩の言うことは”正しい”ことなんだと思う。
それでも長い人生、おばあちゃんになって振り返ったとき、
「あのとき会社を辞めなければよかった」という後悔と、「辞めればよかった」という後悔、
どっちの方がしそうかと考えたら絶対後者だった。
もう少しこの会社にいることでの未来は少しだけ見えるけど、
この会社をやめた先の未来は全く見えない。
だからこそ、やってみる価値があると思った。
そして、残り半年間、なお一層死ぬ気で働いて1秒でも早く結果を出して、
自信を持って堂々とやりきったと言えるように。
もうこの会社で学ぶことはない。
と言い切れるように全力で働こうと思っていた。
この会社を辞めるのは、
期待してくださって、成長するチャンスをくれて、私に時間を使ってくれた上司たちに申し訳ない気持ちがあった。
でも短い時間だったけど、
長谷川に期待して、長谷川にチャンスを与えて良かったな。と思ってもらえるように頑張った。

大切にしたいことの違い
大前提すごく楽しくて充実していたんだけど、
3年間働いて、何を目指していたのかわからなくなったのも事実だった。
会社で昇進していく未来には何故かワクワクしなかった。
評価されても、ありがたいけど、どこか他人事だった。
憧れる優秀な先輩は出世ゲームを頑張れる人で、
お金を稼ぎたいと言っていた。
私はこの人のようにはなれないなと思った。
出世や昇進、給料を上げていくことを1番の目標として頑張れる気がしなかった。
そもそも大切にしている価値観が人それぞれ違うんだなと知った。
悩んでいた時一番刺さった言葉は「果菜の本当の理想は何なの?」だった。
あーだーこーだいろいろ考えすぎて、
結局変わらない選択肢を選ぼうとしていた。
自分がどうありたいかから逆算して考えたら、
一生この会社で働くという選択肢はないなと思った。
会社の人は笑顔で送り出してくれた。
これで繋がりが完全に切れるわけではないけど、
会社という組織から離れることで、繋いでいたものがなくなってしまうような気がして寂しかった。
改めて、自分にとって、人との繋がりがとてとても大切なんだなと感じた。
もっと目の前の人を大切にしていきたいとも思った。

元々沖縄に移住するつもりだった
大学生の頃から将来は沖縄に住みたい!と思っていて、
入社する前から「3年で会社を辞めて、フリーランスになって沖縄移住しよう」と思っていた。
昨年の7~12月ごろに私に会った人は
私は「会社辞めてフリーランスになって、沖縄に移住する!」と言っていたと思う。
実際、家も探していたし、
会社にも最初は「沖縄に移住したいので、退職します」と言った。
大学生の頃から沖縄で海の近くで暮らすのが夢で、いつもやりたいことリストに「沖縄に移住する。」と書いていた。
いつかこの思いが薄れてしまうのが怖くて、
今が一番沖縄に住みたいと思っているだろうと思い、強行突破しようと思っていた。

でも、なんだか違う気がした
ありがたいことに個人として案件をもらって働いてみて、とても楽しかった。
でもどこに向かっていけばいいかわからなかった。
自分のやりたいことじゃない気がしてきた。
広告運用はできることだけど、やりたいことじゃない。
すごく孤独で、私の目指していた理想の働き方じゃない気がした。
私は別にフリーランスとしてお金をたくさん稼ぎたいわけではない。
何か違う気がした。
考えていくと抜けていたのは「ビジョン」だと思った。
何のために働いているの?と聞かれて大義で答えられる人でありたい
「なんで働いているの?と聞かれて大義を持って答えられる人でありたい。」
とずっと思っていた。
社会や世の中がこうなっていて欲しい。
こんな価値を届けたい。
部下やメンバーがこんなふうに働ける環境を作りたい。
そう言える人をかっこいいなと思っていた。
じゃあ私がやりたいことってなんだろう?必死に考えた。
石垣島一人で1週間、海を散歩しながら考えた。
思ったこと、感じたことを書留め、
見返し、言語化し、構造化し、
具体と抽象を繰り返し、
自分の人生ビジョンを考えた。
「どんな人でありたいのか」
「どんな想いを持ってこの人生を使いたいのか」
「今自分にとって一番大事なことは何か」
「今しかできないことは何か」
フリーランスになることも、沖縄に移住することも、あくまで手段でしかないなと思った。
「本当に自分がやりたいことは何か」ということを一つずつ考えて言語化して整理していった。
たどり着いた答え
そしてたどり着いた結論は、
本当に良いと思った商品やサービスを世の中に広めたい。
人生がちょっとだけ豊かになるような、少しでもワクワクする瞬間を届けたい。
それによって自分の心に従って、自分の人生を楽しめる人を増やしたい。
私は大義のある、より本質的な課題を解決していきたいんだなと思った。
そして、
ど真ん中で成果を出すかっこいい女性になりたい。
でも、人に寄り添える愛嬌のある女性になりたい。
自分の軸を持って人生を生きる人になりたい。
そう思った。
本当に未来は予想できない
少しだけ転職活動をして言われた。
「5年10年先のキャリアを描いてみましょう」
考えてみたけど、全然わからなかった。
3年先に私は何を感じ、どういう思いを持って働いているのかなんて予想できない。
AIがあらゆる情報を集め整理し、具体抽象をしてくれるから、
会社や組織であることの意味はなくなっていくんじゃないかとか、
仕事が減って週休3日,4日になって、
ベーシックインカムが普及して仕事をしなくてもよくなるんじゃないかとか
そんなことを考えていたら
将来を見据えてキャリアアップを考えるなんて無意味な気がした。
ベンチャーだと正攻法を学べなくて成長できないんじゃないか。
大手の方が専門性を磨けるんじゃないか。
とか、細かいことはどうでも良くなった。
ずっと何者かになりたくて、どこでも働ける人になりたくて、
自分のレベル上げをしてきた。
ずっと本番じゃないような気がしていた。
3年間会社で力をつけてフリーランスになったら、
どこでも働けるかっこいい女性になれると思っていた。
会社辞めてフリーランスになって沖縄移住して、
旅をしながら働くことが理想だと思っていた。
でも30歳まで残り5年。
いつかのために準備していたら、いつかが来ないまま終わっちゃう。
お金を稼ぐことも昇進することも、あんまり興味を持てなくて、
だから残り5年間本番を生きよう。やりたいことを全部やろうと思った。
寝ても覚めても解決したい問いを持つこと。
これが私にとって幸せなんじゃないかと思った。
なんで旅なのか?
これからは旅に関する仕事をするんですが、
旅じゃなきゃいけない絶対的な理由はないかもしれない。
きっと「自分の心に従って自分の人生を生きる人を増やす」ための手段はもっと他にもある。
「本当に良いと思った商品やサービスを世の中に広めたい。」から言えば、
旅だけじゃなくて、沖縄も海もシェアハウスもキャンプも日本酒も漫画でも良かった。
でも私はすごく飽き性だから、
1つの商材をプロモーションし続けることは不可能だなとも思った。
私は本気で「旅が人生を豊かにする」と思っているし、
旅は世界中のすべての場所に訪れない限り飽きることがない。
日本にすら、まだまだ知らない素敵な場所があると思っているし、
旅で出会う人との出会いは一生飽きない。
私自身、インドで人生が変わった。
自分の知っている世界の狭さを認識した。世界が広がった。
自分の「当たり前」や「常識」がいかに無意味だったか知った。
インドに行ってから、
「未知にはたくさんのワクワクが詰まっている、もっともっと世界を知りたい。」と思った。
そしてたくさん面白そうなことをやってみた。
あの一歩がなければ今の自分は確実にいない。

私にとっての豊かさの定義
石垣島で考えた私の豊かさの定義は以下。
目標に向かって夢中になっている
未知に遭遇し好きを広げる
自然に触れ現状に感謝する
大好きな人との関わり
未知に遭遇し、好きを広げ、
自分の人生がちょっとでもワクワクするような選択肢を増やすことが大事だと思っている。
知らなければ選択できないし、ワクワクできない。
この「未知の遭遇し好きを広げる」がまさに「旅」と「人の出会い」だと思う。
世の中にはまだ知らない魅力的な場所が数え切れないほどあって、
それを上手く伝えられてないだけで人を幸せにするところはたくさんある。
そんな場所の魅力を伝えたい。
人が新しい場所に行き、そこで普段出会わない人と出会い、また帰ってきたくなるような場所を作りたい。
旅をすることで世界が広がり、人生を楽しめる人が増えるんじゃないか。
そんな人が増えれば世界はもっと良くなるんじゃないか。
旅に関係することであれば、解釈のしようはいくらでもある。
それほど旅は魅力的だと思っている。

ビジョンをいちばん大切にしている会社
とにかく新卒就活の決めてから一貫して「ビジョン」が大切な人間でして、ストレングスファインダーの2位も未来志向です。
だからこそ、TABIPPOが掲げる「旅で世界を、もっと素敵に。」というビジョンも
そのビジョンの裏にある経営方針も、想いも共感でしかなくて、
そしてそれをただ掲げるだけじゃなくて、本気でみんなそう思って働いているのが本当にすごいなと思います。
TABIPPOでは、企業/自治体/海外観光庁などに対してマーケティング支援をします。
これまでは広告代理店だったので、
全業界に対してのデジタル広告に特化していたけど、
これからは旅×若年層に絞ってはいるものの、
マーケティングの0→1から10→100まで全部やります。
前職ではアカウントプランナーだったけど営業ではないし、
クリエイティブもストラテジーもBXも専門部署があって、
自分は責任を持てなかったけど
クライアントに価値貢献するには自分で責任を持って、自分でやるか、人を巻き込んでいかないと行けない。
大変だけど、ずっとやりたかったこと。
1年後はさらなるスーパーマンになっている気がします!
全てのきっかけは元々TABIPPOだった
TABIPPOとの最初の出会いは、大学2年生の時高校の先輩が出ていたTABIPPO主催の世界一周コンテストDREAMを知った時。
これがきっかけでインドに行く決意をし、そこで人生が変わった。
社会人1年目の9月、有給を取ってTABIPPOが毎年タイでやっているイベントに行った。
ド平日にタイにいる社会人なんてみんなまともな人じゃなくて、
普通の会社員よりも世界一周した人の方が多かったと思う。
そんな中で普通の会社員である自分、同じ目線で話せない自分を実感するとともに強い憧れを持った。
その時何故かTABIPPOメンバーとカオサンで飲みに行き、
そういえばその時もいつかTABIPPOと仕事できたらいいなと、かすかに思ったような気もする。
私もまさかこんなことになるとは一ミリも思ってなかった。
TABIPPOがマーケ事業をやっていることも全く知らなかった。

最後に
どれだけ崇高なことを考えても、壮大なビジョンを語っても、エモい言葉でいい感じにまとめても、
現実は全然そんなに甘くなくて、
大きなことを思えば思うほど、現状とのギャップ、自分の無力さに苦しむ。
でも、もがくことは今この時にしかできないことなのかもしれないなとも思う。
そしてどれだけ前を見ても忘れちゃいけないこと。
家族、パートナー、友達、関わってくれる人、
身近な人からちゃんと大切にすること。
何不自由なく生きていけることが「有り難い」ことだと理解し、感謝すること。
これからの人生はさらに自分次第で、だからこそ大変だけど楽しみで、
私は自分らしく人生を楽しみながらいろんなことに挑戦していきたいなと思っています。
The night、その夜その瞬間を迎えるために、これからも生きていきます!
おわり!
