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アメリカで感じる「個性」について

感じたことの備忘録。


地域がサンフランシスコということもあって、いろいろな文化がカオスに混じり合ってます。レストランひとつをとっても、ハンバーガー屋さんはもちろん、中華、ギリシャ料理、ベトナム料理、イタリアン、フレンチとさまざまあったり、カフェもさまざまなブランドがあります。

お店を見ていると、こうどれも「唯一無二感」があるんですよね。建物自体のデザインがこのお店用にデザインされていたり、隣の建物とは色も形も階層も全く違ったり、結果内装が全然違ったり。ふたつとして同じものがないというか、同じ景色がないというか、不思議な感じがします。

これは個人をとってもそうで、肌の色が違う人もいれば、瞳の色が違う人もたくさん。髪型も、服装も、みーんな違う地域です。よく言えば個性に溢れていますし、悪く言えばカオスという感じ。


この環境にいてふと気づいたのが、「この地域に当たり前ってあんまりないのかも」と思ったんです。法律みたいな明文化されている部分は共有されているとして、例えば「電車で静かにするかどうか」とか、「歩きながら音楽を聴くかどうか」とか、「3時のおやつに何を食べるか」とか、暗黙化されている部分が全く共有されていない、そんな感じがしたんです

もっとわかりやすいところで言うと、「どこで生まれてどこで育って、どんな考えを持っているか」みたいなのが、全く予想できない。日本みたいに、「小中高大出て、」みたいな段階から予想できない。そもそも同じ教育の枠組みなのかすら知らない。その結果、どのような考え方を持っているか予想できない。だからこそ、慎重に相手に接する必要性が必然的に出てきます。


面白いのが、自分も自分自身の考えをだんだん許せるようになってきた気がするのです。「こう考えてはいけない」みたいなのが取っ払われていくような、そんな感覚にだんだんなってきている気がするんです。自分の経験も、考え方も、意見も、全て海外に身を置くと「個性的」なんだな、そんな気がしてきます。

この現象の発端は「多様性」です。多様な構成員であればあるほど、お互いについて慎重に聞く姿勢になるし、お互いが相対的に個性的になる。その結果、個性が許されて自由になる、のかも。

面白いなー。

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