パルプ・フィクションを観た
クエンティンタランティーノ監督の第二作品。
めちゃくちゃ賞をとっているということで期待して鑑賞。
以下ネタバレしてます。
すっごく雑な感想と考察になってしまいましたが、許して。
(画像はU-NEXTより)
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パンプキンとバニーの会話が不穏でそわそわさせられる。ふたりはレストランで強盗をすることに決めた。なんの計画性もなかった。いやもうちょっと作戦練った方がいいんじゃ…と思った時にはもうピストルを出している。
そこから場面は変わるが、ギャング、銃、殺し、ドラッグ、八百長などなど裏社会にフォーカスしていて、とことん王道から外れようとする(そもそも私は王道を語れるほどの知識は持っていないのだが)ストーリー展開で、アメリカ映画を見慣れていない私はずっとはらはらしていたし、バイオレンス要素が多くて、常に死と隣り合わせにいるような恐怖を抱えながらこの映画を見ていた。特にミアがオーバードーズして死にかけているとき、心臓にアドレナリンを注射する場面なんか見ていられなかった。注射のあと勢いよく息を吹き返して(溺れた人が海面から顔を出したような)なんか、ありえないのに(そもそも裏社会を知らん)ありえてしまうような不思議な感じだし、出てくる人物、ミア以外は普通に人を殺すのにバイオレンスな場面以外はチャーミングなんですよね。2回目見た時は面白くて結構笑った。
ジュールスは聖書の一節を引用していた。私は聖書を全く知らないので、その一節は本当にあるのだと思っていたが、後半、創作かな?となんとなく思わせる部分もあって、ググってみたら創作だった。ただこの映画の中ではこの一節は本物なのだと思う。ジュールスは銃弾が1個も当たらなかったことを神の介入だと信じて改心する。
この映画ではたびたび“トイレ”がターニングポイントになる。ボスのケースを盗んだブレッドたちの仲間は1人トイレにいたし、ヴィンセントがトイレに行っている間にミアは死にかけ、ブッチの家ではトイレに行ったせいでヴィンセントは死んだ。ジュールスもボスに足を洗うと伝える前にトイレに行っている。(トイレに行く時にケースを持っていっている)ジュールスは無事に足を洗うことができたのか。できなかったのか。個人的には無事に組織を抜けることができたと思っている。その理由について。
時系列がバラバラなので私も何度も見返した。
ネットで時系列について漁ってみたが、イマイチこれだ!と思える記事がなかったのでざっくり記しておく。
1日目
・朝7時22分、マーセルスを裏切り、アタッシュケース(中身は不明)を盗んだブレッドの部屋へ。
・トイレに潜んでいた裏切り者の銃弾が一発も当たらず、ジュールスは神の存在を感じる。
・裏切り者を一人乗せて走行中誤って殺してしまう。
・朝の8時過ぎジミーの家でボスに電話。
・車をスクラップ
・ボスにアタッシュケースを届ける前にレストランへ
・レストランの強盗を諭す
・ボスのいるバーへ。
・ボスには先客がいたので待機。ジュールスはアタッシュケースを持ってトイレ
・先客はブッチでボクシングの八百長で負けるようボスに依頼されていた。
2日目
・ヴィンセント、ドラッグを買い、 ミアのもとへ。
・ミアと バーでダンスしてトロフィーをもらう
・ヴィンセントがトイレの間にミアがオーバードーズ
3日目
・夜中1時、ドラッグを買ったマイクの家でミアにアドレナリンを注射して蘇生
・ミアを家に送り届ける
(ミアのハプニングとブッチの逃走は同じ時間だという意見もあるが個人的には重なっていないと思っています。ボクシングの試合は夜に行われましたが、ブッチは試合後、すぐさま逃走しており、ボクシングの試合が夜中の1時頃に終わるのは普通ではないだろう、という憶測による。また、ミアがオーバードーズしているので、ボクシング会場に駆けつけることは難しいと思う)
・ブッチ、試合前に金時計の記憶を夢に見る
・夜8時〜9時頃(前述の憶測による)
ブッチ、ボクシングの試合後、タクシーで逃走
・亡くなったボクサーとマーセルスとミアがいる部屋(会場の控え室?)にバーの店員とヴィンセントが到着。(そもそもマーセルスはなぜヴィンセントにミアの世話を頼んだのだろう…ミアが駆けつけられるくらいには近い場所だったのに)
4日目
・朝9時、ブッチ、恋人が金時計を忘れたことに激怒(あらかじめ八百長を反古にし、逃走することに決めていたのか)
・ブッチ、自分の家に戻り、金時計を回収。ついでに朝食を食べようとしたところ、ヴィンセントがトイレから現れたので、ヴィンセントを殺害
・恋人の元へ戻る途中、横断歩道をマーセルスが横切ろうとし(なんでやねん)、そのまま轢く
・ブッチとマーセルスの和解
・ブッチは11時の列車に乗るために恋人とバイクに乗って出発
すでに多くの方が考察されている通り、対立構造となっている。1日目と4日目は対立というよりは構造が同じである。
私はジュールスには生きていて欲しいので、ブッチが生き延びたように、生き延びてくれていると信じたい。
映画のタイトル「パルプ・フィクション」はアメリカの嘘か本当かわからないネタを寄せ集めた雑誌のような物語、という意味でつけられたらしい。
きっともう一つ意味があるのではないかと私は思っていて、
嘘かほんとかわからないフィクション、たとえば劇中の聖書の引用だと、(すみません無宗教者なのでこんなこと言いますが)聖書自体が嘘かほんとかわからない。
銃弾が当たらなかったのは偶然かもしれないし、まぁもちろん、神の介入なのかもしれないが、どっちが真実なのか、どっちが嘘(フィクション)なのか、は、どうでもよいというか、どちらもフィクションかもしれないわけで、だけどそのほんとかどうかわからないことを信じる気持ちにさせる力がフィクションにはある、ということだと思う(自分でも何を言っているかわからなくなってしまった)
だけどヴィンセントみたいに、銃弾があたらない奇跡が起きても、偶然、で済ませてなにもなかったように過ぎてしまう人もいる。受け取るか、受け取らないか、はその人次第で、それは“フィクションをどう受け止めるか”、という感覚にとても似ていて、ある種の宗教に近い。そして受け取ることができたとき、それを誰かに与えることも出来るのだ。
私はこのスタンスに全て乗っかるわけではないのだが、(信念がなければ人は善行をしないとは思わない)フィクションが良い方向にも悪い方向にも向かってしまうことを改めて感じる映画だった。全ての人類は弱者で、一生懸命羊飼いになろうと努力しなければならない。
もっといろいろ言いたいことがあるけど、もっとアメリカ映画に対する経験値を積んでから改めて感想が書けたら良いなと思います。
読んでいただきありがとう。
ではまた。
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