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面談が怖いというより、応募する前から消耗していた

案件を開いて仕事内容を読もうとする。
その前に、「Zoom必須」「オンライン面談あり」「一度お話しできる方」みたいな文字が目に入る。

それだけで、少し手が止まっていた。

まだ応募していない。
返事も来ていない。
仕事が始まったわけでもない。

ただ、案件を見ているだけ。

それなのに、
その時点でもう少し疲れていた。

文字を書く仕事なのに、最初に求められるのが「話せること」なのが、ずっと重かった。

面談が苦手だった。

それはたしかにある。

何を聞かれるのか分からないまま待つこと。時間を合わせること。家の音を気にすること。途中で予定が崩れないか考えること。

「30分だけ」と書かれていても、
その30分だけでは終わらない。

前後の時間ごと、
少し止まってしまう。

だから自分は、最初から面談あり案件をかなり避けていた。

それが不利なのは、なんとなく分かっていた。面談できる人の方が、たぶん選ばれやすい。話した方が安心できるクライアントもいると思う。

それでも、
自分にはその形が続かなかった。

この記事は、面談が怖かった話というより、応募する前から少しずつ消耗していた話です。

「話せること」が前提になっている仕事探しの中で、どこで手が止まっていたのか。

その頃の感覚を、
今の言葉で少し拾い直してみます。


面談が怖いというより、応募する前から疲れていた

面談が怖い。

そう言えば、たぶん話は早い。

Zoomが苦手。人と話すのが苦手。自己紹介が苦手。
そういう説明なら、まだ分かりやすい。

実際、それもあった。

オンライン面談の予定が入ると、その時間だけじゃなく、前後の時間まで少し固まる。何を聞かれるのか。どこまで話せばいいのか。声が詰まったらどうしようか。

そういうことを、
まだ始まってもいないうちから考えてしまう。

ただ、自分にとって重かったのは、面談そのものだけではなかった。案件を探している段階で、もう少しずつ疲れていた。

クラウドワークスで案件を開いて、仕事内容や報酬、納期を見る。
その途中に、「Zoom必須」「オンライン面談あり」「通話で詳細説明」という文字が出てくる。

その一文を見るだけで、
画面の前で手が止まる。

あ、これ無理かもしれない。

そう思って、
そのまま閉じる。

まだ何も起きていない。応募もしていない。断られたわけでもない。誰かに何かを言われたわけでもない。

ただ、案件をひとつ閉じただけ。

それなのに、
少し削られた感じが残る。

「30分だけお話しできれば」

そう書かれている案件もあった。
たぶん、相手にとっては本当に30分なのだと思う。

軽い確認。顔合わせ。簡単な説明。
仕事を頼む側からしたら、そこまで重いものではないのかもしれない。

でも、自分にはその30分が、
30分だけで終わらなかった。

時間を合わせる。静かな時間を確保する。家の音が入らないか気にする。途中で呼ばれないか考える。何を聞かれるのか分からないまま、その時間を待つ。

終わったあとも、
すぐに元の作業へ戻れる感じではなかった。

たった30分。

そのはずなのに、
前後ごと持っていかれる。

そこが重かった。

文字を書く仕事を探しているのに、最初に求められるのが「話せること」になる。
その感じにも、ずっと引っかかっていた。

もちろん、仕事で話すことが必要な場面はある。相手がどんな人か知りたい気持ちも分かる。

やり取りしやすいか。ちゃんと連絡が取れるか。途中で投げ出さないか。
クライアント側が不安になるのも、分からなくはない。

それでも、文字を書く仕事の入口で、まず「話せるかどうか」を見られる感じが、自分には少し遠かった。

文章なら、考えてから出せる。打ちながら、言葉を少し整えられる。強すぎるところを戻したり、足りないところを足したりできる。

会話は速い。

相手の反応が入ってくる。空気が動く。その場で返さないといけない。

自分の中で言葉になる前のものまで、
急いで外に出さないといけない感じがする。

それが、
かなり苦手だった。

面談ありの案件を見るたびに、少しずつ止まっていた。

応募する前に止まる。
案件を閉じる。
また別の案件を開く。

そこにも、
「一度お話しできる方」と書いてある。

また閉じる。

それを何度か繰り返しているうちに、仕事を探しているのか、面談を避ける場所を探しているのか、分からなくなってくる。

面談が怖い。

たしかに、そうだった。

でも、その言葉だけでは少し足りなかった。

怖かったというより、
応募する前から、
少しずつ消耗していた。


「人柄を見るため」の面談に、少し引っかかっていた

面談ありの案件には、だいたい理由が書かれていた。

「継続してお仕事をお願いしたいので」
「人柄を見たいので」
「事前に一度お話ししたいです」

たぶん、どれもおかしなことではない。

仕事を頼む側からしたら、相手がどんな人か分からないまま進めるのは不安だと思う。連絡が取れる人なのか。途中でいなくならないか。指示をちゃんと読んでくれるか。修正が出た時に、普通にやり取りできるか。

そういうところを、先に少し見ておきたい気持ちは分かる。
自分が逆の立場でも、不安になると思う。

ただ、
「人柄を見るため」と言われるたびに、
少しだけ引っかかっていた。

30分くらい話して、
本当にその人のことが分かるんだろうか。

そんなことを思っていた。

もちろん、声の感じや話し方で分かることもある。受け答えのテンポ。質問への反応。最低限の礼儀。そういうものは、会話の中に出るのかもしれない。

けれど面談って、
お互いにかなり“仕事用の顔”になる。

緊張して、言葉を選んで、できるだけ感じよく話す。
相手もたぶん、こちらを見ている。こちらも、相手を見ている。

その時間だけで、「この人と長くやっていけるか」を判断するのは、自分には少し難しい気がしていた。

むしろ、実際のやり取りの中に出るものの方が多いと思っていた。

返信のペース。確認の仕方。質問への返し方。修正をお願いされた時の言葉。こちらが迷っている時に、どう説明してくれるか。少し認識がズレた時に、どんな温度で戻してくれるか。

そういうところに、
人柄はかなり出る気がしていた。

特にライティングの仕事なら、文字にそのまま出る。

急かし方。言葉の強さ。説明の丁寧さ。相手への余白。

文章だけでも、
見えるものはある。

むしろ自分には、
その方が分かりやすかった。

面談でうまく話せる人が、仕事のやり取りでも合うとは限らない。面談で少しぎこちない人が、テキストでは丁寧に進められることもあると思う。

そこを最初の30分だけで決めることに、少し違和感があった。

人柄を見たい。

その言葉が間違っているとは思わない。

ただ、自分には「話して分かる人柄」より、「やり取りの中で少しずつ見える空気」の方が、ずっと現実的に感じていた。

だから、人柄を見るための面談と言われるたびに、うまく頷けないものが残っていた。

それは、
面談を避けたい言い訳だったのかもしれない。

そう思うこともあった。

けれど今振り返ると、自分はただ、人柄の見え方が少し違う場所にあったんだと思う。

会話で早く見える人もいる。
文章の積み重ねで、やっと見えてくる人もいる。

自分はたぶん、
後者の方だった。


面談なし案件だけを見るようになった

面談ありの案件を見るたびに、少しずつ手が止まる。

最初のうちは、それでも一応読んでいた。仕事内容は合っているかもしれない。報酬も悪くないかもしれない。未経験でも応募できるかもしれない。

そう思って案件文の最後まで読む。

その途中で、
「Zoomで一度お話しできる方」
と出てくる。

そこで、
また止まる。

少し迷って、閉じる。

それを何度か繰り返しているうちに、だんだん最初から見る場所が変わっていった。

仕事内容より先に、面談の有無を見る。

Zoom必須。
オンライン面談あり。
通話で詳細説明。

そう書かれていたら、
中身をちゃんと読む前に閉じることも増えた。

もったいないとは思っていた。

面談さえできれば、応募できる案件はもっと増えるのかもしれない。話せる人の方が、クライアントから見て安心なのかもしれない。ちゃんと声で説明できる人の方が、仕事を任せやすいと思われるのかもしれない。

そこは、分かっていた。

だから、最初から面談あり案件を避けることに、少し後ろめたさもあった。

選べる立場じゃないのに。
実績も少ないのに。
未経験に近い状態なのに。

そんなふうに思うこともあった。

応募できる案件を、
自分で減らしている感じがした。

無理して面談あり案件を開き続けても、結局その先で止まっていた。

応募文を書く前に、面談のことを考えてしまう。
もし返信が来たら、日程を合わせるのか。何を聞かれるんだろう。家の音が入ったらどうしよう。途中で呼ばれたらどうするんだろう。

そんなことを考えているうちに、提案文を書くところまで行けなくなる。

案件を探しているはずなのに、
頭の中ではもう面談の準備をしている。

まだ採用されてもいない。
返事が来るかも分からない。

それでも、
その可能性があるだけで疲れていた。

このままだと、
クラウドワークス自体を開けなくなる。

その方が怖かった。

だから途中から、最初からテキストベースで進められそうな案件だけを見るようになった。

メッセージ中心で進む案件。納品ベースの案件。やり取りが文章だけで完結しそうな案件。説明が案件文の中にちゃんと書かれていて、外部の通話に流れなさそうなもの。

そういうものだけを、
少しずつ拾うようになった。

もちろん、案件数は減った。

「未経験OK」で検索しても、面談ありの案件はかなり多かった。条件が合いそうに見えても、最後に面談必須と書かれていることもあった。

そのたびに、
またひとつ閉じる。

応募できる場所が、
どんどん狭くなっていく感じがした。

それでも、続かない形に無理して入るよりはよかった。

面談できる人になることを、最初の条件にしない。話せる人のふりをして、あとから自分が詰まるより、最初から続けられそうな形だけを見る。

それは前向きな選択というより、かなり現実的な避け方だったと思う。

できることを増やしたというより、
これ以上止まらないために、
見ないものを決めた。

だから、面談なし案件だけを見るようになったのは、自分に合った働き方を選んだ、みたいなきれいな話ではなかった。

クラウドワークスを開くこと自体を、
これ以上重くしないためだった。

応募できる案件は減る。
不利になるかもしれない。

それでも、
全部を見続けて動けなくなるよりは、
少しだけましだった。

こういう「応募する前に止まる感じ」は、
前に書いた「提案文を直していた。でも止まっていたのは、その前だった。」にも近い。

面談の有無も、
たぶんその中のひとつだった。


テキストだけでも、見えるものはあった

実際に、面談なしで続いた仕事もあった。

最初から最後まで、やり取りはほとんどテキストだった。案件の確認も、方向性のすり合わせも、修正の相談も、基本的にはメッセージで進んでいった。

最初は少し不安もあった。

会っていない相手と、文字だけで仕事を進められるのか。こちらの意図はちゃんと伝わるのか。相手が求めているものを、文章だけで拾えるのか。

そういう不安はあった。

それでも、実際にやってみると、テキストだから助かった部分も多かった。

言われたことが残る。あとから見返せる。どこまで対応するのか、どこから確認が必要なのか、一度文字にして置いておける。

会話だと、その場では分かったつもりでも、あとから細かいところが曖昧になることがある。

言った、言わない。
聞いた、聞いていない。

そういうズレが、
自分はかなり怖かった。

テキストなら、少なくとも画面の中に残っている。迷った時に戻れる場所がある。

それだけで、
少し落ち着いて進められた。

文章のやり取りには、その人の空気も出る。

返信のタイミング。確認の仕方。質問への答え方。修正をお願いする時の言葉。急かす時の温度。こちらが迷った時に、どこまで待ってくれるか。

そういうものは、
メッセージの中にかなり出る。

短い一文でも、少し柔らかい人は柔らかい。同じ修正依頼でも、受け取った時に身構える文章と、そのまま確認できる文章がある。

言葉の選び方だけじゃない。

改行の仕方。
返事の間。
説明の順番。
こちらの確認に対する反応。

そういう細かいものが積み重なって、
この人とは進めやすいかもしれない、
少し慎重に見た方がいいかもしれない、
という感覚になっていく。

自分には、
その積み重ねの方が分かりやすかった。

面談で一度話すより、何回かメッセージを交わした時の方が、相手の仕事の仕方が見える気がした。

もちろん、テキストだけなら全部うまくいくわけではない。

文字だけだからこそ、誤解が起きることもある。こちらが丁寧に書いたつもりでも、相手には重く届くことがある。逆に、相手の短い返事を、必要以上に冷たく読んでしまうこともある。

文字だけの難しさも、
たしかにある。

それでも自分には、
テキストの方が息がしやすかった。

一度受け取って、読み直して、考えてから返せる。
その場で反応しなくていい。

言葉が出てこない時も、少し時間を置ける。返す前に、強すぎるところを直したり、足りないところを足したりできる。

その余白があるだけで、
かなり違った。

面談でうまく話せることと、仕事のやり取りが続くことは、自分の中では同じではなかった。

話すのが得意な人が、そのままテキストでも合うとは限らない。逆に、面談ではぎこちなくても、文章では丁寧に進められる人もいると思う。

自分はたぶん、
そちらに近かった。

だから、面談をしないと仕事は続かない、とはあまり思わなくなった。

少なくとも、文字を書く仕事の中には、テキストだけで進んでいく関係もあった。

大きな安心ではない。

これで全部大丈夫、
という話でもない。

ただ、
面談なしでも続いたやり取りが、
画面の中にいくつか残っていた。

それは、当時の自分にはかなり現実的な支えだった。


「できる側」に合わせようとして、少しずつ止まっていた

最初の頃は、
面談を避けている自分の方に問題がある気がしていた。

Zoomくらい普通。

オンライン面談くらい、
社会人ならできて当たり前。

一度話した方が、
相手も安心する。

たぶん、そういう空気はかなり強かった。

面談できる人の方が有利なんだろうな、とはずっと思っていた。声で話せる。その場で質問に答えられる。自己紹介ができる。少し雑談もできる。

そういう人の方が、
仕事を頼む側から見ても安心しやすいのだと思う。

だから、面談あり案件を避けるたびに、少しだけ自分を責めていた。

これを避けているから通らないのかもしれない。
選べる立場じゃないのに、自分で可能性を減らしているのかもしれない。
本当は、無理してでも慣れた方がいいのかもしれない。

そんなふうに考えることがあった。

面談そのものより、
そのたびに自分が「できない側」にいる感じがすることの方が、
じわじわ重かった。

普通に話せる人。

予定を合わせられる人。

家の音を気にしなくていい人。

その場で言葉を返せる人。

そういう人たちの方へ、
仕事の入口が寄っているように見えた。

自分もそこに合わせればいい。

そう思えたら、たぶんもう少し簡単だった。

けれど、合わせようとするたびに、少しずつ動けなくなっていった。

「できるようにならなきゃ」と思うほど、案件を見る前から体が重くなる。
面談を避ける自分を責めるほど、仕事を探すこと自体が遠くなる。

そのうち、
何に疲れているのかも少し分からなくなっていた。

面談があるから疲れるのか。

面談を避けている自分を責めるから疲れるのか。

できる人の形に合わせようとして、
毎回どこかで止まるから疲れるのか。

たぶん、全部少しずつあった。

前向きに克服しようとしていた、
というより。

できないものをできることにしようとして、
そのたびに自分の中のどこかが固まっていた。

そこを最初の課題にすると、
仕事を探す前に止まってしまう。

そう気づいてから、
少しだけ考え方が変わった。

面談できる人になることを、
最初の条件にしなくてもいいのかもしれない。

無理して「できる側」に合わせ続けるより、
今の自分が続けられる形を残した方がいいのかもしれない。

それは、
理想の働き方を選んだというより、
これ以上止まらないための線引きだった。

今でも、Zoom必須の文字を見ると止まることはある。
オンライン面談ありと書かれているだけで、少し遠く感じることもある。

そこが完全になくなったわけではない。

ただ、
前ほどそれを「甘え」だとは思わなくなった。

話せる人には、話せる人の進み方がある。
テキストでしか進めない時期には、その時期の進み方がある。

たぶん自分は、
後者の方から始めるしかなかった。

面談を避けたから、強くなったわけではない。
克服した話でもない。

ただ、無理に「できる側」に合わせ続けて、仕事探しそのものから離れてしまうよりは、少しだけ現実的だった。

応募する前から消耗していた自分には、
そのくらいの線引きが必要だったのだと思う。

話すことを避けて、
テキストなら少し息がしやすいと思っていた。

でも、
文字だけなら軽い、というわけでもなかった。

その感覚は、
「自分の70の説明量が、相手には100を超えていた」に書いた。

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