「自分探し」は、なぜ文化にならなかったのか。
「自分探し」はいつ生まれたのか
「自分探し」という言葉が日本語として市民権を得たのは、1980年代後半から90年代にかけてのこと。コピーライター・糸井重里さんが生み出した言葉という説がある。確証を得るのは難しいが、少なくともあの時代の空気と糸井さんたちの仕事が深く結びついていることは確かだ。
バブル経済のさなか、日本社会は物質的な豊かさのピークにあった。モノは手に入る。でも、なぜか満たされない。「くうねるあそぶ」という糸井さんのコピーが象徴したように、生活の充足と引き換えに「では自分とは何か」という問いが浮かびあがってきた。「自分探し」は、そのもやもやに名前をつけた言葉だった。
私もいつか、糸井さんみたいに時代を読んで、名前を付けたいなと憧れていたことを思い出す。
「フリーター」という言葉の誕生と命運
ほぼ同じ時期、もうひとつの言葉が生まれた。「フリーター」だ。
1987年、リクルートのアルバイト情報誌『フロムエー』の編集長・道下裕史さんが、「フリーアルバイター」という言葉を略して「フリーター」と名付け、創刊5周年記念映画のタイトルにした。同年の流行語大賞にも選ばれ、この言葉は急速に定着していく。
当初、フリーターはポジティブな響きを持っていた。単線的な受験→就職というレールを降り、「好きなことを仕事にする」アグレッシブな生き方として打ち出された。バブル景気が続く限り、その目論見は成立した。就職しようと思えばいつでもできる、という余裕が背景にあったからだ。
こちらも、社会に言葉を生み出したということで、とても憧れを持って見ていた。私は1989年生まれなので、生まれる前。実感はないが、時代を読まれたんだなぁという感動があった。
しかし90年代前半のバブル崩壊で、状況は一変する。自らの意思でフリーターを選んでいた層と、正規雇用に就けなかった層が渾然一体となり、就職氷河期の到来とともにフリーターは完全に「負のレッテル」へと変わった。「自由な生き方」を示していたはずの言葉が、社会の荒波に飲まれ、意味を180度ひっくり返されてしまった。
「自分探し」も同じ道を歩んだ。2000年代に入ると嘲笑の対象になり、「現実逃避」「自分探しホイホイ」と揶揄される文脈が増えていった。
なぜ、繰り返されるのか
バブル崩壊後、「自分探し」も「フリーター」も嘲笑の対象になると、日本社会には長い沈黙が訪れた。
就職氷河期の傷は深く、2000年代の若者には「立ち止まること」を許す空気がなかった。自分を探している場合ではない。とにかく正規雇用に滑り込むことが最優先だった。フリーターはもはや自由の象徴ではなく、社会的失敗の証だった。自分探しは、バブルに浮かれた世代の甘えとして封印された。
しかし2010年代に入り、潮目が変わり始める。政府の「働き方改革」によって副業・兼業が解禁され、「一社に一生」という常識がゆるみ始めた。転職市場が活況を呈し、終身雇用神話はもはや誰も信じなくなった。「キャリアは自分でつくるもの」という言説が、ビジネス誌からSNSまで溢れかえった。私はいまだに懐疑的ではあるが・・・。
そこにコロナ禍が来た。
2020年、在宅勤務が一気に広がり、通勤という強制的なリズムが止まった。自分の生活を客体化して眺める時間が、多くの人に突然与えられた。コロナ禍に実施された複数の調査では、7割前後が「キャリアや働き方への意識が変化した」と回答している。「このまま続けていいのか」という問いが、ふたたび日本中に静かに浮かびあがった。
これは、1990年代の再演なのか。
少し違うとすれば——社会の文脈が、明確に変化したことだ。1990年代に「自分探し」が嘲笑されたのは、社会がまだ「レールに戻ること」を前提としていたからだ。しかし今は違う。転職は当たり前になり、副業も認められ、「ひとつの会社に一生」という幻想が崩れた。レールすらあるのかないのか分からない。
だとすれば、今こそこの問いに、きちんとした名前をつける必要がある。そこにキャリアブレイクという文化が登場した。「自分探し」「フリーター」と同じく、すでに起こっていた社会の現象に名前を付けた。
キャリアブレイクはまだ社会現象というには小さかった。社会現象の萌芽、と言った方が正しいかもしれない。
キャリアブレイクの、決定的な違い
しかし、キャリアブレイクは「自分探し」と、かなり酷似しているが、重心が少し違う。キャリアブレイクの本質は、その探し始める前の話だ。
まず、手放す。仕事を、役割を、肩書きを、社会のスケジュールを。それをあえて経ることで、人は初めてゼロになれる。哲学者の荒谷大輔が資本主義を論じる文脈で使う「ゼロ地点」——経済的な論理や利害関係が剥ぎ落とされた場所——は、キャリアブレイクの中心的な話だと思う。
ゼロの状態で出会う言葉、興味、地域、仕事、友人は、おそらくあなたの人生においてピュアに素晴らしいものになる。なんの利害関係もなく、ただ惹かれたから近づいた。その理由だけで出会ったものが、後から振り返ったとき、人生の核になっていることが多い。
ブームで終わるか、文化になるか
「自分探し」はブームで終わった。「フリーター」は意味が定着する前に、嘲笑の対象になってしまった。キャリアブレイクは、同じ轍を踏むのか。
その問いに対する答えは、文化を育てながら見えてきた部分がある。それは、文化が、個人の話が社会の話になるかどうかにかかっている。
自分探しが嘲笑されたのは、それがあくまで「個人の選択」として語られ続けたからだ。社会に接続しなかった。フリーターも同様で、「会社に縛られない自由な生き方」というナラティブは個人の美学に留まり、社会の構造を変えることができなかった。
キャリアブレイクは、少しずつ違う様相を見せている。企業がキャリアブレイク制度を導入し始め、休職・離職期間を履歴書の空白ではなく経験として評価しようとする動きが出ている。地方では、一度立ち止まった人が地域の担い手として関わるケースが生まれつつある。個人の「手放す」行為が、地域の課題解決と結びつき始めた。
社会へ還流するかどうか。
文化として定着するかどうかの分岐点は、ここだ。「私がキャリアブレイクした」という個人の物語が、「あの人がキャリアブレイクして地域が変わった」「あの会社がキャリアブレイクを支援して組織が変わった」という社会の物語に接続されるかどうか。
一人ひとりが立ち止まる権利を持ち、その時間が個人の回復にとどまらず、社会全体の幸せに繋がっていく文化を育てること。それがキャリアブレイク研究所のミッションだ。
キャリアブレイク研究所は、この時間を「空白」ではなく「余白」として捉え直し、社会全体の幸せをつくる文化を育てていく活動をしています。
一般社団法人キャリアブレイク研究所
北野貴大
