コメが消えた本当の理由は、"数字"だったのかもしれない——令和の米騒動と、AIが変える"測り方"
仕事でも数字や統計に触れることが多く、"測り方"ひとつで結論がひっくり返る怖さを、いやというほど知っています。
同じ現象でも、どこを、どの目盛りで測るかによって、出てくる数字はまるで違う。
だから私は、大きな数字を見ると、その裏の「どう測ったか」がまず気になります。
先日スーパーで、お米が5キロ3,000円くらいまで下がったのを見て、ふと考えてしまいました。
あの「令和の米騒動」は、本当にコメが足りなかったのだろうか。それとも、足りているかどうかを、私たちがうまく測れていなかっただけなのだろうか。少し調べてみると、後者の匂いが、思ったより濃く漂っていました。
「足りなかった」のか、「測れていなかった」のか
2024年の夏、スーパーの棚からお米が消えました。けれど農林水産省は当初、「新米が出れば解消する」「流通の目詰まりだ」と説明していました。
実際、絶対量が大きく落ち込んだというより、中食や外食、小売の在庫が薄くなり、家庭用の店頭から在庫が消える「偏在」が起きていた、というのが実像に近いようです。
三菱総合研究所も、流通段階の在庫が異常に偏ったことを指摘しています。
測り方のズレも、具体的でした。農水省は1.7ミリのふるい目で主食用の収穫量を把握しますが、農家は1.85〜1.9ミリのふるい目で、銘柄米として出すお米を選ぶのが一般的です。目盛りが違えば、同じ田んぼでも「とれた量」は変わる。
そこに、想定を上回った需要と、「また買えなくなるかも」という不安からの買いだめが重なって、棚から消えた。足りなかったというより、足りているかどうかが、誰にもはっきり見えていなかったのです。
価格は、目に見えない需給で動く
ここが、私がいちばん腑に落ちたところでした。価格は、需要と供給のバランスで動きます。
けれど、その需給を測る仕組みが古かったり、粗かったりすると、関係者はみんな手探りで動くことになる。
卸も小売も「足りなくなるかも」と身構え、在庫を厚めに抱える。その集積が、価格の振れ幅を大きくします。
これは、少し前にこのnoteで書いた「AIの効果が低いのではなく、測れていないだけかもしれない」という話と、まったく同じ構造だと感じました。
測れないものは、暴れる。お米も、AIの費用対効果も、根っこは「見えていないこと」への不安なのだと思います。
だから、"測り方"そのものを変え始めた
騒動を受けて、農水省は統計の見直しに動き始めています。精度を高めるために人工衛星のデータを活用し、標本調査に頼りすぎてきたやり方を改め、大規模な生産者の実際の収穫量のデータも反映していく考えだといいます。空から田んぼの育ち具合を測り、現場の実数を織り込む。ここに、衛星画像を読み解いたり、需給を予測したりするAIが入ってきます。
生成AIも、周辺から関わり始めています。たとえば、経験の浅い就農者がその場でAIに栽培や病害虫の相談をする。あるいは、行政や流通の担当者が、膨大な需給の資料や統計をAIに要約させて、判断の下準備を速くする。派手ではないけれど、「調べて、整理する」時間をぐっと縮める使われ方です。
ただ、ここで正しく理解しておかなければならないことがあります。
AIは「来年の米価を当てる魔法」ではありません。できるのは、これまで曖昧なままだったものを、少しだけ確かに測れるようにすること。予測ではなく、測定の解像度を上げること。そこを取り違えると、また「AIが言うなら」と鵜呑みにする、いつかの失敗に戻ってしまいます。
それでも、測れたあとに残るもの
そして、測る精度が上がっても、それで話が終わるわけではありません。現に2026年は、スポットの取引価格が2万円台まで下がり、在庫が積み上がる一方で、家計の消費は8か月連続で前年を下回り、今度は「暴落するのでは」とも報じられています。価格は、天候や在庫だけでなく、減反をどうするか、備蓄をいつ放出するかといった「人の選び方」でも大きく動きます。
つまり、AIや衛星データが測れるのは「いま、どうなっているか」まで。そこから先、どう作り、どう届け、どう備えるかを決めるのは、やはり人の判断です。測ることは出発点で、選ぶことは私たちに残る。
私たちは「高くなった」「安くなった」に、つい一喜一憂します。
あなたが最近「高い」と感じたものは、本当に足りないのでしょうか。それとも、測り方の問題なのでしょうか。
