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【小説】『遺響』

 凛冽りんれつたる風が、干からびた荒野に寂寥せきりょうの音を立てて吹き過ぎる。
 この地も、かつては”都市”と呼ばれていたという。私の曽祖父はそのいにしえの文明の一員であったと、幼き時に聞かされたことがある。しかし、今の私にはもはや縁もゆかりもない廃墟だ。数百余年前の人々が築いたという壮麗な楼閣の数々はすっかり朽ち果て、瓦礫と化して砂塵に埋もれ、あるいは苔の下に覆われ、その輪郭すらおぼろげである。
 私の父の代までは、ここら一帯は「穢れの地」として忌み嫌われていた。その敷居を跨がんとした井蛙せいあは、如何なる因果か——たちまち奇病にかかり、命を落としてきたという幾多の実例があったからだ。しかし、この数十余年の間にそれらの呪いはいつしか影を潜め、近年では人の往来も赦されるようになった。ゆえに、この土地には未だ多くの未開が眠っている。私がこの地に遣わされたのも、それ所以だ。
 私は一人、砂礫を穿うがっていた。「水脈を捜し求めよ」との集落からの仰せであった。すきの一打ごとに、分厚い土くれのうちから前文明の遺物が顔を覗かせてくる。不可読文字が刻まれた金属片、”セラミック”とやらで形造られた廃板、砂にまみれた硝子ガラスの破片——私にはこれら残骸の用途も、価値も判然としない。
 私は物言わぬ性分の人間であった。それは齢を重ねるごとに著しくなっていった。
 私はただ足もとの瓦礫を退け、黙然と眼前の土くれを切り崩すことの二事を繰り返す。

 ある日、私は濡羽色ぬればいろの箱を掘り当てた。いつものごとく、索漠さくばくとした大地を相手に鋤を振るっていた折のことである。その鉄製の箱は、所々が錆に蝕まれてはいたものの、なおも堅硬けんこうな造りであった。錠前はとうに腐食しており、無理にこじ開けることができた。
 箱の中身を覗いてみると、そこには黒い円盤が幾重にも詰められて、ひしと収蔵されていた。その鈍くつやめいた盤面には何やら、羊の角のように渦巻く珍妙な溝が幾筋にもなって刻まれている。円盤の中央には、鉛筆一本を通すにもままならぬほどにせせこましい孔がぽっかりと穿たれている。 
 箱の蓋の裏には、図解とおぼしきものが貼付ちょうふされていた。あいにく、そこに羅列された不可読文字の列群を解読する術を私は持ち合わせていない。否、それは集落の老人とて同様のことであった。
 図解はひどく黄ばんでおり、また虫損ちゅうそんの跡が甚だしい——いたずらに触れれば、破損は免れないであろう。
 私の目はこの図解に釘付けになった。用途は知らないが、それがなにがしかの機械の設計図であることだけは、見て呉れから理解できた。図解を判読するに、箱に収蔵されていた黒い円盤は、おそらくこの複雑な機械に据え置いて使うらしい。私はこの未見の機械の名状を試みた。「円盤を載せて回転する台座」、「円盤の溝をなぞる尺寸の針」、「逆円錐状の管」——
 それは、言わば先代文明の残響であった。如何いかにも形容しがたい、深甚しんじんたる価値を内包した代物であると、私にはそう思えた。
 何かが私の胸裡に脈搏みゃくうった。これを造らねばならぬと、原拠のない使命感に私は俄然がぜんとして駆られた。当然ながら、私にはこの機械の用途も、価値も判然としない。しかし何の因果か、私にはこれを放ってはおけなかったのだ。

 それから私は、変わった。
 昼は従前じゅうぜんどおり掘削くっさくに赴き、夜は例の図解相手にひとり対峙し、かじり付いた。誰にも理解し得ない——あるいは、知ろうともしない昔日の機械に私は取り憑かれたように、粗木あらきはつり、金属片を彫琢ちょうたくし、苦心惨憺を繰り返した。ある日は廃墟の探索に狂奔し、種々雑多のガラクタを収集しては資材に充てた。
 私はまず「円盤を載せて回転する台座」の作製からしょに就いた。図解に倣いつつ、私は懸命にもどく。しかし、如何どうにも馴染まない。腐朽した風車の軸、廃墟の瓦礫に埋没していた歯車、納屋の隅で埃を被って捨て置かれていた荒縄やくさび——それだけではない。私は想起し得る限りのガラクタを総動員して、人力による回転構造の完遂に努めた。
 気付けば、幾年余のときが過ぎていた。その日、試作に次ぐ試作に一身を賭した私の奮励は、ようやく結実することとなった。

 次いで私は、「円盤の溝をなぞる尺寸の針」の作製に着手した。
 円盤の用途が定かならぬ以上、その盤面に刻まれた螺旋状の溝に直に接する針にこそ、某かの構造的意図が隠されているのではないかと私は睨んだ。だが、針といっても如何なる資材を以て充てるべきなのか、皆目見当がつかない。
 はじめに試したのは、前文明の遺物である金属製の縫針であった。しかし、この金属の鋭峰えいほうは溝をなぞるにはあまりに頑丈が過ぎた。惜しくも私は、円盤の繊弱ひわやかな肌理きめを割損してしまった。
 次いで、私は研磨した魚骨を試験した。私は謹少慎微としてそれを溝に添わせたが、今度は柔弱が過ぎたか、思惑通りに溝にまらない。
 鳥骨、羊角、硝子片、セラミックの砕屑さいせつ——私はあらゆる資材を試験した。時にはそれらを炬燭にかざして炙り、時には研削けんさくを凝らした。
 ある日の試作の途上の折である。幾分か堅硬なセラミック片の鋭縁えいえんが盤面を掠めたその須臾しゅゆの間——微弱ながらも「しかと」音が洩れ出たのを私は聞き逃さなかった。
 「ブッ…ジッ…」
 それはあまりに判然としない、くぐもった濁音であった。しかし、それが「人為的な音」であることを私は直感で理解するのには、幾ばくの手間も要さなかった。
 それから私は、この堅硬なセラミック片に周到に研削を施した。硬質ゆえにその研削は難航を極めたが、やがて私はそれを然るべき形状へと整え、出来次第、いつものごとく盤面へとそれをち合わせた。 
 次の刹那、空気が顫動せんどうした。
 「これは、人の声か?」
 それは相不変あいかわらずの粗悪な雑音であった。私は愕して膝を折り、黙然と耳朶じだを澄ます。耳朶を撫でるのは、ひどく掠れ、淀んだ響動どよめき——だが、それは紛れもなく「人の声」であった。まさか、この円盤には「人の声」が取り籠められているというのか?すなわち、私が今に造ろうと躍起になっているこの機械の用途とは、それら円盤にゆうされた「人の声」を引きり出すことにあるのか?
 私の胸裡に、得も云わぬ律動が興った。それは未知の事象に対する欣然きんぜんたる驚駭きょうがいであり、至純たる畏怖であった。
 同時に私は確信した。この「円盤の溝をなぞる尺寸の針」のみで、円盤に取り籠められた「人の声」の全容を顕現させるには力不足である、と。「逆円錐状の管」——この器官の必須性を、私ははたと了解した。

 私は「逆円錐状の管」の作製に取り掛かった。ひび割れて毀損された平鍋、廃棄された木桶——あらゆるガラクタを流用した。しかし、そのことごとくは徒労に終わった。私は、赤錆びた鈑金ばんきんや山羊の皮革をガラクタに張り詰めて何とか取り繕おうと苦心した。しかし、なおも音は依然としてしわがれたままである。一体全体、何が欠乏しているというのか?
 明くる日、私は集落の少年が佩用はいようしていた頭具を見受けた。
 「これは廃墟で拾ったものなんだ」
 少年の頭具は、まさに図解の「逆円錐状の管」そのものであった。私は幾らかの乾物との兌換を条件に、それを譲渡してもらった。
 私は、この「逆円錐状の管」の尖端に竹の長筒を接合させ、その管の末端に「円盤の溝をなぞる尺寸の針」——すなわち、研削を施した硬質のセラミックの針を糊付けした。
 私は欣欣として「円盤を載せて回転する台座」に円盤を据え置き、針を溝にそっと添わせた。
 「……olish m…… ch……g a ……eam ……at wi……l ……r co……e tru……」
 依然としてその「人の声」は粗雑な出来栄えであった。しかし、従来の濁音に比すれば、幾分かその輪郭は明瞭さを帯びていた。
 やがて私は察知した。この円盤に取り籠められていたのは「人の声」のみに留まらぬ、と。「人の声」の裡面に紛れて沿うようにして律動する「音」が在る。それは、自然界では到底聞き得ない精緻な人工性を孕みつつも、なお妙に生気が滲む「音」であった。それはうぐいすさえずりとも、羊の呻きとも異なる、調和的美と情念的意志を秘めた響動めきのように窺えた。
 私は慄然とした。私は円盤に幽された正体の全貌に、刻一刻と漸進しているのだ。

 私は幾度となく試作機を作製し、その都度試作機は毀壊した。私の陋屋ろうやの裏手には、それら出来損ないの遺骸が累積し、蕭条しょうじょうとした丘を成すようになった。しかし、私は性懲りもなく諸手を駆り立てる。
 ある日、私は集落の誰某たれがしに訝しげに尋ねられた。
 「何故、そこまでして頑なに執着する?前文明の残滓なんぞの虜になって、人生を棒に振るなど、愚の骨頂ではないか」
 私は憤慨するでもなく、応えた。 
 「一つに、好奇心だ。私はこの円盤の何たるかを知りたいのだ。だが、なおいっそうに私を突き動かすのは、使命感であろう。この円盤のかつての持ち主は、前文明の弔鐘ちょうしょうが鳴りゆく最中さなかにあって、この円盤だけは喪うまいと、あの頑丈な箱に託して収蔵したのだと私は思う。かつての持ち主が、その声なき声を以て私にこう語りかけてくるように思えてならない。『私たちが滅んでも、この円盤だけは永らえておくれよ。後世まで永らえられるよう、君が継いでおくれ』と」
 いつしか、集落の人間は私を不気味がって厭い、交際を断絶するようになった。
 「亡者の祟りだ」「奴は気が違った」「焚いてしまえ」——私はこれらの讒謗に耳を貸さなかった。

 私の陋屋の面前を老若男女が行き交うも、その誰一人として私の棲処を顧眄こべんすることはない。時として、少壮にかれつつ逍遥する牝牛が、丸太のように図太い六脚を好奇の赴くままにこちらへ揃え、あるいは余日、銀髯ぎんぜんを蓄えた双首の山羊が鼻息を荒らしながら私の方を窺う。しかし、彼等は主人に牽かれてたちまちその場を去ってゆく。
 そうして歳月は流れ、かつての同胞の悉くは老ぼれ、砂塵の下へと還っていった。私もまた、脊は屈み、枯木のように萎び果てた。もはや、私は自身の齢も定かではない。
 ある日、私は竣功した機械の前に坐し、その台座に円盤をそっと据え置いた。私の読みが正しければ、この機械は私の畢生ひっせいにおける珠玉の逸品である。円盤に幽閉された「音」の全貌を、遺漏なく解き放つであろう。私はそう確信して疑わなかった。
 針を溝に添わせ、手動で円盤を旋廻させる。針は螺旋状の軌跡を確と辿る。初めは、混濁とした不協和音が私の耳朶に障った。しかし、それは寸陰の間もなく調律された響動へと昇華した。
 その時、大気が震駭しんがいした。
 「……eople chase easi…… attai……le things and bask in fl……g satisf…… To th……e ……ho moc…… me as a fool, I ……ay not……ng in re……」
 「I sud……y won…… M……st a d……eam be fulfi……? I find m……ning in th…… pu……uit of ……ams and feel h……pines…… in the proc……」
 これは前文明の喪われた言葉であろう。その深意は私には量り得ない。しかし、その「人の声」は意味ありげに私に迫りかける。瞠目どうもくし、傾聴に徹する。「人の声」に雁行して鳴る、この聴き馴染みのない「音」は、聴き手の私から不思議と寂寥感を駆り立てる。
 「……re all mean…… and t……uth merely things besto…… upon us by o……ers? Trul……?

 いつとはなしに、より一層の「音」が織り込まれている。巨獣が足拍子に興じているのか、はたまた地鳴だか雷霆らいていだかの地籟ちらいの類か——それは私の肚の底までを震撼させる、毅然とした響動であった。
 生来、未だかつて逢着したことのない未曾有の現象を眼前に、私はわずかに動くこともあたわず、茫然と坐し尽くした。
 やがて「音」は、重層性を累増させ、鬱勃たる昂揚を見せた。蒼穹を裂くがごとき犀利さいりな趣、燎原の猛火すらも霞ませんとする熾烈なる叫喚——「音」の裡に、生物的な意志が拍動していた。それは、「魂の形容」とでも称すべきか?
 「Doub…… and find w……at is real. ……hat will be our guid……g ligh……」
 涕涙が、皺深き頬を伝った。
 知らなかった。人という種が、こうも燦々さんさんたる「音像」を紡ぎ出す稟性を具えていたことを。
 かつての私にとっては、前文明の喪われしひとびとも、その衰滅の所以も、無縁の事柄であった。だが、今の私は前文明とのほだしを衷心より把捉している。前文明が凋落の淵にあって、なお後世に遺し得たこの円盤——否、この「音」が、私と前文明をほだした架橋となったのだ。
 「If we keep wa……ing, we will surely arr……ve som……y. That tru……h alone is e……ugh for me……」
 私はこの音をくために畢生の一切を懸けた。だが、私はそのことに寸毫の悔恨もない。
 やもすれば、あの昔日、私が濡羽色の箱との邂逅を果たし得なかったならば——私は為すべき己の天命も見い出せぬままに、呑々のんのんと永らえていただろう。この「音」は、私の生涯に「意味」をあたえてくれたのだ。
やがて、「音」は止んだ。しかし、それは残響となって私の胸裡で耽々たんたんと揺曳を続けていた。

 いつしか、私の萎びた老躯はとうに微動だにしなくなっていた。機械の傍らで斃れる私の面輪は屈託なく、口もとには微笑を湛えていた。
 今、私の陋屋には、誰某かがおとなっている。幼童等である。軽快な靴音を鳴らし、くすくすと朗笑を立てている。彼等は訝しげに、機械に据え置かれた円盤を凝視している。やがて彼等は慎重な手つきで、円盤を旋廻させ始めた。
 再度、「音」が響動めく。
 私という存在は塵芥に帰し、その名は歴史の許に埋没する。しかし、この「音」は遺る。前文明が頽唐たいとうし、その悉くが亡滅していった最中にあって、それのみが遺されたように。
 「音」が、響動めき続ける。


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