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ツーリング記録:千葉県成田市、芝山町

 今までnoteでは言及していなかったが、現在私はホンダの「CB400F」という不人気な中古バイクに乗っている。

モリワキのマフラーは買ったときについていた。車検対応品

 普通二輪の免許の取得は2023年1月、3月にこの中古バイクを購入した。つまり高齢の初心者ライダーだ。普通に考えて無謀だな。免許の取得は思ったよりスムーズだったが。2024年1月には大型免許を取得している(ただし公道で大型バイクに乗ったことは無い)。
 私のバイクの初年度登録は2013年。教習所でお馴染みのスーパーフォアは4気筒だが、このバイクは2気筒。たしかにカタログ上の数値を見るだけで大きく劣っているのがわかる。CBR400や400Xと中身は同じたか、この型は数年で製造中止になった。一応ネイキッドのスタイルだが作りが中途半端だから人気が出なかったのだろう。
 もっとも私にとってはこのバイクでさえ、フルスロットルの加速が恐ろしい。正直持て余している。初心者だから250ccか125ccのバイクを買うべきだったな。教習所に通い始めてからのバイクとの付き合いはブログに細かく書いている。
 
 長距離ツーリングはあまりせず、もっぱら桶川スポーツランドで走っている。この年齢なのに峠で転倒して警察の取り調べを受けて、入院して仕事に穴をあけるなど、絶対に御免だからな。恥ずかしくて辞めてしまうかも。しかしサーキットで転倒して入院しても、スキーで足を折るようなもので、恥じることはないだろう?全快したら堂々と復職させていただく!仕事やプライベートの関係上、1ヶ月に1回行けたらいいほうだが。
 茨城県のトミンモーターランドや筑波サーキット1000で走ったこともあるが、桶川スポーツランドはさいたま市の自宅から片道30㎞程度だ。皆さんから「動くシケイン」として煙たがられていると思われるが。
 
 2023年の車検の際に、ステアリングステムのベアリング劣化、ウォーターポンプからの滲みを指摘されたので、2025年11月の車検の際に交換をお願いした。またドライブチェーンが気になっていることを伝えると、交換を勧められたのでお願いした。1000㎞ほど走ると初期緩みが出てくるというので、その時点で調整してもらう予定。

いくらクリーナーを吹きつけてブラシでこすってウエスで拭いても真っ黒だったが、ドライブチェーンって、本当はこんな色だったんだ!

 ところでドライブチェーンの「慣らし運転」は必要なのか?ネットで検索すると「100㎞までは大人しく」「いや30㎞程度でいい」「慣らしなど必要ない。サーキットで全開なら別だが」という様々な見解があるが、私はその、「サーキットで全開」をやりたいんだよ!だから慣らしがてら、どこかにツーリングに行こうか。さいたま市からは比較的近場の秩父や奥多摩かな。しかし峠道に行けばついついフルスロットルにしてしまうだろうから慣らしにならないな。
 それにこの季節だと路面が凍結している危険性が無いとは言えないだろう? 気温が低いから日陰はなかなか乾かないし。車も滑るが自転車やバイクはタイヤが二つだから滑ればコケるし、バイクでコケたら痛いよ。私の場合は立ちゴケに毛が生えたような程度が数回だが。そういえば人気youtuberの「めちゃん」も雪で派手に転んでいたな。よく転ぶ人だな。かよわく見えるが意外と丈夫かも?
 余談だが若かりし頃、真冬にAE86で奥多摩に走りに行って、橋の上で(攻めていたつもりはないが)テールスライドして車が真横を向いたことがある。どこもぶつけなかったが。若気の至りというかハチロクではかなり無謀な運転をしていたが、大きな事故は起こさなかった。バンパーに穴をあけた程度。そのまま走っていて雪の壁に接触してバンパーの穴に雪が詰まり、しかも真冬だからなかなか溶けなかったな。
 
 余談が過ぎたが、そういうわけでデモやフィールドワークでは何度も訪れているが自家用車では行ったことのない三里塚に行ってみることにした。しばらく行ってないからな。今年3月の集会は仕事の都合で参加できなかったし、10月の集会は反対同盟が中核派の動向(別記予定)を憂慮して中止を決定したし。もっとも10月の予定はJR成田駅からバスでちょっとの赤坂公園だったか。最近は、赤坂公園や芝山文化センターで開催することが多いな?
  というわけで2025年11月28日、朝9時半ごろ自宅を出発。もっと早く出ればよかった。ドライブチェーンの慣らしが主な目的なので高速道路は乗らないほうがいいかな。上半身はライディングジャケットの上にモコモコな上着だから問題ないが、下半身が冷えてトイレが異様に近くなる。国道298号(C3外環自動車道の下の一般道)から6号に入り、464号に入るつもりが多少迷って鎌ヶ谷市から入った。スマホホルダーを付けていないからすぐ道を間違える。
 2車線で信号が少なく、制限速度は70km/hだがまるで高速道路だ。京成成田空港線と並走している。天気が良かったので印旛沼が見事だな。しかし私は高速道路は苦手だ。前からの風圧と横風が怖い。それに覆面が現れておかしくないところでスピード出さないほうがいいよ。私は今年1月にネズミ捕りにやられたから、余計慎重になっている。
 成田市内に入ったのは昼過ぎ、日が落ちるのが早いから急がなきゃ。なんとなく見覚えがある景色だ。いままでフィールドワークなどで通っているはず。自分で運転したことはないが。「しんぱち食堂」で昼食。
 この「空港通り」(国道295号)を真っすぐ進めば空港のゲートだから、途中で左に曲がるんだよ、それは憶えていた。まず東峰神社に参拝するつもりだったが、全然知らない所を走っているぞ?グルっと回って県道44号に出たところを間違って右折してしまったんだよ。左折しなければならなかったのに。そしてセブンイレブンの交差点を右折してすぐ左折、トンネルをくぐり、天神峰のバス停を過ぎてまたトンネルくぐれば東峰神社なのに。早くスマホホルダー買ってナビ替わりにしなきゃ。

 成田空港A滑走路の西側を南下していることに気づき、このまま「成田空港 空と大地の歴史館」に行くことにした。

この日は天気が良くて暖かかった。昼間は。
三里塚だよ!全党派集合!カクマルはお断り!
工事用のヘルメットよりバイク用のジェットヘルのほうがゲバルトに向いているのだろう。フルフェイスのほうがもっと向いているかも

  入場無料、ただしスリッパに履き替えなくてはならない。レーシングブーツが脱げなくてしばらく格闘した(笑) 今月は履いてなかったから、たまには履いて足を慣らせようと思ったのだが。
 隣の航空科学博物館は小学生の遠足かな、平日なのに賑わっていた模様。空港のすぐそばだからプロペラ機が見えた。マニアならカメラを構えるだろうが、私は子どもの頃から、飛行機だのロケットだのに、全く興味が無い。あんなものを見物して何が面白いのか。(乗るのもイヤだ。狭いし怖いし)帝国主義国の高価な戦闘機がレジスタンスに撃墜されるシーンなら拝みたいが。11月の入間航空祭の見物を、さる筋から誘われたがきっぱりお断りした。曲芸飛行しているのが観客の上に墜落したらどうするんだ。
 さて、一度は話のネタに行こうと思っていた「歴史館」だが、予想通り、残念の一言。まるで三里塚闘争が終わったかのような展示だ。
 
 こんなところで時間をつぶしている暇はない。「岩山記念館」に行かなければ。
 三里塚闘争で指名手配され、1971年11月の渋谷闘争で学生を率い、警察官殲滅に関与したというあらぬ罪を着せられるも獄中闘争を貫いた星野文昭さんの遺骨が、天神峰の市東孝雄さんの農地の片隅に分骨されていた。しかし2023年に市東孝雄さんの天神峰の農地が日帝によって強奪された際、畑の隅に眠る市東さんの遺骨も踏みにじられてしまった。しかし支援者の努力で遺骨と碑のプレートを奪還し、岩山記念館のそばに分骨した。
 三里塚現地・岩山で星野文昭さんの納骨 – ZNN.JP
 その「岩山記念館」は、岩山鉄塔のそばにあるのかな?しかし、「歴史館」の駐車場からも岩山鉄塔が見えるが、入口が分らん。

上部は切断されたらしく、あまり目立たない

 県道沿いは高いフェンスで覆われているし。山の中の車1台がやっと通れるほどの狭い道(こういう時はバイクは気楽だ)を通り、入口らしき場所までたどり着いたが、誰もいない。案内の看板さえ無い。私有地だから勝手に入るのはNGだろ。仕方なく撤退した。
 
 もたもたしていられない、東峰神社に参拝しなければ。いまA滑走路の南端にいるのだから、フェンス沿いに北上してB滑走路の南端に行けばいい。それでも多少迷った。木の根ペンションは一度だけフィールドワークのときに見学したことがあったが今回は素通り。横堀鉄塔の入口はどこだか分らなかった。
 この神社があるためB滑走路の南への延伸は無くなった。以前は、バイク乗りがこの神社を訪れたら警察官に取り囲まれて職質された、ということもあったらしい。(まあ運転しているならいつでも免許を見せなければならないが)。今はジェット機撮影のスポットになっていて、無粋な連中は見かけない。どこからか監視しているかもしれないが。 

たしかに凄い迫力だが、毎日早朝から深夜まで、地元住民の頭上をこんなのが飛んでいるんだぜ

 続いて東峰神社の前の道を西に向かい、県道44号を横断。1971年9月16日からの第二次行政代執行の際、東峰十字路で完全殲滅された警察官、福島誠一氏、森井信行氏の慰霊碑。バイクはどこでも停められるから便利だ。 

柏村信治氏の慰霊碑もゲートの手前にあるはずだが、空港の敷地内のようだし、警備員の視線が気になるから確認できず

 しかし、かつて日帝がアジア人民を虐殺し、米帝の傀儡になった後はベトナム人民虐殺に荷担したことを思い合わせるとね、末端の暴力装置だった彼らを悼む気はあまり起こらないな。彼らが三里塚で農民や学生を殴ったジュラルミンの盾は、時代が違えば敵軍の捕虜や農民を試し斬りにした軍刀かもしれないし、特高警察が被疑者に虚偽の自白を強いるため用いた拷問器具かもしれないし、武装勢力が潜んでいると邪推した村々を焼き尽くすナパーム弾や機関銃かもしれないし、ミサイルやドローン兵器かもしれないだろ。
 まあ、敵兵(?)の死も悼むべきかもしれないし、彼らも社会の生活者の一員であることだし、上記のように考えてしまえば、私のような日帝の末端労働者も、侵略を受けている人々から見れば、打倒されるべき対象だろう。それに死んだら仏様だ。慰霊碑に手を合わせた。南無阿弥陀仏。
 彼らも日帝の被害者だと言える。農民を追い出すために警察官になったわけではないけど、仕事は断れないよな。道案内したり落とし物を預かったり、地域に愛される警察官になりたかったんだろ。違う?
 この事件後、「ぼくの村の話」で描かれたように、国家権力による学生や反対同盟への無意味な暴力が激化。農民にも「人殺し」などと罵声を浴びせたという。
 事件後大勢の反対同盟青年行動隊と学生が逮捕・起訴されたが、傷害致死罪で有罪となった被告はいない。誰が実行したのか分かるわけがないし。
 同じ1971年に警察官1名を殲滅した渋谷闘争でも、東峰十字路決戦と同じく権力には加害者の手がかりは全くなかった。しかし権力は卑劣なことに16歳や18歳の少年まで逮捕して虚偽の自白を強いた。そして事件と無関係の星野文昭さんと大坂正明さんを指名手配。星野さんは適切な検査も治療も受けられずに獄中死、大坂さんは一審実刑判決。
 なおこの第二次行政代執行で権力は学生たちが立ちこもっていた駒井野砦の鉄塔を引き倒し、重傷を負った学生1名が2ヶ月後に亡くなった。
 9月20日には大木よねさん宅を急襲し、よねさんの前歯数本を折るほどの暴力の末に自宅と農地を強奪した。反対同盟に引き取られたよねさんは「家さ帰りたい」と語りつつ、2年後に67歳で亡くなった。
 
 東峰神社の向かい側の細い道を入れば三里塚物産がある。一度フィールドワークの際にお邪魔したことがあるが、「空港用地なので立入禁止」の看板に躊躇して素通り。もう夕方だから帰るか。また464号が便利だよな。
 ところが、成田市街地を目指せばいいのに、どこをどう間違えたのか、また芝山方面に向かっているじゃないか!方向音痴極まり!せっかくだから日本山妙法寺の成田平和仏舎利塔に参拝。南無阿弥陀仏。(私は南無阿弥陀仏しか言えません!)

元々は滑走路予定地に建てられたが、成田空港を軍事利用しない約束で、この地に「遷座」したという

 せっかくだから「ひこうきの丘」にも行ってみた。薄暗いのにカメラマン数名、私のデジカメではまともに写らず。滑走路に向かう飛行機が近くを飛ぶが、東峰神社の上空のほうが迫力あるな。
 途中、「三里塚第一公園」という所を通った。1985年10月20日、反対同盟事務局長の北原さんや全学連委員長の鎌田さんがアジを飛ばし、空港に向かって進撃したのはこの公園か?写真撮ればよかった。機動隊と激突した三里塚交差点も探してみたい。

 この日は昼間は暖かかったが日が沈むと寒さが身にこたえる。遠距離ツーリングは春まで無理だな。情けないことに帰りも迷い、寒さにガタガタ震えながら冨里、酒々井、佐倉、印西などの山の中をウロウロした。昼間だったら楽しいツーリングだったかも。結局国道464号に入った。あとはスピード出し過ぎないように帰るだけ。
 ところが鎌ヶ谷市の、地図で見るとクランクになっているところでまた迷った。464号の「鎌ヶ谷消防署前」T字路を左折するまではよかったが、その先の初富交差点で右折したかったのに、右折禁止!仕方ないからその先のコンビニで休憩して、Uターンした。帰りの違うルートを開発しなきゃ。
 あとは「くぬぎ山」交差点で左折、6号線に合流、外環の下道。疲れてたからC3に乗ればいいのに。混んでなかったけど。
 
 というわけで、星野さんが分骨されている地を確認できなかったのは非常に心残りであるが、まあまあ有意義なソロツーリングというか三里塚個人決起フィールドワークだったかも。次はC滑走路工事現場も見なきゃ。
 またちゃんとした三里塚フィールドワークに参加したいね。しかし「歴史館」が、まるで三里塚闘争が終わったかのような展示だったのは腹が立つ。市東さん南台農地裁判はこれから控訴審だぞ。C滑走路建設を指をくわえて見ていろというのか!成田空港というものが北総台地から消えるまで、闘わなくてはならない!
 そして星野文昭さん国賠勝利、大坂正明さん無罪奪還へ!


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