『長久命』制作後記|「長く生きよ」という祝福が、呪いに変わるまで
落語『寿限無』。
誰もが一度は、あの長い名前を聞いたことがあると思う。
もともとは、子どもに少しでも縁起のよい名前を付けたいという親心から始まる話だ。
長生きしてほしい。
幸せであってほしい。
縁起のよいものを、できるだけたくさん与えてやりたい。
その結果、とてつもなく長い名前になる。
『長久命』を作るとき、最初に考えたのは、この「願い」が本当に叶ってしまったらどうなるのか、ということだった。
「長生き」は、いつまで祝福なのか
百年生きる。
それなら長寿として祝われるだろう。
では、二百年なら。
五百年なら。
千年なら。
自分を知る者が一人もいなくなっても、まだ生き続けなければならないとしたら。
そこで『長久命』では、寿限無の「長い名前」を、単なる言葉遊びではなく、命を継続させる呪術そのものとして扱った。
名を継げ 命を継げ
久しくあれ 永久にあれ
最初にこの言葉を唱える者たちに悪意はない。
むしろ逆だ。
皆、本気でその子の幸福を願っている。
だからこそ怖い。
祝祭から始まる怪異
今回は最初から暗い怪談にはしたくなかった。
紅い月が昇り、
太鼓が鳴り、
酒が注がれ、
村中が子どもの誕生を祝う。
赤子の額へ 朱を引いて
白き木札に 名を刻む
始まりは完全な「祝い」。
ところが時間が進むにつれて、その景色の意味が変わっていく。
祭りは毎年巡る。
人々は生まれ、老い、死んでいく。
それでも主人公だけは残る。
百年後の祭りでは、もう知っている顔がない。
我を祖と呼ぶ その声に
覚えぬ血筋が 膝を折る
自分を「祖」と呼ぶ子孫たち。
しかし本人には、その血筋をたどる記憶さえ残っていない。
長寿の代償として描きたかったのは、肉体の苦痛よりも、自分が自分でなくなっていくことだった。
名前が増えるほど、「自分」が消える
前半では、
一つ名を呼べば 灯が点り
二つ名を呼べば 月が満ち
三つ名を呼べば 影が立ち
と、名を呼ぶことによって力が増していく。
だが後半では反転する。
五つ名を負えば 声が消え
六つ名を負えば 顔が消え
七つ名を負えば 夢が消え
名前は本来、自分が誰なのかを示すもの。
その名前が増えれば増えるほど、自分が分からなくなる。
寿限無の「長い名前」という特徴を、ここではアイデンティティを侵食する怪異へ変えた。
「名は我なり/我は名なり」
曲の中心に置いたのはBridge。
名を問われて 口を開く
されど初めの 音がない
無数の名が 我を呼ぶ名は我なり
我は名なり
名なき我こそ
誰なるや
何百年、何千年と名前を継ぎ続けた結果、最初に自分が何と呼ばれていたのかすら思い出せない。
「名前を失えば自分ではなくなる」のではない。
名前を持ちすぎた結果、自分を失う。
そこが『長久命』で一番描きたかったところでもある。
そして、祭りは終わらない
最後に主人公を死なせることも考えた。
呪いが解けて、ようやく眠りにつく。
それなら物語としては綺麗に終われる。
でも今回は、終わらせなかった。
また一人の 子が生まれ
白き木札に 名を刻む
最初の我を 忘れたまま
かつて祝福を受けた赤子だった者が、今度は新しい赤子を祝っている。
そして最後には、自分がかつて掛けられた言葉を、その子へ与える。
長く久しく 栄えよと
名を奉れ 命を継げ
呪いを掛けている自覚すらない。
祝福だからこそ受け継がれる。
善意だからこそ止まらない。
そんな循環で『長久命』を閉じた。
『長久命』
寿限無から借りたのは、長い名前そのものではない。
「子どもに少しでも良いものを与えたい」という願い。
その願いを極端なところまで叶えたら、祝福と呪いの境目はどこにあるのか。
「長く生きよ。」
それは間違いなく愛情から生まれた言葉だった。
だからこそ、
終われなくなった後も、
祭りだけは続いていく。
🎧 『長久命 / The Endless Name』
YouTube
https://youtu.be/5EQ4N7CJii8
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Japanese and English lyrics are available through YouTube captions (CC) and the transcript.
