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力をくれるのはいつだって、過去のわたしなんだよね。

昭和の終わりに生を受けて、
平成をしっかりと味わって、
令和8年になってもいまだになじめていない40歳です。


Z世代の考え方の違いに戸惑い、
とはいっても昭和真っ盛りの話には疑問をそれなりに抱く。


みんなAIで解決できるとか、何かが違うと思う。


謎に第一印象と人当たりがいいらしいのをいいことに、人間関係は割と広い方だったけれど
20代30代、mixiに発作みたいに書きなぐっていた。
希死念慮も、容赦なく。
その結果、もうほとんど誰も残っていない。

自業自得、のあきらめと人間不信がのこり、しまいには30代後半は病気をしたこともあり、婚期を完全に逃した独り者。


見通しがだいぶ良くない世の中と、
どうしようもない孤独。
回復しかけの身体とすこし回転がはやい頭。


絶望に堕ちそうで堕ちない。


そんなときでも、どうやら私の根っこだけは、あきらめていないみたいだ。


いつだって、這い上がって来た。


今なんて、動こうと思えば動ける。
けれど今までほとんどなかった「孤独」が強くブレーキをかけていた。


孤独かもしれない。
いや、見てくれは孤独だろう。
居場所はどこだろう。


孤独を認めて頑張る、はあまりにもきれいすぎる。


ただ、今思っているのは
孤独だって、人生を楽しむ権利は失っていないんじゃないか?


20年前みたいなバイタリティーがあるわけではないけれど
暑苦しいかもしれないけれど


ド平成かもしれないけれど、
まだ折り返しでもないかもしれない人生を面白がってもいいんじゃない?



人間不信になったとき。
「聞きたくない」「日記帳に書きなよ」「重い」「病気に逃げさせない」


100私が悪いわけではない、と40歳でやっと思えるようになった。


もう、誰も私のことはおぼえていないでしょう。


でも私は時々、発作みたいに、あの言葉たちがぐるぐる回る。
そのたびにリフレーミングを繰り返す。だいぶ割に合わない。


この記録を「日記帳に書く」のはいささかもったいない気がする。
あのころnoteはなかったからね。


これを見るのは人間。
人間不信なのにwとちょっと笑えては来るけれど。


克服はしたいと思っている。


やみくもではなく、あたらしい関係性をちょっとだけ作っていきたい。


新宿の駅前で号泣したこともある。
いのちの電話で一晩中話を聴いてもらったこともある。


歯を食いしばって、どうにか乗り越えたまではいかずとも
耐え抜いてくれた自分。


自分が一番楽しかったころの音楽を聴いて
カラオケボックスでのオール明けを思い出し懐かしく思うのと同時に
「あのころとは違うとも、楽しく生きたい」


意外とまだ残っている「負けん気の強さ」


令和ではかっこ悪いのかもしれない。
わたしは全然クールな人間ではない。暑苦しいと思う。


でもその人間臭さが、これからはかえってありなのかもしれない。
そんなことを思い、綴ってみた。


過去の私は間違いなく、強かった。
負けるわけにはいかない。自分にね。


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