【オクトラ0考察】キャットリンの島で気付かされる倫理観、変わってしまった認識の話。アイラ、私にアルテニャを撃ってくれ。
オクトラ0は、一旦クリアレビューを書き終えても語りたいことがたくさん出てくるゲームです。
この記事ではキャットリンの島について書いていきます。
キャットリン、オクトラファンならば説明不要の、高経験値・お金をくれるレアモンスター。
見た目は猫。お金の入った袋を抱えている鈴のついた猫。とてもかわいい。
出会ったらラッキー、キャットリン来たー!逃げる前にぜってー倒す!! とプレイヤーの目の色が変わってしまうモンスターでした。過去形。1、2まではそうだった。
相変わらずの高経験値、高収入。おいしい。それは変わらない。変わってしまったのはこちらの認識のほうだ。
キャットリンの島…だと…!?

世界中のどこかで集められる、手紙の断片。
それはキャットリンの島に入るための許可証になっています。
プレイヤーの仲間になる賢者猫、アイラが世界に置いてきたもの。
猫が仲間になると攻略サイトを見てワクワク上陸したキャットリンの島で、しかし、私は自分の心にどうしようもない後ろめたい感覚を覚えたのです。
この世界に、動物として猫は別に存在してるので、キャットリンは高度な知能を得た二足歩行のできる猫なのだと思います。猫でもなく、人でもなく、猫人のような感じ。
うわー、キャットリンの島なんて面白い、かわいい!
などとは思えませんでした。
うっわ…、こう来たか、という感覚でした。
オクトラは、そもそもプレイヤーの倫理観をしょっちゅう刺激してくるゲームです。
少女の亡くなった母親の大事な形見であるJPアップのアクセサリー、盗みますか?という選択をこちらに委ねてくるなどがそうです。以前にクリア感想記事でそのたり詳しく書いているので、良ければそちらをどうぞ。
で、キャットリン。
キャットリンがどういう存在なのか、それまでは描かれてきませんでした。
レアモンスター。それだけです。出会いはいつも戦闘画面、モンスターとして、だったんです。
それが0ではキャットリンが島で集落を作って、言葉を話し、人間と同じように暮らしているんです。
ひっそりと。
フィールドで出会えば逃亡される前にためらわず最上級精霊石を使い、目の色変えてボコしてきたキャットリン。
貴重な体験をしたという経験値でレベルを上げ、キャットリンが頑張って集めただろうリーフを奪い倒してきた。美味しくいただいてきた。逃げようとしているのに、逃がすまいとしてきた。攻撃されないように回避にパラメータをー全振りしているキャットリンを、問答無用で狩ってきた。
悪はどっちだ。
そんな仕打ちをされて人間を憎んでいてもおかしくないキャットリンが、こちらを責めもせず、ウェルカムな空気さえ出して島に入れてくれる。あまつさえ仲間になって、力を貸してくれる。
アイラ、アルテニャ撃ってくれ、今すぐ私にだ!

キャットリンとはぐれメタル
ゲームが好きであれば、はぐれメタルの存在を知っている人も多いでしょう。
キャットリンを見ていて、存在がはぐれメタルに似ていると思った。同じゲーム会社なんだからそれも当然なのだが。
はぐれメタルは、ドラゴンクエストシリーズ内のレアモンスターだ。
経験値とゴールドをたくさん持っているあのモンスターが、なぜはぐれているのか、考えたことがある。
おそらく、他のスライムたち(青)とは少し違って生まれてしまった。なので群からはぐれてしまった。追い出されたか、上手くやれなくて自分から離れたかどちらかわからないが、とにかくはぐれメタルは一人で生きることにした。
元々周りとは少し違っていたことと、はぐれて一人でやっていかなければいけなかったことから、はぐれメタルは他のスライムより経験をたくさん積んだ。でも戦闘に関しては弱かった。一人だからだ。
あっちの勇者からもこっちの勇者からも狩られ続けるはぐれメタルは、回避と防御力にパラメータを全振りした。
それでも狩られている。今もどこかのドラクエの世界で狩られている。
私がはぐれメタルだったら、何も悪くないはずなのに自分を呪う。
何も悪いことをしていないのに、こいつを狙え、倒せ、経験値よこせ、と追われ続ける。逃げ損なうとボコボコにされる。ゴールド奪われる。当然、人間不信。世界不信。生きている意味がわからない、つらい、死にたい。
なんで自分はこうなんだろう、変わって生まれてしまったんだろう。それで気づくかもしれない。スクエニが悪いと。
でもはぐれメタルにはそこまで発達した知性がないから(多分)、今日も狩られる役をやっている。
勇者だ。逃げる。
そこに意味付けなし。深掘りなし。言語化なし。
考えない、考えられないということは、多くの場合、悲惨な状況からメンタルを守る。
レアモンスターの何を愛しているのか?
はぐれメタルは人気のモンスターで、キャラグッズは一番人気。
けれどズバリ言えば、人気があるのははぐれメタルがプレイヤーにもたらすメリットであって、はぐれメタル自身ではない。
はぐれメタルが経験値もゴールドも普通であったら、おそらく人気はバブルスライムの位置に落ち着く。
プレイヤーははぐれメタルという存在の向こうに、経験値とゴールドを見ている。
己の得を見ている。
はぐれメタルに出会えたことがまず、通常戦闘におけるランダム大当たりだ。
ガチャ(バトル)を回していたら、大当たりチャンスが来た。大当たりがものにできるかどうかは、やつを倒せるかどうかにかかっている。やつを倒したら、この飽きてくるレベル上げ作業を短縮できる、街で売ってた高い装備が買える。ストーリーが進められる。
はぐれメタルに出会うと嬉しい✖️10=はぐれメタルが好き。
相手の存在そのものを愛しているのか、その存在が自分にもたらす利を愛しているのか?


はぐれメタルがよく出る丘、という場所が存在するあるシリーズもあるが、そこはプレイヤーのための狩り場であってスライムの村ではない。
はぐれメタルだけが住み、生活を送っている村を私は知らない。(オンラインにあったらすみません)
はぐれメタルがモンスターとして仲間になり一緒に戦ってくれるシリーズもあるが、それでも一匹くらい。
モンスターが村(コミュニティ)を作って生活していると、敵であるという認識を外してしまうからドラクエでは出さないのかもしれない。
キャットリンとの違いは、外見と、実際の我々の生活における距離感だ。
はぐれメタルの、どこからどう見ても人間とは遠い存在と感じる外見は、これはモンスター、化け物です、という意識をプレイヤーから外すことはない。銀色のスライムは私たちの現実の生活圏で生息していない、架空の存在だ。
猫は違う。街で目にする。ペットになる。家族になる。コンパニオンアニマルになる。冷たそうなスライムと違って、ちゃんと温かく生きている。猫が人語を話せたらいいな、というのは飼い主の夢だ。
化け物(モンスター)と呼んでしまえば
モンスターなら何をしてもいいのだ。
だってモンスターだから。
キャットリンの話はゲームの中だけの話に見える。
でも私は、人間は現実でも似たようなことをすると感じている。
人が人を害すとき、相手を“自分たちとは違う存在だ”と認識してから始める。
集団から外れた属性を持っているものを排除することが集団のために必要だと考える。
自衛のため、あるいは安定のため、そこに正義すら感じる。
正義を感じほうが加害に痛みがない。
集団がら外れた属性が、良いか悪いかということは残酷だが関係ない。
個を排除するのに必要なのは、大多数の平均値からどれだけズレたのか。
仲間外れもいじめも差別も戦争も、こうやって相手を、“同じ人間と思わない“ことで始まる。
社会は多数派に合わせて作られる。単純に数が多い方が基準になるからだ。
でもここで大事なのは、少数派であることは悪いことではないということ。
生きづらさは人格の欠陥じゃなく、自分の仕様と社会とのずれで起こることがある。
私の若い頃は、そう言ってくれる大人はいなかった。
相手はおかしい、変わってる、化け物だ、虫だ。
だから害しても良いのだと。
自分は正しいことをやっている。おかしくなんかない。
加害側は、そうやって脳を納得させる。
モンスターと呼んでしまえば、それが暴力であれ、迫害であれ、殺戮であれ、差別であれ、何をしても良い。
それが加害側の理屈だ。
モンスターがどういう気持ちかなんて想像する必要がない。
モンスターはモンスターというだけで悪。モンスターというラベルにはそういう力がある。
悪を討伐するのは正義、ということになる。自動的になる。そこに思考はいらなくなる。
私は、モンスターハンターもそういうゲームだと思っている。
モンスターだったキャットリンが仲間になったとき
アイラ。オクトラ0で仲間になる、最強賢者猫だ
彼女の彗星魔法やアルテニャにお世話になった人も多いだろう。
キャットリンの島に着き、キャットリンが人間と同列の位置の存在に来たとき、そしてアイラが仲間になったとき。
頭の中が一瞬バグった。
あれ、モンスターじゃなかったけ。キャットリンはモンスターで、事情なんか考える必要のない存在じゃなかったけ。
私はこの子達の仲間を利己的な理由で倒しまくってきた。それなのに歓迎されている。恨まれてもいない。
その無垢さが刺さる。
ニンゲンは残酷ニャと責められた方が楽だ。アイツらは僕の仲間を酷い目に合わせたニャと怖がれた方がマシだ。
背中に冷たい手を入れられたような気がした。
少女の形見を盗みますか? よりも強烈なパンチを入れられた気がした。
私にとってキャットリンはもう、単なるモンスターでは無くなった。
外見は違っても、自分たちと同じように生きている存在になった。
私にとってキャットリンの島も、アイラも、そういう存在だった。
で、その後キャットリンを狩らなかったかというと、会えば倒しました。
そういうシステムだから、作った方だって悪い、いや、でも、と思いつつ、そのシステムを否定しきれない自分も同罪だしな、うーん、という複雑な気分になりながら。
なので私は私を納得させるべく、スクエニと私の痛み分け(?)ということにした。
ただのゲームなんだからそんな難しく考えなくても
ゲームなんだから、そこまで考えなくてもいい。それはそう。
でも、ゲームだから軽く考えればいい、現実はちゃんと難しく考えるって、脳はそんな器用に使い分けられるんだろうか? 残酷なゲームをやると時に気分が荒み、あるいはハイになるじゃないか? ほのぼのゲームをやると、心が幸せな気持ちになるじゃないか?
ゲーム内での体験と、ゲーム外の状態は、全くの無関係じゃない。
ゲーム内キャラクターの持つ、信念の先に
私はゲームを入り口に現実も考えられるようになった。
ストーリー性の深いゲームは思考力を育てる気がしている。
ゲームの中は、世界を滅ぼすか、守るか、それぞれ理由があってそう生きてるキャラばかりだ。
信念のない人間はメインキャラとして名前やポジションを与えられない。
プレイヤーは当然主人公なので、目的なく旅立たない。
そして、メインキャラに近い位置にいる。
つまり、ゲーム内では、「自分がどんな人間か」「信念は何か」「なんのために生きるか」を当然のように持っている人間とずっと関わっていられる。
そもそもキャラクターというのはそうやって作られるから、何も持っていないキャラはむしろデザインできず、村人という役割に落ちていく。
名もなき村人には世界をどう生きるかの信念はなく、役割で生きているので「村はずれの洞窟に、変な二人組が入って行ったんだ」という噂話をしていればいい。
現実だったら、今日を回す、学校を回す、仕事を回す、家庭を回す、そういう感じ。
回していれば回していくことが目的になり、なぜ回すのかを考える時間がなくなる。それが役割として生きること。
でもいざ、なんのためにそれをやるの?と聞かれたら一瞬言葉に詰まり、「子供のため」「家庭のため」と自他を納得させられる理由を当てはめる。でも心はざらざらとしたまま。
役割として生きるのだから、役割を失うことはとても怖くなる。
社長、上司、父親、母親、夫、妻、そういったもの。
それがなくなったら自分には何があるのだろう。
そんなことは必要がなければ考えないし、考えなくても生きていける。
私には必要があったんで考えてしまった。考えずに生きられない人間になってしまった。
だからこうして今日も、自分の中に生じたザラつきを取り出しては検め、詳細に言語化している。
私にとって、キャットリンはもうモンスターではなくなってしまった。
そういえばアイラは猫賢者だった。
オルステラ大陸に手紙の切れ端を散りばめる際、どれだけ人間のキャットリン狩りにあったのか・・・などとまた考え始めてしまうからこの辺で終わりにする。
いやゲームだし!
そこまで考えてなくていいよ!!
そうなんだ、理屈ではわかっている。
わかっているんだけどね。
