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心の中、ちょっと片づけてみる。前編

今日は私の根っこの部分の話をしています。
内側にある内臓…ってかホルモン的な部分。
旨みはある(はず)けどクセも強い、そんな内容です。

お時間と消化器に余裕のある方、お付き合い頂ければ幸いです。
(人の内面の話って疲れてるときに読むと余計疲れることもあるからね)

前後編に分けました。
普段よりも長めの記事になっています。

~・~・~・~・~・~・~・

先週は結婚記念日でした。

″結婚記念日″って、式を挙げた日か入籍した日かどちらにしてる人が多いのか、いつも通りチャットGPTに聞いてみると答えは

「夫婦それぞれ」

聞いた意味ッ!!!ってなりましたがそりゃそーだ。あるデータではほぼ半々で入籍日が微妙に多いかも。挙式しないご夫婦もいるしね~みたいな結論に落ち着きました。
つまりどっちもあり、と。

結婚式・披露宴で思い出すのは甘やかな思い出、ではなくて若かりし日のモヤモヤ。

私にとって結婚式は「大好きな人と永遠を誓ったり日」とはいかず、「旧態依然とした世界の洗礼を受けた日」なのでした。

幼少期、多様性と言う言葉はまだなかったのですが、「みんな平等」「個性を大切にしよう」そんな雰囲気を半ば押しつけられるようにして育った。

そうです私が変なおじさん…じゃなくて、かの悪名高き『ゆとり世代』です。

ブルマは廃止され技術家庭科の授業は男女一緒に実施、出席番号も男女混同で番号が振られました。

一方で盆正月や葬儀には母や叔母たちばかりが忙しく立ち回り、男性陣は全員ビールをお酌しあってわけもなく笑い合う。

学校の提出書類を書くのはほぼ100%母なのに、署名欄には父の名前を書く。

そんな光景を眺めながら育ちました。

私の中のジェンダー観とフェミニズムは、学校と家庭(理想と現実)の温度差で歪みながら成長します。

「女ってだけで損してる」
「夫や子供のため″だけ″の人生なんて馬鹿馬鹿しい」
「男のおまけ扱いなんて耐えられない」

100%間違ってるわけではないんだけどなんか違う、社会に対する認識を持ったまま大人になった私は、いろいろあって夫との結婚に至ります。

「お寺の奥さんなんて一番向かない」

と周囲は反対こそしなかったけど、当時はかなり気を揉んだようです。
あとになって親や幼なじみたちが口を揃えて言ってました。

「あの気の強いシトロンが?!」
って笑

子供の頃から負けん気が強く、納得いかなければ相手がヤンチャな男子でも怖い先生でもお構いなしに食って掛かるおてんば。
(あだ名はゴリ子だった、ウホウホ)

進路や就職、結婚も、大事な決断はいつも相談せずに一人で決めて勝手に動く。

見栄っ張りだから根性だけで一応最後までやるけど、お豆腐メンタルだからすぐにお腹下す。

そんなシトロンが?!
大丈夫?じゃないよね?!

って、私を昔から知っているほど心配かけたみたいです。

親なんか「離婚して帰ってきてもいいように」と心づもりまでしていたそう。
結婚報告して離婚の心配する親もどうなのよ、って聞いたときは思いましたが、なんともありがたいセーフティネット。

私自身も自分がジェンダーに関して過剰反応するちょっと面倒くさい人ということは理解していましたし、お寺という古さの象徴みたいなモノとの相性が良くないという点は一番に考えました。

まず同居やしな…。

跡継ぎ、長男、墓守、先祖、本家…
この手の単語に対してもはやアレルギーがあるようなタイプの人種の私。

それでも、と思い切った理由の1つは

「そんな私だからこそお寺に必要かもしれない、そんな私だから出来ることもあるはず(曇り無きまなこキラキラ)」

という爆裂特大なおこがましい思い込み。
(書いてて恥ずかしい…軽めの地獄…)

ついでに
「お寺の奥さん、なんて知り合いにいないし、人に言ったらウケるんじゃない?」
という″おもしれーやつ″枠に入りたい下心。

それからシンプルに
「この人とならなんとかやっていけそう」
という夫への信頼。

穏やかで素朴な夫は、年上だけど偉ぶることもなく対等でいてくれる。

この人が側にいてくれれば頑張れるかもしれない。

それに自分とは全く違う価値観の世界で生き延びたら、私ってば最強になれちゃうかも?

不安と期待と下心を胸に臨んだ結婚式。

はたして、無謀な世間知らずを待ち受ける洗礼とはー?

(後編もよろしくお願いします)

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