火中の栗の拾い方
こんにちは、きんさんと申します。
キャリア相談をしていると、
「誰もやる人がいなかったので、自分が引き受けました。」
という話を聞くことがあります。
私は、この言葉を聞くと、とても好感を持ち、称賛したくなります。組織には、そういう人が必要だからです。誰かが困っていたら手を差し伸べる。
責任を押し付け合うのではなく、自分がやろうと考える。
そういう姿勢は、簡単にできることではありません。
私自身も、これまでそういう価値観で仕事をしてきました。
だからこそ、「火中の栗を拾う人」は尊いと思っています。
でも、その考え方だけでは足りないのではないか、と思うようになりました。
きっかけは、自分自身の経験です。
詳細は書けませんが、誰もやりたがらない仕事を引き受ける機会がありました。
正直そこから大変でした、そしてかなり長い期間大変さを背負い、そしていつしか、火中の栗を拾った事実は忘れ去られ、当たり前化していきます。
それでも、「誰かがやらなければならないなら、自分がやろう」と思って取り組みました。
振り返ると、得られたものはたくさんありました。
一方で、気づいたこともあります。
評価されるのは、「火中の栗を拾ったこと」そのものではない、ということです。評価されるのは、その仕事をどう進めたか。
どんな成果を出したか。
どのように周囲を巻き込んだか。
そこなのだと思いました。
これが達成でき、相手に伝わるかどうかの判断をしたうえで、それでも拾うべき栗なのか?を見極める必要があるとわかりました。
若い頃の私は、「頑張る人が評価される」と信じていました。
もちろん、それも間違いでは無いと思います。
でも、組織の中では、頑張ること以上に、「成果を再現できること」や「周囲を動かせること」、あるいは「”うまくやる”こと」が評価される場面も少なくありません。
だから最近は、火中の栗を拾うときに、一つ考えるようになりました。
「この仕事を引き受けることで、自分は何を得られるだろう。」
少し打算的に聞こえるかもしれません。
ただ、キャリアは長距離走です。
目の前の仕事に全力を尽くすことは大切です。
ただその一方で、その経験が未来の自分につながるかを考えることも、同じくらい大切ではないでしょうか。
例えば、
この仕事で新しいスキルが身につくだろうか。
新しい人とのつながりができるだろうか。
成果として語れる経験になるだろうか。
そう考えてみると、「引き受ける」という選択にも、いろいろな形があることに気づきます。
もちろん、すべてを損得で考えろという話ではありません。
組織で働く以上、誰かを支える場面もあります。
自分が泥をかぶることもあるでしょう。
ただ、それを繰り返すだけでは、自分のキャリアは積み上がりません。
火中の栗を拾うことが目的になってしまうからです。
私は、これを読んでくれているあなたに、火中の栗を拾う人であってほしいと思っています。
でも、火傷をして終わる人にはなってほしくありません。
拾うなら、その経験を自分の成長につなげてほしい。
次の仕事につながるように。
次の挑戦につながるように。
そして、次に誰かへ経験を渡せるように。
キャリアとは、「何を引き受けたか」だけではなく、「その経験をどう自分の力に変えたか」の積み重ねなのだと思います。
だから私はこれからも、火中の栗を拾うことがあると思います。
ただ以前と違うのは、「拾うかどうか」ではなく、「どう拾うか」を考えてから手を伸ばきたいと思っています。
こんな きんさん へのコンタクトはX、またはココナラから。
