日々俳句鑑賞116 「秋しぐれ塀をぬらしてやみにけり」 久保田万太郎
声に出して読むと、ふっと心が澄む。
あきしぐれ——へいをぬらして—やみにけり。
ことばが一息で流れ、どこにも引っかかる音がない。
まるで小雨がすっと降り、静かに止んでいくように、
句そのものがひとつの自然現象のように響く。
意味を追うより先に、
その流れの美しさに心を奪われる。
万太郎の句には、説明を拒むほどの調べの純度がある。
秋の時雨が、ふと塀を濡らして、そして止んだ。
ただそれだけの情景である。
しかし万太郎の句は、いつもこの「ただそれだけ」の中に、
言葉にならない時間の気配を宿している。
時雨は降り出してはすぐに止む。
その移ろいやすさが、秋という季節の儚さそのものだ。
塀は、人の営みと外の世界を隔てる境。
そこに雨が落ちて、音を立てて、やがて消える。
「ぬらしてやみにけり」という言葉の流れに、
雨の終わりとともに訪れる静けさが息づいている。
いましがたまであった音が消え、
空気がふっと澄んだ瞬間の気配。
それを感じ取る感受性こそ、
万太郎の俳句を支えているものだろう。
この句は何かを訴えかけようとしていない。
出来事の余韻だけを、静かに残す。
その沈黙の中に、人の心が入り込む余地がある。
語らないことで語る句。
だからこそ、読者はその静けさに自分の感情を映してしまう。
「秋しぐれ塀をぬらしてやみにけり」——
それは、人生の一瞬を切り取った、
何気なさの中の深い哀しみである。
『合本俳句歳時記第五版』(角川書店)より
