イギリスにおける演劇検閲の起源、展開、そして崩壊に関する史的考察
本稿はGeminiのDeepResearchを用いて2025年12月2日に作成した
1. 序論:英国における演劇検閲の特異性と歴史的位相
英国(イギリス)の演劇史において、検閲制度は単なる外的な抑制要因ではなく、演劇の形式、内容、そして産業構造そのものを決定づける構成的な要素として機能してきた。その核心には、王室の家政機関の長である宮内長官(Lord Chamberlain)が、1737年から1968年という長きにわたり、国内で上演されるすべての演劇作品に対して絶対的な拒否権を有していたという事実がある。この制度は、民主主義が発達し、出版の自由が確立されていく英国社会において、演劇というジャンルだけが前近代的な「王権による事前検閲」の下に置かれ続けたという点で、極めて特異な歴史的現象である 1。
本報告書は、チューダー朝における祝祭局長(Master of the Revels)の役割に端を発する検閲の起源から、ロバート・ウォルポールの政治的意図によって制定された1737年演劇検閲法、ヴィクトリア朝の道徳的厳格主義、そして20世紀の「怒れる若者たち」による体制への挑戦と1968年劇場法による廃止に至るまでの歴史的変遷を、利用可能な一次資料および学術的研究に基づき包括的に記述するものである。
特に、検閲が劇作家ヘンリー・フィールディングを小説家へと転身させ、結果として英国小説の黄金期をもたらしたという文学史的因果関係や、1960年代のカウンターカルチャーと法廷闘争が検閲廃止に果たした役割について、詳細な分析を加える。また、検閲廃止後の現代においてもなお残存する「見えざる検閲」の形態についても言及し、表現の自由と規制の相克を多角的に論じる。
2. 検閲の前史:祝祭局長(Master of the Revels)と王権による独占的統制
2.1 祝祭局の設立と機能の変容
英国における演劇規制の制度的起源は、中世末期からチューダー朝にかけて整備された宮廷内の役職「祝祭局長(Master of the Revels)」に見出すことができる。当初、この役職は「宮廷の娯楽(Revels)」、すなわち仮面劇(マスク)や舞踏会、祝宴を企画・監督し、衣装や舞台装置を調達することを主たる任務としていた 3。1347年にはエドワード3世のクリスマス・プレイのために衣装が用意された記録があり、1495年頃には最初の祝祭局長が任命されている 4。
しかし、エリザベス1世の治世において、演劇が宮廷の余興を超えて都市の大衆娯楽として商業化し始めると、王権はこれを統制する必要性を強く認識するようになった。演劇は文字を読めない大衆にも直接訴えかける強力なメディアであり、宗教的・政治的な扇動の道具となる危険性を孕んでいたからである。
1581年、エリザベス1世は当時の祝祭局長エドマンド・ティルニー(Edmund Tilney)に対し、演劇の上演許可を与える広範な権限を認める勅許状(Commission)を下した 6。これにより、祝祭局長は以下の権限を掌握することとなった:
1. 上演許可権(Licensing): すべての劇団、劇作家、および劇場は、上演に先立ち祝祭局長の認可を得なければならない。
2. 修正・削除権(Censorship): 脚本の中に不敬、異端、反逆的な内容が含まれている場合、これを削除または修正させる権限。
3. 徴収権(Fees): 認可の対価として手数料を徴収する権利。
これにより、祝祭局長は単なるイベント・プロデューサーから、国家による思想統制の実務責任者へと変貌を遂げたのである。ティルニーやその後継者ジョージ・バック(George Buck)は、上演だけでなく戯曲の出版に対しても検閲権を行使し、演劇産業全体を支配下に置いた 7。
2.2 スチュアート朝と権力闘争
スチュアート朝、特にジェームズ1世およびチャールズ1世の時代に入ると、祝祭局長の権限は頂点に達した。1624年には演劇検閲の機能が名目上宮内長官に移管されたものの、実務は依然として祝祭局長(当時はヘンリー・ハーバート卿)が代行し続けた 5。ハーバート卿は、演劇の上演許可を与えることで莫大な利益を得ており、検閲は道徳的維持だけでなく、王室の収入源としても機能していた側面がある。
当時の劇団にとって、宮廷での御前公演を行うことは最高の栄誉であると同時に、ロンドン市内での興行権を維持するための「免罪符」でもあった。祝祭局長は宮廷での上演作品を選定する権限を持っていたため、劇団は彼の不興を買うことを極端に恐れ、自己検閲を行うとともに、局長への追従を余儀なくされた 8。
2.3 清教徒革命による断絶と王政復古後の独占特許
1642年の清教徒革命(English Civil War)の勃発は、英国演劇史における未曾有の断絶をもたらした。ピューリタン主導の議会は、演劇を「悪魔の礼拝堂」と見なし、すべての劇場を閉鎖し、演劇の上演を全面的に禁止した 5。祝祭局の機能も停止し、検閲どころか演劇そのものが消滅の危機に瀕したのである。
1660年、チャールズ2世による王政復古(Restoration)と共に劇場は再開されたが、その構造は革命前とは大きく異なっていた。国王は、亡命中に演劇のパトロンとなっていたウィリアム・ダヴェナント(William Davenant)とトーマス・キリグルー(Thomas Killigrew)の2名に対し、ロンドンで演劇を上演するための「特許(Royal Patents)」を与えた 9。
これにより、彼らが率いる2つの劇団(後のコヴェント・ガーデン王立劇場とドルリー・レーン王立劇場)のみが、正統な演劇(台詞劇)を上演する独占的権利を有することとなった。これを「特許劇場(Patent Theatres)」と呼ぶ。この時期、祝祭局長も再任されたが、その権限は徐々に縮小され、最終的には宮内長官が直接的な検閲権限を掌握する道筋がつけられた 4。
3. 1737年演劇検閲法:政治的武器としての制度化
3.1 背景:政治風刺の激化とロバート・ウォルポール
18世紀初頭、英国では既存の特許劇場の独占に対抗する形で、認可外の小劇場が台頭し始めた。特に「リトル・ヘイマーケット劇場(Little Theatre in the Haymarket)」などで活躍した若き劇作家ヘンリー・フィールディング(Henry Fielding)は、当時の首相ロバート・ウォルポール(Robert Walpole)政権の腐敗や縁故主義を痛烈に批判する風刺劇を次々と発表した 10。
フィールディングの『パスキン(Pasquin)』(1736年)や『1736年の歴史的記録(The Historical Register for the Year 1736)』(1737年)といった作品は、観客の大喝采を浴びる一方で、政府にとっては看過できない政治的脅威となっていた。演劇は新聞やパンフレット以上に即効性があり、識字率の低い層も含めた広範な大衆世論を形成する力を持っていたからである 12。
3.2 『黄金の臀部』事件と法の制定
ウォルポールはこれらの批判を封殺するために、演劇に対する法的規制の強化を画策した。その決定的な口実となったのが、作者不詳の戯曲『黄金の臀部(The Golden Rump)』の発見である。この戯曲は、国王ジョージ2世の「痔」と、王妃がその臀部に詰め物をして管理している様子をグロテスクに風刺した内容であったとされる。
多くの歴史家は、この戯曲自体がウォルポールによって捏造されたか、あるいは彼が意図的に議会に持ち込んだ「やらせ」であった可能性を指摘している 9。ウォルポールはこの戯曲を議会で読み上げ、演劇界の道徳的退廃と放縦が限界に達していると主張した。この戦略は奏功し、議会内の反対派(チェスターフィールド卿など)による「機知の自由(Liberty of Wit)」を守るための弁論も虚しく、法案は驚くべき速さで可決された 12。
3.3 1737年演劇検閲法(Licensing Act of 1737)の規定と構造
1737年6月21日に成立したこの法律は、その後の230年間にわたる英国演劇の運命を決定づけた。その主要な規定は以下の通りである 2:
1. 宮内長官による絶対的検閲権の確立:
○ すべての新作戯曲、プロローグ、エピローグ、および既存作品の修正箇所は、初演の14日前までに宮内長官に提出し、そのライセンス(上演許可)を得なければならない。
○ 宮内長官は、理由の如何を問わず、また説明責任を負うことなく、上演を禁止する権限を持つ。不服申し立ての法的手段は存在しない。
2. 特許劇場への限定と小劇場の排除:
○ 演劇の上演は、国王の特許を受けた劇場(実質的にロンドンのドルリー・レーンとコヴェント・ガーデンの2館)に限定された。
○ その他の場所での営利目的の演劇上演は「浮浪者取締法」の対象となり、違反者は厳しく処罰された。
3.4 制度的影響と文学史的転換:フィールディングの小説家転身
この法律の施行により、政治風刺劇は壊滅的な打撃を受けた。フィールディングの活動拠点であった劇場は閉鎖され、彼の劇作家としてのキャリアは強制的に終了させられた。しかし、この抑圧は英国文学史における予期せぬ「化学反応」を引き起こした。
劇作の道を断たれたフィールディングは、一時的に法律家としての活動を経た後、その創作エネルギーを「小説」という新しいジャンルへと注ぎ込んだ 10。彼は小説を「新しい執筆の領分(new Province of Writing)」と呼び、『ジョセフ・アンドリュース』や『トム・ジョーンズ』といった傑作を生み出した。これらの作品は、演劇で培われた対話術や構成力を活かしつつ、検閲の及ばない活字メディアにおいて社会風刺を展開するものであった 11。
学術的な観点からは、1737年の検閲法がなければ、サミュエル・リチャードソンと並ぶ「英国小説の父」としてのフィールディングは存在しなかった可能性が高く、この意味で検閲は逆説的に近代小説の発展を加速させた要因であると評価されている 10。
4. 19世紀の展開:1843年法とヴィクトリア朝の道徳観
4.1 特許独占の崩壊と1843年劇場法
19世紀に入ると、ロンドンの人口爆発と産業革命に伴い、大衆娯楽への需要が急増した。しかし、1737年法による特許劇場の独占は依然として維持されており、これが実態との乖離を生んでいた。特許を持たない「マイナー・シアター(小劇場)」は、法律の抜け穴を利用し、台詞劇に音楽や歌を挿入することで「これは演劇ではなく、バーレッタ(Burletta)やメロドラマである」と主張し、事実上の演劇活動を行っていた 14。
この歪な状況を解消するため、1843年に「劇場法(Theatres Act 1843)」が制定された。この法律の画期的な点は、特許劇場の独占権を廃止し、治安判事のライセンスを得ればどの劇場でも演劇(ストレート・プレイ)を上演できるようにした「演劇の自由貿易化」にある 14。
しかし、検閲に関しては、むしろその権限が強化・成文化された。同法は、宮内長官に対し、「公序良俗、礼儀作法、公共の平穏(good manners, decorum or of the public peace)」を維持するために必要と判断される場合、いかなる上演も禁止できる権限を与えた 14。これにより、検閲の焦点は政治的なものから、より広範な「道徳的・宗教的」なものへとシフトしていった。
4.2 戯曲審査官(Examiner of Plays)とラーペント・コレクション
検閲の実務は、宮内長官の下に置かれた「戯曲審査官(Examiner of Plays)」によって行われた。特に1778年から1824年まで審査官を務めたジョン・ラーペント(John Larpent)の時代には、検閲制度が官僚的に整備された 16。
ラーペントとその妻アンナは、提出された脚本を厳格に管理・保存した。彼らが収集した1737年から1824年までの約2,500冊に及ぶ検閲済み台本は、現在カリフォルニアのハンティントン図書館に「ラーペント・コレクション(Larpent Collection)」として収蔵されている。これらの資料には、審査官によって赤インクで「削除(dele)」や「省略(omit)」と記された箇所が生々しく残されており、当時の検閲基準(政治的批判、性的表現、宗教的冒涜への過敏さ)を実証的に研究する上で不可欠な一次資料となっている 16。
4.3 ヴィクトリア朝のタブーと発禁作品群
ヴィクトリア朝の検閲において、最大のタブーは「宗教(特に聖書)」と「性」であった。神の名を舞台で口にすることは冒涜と見なされ、「God」は「Heaven」に、「Lord」は「Prince」などに書き換えさせられた 15。また、聖書の登場人物を舞台上で役者が演じることは厳禁とされていた。
以下は、この時代の検閲によって犠牲となった代表的な作品と、その背景にある論理の分析である。
ヴィクトリア朝〜20世紀初頭の主要発禁作品と検閲理由
サロメ (Salome)、オスカー・ワイルド、1892年
聖書人物の劇化禁止。 ワイルドはサラ・ベルナール主演で準備を進めていたが、宮内長官は「聖書の物語を舞台化することは許されない」という不文律を適用。ワイルドは激怒し、フランスへの亡命を示唆した 19。背景には、サロメの性的欲望の描写への嫌悪もあったとされる。
幽霊 (Ghosts)、ヘンリック・イプセン、1891年
不道徳・近親相姦・病気。 梅毒(父から子への遺伝)、近親相姦の示唆、安楽死といったテーマが「不潔」「おぞましい」として却下された。家庭の崩壊を描くイプセン劇は、ヴィクトリア朝の家庭観への攻撃と見なされた 21。
ウォーレン夫人の職業 (Mrs Warren's Profession)、ジョージ・B・ショー、1893年
売春の描写。 主人公の母親が売春宿の経営で財を成したという設定が問題視された。ショーは売春を個人の罪ではなく社会構造(貧困)の問題として描こうとしたが、検閲官はその社会批評性を無視し、題材そのものを忌避した 9。
ミカド (The Mikado)、ギルバート&サリヴァン、1907年
外交的配慮。 作品自体は1885年に初演されていたが、日本の皇太子(後の大正天皇)の訪英に際し、日本王室を侮辱する恐れがあるとして一時的に上演ライセンスが停止された 21。検閲が外交ツールとして利用された例。
5. 20世紀の闘争:制度疲労と「クラブ」という抜け穴
5.1 1909年合同選択委員会と改革の失敗
20世紀に入ると、イプセンやショーの影響を受けた「新しい演劇(New Drama)」の担い手たちから、検閲制度に対する批判が噴出した。これを受けて1909年、議会に「舞台演劇に関する合同選択委員会(Joint Select Committee on Stage Plays)」が設置された 14。
委員会では、J.M.バリー(『ピーターパン』作者)などの作家たちが、「検閲は劇作家を子供扱いし、演劇を幼稚なものにしている」と証言し、制度の廃止を訴えた 24。しかし、この改革運動は意外な抵抗に遭った。それは劇場経営者(Manager)たちからの反対である。
経営者たちにとって、宮内長官のライセンスは「法的保護(保険)」として機能していた。一度ライセンスを取得すれば、その作品は「公的に安全」と認定され、地方警察や道徳団体(後のメアリー・ホワイトハウスのような存在)からわいせつ罪などで訴追されるリスクを回避できるからである 24。この「商業的安定」を優先する経営者側のロビー活動により、委員会は検閲廃止ではなく、単なる運用の改善勧告に留まり、法改正は実現しなかった。
5.2 「会員制クラブ」という法的抜け穴(Loophole)
検閲制度が存続する中で、前衛的な劇作家や演出家たちは、法の網を潜り抜けるための巧妙な手段を編み出した。それが「会員制クラブ(Theatre Club)」方式である。
1843年法は、あくまで「公衆(public)」に向けた上演を規制対象としていた。したがって、特定の会員のみを対象とした「私的(private)」な上演であれば、宮内長官のライセンスは不要であるという法解釈が成立した 15。ロンドンのアーツ・シアター・クラブや、後のロイヤル・コート劇場などは、この仕組みを利用して、検閲で禁止された作品(アーサー・ミラー『橋からの眺め』やテネシー・ウィリアムズ『熱いトタン屋根の猫』など、同性愛要素を含む作品)を上演し続けた 23。
宮内長官室も、長らくこの抜け穴を「ガス抜き」として黙認していたが、1960年代に入り、社会変革の波が押し寄せると、状況は一変する。
5.3 決戦:『救われた』とロイヤル・コート劇場の訴追
1965年、エドワード・ボンド(Edward Bond)の戯曲『救われた(Saved)』の上演を巡り、検閲制度は崩壊への決定的な一歩を踏み出した。この作品は、ロンドンの労働者階級の若者の精神的荒廃を描いたもので、特に公園で若者たちが乳母車の赤ん坊を石で打ち殺すシーンが含まれていた 28。
宮内長官はこの場面の完全削除を要求したが、ボンドと演出家のウィリアム・ガスキルは「暴力を描くことなく暴力の否定はできない」としてこれを拒否。ロイヤル・コート劇場は、慣例に従い「イングリッシュ・ステージ・ソサエティ」という会員制クラブとして無修正版を上演した 26。
これに対し、当局は強硬手段に出た。警察は劇場を捜索し、劇団を運営する「イングリッシュ・ステージ・カンパニー」を起訴したのである。
裁判:女王 対 イングリッシュ・ステージ・カンパニー (Regina v English Stage Company)
1966年の裁判において、争点は作品の芸術的価値ではなく、「クラブ公演の実態」に絞られた。検察側は、同クラブの手続きが形骸化しており、実質的には誰でも即座に会員になれる「公衆」公演であると主張した。
弁護側の証人として出廷したローレンス・オリヴィエ(当時のナショナル・シアター芸術監督)は、「『救われた』は子供のための芝居ではないが、大人のための芝居である。この国の大人たちは、それを見る勇気を持つべきだ」と歴史的な証言を行った 28。
判決は有罪(条件付き釈放と罰金)であった。しかし、この有罪判決こそが検閲制度の終焉を決定づけた。ナショナル・シアターの監督さえも擁護するような芸術作品が、法的に犯罪とされたことで、宮内長官による検閲制度の時代錯誤性が白日の下に晒され、世論は一気に廃止へと傾いたのである 28。
6. 1968年劇場法:検閲の終焉と新たな法的枠組み
6.1 1968年劇場法(Theatres Act 1968)の成立
『救われた』事件や、ジョン・オズボーンの『愛国者(A Patriot for Me)』(同性愛者のスパイを描き、大幅削除を命じられた)を巡る論争を受け、1966年に再び両院合同委員会が設置された 32。
今回の委員会では、ケネス・タイナンやベン・レヴィなどの改革派が理論武装して臨んだだけでなく、当時の宮内長官であったコボルド卿(Lord Cobbold)自身が、「現代において、宮廷の職員が演劇の道徳性を判断することはもはや不可能であり、不適切である」と認め、検閲業務からの撤退を希望する証言を行った 34。
こうして、1968年7月26日、エリザベス2世の裁可を得て「1968年劇場法」が成立し、同年9月26日に施行された。これにより、1737年以来231年間にわたって君臨した宮内長官による事前検閲制度は、ついに全廃された 15。
6.2 1968年法の要点と法的転換
1968年劇場法は、検閲を廃止しただけでなく、演劇を「王権の管理下」から「法の支配下」へと移行させるものであった。その主要な変更点は以下の通りである 36:
● 事前検閲の完全廃止(Section 1): 脚本の提出義務、および宮内長官によるライセンス制度の撤廃。
● わいせつ罪の適用(Section 2): 演劇は特別扱いされず、出版物と同様に「わいせつ(Obscenity)」の基準によって判断されることとなった。ただし、「全体として(taken as a whole)」判断されるべきであり、一部の過激なシーンのみを切り取って処罰することは制限された。
● 公益の抗弁(Public Good Defence / Section 3): たとえわいせつと見なされる表現であっても、それが「文学、芸術、学問、その他の公益」に資すると証明されれば、免責される規定が設けられた。また、専門家の証言が証拠として採用されることが明記された。
● 脚本の保存(Section 11): 検閲廃止後も歴史的記録を残すため、新作戯曲の台本は大英博物館(現在は大英図書館)に納本することが義務付けられた。
6.3 解放の象徴:ミュージカル『ヘアー』
検閲制度が廃止された翌日の1968年9月27日、ロンドンのシャフツベリー劇場でロック・ミュージカル『ヘアー(Hair)』が開幕した。この作品には、全裸のキャストが登場するシーンや、薬物使用、反戦メッセージなどが含まれており、旧体制下では間違いなく上演不可能であった 35。『ヘアー』の大ヒットは、英国演劇が真に自由な表現の時代へ突入したことを象徴する出来事として記憶されている。
7. 検閲廃止後の世界:残存する課題と「見えざる検閲」
7.1 『The Romans in Britain』と私的訴追の脅威
1968年法により公的検閲は消滅したが、演劇が法的紛争から完全に解放されたわけではなかった。その最も顕著な例が、1980年の『The Romans in Britain』事件である。
ハワード・ブレントン作のこの芝居(国立劇場上演)には、ローマ兵によるドルイド僧への男色レイプシーンが含まれていた。これに対し、保守的な道徳活動家メアリー・ホワイトハウス(Mary Whitehouse)は、演出家マイケル・ボグダノフを「1968年劇場法」ではなく、「1956年性犯罪法(Sexual Offences Act)」の第13条(男性間の重大な猥褻行為)違反として私的に訴追した 41。
ホワイトハウス側の戦略は、演劇を保護する条項が含まれる劇場法を回避し、より刑罰の重い性犯罪法を適用するという「法的抜け穴」を突くものであった。最終的に検察側が訴訟を取り下げたため有罪判決は出なかったものの、この事件は、検閲廃止後もなお、演劇が個人の道徳観に基づく法的攻撃に対して脆弱であることを浮き彫りにした。
7.2 現代における検閲の形態:助成金と自己規制
21世紀において、かつての宮内長官に代わって演劇表現を統制しているのは「資金(Funding)」であるという指摘がある。英国の多くの劇場はアーツ・カウンシル(Arts Council)などの公的助成金に依存しており、過激な政治的・性的表現によって資金をカットされるリスクは、実質的な検閲として機能し得る 39。
また、スポンサー企業への配慮や、SNSでの炎上(public outcry)を恐れた劇場プロデューサーによる「自己検閲(Self-censorship)」も深刻な問題となっている。V&A博物館のキュレーター、サイモン・スレーデンが指摘するように、現代には「大文字の検閲(Censorship)」は存在しないかもしれないが、規制や自粛という形の「小文字の検閲(censorship)」は依然として機能しており、表現の自由の境界線は常に流動的である 39。
8. 結論
英国における演劇検閲の歴史は、権力が「演劇」というメディアの持つ社会的影響力、とりわけ集団的な情動を喚起する力をいかに恐れ、管理しようとしてきたかの記録である。
チューダー朝の祝祭局長による管理は、宮廷の秩序維持から始まり、1737年法によって完全な政治的弾圧の道具となった。その結果、ヘンリー・フィールディングのような才能が演劇から追放され、小説という新たな地平を切り拓いたことは、検閲が文化史に与えた逆説的な貢献と言える。ヴィクトリア朝の道徳的検閲は、社会の表面的な平穏を維持するために、性や宗教といった人間の根本的な問題を舞台から排除し続けた。
1968年の検閲廃止は、単なる規制緩和ではなく、演劇を「王権の恣意的な管理」から解放し、「法の支配」と「市民社会の自律的な判断」に委ねるという、英国憲政史における重要な転換点であった。しかし、エドワード・ボンドが「暴力について書くことを禁じる人々は、私たちが自分たちの時代について書くことを禁じたいのだ」と喝破したように 27、表現に対する統制の欲望は形を変えて常に存在し続ける。
大英図書館に眠るラーペント・コレクションや1968年以前の検閲台本は、抹殺された言葉の墓標であると同時に、表現の自由が決して与えられるものではなく、不断の闘争によって勝ち取られるものであることを、現代の我々に静かに語りかけている。
参考文献(文中引用ID参照)
● 9 Victoria and Albert Museum Archives
● 3 Britannica "Master of the Revels"
● 2 Licensing Act 1737 & Walpole Administration
● 16 The Huntington Library "Larpent Collection"
● 14 Theatres Act 1843 & Victorian Censorship
● 26 Edward Bond "Saved" & Prosecution
● 32 Theatres Act 1968 Legislation
● 19 Oscar Wilde "Salome"
● 10 Henry Fielding & Rise of the Novel
引用文献
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