日露戦争から続く日本最古の靴クリーム、五代目の「革」新
日露戦争時代の軍靴用クリームから始まり、115年にわたって靴磨き文化を支えてきた老舗・ライオン靴クリーム本舗。五代目の谷口弘武さんは、IT企業での経験を活かしながら伝統製法と現代的感性を融合。リブランディング、社内改革、そして筋トレと「100年企業の次世代経営」に迫りました。

【プロローグ】
佐野:本日は雨が降っているので革靴ではなく、白スニーカーを履いてきてしまいました。普段はレザーのバレリーナシューズをコレクションしています(笑)。お気に入りのホワイトレザーが少し汚れてしまったのですが、どう落とすといいですか?
谷口:白い靴クリームもありますよ。でも、レザー自体が変色している時はどうしようもないので、上から白色を塗ると長く履けます。
【第1章】日露戦争の時代から続く、老舗靴クリームメーカー
― 事業概要について教えてください。
株式会社谷口化学工業所は1910年(明治43年)に創業された、東京都墨田区の老舗靴クリームメーカーです。100年以上にわたり「靴を育てる」という視点で商品開発を行い、日本におけるシューケア文化の普及を支えてきました。現在(2025年6月)は、自社ブランド商品の製造・販売に加え、OEM対応や業務用商品の供給、海外展開など多面的に展開しています。革靴という商品を超えて「物を大切にする」という文化の継承を軸に、プロの職人から一般の靴愛好家まで幅広い層に商品を届けています。
弊社の歴史は、大きく3つの時代に分けられます。第1の時代は明治後期、日露戦争を契機に軍用ブーツの柔軟性を高めるための製造が始まった創業期。足袋や草鞋などの和装文化が中心だった日本に革靴が浸透しはじめ、軍需とともに「革靴」という新しい生活様式が広がりました。

第2の時代は、大正から昭和にかけて。革靴が一般家庭にも広まり、日用品として皆さまの足元を支える時代が長く続きました。第3の時代は、現在。スニーカーが主流となり、革靴は結婚式やビジネスなどのフォーマルなシーンに履くもの、また、趣味・嗜好品としての立ち位置へと変化しています。この「革靴の非日常化」が進む今こそ、五代目の私はいかに取り組みを変えていくのかが問われています。
― 商品の特徴をお聞かせください。
クリームの使い心地や光沢感はもちろん、香りにもこだわっています。私たちは靴磨きを、革靴を綺麗にするだけでなく「靴磨きをする行為」に意味があると伝えたいんです。弊社の公式サイトでも「磨く・ととのう」という表現を取り入れており、革靴を整えることは「自分の心を整えること」に通じると信じています。香りも含めて心地よい体験になるように商品を設計していますね。

また、商品づくりそのものに対する姿勢も変えています。かつては高度経済成長期の流れを受けて薄利多売の時代が続いていました。現代ではSDGsの観点も踏まえ、私たちがどのような思いを持って商品を作っているのか、そして、どのような原料を選んでいるのかを伝えられるように生産体制を整え、環境に配慮した商品開発に取り組んでいます。
― どのようなお客様が商品をご購入になっていますか?
従来のビジネスパーソンや職人、自衛隊の方々に加え、靴磨きを趣味とする愛好家も増えています。彼らは「長く履きたい」という愛着が強いため、イベントでお会いしてニーズを伺ったり、革靴の文化を広める活動も行ったりしています。イベントは年間6〜7回開催され、墨田区のものづくり企業が共同出店したり、靴磨きの日本一を決める大会をスポンサーとして盛り上げたりしています。
― 日露戦争の時代から115年も積み上げているブランドは強いですよね。
ありがとうございます。いかなる時代も会社を存続してきた先代たちにも感謝しています。直近では、コロナが明けて海外への出張が増え、各国で販路が増えてきました。「日本製」というだけで海外の方々から信頼していただけるんです。もちろん、それだけでものが売れる時代ではありませんが、マイナスイメージがないのは今まで海外で挑戦してきた日本人の皆さんの対応や功績がすばらしかったから。いいイメージを守るためにも身が引き締まる思いですね。

【第2章】IT企業で培った業務改革の手腕と、家業への一歩
― 谷口さんがライオン靴クリーム本舗に入社する前、どのようなキャリアをスタートしましたか?
大学卒業後、IT企業で4年間営業を経験しました。中小の製造業を担当し、ITの力で業務改革支援をさせていただいていましたね。実は、私は幼稚園時代から祖父母に「これは大物経営者になるぞ」と褒められて育ったんです(笑)。当時は家業が何をしているのかを知りませんでしたが、祖父が社長であることから「ゆくゆくは同じ道を進むのかな」と感じていました。
― 新卒でIT業界をお選びになったのは、なぜでしょうか。
業界を問わず応用できるスキルを身につけられると考えたからです。大学時代は自分に何ができるのか、何をやりたいのかが分かりませんでした。ただ「社会を知らないまま家業を継ぐこと」は避けたかった。外で得た知識や経験を将来、家業に活かしたいと考えていました。

― 谷口さんが家業を継ぐ決意をしたきっかけは何でしょうか。
東京しか知らない私が「地方で働いてみたい」と思ったのが始まりです。お世話になっていた先輩が九州に転勤することになり、社内FA制度を使って付いていこうとしました。両親に相談したところ「応援はするが、会社を継ぐ気はあるのか」と言われたんです。27歳だった私は継承について真剣に考え「もし継ぐなら30歳手前が良い」と、翌年の2017年4月に谷口化学工業所へ入社しました。
― 当時の経営体制について、どのように感じていましたか?
私が入社した当時、まだ祖父が社長を務めていました。父は職人気質で人前に出たがらないタイプだったため、祖父が90歳近くまで社長を務めていました。ただ、祖父は杖をついて月に一度会社に顔を出す程度。「本当にこれでいいのか?」と不安になりましたね。他の経営者の方からも「その体制は見直した方がいい」とご指摘いただいたおかげで、自分が家業を変えると意識するようになったんです。

― 入社当初、社内の雰囲気はいかがでしたか?
「社長の息子が入ってきた」と、歓迎ムードではありませんでした。ベテランの営業担当者にも「誰もヒロムくんの神輿を担がないからね」と言われて。私は、長年変わらない商品や、会社の漠然とした方向性に不安を感じて「新たにこんな企画をやりましょう」「お客様に向けて発信しましょう」と提案していましたが、従業員さんたちからすれば「やったことがない」「仕事を増やさないでくれ」という心境だったと思います。従業員さんたちの平均年齢は57歳。40年近く弊社で働いてきた方もいて、私より経験も知識も豊富。血の繋がりだけで息子が自分たちの上に立つことに違和感を抱いたのではないでしょうか。
― その後、皆さんとどのように信頼を築いていったのでしょうか?
最初の突破口は、私の取り組みがメディアに取り上げられるようになったことでした。テレビ局が取材に来たり、工場見学に多くの方が訪れるようになったりして「自分たちの仕事が、社会から注目されている」と実感してもらえるようになったんです。
また、私が取り組み続けたことで生じた、幾ばくかの利益を従業員さんたちに還元することで「こういう活動を増やすと自分たちにも返ってくる」と思ってもらえるようになったかもしれません。会社の成長と従業員さんたちの生活の両方を大事にするという姿勢を示し続けたことが信頼に繋がっていったのだと思います。

【第3章】社長就任後の、経営改革とリブランディング
― 2021年に谷口さんが社長へ就任した時、何から着手なさいましたか?
就業規則や賃金規定の見直しから始めました。社長になって改めて目を通してみると「土曜日は必ず出勤する」など、現代とはずいぶん違うルールが沢山残っていたんです。加えて、評価制度も新たに導入しました。従業員さんたちがどう感じるのかが不安でしたが「こういう活動を大切にしてほしいから、こう評価します」を明文化すべきだと痛感しましたね。何十年も属人的に回っていた仕事を制度として整えることで、従業員さんたちの頑張りを可視化して賃金にも反映できるようにしました。新制度の導入で給料が下がることはなく、むしろプラスになる旨も丁寧にお伝えしました。

― 前職でのご経験は、どのように経営に活きていますか?
IT企業時代には、中小の製造業を対象に業務フローの効率化やデータ活用を支援していました。その経験を活かし、社内でも「この作業はシステム化できるのでは」「3人がかりの作業を1人で回せる体制にできないか」といった改善に取り組んできました。実際に、定年退職などで従業員数が減っても、業務が滞ることはありませんでした。一つ学んだのは「効率化が必ずしも正解ではない」ということ。いくら合理的でも、現場の声や感情を無視しては良い結果には繋がらないんです。
― 社長就任前からリブランディングも進めていらっしゃったんですよね。
はい。弊社はC向けの商品を作っているにもかかわらず、業界ですら知られていませんでした。しかも、商品も価格も長年変わっていなかった。まずは世界観を伝えるためにホームページやカタログの刷新、展示会やイベントへの出展、SNSでの情報発信を開始しました。すると、ライオン靴クリーム本舗を知ってくださる方が少しずつ増えてきたんです。靴磨きが好きな方にご愛用いただいたり、口コミが広がったり「靴磨き選手権大会」のスポンサーとしてご依頼いただいたり。
さらに、SNS上でお客様がリアルに反応することで「今後どの方向に進むべきか」も明確になりました。現在、とある商品のリブランディングに1年以上かけて取り組んでいて、靴磨きや上質な時間を大切にしたい方にきっと喜んでいただけると確信しています。ぜひ、お楽しみにしていてくださいね。

― 社内のリブランディングとして、どのようなお取り組みがありますか?
「心を動かす製品とサービスを提供する」というミッションを掲げ、毎朝の朝礼でその言葉を共有しています。社長として、その理念に自分自身が動かされるような、完成度の高い商品を世の中に出していきたいんです。
― 他にも、社内カルチャーや意識の変化に繋がった施策があればお聞かせください。
先述の就業規則や評価制度の見直しなどに加えて「サンキューカード」という取り組みも始めました。普段は口に出さない「ありがとう」の気持ちを紙に書いて、社内に貼り出す仕組みです。小さな感謝を見える化することで、温かいコミュニケーションが生まれています。「業務目安箱」も設置し、業務改善のアイデアを自由に投函してもらっていますね。投稿内容は評価制度にも反映されるため「気づきを形にすること」が評価される土壌を整えています。
【第4章】谷口さんの筋トレ:筋肉は私のアイデンティティ
― こちらのパートでは谷口さんの筋トレについて伺います。いつから筋トレを始めましたか?
大学時代からです。もともと筋肉がつきやすい体質だったこともあり、すぐに成果が出る筋トレは性に合っていました。家業を継ぐと決めてからは、より本格的に取り組むようになりました。

― どちらのジムに通っていらっしゃいますか?
会社の近くにあるパーソナルジムです。
― 筋トレの頻度やトレーニングメニューもお聞かせください。
現在は週2〜3回です。ビッグ3(スクワット・ベンチプレス・デッドリフト)を中心にウェイトトレーニングをしています。トータル480kgを達成したので500kgを目指しているところ。そういえば、このメディアにも登場した教育系YouTuberのあきとんとんさんが動画でベンチプレス122.5kgを上げていましたが、実は私も同じ重量を上げられるんです(笑)。
― おお、すごいですね!ご自分の体でお好きな部位はありますか?
大胸筋です。頑張っているのは脚です。上半身を中心に鍛える方が多い中、脚もしっかり鍛えている方を見ると尊敬しますね。反対に課題を感じるのは背中ですね、広背筋も脊柱起立筋も。一般的にはスクワットよりもデッドリフトの方が重量を上げられるところ、私は逆なんですよ。
― 筋トレをすることによってどのような効果を実感しますか?
初対面の方に「体がガッチリしていますね」とおっしゃっていただいて会話がはずむことでしょうか。単純に嬉しいですし、自分のアイデンティティになってきたと感じます。もはや人との関係を築く上での共通言語の一つになっていますね。
― トレーニングウェアやスニーカーでは、お好きなブランドはありますか?
ブランドにはこだわっていませんが、ブカッとした服を着るようにしています。四肢を動かしやすいというのもありますが、あまりピタッとしたウェアだと、ガチムチな体型を見せつけているみたいで恥ずかしくて(笑)。スニーカーは基本的には履きません。パワーリフティングなどをする時に靴底のゴムが厚いと足首が不安定になるので、建築用の足袋を履いています。
― すごいですね⋯。トレーニング中にお聴きになっている音楽はありますか?
音楽ではなく、NewsPicksやAbema NEWS、先述のあきとんとんさんなどの学べるYouTubeを流していますね。
― 筋トレをしたくないな、と感じる日はありますか?
あります。ただ、ジムに行かない日が続くと育てている筋肉が落ちてしまいそうで怖くて、必ず足を運んでいます。
― 筋トレ以外で、日頃から意識している健康習慣はありますか?
食事制限はせず、まんべんなく食べています。プロテインも飲んでいますが、できれば食事からタンパク質を摂れたらいいですよね。睡眠では、いつも深夜2時頃に寝て朝7時半に起きています。寝るのが遅いですよね、ついついYouTubeを見てしまうんです。
【第5章】変化する市場と、「日本最古」というプライド
― 今後、靴クリーム業界やレザー業界にはどのような可能性や市場の変化があるとお考えですか?
革靴や専用道具が日用品から趣味・嗜好品に変わっていく流れは、今後もさらに加速すると考えています。それに伴い、靴磨きも日常的なルーティンから文化的な営みに変わっていくはず。そうした変化の中、革靴や靴磨きを愛するユーザーの方々はもちろん、この文化に価値を感じてくださる方を増やすために新たに商品開発を進めています。現時点では詳細をお話しできませんが、「手間をかける価値」を体感できる、前向きなライフスタイルを支える商品になると確信しています。
― 谷口さんの考える、ライオン靴クリーム本舗の価値とは何でしょうか。
前提として、他社様も優れた商品を作っていらっしゃいますし、弊社も商品に自信を持っていますが、どちらを選ぶのかはお客様の好みや価値観にもよります。強いて言えば「日本最古の靴クリームメーカー」であるというアイデンティティではないでしょうか。このブランドとしての誇りを日本国内だけでなく、世界各国にも発信していこうと考えています。

― 創業115年の老舗企業として、守ることや壊すことをどのように線引きしていらっしゃいますか?
第三者的視点を持って、守る姿が評価されるのか、または壊して作り変える姿が評価されるのかを意識しています。ただ、白黒はっきりさせるよりも、時代や市場の流れを見ながら柔軟に調整したいですね。現時点では業務面ではDX化を進めていますが、製造では敢えてアナログな工程も残しています。
生産性が低いという理由で100年以上続く伝統的な製法を壊し、ハイテクな機械を導入することが弊社にとって正解なのか。私が第三者だったら「変えてしまうのはもったいない」と思うでしょうね。だからこそ、非効率なプロセスとも向き合いながら新たな価値を生み出す挑戦を続けます。
何よりも「日本最古」という称号はなかなか手に入れられないし、守り続けてこそ意味がある。一度壊してしまったら二度と取り戻せません。その重みを、私たちは常に意識しています。

― 最後に、谷口さんの代で成し遂げたいことをお聞かせください。
ライオン靴クリーム本舗は、明治・大正・昭和・平成・令和と、時代ごとの役割を担ってきました。軍事産業だった時代や日用品産業だった時代もありました。将来的には日本が誇る靴クリームメーカーとして世界も視野に入れていきます。さらに、いつか自分の子どもが「この会社を継ぎたい」と自然に思ってくれるような魅力と誇りのある企業に成長させていきます。
― 谷口さん、お話をお聞かせいただきありがとうございました。新商品の公開を心待ちにしていますね。
【エピローグ】
佐野:幼少期の頃から経営者になることを期待されていたように、谷口さんもお子さんに伝えていらっしゃいますか?
谷口:いいえ、子どもはまだ4歳と2歳なので、さすがに(笑)。ただ、仕事や懇親会で出かける時に「どこに行くの?」と聞かれた時は「お仕事に行ってくるよ」と答えています。ちなみに、私がジムに行く時は「体育に行くの?」と聞いてきますね。ジムをまだ知らなくて「体を動かすこと=体育」だと思ってくれているみたいで。
佐野:それはかわいすぎます・・・。
(企画・取材・執筆:佐野 桃木 写真提供:ライオン靴クリーム本舗 最高顧問:Z)
● プロフィールはこちら「谷口化学工業所代表取締役社長 谷口弘武さん 」
💙 stand.fmで裏話を配信中「ももりんの『あの経営者の余談』RADIO」
ご興味を持ってくださった方はnoteをフォローしてくださると嬉しいです。
※ 「静かな空間でゆっくり読まれること」を想定して構成しています。
● ご出演・ご意見はこちら「お問い合わせフォーム」
● 関連記事「紙はもう、戻らない。印刷家業を継いだ社長が直面した「市場低迷」と「M&A」」
● ご感想は #あの経営者の筋トレ でシェアしていただけたら嬉しいです
#あの経営者の筋トレ #あの経営者のオフレコ #経営者の素顔 #ライオン靴クリーム本舗 #100年企業 #谷口弘武 #事業継承 #墨田区 #日露戦争 #5代目
