開業5ヶ月で患者はたった80人――それでも「失敗」と思わなかった接骨院院長の7年「経営者の素顔 vol.6」
「やってみなきゃわかんない」
福島県会津若松市、地元の小さな接骨院。高齢者の患者のみならず、学生たちが部活帰りに駆け込み、院長が一人で施術台に向かう。
ここを2019年から一人で経営し続けているのが、本名晋さん(柔道整復師)だ。開業から数えて、今月で7年になる。
柔道整復師として10年勤め、その後、独立を決めた。マーケティングという言葉も知らないまま店を開け、最初の5ヶ月で来院した患者はわずか80人。それでも本名さんは「やばい」とは思わなかったという。
なぜ折れなかったのか。会津若松の一接骨院に、その答えがあった。
「いつ大人になったかわからない子」が、野球少年になるまで
本名さんが育ったのは福島県会津若松市。母親によく「いつ大人になったかわからない」と言われるくらい、自分から何かを始めることが苦手な子どもだったという。
「比較的おとなしい方だったと思います」と本名さんは振り返る。
決まった人と関わることが多く、行動を起こすタイプではなかった。その性格が変わったのは、専門学校に入って県外に出てからだ。いろんな人と関わるようになり、接骨院に勤めていた頃の明るい先輩の影響も大きかった。
「今は当時とは真逆で、落ち着きがなくなりました。逆に、あの頃おとなしかったのがよかったのかなとは思います」
プロ野球のトレーナーを目指した少年が、接骨院に通ったこともなく接骨院を選んだ理由
本名さんは野球が好きで、本当はプロ野球の球団に対応するスポーツトレーナーになりたかった。しかし色々あってその道を諦め、別の方向を探していたときに、接骨院をやりながらトレーナーをしている人がいることを知る。
「実は僕、接骨院に通ったことがなかったんですよ。接骨院とは何ぞやって調べた時に、メインは外傷を見る仕事なので、そういうのでもいいかなと思って」
高校3年生の3者面談で、進路の話になった。プロを相手にする仕事は大変だと言われ、「大丈夫です、やります」と答えた本名さんに対し、母親は「やめた方がいいんじゃない」と言い出した。
「押し切れずに、そっから接骨院の道に進むことになりました」
そこで押し切ればよかったと、本名さんは後悔した。

「開業権があるなら、開業する」――迷いのなかった独立
柔道整復師として10年勤めたあと、本名さんは独立を決める。
「柔道整復師としてやるんだったら、せっかく開業権があるので、開業するっていうぐらいな感覚でした」
柔道整復師であれば、接骨院やクリニックに勤めるより開業した方が条件がいいことが多い。そもそも勤めていた接骨院自体が、開業を目的に働く人が多い場所だった。反対も特になく、金銭面も親から開業資金を少し借り、営業機器の販売店の人にも世話になって、他と比べてもかなり安く開業できたという。
「あんまり心配する方ではないので、楽観的に物事を見る方なので、そんなに不安はなかったですね」

広告を出さず開業した5ヶ月間、来院したのはたった80人
2019年6月に開業してから、本名さんはチラシを配り始めるまでに1週間かかった。マーケティングという概念を学んでいなかった。
「今の時代に同じやり方で開業したら、多分失敗してるだろうな」
と本名さんは振り返る。
広告も何も出していない状態だったので、最初は人が来ること自体がなかった。保険診療が使えるようになった12月までの5ヶ月、来院した患者数はおよそ80人。
「最初は本当に『全然人来ねえな』って思ってたぐらいで」
それでも本名さんは、やばいとは思わなかったという。
「開業自体にほとんどお金がかかってなかったので、楽観視っていうほどではないですけど、そのうちどうにかなるだろうっていう感じで。本当に、周りの人に助けられて何とか乗り越えました」
異業種交流会に顔を出し、名刺を配り、仲良くなった人が来てくれるようになった。最初に来たのは同級生の子どもで、バスケットボールをやっていた。そこから紹介が紹介を生み、広告をほとんど使わないまま、患者は少しずつ増えていった。
開業半年でコロナ禍。それでも、最初が底辺だったから揺るがなかった
開業から半年後、コロナ禍が始まった。会津若松市は感染者がなかなか出ない地域で、福島県内でも会津だけ出ていない時期があったほど、隔離されたような土地だった。マスクや感染対策はしていたが、過度に過敏になることもなく、患者は変わらず来院した。
持続化給付金のような制度も、前年度と比較して売上が下がっていることが条件だったため、開業して半年では比較する前年度がなく、本名さんは対象にもならなかった。
それでも、「結局最初が悪すぎたので、特にコロナの影響なくそのまま上り調子になってきて」と本名さんは言う。
コロナ禍は問題なく乗り越えられた。
「もっと早く学んでおけばよかった」――保険診療の天井を抜けるまで
今年の3月まで、本名さんは保険診療だけで経営してきた。4月からようやく自費の整体を取り入れた。
「本当に開業当初からずっとやろうと思ってて、それがずっとできずで、やっとできたって思ってる」
保険診療には保険診療の良さがあるが、収益にはどうしても天井がある。「そこを抜けるにはやっぱり自費しかないっていう。もうちょっと学んでから開業して、自費は自費でっていう風にちゃんと見れてれば、今の苦労は多分なかったかなとは思います」
業界の環境も、開業当時とは様変わりした。
「7年前は、接骨院業界にマーケティングという言葉自体があんまりなかったんですよ」
直接の紹介がメインで、それが一番強い時代だった。今は開業前から宣伝を始め、予約制で数ヶ月先まで予約が埋まっている状態を作ってから開業する人がほとんどだ。
同じ地区でも、本名さんが開業してから7年で5件ほど接骨院が増えたという。
「今マーケティングも何もしないで開業したら、多分数ヶ月で終わってただろうなと思います」
「出れるかわからない」と言っていた学生が、大会で勝った
本名さんの接骨院には、高齢者の患者のみならず学生の患者も多い。中学生、高校生が部活の合間に通ってくる。
「患者さんに良くなったとかありがとうって感謝をいただいてる時が、1番なんか報われたと言いますかね」
大会前に怪我をして出場できるかわからないと言っていた学生が、なんとか出場できるようになり、試合にも勝ったという話を聞くと、本名さんは心から嬉しくなる。
「すごく嬉しい気持ちにはなります」
「戻るかって言われたら、絶対戻らない」――独立してよかったこと
雇われていた頃と比べて、大変さは全然違う。それでも本名さんは独立を後悔していない。
「頑張った分の対価はいただけるので。あとは時間の自由もきく」
先週の日曜日も、元々入っていた予定をキャンセルして、3日前に告知されたセミナーに参加した。そういう自由がきくのは、個人事業主としての強みだと本名さんは感じている。
「やりたいことはやれるし、ある程度の自由が効く上で収入もそれなりに取れるので、独立してよかったかなと実際思ってはいますし。戻るかって言われたら絶対多分戻らない」
整体と接骨院を、別の箱で。一人で抱えてきた7年の先へ
今、本名さんは一人で接骨院を経営している。保険請求やレセプト作業もすべて一人でこなす。
「開業当初は体力があったんですけど、だんだん夜眠くなっちゃう。前は徹夜してやってたんですけど、今も徹夜絶対無理なんで」
保険診療の部分は嫌いではないので続けたいが、自分自身は整体をやりたい気持ちが強い。
「従業員雇うなり、整体と接骨院全く別々の箱でやるなりっていうのもやってみたいかなとは思ってます」
独立に向いている資質を聞くと、本名さんはこう答えた。
「深く考えすぎないことはやっぱり大事だと思ってて。やってみなきゃわかんないっていうところで、やってみてダメだったらやめればいいし、大丈夫だったらそのままやればいい。失敗してもやりたいんだったら、なんで失敗したのか考えてまたやればいい」
行動が早い人ほど、成功しやすいと本名さんは感じている。
それでも本名さん自身は「まだまだ成功とは程遠いとこにいるかな」と語る。法人化や新しい事業への思いも、まだ道の途中にある証だ。

「しのごの言わずにやれ」――20代の起業家たちへ
最後に、起業を目指す20代の読者へのメッセージを尋ねた。
「コスパとかタイパとか言ってるんですけど、それを考えてるようじゃまずダメ」
今も経営塾に通って学んでいるが、そこでよく言われるのが
「質を求めるならまず量をやれ」という言葉だ。
やりたいことをどんどんこなし、量の先に質がある。量をこなすには、スピードが必要だ。
「スピード、量、質の順で。有名な経営者の人のインスタとかyoutubeとか見ると、絶対みんな言ってる話なので」
「しのこの言わずにやれと。起業したいと思うなら起業すればいいし、やりたいことがあるならとにかく考える前に行動して。行動した結果、結果が出れば、それでモチベーションが上がってやる気が出てくるので。なるべくやろうと思ったことは早めにやって、それをたくさんやって質を高めてください」
福島の小さな接骨院から、本名さんは静かに、しかし確かにそう語った。
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