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「準備が整う瞬間」は永遠に来ない。馬術日本一から証券マンを経て、30歳で退路を断ち起業した男の覚悟。「経営者の素顔 vol.2」


「何者でもない」自分を越えて。20代の葛藤と、30歳で選んだ「退路なき起業」の真実

東京・都内の画面越しに現れた株式会社パスル代表・山田氏(33歳)は、「人の人生の分岐点に関わりたい」という圧倒的な熱量を放つ人物だ。佐賀の田舎で「何ひとつ得意なものがない」と自認していた少年時代、小学4年生で出会った馬術が彼を変え、大学1年でのオールジャパン日本一獲得という結実をもたらした。その後、証券会社やベンチャー企業での過酷な経験を経て、プロポーズとほぼ同時期に会社を設立するという、傍目には極めてリスキーな決断を下す。それは「準備が整う瞬間など一生来ない」という悟りから生まれた覚悟であり、無謀とも思える出発点から3期目を迎えた今も、彼は志に命を燃やす若者たちの伴走者として走り続けている。なぜ、「日本一」の栄光を手にした男が、あえて泥臭い営業の世界に身を投じ、さらにリスクを背負ってまで起業の道を選んだのか。その裏側に隠された、成功以上に鮮烈な「挫折と執念」の物語を紐解いていく。

佐賀の田舎から、馬術日本一へ 「初めて自慢できるものができた」

――小学4年生の出会いが人生を変えた
山田さんが育ったのは佐賀県の田舎。落ち着きがなく、勉強もできない。習い事も何も続かなかったという。「特に得意なものがなかったんですよ」と、本人は笑って振り返る。 転機は、小学4年生のときに訪れた。地元に牧場ができ、たまたま馬術を始めた。「これが初めて、自分の自慢できるものになりました」 県大会で表彰台に立った瞬間、山田さんは初めて「頑張った先の景色」を体感する。気がついたら国体に出場し、大学1年でオールジャパンの日本一を獲得した。 しかし、道のりは順風満帆ではなかった。高校1、2年の頃、技術的な限界を感じて「もう辞めようか」と思い悩んだ時期があった。そのタイミングで出会ったのが、当時の日本トップの馬術選手だった。「うちに来い、日本一になれるポテンシャルがある」 その一言が、山田さんを九州の外へ連れ出す。 この経験が、山田さんの人生の軸を作る。「自分は何も持っていなくても、目標を持って乗り越えた先の景色に意味がある」――そう確信した大学生は、起業家という生き方を志すようになった。

馬術に励む山田さん

「人の3倍やれ」が叩き込まれた社会人時代

落ちこぼれ証券マンが、同期表彰を受けるまでの話
大学卒業後、山田さんは証券会社へ入社した。起業を見据えたとき、ある知り合いの経営者に「まず営業力が大事」と言われていたからだ。「鍛えてやろう、と思って」 しかし現実は厳しかった。「めちゃくちゃ落ちこぼれましたよ(笑)」 夜8時まで飛び込み営業をして、その後は自分の名刺をポストに入れるポスティングを夜11時まで毎日続けた。それでも結果が出ない日々が続いた。そのとき頭によぎったのは、父親の言葉だった。「能力がないなら人の倍やって初めて人並みになれる。人を超えたいなら3倍やれ」 愚直にやり続けた結果、最終的には同期の中で表彰を受けるセールスになれた。その後、事業の全体像を学ぶためにベンチャー企業へ転職。平均睡眠4時間の修羅場を経て、30歳で会社を作った。馬術も証券もベンチャーも、山田さんはいつも同じことをやってきたと言う。「高い目標を掲げて、そこに憧れて、そこに酔いしれて、日々を強烈に生きる。その連続なんですよ」

会社員時代の山田さん

「準備が整ったら」は、永遠に来ない

プロポーズと会社設立が同時期だった、リスキーすぎる出発点
「準備が整ったら起業する」 そう言い続けて30歳になった、ある時、山田さんはあることに気づいた。 「準備が整う瞬間は、絶対これからも来ない」と。 もうやるかやらないかだ、と思って会社を作った。ちょうどプロポーズをしたタイミングでの設立だった。傍から見れば相当リスキーな出発点だ。 「35歳になっても『いつか起業したい』と言い続けている自分を想像したら、すごくダサいと思ったんですよ。30歳になったという時間のなさへの焦りもあった。後悔するくらいならやっちゃおう、という気持ちでした」 崇高な理由があったわけではない。「準備が整う瞬間なんてない」という、シンプルな気づきだった。

「こんなとこで終わってたまるか」

貯蓄が削れていく恐怖。それでも投げ出さなかった理由
しかし、現実は厳しかった。人材は未経験で飛び込んだ業界だった。「もっと楽勝に行けると思ってたんですよ、正直」 収入がないのに貯蓄だけがどんどん削れていく。しかも当時は結婚したばかりで、妻にもそのプレッシャーをかけてしまっていた。その恐怖感は想像を絶するものだった。「なんで折れなかったんですか?」と聞くと、山田さんは少し間を置いてから答えた。「言葉にすると陳腐になってしまうんですが……『もう後がない、やるしかない』という火事場の馬鹿力みたいなものです。最悪の状況を何度も想像しながら、『こんなとこで終わってたまるか』」この気持ちが彼を支え続けてきたのだ。

お疲れモードの山田さん

失敗は失敗じゃない

「次に活かせれば、それは通過点」――経験を経て変わった失敗の定義
「これまでで一番失敗したと思う瞬間は?」と聞くと、山田さんは笑った。「失敗はしすぎてあんまりわからないんですよ(笑)。失敗の連続ですから」 しかし振り返ると、「あれは失敗だった」と言い切れるものがないのだという。「その時は確かに失敗かもしれないけど、それが今の自分に生きているから、失敗にはなっていない感覚があって。次に来たら失敗じゃない、という感じですかね」 失敗を失敗のままにしない人間。それが、経営者という存在なのかもしれない。

今、山田さんが選んでいる生き方

「志に命を燃やす人間が溢れる日本を」 ――暑苦しくて、それでいい
今、山田さんが掲げる理念は「志に命を燃やす人間が溢れる日本を作る」だ。「暑苦しいでしょう(笑)」と自ら言うが、その言葉には確かな重みがある。 「入口は自分の夢とか私利私欲でいいと思ってるんです。でもそこを通り越した先に、使命感や志がある。幕末の志士たちって、自分の命をどう使うかを真剣に考えて生きた人たちじゃないです か。ああいう人たちが溢れる暑苦しい日本を作りたい」 そのために、人材紹介という仕事で1人でも多くの人のキャリアの分岐点に関わっていく。「転職して本当によかった」という一言が、すべての苦労を消す瞬間だからだ。効率の話ではない。 「人の仕事時間を変えることは、人生のインパクトが最も大きいことの一つだ」という、山田さ んの哲学だ。

「人生はドラマ。振り幅を大きく」

最後に、くすぶっている人へメッセージを、とお願いした。 「人生って本当にドラマみたいなものだと思っていて。自分の一生をいかに面白くできるか は、本当に自分次第でしかないんです。山もあれば谷もある。でもその振り幅の大きさが、人生を面白くするためにすごく大切だと思っています」 「自分の人生を面白くできる人が、1人でも多く増えたら嬉しい」と山田さんは結んだ。

・株式会社パスル

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