12年勤めた安定企業を、迷いなく手放した男が「園」という漢字で世界を目指す理由「経営者の素顔vol.11」
売れなかった男が、「園」という一文字に世界を賭ける理由
「僕の体はひとつしかない。だったら、ブランドを通じて、もっとたくさんの人を幸せにしたい」
静岡県浜松市生まれ、中園侑樹さん。会員制リゾートホテルで日本料理人として12年間キャリアを積んだ中園侑樹さん。最初の6年は正社員として腕を磨き、26歳で独立してからは、アルバイトという働き方に切り替えながら、自分の事業と並走させてきた。今は株式会社御園の代表として、ラグジュアリーブランド「園(その)」の展開、1日1組限定の完全予約制のプライベートダイニング、出張料理人、そして経営者交流会の主催を行っている。
「園」という一文字を、世界で一番有名な漢字にする——そんな壮大な夢を語る中園さんに、これまでの歩みを伺った。
親に騙されて始めたサッカーが、教えてくれたこと
目立つことより「みんなが楽しければいい」。夏休みになれば自宅に友人が20人も集まるような、そんな子ども時代を過ごした中園さん。
小学1年生のとき、両親に手を引かれて連れて行かれた先は避難訓練ではなく、サッカーの体験会だった。
「話が違うじゃないかと思いましたけど、まあいいから行きなさいと言われて。そこから12年間続きました」
好きというより使命感だったというサッカーは、高校3年生まで続いた。
そこで培われたのは、一度始めたら辞めないという姿勢だった。「やり抜く力というか、やめるという選択肢が僕の中になかったんです」
この感覚は、後に厳しい料理人の世界でも、辞めずに続ける力として生きることになる。
35歳で独立、そのはずだった逆算計画
19歳で調理の専門学校に進み、20歳で会員制リゾートホテルに日本料理人として就職。浜名湖、箱根、湯河原、蒲郡と転勤を重ねながら、正社員として6年在籍、その後あるご縁をきっかけにアルバイトとして働き方を変え、今の事業と並走させている。
専門学校時代から毎月5万円を貯金し、35歳で独立資金1000万円を貯めて自分の店を持つ——そんな逆算のキャリアプランを描いていた。
実は、その裏では会社員としての伸び悩みも抱えていたという。
「我が強いタイプなので、自分の中で譲れない筋みたいなものがあって。出世のためにそれを崩すくらいなら、出世しなくていいと思っていました」
組織の中でうまくいっていない感覚を抱えながら過ごしていた時期もあった。
転機は26歳のときに訪れる。客として通っていたお蕎麦屋さんのご主人から「店の規模を縮小するから、やってみないか」と声をかけられたのだ。
血縁関係もない自分にかけられたその言葉を、中園さんはチャンスだと捉えた。
「次の日には料理長に、店をやるので辞めますと伝えていました」
それまで自分の意思で何かを辞めたことがなかった中園さんにとって、これが人生で初めての「辞める」という決断だった。
いい場所すぎた立地が、最初の壁になった
独立を後押ししたのは、コロナ禍での経験もあった。
ホテルが休業し自宅待機を余儀なくされた2ヶ月間、家族に手料理を振る舞い続けたことで「これは店としてやっていけるかもしれない」という手応えを得たという。
雰囲気のある古民家風の物件を間借り、酒と料理を楽しめる店をコンセプトに開業。
しかし立地は最寄駅から車で30分の海沿いで、車がなければたどり着けない場所だった。
「立地的にお客さんが来づらいというのは、薄々わかっていたんです。それでも、始めてしまえば何とかなるだろうと思っていました」
しかし現実はそう甘くはなかった。
料理の腕だけでは店は成り立たない——中園さんが最初に直面した現実だった。
100人が集まったマルシェで見えた、本当のゴール
立地の悪さを言い訳にはできないと、中園さんは自ら動き出す。キッチンカーでのお弁当販売、各種イベントへの参加を重ね、横のつながりを広げていった。
そしてたどり着いたのが「地域全体を盛り上げよう」という発想だった。
人口の少ない小さな町で自らマルシェを主催すると、1日で約100人が集まる成功を収める。
この経験が、中園さんの中で大きな価値観の転換を生んだ。
「自分の店を成功させることがゴールだと思っていたけれど、食を通じてたくさんの人と繋がり、幸せにすることこそが、本当のゴールなんじゃないかと気づいたんです」
料理で人を幸せにできるのは、自分の体がひとつしかない以上、限られている。ならば、ブランドという形にすれば、もっと多くの人に届けられるのではないか——ここから2つ目の事業、ラグジュアリーブランド「園」の構想が生まれた。
「勉強不足でした」——ブランドを作ったあと、1年間何も進まなかった
参加したマルシェでの成功体験をきっかけに、思いを込めて立ち上げた「園」ブランド。
しかし理想と現実の間には、大きな溝があった。
「売り方がわからない、広め方がわからない。料理のことはできても、それ以外は本当に何もわからなかったんです」
それまで厨房でひたすら腕を磨いてきた中園さんにとって、営業もブランディングも、まったくの未経験の領域だった。
最初の一軒とは何とか取引ができたものの、それも一度きりで終わってしまう。
「僕の営業が下手すぎて、全然売れなかった」
断られ続ける中で、そもそも狙う相手が間違っているのではないかという疑念すら湧いてきたという。目立った成果が出ないまま、気づけば1年ほど、ほとんど身動きが取れない時間を過ごすことになった。
「1年間、迷走したような期間でした」
焦りがなかったわけではない。それでも投げ出さずに考え続けたことが、次の一手へとつながっていく。
「園」=「縁」''ごえん''を重ねて
「園」というブランド名には、中園さんがこれまでの店づくりやイベント運営を通じて大切にしてきた「ご縁」への思いが込められている。
楽園のように人が集まり、縁が結ばれていく場所でありたい——そんな意味を一文字に込めた。
第一弾として生まれたのが、日本一高級なジンジャーシロップだ。開業した店で酒が飲めない人のために、料理に合う名物ドリンクが欲しいと考えたことがきっかけだった。
スパイスに頼らず、白ワインをベースにアルコール分を飛ばした0.00パーセントのノンアルコール製法にたどり着き、唯一無二の味わいを実現した。
「高級なワインや日本酒はいくらでもあるのに、高級なソフトドリンクという市場はまだ確立されていない。ここに事業としての価値があると思ったんです」

営業の壁を越えて、経営者たちとの縁が広がった
しかし、思いだけでブランドを立ち上げたものの、売り方も広め方も分からなかったと中園さんは振り返る。
飲食店への営業を続けたが思うように売れず、1年ほど試行錯誤の時間を過ごした。
転機になったのは、ターゲットを飲食店からサウナへと切り替えたことだった。
「サウナで汗をかいた後なら、相性がいいんじゃないかと思って」
この営業先の転換がきっかけとなり、今もっともお世話になっている経営者との出会いにつながった。
そこから少しずつ、ブランドを通じたご縁が広がっていった。
今では出張料理人としての活動や、自ら主催する経営者交流会を通じて、都内を中心に多くの経営者とのご縁を築いている。
「ジンジャーシロップを飲んで美味しかったから誰かにプレゼントしたい、という声から、また新しいご縁が生まれる。自分のブランドをきっかけに人と人がつながっていく瞬間に、いちばんやりがいを感じています」
「園」を、世界一有名な漢字一文字に
現在、株式会社御園は「園」ブランドの展開、、1日1組限定の完全予約制のプライベートダイニング、出張料理人、そして経営者交流会の主催を行っている。
今後はジンジャーシロップに続き、日本茶や日本酒、和牛といった食材、さらには器や包丁といった食にまつわる道具まで、「園」ブランドとして展開していく構想を描く。
「この“園”という漢字を、世界で一番有名な漢字一文字にしたい」
壮大に聞こえるこの目標を、中園さんは事あるごとに口にし続けているという。
「ワンピースのルフィが“海賊王になる”と言い続けているように、僕も言い続けることが大事だと思っています。8〜9割は現実的な意見や批判的な意見をもらいますが、その中の1割、本当に応援してくれる人が見つかる。言い続けることで、一緒に動いてくれる仲間を一人でも多く見つけたいんです」
これから挑戦する人へ
これから転職や起業、新しい挑戦を考えている読者に向けて、中園さんはこう語る。
「まずは行動すること。そして発信すること。自分を信じて動いて、それを続けること。何より、楽しみながら挑戦することです」
料理人として12年勤めた安定した会社を手放し、立地の悪さに苦しみながらも地域を巻き込み、営業の壁にぶつかりながらも道を切り拓いてきた中園さんの歩みそのものが、そのメッセージを体現している。
「園」という一文字が世界に広がる日を目指して、中園さんの挑戦はまだ始まったばかりだ。

・園 ラグジュアリージンジャーシロップ
・憩い処 園 「浜松 舘山寺 和食店」
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