11年の城が一夜に消えた。30歳でゼロになった男が語る「自分を不要にすることが、最大の貢献」「経営者の素顔vol.9」
11年の城が消えた夜、男は決意した。
「もう二度と、自分だけが回す組織は作らない」 三枝英也(37歳)、仕組み化コンサルタント
「自分がいないと回らないと思っていました」
三枝は、少し間を置いてそう言った。2026年6月、仕事終わりの夜にZoomをつないでくれた三枝の声は、穏やかで落ち着いていた。しかしその言葉の裏に、10年以上をかけて積み上げ、一夜で失った経験の重さが漂っていた。
現在、三枝は「仕組み化コンサルタント」として個人事業主から従業員20名以下の企業に伴走しながら、並行して「魅力発見講師」という個人向けの事業も手がけている。
組織の経営・営業・人事・総務・経理と、あらゆる領域をヒアリングし、その会社に合った仕組みを設計して運用まで支える。
屋号は「Designexus Inc.」。デザインとネクサス(繋ぐ)を組み合わせた造語だ。さらに今、AIと企業の間に入って業務設計を担うという、アメリカで言う「FDE」に近い立ち位置にも注目している。
「コンサルタントでもエンジニアでもない、その間にいる人間です」と三枝は言う。
兄の背中だけを見て育った
三枝は4つ上の兄を持つ。幼少期から高校まで、習い事も進路もほぼ兄と同じ道を歩んだ。「サッカーか野球かくらいの違いしかなかった」という。
周囲からは「大人びている」「人をよく見ている」とよく言われ、面倒見の良さから兄と間違えられることもあった。
転機は高校3年生の受験期だった。うまくいかず、一度現場に出た。製造業の派遣で1年ほど働いたが、学生時代に患った疲労骨折の影響で重労働が難しいと判断し断念。その後、もともと惹かれていた教育業界を目指したが「未経験は難しい」と何度も門前払いをくらった。
「だったら営業スキルをつけてから入り直そう」と方向転換し、フレッツ光の代理店として急成長していたIT系ベンチャーへ営業マンとして飛び込んだ。
約1年後、事業方針の変更で転職を余儀なくされる。教育への思いを捨てきれなかった三枝は、個別指導塾の会社へと移った。そこからの11年間が、今の三枝のすべての原点になる。
黒字化した。でも何かが抜けていた
最初に配属されたのは赤字校舎だった。
三枝は入社時に「教えることは全部講師に任せる。自分は経営と数字を上げることだけに集中させてほしい」と条件を伝えていた。
そして実際にそれをやり切り、関西エリアでも生徒獲得数でトップクラスの成績を残した。
だが、入る生徒の数が増えても、辞める生徒の数も増え続けた。継続してもらうための仕組みが何もなかったからだ。「感覚と、先生個人の力に全部依存していた」。既存顧客のフォローを仕組みとして整えられないまま、営業力だけで突っ走っていた。
2017〜18年頃、ようやく人材が揃い始めた。そのとき三枝は初めて
「自分が動くのではなく、先生たちが動ける環境を作る側に回らなければ」と気づいた。
採用の設計、営業企画、広報、フォロー体制。あらゆる業務を「誰でも同じようにできる形」に落とし込んでいく作業が始まった。

2020年3月、城が売られた
コロナの緊急事態宣言が出た。
店舗を閉めなければならない。
それだけなら乗り越えられたかもしれない。
しかし会社の体力が想定以上に削られていた。全10校のうち8校が赤字のまま月謝が入らなくなり、プールしていた資金が底をついた。会社は事業譲渡という形を取った。
30歳で、ナンバー3の立場も、社宅も、5年間かけて育てた校舎も、消えた。
「明日から、君の場所ではない」と宣告されたに等しかった。
フランチャイズの規約上、買収が決まった後は勝手に独立もできない。一緒に動いていた仲間のうち上の2人が責任を取って去り、三枝は残った社員の情報整理のために義務感で踏みとどまった。そして自分が望まない形で、方針も文化も違う新しい会社の社員になった。
独立1ヶ月目、月収10万円以下
方針も肌に合わない。変化にも対応できない大きな組織の中で、三枝は数年をかけて独立を準備し続けた。3つのスクールに入り、副業として営業代行事業を3年間続けた。
そして36歳で、独立した。
しかし現実は厳しかった。独立1ヶ月目の月収は10万円に届かなかった。知人から依頼されていた仕事は自分の適性と合わず、求められている役割に達せなかった。
「法人営業はほとんど経験のない領域だった。なのに受けてしまった」と三枝は言う。
4ヶ月間、家賃を払えば他にほとんど残らない状態が続いた。貯金を切り崩しながら、それでも会社員に戻るという選択肢は消していた。
「36歳未経験で転職市場に出ても、価値は下がる一方。戻るはありえなかった」
折れなかった理由は、仲間と「自分への素直さ」だった
それでも踏みとどまれたのは、仲間の存在があったからだと三枝は言う。独立前から継続的に仕事を発注してくれていた方が、独立のタイミングで単価を上げてくれた。
「その人を裏切って戻るくらいなら、と思った」
依頼してくれた法人営業の仕事でも、方向性を正直にぶつけ合い、自分がどこで貢献できるかを真剣に話した。
そしてもう一つが、自分の適性に向き合い直したことだった。
「任されているからやっていた。それが会社員的なマインドの残滓だった」と三枝は振り返る。
占いや統計学、複数の自己分析ツールを重ね合わせながら、自分が「好きでないとできない人間」であることを改めて受け入れた。
「フルコミット型の営業は向かない。でも好きなものには全力でいける」
それ以来、好きだと思えることだけを選ぶようにした。今の仕事は、その延長線上にある。

「感覚を、誰でも使える道具に変える」
三枝が今の仕事で一貫して問い続けているのは、「再現性」だ。
「営業はセンスだよね、と言う人が多い。確かにコミュニケーションの素地は人によって違う。でも、準備の仕方は全員同じでいい。営業の8割は再現できる仕組みを持っています」と三枝は言う。
商談を録音してAIで解析し、トッププレイヤーの思考をスクリプトに変換する。人事でも、採用基準を言語化して誰でも同じ判断ができるフローを整える。
「感覚でやっていたところを排除して、誰でも高い水準で動ける状態をどれだけ作れるか。それが仕組み化の本質です」
「魅力発見講師」の仕事でも発想は同じだ。10種類以上の統計ツールや戦術を掛け合わせながら、その人の生まれ持った本質を引き出す。
「AIに代用できないのは、あなたの経験と、あなたが人に喜んでもらえるその部分です。だからそこを最大化することが、今もこれからも一番大事なことだと思っている」
社長の熱量を、誰でも使える資産に変える
なぜ三枝は「仕組みを残すこと」にここまでこだわるのか。
「僕が辞めるということは、本来組織は潰れるはずなんです。でも、僕がいなくなっても回るなら、それこそが僕がその組織に残した本質の価値だと思っています」
2020年の夜、5年かけて積み上げた校舎が自分の知らないところで売られた。どれだけ個人が頑張っても、それが組織の仕組みになっていなければ、翌朝には消える。
「自分がやる」から「誰でもできる形を残す」への転換。
それが今の三枝の哲学の核心だ。
やりがいは、相手の目が変わる瞬間
「今日、時間を作っておいてよかった」
「頭が整理されて、やることが明確になりました」三枝が最もやりがいを感じるのは、相手がそう言う瞬間だという。
「見返りを求めてやっているわけじゃない。でも、相手を本当に生かし切れているかどうか、その角度でしか仕事を見ていない」
仕事終わりの夜にインタビューに応じながら、その日会った相手のことを思い浮かべるような男だった。
チャレンジする大人を増やしていく
「日本の子どもたちが夢を描けないのは、身近な大人が魅力的でないからだと思っています。大人が稼げていない。大人が楽しそうに生きていない。だから子どもが未来を想像できない」
三枝が目指しているのは、大人が仕組みを持って稼げる状態を増やすことだ。
仕組み化とAIを掛け合わせながら、「人間が人間らしくいられる社会」の設計図を描く。
それがDesignexus Inc.の向かう先だ。
20代へ
「20代は、起業できる一番大きなチャンスだと思います」と三枝は言った。
「失敗してもやり直せる。それが若さの最大の資本です。お金のために大手の下請けに入るのも一つの選択肢ですが、それはいつ消えるかわからない一本足打法にしかならない。まずは自分らしく提供できるものを見つけてほしい」
そして、こう続けた。「新しい人ばかりを追いかけるな、と思っています。身近な人を大事にすることが、縁の作り方の基本です。起業した時に、自分の親や家族をどれだけ大事にできるか。そこがスタートラインだと思っています」
20代のチャレンジは、30代・40代・50代になっても誰にも奪われない財産になる。その言葉の重さを、私は少しだけ受け取った気がした。

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