他人は好きなのに自分は好きになれない

 昔から、明るいとか愛嬌があるとか、誰とでも仲良くなれそう、と言われることが多かった。
実際のところ仲良くなれているかはともかく、人と関わることに対して億劫になったことは確かになかった。人間を知るのは楽しい。わたしは自分の気持ちも、何をどうしたいのかすら分からないので、他人を知った気になった時が一番安心出来る。
縁があって、人の精神面をサポートするような仕事にも就いた。

天職だ、と思った。
これ以上ない、私はこの仕事のために産まれてきたのかもしれないと錯覚するほどに何もかもが上手くいったし、「あなたにならこのポストを任せたい」と周りもわたしを認めて、異例の昇進までした。

 仕事はだいたいのことはうまくいった。
わたしが少し、「あなたにしか言ってないんだけど、実はね」と本心を曝け出すふりをすれば、だいたいの人はその人の本質的なものを見せ返してくれる。
わたしは、相手の求めるわたしになるだけだから、決して欺瞞でもない。相手の求める言葉や性格になるだけなので、何も問題は起こらない。他人が喜べば、わたしも嬉しい。悪いことなんてない。
それに、そもそもわたしのなかには「自分」と呼べるに足るものがないので、偽るべき元の性格すらない。

話していると、「この人はこういう考えなんだな」「どうしてそう思った?」「この人とこの人がうまくいかないのは、こういう原因があるからだろうな」「この人は今こういう言葉をかけられたいんだな」と色々な可能性を探ったり、自分にはないものを感じるのが面白くて仕方がなかった。
プライベートではそうもいかなかったが、仕事は面白いくらい何もかも上手くいった。途中までは。

 でも、人生そううまくはいかないのは、私の考えと気持ちがちぐはぐになっていくことだった。
私があまりにも感情的すぎることが問題で、考えでは「こうするべき」「こう伝えるべき」と分かっていても、私の中の道徳に反すること(いじめ)が職場で起こったと聞いたとき、段々と感情が抑えられなくなっていった。

なんでこの人は、こんなことをするんだろう。
そんな人間が存在することが恐ろしい。
その事実を知らず、これまで親身になっていた自分が馬鹿みたい。付き合いきれない。
加害者のくせに私に相談するていをとって、うまくやり過ごそうとしている。どうせ私が何か取りなすと思っている。
仕事だから、と割り切れなくなっていく。

加害者を呼びつけて、事情を聞いた。
いつもなら落ち着いて共感したふりをした言葉を返せるのに、
「職場でいじめなんて、人の人生を狂わせるようなことをしておいて、なんでそんな態度でおれるんですか?怖すぎますよ。ほんまに人間のすることじゃないな」
とんでもない、職場にはおよそ相応しくない言葉が出た。我慢できなかった。
相手の顔が引き攣る。自分がなにか違う生き物のように感じて、「まあ、この話を聞いた人の中には、そう思う人もいるかもしれないですからね」と慌てて言った気がするが、もう遅かった。

 他にも諸々原因はあるにしろ、「仕事だから」と割り切っている(つもりの)自分と、自分などの言葉一つで人の心を左右するかもしれないこと、感情を抑えきれずに仕事を放棄する自分を、嫌いにならざるを得なかった。今でも好きになれない。今後もきっとない。感情を抑えることができない自分がいることを知ってしまうと、恋愛どころか、人と関わることも、怖くなった
また、何かしでかすかもしれない。

 そこから何もかもが、嫌になった。無気力。
誰とも話したくない。でも明るいと言われる自分すら捨ててしまったら、本当に何もなくなる。焦燥感。私は、人のために何か出来るような素晴らしい人間などではなかった。虚無感。

気がついたら悲しくもないのに涙が止まらず、耳鳴りや頭痛、朝ベッドから起きあがろうとしても指先から足の爪先までいうことを聞かない。
死んだ方が世のためなんじゃないか?

 毎日このパターンを数時間おきに心のなかで繰り返して、欠勤しながらたまに仕事をしているうち、私の様子(主に勤怠)がおかしいと気付いた上司に、心療内科を勧められた。
心療内科って(笑)
そんなの本当に病気の人間が行くところじゃないか。私は確かに人より常識がないかもしれないけど、今はちょっと疲れてるだけなんだよな。
まあでも、もしこの気持ちに病名がつけば、世間的に許されるのかもな。
病気なら仕方がないもんな。

 はじめは予約が取れず苦戦したが、一度通ってしまえば、必ず次の予約を取らされた。
数回通院したのち、私の心にはあっさりと病名がつき、そこから休職に至るのはあっという間だった。
救われた気がした。
休職が決まったから、というより、「ちぐはぐになって自分のことがわからなくなったのは、病気になっていたからだ、わたしの頭がおかしいわけではないんだ」と納得することができたし。

まあ、結果復職は難しいだろうと医者の勧めもあり、退職した。
退職届を出した後、すこしだけ晴れやかな気持ちで、母親に電話をかけた。貯金もあるししばらくはゆっくりして、また再就職に向けて頑張ろうと思う! 今は難しいんだけどね。努めて明るい声で報告すると、親は「はぁ」とため息をついた。

「なんで辞めるん? あんたみたいな半端者をそんな待遇で雇ってくれるところもうないで。今からでも頭下げて戻りなさい」とイライラした様子で続ける。
「そんなこと分かってるけど、もうしんどい。続けてたら頭がおかしくなる。わたしには耐えれん」
「あんたお兄ちゃんの癌再発したんやで。どんだけお金かかるか分からへんのに。家にお金入れないつもり?仕事なんか何したって辛いやろ」
「今までじゅうぶん渡したと思ってる。減るけど、また就職したら渡すから」
「家族が大事ちゃうんやな。そんな薄情や思わんかった。離婚してちょっとは学んだおもてたのに。そんなんやから…」

そんなんやから、の続きは言われなかったが、なんとなく想像はついた。
苛立った様子の母に電話を切られて、一人暮らししていた家の中の換気扇の下で、スマホと煙草を持ったまま、呆然と立ち尽くしてしまったことを覚えている。

薄情? わたしが?
毎月15万仕送りして、人のために生きて、人のために思ってもない言葉をかけられる、このわたしが?
今までこんなに頑張ってきたのにこの仕打ち?
こんなにこんなにこんなにこんなにこんなにもずっと頑張ってきたのに? わたしは何もかも我慢してきたし愛想笑いだってした、言いたくないことも言った、良い相談役になれるよう、笑顔だって絶やさなかった、行きたくない飲み会にも行った、興味のない話にも耳を傾けた、社内であらぬ噂を立てられた時も、無視して仕事に没頭して、何もかも耐えて頑張ったのに?

毎日死ぬことばかりを考えていたが、医者の勧めもあり、実家に帰った。希死念慮が強いため、このままいくと入院を勧めることになるからと言われたと思う。
本当は帰りたくなかったが、入院なんてしたくないし。天秤にかけた結果の選択だった。

実家に戻ると、母はまずわたしから薬を取り上げた。
セルトラリン、アルプラゾラム、ブロチゾラム、全てゴミ箱に放り込まれ、拾い上げようとすると母は金切り声で怒鳴った。

「薬なんか飲むから治らんのや」と怒鳴られ、拾い上げる気力もなく、部屋のベッドで横たわる日々が続いた。

他の薬はどうか分からないが、抗不安剤や睡眠薬の禁断症状はそれなりに辛いものだった気がする。
常に頭痛が続き、目だけは冴えているので眠ることも出来ず、かと言って何もする気力は起きない。不安で頭がおかしくなる。
友達が元気づけてくれようと話すので笑おうとすると、顔が引き攣る。当然外に出ないのでボイスチャットで友達と遊んでいるときに、突然取り乱して泣き出してしまうこともあった。そのたび謝ると、「面白いからいいよ」と笑ってくれたけど、罪悪感で死にたくなった。
鏡で見る自分の顔も、常にクマがくっきりしていて、お化けみたいだった。外に出る気力もなく、毎月金髪にしていた髪も、根本が真っ黒になり、ネイルもまつ毛エクステも辞めた。
死にたいと口に出すことはあまりなかったが、スマホの検索履歴はもっぱら自殺方法についてだったと思う。

ここから先の記憶は、ほとんどない。
どうやって立ち直ったかも覚えていない。
友達に「趣味の一環としてVtuberをはじめてみては」と勧められて、はじめは気乗りしなかったが(これはうつ病の症状としてで、本心としては自分もやりたいと思っていた)、友達の助けもあり、ちこりではなく別名義で活動するに至るまでは来れた。
 
まあ、働かないならと母にお見合いをさせられそうになったので、それよりはマシだと働けるようになったことも大きかったのかも。会社にわたしが必要だかどうかは知らないが、仕事をしていることで不安になる時間も減っていった。なんなら就職活動が一番辛かった。働くこと自体はやはり気分が良い。今も好き。

最後に、母はわたしにとって毒そのものだが、嫌いになることは出来ない。
それが血というものだと言われればそれまでだが、わたしに優しくしてくれたこともあったし。
まあ、わたしが母の言いなりになっていればの話だけど。

わたしは、いつまで経っても他人からの価値で、自分をすべて測っている。だから、成長ができない。
優しくすることなんて自分にとっては満足にできないから、他人から好かれているともあまり思えない。だから、友達もできない。
周りの評価でとは言ったが、周りがいくらわたしを評価しても、満足のいく人生にならない限り、たぶん自分を好きになることはない。
いつからこうなったのかは分からないけど、もう、まともな生き方や考え方がわからないまま、歳を取るみたい。最悪だよ

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