【不登校×進路】「ここなら通えるかも」と言った日
もうすぐ、息子は小学校を卒業する。
6年間をふり返ると、長かったような、短かったような、何とも言えない気持ちになる。
もう少しで幼稚園を卒園、というタイミングでコロナが大流行する。
いきなりの休園。
あのとき園長先生が「あまりにも可哀想やから」と、小さな卒園式を開いて送り出してくれた。
声を出して笑うことも、泣くことも遠慮がちな、あの頃。
先生や保護者のすすり泣く声が、あちこちから聞こえていた。
小学校入学も、やっぱりコロナにふり回された。
入学式はなく、担任の先生から教科書を受け取り、親子で挨拶をするだけのスタート。
いつから普通に授業が始まったのかも、正直よく覚えていない。
気がつけば、バタバタと一年生が終わっていた。
二年生になると、毎朝迎えに来てくれる友だちと、楽しそうに家を出ていく。
「ママのご飯より給食のほうがおいしい」と、失礼極まりない一言もよく言ってたね。
それでも、好き嫌いの多かった息子が、残さず食べてくれるのは、何よりうれしかった。
みんなと食べる給食が、大好き。
今でもふと「おいしかったな〜」って、思い出したように言うもんね。
そして、放課後は、友だちと元気に遊びまわる。
そんな何気ない日常が、ただただ嬉しかった。
でも、二年生の終わり頃から、勉強が少しずつ難しくなっていくのを感じた。
三年生からは、週に一度の通級を利用し始める。
つまずきは見え始めていたけれど、それでも毎日がんばって通っていた。
行き渋りなんて、一度もなかったんだ。
そして四年生のGW明け。
ぷつん、と糸が切れたみたいに、突然行けなくなったんだよね。
不登校になってから、支援級の見学に行こうとしたこともあった。
でも息子は机の下に隠れ、嫌がった。全力で、逃げ回っていた。
不登校になっても、
「小学校は、みんなと同じ通常級にいたい」
それが、息子の願いだった。
結局、支援級に行かせることは諦めた。
でも、通級教室やサポートルームには通うことができたのは救い。
学校の中に、息子なりの居場所を見つけながら、息子のペースで通う日々だった。
そんな息子と昨日、中学校の支援級を見学した。
優しく寄り添ってくれる先生と一緒に、英語の授業にも参加。
先生の手作りプリントには、
VALENTINE
FEBRUARY
たくさんのアルファベットの中から英単語を見つける、ゲームのような授業だった。
気がつけば、息子はすっかり夢中。
次々と見つけて、嬉しそうに指をさす。
周りの中学生よりもたくさん見つけられたのが誇らしかったのか、得意げな顔をしていた。
帰り道、息子がぽつりと言った。
「ここなら、通えるかも」
「よかったね。中学校、楽しみだね」
そう言いながら、手を繋いで帰った。
こうやって、まだ息子からそっと手を繋いでくる。「もう大きいからやめなさい!」と私は言わない。中学校見学に行く時は、不安で手を繋いできた。
帰り道は、「ぼく、頑張るよ」の気持ちからかな?少し手に力が入っていたね。
だから私も、強めに握り返してみたよ。
